エントリ

 親が育てられない新生児を匿名で預かる熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)の「赤ちゃんポスト」の運用が始まった10日、3歳ぐらいの男児1人が病院側に預けられていたことが15日、わかった。熊本県警は、保護責任者遺棄罪に当たるかどうかを調べている。
 同病院は昨年11月、「捨てられて命を落とす赤ちゃんや、中絶せざるを得ない母親を救いたい」として赤ちゃんポストを計画。「こうのとりのゆりかご」と名付け、今月10日から運用を始めた。

 しかし、安倍首相が「親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものをつくるのがいいのかどうか」と慎重な見方を示すなど、育児放棄を助長しかねないという批判があり、賛否が割れていた。

 今回、3歳ぐらいの男児が置かれたことで、「小さな命を救う緊急避難的な措置」という想定を外れ、「捨て子」の受け皿になりかねない危険性が懸念される。

 各紙とも「想定外」を強調しているようですが、病院側としては全く想定していなかったのでしょうか?
 このような事態を全く想定せず、または想定していたとしても有効な対策を取っていなかったとすれば(どうもいずれかのようですが)、病院側の認識は極めて甘かったと言わざるを得ないと思います。

 制度の趣旨が想定しない親、制度を悪用する親が出てくる、というのは制度設計段階で当然考慮されて対策が取られるべきであったはずです。

 「捨てられて命を落とす赤ちゃんや、中絶せざるを得ない母親を救いたい」という病院側の意図ないし善意はよく理解できますし、この赤ちゃんポストを計画し実行に移した病院関係者は本当に善意の人びとだと思いますが、ひらったく言えば世間知らずだったことになります。

 病院の考えは緊急避難的な措置として考えていたようですが、緊急避難的な捨て子(あえて捨て子と言います)とそうでない捨て子をどうやって区別するつもりだったのでしょう。

 さらにもっと根本的な問題として、「育児放棄を助長しかねないという批判」は現実問題として必ず表面化すると思います。

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コメント(40)

まったく想定外というわけではないと思います。
その表れが「警察の介入」でしょう。
最初、遺棄罪の問題はクリアしたと報じられていたにも関わらず警察が捜査を行っていることに違和感がありましたが、預けられた子が3歳児とわかり合点がいきました。
遺棄罪や児童虐待法違反にあたるかはケースバイケースと熊本市長がインタビューで仰っていましたが、それはこのような事態を想定した談話だったのではないかと今は思います。

ゆりかごに入れられた子が新生児以外の場合は警察が捜査する、この報道が新生児以外のケースに対して抑止が働くことを期待します。
遠からず保護者は発見されるでしょうし。

 とりあえず受け入れて、それが新生児でなかったら警察の捜査をお願いするということでは、警察はたまったものではないと思います。

> 熊本県警は、保護責任者遺棄罪に当たるかどうかを調べている。

保護責任者遺棄罪にあたると判断した場合、このような施設を設置した病院や院長・理事長は、幇助の罪に該当するんでしょうね。「子供に罪はない。子供を救いたい」という信条は尊いとおもいますが、私にはできないな〜。

こんなことを言ってもうしわけないですが、捨てられる子供を見て見ぬふりをして関わらないのが、法律的には安全ということですね。

このニュースは今の若い親の世代のモラルの低さを如実に表わしていると思います。
つまり、新生児のためという看板を無視して、そこにポストがあるから手のかかる3歳児を捨てていいという、自分の目前の快事しかみない動物にも劣る利己主義。
まるで深夜に稀に発生する重症疾患の子供のために24時間救急対応をとったら、どうでもよい軽症の時間外受診が病院が開いてるからというだけの理由で殺到して小児救急自体が崩壊した過去の映像を、巻き戻し録画再生で見る思いです(笑)。

児童虐待で殺すより、施設に預けたほうがいいのにと思いますが、そういう考え方もどこか落とし穴に嵌る可能性があるのかも。

また、その3歳児に戸籍があるのかどうか気になります。

3歳なら、親はわかる。どんな気持ちでポストに入ったのだろう。
それを考えると・・・ 複雑な気分。

>3歳なら、親はわかる。どんな気持ちでポストに入ったのだろう。

切ないですね。物心がついたあとに、まさにポストに「捨てられ」た子どもの気持ちを思うと本当に切ないです。

でも、一方では、そんなどうしようもない人間に育てられるくらいなら、その子の将来のためには良かったかなという気もしています。そのまま捨てなかったとしても、育児放棄して飢え死にさせるか、殺すか、虐待するか、悲惨な行く末しか待っていないでしょうから。

新生児のためといっても、多くは育てられないのでなく、育てる気がない「産んだ又は産ませた人」が利用しそうな気がします。

No.3 某救急医さま

保護責任者遺棄罪にあたると判断した場合、このような施設を設置した病院や院長・理事長は、幇助の罪に該当するんでしょうね。

客観的に 「正犯の犯行(遺棄行為)を容易にした」 と評価できるだけでは、幇助の罪は成立しません。
幇助の故意、少なくとも幇助の未必の故意が必要です。

本件ではどうなんだ、という話ですが、幇助の故意(No.26877)が認められるかどうか、院長あるいは担当責任者に、 「新生児よりずっと大きな子を遺棄していく不届き者が出てくるかもしれないが、かまわない」 という 「認容」 があったか否か、です。

私は、そういう刑法上の意味での 「認容」 はなかったと思いますし、警察・検察、あるいは裁判所も同じ(つまり誰か病院関係者が幇助で立件される可能性はほぼゼロ)であろうと予想しますが、厳しい見方をする方はいらっしゃるかもしれません。

幇助がらみの話は、 Winny事件判決のエントリで議論されていますので、もしご関心があればお手すきの時にご参照ください。

ちなみに、私は本件に関しては、モトケン先生よりは病院に同情的です。
病院の予想は甘かったかもしれませんが、非難(刑事上だけでなく社会的にも)には値しないと思います。
「3歳児の置き去りを防止しつつ、新生児の置き去りはなお容易にしておく」 ためのうまい措置があるのか思いつかないということもあります。
もしそういう措置が可能であるなら、今後は対応していく必要があるでしょうけれど、元々はドイツで現に採用されているのとほぼ同じシステムだったということですから、それをもって「見通しが甘すぎた」という批判は、当事者にやや酷かな、という気がしています。

今後の続報次第では印象が変わる可能性はありますが。

慈恵病院 “こうのとりのゆりかご”設立にあたって


こんなことを言ってもうしわけないですが、捨てられる子供を見て見ぬふりをして関わらないのが、法律的には安全ということですね。

このように一般の方(法律関係者以外の方)に思われてしまうのが、どれほどの社会的な損失か。(某救急医さまの見解を責めているわけではまったくないです。為念)
よきサマリア人法の問題とも重なりますが。

このような感想を社会全体にもたせないため、捜査当局は、慈恵病院の刑事責任を問題にすることはないことを公式に表明してもいいんではないかと思いますが、いかがでしょうか>諸兄


じじい さま

新生児のためといっても、多くは育てられないのでなく、育てる気がない「産んだ又は産ませた人」が利用しそうな気がします。

私もそう思います。 
そして、それでいい(second bestの意味で)と思います。

>No.8 fuka_fuka(イソ弁) さん
のように仁の心で法を説くお方に心から敬意を表したいと思います。

このニュースで私が一番感じるのは人の道云々以前に動物としての親子の絆の希薄さです。車を持っている豊かさがあるのに車を捨てずに我が子を捨てていく動物本然のあるべき情愛の貧しさがもっとも悲しまれます。この親にも親があって今に至ったのですが。

が、かといって何が出来るわけでもない私と致しましては、今後fuka_fuka(イソ弁) さんのおっしゃったように事態が進行していくことを願うだけです、以後余計なことは申しません(笑)。

>fuka_fuka(イソ弁) さん

 慈恵病院(の関係者)に対して刑事責任を問うことは困難だと思いますし、問うべきでもないと思っています。

 しかし、予想し得た事態ではあると思います。

>元々はドイツで現に採用されているのとほぼ同じシステム

とのことですが、ドイツと日本との国民性の違いが制度運営にかなり決定的な影響を持つのではないかと思います。

 ドイツへの留学経験のある方にお聞きしますと、ドイツ人は規則を守るという点では相当なものらしいです。

 私はドイツへは行ったことがありませんので比較する資格はないかも知れませんが、伝聞によれば、ドイツ人と比べて日本人にはルール違反をしてもばれなければいいと考える人が多いのではないかな、と思っています。

遺棄罪は成立しない、成立しても処罰価値なし、ましてや幇助や教唆は無理、警察が介入したのは本当に捜査なのか? が私の意見です。
理由は、子供の生命身体に具体的危険が及ばない(or極端に少ない)。
病院は揺り篭設置をもって「責任もって引き受けます」というメッセージを出し、親が「そうですか、よろしくお願いします」と(暗に)言って頼んだ、と構成できるからです。

道義的問題は別です。
割り切りすぎですかね。
要は、この設置を認めた時点で、良かれ悪しかれ、刑事罰が介入する必要はないと思う故の構成です。

それより今度の件で触発されて、子供の障碍者を入れたりするのではないかという危惧があります。

とりあえず「じじい(患)」なんですかねえ、持病あるし(^^)

>そして、それでいい(second bestの意味で)と思います。

仁の心を持つ、fuka_fuka(イソ弁) 先生のように、まだまだ悟りきれぬ拙僧としては、安心して子どもを「産み、育てる」ではなく、「産み、捨てる」ことができるので、子づくり行為には関心がありすぎるくせに、子育てには全く関心が無く、しかも安易に「生がいい」(失礼!)などという、バカ男とバカ女を増やすお手伝いをしているような気がしてならないのですが。

捨てられた子どもは、育児放棄や虐待にあうよりは幸福かもしれませんが、安易にポストに捨てられた、望まれない子どもだったという事実は、子ども本人にとっては不幸には違いありません。不幸を減らすために、不幸が増える・・・。悟りの道はまだまだ遠そうです。

児童精神科医としてひどい虐待を受けた子どもを何人も診てきた立場からすると、この子どもがこのタイミングで、家族以外の人からの介入を受けることができたということには、非常に大きな意味があると思います。慢性的な虐待が子どもに与える影響は、ときによって非常に悲惨なものになります。

確かに3歳の時点で親から捨てられた経験は大きな精神的外傷になる可能性が高いとは思います。けれども、もしこの子がこれまで良好な養育を受けており、他者との充分な愛着関係を作る力を育ててもらっているならば、例え環境が大きく変わったとしても、それなりに乗り越えていける可能性は充分にあると思います。逆に、この子がこれまでに充分な力を育ててもらうだけの養育を受けていなかったならば、それこそこのタイミングできちんと家族外からのケアができるきっかけができたことは、幸いなことです。

問われなければいけないのは、家族をそこまで追い詰めるまで、援助の手を届けることの出来なかった児童福祉行政と、児童福祉の領域に充分な資源を投入してこなかった我々の社会であると思います。児童相談所のマンパワーの不足は医療機関の人手不足など霞んでしまう程に、ひどい状態です。そこを根本から変えることができないのであれば、「こうのとりのゆりかご」は、社会にとって必要なものであると思います。

想定外運用が最初とは。
Reproductionに携わる者としては言葉になりません。

>それより今度の件で触発されて、子供の障碍者を入れたりするのではないかという危惧があります。
日本ではありませんが、口唇裂の児を病院の前に放置したりという実例があるので心配です。

fuka_fuka様、

幇助のことなど、ご教授くださってありがとうございました。ちょっと投げやりな私の書き込みにたいして、丁寧に解説してくださり、大変ためになりました。

この3歳児の話ですが、事情が全くわかりませんので、誰が悪いとか誰のせいだというつもりはありません。しかし、「親が悪い」「子供がかわいそう」と簡単に言ってしまうのも、どうかなと思っています。親を非難すると言うよりは、afcpさんの気持ちに近いものがあります。

「事情がわかりません」と申しましたが、

>  病院側は事実関係を認めておらず、蓮田理事長は
> 「もし事実だとしても、そうでないとしても、医療人と
> してコメントできない」との談話を出した。
(http://www.asahi.com/national/update/0515/TKY200705150091.html)

と、秘密厳守です。賛成です。こうあるべきですね。

ところで、「3歳児が入れられるとは想定外だった」ということですが、ドアを小さくすれば良いのでは?
「縦55センチ、横60センチ」と報じられていますが、もう少し小さくても良さそうに思います。大きめなのは何か理由があるのかな。

No.8 fuka_fuka(イソ弁) さん

勉強になります。
私も疑問に感じていた内容で、質問しようかどうか迷っていたものですから・・・
このブログのおかげでまた一つ知識が増えました。

No.8 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント

こんなことを言ってもうしわけないですが、捨てられる子供を見て見ぬふりをして関わらないのが、法律的には安全ということですね。

このように一般の方(法律関係者以外の方)に思われてしまうのが、どれほどの社会的な損失か。
 全く同感です.
 同じような問題で,旅客機上などにおけるドクターコールがあります.飛行中の旅客機の中などで急病人がでた場合にたまたま乗り合わせている医師をさがずアレです.
 日経メディカルにおいてアンケート調査が行われ,ドクターコールに応じると答えた医師は34%しかいませんでした.一方,ドクターコールに応じやすくするための条件の1位は「医療過誤責任が問われない」で89%でした.
 要は病院外では見て見ぬふりをすることが法律的に安全だという結論に多くの医師が達してしまっているのです.
 日経メディカルの記事では東大の樋口先生が解説しており,民事責任は問われない可能性が高いと言及していましたが,刑事責任に関しては言及がありませんでした.同誌運営の医師専用掲示板でもこの件に関しては議論が行われており,やはり刑事責任の追求可能性は相当にあるということで一致を見ました.
 少なくとも刑事裁判は検察の起訴がなければ始まりません.女子医大や青戸病院,大野病院事件が刑事立件されたことがこういった状況を作り出しています.少なくとも,多くの医師がそう考えているのは事実です.
 検察も目的は社会生活を安寧ならしめるために存在するのであって,これでは社会にとってマイナスの影響になっています.医療の刑事立件がどういった社会的効果を及ぼしているのかをもっとよく考える必要があります.

No.15 某救急医さん

ところで、「3歳児が入れられるとは想定外だった」ということですが、ドアを小さくすれば良いのでは?

横幅については、新生児の平均身長が50cmほどだそうですので、適当でしょう。
縦幅は、確かに「入れるだけ」なら狭くしてもいいとは思うのですが、赤ちゃんを中に入れたときに赤ちゃんの全貌が外から見えるようにしてあると思われるのです。一度赤ちゃんを入れてもまた思いとどまらせるために。

しかし、扉を赤ちゃんが入るギリギリの大きさに変えても3歳児くらいなら足を折りたためば無理やり押し込めそうです。

No.2 モトケンさん

暴論ですが、困ればいいんです。警察が、警察を管轄している自治体が。
自治体が困らなければ「どうすればゆりかごに子供が置かれないようになるか」を自治体で考えてくれません。

うーん、なんで3歳ならだめなんでしょう?
そのまま親のもとで育てられたら、虐待死するかもしれないわけで、
それなら捨ててもらった方が子供のためだと思うのですが。
保護される事が保証される場所があるのであれば、
そのへんに置き去りにするのとは訳が違うと思うのですが。

法的にはpsqさまの意見に納得できます。

親のモラルとか愛情とか、
そんなもの、求めてもどうしようもないひとってのは世の中に確実にいて、
子供に危害を加えている現実があるわけで。

子供を救う受け皿は必要だと思います。
望ましい事を皆ができたら、虐待なんでなかろうに。

そのサイズでは三歳児どころか
小柄な老人を入れることも可能な気がしまつ

日経

熊本県警は15日、男児を同病院に連れてきたとみられる父親の刑事責任を問わない方針を固めたもようだ。

psq法曹さまの見立てどおりの展開となりましたね。


*****
じじい(ry)さまの熱いコメントは、いつも膝を打ちながら読ませていただいてます。
心情的には同感です。

むしろ、じじいさまより私のほうが、そういう 「親になるべきでない(なかった)バカ親」 をバカにしているのかもしれません。

“できちゃった” 後ではなく、これから “作業” するにあたっての 「生1丁」 の助長効果なんてないに等しいんじゃないの、と。
「ゆりかご」の設置によって、それまではガマンしてたけど 「それなら安心、じゃあ生解禁!」 なんて判断をする奴がいるかどうか。そんな微細なメリット・デメリットの分析なんか関係なく、場当たりで動いてるだけなんじゃないの、と。
逆にいえば、いったん認可された「ゆりかご」を廃止することによって、「ナマ目ムセキニン科」の増殖を抑止する効果があるのか、疑問に思うのです。
# 「ナマ」のほうが分類上上位という理解でよいでしょうか?>分類学お詳しい方

だったら、そういうバカはいつの世も一定数存在してることは所与としてしまって、罪のない命を救うほうの装置に意識を向ける方がまだムカっ腹をおさめやすい、というのが個人的な感覚です。

といった感じの価値判断が背景にございますので、 「イニ」 とかいうラベルは謹んで返上、というか、貼ろうとしてもくっつきませんです(笑)

>No.18さん
 自治体が考えるべき問題なんですか?
 民間である熊本慈恵病院の運営方針に口を挟むのもどうかと思いますけど。

No.22 藤花さん

言葉足らずでした。
自治体(ひいては国)の妊娠出産に対する政策、児童福祉政策についてです。
根本的な問題は「産んだけど育てられない」ということだと思いますので。

No.19 pyonkichi 小児科医 さん、こんにちは。
>うーん、なんで3歳ならだめなんでしょう?

私も、そう思います。

No.23 bg(般) さん、こんにちは。
>根本的な問題は「産んだけど育てられない」ということだと思いますので。

これ、激しく同意です。
「子供を捨てる事のできない状況を作るべし」という議論は多いですけど、
「子供を捨てなくてもすむ状況を作るべし」という議論は少ないように思えます。
気のせいでしょうか?

ところで、ここまでの議論を読んでると、「この3歳児の親は、幼児虐待癖のある
DQN男で決定」みたいな前提で話が進んでいるように見えます。
これも、私の気のせいでしょうか?

> No.24 創価板日報係(消外) さん
>「この3歳児の親は、幼児虐待癖のあるDQN男で決定」みたいな前提で話が進んでいるように見えます。

これは僕も気になっています。本当にただ捨てるつもりなら、わざわざ「こうのとりのゆりかご」の開設を待って、遠路はるばる他県まで出かけていかなくても、もっと手軽な方法はいくらでもあるのですよね。ネグレクトという形で、捨てずに捨てるような養育をしている親御さんも少なくありません。

単なる虐待とは別のストーリーがありそうな気がするんですよね。

No.24 創価板日報係(消外)さま

>うーん、なんで3歳ならだめなんでしょう?
私も、そう思います。

第一報が、「慈恵病院が警察に通報、警察は保護責任者遺棄にあたらないか調査」というものだったので、「3歳なら遺棄になるのかも」と多くの人が思ってしまったということではないでしょうか。
結論的には、「ゆりかご」が新生児の置き去りの場合と同様に機能して、生命の危険がまったく生じないのであれば、新生児でも3歳児でも(あるいは小柄な老人でも)保護責任者遺棄の構成要件該当性は否定されるということだと思います。
# 刑法上の「遺棄」は、生命の危険が及ぶ状態に置くことを意味します

病院としては、 「基準・趣旨に合致しない置き去り=悪いこと」 という感覚で通報したのかな、と推測します。
が、警察は初めから犯罪性はない or 低いとみており、その見方に基づくマスコミ対応から、 「保護責任者遺棄にあたる可能性もあるとみて捜査を開始」 ではなく 「あたらないか調査」 という報道になったということではないでしょうか。


「子供を捨てる事のできない状況を作るべし」という議論は多いですけど、
「子供を捨てなくてもすむ状況を作るべし」という議論は少ないように思えます。
気のせいでしょうか?

後者の議論が少なからずなされていても、マスコミのバイアスによって伝えられないという可能性も相当あるのでは、と思います。
同じく気のせいかもしれませんが。


ところで、ここまでの議論を読んでると、「この3歳児の親は、幼児虐待癖のある
DQN男で決定」みたいな前提で話が進んでいるように見えます。
これも、私の気のせいでしょうか?

これは、創価板日報係(消外)さまの気のせいではないか、という気がいたします(いい加減まわりくどい)。
そういう「DQN男」である可能性を否定せず、そう決めつけることもなく、一般論として議論しているのがほとんどの方だと認識していますが、いかがでしょうか。
言及しないことは、「前提としていること」と同義ではないと思います。

読み直したら、誤解を招きそうな表現だったので。

>(いい加減まわりくどい)

は、創価板日報係(消外)さまの「気がする」に対して、いちいち「気がする」で返していることに対する一人ツッコミの趣旨です。。。orz

もう申しませんて言ったのにまた書き込んでいる意志薄弱のぼつでおkです、すいません言行不一致で(笑)。

>No.21 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント

>だったら、そういうバカはいつの世も一定数存在してることは所与としてしまって、
>罪のない命を救うほうの装置に意識を向ける方がまだムカっ腹をおさめやすい、
>というのが個人的な感覚です。
>
>といった感じの価値判断が背景にございますので、

のようにおっしゃる、行いの源となる個人的感覚・価値判断そのものが、孔子(有名な「論語」の著者)が最も多とした仁(仁義礼知忠信孝悌の最上位です)そのものだと思います。自分で顔に書いたり人が貼ったりするもの(笑)じゃないので、内から自ずと発露してましたよ(笑)。

あ、もう申しません(笑)、て、信用ないか(爆)。

次は80歳の老婆が捨てられる気がしますねw

ま、それはともかくとして捨て犬捨て猫が入れられることが多発するのは間違いなさそう。
その際は、
「即刻保健所に送ります」
くらい表明したほうがいいかもね。

No.17について
ドクターコールに応じて不十分な環境の下で人助けをするわけで、出来ることをすれば良いのです。
そんな状況で、民事責任が問われない可能性が高いなら、刑事責任が問われる可能性は「極めて」高く、実際問われるわけがないと考えます。
言及がないというのは、問われる事を意味しないと思いますが。

とんでもない間違いコメントでした(文脈から分かると思いますが)。
刑事責任が問われる可能性は極めて高く→刑事責任が問われない可能性は極めて高く
or刑事責任が問われる可能性は極めて低く m(_ _)mm(_ _)m・・・

No.19 pyonkichi 小児科医さんのコメント
>うーん、なんで3歳ならだめなんでしょう?

受け入れ態勢の問題ではないでしょうか。

そもそも、なぜ「こうのとりのゆりかご」が病院に設置されたかというと、このシステムが本来想定している(と推察される)新生児の場合、病院の新生児向け設備が対象児童の生命維持に大きな役割を果たす、というのが主な理由でしょう。3歳児の場合、当然これら設備は意味がないですし、3歳児なりに自我も記憶もあるでしょうから、3歳児にあわせたメンタルケアが必要になるものと思われます。
慈恵病院に、そういったメンタル面での受け入れ態勢ができているのでしょうか?慈恵病院のWebを見る限り、小児科はあっても、メンタル方面を専門とされる医師の方は(他の科を含めて)居られないように見えます。

No.32 いちエンジニア さま

>3歳児の場合、当然これら設備は意味がないですし、3歳児なりに自我も記憶もあるでしょうから、3歳児にあわせたメンタルケアが必要になるものと思われます。

確かに、メンタルヘルスが必要かもしれませんが...恐らく、新生児も3歳児も全身状態が問題ないと判断されれば、児童相談所などに回ることになります。ですから、設備の問題はあまり大きくないのではないかと....。
養育できないから、『こうのとりのゆりかご』に子供を預けたのでしょうから...子供にとっては、ひょっとするとよかったのかな?と私は好意的に受け止めていますが....。ちょっと、短絡すぎますかね?

No.33 いなか小児科医さんのコメント
>確かに、メンタルヘルスが必要かもしれませんが...恐らく、新生児も3歳児も全身状態が問題ないと判断されれば、児童相談所などに回ることになります。ですから、設備の問題はあまり大きくないのではないかと....。

であるなら、最初から児童相談所に行けばよいのではないでしょうか。これなら、児童も親も身元不明という事態は避けられますし。
今回は児童本人が新幹線で福岡から連れられてきた旨話しているようですが、それだったら最初から児童の地元の児童相談所へ行ったほうが、少なくとも児童本人にとっては幸せ(というかまだマシ)でしょう。

まあ実際のところ、新生児と3歳児とで一番大きな違いになりそうなのは、やはり緊急性であるとは思います。
新生児の場合、生まれた当初から親に育児能力が皆無に近いという場合も考えられますから、生命の危機を考えれば匿名での受け入れもやむを得ない場合もあるでしょう。しかし3歳児ともなれば、当たり前ですが少なくとも3歳になるまでは育てられてきたわけで、新生児ほどの緊急性はないと考えられます。まあ、3歳になってから突然親の事情が変わって…という場合も中にはあるでしょうが、3歳児本人のためを思えば身元くらいは明らかにするのが、親として最低限の義務ではないでしょうか。

>まあ、3歳になってから突然親の事情が変わって…という場合も中にはあるでしょうが、3歳児本人のためを思えば身元くらいは明らかにするのが、親として最低限の義務ではないでしょうか。

この施設は、元々最低限の義務さえ果たさない親から、子どもの命を守るためのものだと思いますので、その親に「最低限の義務」の履行を期待しても仕方がないかと。

本件の父親は所謂「情報弱者」だったのではないかとも思えます。
籍の有無にかかわらず、奥さんがいたのであれば同情の余地はほぼなくなりますが、
単身だった場合、特に父親の身分が不安定だったならば
働きながら3歳児を養育するのは我が国においてすら困難なことでしょう
その困難の中、「どうすればいいかわからず、報道に大きく取り上げられたポストにすがった」・・・

ちょっと性善説過ぎる感想かも知れませんが

No.26,27 fuka_fuka(イソ弁) さん、No.34 いちエンジニア さんコメントありがとうございます。
なるほどなと言う感じです。

No.36 G.Foyle さん、こんにちは。
>ちょっと性善説過ぎる感想かも知れませんが

私も、そちらの方を想像していました。
というか、多くの人は、まず、そちらを想像するだろうと思っていたので、いきなり
「親はDQN」みたいな感じで議論が進んでいるように見えたので、ちょっとびっくり
しました。

No.34 いちエンジニアさま
>まあ実際のところ、新生児と3歳児とで一番大きな違いになりそうなのは、やはり緊急性であるとは思います。

それは、まったく仰る通りに思います。新生児は夜間に遺棄された場合は低体温からも死亡する可能性があります。

ただ、今回の3歳児が預けられたという事態に対しては、『こうのとりのゆりかご』に、このような想定外の使い方をするような保護者ですので...この児はこの保護者と分離できてひょっとすると将来的には幸せであったのでは?と感じました。(あくまで私見です。)

>あ、3歳になってから突然親の事情が変わって…という場合も中にはあるでしょうが、3歳児本人のためを思えば身元くらいは明らかにするのが、親として最低限の義務ではないでしょうか。

自分のこどもを遺棄する行為はもちろん倫理的に許されるものではありませんし、児相に行くのがスジであるのも良く理解できます。しかし、この保護者は何らかの原因で、そちらの方には行けなかったのでしょうね...。おそらく、そのような人たちのために、『こうのとりのゆりかご』は作られたのである。とも思っています。

まあ、今回の3歳児については性善説でも結果として何とかなるかもしれません。幸い児童本人が自分や親の名前を喋っているようですし、身元不明は避けられそうですしね。ですが、システムとして性善説頼みでよいのか?というと話は別でしょう。

実際のところ、児童相談所はダメだけど「こうのとりのゆりかご」ならOK、というケースがどれだけあるか考えてみましたが、正直あまり思いつきませんでした。確実に該当しそうなのは、親が公の場へ出られない立場にある場合くらいでしょうか。例えば、親が外国人の不法滞在者であるとか…

いずれにせよ、単に今回は助かってよかった…で終わりではなく、システムとして対象児童の利益を最重要視して考えなければいけない問題と思います。
繰り返しになりますが、新生児の場合は容易に生命の危機に至り得るわけで、死んでしまうよりは、たとえ身元不明でも助かったほうがまだマシでしょう。でも3歳児でも同じでいいのか?2歳児だったらどうなる?3歳児がOKなら5歳児もいいのか?などなど、ちゃんと考えてやっていかないと、将来他の児童の利益が損なわれる可能性もある、重大な問題ではないでしょうか。

No.39 いちエンジニアさま
まったく仰る通りであると思います。「こうのとりのゆりかご」はまさに始動直後ですので今後必要な改善項目を改善して続けていくべきであろうと考えます。

>繰り返しになりますが、新生児の場合は容易に生命の危機に至り得るわけで、死んでしまうよりは、たとえ身元不明でも助かったほうがまだマシでしょう。でも3歳児でも同じでいいのか?2歳児だったらどうなる?3歳児がOKなら5歳児もいいのか?などなど、ちゃんと考えてやっていかないと、将来他の児童の利益が損なわれる可能性もある、重大な問題ではないでしょうか。

もちろんそうでしょうね。でも、実際に臨床をしておりますと....「なぜ、この児は助からなかったのか?」と思うこともあり、一つでもその児らが助かる方策が増えることが多くなればという願いが小児科医の中にあるのではないでしょうか?

児相の機能、社会の機能が完全であれば、虐待による死亡はほとんどなくなると思われますが...実際はそうではない。子供たちを支える社会のセーフティネットは多ければ多いほどよいというのが私の感覚です。(すいませんこれは全くの私見です。)

この預けられた3歳児が虐待をうけていたかどうかははっきりしません。しかし、児相に行かず、この「こうのとりのゆりかご」に預けられたのは余程の理由があったのでしょう。子供の将来のためには、良かったのかもしれません。(これもくりかえしになりますが...)

また、このような事例を少なくするためには、児相の機能強化が必要不可欠に思えます。虐待事例はうなぎ上りに増えています。児相は、虐待のみを専門にみているのではありません。ヒトが必要です。これこそ、今回の『「こうのとりのゆりかご」に3歳児が預けられた』事件の原因の根幹をなしているとみております。

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