小林被告に死刑判決 岡山の集団暴行殺人事件 大阪地裁(asahi.com 2007年05月22日12時14分 ウェブ魚拓)
大阪府東大阪市の大学生ら2人が岡山市内で生き埋めにされた集団暴行・殺人事件で、大阪地裁(和田真裁判長)は22日、主犯格の一人で殺人などの罪に問われた無職小林竜司被告(22)に対し、求刑通り死刑判決を言い渡した。和田裁判長は「反省や更生の可能性は認められるが、冷酷残虐な犯行や結果の重大性から極刑を選択するほかない」と述べた。
弁護側は公判で「更生は十分期待できる」として、死刑の回避を求めていた。弁護側は判決後、「更生の可能性があると認定しながら、死刑とされたことは承服できない」とコメントした。
あえて更生の可能性を認めながら死刑に処した判決はめずらしい(私の記憶にはない)と思いますし、弁護人のコメントは弁護士として当然であると思います。
今までの死刑判決では、「更生の可能性は認められない」などと判示してきました。
しかし、私としては、
将来のことなど誰にもわからない。
更生の「可能性」などと言い出したら、可能性がないなんて言えるはずがない。
それを死刑の根拠の一つにすることは欺瞞と言ってもいい。
逆に、更生可能性の存在を死刑回避の根拠にするとすれば、死刑判決を言い渡せなくなる。
いずれにしても更生の可能性を重視することは適当でない。
そもそも更生とは何を意味するのかよくわからない。
と思っておりました。
その意味で、更生の可能性を認めつつ死刑を言い渡したこの判決には、私の感覚にマッチするものがあります。
わざわざ積極的に更生の可能性を認める必要があったのかという意見も予想されますが、地裁としては敢えて問題提起したように感じられます。
しかし、弁護側としては、控訴の大きな理由を与えられたのではないでしょうか。
高裁の裁判官が、この地裁の裁判官ほど度胸があるかどうかわかりません。
地裁の事実認定を材料にして死刑を回避する可能性も決して小さくないと思われます。
妻子を殺された人が、こんな人間に更正の可能性はない、死刑にすべきだと言っているのをテレビで見たことがあります。率直に、死刑にならなければ恨みがはれないと言う方がいいと思いました。
犯人が更正し、出獄して幸せに暮らす。
被害者や遺族にとってはたまらんでしょう。
精神医学が発達し、死刑に相当する凶悪犯をパーフェクトな善人に改造できるようになるかもしれません。今でも可能かもしれません。ドストエフスキーの水晶宮のようなものですね。しかしそんなものは幼子の涙のひとしずくに値しないと思います。
この事件がアメリカで裁かれたら、かつて留学生服部君をハロウィンの夜に射殺したアメリカ市民の人のように第2級殺人と認められるだろうな(あの市民と同じように正当防衛で無罪、にはさすがにならないで有期刑だろうけど)と思いました。
更正に関しては、モトケンさん、きとらさんと全く同意見です。
僕が裁判員なら、ぼつでおk(医)さんと同意見です。 最初に手を出した方が悪い。
日本では真に正当防衛が認められるのは警察だけみたいですね。一般人はお上にお慈悲を願わなければならないと、マスコミも当然考えているみたいで、いつもむしゃくしゃしています。
それから、「冷酷残虐」も関係ないのでは。
恐喝事件に対する「正当防衛」として、拉致した相手を、集団リンチで瀕死の状態にした挙句、生き埋めにして殺すことが認められる国ってあるかなあ。
>それから、「冷酷残虐」も関係ないのでは。
犯行の態様が「冷酷残虐」かどうかについては、俗に「永山基準」と呼ばれる永山元死刑囚への判決の中で示された死刑判断の考慮基準の中にも「犯行態様、特に殺害方法の執拗さ、残虐さ」というのがあるくらいですから、十分関係あると思いますよ。
>No.4 じじい(患)さん
私が見たニュースでは、最初に本件被告人の友人を恐喝した学生たちは凶悪な暴力団の構成員を名乗って恐喝を行い、相談を受けた本件被告人らは暴力団が相手という非常に追い詰められた心理状態から逆攻撃に出たという近親者や周囲の人のインタビュー映像が流れていました。本人は死刑覚悟の行動だったふしも母親への告白中にあったようです。
初めて訪問します。
死刑選択基準における更生の可能性の取り扱いにつき、モトケンさんに同意です。
22歳の青年を20年間刑務所に入れて応差的な矯正処遇を行っても全く更生する可能性がないと裁判官が断言してしまうことなど、本来できないはずです。多くの懲役刑を言い渡している裁判官自身が行刑悲観論を正面から認めるという矛盾を生じてしまいます。
一審判決は、正直な判断をしていると考えます。
ところで、あらためて永山判決の死刑選択基準を見直してみると、直接には更生の可能性に言及しておらず、一般予防の見地から検討されてはいても特別予防の見地からは明確に検討されていません。
それなのに、多くの死刑判決において「更生の可能性がない」旨の指摘がある理由は、主に他の動機、態様、結果等の要素から死刑相当と判断されうる場合に、その判断をより当化すべく付け加えられる場合が多いということにあるように思います。
欺瞞ともいうべき判断・指摘がつきまとうのは、死刑判決を言い渡す裁判官にそれだけの重圧がかかっていることのあらわれなのかもしれません。
>恐喝事件に対する「正当防衛」として、拉致した相手を、集団リンチで瀕死の状態にした挙句、生き埋めにして殺すことが認められる国ってあるかなあ。
No.4 じじい(患)さん、あるかもしれませんよ ^^;
娘の処女が奪われたら、その父は・・・殺すとか聞いた覚えがあります。 また、テロ実行者もお国では英雄でしょうし、 日本でも、切捨て御免の時代があったし。
正当防衛に関しては僕の悩みの種ですわ。 真面目すぎるのか、気が小さいのか、例えば、電車の中での公然とした婦女暴行事件などに乗り合わせたらと考えるわけです。
腹黒偽善のマスコミは、周りの無関心を嘆くけれど、人に注意をするということは、悪くすれば殺し合いになる可能性もある。 そんなことを考えるわけです。
Mr.T様
>正当防衛に関しては僕の悩みの種ですわ。 真面目すぎるのか、気が小さいのか、例えば、電車の中での公然とした婦女暴行事件などに乗り合わせたらと考えるわけです。
>腹黒偽善のマスコミは、周りの無関心を嘆くけれど、人に注意をするということは、悪くすれば殺し合いになる可能性もある。 そんなことを考えるわけです。
確かに、過剰防衛で刑務所も嫌だし、他人のために今の仕事を捨てるのはもったいないし、路頭に迷う家族には申し訳ないし、自分が刺される可能性もあるけれど、そんな場面に出くわして、他に誰も助けようとしなければ、わが身の不幸を呪いながら間に入るんでしょうね、多分。生き埋めにはせんけど(^^)
ちなみに、男同士の普通のケンカは原則止めませんので・・・面白いから(^^b
私は死刑の量刑自体を云々するつもりは毛頭ありません(裁判員が務まらない男ですから笑)。
ただ、この被告人は自首した人間であると報道されていたように記憶しているのですが、報道された判決要旨からはそのことについては本文で省略されたのか記事で省略されたのかわかりませんですね(笑)。
泥棒にも三分の理というか、被害者も悪質だし。
この被告の行為は残虐だしとうてい許されるものではないけど、
暴力団関係者だと名乗られ、追いつめられたのだろうけど、
自首している上に、反省していても死刑かと、素人目に思ってしまいました。
ただ、人を殺すなら自分も死ぬ(殺される)覚悟でと思うし死刑で良かったのかな、
と子供っぽいこと書いてしまいました。
一般的に考えて、法による処罰(ここでは仮に身体的報復と等価に設定します)は自分の身体ひとつに受けるものであり家族には何の処罰もないものです。
これに比べて犯罪組織による報復は血縁親族ばかりか親しい友人恩師上司部下の係累すべてが生命身体の危険に晒されることになり、刑法による報復に比べてはるかに恐怖的な脅威を感じざるを得ないことでしょう。
この普通の人情というものをこの裁判官が本判決文の中でどのように捉えたのかという点が、自首だったのか逮捕だったのか(逃走意図はなかったようですが)という点の評価と並んで、いまもっとも知りたいところですね。
量刑については法に照らして死刑であればそれでいいと思います。どのように照らしたか、の照らし方が知りたいだけですから。
裁判員制度を開始するのであれば、実際の裁判官の照らし方を明らかにすることが一般国民に対して最も教育的でもあるでしょう。
判決までは福島事件に比べていやに迅速でした(笑)が、判決全文が公開されるのはいつごろなのでしょうか。
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>No.12 さん
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