エントリ

 私は、刑事裁判の目的というか機能のひとつとして、被告人の納得ということを忘れてはならないと思っています。
 もちろん、事件を否認している被告人が死刑判決を受けた場合に、被告人が納得することなどあり得ないわけですが、そのような場合においても、被告人に、どういう問題について審理されてその問題について裁判所がどのような判断をしたのか、ということくらいは理解してもらう必要があると考えています。
 そして、被告人に納得または理解させる責任は、法曹三者つまり弁護人、検察官、裁判官がそれぞれの立場で負っていると考えます。
 具体的に言えば、被告人に対して事件の問題点をきちんと説明する必要があります。
 問題点を知らないで納得も理解もないからです。

 ところが、今回の光市母子殺害事件の被告人質問において、被告人は

「結果的に人を殺してしまったことを『殺人』と認識していた。傷害致死という言葉自体知らなかった」

と言いだしました(光市母子殺害 「傷害致死の言葉知らず」 元少年、殺意を否認 西日本新聞)

 なんで今頃になってこんな供述が出てくるんだ、というのが私の第一印象でした。
 私は、殺人と傷害致死の違いなんてものは第1審の弁護人が当然きちんと説明しているものと思っていました。
 もっとも、被告人は第1審当時にきちんと説明を受けていたが今となっては忘れてしまっている可能性もありますし、言い訳のために、ほんとは説明を受けていたが聞いていないと嘘をついているのかも知れません。
 しかし、殺人と傷害致死の区別ができていない人は決して珍しくありませんから、この報道だけで被告人が嘘をついていると決めつけるわけにもいきません。

 被告人に事件の問題点を説明して理解させる責任はまず弁護人にあると言えます。
 被告人が嘘をついているかどうかはっきりしない現状では以下はあくまでも仮定の話になりますが、
 もし仮に、本件で第1審の弁護人が被告人に殺人と傷害致死の区別を説明していないとするとかなり大きな問題だと思います。
 被告人が、その供述調書においても弁護人の接見においても公判における被告人質問においても終始一貫して明確に殺意を認めていたのなら別ですが、本件ではどうもそうではなさそうです。
 私は、第1審の弁護人がいわゆる恭順路線を被告人に助言し、被告人がそれに従って無期懲役狙いをするという弁護方針自体は特に批判しません。
 しかし、その前提として弁護人から被告人に十分な情報提供とその情報の意味するところを説明する職責があると思います。
 つまり、被告人が弁護人に対してわずかでも殺意を否認する供述をしたのであれば、弁護人としては、

 君は殺意があったのかなかったのかどっちだ。殺意があれば殺人罪で死刑もありうるが、もし殺意がなければせいぜい傷害致死だぞ、傷害致死ならば死刑はありえないんだぞ。殺人と傷害致死は別物だぞ。でも本件の証拠によれば、傷害致死を言い張っても認められない可能性が極めて高い。そうすると死刑を回避するためには、一応殺意は認めて反省の気持ちを最大限に示せば死刑を免れる可能性が高い。殺意を否認して傷害致死を主張するよりは認める方がまだ死刑にならない可能性が高い。

というような説明をする必要があるし、私は、本件の第1審の弁護人はそのような説明をしたのかな、と思ってました。
 ですから、私のこれまでの光市母子殺害事件に関する論評においては、被告人が殺人と傷害致死を区別できているということを前提に書いたものがあります。
 もしそうでないなら、その部分は修正する必要があります。

 それはともかく、私は最近、「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」というエントリを書きましたが、自己責任の前提として弁護人からの十分な情報提供が必要です。
 
 ただし、以上の第1審弁護人批判は被告人の今回の供述を信用した場合の話であり、被告人の供述が真実でないならば弁護人に対する批判は成立しません。

 次に、弁護人の被告人に対する説明の有無にかかわらず、第1審の公判担当検察官の責任も軽視できません。
 弁護団から発信されている情報によれば、被告人は第1審の公判で殺意を否認した、少なくとも否認をほのめかした、検察官から言えば往生際の悪い弁解をしたことがあったようです。
 そのような場合の検察官としては、被告人の弁解(殺意の否認)を徹底的に弾劾つまり批判して叩きつぶす必要があります。
 特に本件は死刑求刑が検討されていたはずであり、一審判決がどっちに転んでも控訴・上告が必至の事案ですから、第1審で全ての問題点を徹底的に解明しておく必要があります。
 ところが、本件の一審の公判担当検察官をそれを怠ったようです。
 なぜ怠ったのか。
 検察官に対しては憶測を交えて遠慮なく批判することにします。
 被告人の弁解を徹底的に弾劾するためには、被告人に全ての弁解を語らせなければいけません。
 簡単にいうと、言いたいことは全て言わせる、ということです。
 その上で、被告人の言っていることは全て違うじゃないか、ということを証拠に基づいて被告人に示すことになります。
 もちろん、証拠に基づいて否定できない弁解や証拠上認めざるを得ない弁解もありますが、その場合はいさぎよく被告人の主張を認めるのが検察官の正しい姿です。
 以上を踏まえて、検察官がなぜ被告人の殺意の有無を徹底追及しなかったのか?
 徹底追及していれば、その過程で被告人は否応なく殺人と傷害致死の区別を理解したはずですし、そのことは公判記録上明らかになっていたはずです。
 考えられ理由は以下の三つです。
 1 検察官が経験不足でそこまで思い至らなかった。←上司の指導不足
 2 弁護人が認めているんだからまあいいや、と手抜きをした。
 3 証拠に弁護人が気づいていない弱点があったので、下手に弁解させるとほんとに殺意が認められなくなってしまうと思って、意図的に追及しなかった。
 以上の中で最も罪深いのはやはり3でしょう。
 ここで憶測は止めますが、いずれにしても、一審の検察官がしっかりしていれば、今頃になって被告人から殺人と傷害致死の区別ができていなかったというような供述が出てくることはなかったと思います。
 同じことが多かれ少なかれ一審の裁判官にも言えます。

 何度も繰り返すように私自身は本件の証拠を見ていませんので的外れのことを書いたかも知れませんが、もし、記録上において、被告人が殺人と傷害致死を区別できていたことが残っていないとすれば、審理が十分なされていなかったという弁護団の主張は外れていないと思います。

 十分な審理なくして被告人の納得などありえません。

 ただし、時間をかければいいというものではないと思います。

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コメント(64)

これが差し戻し2審の裁判内容かと・・・
本当に、1審2審では皆さん何してはったんやと呆れるばかりです。
犯情の悪質さはさておくとして、事件の構成そのものは類型的なものなので機械的・流れ作業的に処理しちゃったってことなんですかねえ・・・・

>1審2審では皆さん何してはったんやと

これを鼻から主張して引き出したのは安田弁護団ですね。

主張内様とは別に、裁判の要素に対して見方が鋭く、見落としが少ないあたりが「仕事師」として高い評価を受けるのでしょう。

良い悪いではないですが、重箱の隅どころか裏まで視ている気も・・・。

>もし、記録上において、被告人が殺人と傷害致死を区別できていたことが残っていないとすれば、

素人の質問で申し訳ありませんが、「被告人が殺人と傷害致死を区別できていたこと」が残る記録とは通常どんなものが考えられるのでしょう?

私が念頭に置いたのは、公判における被告人質問の内容を記録した公判調書です。
検察官が被告人質問できちんと聞いていれば、それが記録に残ります。

>モトケンさま
 ありがとうございます。
検察官には「被告人質問」において「被告人が殺人と傷害致死を区別できていたこと」を含め、全ての問題点を(記録に残る形で)つぶしておかないといけないのですね・・・相当、膨大なものになりそうですが。

 供述書という記録については、内容を否定していますが、否定すること自体はありえますが・・・。

 意地悪い見方をすれば、供述書の否定と公判で潰されてなかった項目(公判記録に残っていない点)の否定を後付けでセットで行ったら混乱を起こせないのかなあ、と。

 こういう検察官、裁判官と被告人本人との問答というのは、とても参考になりますね。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/85509/
 ただ、表現が簡潔にされているのかと思われますが、敵対的な印象もやや鮮明。意思決定が明確で、伝わるところ、はっきり自己主張の出来る元少年という印象もありますが、現実的な死に直面した観念は、報道からは伝わりにくい気もします。自分の人生に対する諦念からやや自暴自棄になっているのか、検察の意図に乗せられたのか、どうかと思う点も感じました。

 このブログへのリンクがYahoo!に張られていました。
 世間の注目を浴びているようです。

 夕方のニュースで報道していたところによると、被告人は検察官の質問に対し、
「(1審の?)弁護士との打ち合わせが3ヶ月に1回くらいしかなかったので、取調べに対してどう答えたらよいかわからなかった」
等と述べたそうですが、すかさず検察官が接見の記録を出して
「‥‥○年9月は5回、○年10月は5回‥‥何度も弁護士と会っているのに打ち合わせできなかったのですか?」
と矛盾点を突いたので、被告人は
「それならそれでいいです」
等と憮然と答えたということです。
 このやりとりが本当にあったのなら、おそらく裁判官は
「ああやっぱりこの被告人は平気で嘘をつく人間なんだ」
という印象を持ったのではないでしょうか。

>「ああやっぱりこの被告人は平気で嘘をつく人間なんだ」
という印象を持ったのではないでしょうか。

 率直なところ、そういうの通り越し、中身など二の次で、都合で利用されているだけの傀儡(かいらい)ではないのか、という気もしました。綿密な打ち合わせも行っているようですが。
 さりげなく報道されているようですが、扱いが小さいにせよ、この事実の意味するところは、とても大きく、刑事弁護そのものに対する影響も測り難いところが感じられます(場合によっては、まさに致命的信用失墜や嫌悪感の植え付け)。

エントリー:光市母子殺害事件、被告人質問報道http://www.yabelab.net/blog/2007/09/19-171924.php#c79635
によると、公判直前は一月に複数の接見があったものの、
それ以外の時期は2ヶ月に1回程度しかなかったようです。

弁護側の異議により時期の特定はされたが、その部分は報道されていない。この辺にマスコミの恣意性を感じます。

>No.2 MultiSync さん
 私は安田弁護士は嫌いですが(笑)、麻原裁判をなんどか傍聴した感想を言うと、ものすごく緻密で抜かりがないです。
 抜かりがないというか、そこまで厳密な立証をしなくても十分通るんじゃない?って思うようなディテールまで厳密・厳格な立証を要求します。

 検察の「手抜き」を許さない見逃さない。ある意味、刑事司法における弁護側の職責に愚直なまでに忠実です。地下鉄サリン事件裁判での『凶器』の鑑定人に対する弁護側反対尋問なんか凄かったですよ。あまりの細かさに、傍聴しててイライラしましたもん(笑)。

>公判直前は一月に複数の接見があったものの、それ以外の時期は2ヶ月に1回程度しかなかったようです。

 そのために検察官の指示するとおりに供述させられたというのであれば、通常、被告人側は、取調べで既に自供した内容を公判で否認するのではないですか?
 報道による限りでは、被告人は1・2審で、検面調書の信用性を争う動きを一切見せていませんよね?
 被告人は、少なくとも公判前には弁護士と十分に接見しており、打ち合わせをすることは十分可能であったと考えられます。
「弁護士を信頼していなかった」
「公判で何を言っても無駄だと思った」
というのは、被告人が自ら防御権を放棄していたというだけのことですから、そのような怠惰な被告人まで刑事訴訟法が保護しなければならないと考えるのは妥当ではありません。

通常、被告人側は、取調べで既に自供した内容を公判で否認するのではないですか?
富山の連続強姦冤罪事件の実例もあることですし、そのような先入主を持つことは大変危険だと思います。 統計的な多寡、出現頻度として語ることはできると思いますが、それ以上の意味合いを持たせることには賛成できません。

また、

「弁護士を信頼していなかった」
「公判で何を言っても無駄だと思った」

と言うのは、弁護士の法廷戦術を却下してまで被告人主観における事件像を主張しようとの意思が挫かれていたことを意味するものと限定的に解するべきであり、防御権の放棄とまで断じるのは些か飛躍であると思います。

>No.10 惰眠 さん

レス有難うございます。
厳密すぎて付き合っとれん、では好きに成れない訳ですね(笑)
だからこそ、立証の難しい弁護に駆り出され、更に仔細な不整合が苦になり。

死罪を導く理屈も、誰が考えても完璧とは成り得ないのですから「こんなんで死刑なんておかしい?」と成っているのかも。

 経験した感想ですが、裁判というのは主宰者である裁判官のリードで、粛々と進められます。負い目もあれば、不利を招く公算も高いので、言いたいことを十分いえないのが、普通かなと思います。一方で、度肝を抜くような、不合理な自己主張を展開する人もいるようですが。
 事件の内容にもよると思いますが。
 ちなみに、裁判官の勾留質問で、職業を尋ねれれ、「町のダニ」と答えた人もいるようです。
 平成4,5年の頃、富山地裁で、同じく勾留質問中、裁判官を殴り飛ばした被疑者がいたと新聞に出ていました。右翼団体の関係者で、思想的な事にふれ、憤慨したようでした。
 それと、経験した人でないと知っている人は少ないと思いますが、公判時間まで待たされる裁判所の控え室の殺風景なこと、時間がとてつもなく長く感じ、異様な気分にさせられます。
 この被告人も厭世観にとらわれていたのかもしれませんが、弁護団に言いたいことを言わせてもらって、本望なのかもしれません。
 それと、心神耗弱や喪失で無罪が認められたという例は、個人的に聞きませんが、先日も検察が起訴前に、それを理由に不起訴にしたというネット上のニュースを見た覚えがあります。どんな被告人だったのか地域も覚えていません。
 よく覚えているのは、ちょうど一年ほど前になるでしょうか、金沢市で育児ノイローゼの母親が、子供を殺し、金沢地方検察庁が心神耗弱を理由に不起訴にしたというニュース、新聞記事がありました。
 確か刑法上、心神耗弱は減刑理由となりえ、喪失の場合が無罪になるのではなかったかと思います。当日、ネット上でしばらく時間を掛けて、記事を探したのですが、見つからず、ローカルニュースという扱いで終わったのかもしれません。
 一昔前、検察は判断の難しい事件については、とりあえず起訴をして裁判所の判断を仰ぐというスタンスと、本で読んだ覚えがありますが、傾向も変わってきているのかと思われます。
 どうしても娑婆に出たい被告人は、なりふり構わず、精神病を装うとも聞いたことがありますが、この被告人に関しては、割とあっさりした質なのか、生への執着も、個人的にはあまりというかほとんど感じられません。マスコミというフィルタがかかっているせいかもしれないのですが。
 ただ、真摯に反省し、人間的にも成長しているという報道はテレビで観ました。父親のインタビューなど交え。はっきり覚えていませんが、最高裁の判決が出る2,3ヶ月前だったかと思います。
 私の場合、実際に拘置所で、死刑求刑中の被告人と隣同士の舎房であったことがあるのですが、なんか名状しがたい印象を受けていました。プライバシーの問題もあるので、これ以上は書けませんが、。

凡人Aより こちらの光市事件での皆様のやりとりは総て読ませていただきました。これから述べますことは、皆様に大変不愉快な思いをさせてしまうかもしれないということを、まずお詫び申し上げます。 私のように知識やボキャブラリーに乏しい者から感じる事は、もはや裁判所も、検察も、弁護士も、被告も、被害者家族(こちらには同情いたします)も、日本語の意味解釈合戦のように感じます。飛躍した例えですが、自衛隊創設も憲法解釈の隙間で、出来上がったように感じます。(これは私が義務教育で習った幼少の頃からの疑問です。ちなみに私は現在49歳です。)話が少しそれてしまいますが、日本語が数々の、日本の伝統文化を築き上げてきた事は、私も大変すばらしい事だと思っております。しかし日本語の持つ微妙なニュアンスとか、一字一句の細かい様々な意味を、どうも私も含め、ほとんど総ての日本人が、個々の感性で、良くも悪くへも導いていってしまうため、話がややこしくなってきてしまうと思います。ここら辺が、世界のレベルからみると、日本外交がいま一つなかなか受け入れられてもらえない原因の最大の問題点だと思います。話がそれすぎましたが、母子事件については、私はもう少し状況を簡単に眺めてみたいと思っています。母親だけが殺されていた状況であれば、強姦をどうしてもしたい、成し遂げたい結果としての多少の過失致死に近いものと百歩譲れますが、そばにいた、幼子まで死に至らしめたとゆうのは、言語道断、一人すでに殺してしまったから、この子もうるさいし、母親もいなくなってかわいそうだから、殺してもいいんだ位の、まさしく人の命を軽々しく思っている畜生としか思えません。(被告が実際、そんな気分だったのかは、本人しか、知りえないことですが...。)私は思うのです、いや思いたいのかもしれませんが、ほとんど総ての殺人事件を起こした人は、人を殺す瞬間は精神異常者になっているのでは無いでしょうか?ですから余程の痴呆者で無い限り、精神鑑定などというのもどうかと思いますし...。ですから、この被告も殺す瞬間を8年経った今、明確に答えることが出来るんでしょうか?またそれを聞こうとする人たちが、聞いたからといって、はいそうでしたか、と簡単に納得できますか?最後に大変、不謹慎な事を述べますが、私が本村さんの立場でしたら、もし被告が死刑にならなかったら、私は残った私の人生は被告への復讐しか考えられません。大変長くなり、また皆様への無礼を申し上げてしまったかもしれなかったことを、重ねてお詫び申し上げます。

 今し方、「報道ステーション」を観ました。本村さんの意見陳述もあったそうで、予定についても全然知らなかったのですが、結構衝撃的な報道でした。
 往きたいとはっきり述べながら、検察に対しては「なめないでもらいたい」と発言したそうです。考えさせられます、このあたりも。
 ちなみに、死刑を執行する刑務官であったか、執行指揮書を起案する検察官であったか、忘れましたが、何度も何度も残虐非道な被告について記載された資料を読み直し、気分を落ち着かせ、自身を納得させるようです。
 また、高検の検察官は、死刑執行の立ち会いの義務があり、以前はそれを嫌がって、死刑の求刑を控える傾向が検察内部にはあったそうですが、死刑廃止の社会運動の盛り上がりも、オウム教団の事件で、世論、世相が一変した感があります。
 受け止め方も様々かと思われますが、どういう方向に流れるのか、気になります。
 しかし、インパクトがありましたね。検察に対して、「なめないでもらいたい」という発言は。
 なお、検察官は死刑だけでなく、刑の執行を全般的に取り扱っているはずですし、裁判が確定した資料も検察において保管されるはずです。
 それと、弁護団が、空気を入れて被告人を嗾けた可能性というのもあり得ないものでしょうか。対になっていた、「本村さんと直接話をしたい、拘置所でなら本当の自分を知ってもらえる」と述べていた点も気になるところです。
 いずれにせよ、起死回生の爆弾発言であることは間違いなく、どこまで世論の俎上に上るのかも気になるところです。
 あくまで、私個人の感想、意見であるとお受け止め願います。報道レベルを出でた些細な情報はしらないのですから。

人権を無視した人殺しに権利はない。

弁護士のあなたは、自分の奥さんや娘さんが犯されてコロされたら、黙っていられるのか?自分の子供が頭をたたき割られた無惨な姿だったら、そんな悠長なことを言っていられるのか?

私なら犯人をただではおきません。法律がさばけないなら自分の手であってもつぐないをさせます。

そしてあなた自身が人権を無視した人殺しになるのですね。
……いや、もう、何というか、実に美しい国ですね。

↑名前欄間違えました、失礼しました。

法律は感情論に縛られることなく冷静にただ事実だけを見つめ社会秩序と正義に照らして冷静な判断を下すことのみだと思います。

しかしこれは、裁判に立つ被告・原告が自らの内面と向き合い偽りのない真実を陳述した場合にのみ成立するのではないでしょうか?

事実は被告人しかもうわかりません。メディアの一方的な誘導放送(特にNステはキャスターの個人的見解でのみ報道を歪曲している)のみのあまりに少ない情報で判断を下すのは危険があると言わざるを得ませんが、それでもやはり被告人と弁護人が事実をねつ造しようとしているのは『人として』明白であり、この事件に対しても社会に対しても不誠実な言動がこんなにも社会を迷わせ、原告に長い苦しみを泥浸させているのだと思います。

それと一つ申し上げたい。
弁護士の方に申し上げたい。

金銭を得れば弁護士法第1条に反する行為をしても人として心が痛まないのでしょうか?

そしてあなた自身が人権を無視した人殺しになるのですね。
……いや、もう、何というか、実に美しい国ですね。


正直申し上げて、この発言、あまりに当事者意識がないと思います。想像力がなさ過ぎます。勿論ハムラビ法典の様な対抗的懲罰は良いとは思いませんが、人として本心で答えたのなら、このような『達観した理解者』が人としての社会の繋がりを断ち切っている根元であり、社会正義を欠落させている因果であると思います。

法治国家を法治国家として成り立たせている司法への信頼=唯一無二の基本思想は被害者遺族の木村氏の言葉の通り、「司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義はない」という事だと思う。
ドラエモンだのチョウチョ結びだの、荒唐無稽な非常識や屁理屈を述べ立てることで法の隙間をつくような弁護が通ると言う事自体、すでに法治国家としての基本思想を無視している事に大多数の人々は唖然とし、被告と弁護人への限りない嫌悪感をつのらせ司法への不信の目を注いでいるのではないだろうか。

 なんか、この期に及んでまだ繰り返される「弁護団捏造説」は、正直言ってカルト宗教も同然の思い込みであって、説得するだけ無駄に思えます。金銭目当てだの死刑廃止論がどうだのも同じく。

 そこここで違うと説明されているのに、証拠らしい証拠も示されないし・・・。

>なんか、この期に及んでまだ繰り返される「弁護団捏造説」
>は、正直言ってカルト宗教も同然の思い込みであって、説得す
>るだけ無駄に思えます。

ドラエモンやらチョウチョ結びのほうがよほどカルトだと普通の人は思うのですよ。

>風の精霊 さん

 今日のユニークアクセスが25000を超えているんですよ。
 
  弁護団への一定の理解 → 被告人に対する全面擁護

 という短絡反応をする一見さんが増えても仕方がないですね。

それにしても、被害者を殺してもドラえもんが助けてくれるのに、自分が死刑になったときは助けてもらえるとは思えないんですね。
ドラえもんに生き返らせてもらえるようにお願いして、素直に死刑になればいいのに。

>弁護士のあなたは、自分の奥さんや娘さんが犯されてコロされたら、黙っていられるのか?
>自分の子供が頭をたたき割られた無惨な姿だったら、そんな悠長なことを言っていられるのか?

昭和31年だったと思いますが、磯部常治という死刑反対派の
弁護士の妻子が惨殺される事件が発生し、それでもなお
磯部弁護士は犯人の死刑に反対した(それどころか、犯人の
弁護人になってもよいと言った)という事例はありますね。
結局、遺族の死刑反対にもかかわらず、犯人は死刑になっています。
詳しくは、「磯部常治」で検索してください。

 ZEROの報道を観ました、やはり報道の仕方に違いがありました。報道ステーションのような安田弁護士の「2つの前提が異なる」などという発言はなく、お名前の知らない弁護士が、感極まって泣き出し、「信頼関係を築いてきた、信じてください。」などと締めくくられていました。
 やはり実質審理はこれでお終いで、次回は検察の陳述、その次に、弁護側の最終弁論が予定されているそうです。
 対質のないまま、最後に弁護団が、大きなものを持ち出すのでしょうか。割り切れなさが、残りそうです。
 本村さんも、被告人の申し出通り、拘置所に出向き、話をするべきだと感じました。個人的な正義感のみならず社会正義を持ち出すのであれば、被告人の個人的な問題にとらわれすぎず、背後にも目を向け、真相に迫って頂きたい。
 私が自分の問題で、一部、不可解で、非常識な言動をしてきたのも、主たる目的は、種まきですよ。真の加害者の姿をあぶり出すため。関係者は「ホームページで、訳のわからないことを書いている」と言っていたらしく、直接聞いたのも、「お前、俺らの、弁護士費用、払えるんか!」という悲鳴のような恫喝でしたが、「自分に自身があり、オレに間違いがあると思うのなら、警察行ってこい、警察なら金もいらんぞ」と言ってやりました。
 弁護士さんも、妙な人間に妙な期待を抱かせないでいただいたいところで、その点でも、本村さんには矛先を変え、きっちり真相を究明して頂きたいところです。
 「弁護士が変わってから....。」、「死刑の可能性が低い頃、被告人には真の反省を期待してた。」という発言もされていたようなので、死刑という結果のみの満足で終わらず、社会的背景を含め、納得のゆく決着をつけて頂きたいところです。ご事情もおありなのかもしれませんが。
 一部にせよ、弁護士が社会悪の根元という印象を与えた点は、このままではどうしても拭えないばかりか、公益の代表者たる検察官もでたらめ、という印象のみが、この裁判からは伝わりました。
 弁護団は、本村さんが被告人に直接会うはずはないと考えているのかもしれませんが、被告本人が述べたように、直接話のが、もっとも真実に迫れる方法だと思います。
 歴史上も正義感の満足で終わった人は、少なからずいるように思え、歴史というものは力を握ったものの都合で、いかようにも糊塗出来る気がします。
 最後に、今日もテレビで輝いた素敵な写真をお目にかかることが出来ました。勇気ももらっています。

>No.27 とおりがかりさん
1.職業人としては尊敬に値します。
2.弁護士の方はみなそういう高潔な方ばかりなのでしょうか?

私は日本テレビ系列の報道特集で、元少年のこの事件に至る経緯と裁判中の状況を知りました。元少年は仕事を転々としており、父親の助けで仕事が定着し良くなっていたその時に、この光市の事件が起こったようです。
父親は本村さんと同じ会社に勤めていたため退職せざるをえませんでした。家族親戚もバラバラになったとのことです。
最後のシーンでは、父親は被告と面談した際、「死刑が怖い」と話していたそうです。

おそらく被告は死刑にならなければ…と思っているのかもしれません。しかし無期懲役はそんなに甘いものではありません。
近年は平均20年は刑務所の中、しかも有期懲役が30年まで伸びてしまっている現状では、それ以上になる可能性も高いようです。
刑務所からでても、一生保護観察下です。もし犯罪を犯したり(万引きとかも含むでしょう)規則を破った場合、刑務所に逆戻りです。刑務所から出た!ということで殺人を犯すと、ほぼ間違いなく死刑です。
ただ一方で、殺人に走る人も稀にあるようで、それが故、上記のように長くなる傾向にあるのです。
要は少年は、同い年の人が会社を退職する頃まで刑務所にいないといけない状況が考えられます。そのあと身よりなどあるでしょうか。上記の特集を見る限り、たぶん無いでしょう。そうなると一生牢屋となります。
「舐めないでいただきたい」という言葉には、無期懲役はただ生かされているという刑であることが本当に分かって言っている言葉なのか?強く疑問に感じました。

弁護士は、無期懲役の重さを十分少年に説明すべきだと思います。私はその責任を本当に果たしているのか疑問に感じました。
また他にも殺人方法に関して、法医学上ありえない説明手法を挙げたのも疑問に感じます(これは法医学の教授から否定的な意見が出されましたね)。
以上のことを考えると、被告の立場で考えても、懲戒請求は仕方ないのかなと感じます。

>No.27 とおりがかりさん

自分もNo.29 薬屋の企画屋さん同様尊敬はします。

ですが、亡くなられた御家族のことを考えると複雑です。
ご家族皆で崇高な生き方を志向されてたのでしょうか?

弁護人は被告人の主張に拠ってしか弁護方針を組み立てられないこと。弁護人が被告人の主張を「裁いて」はならないこと、は一朝一夕には理解し難いものです。時間はかかるでしょうがそれが理解されるまで「弁護団捏造論」は続くのでしょう。

よく出てくる金銭、売名目的云々も結局の所そういう風にしか行為動機を捉えられないから出てくるのだと思います。

>金銭、売名目的云々

 ほんの少しでも冷静に考えることのできる人であれば、弁護団に対してこのような中傷を投げかけることがいかに的外れであるかは容易にわかると思うのですが、、、

 本件の弁護団に名を連ねることがいかに経営的にマイナスであるかわからないのでしょうか。

 日本語の意味として、(世間的評価としての)悪名を広めることを「売名」と言うのでしょうか?

>>通りすがりさま

岡本勲弁護士の例も挙げておかなければ片手落ちになりますね。氏はかつて死刑反対派でしたが、逆恨みの身代わりに奥様を惨殺されてから死刑賛成派に転じ、現在は犯罪被害者救済に尽力しておられます。

弁護士としての高潔さにおいては、決して磯部弁護士に劣るものではないと思います。

金銭とか、売名とか言ってる人達は思考が停止しているか、
荒らしかのどちらかじゃないでしょうか。

被告人は極悪人(決めつけ)→極悪人を弁護するのは極悪弁護士→
極悪弁護士には下心がある→金銭目的、売名目的、という思考停止状態。
また、単に弁護士を貶めたいだけの荒らしか。

「弁護団捏造」は極端な話ですが、検察弁護団共に同じ証拠や証言を元にまるで逆のストーリーを構成していくわけですよね。だから弁護士の場合は小説家(あるいは漫画家)と編集者のような二人三脚で話を練り上げたという意味で、人によっては弁護団が作り上げたと大げさな解釈があるだけだと思います。この程度の微妙なニュアンスの違いはなくすことは無理なので、存在自体はしょうがないとしたほうが気は楽だと思います。

No.22 ノビタ さんのコメント

>ドラエモンだのチョウチョ結びだの、荒唐無稽な非常識や屁理屈を述べ立てることで法の隙間をつくような弁護が通ると言う事自体、

No.24 のびた さんのコメント
>ドラエモンやらチョウチョ結びのほうがよほどカルトだと普通の人は思うのですよ。

 「チョウチョ結び」は現実に存在していました。
 「ドラエモン」は被告人自身の供述によるもので、弁護団の創作したものではありません。被告人はどうして「ドラエモン」云々などと言うのかということの方が問題にされるべきです。

 これを何度繰り返せばいいのか・・・。

>>モトケンさん
まったく同感です。犯罪者を弁護することがいかに世間で冷たい目で見られることかを考えれば、一般に社会的名誉を得るための行動に対して使われる「売名」という言葉はもっとも似合いません。

あるいは売名目的というのをこういう風に考えているのかと想像してみました。
1.弁護人の名前が広がる
2.極悪犯罪者から指名がいっぱいくる。
3.弁護料で儲かってウマー

O.J.シンプソンの弁護人みたいなのを想像してるのかもしれません。
現実に刑事弁護を手掛けてる弁護士さんならありえないと言うでしょうが。

>>せっせさん
岡村弁護士がかつて死刑廃止論者だったというのはどこで知ったんでしょうか?氏が現在死刑存置論者であることは知っているのですが。

No.34 せっせ様

「岡本勲氏が、かって死刑反対論者であった」という言説は、広くネットに流布していますが、それが本当であるかどうか、裏付ける根拠・典拠・出典を見たことがありません。

よろしかったら、根拠をお教えいただければ幸いに存じます。

>弁護人は被告人の主張に拠ってしか弁護方針を組み立てられないこと。
 以前にも散見しましたが、神話に過ぎないように思われます。
 仮にそれが本当だとしても、弁護を引き受けるか断るかは、該弁護士の大きな裁量、自由に任されているはずです。
 今回の主張というのは、事実誤認で傷害致死が相当ということになりそうですが、確か法定刑は3年以上の有期懲役なので、20年。2件の殺人罪のはずなので、併合加重で、最高30年の懲役という計算になるのでしょうか?
 有期懲役は、刑が確定した時点で、満期日が決まっているので、刑務所でどんなでたらめな生活をしていても決まった日が来れば必ず社会に戻れます。まだ居たいと頼んでもだめだと思います。中には、中で問題を起こし、事件送致で刑が増える人もいますが。
 心神耗弱や喪失の主張がでたり、死刑回避以外、はっきりしない印象もありますが、弁護団が最終弁論で主張するのでしょう。
 人に、パチンコで浪費したサラ金の借金返済の相談をしたところ、銀行強盗をすればチャラになると言われ、実際に、包丁を持って銀行に入った人もいました。安請け合いで、何でも弁護してやるという錯覚を与える可能性もあり、断定的な表現は、それだけでもどうかと思いますね。一般的にはそうなのかもしれませんが。
 また、極めて、はっきりした例外もあります。

被告人が殺意がなかったということをきちんと主張する弁護をしなかった一審の弁護人にこそ、問題があったのではないでしょうか?
非難されるべきは、現在の弁護団の弁護ではなく、一審の弁護士の弁護活動なのではないでしょうか?

岡本氏について
過去に彼の記事を読売新聞で見たことがあります。
「死刑反対論者」であったかどうかまでははっきり覚えていませんが、以下のエピソードが印象に残っています。

婦女暴行の罪を示談で決着つけたられたことで、被害者もいる裁判所の中で被告とがっちり握手を交わしたりもしたことがある。(←この辺はうろ覚えだが、こんな感じの話)その頃は、被告の弁護に全力を尽くし、被害者のことなど考えたこともなかった。自分自身が被害者になるまでは。

 魚心あれば水心あり、という言葉もありますね。悪名を馳せた弁護士の需要は少なくないと思います。
 正論をぶった頼りない弁護士、との選択となれば、事情によって求めるものも異なってくることでしょう。
 物わかりの良い、融通の利く弁護士とか。
 私はまず、当てにしませんね。事実そのものに争いがあれば、直接、検察と向き合いますし、事情を説明した上申書は裁判所に出し放題でした。不当な起訴であればね。
 個人的な見解ですが、おかしな弁護士に頼んで、裁判官の心証を害すれば、それこそ取り返しのつかない結果にもなりかねい、そんな不信や不安が、この裁判を通じて、増幅しました。
 民事でもおかしな弁護士に頼むと、欠の毛まで抜き取られるという話は聞いたことがありますね。

殺された被害者が,21人の弁護団と被告人によって,いつまでも,殺され続けられているような思いです.この裁判は.

>No.44 Kojiro-smさん

心情は同じで早く終わらせてあげたいです。
ただ、弁護団の責任ではなく制度上の問題だと思います。
弁護団はその戦術で礼を欠いた点は非難されるべきだと思いますけど、そのほかの点では現弁護団は大きな落ち度は無いと思われます。

決して少年を弁護するわけではない。しかし卑怯だ。ただの憶測じゃないか。憶測でもっともらしく書くなんて、あまりにも卑怯だ。ワイドショーのコメンテーターにあこがれてるんだろうか?どっちも消えてなくなれ

 被害者が一人であったら、はじめから致死の可能性は検証されていたのかもしれませんが、過失や偶然で1度に二人が亡くなるとは、どう考えても考えにくいところで、それこそ想像が及びません。

裁判を傍聴していた記者の話だと、取り調べがいかに杜撰だったかがわかった、ということです。
テレビ局の人ですら、あの報道はちょっと、と言うくらいですから、ほとんどの人が弁護団を非難するのも仕方ないとは思います。
批判されるべきは弁護団ではなく、検察とメディアです。

これからは裁判のワイドショー化がすすむでしょう。
そうなると橋下弁護士みたいな弁護士じゃないと対応できなくなるかもしれません。
司法の終焉です。

私は産業界にいて、法曹の事は素人ですが、いつもこの問題も含め
再発の防止、或いは被害者の再発防止への願いの実現ということが一切判決の中に含まれないことにいつも非常に腹が立ちます。 産業界では、いろいろな事故に対し先ずこのことを最優先しているのにどうしてですか。結果責任ということもこのことに含まれるわけです。 殺人か傷害致死かということもこの観点で取り扱われるべきと考えますがいかがなんですか。

殺意の有無について、裁判員制度のビデオを見たことがあります。

包丁を持ち出して相手の腹を刺したという事件で、素人からすれば「どうすれば殺意が否定できるのか」というような話でしたが、「殺すつもりはなかった」というのが被告の主張でした。

殺意の有無については、基本的には内心の問題であって、例え説明を受けていたとしても、「認めてもらえないと思っていた」と主張すればいくらでも主張内容を変更できるわけですから、それ自体を云々してもあまり意味はないように思います。もちろん、被告の「納得」を求めるのが司法として正しいわけですが、それは判決で判断してもらうしかないのではないでしょうか。

ちなみに裁判員制度のビデオでは、「包丁を持ち出すまでに考え直す時間があったはず」ということで殺意を認めているようでした。今回の事件でも、被告は部屋の中に入った後、「一度部屋を出てタバコを吸っている」という話がありました。それが事実であれば、冷静に状況を判断して意図を持って犯行に及んだとも思われます(意図に反して部屋に入れられたのなら、抜け出す機会はあった)。証拠の中に被告の吸ったタバコがあるかどうか知りたいものです(弁護団は被告に不利な証拠は取り上げませんから)。

この被告人は逮捕直後の取り調べの時も、一審の陳述でも、殺意はなかったということをほのめかす証言をしていたということです。なのに、そのことをきちんと審議してこなかったのは裁判に問題があったのではないでしょうか?

事実として被告人に殺意がなかったのか否かは神のみぞ知るという領域のことで、分かりませんが(個人的には僕には被告人は本当のことを言っているように思えますが、もしかしたら僕の判断が間違っているかもしれません)、しかし、被告人が嘘をついていると根拠がなく考え、前提にしてしまい、きちんと被告人の証言を検証しなかったら、その裁判自体、成り立たないのではないでしょうか?
仮に被告人が嘘をついているのだとしても、まずは被告人にとことん証言をさせて、それに対して検察側が反証することで被告人の嘘を明らかにしていくという形でしか、裁判として成り立たないと思います。現在の差し戻し審はそのような形で法廷が進んでいるようですので、現在の弁護団には問題がないものと考えます。問題があったのは、被告人が殺意がなかったということをほのめかす証言をしているのに、そのことを取り上げて弁護してこなかった一審時の弁護人ではないかと思います。


法廷に入る本村さんがしっかり弥生さんと夕夏ちゃんの
遺影を持っておられあました。
岡村弁護士夫人が殺されるまで法廷は「被告を脅迫するものである」から遺影は持ち込ませなかったです。それで岡村弁護士を支援される弁護士さんたちが動いて被告から見えない
様に・・という事で遺影持ち込みが許可されたそうです。

岡村弁護士は法廷で高々と奥様の写真を掲げておられたそうです。・・・司法は色んな面で改革を迫られている気がします。

本村さんの活動により、今回のように被害者の遺族が法廷に立つことが出来るようになったことについては、僕もたいへん良かったと思います。現在の司法で、被害者の権利がないがしろにされているのであればその点はたしかに問題だと思うので、僕は弁護団を支持する者ですが、同時に本村さんの活動についても支持したいと思います。
被告人にも、被害者の遺族にも、きちんと法廷で陳述をさせ、審議していくことが大切だと思います。

モトケンさま、みなさま初めまして。
単なる義憤で裁判を語る事は出来ないな、という思いでいつも読ませていただいております。

そんな中で疑問に思った事が大きく二つあります。
殺人事件において被疑者が「殺意は無かった」という供述をするのは多いと想像出来ます。
それについて検察官が他の証拠などで徹底的に弾劾するとの事ですが、一旦被疑者が納得し裁判になる。
そして裁判で「殺意は無かった」と翻意するのもよくあるのではないでしょうか。
「取り調べ段階で確かに殺意は無かったと言ったのに、信じてもらえなかった」と。
そういう場合と、この裁判とはどう違うのでしょうか?

もう一つは1審2審を、弁護団は批判されていますよね。
それは当時の弁護方針批判とも取れなくもないのですが、だったら当時の弁護士を証人として呼ぶ事は出来なかったものなんでしょうか?
「被告に説明はされていたのか」「打ち合わせ等しなかったのか」

無知なる故の愚問です。
お時間のある時にお教え頂ければ幸いです。

>だったら当時の弁護士を証人として呼ぶ事は出来なかったものなんでしょうか?

当時の弁護士の証人尋問は極めてリスクが大きいです。
被告人が仮に嘘をついていないとしても、全てを語っている保障はありませんから。

モトケンさま

こうして見ると弁護側の主張はリスクの連続ですね。検察側が安田弁護士みたいに容赦なかったら、法廷でコテンパンにされていた可能性すらあったのではないでしょうか。真実は別としても。

モトケンさま、早速のお答え、ありがとうございます。

>被告人が仮に嘘をついていないとしても、全てを語っている保障はありませんから

そういう中での弁護活動、本当に大変なんですね。
こちらのブログを通して刑事弁護がどういうものなのか勉強させて頂きます。

>だったら当時の弁護士を証人として呼ぶ事は出来なかったものなんでしょうか?

もう一点、これは私の考えですが、仮に証人申請して証言を得たとして、それによって何が立証されるの(または提出証拠が否定されるのか)、そしてそれは本件裁判の主要論点とどの程度の関連性を持っているのかという問題もあるかと思います。

上告審以降で被告人の主張が大きく変更された理由の説明にはなりえても、本裁判で問われている事実認識等に影響を及ぼすほどのものではないと私は考えますので、モトケンさんの仰る点は別にしても、前任の弁護士に証言を求める必然性は薄い気がします。

>惰眠さま

素人の浅はかな疑問だったんですね。
でも現実には、こんな素人が裁判員になる可能性もあるわけで、不適切な表現とは承知していても、ここまでマスコミなどで取り上げられる「裁判」で勉強しなきゃいけないですね。

決して一方的にならずに…とは思いますが、どうしても被害者目線で事件を追ってしまいそうです。

あらためて、本当にやるせない気持ちに駆り立てられております。光市事件、秋田の畠山被告の事件、大阪での小学生児童大量殺人事件(これはたしかすでに死刑にされたと思いますが)、、、私個人の見解としては、これらに端的に共通する事は、大人の体力で、か弱い幼子をいとも短絡的に、殺めてしまっているということです。動物の世界は、たしかに弱肉強食です(例えが適切でないかも)でも、知性を授かっている人間社会はこれでいいんでしょうか、弱きを助け、強きをくじく、そんな気持ちを持って、具現化していくことが正義ではないのでしょうか?大人同士の様々な殺人事件よりもこちらの方が、もっと断罪されていくべきなんじゃないでしょうか?それとモトケン様の被告の納得というところを読み返せば読み返すほど、迷ってきます、犯した罪の結果を、素直に、真摯に、納得できる人でしたら、そもそもこの様なことができないんじゃないでしょうか?(モトケン様のおっしゃることも理解はできているつもりですが)明らかな殺意、明らかな計画性があれば死刑にできるのでしょうか?それ以外は殺した人数ですか?

 自分自身、裁判の事実認定を争っている過去の事件ですが、車の中から逃げ出そうとした被害者を反射的に蹴ってしまい。体の力が抜けていたこともあるのか、路面に頭を強打しました。
 自分は、そのあと警察署に出頭し、被害者の救急車搬送も依頼したのですが、あとで考えると、傷害致死を装うことなど簡単に出来そうに思えました。
 被害者は救急車に乗るまで、意識があり、刑事の質問にも的確に答えていたので、かなり救いがあったようにも思われます。
 そのときの刑事が取調べの担当になりましたが、取調べの時、逃げて放置していれば、殺人未遂だとはっきり言われました。
 刑務所の中でも、故意に急所をねらって確実にしとめながら、裁判で傷害致死になったという受刑者もいました。悪用されても困るので詳しくは書けませんが、刺すと血が止まらず確実に死ぬ部位があるそうです。
 殺人と傷害致死の違いは、有無のはずですが、他にも似たような話は聞いたことがあり、実際は、警察や検察との駆け引きで、左右される点が少なくないのかもしれません。
 また、被害者家族の心情にも通じる話ですが、私はその取調べの段階で、その刑事に、被害者の父親について尋ねたところ。
 「やさしい人や」と一言きっぱり言われ、続けて、「被疑者のことを憎いとは思わない、ただ、事件のことを思うとはらわたが煮えくりかえる」と言われ、
 取調べや、調書作成のリードを許した点がありましたが、それは、弁護団も言う、信頼関係の構築のようなものであったのかと思われます。成り行きに戸惑いながらも。
 今初めて気がついたのですが、父親にそんな話をした記憶がないのであれば、警察の捜査手法に関する大問題とも思われます。
 また、それだけでなく、事件が4月1日で同じ年の8月3日には一審の判決が出たのですが、家族は一度も姿を見せず、姿を初めて現したのは、控訴審の二回目の公判であったように思われます。なぜか、10月か11月頃のその時期、初回公判の裁判長が、2回目で入れ替わりになっていました。
 そして翌年の9月7日に控訴審の判決が出たのですが、これも被害者家族の姿はなく、その前回の公判においては、何度か姿を見ていた父親とともに、すすり泣く母親らしい人の姿がありました。
 それと、刑事が自分も裁判に出るだろうと話していたのですが、一度も姿はありませんでした。はじめなぜ、刑事が裁判に出るのかさっぱり理解できなかったのですが、ずっとあとに法律の勉強をして、供述の任意性の立証のために出るものだとしりました。
 その刑事は、私がとりつくりの嘘を言っていると、取調べの最後まで思いこみ、ろくな裏付け捜査もしていなかったのかもしれません。
 この裁判も取調べ段階においてずさんな点があったそうですね。自分の場合、黙秘権の告知などはしっかり受けた覚えがあります。警察は弁護士についても好意的でしたし、親身に説明してくれました。
 しかし、自分の方で、弁護士はいらないといっていたので、おかしな被疑者だと思われていたようです。
 なぜ、弁護士はいらないと言ったかというと、そんなことにお金を掛け、執心していると受け取られると、肝心要の被害者家族の印象をさらに悪化させ、真実から遠ざかってしまうと思われたからです。
 この裁判でも、弁護士全体の印象をかなり損ねたはずですが、通常の事件において、一番効果的なのは被害者側の宥恕や示談成立のはずですが、弁護士からの電話と言うだけで、さらに被害感情を激発させることになるケースもでるのかもしれません。
 刑事弁護の無理解とか、感情反応という言葉も散見されますが、被告側の利益にとらわれ、執心しすぎて、真実から遠ざかる傾向はないのでしょうか。真実、事実というものを重視しているとは思いがたいこともあります。
 一方的に言いたい放題で、あとは検察の反証の責任だ、最後は、公正中立な裁判官が判断を下す。皆さん、お役目ごめん、で終わりのような。検察や警察側の失敗の原因にも通じるところがありそうですが、事実や教訓から真剣に学んでみる、という姿勢の人はごく少ないような気がします。

No.53 kusukusu さん >

>本村さんの活動により、今回のように被害者の遺族が法廷に立つことが出来るようになったことについては、僕もたいへん良かったと思います。
>被告人にも、被害者の遺族にも、きちんと法廷で陳述をさせ、審議していくことが大切だと思います。

えー年齢こいて結婚する気もあても無く、数十年後には孤独な独居老人となっている事が、ほぼ確実な人間としては、少々、異論が……(^^;)
つまり、将来、身寄りの無い独居老人となったワタクシが、もし、殺人事件の被害者となったら、私の為に陳述してくれるヤツは、誰もおらんだろうから、判決に被害者遺族の意見とかを取り入れたら、不公平やないか、と。

まぁ、被害者の遺族にも、法廷で陳述させるのは、結構な事だとは思いますが、殺人が悪い事なのは、あくまで人を殺したからであって、被害者の為に裁判で陳述してくれる身寄りの有無とか、被害者が聖人君子か見下げ果てた外道かなんて事は、あくまでも二義的なものにすべきだと思います。

そうしないと、裁判の公正さと言う観点から、いかがなものか、と。

後、最近、話題になった某事件のように、被害者遺族にして加害者の家族である人達が、加害者を擁護し、被害者を罵るような、ややこしいケースについても考えた方が良いような……。

No.62 万年下っ端プログラマ さん
>そうしないと、裁判の公正さと言う観点から、いかがなものか、と。<

同感です。
被害者の家族の有無とか、愛されていたかとかで被告の量刑に大きな差が出るのは納得いかないですね。被害者にも格差があるのか、と思ってしまいます。

兄が妹を殺害、孫が祖父を殺害、娘が父を殺害、息子が放火で継母と弟妹死亡、と、この1、2年でも家族内事件が話題になりました。
被害者(遺族)の裁判参加は「家族内事件」ではどう扱われるのでしょうね。

裁判の公平性ということではたしかに万年下っ端プログラマ さんやkiriko さんが言うことにも一理あるかもしれませんが、でもそれを言うなら、この事件の裁判は、本村氏が社会に向けて訴えたり、報道が取り上げてきたことが影響を与えて差し戻し審になったという面はあるのではないでしょうか? 穿った見方かもしれませんが、仮に同様の殺人事件で、被害者遺族がまったく社会に出て来ない人達で、報道がこれほど取り上げてこなかったのなら、そもそも差し戻しの判決が出たのだろうか?という疑念があります。つまり、すでに報道や世論は裁判に影響を与えているのであって、他の同様の事件との公平性ということならばすでに保たれていないとも考えられます。

僕は、すでに公平性が保たれていないのならば、本村さんが法廷には立てなくて、でも報道にはどんどん出るというある意味でいびつな形が続くよりも、きちんと法廷で陳述する場を与えたほうが良かったようにやはり思います。

厳密に、何をしたかだけで裁判を行なうべきだという考えもあるかもしれないけれども、でもたとえば殺人事件で死刑判決が出るか否かで、社会にどれだけの衝撃や影響を与えたかや、世論の動向がひとつのポイントになっていることもたしかだと思います。そうした社会的世論といったものをまったく配慮しないで、厳密に公平性を保つということも果たして出来るのでしょうか?

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