男3人を死体遺棄容疑で逮捕 名古屋の女性拉致殺害事件(asahi.com 2007年08月26日12時16分)
強盗殺人のようですね。
殺人の点は偶発的かも知れませんが、強盗については計画的犯罪のようです。
しかし
なんとも愚かな犯罪です。
「金を奪う目的で力の弱い女性を狙った。誰でも良かった」と供述しているという。
大きなリスクを負いながら金目当てで男が3人がかりでやるんですから、ターゲットは「力の弱い女性」より「大金を持ってそうな人」という基準を優先して計画を立てるのが合理的だと思うのですが、そうは考えないんですね。
私自身、たくさんの犯罪の捜査や公判に関与してきましたが、計画的犯罪と言える事件の多くが、間が抜けているというかどうせ事前に計画を立てるのならもっと周到に考えられないものか、という印象を受けるものでした。
人は犯罪を犯すとき、どうしても冷静にも合理的にもなれないのかも知れないと思っています。
犯罪という異常な状況がそうさせるのか、犯罪を犯す人の傾向なのか、たぶんその両方なのでしょうが、人の傾向という観点で見ますと、犯罪者には自己中心的な人が多いということは感じています。
他人、つまり被害者の立場に立ってものを考えることをしないのです。
これは他人の視点を持てないことを意味します。
つまり、物事を客観的に見ることができず、自分の都合のいい見方しかできないとも言えます。
そんな人が立てる犯罪計画ですから、第三者から見れば穴だらけで不合理極まりないものになるのは、ある意味当然のことのように思われます。
>第三者から見れば穴だらけで不合理極まりないもの
出だしから「犯罪に興味があるのがネットで集まって、実行に及んだ」ですから、常人には思いつかない展開でしょう。
しかも、32〜40歳の男3人なんだから驚く。
>殺人の点は偶発的かも知れませんが
朝日の別の記事では、「顔を見られたから殺した」といってます。このクソ暑い中、3人が覆面をかぶってたとも思えませんし、狭い車内で誰の顔も見られないというのはあり得ないでしょうから、偶発ではなく、必然というべきでしょう。
ttp://www.asahi.com/national/update/0826/NGY200708250009.html
>通報してきた男は「死刑になりたくなかったので自首した」と通報の動機を説明しているといい、「自分は運転手役だった」とも話しているという。
決して反省しているのではなく、「我が身可愛さ」が「自首」の動機のようです。
この3人は死刑になる可能性はあるのでしょうか?
今朝のテレビでデイブ・スペクターが「死刑の抑止力が逆効果になってしまった」とコメントしていました。何ボケたこと言ってんだ。抑止力があるから二人目が犠牲にならずに済んだんだろうが。
自首(成立するのか?)した犯人は二人以上が死刑相場であることを知っていたのでしょう。
自首は成立するでしょう。
ただ、それを情状要件として採用するかどうかは別問題ですが。
http://www.asahi.com/national/update/0827/NGY200708270010.html
どうやら朝日の独自ネタのようで真偽のほどについては一定の留保をしますけれど、これ事実だったら結構シャレにならん話のような気がします。
>出だしから「犯罪に興味があるのがネットで集まって、実行に及んだ」
確かに最初からおかしい。
まだ、儲け話に飛びつく方が思慮が浅いだけで理解は出来そう。
生半可な知識ですが、犯人性が、捜査機関(官憲)に全く知られていなかったのであれば、裁判官といえども減刑しなければならなかったように思います。任意規定とか強行法規とか昔、刑法の本で読んだ覚えがありますが、中止犯と同じく、後者の扱いになり、裁判官の裁量は及ばないように理解しました。
ちなみに中止犯というのは未遂(反抗に着手し、未だ遂げざるもの)のことのようですが、犯罪を自発的に中止した場合が中止犯で、ほかの事情でやめた場合を障害未遂と区別していたような。
「引き返すべき、黄金の橋」というような法律上の諺もあったかと思います。
また、減刑というのは刑の上限、下限ともに半分になるもので、二回の適用まで可能であったような。
実際、裁判官の一存というか裁量で、減刑するかしないかと決められるようですが、このような犯行後、時間も経過していない状況での、自首であれば、どうなるの興味深いところです。
犯人であることが発覚する可能性の高い、遺留物など残していていて、逃れようがないと観念したのであれば、認められないのかもしれませんが。
また、テレビで見る限り、3人とも凶悪そうな人物には見えないですね。ゲーム感覚と甘い見通しだったのでしょう。ネットにも関連した事件のようですが、光市事件の弁護団の主張などの影響も少なくはないような気がします。
「弱い人間をねらわなければだめや」という言葉は、平成6年頃にも、塀の中で実際、聞いていましたね。7万円でしたか、奪って山分けにした金額は。いずれにせよ、尊い犠牲で、考えさせられることの多い事件だと思います。事実上の影響力も大きなものがありそうです。誠にお気の毒ですが、大きな代償としてシアワセノヒカリは輝き続けるでしょう。いつまでも枯れない花のように。
一昔前はテレビで、「てめえら、人間じゃねえ、たった斬ってやる!」とか、「一つ、人世の生き血をすすり、二つ、不埒な悪行三昧、三つ、醜い浮き世の鬼を....桃太郎!」なんて、やっていたものですが。もっとも実際の世の中では、死刑は認められやすくなり、無期囚の仮釈の可能性も格段に厳しくなっているようですが。
「存在自体を認めることが出来ない」というような、母親の言葉があったそうですが、特に印象的で、生涯忘れることがないと思います。