エントリ

同病院は「最善の処置を取った。治療上の問題もなかったが、結果的に亡くなったことは申し訳ない」としている。

 理論上は、「申し訳ない」と言う必要はないと思いますが、やっぱり言ったほうがいいんでしょうね。

 エホバの証人の信者に対する輸血を巡っては、緊急時に無断で輸血して救命した医師と病院が患者に訴えられ、自己決定権を侵害したとして、2000年に最高裁で敗訴が確定。以降、患者の意思に反して輸血はしないとの指針を持つ病院が増えている。

 最高裁判例へのリンク

追記(いのげちゃんねる経由)
エホバの証人:手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪(毎日新聞 2007年6月19日 19時46分 ウェブ魚拓

 一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。

 医療側からの声のようですが、この場合において「見殺し」と考えるのは医療側の論理であって、そのように考える必要はない、またはそのように考えるのは間違いである、と思ったほうがいいように思います。

 司法は常にものごとを天秤にかけています。

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コメント(76)

一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。

今、この記事を、周りのコメディカルの人たちにも読んでもらい、感想を集めているところですが、やはり、この一文に反応する人が多いようです。

邪推すると、これは、巧みな伝聞情報を使いながら、記者が言いたかったことではないかと思いました。 

記事には、家族からの声がありません。 意図的に記事にしていないのかもしれません。

私個人的には、この事例をもって、「医療者側が患者を見殺した」とはぜんぜん思いません。

たいへん興味深いテーマでアメリカの事例を挙げますと成人のエホバの場合、信者の意向に沿うことは当然なのですが、小児の場合は違います。瀕死の重傷で輸血をしないと死亡する可能性がある場合、親が輸血を拒否した場合、医師は倫理委員会を通さずに輸血をしても構いません。
小児には手厚いアメリカ社会ならではですが、これは法律で保障されています。

日本でエホバの証人、子供がこのような状況になった場合、どう対処するのでしょうか?
ご教示頂ければ幸いです。

>Taichan さん

 個人的には、アメリカの対応が正しいと思います。

 エホバの証人信者の輸血拒否は宗教的信念に基づくものですが、親の宗教的信念によって子供が命を失ってよいという理由は成立しないと思います。
 子供は親の一部でも親の所有物でもないからです。

いあまエホバの証人の信者の患者私も3人ほど受け持ったことがあります。幸い輸血の必要性がかなり低い疾患でありストレスはなかったのですが、輸血拒否の意思は固く、弁護士さんを連れてこられた患者さんもいます。「輸血をしなかったことで悪影響があっても文句はいいません」というきちんとした書類を持ってこられた覚えがあります。不安に思う病院側に対する対応もしっかりとしていました。

病院機能評価でもこのような患者さんに対する対応マニュアルが必要とのことで、当院でもマニュアルをつくりましたが、たしか意思がしっかりした大人の患者さんの場合は輸血は行なわないという方針だったと思います(いま手元に資料がないので、、、すみません)。同様に多くの大病院はエホバの証人患者に対する対応マニュアルを持っているはずです。それにのっとって治療が行なわれたと思います。だから、問題はないと思います。

今回の事件では、「瀕死の病人を・・・」という感想は信者ではない他人が思うものであって、信者にとっては自分の信仰を貫いてくれてありがとう、という感謝の気持ちのほうが大きいとおもうのですが、、、。

私自身は本人の望みはなるだけかなえてあげたいなあ(法律が許す範囲で)、と思うのですけど、これが問題になるのなら、対応を変えなくてはいけないのかなあ、と思っています。

これは典型的な「ためにする記事」ですね。

一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。

なんて引用は、この記事のベクトルに偏りがあることを明確に物語っています。
「見殺し」なんてカギカッコつきで言った人が本当にいるんですかねえ?

そもそも医療における「エホバの証人」問題の論点は、信仰上の理由に基づいて治療行為を主体的に拒絶する患者に、その信仰を持たない「一般社会」の側がどこまで「善意」を押し付けて許されるのかと言う問題の筈です。
そして、判例も「押し付けは許されない」としているわけですよね。
毎日の根本毅記者や、この記事の掲載を決めたデスクは「成人の自己決定権を侵害すべきだ」と言いたいわけですかね。(対象が未成年者や意思無能力者だったら、別の議論になりますが)

是非とも、奈良支局の如き取材力を発揮して遺族を割り出し、「見殺しにされた」と思っているかどうかコメントを取ってほしいところであります。
また、医療界や、ひいては社会一般の「良識」と対立する信仰を掲げる『エホバの証人』への取材を敢行して「輸血させるべきだ」みたいなことを言ってもらいたいものです。

はっきり言って、毎日新聞は設定すべき論点を全く見誤っています。

No.3 モトケンさんのコメント
禿同です.
ちなみに,私自身はエホバの子供(意志決定能力なし)が輸血しないと助からない状態であれば輸血を行います.訴えられれば徹底的に争うまでです.成人であれば他所へ行け,と言いますが.
「子供は親の一部でも所有物でもない」
その通りだと思います.

> No.5 惰眠さんのコメント
私はエホバ信者でもありませんし,教義に共鳴するものでもありませんが,輸血して助けるのは社会一般の「通念」であって,「良識」ではないと思います.

揚げ足取りですみませんが,輸血を拒否する考え方自体は「社会通念」に反するものですが,「良識」とは別だと思うのです.

=>モトケンさま
「申し訳ない」より「残念だ」の方が穏当に思います。
=>Taichanさま
子供が信者である場合も同じという理解でよいでしょうか?

NICUで、エホバ信者のお子さんを担当したことがあります。その時は、親御さんがパンフレットを持参してくださいました。それを拝見した上で、相談しました。新生児は原則として生存の意志があるものとして扱わなければならない事は先方もご承知で、血球製剤の使用は控える方向で考慮するが、教義より医学的な判断を優先させるということで了解を得られました。結果的に輸血を要しませんでしたが、入院時に輸血の承諾書もいただけたと記憶してます。

小児の意志決定についての問題は、教団自らそのような対応をとられている印象を持っています。

「見殺し」などという人間は周りにはいないと信じますが、患者さんを失った執刀医の心情はいかばかりでしょうか。
「もう少し自分がうまくやれば無輸血でも助かったかも。」との思いが一度も頭をよぎらない執刀医はいないと思います。

そんな思いをしたくなければ、「他所で断られた。先生のところで何とか無輸血で手術してもらえませんか。」と頼られても、あくまで断るということになりますか。

以下はトピずれかもしれませんが。
交通事故で、輸血をすれば助かった可能性が高いが、被害者が輸血拒否者で結果亡くなった場合、やはり過失致死でしょうか。

No.7 田舎の一般外科医さん

ご指摘ありがとうございます。

ただ一点弁解させていただきますと、『輸血を拒否する考え方自体は「社会通念」に反する』との言い回しにつながることを避けたい意識がありました。
社会通念と彼の教義の間には相容れない部分はありますが、信仰そのものは尊重しなくてはいけないと思いますので『反する』と言う否定的な表現は望ましくないと考えたのです。

 その上で、主体的・積極的に特定の治療方法を拒絶する対象者に、まさしくその治療方法が必要とされていた場合、それでも敢えてそのメソッドを用いるか否かは「通念(=そうするのが当たり前、不作為の責任を問われる)」ではなく「良識(=義務的ではなく、不作為については道義上の責任以外生じない)」とか「善意」と表現した方が適切なのではないかとして、先の表現にしたものです。

 注釈をつけさせていただければ以上の通りなんですが、確かに『(輸血は)医療界(中略)の「良識」』としちゃうとおかしいですね。

> 交通事故で、輸血をすれば助かった可能性が高いが、被害者が輸血拒否者で結果亡くなった場合、やはり過失致死でしょうか(No.10 腎臓内科医さま)

輸血をすれば助かった(通常あるべき因果の流れ)を、被害者の輸血拒否(加害者以外の第三者の故意行為)により断ち切ったのであるから、
そのことが立証できたとしてですが、
交通事故による加害行為と、死亡の結果との間に、「相当因果関係がない」ので、
業務上過失致傷罪止まりであって、致死の責任は負わないことになります。

検察官が起訴の判断にあたり、どのような資料を収集するかが気になるところです。
このような場合に、死亡診断書なりに、本人が輸血を拒否した経緯の説明が書かれるものでしょうか?
医師の側から異状死届けをすべきか?
病院が「医療過誤」として民事刑事の責任を問われないためにも、何らかの形で経緯を明らかにする必要はあると思われます。

ikegamiさん、小児が信者の場合もそうです。子供には親の宗教に付き合わされているだけという考え方です。アメリカの方が実はしっかりと法整備をしていますから、子供に関しては輸血をして救ってあげる。いくら親が訴えてきても医師が巻き込まれることはありません。この点、アメリカの方が医師は自信を持って診療が出来ます。
悲しいかな、今は日本の方が医師はたいへんです。

おおっ、YUNYUNさま、早速ありがとうございます。クリアになりました。

一般論として、診断書には輸血拒否とは書けない。元の死因(例えば脾破裂とか)しか書けないと思います。

しかし現場は家族への説得含め修羅場でしょうから、当然診療録にはその顛末を書くことになります。加害者側の弁護士がこれを証拠として死亡との因果関係を争うことは可能なのではないかと思います。

救急の場で今回のような無輸血治療の同意書を取ることは不可能に近いです。となると異状死として届けておくのが現実的でしょうか。

>小児の場合
今マニュアルを見たら、15歳以下の場合、「親権者に説明し、無輸血を希望された場合原則として輸血はしない」になってました。
実際にあったケースについて「説得」という本がありましたね。文庫(講談社だったかな)にもなっています。

交通事故で死亡した場合は加害者の責任はさらに重くなり、医療機関にも死亡と輸血を行なわなかった点の因果関係を争点に非信者の保護者や加害者・保険会社から民事訴訟を提起される可能性があるように思います。
 同じく加害者や雇用主の加入する保険会社から求償される可能性があるように思いますが、いかがでしょうか?

No.12 YUNYUNさん

このような場合に、死亡診断書なりに、本人が輸血を拒否した経緯の説明が書かれるものでしょうか?

死亡診断書に、自分であれば、どのように記載するか考えましたが難しいです。
以下は輸血拒否が明らかな死因と想定されると考えた上での考察です。

まず死亡原因を「病死及び自然死」とすると、このケースの「主死因」は、弛緩出血、その「原死因」に帝王切開、妊娠

「手術」欄に、帝王切開の記載 と思います。

「直接には死因に関係していないが、I欄の経過に影響を及ぼした傷病名、事故の状況などを記載。」欄に、輸血拒否を書くと、これは直接死因に関与していますから不適当と思います。

そこで死亡原因を「外因死−その他及び不詳」とし
「主死因」は、輸血拒否、その「原死因」に弛緩出血、帝王切開、妊娠
<外因死の追加事項>に、輸血拒否の経緯を追加記載することになると思います。

医師の側から異状死届けをすべきか?

外因子を選択する場合は、必然的に警察に連絡することが無難な対応となるので、私は、異状死として届けるべきだと思います。

この事件の第一報を見たときにまず思ったことは、第3者からの刑事告訴、告発を念頭において、異状死の届出はしておいたほうが良いと思いました。信者の親兄弟等が、エホバで無いことはいくらでもありますから。

なお輸血拒否が、死亡原因の有力な原因で無いと判断されれば、病死でも良いと思いますが、それだと、医療過誤を問われる可能性が出てくると思います。

小児の信者に対しては、親権停止がなされたことがありましたね。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20061023ik06.htm

この事案では、乳児でしたから親権停止で対応できたのでしょうけど、エホバの証人などでは、家族内で未成年だけが信者というケースは稀でしょうが、中学生や遺言適格のある15歳以上の未成年の信者にはどうするのでしょうね。

僕なんかは違う意見を持ってるんです。
というのはね、将来的に信仰は変わる可能性がある。実際、心の底から宗教に生きるようになった人間を、家族が苦労してなんとか退会させた、なんて話もあるじゃありませんか。しかしながら、命はひとつですよ?死んだらおしまい。かけがえのない命が問題となってる場面で、信仰に基づく「本人の意思」など言い訳にならないですよね。意思>命ですか?

医者の方は、自殺に失敗して発見され瀕死で運び込まれた人(無宗教の人)が、「自分は今までずっと死にたいと願い続けていて、真意から死にたいのだから、お願いだから治療はしないでくれ。死ねるなら望外の幸せ」と言ったら、手術せずにその人の意思を尊重しますか?

未成年の患者については難しい問題があります。

> マニュアルを見たら、15歳以下の場合、「親権者に説明し、無輸血を希望された場合原則として輸血はしない」(No.14 腎臓内科医さま)

この対応で大丈夫かどうかは疑問です。
親の言う通りにすればその親から訴えられることはないでしょうが、
非信者の親戚(親の一方が宗教が異なる場合もあります)から訴えられたり、殺人罪の容疑をかけられないとも限りません。

未成年者は本人に判断力がないため、親が代わりに決めるのが原則ですが、
親の不合理な判断で未成年者の生命身体に危険を及ぼすことは「虐待」と評価されます。
虐待事案の正規の対処方法は家庭裁判所で親権を剥奪してもらって・・、
しかし生命の危機ある緊急の場合ですから、親権があっても親の意思を無視して、医師が最善と思う治療を行うべきであり、
親の意思を無視したことについて、医師は責任を問われないと考えます。

「15歳未満」では本人自身の意思は考えられない上、適切な保護を受けることが重要であると解されますので、親の言いなりになるのはいかがなものか。
むしろ、「15歳以上」ならば、法律上も本人の判断力がある程度出来ていると認められる年齢(cf.遺言能力)なので、
本人の意見を尊重するという対応もあり得るところです。本人の意見に従うのなら、大人と同等の判断力があることの証拠を残すことが必要です。

いずれにしても訴訟リスクを避けられないものの、私見では、未成年者は輸血<する>ほうがリスクが少ないと思います。
なぜなら、裁判所は基本的に 命>信仰 の価値観を持っていて、
他人の生命を害したことの賠償額のほうが、信仰の自由を害したことの賠償よりもよほど高く評価されているからです。
従って、輸血しないのは、本人(15歳以上で、かつ大人と同等の判断力あり)と、両親がともに輸血拒否派である場合に限るのがよいと考えます。
その他の場合で、輸血拒否派の両親またはその一方が文句を言ったら、「あなたも私も殺人罪になりますよ」と説明して黙らせる。

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> 非信者の保護者や加害者・保険会社から民事訴訟を提起される可能性があるように思います。
> 同じく加害者や雇用主の加入する保険会社から求償される可能性があるように思いますが、いかがでしょうか?(No.15 えぴどら様)

手続的に、誰が誰に対し、何を請求できるか。

信者である本人の意思に基づき輸血しなかった場合でも、
非信者である近親者から、医療過誤であるとして、民事賠償を請求されたり、刑事告訴される可能性がありますので、
それに備えて、本人意思の確たる証拠を残しておかなければなりません。

未成年の患者について、本人や保護者の意思は基本的に考慮すべきでないから、輸血を敢行。
輸血せず死んで、非信者である保護者や近親者から「医療過誤」で訴えられたら、勝てる見込みは少ない。
逆に、輸血をしたら、信者である保護者から文句が出て訴えられる可能性はありますが、「未成年だから」で頑張れば勝機はあります。

交通事故の加害者や、その保険会社から、医療機関が訴えられるというケースは想定しにくいです。
輸血拒否して死んだのは自己責任だから、
加害者は被害者(の近親者)に対し、死んだことに対する損害賠償まではしなくてよい。責任範囲は傷害についての賠償額どまり。だから、加害者や加害者の保険会社は、死因を主張して、被害者からの損害賠償請求を一部拒否します。
加害者の保険会社が、もし真の死因を知らずに賠償責任保険を払ってしまったのなら、不当利得だから返せということになります。
この場面で、医師の責任というと、
意図的に真の死因を隠しために加害者や保険会社が賠償しすぎてしまった場合に責任を問われることがあるかもしれませんが、調査に応じてきちんと説明する限り、責任を問われることはないでしょう。

No.12 YUNYUN(弁護士)さん

> 輸血をすれば助かった(通常あるべき因果の流れ)を、被害者の輸血拒否(加害者以外の第三者の故意行為)により断ち切ったのであるから、
> そのことが立証できたとしてですが、
> 交通事故による加害行為と、死亡の結果との間に、「相当因果関係がない」ので、
> 業務上過失致傷罪止まりであって、致死の責任は負わないことになります。

「そのことが立証できたとして」という前提をおいた場合の結論としてはもちろん異論はありません。
しかし、最判平成16年2月17日刑集第58巻2号169頁は、傷害致死事件の因果関係について、「術後,いったんは容体が安定し,担当医は,加療期間について,良好に経過すれば,約3週間との見通しを持った」が、結局死亡したという事案で、「被害者が無断退院しようとして,体から治療用の管を抜くなどして暴れ」たという事情が「治療の効果を減殺した可能性がある」ことを認めながらも、結論において傷害と死亡との因果関係の存在を肯定しています。
判決文上現れている判断の根拠としては、本件の傷害が「それ自体死亡の結果をもたらし得る身体の損傷であっ」たということが挙げられています。また、「患者が意志に従わない行為は全く考えられないことではない」という評価によって本判決を支持する意見もあります(前田『刑法総論講義』第4版p.191)。これを輸血拒否について考えると、傷害の重大性、および輸血拒否の信仰を持つ人の存在についての社会的な認知度によっては、微妙な判断になりそうに思うのですがいかがでしょうか。

>No.18 山田・ザ・通りすがりさん
>実際、心の底から宗教に生きるようになった人間を、家族が苦労してなんとか退会させた、なんて話もあるじゃありませんか。
 退会前の手術は無輸血で、退会後は輸血可ですればいいのではないでしょうか。
人間は未来予知はできないので、現時点での意思を考慮すればいいと思いますが。

後半についてですが、私は医者ではないので、手術するかしないかについては返答を避けますが、
手術しなければ、その医者は自殺幇助罪(刑202条)にあたるということは述べておきます。

>白片吟K氏 さん

>手術しなければ、その医者は自殺幇助罪(刑202条)にあたるということは述べておきます。

 さきほど同じ質問を学生からされました(^^)
 患者は自殺する気はないので、自殺幇助罪に当たらないと思います。

 敢えて言えば、構成要件該当性の観点では殺人罪のほうが近いと思いますが、医師に認容があるとは言えないということで(死ぬかもしれないと思っているかも知れませんが、死んでもいいとは思っていない)、殺人罪にもならないと考えておきます。

なるほど。じゃ浮かんでくる疑問点は、救命のためには輸血が不可避の状態で信仰上の理由で輸血を拒否することが自殺にあたるのかどうかと、もし自殺に相当する場合、エホバの人に輸血をしないことが自殺幇助に相当するかしないかですね。

>モトケン先生
あれま。
No18の事例の患者は自殺する気(生命の放棄)はないんでしょうか。
私は自殺する気があるが、勝手に誰かに病院に運ばれてしまったということを前提にした事例と事実認定して、医者は不作為による自殺幇助と思ったのですが・・・。

いつもはROMしている医師です。 以前の経験を。
10年ほど前にかかわった赤ちゃんですが、先天性疾患があり脳外科的処置をすれば生存できるが重度障害が残る状態でした。オランダでは新生児の消極的安楽死の対象のひとつでした。
家族がエホバではないある新興宗教の信者で、外科的処置を拒否されました。説得には応じてもらえず、最終的に信者である医師が運営する医療機関に転院という結末になりました。なぜかラポールはあったので両親は謝意を表されて転院されました。
予後不良の疾患で信仰以外の理由でも治療しない可能性があったと自分では納得してきました。

今回の議論を読ませていただいて思うのですが
1.医療側も信者の場合、たとえばエホバの方が医療機関を運営したら どうなるのか?
それは 解決なのでしょうか?
2.将来に重度障害が予想される赤ちゃんの治療は今も現場で手探りのことが多いです。
法的な検討はどこまで積み重ねられているのでしょうか?

う、考えているうちに答えが。

輸血自体を治療法のひとつとしてとらえれば、患者さんがある治療法を選択されず結果として命を縮めるケースは少なくないと思います。エホバはそれの極端な例ですね。実際エホバの方と話をすると輸血しないことによる死を受容されている方が多いように感じます。自殺より殉教でしょうか。

しかし目の前で救命手段があるにもかかわらず亡くなっていく患者さんをみるのはつらいことです。

小児のケースについて多方面から示唆に富むご意見ありがとうございます。舌足らずのところを補充させてください。
アメリカの州によっては16歳以上から自己決定権があります。うちの州では18歳以上からです。つまり基本的に15歳以下(うちでは17歳以下)のエホバ信者の場合、親が輸血を拒否しようとも子供に輸血をしてよいことにアメリカではなっています。
実際、このようなケースに日本の救急の現場で遭遇する医師が多いだろうと思い、コメントさせて頂きました。
また日米の対応の違う症例を紹介させて頂きたく思います。

だいたいこれ、事故じゃないし。
なんで、新聞記事になったか、よくわかりませんね。
明らかに、悪意がありますよね、「毎日新聞」。

>「見殺し」と考えるのは医療側の論理
うーん。
これ、勝手に新聞記者が書いただけのような気がするんですが。
医療側の論理というか、新聞記者(毎日新聞)の論理のような気がします。

>>「見殺し」

 さすがに、誰も言っていないことは記事にしないと思うんですよね。
 三大紙ならば。

No.20 ひ様

判決原文に当たっていませんので、印象だけのコメントですが、

> 本件の傷害が「それ自体死亡の結果をもたらし得る身体の損傷であっ」た
> 「被害者が無断退院しようとして,体から治療用の管を抜くなどして暴れ」たという事情が「治療の効果を減殺した可能性がある」

「可能性」では立証として不足だ、
この場合には、被害者の行為によっても、死の結果に至る因果の流れが断ち切られていない、
という認定であろうと思います。
輸血拒否事件では輸血すれば助かることが前提での話です。

> 「患者が意志に従わない行為は全く考えられないことではない」という評価

輸血しないという選択は患者の明らかな意思に基づく行動だから因果の流れを切ることができるが、
暴れるのは「治療拒否して死んでも構わない」という明確な意思に基づくとは見られないからダメ、という価値判断があるように思います。(そのあたりの立証ができなかった)

エホバについては、その選択権が患者主導になる範囲の問題ですね。
トピがだいぶ戻りますが。

No.12 YUNYUN(弁護士)さんのコメント

輸血をすれば助かった(通常あるべき因果の流れ)を、被害者の輸血拒否(加害者以外の第三者の故意行為)により断ち切ったのであるから、そのことが立証できたとしてですが、

交通事故による加害行為と、死亡の結果との間に、「相当因果関係がない」ので、業務上過失致傷罪止まりであって、致死の責任は負わないことになります。

この考えでは、医者(もしくはエホバの本人)は「伸ばせるべき余命を伸ばさなかった」として、責を負うのですね。

延命治療についての議論で、余命に対する医療行為の結果の評価を論じましたが。

No.20 ひさん のコメントされた事故事例で。
けが人が意図的に適切な治療をしなかったことで死亡した件では、事故の加害者に責任を認めた。

これだと、延命に関わる医師の責任分担は小さくなりますが、「医療で余命を稼いだだけ」との考え方。

余命や死亡に関する司法の考えは、この間で揺れている状態なのでしょうか?

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No.21 白片吟K氏 さん
鋭いレス、感謝します。なるほど、人間は未来予知できません。現在の段階で判断するしかありません。それは認めましょう。
しかし。
信仰ってそれほど大切なものですか?命よりも大切なものってあるんですか?もちろん、価値観は人それぞれですから。広い世の中、いろんな意味で命軽視の価値観や文化はいくらでもあります。私には理解できませんが、それはそれでその人達の自由です。しかし、その価値観を共有しない周りの人をその価値観に付き合わせる自由まではないはず。なぜ医者が板ばさみにあって苦しまねばならないのですか?
自殺未遂の例も、それと同様の発想から例に挙げただけのことです。(見殺しにした場合の罪名は法律家の皆様にお任せしますが・・)

上記metola さんのコメントの内容は以下のとおりです。

ちょっと気になったんだけど、そもそも
輸血する→助かる
というのが短絡的ですね。このケースじゃ、輸血しても結構死ぬんじゃないですか。

これらの医療行為(輸血しないという判断)が結果に対して負うべき責任は、「見殺し」とか自殺幇助とかいう表現に引っ張られた端的な医師個人の過失殺人罪論議ではなく、実際に強い拒否に会うと注射ひとつうてない(医師は警察じゃないから治療にそこまでの強権を発動できない)現実を基本とすると死亡という結果は不可避であり、治療するチャンスがなかった医師にとっては患者の年齢にかかわりなく不可抗力の事故死であり、ゆえに今の日本の法的状況からは刑事責任は問えないとするべきではないでしょうか。

>No.33 山田・ザ・通りすがりさん

>信仰ってそれほど大切なものですか?命よりも大切なものってあるんですか?

 信仰というものは死んだ後のことを信じることです。

>なぜ医者が板ばさみにあって苦しまねばならないのですか?

 だから、医者が苦しむ必要はないのでは?
 残念ではあるでしょうけど。

 問題となるのは、医師に対する刑事責任追及の可能性ですが、少なくとも成人患者の輸血拒否に関する限り、検察が起訴する可能性は限りなくゼロです。
 該当する構成要件が見当たらないと思われます。
 警察の判断はもう少し不明確ですが、ここは立法的解決が望まれます。

> さすがに、誰も言っていないことは記事にしないと思うんですよね。

誘導尋問的に「言ったこと」にしてしまうことはあると思います。
いろんな場面で下記パターンが行われているのではないでしょうか。

マスコミ:「こういうのはとは思わないんですか?」
取材先:「う〜ん・・・・。」
マスコミ:「ですよね?」
取材先:「そう言えない事も無い・・・。」

翌日、と言う声があったと報道。
このパターンに皆様もお気をつけください。
対応策はしつこく問われても、思ってないこと、わからないことははっきりと否定すること。

>No.37 Nobody さんのコメント

この件では、記者の取材に応じた病院関係者の守秘義務違反があったかなかったかだけが、法律上問題にされるべきでしょう。(笑)

この度のケースについては
病院の判断で已むを得ないと思っています。
但し,個人的には,子供のことを思って,輸血に踏み切っても良かったかとも考えています。

なお,症例が小児の場合,親が何と言おうと輸血は行うべきでしょう。子供の死を決める権限は親にはありません。
時間的な問題もあるでしょうが,(かなり困難な面はあるでしょうが)仮処分の申立を行うことも検討すべきだと思います。間に合わなくとも,最大限努力したと言うことにはなるでしょう。

15歳以下の場合、「親権者に説明し、無輸血を希望された場合原則として輸血はしない」とのマニュアルの内容は大きな問題があるように私も思います。

>No.33 山田・ザ・通りすがりさん
>なぜ医者が板ばさみにあって苦しまねばならないのですか?

うーむ、そう言われると、辛いものがありますが。

ただ、なんとゆーか、この問題は、命軽視の価値観vs生命尊重というようには裁判所はとらえていません。
大きな手術というのは、患者にとって、生き方そのものなのであるから、
人が命をかけてまで貫きたい価値観ならば、それをそこで通してやれ、という考えです。
死ぬというよりも、「(短時間で人生を)まっとうする」というとらえ方です。

先に挙げられた自殺未遂での例では、私は医師が治療しないことについては否定的ですが、
それは、そこで治療されないで人生を終わらせることは「(短時間で人生を)まっとうする」と評価できるかについて疑問だからです。
単に「死にたい」だけでは、価値観の人生における実現とは評価できないと考えたからです。
他のコメントでも指摘されているように、信者が未成年者と成人とで評価が分かれる点も、その辺にあると思います。

・・・まー、そう言われても、板挟みの医者の苦しみは減りはしないとは思いますが・・・。

>さすがに、誰も言っていないことは記事にしないと思うんですよね。
 三大紙ならば。

そうですか?以前、私の友人が、某三大紙のインタビューを受けたとき、答えた内容と180度違う話が鍵カッコ付きで掲載されました。電話機相手に怒り狂っていましたが、「紙面の関係で“若干”編集させていただきました」と軽く流されたそうです。

そもそも、双方とも納得づくの話で、異状死の届出をしたわけでもない、事故調も問題なし、訴訟になるはずもない。記者が摑んだニュースソースはどこなんですかね?

万一、「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」などといったとされている、病院関係者がチクったとすれば、守秘義務上問題がありそうな気がします。

追記)
なお,輸血には一定のリスクがあり,それ故に厚労省の指針も同意を要求しているものです。
どの程度の割合で合併症があるのか私にはわかりませんが,仮に,意に反して輸血を行ってその結果として合併症が発生してしまったとき,というものなどをも考えると,ますます困難な判断を強いられるといえます。
触らぬ神に・・・・・・・・
という発想になるのも,避けがたいことだとも思えますね。

自殺未遂の例でも、その気持ちが真剣なものであり一時の気の迷いでないと判断されるのであれば僕は手を出しませんね。手を出す医者も多いと思いますが、あらゆる医療行為は本人の希望なく行ってはならないと思いますから
それが自殺幇助に当たるとすれば法が間違っているんです。

今回の事件も問題ないと思う。

最高裁判例は、自己決定権の観点から患者に聞くべきだと言ってる訳ですよね。聞いた結果どうしろとは言っていませんがね(その事件では死亡しているので)。

そうなると、原判決と思われる(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/BEEC28B52F3D7DD849256CFA0007BA7C.pdf)判決が参考になると思います。
これを、私は次のように解釈し、共感を覚えます。
(1) 「熟慮して合意が成立すれば違法とは言えない」
  →有効になる→履行義務が発生する。
(2) 「医師はその良心に従って治療すべきであり・・・医師の良心に反する治療方法を採ることを強制することはできない」
  →「医師の良心に従って」というのは、(1)を考慮すると、無輸血での手術に臨んでもいいし、無輸血手術をしない(いざとなれば輸血する)といういずれをも含むものと言える。ただし説明しておく必要がある。

ということは、医師が輸血しないで死亡したとしても、それは(1)の場合に当たり、医師は契約を尊重した上で全力を尽くすことを良心として行なったと言える。
この場合、輸血すべき血液が存在しない状況下で手術をせざるを得なかったと考えるべきで(例えば自然災害や戦時などと同じ)、そのために死亡しても責任を問われてはならない(民刑事とも)。
その意味で、ぼつでおk(医)さんに賛成です。
もちろん、異状死届出などは問題外であり、不要。

YUNYUN(弁護士)さんの「業務上過失傷害かも」(私の要約)というのは、死を容認しているのにその前段階の傷害を問題にするという点で無理があり、杞憂だと思います。

立法も不要であり、必要とすれば、小児の年齢限界についてだと思います。
年齢については、強姦が13歳、刑事責任年齢が14歳、児童福祉法の性交類似行為が16歳、結婚が16歳、青少年育成条例が18歳、一般的成人年齢が20歳と色々あります。
こうしてみると15歳前後が基準でしょうかね?

結論として、この記事は、無輸血に関する裁判例をよく知らない一般人や医療関係者、そして記者が問題にしようとしたものだと思います。

「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」
by 本間丈太郎(「ブラックジャック」より)

>45 峰村先生の補足

ときには真珠のように

通りすがりなのかどうか分からなくなってきたんでHNは山田にしときますね。もしどなたかかぶってたら申し訳ない。
お二人のまたまた示唆に富む米レス、感謝します。

>No.36 モトケンさん
信仰は自分の死を受容することにつながることもある。という趣旨に解釈いたしました。なにぶん無宗教なもので、無理解をご容赦願います。

医者は苦しむ必要は無い…しかしその一方、苦しむ医者はいる…。医者にもひとりひとりの職業的倫理観があるでしょうから。それでもエホバの価値観に基づいて行動しなければならないというのは当然の話ですかね?立法的に解決すべしという点については、まったく異論なしでありますが、どういう法律になるかが問題ですね。


>No.40 白片吟K氏 さん
価値観の人生における実現ですか。なるほど説得力のある言葉です。
もちろんそれは尊重されてしかるべき。だがしかし、他人を巻き込んだときは別だと思うわけですよ。例えば、自殺幇助罪の存在自体がまさにそういうメッセージになっているのでは?自分で死ぬなら勝手だが、他人に手助けさせるのはまかりならんということですよね。だって、どういう生き方が真にその人の価値観の人生における実現と言えるのか、他人に判断できるものではないでしょう、本来。自殺なら真の価値観に基づいてないけどエホバなら基づいている、なんてのは何の根拠もないフィクション(擬制)にすぎないと思っちゃうんです、僕なんかは。

情報の提供のみ。

http://www.ped-anesth.com/ped2006/program.html
日本小児麻酔学会で小児における麻酔の話題があり、そこで興味深いアンケートの結果が発表されています。

http://www.healthnet.jp/syukan/pages/2006/09/sf000009_5.htm
によると

輸血拒否を教義とする宗教団体「エホバの証人」の信者への対応指針を持っている病院のうち、75%が「親が子供への輸血を拒否しても、救命に必要なら輸血に踏み切る」としていることが9月24日、兵庫県立こども病院麻酔科の香川哲郎医師による調査で分かった。8%の病院は信仰に基づく親の意思を尊重し「輸血しない」と回答。

だそうです。どうやら
日本小児麻酔学会誌(1341-5603)12巻1号
辺りに、この件も含めた「小児麻酔における輸血拒否」という特集があります。
今度調べてみます。(週末になるかと思いますが)

追加です。四国新聞の記事ですが、先ほどのアンケートの結果がより詳しく掲載されていました。

http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20060924000281

2歳の子供を想定し、輸血以外に救命手段がないのに親が拒否した場合の対応を尋ねたところ、「輸血する」が30病院(75%)、「輸血しない」が3病院(8%)だった。7病院は「子供に関する規定がない」などの理由で明確な回答がなかった。  子供の年齢を18歳とし、本人が拒否した場合の対応では「輸血する」が13病院(33%)、「輸血しない」が23病院(58%)と逆転。大人と同様に自己決定を尊重する傾向がみられた。

自分としては「専門家が一生懸命検討して作った方針のはずなのに、考える集団が変わるわけでここまで変わるんだなー」という印象。微妙な世界の出来事なのね、という思いを強くしました。昨年のアンケートでもこの混乱っぷりですから、まあ。

今回の件については、2ヶ月も経ったあとにこういう情報が漏れてくるところを見ると、遺族の誰か、もしくは医療関係者の誰かに、わだかまりが残ってるのかな、と感じます。エホバについては、本人と夫が無輸血で納得していたけど、両親が「自殺を止めてくれ」と病院に裁判を起こした例が過去にあるので、「どれだけ見事な同意書を作っても法的に面倒に巻き込まれるリスク、報道被害を被るリスクはゼロにはならない」と感じています。

このシンプルな件ですら、警察が業務上過失致死や異常死届出義務違反の可能性を求めて「動き出さない」と100%保証できる人っていますか? 親戚が怒鳴り込んで来ない保証だってありません。

新聞記事の書き方自体については、基本に忠実な両論併記で、特に妙な色は付いていないと思われ、問題を感じませんでした。

http://blog.m3.com/Neurointervention/20070621/1
当ブログで小児のケースについてアメリカの事例を取り上げてみました。

再三すみません。オーストラリアから私のブログにコメントが来ました。
オーストラリアでも小児には輸血OKだそうです。ただ問題は、輸血を受けた子供は穢れたものとして、エホバの証人のグループの中で、そしてその家族の中ですらも、仲間はずれにされ避けられるようになるのだそうです。退院後のソーシャルワーカーの介入とかが必要になってくると書いてあります。
輸血して親からまで仲間はずれになる、、、、虐待特にneglectの対象になりますから、必要によっては親から隔離して施設で保護するケースが出てくるかもしれません。

> この考えでは、医者(もしくはエホバの本人)は「伸ばせるべき余命を伸ばさなかった」として、責を負うのですね(No.31 MultiSync@一市民さま)

No.12で私が述べたのは、No.10 腎臓内科医さま「以下はトピずれかもしれませんが」の説例について、
Q 交通事故で、通常なら死なない程度の傷害を与えたが、被害者が治療を拒否したために死んだ場合に、加害者は業務上過失致死罪となるか?
A 致死の責任は負わない。通常の因果の流れならば生じたはずの結果、業務上過失致傷罪の限度。

説例事案で、治療拒否した被害者と、それに従った医師の責任がどうなるかについては、論じていませんでした。
私の考えでは、
被害者は刑法上の罪に当たることはない(自殺ですら犯罪でなく、治療を受けずに自然に任せて死ぬことは自由である)。
「責を負う」という言い方が適切かどうかは疑問であるが、交通事故の加害者に対する民事上の損害賠償請求は制限され、死亡の損害額までは認められない。
算定手順として、傷害相当の損害額を認めるべきか、それとも死亡の損害額について大幅な過失相殺を施すべきか、解りません、どなたか法曹のご意見を?
医師は患者の求める内容の治療をしただけなので、刑事民事とも何ら責任なし。

基本的に、医師は、患者が治療拒否して死んだ場合に法的に責めを負うことはないというのが、法曹側の一致した意見です。
ただし、外形上疑われるおそれはあるので、身の証を立てる資料の準備怠りなく。

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> YUNYUN(弁護士)さんの「業務上過失傷害かも」(私の要約)というのは(No.44 psq法曹さま)

その「要約」はちょっと端折り過ぎて、私の意見が誤解されると思います。
私が、医師が業務上過失致死傷の責任を負うと主張しているケースは、
自分の意思のない乳幼児について、関係者の要求に屈して、適切でない治療方法をしてしまった場合だけ。

> 異状死届出などは問題外であり、不要

私も、成人の患者が真意に出た治療拒否は、概念的に「異状死」に当たらない(普通に治療したが薬石効無く死んだ場合と同じ)と解し、本来は届出は不要と思います。
しかし、昨今の情勢に鑑みて、医師が身の証を立てる証拠作りのため、あえて警察の確認作業を求めることが効果的ではないかと考えた次第です。

>YUNYUNさん
私のズレた質問に親切に答えていただいたために、誤解されてしまい申し訳ありませんでした。

ご指摘の通り、15歳以上では本人の意思も確認することになっています。
問題なのは、15歳未満(以下ではありませんでした訂正します)への対応ですね。

上にも述べた『説得―エホバの証人と輸血拒否事件 (講談社文庫 大泉 実成 著)』では、少年は医師の問いかけに答えて「生きたい」と言ったとあります。

>No.47 山田さん
>例えば、自殺幇助罪の存在自体がまさにそういうメッセージになっているのでは?自分で死ぬなら勝手だが、他人に手助けさせるのはまかりならんということですよね。

自殺が処罰されないのに自殺幇助が処罰される理由については、諸説あるところです。
ただ、自殺幇助は「他人に手助けさせる」ことを罰しているのではなく(そうだとすれば、手助けさせた本人を罰しなければならない。自殺が未遂に終わったときに。)
事情はあれど「他人の生命侵害をした」ことを罰しています。

 山田さんは、無輸血手術を、自分の価値観に「他人を巻き込んだ」場面と評価されていますが、それはちょっと厳密ではないと思います。
ドライに言い切れば、医者は患者が「生きる」ために手術するのですから、
その際クライアントの生き方に関する要望を最大限実現させるべきであるともいえますし、
また、
手術が医者にとっては自分の職業倫理に関する価値観の実現で、その意味では、医者にとっても人生における価値観の実現といえるとしても
患者にとっては生命をかけた自分の人生についての価値観の実現であり、しかも、その手術を受ける以外人生の選択肢を持たないのですから、
患者の価値観の方をここは通してやれ、と、解することもできると思います。

そう解すると、ある意味「巻き込んで」いますが、人間は社会の中で1人で生きていけない以上、「巻き込み」それ自体は否定されるべきものではなく、
「巻き込み」の理由や態様の当否まで判定しなければならないでしょう。

山田さんがおっしゃるように「どういう生き方が真にその人の価値観の人生における実現と言えるのか、他人に判断できるものではない」かもしれませんが、無輸血手術等のシーンではそれを判断しなければならないシーンなので、
判断をしているものと考えます。


>自殺なら真の価値観に基づいてないけどエホバなら基づいている、なんてのは何の根拠もないフィクション(擬制)にすぎないと思っちゃうんです

いや、No18 の自殺未遂の事例で私が真の価値観に基づいていないと思ったのは、
それが「ただの自殺でエホバじゃないから」ではありません。
その人が、常日頃から、ある価値観のためには生命をなげうつべきだと確固たる考えを持っていて、それが他の人にもよく知られているのであれば、無宗教の人でも真の価値観に基づいているといえると思います。
でもこの人は死にたい死にたいとだけ言っていて、何の価値観も語らなかったので、
真の価値観に基づいていない、と判断したのです。

No.54 白片吟K氏 さん
あちゃー非常に残念ながら反論の余地がないようです。(白旗)
ご指導ありがとうございました。

今思えば、僕は「生命を投げ打てるほどの価値観(信仰)」の実現を法的に認めることを否定したかっただけなのかもしれません、結局。モトケン先生が立法的解決が望まれるとおっしゃったのも、おそらくその点を指していたのでしょうね。

命がなくなってしまえば「無」なのだから、「無」より下はなくて、だから「生命を投げ打てるほどの価値観」を守るのと引き換えに死ぬことは、少なくとも法は正当化してはならない、と考えていたんです、僕は。

でも、モトケン先生が「信仰というものは死んだ後のことを信じることです。」と書いていたのを思い出しましたよ。信仰を持つ人にとっては、死は「無」ではないから、それより下(死ぬより悪いこと)もありうるんですね。

私も信仰を持っているわけではないので的確な比喩が出来るか自信がないのですが、「エホバの証人」における輸血拒否は、要するに信仰上の禁忌の問題ですよね?
だとするならば「禁忌」と言う切り口で見れば、信仰を持たない我々にも状況が理解しやすいんじゃないかと思うのです。

「アンデスの聖餐」事件をご存知でしょうか。
少し検索すれば事実関係はすぐわかると思いますので省略しますが、命をつなぐ糧秣がもはや友人の遺体しかない状況で、その死肉を食べてでも生きながらえることを選択するのか