エントリ

「僕はパパを殺すことに決めた」で、東京法務局が勧告(asahi.com 2007年07月12日19時18分 ウェブ魚拓

 講談社は「勧告は真摯(しんし)に受け止めている。今後も少年法の精神を尊重しながら、社会的意義のある出版活動を続けていく」とのコメントを発表した。

 恐ろしく白々しいコメントに聞こえるのは気のせいでしょうか?

 犯罪報道、その中でも少年事件報道には深刻な議論があるのですが、このコメントからは「真摯さ」というものが感じられません。
 単に私の印象ですが。

 はいはい、わかりました〜、一応聞いておきますね〜

という感じです。

 これなら、まだ新潮などのほうが態度がはっきりしていて分かりやすいです。

 もちろん、新潮社のスタンスを支持しているわけではありません。
 スタンスが分かりやすいというだけです。

 少年事件については、保護処分(少年院送致など)と検察官送致起訴事件(いわゆる逆送事件)は区別すべきだと考えています。
 保護処分が適当と判断された少年については、矯正教育や社会復帰が最優先されるべきであると思います。

参考ブログ
 法と常識の狭間で考えよう

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コメント(16)

さすが講談社、売文業の鑑です(苦笑)。
居直り・開き直りはこのくらいのインテリジェンスがないといけませんな。

俗情に阿り私憤を公憤にすりかえて活字によるリンチをすることが社会正義だと思ってるような低俗マスコミのことはひとまず脇においておくとして、少年法の考え方や取り扱いに関しては今一度、立法・司法・行政の当事者において、検討しなおす必要があると思っています。

 立法当時に想定された「少年」の知見・行動様式・再教育の可能性などの概念と、2007年現在のそれとでは相当の乖離があるのではないかと私などは愚考いたしますし(もし乖離のないことが確認されるのならば、それもひとつの成果です)、現状に対して適切な立法や執行の形が模索されてこそ、立法趣旨も生きると感じるからです。

>モトケン先生
> 恐ろしく白々・・・・・気のせいでしょうか?

おそれながら空耳(笑)でしょうと申し上げます。新規のSNSの発展のために(笑)。

基本的に、発行停止や増刷停止等を求めた上で、ほったらかしになってからの話で、今回も謝罪だの何だの求められた上でこの返事ですから確信犯以外の何ものでもないです。

法務局が勧告したということは人権侵犯事象であると認定されたということですから、本来的な意味は大きいはずなのですが、講談社は、昔から損害賠償を求められても、売り上げに比べればたかが知れているので、やりたい放題やって、文句あれば訴えればいいじゃん、報道による人権侵害などクソ食らえ、という開き直りを信条としています。

こんな会社に良心を求めるのは、八百屋に行って生きのいい鯵を求めるようなもので、無理というものです。

供述調書が、なぜどういう経路で作者の手に入ったのかが分からなかったのですが、
http://www.j-cast.com/2007/07/13009355.html
からおおよその感じはつかめました。

作者なりに考えた社会的判断に基づいてなされたもので
新潮社の場合とはスタンスが違うものと思います。

>おおよその感じはつかめました。

えっ、あれでどういう経路で作者の手に渡ったか分ったんですか?凄すぎる!

作者の考え方はともかく、アンダーグラウンドの資料と亡くなった義母の両親への取材だけでGOサインを出したのはやり過ぎのような気がします。せめて被告人と父親の了解くらいは取っておくべき事案ではないかと思うのですが。

講談社の見解と同じということは、自身の見解ではなく、講談社の弁護士の見解に乗っかるということです。結局作品を通して自分の主義主張の正当性を訴えることよりも、法廷で勝つため、もしくは講談社に賠償をかぶってもらうための方策を優先したということであり、だったら最初から、被告少年の意思を無視してまでそんな本は出すなよといいたいです。

別に作者の手に供述調書が渡った経路が具体的に分かったとはいっていません。
正規の経路ではなく、元法務省東京少年鑑別法務教官である作者の昔のつて関係から入ったんじゃないかなーというふいんきを感じたというだけです。

>被告人と父親の了解くらいは取っておくべき事案
 そりゃ取れれば取ったでしょうし、
取れなかったからこそ継母の両親の了解だけで出したのでしょう。

出版した時点で、法務省からの勧告や、もしくは損害賠償等の問題が生じうることは予見できていたものと思われます。
講談社とは「講談社の弁護士の見解に乗っかる」というよりも、
どういう対応をするのか既に作者と講談社との間で事前に打ち合わせ済みだったのだと私はとらえました。
講談社に賠償をかぶってもらうという協議が出来ていれば、
別にそれはそれで良いのではないでしょうか。

作者的には、むしろ余計なコメントを出さず、
作品を見て読者が各自判断して欲しい、という意思の表れ、と思いました。

>そりゃ取れれば取ったでしょうし、
>取れなかったからこそ継母の両親の了解だけで出したのでしょう。

そりゃそうなんですけどね。取れんならやめとくべきって事が言いたかったんですけど(^^;

>講談社に賠償をかぶってもらうという協議が出来ていれば、
>別にそれはそれで良いのではないでしょうか。

取材の自由や自分の思想信条だけを声高に叫び、社会のルールや他人の人権などは一顧だにせず、問題が起きたら全て金で解決する。まあ、それが出版の世界だといわれればそれまでですが。

私には、彼らが、報道の自由、取材の自由を盾に、我こそが社会正義の実践者であるといわんばかりの理由を掲げて、自分たちのペンの暴力を正当化する、偽善者に見えて仕方ないんだけど。

まだ、「何をヌルいことを。出版界は部数出してナンボの世界じゃ。どんないい物を書いても売れん本はカスじゃ。売るためなら何でもしたるワイ。プライバシー?そんなもん、後で賠償したら仕舞いやがな。」ぐらいの意気込みを示してくれた方が、人として信用できますわ。

じじい(患)さんは新潮社のケースの話をしているのでしょうか、それともこのエントリの「僕はパパを殺すことに決めた」のケースの話をしているのでしょうか。

少なくとも、このエントリのケースにおいては、講談社は取材の自由や報道の自由を主張していません。むしろ、「少年法の精神を尊重しながら・・・」と言っています。
「報道の自由、取材の自由を盾に、我こそが社会正義の実践者であるといわんばかりの理由を掲げて、自分たちのペンの暴力を正当化する、偽善者」と言われても、正直ピンときません。

作者が本の冒頭で述べたところからすれば、
作者はこの本の出版が、被告人及びその周囲の人のプライバシー侵害することを知っていて、
それでも報道の間違いを正すなどのために出版することが使命だと思ったから、出版側の了解の下、その不利益を受ける覚悟で出版したのでしょう。

ワタシ的には、表現者としてはそれでよいと思います。

プライバシー侵害していることには変わりがありませんがね。

>講談社は取材の自由や報道の自由を主張していません。

このような明白な人権侵害(法務局も重大な人権侵害事件と認定したからこそ勧告を行っています。)事件を、仮にも公企業が大手を振って行うということは、「報道の自由・取材の自由」を抜きにしては考えられないでしょう。

本件についてどういった経緯があったかは分りませんが、仮に差し止め訴訟をかけられてもそれらを一切主張しないとすれば簡単に止まるのでは?結局、講談社が少年側や裁判所側の要請を無視して発行に踏み切ったのも、口に出さないだけで「報道の自由・取材の自由」を盾にしたとしか思えません。

そもそも裁判所等からの指摘を受けても、違法な資料の入手経路について何ら説明しないことが、取材源の秘匿というか、報道・取材の自由を根拠にせずして、どうして可能なのか私には分りません。申し訳ありませんが、私には白片吟K氏のお考えの方がピンとこないというか、理解しがたいところです。この辺は考え方の違いのなのかもしれません。

お示しの記事の中で
>草薙さんは、「それでもあえて、供述調書に記された少年の肉声を公開することに決め>た」理由として、(1)少年事件で審判が公開されず、少年の内面について何一つ確かな>情報が報じられなかったこと、(2)膨大な報道のなかに多くの事実誤認があり、報道の>間違いを正すことが使命だと感じたこと(3)事件で死亡した少年の継母の両親が「娘が>存在した証を残してほしい」と草薙さんに語ったこと、を挙げている。ただし、手に入るは>ずのない「調書」の入手経路などは書籍の中でも触れられていない。

私は、そうした違法な資料を入手すること、本人や親御さんが拒否している中で、それを無視して、極めてセンシティブな少年の個人情報を出版という形で一方的に公表すること等明らかに社会のルールを平気で破りながら、一方で「少年事件で審判が公開されず、少年の内面について何一つ確かな情報が報じられなかった」「報道の間違いを正すことが使命だと感じた」などといった、いかにも「社会正義のため」的な理屈をつけ、商業書籍を発行し、利益を得ていることを指して「偽善者」と表現しました。

しかも、法務局が重大な人権侵害事件として、「謝罪などの被害回復や被害拡大の防止などに取り組むよう」勧告したことへのコメントが、

>勧告は真摯に受け止めている。今後も少年法の精神を尊重しながら、社会的意義のある出版活動を続けていく

「今後も」って、尊重してないから勧告されていながらの、その言い草には「ハイハイ分りました、でもどうせ強制力はないんでしょ」という小馬鹿にした姿勢がありありと出ています。

>ワタシ的には、表現者としてはそれでよいと思います。

残念ながら、ワタシ的には、そんな表現者など「クソ食らえ」と思います。

>裁判所等からの指摘を受けても、違法な資料の入手経路について何ら説明しないことが、取材源の秘匿というか、報道・取材の自由を根拠にせずして、どうして可能なのか私には分りません。
  法務局が入手経路について明らかにするよう、求めたのでしょうか?
誰も求めていないと思いますが。
求められていないから説明していないだけです。
説明しろと公権力に言われて初めて取材の自由が出てくるのであって、
まだ取材の自由が出てくるシーンではありません。

>結局、講談社が少年側や裁判所側の要請を無視して発行に踏み切ったのも、口に出さないだけで「報道の自由・取材の自由」を盾にしたとしか思えません。
 これも同じだと思います。
 記事からすると、発行前には誰も差し止めを要請していないようです。
止めろと言われないのなら、出版するのが自由なのは当然のことで、
なにも表現の自由とかいちいち言いながら出版する必要はありません。
口に出していない人権はないと同じです。
人権は主張するためにあるのですから。

そもそも、一言も言っていないものを「声高に叫び」と受け取られていることが分かりません。

被害拡大の防止については、増刷中止を検討しているようです。
まあ多分元は取れたんだろうとは思いますが。


当の本を読んでいないので、余り弁護して、後から「しまった」にならないよう、
この辺で戦略的後退をしたいと思いますが、
多分、人権のとらえ方に感覚的な違いがあるんでしょうね。

 本を読みましたが、少年の名誉を侵害しているとは思えません。むしろ少年の名誉を守っています。誤報によって侵害された継母の名誉も実母の名誉も、この本のおかげで回復されたと思います。私の周りは、この本を読んで皆、少年に同情的です。あれだけ残酷な犯罪でありながら、少年を非難する気になれなくなりました。
 父親が被害感情を持つのは内容からして当然だと思いますが、少年や継母、実母の名誉に優先するとは思えません。 確かに、違法は違法かも知れません。名誉侵害か否かも多分に主観的なものですから、一律に禁止する必要があることも理解できます。
 しかし、継母の名誉が侵害されたままで良いはずがありません。最愛の娘と孫を殺された継母の両親は、この本を読んでずいぶん救われたと思います。違法であっても、この事件の最大の被害者である継母の両親を救いたいという著者を、私は非難することができません。
 

>法務局が入手経路について明らかにするよう、求めたのでしょうか?

東京法務局が人権侵害事件として調査するに当たっては、「普通」問題の漏洩資料の出所は聞くと思うんですが。他にも流出している可能性もありますし。ただ、法務局が「普通」の仕事をするかどうかは想像でしかありませんし、犯罪捜査的な調査権限ではないので、証言の強制はできない。まあ、提供者が告発される惧れがあるので、出版社側も聞かれても答えんでしょう。答えてたら、漏洩者は既に公務員の守秘義務違反で法務局から告発されてるでしょうしね。

その前に奈良家裁も調査しているようですし、そのときにも普通の事務処理ができる人が調査しているなら、ダメもとで出版社には聞くんじゃないですかね。調査の姿勢を問われますし。いずれにしても回答の義務はないので答えんでしょうけど。

作家本人さんもまともな取材では入手不能の資料であるとは認識していたようですし、違法を承知した上で、それを利用していれば十分漏洩犯のお仲間のような気がしますが。多分作家は罪には問われないでしょうけど。

> 記事からすると、発行前には誰も差し止めを要請していないようです。

失礼しました。これは私の勘違いでした。申し訳ありません。家裁の抗議は発行後のようです。最高裁は抗議のコメントだけでした。多分、少年側も裁判所も事前には中身が分らなかったんでしょう。発行後に現物を見たか、誰かが家裁に言って、これは拙いとなって、抗議やら犯人探しやら動き出したように見受けられます。抗議を受けたのは一ヶ月以上前ですが、特段対応はしていないようですし。

>口に出していない人権はないと同じです
>人権は主張するためにあるのですから。

主張できなくても人権は存在しますよ。そもそも知らないところで傷つけられているケースでは事前に主張はできないでしょう。知っていていわないのと、知らなくていえないのとは意味が全然違います。

一度侵害されれば回復は難しいのも人権です。口に出して言うまでは人権などないと同じというのはいかがなものかと思いますが。

>多分、人権のとらえ方に感覚的な違いがあるんでしょうね。

同感です。


この本の著者は、「ゲーム脳」を広めている一人で、ニセ科学の蔓延を愁う人々から顰蹙を買っている人物です。

おそらく本件との関連は薄いでしょうが、参考までに。

>No.13 wd さん

「ゲーム脳」について恥ずかしながら勉強不足で知らないのですが(笑)、なにかゲームが脳に不可逆的変化をもたらすというような断定的なものなのですか。

>No.14 ぼつでおk(医)さん

↓こういう批判を浴びるような程度の主張です。
http://www.tv-game.com/column/clbr02/
端的に言うと「ゲームをやると脳波のα/β比が睡眠時やリラックスしているときと同様の状態になるが、これは痴呆老人の脳波の特長とも一致するので、ゲームをやるのは地方になるのと同じである」と言うもの。
青少年のモラルの低下や少年犯罪の増加は、全てゲーム脳で説明がつくそうです。

>No.15 惰眠さんのコメント

ありがとうございます。よくわかったような気がしますた(笑)。
言論出版の自由の範囲内でしょうけど、なんだかまぎらわしい感じですね。

まあ、線引きが明確にできる現実、というもののほうが非現実的で、その多面性多様性もまた人の世の趣きのひとつなのでしょうけど(笑)。

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