テーマとしては、つぶやきエントリかと思いますが、「一部の医師に一言いいたい」エントリに対するまさくに さんのコメント に基づいて立てたエントリですので、こちらに置くことにします。
まさくにさんがご自身のブログ(いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」)で詳細な記事を書いておられますので、まずそこで指摘された問題点を議論するのもよいかと思います。
上記の内容には司法に対する理解不足と思われるところもありますが、それも問題提起ということでよろしいかと思います。
まさくにさん、ブログの記事を横取りしたみたいな形になって申し訳ありません m(_ _)m
さて、どの問題からいきましょう。
まさくにさんからお題をいただけますでしょうか。
司法に基準があった方がいいのか、それともない方がいいのかと言うことで。
基準の代表例としては、交通事故訴訟などはいかがでしょうか。
私としましては、礼儀上、最初はまさくにさんの意見をお伺いしたいところなのですが(^^;
(しまさんが無礼だと言っているのではありません。私の気持ちです)
刑事に関する基準については、トップページの「コメント・エントリをキーワードで」の検索窓で「基準検察」のキーワードで検索してみてください。
URLを貼り付けてもいいんですが、せっかく作った検索機能を使ってもらいたいもので(^^)
それに貼り付けちゃったらすぐにこのテーマで議論が始まっちゃいますから。
失礼いたしました。少々様子を見ることに致します。
あまりお待ちしていても議論が始まりませんので、しま(その他)さんご提案の司法の基準から始めたいと思います。
刑事事件については、過去に「基準検察とその限界」というエントリを書いていますので参考にしてください。
医療行為にまつわる刑事罰ということで考えると、違法性阻却事由としての”医療の正当業務とは何か?”を、医療側でなく、公権力である司法側が提示する必要があります。
医療行為の多くが、身体に傷害を加えることを前提としている限り、傷害罪の構成要件は満たしますよね。(ここさえも理解していない医療人が多いのが現状ですが。。。汗)
何が許されるのか提示されないまま医療行為を行うことの恐ろしさに、医療行為をしてきたことに、戸惑い、恐れおののいている医師が大勢いるのです。
当然の法理でなく、国家権力の介入としての刑事罰くらいは、不可罰的正当業務を定義していただきたいものです
定義できないのであれば、刑事罰は不適。民事、行政罰で別途に行うことで罰を与えることで、権力を抑制しなければなりません
認定するのには、もちろん医療知識、医療判断能力が必要であり、それこそ医師でなければ医師の正当業務を評価できるとは思えません。
特別法である医師法には、『医師でなければ医業をなしてはならない(第17条)』とあるけれど、医業とは何かを定義してはいない
警察・検察に医業が判定できるのか疑問に思える。
海難審判、特許審判のような特別機関を置く、良い潮時ではないのだろうか?
議論を誘導した形になってしまい、申し訳ありません。
私が提案しているのは「スタンダードが必要なのか」に関する議論であり、「スタンダードが確立していれば、不満はなくなるのか」と言う議論です。
例えば、交通事故訴訟に関しては、東京地裁が主導して交通事故の算定基準を作り出しました。これにより、訴訟に持ち込まれるケースが激減(具体的には、交通専門部が、交通・労災専門部になった)し、迅速に処理される事になったと聞きました。
他方、交通事故におけるスタンダードの確立は、交通事故被害者に取って不満を取り除く事になったのかと言う疑問があります。
モトケン先生
誠に恐縮でございます。私の如きド素人の言い分をお聞き下さり、有難うございます。
こちらにお邪魔するのがちょっと遅れまして、今、発見したところです(笑)。
テーマを私から提供するのは難しいのですが、司法には価値判断のような曖昧な領域を扱うものが多いので(民事事件では)、個別事例で異なる部分があっても許容され得ると思います。判例についても、最高裁判例集とかのような民集・刑集みたいなのがあるのですし、主だったものは決まっているのだと思いますけれども、過去に適用のあまりなかった刑事事件というのが起こってきているのではないかと感じます。今後裁判員制度も始まるとのことですし、曖昧(不透明?)な要件での刑事事件化というのは、恐ろしいものがあるのではないかな、と。古紙持ち去り事件のような、有罪無罪が概ね五分五分といった状況が現状でもありますし、一定の判断基準のようなものがあるべきではなかろうか、と。
以前にも少し紹介しましたが、平成16年頃の保助看師法違反事件で、内診行為をさせていた医師が起訴され、罰金50万円(だったかな?)となったものがありました。詳細は知らないのですが、こういう事件があったことは確かなのです。国立がんセンター医師の業務上過失致死罪で書類送検となった事件も、その取扱いについて疑問に思えました。これらに刑事責任を追及することが、本当に必要なのか?ということです。司法サイドでこれを「どうするか」と考えていかない限り、捜査・起訴・裁判ということが起こってくるように思えるのです。
個人的には、基本的に刑事事件としての捜査ではない原因究明方法とか、審判制度のようなものを取り入れるべきではないかと考えております。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6042929e62546b946d80d7528569efc1
あちこちに話が飛んでしまって申し訳ございません。
他の本職の医師の方々に後はお任せしたいと思います。と言いますか、モトケン先生の方針でテーマなどを進めて頂ければ、と思います。
まさくに様のブログを拝見しました。
「同じ事件について、判断者によって結論が分かれてよいか」という点では、裁判官によって判断が分かれるのは、公平性の観点から望ましくないのは、当然のことです。
しかし、本当に、同じ事件について判断が分かれることが、そんなにあるのでしょうか。
<同じ事件>とは厳密には、「証拠関係が同一であること」を意味します。それ以外は「似た事件」ではあっても、「同じ事件」ではありません。
私の考えでは、裁判官の判断は90%の以上の確度で収斂し、差はさほど開かない。
従って、結論の違いは事案の違いによる というものです。
●医療関係エントリに関するつぶやき
http://www.yabelab.net/blog/2007/02/15-104709.php
コメントNo.47、50、57、60、74、75、79
同様に、
似た事件も同一ではない以上、裁判結果が異なることがあり得る、ということを指摘されたのが、
●一部の医師に一言いいたい エントリ記事本文(モトケン様)
http://www.yabelab.net/blog/2007/05/31-232347.php
この意味で、医師のみなさんの傾向として、
判例理解として、似た事件における違う要素を無視して、過大に一般法則を読み取ろうとする(判例の射程距離を長く取ろうとする)点が、問題であろうと思います。
No.8 YUNYUN(弁護士)さん
(ありえないこととは思いますが証拠関係が似たような2つの事件という意味で)似たような事件は、裁判官が異なっても似たような裁判結果になると理解してよろしいでしょうか?
>No.8 YUNYUN(弁護士)さん
似た事件も同一ではない以上、裁判結果が異なることがあり得るならば、射程距離を長くとって安全圏に身を置くのが当然の考え方ですが、医師は過大に長く取っているという指摘だと理解します。
適正な射程圏外に身を置くために司法をよく理解したほうが良いという指摘があるでしょうけれど、
1.どこまで司法を理解すれば射程が読めるのかわからない。
2.どのように司法を理解すればよいのかわからない
(このブログに参加していない場合ですよ)
3.司法を理解せず射程を過大に取っても、割り切ってしまえば医師自身にとって、とりあえず問題はない。
という現実があるのです。
2に関連して言えば、一般の医師が司法知識を得るのは、せいぜい医療雑誌に載っている弁護士さんの判例解説記事くらいです。そして、その多くは実際の現場では困難なことを「この判例から教訓を得るなら・・すべし」と説いています。
※解説を書いている弁護士さんも内心では「ここまでは大丈夫だと思うけど、公式見解としては言えないな」ということで射程距離を過大に長く描いているのかもしれません。医師も患者に対して過大に表現することは、しばしばあります。
そして3を念頭に考えれば、医師のためにではなくて、患者と患者予備軍である国民のために、司法側のどこかの部門が射程距離について何らかの分かりやすい見解を示したほうが社会的利益なのではないかと思いますが、分かりやすい見解を示すことは可能でしょうか?制度上可能か?ということではなくて、素人にわかりやすい射程を示すことが技術的に可能か?ということです。
●司法の不確実性について考える
うまく、噛み合えばよいのですが。
特に刑事事件の場合、最終的なゴールは、判決に示される量刑の程度ではないかと思うわけです。この量刑自体は、よく解りませんが、一応物差しで測れるような、線形のもののような気がします。
一方、医療の場合、最終的なゴールは、健康、長寿、治癒、幸福といったものなのですが、実はこれは、価値観の相違がかなりあって、たとえば同じ病態での治療選択においても、内服薬投与内容、手術術式、放射線治療など様々な正解候補があります。患者と相談してみても、どの治療方法がその患者にとって最適なのか不明な場合も多いでしょう。(わかりやすくいうと、生活の質が制約されても寿命が少しでも伸びれば良いと考えたり、いくらでもお金と時間を惜しまず治療したいと考えたり、いろいろです。)これは、幸福の価値観の違いがあって、そこには、量刑の確定のような線形代数で表現できないものがあるでしょう。
ですから、司法の不確実性は、あるでしょうけど、医療の不確実性に比べると、少ないのではないかと思います。(他の部分の不確実性の問題も大きいですが)
噛み合ってますかね?
>YUNYUN先生
コメント有難うございます。コメントが長くなるので、以下の記事に書きました。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/cae8c9615b7bddd0d3978c3ef32a6906
お答えは無理にならない範囲で結構でございます。
「司法の不確実性」を議論する場合は、「確実性」を追及することによるメリットと「デメリット」を常に考える必要があると思います。
そういう観点からすると、No.6 しま(その他)様の
>私が提案しているのは「スタンダードが必要なのか」に関する議論であり、「スタンダードが確立していれば、不満はなくなるのか」と言う議論です。
という視点はとても重要だと思うのです。
司法における解決で、「確実性」(予測可能性・公平性)を重視しすぎれば、「個別解決の妥当性」がなくなってくる関係にあるでのはないか?
と考えるのです。
医師の先生方にお聞きしたいのですが、「医療の確実性」を追及することによる「デメリット」はあるのでしょうか?
私にはデメリットがなかなか思い浮かびませんので、そうなると医療に関しては「確実性」を追及するだけでよいように思えますし、何らかのデメリットがあるなら、そのデメリットを減殺できる手法を取り入れているのではないかと思うのです。
ちなみに、先のしま(その他)様からお尋ねのありました交通事故訴訟の件ですが、赤本又は青本等による「スタンダード化」は、加害者(保険会社)にとっては大変ありがたく、被害者にとってはとても不満のあるものです。ただし、その不満の程度は、現在の訴訟の行方を左右するほどには至っていないように思えます(マグマのように溜まっていて、今後大爆発するかもしれませんが、『噴火警報』がでる段階ではないというのが、私の感覚です)。
>nuki様
おそらく医療に対する根本的な誤解であると思います。「医療の確実性」を追求することは「司法の確実性」を追求するのと同等以上に困難で、かつメリットの方が少ないことの方が多いと思います。
非常に参考になる事例が「なんちゃって救急医」様のブログに書かれていますので例示しましょう。
http://blog.m3.com/case-report-by-ERP/
この症例で、「診断の確実性」を追求しようとした場合、この中に登場された「外科部長」先生のようにCT撮影をすべきですが、そうしていた場合、CT撮影をしている間に亡くなられる確率は高かったでしょう。この事例では確実な診断は後回しにして、一刻も早く「おおざっぱな診断」をつけ、高次病院へ転送することで「救命の確率を上げる」ことが優先されるわけです。ここで優先されるのは確実性ではありません。スピードです。
治療においても同じことが言えます。中心静脈カテーテル(CVカテーテル)を留置するのに「もっとも確実な手段」は「皮膚を切開し、直視下にカットダウン(末梢側の静脈を結紮して、血管に切開を入れてカテーテルを挿入する方法)すること」ですが、当然ながら皮膚には大きい傷が残りますし、末梢側には鬱血(血液の滞り)が生じる可能性があります。
癌の化学療法において癌細胞を確実に殺す手段は常識を越えて大量に化学療法剤を投与することですが、その副作用によって患者は生命の危険にさらされます。といって、患者が「化学療法では確実に死なない」分量とは「投与量0」つまり全く投与しないと言うことになります。しかしこの場合、患者は化学療法では死ななくても癌で死ぬことになります。
医療においては「確実性」の追求はメリットをもたらすことはむしろ少なく、多くの場合、コストと時間と患者への肉体的負担の増加のみをもたらすことの方が多いです。
何故、こんなことが起きるかというと、医療はすべからく「患者への肉体的侵襲を加えることによって、より重篤、あるいは致命的な他の問題を軽減・消失させようとする」行為に他ならないからです。ですから、医療においては常に「バランス感覚」が重視されるのです。
バランスを保とうとすることに「確実性」が並立することはあり得ません。なぜならば、個々の患者においてそのバランスを取るべき部分が全く異なるからです。
追加です。
本日当科に来た症例です。
超高齢の男性、両下肢が1週間前から急に腫れたとのことで来院されました。高齢ですが難聴がある以外は比較的お元気で認知症もなく、歩行もしっかりしている方でした。
問診、下肢の超音波検査、採血データなどから私が下した診断は「深部静脈血栓症」です。ここでより確実な診断をしようとするならば、「両下肢静脈造影」を行うべきですが、「足先から針を刺して薬を入れなければならない」という点で、侵襲が大きくここまでのデータで診断をつけるには十分と判断し、この検査は行いませんでした。これもバランス感覚です。
次に、この患者さんへの治療です。
もっと若い患者さんであれば、少しでも早く「下肢静脈高血圧症」を解除するために「血栓摘除術」を行うことを考え、患者さんにもそう説明したでしょう。
一方、これが寝たきりの患者さんであれば、なにもせず放置という選択を取ったでしょう。
今回この患者さんでは、「今後まだまだ歩行機能が維持できる」、しかし「手術などの侵襲的な治療は出来るだけ避けたい」という考えから、「一時的下大静脈フィルター留置後、血栓溶解療法」という方法で治療する方針としました。
発症から1週間経過ですので、血栓溶解療法が効かない可能性もあります。この辺の時間経過もバランス感覚に含まれます。
このように医療において、診断・治療とは個々の患者の年齢・体力・全身状態・既往症・局所の症状などを複合的に考えて最も「バランスの良い方法」を手探りで見つけ出す行為なのです。
確実性という言葉といかになじまないかお分かりになったでしょうか?
No.14 僻地外科医先生
レスありがとうございます。以前から先生のコメントには勉強させられるところが多く、注目しておりました。議論を交わすのは初めてですが、今後ともよろしくお願いします。
早速ですが、先生のご趣旨はわかりました。また、先生のご意見について、確かに私の認識不足があり、改めて勉強させて頂きました。
ただ、「確実性」の中身が、私の使用方法と先生のおっしゃることが少し違うのではないかと考えました。
もともと、本エントリーは、「まさくに」様の問題提起の『司法(特に過失の認定についての)は適用現場での(まさくに様は使用していませんが、あえてわかりやすく言えば「場当たり的な」)価値判断が多く、医療(または他の科学的思考)と比較して予測可能性がなく、公平性が保てない』ということに対して(かなり意訳しています。)、私なりに主として民事事件の立場から(刑事事件は、少し違った考え方になります。No.4モトケン先生が引用されているエントリーの本文をご参照下さい)、「司法の不確実性を考えるための前提」について、述べさせてもらいました。
このエントリーの流れから(前スレの「一部の医師に言いたい」の流れから考えても)、「司法は医療に比べて確実性がない」とのことと考えたので、『確実性』というのは、「事前の予測可能性及び類似事件の適用の公平性がある」と考えたのです。
そうすると先生のおっしゃる『確実性』とはちょっと違ってくると思いますがいかがでしょう か?
せっかくですので、質問をさせて頂くと、先生の使われる『確実性』だと、一般的に司法は『確実性あり』ということになるのでしょうか?
>nuki さん
nukiさんのおっしゃる医療の確実性とは、正確な判断という意味ではなく、「どの医師が診察しても同じような判断を下す」という意味だと解釈しましたが、それでよろしいでしょうか。
例えば、僻地外科医さんのNo.15のコメントで言えば、医師が超高齢の患者に対して「深部静脈血栓症」と診断した場合、全国のどの外科医を訪れたとしても「両下肢静脈造影」は行わないものなのか、それとも場合によっては行う医師もいるのか。
もっと言えば、医師の判断は統一した方がメリットがあるのか、統一しない方がメリットがあるのかという事なのかなと思いました。
>nukiさん
確かに、そのような感じはあります。画一化され、全てが金に換算されてしまうと言う不満はあるでしょうし、「赤本などというものがあるために、お金で解決しなければならない」と言う不満も出てきて当然なのかなと思います。
また、被害者側にとっては裁判所が楽をするためのスタンダード化なのかという批判もあるかも知れませんね。
私自身としては、交通事故のスタンダード化を批判するわけではありませんし、被害者側のメリットもあると思うのですが、それで不満が解決するわけでないとも思います。
No.17 No.18しま(その他)様
>nukiさんのおっしゃる医療の確実性とは、正確な判断という意味ではなく、「どの医師が診察しても同じような判断を下す」という意味だと解釈しましたが、それでよろしいでしょうか。
補足説明ありがとうございます。確かに、そのようなニュアンスで使用しておりました。ただ、僻地外科医先生がおっしゃる意味もご説明頂きわかりましたので、ちょっと私の使用方法が間違えていたかもしれません。
この意味でいうと、確かに僻地外科医先生が、「違う」とおっしゃるのもわかります。
ただ、そうすると、「司法の不確実性」と対比される医療行為というのは何だろうな?という疑問はあります(「そんなものはない」と言われるかもしれませんが…。)
もう少し考えさせて下さい。
>被害者側のメリットもあると思うのですが、それで不満が解決するわけでないとも思います。
おっしゃるとおり、被害者側にも、迅速な解決というメリットはあります。
ただ、例えば、損害賠償金額からみると、『スタンダード』の性格上、どうしても、「ある類型の事故が起こった場合に『少なくとも』生じる損害賠償金額」となってしまうので、被害者側の個別な事情が捨象される確率は高くなります。
「裁判所が楽をするため」というのは、ある意味正鵠をついていますので、依頼者に説明することに苦労することがあります。
>nuki様、しま様
まず、nuki様のご設問は大変答えにくいので、しま様のコメントへのレスから始めます。
おそらくですが、ほとんど同じ条件で下肢静脈造影を行う医師はいます。というか、私自身、この症例で下肢静脈造影をするかどうか迷いました。他の所見から10中8,9深部静脈血栓症で間違いないと考えていましたが、より確実に診断をつけるならば下肢静脈造影でしょう。ただ、私が「ほぼ」確信を持っているものに対し、裏付けとなる証拠までさらに必要かどうか?という点で、私の判断は「造影までしなくても、この疾患は深部静脈血栓症でよい」でした。これに対してはいろいろな考え方があると思います。
また、コスト面の制約も考えなければならないでしょう。今の日本の医療は一部の大病院を除いて出来高制度でのコスト請求になりますが、DPCになった場合、同様に出来るかどうかは疑問です。
しま様の上の設問は「医療の標準化」「クリニカル・パス」という考え方につながると思いますが、この考えは多くの場合「医療コスト削減を目的とする危うさ」を伴っています。
つまり、これこそ医療の標準化、クリニカル・パスのメリット、デメリットと言うことになると思います。私は双方ともメリットは極めて大きい、しかしデメリットも少なくないと考えています。クリニカルパスのメリット・デメリットでぐぐるとこの辺の話題は山のように出てきます。
ここでnuki様のご設問その1へ戻ります。
そうすると先生のおっしゃる『確実性』とはちょっと違ってくると思いますがいかがでしょう か?
おっしゃるとおり、確実性という言葉の使い方について少し違うようですね。
それをふまえてお話しすれば、上で救急医療を元にお話ししたように、医療においても「事前の予測可能性および類似症例の手技・診断の適用」は司法と同程度に確実性がない、と言うのが私の考えになります。
標準化という手法はマクロで見た場合には救急医療ではメリットがあります。ところがひとたび個々の症例に目を向けた場合には決してメリットばかりではありません。端的な例が多重事故・大規模災害例での「トリアージ」問題でしょう。トリアージにおいて黒カード(死亡又は救命不能)とされた症例でももしかしたら超集中的治療で助けれるかも知れません。しかし、医療の人的・コスト的・時間的制約においてその患者を助けることに力を注いだ場合、他に助けれる患者5人を失うかも知れないという事実があります。
トリアージに目を向けなくてもAと言う患者にJATECに沿った手法で診断治療を行った場合、特別優秀な医師が勘に従って診断・治療をした場合より救命率が下がるかも知れません。しかし、多数の症例を集めて個別の医師の技量を平準化した場合には明らかに救命率は上昇するでしょう。
医療において常に問題になるのが「個々の患者」と「総合的に見た救命率、根治率など」の対比です。
このあたりは司法における「総合的に見た公平性」と「個々の判例における正当性」の問題に類似するかも知れません。
>No.15 僻地外科医 さん
またまたトピずれというご批判を頂きそうですが、「医療の不確実性」や「医師による考えの違い」ということをお示しする上でお役に立てるかなと思うので、先生が受け持たれた患者さんのことで多少疑問に思う点を述べさせて頂きます。
両下肢が同時に腫れるのは下肢深部静脈血栓症の典型的な症状でしょうか?確かに術後長期臥床で生じる深部静脈血栓症の場合には両下肢同時はありますし、私自身経験もあります。しかし、
の両下肢が同時に潅流障害で腫れたとすると、下大静脈レベルに閉塞機転があると考える方が自然ではないかと思います。その場合は超音波で疑われる両下肢の静脈血栓は二次性ということになります。悪性腫瘍の腫瘍栓に血栓が重なってある時点で急に閉塞する場合もあると思います。もちろん静脈の肉腫も頻度は低いですがありますし、リンパ節転移や他の腫瘍の圧迫や浸潤による閉塞の可能性もあります。腹部大動脈瘤の急激な増大でも閉塞がないとは言えません。したがってこの場合腹部の造影CT(ついでに膝レベルまで撮影)は必要な検査だと思うのですが?これを行わずにフィルター留置や血栓溶解を行うのは、私ならしません。例え純粋に血栓だけだとしても、それは下大静脈まで伸びている可能性はありますから、フィルター留置位置を決めるためにも、やはり造影の腹部CTは必要ではないかと思うのですが・・・
> nukiさんのおっしゃる医療の確実性とは、正確な判断という意味ではなく、「どの医師が診察しても同じような判断を下す」という意味だと解釈しましたが、それでよろしいでしょうか(No.17 しま(その他)さま)
私もその意味に理解して、「司法の確実性」(同一証拠に対して、どの裁判官でも同じ判断を下すことができるか)との対比を考えておりました。
そして、今までの議論では、
司法のほうが医療に比べて確実性が高い、
> 司法の不確実性は、あるでしょうけど、医療の不確実性に比べると、少ないのではないか(No.11 座位 さま)
だから、医療について過失の有無を問うために鑑定をしても、医師によって意見が分かれ、バラツキが生じてしまうことがあり得る
という話であったと思います。
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> 平成16年頃の保助看師法違反事件で、内診行為をさせていた医師が起訴され、罰金50万円(だったかな?)となったものがありました。詳細は知らないのですが、こういう事件があったことは確かなのです。国立がんセンター医師の業務上過失致死罪で書類送検となった事件も、その取扱いについて疑問に思えました。これらに刑事責任を追及することが、本当に必要なのか?ということです。司法サイドでこれを「どうするか」と考えていかない限り、捜査・起訴・裁判ということが起こってくるように思えるのです。(No.7 まさくに 様)
ここでは刑事司法のいろいろな手続き・場面が取り上げられていますが、
警察・検察庁・裁判所はそれぞれの目的や役割が異なり、同じ動きにはなりません。
誰が何を判断している場面かによって、分けて考える必要があると思います。
1.「罰金50万円」は略式起訴かもしれません。
略式手続きの場合は被疑者が争っていないことが前提であり、裁判所はほとんど起訴通りの判決を出しますから、判例としての重みはさほどえもなく、検察官の判断の比重が大きいところです。
2.「書類送検」とは警察が検察庁に事件を送ったというだけのことで、司法としての意識的な判断はそこには見られません。
例えば誰かが告訴や被害届をすれば、警察は捜査をせざるを得ず、自動的に書類送検が行われてしまうので、この当否を論じることは無意味です。
3.「刑事責任を追及することが、本当に必要なのか?」という点では、裁判判決よりも、その前段階で起訴権限を握る検察官の判断のほうが重要です。
しかし、起訴するかしないかは、裁判判決とは異なり、さまざまな要素が考慮されますので、個別性が大きいのです。
例えば、犯罪行為があったことが証拠上明らかであるとして、民事上示談ができれば不起訴処分もあり得ますが、一旦起訴されてしまえば裁判判決としては有罪は有罪でしかなく、無罪はあり得ません。
つまり、検察官の判断は、裁判官の判断より予測しにくいという意味で、確実性はより少ないことになります。
>ヤブ医師様
>比較的お元気で認知症もなく、歩行もしっかりしている方でした。
の両下肢が同時に潅流障害で腫れたとすると、下大静脈レベルに閉塞機転があると考える方が自然ではないかと思います。その場合は超音波で疑われる両下肢の静脈血栓は二次性ということになります。
ご指摘の通りです。実は話を分かりやすくするために省いていますが、腹部〜下肢腹部CTは行っています。下大静脈の閉塞は認めません。あと、これも説明不足ですが、この方の下肢腫脹は膝下に顕著で、大腿部の腫脹がほとんどありません。エコー上では右は膝窩静脈、左はHunter管部の大腿静脈で閉塞してました。CT上もエコー上も、他の明瞭な閉塞部位は見いだせなかったです。おそらくDVI(深部静脈不全症)が元々あり、静脈flowが悪かったところに出来た血栓だと思います。
厳密に言えば下肢静脈造影が必要なのは血栓摘除術を視野に入れている場合です。今回は血栓摘除を視野においていなかったので侵襲の大きい下肢静脈造影を省いたと言うことです。
で、ここでも考え方の違いが出てくるのですが、仮に二次血栓だとしても私は血栓溶解療法や場合によっては血栓摘除術を行います(下大静脈閉塞がある場合はフィルター留置はしませんが・・・)。慢性腸骨動脈閉塞症などの場合によく見られるのですが、慢性閉塞があって側副血行路が発達しているところに二次血栓が出来ると急激に患肢の腫脹と静脈高血圧を来すことがあります。この場合血栓を溶解(ないし摘除)することで腫脹の消退を早めることが出来ます。
スレ違いの話題ですが(^ ^;、説明になったでしょうか?
>YUNYUN先生
ご面倒にもかかわらず、素人の世迷言にお答え下さり有難うございます。若干論点のズレといいますか、理解できにくい部分がありますので、もう一度お尋ねさせて頂ければと思います。
はじめに、「医療には不確実な部分が(多く)存在する」というのは医療側も、法曹の方々も共通の理解があるのではないかと思われます。医師の裁量の範囲というものが、小さいとは言えない、ということでもあります。司法における個別の違いや検事・判事の違いということが有り得る、ということもまた、多くの人が理解できるものであると思います。これをゼロにせよ、と申し上げているわけではなく、ある範囲内に収まる程度であるべきではないか、と申し上げているのです。ある範囲とは、医療裁判などでもよく論点となる「医療水準」と似ていて、何らかの判断基準で見た場合にそれ以上の水準が保たれている、という意味です。全部の判決がそうだということではなく、一部にはそういう判決(事件)があるのではありませんか、ということです。司法では、これを誰がどのように評価して是正しているのでしょうか、という問題です。
>私の考えでは、裁判官の判断は90%の以上の確度で収斂し、差はさほど開かない。
従って、結論の違いは事案の違いによる というものです。
先生はこのように述べられておりますので、その根拠をお示し下さればと思います。個人的印象ということならばそれでも構いませんが、仮に裁判で被告医師が行った医療行為について、「私の経験では、これまで90%以上の症例で問題などなかった」と主張してみたところで、それが採用されるというのは殆ど期待できないかもしれません。被告の経験談では、その医療行為の正当性を立証できないのではないでしょうか。よって、個人的印象では裁判官の判断に差はさほど存在しない、ということを立証できていないでありましょう。「同一事件」の判決について、数人程度の母集団ではなく、最低でも100人以上程度で調査した研究があって、その中で「裁判官の判断に差は少ない」といった結論の得られているものがあれば、お示し下されば幸いです。無いのであれば、裁判官の判断には「差が少ない、さほど開かない」といったことを主張することは難しいと思われます。
もう少し追加しますと、医療に存在する不確実性よりも司法制度でのそれが小さい、ということが仮に言えたとして、それは司法の「差が小さい」ということを証明することにはなりません。相対的な評価では、司法の正当性を説明していることにはならないのではないでしょうか。
>略式手続きの場合は被疑者が争っていないことが前提であり、裁判所はほとんど起訴通りの判決を出しますから、判例としての重みはさほどえもなく、検察官の判断の比重が大きいところです。
私も事件について正確な情報を持っていないので、提供できる情報がないのですが、検察官が起訴できたことのお答えにはなっていまいように思われます。略式とか判例の重みなどは、論点には関係ないと思います。検察官が起訴できる、ということは、刑法学上の何らかの理論?とか学説?があるはずであり、起訴に至るべくして至ったのでしょうから、その理屈をお尋ねしているのです。これが他の法曹が容易に説明できないものであるとすれば、検察官は独自の理論を用いて恣意的に摘発起訴したものということでしょうか?理由なきものに裁判官が罰金命令を下すのでしょうか?そうではない訳ですから、当然起訴になるべき理屈というものが存在しているはずです。たとえば窃盗罪として起訴する場合、何かの(教科書的な?)理屈というものが存在しているはずです。それと同様に答えることは可能でありましょう、ということです。検察の判断比重がどうであれ、裁判所はそれを「認めた(同意した)」ということには何ら変わりありません。
論点には関係ない話ですが、一応附言しますと、被疑者が争わないことは、司法の正しさを表すものではありません。富山の冤罪事件では無実であるのに、検察の言い分通りになってしまいました。「罪を認めれば略式にして罰金で済むようにする」といった取引を検察が持ちかけることは実際にあり、事件を争って社会的に甚大な影響を受けるよりも、「金で済むなら払って済ませた方が楽だ」と考えることがあるかもしれません。
私は司法の全部を否定したいのではありません。大多数の裁判では、きちんと行われていることが多いと思っています。それは医療においても同じであろうと思います。紛争事例以外では、大半が間違いなく良い医療が提供されているのです。ただこれは確率的問題なのであって、1億2千万人に良い医療が提供されていても、1200人(0.001%)に問題が発生すれば医療界全体の問題となってしまうことは多々あるのです。
特に医療関係の裁判に関して疑問点が数多くあるのではないか、もしそれが正当でないものを含むなら司法システムとして是正されるべき問題なのであって、個々の裁判官とか検察官とかそういう問題ではないでしょう。そういう「間違いの少ない(減らす)司法システムの構築はどうやっているか」ということを問題意識としています。判決とか事件に関する検証システムというのが果たしてどの程度機能しているのでしょうか、本当にそれらが役立っているのでしょうか、ということです。医療側は司法・行政権力を通じて是正させられてきた面がありますが、司法にはそういう力が働かないのではないでしょうか。働かないなら法曹界の内部的に検証システムを設けるべき・司法側で減らす努力をして欲しい、ということです。現状ではそういうフィードバックシステムが十分働いていないのではないか、ということです。
No.24 まさくに 様
疑問とされる論点が多岐に渡りますので、まず何について議論するかを整理していただいたほうがよいと思われます。
1.裁判判決は、裁判官によってバラツキが大きいか?
私の申すことは「つぶやき」エントリにも記載した通り、経験上の印象に過ぎませんが、
特に刑事裁判の量刑については実証的な研究もなされています。
No.4 モトケン様のおっしゃるように、エントリ「基準検察とその限界」での議論、照会文献はぜひご一読ください。検察官の求刑基準の問題も取り上げられています。
逆にお聞きしますが、まさくに様は、実際に裁判官によって判断にバラツキが大きいと思われますか。「信用しがたい」とおっしゃる根拠は如何?
似たような事件をいくつもご覧になって、裁判官によってずいぶん判断が違うというご経験があったのでしょうか?
一個の特異な判決があったからといって、それで裁判官の判断にはバラツキが多いという結論にはならないと思います。
再度、どこが問題であるかを、具体的にご指摘いただければ幸いです。
2.検察官の起訴便宜主義
> 検察官が起訴できたことのお答えにはなっていまいように思われます(No.24 まさくに さま)
検察官が起訴できることは当然です。
検察官が犯罪が成立すると認め、有罪判決を得られるに足る証拠が揃ったと判断すれば、どんな事件も起訴できるのであり、
起訴便宜主義とは、むしろ、裁量によって「不起訴にもできる」権限と捉えるほうが分かり易いと思います。
抽象的に説明するならば、
医療の現場において発生した望ましくない結果を、業務上過失致死傷罪で起訴するかどうかについては、
医学的に過失や因果関係があると判断されるのであれば(その証拠として医師の意見書があれば)、理論的に起訴は可能であるとしか、言いようがありません。
そして検察官は、結果の深刻さ(死亡か、どのような後遺症が生じたか等)、医療行為の技術的困難性、患者の体質体調が結果に影響したか、民事賠償がなされているか、医師が免許上の行政処分を受けたか、事件の社会的影響などの諸般の事情を考慮して、起訴するか不起訴にするかを判断していると思います。
そこで、このやり方の、具体的にどこが問題であるかを、指摘していただけるとよいと思います。
3.医療裁判への疑問
> 特に医療関係の裁判に関して疑問点が数多くあるのではないか、もしそれが正当でないものを含むなら司法システムとして是正されるべき問題なのであって、個々の裁判官とか検察官とかそういう問題ではないでしょう
具体的に、どういうところが問題でしょうか。
個々の判決については、確定してしまったらそれを覆すことはできません。紛争の最終的な解決力を与えるためには、それ以上争うことを法的に許さないと決めているからです。
(人生においても、やり直せないこと、取り返しの付かない結果というものはあると思いますが。)
裁判の判断の善し悪しは、学者・実務家の批判に晒されます。
裁判官は研究会を行ったり、判例評釈を読んで自ら勉強したりして、次の裁判のために役立てるということはしています。
それは検察官も弁護士も同じです。
医師が症例研究会をするのと、同じことと思います。
このような抽象論は既に過去のエントリで延々と説明されてきたことの繰り返しに過ぎません。
それでもなお納得できないという点を、上げていただければ幸いです。
> No.8 YUNYUN(弁護士)さん
ほぼ同意ですが、最後の3行については、より正確に言うと
「判例理解として、医療側が敗訴した事件については、似た事件における違う要素を無視して、過大に一般法則を読み取ろうとする(判例の射程距離を長く取ろうとする)」
そして
「医療側が勝訴した事件については、そもそも検討・議論の対象にしない。又は、先例としての意義を可能な限り小さく見積もる(判例としての価値を認めないか、射程距離を短く取ろうとする)」
ということではないかと。
まあ、「実情はともかく、一般の医師が受ける印象というものも大事だ」という御意見は分かりますし、別に上記のような見方、捉え方がいけないとか、悪いとかいうつもりもありません。それも一つの理解でありスタンスでしょうし。
ただ何となく思ったのは、多くの医師の方が「自称医療過誤被害者の求める『真実』というのは、要するに、自分たちに都合のいい『真実』だろう」としばしば揶揄・嘲笑する構図に、よく似ているなあということでございます。
(その割合は不明ですが)一部の医師にとって、判例の射程距離は、法律家がどう説明しようが、医師が敗訴した事案については広く、勝訴した事案については狭くないといけない、そうあって欲しい、そうあるべきだ、ということなのだろうと想像しています。
ところで、医師個人による意見のみならず、医師の団体の声明文ですら、「結果が悪ければ逮捕起訴されるというのでは〜」という決まり文句がしばしば使われますが、それも、同じ心理によるものなのだろうと思っています。この決まり文句が法律的に誤りなのは明白だし、それは少し調べれば、あるいは弁護士に相談すればすぐに判明することです。医師というインテリジェンスの高い集団であれば、説明を聞いて理解できないはずもありません。
にもかかわらず上記のように誤ったスローガンが出る、あるいは修正されないで残っているということは、一部の医師は、「法律家というのは医療行為の結果が悪ければそれだけで責任を負わせるとんでもない連中だ」という「真実」が欲しいということなのでしょう。
繰り返しますが、医療側敗訴の事例についてどのような「感想」「印象」をお持ちになるかは個々人の自由であり、そのような「印象」が「逃散」という現象に何らかの影響を及ぼしているであろうことも否定しません。
ただ、判例の射程距離(その判例が、今後の裁判に及ぼすであろう影響の範囲と程度)は、医師の方が感じる「感想」「印象」とは違いますので、そこは混同しない方がいいというか、専門知識もないのに断定的に言わない方がいいのではないかなあ、という気が。
>No.23 僻地外科医 さん
よ〜くわかりました。有り難うございます。
>No.26 FFFさんのコメント
No.10のコメントとダブりますが、
一体どこまで法律を勉強すれば個々の判例から射程距離を適正に読み取れるようになるんでしょか?
個々の医療機関や医師にとっては、十分に(過大に)長く射程距離を取っていれば、その存在が脅かされることはない訳ですから、射程距離を勉強するインセンティブはありません。医療裁判が何も変わらなくても司法側は困らないし、防衛医療、萎縮医療を行えば医療機関・医師も十分対処可能です。困るのは患者さんでしょうね。
患者さん・マスコミが「防衛医療、萎縮医療はけしからん!」と言えるでしょうか。そう言えたとしても、医師側から「だって結果が良くなければ法的責任を問われますから」と言われた時に患者さん・マスコミは医師側に反論できるでしょうか。できないでしょうね。患者さん・マスコミも射程距離がわからないから反論できないんじゃないでしょうか。そうなると批判の矛先はどこに向かうんでしょうか?
こう考えると司法側のどこかの機関が医師ばかりでなく、患者さん・マスコミにも理解できる程度に射程距離を説明する必要があるんじゃないかと思います(技術的に可能ならば)。
ということで、「結果が悪ければ逮捕起訴されるというのでは〜」という医師の団体の声明文は批判の矛先をかわすためのプロパガンダです。法的に正しくないのはわかっていて、患者・マスコミ向けに言ってます。
>医師個人による意見のみならず、医師の団体の声明文ですら、「結果が悪ければ逮捕起訴されるというのでは〜」という決まり文句
福島大野病院事件をみれば、逮捕前にマスコミへのリークを誘導しながら行われていることは明らかですし、奈良大淀病院もm3などで当該医師の過失がなかったことがブログ等で討論されていなければ、逮捕/起訴がなかったとは言いきれないでしょう?
上記の条件に付け加えるとすれば、
「(マスコミが騒ぎだし、一般人の煽動に成功した時)結果が悪ければ逮捕起訴されるというのでは〜」
ということになるでしょうか?
青戸病院の件にしても、もし本人たちが「自分達は懸命に努力し治療を目指していた」と徹頭徹尾主張していたら、刑事で責任追及ができたかどうか?
この件での刑事有罪も、本人たちの初期の自白による影響が大きいでしょうに。
民事の係争をやりやすくするために、刑事をちらつかせる弁護活動もありえることを、奈良大淀病院事件は教えてくれています。
民事に限って言えば、
「結果が悪ければ、過失に関係なく賠償を求められる」
危険性が高まって来ているのも確かです。
私の地域でも、Ambulance Chaser(救急車の後を追いかける弁護士)の話が出てきています。手術を受けた患者のところに、「問題ありませんか?困っていませんか?」というダイレクトメールが届くのです。
院長はどこから手術予定が漏れているのか?!と怒ってました。
実際、応訴負担だけで、被告側は賠償と同じ負の効果があります。
応訴負担と和解金で、和解の方が安ければ和解の方が得策でしょうが、和解金のお金の出どころは、詰まるところ診療報酬です。
頑張って持ち出しになるような医療を、特に民間病院で行えというのは、持続性に欠けるし、士気も上がるはずないでしょう。医療倫理の問題でもありません。患者モラルの問題であり、数パーセントの問題患者が混じるだけで他の大勢のための医療に支障が起こります
もう、分水嶺は越えました。
数パーセントの問題患者を事前に見分ける方法がないとすると、取るべき行動は、問題になりそうな対象を全て避けることです。
降り掛かる火の粉を避けることは、医療者にも許されて当然の行動パターンだと思いますが?
過保護とも思える法的保護を医療に与えなければ、回復不能になると私は見ています。
一部患者の権利を制限しないで、安く早く内容のある治療を提供することが可能かどうか?
もはや、医療側には妥協余地は残されてません。
No.29 Med_Law先生
>私の地域でも、Ambulance Chaser(救急車の後を追いかける弁護士)の話が出てきています。手術を受けた患者のところに、「問題ありませんか?困っていませんか?」というダイレクトメールが届くのです。
この話は、「現時点では」弁護士としてとても信じられませんが、私の知らないところでことが進んでいるかもしれません。
救急車の後を追っかけるのは、被害にあった方が現にいるので、弁護士としてのスタンスで非難されることはあっても、その他のところで問題になることはないように思えます(だからいいんだ、と言っているわけではありません)。
ただ、高度の秘密事項である手術の有無について情報を収集し、かつ、被施術者に対して、損害賠償の勧誘を求めることは、「現時点では」ちょっと考えられません。
この手のダイレクトメールは、多重債務者に対し、非弁提携弁護士(実質的には、非弁護士に雇われて債務整理を弁護士以外の人物が多数・定型的に行う)名で送られてくることはあります。このDMにしても、不当な手段で収集した多重債務者名簿をもとに(一度多重債務者になった人はまた、同じように借金を重ねることが多い)送られるのであって、そこには一定の経済的合理性があります。
しかし、上記の話には、不確定要素が多く、また、被施術者の個人名・住所を特定するのは、多重債務者の名簿を手に入れる以上の大変な手間(おそらく正当な手段でない取得方法で)をかけても、ほとんどが「はずれ」となる可能性が高いので、DMまで送付するだけのペイはしないと思われます。
なにより、不当な手段を使ってまで情報を取得してまでDMを被施術者に送るような(私から見れば)恥ずべき方法でセールスを行う弁護士が「現時点で」いるとはとても思えないのです。
この情報について、おわかりになる範囲内(例えば、DMの差出人は弁護士であったのか、その内容は「手術について問題がありましたか?何か不満があればご相談に応じます」などの文言の記載があったのか)でお教え下さい。同じ弁護士として非常に気になります。
#くどいように「現時点では」と限定していますが、これは、PINE先生が何度がコメントされていましたように、「国の政策により」弁護士人口が爆発的に増えて、これからは食うに困る弁護士が多数出てきます。そうなると、救急車の後を追うだけでなく、上記のようなセールス方法を行う弁護士がいないとは断言できなくなるからです。
No.30 nuki 先生
弁護士は御用聞きのように仕事を貰いに行ってはいけないと思っていましたが、(あるいは訴訟を唆してはいけないでしょうか、)何れにせよ勘違いですか。
「Ambulance Chaser」は日本でも倫理的にも法的にもありうることなのでしょうか?
No.30匿名様
弁護士を規律する法律である弁護士法では、営業「方法」に関する禁止事項は、一般条項(一般的に弁護士の「心得」を述べたもの。「品位を保持する」「人格の陶冶に努める」など)を除いて特にありません。したがって、「救急車の後を追う」という営業方法について、具体的に禁止されてはいません(但し、一般条項を根拠として、「品位を損なう営業方法である」として、弁護士法違反であるとされる可能性はあります)。
倫理規定については、例えば、日本弁護士連合会の「職務基本規定」の第10条においては、『弁護士は、品位を損なう方法により事件の依頼をうけてはならない』とあります。
「救急車の後を追う」が「品位を損なう方法」かどうかで、倫理的に許されるかどうかが決まると思います。
一昔前だったら、このような依頼の受け方は「品位を損なう方法」であるというのが、一般的な見方であったと思われます。しかし、現在はどうでしょう?
もちろん、救急車の無線を不正に傍受して救急車の行き先を調査するような不当な方法をとった場合は、「品位を損なう方法」と現在でも考えられるのかもしれません。
しかし、弁護士の広告が解禁され、弁護士が営業を行うことも基本的に自由になった(つい10年ほどまえまでは、弁護士が営業行為を行うためには、所属弁護士会の許可が必要だったのです)現在では、問題にされない可能性が高いのではないかというのが、私の考えです(もちろん、異論はたくさん出てくると思います)。
No.26 FFFさん
そして
「医療側が勝訴した事件については、そもそも検討・議論の対象にしない。又は、先例としての意義を可能な限り小さく見積もる(判例としての価値を認めないか、射程距離を短く取ろうとする)」
ということではないかと。
人は最悪の事態を想定して行動したがるのだそうです。これ何とかの法則という名前があるのですが忘れました。要するに、これは防衛本能に基づく一般的な行動なのですよ。
医師が言うのは「自分たちに都合のいい真実だろう」というよりはむしろ「自分たちに都合のいい真実=医師は誤りを認めて謝罪しろ」ということなのでしょう。それにしてもなぜ上記の行動が、医師たちが揶揄嘲笑する構図に似ているのでしょうか。
>なぜ上記の行動が、医師たちが揶揄嘲笑する構図に似ているのでしょうか。
遺族側が主張する「真実」 → 「過失がないのになぜ死んだ。」
医師側が主張する「司法判断」 → 「結果が悪ければ罰せられる。」
ということかと。
過失がないのに死ぬのは自然法則。であるならば揶揄嘲笑することもあるでしょう。
結果が悪ければ罰せられることがあるのは司法判断。であるならば防衛本能を発揮せざるを得ないでしょう。
結果が悪いというだけでは罰せられないのが司法判断(の論理)。
何度説明されてもこれが理解できないというのであれば、揶揄嘲笑されることもあるでしょう。
語呂合わせですので、失礼の点はご容赦。
> No.28 元ライダーさん
昨今の修習生と話をしていると、司法試験に合格した程度ではダメでしょうね。然るべき経験を有する弁護士に聞いて頂くか、訴訟法の基礎を理解した上で調査官が執筆した判例解説を読むか(最高裁判例だけですが)すれば、かなり正確に把握できるかとは思います。
一々そんなことやってられないというのは、そのとおりです。正確な情報に、より低いコストでアクセスできる方法が用意されるべきとも思います。
後段の「プロパガンダ」については、ずいぶん率直なことを言って頂いたなあと。私も、中にはそういう要素(正確な表現でないと分かりつつ言っている部分)があるだろうとは思いつつ、自分が書くとカドが立つと思って黙ってたのですが(笑)。
結果が悪くても、過失がなければ、あるいは過失との因果関係がなければ、刑事での罰にはならないという理解で正しいのですか?
私が思いますに、「説明しなくてもわかるだろう」ということは誤りです。
「何度説明してもわからない」という憤懣はわかりますが、それと「説明は何回もしたのでもうやらない」ということは別です。医師はくどいくらい説明する人はしています。一方、法曹の方の一部が法の説明自体をしない(こんな基本も知らないのかという態度)ことが多く見受けられることは残念です。「専門知識もないのに」という言葉も残念ですね。単なる感情的な反発に対して嫌気が差すことは理解できますが、他人の無知に対して解説自体をしないこと(もしくはimplyのみで示すこと)は適切とは思えません。
教えてくれくれという態度は慎むべきでしょうが、高踏的な態度は何も生み出さないと思います。知識を求めるなら無料ではしかねるというのならわかります。本を買うべきだというならそれはそれでいいでしょう。
医師は医師の知識はダダ漏れで教えていますが、知識を授けることで報酬を得る職業ではないので(本当はあればいいのですが病状説明はすべて無償です)違うかもしれません。
No.36 モトケン先生
結果が悪いというだけで罰せられるなんて、
お言葉ですが、私は一言もそんなこと言ってませんよ。罰せられるということの前提条件の一つとして、結果が悪いということを述べたまでです。
> No.33 うらぶれ内科さん
えーとですね。先のコメントで申し上げたとおり、別に裁判例に対してどんな印象を持とうが自由ですし、「最悪の事態」を念頭に置いて行動するのも自由です。それを批判するつもりはサラサラありません。
ただ、裁判例の射程距離(将来の訴訟実務にどれだけの影響を与えるか、その範囲と程度)について、軽々に断定的なことは言わない方がいいのではないかなと。この点に関する医師の皆さんの見解、これまで見た限りでは、ほとんど間違ってますし。
60キロ制限の一般道を時速61キロで走った場合、警察に逮捕され、20日間勾留され、起訴されて、懲役6か月の実刑となる可能性は、限りなく低いけど、ゼロではありません。その可能性、最悪の事態を念頭に置いて、車を運転しないという選択をすることは個人の自由です。
しかしながら、「高速道路を61キロで走っても半年間服役させられるぞ! 司法権力というのは恐ろしい!」と叫ぶのは、間違っている。60キロ制限というルールは高速道路に適用されませんので。
それだけのことです。
もちろん、間違いを承知で、政治的な意図から宣伝活動をするというのであれば、それはそれで個人の自由ですが。現に、このブログの常連医師にも、そういう考えの方が複数いるようですし。
なお、このブログのパターンでは、「制限速度1キロオーバーで検挙される危険性は極めて低いけど、医療行為が違法とされる危険性はもっと高いし、予測もつかないじゃないか」という反論が来ることになっています(笑)。疲れるので再反論はしません・・・・。
>No.38 うらぶれ内科さん
舌足らずで申し訳ありません。
うらぶれ内科さんがそう言ったという趣旨ではありません。
医師の中にそういう人がいることからFFFさんのコメントを私なりに説明したものです。
例えば、ある町医者さんが「でもそれって、結果が悪ければ罰するよってことでは?」と言っています。
>No.39 元内科医さん
>結果が悪くても、過失がなければ、あるいは過失との因果関係がなければ、刑事での罰にはならないという理解で正しいのですか?
正しいです。
>私が思いますに、「説明しなくてもわかるだろう」ということは誤りです。
誰かがそんなことを言いましたか?
この問題については、司法側からすでに何度も説明がなされているはずです。
私の印象を率直に言えば、これまでさんざん説明されています。
今日、別のエントリでコメントしたことですが
とりあえずキーワード検索で「過失」のキーワードなどで検索してもらえませんか。
そして弁護士のコメントをいくつか拾い読みしてみてください。
No.40 FFFさん
論点が違います。
No.33にあげた第一ブロックと第二ブロックの内容の構図上の類似点について質問したんですよ。モトケン先生から返答をいただいてますが、しかしこのブロックの中には結果が悪ければ罰せられるなどという表現はなく、またFFFさんは明らかにこれら二つのブロックの内容において、医師たちが揶揄嘲笑する構図に似ているとおっしゃっているわけです。
モトケン先生
ご趣旨は了解いたしました。
>No.42 うらぶれ内科さん
まずは、ご了解感謝します。
私が横から口を出すとより混乱しそうですが、混乱の種を蒔いてしまいましたので補足します。
患者遺族側が自分の主張に都合がいいように論理を歪曲するのも(ex.過失がなければなぜ死んだ。死んだのは医師に過失があったからだ。)、医療側が自分たちの主張、つまり医療崩壊は司法のトンデモ判決のせいだ、という主張に都合がいいように、医療側に不利な結果になった判決の射程距離を最大限に拡張するのも、構図的には同じだと思います。