今朝の「とくダネ!」で笠井信輔(たぶん)が、中華航空機炎上事故に関して、記者会見した機長が謝罪の言葉を述べなかったことについてえらく憤慨していたのですが、正直言って違和感を覚えました。
日本人的な感覚では、ともかく事故が起こったら関係者は謝罪すべきだ、となるのかも知れませんが、今回の事故については機長に何らかの責任があると思われる事情の報道はありませんし(少なくとも私は見ていません)、乗客もクルーも全員脱出に成功したわけですから、機長としての対応に問題があったとも言えません。
短絡的な感情反応としか思えませんでした。
追記
中華航空機、整備ミスの疑い…燃料管接合部が着陸時にズレ(2007年8月22日14時33分 読売新聞)
こういう点が指摘されていますが、でもこれは機長の責任とは関係ないでしょう。
日本のマスコミは、事故・事件に関わらず常に犯人捜しに狂騒する傾向が強いと思います。世の中には不可避なことも多いのに。これになれてし待っているので「短絡的な感情反応」がでてしまったのでしょうかね?
私も短絡的な感情反応する人の一人でした.
部下が客にマヌケなことをしたら,上司が出向いてゴメンナサイだと思ってました.
電器屋さんは,バッテリーが燃えるぞって苦情を言ってきた客に対して,メーカーに責任をなすりつける前に,謝って当たり前だと思ってました.
鉄道会社は天災や人身事故で電車が遅れた場合,何の関係もない車掌が「ご迷惑をおかけしてホニャララ」を当然だと勘違いしてました.
でも本当に危機感のある国際ビジネスマンは無意味に自分の責任がこないように正しく主張すべきだったのですね.
機長はフライトの責任者ですし,飛行機が荷物もろとも燃えたら謝るのは当然の対応だと勘違いしていたのですが,本当は謝る必要なんてなかったのですよね.
マンションが耐震基準を満たしてないのが発覚したら,設計事務所は,謝る前に構造計算した人が手抜きをしなかったかチェックすべきです.
エレベータが落ちたら,メーカーは管理会社の責任を追求すべきです.
患者が手術中に死んだら「寿命でした」
不祥事が発覚したら「秘書が勝手にやったこと」
うかつに謝ると辞めさせられてしまいますし,自分の責任を果たしていたら,リップサービスで謝る必要なんてないってことですね.
むしろ問題は どこまで 本当なのか 分からないのですが、
乗客が煙を指摘したときに それは問題ない とした乗務員の対応の方でしょうね。
乗客の指摘内容を きちんと確認できていたのでしょうかねえ。
モトケンさん、初めまして。若輩の産婦人科医師です。
医療裁判に関するブログからやってまいりました。
そちらは1日分を読んだだけですので、今後色々読ませて頂きたいと思います。
↑ここまで、本日のブログと別の話です。申し訳ありません。
> 勤務医です。さん
>乗客が煙を指摘したときに それは問題ない とした乗務員の対応
その対応自体は、問題ないものと思います。以下理由です。
・乗客の指摘内容を確認していた(結果論からすれば、エンジントラブルと考えた)場合
相手に迎合しても、徒に不安を煽りパニックを誘発するだけで利益がない
当初はパニックを起こさせないことを第一に乗客の気持ちを誘導することの方に利益がある
・乗客の指摘内容を確認していない場合
この場では「問題ない」と返答しても、その後に事実確認を急げばよい
下の場合で、その後に事実確認をしようともしなかったand上司や責任者に報告もしなかった場合には、そこまで含めて対応に「問題あり」となると思います。
逆説的には、その場で「エンジントラブルかもしれません」なぞと言ってしまった場合の方がはるかに種々の危険性が高いと思います。
というのが理由ですが、如何でしょうか。
(この件に関しての知識は、上のリンクと、テレビの報道で見ただけですので、私の見た後に新情報(や、誤報)があり、上記が論点としてずれていたらすみません)
先ほどZEROで、新基準モザイクに警察の捜査が入ったと報道されていました。ヨドバシカメラのような量販店や基準を作っている協会のようなところも大掛かりな捜査の対象になったそうです。
いわく「利益に走り、役割を怠った」とか、ヘアーヌードの解禁から、一定の流れのようなものが定着していたようですが、ここにきて規制がかかるとは、全く意外でした。分からないものです。
責任の質についても、具体化されて行くのかもしれません。
テレビで大々的に報道されている相撲取りの個人的な問題も、何かをかわすための陽動作戦のような気がするのも、私だけでしょうか。
感情反応とか、そういう側面もありそうですが、導くべき役割の専門家が....であれば、....どうなるでしょう。
確かに今回の事故は整備ミスの可能性がかなり高いですよね。機長はマニュアル通り最後まで残ってたみたいですし。
機長が過失を犯してなくても謝って当然と思うのは日本人ならあたりまえみたいな感覚でしょうけど、日本人以外には通用しないみたいですね。自分は悪くないのについ謝ってしまってトラブルに巻き込まれたという海外駐在員の話をよく聞きます。
事故を起こした関係者が涙とお詫びの大判振る舞いな謝罪会見をしておきながら裁判になると厚顔無恥にも無罪や不可抗力を主張している事が多くて、そちらの方がよっぽど腹立たしいです。某自動車タイヤ脱落事故とか明石歩道橋事故とか…謝罪が舌先だけの様式美と化してしまっている気がします。
>患者が手術中に死んだら「寿命でした」
現状ではまだまだ、とりあえず謝っちゃっといた方が予後がいい場合が多いみたいですがね。
…あくまでも確率論ですが。
日本では国際民間航空条約に反して 事故調査資料を使った刑事訴追が行われているため、日本で航空機事故を起こしたら、事故調査に積極的に協力しないというのが国際常識です
自己に不利益な事実の曝露(自白)を強制されないのが、人権保護の基本ですから、この基本を守ってもらえない国では、自分の人権を自分で保護しようとするのは、むしろ当然です
日本の医療事故も、システムとして改善したいのであれば、最低限、刑事免訴する仕組みを作るべきだと思うのですが。。
被害者感情優先と言いかねないウエットな国では難しいかな?
>刑事免訴する仕組
被害者への同情⇒侘び⇒謝罪⇒責任、と摩り替わっている(人が多い)のが今の日本です。
感情的なグレー領域を、責任論に捻じ曲げているのが、西洋合理主義への間違った理解だろうな?と。
飛行機事故については事故調と刑事訴追の関係が特殊(捻じ曲がった)な日本で。列車事故はこれからどうなるか?といったところ。
医療事故はもっと解り難いですから、免責するには明確に免責を規定した立法が必須ですが。
前途の如く合理的思考を根拠とする責任分担は不明確な日本では、それも難しいように思えます。
ホリエモン実刑を言い渡した判決文に「反省の色が見られない云々」と有り、唖然とした。
無罪を主張している被告が何故反省を求められる?
裁判所自ら推定無罪を否定してしまっている。
司法がこれだから、無知蒙昧なTVアナウンサーが何を言ってもOKだろうな。
>No.10 rice_shower さん
>無罪を主張している被告が何故反省を求められる?
僕も同感です。と言いますか、よく思うのですが、そもそも反省しているかどうかで罪が重くなったり軽くなったりするのがおかしいですわな。犯した犯罪の内容と犯罪当時の事情以外のことがらを刑罰に反映させるっていうのはどうなんでしょう。犯した罪に加えて「反省していないこと」自体を罰していることになりますから、ちょっとおかしいんじゃないかなあと思うんですけどね。
>山田さん
ご意見ご尤もです。
私は更に、仮釈放の制度も必要無い、と思います。
刑罰は犯行時の行為、人格に対して科せられるもの。 服役中に改悛しようがしまいが、犯行時の人格との間に断裂が有る訳でも無し。 また、本当に悔恨、改悛している服役囚なら、しっかりと罪を償いたい、と思うはずで、早く出たいなどと思うまい。
情の無い社会ほど窮屈なものは無い。 が、情を法に優先させては法治国家とは言えないですからね。
>No.10 rice_shower さん
>No.11 山田 さん
私自身は、裁判員制度に賛成ではありませんが、法律で一定の範囲の犯罪に裁判員制度が導入されることが決まっており、また、日本の裁判員制度は量刑まで判断対象とされていますから、むしろ弁護士以外(弁護士は裁判員になることはできない)の皆様にも、これからは、反省を量刑事情に入れるかどうか判断していただくことになる機会ができてくると思います。
>No.13 L.A.LAW さん
いささか突き放しすぎじゃあないですか?
理解や納得が得られるかどうかはひとまず置いておくにしても、何ゆえ日本の司法制度では反省を情状事情に含めているのかという理由(または理念・哲学)は解説されて良い――否、解説されなければいけないと思います。
>No.14 惰眠 さん
>いささか突き放しすぎじゃあないですか?
突き放していると取られる書き方になったのはすいません(若干、疲れています)。
ただ、私自身は、No.11 山田 さん等に近い価値判断も持っていまして、反省を情状事情に入れるか、入れないかという点では、単なる制度の選択の問題ではないかとも考えることがあります。
反省という主観的要件であっても、結局は客観的事情から判断せざるをえないわけで、示談に向けての行為、示談の成立等の客観的事情を越えて、反省を評価する意味がどこにあるか。
反省することにより、再犯率が減るとすれば、意味があるのでしょうが、これはわからない。統計もないし、統計をとりようもない。
私自身について言えば、現制度がそうなっている以上、依頼者の有利のため、有罪の依頼者については、反省することを求めることになりますが、それ自体がどこまで意味があるか。
むしろ、裁判員がそこに波紋を広げるなら、それはそれで、意味があることかもしれないとも考えます。
>No.15 L.A.LAW さん
この点は私も同感です。
ただ、そういう制度を選択したのには相応の理由があるわけですから、それを知ることなしに無用論をぶつ人がいるとすれば浅薄だと思うのです。
浅薄ですし、どれほど最終的な結論が私の考えと一致しようとも、そのような議論を肯んずることは私にはできません。
裁判員制度が実行段階に移れば、あるいは仰るような論点がク
ローズアップされることもあろうかとは思いますが、いずれにせよ現行制度は制度として存在する以上、「オレは納得がいかないから」だとか「自分はそういうのに反対だから」という程度のことで決まりごとを無視するのは問題があると考えます。
反省というものが問題になっているようですが、刑事裁判で問題になる反省というのは、一般的な意味における反省とは少し違うように思っています。
私が思うには、刑事裁判における反省とは
と言っていいと思っています。
このような意味での反省は、被告人自身に内在する再犯の危険性を減少させると考えられますので、矯正教育としての服役期間(刑期)は反省のない人間より短くてもよいと考えることができます。
その意味で執行猶予を付ける理由にもなります。
ですから、単に「すいませんでした。」、「申し訳ありません。」、「反省してます。」、「もう二度と悪いことはしません。」と言うだけでは、真に反省しているとは認定できないわけです。
但し、死刑の場合における反省は、上記と意味合いが違ってくると思います。
死刑は社会復帰を前提としませんので。
追記
このコメントに意見のあるかたは、別エントリに再掲していますのでそちらにお願いします。
http://www.yabelab.net/blog/2007/08/29-010334.php