エントリ

 関係者によると、事件発生一週間前、教室で加害女児が同級生に、(刃の出ていない)カッターナイフを握った手を振り上げて威嚇した。事件後の記者会見で、校長は「この件を事前に知らせていてくれたら、と思います。残念です」などと発言。それを知った同級生はショックを受け「自分のせいで事件が起きた」などと責めた。

 報道が事実としますと、校長の発言は心無い発言だったと思います。
 ナイーブな少年なら強い自責の念にかられることは十分ありうることで、特に教育者であるならば当然と言えるほど予見可能だったのではないでしょうか。

 この経緯については以下の報道もあります。

 また、カッターを振り上げた場面に担任教諭が居合わせていたのに、市教委の報告書には「担任は知らなかった」と事実と異なる記載がされたとしている。(東京新聞

 これも事実ならひどい話です。
 学校側の対応ミスを少年一人におっかぶせたことになります。

 同級生は▽人権侵害行為の認定と謝罪▽調査報告書をインターネットで閲覧できないようにする−などを求めるという。鶴崎耕一佐世保市教育長は「申し立てられた時点で県教委と協議しながら対応する」としている。(長崎新聞)

 「申し立てられた時点で県教委と協議しながら対応する」とのことです。
 ふざけるな!
 (某有名司会者並の発言ですがご容赦 m(_ _)m )

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コメント(10)

「PTSDの濫用」

この記事を読むときには、一部の弁護士と一部の似非精神科医と大多数のマスコミはPTSDという診断を濫用してることに注意しなければなりません。

「PTSD」の診断基準は以下が必要です。

A. 患者は、以下の2つが共に認められる外傷的な出来事の経験がある。
(1) 実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、1度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。

(2) 患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。

PTSDと書くには「実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事」や「自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。」ことが必要です。
記事から考えるには、当該少年のPTSDの原因は事件そのものです。
長崎新聞のように「校長発言で同級生がPTSD」と書くのは明らかに冤罪です。

もちろん、記事に依るならば、校長や教育委員会の対応は首肯できるものではないと考えますが、その対応と「PTSDで記憶力や持続力などが低下し、学業にも影響が出ている」は診断をPTSDとするなら別です。
あるいは、その対応を当該少年の症状の原因とするならば、その症状はPTSDとは呼べません。

校長や教育委員会の対応を問題にするなら、その事実を指摘すればよいのであって、それをPTSDの原因とするのは全く医学的ではありません。

当該少年が事件現場を目撃していたのであれば、PTSDの原因はそれに帰するのが自然なはずですが、そうすると、「小6女児」の責任にしなければならないのに、それよりも、攻撃しやすい権力の側(校長や教育委員会)をターゲットにして溜飲をさげる、という弁護士会の倒錯した主張です。

まとめ

記事に依るならば、「人権侵害」という主張は肯定しますが、それがPTSDの原因とすることには異議を唱えます。
PTSDの濫用は、本来のPTSDの問題を拡散させてしまい、さらには、加害者側に余計な罪を着せることになりかねません。
 


この校長の行ったことの結果を「PTSD」という医学用語や、「人権侵害」というあいまいでいい加減な言葉でしか扱えなくなってしまっていることはよくないことだと思います。
どちらも本来の意味で使うべき言葉だと思います。(僕は両方とも嫌いな概念ですが)
校長の発言は「心無い」し、教育委員会が嘘の報告書を作成したのならそれは「卑怯」なのです。

「申し立てられた時点で県教委と協議しながら対応する」

この厚顔無恥には善悪や倫理のかけらも見えません。
これが教育者の言葉かとおもうと空恐ろしい気がします。

既に医療集中部watcherさんらが述べていますが
PTSDの診断は非常に厳密のようです。

「Dr林のこころと脳の相談室」
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa1034.html
ここの下部分参照(一部略してます)
――――――――――
PTSDの診断には、命にかかわるレベルのトラウマがあったことが条件になります。
本人の中では命や全世界がかかわるトラウマであるということはあり得るでしょう。
しかしたとえそうであっても、PTSDには含まれません。ここは厳密に規定しておかないと、あまりに多くの状態がPTSDと診断されることになってしまいます。

けれども、あなたの症状がPTSDに似ていることは否定できません。
(これをdisorders of extreme stressと呼ぶこともあります)
――――――――――
同じサイト内の
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/ptsd0.html
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/qaPTSD.html
このあたりが参考になるかと思います。

マスコミとか 巷でいう PTSD は まず大半は 本当のPTSDではない ので 困ります
間違った使い方を始めた人は 何処のどいつだか。

外来でも 患者さんに そういうのは PTSDではないんだよ ということが多くなりました。

新聞記者さんから直してもらわないといけないのに 困ったものです。
新聞記者に 誰か教育的な指導はできないんでしょうか。

PTSDと診断された、あるいは「家族側がPTSDと診断されたと述べた」事が事実であれば、マスコミに責任はないと思うのですけどね。

 医師が多いとどうしてもこういうコメントの流れになるのでしょうが、エントリの趣旨は学校と教育委員会の姿勢・対応なんですけどね。

確かに、問題の本質は、結果としてPTSDといえるのかどうかではなく、教員や教育委員会は本当は何をしたのかの方なんですよね(^^;

「PTSD」と報道したマスコミの姿勢については、以下のエントリーへ(^^)

http://www.yabelab.net/blog/2007/05/29-210354.php

確かに、記事の通りであれば、無神経といわれても仕方がないと思います。少なくとも、人前で発言すべきではないのでしょう。

ただ、件の同級生を責めるわけではもちろんないですが、「事前に兆候を耳にしていれば打つ手はあったかもしれないのに!」という悔しい思いは持って当然のことではないかと思います。

この校長先生の思いは、加害者の子どもと被害者の子どもの両方を救えなかったという思いも含まれていたはずです。決して、対外的な損得勘定だけではないと思うのです。

ただ、この思いを件の同級生に理解せい!というのは、あまりに酷ですけれども。

私の父は10数年前まで小学校の教員をしていました。管理職にも就いていました。ですから、色々な教師を子どもの頃から父の話として聴いていました。今も、教師を取り巻く色々な話を父から聞いています。

今、教師を取り巻く状況もなかなか厳しいものがあります。ゆとり教育が施行されてから尚のこと、教師は気楽な稼業のように世間は思っていますが、かえって教師のゆとりはなくなってきています。時間的にもです。

重い課題を抱えている子どもに対しては本来、相当の時間をその対応に割かなければなりませんが、それが出来ないでいるのも事実です。業務が滞りますから。子どもの家庭にもなかなか今の風潮では踏み込めませんし。

本来の「ゆとり教育」は、相当な力量が教師にないとできない教育なのですが、それを新人教師にまで広げたところに不幸があったのだと、私は思っています。まして今の若い教師自身が幅広い体験をせずに大人になっていますから、尚のことです。

教師は今、親や教育委員会や世間に怯えきって行動しています。そして、教育委員会も世間の評判のみを気にしているきらいがかなりあります。教師にとって見れば、後ろから撃ってくる存在でしょう。大胆なことなど、とても出来やしません。

私の父はとてもユニークな授業をしていたようです。昔、今から30年ほど前まではそれが許されていました。たぶん、今父のやったようなユニークな授業は、とても許されるものではないでしょう。親から訳の分からないクレームが飛んでくると思います。それほどに、窮屈な時代になっているのです。教育を取り巻く環境は。

言葉についての定義は大切だと思います。ましてやここは言葉を武器とする弁護士さんのブログ。厳密な言葉の定義は当然でしょう。診断基準を満たさないのにPTSDと断じるのは、アホなマスコミだけにしましょう。

>503 さん

 今後もこういうちゃちゃが入りますと議論が混乱しますのでここでけりをつけておきます。

 まず、エントリの趣旨は尊重されるべきです。

 しかもこのブログでは、マスコミ等の不正確な用語を議論するエントリが他にあります。

 議論の本筋と関係のない用語の正確性については、その議論においては注意的に指摘すれば足りるのであり、それを超えて正確性等について議論を始めれば、その議論自体として重要であるとしても、当初の議論ができなくなります。

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