エントリ

 昼過ぎから光市母子殺害事件関係エントリが異常なアクセスの増加を示したので調べてみましたら、このページ経由のアクセスで、以下のニュースが原因のようです。

 山口の母子殺害、日弁連に主任弁護士名指しの脅迫状(ヤフーニュース 6月5日13時23分配信 読売新聞)

 広島高裁で先月24日、差し戻し控訴審の初公判が開かれた山口県光市の母子殺害事件を巡り、日本弁護士連合会(東京都千代田区)あてに脅迫状が送り付けられていたことがわかった。
 同署や日弁連などによると、脅迫状が届いたのは先月29日。A4判の紙1枚で、「凶悪な元少年は抹殺しなければならない。それができないならば、元少年を守ろうとする弁護士たちから処刑する」「最悪の場合は最高裁判所長官並びに裁判官を射殺する」といった趣旨の文章が印字されていた。差出人の欄には、架空とみられる団体名が書かれていたという。

 最近、同事件の弁護団に対する個人攻撃、人格攻撃が目につき、週刊誌でも新潮が「政治運動屋21人の弁護士資格を剥奪せよ」という見出しを掲げたり、私の元に、弁護団の弁護士を懲戒する運動に協力してほしい、というメールが来たりしています。

 私がこれまで安田弁護士らの弁護活動について強く批判してきた経緯もあり、メールの差出人は私が当然協力するものとお考えだったかも知れませんが、私は弁護団の主張内容を理由とする懲戒請求に協力するつもりはありません。

 私は、安田弁護士らの主張やその他の弁護活動(記者会見等)の有効性について批判しているだけで、被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責に反しているとは思いません。
 わかりやすく言えば、私の批判は技術的な批判にとどまると言えます。
 一部司法制度問題に絡む批判もしておりますが、それは反射効果的な悪影響を問題にしたもので、弁護活動の当否それ自体とは趣を異にします。

 また私の批判は、一審、控訴審、最高裁の各判決を踏まえた批判をしているつもりですが、弁護人の現在の主張には最高裁における主張を超える部分がありますので、それがいかなる根拠に基づくものか分かりませんので、ひょっとすると有効な主張である可能性は否定できないところです。
 つまり報道されない情報もあるのですから、ある意味で私の批判は無責任な批判を含んでいるのです。
 そのような私が、上記の限度での批判や論評を超えて、懲戒請求に協力するなどできるわけがありません。
 
 安田弁護士らへの批判の一つとして、本件を死刑廃止論宣伝のために利用しているという批判があります。
 しかし、すでにどこかのコメントで指摘されていたと思いますが、本件弁護団の主張は、死刑制度の存在とその適用基準を前提にして、本件は死刑の適用基準を満たさないと主張しているのであって、主張それ自体としては死刑廃止論との関連性は認められません。
 死刑存置論者でも、同じ主張をする可能性がある範囲の主張です。
 上記批判は非論理的です。
 (多数の弁護士が集まったことについては政治的効果を狙ったものである可能性を感じますが)

 また、安田弁護士らの主張は、弁護士全体に対する信頼を失わせるという批判があり、実際弁護士に対するイメージを悪化させた人が少なくないと思いますが、本来は、安田弁護士への批判は安田弁護士に向けられるべきであって他の弁護士に一般化すべきではありません。
 弁護活動の具体的内容は事件ごとに違いますし、刑事弁護に対するスタンスも弁護士によって一様ではないからです。
 マスコミがこのような批判をする場合は、マッチポンプに近い感じがします。

 ともあれ、今回の脅迫は同じ弁護士として到底容認することができません。
 記事にある「模造の銃弾」というのがどんな代物かわかりませんので、子供のいたずらの可能性もありますが、いかなる言論であれ脅迫によってそれを押さえ込もうとする行為に対しては最大限の捜査と断固とした処分が行われるべきです。

 安田弁護士をはじめ本件の弁護団はこの程度で動じることはないと思いますが、この手の事件は一旦報道されると模倣犯が出てくるおそれがありますので、その観点でも徹底した捜査を求めます。

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コメント(163)

深読みしすぎかもしれませんが、弁護団への批判を牽制するための
弁護団による自作自演の可能性もあるのでは?
裁判を長引かせるために、公判をずる休みするなど、目的の為には
手段を選ばない方が弁護団におられるようですから。

医者でも法曹関係者でもない、ごく普通の一般人としてのコメントです。

被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責に反しているとは思いません。とのことですが、確かに職責だけからすればそうなんでしょうが、職責に反してさえいなければ、弁護のやり方やその主張は何でも許されるというのは違うでしょ!と感じるのが一般的なのでないでしょうか?
少なくとも私は、裁判を身勝手な理由で欠席したり、あれは殺人ではないなどと主張をすることは、一般社会の良識からは大きくかけ離れているとしか思えません。ですから、そんな非常識なことをする安田という弁護士は批判されるべきでしょうし、またそんなやり方を法曹界(弁護士業界?)として容認されるのであれば、はやりそれには大いに違和感(同じ穴のムジナ)を感じます。

医者でも法曹関係者でもない、ごく普通の一般人としてのコメントです。

被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責に反しているとは思いません。とのことですが、確かに職責だけからすればそうなんでしょうが、職責に反してさえいなければ、弁護のやり方やその主張は何でも許されるというのは違うでしょ!と感じるのが一般的なのでないでしょうか?
少なくとも私は、裁判を身勝手な理由で欠席したり、あれは殺人ではないなどと主張をすることは、一般社会の良識からは大きくかけ離れているとしか思えません。ですから、そんな非常識なことをする安田という弁護士は批判されるべきでしょうし、またそんなやり方を法曹界(弁護士業界?)として容認されるのであれば、はやりそれには大いに違和感(同じ穴のムジナ)を感じます。

>弁護団への批判を牽制するための弁護団による自作自演の可能性もあるのでは?

浪速の勤務医先生、それはどうでしょうオウム真理教ぐらいでしょう。そんなことするの。

話は変わりますが、傷害致死の荒唐無稽な作り話は、弁護団の作・演出なんでしょうか。被告人が考え出したとは到底思えないんですが。

No.1 浪速の勤務医さんへ

 変な憶測はやめて頂きたいと思います。

  21人もの弁護人が集まったのは、こういう違法な個人攻撃を避けるためであったと思います。
  私は、個人的には、これだけのバッシングを受けることを覚悟の上で、よく21人もの弁護士が集まったものだと思っています。

  業務妨害事件などで大勢の弁護士が集まって代理人になることはよくあることです。
  金目当て、名声目当てなんて、よく言えたものです(弁護士なら、こういう事件を引き受けても、金銭的にも、社会的評価においても、何ら徳にはならないことはよく分かっています)。

 そして、ついにこういう事態となったことについて、責任のある方が(その中には弁護士もいる)たくさんおられると思います。

一般社会の良識からは大きくかけ離れているのは悪い事
という前提がそもそも正しいものなのかどうか。

No.5 M.T.さんの

>金目当て、名声目当てなんて、よく言えたものです

の部分に禿同です。

今回の件で、この手の的外れな誤解だけは少なくとも解消されると思いましたが、この期に及んで「自作自演」などと言い出す人がいるとは哀しいですね。
あの「死者を復活させる儀式だった」「ちょうちょ結びをしたら死んでしまった」などの主張を私も信じているわけでは決してありませんが、世間からバッシングの集中砲火を浴びることが当然予測できていたと思われる中、あえてそのような主張をした弁護団の声には、それが事実か否かはさておき、とりあえず耳は傾けたいと思います。

こういう弁護士さんもいるようです。氷山の一角で、発覚しにくい、役得の一つなのか、とも思われても仕方なさそう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070605-00000113-yom-soci

 弁護団をバッシングしている人たちといえど、このような脅迫行為まで正当化する人たちは少数なようですが、ろくな情況証拠さえない中で、陰謀論まで持ち出す人たちは語るに落ちた感じです。
  「本村洋氏は人殺しがしたいから死刑を主張している!!」というような、低俗極まりない推測と論理としては同レベルである事がわかってないのでしょうか?


>通りすがりの一般人さん

 「主張することは弁護人の職責に反しない」というのもその通りですが、それ以上に「主張しないことが弁護人の職責に反する」といっていいと思います。法技術的な批判はモトケン先生が既に展開されているところですが、と言って何も主張しなかったら、それこそ被告人に弁護士が訴えられて懲戒処分を受けたり、慰謝料を払うハメになるでしょう。
 今回の弁護については、市民的正義感と弁護人の職責はまさしく正面衝突していると思います。そんなときに、市民的正義感に従って被告人に不利な弁護をするのは、弁護の存在意義の否定である・・・と、司法研修でも教わると聞いていますし、その他、私の知る法曹を養成する所では皆そう教えています。

弁護団は、わざわざマスコミに、トンデモな主張を開陳した効果が出すぎていますが。
上手く行けば、被告は頭の中に電波が飛び交っていると、思い込ませられる可能性も有ります。

強い反発が予想できないはずは無いので、それを承知でやっていると思われ。
肝の据わりように驚き、凄いです。

 結局、裁判というのは言いたい放題なんですね。それなりの裏付けとか、合理性ぐらい必要な気がしますが、どうもそれさえ不要と学校で教えているようです。

ちょっと疑問に思ったのですが、この事件の弁護団って、「職責」を果たすべく、あのような主張をしたのでしょうか?
そういう気持ちも当然あるかもしれませんが、私は、この事件の弁護団は「職責」を果たすためというより、自分たちの「正義感」や「信念」から、あのような主張をしたものだとばかり思っていました。
で、今回の裁判では、「国民の一般的な正義感」と「弁護団の正義感」が正面衝突してしまったのではないかと私は解釈したのですが…
素人なりに浮かんだ、素朴な疑問を書かせてもらったのですが、的外れなことを言っていたら、すみません。


「脅迫」は弁護士の迷いを覚ますための魔術的な儀式であり、犯人は銃弾が
弁護士を覚醒させると信じていた
(性行為は被害者の生命を救うための魔術的な儀式であり被告は精子が人間を
復活させると信じていた)

「脅迫状」を送りつけたのはママゴト遊びのつもりだった。弁護士の目を覚まさせ
ようと、銃弾を送りつけたところ、ビックリさせすぎてしまい、弁護士は逃げ出して
しまった。
(赤ん坊を床に叩きつけたのはママゴト遊びのつもりだった。赤ん坊を泣き止ませ
ようと、首にちょうちょ結びをした所、きつく締まり過ぎてしまい、赤ん坊は死んでし
まった。)

いずれにしても「いかなる言論であれ脅迫によってそれを押さえ込もうとする行為」
には当たらず、「最大限の捜査と断固とした処分」も必要なし。
せいぜいお説教程度でしょう。

と安田弁護士は言うに違いない!

>けんさん

ちょっと疑問に思ったのですが、この事件の弁護団って、「職責」を果たすべく、あのような主張をしたのでしょうか?

それに関しては、被告にしか回答できないことだと思います。被告が、弁護士団に対して職責を果たしていると判断しているのならば、外野がとやかく言う必要はないかと。

脅迫とは穏やかでないですよね。
というか、送ったほうは脅迫に効果があると本当に思っているとしたら、相当におめでたいと思いますが、まぁ脅迫により裁判を捻じ曲げようという輩がいること自体はよろしくないので、きちんと捜査をお願いしたいところです。

・・・これがつかまらないようだと、裁判員に対する脅迫にも対応できないということにもなりかねませんし。

ただ、安田弁護士本人に対する個人的な心証としては、何かあってもこの人には弁護人になってもらうのはやめておこうというのはあります。(何を言われるかわからんので)

>No.14しま(その他)さん

レス、どうもありがとうございます。

>それに関しては、被告にしか回答できないことだと思います。被告が、弁護士団に対して職責を果たしていると判断しているのならば、外野がとやかく言う必要はないかと。

文意がよくわからなかったのですが、もしかして私がNo.12 の書き込みにおいて、誰かを批判しているように捉えられたのでしょうか?
それでしたら、誤解です。
私は弁護団が、どのような思いから、あのようなバッシングを浴びることが確実に思われるような主張をしたのか、それが気になるのです。
弁護団が言うことに、耳を傾けてみたいと思っているのです。

私は、このブログの「刑事弁護人の主張について」のコメントNo.80で、こうコメントしました。

話を光市の事件に戻すと、毎日新聞の記事によれば、弁護人らは『精神科医らの鑑定結果から「二人の殺害は予想外の事態」と主張』しているとされています。
ということは、弁護人以外にも、私的鑑定を行った精神科医も被告人と面会し、被告人から話を聞いているということです。
そして、その話の内容から私的鑑定書が作成され、弁護人らはそれに基づいて主張を行っているという図式になります。
裁判の進行としては、まだ弁護人の主張立証方針を明らかにしただけで、弁護人の主張の根拠なった精神科医作成の私的鑑定書の内容などは明らかになっていません。

マスコミでバカ騒ぎしすぎだと思っていますが、それが視聴者の欲するところなんでしょうか。
それにしても、脅迫状を「日弁連」に送るところは間抜けです。

ちなみに、私は、安田弁護士らが最高裁の弁論を欠席した点については、許されるべきではなく、厳しく懲戒すべきだと思っています。

とりあえず、弁護士に自浄作用は無いことは分かりました。

あと、これは関係ないですが、情報を保存するのチェックを入れて外すと名前とかの情報が消えちゃいますね・・・

> 脅迫状を「日弁連」に送るところは間抜けです(No.17 PINE さま)

安田弁護士あてに送っても、スルーされるおそれがあるからじゃないですか。
安田弁護士は警察とは仲良くないので、脅迫状を届け出ても真面目に取り上げてもらえるかどうか、分かりませんし(坂本弁護士殺害事件の前例がある)。
それでは彼らにとっては、ちっともおもしろくありません。
最高裁長官や裁判官をターゲットに入れるというのも、その辺りの対策で、日弁連に送っておけば同窓の誼で知らせるだろう。

No.15 おかてん(非法曹/患者)さまのおっしゃる通り、次には裁判員をという展開になるのは必定ですから、
警察はきちんと取り締まってほしいです。

>at. さん
「一般社会の良識からは大きくかけ離れているのは悪い事という前提がそもそも正しいものなのかどうか。」

良識と相違=悪 ということでは必ずしもないのは事実です。言いたい事は、社会の共通認識となっている倫理又はモラルが良識と言うものであるなら、裁判という正義や公正さが求められるところ(であって欲しいと普通の人は思っています)で、良識とかけ離れた主張を、一般的イメージとしてある公正さを象徴すべき弁護士がすることは、世間に容認されるとは思わないし、与える悪影響も大きいので、すべきではないということです。

>風の精霊さん
「何も主張しなかったら、それこそ被告人に弁護士が訴えられて懲戒処分を受けたり、慰謝料を払うハメになるでしょう。・・・市民的正義感に従って被告人に不利な弁護をするのは、弁護の存在意義の否定である・・・」

確かに言われるとおりだと思います。私は何も主張をするなとか、市民感情に沿った被告人に不利な主張をしろとか言うつもりはありません。被告人の弁護のためになら、裁判そのものや原告を侮辱するようなことも(裁判の身勝手な欠席)すべきだし、降って湧いたように傷害致死という荒唐無稽な幻想(一審、二審ではそれは争わず、差し戻し審になって初めて主張したことであればそう考えてしまいます)が弁護と称して容認されるのは納得がいかないし、そんな価値観が法曹界では常識なのであれば、それにも違和感を覚えるというのが言いたいことです。

No.19のYUNYUN(弁護士)さん、

>安田弁護士は警察とは仲良くないので、

安田弁護士は、後から無罪になったから良いようなものの、逮捕・起訴までされちゃってますからね。


モトケンさん、

>私の元に、弁護団の弁護士を懲戒する運動に協力してほしい、というメールが来たりしています。

弁護士を懲戒する「運動」ですか。
死刑廃止「運動」と主義主張が違うだけで、やってることは似たり寄ったりの気が・・・。
懲戒したいんなら、誰でも懲戒請求ができるんですから、ちゃっちゃと懲戒請求すればいい。

(意図的にお医者さんに振ってみたいなぁと思ったりしているわけですが・・・。)
(報道を前提として)私的とはいえあんなトンデモ鑑定をした精神科医さんを、医道審議会にかける必要はないのでしょうか。

このところコメント量に圧倒されて、読むのがやっとでした。久しぶりにコメントします。

脅迫状は全く論外。裁判員制度に向けても厳しく追及して欲しいですね。暴力団員の裁判なんか、真っ先に標的になりそうで、それだけで一般人の裁判員はびびりますもん。

>PINEさま
医道審議会ですかあ。確かに報道の通りなら、あんなトンデモな精神鑑定結果を出す医師にバッシングすべきだと思いますけど、医道審議会は筋違いのような・・・あそこは法に触れるような問題を起こした医師を処分するところなので、「トンデモな精神鑑定結果」というのは法に触れません。従って無理筋ではないかと思います。

こんにちは、整形Aです。

子供の頃に「弁護士ジャッド」(たぶんこの名前)というアメリカのTV番組を見た記憶があります。年がばれますが。
アメリカの法廷物のドラマですね。
基本的には、ジャッドは有能だがその分(たぶん)依頼料などは高い弁護士という設定。

ジャッドはある殺人事件の被告の弁護を頼まれました。被告の家族は金持ちでジャッドに依頼することが可能です。逆に被害者のほうは貧しい家庭。
裁判で、ジャッドは巧みな法廷戦術で、被告が殺人を犯した現場を見たという証人の証言があやふやであることを衝き、陪審員から無罪の表決を得ることに成功しました。

ところがその直後、被告が被害者の父親に「本当は俺がやったんだが、これで俺は無実だ」と勝ち誇ったようにいいます。
被告の発言を聞いて激怒した父親は、持っていたピストルで無罪評決を受けたばかりの被告を射殺してしまいます。

今度は自分が逮捕され連行される父親。
ジャッドは受け取ったばかりの弁護士の報酬をそっくり差し出し、
「この金であの父親に優秀な弁護士を雇ってくれ」
といって法廷を後にしました。

何せ30年〜40年くらい前の記憶なので定かではありませんが、この話だけは印象に残っています。
まあ、国柄も違うし時代も違うし、所詮作り話ではあります。

ですが、裁判の場ではとことん依頼者の利益に、そこを一歩離れれば自らの信じる社会正義に基づく行動をとる。
プロの鑑じゃありませんか。
僕が犯罪を犯したら、どんな手段を使っても一番自分に有利になるよう弁護活動をしてもらいたいと思いますがね。

ところで安田弁護士を非難する人たちって、普段自分の<金になる>仕事を離れて、何か世のため人のためになるような社会活動をしているんでしょうか。
自分は恥ずかしながらほとんどしていません。
せいぜい医師会活動ですが、これとてお金と無縁ではなく、仕事の延長のようなところがあります。

いくら弁護士といえども、死刑反対運動や人権擁護の活動がお金になるわけではなく、自身の正義感からやっていることでしょう。
正義感が必ずしも周りの人と価値観を共有するわけではありませんが、一銭の金にもならないことを一生懸命やることは尊敬に値します。

> No.20
>通りすがりの一般人さん

>荒唐無稽な幻想が弁護と称して容認されるのは納得がいかないし、
>そんな価値観が法曹界では常識なのであれば、それにも違和感を
>覚えるというのが言いたいことです。

弁護士という職業を過度に神聖視しておられませんか?
結局の所、弁護士は「喧嘩の代理人」なわけで、雇用主が「この戦術で行け!」と言った場合は、その作戦で法廷闘争を繰り広げるしかないんですよ? あるいは、貴方は「負けると分かってても勝負しなきゃいけない事態」を経験されたことがない、お幸せな暮らしぶりの方なのかもしれませんが。

それともう一点、今回の件は原告側が大々的にメディア戦略を繰り広げたために弁護側主張の荒唐無稽さも際立っているのだ、という点はお忘れにならない方がよろしいかと。最近は裁判の傍聴というか見聞録が流行っていますが、単に「被告人側が荒唐無稽な主張を繰り広げている」例だけなら、それこそ掃いて捨てるほど読めますよ。結果、荒唐無稽な主張の方が通ってしまった、という例にしても。

いずれにせよ、貴方はあまり裁判沙汰には関わらずに暮らしていかれる方がよろしいのでは……と〆ようとしたのですが、例えば私や「通りすがりの一般人」さんが法廷で主張をぶつけ合う事態も起こり得る、ってことなんですよね。裁判員制度って。

ちょっと釣られてみます(^^;)

No.18 らぃ様

>とりあえず、弁護士に自浄作用は無いことは分かりました。

 「とりあえず」などとおっしゃらず、どの点からみてそうお感じになられたか、また、「自浄作用」を行う具体的な方法論について、ご意見があれば、ご説明いただければありがたいのですが。

 「自浄作用」が何を意味するか、私にはよくわかりません。既に、No.21PINE先生が述べられているように、誰でも、所属弁護士会への懲戒請求は可能です。安田弁護士が懲戒請求されて、所属弁護士会が調査した結果。「懲戒しない」旨の決定がでて、かつ、その決定が不当な(とあなたが考える)場合なら、あなたが指摘する「自浄作用は無い」と(あなたの主張として)言えると思うのですが、その段階に達しないところで、「自浄作用はない」と言われても…というのが、私の率直な感想です。

 この件に関する私の考えは、以前
http://www.yabelab.net/blog/2007/05/26-104928.php#c57592
 で述べたとおりです。
 このような意見は、「弁護士は自浄作用が無い」ことを補強するとお考えならば、具体的な「自浄作用」を実現する方法論をご教示頂ければありがたいのですが。
 
 

No.22の山口(産婦人科)さん、私のトンデモコメントにきちんとお返事いただいてホッとしています。
お医者さんから何にも反応がなかったら、寂しいなぁと思っておりました。
医道審議会は、確かにそうでしたね。

これから裁判が進行していくと、必然的に、私的鑑定書の内容等も明らかになっていくと思います。
鑑定書を作成された精神科医にバッシングがいかないことを祈ります。

報道と、報道が招く反応と、この事件に関して見ていくうちに、医療事故に関する報道とその後の展開にうり二つだという気がして仕方ありません。
弁護士も医師も、そして彼らを非難するマスコミや市民も、全員が、それぞれの信じる正義(誠実に職責を果たすべしということも含めて)に基づいて行動しているのでしょう。
しかし、報道において、弁護士や医師にとって、それが正義であること、少なくとも非常に厳しい状況の中では出来うる限りの誠実な仕事なんだという視点や解説は、ほとんど見ません。
正義って何なんだろうと考えさせられます。

ただ少なくとも、この弁護士さん方が、後で訴えられることはないだろうということが、羨ましいような、せめてもとほっとするような、何とも言えない気分です。

青臭い理想論と思いながらコメントはしていますが、人格的な攻撃をされるとは思いませんでしたので、これで最後にします。

>No.20
>さすがに見かねた一般人さん

弁護士という職業を過度に神聖視しているわけではありません。今の仕事で弁護士とは関わり合う機会が多いですから、現実の部分もわかっているつもりです。

>「結局の所、弁護士は「喧嘩の代理人」なわけで、雇用主が「この戦術で行け!」と言っ
>た場合は、その作戦で法廷闘争を繰り広げるしかないんですよ?」

国選弁護の場合はそうはいかないでしょうが、雇用主から理不尽な方法を指示されても、唯々諾々とそれに従うのが弁護士というものなんですね。社会良識など関係なく、自分の信念を曲げて卑屈になっても雇用主に従うのが弁護士の職業倫理というわけですか。
だから、何でもありの弁護が是認されると言いたい訳だとすれば、そもそもその点で価値観が違いますから一生意見はかみ合わないでしょうね。

>「貴方は「負けると分かってても勝負しなきゃいけない事態」を経験されたことがない、お
>幸せな暮らしぶりの方なのかもしれませんが。」

ありがとうございます。おかげさまで幸せに暮らしておりますが、これは言わずもがなの事ではないでしょうか?貴方はご不幸なお暮らしぶりのようで憐憫に耐えません。

>「今回の件は原告側が大々的にメディア戦略を繰り広げたために弁護側主張の荒唐無
>稽さも際立っているのだ。」

貴方は、メディア戦略がなかったら、ほとんどの人が荒唐無稽とは思わなかったとお考えのようですが、際立てなくとも、主張そのものが良識がない荒唐無稽の作り話だと思うのが普通の感覚だと思います。しかし、そうでないようですから、少なくとも私とは感性の次元そのものが全く違うようです。
それに私が言っているのは、人を殺めた事実を過失(致死)と言い換えるその良識の無さを言っているのであって、単に荒唐無稽な主張をしているのがけしからんと言ってるわけはありません。貴方に指摘されるまでもなく、理不尽な主張がまかり通る事例はイヤというほど経験していますから。

>いずれにせよ、貴方はあまり裁判沙汰には関わらずに暮らしていかれる方がよろしいの
>では

これも言わずもがなの事と思っていますが、ご忠告はありがたく拝聴しておきます。ただ、残念ながら、裁判沙汰(但し民事ですが)には仕事柄関わらざる得ませんので、ご忠告どおりには出来かねますので悪しからず。


>通りすがりの一般人さん

>降って湧いたように傷害致死という荒唐無稽な幻想(一審、二審ではそれは争わず、差し戻し審になって初めて主張したことであればそう考えてしまいます)
>そんな価値観が法曹界では常識なのであれば、それにも違和感を覚えるというのが言いたいことです。

 「差し戻し審になって初めて主張」というのは無視できない経緯であり、それを前提にして弁護方針を批判している弁護士は多いですよ。
 私もそうですし。

 あなたは誰のどういう意見に基づいて、「そんな価値観が法曹界では常識」と判断されたのですか?
 どんな価値観を問題にしているのですか?

既に書いたようにもうコメントはしないつもりでしたが、管理人さんからのご質問ですので、コメントした義務としてお答えいたします。

>No.29 モトケンさんへ

>「差し戻し審になって初めて主張」というのは無視できない経緯であり、それを前提にし
>て弁護方針を批判している弁護士は多いですよ。
>私もそうですし。

そうなんですか。そのことについて法曹界の方々にも批判が多いということは頼もしい限りです。

>あなたは誰のどういう意見に基づいて、「そんな価値観が法曹界では常識」と判断された>のですか?どんな価値観を問題にしているのですか?

管理人さんは、「批判は技術的な批判にとどまると言えます。」との意見ですが、弁護手法の有効性だけを問題にしていいのか?との思いがあって、コメントしました。安田弁護士のしたことは、あくまでも方法論、技術論だけが問題であって、それ以外の観点からは何ら問題はないというのが法曹界での価値観であるなら、一般人とは(少なくとも私とは)少しかけ離れていると感じましたので、あのような表現になりました。

確かに弁護は可能な限り被告人の最大限の利益のためになされるべきことにも異論はありませんが、そこには最低限のモラルがあるべきではないか、安田弁護士の主張はその最低限のモラルすら踏み越えているのではないかというのが感覚的に思うことだったのです。誰かが書かれていたように、裁判では真実はどうでもいい、被告人の利益を守ってこそプロなんだ、だから技術論は問題だけれども、モラルは関係ないという価値観があるのであれば、それを望んでいる人は少数のように思います。また、そうであるなら、私は裁判制度そのものを見直すべきだと思います。私が母子殺人事件の被害者の立場であったなら、そんな価値観で裁かれる裁判など無用で、自力救済を選択するでしょう。

No.30 通りすがりの一般人様

モトケン先生も他のエントリーでのレスもお忙しいようですので、横レスをさせて頂きます。

>安田弁護士の主張はその最低限のモラルすら踏み越えているのではないかというのが感覚的に思うことだったのです。
と通りすがりの一般人様がお考えになった前提は、その前の通りすがりの一般人様のコメント

>「降って湧いたように」傷害致死という「荒唐無稽な幻想」(一審、二審ではそれは争わず、差し戻し審になって初めて主張したことであればそう考えてしまいます)
<注:「」書きは私がつけました>
が前提でお考えになったのだろうと思います。
 
 前半部分の「」書きは、私個人の考えとしては、通りすがりの一般人様の見解に同意いたします。しかし、その後の「」書きは、『荒唐無稽な幻想』と断定できないので、この見解には賛成しかねます。例えば、弁護人と被告人が、「実は被害者は死んでいない。○○国で生きている」「異星人が突然UFOでやってきて殺したのだ」と主張したなら、それは「荒唐無稽な幻想」と言っていいでしょう。
 しかし、「1審、2審で争われなかった」というだけで、「荒唐無稽な幻想」とは私にはとても言えません。
 この前提のところで、「荒唐無稽な幻想」(通りすがりの一般人様も私も、証拠を見てませんよね?傷害致死であると絶対言えないとどうして言えるのでしょう?)で無い以上、傷害致死を主張することが「最低限のモラルすら踏み越えている」といえないのではないですか?

そして、通りすがり一般人様の考えの一番の問題点は、
>私が母子殺人事件の被害者の立場であったなら、そんな価値観で裁かれる裁判など無用で、自力救済を選択するでしょう。
の部分です。
仮に、弁護人と被告人の主張が通りすがりの一般人様のおっしゃる「荒唐無稽な幻想」だとしても(というより、「荒唐無稽な幻想」であれば当然)、裁判所はそんな主張は一顧だにしないでしょう。
最終的な判断は裁判所にあり、裁判所が採用しなければ、弁護人や被告人の主張は言い放しになるのです。「そんな価値観」を一方当事者が持っていても裁判所が取り入れなければ「裁かれ」やしないのです。

私個人の考えは、No.25で引用している以前のコメントの通りですので、関心を持たれましたら、ちょっと見て下さい。

>No.30 通りすがりの一般人

>確かに弁護は可能な限り被告人の最大限の利益のためになされるべきことにも異論はありませんが、そこには最低限のモラルがあるべきではないか、安田弁護士の主張はその最低限のモラルすら踏み越えているのではないかというのが感覚的に思うことだったのです。誰かが書かれていたように、裁判では真実はどうでもいい、被告人の利益を守ってこそプロなんだ、だから技術論は問題だけれども、モラルは関係ないという価値観があるのであれば、それを望んでいる人は少数のように思います。また、そうであるなら、私は裁判制度そのものを見直すべきだと思います。

 どうも、弁護士以外の方は、弁護士が被告人が言わないことを勝手に主張できると思われているようですが、それに対する、いままでの説明の仕方と別の視点で言えば、

 弁護士が勝手に主張できれば、いくらでももっと被告人に有利な主張ができる(むろん、それを言ったからと言って、本件の場合、死刑を免れる可能性は小さいですが)。

ということです。
 まさか、本件弁護人が今、言っている主張を言ったから被告人が有利になる、又は、死刑廃止制度の促進に役立つと思っていると、皆様思ってらっしゃるのでしょうか。

 

 

>>通りすがりの一般人さん

自分が被告となったとき、担当の弁護士が勝手な「モラル」を発揮して、
適当な弁護しかしなかったらどうしますか?
「最低限のモラル」と言うのは、人それぞれ基準は違いますし、
非常にあいまいです。
一弁護士にそれを判断する自由を与えるべきではないと思います。

>けんさん

私は弁護団が、どのような思いから、あのようなバッシングを浴びることが確実に思われるような主張をしたのか、それが気になるのです。

すでに言われていることですが、安田弁護士は、被告人の利益に適うと思っているのであれば、バッシングをも覚悟しているのではないでしょうか。

>No.34 しま(その他)さん

今回も文意がよくわかりません。
あなたは結局、最初に私にレスしてくださったNo.14のコメントにおいて、何がおっしゃりたかったのでしょうか?

>けんさん

私は、この事件の弁護団は「職責」を果たすためというより、自分たちの「正義感」や「信念」から、あのような主張をしたものだとばかり思っていました。

と言う書き込みから、あなたは「弁護団は職責より自分たちの価値観を優先している」と主張したいのだと思いました。

一方、私は弁護士の職責とは「被告人の利益のために行動する」事が第一だと思っています。よって、弁護士が職責を果たしているかどうかは、被告しか判断できない事なのではないのかな思うわけですが、いかがでしょうか。

nukiさんへ

横レスの横レス失礼いたします。
文章的には「傷害致死という荒唐無稽な幻想」なので、荒唐無稽な幻想の修飾語として傷害致死がありますが、No,28のコメントから大意を読み取ると

通りすがりの一般人さんがおっしゃりたいのは
 嵜佑鮖Δ瓩燭海箸髻蝶々結びや儀式といったおよそ一般人は主張しないようなこと(=荒唐無稽の幻想)で傷害致死であると主張していること(しかも1審、2審で主張していない)

をまず問題としていて、つまり傷害致死と主張するにしても、もう少し一般人が理解できるようなストーリーにしろということ

2点目として、
△修里茲Δ覆よそ一般人が主張しないようなことを雇用主の要望だからといって、唯々諾々と従うことが(国選弁護人の場合を除いて)弁護士(業界)の常識なのか

,砲弔い討蓮被告人が主張しているのか、安田弁護士が主張しているのかわかりませんが、技術論云々のレベルであって、モトケンさんがおっしゃられるように同業者の方からも批判が多いとの事でしょう。
△砲弔い討蓮△△までも,料按鵑あった上でモラルはないのかとおっしゃられているのであって、,料按鵑ない場合の雇用主の利益を最大化することに異論があるわけではないと理解しました。

あってますか?>通りすがりの一般人さん

>もう少し一般人が理解できるようなストーリーにしろということ

 私は一般人の理解など問題にしません。
 証拠をどう評価して被告人に最大有利な主張に構成するか、そしてそれを裁判官がどう見るかだけです。

 一般人の理解を意識して遠慮するなど弁護人としてはもってのほかということになります。

>No.36 しま(その他)さん

了解です。
要するにあなたは、最初に私のNo.14のコメントを読まれ、私が弁護団のことを批判しているように思われたわけですね。
私の真意が全面的に誤解されているように思いますが、それは私の文章が語弊を招くものだったということだと受け止め、今後書き込みをさせて頂く際には善処したいと思います。

> 一般人の理解を意識して遠慮するなど弁護人としてはもってのほかということになります(No.38 モトケンさま)

一般人の理解を意識していたら、福島産婦人科事件の弁護もできなかったでありましょう。
逮捕当時の新聞TV報道は、「人殺し医者」のムード一色でした。

> No.38 モトケンさま
一般人の理解を意識して遠慮するなど弁護人としてはもってのほかということになります

モトケンさまの言う通りだと思います。
一時の激情や感情に流されたり、一般大衆に迎合する風潮は非常に危険です。
技能者や科学者が、純粋に職業遂行を目指し科学的真理を追究してこそ、国民生活の向上や福祉が得られるのです。

マスコミや一般大衆が、些細な一部分を取り上げ「非常識だ」とか「弱者切捨てだ」と声高に主張しますが、我々が体制を維持しているからこそ世の中が秩序だって成立ち、その恩恵を享受できるのです。

いろいろとフォローや補足説明を頂きましてありがとうございます。
私が言いたかったようなことは、既に検討済み(相互認識済み)のようで、読み込み不足で場違いなコメントをしたかなと少し反省もしています。

>No.31 nuki さまへ

大筋のところで、ご意見(No.25で引用している以前のコメントも含めて)については納得しております。

>この前提のところで、「荒唐無稽な幻想」(通りすがりの一般人様も私も、証拠を見てませ>んよね?傷害致死であると絶対言えないとどうして言えるのでしょう?)で無い以上、傷
>害致死を主張することが「最低限のモラルすら踏み越えている」といえないのではないで>すか?

理論的にはそのとおりなんですが、心情的には、nukiさまもNo.25で引用している以前のコメントで書かれていましたが、「1審〜最高裁までの経過からみれば、今回の差戻審で被告人の主張している事実関係が一度も出てきていないというのは通常ではなく」というように限りなくクロ(事実に反する)に近いという点、また傷害致死だという主張の根拠が多分に妄想的で現実性が低いことから、その程度の根拠であの主張を行うのは、一般のビジネスの世界であれば、厳しいレピュテーションにさらされるのが当然という感覚があります。(裁判での弁護を一般のビジネスの次元で比較するのはナンセンスであることは認識しています。)

>最終的な判断は裁判所にあり、裁判所が採用しなければ、弁護人や被告人の主張は言>い放しになるのです。「そんな価値観」を一方当事者が持っていても裁判所が取り入れな>ければ「裁かれ」やしないのです。

そのとおりだと思います。誰かの言われていた、真実より依頼者の利益を最優先するのが弁護のプロであり、それこそ弁護士の鑑ということに引きずられたのかも知れません。
ただ、この点に関しても、明らかに現実的でない根拠に基づくものは、何らかの形で牽制されてもいいのではないかという心情的な思いはあります。

>No.32 L.A.lLAWさまへ
>どうも、弁護士以外の方は、弁護士が被告人が言わないことを勝手に主張できると思わ
>れているようですが

そうは思っていません。被告人の意思が前提となるのは理解しています。
ただ、あの事件においては、被告人自身の主張に基づくものであったとは思えないという前提に立ってコメントしたところはあります。

>No.33 青魚さまへ

ご意見もっともだと思います。

>自分が被告となったとき、担当の弁護士が勝手な「モラル」を発揮して、適当な弁護しか>しなかったらどうしますか?

適当な弁護は困りますね。適切な弁護をしてくれる弁護士に変えます。
ただ、真実を曲げてまでも有利さを求めるようにはなりたくないなというのはあります。
現実にその場に立てば、どうなるか判りませんが。

>No.37 薬屋の企画屋さまへ

判りやすく整理して頂いてありがとうございます。そのとおりです。

>つまり傷害致死と主張するにしても、もう少し一般人が理解できるようなストーリーにしろ>ということ

ストーリーというより、傷害致死というのであれば、その現実的な根拠を示すべきと思います。(被告人本人の主張に沿って弁護士が主張したのであれば、仕方ないと思わないこともないのですが、状況からそうは思えませんので)


モトケンさん、YUNYUN(弁護士)さん、冷静にさんへ

『一般人が理解できる』で反応されてしまったので、さらに補足します。
“一般人が理解できる”と“一般人の理解”では、ずいぶん意味が違うと思うのですが・・・
一般人が理解できるようなストーリーの意味は、一般人の感情に配慮したストーリーという意味ではありません。一般人が理解できる論理ということです。
皆様は、「蝶々結びや儀式」ということが傷害致死に至る論理として、理解できるのでしょうか?
私は通りすがりの一般人さんと同じく妄想的で現実性の低い論理だと思いますので、論理的整合性があるとは思えません。


そして、『刑事裁判』というシステムは、国家という社会システムがその秩序を維持するために、私刑を禁じる代わりに権力を持って人を罰するシステムだと理解しています。
もし、万が一にでも『妄想的で現実性の低い論理』が裁判所で認められるようであれば、こんな裁判システムはいらない自己救済を行うと通りすがりの一般人さんはおっしゃっていて、私も同意見です。
これが多数派かどうかはわかりませんが、一定数以上の賛同が得られるのではないかと思います。とすると、本来の目的である私刑を禁じる代わりに権力を持って人を罰するシステムとして成り立っていないのではないですか?
裁判システムの一部である弁護人が、システムそのものの目的(私刑を禁じ権力で人を罰する)を危うくする主張は、ひいては裁判システム自体への信頼性を揺るがすモラル違反ではないのでしょうか?
というのが私の考えです。


モトケンさんは、『依頼人の利益の最大化のためであれば、どんな主張をしても良い。したがって、主張の内容は如何に裁判官を納得させるかという技術論の範囲である。』というお立場であるということですよね。一方で、行列の橋本弁護士は懲戒請求を呼びかけていますし、朝ズバの大澤弁護士は「弁護士として恥ずかしい」と言っています。(どちらの意見が弁護士という業界で一般的なのかはもちろんわかりません。)
これは、「企業は利益の最大化のために法律の範囲内であるならば、モラルや倫理は無視しても良い」という立場の人と、「企業は社会システムの一部であるから法律の範囲以上のモラルや倫理を遵守する必要があり、利益が最大化しなくてもやむを得ない」いう立場の人がいて、理解はできても相容れない立場であり、価値観の違いと認識します。

最後のパラグラフが誤解を招く表現になっているので、訂正します。


これは、経営者が、「利益の最大化」と「モラルや倫理」が天秤にかけられた場合(もちろん法律の範囲内で)、「利益の最大化」を取る経営者と「モラルや倫理」を取る経営者がいて、理解はできても相容れない立場であり、価値観の違いと認識します。


申し訳ありません。
上のパラグラフと差し替えてご理解ください。

 ちょうちょ結びをした少年に殺してやろうという意思すなわち「殺意はなかった」、だから傷害致死というのは、相当に分かりやすい論理のように思えますが・・・。

 ちょうちょ結びであること自体は、他の証拠から明らかであるようです。首を絞めて殺す気なら普通ちょうちょ結びではなくてもっと直接的に締めるだろう・・・本当に殺意あったのか?というのは、弁護する立場からすれば、割と普通であるように思いますよ。(おめかしだったというのは相当無理があると思いますが)
 もちろん、最高裁はそこまで他の証拠などともあわせて判断し、そこまで含めてはねているわけですし、それを非難するつもりもありませんが。

 裁判というのは、あくまでも法に従い適正な手続で行うのが大原則であって、そこによその人たちの「感想」が入り込む余地は最初から極めて乏しいものであると思います。国民や政治権力から切り離すことによって、多数派の横暴などから国民の権利を守るのも、司法権の大切な役割であったわけです。
 そこを無視して、私刑代理論などを唱えても、説得力は乏しいかと思います。

>薬屋の企画屋さん

 以下に述べることは、裁判員制度が施行されれば様変わりする部分がありますが、現在の裁判官による裁判を前提にして述べるものです。

 司法判断というものは、証拠に基づいて認定される事実関係に対して法律理論を適用してなされるものです。

 私もあなたも本件の証拠の詳細を知りません。
 法律家なら一審、控訴審、最高裁の判決によりある程度は推知し得ますが、全てを知っているわけではありません。
 この一事をもって、私もあなたも弁護団の主張の当否を正確に判断する資料を持っていないと言うべきです。

 そして、法律理論は、法律の勉強をしたことがない「一般人」が理解できる代物ではありません。

 従って、法律家は「一般人が理解できる論理」などを基にして議論しているわけではありません。
 言い方を代えれば、一般人が理解できようができまいがそんなことは知ったこっちゃありません。
 一般人が理解できる程度の理論だけで戦ったのでは、勝てる裁判も負けてしまいます。
 被告人の命をかけて争っている弁護人にとっては、裁判官が理解できるかどうかだけが問題です。
 (この点は裁判員制度が始まれば別です。)

 あなたは何らかのプロですか。
 プロなら分かるでしょう。

>もし、万が一にでも『妄想的で現実性の低い論理』が裁判所で認められるようであれば、

 最高裁は安田弁護士らの主張を認めましたか?
 文字通り、一蹴したのです。
 そして、蝶々結びに関する限り、差戻審で認められると考えている法律家はたぶん1人もいません。

 あなたは、弁護士が主張すればその主張を裁判所が認めるとでも思っているのですか?
 あなたは裁判というものを理解せずに批判しています。

No.42 通りすがりの一般人さま

ただ、この点に関しても、明らかに現実的でない根拠に基づくものは、何らかの形で牽制されてもいいのではないかという心情的な思いはあります。

No.43 薬屋の企画屋さま

もし、万が一にでも『妄想的で現実性の低い論理』が裁判所で認められるようであれば、こんな裁判システムはいらない自己救済を行うと通りすがりの一般人さんはおっしゃっていて、私も同意見です。


No.46 のモトケン先生の(厳しめの)回答と同趣旨ですが、
まだ本件じゃ、「明らかに現実的でない根拠に基づく」主張、「妄想的で現実性の低い論理」に基づく主張とやらは、裁判所に認められてないわけで。

で、儀式やらちょうちょ結びやらの主張が、「万が一にでも」認められてしまう可能性があるから、弁護人が主張するだけの段階でも規制しろ、制裁を加えよ、という話だとすれば、
本当にプロ同士の目から見ておかしければ懲戒はありうるし、
根拠に基づかずに被害者らを愚弄するような主張をすれば名誉毀損で告訴され、処罰されるリスクもある。
それですでに十分なんじゃないのかな、と思います。

そのレベルまで至らないのであれば、いかに部外者の目には荒唐無稽に見える主張であっても、主張するだけの段階で規制するのは危険すぎます。

もちろん、99.99%認められるとは思っていません。(世の中に100%がありえない以上)
だから、万が一といっているのです。
そして、私は裁判を批判していません。
裁判システムを危うくする安田弁護士を批判しているのです。

“プロ”って、なんでしょうか?(もちろん、専門家としての自負はありますが)
そして、“プロ”なら何がわかるんでしょうか?
そんな定義の曖昧な言葉で、同調圧力をかけないでいただきたいです。
先のコメントで述べたつもりですが、「利益の最大化」と「モラルと倫理」が天秤にかけなければならない経営者がいます。
競争環境やリソース、将来性などいろんな要素を総合的に見て、どちらかを選択します。
または、経営理念に基づいて選択する経営者もいるでしょう。
私はどちらの経営者も従業員の人生をかけて選択する経営の専門家だと思います。
ですから、モトケンさんの立ち位置を確認し、それについては同意いたしませんが、理解はします。

また、モトケンさんと違う立ち位置と思われる橋下弁護士や大澤弁護士は、なぜ安田弁護士を批判しているのですか?
あの方々は法律家ではないのですか?
お二人ともあのような主張はすべきではないと述べています。

>私もあなたも弁護団の主張の当否を正確に判断する資料を持っていないと言うべきです。
だから、なんでしょうか?
正確に判断する資料をもっていなければ、物事に対する意見を述べてはいけないと言いたいのでしょうか?

>裁判システムを危うくする安田弁護士を批判しているのです。

これって断定表現と読めますが(読まざるを得ませんが)、

裁判システムが危うくされているんですか?

「危うくする」とはどういう定義なんですか?

fuka_fuka(イソ弁) さん

非常にわかりやすいコメントをいただき、ありがとうございます。
この流れで質問なのですが、儀式やらちょうちょ結びやらの主張は、プロ同士の目から見て、懲戒がありうるレベルではないのでしょうか?
もし、懲戒がありうるレベルでないとすれば、どうして通りすがりの一般人さんや私が強烈な違和感を感じるのに、懲戒にならないレベルなのか。
その原因はどこにあるのか、それを私は理解したいのです。

法律理論は難しくて専門家以外には理解できないから、説明しても無意味とおっしゃられるのであれば、退場します。

>薬屋の企画屋さん

横から失礼します。

私には、モトケンさんの姿勢は、まさに

私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう
(ヴォルテールの発言と言われているが不明)
と同じ姿勢に見えます。

ピント外れの意見でしたらご容赦を。

傍目から見て真実は良く判らないのですが。
判事から、説得力の無い主張をする奴、と思われたら敗北に近づくだけと思います。

やり直し審では今まで出したいなかった主張しかできないので、作戦的には殺意の否定や心神耗弱しか残っていない様です。

「異様に思える主張など許せん」と大合唱が起きかかっていますが、それが裁判の場に入り込んだら極めて深刻な言論封殺になりますね。

fuka_fuka(イソ弁) さん


このコメント上では断定表現なのですが、あくまでも
『「万が一にでも」認められてしまう可能性があるから、弁護人が主張するだけの段階でも規制しろ』
の意で、No,43のコメントの前提があっての表現です。
万が一にでも認められてしまったら、裁判システムに対する信用は崩れませんか?

しま(その他)さん

いえ、ピント外れではないと思います。
例示していただいた意見は理解しますが、ヴォルテールさんも“それ”の内容を問わないのでしょうか?
セクハラ発言でもOKなんでしょうか?

薬屋の企画屋さん

 通用する主張か通用しない主張かというのが予めすべて100%分かるならいいでしょうが、そんなはずはありませんね。通用しない主張を懲戒するなどすれば、それで万が一にでも「出せば通用していた主張」を引っ込めざるを得なくなって、冤罪事件や罪を越えた処罰が起こる、という危険性をはらんでいます。

 刑事裁判では、それこそが最も忌まれることです。世論の支持を失ってでも、断固として無罪なら無罪、軽罪は軽罪といわなければならないところです。
 それで信頼しないというなら、勝手にしろ、という感じです。

 だとすれば、主張を理由に懲戒するというのが許されるのがどんな場合かは、おのずと見えてくるのではないでしょうか。

万が一にでも認められてしまったら、裁判システムに対する信用は崩れませんか?

崩れるでしょう。

で、

本件では、まだ 「万が一」 は起こってないじゃないですか、と述べているわけです。

今、それを本気で議論することは、まさに杞憂だと思うのです。

杞憂。
言い換えれば、ほかに議論すべき優先順位の高いことは無限にある。The last issue to be discussed なわけです。

それでもなお議論を続けたがる人は、ためにする議論をしている (自分が勝つまで、自分の意見が認めてもらえるまでは引き下がらない) とみなされる可能性があると思います。


No.50

もし、懲戒がありうるレベルでないとすれば、どうして通りすがりの一般人さんや私が強烈な違和感を感じるのに、懲戒にならないレベルなのか。

懲戒処分に至るまでには、相当時間がかかります。

弁護士会の綱紀委員会・懲戒委員会の手続が遅いという批判があるところと思いますが、懲戒に値する行為があってから、懲戒処分に至るまで、数年はかかっています。

「懲戒になるレベル」かどうかが判明するのは、もしすでに懲戒の申立がされていたとしても、まだまだ先の話です。

# 個人的見解としての「懲戒相当か否か」は、弁護人らの主張の背景事情まで知らない段階で軽々に言及することは控えておきます

>No.53 薬屋の企画屋さん

横レス、すみません。

>このコメント上では断定表現なのですが、あくまでも
『「万が一にでも」認められてしまう可能性があるから、弁護人が主張するだけの段階でも規制しろ』
の意で、No,43のコメントの前提があっての表現です。
万が一にでも認められてしまったら、裁判システムに対する信用は崩れませんか?

崩れないだろうという気がします。
一方で、裁判官個人への激しいバッシングは起こりそうな気がしますが。

No.54

セクハラ発言でもOKなんでしょうか?

箴言は、条文ではありませんので、但し書きはついていません。

例外をもって箴言に文句をふっかけるという行為は、見識を疑われますよ。

いつも愛読させていただいております。もっとも,私は到底議論のレベルについていけませんので,これまでも(これからも)閲覧のみさせていただくつもりですがこれだけは…。

薬屋の企画屋さん…

その「万が一にも認められたら」云々は誰が判断するのですか?
裁判所に主張を示す前にその主張の当否の審判を受けなければならないのですか?
裁判所がその主張に断を下すまえになぜ当該主張を排斥しようとなさるのですか?
多数の「常識」に反する(大多数の,ひょっとしたら被告人=弁護人以外のすべての人の気に食わない,といいかえてもいい)主張は裁判所に出してはならないのですか?

当該主張に断を下すのは,われわれではなく当該事件を審理する裁判所です。

なお,根拠がまったくない「荒唐無稽なもの」であるなら,これを「万が一」採用した裁判所の判断がおかしいということにはなるでしょう。だって,根拠もないのにその主張を採用するのですから…。
と,考えれば弁護人の主張がなされたというだけで「裁判システムが危うくなる」とご心配になる必要はありませんね。


(主にマスコミから)漏れ伝わる情報からその当否を論ずるのは自由ですが,そこから弁護人を排斥すべきという暴論に結びつけるべきではないでしょう。

風の精霊さん

その原則は理解できるのですが、それでもなお今回の安田弁護士の主張には違和感があるんです。
原則に例外は許されないんでしょうかね?
また、安田弁護士には本当に他にいいようがなかったんでしょうか?


fuka_fuka(イソ弁) さん

お付き合いいただきありがとうございます。
杞憂かどうかは判断基準によると思います。
リスクマネジメント的に言えば、発生確率と事の重大性を2軸にとってマトリックスで管理しますが、杞憂と言っていいのは発生確率小、重大性小の場合だけですね。
私的にはこの案件は発生確率小、事の重大性大と思います。
なぜならば、裁判システムに対する信用が崩れるから。

でも、この議論はここでやめておきます。
ためにする議論と思われるのは不本意ですから。

No.58 fuka_fuka(イソ弁) さん

大変失礼いたしました。
No.54のコメントは、陳謝し撤回させていただきます。


No.59 ほわ弁(弁)さん

>多数の「常識」に反する(大多数の,ひょっとしたら被告人=弁護人以外のすべての人の気に食わない,といいかえてもいい)主張は裁判所に出してはならないのですか?
ポイントはここですね。
私の心の基準だと、出しちゃいけないんじゃないかなと思います。
原則としては出していいでしょうけれども・・・
この矛盾が私の違和感なんでしょうね。
そして、これを言語化するとシステム論やそもそも裁判所の目的は、になっていくのです。

で、
>弁護人の主張がなされたというだけで「裁判システムが危うくなる」
とは申しておりません。
“主張が万が一認められたら”です。

最後に法曹の皆様に質問です。
不充分な情報でご意見を伺うのは重々承知の上で・・・

橋下弁護士や大澤弁護士は、皆様とは違って主張することそのものを批判しているように思います。そのことについては、どのようにお考えですか?
このように考えれば、法律理論的に主張そのものを批判することができる理由付けはできなくはない、その前提条件はどのようなものでしょうか?

それとも、全くのナンセンスであのお二人は例外と言えるのでしょうか?

失礼な表現でのコメントに対しても誠実に対応していただき、恐縮です。

橋下弁護士や大澤弁護士は、皆様とは違って主張することそのものを批判しているように思います。

両氏は、現在判明した事実関係(のみ)を前提に、懲戒相当といえるくらいに不適切な主張だと判断した、ということかと推測します。
(TVでの発言を見ていないのであくまで推測ですが)

このエントリで、「主張することそれ自体を批判すべきでない」と主張している法曹側は、 (おそらく私と同様に) 現段階では材料が不足しているので、判断を留保しているのだろうと思います。

大澤・橋本両氏に、
「一般論として、裁判所に受け入れられる可能性のない荒唐無稽な主張をすること自体、許されないと考えるのか。そのような主張をしたら懲戒ものなのか」
と仮に質問すれば、
「一般論としてはそうは言っていない、本件の安田弁護士らの主張は許されないといっているだけだ」
という回答が返ってくるのではないかと思います。
推測ですが、こちらについては確信があります。

 「弁護士倫理」と検索を掛けてみてはいかがでしょう。
 金儲けのための屁理屈とは書いていないはずですが、アピールしておけば、おいしい依頼が舞い込むこともあるのかもしれません。
 一部例外であってもらいたいことですが。また、そうして得た資金を弱者救済の活動に投じるむきもあるのかもしれません。
 顧客から見た弁護士の立場というのは委任だと聞いたことがあります。これは原則無償、無報酬で、古代ヨーロッパの名誉職に由来するそうです。
 また、手間暇が同じでも、報酬に雲泥の差が出ることがあるそうです。自営業でもありますし、幻想を抱かせるというカラクリも必要なのかもしれませんね。中味なしのデタラメというのも少なくないそうですが。
 通常の刑事事件であれば、私撰と国選の結果に大差はなく、死刑囚でない限り、見込みのない裁判が長引けば、不利益の方がはるかに大きいと思います。未決通算とか、浪費した期間は仮釈放の対象にもなりませんし。
 裁判所もそのあたりは心得ているようで、わざと軽い刑を言い渡すこともあるようです。再犯の繰り返しで、その分、実社会にいる期間が短くなり、他に与える悪影響も少なく済むという計算なんでしょうか。
 捜査もやり易くなるでしょうし、刑罰は個別具体的な個人責任が原則のはずですが、代用監獄の問題や厳格な証明の問題と同じように、建前上の原則と、事実上の例外が交錯しているようです。

失礼ながら横合いから乱入させていただきます。

薬屋の企画屋さん、ここまで通して拝読いたしましたが、私にはあなたの主張は、
あなたの個人的な正義感や処罰感情に反する主張をする弁護活動は「あなたが許せないから」禁止すべきだと言っているとしか読めません。
あなたの個人的な「量刑」に見合った判決が出ないなんて我慢ならないとおっしゃってるだけのように感じます。

あなたは再三再四、荒唐無稽な弁護が裁判所に受け入れられたら云々とお書きですが、
少し冷静に考えてください。
荒唐無稽であろうとなかろうと、検察側・弁護側の主張を裁判所が汲むと言うことは、
その主張を裏付けるに足る証拠が存在する(と裁判官が考える)からではないんですか?
仮に、あなたが荒唐無稽と考える主張が容れられたとしたならば、あなたが納得するしないに関わらず、その主張を裏付ける証拠があるんですよ。

裁判システムへの信頼を云々するのなら、こんな(と言っては語弊がありますが)適用罰条がどっちになるかなんて程度の事案よりも、私は袴田事件や名張毒ぶどう酒事件のほうが余程深刻だと思います。

なお、あの記者会見で安田弁護士が話した内容は社会一般には到底受け入れがたいものだと思いますし、私も激しい嫌悪感を覚えますが、意味合いとしては「検察側は物証を元に殺人事案と決め付けているが、同じ物証を元にしても傷害致死事案だとのシナリオも描けるぞ」って事じゃないかと思ってます。物証があると言うことと、それをどう意味づけるかは別問題だと検察を挑発しているようにも見えます。

ただ会見で記者に向かってああいうことを言ったからといって、裁判で同じ内容の主張をするとは限りません。
刑事の弁護人にとっては法廷で検察と対峙するのが仕事であって、マスコミや世間に向けた「いいわけ」をしなきゃならない義務はないんですから。

以下、とりとめのない雑文であることは承知の上ですが、いくらか参考にして下さい。その上で、あるべき刑事司法の姿として、議論が活発すれば、いっそう参考にもさせて頂けます。
 なお、裁判官に対する過度の期待というのも非現実的かと思われます。個人的にむしろ重要と思われるのは、洗練された検察の判断です。無駄の多い裁判は、国費の無駄にもつながるはずです。

薬屋の企画屋さんのコメント
を読みました。合理的で説得力があると感じました。
 実際、日本の刑法というのは、明治初期にヨーロッパのものを模倣したようです。さらに明治時代に骨格のようなものができあがり、ほとんどそのまま近年まで運用されていたようです。
 大幅な改正が行われたのは2,3年前だと思いますが、どのように変わったのは詳しく読んでいないのでわかりませんが、法定刑が重く引き上げられた以外に、さほど変わっていないように思えます。
 もっとも刑法というのは条文の数も少なく、特別刑法という例えば覚醒剤取締法などというものの数が増えているそうです。2,3日前のZEROという報道番組でも、飲食業者が生ゴミを一般家庭用の回収に投棄した場合、最高で懲役5年の罰則だと紹介していました。
 このようないわば行政目的のための刑罰のことを行刑犯というのでしたか、うる憶えですが、殺人や泥棒のような犯罪のことを自然犯と呼ぶそうです。
 刑法は総則と各則に分かれていて、総則の部分で全体に共通する事柄を決めているそうです。たとえば、正当防衛、心神喪失、未遂というおなじみの用語があります。
 各則の部分では具体的な犯罪類型を挙げてあります。たとえば、殺人罪や詐欺罪、強盗罪など。この犯罪類型に被疑者や被告人の行為が、当て嵌まることを「構成要件該当性」などというようです。
 犯罪とは、構成要件に該当する違法、有責な行為と定義されていたかと思います。山口光事件でも問題になっている(らしい)、精神の異常などは「心神喪失もしくは心神耗弱」として、有責性、つまり責任を負わせるのが妥当か否か、という判断に導かれるのではないかと思います。
 なお、違法性に関しては、「違法性阻却事由」などという用語があります。
 一応、このような刑法の枠組みの中で、公益の代表者である検察官と弁護士が攻撃防禦を繰りひろげ、最終的に裁判所が判断を下すというのが、刑事裁判の在り方だと聞いています。
 ちなみに、口頭弁論を経た裁判所の判断をおなじみ、「判決」と呼び、口頭弁論を経ないものを「決定」と呼ぶそうです。決定には、これもお馴染み「保釈」や「精神鑑定」も含まれるそうです。
 口頭弁論が必須なのは通常地裁(軽微な事案では簡裁)での一審だけだったと思います。この口頭弁論には、被告人本人の罪状認否や弁解の機会が保証されますが、控訴審となる高裁では、原則被告人の発言の機会はなく、弁護人が主体になり、裁判所が認めた場合に、発言権が与えられるようです。そればかりか、控訴審では被告人の出頭さえ、必須ではないようです(通常拘置所から連行されます)。
 一審は、事実審とも呼ばれ、高裁や最高裁は法律審という位置づけで、最高裁では弁論が開かれる方がごく稀で、ほとんどは「上告棄却」の書面が送られるだけで終わり、そればかりか、弁護人にいつ頃結果を出すのか、事前に連絡が届くことさえないそうです。
 この事件は確か、最高裁で弁論が開かれ、広島高裁に差し戻しになっています。
 被告人本人に言い分があれば、第一審こそ肝心要だと思いますが、このような裁判の流れや、構造自体、一般には余り知られていないように思われます。
 ついでに、現在の刑事裁判は弾劾主義、と言われています。分かりやすく言葉を換えれば、当事者主義、したがって検察官と弁護士が証拠に基づき主張を尽くす。
 よくある上告理由や控訴理由で、「事実誤認、審理不尽の違法があり、破棄は免れない」というものがあります。
 戦前の帝国主義の体制下では、糾問主義というスタイルが採られていたようです。上から問い質すという意味なのでしょう。
 現在でも被告人は、検察庁や裁判所に自ら「上申書」という書面を出すことができます。同じく、「お上」ですね。「お神」と誤解している人も少なくないように思われますが、江戸時代で言えば「直訴」、これは文字通り、身命を担保にする必要があったそうです。そんな時代、「仇討ち」という権利?の主張も認められていたそうです。
 その仇討ちの禁止から、ヨーロッパの法制度が導入されたようですが、国際社会の一員になるためには、実力行使の野蛮な制度は廃止されたのでしょう。
 それでも明治の初めの初代司法大臣は、その後、佐賀の乱で斬首されていますね。
 死刑制度が野蛮だという考え、主義主張は今でもあるようですね。犯罪の抑止力にならないとも言われています。
 野蛮の反対語というものを考えましたが、文明ということになるのでしょうか。粗雑で乱暴な裁判という印象が否めませんが。民主的な理解さえ不要となると、法曹の独壇場なんですかね。
 「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と中学生のとき習った憶えがあります。
 私は法律の素人ですが、必要があって、というか必要に迫られて、ある程度のことを勉強したことがあります。見当違いや誤りがあれば、専門家のお立場からもご指摘して頂きたいところです。
 このブログでの議論、ご意見、ご感想も参考にさせて頂いていますが、やはり粗雑、牽強付会あるいは我田引水という印象が否めません。
 こんな土壌から、冤罪のような問題も出てくるのでしょう。総じてオオカミ少年の童話のような、影響が及ぶのでは、ないでしょうか。現実的な方向性としても、厳罰化が顕著なものになり、規制が強化されつつある。
 また、弁護士の社会的名声、地位、信用ともに低下しつつあることは、紛れもない事実でしょう。年収300万円も囁かれる状態になっているぐらいですから、すごいことです。バブルの頃は、一本の電話で、数億円の報酬が転がり込むこともあったとか。1年ほど前に見たテレビ番組でも時給300万円だったかの弁護士が紹介されていましたね。アメリカでしたけど。
 それだけ競争の激しい、格差社会になりつつあるのかもしれませんが、淘汰されていくのかもしれません。

モトケンさん 今晩は
ちょっぴり感想を述べさせて頂きます。

そして、法律理論は、法律の勉強をしたことがない「一般人」が理解できる代物ではありません。 従って、法律家は「一般人が理解できる論理」などを基にして議論しているわけではありません。言い方を代えれば、一般人が理解できようができまいがそんなことは知ったこっちゃありません。(コメントNo.46)

 一般人というと、「一般人が理解できるレベルではない」でおしまいでも仕方ないかとも思いますが。主権者と言い換えてはいかがでしょう。

かっては王様が主権者、今は国民が主権者。
感覚的には、薬屋の企画屋さんのおっしゃっていることは、.主権者が、我々に分かるように説明せよと、僕たる国家機関に命じていると考えては。感情的にはすごく分かります。

もちろん、「例え国民全体が主権者だとしても、憲法は、主権者が国家機関を使って一国民を迫害することの無いように置かれているのだから、主権者の理解できるように精密理論を捨てて一国民を迫害することになる位なら、主権者の理解不能に置く方が憲法に叶う」という精神で運用されるべきなんでしょうけれど。

.「皇帝に諫言する役目を帯びた古代中国の役職」の如く、弁護士は、まさに主権者に「我に逆らってでも被告の代理をせよ」と命じられた役職と考えればぴったりでしょうか。ペリーメースン先生も「弁護士は剣闘士だ。依頼人は、自分の為に闘ってくれるファイターが欲しいのだ。」と言ってましたし。

主権者の方がそんな役目を命じたとはきれいさっぱり忘れているし、命がけなところも諫官そっくり。

>No.65 惰眠さん

>裁判システムへの信頼を云々するのなら、こんな(と言っては語弊がありますが)適用罰条がどっちになるかなんて程度の事案よりも、私は袴田事件や名張毒ぶどう酒事件のほうが余程深刻だと思います。


この部分に激しく共感してしまいました。

ちなみに、これはあくまでも私のごく個人的な思いですが、そこに和歌山カレー事件も加えたいところです。


薬屋の企画屋さん

なるほど…
もっとも,あなたが癸毅海任書きになっているところによると,

>このコメント上では断定表現なのですが、あくまでも
>『「万が一にでも」認められてしまう可能性があるから、弁護人が主張するだけの段階で>も規制しろ』
>の意で、No,43のコメントの前提があっての表現です。
>万が一にでも認められてしまったら、裁判システムに対する信用は崩れませんか?

とのことでしたので,裁判所の判断以前に「裁判システムを危うくするおそれがあるから」規制すべきであるとお考えになっているものと思ったのですが…。

裁判所が根拠がない(これ自体は,証拠等の全容がわからない限り軽々に断定することはできませんよね)のに弁護人の主張を採用してしまったら,これは裁判所の判断の問題ですね。その段階で,裁判所の判断の当否を論ずればよいのではないでしょうか。

薬屋の企画屋さんが仮に件の被告人であったとしたら(誠に失礼な置き換えですみません…),本件の被告人のような主張をなさることはしないと思いますが,残念ながら実際の被告人はそう考えてはいないということなのです。そして,その主張が多数の常識からかけ離れているからといって,そのことかた直ちに裁判所の判断を待たず排除することは許されるべきではありません。

少なくとも,弁護人は一方当事者としての被告人の主張をしなければならない立場なのです。裁判官や検察官になってはいけないのです。無茶な主張は客観的な見地から説得するでしょうが,被告人がどうしてもということであれば,それに沿って主張をしなければならない(辞任という手もありますが,他にお鉢を回すという意味でしかありません)。
私は幸いにして遭遇したことはありませんが,はっきりいってメチャクチャな主張(それこそ噴飯もの)をしなければならないケースは(実数は知りませんが)あると聞いています。

まとまらない文章ですみません。
主張そのものの当否を(限られた資料を基にしているわけですが)論ずること自体は否定していません。「そのような主張を展開する弁護人は排除してしまえ!」という思想が問題だということです。


薬屋の企画屋さんの癸僑欧砲答えするのを失念していました。

とはいっても,私もfuka_fukaさんと同様,判断留保です。

なお,薬屋の企画屋さんが挙げられた2人の弁護士の例については,具体的発言を聞いたわけではないことを念のため前提とさせていただきますが,もし,懲戒相当だと断言されているのであれば,その判断の具体的根拠をお聞きしてみたいところです。多分にテレビ向けのご発言なのではないかと思いますが…。

橋下弁護士は憲法89条持ち出して「NHKには国の補助金が使われているから言論の自由は無い」なんて言い切っちゃうような、法曹である前に「一般人と同じ感覚・同じ言葉を使うのがウリのタレント」(実際の弁護活動ではそんな事はないでしょうが、テレビではそう振舞っているという事)ですからまさにテレビ向けそのものでしょうね。
まあ、批判していたのはモトケン様も問題にしていた「差し戻し審になって初めて主張」という所ですし、批判即感情論なのは問題でしょうが、テレビに出ておいて感情論に迎合しないのでは安田弁護士と同じぐらい叩かれる事になりかねませんし、しょうがないのかも。

しかしネット上で見かける弁護士批判の大半ってそういったテレビ番組の内容のコピーですね。感情論に迎合するマスコミ→それをコピーしてさらに感情を爆発させる市民→飽きるまでループという悪循環が起きているような気がします。

No.67 falcon171(内科勤務医)さん
>.「皇帝に諫言する役目を帯びた古代中国の役職」の如く、

諫官のシステムを良く知りませんが、弁護士はあくまで代理人です。
代理人が依頼人を諌めることはあっても、依頼人の意向を無視することはよくありません。そして、刑事被告は誰でも代理人がつく権利を有しています。

そうでなければ、誰かが法に疎い人を陥れたり、金持ちや権力者は法に詳しい人を雇って一般人はその階級にやられっぱなしという社会になります。

それから、法システムが複雑すぎて主権者が理解できないのであって、理解不能で維持することが理にかなっているとは皮肉ですか?
理解できないからこそ、代理人が必要です。

医学も素人では理解できないから、医療者が必要です。税理士も、建築士も専門職はみなそうでしょう。

近代国家が法治国家を選んだ以上、代理人を持つ権利、裁判の場で自分の主張を表明できる権利は、一般市民の感情よりもかなり優先されるべきです。

弁護側の主張の内容の是非にかかわらず、社会の安全装置としての代理人がつくシステムは維持されるべきです。

hama内科医さん こんにちは

No.67は、薬屋の企画屋さんの言葉、感情的にはわかると話し始めていながら(その線で書こうと思ってはいたのですが)、書いてる内に途中から、法曹サイドよりになって行ってるわかりにくい文章でした。申し訳ありません。ただ、誤解されている気がしますが。


>.「皇帝に諫言する役目を帯びた古代中国の役職」の如く、
諫官のシステムを良く知りませんが、弁護士はあくまで代理人です。
代理人が依頼人を諌めることはあっても、依頼人の意向を無視することはよくありません。そして、刑事被告は誰でも代理人がつく権利を有しています。
そうでなければ、誰かが法に疎い人を陥れたり、金持ちや権力者は法に詳しい人を雇って一般人はその階級にやられっぱなしという社会になります。

「弁護士は、まさに主権者に「我に逆らってでも被告の代理(ごめんなさい、被告人ですね)をせよ」と命じられた役職」とは、主権者たる国民一般の「無責任な」世論に逆らってでも、被告人の代理をして十分に被告人の言い分を尽くさせよと言う意味で書いたのですが。

だから、裁判の場では、存分に被告人の防御をしてもらっていい、そこでその防御活動が主権者たる一般人の意に沿わなくても仕方ない。それは、諫官の言が皇帝の耳に痛くても仕方ない、皇帝(主権者)たる者、納得できなくとも(薬屋の企画屋さんの「多数の「常識」に反する(大多数の,ひょっとしたら被告人=弁護人以外のすべての人の気に食わない,といいかえてもいい)主張は、私(薬屋の企画屋さん)の心の基準だと、(裁判所に)出しちゃいけないんじゃないかなと思います(No61)。」と言う風に納得できなくとも)、諫官は職務を忠実に果たした忠臣であると評価すべきなのと同じ と言う意見です。


それから、法システムが複雑すぎて主権者が理解できないのであって、理解不能で維持することが理にかなっているとは皮肉ですか?
理解できないからこそ、代理人が必要です。(No.72)

「主権者の理解できるように精密理論を捨てて一国民を迫害することになる位なら、主権者の理解不能に置く方が憲法に叶う」と申しました。意は、「被告人を公平に処遇するために発達した精密な法理論を、私も含めて法の素人の「馬鹿殿っぽい」主権者が「わしの感情ではそんな理屈納得でできんぞ、わからんぞ」といったからといって、司法が精密理論を捨ててはいけないと(憲法は)要請していると思う」「だから、まだ、精密理論を捨てずに、あえて主権者が理解できなくなる方を選ばざるを得ない」と言いたかったのです。

ただ、ここん所は、前コメントでは述べませんでしたが、それで完全に良いのかという気もしております。
特に、一般国民が何かやる際に、その行為が法律上どう位置づけられるかがわからんままにやらねばならないというのは、すごくまずいと感じております。裁判の場での「一般人の理解を超えた法理論の争い」は許容できますが、行為前に、その行為の法律上の位置づけはすべからく「常識を備えた一般人に自明であるべき、法廷に持ち出されて司法の関係者がやりやって初めて当否が判明するような」法を策定した者は、いかがなものかとは思います。

というわけで、

近代国家が法治国家を選んだ以上、代理人を持つ権利、裁判の場で自分の主張を表明できる権利は、一般市民の感情よりもかなり優先されるべきです。
には賛成です。

No.17 PINE さんのコメントには、「安田弁護士らが最高裁の弁論を欠席した点については、許されるべきではなく」とあるのですが、

これも、私が知っているのは、前弁護士が辞任して交代したのが3月6日で、3月7日に弁論を3ヶ月延期するように延期するよう求める申請書も最高裁に提出していたが、期日の3月14日に弁論が開かれ欠席した。最高裁で弁論が開かれた場合は、それまでの判決が変更されることがほとんどで、この場合は、原判決が無期であったから、死刑が予想された。

これ以上のことは、知っておらず、私はマスコミ情報に振り回されたくないと思っています。

法律理論は、法律の勉強をしたことがない「一般人」が理解できる代物ではありません。従って、法律家は「一般人が理解できる論理」などを基にして議論しているわけではありません。言い方を代えれば、一般人が理解できようができまいがそんなことは知ったこっちゃありません。

これって、法律家の皆さんは全員賛同されるんでしょうか?

横合いからすみません。
どうも拝見しているところ、モトケンさんの

 そして、法律理論は、法律の勉強をしたことがない「一般人」が理解できる代物ではありません。

 従って、法律家は「一般人が理解できる論理」などを基にして議論しているわけではありません。
 言い方を代えれば、一般人が理解できようができまいがそんなことは知ったこっちゃありません。
 一般人が理解できる程度の理論だけで戦ったのでは、勝てる裁判も負けてしまいます。
を巡って、いささかハレーションが起きているようですが、どうもモトケンさんの仰りたいことと違う理解を元に『議論』が起きているように感じられます。

ことを司法ではなくスポーツやゲームにたとえてみたら理解しやすいのではないでしょうか。サッカーのルールを知らない「一般人」が、サッカーのゲームを観戦してどれほど意味のある批判ができるでしょうか。野球やゴルフ、アメフット、ラグビー、何でもいいです。
ルールを知らずプレーの流れもジャッジの基準も理解していない「一般人」が、プレーヤーやジャッジを批判するなんて、滑稽じゃありませんか?
 将棋の差し手が上策だったか愚策だったか、ルールがわかってないひとが「一般人の感覚」で、角行が斜めにしか進めないのはおかしいとか、歩なりの金は許せないとか、桂馬の動き方は将棋の信頼性を破壊するとか言い出したら変でしょう?

 一所懸命練習したからと言って誰もがプロ・スポーツの選手になれるわけではありませんけど、ゲームのルールくらいは身につきますよね。法律の勉強をしたところで法曹資格を誰もが得られるわけでは勿論ありませんけど、法律の世界の独特の言葉遣いや用語定義の仕方、運用の原理原則や法律的な考え方等の「しくみ(≒ルール)」は覚えられる筈です。

 私はモトケンさんのコメントは、そういった意味で『法律の勉強をしたことがない「一般人」』が、『裁判というものを理解せずに批判』することについて述べたものだと理解しましたが、違いますでしょうか。

No.74のある経営コンサルタントさん、

私が納得できなかったのは、安田弁護士らの弁論の欠席理由というのが、日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルへの出席だったということです。

私の個人的な感覚としては、「法廷に優先すべき事柄か?」と。
安田弁護士らは、次回期日が3月14日であることを承知のうえで受任しています。
しかも、弁論期日に行われていたのは、模擬裁判の本番ではなく、リハーサルです。
最高裁での弁論は、何時間もかかるわけではありません。

ただ、私のこうした考えには異論が多いことも承知しています。

No.73 falcon171(内科勤務医)さん

完全な誤読でした、変なコメントを付けてしまいました。
御免なさい。

No76 惰眠さん

素人に分かりやすく説明し同意を得ることを義務とされている医療側としてはいろいろ思うところもあるのですが、プロフェッショナリズムは一般人が理解することは非常に困難という点には全く同意なのです。でも圧倒的多数をしめる一般人が抱く感覚は社会を動かす原動力のひとつじゃなんで、だから検察審査会とか裁判員制度が出てきてるんだと思いますし、検察審査会とかは、法律なんか勉強しなくてもいいんで一般人の感覚で判断しろっていうのが建前ですよね。いくら歩み寄ってほしいとか勉強してほしいっていっても一般人はやってくない、かつ一般人の声が大きくなれば道理は無理に敗北します。

しかし勉強足りない素人にはわかんないよという本音にはちょっとびっくりしたのと同時に共感いたしました。司法側のこういう意見を聞いてみたかっただけで、惰眠さんのコメントにも全く同意します。ちょうちょむすびは記者会見じゃなくて裁判の場でだけやればよかったんでしょうね。ハレーション失礼いたしました

刑法を研究している者です。私は実務家ではありませんが、モトケン先生の、

司法判断というものは、証拠に基づいて認定される事実関係に対して法律理論を適用してなされるものです。私もあなたも本件の証拠の詳細を知りません。
法律家なら一審、控訴審、最高裁の判決によりある程度は推知し得ますが、全てを知っているわけではありません。この一事をもって、私もあなたも弁護団の主張の当否を正確に判断する資料を持っていないと言うべきです。
そして、法律理論は、法律の勉強をしたことがない「一般人」が理解できる代物ではありません。従って、法律家は「一般人が理解できる論理」などを基にして議論しているわけではありません。

とのご発言は当にそのとおりと感じ入り鳥肌が立ちました。
私は、昨日、本件の被害者家族である本村洋さんにお会いし、お話を聞いてきましたが、彼の主張は、彼の置かれた立場から経験したことのみの視点に基づいてなされており、司法制度批判についても、法律を勉強していればまずあり得ないような解釈が多々ありました。あちこちで講演をなさっているということでしたが、法理論を理解していない者が、法理論を理解していない「一般人」にむけて、自己の視点からのみメッセージを発するのは、とても危険なことだと感じました。
本村氏は今回の脅迫状の件についても触れ、「(安田弁護士)に謝りたい」と発言されましたが、私には何故被害者遺族である彼が、謝るのかよくわかりませんでした。

モトケン先生のおっしゃるように、法律を学ぶ者の(評釈)議論は、法廷に提出された証拠のみに基づきなされた法判断について、法理論をあてはめたときに妥当であるか否かが検討されるもので、その証拠に触れていな者が事実を推測して議論することはルール違反ですし、法律学的には何ら利益とはならないものです。判決文を注意深く読むと、「なお書き」(判決文の最後に「なお...」と付け加えられた裁判官のコメント)からは、提出された証拠に基づきなされた法的評価と、社会的評価の狭間で苦悩する裁判官の心情が窺えます。もっとも、実務的には、事実を推測しての議論も有用な部分があると思いますが、その場合も法理論に基づいた前提となる根拠は必要だと思います。

>No.77 PINE さん

はじめまして&横レス、すみません。
法律家の方に、恐る恐るレスさせて頂きます。


>私が納得できなかったのは、安田弁護士らの弁論の欠席理由というのが、日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルへの出席だったということです。私の個人的な感覚としては、「法廷に優先すべき事柄か?」と。


このご見解は、素人の私には意外でした。
というのも、私は安田弁護士は、別に裁判員制度の模擬裁判のリハーサルへの出席を法廷に優先しているわけではなく、この欠席理由はあくまでも建前で、ちょっとでも多くの時間が欲しいから弁論を欠席したのだとばかり思っていたからです。
的外れなことを言っているのだとしたら、すみません。

ちなみに誤解されるのがちょっと怖いので一応申し添えておきますと、この書き込みにおいて、私は決して安田弁護士を批判しているわけではありません。
この際だから正直に打ち明けておきますと、この裁判において私の心情は、むしろ安田弁護士や弁護団に寄っています。

ええっと、法律、法、「法理論」、真実、事実、主張、証拠・・・全部それぞれ意味が違いますので。
特に、最初の三者(法律・法・法理論)がそれぞれ違うことに注意。
えっ、分かっているって? そうでしたら念のためということで、御容赦をm(_ _)m

No.79 柳さん

 医療の現場にたとえてみると、刑事司法の法廷はいわば、ある患者の治療方針を巡って医師団の見解が衝突している状況と似ているんじゃないかと言う気がします。
 医療についての知識が乏しいので適切な喩えではないかも知れませんが『専門家同士がそれぞれの立場からの最善策を、専門用語を用いてぶつけ合っている図式』と言う意味に捉えていただけると幸いです。

 その「専門用語の応酬」を一般人が聞いて、患者本人や家族の心情を逆なでするとか、こいつらはヤブ医者だとか言い出したり、医療ミス被害者の会みたいに議論の当事者ですらない人々が割って入ってきて治療法が根本的に間違ってるなどと訴えたりしたら……控え目に言っても迷惑以外の何者でもないように思います。
 しかし昨今の状況は、圧倒的多数である一般人の声や言い分が大きな力になって働いているようですから、医療の専門家からすれば困惑することも多いのではないかと拝察いたします。

 ところで、弁護士が記者会見などで素人に向けて話すのは、法廷外戦術か単なるサービスですよね。そうすることが義務付けられているわけではないのですから。先の例で言えば、他科の有力なドクターや看護師、場合によっては患者さんまで巻き込んで「俺の治療方針が正しい、あのセンセイは間違ってる」とアピールするような感じでしょうか。本来的には当事者ではないところにまで火の粉を飛ばしているような……。

 ともあれ医療の素人である患者が納得するように説明することが、いまや社会的に要請されている医師の皆様の苦衷は察するに余りあります。その点で言えば、主張をぶつける相手方の当事者も法律の専門家である上、時間の経過が状況(病状)の悪化と直結しているわけではない弁護士のほうが、もしかしたら楽――と言っては語弊もありましょうが――なのかも知れないですね。

 と、ここまで書いたものを読み返してみると、なんだか当てこすりをしているようにも読めるのに我ながら驚きましたが、そういう意図はありません。医師と弁護士、それぞれの専門職が関係当事者とどのような位置づけにあるか対比した場合、上記の例が比較的近いのではないかと思っただけですので、皮肉に感じられたのならばご容赦を。

psqさま

法律、法、「法理論」、真実、事実、主張、証拠・・・全部それぞれ意味が違います
特に、最初の三者(法律・法・法理論)がそれぞれ違うことに注意。

いつも的確なご指摘をありがとうございます。出直してきます(^_^;
今後とも宜しくお願いいたします。

 法律は勉強しないとよくわからないことがよくわかります。

 No.82 参照(^^)

 私のNo.46は薬屋の企画屋さん宛に若干燃料投下気味の言い回しで書いたものですが(^^;

 皆さんには趣旨をよくご理解いただきましてありがとうございます。

 もちろん、依頼者にはできるだけ理解してもらえるように努力しております。

 しかし、刑事事件においては依頼者である被疑者や被告人に理解してもらうことが困難な事態も生じます。
 特に、責任能力に関する主張をするときは神経を使います。
 下手をすると、「先生は俺のことを○チ○イだというのか。俺はまともだ。」と言われて信頼関係を損ねることがあります。
 下手をしなくてもそう言われることがあります。

流れが速いので、仕事に行っている間にだいぶ流れてしまいましたね。
だいぶ誤解されているコメントもあり、言っていないことを主張されている方もいらっしゃいますが、今更蒸し返したくないので、私の問題認識を整理、オープンにさせていただいてROMに戻りたいと思います。

まず、問題提起として、私の違和感は、通りすがりの一般人さんと同じで
モトケンさんのエントリー
「私は、安田弁護士らの主張やその他の弁護活動(記者会見等)の有効性について批判しているだけで、被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責に反しているとは思いません。 わかりやすく言えば、私の批判は技術的な批判にとどまると言えます。」
という部分でした。

蝶々結びや儀式といった主張は技術的な批判で留まってしまうんですか?
あまりにも荒唐無稽ではないでしょうか?
どんな証拠があってどんな論理構築をすれば、蝶々結びすることが殺意がないとか、精子を注ぎ込むのは死者を生き返らせる儀式だということが、論理的になるんでしょうか?−

,鮗体磴箸靴董∧杆郢里凌責から代理人の主張を法的ルールに従って主張しなければいけないとしても、言っていい主張といけない主張があるんではないですか?―

△陵由として
言っていけない主張は、自身が存立する基盤を危うくする場合には、それは言ってはいけない主張なのではないでしょうか?−

この3つのことを私の意見として述べさせていただいたつもりです。
もしかしたら、コメントを書いてる中で上記と矛盾するコメントを書いている場合もあるやもしれません。
短時間で整理しきれずにコメントした部分もありましたので、ご勘弁いただければ幸いです。

,砲弔い討
荒唐無稽かどうかは情報不足なので判断できないとの意見が、こちらにいらしている法曹の方々の意見だと理解しました。
一方で、橋下弁護士と大澤弁護士が違う見解を持っていると認識しています。
その点について、なぜその判断に違いが生じるのか、もう少し深く知りたい部分でした。
残念です。
(私もマスコミを鵜呑みにはしていませんが、現時点でテレビ受けを狙っているとの立場は取りません。レッテル貼りは議論が深まりませんので)

△砲弔い討
裁判所での判断を受ける前の主張には、言っていけない主張はない。(言う権利を守らなければいけない。)と理解しました。
ただ、これに例外があるのかないのかは読み取りきれませんでした。
,如⊂霾鵑そろって荒唐無稽ということがはっきりすれば懲戒がありうるというのであれば、例外になる気がします。
なにを持って荒唐無稽と判断するのかという問題は残りますが・・・

については
△卜祿阿なければ意味のない話なのですので、無視してください。

以下、独り言・・・
については、裁判というシステムを社会システムの一部と見たときに、合目的的である状態はどういうことかを論じてみたかったのかなと、今、思い返しています。
裁判と法理論をゲームとルールに置き換えて説明されていた方がいらっしゃいましたが、ゲームが観客がいなければ永続しないように、裁判は(最終的には)国民の同意がなければ永続しないものです。(その国民の判断がたとえ間違っていたとしても)
裁判というシステムが、本来の目的に対して効果的となっているかどうかは常に上位システムである社会から監視されていると理解していただきたいのです。
そして、本来の目的からずれていると認識されれば、否応なくシステムの変更を求められるものです。
良い例が裁判員制度でしょう。
私は裁判員制度が良いものとは思いませんが、裁判というシステムが国民、政治家の眼から見て本来の目的からずれていると認識されたのです。
その認識は間違っていると非難するのではなく、認識されたという事実を真摯に受け止めて、自身のあり方に問題はなかったか、自省することが大切だと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。

P.S.
私はモトケンさんに燃料投下されるような非礼をしていたのでしょうか?
もし、していたのならご指摘ください。
その点は反省し、以後気をつけさせていただきます。

>薬屋の企画屋さん

 とりあえず一点だけ

>私はモトケンさんに燃料投下されるような非礼をしていたのでしょうか?

 非礼はありません。

 燃料投下気味というのは私の挑発です。
 謝罪すべきは私のほうです m(_ _)m

 刑事弁護というものを考えるきっかけにしてほしかったので刺激的な表現を使いました。

 こちらも金言の一種ではないでしょうか。ご紹介します。
曲:人生一路(美空ひばり) の歌詞
http://www5e.biglobe.ne.jp/~etuo/page506.html

No.77のPINE さん

ありがとうございます。安田弁護士に弁論当日の予定とは、何であったのかは、私は知りませんでした。但し、安田弁護士は戦術として、欠席という手段を取ったのだと思っておりましたし、最高裁から欠席の結果として3月15日に出された出頭在廷命令も安田弁護士の予想に入っていたのではと思います。

安田弁護士の戦術は、どれも効をそうしていないと考えますが、それを非難できるかは別であると思っています。非難すれば、安田弁護士の前任弁護士についても非難せざるを得ないし、「後出しじゃんけん」になってしまう。

No.81のけんさん、No.90のある経営コンサルタントさん、
模擬裁判のリハーサルへの出席というのは、本当のところ建前かもしれません。
私が危惧しているのは、こうしたことを続けると、刑事弁護活動に対する規制強化の口実を国に与えることです。
弁護士が自分で自分の首を真綿で締め付けて行くような感覚です。
過去にそういう例があるからです。
現在の世論の流れや、国会の状況を考えると、いくら日弁連が抵抗しようと、法律はできてしまいます。

法廷での弁論の内容は世間に何を言われようが被告人の主張を最大限に反映したものであるべきですが、法令で定まっている手続のルールはルールとして守るべきだというのが、私の個人的な考えです。


No.87 薬屋の企画屋さん

ゲームに擬して説明したものです。失礼ながら、一点指摘させていただきます。

ゲームが観客がいなければ永続しないように

違います。
ゲームは、プレーヤーがいれば永続します。
プレーを見せて収益を上げるプロ・スポーツだけは観客を必要としますが、ゲームもスポーツも、プレーヤーのものですので。
 裁判にも、観客(国民一般)は関係ありません。報道もされないような幾千万もの公判に、観客などついていないでしょう?当事者だけいれば成立するんです。
と言うよりも、裁判は、紛争当事者のものなんです。

それがいいか悪いかの価値判断は別として、そこに法律があり刑事警察機構があるならば、最終的に国民の同意などなくても裁判システムは機能します。
ですので『上位システムである社会』と言う認識も誤りです。だいいち裁判員制度の導入は、社会の要請でしたか?専門家集団である司法の側の発案だったはずですが。

仕組みをいくらかでも理解した上での批判や応援でない限り「国民一般の声」は雑音にしかならないんです。
「社会のほうが上位にあるんだから司法関係者は一般人に気を使え」?
荒唐無稽です。

>惰眠さん
法律家の方の意見を聞く限りでは、裁判員制度は社会の要請だという意見が多勢を占めているような印象です


仕組みをいくらかでも理解した上での批判や応援でない限り「国民一般の声」は雑音にしかならないんです。

国民一般の声は、社会にも法律にも多大な影響を与えると思います。無秩序に声を上げるのならば、それは確かに雑音にしかすぎませんが、一つにまとまれば大変革を及ぼすかと思います。

> No.92 惰眠さん

 本筋からは外れますが、「裁判員制度の導入は司法関係者の発案」という部分は私の認識とは違います。

 裁判所、検察庁は反対。弁護士のうち、サイレントマジョリティーも反対ないしは懐疑的。弁護士のうち、元気な少数派は、裁判員制度よりも極端な制度(大勢の市民が投票で結論を決め、裁判官は手続の説明をするだけで意見は言わないし、投票権もない。1票でも無罪意見があったら無罪判決とする、というようなもの)を主張。

 そこに、司法制度改革審議会のメンバーの思惑と、時の政権の思惑が交差して、誰もが思ってもいなかった制度ができちゃった、という感じかなあ。

>惰眠さん

 FFF さんが裁判員制度の成立経緯についてコメントしていますが、「一般国民」が望んだものではない、という意味において論旨の基本認識に差はないと思われます。

 検察は裁判員制度を強く望み、推進しているようです。
 昨夜初めて見たホームページですが、とてもお堅いお役所のホームページとは思えず、ローカル色も反映されていました(プラグイン必要)。
金沢地方検察庁ホームページ案内板
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kanazawa/oshirase/14511200703200/kanazawa-annnai.html

 金沢地方検察庁のホームページ自体は前から見ていましたし、メールアドレスでのご意見、ご質問の受付ているようです(御意見無用ではなかった)。
刑事裁判の流れや裁判員制度の説明もしてありますね。
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kanazawa/kanazawa.shtml

 なお、検察が、難色というか抵抗を示しているのは、取調べの全面可視化の問題のようです。

 廣野秀樹さん

 仮にも法律が適法な手続を経て成立した以上、検察官個々人がどう思っていようとも検察行政が勝手にこんな法案はおかしいなどと抵抗する事ができるとは思えません。例え検察の方で裁判員制度を違憲だと考えたって拒否できるものでもないと思います。

 また、意見や質問を受け付けるといっても、それは一般的政策的なものであり、個別的な事件に関する抗議その他を受け付ける趣旨のものとは考えられません。

 検察官が裁判員制度を推進したという現状認識は、あまりにも表面的なものの味方のように思います。

>風の精霊さん

受け取り方は様々だと思いますが、歓迎ムードと感じるのは気のせいでしょうか。


 また、意見や質問を受け付けるといっても、それは一般的政策的なものであり、個別的な事件に関する抗議その他を受け付ける趣旨のものとは考えられません。

  特に限定が付されているわけでもなさそうです。具体性にこだわるのであれば、なおさら事実関係に触れることにもなるでしょう。

>歓迎ムードと感じるのは気のせいでしょうか。

 たぶん、気のせいです。

 まともな頭の検察官なら、精度の高い情報を欲しがり、検証の材料も豊富な方がよさそうですが。事実のみならす。手痛い失敗で、茫然自失というのはトラウマにもなりうるでしょう。羮に懲りて膾を吹くという諺(出典は「論語」のはず)もあります。
 まともな頭でない依頼人は、情報の価値すら理解できず、気休めの情報を求める傾向がありそうです。あとは他人の不幸や、失敗ですかね。虚飾であったり。
 裁判員制度は、多くの視点から情報も集まりそうです。

>No.100 廣野秀樹様

>裁判員制度は、多くの視点から情報も集まりそうです。

 制度を誤解されていると思います。裁判員は、情報は集めませんし、出せません。その事件についての私知を利用できないことは、裁判官であっても裁判員であっても同様です(むしろ、そのような方は、その事件の裁判員としては不的確になると思います−この点はまだ、政令ができていないのでどういう基準になるかまだわかりませんが)。

 その事件の情報は、あくまで検察が出すしかありません。検察から見た問題の一つは、法律を知らない裁判員の、しかも限られた時間で、わかるように情報が提供できるかです。

 その意味では、いままでの制度の方が検察にとっては楽だったと思います(といっても、今回の制度が弁護士にとって楽なわけではありません。)

>No.91 PINE さん

レス、ありがとうございます。


>私が危惧しているのは、こうしたことを続けると、刑事弁護活動に対する規制強化の口実を国に与えることです。
弁護士が自分で自分の首を真綿で締め付けて行くような感覚です。
過去にそういう例があるからです。
現在の世論の流れや、国会の状況を考えると、いくら日弁連が抵抗しようと、法律はできてしまいます。


私はそういうところまで考えが及んでいませんでしたので、勉強になりました。
そのような危惧を抱かれている弁護士さんは、おそらくPINEさんのみならず、かなりの数いらっしゃるのだと思います。
私は安田弁護士や弁護団に心情が寄っているため、安田弁護士らが時にルール破りのようなことをしようとも、そこに何らかの正当性を見いだそうとしてしまうのですが、そういう問題点が指摘されているということにも思いを馳せたいと思います。

>そのような危惧を抱かれている弁護士さん

ここにもいます。

http://www.yabelab.net/blog/2006/03/14-183615.php

ただし、このエントリは少し筆が走りすぎているところがあります。

>制度を誤解されていると思います
 どうでしょう。
 実際に裁判を経験して感じていることですが、検察も裁判所も実質というものに最大の価値を置いていると思います。情報化社会が加速度に進んでおりますから、あとあと綻びがでても困るでしょう。素人とか法律論以前に、事実認定という前提があり、取捨選択の余地もありそうです(検察は有利なものしか出さない、という批判もありますね)。 そのような司法制度の信頼性を慮り、重大事件に限っていますが、制度への移行に踏み切ったのではないかと感じています。
 実質に価値を置かない向きというのもあると思いますし、類型に当て嵌め、平たく適用されるというのも、法の一面性であり、実際の運用だと思いますが。
 このエントリでも、判断材料が乏しいという結論らしきものが出ているようです。
 たとえば、裁判員制度の実現を目指している会が、ネットで「セブンイレブン」を知らない裁判官がいる、そんな無知に裁判を任しておいていいのかと訴えていました。
 私の住む北陸地方にセブンイレブンというコンビニの店舗はありませんでしたが、仕事柄、新潟県の上越市に店舗があることは知っていました。
 専門性とか、何でも知っている、お見通しというのは、一種の思い上がりではないでしょうか。実際に冤罪事件も起こっていることですし。
 また、再審請求事件に対する検察の論駁、批判の一つに、「法的安定性」というものがあります。

>No.92 惰眠さん
 ゲームは観客がいなくてもという意見ですが、事実に反します。裁判も所詮は権力機構の一部です。国民主権国家である以上、権力は最終的に国民に帰属します。国民の支持を失った裁判機構には意味はありません。それは超法規的処置という形だったり、暴力革命だったり、裁判所そのものが利用されなくなったり形はさまざまでしょうが。法はそれを尊重する人間がいるから法なのであり、法そのものに自立性があるという意見は到底容認できません。法の威信を保障するものは、法の厳格な運用を可能とする法理論であり、適切な法律運用であり、判決の執行を担保する強制力です。法を理解せずに法を批判することに有効性がないのは、その威信が崩壊したとき社会にとって負担が大きいからであって、別に法自身の力によるものではありません。
 一般人に気を使わなさ過ぎればどうなるかは、すでにこのエントリで語られていると思います。弁護人抜き裁判の動きなど最たるものではないでしょうか。

なんにしても、一人の一般人としては、自称一般人の代弁者(あるいは自称正義の改革者か)のヒステリーに巻き込まれて首を絞められるのだけは避けたいところです。
感情論の自爆は自分たちだけでやってほしいものです。

こういうのも参考にされてはいかがでしょう。法の女神は誰に微笑むのでしょうか? ときには検察官の個人的栄達であったりして....。

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第二十五章
 運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか この世の事柄は運命と神によって支配されているので、人間が自分たちの思慮によって治められようはずもなく、ましてやこれに何らかの手当など施しようもないので、まさにそれゆえに世事には齷齪しても仕方なく、むしろ成行きに任せておいたほうが、判断として良いという意見を、多くの人びとが抱いてきたし、いまも抱いていることぐらい、私とて知らないわけではない。あらゆる人間の予測を超えて、日毎に、変転する大事態が見られたり、いまも見られつつある、私たちの時世にあって、このような意見はますます信じられやすいものとなってきた。そのことを思えば私とて、時には、彼らの意見に傾きかけるのであった。だがしかし、私たちの自由意志が消滅してしまわないように、私たちの行為の半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は、あるいはほぼそれぐらいまでの支配は、彼女が私たちに任せているのも真実である、と私は判断しておく。そしていまは運命をこのあたりの破壊的な河川の一つに擬えておこう。それは、怒り狂えば、平野を氾濫し、樹木や建物を破壊し、こちらの土地を削っては、あちらの側へ運ぶ。その押し寄せてくるのを前にして人びとは逃げまどい、激しい水の勢いに誰もが屈服し、どこの部分でも防ぐことができない。そして河川がそのように荒れ狂うものであっても、だからといって人間の側が、平穏な時世に、堤防や土手を築いて、備えを固めておけないわけではない。そのようにして、やがて水嵩が増したときには、水路へ流れを導き、激しい水勢や被害を食い止めることもできよう。同様の事態が、運命の場合にも生じうる。つまり、運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、すなわち土手や堤防の築かれていない箇所を承知の上で、その場所へ、激しく襲いかかってくる。そしてもしもあなた方が、これらの変転の舞台と化しているイタリアのことを、またそれらに切っ掛けを与えた事態のことを、熟慮してみるならば、いまやそこが土手もなく、堤防の一つとしてない野原と化していることに、あなた方は気づくであろう。したがって、もしもこの土地が、ドイツやスペインやフランスのように、しかるべき人物の力量によって防衛されていたならば、この洪水もいまのごとき変転する大事態はもたらさなかったであろうし、あるいは洪水そのものも生じなかったであろう。そしていかに運命と対決すべきかについて、全般としては、これだけを述べておけば私には充分である。
 ただ、より細部に分け入るならば、まず言っておくが、性質や資質を何ら変えていないのに、ある君主が今日は栄えていたのに、明日は滅びるといった事態を、見かけることがある。これは、私の考えでは、まず初めに、これまで長々と論じてきた理由によって、生じたのである。すなわちその君主が、全面的に運命にもたれかかっていたので、それが変転するや、たちまち滅びてしまったのである。私の考えでは、その君主が幸運に恵まれたのは、彼の行動様式が時代に合っていたためであり、同様にして不運であったのは、彼の行動が時代と合わなかったためである。なぜなら、人間というものは、各人が行く手に抱く目標へ、すなわち栄光と富貴へ、おのれを導いてゆく事態のなかで、さまざまの行動することが知られているから。すなわち一人が慎重であれば他の一人は果敢であり、一人が暴力に訴えれば他の一人は策略を用い、一人が忍耐強ければ他の一人はその逆であるといったように、各人がそれぞれに異なった態度をとりながらも、目標へ到達できるのであるから。またさらには、慎重な態度をとった二人のうち、一方は目標へ到達したのに、他方がそうでなかったり、同様にまた一方が慎重であり他方が果敢であるというように、異なった行動様式をとりながら、二人が同じように幸運な結果へ達することもあるから、すなわちこれは、時代の特質が彼らの行動と合っていたのか、あるいはいなかったのか、それ以外のなにものからも生じなかったのである。この点から、先に私の述べたことが、すなわち二人が異なった活動をしながらも、同一の結果を達成したり、また二人が同じように活動しながら、一方が目標へ到達したのに他方がそうでなかったという事態が、生ずるのである。さらにまた、幸運の変転も、この点に依存しているのである。なぜならば、もしもある者が慎重にかつ忍耐強く統治して、時代と状況がその統治を良とするように回るならば、彼は栄えてゆくであろうから。だが、もしも時代と状況が変われば、彼の方が行動様式を変えないかぎり、滅びてしまう。この点に適合できるほど、思慮深い人間は、見出せない。なぜならば、生まれつきの性質が赴かせたところから、おのれの身を引き離すことなど、人間にはできないから。ましてや一つの道を辿って栄光の歩みを進めてきた者に、そこから離れた方が良いなどと、説得することはできないから。それゆえ、慎重な人間は、果敢になるべき時がきてもそうはできないので、そのために滅びてしまう。だが、もしも時代と状況に合わせて自分の性質が変わっていれば、自分の運命は変わらないであろうに。
========================
<君主論(岩波文庫)>

>No.104 廣野秀樹 さん

 裁判で判決の基礎となる事実は、法律で定められた証拠調べ手続によって適法に取り調べられた証拠によって認定される事実に限るんですよ。

 裁判員制度が実施されても、証拠調べ手続はなんら変わらないのです。

 念のために確認しますが、廣野秀樹 さんは

>裁判員制度は、多くの視点から情報も集まりそうです。

と言われましたが、ここにいう「情報」とはなんですか?

 証拠という意味であれば明らかな間違いです。

 刑事裁判における判決の基礎となる「情報」というのは適法に取り調べられた「証拠」に限られるというのが、法曹の常識です。

 証拠を評価判断するにあたっての視点という意味であれば、あながち間違っているとは言えませんが、日本語としてはそういう意味には読みにくいです。

 それとも事実認定過程で用いられる「常識」という意味でしょうか?


>No.105 通りすがりの人さん

 通りすがりの人さんがおっしゃっていることは、「一般人」の認識が正しいことを前提にしています。
 正しいか正しくないか、何を基準に判断するんですか?

 私は証拠以外にその判断基準を知りません。
 そして私は本件の証拠の全容を知りません。
 「一般人」は知っているのですか?
 それとも証拠を離れて判断するのですか?

>No.108 モトケンのコメント
  私がイメージしているのは、全体的方向性ということです。無罪の可能性があるのであれば、検察により説得力のある説明や、証拠の提示を求めるとか、裁判の過程というか流れのことです。市民感覚からのチェックです。
 被告人が不合理な弁解に終始していても、同じです。
 結果の重さを身にしみて経験していますので。
 たとえば、極端な場合、訴因変更ということもあり得るのではないでしょうか。

>No.108 モトケンさん
 モトケンさんこんにちは。コメントありがとうございます。
 私はここでは、個々の裁判内容についての認識を語っているわけではありません。裁判例について一々国民向けに司法が語るわけではないことも当然と考えます。証拠と法律以外の基準に基づいて法律家が判断すれば、法の威信を崩壊させる行為であることも承知しています。
 今回の光母子殺人事件の弁護側の主張については奇異なものではありますが、現実にはさまざまなことがあり、その場にいた人間はいまや被告しかいないわけですから、ありえないと一言の元に否定することはできません。またこんなものを証拠として提出することが、弁護士としての資質にかけているとも考えません。法廷に証拠として提出することに同意したのは被告ですし、最終的な結果も被告がかぶるものである以上、弁護士の方々がそれを止めなかったからといって問題があるとは思えません。またその主張について一般人がどうこう言うことに裁判が影響される、もしくはされるべきだなどとも考えておりません。
 私がNo.105で書きたかったのはNo.92の「最終的に国民の同意などなくても裁判システムは機能します」というような認識を、もし法関係の方が本当に持っているのであれば、非常に問題だと感じたからです。私が書いたように反例は簡単に挙げられますし、一般人をあまりにも敵視しすぎています。最終的には逆に法の威信を低下させかねません。
 一般人の法律や裁判制度に対する認識の正誤については最終的には一般人が責任を取ることです。一般人の認識が立法を通じて実定法として現れれば、司法としてはそれに従わざるを得ません。そうして成立した法律が実証的に効力を持ちうるかどうか、それは結局一般人社会の中に反映されねばわからないことだからです。

>No.110 通りすがりの人さん

 あのですね(←かなり苛ついているのがわかるでしょ^^)、このエントリのコメントだけでもいいですからもう一度読み直していただけますか!

 私を含めて法曹が、刑事弁護で世間の批判なんか気にしちゃいられないと言っているのは、弁護人の主張について言っているのです。

 裁判所の判断については、公正かつ公平で証拠に基づく妥当は判断でなければいけないと言っています。
 言葉足らずだったかも知れませんが当然のことです。
 そして裁判所には説明責任があります。
 説明責任は判決における判決理由で果たされるべきものです。

 そして、本件ではまだ差戻審の判断は示されていないのです。

 将来の判決において、差戻審が荒唐無稽な判断をしたというのであれば、そのときこそ弁護人の主張ではなくて裁判所の判断が批判されるべきです。

 しかし、裁判所の判断という観点においても、一般人に迎合した判断は司法の威信を低下させます。
 あくまでも法と証拠に基づいてなされるべきものです。

 なお、ここで意見を述べた法曹は、私を含めて「一般人をあまりにも敵視しすぎています。」と言われるような意見を述べたことはありません。
 根拠のない感情的な批判は無視すべしと言っているだけです。

 このエントリにコメントした人及びはてなブックマークでコメントした人の多数は、その意味ではこのエントリの周辺の「一般人」は、私及び他の弁護士の意見を理解してくださっているように認識しております。

No.103 モトケンさん

レス、ありがとうございます。
ご教示頂いたエントリを読ませて頂き、勉強になりました。


 >安田弁護士としては自らの信念に基づいて引き延ばしをしておられるのでしょうが、もし、ここでまた弁護人抜き裁判の実例が作られると、弁護人抜き裁判法案が大きな顔をして提出され、可決されてしまう恐れが生じてきます。


そういう法案があるということを、私は知りませんでした。
この事件について考えるにあたり、私は今後も安田弁護士ら弁護団寄りでありたいと思っていますが、ご教示頂いたようなことにも思いを馳せながら、ものを考えるようにしたいと思います。

>そういう法案

 具体的に法案があるわけではないはずですが、勢いがつくとすぐできちゃいそうな不安があります。

>No.111 モトケンさん
 No.111でモトケンさんがおっしゃっておられることに特に反することを書いたつもりはなかったのですが。繰り返しになりますが、今回の件についての弁護人の行動については特に問題があるとは思いません。No110で書いていますとおり、被告の方がそう主張したいといったものを主張しているに過ぎない立場にいらっしゃるわけですから、そもそも一般常識は関係ないのは当然でしょう。.また裁判所についてもNo.110で書いていますとおり、証拠と法以外に基づいて判断すべきとはしておりません。
 司法としては証拠と、現行法に基づく判断を適切に繰り返していくことがその権威の最大の源泉であると考えます。しかし、このあり方は現行法自体の正しさを証明するものではありません。そうした現行法と実態の乖離を是正するのは司法の運用と最終的には立法しかありえませんし、さらにその評価は社会に反映されなければ不明です。そうした意味でNo.92のような社会から独立した法という考えは理解不能だったため、コメントさせてもらった次第です。もしNo.92の方が法曹の方でなく、その考え方が法曹の中で一般的なものでないのであれば、エントリーの主旨にそぐわないことを書き込んだことになり、大変申し訳なく思います。

これだけ端的な事例も珍しいかと思ったんですが。
 
 結局意味不明 > 安田弁護団

 ちなみに、被告人の主張など全く無視する弁護士もいましたよ。失ったものが大きすぎて、立ち直ることもできませんが、さらに虚しくなりました。

>みなさん
テレビでの情報は、あまり鵜呑みにしないほうがいいですよ。

マスコミは視聴率稼ぎもあるので、弁護側に不利な用な記事を書く、
または報道するのは当然です。ただ、モトケンさんが言ってるように、
1,2審でそういった主張しなかったのは不思議ですね。後でそういった事実が見つかったのでしょうか?
 
それに弁護側は鑑定に基づいて主張しているわけで、安易に出鱈目と判断するのは危険ですね。安田弁護士は中々の実績を持つ弁護士ですし、一般人にコケにされるような人ではありませんね。

>1,2審でそういった主張しなかったのは不思議ですね。
 考えられる一つの可能性としては、拘置所にいる間に、精神に変調を来したということですが、裁判は犯行時を規準にするんじゃないでしょうか。つまり出すだけ無駄な主張になりそうですが、いずれにせよ、出しているみたいですね。
 こちらも混乱して、もやもやが残ります。どうなっているのかこの裁判はと言う感じです。

 結局訳のわからないままに、刑事弁護、刑事裁判には失望感が募るばかりです。

ここの弁護士もYUNYUNさんと一緒で大意がつかめず、枝葉末節にこだわってるんだな。
薬屋の企画屋さんの独り言に反応してもしょうがないのに、本論には誰も答えてねえんだよな。

弁護士ってのは、相手の話の弱点"だけ”をつく商売なのかい?

 被告人の独自の言い分なのか、安田弁護士が編み出した法廷論法なのか、区別もはっきりしないぐらいですから。弁護士業というのは寄り合い所帯の、独善的で無責任な業界に感じますね。
 検察批判も然り。
 それぐらいの説明責任はありそうな気がしますが、マスコミも皮相にとらわれ、追求もできないのでしょうか。
 安易な精神鑑定というのも筋道が違っているようで、違和感を覚えます。
 それとも大物弁護士の威光が強すぎるのか、そういえば、橋下弁護士を午前中テレビで見ましたが、終始にこやかで、全く屈託もなさそうでした。
 詳しいことは知りませんが、異色のはみ出し弁護士ということになるのでしょうか。もっとも発言に影響力があり得る弁護士の可能性もありそうな気がしますが。

 廣野秀樹さん
 
 弁護人と被告人の間関係はよそには秘密です。弁護人が勝手に間関係をばらせば守秘義務違反を問われるでしょう。刑法にも、弁護人の秘密漏示は犯罪であると書かれています。
 秘密を守ることによって、弁護を受ける権利を保障するためです。

 外から見てどうであるか分からないのを批判されても困ります。

>No.114 通りすがりの人さん

 たとえ話というのは、どれほど適切なたとえであったとしても問題の一局面にしか妥当しない場合がほとんどです。
 あなたはそれを適用対象外にまで広げているので議論がかみ合わなくなっているのだと思います。

 さらに付け加えますが、法曹界の人間の感覚や考え方を論じるのであれば、法曹界の人間であることが明らかな人のコメントに基づいて意見を述べた方がいいと思います。

 議論の内容としてはエントリずれとは思いません。

>No.122
 私としては、裁判は争う双方が裁判所が認めた(一般社会が認めた、ではない)証拠を提出し、裁判所がその証拠と法律に基づいて判断を下し、その判断に至った過程を論理的に明示した判決として提示するものと理解しておりました。このような形式が定まるまでには長年の経験と多くの専門家の研究があったわけで、今回の弁護側もそのような形式にはちゃんと従っているわけです。今回の弁護側以上に電波な主張がされた裁判も多数あったでしょう。従いまして、今回の件が証拠提出の段階で社会の評価にさらされる必要はないというモトケンさんの主張はもっともなものと考えております。
 そうではなく、社会評価が不要な理由が、No.92では国民の同意などなくても裁判システムは機能するということがあげられており、このような理由が法曹の側で一般的にあげられるのであれば、問題であるという主旨です。そうではないと確認できれば、特にこれ以上申し上げることはありません。

>No.123 通りすがりの人さん

 とりあえず簡単に答えます。

 この問題はもともと、No.87 薬屋の企画屋さんと No.92 惰眠さんの議論ですが、

 制度論として長続きするかどうかという観点でいえば、長続きしないと思います。
 裁判システムは、裁判つまり裁判所の判断に対する国民の多数の信頼が失われれば、紛争解決機能を十分発揮できないからです。

 しかし、個々の事件の判断においては、そのときどきの国民の支持や同意というものに影響されるべきではないと思います。
 国民の同意というものは、必ずしも法律的限界を考慮しませんし、十分な根拠に基づくものでもなく、論理的は判断である保証もないからです。
 ただし、すでに述べたように判決においては国民の理解を得るための説明責任があると思います。

 別の観点で言えば、

 裁判の本質を権力的裁定作用に求めるときは、政治体制によっては国民の同意は無意味ということになります。
 
 民主主義国家においては、制度的な観点における国民の支持は不可欠だと思います。

 つまりあなたの疑問は司法権に対する民主的統制に繋がるものだと思われますが、制度論的な問題を、個々の事件における弁護人の活動やそれに対する国民の批判を基に論じると議論が混乱すると思います。

 刑事弁護人の活動には、一般の国民があまり理解していない行動規範があるからです。
 それは自由主義社会における極めて重要な行動規範なのです。

 あまり簡単な答になりませんでしたね。

>No.121 風の精霊さんのコメント
 なるほど言われてみればごもっともです。ただ、懲戒相当という意見や感覚を持つ人がいるぐらいですから、これでよいのか割り切れなさは残ります。

>懲戒相当という意見や感覚を持つ人

これは、マスコミ的なミスリードの一部、又は結果と思います。

マスコミに発表した訴訟での主張を、死刑廃止論とごちゃ混ぜにして、糾弾活動の参加者を募る動きまで有ります。
このように騒がれることはマスコミにとって飯のタネ、狙い通りです。

どこか他所のブログで誤解を見かければ、チクリと刺して置いたりするんですけどね。

>これは、マスコミ的なミスリードの一部、又は結果と思います。

 仕事柄、平日は13時から「思いっきりテレビ」という番組を観ることが多いのですが、「みのもんた」という司会者が、死刑とか厳罰を当たり前のことのように話していますね。
 カリスマ的というのか、一部では絶大な支持や信頼も受けているそうですし、影響も少なくないことでしょう。
 また、死刑廃止論を沈静化させ、世論の流れを変えたのはオウム教の地下鉄サリン事件ですね。これは歴然としていると思います。

>オウム

カルトや左翼のテロ活動の活発化が世界的傾向とすれば、
日本は周辺国の事情が悪いので、そちらと結託した動きに更に警戒が必要です。

組織的な大勢のテロリスト、これはいちいち収監していられないのが現実だと思います。

そうなれば死刑は当然、現場での射殺も必然になり。死刑廃止どころではないのは正常な判断でしょう。

>モトケン様、その他の方々

 トラックバックを送信させて頂きましたが、反映されていないようです。
 このエントリとの関連性を含め、趣旨のご説明は後回しにさせて頂きますが(リンク先の本文には触れてあります)、とりあえずご紹介させた頂きます。

[上申書]法曹の方々に向けたご案内と、今後の予定(2007.06.10)
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20070610/1181492060

> カルトや左翼のテロ活動の活発化が世界的傾向とすれば、

その仮定はそう簡単に肯定できないと思いますが。いつと比べてどの程度活発なんですか?少なくとも、左翼テロは70年代と比べれば世界的に見ても激減してると思いますが。

>No.130 中山さんのコメント

いやいや、とても増えたと決める自信は無いです。これは正確な統計も無いし、どれが左翼でと決めることすら難しい。

ただ、アラブでの自爆や武器を使った戦闘、タリバンの復活、ダルフール虐殺やサミットでの連日2万人から3万人規模の警官隊との衝突で1000人以上逮捕ですが、極左が入り込んでいたらしい。

尚、東トルキスタンまで入れるとテロと言うより国家侵略の範疇に入るけれど、共産勢力と非合法の共通項で繋がっているとも言えます。

この様な暴力は形を変えて何時も存在するようにも思えますが、減ったようには思えないです。

>No.124 モトケンさん
的確な補足、ありがとうございます。
ちなみに私は「法律の勉強をしたことのある」一般人ですが、法曹ではありません。

N0.129
ですが、未だ無反応のようですね。説明が不十分なので、致し方ないかと考えていますが、いささか残念です。専門家を含め、世間の反応が乏しいままという状況も予想していますが、それも現実の姿として、検察庁に伝えるつもりです。
 とりあえず、金沢西警察署が作成した供述調書の写真をgooのブログの方で公開しました。割と綺麗に文字も読み取れています。
 平成4年4月9日作成のもののようですが、その時点で、「強姦もしています」という記載がなされていたようです。こんなに早い段階から決めつけられていたんですね。
 弁護人の弁護方針も不明のままでしたが、もともとこの警部補の作成した供述調書に問題があったのかもしれません。写真で写した書面のコピーも、上告審の国選弁護人から郵送されたものでした。

 事案としては、すれ違いになりますが、産経新聞社のブログ(iza)のほうで、富山の冤罪強姦事件について最新情報が取り上げられていて、そちらに入っていたトラックバックのブログの方で、
「この冤罪被害者は、警察のいいなりに供述調書を作成され、今度は弁護士のいいなりにされているのかも」
という指摘がなされていました。
 直接、URLをご紹介したかったんですが、先ほどizaにアクセスしたところ、メンテナンスのため、4時まで利用できないと表示されていました。

 現在のところ、こちらの記事からのリンクアクセスは、30件。トラックバックを入れた落合弁護士のブログからは、わずかに4件だけのようです。
 どんな不都合があるのかと、いろいろ考え、予定していたブログの亢進はできませんでした。
 やはり電波と思われているのでしょうか。
 問題の重要性については、最高検が書面で示してくれ、それも同じgooのブログの最近の記事に掲載されているはずですが。
 正直なところ、何を目的にしているのか、弁護士不信が募ります。

> 刑事弁護人の活動には、一般の国民があまり理解していない行動規範があるからです。
が答えであるとすれば、余りにも悲しいです。暗黙の密約のようにも思え、自由や民主主義とは乖離しているようにも感じます。
 民主の統治で、難しい答えなどとも書いてありましたが、憲法にも「主権在民」と謳われ、検察官は、公益の代表者ということになっているのではないでしょうか。
 なお、告訴事件のことですが、金沢地方検察庁の担当者は、書面以外のものは受け取れない、と言っていました。証拠についても言及されることは乏しく、それだけ私自身の具体的事実の記載を重視していたものと考えられますが、これだけ関心が乏しいとは。
 また、金沢地方検察庁検察官より、最高検察庁の書面の方が、具体的なことを書いてありましたが、学問上?の検察官一体の原則とは異なり、各地方検察庁の権限や判断を優先するようなことが書いてありました。
 検察と弁護士というのは、揚げ足取りの合戦を呈しているのでしょうか? 現在の与党と野党の政権争いにも酷似した構造なのでしょうか?
 人権派というのも、加害者、被疑者の人権のみを優先させているのでしょうか。守秘義務とか、伝家の宝刀を持ち出されれば、議論もお終いですが、私は、人間として最低限の尊厳のために、プライバシーを放棄し、事実と資料をさらけ出しています。
 実際のところ、検察の不作為で、そのような方向に持ち込まれたようなものですが、公益のための真摯さは感じています。あるいはそれだけ危機的状況なのかもしれませんが。

 なお、次のような見方や考えも、参考にはしております。
http://igelblog.blog15.fc2.com/blog-entry-390.html

No.128 MultiSync@一市民さん>

組織的な大勢のテロリスト、これはいちいち収監していられないのが現実だと思います。
そうなれば死刑は当然、現場での射殺も必然になり。死刑廃止どころではないのは正常な判断でしょう。

「組織的な大勢のテロリスト、これはいちいち収監していられない」と言う状態は、いわゆる「有事」では?
そんな状態に的確に対応する為の訓練が行われている公的機関は、警察ではなく、自衛隊では?
そんな状態になっても、警察や平時用の法律・政令と改正で対応するならば、有事関連の法律は、無意味な事が書かれた紙屑ですか?
自衛隊は役に立たない烏合の衆ですか?
防衛関係の国家予算は、税金の無駄遣いですか?

それに、テロリストを片っ端から殺して良いんですか?
テロの再発防止(テロ組織の尻尾を掴むとか)に役立つ情報を持っている人間の口を、わざわざ塞いでやる訳ですか?
テロ組織の末端の兵隊はともかく、幹部クラスにとっては、有り難い話でしょうね。

いまさらですが、レスを

モトケンさんのものを引用しまくりですが
> 私は、安田弁護士らの主張やその他の弁護活動(記者会見等)の有効性について批判しているだけで、被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責に反しているとは思いません。

といいながら

> また、安田弁護士らの主張は、弁護士全体に対する信頼を失わせるという批判があり、実際弁護士に対するイメージを悪化させた人が少なくないと思いますが、本来は、安田弁護士への批判は安田弁護士に向けられるべきであって他の弁護士に一般化すべきではありません。

とおっしゃっているわけです。
批判は「職責に反していないからってその主張は変だろ、いいかげんにしろ」というものなのに、です。
職責に反してないからいいけど、批判は弁護士全体にするなよ?とか言い出されたら、こういうド素人に反応してくださる方でもこの程度なのか、と思ったのです。

ようするに浄に属するような気がしていたモトケンさんもそうじゃないんだな、と。
あとは欠席戦法を使い、批判を集めた弁護士をそのままつけておいて良し、とする法曹の見方にもあきれましたが。

安田弁護士って、根津医師みたいなものだとおもってます。根津医師は学会から強烈な倫理的批判を浴びてますが、彼は倫理を患者さんの下において不妊治療をおこなってますよね。彼に救われた患者さんたちの擁護の声は非常に説得力のあるもので、その擁護の声がある意味学会や総論的倫理的批判に対する抑止力になってますよね。

私は根津医師を擁護するつもりはありませんが、やり方はありだとも思うのです。つまり患者を救うという職責には反していないけれど、その倫理無視のやり方を医者全員がやると思われても困る。こういう状況ってよく見れば身の回りにたくさんあるんじゃないのかなぁ。

安田弁護士には被告人の利益を最大限擁護するという弁護人の職責を果たしてくれているんだと擁護する声をあげるのは難しそうですが。

喩え話好きがしゃしゃり出るようで申し訳ありませんが、No.135 らぃさんのコメント を拝見して一つ思い出した出来事があります。

 13年前の夏の甲子園で、明徳義塾の投手が星陵高校の特定の選手が打席に立つたびに敬遠フォアボールを与えてバットを振らせず、打棒を封じられた星陵が敗退した試合のことです。敬遠されたのはご存知の通り、未来の(当時)メジャーリーガー松井秀喜選手です。

 あのときも「ルールに反していないなら何をやってもいいってのは変だろ/間違ってる」などの非難が沸き起こりました。ゴジラ大暴れを期待して映画館に行ったら肝心のゴジラが活躍するまもなく冒頭であっけなく退治されちゃったみたいなもんで納得いかない気持ちもあるでしょうが、これは仝ている観客の感情の問題(「卑怯だ」とか「知略だ」などの賛否)と、▲押璽爐寮鑪としての有効性の問題をまぜこぜにした議論だと思います。
 プレーヤーは、ゲームでの勝利を目指して様々なプレーをするのですから、彼らにとって意味があるのは△痢∩択した手法が合目的的であるか否か、成果を生んだか否かです。そしてゲームはプレーヤーたちのものですから、観客が好きになったり嫌いになったりするのは勝手ですが『あのプレーは(倫理的に)間違っている』と主張するのも間違っていると思います。

 刑事事件の被告側弁護士(バッター)は被告人の主張(ランナー)を裁判官に受け容れてもらう(ホームインさせる)ことを目的に弁護活動(プレー)するわけです。ピッチャーでもいいか。検察側主張を裁判官が採用しないように打ち取るのが目的だと。
 しかしいずれにせよ、刑事裁判での弁護活動は娯楽としてのゲームとは違って、人ひとりの生活や、時には生命さえも左右するわけですから、弁護士と言う役回りに忠実であればあるほど、ルールの禁じない範囲であらゆる手を講じようとするのかもしれません。

 私を含め、観客の立場に留まる者が「あのプレーは気に食わない」と言う理由で選手をくさすのも好き好きですが、実際にプレーをする人たちにまで観客と同じ感情を持つべきだとか、その感情に基づいて批判すべきだと言うのは、無体なことではないでしょうか。
 まして被告側弁護士が世間一般の制裁感情に乗って世論による吊るし上げの輪に加わってしまったら、何のための弁護人だってことになってしまうじゃないですか。

 光市の事件に立ち戻ってみます。
最高裁は、検察側主張に疑いを入れたからではなくて、2審までの判決で裁判官が酌んだ情状では死刑を回避するには不十分だと言って差し戻しをしたんですよね?素人考えですが、この場合被告人弁護士にできることと言えば々垢縫優臣気靴魎萃イ辰道犒魂麋鬚暴淑なだけの情状を積み上げるか、適用法条をより罰条の軽いものに変更させる、の二つ以外の選択肢はないのではないでしょうか。

 これ以上どんなに探しても酌むべき情状なんかどこにも見つからないって事情もあるのかもしれないですけど、被告側弁護団は△鯀択しましたよね。その上で傷害致死だと主張する根拠として、検察側提出証拠に示されている遺体の状況が、検察側主張と食い違う(検察主張どおりの殺害方法では遺体の現状のようにはならない)との考えを、例の世間の神経を逆なでするような『荒唐無稽なフレーズ』を交えて報道陣に説明したのでしょう。
 
 安田弁護士の発言は、世間の胸糞を悪くしたと言う以外、何一つ間違ったことはしていないと思いますよ。私も報道引用されたフレーズには吐き気を催すほどの嫌悪を感じましたが、それはそれ・これはこれです。彼らは人民裁判を闘っているわけではないんですから、世間一般がどれほど反発しようとも裁判官に「もしかしたら傷害致死として見たほうが妥当なのかも」と思わせられれば、まずは成功と評価していいはずです。
 ただし世間の胸糞だけでなく裁判官の心象も悪くしたのなら、それは弁護人としては大きな失点ですよね。クライアントの利益を文字通り致命的に損なうわけですから。もしそうならば、法曹の立場からの批判が起きても不思議はないと思います。

 余談ながら私個人がマスコミ報道を通じて形成した感情で言うならば、この裁判の被告にこれ以上四の五の弁解などさせないでさっさと吊るせ――と言うよりこの世にありあう限りの屈辱と苦痛を与えて処刑すべきだ――と思うわけですが、その感情にしたがってしまうと法治国家である日本を否定することになってしまう。それは受け容れられません。
 それに基本的に警察・検察が情報の出所になっている報道が必ずしも客観的事実であるとも言い切れない。よって、自分の感情はひとまず棚上げして考えるようにしています。

>No.137 惰眠さんのコメント

完璧に纏めておられるので、特に付け足すことは有りません。
スレとびの蛇足で申し訳有りませんが、反論が有るので少しだけ。

>No.134 万年下っ端プログラマさんのコメント

私の出した「組織的な大勢のテロリスト」の表現のせいか、内戦に近い状態を想定して見えますが。それほど限定したつもりでは有りません。

テロリストが一斉蜂起すると決まった訳でもなく、組織も沢山分かれています。
あちこちで、ガスや武器を持ったり何かを壊すなどの方法で犯罪を起こす可能性が高く、逮捕する手間が不要なその場で射殺すべき場合も有る。

と言った趣旨で、基本的には通常時を考えています。
逆に、仰るように戦闘になったのなら撃ち合って殺すしかない訳で、それは除外です。

MultiSync@一市民さん>

逮捕する手間が不要なその場で射殺すべき場合も有る。

もし、MultiSync@一市民さんが考えられているような事態になった際、テロリストを射殺すべき場合もあるかもしれません。
しかし、それは、射殺するのは可能だけど、逮捕するのが絶望的に難しい、と言うやむを得ざる場合だけじゃないんですか?

だって、死んだテロリストをどれだけ尋問したって、何も情報を吐かないし、利用価値も全く無い訳で。
射殺せざるを得なかったら、それは、ある意味で失敗でしょう。

すいません。
No.133
でリンクを入れるのを忘れていました。
http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/e/3adc0e92f87c528a28aeac929601cc3e

 落合弁護士のブログでも新規エントリで、警察の供述調書について、問題にしていました。
 実は、平成11年の事件の控訴審だったお思いますが、接見に来た国選弁護人が、裁判の資料を公にしたら大変なことになる、弁護士に迷惑が掛かるようなことを言っていました。
 しかし、これまで関係者の供述調書を含め、大々的に公開していますが、どこからも申し入れなど受けていません。警察や検察からブレーキの掛かってこともなければ、金沢中警察署に至っては、すこぶる挑発的で、映画のロケのような演出を含め、燃料投下をようなことをやってくれました。
 そのあたりは、はてなのブログの昨年の10月頃の記事で、実況中継のような詳細を記載してあるはずです。
 万一の場合の期待される弁護活動を含め、参考にして頂ければ幸いです。なお、私のブログは、写真資料を沢山公開しているgooのブログと文章を中心にした「はてな」のブログ共に、検事総長にもご紹介済みです。
 さらに、金沢中警察署には閲覧と共に、印刷もしていると言われています。地検を含め、私の方から出さない限り、ブログやネットの情報発信のことが話題になったことはありません。
 刑事裁判、刑事弁護の在り方として、本当に参考にして頂きたく、参考になる情報や、ご意見も頂きたいのです。
 安田弁護士のような弁護をされたら、困るとお考えの人はいないのでしょうか。当時の相場であれば、十分に無期刑で確定していた可能性のある事案です。
 また、同じく無期刑になった女子高生のリンチ殺人事件では、さらに戦慄を覚える凄惨な、犯行態様であったと記憶しています。マスコミ報道なので、割り引いて考える必要もあるかもしれないのですが。
 もっとも死刑の執行まで期間が長引くのが、利益だとすれば、安田弁護士は最善の弁護活動をしていてくれるのかもしれません。
 本当の冤罪被害者には、不利益が及びそうですが。

>No.139 万年下っ端プログラマさんのコメント
>射殺せざるを得なかったら、それは、ある意味で失敗でしょう。

治安維持や警察権行使の観点からは、時間的切迫度と経費を無視すれば逮捕取調べが理想ですね。
射殺の是非や死罪評価の話題とは別次元で、スレから更に遠ざかりますけど。

> No.141 MultiSync@一市民さん

↓みたいな状態ですか?
http://mltr.free100.tv/faq20.html#06435

「手間を省くために」射殺するってのは、もはや法治国家と呼べない状況にしか思えません(法改正すればいいのかな?)。有事法制での定義とは違うかもしれませんが、ほとんど有事と変わらないんじゃないかと。

 冤罪と一緒で、間違ったところに球が飛んでくるかもしれませんよ。誤認射殺じゃ、死人に口なしですし。陽動作戦で、見当違いのところに警察を導く、知能集団、演劇一座もいたりして。
 忍者というのも、普段は、サーカスの芸人のようなことをすることがあったとか。
 そういえば、安田弁護士も、ブログで、「テロ弁護士安田、出てこい!」と言われていましたね。マジックのように世紀の大裁判を、実質審理なしで、確定判決にした。検察も裁判所も手のひらの上で、転がされていたのでしょうか。
 そういえば、10年ほど前でしょうか、たまたま読んだ週刊誌で、大きな政治的影響力も持つ宗教団体が、法曹に大量の人員を送り込むとか、送り込んだとかそんなことが書いてありました。

 個人的には、あまり気にしてもいないことですが、私は検察(官憲)の手先でもないので、そのあたりははっきりしておきます。

>No.142 中山さん

いや〜凄いですね、治安の悪い街の住民には最強の守護者かも。

日本ではとりあえずそこまでは不要でしょう、しかし既に3年ほど以前に中国だけで10万人規模で留学受け入れ、平行するかの様に外国人犯罪も増加傾向。

やはり凶悪な、サリンや銃の乱射の様な事件が起る危険性は有る。
愛知の立てこもりでも自衛隊を使う案が出るくらいで、緊急対応の手段確保は必要ですね。

日本で、死刑がNOで射殺はOK、とはならないと思います。

MultiSync@一市民さん>

しかし既に3年ほど以前に中国だけで10万人規模で留学受け入れ、平行するかの様に外国人犯罪も増加傾向。

そりゃ、中国人が増えれば、中国人犯罪者も増えるでしょうね。
同じようにアメリカ人が増えれば、アメリカ人の犯罪者も増えるし、東京都民が増えれば、東京都民の犯罪者も増えるし、日本人が増えれば、日本人の犯罪者も増える。

念の為に伺いますが、今までのMultiSync@一市民さんの投稿は、全てブラックジョークですか?
それとも、MultiSync@一市民さんは、日本は鎖国すべきだ、と言う考えをお持ちで?

ずいぶん伸びますが、一応御質問なので答えます。

>中国人が増えれば、中国人犯罪者も増えるでしょうね

皮肉は有りますが、ジョークでも無く、外人の犯罪は酷いですよ、被害者(老夫婦)の気がふれるくらいね。
そんな事件が近辺で起った衝撃も有るし。気をつけてみると犯罪目的で入国のニュースもかなり有る。

日本人と同程度の犯罪発生率なら問題ないが・・・気をつけた方が良い。
一応統計は色々有り、入国者の全体数など役所が違い解り難い。中国人の凶悪犯罪が突出傾向などは読み取れます。
>http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/kokusaisousa/kokusai1/16b/2.pdf
>http://www.moj.go.jp/PRESS/060406-1/060406-1.html
まとめ Irregular Expression
>http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200603101425.html
>http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/20060310hanzai.html
本なら 「瀬戸博之著 外国人犯罪」

鎖国主義者か?と訊かれたので答えるなら、積極的な移民政策もどきはお断りです。

民社は100万人受け入れ政策(実は不法就労者が凄く多く学校が潰れた例も有るくらい)ですけど、目先の経済利益だけを追って節度も警戒心も無い、それより日本人の仕事と治安を大事にした方が良いです。

MultiSync@一市民さん>
>一応統計は色々有り、入国者の全体数など役所が違い解り難い。中国人の凶悪犯罪が突出傾向などは読み取れます。

それは、単なる凶悪犯罪として扱えば良いのであって、その場で射殺OKってのは、いかがなものでしょうかね?

個人的な事でアレなのですが、私は、中国人と間違われやすい名字なので、中国人犯罪者は、その場で射殺OK、なんて事になってしまうと、一歩間違えば命に関わりますので。

このツリーのトピックスとは完全に違うのでコメントするべきではないのかもしれませんが、少々見過ごせないことを仰ってると感じましたもので。

>MultiSync@一市民さん
全く賛同できません。
例によって例え話ですが、このような表現に置き換えて考えてみてはいかがでしょうか。
「外国人」の部分を「年収n百万円以下」、「最終学歴○○未満」、「年齢○○才以下/以上」、「○○業従事者/無職者」云々。そういう切り口で統計を取ったら、もしかしたらある閾値を境に、顕著な傾向性が見つかるかもしれません。
仮にそのような結果が出た場合に、上記で例示したようなグループに属する人々の私権を制限するのは妥当なんでしょうかね。私にはとてもそうは思えませんが。

 また、テロリストがどうとかの例え話を出しておいででしたが、先年イギリスで私服の対テロ部隊が挙動不審(と彼らが見なしただけ)の普通の青年を地下鉄構内でいきなり射殺する事件が起こったことを覚えておいででしょうか。
 現場担当官の心象だけで(あるいは心象を得たとの口実さえあれば)あらゆる検証や法的手続きの段階を飛び越えて「結果」に飛びついて構わないとすると、こういうことが起こり得ます。しかも、被害は回復不能。
 社会防衛のために必要なコスト?リスク?過大にすぎますね。ご自身を「安全圏」においてものを考えていらっしゃいませんか?ある社会の制度や法律は、その社会に暮らす全ての人間を射程に捉える(法の下の平等原則)のです。自分自身や家族・友人などの近親者がその「コスト」を払わされたときのことを想像してみてほしいと思います。

>MultiSync@一市民さん
全く賛同できません。

何に賛同できないのでしょうか?

話題が交錯していますが、よく読んでください。

死刑廃止、
現場での射殺
テロの危険性
外国人犯罪の危険性

この4点に尽いて、夫々質問があったので答えては居ますけど「勝手に容疑者を殺して良い」等と誰か書きましたか?
どこかの市長の話は別ですし。

ちなみに日本で現場射殺OKなのは犯人が銃を振り回しているような場合で「そのような場面が増えるだろう」とは考えています。
しかし、上記のような議論をしていると、それより更に踏み込んで「怪しい犯罪者の射殺もやむをえない」と考える人が出てくることが判ります。

それが状況によってはそれを完全否定も出来ない、そして誤認射殺事件が起きる。
この辺りが、マスコミの煽りや流言の怖さに繋がるのでしょう。

きっちりと整理分析して、対処すべきは正確に、かつ厳しく対処しないと混乱が増幅します。

後先になりました

>No.147 万年下っ端プログラマさん
>個人的な事でアレなのですが、私は、中国人と間違われやすい名字なので、中国人犯罪者は、その場で射殺OK、なんて事になってしまうと、一歩間違えば命に

それは大変ですね、でも現場で犯人を取り押さえるのに苗字読んでやる、のではなく。
影響有るのは、掲示板で名前を書き込んだら完璧に誤解された、などですね。

麻薬でラリって刃物や銃を振り回す、といった典型的な事例なら、通行人が犠牲になる前に殺せ、と文句がでるでしょう。

それから参考のまとめでは、強盗などの凶悪犯、比率はブラジル人が最大ですし。
来日者は滞在期間が観光なら一週間〜3ヶ月と(正確ではないが)短いので、在日の一年間通してみる犯罪発生率より低く出ています、時間当りで割れば危険度は逆に高いと見えます。

組織的な大勢のテロリスト、これはいちいち収監していられないのが現実だと思います。

そうなれば死刑は当然、現場での射殺も必然になり。死刑廃止どころではないのは正常な判断でしょう。

こういう飛躍に飛躍を重ねたリクツに賛同しろと言っても無理な相談です。重ねて言いますが、まったく賛同の余地がありません。
どこがどう飛躍しているのか、もしかして自覚をお持ちじゃないのですか?
われわれは、ハリウッド映画やアクション小説の中に暮らしているわけではないのです。ワイルド・ウェストの時代でもありません。

きっちりと整理分析して、対処すべきは正確に、かつ厳しく対処しないと混乱が増幅します。

この言葉はそっくりそのままお返しいたしますので、論理的に飛躍のない、冷静な分析と判断をもう一度やり直してみてください。失礼を承知で申し上げますが、おっしゃっていることは最近ニュースにもなった「カツアゲされるのが怖くてナイフを持ち歩く秋葉原のオタク少年」のリクツ同然に見えます。

>No.151 惰眠さんのコメント

(くどいので嫌だけど、詰られたままでスルーも気持ち悪いので)
賛同しないのは、死刑、射殺を容認の件、それとも他のことですか?

他の件は資料の提供しただけ、のつもりですが。
飛躍と言うなら「本来はこうだ」と指摘すれば済む。自分で正しく論理展開して主張すれば良いだけです。

噛み付くだけで何が言いたいのか解らなければ、それなりの評価しか出来ないし、いちいち詳細に説明も出来ず。

もしも「死刑や射殺が許せないから認めろ」と言うなら、コメントに批判だけでは駄目。
説得力の有る主張をしたら如何ですか。
(たまに犯人を誤った射殺が有るから警官は撃たれても撃つな、では説得は無理だと思いますが)

MultiSync@一市民さん>

横から話を挟むようでアレですが、MultiSync@一市民さんの主張で、訳が判らなかった点が、

(1)警官が現場で凶悪犯を射殺しなければいけないケースが出てくる
(2)死刑廃止の是非

の2つを結び付けている事です。

警官が現場で凶悪犯する事と、死刑は、「公的組織による殺人」と言う点では共通していますが、前者は、あくまでも緊急避難(他に手段が無い場合にやむを得ず行うべき事)であり、後者は一定の手続きに基づいて行われる事です。

なので、この2つを一緒にする理由がイマイチ判りません。

はっきり言えば、死刑やら、警官による凶悪犯の射殺に、賛成/反対だの、以前に、
「MultiSync@一市民さんの言っている事は、いわゆる『ためにする議論』じゃないのか?」
と言う印象を受けました。

さらに横から口を突っ込みますと、

トピズレ・おバカ系コメントの専門家たる私が言うのも何なんですが(^^;、

随分トピずれ(確か本エントリーは安田弁護士への批判と脅迫行為だったかな?)た内容のコメントがチャット的に続いていますので、そろそろこの辺で、せーので、箸を置き、いや矛を収めても良いのではないですか、皆様。

時間が遅いですが一点。
>No.153 万年下っ端プログラマさん の御質問に

犯人の人権を前提にするなら「死刑が認められなくて射殺が認められることは無い」
逆に書けば「射殺を容認するなら、死刑を認めなけらばならない」の趣旨です。

随分トピずれ(確か本エントリーは安田弁護士への批判と脅迫行為だったかな?)た内容のコメントがチャット的に続いていますので、そろそろこの辺で、せーので、箸を置き、いや矛を収めても良いのではないですか、皆様。

すいません。(^^;;)
では、最後に一点だけ。

犯人の人権を前提にするなら「死刑が認められなくて射殺が認められることは無い」
逆に書けば「射殺を容認するなら、死刑を認めなけらばならない」の趣旨です。

警官による凶悪犯の射殺は、あくまでも、殺人事件における正当防衛にあたる緊急避難的なものと考えて、死刑の是非は別問題で良いんじゃないですか?
MultiSync@一市民さんが死刑廃止が変だと思うのなら、その理由を主張されれば良いのであって、関係ない話を持ち出すのは、いかがなモノなんでしょうかね?

極論を2つ並べて、どっちかを選べ、と言うのは、洗脳や煽動の常套手段なんで、個人的には、どうかと思います。
私の場合、MultiSync@一市民さんの主張を引っくり返したような死刑廃止論を主張する人が居れば、それも変だと考えるでしょう。

死刑と射殺の関係が、どうしても飛躍に見えてしまうようなので、くどいですが書きます(まだ眠く無い)

前提がまず、こうです。(異論が有るかもですが大方カバーできるはず)

死刑廃止論の主張は、所謂人権派の「犯人の人権を重視する」姿勢に有り、死刑の犯罪抑止効果や教育効果などの理由付けも、出発点はそこに有る。

一言では「死刑廃止論は治安維持や社会運営上の都合より人権を重視の理念」と見うけます。

次に、死刑と射殺を、その人権を重視の理念から見たら。

死刑=裁判の結果⇒人権軽視
射殺=裁判も証拠調べも無い⇒人権は全く無視

で「射殺の方が悪い」となります。

一方、射殺を容認する立場とは。
「周りや警官の被害を最小限に食い止める」⇒現実主義で、射殺も容認。
「犯人の人権はさておき(重視せず)治安維持優先」

それを(人権を根拠に)死刑を認めない立場の者が主張すれば。
「射殺容認」⇒人権放棄⇒ダブルスタンダード OR 偽人権派

なので「死刑廃止論を唱えるからには、射殺を容認する訳に行かない」となる訳です。
私的には「それを当然に指摘しただけで考えるまでも無い」な感覚です。

尚(警察力による)射殺、と正当防衛は混ぜずに考えるべきと思います。

MultiSync@一市民さん>

判りやすい所では、Wikipediaの「死刑存廃問題」に死刑存続派/廃止派の主張がまとめてあります。

早い話が、

一言では「死刑廃止論は治安維持や社会運営上の都合より人権を重視の理念」と見うけます。
と言える程、単純ではないようです。

場外乱闘掲示板への移動勧告第1号です(^^)

もし続けるなら、
モトケンブログ場外乱闘編
http://jbbs.livedoor.jp/news/3910/
へどうぞ。

>モトケンブログ場外乱闘編

いとおかしそうな趣で(^^)

そっちで始まったら見にいこーっと!

ある被害者のコメントより 霊界通信です、皆様もお考え下さい。

遺族から見れば、それ無念を晴らすには、処刑と考えるのでしょうが、被害者には、それが許せないのです、私の愛する方が私の元へ、私の最も憎むべき、そしてそれ以上に恐ろしい相手を送り込もうと考えてる気がするのです。
私は、死んでるのよ・・貴方は、生きてるからいいのでしょうが、地獄よりも遠い場所は
現世の留置場です。ご理解頂きたいのです。
そして女は種を残すのが、大きなお仕事です。貴方の妻である以前の本能でしょう
そしてあの子が生きられる? もう1度チャンスが与えられる、それならそれに掛けたいのも本能でしょうか!? 
貴方が父親であるのは、あの子に与えられた試練です、父として貴方の決断を・・・
それにレイプの裁判が少ないわけも男性は知らなさ過ぎる  腹立たしいことです。
(元本村母子の背後霊であった女性です、お子様が生まれ変わることだけをお望みですよ
もう1度チャンスを、父親でもそれを潰す権利はないのでは・・・・・元妻も!同意)

死刑制度は、愚かな行いでしょうね。次があるのだから、現世で甚振ればいいじゃないですか。最も過酷な労働条件に付かせる事、霊界人となったものは、それを望むのです。

人昔前に死刑の執行人が死刑廃止を訴える運動を起こしておりましたね。
殺せど殺せど凶悪事件は無くならない、私の手だけに執行の記憶を残して・・・この方の苦悩も考えて見て下さい。

通りすがりのものです。
ずっとこの事件に興味はありましたが、新たな弁護を聞けば聞くほど、耳を疑うことが多く
怒りがこみ上げてきます。恥ずかしくないのかな?もし自分が弁護士やったら、逆に被告に不利なことばかり言って死刑に追い込みたいと思うほどの事件やし。もし、この弁護士たちもそういう考え方でしてくれているなら立派だと思うけど、そんな事はないんやろうな。
自分の正義感に基づいて仕事をして欲しいです、弁護士には
もしも弁護が失敗したら弁護士も罪になるというようになったら、こんな被告に誰も弁護士は付かないで、さっさとけりが付いたのに、現実問題そんなことにはならないでしょうね

通りすがりのものです。
ずっとこの事件に興味はありましたが、新たな弁護を聞けば聞くほど、耳を疑うことが多く
怒りがこみ上げてきます。恥ずかしくないのかな?もし自分が弁護士やったら、逆に被告に不利なことばかり言って死刑に追い込みたいと思うほどの事件やし。もし、この弁護士たちもそういう考え方でしてくれているなら立派だと思うけど、そんな事はないんやろうな。
自分の正義感に基づいて仕事をして欲しいです、弁護士には
もしも弁護が失敗したら弁護士も罪になるというようになったら、こんな被告に誰も弁護士は付かないで、さっさとけりが付いたのに、現実問題そんなことにはならないでしょうね

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