司法と医療の相互理解を妨げている要因の一つに、言葉の概念にずれがあるように思われます。
そこで、その代表とも言える、医療における「ミス」と法律評価たる「過失」について意見を交換してみたいと考え、このエントリを立てました。
このエントリで「ミス」とは、医療側のいう「医療ミス」の意味で使います。
そして、「過失」とは法律概念としての「法的責任根拠たる過失」の意味で使います。
それをきちんと踏まえて、まず、医療側はどういう場合に「ミス」と言うのかをお聞きしたいと思います。
その上で、どういう「ミス」が「過失」とされるべきかを考えたいというのがこのエントリの趣旨です。
いきなり話がずれますが、医療ミスの定義って何ですか?
医療過誤? 医療事故? それともインシデント?
医療ミスと言う言葉は、どこまでがミス(失敗)なのか分かりません。
言語定義的には上記3つは全部失敗に含まれるかもしれませんが、これをひとくくりにするのは噴飯ものだと思います。
手術の傷の消毒を忘れて術後感染を生じた
というとミスですよね。
ところが、
http://www.yakuhan.co.jp/PDF/002/DIAS2_1.pdf#search='%E8%A1%93%E5%89%B5%20%E7%94%9F%E7%90%86%E9%A3%9F%E5%A1%A9%E6%B0%B4'
手術の傷の消毒をしなくてもいいという医師もいます。
たまたまある時代に死の責任をめぐって断罪された医療ミスが、その翌日に、実は死と関係ないとされる危うさが医療訴訟にはあります。
医療者の「ミス」という言葉に明確な定義はないものと思われます。
ですから各個人の経験から得られた「ミス」の概念を形作っていく作業になるのでしょう。
私が思うには"意図したことと違う操作をした場合"はミスと言って差支えないでしょう。
ただしこの操作の難易度や操作の結果に多様性があることから、この種のミスが必ずしも罰せられるべきものかどうかは分かりません。
問題は、意図したことを行ったのだが、その内容が他者から見て「行うべきではなかった」と言われる場合ではないでしょうか。この「ミス」は明確な基準がないことと、通常は結果が悪かった時以外には意識に上らないことから対処が難しいものとなっています。例えば80%の医者が正しいと考えている治療を行って結果が悪ければこれはミスとは言われないでしょう。20%の医者が正しいと考えている治療を行って結果が悪かったらミスと言われる可能性があります(特に裁判において)。しかし1%の医者が正しいと考えている治療を行って結果が良かったら、これはミスとは言われないと思います。診療の妥当性とは斯くの如く不確実で、妥当性の逸脱としてのミスと言う言葉も不確実であることを多くの人に理解してもらいたいと思います。
少なくともマスコミは過誤という意味でミスという言葉を使っていません。それは明確です。過誤を含む事故の意味で使っています。
しかし、本来英語のミスは過誤という意味に相当すると思われます。つまり、マスコミは明らかに誤用しているわけです。過誤であれば過失の可能性が浮上する訳ですが、ミス=過誤と一般的には解釈され、過誤ではない事故も過誤と思われてしまうという誤解が生じます。
私は、ミスと言えば、後から見たら、こうしたらよかったのにという意味で使っています。
カンファレンスなんかで、それよりこうしておけば、より早く治っていただろうとか、こうしておけば死なせずに済んだのにとかの場合に、ミスをしたと。
ただし、実際にそうしておけば、本当に早く治ったのか、死なせずに済んだのかは分からない。たぶん、そうだろうとは思われるが、済んでしまった話なので、実際そうであるかは分からない。
既出ですが、せっかくですので、「医療ミス」という言葉の中に何が含まれうるかを少し考えてみました。
A)について
ある医療行為のプロセスは、下記の1〜3です。
1:意図 → 2:行為 → 3:結果
1でエラーが起き、2は正しく遂行されたものが「ミステイク」
例) 頬骨(きょうこつ)骨折疑いの患者を、胸骨(きょうこつ)骨折疑いと思い、胸部診察をした。異常がないと判断した結果、頬骨骨折が見逃された。
1は正しく遂行されたが、2でエラーが起きたものが「スリップ」
例) 外科手術中、動脈を剥離中に手元が狂い、大出血をおこした
B)について
これは、個人の問題よりも、病院組織のシステムに起因したものほうが主原因のもの。
C)について
日常でも「これくらい大丈夫だろう」と思って、つい信号無視をやってしまう。忙しい、人手がない、などが誘惑となり、ついルールとはちがうことを犯してしまうもの
悪しき結果は生じてはいないが、A)B)C)のどれかのエラーが発生したものがいわゆる「インシデント」
一連の医療行為はすべて正しく行ったにも関わらず、個体起因性の要因(解剖学的差異、疾患上の要因)が主因で、悪しき結果が生じることは日常茶飯事。そもそも、病気や外傷という本来悪い方向に向かっていく人たちに手を差し伸べることが医療というものだから。
よって、医療上の独特の問題として、「悪しき結果」が生じたとき、そこに、上記A)B)C)のような何らかの「エラー」があったかどうかで、まず紛糾することが多いことがあげられる。エラーの程度をどこで線引きをするか・・・、これが大変難しく、立場の違いで線引きの仕方もさまざまだと思うl
さて、このエントリーで論じていく「医療ミス」とは、いったいどこを指すことにするのか?それを共通項にしておかないと、堂々巡りの議論になってしまうのでないかと危惧する。
患者が医療ミスと考えて訴えを起こしたら司法としてはミスと取り扱うのかな、とおぼろげながら感じていますが。
それがミスかどうかではなく、なんらかの過誤があったとみられるという理由で(相当減額されているが)賠償を求める判決が地裁レベルでたくさんみられるような気がするのは私の無学のせいかしらん。
>sepia さん
司法(医療過誤訴訟または業務上過失致死傷事件)で問題になるのは、法律概念としての「過失」です。
患者または医師が、「医療ミス」と考えたからと言って、当然に「過失」が認定されるわけではありません。
法律家が「過失」というときは、少なくとも理論的な理解は概ね共通しています。
但し、前提とする事実の不一致または評価の違いによって、結論が異なる場合は珍しくありません。
しかし、医師が「医療ミス」という場合はかなり多様であるようですし、多義的でもあるようですので、概念の整理の場としてこのエントリを立てました。
私が過失論を言う場合は、やはり法を意識します。新過失論に基づく過失の認定です。
予見可能性を前提とした危険回避義務ということで、二段階での過失認定手続きです。
予見可能性がなければ、危険結果の回避はまったくできません。
医療において危険性(副作用を含め)が確率的に予測できたとしても、医師のコントロールできる範囲は、時間的にも能力的にも医療資源的にも限られており、危険回避が困難であることもあります。
医療行為のプロセスに問題がなければ、いかなる不幸な事態になったにせよ、尽くすべき医療者としての義務を果たしたのであり、医療費を請求することは当然であり、逆に賠償を求められる責任を感じる必要など全くないと思っています。
問題は、その回避義務レベルの要求水準です。
奈良救急事件(心タンポナーデ事件)、新宮心筋炎事件、大淀病院脳出血事件、そして福島大野病院事件、、、、これらは、その裁判所が求める要求レベルが高すぎる故に、現実から乖離しています。
ある程度の酌量余地、執行猶予の範囲を示してもらえなければ、患者のリスクを医療として引き受ける人はいなくなるでしょう。
もちろん、司法の問題というより、医療制度を維持する患者権利、医療環境の権利調整をしない行政、立法の不作為または、無能の矛盾が吹き出たものだと思っています。
法の勉強としては、初学者の域を出ませんが、医師としては、日本の医療行政の末端を担うものとして法を勉強すべきものだと思っています。社会的要請なくして、医療も存在し得ないという一面もあるし、一般国民に対して今の医療制度の矛盾、解決課題を啓蒙すべきものだとも思っています。
こんな私は少数派でしょうか???(笑)
本来,多くの医師は「医療ミス」=「医学的に過失のある事象」という理解だと思います.ここで「医療ミス」=「法的に過失のある事象」ではありません.
現状は「医学的過失」が「法的過失」より狭いとか,広いとかいうような包含関係にはなく,重なる部分もあれば重ならない部分もあり,現状の「医学的過失」は「法的過失」とは異なるとしかいいようがありません.
例えて言えば脳出血急性期患者に降圧薬であるペルジピン注です.ペルジピン注の添付文書には止血の完成していない脳出血には禁忌である旨記載されています.すなわち,この状況で使用すると高い確率で法的過失が認定されます.
しかし,脳出血急性期には速やかに血圧を下げないと血腫が大きくなって脳ヘルニアを起こす可能性があり,患者の命が危険な状態ですから,速やかに血圧を下げないことが医学的過失です.もちろん,ペルジピンではなくヘルベッサーで血圧を下げる方がペルジピンの副作用による止血の遅延はなくなりますが,ペルジピンと比べると降圧効果は格段に劣るため,十分な効果がなく,もたもたしている間にさらに血腫が増大するかもしれません.
これは医療モデルと法律モデルの対立です.
医療は本質的に複数のリスクを抱えた業務で,一つのリスクを回避しようとすれば自ずと別のリスクが増大する関係になっています.ですから,その時点時点で複数のリスクを総合的に評価して,よりよいと思われる道を選択していくのです.これが医療モデルです.
法律モデルでは,ルールの絶対的な遵守を求めます.医療に法律モデルを持ち込むと,ペルジピンの例で理解できるように,単一のルール化されたリスクだけを絶対的に考慮しますから,自ずと他のリスク要因を無視することになり,患者は助からなくなるのです.
ほとんどの医師は医療モデルに沿って業務を行っており,あるリスク要因を避けるために薬の添付文書に反する投薬をしたりする場合があります.ここで,添付文書に反する投薬をした医師は,その投薬を行わないより行う方が良い結果になる確率が上昇すると考えて行っています.しかし,結果は確率的に分散しますから,良い結果が得られる場合もあれば悪い結果になる場合もあります.
医師が考える「医療ミス」は「医学的過失を伴う事象」すなわち,「医療モデルにおける過失」であって,「法律モデルにおける過失」とは異なります.
マスコミを含む一般人や法曹にとっては「法律モデル」でしか理解できないのだと思います.ですが,本質的に生物という多様性をもつものを扱う医療には法律モデルは適用できないのです.
予見可能性と危険回避義務というキーワードで説明すると,医療モデルでは複数の危険が予見される場合,複数の危険を総合的に評価して重みづけを行い,回避行動を行います.単純に目の前の危険だけを回避するような行動を行った場合,別の危険にぶち当たることが多い,というかそういうことがほとんどです.これは医療の本質ですから,医師が逆立ちしても変えようがないのです.
さらに,現在の医療情勢は患者の中だけにリスクがあるわけではないことを考慮しなければならないのです.
福島の大野病院の例で言えば,胎盤を無理にでも剥がさなければ止血自体ができません.無理に剥がせば出血は多くなるという相反するリスク関係です.
より多くの輸血を用意しておけば助かったかもしれませんが,使わなかった血液は返品できず,廃棄されます.全国的に輸血用の血液が足りていない状況で帝王切開の患者のためにあと1パックずつ余計に血液を確保すれば,輸血用血液の圧倒的な不足をきたし,交通事故等ですぐに輸血が必要な患者に輸血が行き渡らなくなり,助からない患者が続出します.
法的に医学上の危険に回避義務を認定しても,他の危険にぶち当たることにしかなりませんから,予見可能性と回避義務だけで過失認定を行うのも無理があります.
医学的過失を考えてみます.
No.3 DDMR さんのコメント | 2007年05月15日 08:35
No.2 blight さんのコメント | 2007年05月15日 07:29
20年前には傷の消毒を行わないことは日本では医学的過失とされていたと思います.但し,海外では消毒しないことがスタンダードでした.
では,10年前はどうでしょうか.私の記憶では傷の消毒が傷の治りを悪くするという知見が日本で言われ始めたころです.傷は消毒すべきではない,とする医師がいる一方で,傷は消毒すべきだ,という医師もいます.ですが,前者は圧倒的少数です
現在は傷は消毒すべきでないとする医師の方が過半数です.ですが,まだ傷は消毒すべきだという医師も少なくありません.
この状況下で,(1)20年前に傷を消毒しなかった医師に過失はあるか,(2)10年前に傷を消毒しなかった医師に過失はあるか,(3)現在,傷を消毒している医師に過失はあるか.いずれも傷の感染という結果があるものとします.どうでしょうか.
少なくとも(1)は日本国内で法的に過失として認定されるでしょう.ですが,国外では消毒を行わないことが医学的スタンダードとされているのに,医学的過失とできるでしょうか.(2)も法的に過失として認定される可能性きわめて大ですが,国外の状況を無視しても,現時点で考えると医学的には過失とできません.
私はどれも過失とはできないと思うのです.
医学的過失に関しては,その行為を行う,あるいはあえて行わない医師がその行為を行うあるいは行わないに足る当該医師が信ずる理由付けが存在する限り,過失とはできないと思うのです.つまり,多くの医師が患者Aに対して医学的介入Bを行うことが常識と考えていても,ある医師が患者Aに対して医学的介入Bを行うべきでないと理由付けを持って信じていれば,Bを行わなかった医師に過失があるとすることはできないということです.
さらに例示したように,そのときの医学的常識が絶対の真理ではなく,今後変遷しうるものであることに留意すべきです.後の医学的常識を前の時代に遡及させることはできませんが,逆に少数の医師による新たな知見を反対する医師の数が多数であることを以て誤りであるとすることは科学的に正しくありません.
ですから,医学的過失もごくごく狭い範囲でしか認定できません.
われわれ医師は医学的過失が法的過失と異なることに絶望しているのです.言い換えると,法律モデルで医療を判断されると業務が成り立たない(患者を助けられない)のです.法曹の方は医師であっても法を遵守する義務を免ぜられないと言いますが,医療の科学的本質がそうなのですから,医師が逆立ちしても100%遵法医療はできない(というか,それを行えば患者が助からない)のです.これは,法律を作って万有引力に引かれて落ちるリンゴを逆行させることができないのと同じなのです.
malpractice 過誤
medical malpractice とか legal malpractice とかよく出てきます。
error 過ち、誤り
医者でもよく使う、『誤診』は、危険な言葉です。
正しくは、仮診断の齟齬 というような使い方が良いでしょう。
>田舎の一般外科医さん
なぜ、傷を消毒するという基本的な事に対して、医師の間で意見が分かれているのでしょうか。医療は科学ですので、科学的な方法に基づいて調査を行えば、消毒に効果があるのかないのかは科学的に導き出されるものだと思うわけですが。
>田舎の一般外科医さん
仰ることは分かるのですが(外科医の世紀を読んでいる途中ですし)、他方、基準を大幅に上回る薬剤を投与し、その結果患者が死亡した場合において、医師が信念を持って行うのであれば、責任は問えないという事になりますよね。
例えば、埼玉医科大の抗ガン剤過剰投与事件みたいなものも、過誤であろうとなかろうと、医師の信念に基づいた行為と主張すれば、罪は問われないことになるかと思います。そのような訳で、何らかの線引きは必要なのではないかと思います。
>田舎の一般外科医様
一応、ちょっとだけ訂正。
事実誤認です。未だにドイツでもアメリカでも傷の消毒は行われています。テレビ番組の「ER(救命救急室)」をみればわかりますね。むしろ、最近ではこの分野に関しては日本の方が進んでいるそうです。
傷は消毒しない方が治りが早い、というのは40年前には学問的にはほぼ確立していましたが、臨床には未だ定着していない(日本を含め)と思います。
>しま様
医学、特に外科は科学であると同時に「伝統芸能」の性質も併せ持っているからです。
科学の分野は教科書、雑誌で学べるのですが、技術伝承はman to manの伝承以外に伝えるすべがありません。そして、傷の消毒は残念なことに医者の間では極めて軽視されており、科学的な検証が十分なされていなかった、かつ、科学的検証がなされても放置されていた分野なのです。なにせ、医者には覚えることが膨大にあります。その上、新しい技術・治療がどんどん発展してきているため、そちらをマスターするのに能力・労力を取られます。従って、「割とどうでも良いと思われている」傷の消毒などは科学の上からは放置され続けている、と考えればよろしいと思います。ですから、傷の消毒は科学ではなく、伝承によって技術が受け継がれているのです。
>No.14 しまさん
まいど横から失礼します。
>医療は科学ですので、科学的な方法に基づいて調査を行えば、消毒に効果が
>あるのかないのかは科学的に導き出されるものだと思うわけですが。
医学は科学の方法を用いていますが、医療は結果オーライのアートであり、結果さえよければどんな方法も認められます。内科的治療よし外科的治療もまたよし。しかし逆に動物実験と違い臨床研究では患者さんの基本的人権というものがありますから生死の問題を無視した純粋に科学的な研究は出来ません。それで大学間や医局間で技術競争してオーライの結果というアート作品の質と数を競っています。まあ武芸者の道場がたくさんあってそれぞれ流派を名乗って腕を磨いているようなものです。つまり、医学(基礎医学)は科学だが、医療(臨床)は科学ではなくアート美術作品や武芸の流派の秘伝の技のようなものです。
うまく説明できたでしょうか。あんまり自信ないな、横から出てきた割りに(笑)。
私、内科医なので創傷治療には詳しくありませんが、「消毒しない」というのは、もしかしたらデュオアクティブ(しまさん、これで検索してみてください)等を使った創傷治療のことでしょうか?褥創治療では、ほぼ一般的ですけど。
だとすると、「消毒しない」だけしか言わなければ、「消毒しない=何もしない」と非医療者には誤解されてしまいそうですが・・・。
※まだ褥創治療でデュオアクティブを使っていない施設があるかもしれない?どの程度の施設に普及しているか明確に知らないで、私ならまだしも偉い先生が安易にこんなこと言うのが「医療水準」にされてしまうのかな?(ボソッ)
スレずれのコメントばかりで恐縮です。(ボソッ)
>しま様
抗癌剤の過量投与に関しては判断が最も難しいであろう分野の一つです.
埼玉医大の件は過誤だったのだろうと思います.しかし,抗癌剤の使い方の基準は絶対的なものでなく,既存の常識からすればある程度冒険といえるような使い方を意図的に行う中で新たな抗癌剤の使い方や組み合わせ方(医師はレジメンやプロトコールといいますが)が生まれ,これが抗癌剤の治療成績の向上につながってきました.
単一の抗癌剤の量という問題もですが,複数の抗癌剤を組み合わせて使用する際に,それぞれの抗癌剤の量は基準内でも,組み合わせると普通では許容しがたい毒性をもたらすと理論上考えられています.しかし,食道癌の放射線化学療法のレジメンの一つは,2つの抗癌剤を基準いっぱいまで使って,さらに放射線までかけるというそれまでの常識からは考えられないほど毒性が高いと思われたレジメンですが,現在では標準的な治療として確立していますし,同じレジメンの後療法に至っては,2つの抗癌剤を基準の2倍使用するのが標準となりました.
このような事情があるので,信念に基づき基準を超えて投与することに関して過失とすることはできないと思います.
過誤による過量投与を罰する必要性は否定しません.しかし,現実には,抗癌剤のような細胞毒性の強い薬剤を既存の使い方を逸脱して使用する場合は2人以上の医師の合意が必要とするなど,単純な過誤を排除するシステムを確立して二度と起きないようにするのが望ましい形で,前述の考え方と矛盾しないと思います.
もたもた書いてるうちにすっかり置いてけぼりでしたね(笑)
こっちも同じ運命かな(笑)
>No.15 しまさん
>仰ることは分かるのですが(外科医の世紀を読んでいる途中ですし)、他方、
>基準を大幅に上回る薬剤を投与し、その結果患者が死亡した場合において、
>医師が信念を持って行うのであれば、責任は問えないという事になりますよね。
>
>例えば、埼玉医科大の抗ガン剤過剰投与事件みたいなものも、過誤であろう
>となかろうと、医師の信念に基づいた行為と主張すれば、罪は問われない
>ことになるかと思います。
ごもっともですが、ここでカルテの存在が生きてくると思います。つまり、医師は自分の診断と検査と治療のすべてについて記録を残さなければならない。そして同じカルテに看護記録や処方記録や検査報告が残されて記録の正確さについてダブルチェックトリプルチェックを可能にしている。医師はその記録に基づいて信念を主張するしかないので、過剰投与が行われたことが医学的に裏づけがあるかないかは上級医が検討すればすぐに明らかになります。医師一人が言い張っても根拠となる論文を出さない限り主張は認められません。
このくらいでご説明できたでしょうか。やっぱり自信ないな、文才に(笑)。でも、とりあえずあとはしまさんのご賢察におまかせしたいです(笑)
>元ライダー.開業医さま
手術の創や縫合した切り傷のように創面が外に大きく解放していない創では消毒もしませんし,文字通り何もしません.今は腹部の手術の創も術後48時間たったらガーゼすら当てずに縫合糸が見える状態で解放としています.
デュオアクティブの治療は褥瘡や擦過傷,挫創など,創面が広く開放している創に行われ,創面の湿潤化・密閉をはかることにより,創面の線維芽細胞の遊走・定着を助け,上皮化を促す治療です.
消毒液は線維芽細胞をはじめとする創傷治癒に関わる細胞を傷害する作用があり,創面に消毒液を塗ると創傷治癒が遅延します.要は治りが悪くなるのです.
逆に創が感染した場合は,ドレナージと適切な抗生物質の全身投与で治療すべきで,局所に消毒薬を塗ることは表面の細菌が少し死滅する程度で役に立ちません.さらに前述したように細胞傷害性があるので,細菌を排除しようとして遊走してきた白血球などを傷害し,感染防御能を下げてしまうのです
私が子どもの頃(3〜40年前)は、「怪我をしたときは傷口は消毒」という医師や学校の保健の先生がほとんどでしたが、我が家では、「怪我をしたときは、傷口の砂などを水で洗い流してオシマイ」が基本でした。
ということは、我が家の治療方針は、結構時代の最先端をいっていたのかと感動する今日この頃。
>No.22 田舎の一般外科医さん
誤解していたのは私でしたね。失礼しました。
> No.15 しまさん
抗癌剤誤投与や左右取り違い、患者取り違い(いずれも救急は除く)は信念に基づこうと立派な過誤であり、慢性疲労や鬱病になったり過労死するくらいの勤務状況だったという訳で無いのであれば刑事に問われても仕方がないと私は考えます。
それを科学的に説明せよと言われてもなかなかできないのですが・・・。
消毒については、今までほとんどすべての医師が消毒していたのに消毒しなくても良い、ということを啓蒙するにはやはり科学的アプローチが必要だと私は認識しておりいます。僻地外さんのコメントをみるとそれがなされているようですし・・・。ちなみに私自身は未だに消毒をします。ただ、これとてエビデンスがあるわけでは無いかもしれませんね。考えても見なかったです。
それとも私が内科だからそう考えるのでしょうか?
No.23 じじい(患)さん
私なんか「舐めときゃ治る」といわれましたよ。犬猫並みでしたな。
> No.25 yama さん
患者を取り違えるとか,左右を間違って手術をするとかの事例に関しては過失を問われても仕方がないというのには同意です.ですが,抗癌剤の投与量が基準より多い量が投与されていたことだけを以て過失とするのは無理があると思います.
繰り返しになりますが,基準より多い量の抗癌剤が必要であると医師が考えて投与する場合には過失を構成しないと思います.もちろん,基準を逸脱する理由付けとその必要性が医学的に妥当であることを患者に説明し,同意を得ることと,2人以上の医師の合意を要件として単純に「量を間違っちゃった」というのが入り込む余地をなくす仕組みは必要です.
No.25 yama さんのコメント | 2007年05月16日 12:43
科学的アプローチの必要性を否定するものではありませんが,過失とは別の話です.新しい考え方で消毒の必要性が否定され,むしろ害であることを啓蒙しようとする場合,大多数の医師がその考え方を認めないとき,消毒を行わない医師を過失ありとできるでしょうか?逆に現在では多くの医師が消毒がむしろ害であることを認めていますが,現在消毒を行っている医師には過失はあるでしょうか?
医学的に論が分かれている場合には,そのどちらを採っても過失としないとする考え方が妥当のように思います.
> No.27 田舎の一般外科医さん
ごめんなさい、私もそのことが言いたかった(思いつきながら単に書き忘れただけです・・って言い訳か?)のですが、その場合はやはりちゃんとカンファランスで同意を受け、カルテに書き、さらに患者へ説明することが必要だと思います。
カルテに書いていなかったとかであればもはや同情する余地は無いと私は思います。
消毒については科学的アプローチが必要だとは書きましたが、過失までは私は言及していませんが、ついでなので私の考えを述べます。
ただ、やはり新しい方法論については科学的アプローチが必要であり、その上で判断すべきでしょう。根拠のない方法は間違っているとしか言いようがありません。それに対しては私は過失と認定せざるを得ないと思います。その上で反対論、賛成論どちらに対しても寛容であるべきだと思います。
術創消毒については、どちらを選択しても過失には当たらないと思うのです。
1.私法上、一定の事実を認識することができるはずなのに、不注意で認識しないこと。
2.刑法上、行為者が不注意によって犯罪事実の発生を防止しなかった落ち度のある態度。
(Yahoo! 辞書より)
過失には必ず「不注意」という要件がつきます。が、消毒をする、しないはメリットとデメリットを勘案した上の選択なので不注意にはあたらず、よって消毒の有無の結果によりどんな結果を及ぼしても過失にはあたらないと思われます。
抗がん剤の投与量も同じで、これも不注意で多量に投与したわけではないので過失には問われないでしょう。
その代わりに「注意義務違反」が登場するのでしょうけど。
過失については、No.6 ER医のはしくれさんが提唱したようなモデルを基にしてどのステージでのミスが法律的に過失の要件にあたるかを考えたほうがいいと思います。
個別事例を出してきたらキリがないし脱線しやすいし、モデルもガイドラインもできやしないです。
医療ミスって,小さなものは頻繁に発生しているのでしょ。ミスがあっても解消する作業が医療です。ミス+解消の影響が,生体にとって可逆的変化のうちに収まれば,これはやってもいいミスでしょう。期待権の問題は残りますが。
法的過失とは,まず損害があるかどうか,あるとすれば損害と先行行為との因果関係があるかどうか,考えていくのでしょう。この先行行為が「その時点で」咎められる行為と法的に評価できる場合は,過失とするのではないでしょうか?
☆「咎められる行為と法的に評価できるか」→この部分に司法と医師との認識に齟齬があると医師は戸惑うでしょうネ。
>田舎の一般外科医さん
>ぼつでおk(医)さん
>yamaさん
おつきあい戴きありがとうございました。
私も、「基準外の投与=違法」という図式は成立しないと思っています。基準外の投与が従来の投与法に比較して正しい場合もあるでしょう。仮に結果が悪かったとしても、投与された方がたまたま特異体質であったためであり、投与法には問題がない場合もあり得るでしょう。
また、その投与法が正当なものであるかどうかは、その投与した医師本人しか分からないのも確かです。一般人には判断する事は無理であろうし、他の医師でも理解できるかどうかは分からないところです。
一方で、そのような考え方が、一般の人にはなかなか理解できないのも確かでしょう。非医療者である私は、非医療者が基準やルール、医療水準にこだわる理由も分かりますので、難しいところだと思います。
医師はどのようにして正当性を主張するのか、法律家はどのようにして違法性を判定するのか、悩ましいですね。恐らく、永遠のテーマなのでしょうが。
言葉の定義の問題として、医療という時通常は医師だけで行われているものではない、コメディカル、パラメディカルもそれぞれコストをかけて医師とともにひとつの医療に従事しています。もちろんそれぞれの科学と実技があります。
このエントリーで医療という言葉は医師の個人的技リョウの部分だけについて問われているのだとしますと、これももちろん科学「的」な方法で技リョウの向上をはかるためのプログラムが存在します。スポーツ選手の能力向上に運動科学的トレーニングが存在するように。で、このスポーツ科学ももとは医学という科学の成果から派生した科学でもあるのです。ややこしいですね(笑)。
法律的評価って結果が発生したところからはじまるじゃないですか。
そうすると、例えば、
手術の術後感染を生じた
↓
手術後の傷口を医師が消毒していなかった
↓
そうすると、術後感染と傷口の未消毒とは因果関係があるのではないか
なんてふうな思考パターンを裁判官はたどるのだと思います。
裁判官は、科学的因果関係というよりも論理的な因果律による思考パターンに馴染んでますからね。
とすれば、8割方の医師が傷口消毒を行っているとすれば、同じようにしていたほうが法的評価の面では無難な可能性が高いということになります。
blightさんの
>たまたまある時代に死の責任をめぐって断罪された医療ミスが、その翌日に、実は死と関係ないとされる危うさが医療訴訟にはあります。
そういう危うさも裁判官の因果関係理解パターンを理解しておけば防げる可能性は高まると思います。
もっともそんなことばかり意識していると医学の進歩を損ねるという点はありますね。
>yama様
「傷を消毒しなくても良い」と言うことに関しては2つのアプローチで考える必要があります。
1.傷を消毒しなくても感染率に差は無い(か、むしろ感染率が低い)
2.傷を消毒しなくても治癒速度に差は無い(か、むしろ治癒が速い)
で、現在国内でも大規模ではないですが前向き試験は幾つか行われ、1.2.いずれについても証明済みです。以上は帰納的アプローチによる科学的証明ですね。これは論文レベルではなく、夏井睦先生の著書群を除いても国内でも既に幾つか成書が出ております。
演繹的アプローチについては夏井睦先生のHPが詳しいのでそちらを御覧下さい。いずれにせよ、科学的証明については既に済んでいると思います。
また、アメリカの外科学の教科書(伝聞で、原物を私も見てません(苦笑))には、「傷の中に入れて良いものは、目に入れても問題のないものだけである」という記載があるそうです(にもかかわらず、アメリカでいまだに傷を消毒しているというのは、一体・・・・(^ ^;)。
なお、yama先生が読むとのけぞるかも知れませんが、CVカテーテル、胸腔・腹腔ドレーンについても私はいっさい皮膚消毒をしていません。これも合理的根拠があるからです。感染率は当院の検討(nは少ないです)でもまったく差がありません。
おそらく今の時点ではまだ傷を消毒しても、これを元に訴訟になった場合負けることはほぼ無いと思いますが、遠からず「消毒することで無用の苦痛を与えた」と敗訴する時代が来ると思います。それもおそらく、ここ10年以内の話だと思います。
すみません。エントリー間違えました。
モトケン先生お手数おかけして申し訳ございませんが、このコメントとNo.33とを削除していただければしあわせです。
あくまで個人的な使用法として。
私がミスと言う場合、以下のパターンに当てはまるものです。
自分に対しては
1)通常の自分なら、まず絶対にしなかったはずの判断をした場合
体調不良でぼーっとしていて、何でこの処方をしたのか、自分でも理解できないなど(という経験はないですが例として)
2)自分が意図していたことと、違う行動をしてしまった場合
処方箋に薬の量を間違って書いてしまったなど
他の医師に対しては、自分じゃないので、1や2は判断できないため、下記のパターンです。
自分なら1に当たるでしょう。
3)医師なら、まず絶対にしないだろうことをした場合
4)専門医であるのに何故しなかったのか、何をどう考えても理解不能なことをしなかった場合
つまるところ、これは過失だとして訴えられても、自分でも仕方ないと思われるケースに対して、ミスという言葉を使います。
一方で、確定診断に時間がかかる疾患に対し、最初の仮診断が結果的に違っていた、患者の治療協力が得られなくて(精神科では嫌になるほどよくあることです)最良と思う医療行為ができなかった、現状のシステム内で出来る限りの注意はしていたが自殺や事故を防げなかったなどの場合は、事故と呼び、ミスとは呼びません。
つまり最良でなかったという意味ではミスと同じかもしれませんが、できるだけのことはして、理想はともかく実質的にそれ以上はできなかった、これを防げと言われても、私にはできない!という場合です。
あくまで私個人のミスと事故の言葉の使い分けです。
ちなみに過誤という場合、私はミスと同義として使っています。
No.6 ER医のはしくれ さんのコメント
これを基に言及すると,A)で重大な結果が生じた場合,個人の責任を否定できないものの,人間は単純ミスをするのが常であることを考えると,民事で比較的少額の賠償責任を負わせるに留めるのが合理的と思います.また,B)と関係しますが,本来医療現場においては個人の単純ミスが重大な結果につながらないようにシステムを整備すべきであって,病院であれば病院自体も連帯して責任を負うべきだと考えます.
B)に関しては,病院が責任を負うべきですが,保険診療の限界などの問題が明らかに絡む場合(例えば保険診療では治療することのできない病態など)は,国が連帯して責任を負い,病院の責任を軽減するか,国が連帯して負うべき部分を受忍範囲として認めないかのどちらかでしょう.
C)については医学的ルールおよび病院施設内でのルール違反に関しては刑事責任を含めた個人の責任追及もやむを得ないところと思います.但し,前にも医学的過失で言及したように,医学的ルールの逸脱とできるのはごく少ないか,あるいは全くないことも考え得ると思います.
>No.34 kenji47 さんのコメント | 2007年05月16日 22:51
まあ、裁判官がどう考えるかという側面から妥当な医療を論じるというスタンスもありますが。JBMという自嘲の言葉を吐きつつも、これやっとかないと訴えられるということでどんどん検査の量も薬の量も人手も手間も増えていく。
これって、医療の無駄というものではないのかと…
あと、こういう医療知識のばらつきは、医療側に不利な鑑定をさせる相手をみつける際にも利用されます。たとえば、9割の医師が良いと考えている医療の結果亡くなった患者さんがいたとして、遺族はその医師を訴えるために、1割の少数意見を持つ医師をどこからか探し出して、一般の医療水準では考えられないようなおかしな鑑定書を書かせる事が可能です。
あ、「医療は科学か」エントリーと発言矛楯があるので訂正しておきます。
いずれにせよ、科学的証明については既に済んでいると思います。×
いずれにせよ、統計学的証明については既に済んでいると思います。○
ミスか合併症か、はたまた過失か
Dr. Iさんがブログで考察されているのですが、これはどうなのでしょう?
心臓カテーテルで脳梗塞
心カテでは0.1%の頻度で脳梗塞が起こることが分かっている。
で、起こった。
これは、医療ミス(法的責任はあったりなかったり)かそれとも心カテ検査に伴う合併症(この場合は、法的責任は全くない)か?
さらに、この例では裁判に訴えられているわけですから、「医療ミス」以上の「法的責任根拠たる過失」だとさえ言われていることになります。
これらを区別する法律上の根拠はあるんでしょうか?
裁判では、それらをどうやって区別するんでしょう?
近頃よくニュースになっている、中心静脈穿刺に伴う動脈穿刺や経鼻あるいは経口胃管挿入時の気管への誤挿入はどうでしょう?
これらも、そういう処置には、ある程度の確率で起こりえるものです。
技術の上手下手や透視やエコーを使っていたかどうかなどで、その頻度を下げ得るでしょうが、0にはできない。
これらは、医療ミスなんでしょうか合併症なのでしょうか、それとも過失なんでしょうか?
これこれという事実があったと認定して、その処置は「過失」である、あるいは正反対の「合併症」であるとか判決を下すのだと思うのですが、、、
私ら医師から見たら、期待していない不都合なことが起こったのだから、それらは一緒くたにして「ミス」と言ってしまいますが、すぐそれを法律的な「過失」とされてしまってのは、やってられんとなってしまう。特に、その区別が不明確では、よけい困る。
あ、そもそも、法律上の罪を問う場合には、罪を問う前にきちんと明文化されていないといけない、、、とかいう原則がなかったですか?
(これは刑事罰だけ?)
普通は心臓カテーテルで脳梗塞が起こりうることは説明するはずです。ミスではなく、合併症として説明もします。しかも、承諾書をとるはずです。
それにもかかわらずミスとして訴訟を起こされ、損害賠償が生じたら我々は退散するしか無いと思います。
しかし、この問題は患者に理解能力があったかどうかの問題だと思います。例えば文書で説明しなかったとか、カルテに記載がないとかであればわたしもこの医師・病院をかばうことは残念ながらできません。問題は説明したのに患者が理解していなかったときです。
どんな場合においても自分の理解能力が超えている場合は説明を受けても覚えていません。これは人間の限界です。にも関わらず患者が十分説明を受けていなかったとするのは詭弁だと個人的には思います。理解力の悪い患者はいます。理解力が良くてもレベルの高い話にはついて行けず、覚えてもいないでしょう。それを患者が納得するまで説明するとかであれば時間がいくらあっても足りないし、そもそも本当に理解できているのか確認する手段が試験とかだけになります。まさか患者に試験を受けさせ、合格した人だけカテーテルと受けさせるというわけにはいかないでしょう(この手の議論が以前ありましたね)。
この手の訴訟は「言った言わない」の世界です。カルテや説明文書を手渡すなどして自衛するしか無いと思います。自衛していれば医師の反発はあるでしょう。最悪訴訟で負ければ医師はモチベーションをなくすでしょう。そして静かに医療崩壊が進むでしょう。
No.41 ある町医者さま
裁判では、「法律上の要件に該当するか否か」、すなわち「過失に該当するか、しないか」のみが判断されます。最上位概念としては、との意味でですが。
つまり、その他の「合併症か否か」という判断は、(法律上の要件である)「過失」の有無を判断するための一要素にすぎません。
「過失か合併症か」という問いは、法的判断において排中律の関係には立たないということです。(法律のロジックでは、「過失によって起こった合併症」という概念もありえます)
区別の客観的な基準というものは、ある意味、ありません。
脳梗塞に至る経過について判明した限り(証拠に基づいて裁判所が認定した限り)の事実関係をもとに、「平均的な医師を基準にみた最善の注意義務」が尽くされたといえるのかどうかが、裁判官によって判断されるということです。
全事情の総合評価ということになるため、すべての医療過誤事件に共通するような具体的な基準というものは、立てたくても立てられない類のものだと理解しています。
「罪刑法定主義」のことですね。刑事罰のみを対象とする憲法上の原則です。
ただ、憲法上の要請としては、「過失によって人を死傷させたら処罰します」という抽象的な規定でも足りるというのが一般的な理解と思います。
「過失」だけじゃ分からないじゃないか、という批判には理由はあると思いますが、では「業務上過失致死傷罪は憲法違反だ!だから同罪で起訴されているすべての事件は無罪だ!」という主張が通る見込みは(限りなく)低いでしょう。
# ある町医者さまがそういう趣旨でおっしゃっているわけではないことは理解しています。
# 「きちんと明文化されていないといけないという原則(罪刑法定主義)」が問題になる、ということを法的に突き詰めるとここに至ります、という情報提供の趣旨です。
では、「過失」という条文の表現だけでは処罰の限界が分からないという問題はどうやって解決されるかというと、判例の蓄積と、学説による理論的分析によるほかない。
それによって、事案の類型ごとにおける「過失」の具体的な輪郭が浮かび上がってくるということです。
そして、そのようにして浮かび上がってきた「過失の輪郭」がいびつであり、妥当でない(と、ある職種あるいは一般国民の視点から見える)場合にはどうするか、が「医療崩壊・司法版」の問題であると理解しています。
つまり、(ある町医者さまだけでなく)医療関係者側からの 「あの事件(あの医療行為)によって業過致死罪で処罰されるようではやってられない」 という不満・批判は、
「抽象的な過失犯処罰規定で医療行為を裁くのはおかしい」 とか 「過失犯一般を非刑罰化すべきだ」 というような主張に広げられてしまうのは妥当ではなく(目の前の事件に対する即効性は低い)、
「当該事件における事実認定のここがおかしい」 あるいは 「従来の過失の判断基準のあてはめとしてここが不合理である」 というような、“地に足の着いた”主張のほうが、司法関係者への影響力が大きいと思う次第です。
(このブログ上でも多くの方がそのような主張をされ、私も「なるほどその事案においてそのような主張がなされていれば結論が変わったかもしれない」と思わされたことが多々あります)
だからミスなのか過失なのか医師側でコンセンサスを決めてしまえばよい。今なら医師側優位に決めてしまえるはずです。でも判例が積み重なったらそうは行きません。本来ならば医師会はこういうことをやるためにあるべきなんですが。
失礼しました。ミス→合併症のつもりでした。
>No.41ある町医者さんのコメント
を拝見してふと思ったのですが、現在警察や検察は医学的行為を道交法上の車の運転業務と同じとみなし、施術者を危険な走る凶器である自動車を免許を受けて運転する運転者とみなして法的判断をしているように思われました。
もし実際にこのような「見做し」が行われているとするとそれは医療行為を法的に判断する上では不適切でしょう。
医師を運転者とみなすならば、自動車の運転者ではなく鉄道列車の運転士とみなすほうが現代医療の実状からみて適切ではないかと思いました。ハイテク列車からトロッコ機関車まで同一の線路を走れる動力性能に寛容な状況も、医療の開業医から総合病院、研修医からトップガン専門医までの幅広い治療者が認められる実状に合致しますし。また列車の操作性が治療行為の操作性に似ています、車よりスピード速くても遅くても制動距離が自動車よりはるかに長いなど。ともに社会的インフラともいえるし、かつて安全神話があったことも似てますね(笑)。
さらに経済史観における立場もかつての国営鉄道が辿ってきた歴史的経過と医療がこれから辿る未来が「歴史の繰り返し」のように予想されやすい点においてよく似ている感じを、ふと受けましたので、例によって斜め横からつぶやいてしまった(笑)ぼそでおkでした。失礼致しました。
皆さん、レスありがとうございます。
No.43 fuka_fuka さんのコメント
やっぱり、、、
理解はできます、同意はできませんが。
同意できないという意味は、証拠に基づいて裁判所が認定した限りの事実関係などというのが、実際の医学とはかけ離れたものになる可能性が高いからです。「平均的な医師を基準にみた最善の注意義務」が尽くされたといえるのかなどというのが、神以外に判定不可能なものだと私は思うからです。裁判官だろうが、専門医だろうがそんな判定ができるわけがないからです。
理解できるとは、司法というのはそういうものだというのがここに参加させてもらって皆さんのメッセージを読むうちに分かってきたという意味です。
そして、そのようにして浮かび上がってきた「過失の輪郭」がいびつであり、妥当でない(と、ある職種あるいは一般国民の視点から見える)場合にはどうするか、が「医療崩壊・司法版」の問題であると理解しています。
これも理解はできます。
ただ、医学上は、「一つの正しい意見」などというのは不可能なことですよということになりますか。
しかし、裁判では白黒つけないといけない、紛争を解決するには、そうするしかない、無理矢理にでも。
悩ましいですね。
これは医療関係者のブログでさんざんやられていますが、その声は全然と言ってよいほど届いてないように思います。
一般マスコミでは、こういうのはやられないし。
医学雑誌や大手のネット上では、医療方面に詳しい弁護士さんが、医療裁判の判例を元に解説してくれているのがあります。ただ、これらは裁判でこういう判決が出たから、実際医療する場合は気をつけましょうというのがほとんどです。
これってまさにJBMであり、医療を歪めてしまっています。
No.44 うらぶれ内科(事業主)さんのコメント
医師側は既にコンセンサスができているのではないでしょうか?
過失ではないというコンセンサスが。
ただし、中には、過失だという医師がいる、それも必ずいる。
原告側弁護士は、そういう医師を捜し出してきて、いわゆる神の鑑定書を書いてもらう。
裁判では、最低2つの検定書、被告側と原告側の鑑定書が出て、裁判官が、どっちかを選ぶと。
時には神の鑑定書が選ばれて、多くの医師がえ〜、なんじゃこれ!、と驚く、、、
> だからミス(合併症)なのか過失なのか医師側でコンセンサスを決めてしまえばよい。(No.44 うらぶれ内科(事業主)さま)
「決める」というのは、手続的な面も含めて、という趣旨でしょう。
> 中には、過失だという医師がいる、それも必ずいる(No.46 ある町医者さま)
ある症例に対する医師の意見を全員一致にし、少数派の(たぶん間違った)意見を、世の中から抹消するということは、ほとんど不可能です。
また、訴訟対策に限って言えば、そこまでする必要はありません。
少数意見が「裁判に出てこない」ようにブロックするシステムを工夫すればよい。
現時点で裁判所は医学的見解の統一にまで踏み込むつもりはないし、一般国民が裁判員として医療訴訟に介入させろというような要求はしていませんから、
今なら、医師の皆さんが独占的に、それをできるのではありませんか?
ていうか、医療訴訟はイヤじゃイヤじゃと言いつつ、効果的な対策に動こうとしないのは、何でか、私には理解できましぇん。。。
そんなシステムを作ることって可能でしょうか?
医学は科学ですので、どんなトンデモな意見でも言うことだけは可能です。
多くの医師はそういう意見をバカにしますが、時には素人やマスコミはそういうのを持ち上げることが多い。
裁判でも同じでは?
多くの医師が、そんな鑑定書の意見なんておかしいよというのがあっても、そういうのを捜し出してきて鑑定書として出せるんですよね?
そして、裁判官をうまく信用させればOKと。
それを出させないようなシステムって、どうやればできるのか、私は、さっぱり分かりましぇん。
ん?
もしかして、医師会か何かのギルド組織でも作って、そういうおかしな鑑定書を書く医師を排除しろって言われているんでしょうか?
弁護士って、弁護士会から追放されたら弁護士業務はできなくなるのでしたか、、、
でも、医師は、医師会から追放なんてしても、全く痛く痒くもないです。
裏医師会を作るってのはどうでしょう?
神の鑑定書を出させないようにするなんていうシステムは、思いつけないのですが、クレーマー対策なら、、、
裏医師会を作って、そこでクレーマー情報を共有するんです。
これって、法律違反になるんでしょうか?
クレーマーってのが事前に分かったら、いくらでも対策は立てられる。
トンデモ鑑定人集ってのを作るってのも案かな。
で、その傾向と対策とか、、、