医療側の皆さんはこぞって言います。
同じ病名でも患者によってその症状や治療方法は必ずしも同じでない
同じ患者に対する治療方針についても医師によって判断は異なる
これに異を唱える医師はいないと思われます。
そしてこのブログの常連法曹もそのことを理解していると思います。
少なくとも私は異を唱えるつもりはありません。
法曹が本来的に扱っている法律紛争も同じだからです。
最近コメントしましたが、法律上の争点が同じ事件でも、人(当事者だけでなく弁護士・検事・裁判官を含みます)が変われば解決方針が異なってくるのを身に染みてわかってますから、医療においても患者の個体差や医師の考え方の違いで当然治療内容は異なってくることは容易にわかります。
しかし、一部の医師は、医療については個別判断の重要性と必要性を声高に主張するにもかかわらず、司法については個々の事件の特殊性や法曹の個性を一切無視した発言をします。
大野病院事件を元にして、司法は検察はと言っていた医師は、富士見産婦人科病院事件における浦和地検の不起訴処分を見てどう思うのでしょうか?
あえて名指しはしませんが、一部の医師の方については自らのダブルスタンダードを自覚していただきたいと思います。
追記
エントリに対する投票状況を見てましたら、「町村先生へ (医療崩壊問題に関して)」に2票入ってました。
そのエントリで私は、
私のブログの常連さんについて言わせていただければ頭脳明晰で良識も常識もある方々です。 ネットでよく見られるステレオタイプの罵倒オタクではありません。
と書いています。
しかし、当時から医師の読者が増えてきたことの当然の結果として、マスコミ報道等によって形成された司法に対するステレオタイプをそのまま持ち込んでくる方が増えてきたのかなと感じています。
せめて投票されたエントリやコメントをこのページ経由で読んでいただいて、このブログにおける法曹の基本的スタンスを読み取った上でコメントしていただけないかなと思います。
一瞬、富士見産婦人科病院の事を話題にした医師に対する批判なのかと勘違いしました。
よくよく読んでみたら、「富士見産婦人科病院の様なケースでさえ、検察は不起訴にした」という趣旨の事をおっしゃりたいのですね。
まことに失礼いたしました
モトケンさま、ブログをずっと拝見していますが、医師側、法曹側ともに
経済学的なアプローチが欠如しているように思えてなりません。
前提として下記3点がきれいごと抜きで納得できれば、相互理解が進むように思えます
1.勤務医の年収は勤務時間が同じと仮定してもリスクが異なるので診療科によって異なるのが正しいのではないでしょうか。
具体的には
産婦人科の勤務医の年収=リスクフリーの医師の年収(保健所勤務など)+産婦人科のリスクプレミアム
眼科の勤務医の年収=リスクフリーの医師の年収(保健所勤務など)+眼科のリスクプレミアム
というようにリスク負担の大きな診療科の医師は、リスク負担を正当化するだけの収入が必要です。
2.経済学的には医師不足というのはあり得ない話です
提示される収入が多ければ、診療に携わる医師が増え、提示される収入が少なくなれば引退する医師が減るのは当り前の事です。
なお、収入の増加と提供されるサービスの増加の程度の比を所得弾力性と呼びます
3.司法には司法のロジックがあり、医者もこの司法のロジックにより裁かれる
さて、大野病院の件で産婦人科医の認識するリスクが増大したことは間違いがありません。
また、産婦人科が例えば眼科に比べ訴訟が多いことも間違いありません。
残念ながら、医療側勝訴の判例を出してもマクロ的には意味がありまえん。
したがって医療崩壊(医師不足)を防ぐ現実的な解決は下記の2つではないでしょうか
1. 産婦人科の訴訟リスクを減らす
2. 産婦人科のリスクプレミアムを増やす
ダブルスタンダードをやっちゃうときって自覚ないんですよねー人に指摘されてしまったって思うことしばしば。とある患者側弁護士さんが医師は素人の患者さんに分かりやすく説明し、理解、納得してもらうことは当然の行為としつつ裁判員制度でやってくる素人に法律を説明し理解、納得してもらうことに否定的な意見を述べられていたのを思い出します。指摘したらあなたに答える法的義務はありませんといわれましたw
では、医療に対する患者のクレームと司法に対する医者のクレームは本質的に同じ部分から出ているということですか。なるほどなーちょっと目から鱗が落ちました。
>柳さん
司法に対する医師のクレームと、司法に対する警察のクレームも本質的に同じような気がするのですね
http://www.tokyo-horei.co.jp/shop/goods/10020/
警察の方がこのようなことを堂々と語るのは、危険かも知れませんが、医師の立場とも似ているように思いましたので、紹介させていただきます。
富士見産婦人科医の事件は、刑事不起訴になったのは間違いだと思っています
明らかな故意による傷害、しかも保険診療に対する詐欺も明らかです。
このような事例にきちっとした社会責任を負わせなかったことが、一般社会の憤懣を溜めることになったと思っています。
いろいろな揺り戻しがあることでしょう。
しかし司法から医療問題を解決しようとすると尻尾で本体を揺らすことになりかねません。
医療側にも、今の司法のあり方に憤懣が溜まってきています。
こじれている医療の根本問題は、実は司法でなく、やる気のない立法府、金を出し渋り、医療労働環境を改善しない厚労省はじめとする行政府にあります。(これも共通認識ですよね)
追加するとすれば、低レベルの煽動報道しかできないマスゴミの責任でしょうか?
富士見産婦人科と大野病院
時代の流れを感じます。
*)言い訳しながら、ダブルスタンダードの愚か者って、私?とビビッてますが・・・・
>Med_Law さん
しかし刑事が相当なのかと言えば、刑事では立件しにくかった事件かと思います。富士見産婦人科病院のケースが不起訴になったのは、刑事の限界であり、検察の限界であり、医療に刑事が馴染まないということでしょう
行政処分か、(懲罰的)損害賠償でしか争えないケースだとは思います。
富士見産婦人科事件のようなメチャクチャが不起訴で
大野病院事件のような不可抗力が起訴前提で逮捕と
大半の医師はその辺を問題にしているような気がする。
No.6 しまさんのおっしゃるように、刑事司法の観点
だけでこういうことを裁こうとすると無理がある。
モトケンさんの問題意識である
> 大野病院事件を元にして、司法は検察はと言っていた医師は、富士見
>産婦人科病院事件における浦和地検の不起訴処分を見てどう思うので
>しょうか?
という指摘の前提として富士見産婦人科病院事件は事実としてメチャクチャ
が行われていた、という事実がなければいけない。
富士見産婦人科事件について擁護する側のページには下のように
確たる証拠があって結局訴追できなかったような事が書いてある。
>この記述の通り、北野院長が埼玉県警、検察庁検事の鬼のような長期間の
>猛訊問に堪えて、真実を貫き通した精神力には凄まじいものがある。そして
>その説得力を支えたのが、子宮摘出手術全例の臓器保存と手術全症例の
>ビデオ撮影記録であった。
http://www.cminc.ne.jp/hitonowa/fujimi1.htm
富士見産婦人科事件が本当にメチャクチャだったのか本当に信頼できる資料
を持って話をしている人はここに何人いるんだろうか?
内部資料を目にできても、検察官には守秘義務があるし、担当検察官が
ここで発現するなどありえないですから、ここにいる誰もが、ただの伝聞
や週刊誌の記事程度のソースで勝手にそう考えているということを延々と
ぶつけあっているだけなのではないでしょうか。当時のマスコミの状況は
まだ、記者の期待が事実として報道される状況にあったのはみなさんが
広くご存知の通りですよね。(文化大革命やポルポト、北朝鮮に関する
報道について少し思い出してみましょう)
>とおりがかり さん
このエントリにおける私の問題意識は、一部の医師のダブルスタンダードであって、そのためには大野病院事件は起訴され富士見産婦人科病院事件は起訴されなかったという事実を指摘すれば十分です。
>という指摘の前提として富士見産婦人科病院事件は事実としてメチャクチャが行われていた、という事実がなければいけない。
という必要はありません。
「富士見産婦人科病院事件は事実としてメチャクチャが行われていた、という事実」があろうとなかろうと私の問題意識は成立するのです。
一部の医師は事件が違えば検察の判断も異なるという当たり前の事実を無視する、ということを私は指摘しているのです。
私はこれまでトピずれコメントに寛容でしたが、このエントリでトピずれコメントはやめてください。
富士見産婦人科病院事件自体を問題にするなら別のエントリでやってください。
N03.柳さんへ
<とある患者側弁護士さんが医師は素人の患者さんに分かりやすく説明し、理解、納得してもらうことは当然の行為としつつ裁判員制度でやってくる素人に法律を説明し理解、納得してもらうことに否定的な意見を述べられていたのを思い出します。指摘したらあなたに答える法的義務はありませんといわれましたw>
これって私のことでしょうか?
もし、そうなら誤解されています。
病院と患者との間には診療契約が成立しており、病院には患者に対して診療契約上の説明義務があります。そして、その病院に雇用されている医師にも説明義務があります。
しかし、ブログの管理人には、コメントで質問してくる方々に対して回答する義務はないということを申し上げたにすぎません。裁判員制度についていえば、この制度を設けた国、運営する裁判所に説明責任があるでしょう。
実際にも裁判所のHPにQ&Aがあります。もっと詳しく知りたいという方のために、本当は裁判所のHPが質問欄を設けて一つ一つ回答すべきだと思います(実際には無理でしょうが)。
> No.2 開業医さん
おそらくそのことはここの常連さんはみんな理解していると思います。
ただ、そのリスクプレミアム、リスクファクターをコントロールできる立場の機関に全く期待が持てないため、ここであーだこーだ言ってるんです。
さて、ダブルスタンダードについてですが、特殊性や個性を無視した発言をするのは、裏を返せば相手に「事象の一般化」を求めているということではないでしょうか。
リスク勘案をするためには、「これこれが起こる確率が何%あって…」という計算をしなければなりませんが、それが計算できる材料をきちんと提供しているのかどうか。
個人でこのようなデータを出すことは不可能でしょうが、統計的な研究を行っている人、機関が必ずあるはずです。
こういう信頼ある情報を出し合わないと、クレームの元となる「不信感」は拭えないのではないかと思います。
なお、信頼できる情報は統計の元となる母集団の実数が確認できるデータで、実数ではなく割合しか書かれていない情報は信用に値しないと思います。
実際にどうであるかは別として、患者から見て医師と患者は対等の関係「ではない」とみなされています。受けた医療に事実ミスがあるなしに関わらず死ぬのは患者であって医師ではありませんから。
その意味で患者は自分たちに課すレベルより高い水準の要求を医師に対してする傾向にあり、社会もそれを是認するのが通常です。一例を挙げるならばマスコミは医師叩き報道は好んで行いますが、患者叩き報道は滅多に行いません。
同様に医療側から見て司法と医療が対等の関係ではないとみなされていることからすれば、両者に対する要求水準に「ダブルスタンダード」が存在することは感情論的にはごく当たり前のことだと思います(それが正しい、正しくないは別として)。
つまり、同僚が飲酒運転で捕まるのと警察官が飲酒運転で捕まるのとでは同じ飲み会のネタにするにも盛り上がり方が違うだろうことは世の常であるということです。
その違いを自覚した上で、少なくとも担当した患者に対しては職業人としてそれなりに誠実であろうと努めているつもりです。少なくとも自分は。
しかしこの場合、おおむね80%程度の医師により支持されれば問題ないと司法の側から示されております。
この場合、どの程度に異なってくるものなのでしょうか。おおむね80%程度の弁護士や検事や裁判官は同じ意見を持つものなのでしょうか。そこが分からないから医師側もいらだつのだろうと思います。
No.11 bg(般)さんに先を越されていましたね。
極論になってしまいますが、どの業界でも内部の人の視点と外部からの視点は 違ってきてしまいます。その意味でダブルスタンダードは避けられないものと考えた ほうがいいというのが私個人の意見です。
ただ、司法に携わっている方に忘れて欲しくないのは、司法の場では、特に検察と 裁判官は我々が選ぶことができない、ということです。
医療であれば、患者さんは自分が受ける医療が気に食わなければ他の病院に 行くことができます。最近はセカンドオピニオンと言うことでそうした行動が奨励されて さえいます。でも、司法の場では、刑事裁判の被告になったとき、あるいは民事で 訴えられたときに検察官や裁判官を選ぶ権利はありません。
司法の場というのも人間を相手にする場ですからアプローチに違いが出てくるという のも理屈としては理解できます。でも、裁判官や検察官を選ぶ権利はこちらにはありま せんから、自衛のためには「自分にとっての最悪の裁判官や検察官が担当したらどう なるか」を考えざるをえません。司法関係の大多数の方々がどう考えているかに 関係なく、「こんな事例で立件した検察官がいた」「こういう判決をした裁判官がいた」 というだけで十分なのです。
司法と医療のように異なる業種で互いに理解していくためにはどうすればいいか、 という点からすると、ここのような場所での議論は非常に有益だと考えます。バック グラウンドが違うのだから最初は意見が違って当然です。その差を埋めていくには 率直な議論しかないかと。
今回のトピックでちょっと不満なのは、モトケンさんの不満がいまいち理解しにくい こと。医師側とされる投稿のどの部分がおかしいと思うのか、もっと具体的に議論して もいいのではないかと思います。
No10M.Tさん
ご趣旨は分かりました。んじゃこういうことですね。
裁判所に説明責任があるのに実際には無理。説明責任を果たすのが無理な裁判所が判決で医師に説明責任を要求するのはダブルスタンダード。これでいいのかな。
結局、医者が司法に怒りをぶつけるのはブログで書いておられるように第二段階、怒りの時期にあるからでして、司法に怒りをぶつけてもどうしようもないことがわかればすぐに涅槃になります。
No4しまさん
おもしろいですね。二つの真実の衝突ですか。警察側の主張にすごい共感を覚えますが裁判所の主張もわかります。裁判官は、「疑わしきは被告人の利益に」だから無罪にする。他方、警察官は、疑わしきは疑わしいから捜査するのである。この部分とか決して並び立たないでしょうね。
NO.17 柳さんへ
あまり他人のブログでこういう議論はしたくないのですが・・・。
<裁判所に説明責任があるのに実際には無理。説明責任を果たすのが無理な裁判所が判決で医師に説明責任を要求するのはダブルスタンダード。これでいいのかな。>
私のスタンスは、国民一人一人が刑事裁判を理解するのは本当に難しい(光市母子殺人事件の世間の反応からも明らか)、それをいきなり裁判員になって裁判官と一緒に裁判をせよというのはもともと無理、裁判所も国民に一から説明して理解を求めるのは無理、そういう無理な制度には反対
ということです。
しかし、裁判員法は、国民の代表者たる国会議員が可決して既に制定されてしまっている。このままでは、国民も従わざるをえないし、裁判所も協力せざるをえない(実際には多くの裁判官が反対だと思います)。
このような裁判員制度に賛成だという方々は、裁判所からの説明が足りないならば、自分たちの代表者が決めたことだから、自ら勉強する責任もあると思います(たとえば刑法や刑事訴訟法の教科書を読むとか)。
これは医師の患者に対する説明責任とは全く別の問題だと思います。
モトケンさんがこのエントリーを書かれた意図は理解しているつもりです。その上で書いていることはご承知おき下さい。
私はダブルスタンダードそのものがそれ程悪いと思っていません。むしろ世の中はダブルスタンダードを上手く使うことで成り立っているとさえ思っています。なので、ダブルスタンダード即悪という意見には同意しません。ダブルスタンダードだと決めつける中には、全く異なる事柄に対してある属性や一面だけを取り上げて同一の基準を求めてしまう弊害もあると思います。
医療者が法曹に対してダブルスタンダードになるにはそれなりの理由があります。言い尽くされたことですが、プロスペクティブな判断とレトロスペクティブな判断は評価が違うということです。医師の判断でも、CPCなどのレトロな検討においては、その時にすべきだったことに関して意見が統一される傾向があります。少なくとも、「その場の判断」よりはバラツキが減ります。十分に時間をかけることができる司法と、短時間で判断が要求される医療では、許されるバラツキの範囲がその大きさにおいて全く異なると考えます。素人考えで申し訳ありませんが、司法判断においてバラツキを減らすことは最大の目的の一つではないのでしょうか?司法関係者の口から、「人が違えば判断が違うのは当たり前」というのは開き直りにも聞こえます。医療でも「標準化」は重要ですが、あくまでも示標に過ぎません。「標準」に拘り過ぎた硬直した医療は害にすらなる場合があります。医療において肝心なのは隣の患者さんの治療が上手く行くことではなく、自分自身の病気が治ることです。司法判断では、自分に対する判断と隣の人に対する判断が異なることは、個々の判断の妥当性以上に問題だと思います。
また、医者の判断には結果という審判が下る場合が多く、これ自体フィードバックになりますが、司法判断においてはフィードバックが少ない様な気がします。したがって司法に対する外部からの批判は医療以上に重要ではないかと思います。これらが、今ざっと思いつくダブルスタンダードの理由ですかね。
なお言葉の綾かもしれませんが、
「一切無視した」が本当であれば、それは明かな間違いであると思います。「より厳しい」と言った程度問題であれば、中には妥当な主張もあるのではないかと思います。
No.17 柳さま
No.10 M.T.さまがおっしゃりたいことは、
・契約関係があれば説明義務がある が、契約関係がなければ義務まではない。
ということだけであって、それ以上でも以下でもないと思います。
医者−患者、弁護士−依頼者 は、契約関係にあります。
(意識不明で担ぎ込まれて契約ではなく事務管理で診た、という例外事案はここでは触れません)
医者は自分の患者に、弁護士は自分の依頼者に対して、契約上、説明責任があります。
しかし、契約関係にない間柄では、説明を要求する 権利 はありませんから、説明してもらえなくても仕方がないことです。自分と契約していない余所の医師、余所の弁護士に突撃質問しても、「あなたに答える法的義務はありません」と言われて答えてもらえないことのほうが普通でしょう。
だから、
> ブログの管理人には、コメントで質問してくる方々に対して回答する義務はない(No.10 M.T.さま)
例えば、このブログでモトケンさまに向かって、裁判所ではどうしてこんなトンデモ判決がでるんだーとか、あの事件の弁護人はなぜそんな変わった弁護をしているのだーとか、詰め寄るほうがおかしいのであって、
そんなのここで答える義務はありません、聞きたければ当事者に聞いてちょうだい、ということになります。(ここで質問したら、義務はないけど厚意で答えてくれる人も居るかもしれない、というだけです。)
医師が主宰するブログで、私の癌が治らないのはなぜだー医療過誤じゃないのかと聞かれても、そんなのワシは知らんがな、と言われてしまうのと同じことです。
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> 裁判所に説明責任があるのに実際には無理。説明責任を果たすのが無理な裁判所が判決で医師に説明責任を要求するのはダブルスタンダード
これは論理が飛躍しています。
説明をすべき根拠も、説明内容も、相手方も違います。
「ダブルスタンダード(二重基準)」とは、同じ根拠に基づいて同じ内容の義務を要求すべき場面なのに、相手によって要求内容(許容度)を変えるということです。
福島大野病院事件:国民→福島地検 「医療で生じた悪い結果を犯罪とみて起訴するな」
富士見産婦人科事件:国民→浦和地検 「医療で生じた悪い結果を犯罪とみて起訴せよ」
裁判所が裁判員に対して司法制度を説明すべきであるというのは、国の制度運営の責任者であることからくるものであって、契約責任とは別次元のものです。
例えば、厚生労働省が、保険診療制度について医師に説明して、レセプトを出してもらうというのは、制度運営責任の一種といえます。
私は、モトケン先生の仰ることに素直に納得します。
少なくとも議論の前提として、現実にそこに個人による考え方の差があり、それは人間として、あるいはシステムとして避け得ないものならば、それを踏まえた話をするべきかと思います。
私達医師が「そんな苦情言われたって、現実的に、医師は個々がベストと思うことをするしかなく、何をベストとするかは人によって、ケースによって差があるものだ、それを無視しないで欲しい」としか言いようのないことがあるならば、司法の立場にある方々の同じ意見は尊重すべきかと。
逆に、医療の側も個々の差を論じるべきではないとするなら別ですが。
議論の場において、ダブルスタンダードを認めてしまえば、相互理解の道は遠ざかるばかりかと思われます。
誰しも感情はあるのですから、一方的に現状にそぐわない厳しい基準を押しつけられた方は、相手のために何かしようという気持ちが激しく萎えるのは、我々も経験済みだと思うのです。
医師だってトンデモ医師はいますし、あるいは一見トンデモに見えても、実は難しい背景がある場合もあります。
なのに、それらを一緒くたにして、その一部を基準に全体を論じられたら腹が立ちます。
同じことを、司法の世界に対してしないようにという、それだけのことではないでしょうか?
個々が、個別の判例について不快に思うのは自由ですが、それを全体への評価に広げてしまって議論しても建設的ではないだろうと考えます。
医師が耳にする判例は、全体の極一部であり、実際の司法の現場がどうであるかは、なかなか触れる機会はありません。
必然的に、医療に対する国民と同程度に、報道から受けるイメージ以上の司法についての情報は、医師は知りにくくなります。
ならば、報道されない部分はこうなのだと現場を知る方々が仰るなら、いきなり反発するのではなく、冷静に耳を傾ける姿勢は必要でしょう。
それがなく、こちらはこんなに困ってるんだからしようがないだろう!と一方的に叫ぶだけならば、報道のイメージに縛られて、医師の説明を、個別の報道記事を元に全部否定する人と同じになってしまいます。
No.21 猫医者 さんのコメントに同意です。
個別性と一般性について、極端な考えを突き詰めれば、「すべての事象(医療・判決など)は、人、時間、状況など個別性があるので、一般化して考えることはできない」「すべての事象には何らかの共通点があるのだから、その共通点でくくれば、一般化が可能である」となり、この二つの見解は、「なんか違うなあ〜」と皆さん思うのではないでしょうか?
では、どの「程度」の割合で、個別性と一般性を組み合わせるかが、とても難しいところなんでしょうね。一概には言えない。
ただ、私もこのブログで医師の先生方の話を聞いていると、さまざまな事象の中で、医療行為は「より」個別性が強いものだと言う認識を持ちました。時間の制約、人体の構造の複雑さ、医療の高度化による専門分野の細分化、当該医師の経験年数等(もっとあると思いますが)で、個別性がとても強い。
私も、感覚的にはそのことはわかっていたつもりですが、このブログでの議論で改めて認識したつもりです(まだまだという声も聞こえそうですが)。
そのことを前提として、司法の側について述べさせてもらいます。
(内容について、誤った見解がありましたら、法曹の先生方、訂正をお願いしますm(_ _)m)
No.19 ヤブ医者(医師)先生
>司法判断においてバラツキを減らすことは最大の目的の一つではないのでしょうか?司 法関係者の口から、「人が違えば判断が違うのは当たり前」というのは開き直りにも聞こ えます。
「最大の目的」ではないですが、目的の中の一つであることは確かです。先生は、症例の場合のレトロとプロス(略)との対比をされ、司法が「十分な時間がある」と言われています。この対比を使わせて頂くと、現在の医療訴訟はまさにプロスペクティブな判断をしている真っ最中なのです。
判決の評論を法曹が行う際に、その判決例で新しい問題点が出てきたときは、常套文句として、「更なる判決例の集積が待たれる」で締めます。以前に法曹の先生方から、何度も話が出ていたと思いますが、医療訴訟は今、判決例が集積されているいわば発展途上の訴訟なのです。
これも以前に話が出ていた交通事故訴訟について、昭和40年代後半から50年代にかけて多数の判決例が集積されました。これにより、「類似」(「同一」ではありません)の交通事故には「類似」の判断が、事前にある程度できるようになりました。
残念ながら、医療訴訟は、まだ類型化できる段階に至っていないと思われます。その意味で、医療訴訟の判決例について「レトロな判断」(例:「藤山さんの判決は、今から考えるとおかしいよね。この類型の訴訟であの判断はないよね」など。あくまで例ですよ。)ができない状態である(と私は考えています)。
判決例の集積中であるばかりに、多額の損害賠償を命じられることに憤りをもたれる医師の先生方のお気持ちはよくわかります(わかっているつもりです)。その部分は、適正な判断ができるよう司法の努力を促す医療の側の要求を、司法は真摯に受け止めるべきだと思います。
しかしながら、医師の先生方には、やはり司法の個別性を理解していただきたいのです。先ほど、交通事故訴訟の類型化について述べました。たしかに、類型化することにより、大幅に訴訟は減りましたが、東京や大阪の裁判所には、交通事故専門部があるほど、今でも大量の交通事故訴訟があります。それは、結局のところ、いくら「類型化」しても、「同一の交通事故」というものがない以上、やはりそこに紛争が生じ、その紛争を司法は解決していかなければならないのです。
>司法に対する外部からの批判は医療以上に重要ではないかと思います。
とのことですが、複数の判決例があり、その判決例が「類似」している事例なのに、違った判断をしているということでしたら、それは批判されるべきものだとおもいます。しかし、「類似」しているかどうか判断できないのに、「自分の判断と隣の人の判断は違う」と批判するのはどうでしょうか。「隣」ではなく、日本からはるか離れた外国の人と比べているかもしれませんよね。
少々忙しくて数日ぶりに訪問してみれば、モトケンさんの厳しい言葉が飛び込んできました。法曹の方々はいつも冷静でなければ務まらないと思っていたので、このエントリ冒頭の文章に込められた激しさに一瞬たじろぎました。
私もNo.21 猫医者 さんのコメントに同意です。
モトケンさんなり他の常連の法曹メンバーが常に感情を抑えて理性的に説明し、意見を述べられている姿にいつも感服しています。このブログで発言されている法曹の方々の見識と誠意溢れる姿勢は、法務業の一員として見習うことばかりです。
そうは言っても、法曹人の全てがこのブログのメンバーのような人々でないことも事実です。私が知っている弁護士の人で、常に一段高いところから他人を見下すような物言いをされるので不愉快な思いをするする人が居ます。ですが、その方は多分ブログなどに発言するようなことはないと思いますし、モトケンさんやこのブログの常連メンバーとは違うタイプの人間のはずです。(という印象ですが・・・)
私たちこのブログ参加者は、当ブログ内の法曹の方々の発言が「法曹界の総意であり、法曹界を代表する発言ではなく、あくまでも医療問題に関心高いボランティア的な一個人の発言である」ということをわきまえて、十把一絡げ的な理屈にならないよう気を付けるべき、と思うのです。
>5,24
の方々に同意です。ダブルスタンダードは極力失くすべきであり、少なくとも医学会全般では治療方針に関し、学会のガイドラインというものが出来つつあります。
従って、今後は司法の世界においても富士見病院のようなケースを不問に付しては欲しくないと思います。
>No.13 うらぶれ内科さん
>おおむね80%程度の弁護士や検事や裁判官は同じ意見を持つものなのでしょうか。そこが分からないから医師側もいらだつのだろうと思います。
これも医療現場と同じじゃないんでしょうか。
医療現場においても、100人に医師のうち98人くらいは同じ診断をする典型的な症状もあれば、80人くらいは同じ診断をする症状もあれば、何通りもの診断がなされるややこしい症状もあるのではないですか?
法律的な事件も同じです。
この点については、No.23 nuki さんのコメントを参照してください。
以前に司法側から医療側に対して、医療側としての統一見解が出ないのかという問いがありましたが、それに対する医療側の回答を思い出していただきたいと思います。
このエントリで私が言いたいことは、 No.21 猫医者 さんのコメントで尽きています。
猫医者さんのコメントを理解していだける人に対しては以下の私のコメントは蛇足です。
蛇足ですが少しコメントしてみます。
猫医者さんのコメントを理解できない人に私のコメントを理解してもらえるとは期待していませんが。
>No.15 都内病院勤務医さん
>その意味でダブルスタンダードは避けられないものと考えたほうがいいというのが私個人の意見です。
現実問題としてダブルスタンダードの持ち主がいることはこのブログを見てもわかります。
そういう人がいるからこのエントリを立てたのです。
しかし、現実に存在することがその存在を正当化する理由にはなりません。
論理的思考においては、本来ダブルスタンダードはあってはならないことです。
私がこのエントリで言っている「ダブルスタンダード」を言い換えますと「ご都合主義」ということになります。
私は、人がダブルスタンダードい陥りやすいということを前提として
>>自らのダブルスタンダードを自覚していただきたいと思います。
と言いました。
「自覚していただきたい」というのは、自らのダブルスタンダードを克服する努力をして欲しいという意味です。。
言い換えれば、司法を理解する努力をして欲しいということです。
このブログでは、相互理解のための議論がこれまで繰り返されてきたのです。
そのような議論を読まずに又は読もうともせずに、自分のそれまでの(たぶんマスコミ等による)情報だけを元にして、「司法とは所詮こうだ」という発言をする医師が散見されるのです。
たしかにこれまで積み重ねられたこのブログのコメントの数は膨大です。
読む気にならないのはわかります。
ですから、私はブログの検索機能を強化したのです。
投稿者の情報検索を使えば、特定の参加者のコメントを検索することができます。
その全てを読まなくても、いくつか拾い読みすれば、その参加者が今までどのようなスタンスでどのようなことを発言してきたかわかるはずです。
最近ハンドルネームに自分の立場を付記することが多くなっていますが、「YUNYUN(弁護士)」さんを例にあげれば「YUNYUN」で検索すればYUNYUN(弁護士)さんのすべてのコメントを拾い上げることができます。
この程度の努力もしないで、十把一絡げで「司法は」というのは、これまで議論を積み重ねてきた司法側医療側双方の多くの人に対して失礼と言ってもいいのではないでしょうか。
No.26 モトケンさん
>医療現場においても、100人に医師のうち98人くらいは同じ診断をする典型的な症状もあれば、80人くらいは同じ診断をする症状もあれば、何通りもの診断がなされるややこしい症状もあるのではないですか?
そのとおりです。しかし司法と決定的に違うことは何通りもの診断がなされる場合には決してひとつの診断を選択しないことです。少なくとも多数決で診断を決めるなんてことはありません。あらゆる可能性を残しながら治療を進め、その結果が患者さんの転機となって出てくるわけです。最後まで診断できないことだって少なくありません。司法が最終的に選択した判断というのはどれだけ普遍性があるものなのでしょうか。判例として蓄積するためには普遍性は欠かせないもののはずです。
> 以前に司法側から医療側に対して、医療側としての統一見解が出ないのかという問いがありましたが、それに対する医療側の回答を思い出していただきたいと思います。
交通事故にしろ、過失は道路交通法を基準に判断されるはずです。医療はどうなのか。今のところ道路交通法に相当するような法律はないはず(だと思います。)しからば司法は何を基準に過失を判断するのでしょうか。私は本来ならば医療水準に関する医療側の統一見解を出すべきであると考えます。しかしこのことは不可能とは考えませんが膨大な作業です。しかもこれはしょっちゅう時代とともに変わりうるものです。医学の教科書はある意味で統一見解です。定評のある医学の教科書だけを考えても量は相当のものです。実際の紛争は教科書レベルの話ではなく、紛争に対する判断ができるだけの統一見解は推して知るべしです。ですから、これは一学会や医師会のできるようなレベルではなく、国が相応の金と人をつぎ込んで研究機関を設立して、少しずつできるところから取り組むべき問題ではないかと思います。ですからこういうことをやらないのは行政の怠慢に帰着すると考えております。
ちょっと雑談っぽく書きます。
私がモトケンさん主催のここに惹かれる大きな理由のひとつは、実のところ モトケンさんの経歴、検事の世界を知っていらっしゃってそれを踏まえた発言を なさっていることだったりします。
そして、私が司法に対して不信感を持つ最大の理由は、検事の世界があまりにも 不透明であることです。いまだに「検察は無謬である」という建前を貫き通したいとしか 見えない。先日の鹿児島での事件をはじめ検察が犯した過ち(とされるもの)が いくつも指摘されているにもかかわらず。
不透明と思われがちな医療の世界ですが、明らかな間違いをおかした人を 学界や組織で排除するシステムは一応あります。旧帝大の大学教授という トップクラスの人を排除した例さえあるのです。でも、司法の場、特に検察で そうしたシステムが動いているのかどうか。ここので議論をいろいろ読んできましたが、 そのあたりが不明確なままです。検察では「間違いを減らそう」という自浄能力さえ 欠けているのではないかという疑念が生まれてしまうのです。
そうした考えもあって、モトケンさんのblogには注目させていただいております。
No18,20 M.TさんYUNYUNさん。
なるほど、ご指摘の点は理解しました。でも納得はしていないんですよねー医療にしろ裁判員にしろ、素人は教えてもらわないとわからないんで、結局わたしがほしかったコメントっていうのは制度がどういうものにしろそんなの絶対無理っていうんじゃなくて説明の努力をしますよという司法の言葉なんでしょう。
ああ、これって医療裁判で患者側がよくいう言葉とおなじですね。
トピずれの感がありますがレスします。
>No.28 うらぶれ内科さん
>しかし司法と決定的に違うことは何通りもの診断がなされる場合には決してひとつの診断を選択しないことです。
でも、治療方法は決めているんでしょ。
司法も一定の結論を出さなくてはいけません。
医療と司法は似ているところも違うところもあります。
どこが似ていてどこが違うのか?
これを理解する努力をして欲しいと言っているのです。
>交通事故にしろ、過失は道路交通法を基準に判断されるはずです。
これは誤解です。
道路交通法は交通業過の過失判断の基準にはほとんどなりません。
>No.29 都内病院勤務医さん
全くのトピずれですが
不透明というのはご指摘のとおりと思います。
しかし、自浄作用というか修正作用は働いています。
私が知りうる限りで書ける範囲でこれまで述べています。
決して十分ではありませんが。
ただし、このテーマはトピずれです。
このエントリで問題点をずらすようなコメントは控えてください。
別のエントリで書く場所があると思います。
それともダブルスタンダードの根拠が司法不信だと言われるのですか?
それなら責任転嫁です。
No.24の自分のコメントに追加です。
このブログでのモトケンさん他、法曹側の人々は個人の立場での意見表明であることを、その発言書き込みの文章の言葉の端々から読みとれます。
しかし、医師側の発言の中に「我こそ医療業界を代表して反論するんだ」あるいは「医療の世界の事情は自分こそが一番知っているんだ」といった無用の力みが感じられる発言があるのは残念です。では具体的にどの発言が、と問われても私の個人的な印象・感想ですが・・・としか言えませんが。
No.32 法務業の末席さん
それこそ、医療側の人間を苛立たせる要員なのではないでしょうか。
あくまで個人的意見。大局的な意見ではない、ということ。
誰も個人的な意見(言い換えれば未来の根拠となり得ない意見)は求めていないのです。
求めているのは未来の根拠となる般化された見解。
これを俗に『お墨付き』と呼ぶ。
でもお墨付きは法曹の鶴の一声で決まるものなのでしょうか。
医療側で決めたガイドラインや治療標準、こういったものの事例積み重ねから少しずつ出来ていくものではないでしょうか?
逆に法曹側は、裁判は個別事例という原則にこだわりすぎて大局的なリスク勘案を考えるための統計量を殺してはいないでしょうか。
>bgさん
むしろ逆でしょう。
あなたの文章の前半部の医療と法曹を入れ替えたテーマがまさに議論となっているのでは?
具体的にいえばあなたは個人の法曹に一般化された見解を求める一方で
>医療側で決めたガイドラインや治療標準、こういったものの事例積み重ねから少しずつ出来ていくものではないでしょうか?
と主張する。このエントリの問題提起そのもののミスをあなたは犯していますよ。
>No.21 猫医者 さん
私は画一的にダブルスタンダードが容認されるなどと主張しているつもりはありません。強いて言えば、許されるダブルスタンダードもあれば許されないダブルスタンダードもある、ということです。さらに付け加えると、ダブルスタンダードだという指摘が実は単なるレッテル貼りに過ぎない場合もある、ということです。
医療側の司法に対する不満の一つは、それが正しいかどうかは別にして、「司法判断はバラツキが大きいのに医療に対しては画一性を求め過ぎる、これはダブルスタンダードだ」、というものであると思います。
もともと医療における判断と司法における判断は対象も方法論も全く別であり、したがってその妥当性を検証する基準も全く別ものである筈です。この意味において、「ダブルスタンダード」になるのは必然だと思います。
もし共通の判断基準を作るなら、まず医療と司法の各々において許容されるバラツキの範囲を設定して、そこから外れたらダメという判断をすべきだと思います。これを考慮しない「医療も司法も同じだ」と言う主張こそ、
を無視していると思います。
この文章以下、書かれたことは私も当然だと思います。そして、そのご意見に反する主張をした覚えはありません。
>No.23 nuki さん
書き方が悪かったのは確かですが、私自身「最大の目的の一つ」と書いています。英語では、one of the most important things isといった類の言い回しは頻繁に目にします。これと同じ程度の意味と解釈して下さい。
申し訳ありませんが、これは試行錯誤しているだけであって、医療行為に対する司法の判断がレトロスペクティブであるという事実には変わりがありません。医療訴訟の有り様を実験的に検証している最中である、という意味で「プロスペクティブ」をお使いになったのかも知れませんが、判決の及ぼす影響や効果の検証もまたレトロスペクティブです。
私のコメントは、
というモトケンさんのお言葉に呼応したものであって、私自身の判断に基づくものではありません。また、「日本からはるか離れた外国の人」の事情など私はほとんど知りません。引き合いに出すなら何らかのレポートを根拠としますが、私はこの件に関して外国の例など出していません。
ついでに質問させて頂くと、nukiさんは司法判断のフィードバックとしてはどの様なものが実際にあるとお考えですか?
ダブルスタンダード云々については、モトケン氏の主張は
もっともだと思います。しかし、モトケン氏が自分の主張の正当性に用いた
「根拠」 については、少し異論があります。
1)医師が間違った判断のもとに治療し、それで患者の人生を狂わせてしまえば、
損害賠償・社会的制裁、場合によっては刑事訴追も当然だと思う。
一方、検察官や裁判官が間違った判断により被告の人生を狂わせた場合、
(例えば一審・二審で有罪、最高裁で無罪だった場合、司法における
無過失補償制度(?)で国が損害を補填してくれるようだが、)
少なくとも一審・二審の検察官や裁判官が、個人的に
損害賠償・社会的制裁・刑事訴追の憂き目にあうことは先ずない。
あったとしても、医師の場合の比ではない。
2)検察官にしても裁判官にしても、「法に照らして」というように、
基準となる動かしがたい法律がある。但し、○○年以下の懲役と
いうような場合に、個人差はあるだろう。しかし、少なくとも法律がある以上、
有罪か無罪か、起訴か不起訴に個人差があって良いのだろうか。
一方、医師には、そういう動かしがたい基準が、あるようで実はない。
同じ検査データー、同じ所見でも、病気の原因が異なることはある。
レントゲンの小さな陰影所見一つとっても、判断に個人差はある。
患者に、ある病気に特異的なデーター・特異的な所見がみられた
としても、実際には、その病気でなく、別の病気ということだってある。
したがって、経過をみながら治療してゆく。その治療にしたって、
治療に対する反応は様々である。成書に記されているような
典型的な反応ではない。5年生存率50%とは言っても、
1年で死ぬ場合もあれば、20年生きる場合だってあるだろう。
すなわち、不確かさという点で、医療は司法の比ではない。
<結論>
「司法についても、個々の事件の特殊性や法曹の個性がある」のは
確かだと思う。しかし、それがために被害をこうむった者に対する
司法関係者の個人的責任の度合いは、医療と比べるとあまりにも軽い。
また、裁判が扱う事例は全て過去の事件だが、医療で扱う事例は
刻一刻と変化し、対応も刻一刻と変化していく。しかも、その核心は
データーや所見から確定できるものばかりではない。医療が扱う
個々の事例の不確かさは、司法と比べるとあまりにも大きい。
すなわち、医療と司法とは あまりにも同列ではないということを
前提の上で、最初の提言をして欲しかったということです。
No.36 ヤブ医者(医師)先生
たまたま起きていて、HPを見ていましたら、先生からのお返事がありましたので、レスさせて頂きます。
ただ、私と先生の議論は、同じような対比をしながら、微妙にずれている気がしますので(どちらが正しいということではありません)、うまくレスできるかどうかわかりませんが、よろしくお願いいたします。
>最大の目的の一つ
私は、英語が若干(?)不自由なので、もう一つニュアンスを掴みかねていますが、この意味は、「順位をつけることのできない複数の並列的な目的がある中の一つ」であるということでしょうか?
そうであるとしたら、「ばらつきをなくす」は違うと思います。
司法の最大の目的は「紛争解決」であり、紛争解決に資するため、法的予測可能性や公平性を保つ必要があり、そのために「類似の事例には同様の判断を行う」という要請があるものと理解しています。
>医療行為に対する司法の判断がレトロスペクティブであるという事実には変わりがありません。
先生が、どの点でこういわれているのか、よくわかりませんので、もう少し解説を頂ければ幸いです。
先の先生のコメントが、「個別の患者の診断→プロスペクティブ・診断結果を踏まえた症例研究→レトロ判断」と読めましたので、私なりの比喩で「個別の訴訟の判断→プロ(略)・判決例の批判的検討→レトロ」と対比させました。従って、
>判決の及ぼす影響や効果の検証もまたレトロスペクティブです。
も、判決例の検討で検証は行われております(それが十分であるかどうかは別問題です)
>外国の人と比べている
これは私の比喩のいたらなさでしたね。言いたかったことは、「隣(=類似)だと思っていたけど実は、外国(=事例が異なる)である可能性もあります」ということです。極端な言葉を出してしまい、混乱させて申し訳ありませんでした。
>ついでに質問させて頂くと、nukiさんは司法判断のフィードバックとしてはどの様なものが実際にあるとお考えですか?
先ほども少し申し上げましたように、判決例の批判的検討により、一定の判決の影響や効果についての検証はされています。また、大学教授・実務家による「○○学会」の中で、その学会に関係する最新の判決例の研究などがなされているようでうす。また、学会だけでなく、裁判所が主体となって、例えば医療訴訟の問題点、改善すべき点などを、「審議会」「協議会」など開催しています(この点については、「医療崩壊について考え、語るエントリー」の2〜5のあたりで、しま様やan_accuesd様が紹介されています。)
では、それで十分か?と言われると、確かに心もとない部分ではあります。以前に、僻地外科医先生だったと思いますが、ご指摘がありましたように、裁判所の判決例がすべてネットで公開されていないということもあり、事例の集積の程度について、(特に医療訴訟のような、私の認識では発展途上の訴訟では必要性が高いと思われます)十分ではないように思います。
この点も含めて、判決例のフィードバックの方法論について、司法も改善すべき点が多いと思います。No.33 bg様からも、「司法は具体的個別判断に拘泥しすぎる」というご指摘がありましたし、制度上の制約があるにせよ、与えられた制度の枠内で改善すべき余地があるとおもいます。これまでなされてきた他にどんな具体策があるのか、これから私自身も考えてみたいと思います。
No.31 モトケンさん
>でも、治療方法は決めているんでしょ。
ですからひとつに決めることはせず、診断が絞れないときには考えられる可能性を考えて複数の治療をすることはよくあることです。副腎皮質ホルモン剤と抗生物質というような相反する作用のものでも同時にやることは結構あります。
交通法規の件了解しました。
No.38 nuki さん
徹夜でお仕事でしょうか?お疲れ様です。ご丁寧なレスを有り難うございます。
さらなる舌足らずで申し訳ありません。要は単なる枕詞で、「重要な目的の一つ」と書くのを大げさに書いてしまっただけ、という意味です。あくまでも医療との対比で書いていますが、医療でも「標準化」は重要なテーマですから、差別化したいという気持ちが大げさな表現になりました。
nukiさんには不必要な説明も多くなると思いますが、一般の方も読まれていると思いますので、少々冗長に説明致します。
まず医療における「プロスペクティブ」と「レトロスペクティブ」の区分けですが、本来は臨床研究のカテゴライズに使用される概念です。まず仮説を立て、それを検証するために現在から将来にかけてデータなどの情報を収集する研究がプロスペクティブ研究です。そして、現在から過去に遡ってデータを収集する研究がレトロスペクティブ研究です。例えば新薬Aとこれまでの薬Bの薬効や副作用の違いを調べるとします。プロスペクティブ研究においては、治療対照群を無作為に二群に分け(と言っても年齢・性差などに大きなバラツキが出ない程度には調整する場合はあります)、患者も治療にあたる医師もどちらの薬を使用しているのか判らない状況を作ることが出来ます。効果・副障害などに関して、自学的にも他覚的にもバイアスの少ない情報が得られるので、研究としての信頼度は高くなります。一方、既にある程度臨床例が蓄積された段階で、Aで治療した患者とBで治療した患者のデータを比較・分析する研究がレトロスペクティブ研究になります。信頼性はやや落ちるものの、大規模調査が可能、その割にコストが低いなどのメリットもあります。
誰が言い出したのかは知りませんが、この「プロスペクティブ」と「レトロスペクティブ」が医療と司法における判断の対比に使用される様になりました。医者の中には「医者の判断は常にプロスペクティブ」などと言う方もいらっしゃいますが、事実は違います。例えば発症から14日で治癒したケースを考えると、第7病日における医者の判断には、第6病日までの経過・医療行為の結果をレトロスペクティブに判断することも含まれるからです。しかし治療経過中の判断ですから当然前向きでもあります。したがってプロスペクティブな要素も含まれます。「症例検討会」などにおける判断は基本的にレトロスペクティブですが、治療継続中の患者がその対象になった場合にはその後の方針に影響を与える意味でプロスペクティブな要素が含まれます。これがCPCになると、亡くなられた患者さんの検討ですから、今後の治療はありません。したがって純粋にレトロスペクティブです。
しかし、CPCの場合においても、これが蓄積されて将来新たなる分析や知見に寄与する可能性があるという意味では、プロスペクティブであるとも言えます。ただここまでプロスペクティブの意味を拡大してしまえば、医療に関わらず我々の行為は将来に対する何らかの影響を持つという意味で、全てプロスペクティブということになってしまいます。これではプロスペクティブという言葉を使用する意義はありません。あくまでも程度問題として、プロスペクティブな要素が大きいとか重要である場合にプロスペクティブであると称するのだと思います。
医者が「プロスペクティブな判断」という場合は、治療経過中でまだその最終結果が出ていない場面での判断を指す、とお考え下さい。特に我々が強く意識しているのは、初診時の判断や緊急性を要する不測事態における判断です。情報が少ないとか、せっぱ詰まっているとかの状況における判断ですね。
医療訴訟における司法判断は、原則的に治療行為が終了し、死亡とか障害が残ったなどの結果が出た後の判断だと思います。この意味においてCPCと同じことであると思います。即ち純粋にレトロスペクティブな判断であるということになります。したがって、nukiさんがお示しになられた図式
は私には(おそらく我々には)ピンときません。判決例の批判的検討はCPC症例を集めて行う事後的研究と同じであり、
「個別の訴訟の判断→レトロ」
という図式しか頭に浮かびません。
フィードバックに関しては、解りやすい説明有り難うございます。
>No.35 ヤブ医者(医師) さん
先の私のコメントは、特にヤブ医者さんのコメントに対したものではありませんが、ご指名ですので、御返事を。
ダブルスタンダードは、容認される、されないに関わらず、時に存在することは事実です。
しかし、少なくとも、厳しい基準を相手に押しつけた方が、それを許されると言ってはいけないと思うのですが。
押しつけられた側が、それもやむなしと判断するなら仕方ないとは考えます。
私の主張は簡単です。
他人に厳しく、自分に甘く(ダブルスタンダードが問題とされるのは、つまりこういうことだからです)、少なくともそう見えると言われることは、互いに歩み寄ろう、相互理解を目指そうという目的意識があるなら、避けるべき、避ける努力をするべきだということです。
私なら、こういう基準でこちらを非難してくる人、しかもこちらの反論に耳を貸そうとしないで自分の要求ばかりを繰り返す人(念のため、ヤブ医者さんがそうだと言うのではありません)と議論を続ける気にも、その人の為に何か良い方法はと考える気にもなれないからです。
合目的的な行動は何かと考えるに、上記のような態度は無意味あるいは逆効果と考えます。
私自身、医療に対するこういった問題は不快と感じますので、同じことを他者にするのはよそうという主張です。
相手がやってるから、こっちもやるんだ、は問題が泥沼化するばかりかと。
検証する手法が異なることはあると思われますが、要求される厳しさ、言い換えれば、現実と理想の乖離の程度について、その難易度が異なってはならないと考えます。
現場の医師に、現状の医療行政では到底不可能と思われるレベルの要求をされることを拒むなら、他者に対しても、同じ難易度の要求をしてはいけないでしょう。
そして、それが厳しすぎる基準だと、行政やマスコミ、時に司法の意見に対して、医師が反論し、現場の意見を汲み上げて欲しいと願うなら、同じように、司法の現場の人間ではない医師も、司法の現場にいる方の意見を尊重すべきと思います。
医療に関しても、医師を責める人は、自分達が要求することが過大だとは考えていない訳です。
しかし、現場の医師からすれば、それは過大だと感じられる。
医療現場を最もよく知るが故に、過大だという主張に耳を傾けて欲しいと言いながら、司法の現場にいる方に対しては、その主張に耳を傾けない姿勢、これこそダブルスタンダードではないでしょうか?
つらつらと駄文を重ねましたが、最後にもう一度、上記でも、元のコメントでも、ヤブ医者さんがそうだという意図はありません。
私は、このトピの趣旨を、簡単に言えば、頼むから人の話を聞いてくれ!という、医療現場の人間がよく叫ぶのと同じように、モトケン先生の悲鳴と受け取りました。
なら、少なくとも私は聞く姿勢があります、理由は私なら聞いて欲しいからです、という意図でコメントしました。
それ以上に、特定の誰かを非難する意図はありませんし、このレスも、上記理由の補足でしかありません。
No.33 bg さん
すぐ次のNo.34 とおりすがりさんの言われるとおり、法曹の一個人である発言者に法曹界を代表する統一見解を要求すること自体が無理難題ではないですか?
ここのブログでの医療サイドの方々も個人の立場での発言でしょうし、医療の世界に関わる何百万人を代表する公式見解とは誰も思わないハズですが・・・。