犯罪被害者の訴訟参加制度創設の法案、衆院本会議で可決(asahi.com 2007年06月01日20時28分)
日弁連が反対している法案ですが、成立しちゃいそうです。
ググッてみたところ、法案成立を強く主張していた岡村勲氏がドイツの犯罪被害者の訴訟参加において、ドイツの法曹の意見を紹介しています。
双方に弁護士が付くから、感情的になったり、混乱することはない。混乱させたら裁判官の資質が批判される。裁判官は公平だから、過重な判決になることはない。被害者に訴訟活動させることは、真実発見にも、公平のためにも必要だ。
ドイツの法曹の本音の意見はどうなのかな、という気がしないではないですが、公式見解のようです。
「双方に弁護士が付くから、感情的になったり、混乱することはない。」とのことですが、訴訟制度の伝統も国民性も違う日本において、そううまくいくかな、という不安感は払拭しきれません。
「混乱させたら裁判官の資質が批判される。」とのことですが、これは日本でも妥当しそうです。
訴訟指揮を行う裁判長が相当苦労する事件が多いのではないかな、と無責任な心配を禁じえません。
ともかく、法案が成立したら法曹界としてはやって見るしかないのですが、以前にも述べたとおり、全国犯罪被害者の会の皆さんが期待するような法廷になるとは限らないと思います。
こんな光景が目前に迫っているのですね。。。
●医療事故と司法制度(刑事編) No.151 YUNYUN
http://www.yabelab.net/blog/2007/04/19-000137.php#c52572
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ドイツの刑事裁判について良く知らないので、詳しいかたに教えていただきたいのですが、
> 双方に弁護士が付く
とは、どういうやり方でしょうか。
被告人に弁護人が付くのは当然として、
被害者に専属の代理人弁護士のような人が付くのでしょうか?(ドイツの民事訴訟では弁護士代理人が強制されるそうですが)
それとも訴追検察官が、被害者の代理人を兼ねるのでしょうか?
日本の法案では、被害者は一人で法廷に立ち、自ら意見を述べたり尋問をするというスタイルのようです。
検察官は今まで通り、公益代表として訴追の任務が第一であり、被害者のお世話係ではありません。
従って、素人の被害者が刑事裁判の中で十分に自らの意を伝え、効果的な訴訟活動を行うためには、法的なサポートが欠かせないと思われます。
というより、むしろ、強制してでも誰かを付けないことには、ただ無意味に感情を爆発させるだけの「混乱法廷」を防止し得ないと考えます。
時事ネタ。刑事の。経由
提出時法律案
抜粋です。
昔々、罪を憎んで人を憎まずと教育を受けましたが、あれは同じ国の出来事だったのでしょうか。夢のような話(笑)。
ドイツでは、被害者にも弁護士が付きます(正確には付けることができます)。
法廷にも一緒に立ち会えます。
その意味では、改正案と同じです。
ところで、ドイツの法廷進行は職権主義です(日本から見た感覚ですが)。
まず起訴と同時に証拠書類を裁判官が見ることができ、その中から必要な証人や証拠を法廷で取り調べると考えたほうがよく、法廷審理の計画を立てると言ったほうが良いでしょう。
すると直ぐに「予断排除の原則に反するのでは?」という疑問が出されますが、職業裁判官は法廷で取り調べる前の証拠と、法廷で取り調べた証拠の峻別ができる(そういう訓練を受けている)ので、問題にならないと彼らは言います。
予断排除原則は素人である陪審員(米)や参審員に必要という割り切った考えです。
それで、実際の法廷では、まず裁判官が被告人質問をします。あるいは、証人尋問でも、まず裁判官が尋問します。(検察官や弁護士は補充質問ができると考えたほうが分かりやすい。当事者は楽です・・・笑)
それで、彼らは次のように言います・
1 英米の方法では、まず検察官や弁護士が尋問するが、裁判官・参審員が聞きたいことを質問するとは限らず無駄が多いが、ドイツの方法だと必要なことしか聞かないからむだが少ない。
2 強姦等の被害者でも裁判官がまず質問するので、英米のように証人が誹謗中傷される(と感じる)ような質問は出ず、補充質問で出ても裁判官が「必要なし」と言って止めるので、ドイツの方法は証人保護にも適っている。
こういうコンテクストでドイツにおける被害者の直接尋問を考える必要があります。
つまりまず被告人質問で裁判官がほぼ全容を聞き出してしまう。その後に、被害者が尋問するという順序になります(この点は実際には知らないが、たぶん間違いないと思います)。
裁判官の権威は高く、その訴訟指揮に従わないこと考えられず、しかも被害者にも弁護士が付いていれば、荒れるはずがない。
さらに、附帯私訴の件ですが、有罪になれば損害賠償命令も出ますが、無罪又は軽い罪になった場合、被害者は民事訴訟を別に提起することができます。つまり、刑事と民事では立証の程度に違いがあるので、刑事で無罪になっても、そのことをもって民事では振りに扱わないという制度です。
ついでに(興が乗ってきました)、日本のシンポジウムで「一般人が裁判官に説得される、意見を余り言わなくなるという弊害はないのか」と或る弁護士が質問したことがあります。
文化や制度が違うので仕方ないのですが、そのドイツの裁判官は「プロが一般人を説得できないならプロとは言えないのではないか。説得することがまるで悪いように聞こえたが、日本では悪いことなのか?」と言って、怪訝そうな反応をしていました(笑)。
要するに、裁判官vs一般市民(裁判員)と考えたのが質問者、裁判官+一般市民(参審員)と考えたのが回答者(ドイツ裁判官)だったのです。
要するに、公開法廷で参審員という一般市民に審理・証拠を見せて、透明性を確保した上で、裁判官とともに判断するというシステムと考えたほうが分かりやすい。
もちろん、少数意見制度はなく(連邦憲法裁判所のみあり)、評議の秘密は厳格であり、罰則もあります。
大雑把に、かつ大胆に書きましたが、伝聞が相当にあり、誤りの指摘をお待ちしております(ということは、全面的に信頼しないで、日本とだいぶ違うのね・・・という感じで理解する程度でお願いします)。
>psq法曹さん
詳細な説明ありがとうございます。
やっぱり強力な訴訟指揮とそれを尊重する伝統が前提にあるみたいですね。
日本で、被害者や遺族の質問を裁判長が制止したらどうなるでしょう。
聞きたいことを聞かせてもらえなかった、というか言いたいことを言わせてもらえなかったと思って、裁判所に対する不信や不満ばかりが残るような気がするのですが。
犯罪被害者であることは、確定的でしょうけれど、、、、
犯罪加害者かどうかは、裁判で認定し、『有罪認定されるまで、被告人は無罪推定が働く』という大前提はどうなってしまうんでしょうか?
犯罪者に対する国家権力による介入は、被害感情の応報のためでなく、公法として一次予防(他の犯罪の誘発を防ぐ)、特別予防(再犯を防ぐ)ことにあって、被害の救済を刑法で行うことは、国家権力による過剰な人権侵害に繋がると思うのですが?
一歩譲っても、被害者家族が介入できるのは量刑部分で、事実認定部分に介入させることは、冤罪を沢山生むことになるのではないでしょうか?(事実認定のための証人ということではないでしょうから)
それにしてもドイツの裁判官というのは、立派と言うかプロというか、文化が違うのでしょうね。
「和解技術論(著 草野芳郎)p39〜)」でも、
裁判の公開性の重要性、相当事者の配慮と言う点で、ドイツの裁判実態は参考になりそうですね。
論が公開され、相当事者の非難に遭っても動じないプロの気魄が感じられます。
感情と理性をキッチリと分ける西ドイツの伝統は、日本も学ぶ点が多そうです。
念のため、
No.6 Med_Law さまがご紹介いただいたドイツの裁判運営方法のことは、被害者参加制度の論点とは直接関係ありません。
民事事件における和解(調停、裁判上の和解、即決和解等)をどのような方法で行うかは、刑事裁判の運営とは別の問題であり、
被害者参加を認める場合でも、一般刑事訴訟と同様に、尋問や意見陳述が公開法廷において行われるという点では、「裁判の公開性、相当事者への配慮」はなされていると言えます。
スレ違いですが、和解の進め方について付言しますと、
交互方式か対席方式かという点では、日本は交互方式が主流です。
特に離婚事件などでは、夫婦を同席させるといっぺんにしゃべり出して収拾がつかなくなったり、声の大きいほうが他方を圧倒して言いたいことが言えなくなる等の弊害が考えられるからです。DVではその場で殴り合いにならないかという心配もあります。
これについては、最初は交互に話を聞き、論点が煮詰まって両者冷静になってきたら、対席させてもよいという考え方もあり、
調停運営をいかにするかは、今もいろいろな議論があり工夫が続けられています。
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被害者参加の問題点は、No.6の冒頭ご指摘のように、
無罪事件にあって冤罪を呼び、有罪事件においても罪刑の均衡を歪めるおそれがあるという点にあります。
・被告人に圧力を加えて、否認・正当防衛・減刑事由などに関する正当な法的主張をしにくくさせる
・裁判官や裁判員の心証に働きかけ、予断偏見を与え、重く処罰するようしむける(←被害者が手続きに参加したがるのは、まさにこの効果を狙ってのことです)
弁護士会の多数は、このような刑事弁護を侵害のおそれゆえに、被害者参加には反対しています。
一方、全国犯罪被害者の会の皆さんは、被害者が法廷で聞けば、被告人が恐れ入って自白し謝罪すると期待しているのかもしれませんが、
最初から認めている事件なら、公判開始前に謝罪するのが普通であって(弁護人を介して詫び状を送ったり示談したりします)、
それをしていないのは、否認事件だからでしょう。公判廷で被害者に尋問されようと、やっていないことはやっていないと答えるしかありません。
あるいは、真犯人でありながら否認するという悪い奴だったら、法廷の公開の場でも反撃してくるかもしれません。そのために被害者は二度傷つけられるということにもなりかねません。
つまり、今審議されている法案によっては、被害者の会の皆さんが期待するような被害者救済の成果は、上がらないのではないかと思います。
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> 感情と理性をキッチリと分ける西ドイツの伝統は、日本も学ぶ点が多そうです(No.6 Med_Law さま)
日本では、理性的に議論することの訓練が、高校以下の一般の教育課程で行われていないし、社会でもそうした態度はあまり求められていません。
TVは特にひどいと思います。最近では報道番組でさえ、感情的・扇情的な伝え方をしていて、一般市民はそれを日々見て倣うのですから、どうにもなりません。
あちこちのブログで、感情のままに荒れてまともな議論ができない、という現象が続出するのも、そのあたりが原因かと。
現行の制度でも最近 被害者がしゃべる機会が最後の方でありますが
今回の法案の「参加」がそれとどう違うのかわかりませんぬ
これに近い将来さらに裁判員10人前後が加わるわけですか。で、多数決で判決と量刑が出てくるですか。
自分が被告人以外の立場でその場にいる情景なんて想像もできませんね(笑)。
No.8のいのげさん、
今の制度では、被害者や遺族は、例えば「私は悲しいです。犯人を許せません。」と法廷で言えるだけです。
ひどい言い方をすれば、言いっ放しでおしまいです。
現在国会で審理している法案は、被害者や遺族らに、法廷で、証人を尋問したり(尋問事項に制限はありますが)、被告人に対して質問したり、量刑に対する意見を述べたり、することを認めるものです。
遅いレスですが。
そもそも死刑制度がないドイツとある日本を比べる事自体間違ってます。
犯罪被害者参加制度を認めると、法廷が混乱しそうな気がします。
現に母子事件の彼とか見ると、混乱させる可能性が高くて、あとあとこの制度は裁判員と同じく破綻しそうです。
No.11
ドイツの死刑廃止が1949年で、明確に被害者訴訟参加を規定したのは1980年代ですから、その経緯や今の制度(日本とドイツ)を見ると、そういう意見(死刑の存否無視で比較は間違い)なるのかもしれません。
しかし、大陸法系は、昔(戦前)から附帯私訴という形で被害者参加は認められていました。
そして大陸法系の権化であるフランスでは死刑廃止が1980年代と比較的新しい。
ということは、被害者訴訟参加を死刑のあるなしで当否を比較するよりも、そもそもの司法(裁判)制度論で考えるほうがよいと思っています。