エントリ

 社会的に大きな注目を集めている事件の刑事弁護人としては

 裁判官に対して説得力があり、かつ、世間の支持を得られる主張ができることが理想ですが

 世間からどんな批判・非難・中傷を浴びようとも、被告人の利益になる、つまり裁判官に対しては説得力を持ち得る主張をすることは、刑事弁護人の職責であると考えています。


 しかしながら、以下は光市母子殺害事件の弁護方針に関する印象ですが、世間から強い非難を浴びているにもかかわらず、現在までの審理の経過に照らして、被告人に有利になっているのかどうかについて疑問を感じざるを得ないところがあります

 今のところ弁護人の手持ち証拠がどんなものか分かりませんので、印象を述べるにとどめます。

追記
 私は今回はなぜか弁護団に遠慮がちに書いていますが(^^;

 もう少し遠慮しないで書くとすると ↓ のようになります。

 遺体「強姦」は死者復活の儀式 弁護団が「失笑」ものの新主張(落合ブログ)

| コメント(95) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

コメント(95)

弁護団の主張の「無理」は、それしか弁護の方法が無いからでしょうね。
それが、被告人の有利になっているとは、わたしも思えませんが。

>私は今回はなぜか弁護団に遠慮がちに書いていますが(^^;

(^^; ←この顔文字・・・

弁護団の中に知り合いの方がいるということですね?( ̄ー ̄)ニヤリッ

>世間からどんな批判・非難・中傷を浴びようとも、被告人の利益になる、つまり裁判官に対しては説得力を持ち得る主張をすることは、刑事弁護人の職責であると考えています。

私も、荒唐無稽な無罪主張を何度かしたことがあります。

接見の際に被告人と何度も話し合い、被告人の主張は認められる可能性はゼロであること、かえって事実上被告人に不利な量刑事情とされる可能性があること、等を説明しても、被告人が首を縦に振らなければ、弁護人は被告人に従わざるをえません。
被告人が無罪主張をしているのに、弁護人が有罪の意見を述べたら、100%懲戒です。

無理な主張の組み立てというのは、本当に難儀します。
傍聴人からは、「あの弁護人は馬鹿だ。」と思われても仕方ありません(検察官はその被告人を取調べたりしてるので、「大変ですねぇ。」という表情です。)。
それでも、弁論の際には、無罪主張を前提としつつも、量刑上被告人に有利となる事情を最大限に織り交ぜ(被告人が無罪なら本来量刑についての意見を述べる必要はないのです)、被告人の利益には配慮をしました。

結局、有罪で実刑になったので、どんなに量刑で被告人が有利に扱われていても(求刑かよりもはるかに軽くても)、被告人には悪態をつかれておしまいでしたが。

>被告人に有利になっているのかどうかについて疑問を感じざるを得ないところがあります

最高裁の判決を読む限り、差戻しの高裁で普通の主張をしたって、死刑を回避できません。
ってゆうか、何をどう主張しても、死刑の回避は極めて難しいでしょう。

私も事件記録や証拠を見たわけではないので迂闊なことは言えませんが、何人かの弁護人が集まって、もの凄いプレッシャーを受けながら出した結論がアレですから、アレしかないんだろうなぁと思いました。

つくづく、刑事事件から身を引いて良かったと思う今日この頃。

>DJニャンタロウさん

>弁護団の中に・・・

 はずれです。
 前回はちょっと推測まじりのコメントで誤解を誘発したようなところがあったもので(^^;


>PINE さん

>何人かの弁護人が集まって、もの凄いプレッシャーを受けながら出した結論がアレですから、アレしかないんだろうなぁと思いました。

 ある意味で、捨て身の戦法なんだと思います。
 捨て身というのは伸るか反るかの大ばくちの極端戦法という意味ですが、私なら全く逆方向の捨て身戦法をとったかも知れません。
 正攻法での更生可能性の最大限主張ですけど。
 でも結果の悲観的見通しを考えますと、正攻法のほうが100倍度胸がいります。
 いずれにしても、ご指摘のように被告人次第ですけどね。

 私としては、どういう経緯で弁護団があのような主張をするに至ったかのほうに興味があります。
 その意味で、私は、検察官として徹底的な被告人質問をしてみたいという誘惑にかられています。

弁護士としては しかたがなく被告の主張を 述べるにしても

被告の主張が あまりにも非常識な場合に それを教育的に諭す とか もう少し他の方向性はないのでしょうか。


私も、モトケンさんも、脅迫状やら嫌がらせの電話やら、場合によってはカミソリの刃やら、さらに場合によっては寿司の出前100人前が事務所に届いたりしながら、また、日本中から馬鹿だアホだ非常識だと総スカンを食うのを分かっていながら、何故あのような主張に弁護人に至ったか、そこを知りたいと考えています。

私も、モトケンさんも、(報道を前提とした)弁護人の主張が、この裁判にどのような効果があるか、理解していると思います。
ただ、私たちは、刑事記録や証拠を見たわけではありませんし、被告人と接見したわけではありません。
報道をすべて正しいとすることも、できません。

勤務医です。さんは、弁護人の主張を「あまりにも非常識」と断定されています。
おそらく、報道の内容などを前提にしているのだと思います。
医療関係の訴訟の際にも、お医者さんとしての立場を離れて、報道を見たお医者さんでない人と同じような考えができるのでしょうか。

「それを教育的に諭す」とは、弁護人を諭すということでしょうか。
刑事弁護において、弁護人の主張を諭すとしたら、誰でしょうか。
国でしょうか?弁護士会でしょうか?

誰かが、こんな弁護は良くないと考えて、例えば福島の事件の弁護人に影響力を及ぼすことが起きたら、どうでしょう。

もっとも、国選弁護事件については、法務省所管の法テラスと契約した弁護士しかできませんから、法務省が契約関係を通じて国選弁護事件に影響を及ぼすことが皆無とはいえません。

ま、この期に及んで、「犯人は別にいます。」などと主張したら、裁判所から「それはないしょ。」と言われるかもしれません。

後から読み返すと、キツイ表現になっている気もしますが、実際は(^^;;ってな感じでキーボードを叩いています。

PINEさん
諭す相手は被告人・・・の趣旨でしょう。

>世間からどんな批判・非難・中傷を浴びようとも、被告人の利益になる、つまり裁判官に対しては説得力を持ち得る主張をすることは、刑事弁護人の職責であると考えています。

素直に理解できます。
医師にも、患者の利益最優先という点では似た部分があるからです。
一般的に眉を顰められることでも、医師は患者さんに寄り添って話を聞くのが当然です。
医師にとっての目的は、いかに患者さんが楽になるかだからです(治療自体はきつかったりするんですが)
ですから、医師が、世間がどう受け取るかよりも、患者受益を第一に行動を決めるのと同じことなのだろうと理解しました。

光市の事件については、丁度、医療訴訟で、とんでも鑑定にええ〜?と思う現場の医師がいるように、弁護団の方針について、他の弁護士の方々は、どう受け止めているのかに関心がありましたので、興味深く拝読させていただきました。

蛇足ですが。
>No.6 PINE さん
No.5の 勤務医さんの御意見は、弁護士さんが被告を諭すことはできないのかという意味ではないかと推察しますが。
きっと、それはした上で、被告を説得できなかった場合に、やむを得ず、被告の主張に添った弁護を行っているということだろうと、私は考えていますが。

というか、最初に報道を目にした時は、私も非常識すぎるというか、荒唐無稽と感じましたが、皆様のコメントを読んで、それもやむを得ない戦術の一つだったのだろうと今は考えています。

No8で、psq法曹さんのコメントに気付かず、余計な推察を付け足し、被ってしまいました。
どうぞスルーして下さい。

psq法曹さん、猫医者さん、
>諭す相手は被告人・・・の趣旨でしょう。

う〜ん、よく読めば、そうですね。
No.5の勤務医です。さん、大変失礼いたしました。

多くの弁護人は、被告人を諭したりするもんなんですよ。
あと、弁護人以外との接見が許されている場合には、諭すことができる人が面会できるかもしれません。
拘置所(未決勾留者)では、教誨師は呼べないんでしたっけ。
裁判所は、判決までは中立的な判断者の地位にありますが、判決にあたって裁判長が説諭をすることもありあます。


刑事訴訟規則第221条  裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる。

医師の藤田徳人さんのブログにもとりあげられてましたけど結構興味深かったです。

http://ameblo.jp/doctorfujita/entry-10034754521.html

>残念ながら衝動的で計画性は認めにくい。そして理性のかけらもない彼の犯行は、まさにキチガイそのもの。単に自分の性欲と征服欲を満たすためだけに、母子を殺害できる脳の構造は、ブリトニー・スピアーズなみにおかしい。おかしいからこそ、やはり計画的な殺意はなかったというのが真実である。まさに、発作のようにして自分が世界の王になってしまったわけだ。普通ではありえない。だから普通ではない。だから殺意を認定できない。私はこれが正解だと思う。

これも「正攻法」からは少し外れると思いますが、あの弁護団の主張よりは腑に落ちます。

>あの弁護団の主張よりは腑に落ちます。

確かにそうなんですけど、これを認めるなら「理性を失った行動は処罰できない」となり、刑法の存在意義がほぼ消滅、なのでは(・・;;;

 光市母子殺害の被告人のことですが、当初はずいぶんと楽観的な見通しだったようです。少年ということでタカをくくっていたのでしょう。
 そんな誤算を与えたことに、責任を感じる専門家はいないものでしょうか? 職業倫理とはいいませんが、根本的なところで大きなずれが生じているように思えてなりません。
 マスコミを含め、よってたかって餌食にされているようにも見えます。
 結局、再審請求とか繰り返すことで、延命を図ることのみが被告人に残された利益なのでしょうか。
 教訓がなんら読み取れないのも、残念です。
 なお、安田弁護士のことですが、過去にも似たような弁護活動を行い、奏功した事実があるはずですが、ご存じの方はいないのでしょうか。
 私の記憶が正しければ、同じく山口県出身の被告人だったと思います。
 「新宿バス放火事件」というように呼ばれ、本も出され、真に同情に値するような事情があったようです。
 「プレゼントのためにガソリンを買った」とかいう主張だったと思います。
 残念ながら、そんな過去の功績まで色褪せて見えます。
 さらにいえば、集中砲火を巻き起こす、「褒め殺し」の類にも見えるし、それが唯一合理的解釈のような気もしております。
 単に「はんかくさい」というのも次善の解釈ですが、これがもっとも一般的、まっとうな感想かもしれません。
 本当に「はんかくさい」というのが、相応しい言葉ですが、意味のわからない人はネットで検索を掛けてみて下さい。
 能登半島で子供の頃からなじんだ言葉ですが、北海道の方言のようです。

追記:
 被告人の真の更生に向け、まっとうな弁護をしていれば、最悪とも言える死刑は回避されていた事件のような気もします。法廷でガッツポーズをした弁護人もいたそうですが、巡り合わせも悪かったのかもしれません。
 刑事弁護というのは、間尺に合わない、当たりはずれも大きい、相場なのでしょう。言い換えれば、それだけ低劣で進歩のない相場。これではまともな弁護士が育つのかも心配です。純粋な人ほど、影響も受けやすいようですし、まるで麻疹の免疫力の低下に似ているような。能力的な問題として。
 一縷の光明は、裁判員制度が導入されることです。「伽羅とバザール」のような進化を期待します。これは、コンピュータ技術とネットの飛躍的進化の原動力にもなったはずです。

>uranux さん

 殺意つまり殺人の故意と責任能力は別物です。

 それに、犯行が異常だから責任能力がないとも言えません。
 心神喪失も心神耗弱も、それを認定するためのハードルは決して低くありません。

 犯行態様の異常性という観点では、本件はまだまともなほうだと思います。
 ですから、弁護士からも「無理筋」とか「失笑もの」という意見が出てくるわけです。

先日、本件に関する報道で、僧侶の方が定期的に接見していることが紹介されていました。

どのような立場の方か、詳細は存じませんが、弁護士とは違った立場で、色々と話をしているようです。

はじめまして。
法曹には全く関係の無い職業(ソフトウェア開発)に就いているものです。

私、この件の報道に接して、弁護団に対して斬奸ものの憤りを感じていたのですが、やっと少々冷静になってきたところです。やはりあのような主張を臆面もなく繰り広げる神経に対して多大の違和感を感じますが。

そんなわけでネットで検索してこちらのサイトにたどりついて、おじゃました次第です。

それはさておき、ここまでのコメントのなかでよくわからなかったところがあったので、もしよろしかったらお教えいただけないでしょうか。

>ある意味で、捨て身の戦法なんだと思います。
> 捨て身というのは伸るか反るかの大ばくちの極端戦法という意味ですが、
>私なら全く逆方向の捨て身戦法をとったかも知れません。
> 正攻法での更生可能性の最大限主張ですけど。
> でも結果の悲観的見通しを考えますと、正攻法のほうが100倍度胸がいります。

素人のわたくしの感覚でいうと、「反省の情」や「更生の可能性」を最大限に主張した方が(おっしゃるところの「正攻法」)、今回弁護人がしているような荒唐無稽な主張によるよりも死刑回避の可能性が高い(あるいは同程度の可能性がある)ように思われてならないのです。ですので「正攻法のほうが100倍度胸がいる」とまでおっしゃる事情が良く分かりませんでした。

たぶんこのへんの事情が私を含め、よく知られていないので、弁護団に対する辛辣な世間の評価につながっている面もあるのではないかと思いました。

# とはいえ、屍姦を「復活の儀式」だとかまで言う必要が一体どこから出てきたものやらなど、弁護団の主張にはあまりに理解に苦しむ点がまだまだあるわけなのですが。

>一縷の光明は、裁判員制度が導入されることです。
 一気に日本の裁判が奈落の底に突き落とされるかもしれんよ、この制度は。

>犬居 濁水 さん

>> でも結果の悲観的見通しを考えますと、正攻法のほうが100倍度胸がいります。

 これに関する質問は予想されたところです。
 要するに、対被告人との問題です。

 安田戦法 殺意がなかったのだから死刑にすべきでない。
 正攻法  殺意はあったが、現在では反省しているので死刑にすべきでない。

 さて、結果として死刑判決が出た場合に被告人はどう思うでしょう。
 安田戦法の論理は、いかに証拠と乖離していようと、被告人にとってはわかりやすい論理であり、弁護人が自分に有利な主張をしていることが明瞭です。
 結果として死刑判決が出たとしても、それは裁判所が弁護人の主張を認めなかったということで、弁護人としても結果に対する責任を裁判所に転嫁することができます。

 しかし、正攻法は、まず被告人に自分にとって不利な事実を認めることを要求します。
 で、結果として死刑になった場合、被告人はどう思うでしょう。
 判決文では殺意があったことが死刑の根拠の一つとしてあげられます。
 被告人が、弁護士さんが殺意を認めろといったから認めたのに、それを理由にして死刑になっちゃったじゃないですか、と弁護人を非難するのは当然といえるほと確実に予想されます。
 それに対して弁護人が被告人に有効な反論を行うことは困難です。
 つまり、弁護人は被告人の非難を一身に浴びることになります。
 その結果として、被告人からの弁護過誤を理由とする懲戒請求、損害賠償請求も予想されます。

 ご理解いただけましたでしょうか。

 要するに、正攻法は、被告人が本当に心の底から反省しているという確信が持てない限り、弁護人としてはとることがむずかしいと思われます。

 とはいうものの、本件の弁護団の主張はアレですけど。

 なお、念のために補足しますが、上記で「安田戦法」と書きましたが、安田弁護士ら弁護団がどのようなことを考えて今回の主張をしたのかはわかりません。
 あくまでも、私としては上記のような可能性を考えるので「100倍度胸がいる」と考えるわけです。

> 要するに、正攻法は、被告人が本当に心の底から反省しているという確信が持てない限り、弁護人としてはとることがむずかしいと思われます。(No.19 モトケンさま)

私の近しい弁護士の間では、逆に、
 どんなに荒唐無稽な主張であろうとも、被告人の言い分に沿った弁護をすること
のほうを、「正攻法」と呼んでおります。弁護士の方言なのかもw

で、「迷った時は、正攻法(被告人の言う通り)」が合言葉。
その中でも、できるだけ被告人に有利な組み立てにをしようと苦心するのは、No.3 PINE さまのおっしゃる通りです。

参考エントリ
●刑事道
http://www.yabelab.net/blog/2006/11/29-204952.php
コメントNo.12〜15
関連話題として、弁護人の任務について、
被告人が否認しているのに、弁護人が殺意を認めた事件 が取り上げられました。

モトケンさま
さっそくのご返信、ありがとうございます。

「懲戒請求、損害賠償請求」のリスクが正攻法と「安田」戦法で大きく違うのがポイントだと理解しました。

が、んー!!!!
それ以外は全然分からなかった感じです。
工学部卒とは言え、一般教養程度の法律知識はあるつもりだったんですけど。

まず、なんで「懲戒請求、損害賠償請求」のリスクに違いが生じるのかが分かりませんでした。「正攻法は、まず被告人に自分にとって不利な事実を認めることを要求します」とあるのですが「安田」戦法は「被告人に自分にとって不利な情状を主張することを要求」するように思います。
してみると、結局「懲戒請求、損害賠償請求」のリスクからは免れ得ないのでは?と思いました。
裁判所が弁護人の主張を認めなかった、ということで抗弁できるのであれば、正攻法の場合にも「減刑すべき情状がある」とする弁護人の主張を裁判所が認めなかっただけという抗弁はできないでしょうか?

# 被弁護人の主体性をまったく無視した議論ですが

つぎに、そもそもなんで被弁護人が「懲戒請求、損害賠償請求」ができるのかが分かりませんでした。
法廷で証言した内容について被告が自分自身で責任を負わないということになるのでは?と思いました。
法廷戦術として、自己の内面とは異なる主張をすることはありえる(許される)という前提があるのなら分かる気がしますが、そういうもんなんでしょうか。

あと余談ですが、「要するに、正攻法は、被告人が本当に心の底から反省しているという確信が持てない限り、弁護人としてはとることがむずかしい」とのことだったんですが、ひょっとしたら安田さんも被告が反省しているという確信が持てなかったのかなぁなんて思ったりしました。

YUNYUNさまのコメントリンク先に書いてあることが参考になりそうですね。
もっかい考えてから出直して来ます。

驚いたー!
本当にオドロイター!
今日ワイドショー見てたら
弁護団に女性が居た!

遺体「強姦」は死者復活の儀式

赤ちゃんの首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった

て、この女性弁護士も主張をしてる事に成るけど
主張してる事が事実だとしても・・・・・・
弁護士の仕事て・・・・・・

それより私としては弁護士の付き人だと思いたいな〜

弁護団の主張と関係無い事、書いて、すみません
でも、みなさんは、どう思います?

一般論として、女性弁護士が強姦がらみの事件の弁護はしにくいと言われれています。
強姦行為を否認している事件なら、差し障りはないかもしれませんが、
認めている事件では、いろいろ困難が生じます。

弁護士側の問題としては、強姦は女性の人格を否定する犯罪ですから、それを弁護することは同じ女性として心情的に大変苦しいということが考えられます。仕事と割り切ってやるから平気だ、という強い女性弁護士もおられるようですが。
一方、被告人側からは、いくら弁護のためとはいえ、女性に対しては、自分のした行為を説明するのが恥ずかしく、打ち合わせをしにくいということもあるかもしれません。被告人が弁護人に心を開いて、十分な打ち合わせができなければ、弁護活動は上手く行きません。
また、被害者と示談する場合に、女性弁護士が行くことにより、被害者の気持ちを上手く掴んで慰撫できれば示談に応じてもらえるかもしれませんが、逆目に出て、反発を受け失敗するおそれもあり、大きな掛けです。

そこで、強姦事件を担当する時は、女性弁護士が単独ではなく、男性弁護士と組んでやるほうがスムーズに行くと考えられます。
(男女ペアで受けるほうがよい事件、というものは民事でもあります。)

そういうわけで、
本件弁護団が、もし女性弁護士のみの構成だとしたら、私も驚きますが、
男女ミックスですから、場面に応じて役割分担してやっているのだと思います。

なんだか悲しいし、虚しい…

弁護士は被告の利益か自分の主張のためかは知らないが、こんな「馬鹿げた」主張をする。
同じ弁護士からも、「被告の利益のために(どんな手段を使っても)弁護する」のが弁護士の正義だ、と。

密室で強引な取調べにより自供を強要し、証拠を捏造したり、隠蔽することにより数々の冤罪を生む警察。

事件を煽ったり偏った報道をし、挙句に捏造までするマスコミ。

「あなた自身が冤罪の嫌疑を受けて、逮捕・勾留・起訴され、マスコミはもとよりあなたの家族もあなたを真犯人と信じてしまうことはありうることです。
全くの冤罪でなくても、自分がやったことをはるかに超える責任を問われることはもっとありうることです。
そのときにあなたの味方になってくれる人が一人もいなかったらどうしますか?」

もうこの国に、社会正義や職業倫理はないんでしょうか…?

>No.25 医療関係者さん
> もうこの国に、社会正義や職業倫理はないんでしょうか…?

すくなくとも後者があるからこそ、今回の弁護人の主張があるわけでしょ?
その主張が大方の受け入れないところであることは明らかですが、
それをもって弁護士の職業倫理喪失とは言えないでしょう。

弁護側の殆どお笑いに見える主張を以て、弁護士に社会的影響を考慮する
視角がないとか言ってる人がいらっしゃいますが、それはこの主張が
通って被告人が相当減刑された場合にのみ言えることでしょう。
裁判所に一蹴されたら一般社会にはネタの提供以上の影響は生じません。

私が分からないのは
過失か殺人かは知りませんが
遺体の強姦、赤ん坊の絞殺は認めてる訳です
それを平然と弁護できる女性弁護士が居るとゆうことです
役割分担と言いますがこの事件で女性の立場からの弁護て私には想像できません
こういった事件で女性弁護士が弁護団に入るて普通の事なんでしょうか?

それと仕事と割り切れる女性弁護士て強いじゃなくて
女性も母性も捨ててるとしか思えない

>No.25 医療関係者さん

 喧嘩を売っておられるようだが買いましょうか?
 医療関係者の中に、こんな非論理的で傲慢な人がいることは相互理解にとって有害だと思いますからね。

>同じ弁護士からも、「被告の利益のために(どんな手段を使っても)弁護する」のが弁護士の正義だ、と。

 私のことですか?
 (どんな手段を使っても)と私が言いましたか?
 誰か他の弁護士が言いましたか?
 どんなに社会から非難されている被告人でも弁護するのが弁護士の職責だとは言いましたが、具体的な弁護方針に対する批判(主として効果判定のことですが)は別だと何人もの弁護士が言っているはずですが、読み取れませんか?

 ところであなたは医師ですか?
 医師なら相互理解という別の主要テーマに絡めて言いたいことがあります。
 医師でないなら、一般国民の刑事弁護に対する無理解は承知の上ですので、一般国民向けにもう少し補足説明することにやぶさかではありません。

>No.27 メルクさん
 
 弁護士は人殺しの弁護をするんですよ。
 あなたの論理だと、そのような弁護士は人間性を捨てていることになりませんか?

>過失か殺人かは知りませんが

 過失か殺人かは大違いです。
 殺人犯だとして起訴されている被告人から「殺意はなかった」と言われたら、被告人の主張が正しいかも知れないという可能性の存在から出発するのが刑事弁護です。

>過失か殺人かは知りませんが
遺体の強姦、赤ん坊の絞殺は認めてる訳です
それを平然と弁護できる女性弁護士が居るとゆうことです

仕事ってそんなモンでしたっけ。
自分の嫌いな担当者、自分の意に沿わない依頼内容だから、仕事を選ぶのですか?

仮に個人の感情としてその行為を嫌悪していても、それを超えて、法律の、弁護のプロとしてその職務を全うしようとすることが、それほど奇異なことなのかな。むしろ感情に流されて信念がぶれる人よりは、職業人として信頼するに足る人だと思いますが。ひょっとしたら、家に帰ってビールでも飲みながら、一人で毒づいているのかも知れんけど。

 推定無罪というのでしたか、警察官も検察官も人間として過ちを犯すことがある以上は、どんなに悪質な犯罪の加害者と想定されていても、被告人には弁明の機会が与えられなければなりません。弁明の機会を有効に生かすことは訴訟手続きの素人では難しいため、必ず弁護人が付く必要があると思います。

 昨今、職責に対して最善を尽くした医師でも逮捕・起訴される可能性が非常に高くなり、また、マスコミ報道が先行して一方的に医師や医療機関を悪人扱いするケースがあるのを見るにつけ、自分などは、他人事でなく、虚心に被告の言うことに耳を傾けてくれる弁護士の必要性を実感しています。

 私は死刑制度に別に反対していませんし、この事件の被告人に死刑判決が下されることにも異論はまったくありません。また、弁護士の主張を批判する人たちに対しても同様で、とくに反論する気はありません。
 ですが、その一方で、テレビでニュースキャスターたちが「我こそは正義なり」という顔をして、張り切って「死刑判決」への世論を盛り上げている様は「異様」に感じています。
 彼や彼女は自分のテレビでの発言の1つ1つが、一人の人間を死刑台にのぼらせることに直結しているということを、どこまでリアルに想像できているのでしょうか?
 彼らの言動を見ていると、裁判員制度よりも、まずは死刑執行員制度みたいなものをつくったらどうかという気がします。
 国民の誰もが、死刑執行の際のボタンを自分が押す可能性もあることにした上で、死刑制度の存続or廃止に関する議論や、厳罰化に関する議論はしたほうがいいのではないかと思うのです。

事件の完全な再現ができない以上、裁判の正義は、検事が最善の立証をし弁護士が最善の弁護をし判事が最善の判断をして、なおかつ有罪にするに値するというそのことにあると思います。どんな悪人に対してであっても、弁護士が最善の弁護をしなければ、裁判そのものの正義が劣化すると思います。

また、プロである以上、その評価は仕事の結果でなされるべきだと思います。思想や功名心がどうとか、動機で責めるのは間違っていると思います。善意あふれる藪医者より、欲得まみれの名医のほうがプロとして評価に値する。そう思います。

>No.33 とさん

 的確なコメントありがとうございます。

 ところで、できればもう少し字数の多いハンドルネームを使って貰えないでしょうか。
 このような有益なコメントを後で探すときに検索しやすいと思いますので。
 (一文字で曖昧検索をかけるとたくさんヒットする可能性があるわけです。)

女性が弁護団にいることについて、それが女性や母性を捨てていることとは、私は考えません。

私は女性で、精神科医です。
患者さんの中には、社会倫理に照らせば許されないことをする人もいます。
犯罪を行った患者さんは、触法精神患者と呼ばれますが、そういう患者さんの治療を受け持つこともある訳です。
当然、中には女性が被害を受けているケースもあります。
その患者さんに殴られた奥さんに、患者さんは病気なのです、許してあげて下さい等々、説明することもあります。

個人的な感覚としては、当然ながら、その患者さんの行為を肯定はできませんし、被害者でなく、なんで加害者の方の治療をせねばならんのかという気持ちが皆無ではありません。
私自身は、レイプは魂の殺人だと思っておりますし、反吐が出るほど嫌いです。
幸いにして、レイプを行った患者の治療を受け持ったことはありませんが、もしそういう患者を診ることになったらと考えれば、嫌いだから、許せないから出来ませんとは言えません。

冷静に考えて、自分がその患者さんに私心を排した適切な治療を行えないと感じれば断りもしますが、本来、嫌いだから出来ませんは、プロとして恥ずべきことだと考えます。
個人的価値観は別にして、患者さんのために最良と思われる治療を行うことが医師の職務です。

そういうことから類推するならば、強姦事件の弁護をする女性弁護士さんの苦衷は察するに余りありますし、プロとして尊敬すべき姿勢と思います。
それを人間性を捨てていると言われては、あまりに気の毒ではありませんか。

個人の価値観や人間性と、仕事は別の問題です。
そもそも、犯罪を是とする人は少ないでしょう。まして弁護士さんには皆無でしょう。
犯罪は許せないから弁護しないと言ってしまったら、冤罪事件しか弁護できなくなってしまいませんか?
私は、この犯人を肯定しないのと同時に、職務として弁護する方を、弁護を引き受けた一点をもって否定することはしません。
それは弁護士という職業そのものを否定することかと思われます。

「女性弁護士」は、研修生ではないかと某掲示板で指摘されておりました。

幾らなんでも、自発的に弁護団の一員となったとは考えにくいし、弁護側の方針からする限り、女性を一員にすることの意義が見出せません。

No.36 t_f(ROM専門)さん様

>幾らなんでも、自発的に弁護団の一員となったとは考えにくいし、

 私の感覚が弁護士の通常かどうかはわかりませんが、別になっても不思議はないと思うのですが。

> 幾らなんでも、自発的に弁護団の一員となったとは考えにくいし(No.36 t_f(ROM専門)さま)

そりゃ、偏見です。
男性の産婦人科医はみな邪な動機を持っている、というのと、同程度の偏見です。

本件では男女関係なく、被告人に与えられた刑事手続上の権利を全うさせるために、弁護をしたいという考え方もあり得ます。
だいたいにおいて、弁護士の間では、男性だから女性だからという考え方は少ないですよ。女性だから弁護団に入ってもらうというより、その人の弁護士としての専門的能力が優れているから、入ってもらいたいと考えるでしょう。

>論争に勝とうと思ったら、考えうるもっとも知的に怠惰な方法とはなん
>でしょう?
>論争相手が“人間性(humanity)”を欠いている、と主張することです。
>仮にあなたがわたしを、“人間性を欠く”といって非難したとしましょう。
>それがじっさいに意味するところとは? いったいなにをしたら、
>そんなふうにいわれるのか? 平然と人を殺したとき? 子犬を溺死
>させたとき? 肉を食べたから? ベートーヴェンの第五番に感動しな
>かったから? それとも単に、人生のあらゆる局面であなたと寸分違わぬ
>感情をもてない――あるいは、もとうとしない――からですか?
>あなたの価値観と目標のすべてを共有できないから?
>だれかの“人間性”に疑念を呈することは、相手を連続殺人鬼の同類
>あつかいすることです――そうすることで、あなたは相手の考えに
>ついてきちんとしたことをなにもいう必要がなくなる。
>また、それがあたかも広範な世論であり、あなたには怒りに燃える
>多数派がついていて、とことんあなたを支持しているかのような顔が
>できる……
小説からの引用ですが

決して喧嘩を売るつもりはありません。気分を害したならば謝ります。

>同じ弁護士からも、「被告の利益のために(どんな手段を使っても)弁護する」のが
弁護士の正義だ、と。
の発言ですが、(どんな手段を使っても)の部分は括弧を使ったように
一連のレス(その他のサイトも含め)を読んで感じた、私の感想です。

このサイトのもう一つのテーマである、医療問題に絡めて言いたい事があるそうですが
私も弁護士や、こういった場にいる人たちに言いたいことは沢山あります。
でも医師ではないので、参加資格はないのでしょうか?

非論理的で傲慢だとお叱りを受けましたが、日常業務では勤めて「合理的に」仕事をしているつもりです。
心の中では手を合わせながら…

>医療関係者 さん

 私はあなたが「医療関係者」と名乗ったから強く批判したのです。
 医療関係者なら医師であろうが看護師であろうが日常的に死を感じることが多く、一般の人とは違った職業的倫理観を意識する場面が多いと考えています。
 また高度の論理性と冷静さが必要な仕事だとも思っています。

 にもかかわらず単なる感想に基づいて(どんな手段を使っても)と書くなどは十分批判に値しますし、刑事弁護という特殊な状況における倫理の特殊性を考慮しない姿勢には謙虚さを感じることができませんでした。

 なお、医師でなければ議論に参加する資格がないとは一言も言っておりません。
 立場を明確にして発言してもらえると他の参加者も発言の趣旨がわかりやすいと思います。

 ただし当然のことですが、批判には批判が返ってきます。

No.40 医療関係者さん

結局どういう主張をされているのか、よくわかりません。
殺人事件だろうが何だろうが、弁護士はベストを尽くすべきですし、
それがあなたの仰る「職業倫理」だと思います。

殺人犯は治療するなという風潮になったらどうしますか?

>L.A.LAW(弁) さま 
>YUNYUN(弁護士) さま

某掲示板のログが取れてなかったので、再確認が出来なかったのですが、テレビ報道を見て書き込まれたものだったと思います。
「21人」とされているうちの6人は研修生で、その1人に女性がいて、その方が「女性弁護士」とされていたのではないかということだったかと記憶しております。

初めてコメントさせて頂きます。
モトケン先生ご苦労様です。この濃厚な内容のブログを管理されるのは大変でしょうが、無理なさらない範囲でがんばって下さい。

ところでこの事件の弁護人の方たちは確か死刑廃止論者の方ですよね。
以前、モトケン先生始めこのブログの常連の法曹界の方たちは医療関係のエントリで「司法は立法ではなく,今ある法律に基づいて様々な判断をする場であり、法を変える、新しく法を作ることはできない。」という趣旨のことを述べられていました。確かにその通りだと思いましたし、多くの法曹家の方はこの理念に基づきそれぞれの正義のために働かれているのだと思います.
しかし,今回は弁護人が「死刑を認めている刑法」よりも「自分の価値観」に基づいて仕事をしているように感じます。このような事は法曹界では許されるのでしょうか。
私は現在の法規の中で死刑制度を認められない人は法曹家ではなく国会議員にでもなり自分の理想を実現されるべきだと思います。

 個々の弁護士独特の理念に基づいて弁護をすることも許されると思います。
 ただし、そのために被告人の利益にならなかったりするような、不当な弁護を行ってはいけませんが。

 ただし、弁護団が死刑廃止に基づいて主張していると言うのは疑問があります。そもそも、弁護団は上告審から現在に至るまで、死刑廃止論は全く主張していないと言う点に注意すべきだと思います。

 死刑廃止論者の多くは、死刑制度が廃止されることが目的なのではなく、市民が国家に生命を奪われないようにすることが目的なので、具体的な被告人が死刑に処せられないように弁護活動を行うことは不思議ではありません。この場合、現行の法制度を前提とした上で、それでも被告人を死刑とすべきではないと主張することになります。

ロス(小児科)さま

しかし,今回は弁護人が「死刑を認めている刑法」よりも「自分の価値観」に基づいて仕事をしているように感じます。このような事は法曹界では許されるのでしょうか。

本件の弁護人たちが、 「被告人を死刑に処すべきでない事実・事情がある」 ということを主張して、(死刑一般ではなく) 本件被告人についての死刑の適用に反対している分には、
「自分の価値観」 は 「自分の仕事」 に包摂されていますから、法的には、 「許される」 と思います。

一方、誰でも、一定の信念に基づいて行動する自由というのはあるわけで。
政治家やプロ市民になるという選択肢はもちろん否定するものでなく、それが本筋だろうとは私も思いますが、法曹としての仕事と本質的・原理的に矛盾するものではないと理解しています。

「自分の仕事」 を逸脱して 「自分の価値観」 のための行動をすれば、それは
「依頼者である被告人自身のためになっていない」
という意味において、非難の対象になることはあるでしょう。

そのような 「為にする弁護(とみられるような行動)」 の結果、弁護人本人、ひいては刑事司法全体の信頼を失う、という意味においては、 「許されない」 こともありうる、というところでしょうか。

「許される/許されない」 の定義如何かと思いましたので、雑ながら場合分けさせていただきました。

>No.47 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント
>「許される/許されない」 の定義如何か

これは各人の心の問題であって、法そのものを破壊する本心・意図・動機が証明されない限り言論上どちらをとっても個人の心の自由だと思います。
それが言論の自由であろうと私は考えております。

要は口で何を言っても行動そのものが法に反していなければ法で裁く必要は無いというふうに思いますが。両者が互いに悪口いいあってても、実際に手を出してなければどっちも相手に大した実害は与えてない。横から介入行動して薬つける必要も無いし、警察につかまえてもらう必要も無い。

こういうのを弁論主義と呼ぶのでしょうか、いまふと思いましたが(笑)。

>No.48 ちょっと訂正。文意がおかしかったです(笑)。

これは各人の心の問題であって、法そのものを破壊する本心・意図・動機が「行動で(訂正追加)」証明されない限り言論上どちらをとっても個人の心の自由だと思います。

>L.A.LAW(弁) さま 
>YUNYUN(弁護士) さま

ログが見つかりました。↓いったことのようです

>323 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/05/26(土) 12:10:59 ID:Qgb+k0SD0
>>>239
>弁護団に女弁護士は入っていない。
>テレビ映像に写っている弁護団席の女とその手前の男の2人は,修習生だ。
>バッジをよく見ろ,奴らは弁護士じゃない。バッジがひまわりではなく3色の三つ葉みたい
>な修習生バッジだ。
>新聞報道を読まなかったか?弁護士は「15人が出席」。写真撮影時には弁護士のうち
>1人が席を外していて,
>弁護士14人と修習生2人の合計16人が写ったんだ。
>テレビ局によっては女の修習生後列一番手前にいるように放送しているが,実際は,そ
>の手前の傍聴席に一番近いところには修習生の男が座っていた。
>ちなみに,法廷にいた奴にしかわからないだろうが,修習生2名には,弁護団の分厚い
>意見書は配られておらず,
>彼らはノートとかしか机の上に出していなかった。
>修習を知らない奴のために補足しておくと,修習生は指導担当の弁護士を選べない。
>しかも指導担当弁護士に逆らったら落第との噂も根強い。
>修習生は,検察官や裁判官になるかもしれないし,被害者側の弁護士や企業法務弁
>護士になる可能性もある。
>真偽のほどは知らんが,弁護団席の女修習生は検察官志望との噂もある。

分かりにくくてすいません。また、批判ではなく感想のつもりだったんですが…

いまさら言うまでもなく、医療界は「共産主義体制」です。
国からの命令には逆らえず、収入源である診療報酬は一方的に決められ、引き下げられています。勤務医は劣悪な環境で働かなければならず、患者の方が不幸な転帰を迎えると、ある確率で裁判になります。裁判になればマスコミが煽り、警察が担当医師を…という流れが出来ている以上「職業倫理」とか「論理的」ではなく、「合理的」な判断で行動しなくてはならないという事です。
他の職員も病院の存続のために「本当に必要か?」と感じながらも、治療や検査を行うことがあります(金銭的、アリバイ的にも)。すべてがそうだとは言いませんが、周産期医療の崩壊を見ても明らかなようにこの流れは止まらないと思います。

モトケンさんの仰るように「高度の論理性と冷静さが必要な仕事」と言うのはごもっともですが、風の精霊さんのコメント「個々の弁護士独特の理念に基づいて弁護をすることも許されると思います」と言うことが認められていないのが医療界です。
私は、医療関係者は周囲から「職業倫理」を、どんどん剥ぎ取られていると「感じて」います。だからこそ周囲の人に対し、あのような感想を述べたのです。

そもそも「高度の論理性と冷静さが必要」と言いますが、具体的には何を指すんでしょうか。「論理的に」必要と考えるので治療する、しない?「冷静に」考えて必要とするので治療する、しない?あるいは「医学的にできる限り」治療する、しない?それとも「患者や家族の方」の希望に沿った治療をする、しない?でしょうか。

本来のスレからは外れますので、以後ここでの書き込みは控えさせていただきます。お騒がせしました。

「書き込みは控える」 とのことなので指摘してもあまり意味がないかもしれませんが。

No.25 のコメントの何が批判されたのか通じていないみたいですね。

>No.25 のコメントの何が批判されたのか通じていないみたいですね。

 そうみたいですね。

 もうちょっと丁寧に批判すべきでしたか。

 赤ちゃんの死因のことですが、弁護団の主張を含め、絞殺ということになっているようです。ずっと前に、見たマスコミの報道では、たしか死んでしまった母親の傍らで泣き叫ぶのを、床に叩きつけた、ということになっていたような気がします。
 そのような事件記録というか捜査資料は、マスコミを含め一般の目には触れないのでしょう。よって、適切というかより正しい判断をするにも十分な資料がないということになりそうです。
 そんなことを、ふと穿って考えたのは、先ほど報道番組ZEROで、坂井泉水さんの死亡について、3メートルの高さから落ちたものと知ったからです。
 よほど打ちどころが悪かったのでしょう。プールの飛び込み台の水量不足で重度の障害を負ったというケースもあったと思いますが、本当にお気の毒です。生きる希望を強く持ち、秋には新アルバムのリリースも予定し、スタッフと打ち合わせをされていたとか。
 同日報道された、現職大臣の首つり自殺とも対照的でした。気丈な人に見えていましたが、そこまで思い詰めていたんですね。税金の無駄遣いと批判されていた議員宿舎を死に場所に選ばれたようですが、このあたりも何か複雑です。
 光市母子殺人事件の舞台となった団地のようなアパートもよく放映されていていました。まったく予期しない訪問者に、惨殺された母子。
 リボンか蝶々結びで死んでしまったとか、復活の儀式とか、弁護団は弁護し、傷害致死が相当という意見を述べているようで。
 検察としても、公開したいけれど公開できない資料というものが存在するのかもしれません。検事が涙を流し、犠牲は戻らないが次の犠牲者を出さないためにも頑張って頂きたいと説得、協力要請を懇願したそうです。
 知ることのできる資料に限界がある以上、想像で補うしかない部分が多々ありそうですが、この刑事裁判は支離滅裂な印象を拭えません。
 この事件も裁判員制度への、大きなきっかけとなり、立場の異なる弁護士も大きな行動へと駆り立てたのかもしれない気がします。
 どうであれ、マイナスの大きな理非曲直を弁護士が弁えていないとも考えにくいからです。
 安田弁護士という人は、大のマスコミ嫌いでもあるそうです。詳しくは知りませんが、反骨精神の持ち主であることは間違いなさそうです。
 落合弁護士のブログに、参考になるトラックバックが入っていました。
 タイトルが、
「敢えて主張しない決断 弁護士」
 国家による殺人を容認しない死刑反対運動というコメントも新たに寄せられていたようですが、何か新鮮に感じましたね。
 なんとか法定主義とか国家の決めた規則に則り、刑罰を科すという大原則がある以上、それ以外は私刑になりそうですが、方向性としては裁判員制度の導入というかたちに落ち着いたんでしょうか。
 同じような方向からの制度批判の声も大きいようですが。
 色々参考にさせて頂き、つらつら考えています。
 結局のところ、関心の度合いの低さは、非日常性という気がしますが、それにしても非日常的な非現実的な事件がよく起きているようです。
 病というのは人間にコントロールしがたい、部分が多々ありそうですが、冤罪を含めた刑事裁判が同じでは、心許ないという気がしますが、交通事故と同じ、利便性の優先として許容の度合いも大きく、多数からは適当に受け流されているのかもしれません。
 弁護士と比較して強大な権限を持った検察でさえ、地方検察庁では検事は6人程度の人員で、うち二人は決裁官なんでしょ。どんなに優秀な人間でも自ずと限界もあることでしょう。それが公訴権を独占している現実に、疑問を抱くどころか、内情を知っている人さえ稀なことでしょう。
 冤罪で起訴したり、本当は起訴すべき事件を起訴しなかったり、起訴できなかったりと、こちらも支離滅裂なのかもしれません。
 疑惑の渦中で自殺した大臣、死人に口なしという論調で、マスコミが報道していましたが、降って湧いたようにこういう問題も繰り返されるようです。地検特捜部は幹部が事情聴取の予定はなかったと明言したようですが、説明責任を果たさなかったというのは事実のようです。根の深い問題のようですが、こちらも窺い知るにはげんかいがありそうです。

No.52,53のコメントはNo.54の書き込み中に追加されていたもので、なんら脈絡はありません。

No.50 t_f(ROM専門)さま、ありがとうございます。

>修習生は,検察官や裁判官になるかもしれないし,被害者側の弁護士や企業法務弁
>護士になる可能性もある

その通りです。
私の経験からすると、修習生時代とは、法曹の先輩から親しく教えを受けるという以外にも、
自分の志望と異なる職種をかいま見ることができることがチャンスと言えます。
弁護士は検察官とは事件では敵対関係に立ちますが、おかげで、彼らの思考方法というか、どういう組織で何を目指して仕事をしているのかは、ある程度理解できます。
私は修習生になって最初のころ、刑事弁護の仕事はあんまりしたくないと思っていたのですが、裁判所で配属された部の裁判官の方に、「弁護士の基本は刑事弁護だから、やらなければいけない」と諭されました(弁護士の人にじゃないですよ!)。そんなわけで、今でも国選と当番はやっております。

光市母子殺害事件の弁護団に付いた修習生も、弁護団の先生方を見倣うにせよ、反面教師とするにせよ、一生に一度の貴重な機会に、多くのものを吸収してくれるといいと思います。

医療関係者さんへの援護射撃?
(少しかみ合っていないかも知れませんが)

モトケン先生をはじめとする諸氏のご意見の
「犯罪者といえどもプロとして弁護する」と言う部分に関しては
私はなんら異存はありません。

しかしながら「法廷戦術」として「儀式」がどうのこうのと言うのを持ち出すのは「プロ」以前の問題として「人間性」の問題としてそこまで道理を捻じ曲げてまで弁護する必要があるのか?
と言う気持ちを非法曹者としては抱かざるを得ません。

もしも、私がこの被害者の残された夫であった場合、
自分の人生全てを賭けてこの加害者と弁護人に報復行動を取ると思います。
相当のご批判の覚悟の上ですが、先日娘が生まれたばかりの身としては、あえてそう発言せずにはいられません。

別に、弁護人がその「儀式」とやらを編み出したわけではなくて、被告人がそう言っているというだけのことだと思いますが。

刑事弁護の根本は、被告人の言い分はこうだ、と裁判官に伝えることです。
何度も繰り返していますように、
被告人の言い分と違う弁護をする、あるいは、言い分をねじ曲げるということのほうが、弁護の原則から外れるのです。世間で言うところの「道理」は、関係ありません。
参照 コメントNo.3 PINE さま

私は、何をしても結果が見えている場合は、せめて被告人に100%言いたいだけ言わせる、という方針です。
被告人が満足する。それしかできることは無いから。

>No.50 t_f(ROM専門)さん様

 私も、YUNYUN(弁護士)さんも、弁護団の中の女性が修習生ではないといっていたわけではなく(その可能性はありますし、それもおかしくない)、ただ、女性の弁護士が自分から参加するわけがないと t_fさんがコメントされたことについて、弁護士の感覚から、別に女性の弁護士が自分で参加してもおかしくないと述べているだけです。

 

 弁護士以外の方は、どうも、弁護士が被告人の主張していない事実に基づいて、主張することがあるかのように考えられているようですが、そういうことは通常ありえません。たとえば、被告人がその犯罪を行っていないと主張しているのに、弁護人が、有罪を前提に主張したら、懲戒にかかることは、感覚的に弁護士以外の方にもおわかりでしょう。

 本件で言えば、
1 被告は、自分が中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない。
2 騒がれたために口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。
3 死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。
4 長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。
等は、被告人が言わないのに弁護人が勝手にいうことはありえません。

 弁護人が、被告人の主張を補うのは、評価、構成、及び弁護人自身が調べた事実等の部分のみと言ってもいいです(事実と評価、構成の区別はわかりづらいと思いますが)。

 また、被告人に対して説得、諭すという話も出ていましたが、+αの部分を除けば、弁護人の被告人に対する説得、諭すというのは、判断者である裁判官が、現状の証拠からどう判断するかを説明することが根幹です。その裁判官の判断が正しいということではありません。弁護人にも真実はわかりませんし、裁判官の判断が結果として間違うから、えん罪事件があるわけですから。弁護人としては、被告人の主張する事実が真実であることを前提に弁護していくことになります。

 弁護人としては、裁判官の判断と考えられる方、たとえば、本件で言えば殺意を認める方が、被告人にとって有利であったとしても、殺意がないと主張している被告人に対して、殺意を認めろということは言えません。有利、不利で事実主張を変更できるのは、あくまで被告人の判断のみで、弁護人はそんな権限もありませんし、もししたら、これまた懲戒になりかねません。

 その意味では、本件では、弁護団から被告人に対し、事実主張の変更を促すことは、ほとんど困難です。どういう主張をしても、有利になるわけではありませんから。

 後は、+αの部分でどうするかです。
 

>No.60 L.A.LAW(弁)さん
>弁護士以外の方は、どうも、弁護士が被告人の主張していない事実に基づいて、主張することがあるかのように考えられているようですが、そういうことは通常ありえません。たとえば、被告人がその犯罪を行っていないと主張しているのに、弁護人が、有罪を前提に主張したら、懲戒にかかることは、感覚的に弁護士以外の方にもおわかりでしょう。

よーくわかったつもりですが、「儀式」を主張するためにどうして21人も弁護士さんが居るのかわかりません。
弁護人がいないと裁判が成り立たないので、「儀式」を主張する被告人のために誰かひとりが弁護人になったというのとは話が違うように思います。

20人の弁護士さんは誰か1人を残して辞任という選択肢があったのであれば、単に「被告人の主張を代弁するのが弁護士の職務」だけでは済まないように思います。

>No.61 元ライダー.開業医さん

>20人の弁護士さんは誰か1人を残して辞任という選択肢があったのであれば、単に「被告人の主張を代弁するのが弁護士の職務」だけでは済まないように思います。

ここの質問の意味がよくわかりませんが、前にコメント(すぐには見つかりませんが)しましたが、被告人の主張がおかしいからといって、弁護人は被告人の同意がなく辞任することはできません(懲戒事由になると思います)。

>よーくわかったつもりですが、「儀式」を主張するためにどうして21人も弁護士さんが居るのかわかりません。

 作業としては、実質3人いれば足りると思います。ただ、世間をこれだけ敵に回すことがわかっていて、1人でやれというのは酷です。精神的サポートという意味が強いと思います。

 この弁護団の場合どうかはわかりませんが、私選ではありますが、この手の弁護団の場合、ほとんどあるいは、全員の弁護士が無報酬というか、手弁当のケースが多いと思います。

> 20人の弁護士さんは誰か1人を残して辞任という選択肢があった

21人居ることで、当事者は誰も何も困っていませんが?
被告人は弁護人を解任したいわけではなく、弁護人となった弁護士らにも辞任する気はありません。
弁護人の数については、私選弁護である限り、何人頼もうと被告人の自由であり、外野がとやかく言う筋でないと思います。

患者が自分の好みで、何人ものお医者を呼び寄せても、それはそれで自由であるのと、同じこと。

法曹の一人としてコメントは避けて通れないところですので、一言。

まず、私は刑事弁護は余り熱心にするほうではありません。顧問先や依頼者の知り合い等のつながりで年に数回、国選弁護、当番弁護士で年に2〜3回ほどやっているにすぎません。

その上で、
1 報道されている情報を前提にする限り、
2 私ならば弁護団のような主張はいたしませんし、そのような主張を被告人が行った場合、できるだけ被告人を「いさめて」(「説得」ではありません。そのような権限は弁護士は「原則として」ありません。)、別の方法を(例:真摯な反省)主張するよう「話しかけ」
3 それでも被告人が主張したいというのであれば、(「することができれば」ですが。国選弁護人は辞任が原則としてできません。)辞任します。

ただし、自分自身ではなく、他の弁護士が問題となっている弁護を行った場合、その弁護が、「通常の」弁護士からみて「(弁護士の職業倫理上)許される弁護活動であるかどうか」という観点から、見た場合、
  『許されない弁護活動であるとまではいえない』
と考えます。

1審〜最高裁までの経過からみれば、今回の差戻審で被告人の主張している事実関係が一度も出てきていないというのは通常ではなく、そうであるとしたら、被告人が死刑を免れるために苦し紛れの弁解を行ったという、一般的な見方は的を得ているのではないかと考えざるを得ません。しかも、その弁解の内容が「ちょうちょ結び」だとか「儀式」であるとか、もっと他の表現方法がなかったのか、本件のような世間に大きな話題のある事件について、論争を巻き起こすような表現は慎むべきでなかったかという疑念はあります。

しかしながら、裁判も人の営みです。過ちである「可能性」はあります。1審と2審の弁護人が、被告人の言い分に耳を貸さなかったのかもしれません。裁判官が、量刑ばかりに目を向けて、証拠の厳密な検討を怠ったかもしれません。
とするなら、被告人の利益を最大限に「図る」(「謀る」ではありません)べき職責の弁護人としては、1審、2審の弁護人または裁判所の過ちの「可能性」を考えて弁護活動を行うことは許されると考えます。
表現方法にしても、被告人自身が、そのように表現しているなら、そのまま発表するのも「ありえる」かなと考えます。

ただし、私個人の考えとしては、上記過ちの「可能性」はこれまでの経緯からすれば、非常に少ないと思いますので、その点からすると、「通常の弁護活動」というのは苦しいけれども、「許されない弁護活動」とまではいえないと思います。

#私自身がこのような考えでいられるのも、ぎりぎりの否認事件(犯罪全部でなく、殺意など犯罪事実の一部を被告人が認めていない事件、本件もそうです)を手がけた経験がないからかもしれません。
ことに、本件のように、死刑が予想される事件については、「目の前の一人の人間が」、合法的に「殺される」可能性がある事件に、「弁護士として」関わらざるを得なくなった場合、「弁護士として」どういう考えをもつに至るか、自分自身のことながら、よくわからない部分ではあります(もっとも、積極的には関わることはないでしょうが)。

L.A.LAW(弁)さん
YUNYUN(弁護士)さん

私の表現力不足で誤解させてしまったようです。

No.64 nuki さんのような回答が欲しかったのです。

>No.64 nuki さん
>ただし、自分自身ではなく、他の弁護士が問題となっている弁護を行った場合、その弁護が、「通常の」弁護士からみて「(弁護士の職業倫理上)許される弁護活動であるかどうか」という観点から、見た場合、『許されない弁護活動であるとまではいえない』
と考えます。

自分はそうしないとしても、他人がそれをしたからといって批判できない場合もある。

医師(少なくとも私)と同じ考え方ですね。でも、そうした考え方が世間には通用せず「業界内のかばいあい」と受け取られるのでしょうね(だからダメと言っているのではありません)。

ついでながら、一般向け情報提供をば。

法制度上は、裁判所は、特別の事情があれば、弁護人の人数を被告人1人あたり3人までに制限することが可能となっています(刑事訴訟法35条、刑事訴訟規則26条)。
(3名未満になるよう制限することはできないという意味。弁護人を4人まで認め、5人目以降は制限するというやり方も可能)

被疑者(起訴前段階)の場合、逆に原則として3名が上限で、特別の事情があれば裁判所の許可を得てそれ以上選任することが可能という扱い(刑事訴訟規則27条)。

本当に弁護人が多すぎて不都合があるのであれば、裁判所が権限を行使すればよい、ということです。

ただ、裁判所が実際にこの権限を行使するのはかなりな異常事態といえるかと思います。
# 判例は昭和28年のものがありますが、その後現実に行使された事例ってどのくらいあるんでしょうか。公安事件などでは考えられそうですが(って全くソースなしの推測です)。
# 安田弁護士が逮捕・起訴された事件でも、弁護人の制限ってされていないですよね?


元ライダー.開業医さま

でも、そうした考え方が世間には通用せず「業界内のかばいあい」と受け取られるのでしょうね(だからダメと言っているのではありません)。

おっしゃるとおりで、医師も弁護士も、
職業上の特性から来る批判の限界

単なるかばい合い
との違い、分岐点を、一般に向けて常に説明していく必要があるのだろうと思います。

面倒ですが、その都度誤解を解いていかない限り、ギョーカイ外の味方(理解者)は増えていかないでしょうから。

>No.65 元ライダー.開業医さん様

>No.64 nuki さんのような回答が欲しかったのです。

 私自身も、さほど刑事事件に練達ではありませんが(刑事事件で、常時もっているのは、せいぜい1〜2件)、死刑かどうかという事件はやったことがあります(無期懲役でしたが)。

 nuki さん様と、実質でどれだけ、差があるかは別ですが、被告人の事実の主張が変更しないとすれば、現在、弁護団がしている主張を、法廷でしなければならないのは、むしろ、それ以外に道はないのではないかと思います。その意味では、nuki さん様より、弁護団に肯定的です。

 ただ、わからないのは、現時点で(見ていませんが)、マスコミにこういう形で発表するということが、どういう計算で、行っているのかです。

 

>No.64 nuki さん

辞任できない場合はどうされますか?
結局、誰かが弁護しなければいけないわけですから。

弁護士がプロとしてクライアントのために全力を尽くすのは当たり前。第一次的な目的はクライアントの利益を最大化することであって、社会全体の利益をそれに優先させて行動するというのは誤り。

このことは非常によく理解できるし、プロとして当然なのでしょう。別に批判もしません。弁護士というのはそういうものだから。

したがって、自称医療過誤被害者の弁護をする弁護士も、第一に考えるのはクライアントのこと、露骨に言えば賠償金の額を極大化することであり、医療事故の本質の解明とか、地域の医療体制とか、ほかの患者の利益といった公共の利益は考慮しないし、むしろしてはいけないことである。

そして、ここのエントリで示されたところによれば、客観的にはどんなに荒唐無稽な主張であり、医師に対する侮辱、誹謗、中傷以外の何物でもない低俗下劣な主張であっても、自称医療過誤被害者が「これが事実だ」という限り、弁護士は「説得」してはならない。むしろ、その主張を前提にして、クライアントたる自称医療過誤被害者の利益を最大化すべく、あらゆる手段を尽くすと。例えば、経済的に困窮している医師に大金を積んで見せ、そのトンデモな主張に合致する「鑑定書」を書かせるとか。

ある意味尊敬しますが、私には無理だ。

弁護士がこういうポリシーで仕事をしている以上、こちらもあらゆる手段を尽くして反撃することを躊躇う必要はないし、それは弁護士も望むところでしょう。

No.60 L.A.LAW(弁)さん、こんにちは。
興味深く拝見いたしました。

>1〜4等は、被告人が言わないのに弁護人が勝手にいうことはありえません。

これは本当なんでしょうか。
1、2審でこのような主張は一切無く、差戻審になった途端にこの主張では、非法曹の私にはどうしても「とってつけた」ような印象は拭えません。

弁護士と被告の接見の中で
(弁)どうして殺したの?
(被)・・・・
(弁)お母さんを自殺で亡くしてるよね?それで被害者に母性を感じて甘えたんじゃないの?
(被)・・・そうかも
これが1の主張となり、2〜4は言わずもがなです。

このような遣り取りを元に今回の様な主張になったのではないかと想像してしまいます。
私の穿った見方かもしれませんが・・・
それともこのような遣り取りがあったとしても、それはあくまで被告の主張であって弁護士の誘導ではないという通例?なのでしょうか。

ともすれば弁護士の方々を侮辱してしまう書き込みかも知れません。
不愉快な思いをされている方がみえましたら謝ります。
しかし、今回の弁護士の主張はそれほど違和感(嫌悪感と言っても過言ではない)を感じ、被告単独の意思主張とは到底思えないのです。

>No.69 奉公明け内科医さん

ヒント: 民事、真実義務

クライアントの利益を最大化するのが弁護士の職務であり、社会の利益をそれに優先させることはむしろ許されないというのが弁護士の行動原理、基本的発想。

これは、別に非難するに当たらない、簡潔でわかりやすいポリシーです。

だとすれば、その地平で裁判の意義を考えればよい。自称医療過誤被害者やその弁護人は、「このような悲劇を繰り返さないために」とか「金じゃない、真実を知りたいのです」などと言うけど、違うでしょうと。できるだけ金を取りたい、あるいは医師から金を取ってダメージを与えたい[復讐心を満足したい]というポリシーで弁護士は行動し、裁判は進行するのだから、再発防止とか真実の発見とか余計な目的を標榜すべきでない。

堂々と正面から「我々はこれを医療過誤だとみなしました。だから、全力で医者から金を取りに行きます、そのためにあらゆる手段を尽くします」と宣言すればいいのに、そのような本質を隠して、情緒的、政治的な宣伝をするから、話がややこしくなるのでは。

医療過誤裁判が「個人の金儲け目的だろう」と言われると「違います、社会正義のためにやってます」と言い、光市事件で「社会正義に反する主張だろう」と言われると「そもそも弁護士はクライアントのために仕事をするのであって社会正義は二の次です」というのは、おかしくありませんか。

別に金儲けは悪いことではないのだから、堂々と、「社会正義は二の次で、クライアントの利益を最大化するために働いてます」という姿勢を貫くべきです。

医療過誤裁判が「個人の金儲け目的だろう」と言われると「違います、社会正義のためにやってます」と言い、光市事件で「社会正義に反する主張だろう」と言われると「そもそも弁護士はクライアントのために仕事をするのであって社会正義は二の次です」というのは、おかしくありませんか。

その部分もクライアントに依存してるんじゃないのかなぁ。多分私たち医師よりもずっとクライアント依存性が高いような気がする。

たとえば19でモトケンさんがかいてますけど、結果を得るためにリスクを犯し裏目に出た場合、弁護士がわるいと非難されると弁護人が被告人に有効な反論を行うことは困難です。なんだそうです。味方してくれる統計もペーパーもないんでしょうね。

結局お金儲け目的にしろ産科医は自分を見つめなおせにしろ原告の主張を色濃く反映せざるを得ないんじゃないのかな。


こんにちは、整形Aです。

また弁護士さんたちのお手を煩わせてもなんなので、僕も一言。

過去ログ嫁。

No.68 青魚様

>辞任できない場合はどうされますか?
結局、誰かが弁護しなければいけないわけですから。

 手続的には、私選弁護の辞任の場合は、死刑事件は必要的弁護事件(弁護士がつかなければ審理ができない事件)ですから、強制的に国選弁護人がつきますし、国選弁護人の辞任の場合も新たに国選弁護人が付されます。そして、何度も選任と辞任が繰り返されるなどの例外的な場合に当たるときは、最高裁判所の判例で、「例外的に」弁護人なしでも審理が可能な場合があります。
 ただ、青魚様は、そのような手続的なことでなく、そのような場面になった場合の弁護士としての私の立場をお聞きになっているのだろうと思います。
 N0.64の最後で述べましたように、私は実際に死刑事件に関係したことはありませんので、そのような場面に自分がたつことになったらどうするか正直わかりません。ただ、おそらく、辞任せずに(できずに)、被告人がいいたいことを代弁することになるであろうと思います。先の私の考えも、「自分に経験がないこと」が前提でした。また、そのような経験をすれば自分自身も変わらざるを得ないかなあ〜という「予測」でもありました。
 そういう意味では、実際の経験者でもあるNo.67 L.A.LAW先生の考え方の方が私より説得力があるのではないかと思います。ただ、私も一人の専門家としての譲れない部分もありますので、そのような立場に立ったとしても変わらないかもしれません。

> このような遣り取りを元に今回の様な主張になったのではないかと想像してしまいます。
> 私の穿った見方かもしれませんが・・・(No.70 DJニャンタロウさま)

それは想像力たくまし過ぎ。

これほど独創性ある言い訳には、なかなかお目にかかれないものです。とても弁護士ずれの思い付きとは見えません。
ゆえに、本人の言葉そのままであるということの、信憑性は高いと考えます。

-----
事情聴取の場で、重要な争点について大きく誘導することは、聴取者の意見の押し付けであり、真実を隠してしまうおそれがあるので、よくありません。
警察の取り調べでは、往々にして本人の言い分を無視した押し付け調書が作られ、冤罪の原因として問題視されています。
一方、悲しいことですが、弁護士の中にも、仕事をラクにしようとして、被告人の意見を十分聞かずに、適当に話をまとめてしまうような人が、居ないわけではありません。

私の経験したところでは、前の事件の国選弁護人が、「電波の指令に基づいて犯行に及んだ」ことを主張してくれなかったというのが、被告人にとって不満でした。裁判でそのような「信用されない」主張を出したくなかった前の弁護人の気持ちは理解できますが、職責上、やはりそれはマズイでしょう。
幸い、私の事件では電波は飛んでおらず、「自分の意思でやった」と認めていたため、情状として、時々電波が飛ぶ体質であることを説明したところ、
被告人は「よい弁護をしてくれた」と喜び(そう大したことは言っていないのですけれど)、刑務所から帰ってきた時も丁寧に挨拶の電話をくれました。

No.76 YUNYUN(弁護士)さん、こんにちは。
被告の主張は弁護士の入れ知恵では?と書き込んだ者です。

>それは想像力たくまし過ぎ。

えっうっ(^_^;)

>これほど独創性ある言い訳には、なかなかお目にかかれないものです。とても弁護士ずれの思い付きとは見えません。
ゆえに、本人の言葉そのままであるということの、信憑性は高いと考えます。

え”〜そうですか?
私はYUNYUNさんとは真逆で「弁護士の思い付き」としか思えませんでした。
被告の事は知らないので断言は出来ませんが、犯行態様からしてこんな主張が出来るほどの奇抜な発想の持ち主とは思えないのですが。
友人に当てた手紙一つとっても・・・

正直、意外です。
でも、現役の弁護士の方の見解なんですから正しいんでしょうか・・・
本当に被告自らの主張だったのかな。

No.75 nuki さん

丁寧にお答えいただきありがとうございます。

ただ、おそらく、辞任せずに(できずに)、被告人がいいたいことを代弁することになるであろうと思います。

そうするしかない場合も、やはりあるのですね。
私自身、初めにこのニュースを見たときは、「気でも触れたか」と思いました。
ここで皆さんの意見を読むまでは、そういった法廷のルールも知りませんでしたので、
弁護の方針で作文できるのかと思っていました。
まだまだメディアリテラシーが足りないと反省しています。


No.72
私にも言わせてくださいな。

医療過誤裁判が「個人の金儲け目的だろう」と言われると「違います、社会正義のためにやってます」と言い、光市事件で「社会正義に反する主張だろう」と言われると「そもそも弁護士はクライアントのために仕事をするのであって社会正義は二の次です」というのは、おかしくありませんか。

これすごい聞き方ですね。
1 医療過誤裁判で「個人の金儲け目的だろう?」と聞くなら、光市事件でも「個人の金儲け目的だろう?」と聞くべきでは?
 そうすれば、「いいえ彼らは主任弁護人を除いてボランティア・手弁当参加だと言われています」(だいたい元少年の家庭が金持っている可能性低い)と答えられるのに。
売名行為だろうと聞かれても、逆に「売名になりませんよね」という答えになります。

2 光市事件で「社会正義に反する主張だろう?」と聞くなら、医療過誤裁判でも「社会正義に反するだろう?」と聞くべきでは?
 そうすれば、「いいえ救済を求める被害者(相手が自称被害者と呼ぶその人)の権利行使のサポートをしているのです」と答えられるのに。

それに両事件には、民事と刑事の差があるのを無視してますね。
誰を相手に戦うかぐらいは差が分かりそうなものですが。
私の意見も詭弁でしょうかね?

No.72の奉公明け内科医さんのコメントについて。

民事訴訟の場合は、弁護士は代理人ですからねぇ。
依頼者が、「真実解明のため」っていうことなら真実解明のため提訴しましたって報道などには伝えるだろうし、「きちっと損害を賠償してほしい」っていうことなら損害の賠償を求めて提訴しましたって伝えるでしょう。
そういや、大淀町の民事訴訟提起の件も、原告本人のコメントを取り上げている報道機関が多かったですね。

例えば、経済的に困窮している医師に大金を積んで見せ、そのトンデモな主張に合致する「鑑定書」を書かせるとか。
医師の職業的良心をも冒涜するようなNo.69のコメントを見て、本当に医師なのかとも思いましたが。


話を光市の事件に戻すと、毎日新聞の記事によれば、弁護人らは『精神科医らの鑑定結果から「二人の殺害は予想外の事態」と主張』しているとされています。
ということは、弁護人以外にも、私的鑑定を行った精神科医も被告人と面会し、被告人から話を聞いているということです。
そして、その話の内容から私的鑑定書が作成され、弁護人らはそれに基づいて主張を行っているという図式になります。
今は、まだ控訴審が始まったばかりなので弁護人の主張ばかりが一人歩きしていますが、今後、私的鑑定の内容の吟味(場合によっては精神科医の証人尋問)や被告人質問を通じて、どのような展開になるのか注視したいと思います。

なお、これは本件についてということではありませんが、起訴後被告人が「私は責任能力に問題がある被告人」という状態に「なる」ことは、ないことではありません。
同房者に入れ知恵されたりすることもあるようです。

 私としては、被告人本人の発想とは考えられません。友人宛に出し、マスコミに大々的に公表された手紙でも、「犬が散歩していた。可愛い犬がいたのでやっちゃった。」というような独自の表現をしているようです。
 もっとも拘禁症状で精神に変調を来している可能性はあるでしょう。同房者の入れ知恵ですが、拘置所での雑居房の数は少ないと思われ、問題を起こしそうな収容者を、あえて雑居房に入れることもないかと思います。
 施設によって違いはあると思いますが、独居房の収容者でも金網に囲まれた小さな庭のようなところで運動をすることはありますが、少しでも問題のありそうな収容者は、運動も扇形に区分けされた個室で行われます。他者と接触の機会はないはずです。
 ただ、検察から接見禁止が付されない限り、刑の確定していない未決収容者の権利は同一のはずで、平日、一日に二通(原則便箋7枚)ですが、制限なく誰にでも手紙(信書)が出せます。
 検閲はありますが、内容について事実上無制限にしている可能性も高いと思います。発信相手に制限がないので、同じ施設内の友人、知人にも手紙は出せます。
 その手紙が、マスコミに渡ったようですが、このあたりの経緯がわかりません。面会も同じく制限がないはずです。ただし、これも平日に一日一回だけ。確か一度に3人はOKのはずです。
 マスコミを通じて、「アサヒ芸能」に連載手記を行っていた死刑判決で上告中の被告人もいました。それも元警視庁警部で、強盗殺人を犯した人でした。死刑制度に反対して、ハンガーストライキみたいに、上告取り下げをしたようですが、その後、どうなったのかは知りません。
 その人も手記に下ネタのようなことを書いていたようですし、確か未決収容者間で手紙のやりとりもしていたような。
 確定してしまえば、全く別の扱いになり、制限が大幅に強化されますが、判決が確定していないので、普通の人の想像以上に制限は緩やか、書籍や雑誌を含め得る情報も多いように思われます。ラジオも聴けますし、お金さえあれば、新聞の購読もでき、外部からの差し入れに限られるはずですが、スポーツ紙(新聞)も購入できます。
 施設としても動静を見守る情報は多い方が都合がよいので、好き勝手にやらせているんじゃないんでしょうか。
 ただ、この被告人の場合、以前テレビで観た報道では、金銭に余裕はないようです。収容期間も長いので、自由になるお金は持っていないものと考えられます。
 だいたい月に2万円もあれば、けっこう気ままな生活が出来そうですが、それでなくても三食昼寝付きの生活です。気分の切り替えで、短い期間であれば、それなりに快適な生活もできそうですが、解放される先がないとすれば、想像を絶する生き地獄で、まともな精神状態でいられる方が不思議なのかもしれません。
 ちなみに、警察の留置場で、一日中高いびきで眠りっぱなしのような暴走族の少年がいたり、今にも自殺しそうな拘置所の青年もいれば、人様ざまであり、心地よい生活なのか、それとも生き地獄なのか、こればかりは、決めつけられないと思いますが。
 なお、食事も一般の想像を超えて、質量共によい食事がでていると思います(ただし、メニューによって当たりはずれも大きいかも)。
 確か広島の拘置所だったと思いますが、瀬戸内であれば気候も温暖で、冬の寒さもさほどではないでしょう。夏は暑いこともあるでしょうが、団扇は貸与されるはずです。
 一年以上は前になると思いますが、たまたまテレビで被告人の父親のインタビューや被告人の生活ぶりが紹介されているのを見ました。大人になってしっかりした考えももつようになったように紹介されていましたので、被告人本人の自発的、主張とは、ますます考えにくいところです。
 断片的な情報に基づく推測ですが。
 個人的全体的なイメージとしては、「必殺仕事人」もしくは「必殺仕置人」という感じですね。水先案内人というか。
 あと、「人生劇場」という曲でしたか、「一人ぐらいは、こういう馬鹿が、いなきゃ世間の目は覚めぬ」というフレーズが、繰り返し想起されます。

亀レスですが、
>No.66 fuka_fuka(イソ弁) さん

医師も弁護士も、
職業上の特性から来る批判の限界

単なるかばい合い
との違い、分岐点を、一般に向けて常に説明していく必要があるのだろうと思います。

自分の業界のことなら「職業上の特性から来る批判の限界」を十分わかっているはずなのに、他業界のことになるとそこが飛んでしまう(自分もそうです)ことを常に念頭に置かなければなりませんね。

全体的にはおおむね頷ける協力医についての文章なのですが、そこまでわかっていて文頭のこれ↓は残念でした。

医療過誤訴訟に立ちはだかる三つの壁(専門性の壁、密室性の壁、封建性の壁)のうち最も困難な壁は、「封建性の壁」である。我国の医療界にあっては相互批判の精神もそのシステムも成熟しておらず、自浄作用が甚だ不十分であり、医療過誤訴訟の場面では、「同僚かばい」の傾向が強くうかがわれる。

No.82 元ライダー.開業医さま が引用されている「協力医についての文章」は、
fuka_fuka(イソ弁) さまの著作ではなくて、
「医療事故情報センター」という名古屋の患者側弁護士グループのホームページです。
誤解を招かないかと思いましたので、念のため。

YUNYUN(弁護士)様

御指摘ありがとうございました。おっしゃるとおりです。
どうも私の文章構成には問題アリですm(__)m

No.81廣野秀樹さんこんにちは。

私と同じように感じている方がいて、少し安心しました。
どんな方なのかな?とリンク先のブログを覗いたのですが、「自己紹介はしばらく待って下さい」となってました(^_^;)

拘置所の待遇の件ですが以前「ニュースステーション」でオウムの松本被告の生活を特集していた事があったのですが、食事のメニューは豚生姜焼きや、月に一度のステーキ等。
また、松本被告は自分では体を洗わないそうなので入浴時には職員が3人がかりで体を洗ってあげているそうです。
なんだかな〜

こんにちは、整形Aです。

病院食と刑務所の食事の比較について述べてあるサイトがありました。

http://www.bnn-s.com/news/07/03/070328121205.html

>刑務所の一食は副食費で422円(平成16年度)だ。主食は米7、麦3の割合で出所する時には太って出る人もいる様子。
>
> それに比べて精神科の入院食は主・副食の材料費が朝、昼150円程度、夜でも180円ほどで、何でも食べさせている。ある給食受託業者は、業者名を付けた米を使用している。その中身は、“くず米”、“犬米”などと呼ばれ、10キロで1,000円以下の代物。

病院に入るより、刑務所のほうがまだまし?

スレ違いではありますが付言。

> 病院に入るより、刑務所のほうがまだまし?

待遇比較は、食事面だけでなく、総合的に判断しなければなりません。
ご指摘のように、衣と食は、昔に比べてすいぶん改善されています。
住環境は、最近の刑務所は過剰収容なので劣悪です。雑居室の定員オーバー(6人部屋に8人入れる)はまだ何とかなりますが、3畳ほどの独居室に2人入れられるのはキツイ。喧嘩になると止める人も逃げ場も無いため、殴り合いで死人が出たという悲劇もありました。

健康衛生面については、シャバで不摂生な生活をしていたときより、良くなる人もいます。
私が見聞した例では、
拘置所で裁判を待つ間に、覚せい剤を切って、栄養管理の行き届いた食事と、適度な運動を含む規則正しい生活により、健康を取り戻すことができ、更生にも役だっていると言えます。

しかし元々病気持ちの人にとっては、刑事施設の医療アクセスの悪さは、厳しいかもしれません。
医療刑務所というのがありますが、定員が限られるので、ちょっとやそっとの病気では入れてもらえません。実のところ、あそこには末期癌の人しか居ないと言われています。
一般の刑務所では、普通は内科医が常勤で、その他に月1回くらい回って来る非常勤の精神科医や歯科医が居ます。診察希望者が多くて、医師は大変多忙です。
医師の診察を申し出ると、まず准看護師の資格を持った刑務官が審査して、「詐病ではない」認定を受けなければ、医師に会わせてもらえません。
夜間休日など常勤医師が不在の時間帯は、死にそうなくらい具合が悪そうに見えたら、外部病院へ運んでもらえます。
一種のトリアージですね。
時々間に合わなくて死にます。判断するのが非医師たる刑務官なので、ミスはありうるようです。

刑事施設の医療は、保険適用外で国家が丸抱えしていますが、医療崩壊後のいわゆる「焼け野原」はこういう感じだろうかと、思ったりもします。

単純な疑問なんですが、ある意味犯行や経緯がはっきりしている単純で、かつ泥を被るのが判っている事件なのに何で21人も弁護人が関わっているんでしょうか?
弁護費用だって充分に支払われる可能性は低いんでしょ?最少人数で対応するのが普通だと思うんですが。

弁護士法1条。

採算の合わない仕事については、
弁護士の間で寄附を募って仕事をする弁護士に払うというよりも(謄写料や交通費などの実費を用意するのに寄附が必要な場合がありますが)、
まずは自らその仕事に参加して「労力」を提供すべしという考え方が主流です。

もし立場を変えて考えるなら、
医療事故関係でも、病院は記者会見にずらっと(と言っても数人か?)並びます。
その裏でマスメディア対応、苦情対応の数名事務員もいるかと思います。

で私がグループを組むなら、そして協力してくれる人がいるなら、〇件の総括(主任)、∋件検討の主力部隊、H鏥深埖弍、と鏥深圓硫搬佳弍、ト鏗下埖弍、Ε泪好瓮妊ア対応、О貳未らの苦情対応、相互の意思連絡役とその他諸々、に分けます。
,錬洩召箸靴董↓◆銑┐泙任各1名なら合計9名、各2名とすると15名になります。
△鉢Δ魍藤殻焦枌屬垢襪塙膩廝隠渓勝
ま、著名事件ゆえにボランティアも集まりやすく、21名までになった。

そんなに大勢でやる必要もないと言えば必要ないし、万全を期すならあり得ない数字ではないとも言えるし、精神的・金銭的支えの意味もあるでしょうから、よく分かりませんね。
ちょっとカサを見積もりすぎでしたかね?

>No.90 psq法曹様

>で私がグループを組むなら、そして協力してくれる人がいるなら、〇件の総括(主>>>任)、∋件検討の主力部隊、H鏥深埖弍、と鏥深圓硫搬佳弍、ト鏗下埖弍、>Ε泪好瓮妊ア対応、О貳未らの苦情対応、相互の意思連絡役とその他諸々、に>分けます。
>,錬洩召箸靴董↓◆銑┐泙任各1名なら合計9名、各2名とすると15名になります。
>△鉢Δ魍藤殻焦枌屬垢襪塙膩廝隠渓勝
>ま、著名事件ゆえにボランティアも集まりやすく、21名までになった。

 この布陣で組めればものすごいですね。

 ただ、私の実感では、多くの場合、
 〃沙担当 主任弁護士を含め3人
◆〇務局長(多くの場合、すべての仕事を背負い込む) 1人
 マスコミ担当 1人
がいれば、むちゃくちゃすごいです。

 もっとも問題は、個々の弁護士の能力です。ただ、これは、弁護士以外の人(あるいは弁護士であってもその弁護士を直接知らない人)だと、よくわからないでしょう。

 田中角栄元首相の事件でも、第一審の弁護人から、第二審の弁護人を変えていますが、これは、かなり前の事件ですので、私も直接知りません。

 私が見てすごいなと思ったのは、最近判決がでたルーシーさん事件の最初の3人の弁護人で、当番弁護の派遣事件でしたが、まさに、私が否認している被疑者、被告人になったらついてもらいたい人たちでした。もっともすぐ解雇されました。正直言って、解雇されて貴重な弁護資源のためにはよかったと思いました。

 安田弁護士については、直接の面識、事件等はありませんが、オウム真理教の教祖の事件の相弁護人数人の話では、能力的には卓越しているという評価です。

 そこらへんが、私のこの事件の弁護人の評価が甘くなる原因ではあります。

 


>L.A.LAWさん

 松本智津夫の公判のような特殊な事件の刑事弁護において「卓越している」という評価を受ける根拠はいったいなんなんだろうと興味があります。

>L.A.LAWさん
もちろん、目一杯広げてですから、その辺りは御勘弁を(汗)

>No.92 モトケン様

>松本智津夫の公判のような特殊な事件の刑事弁護において「卓越している」という評価を受ける根拠はいったいなんなんだろうと興味があります。

 私が聞いている範囲では、法廷における能力としては、尋問技術という点でやはりすごいということです(これについては、オウムの事件をずっと傍聴していた地下鉄サリン事件の代表世話人の高橋シズエさん、江川 紹子も同意見のようです)。

 上記の尋問の前提としての証拠の分析等がすごく、その能力で、各弁護士会から参加の形で、一体感がなかった弁護人団をまとめていたと聞いています。

 そこで、たしか、前記の江川さんなども、安田弁護士が逮捕され、オウムの裁判に参加できなくなって、より法廷がおもしろくなくなったと書かれていたと思います。

>L.A.LAW さん

 なるほど、尋問技術ですか。
 証拠の分析は的確な尋問の前提ですから、証拠の分析等がすごいというのは当然のことでしょうね。

 私は、反対尋問こそ、医師の皆さんが言われる医療の不確実性と極めて類似する不確実性の世界だと思います。

法律相談へ

ブログタイムズ

このエントリのコメント