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光市母子殺害差し戻し審 被告人質問の主なやりとり(ヤフーニュース 9月18日22時19分配信 産経新聞 ウェブ魚拓

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コメント(55)

この問答のこのタイミングで泣くのは被害者を悼んでのものではありませんね。明らかに自己憐憫です。

>明らかに自己憐憫です。

確かに。

全体的にも、孤立してたことを主張したい感じですね。
しかも、自分などはそうだったのかかわいそうにと多少思いました。

それでも、極刑か無期が妥当だとは思いますが・・・。



モトケン先生、時間がありましたら教えてください。

テレビでしか検事ものを見た事がないので・・(汗)

上記に検察が「裁判は金がかかるから親に迷惑かけるな」
とか。・・・といってもお金が無い場合は国選弁護人をやとえますのに。
「黙秘権がある」のを教えなかった。
「当直弁護士を立ち合わせてくれなかった」
の供述がありますが、現実に検察官はこの様な容疑者の権利を黙殺したりするのが現実の現場なんでしょうか?
     

>オードリーさま
今回のやりとりは、弁護人と被告人があらかじめ打ち合わせたもので、弁護側の主張に100%立脚したものです。その文脈の中では検察が徹頭徹尾悪役として描かれるのは当然です。これがすべて弁護側の主張であることを割り引いて考えるべきかと。

ご指摘の点については検察側が反対尋問で言及するでしょう。それに対して被告人がどう答えるかが注目されます。先日のように、弁護側の質問にはペラペラ答えて検察側の質問にまともに答えられないようなら信憑性もその程度です。

せっせさん>
      レスありがとうございます。つい鵜呑みにしてしまいました。100%弁護団の主張なんですね。
そうですね。私のお茶の間おばさんの疑問は検察側の尋問で明らかになるといいです。

今日はかなり昨日と違っていた様でモトケン先生の明日の見解記事が楽しみです。

>明らかに自己憐憫です。

どうですかね?
そんな単純なモノなんですかね、人間様の心ってヤツは?
案外、何故、泣いたかなんて、当人にも判らないかも知れませんよ。

>No.3 オ−ドリ− さん

 検察官の反対質問の状況がまだ分かりませんが、せっせ さんがいうように割り引いて考える必要があります。
 まず、すでに8年も前の話であって、当時の記憶がどれだけ正確か疑問があります。
 それに関連して検察官と警察官の混同の可能性もあります。
 そういうことを頭において簡単にお答えします。

>「弁護士はうそをつくし、費用も莫大にかかるけえ、親に迷惑をかけることになる、と」(ニュースから)

 警察官からこのように言われたという話はよく聞きますが、こういうことを言う検事はあんまりいないんじゃないかと思います。
 少なくとも私は言いません。
 私は基本的には弁護士がついてくれたほうがいいと思ってましたらから。
 もっとも、被疑者から「弁護士頼むとお金がかかりますか?」と聞かれたら、「それなりにかかると思うよ。」程度のことは言ったことがあります。
 「誰か良い弁護士を紹介してくれ」と言われたこともあります。
 ただし、最近の検察関係の情報によると、こういうこと(弁護人選任妨害的な言動)を言う検事がいても不思議ではありません。
 
>といってもお金が無い場合は国選弁護人をやとえますのに。

 これは誤解です。
 捜査段階(起訴前)では、当時は国選弁護人はつきません。
 ただし、京都弁護士会なら当時の法律扶助制度を使って無償で弁護士をつけたと思います。
 他の大都市の弁護士会でも同様だと思いますが、山口県ではそのような制度がなかったのかも知れません。

>(黙秘権の説明を)「受けていない」(ニュースから)

 これはちょっと考えられないですね。
 検事も警察も条件反射的に黙秘権の告知をします。
 被告人が忘れているのか嘘をついているのかどちらかの可能性が大です。
 この部分は弁護団としてはやり過ぎたのではないかと思います。

>「当直弁護士を立ち合わせてくれなかった」

 これはニュースにあるように「当番弁護士」のことですね。
 逮捕・勾留された被疑者に1回だけ無料で接見して助言などをする弁護士のことです。
 検察庁では積極的には教えないところが多いですけど、裁判所では親切に教えてくれます。
 被告人も(たぶん裁判所で)教えてもらって接見を頼んでいるみたいです。


モトケン先生>
       丁寧に教えていただきありがとうございました。よく解ったつもりになりました。

先に、
http://www.yabelab.net/blog/2007/09/16-231057.php
のエントリに書き込みをしてから、このエントリを読ませて頂きました。やはりといいますか、予想以上に外形的な共通点が、この光市事件裁判にはあるようです。異なる点も多く、違いも大きいのですが、刑事弁護のあり方を考える上でも、限られた時間を有効に、出来るだけご理解頂けるご説明に努めさせて頂きたいと考えています。

 確かに、機械的類型的に扱われ、処理される傾向が強かったと思われますが、もっとも慎重で保守的と考えられる検察庁が、ご意見ご感想のメールを受け取る窓口を開設するなど、状況の変化も大きと思います。

検察側尋問は案の定の展開だったようですね。こんな感じだったとか。

少年「前任の弁護士は3ヶ月に一回くらいしか来てくれなくて打ち合わせできなかった」
検察「ほんとに?確認してもいい?」
少年「どうぞ」
検察「確認したら一月に5回くらいは来てるよ。それでも打ち合わせできなかったの?」
少年「・・・」

駄目だこりゃ。

>>No.10 せっせさん

マジでそんな展開なんですか?

ちょっとはかわいそうなとこあるんだな。とか思った自分が恥ずかしい。
マジで・・・あの今枝弁護士の文章からは信じられない。
軽い人間不信になりそうです(>_

>ファブヨン さん

 よくあることです。
 それに、今枝弁護士の責任というわけでもありませんし。

>>No.12 モトケンさん

そうなんですか・・・・。

自分は修行が足りないですね。

ボスの話によると、3ヶ月に1回というのは公判がない時期の話で、公判のときは前日とかに来ていた、と供述したらしいです。
月に5回は、公判があった9月のことであり、それまでは6月に1回、8月に1回ですから、2ヶ月に1回です。

つまり、違いはそう大きくありません。
弁護人の意義により、時期を特定して確認されたそうです。

>消火隊様

最後まで聞いてみないとホント分からないですね。

つまり、ニュースでは一部分しか報道せず、やっぱり被告は嘘ばかりついている、と思わせたわけですね。
メディア報道は偏っているとしか思えません。
それにしても、一審の弁護士は公判までに2回しか会っていないとは。

>>No.15 mさん

>最後まで聞いてみないとホント分からないですね。

その最後がどこかも分からないです。
きっと判決出ても続きありますよね。

今枝弁護士は本当に良い人だと思いますけど、今枝弁護士のことなんて知らないままの方が気が楽だったかも。
なんて思う自分は刑事弁護上とてもダメな人かもしれませんが・・・冷静になろう。

>>No.14 消火隊さん

公判無いときは2ヶ月に1度、公判ある月には5回程度と言うのは、平均よりかなり低いと言うことですか?

>ファブヨン様

 落ち着いて下さい。被告人は嘘を言わなかった、って消火隊様は仰ってるんですよ。

ファブヨンさん

No.10 せっせ さんのストーリーがどこから来たのかわかりませんが、
マスコミの情報なんて当てになりませんし、一喜一憂(?)しても仕方ないですよ。
例え事実を報道していても、編集次第で印象なんていくらでも操作できますよね。

なるほど、私も弁護側の異議については把握していませんでした。ただ、マスコミの偏向報道は論外であるにせよ、検察の指摘そのものは決して無意味な揚げ足取りではなかったと思います。

この部分の証言の主旨は旧弁護人の怠慢の立証にあったと考えます。もし検察の指摘がないままだったら、その怠慢が過剰に強調されていた危険性があります。その後の検察の指摘、弁護側の異議があって初めて実際の面会ペースが法廷で明らかになったわけです。

弁護側、検察側、どちらの主張を鵜呑みにしないことが重要だとあらためて感じました。

そして、被告人が「ずっと二ヶ月に一回だったわけではない」と補足すればいいにもかかわらず、きちんと答えられなかったのも事実です。このやりとりを聞いた裁判官は「嘘ではないにせよ、自分の有利になるようなニュアンスで話す傾向がある」という印象を持っているのではないでしょうか。
まあ、被告人なら誰でもそうかもしれませんが。

>>No.18 m さん

落ち着きました。すみません。

まとめると、検事の言い分も被告人の言い分もどちらも嘘ではないと言うことですよね。
そうなると気になるのは、平均より上か下かだけですね。

>>No.19 青魚 さん

一喜一憂は、ダメですね。
昨日たまたま更新意見書を丁寧に読み解こうとしていつもより被告と弁護団に気分がのめり込んでたみたいです。
どうせ大局に影響の無いただの一般人ですし、ニュートラルに考えます。

>No.21 ファブヨンさん
人間はそういうものですよね。
マスコミが展開する被告人を糾弾する情報に触れれば、被告人や弁護団に反感を持つ。
検察官の主張に触れれば、その立証を信じ被告人の有罪(この場合は極刑)を確信する。
弁護側の主張に触れれば、検察官の主張が虚偽に満ちているように感じ被告人の言い分に理があるように思える。
検察側と弁護側は対立する主張を行っているわけですから、裁判官に対しお互い相手の主張が虚偽であるとの印象を持たせようとします。
同じ証拠に対しても、全く異なる主張を行う事が出来るのですから、私達一般人が真実を見極めようとするのは大変ですね。

>No.22 感熱紙(刑)

今回、様々な情報を冷静に冷静に判断しようと努力していますが、それでもファブヨンさんと同様に、一喜一憂してしまっています。

さっきHPで見れる動画ニュースを複数見ましたが、お腹の当たりが重く、悲しい気分です。

その一般人の自分が、裁判員制度で裁判員に指名されたとしたら、本当に何を信じていいのかわからなくなるのでは・・・と心配になります。

それにしても、テレビ局各社、ぜんぜん違う部分を取り上げてるなぁという感想です。(ネットの動画ニュースでしか、まだ見ていませんが・・・)

先のコメントで、感熱紙(刑)さんに対して敬称を付け忘れてしまいました。すみませんでした。

No.22 感熱紙(刑)さん
No.23 ひとり選考委員会さん

一般人が関わるのは本当に難しいですね。

今日のニュースを見て、自分は原点に返ることにしました。
一般人として、思ったことをストレートに発言していきます。
もともと、自分は弁護士の役割とかは知ってたし、極端な批判はしてないですし、自分なりに柔軟な姿勢も持ち合わせてるつもりなので、もっと普通に発言しようと思います。
何かとても公平性のようなものに執着して考え過ぎてた部分があるようです。

片意地張らずにやってみます。

難しいことは分かりませんが、弁護士の方が被告人の利益を守らなければならないのは分かります。
仮に被告人が死刑を免れて成長した時に、被告人が自身の犯した罪の重さに気づくのが一番苦しい道だと仰るのも分かります。(そのような時が来ればの話しですが。)

しかし、それでも素朴に疑問に思うのです。自宅にいた母子2人の死の原因となった被告人に、殺人の意志も強姦の意志もなかったなんて・・・。

刑とは秩序維持のためにも存在しているのですよね?
仮に今回の弁護が通った場合には、「ママのような人に甘えたいという気持ちで抱きついた」「気絶した人を復活させる儀式だと考えた」等という詭弁を述べれば、痴漢や強姦をしても罪に問われにくい社会にはなりませんでしょうか?
とても心配になります。

>mash さん

誰も、罪に問わないとは言ってません。
殺人ではなく、傷害致死だと主張しているだけ。

>一般人さん・モトケンさん

法律は全く分かりませんが素朴な疑問です。

「甘えたい気持ちで抱きついた」「復活の儀式」の理由で傷害致死になるのですか?
傷害致死なら無期懲役になるのでしょうか?
私にはこの理由が殺人の動機に聞こえてなりません。

弁護団が被告人の利益を守るというなら、罪を認めさせ、
反省・謝罪の念を見せて刑を軽くするのが妥当と思ってしまうのですが。
今回の事件で弁護側のやり方に違和感を覚えました。

>一般人さん・モトケンさん

法律は全く分かりませんが素朴な疑問です。

「甘えたい気持ちで抱きついた」「復活の儀式」の理由で傷害致死になるのですか?
傷害致死なら無期懲役になるのでしょうか?
私にはこの理由が殺人の動機に聞こえてなりません。

弁護団が被告人の利益を守るというなら、罪を認めさせ、
反省・謝罪の念を見せて刑を軽くするのが妥当と思ってしまうのですが。
今回の事件で弁護側のやり方に違和感を覚えました。

>No.29 chiii さん
簡潔に申します。
「甘えたい気持ちで抱きついた」「復活の儀式」云々の主張と、傷害致死の認定は直接的にはつながりません。
仮に「甘えたい気持ちで抱きついた」としても、それを拒絶されたことに逆上して「殺してやる!」と殺意を抱いたのであれば、れっきとした殺人ですから。

それでは被告人・弁護側が「甘えたい気持ちで抱きついた」「復活の儀式」をなぜ持ち出すかと言うと、これは『犯罪の計画性』に関わる情報だからです。
起訴状によれば被告人は、最初から強姦目的で集合住宅の各戸を片端から訪問し、犯行を達成しようとする過程で被害者女性を殺害した計画的犯行ということになっていた筈です。

これに対して被告人の行動を「そんな計画性はなかったんだ、行き当たりバッタリだったんだ」と説明するのが、「甘えたい気持ちで抱きついた」「復活の儀式」云々の言い分なわけです。

chiiiさん
殺人罪が成立するためには殺人の故意が必要です。殺すつもりはなく暴行を加えたのなら、結果的に相手が死んでも傷害致死罪です。傷害致死罪なら無期懲役もありません。今回の場合は弁護側の主張によれば傷害の故意もなかったわけですから、量刑もその分軽くなる可能性があります。
ちなみに、傷害の故意がないのに何故傷害致死罪になるかというと、暴行の故意があるからです。傷害罪は暴行罪の結果的加重犯でもあります。
あなたのおっしゃる「殺人の動機」は、「暴行の動機」と言うべきものですね。

>>27 一般人さん様
繰り返しになりますが、「仮に今回の弁護が通った場合には」の話です。

No.32 mash さん
「仮に今回の弁護が通った場合には」、傷害致死の罪に問われます。
そして、それ(=「本件は傷害致死事件である」)が今回の弁護側の主張です。このことは初めから安田弁護士が明言してます。

No.26にて私が感じた不安とは、仮に今回の(ような)弁護が通った場合には、被疑者が「ママのような人に甘えたいという気持ちで抱きついた」「気絶した人を復活させる儀式だと考えた」等という詭弁を述べれれば強姦罪や強制わいせつ罪には問われないと考える人間が増えないかという事です。

裁判官は別に部分だけを取り上げて全体の結論を下すわけではないですから。
また、30でも書きましたが、動機がいかなるものであるかということと、その行為が罪に問われるものであるか否かとは、まったく別次元の話です。

ただ、その辺の理屈を理解するだけのアタマがないような愚かな犯罪者予備軍は、懸念なさるように、手前勝手に都合のいい解釈をしないとも限りません。
しかしながら、それは本件裁判に限った話ではないということもお忘れなきよう。

なお被告人主張は、必ずしも「詭弁」であるとは限りません。
あのような他人にとってはまったく説得力のない話であっても、「本人主観における事実」を正直ありのままに話しているだけかもしれないですから。

江川紹子さんも仰っておられるように「弁護人は、被告人が主張しているのであれば、どんな荒唐無稽な内容でも、それに沿った弁護活動をするのが仕事だ」というのは理解しています。

ただ、被告人の主張の裏づけとして「母親に甘えたいという抑圧された愛欲」等を挙げておられるように見えることには、違和感を覚えました。

死刑に相当するかどうかという問題は別としても、上記が常識的に妥当な見解だと認められるのか疑問に思います。

エディプス・コンプレックス」はフロイトが提唱しました。また、「退行」もフロイトが初めて公に用いた言葉ですが、精神分析や力動論的心理療法等の効果や理論については、生物学的根拠、科学的根拠は曖昧であるままです。

(イギリス政府の呼びかけにより、大学がクリニック等の団体が精神分析や力動論的心理療法の効果を調査した結果、否定するデータも出ていたと記憶しています。
調査しにくい対象ではありますが、様々な理論が百花繚乱に存在するのが現状だと心理療法に携わる知人から聞いております。)

×大学がクリニック等の団体が
○大学かクリニック等の団体が(←この部分はうろ覚えです)

No.34 mash さま

仮に今回の(ような)弁護が通った場合には、そういう不埒なことを考える人間が増える可能性はありますね。

ただ、その心配は、「通った」かどうか、つまり判決が出るのを待ってからでいいのではないかと思います。

裁判所が 「そんな弁解に信用性はない、強姦・強制わいせつの故意は十分に認められる」 と判断すれば、おしまいです。

そしてそうなる可能性のほうがずっと高いと思われます。私の勝手な予測ですが。

No.36

「母親に甘えたいという抑圧された愛欲」

これも私の勝手な意見ですが、その心理状態は、性欲と両立すると思います。

それが主張され、認められることによって、ただちに姦淫の意思が否定されるようなことはないと思います。

>>38 fuka_fuka様
前半部分について、仰ることは判ります。
(ただ、私が弁護が「通った」訳でもない現時点から心配するのは、行き当たりばったりの非計画的な行為であった場合、殺意や強姦の意志の立証責任を問われたら、証明するのは困難なように思われたからです。)

母親に甘えたいという抑圧された愛欲」の件については、“それ(性欲の存在)が主張され、認められることによって、ただちに姦淫の意思が否定されるようなことはない”のは意外なことではありませんね。

「母親に甘えたいという抑圧された愛欲」という概念を取りあげる事により、精神的な疾患であるという心証を与えるのが狙いではないかと感じました。

>No.39 mash さん

被告人に不利な事実の立証責任は全て検察官にあります。
それが立証できなければ検察の負けというだけです。
ただし、裁判所というところは、それほど(被告人にとって)甘いところではありません。

No.39 mash さま

いくら 「行き当たりばったりの非計画的な行為」 という弁解をしようとも、強姦・強わいであれば、客観的な痕跡が残っていれば、姦淫の意思の有無が真偽不明となるようなことはまず起こらないと思います。

強姦致死傷罪においては、暴行を開始した瞬間に、姦淫の意思があれば、足ります。

人間の若い牡の個体は、非常に強い性欲を有していることが一般的であることはよく知られています。

「実行」 したのが死後であっても、 「実行した」 事実それ自体が、暴行を開始した瞬間に姦淫の意思があったことを、強く強く推認させます。

その 「常考」 な推認を覆すには、よほどの事情、誰が聞いても 「はあ、そういう経過であればさもありなん」 と思えるような説得力のある事情が必要になるでしょう。

本件で、弁護団が主張したストーリーに、そのような説得力はあるでしょうか。

私は感じません。

証明はそれほど困難ではない、というのが素朴な感覚です。

殺意の場合も同様です。
客観的な死因の鑑定それ自体がものを言います。

>客観的な死因の鑑定それ自体がものを言います。

これが差戻審における最も重要な争点なんですけど、マスコミはほとんど触れませんね。
マスコミのレベルが低すぎと感じています。

>>41
ご説明有り難うございます。
ただ、今回の件については、疑問が残ります。

>強姦・強わいであれば、客観的な痕跡が残っていれば、姦淫の意思の有無が真偽不明となるようなことはまず起こらないと思います。

弁護人は、ご自身が開設されたブログにおいて、強姦と殺人の意図を認められるような痕跡は残っていないと主張しているものと思っていましたが…(違うのでしょうか?)。

あと、客観的な死因の鑑定それ自体がものを言うものであれば、その他の「抑圧された性愛」や「退行」等の弁護内容は判断に殆ど影響しないという事でしょうか?一応保険的に弁護しているだけだという所でしょうか?
(もしそうならば、「抑圧された性愛」や「退行」等を挙げた弁護内容は、被害者遺族の気持ちを徒らに刺激するだけですね・・・。)

No.43 mash さま

私が念頭に置いている 「痕跡」 とは、強姦については死後に姦淫したことを示す証拠それ自体です。殺人については、2人が死亡した事実とその死因を示す証拠です。

そのような証拠(死因についての鑑定書等)の存在自体は、被告人も弁護団も争っていません。
殺害については「どうやって」についてを争っていますが、「やったこと」については全く争いがない。

被告人と弁護団が主張しているのは、
「被告人の行為によって死んだことは確かだし、死後に姦淫したことも確かだが、首を絞めた時には殺意も姦淫の意思もなかった」
ということです。

別の喩えをすれば。
弓道の的のまんなかに矢が2本並んで刺さっていて、矢が飛んできた方向に袴をはいた男が一人、弓をもって立っている。
男が 「すごいでしょう」 と言おうが、 「矢を放ったのは私ですが、あの的のほうを狙ったつもりはまったくありませんでした。こんなことが起こるなんて信じられません」 と言おうが、はたまた無言であろうが、「ああ、的の方をよく狙って矢を2本放ったんだな」 と思うのが常識的判断ではないでしょうか。

2番目の言い分、 「矢を放ったのは私ですが、あの的のほうを狙ったつもりはまったくありませんでした。こんなことが起こるなんて信じられません」 というのが信憑性を帯びるためには、よほどの特殊事情が必要ではないでしょうか。


No.44

保険的、というよりは補助的なものとしてということだと思います。
本筋は、「殺意・姦淫目的はない」ということであり、その主張を裏付けるための周辺事情といった位置づけではないかと。

No.42 モトケン先生

よくある新聞記事(特に国際面とか)と同じで、 「表層的に起こっている事実を列挙するだけなので、ほとんどの読者がその意味や重要性を認識できない」 という状態なのでしょうね。

本筋がどこなのかをきちんと踏まえている記者が書いてくれないと、鳥瞰図がまったく見えない。

 No.45
を読んでいて、思い出したことがあります。平成3年頃の伝聞ですが、事故を起こした運転手が、「電信柱が走ってきた」と言い訳をしたそうです。その話をしたのは、キャベツの箱に人の頭を押し込んだり、包丁を振り回したりと奇抜な言動の多い、したたかな男で、要注意と思っていたのですが、注意を引きつけられていたことで全体を見失っていたようです。
 本当の一流の詐欺師というのは、騙したことを相手に気づかせないとも聞いたことがあります。
 同じく、自分が19歳の頃の悪友で、当時詐欺まがいの消火器販売の訪問販売をしていました。
 消防署員と紛らわしい服装をし、それらしいバインダーを持って、「消防署の方からです。防火火の用心の件で、お伺いしました。」と声を掛け、相手が、消火器はないと答えると、説教混じりに消火器を売りつけていました。
 うるおぼえですが、原価3000円か1500円の消火器を1万5千円ぐらいで売っていて、一本につき7千円か8千円ぐらいの収入を得ていたのではと思います。いいときは一日で10万円ほどの稼ぎにもなり、やる気のない時は2,3本でやめたりしたようです。
 そこで先輩に、
 「消防署の方というのは、消防署のある方角という意味だから、いざというときも法的に問題ない」
と言われたらしく、すごい理論武装を与えてもらったように得意げに話していました。
 本人に悪いことをしているという自覚はないばかりか、火事防止のための社会活動をしているという自負心さえ持っていたようです。
 「ほんなら、私は
消防署のある方角からやってきました。と相手に言ってみぃ、それで買ってくれる相手がおるんかい」などと議論しましたが、一歩も譲らず、平行線のままでした。
 当時彼は、21歳。
 平成3年の5月頃に私に連絡をよこし、一緒に仕事をするようになったのですが、先に書いた油断のならない男のぐるあるいは手先となり、私に対する侵害行為に及んだ可能性が濃厚です。
 いかようにもふくらませて自分の都合のいいように、解釈することでしょう。
 それとこちらのブログからのリンクで、本村さんの意見陳述の全文のようなものを先ほど読んだのですが、中国の春秋戦国時代の老子の言葉で、「天網恢々疎にして漏らさず」を最後に被告人に向けて話されたそうです。
 これが、老荘の思想の老子の言葉であったとは、自分自身初めて知りました。荘子の思想が韓非子に大きな影響を与え、法治主義の始まりになったことはよく知っていたのですが。
 私の方から考えてみてもらいたい言葉は、同じく中国の春秋戦国時代の言葉で、
 「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」です。検索を掛ければ、すぐに情報は集まります。そんなに珍しい言葉ではないと思いますが、「天網恢々」よりは知られていないかもしれません。
 ついでに言えば、反対語として「呑舟の魚」という言葉もあります。
 こちらは多義的でもあり、探しにくいと思われますので、無断になりますが、参考情報のリンク先を掲載させた頂きます。
http://ryuichiteshima.com/review/review_sub.html
 この事件の被告人一人の犯罪でも、これほど大きな負担や錯綜があるのに、多数人が関与すればどうなるでしょう。しかも間接的に嗾け、利用したとなれば。
 現在の、司法制度、刑事裁判はどのように対応できるのでしょう。検察も元少年を挑発しまくって、不利に導いただけなら、頼りなくお粗末な気もします。

>>40>>45
レス有り難うございます。

客観的な痕跡とはどのような物を指すのか専門家でもない私には判りませんので、No.26でも「難しい事は分からない」と書きました。

しかし、もし故意であることを支持する客観的な痕跡があるならば、検察官はそれについてなぜ述べないでしょうか?
(触れない訳はないと思うのですが…つまり、故意であることを支持する客観的な痕跡はないという事ではないでしょうか?)
上記の推測により、「行き当たりばったりの非計画的な行為」が故意的に行われたのか否か、立証責任を問われても困難だろうと考えたのですが、それはそんなにおかしな考えでしたでしょうか?

私にも若干なりとも理解の及ぶ範疇である「エディプス・コンプレックス」や「母親に甘えたいという抑圧された愛欲」、「退行」等、その鑑定の基になっていると思われる理論の根拠についての疑念と、このような精神分析結果が、家裁で事実であるかのように扱われている事についての不安(危惧)について延べました。
しかし、マスコミの偏向報道に同調したからではありません。

>>45の弓道の例えですが、偶然にも私も弓道をかじっており、弓道は立禅と言われることもあるのですが、「的を狙うものではなく自分自身を射るものだ」という考え方があるので、せっかくの例えですがピンと来ませんでした。
(正しい射形を取れば、狙わずとも自然に当たるという事を証明するために、ある名人がドイツ人の弟子に暗闇の中で
弓を引き、1本は的の中央に、2本目は1本目の筈(矢の末端)に刺さったという有名な話もありますので。)

No.48 mash さま

難解な用語のままの解説で、わかりにくかったかと思います。すみません。

「故意を示す痕跡」というのは、必ずしも決定的なものである必要はありません。自然科学上の反証に耐えうるほどのものでなくても、「そう見るのが自然」であるかどうか、ということです。
被害者の首に指の痕がついていて、死因が窒息死であれば、それはかなりの力で人が素手で首を絞めた(押さえつけた)という事実を支持する証拠になります。
それくらい力を込めて首を絞めた(押さえつけた)場合、その行為者は、「相手を死なせるつもり」だったか、少なくとも「死んでもかまわないという意識」をもっていたと考えるのが自然だろう、ということです。

これだけでは、100%決定的とはいえません。殺すつもりはまったくなかったのに、そのように首を絞める(押さえつける)ことになった事情もあるかもしれない。
それを確認するには、本人の弁解はどういうものか聞いてみる必要がある。
そこで、どう考えても嘘か後付けのこじつけとしか思えないようであれば、最初に見立てたとおり、やっぱり「殺すつもり」で締めた(押さえつけた)んだろうと考えていいだろう。

裁判所の思考プロセスはだいたいそのような感じになるだろうと思います。
先に書いた弓矢の例も、それを意識したつもりです。
「的のまんなかに矢が2本並んで刺さっている」というのは、「狙って矢を放って首尾良く刺さった」という事実を支持している。
そう考えるのが自然だが、そうではない可能性はないのか、念のため確認してみる必要がある。
確認した結果、一番あり得る原因はどれか。
ということです。


もし故意であることを支持する客観的な痕跡があるならば、検察官はそれについてなぜ述べないでしょうか?

すでに証拠として裁判所に提出され、補足説明を加えたり、弁護側からのツッコミに対して反論したりするまでもないから、と考えるのが自然だと思います。

本件は、マスコミの注目度が高いので、逐一法定の様子がテレビやネットを通じて広く伝わるけれども、法定でのやりとり(証人尋問や被告人質問、論告・弁論など)は、判断を下すべき立場にある裁判所にとってみれば、最終的に判決を書くべき材料としての一部でしかない。
そのほかは、「まあそれはしゃーない」という部分として、弁護側も争わない。だから法定で議論・論争にならず、したがって「法廷の様子」だけを伝えるマスコミ報道では「存在しないもの」のような扱いになる。

よく新聞や雑誌などで見かける、一部を略して重要な部分だけクローズアップしたグラフのようなものです。
折れ線がものすごく乱高下しているように見えるけど、よく見たら、y軸の原点は0じゃなくて90だった。だから大幅にぶれてると思ったのは、実は90〜100の間で起こっていたさざ波でしかなかった。90以下はたっぷりと水がたたえられたままで空気に触れることすらなかった。

本件でも似たような状況だと思います。

「的を狙うものではなく自分自身を射るものだ」という考え方

たとえ話がたとえる対象を離れて一人歩きするのは、あまり有意義ではないと思います。
それは、まず「的に対して正しい姿勢で立つ」ことが前提で、その後で弓を絞って放つ際には「狙う」ことを意識しすぎるとよくない(かえって当たらない)という教えではないでしょうか。

本件で被告人が主張していることと対比すると、矢を放った男は、まったく的を狙っていなかった、たまたま放ったらたまたま2本とも的のど真ん中に当たってしもた、という話をしているんです。
正しい姿勢・向きで立つもヘッタクレもなく、立てたバットのグリップエンドをおでこにつけて目隠しして10周し、目隠しのまま矢を1本適当に放って、次は20周してまた目隠しのままでもう1本。
目隠しを解いてみたらなんと、2本とも的の中心に。

誰ひとり、「目隠しバットぐるぐる」の姿を見ていないんですよ。
そんな話が信じられますか、という話です。

 たしかフロイトって、人間のすべてのなんとかは、性衝動に基づく、とか言っていたような。ドグマ的だと感じました。
 これを知ったのと同じ頃、「法律時報」という専門雑誌に、強姦罪の犯罪性を否定する論文が掲載され、ずいぶん驚いたことを覚えています。あれは本当に驚きました。

 ドグマという言葉を思い出したので、検索を掛けたところ、次のような情報に出会いました。
<科学的事実としてのドグマ>
http://www.kyoudoutai.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=3495
 この裁判の問題とも通じるところがありそうです。

>>50
何度もご丁寧なご説明を頂きまして有り難うございます。

「客観的な痕跡があるだけで『常考』では故意であるとされる」と仰られていた部分が、何度聞いても受け入れ難かったために、混乱していたようです。

なぜならば、弁護人の方のブログにてモトケン様が下記コメントがございました。
>殺意がなければ極刑はありえません。
>弁護団の主張は殺意がないことが前提です。
>だから弁護団を批判するなら、なぜ殺意がないと考えるのか>という点を批判しないと批判にならないんですよ。
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/comment/20070921/1190334502#comment

上記コメントを拝見して、第三者も、なぜ殺意がない(故意ではない)と考えるのかという点を批判しないと、弁護内容に対する疑問や批判をしても意味が無い、という事をモトケン様は仰っておられるのだろうと思いました。

第三者が弁護内容について批判する際にも上記に気をつけて発言しなければならないのですから、不利な事実の立証責任を持つ検察官は尚更「常考」を述べるだけでは、弁護を覆すには足りないのだろうと思ってしまいました。

>>51
弓道の例え話は、弓道をやっている者には適さなかったというだけの話です。
(的を狙ってはいけないと繰り返し師匠や先輩から注意される位、弓道をやっている者には当たり前の話でしたので…)

しかし、例え話を引っ張って横道に逸れる気はございませんので、ご安心下さい。

>>53の訂正です。

×「客観的な痕跡があるだけで『常考』では故意であるとされる」と仰られていた部分が、何度聞いても受け入れ難かったために、混乱していたようです。


○「客観的な痕跡があるだけで『常考』では故意であるとされる」や「証明はそれほど困難ではない」等と仰られていた部分が、“裁判所においても、検察官が弁護団の弁護を覆すには、常考を述べれば、故意である事を支持する決定的な証拠がなくても十分である”と受け取れましたので、何度聞いても受け入れ難かったために、混乱していたようです。

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