別エントリのコメント欄に「弁護士が社会正義を求めて戦うというのは「二の次」だと解りました。」というコメントがありました。
光市母子殺害事件の裁判における弁護団の主張に関してなされたコメントですが、これは誤解です。
刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます。
つまり、裁判所の判断が社会正義を実現するためには、たくさんの資料があったほうがいいわけでありまして、そのために訴訟当事者である検察官と被告人がそれぞれの主張と立証を尽くす必要があります。
そして弁護人は、被告人の代理人の立場にあるわけですから、被告人の主張を最大限に主張・立証する必要があります。
その結果として、被告人の主張の中に真実が含まれていると裁判所が判断したのであれば、検察官の主張だけで判断するよりも、裁判所の判断は真実つまり社会正義に近づくことができます。
逆に、裁判所が被告人の主張に嘘が含まれていると認定したならば、被告人は嘘つきであって反省していないという事情を織り込んで裁判をすることになるのであって、それはそれで裁判所の判断がより社会正義を実現することに繋がります。
例によって誤解を恐れずに言いますと、弁護人としては被告人の言い分が真実であっても嘘であっても、被告人の主張を最大限に代弁することが社会正義の実現に資することになるわけです。
その意味では、第一審の弁護人が恭順路線をとって被告人の主張を押さえ込んだとしますと、第一審の弁護人と現弁護団を比較すれば、現弁護団のほうが社会正義の実現を求めて弁護活動をしていると評価できます。
エントリーからズレたことで恐縮ですが、
春霞さんという方のブログで、本村さんの意見陳述を非難しておられました。
本村さんの意見陳述の内容に何か問題があったのでしょうか。そのブログで直接コメントすればよいのですが、法解釈みたいなことを羅列されても付いていけないので、どなたか易しく教えていただけないでしょうか。
たぶん・・こういう当たり前の話を聞いても
裁判を理解しない一般の人の多くはそらぞらしいこと
いってるとしか思わないんでしょうね。
自分の感性がつねに正しいといった人が多いようなので。
正しい側にいると信じて疑わない人に何かを説明するには
どうすればいいものかと思いますが根気よく
説明するしかないのでしょうね。
>No.1 素人 さん
法律はド素人ですが、単なる言葉の弄びと感じます。
春霞さんご自身が
>この陳述は、被害者の個人的な心情・意見を述べるものですから、「犯罪事実の認定のための証拠とすることができない」性質のものです。犯罪事実の認定の証拠とならないからこそ、かなり自由な陳述ができるのだともいえる
としている訳ですから、それ以降の議論自体に意味があるとは思えません。
例えば、
>明らかに日本刑法と一致しない発言なのですから、本村氏の「社会正義」とは、日本刑法を超越したものですから、被害者の立場からの発言ではなく、自分が立法府を超越したかのような立場での発言なのです。
の「超越」を見れば、いかにも本村氏の陳述が判決を左右するかのようなミスリードを起こさせようとしているのが見え見えです。本村氏の「犯罪事実の認定のための証拠とすることができない」意見が、日本国刑法と見解が違っただけです。
と素人ながらに思うのですが、いかがでしょう?
モトケン先生?
↓
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-575.html
本村氏の意見陳述は意見陳述の趣旨に反しているとも逸脱しているともずれているとも思いません。
トピずれですので、この話題はこの辺で終わりにしてください。
このエントリは、エントリの内容について考えていただきたいという思いが強いエントリですので。
「正義」とはつまり善悪の価値のことなわけで、
法曹というか、近代裁判制度というか、そういう文脈に
於ける「正義」と、大衆が漠然と持つ「正義」が
必ずしも一致するものではない、ということなんぢゃ?
モトケンさんご自身も「刑事司法における社会正義」と
記してゐるように。
そして前者の「正義」を自覚し得ない人々が居る、と。
で、その「刑事司法における社会正義」を、法曹が
後者の正義と区別なく(もちろんそう認識するのも理解
できますが)「被告人の主張を最大限に代弁することが
社会正義の実現に資する」のように言ってしまうから、
斯様な事態の出来を招くのではないでしょうかしら。
その責任が大衆と法曹のどっちにあるかは知りませんけど。
>No.5 ミ ´Å`彡 さん
>大衆が漠然と持つ「正義」
これの正体が明らかでないと論にならないのでは?
まず、大衆とは?
各個人の意識と、その集合体の意識が同じとは限らないから、その辺りから規定する必要が有りますね。
もし後者「大衆?の正義」が明確でないなら、法曹のプロとしては、それを引用することは許されないでしょうし。
> 例によって誤解を恐れずに言いますと、弁護人としては被告人の言い分が真実であっても嘘であっても、被告人の主張を最大限に代弁することが社会正義の実現に資することになるわけです。
上記の部分について誤解していたみたいですが、証拠収集中に、若し被告に取って都合の悪い証拠を弁護士が取得した場合、その証拠を裁判所に提出しないということは許されている事なのでしょうか?
>No.6 MultiSync さん
さうは思ひません。一般に「社会正義」と言われる
ものが、「刑事司法における社会正義」のみではない
ことは、さすがに認識してらっしゃるでしょうし、
この場合の「社会正義」はその当否に関係ないので。
一例を出してみます。ある人が、ある憎むべき凶悪犯罪
について、起訴され無罪が確定した後、または時効が
過ぎた後、「実は俺が犯人でした」と言って、自分が
犯人である明確な証拠を出したとする。
一事不再理だの時効だので、彼は裁かれることはない
ですよねえ? これは「刑事司法における社会正義」
でしょう? 彼を起訴したら大問題です。
であるにも関わらず、明確な犯人が裁かれずに逃れる
ことを、人々が良しとするでしょうか。辯護士さんで
あっても、これには釈然としないものを感じるのでは。
もしその犯人を、違法な難癖をつけて起訴したら、
多くの人は快哉を叫ぶでしょうが、辯護士さんは断乎、
この犯人が裁かれないことを主張するでしょう?
もちろん、社会や司法制度を組み込む上で、あるいは
法曹のプロが、「大衆」だの「正義」だのといった
曖昧なものを安易に依拠したり組み込んだりし難いことは
承知しますが、多くの国民は「刑事司法における社会正義」
とは別の次元で考えたり動いたりしてるのではないかと。
平たく言ってしまえば「バカ対策しとけよ」って話では
あるんですけども。
付記。
今回の今枝さんの件で言えば、「凶悪犯に辯護人なんて
つけるな」とか「辯護士どもはなんで凶悪犯の肩を
持つのだ」といった“義憤”を持ち、もっと言えば
今枝blogからここへのリンクを見つけて、なぜか
モトケンさんに説教を始めるような人々です。
彼等なんかも、主観的には“正義”を為してるんだと
思いますよ。その当否はともかく。
>No.7 imawamada さん
典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。
この場合でも、法廷で被告人が否認する以上、弁護人が法廷で「被告人は実は接見の際に私に自分が犯人であると認めております。」などということは許されません。
一般庶民感覚からは、これが社会正義に資するとは到底認められないと思いますが、ここには制度的保障または手続的保障の考えが働いてきており、弁護人は被告人に不利なことをしてはならないという1点において例外を認めることができないのです。
ここに例外を認めると制度全体、つまり制度としての社会正義の追及が崩壊してしまいます。
もう少しわかりやすく言うと、その事件では真犯人が罰せられるという社会的正義が貫かれるかもしれないが、他の事件で冤罪防止としう機能が働かなくなってしまいます。
また、証拠と言っても絶対的な証拠というものは稀にしかありません。
厳密に言えば、全ての証拠は100%信頼できるものではありません。
たとえ被告人の自供でもです。
弁護人は検察官に対立することによって社会正義の実現に寄与していることになるわけです。
やっぱりわかりにくいですね。
刑事司法について、いちばん説明がむずかしいところです。
刑事司法制度全体を理解しないと納得できないだろうと思います。
しかし、それは一般の人にはかなり無理な注文であることはわかります。
通りすがり@茶番劇さま、モトケンさま、
ご教示有難うございました。トピずれ分はお詫びして終わります。
>刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます。
分かりました。判決で正しい刑罰が決められ、それが正しく執行されることで、類似の犯罪の抑止にもつながり、社会正義が実現される、と理解しました。
理解はしましたけれども、日弁連のサイトにある「弁護士の使命」の解説は、バラ色と言うか玉虫色というか、この解説を普通の国語力で読んで、上のように理解しろと言うのは無理があると思えてなりません。
>モトケンさん
解説有難うごうざいました。
また、個人的な疑問なんですが、起訴後に弁護士が取得した証拠で、被告に取って不利な証拠を焼却しても「証拠隠滅」にならないと考えてよろしいのでしょうか?
どんな制度でも完全では有り得ないので、冤罪事件などで「社会正義」が守られなかった場合は、社会がフォローしていかなくてはならないのですね。
>No.9 ミ ´Å`彡 さん
趣旨がおおむね理解できました、私流に書くと。
てんでんばらばらな正義感らしき思い、そしてそれに基づく横槍に対策する技術が要りそうだ、となります。
それには表現のみならず、基になる思考も方向性を修正する必要が有りそうで難しい、と思いますがもちろん有ったほうが良いですね。
>被告に取って不利な証拠を焼却しても「証拠隠滅」にならないと考えてよろしいのでしょうか?
焼却はまずいです。
弁護人といえども焼却すれば「証拠隠滅」になります。
法廷に提出しないということと焼却は違います。
すこし難しく言うと、不作為と作為の違いです。
>No.11 素人さま
>理解はしましたけれども、日弁連のサイトにある「弁護士の使命」の解説は、バラ色と言うか玉虫色というか、この解説を普通の国語力で読んで、上のように理解しろと言うのは無理があると思えてなりません。
それは今までの法曹界が、原則全て同じ経歴基盤(司法試験&司法修習生)を持った人々の、小さくて狭い同質社会であったことに原因があります。
早い話が、法曹界の仲間内のスタンダードとしての「日本語」と、学校教育なり世間一般での「日本語」に、微妙なズレがあるということです。過去においてそのズレに一般人が気付くことも、気付く必要性もなかったのですが、今回の橋下弁護士の懲戒扇動騒動で一気に顕在化しました。
今回の騒動が無くても、いずれ2年後には裁判員制度が始まり、それまで法曹関係者のみで構成されていた法廷に6人の一般人が混じることになれば、こうした法曹界と世間一般とのズレは遅かれ早かれ問題となるところでした。その意味で今回の騒動が2年後の裁判員制度に向けて、法曹界がとるべき対策の良い検討材料になると思います。
証拠隠滅の項はプロの方に譲りますが
「「社会正義」が守られなかった場合は、社会がフォロー」の件は「社会」に期待するだけ無駄のような気がします。
一部志をった方もいらっしゃるかもしれませんが、大半はセンセーショナルな報道に幻惑され、一時の「ショー」的な見方しかしないでしょう。
また刑事裁判で広義の「社会正義」が達成されると期待してはいけないと素人なりに考えます。
原告、被告の真剣勝負で裁判官を唸らせた方が勝ちな訳ですから、義憤や大衆の価値観なんて一考だにされるわけもありません(検察側の口上として用いられることはあるかもしれませんが)。
マスコミが言う正義や義憤ほどやっかいで始末の悪いものは無いと個人的には思います。
>No.16 薬屋のIT さん
>刑事裁判で〜義憤や大衆の価値観なんて一考だにされるわけもありません
特にマスコミの謳うそれらの胡散臭さが抜けないと使えない、なのでは?
裁判の構成員も正義感や価値観は持っており、重要な基準と成っているはず。
「社会がフォロー」には立法措置や行政指導に国民が目を向け、パブリックコメントに参加し、マスコミに流されないこと。
特に、選挙に参加することが最短、最重要な手順。
その社会システムに現在はなっているので、使うべきです。
初めてコメントさせていただきます。宜しくお願いします。
「刑事弁護と社会正義」についてですけど、基本的に法曹界という業界のお話だと感じました。
しかし、2年後には民間人(私たち)が「殺人」「危険運転致死傷」「傷害致死」などを審議することになる。
今のままなら、それが現実です。
裁判官、検察官、弁護士。法律では、すべて独立した個人として判断される。ということですが、
現実には、検察官は検察庁の方針に、弁護士はボス弁の方針にと左右されています。
「公平な社会正義」だから。そんなこと言わずに、検察官はどんな方法をとっても被告人を追い込む。
弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。と宣言してしまえばわかり易い。
「刑事裁判は、有罪か無罪か。量刑は正当か不当か」だけと考えれば、民間人でもわかり易い。
求刑の2/3理論があるみたいです。求刑で15年とすると判決は10年程度。求刑で死刑とすると無期懲役。
これが業界の理論ですよね。だから、検察官は、無期懲役と思っても「死刑」を求刑したのです。
その理論は、被告人にも民間人にも通じない業界理論です。だから、もう民間人(国民に)言っちゃいましょう。
本音を!!そこから、裁判員制度が始まるのです。
光市事件で、第1審の弁護人が「無期懲役」で好としたのを。控訴審の弁護人が「無期懲役」でガッツポーズをとったのを。
問題は、メディアが少年法の無期懲役の期間理論を知ってしまったから、検察側は最高裁に上告せざるを得なかった。
「死刑廃止」アメリカみたいに「広く自助救済」できれば、終身刑という設定に結びつく。
そのが私の刑事裁判の感想です。すこし過激で申し訳ありません。
2/3理論というのは割引過ぎですが、有期懲役では判決の相場が求刑の8割というのはありそうです。あてにはなりませんけどね。
しかし、無期懲役と死刑の求刑は違います。
無期懲役と死刑の求刑については、検察は本気です。
>No.18 傍聴人 さん
>「公平な社会正義」だから。そんなこと言わずに、検察官はどんな方法をとっても被告人を追い込む。
>弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。と宣言してしまえばわかり易い。
数学なんかもそうなんですが、結局、ここにもよく出てくる「グレーゾーン」をどうするかに、手間・暇の大半を割かれるものです。
仰るように「わかり易く」すると、このグレーゾーンで矛盾が大噴出することになる訳です。
No.10 モトケン さんの
>刑事司法について、いちばん説明がむずかしいところです。
>刑事司法制度全体を理解しないと納得できないだろうと思います。
>しかし、それは一般の人にはかなり無理な注文であることはわかります。
というのは、このようなことも含んでいると、素人ながらに理解しております。
ここまでの流れで刑事側弁護人が被告の主張どおりに真実でない事も主張する必要があることは理解しているつもりですが、今回の事件で被害者の方が存命である場合は、まともに公判の行方を見守ることが出来たのだろうか…と思ってしまいます。
小職も性犯罪事件を傍聴する機会がありましたが、被告人弁護士の被害者に対する尋問は聞くに堪えないものでした。
法曹家が言う社会正義の実現のため、犯罪被害者が2重3重の苦しみを味わうことに疑問が無いわけではありません。
もっとも痴漢冤罪の話もありますので、一律に犯罪被害者=正義とは思いません。
従って刑事裁判とは別の形で、犯罪被害者が救済されるような仕組みは必要だと思います(今もあると言えばありますが)。
「刑事裁判=社会正義の実現=被害者救済」という幻想を小生を含む一般国民が抱いている限り、この手の論争は平行線のままだと思います。
>MultiSync さん
ご指導有難うございます。選挙権を頂戴してはや十数年、一度も棄権したことはありません。
>No.15 法務業の末席さま
丁寧な解説を有難うございました。モヤモヤしてたのが晴れた気がします。
今回の騒動も2年後に向けて、よい機会になりそうだということですね。悪態つかれてるメディアも、そこは一役かったとも言えそう。
私自身、光市事件の被告人は死刑で構わないとは思っていますし、弁護団の方針にも若干の不快感はあるのですが、ただ、弁護団に対する吊るし上げみたいな「空気」がちょっとなあ・・・
No.22 素人 さん
よかったですね。パチパチ(拍手)
>No.15 法務業の末席さん
>早い話が、法曹界の仲間内のスタンダードとしての「日本語」と、学校教育なり世間一般での「日本語」に、微妙なズレがあるということです。
いろんな学会も似たような小さな村ですね。数学で言えば、「距離」と言っても、一般の人の思う距離とはちょっと違います。こっちは逆に、世間一般より範囲が広くなります(一般の「距離」⊂数学の「距離」)。そこで、「距離」は「測度」から始まってね... と言っても、一般の人は「はぁ?」となる訳です。
下手な説明ですんません(^_^;)
とにかく、よかった。
モトケンさんコメントありがとうございます。
通りすがり@茶番劇 さん意見ありがとうございます。
有期刑でも本気でやっていただきたいと私は思います。
検察官も一人で多くの案件を抱えているようですので、それもありと思います。
しかし、司法修習生が過密で薄給な判事、検察官を進路とせず、どんどん都心の法律事務所に集中し、末は会計監査法人みたいになってしまうのでしょうか。
やっぱり本気「正義」も限界があり、私たち民間人が裁判員として借り出される。そして、裁判員の参加を理由に手間・暇を減らし迅速化ですか。そんなに民間人は拘束できませんからね。
そこで「社会正義」の名の基に裁判官は裁判員に意見を押し付けていただきたくないと思います。
わかり易くとは、「グレーゾーン」は、控訴審でしっかりやっていただきたい。と思うのは変でしょうか。
弁護士と検察が意見を戦わせる。
その結果、真実が明らかになり、裁判官が正義を実現する。
それは一種のフィクションですが、裁判の本質です。
要するに、最終的には「正義は勝つ」
そう思ってやるしかないでしょう。
人間は神様じゃないんですから、全ての真実を見抜けるわけじゃありません。
人間の出来る範囲のことを精一杯やることで真実に近づく。
それしかないでしょう。
刑事司法制度における裁判所の役割、検察官の役割、弁護士の役割に関するこのブログでのお話は大変参考になっております。
そういった皆様のお話を読みながら、自分が公判廷に被告人として立った場面を想像してみました。
そこにいたるまで警察官に取調べを受け、検察官のもとを経て、多々の調書を取られたりするのでしょう。
そしていざ公判となると、検察官から提出されようとする証拠には、自分にとって不利益な事実のみを証明するものだけが並んでいる。無理やり吐かされた自白が、さも任意の供述のように調書で出てくる。
逆に、利益となる事実の証拠・検察官の立てたストーリーに沿わない証拠が出されていない。。
こんなことが起こったら、しかも自分の主張を法律のプロとして代弁してくれる人間(現行制度上は弁護士資格を有する弁護人という人)がいなければ、法律の素人である自分は、どういう防御ができるのか、どういう請求が出来るのか等々がわからず、法律のプロたる検察官・裁判官に淡々と刑罰権の存在を確認されてしまうのだろうか。。
そう考えたら、空恐ろしくなってしまいました。
今後、裁判員制度が始まるなればなお一層とも感じました。
そういった観点から、法律のプロとしての代弁者たる弁護人弁護士は、何をすべきか・何をして欲しいかと思えば、私は被告人たる自分のために動いてくれることだと思います。
それは、自身が犯した罪に対する犯罪への反省・被害者への謝意とは別次元の問題であると思います。むしろ、反省はしている・謝罪の意思はあればこそ、そのような人は、(被害者の、国民の代弁者たる)検察官と対等の立場に置かれ、正々堂々と主張をし、全事情・事実を考量してもらって、公正な手続を経たうえうえでの裁判所の判断をいただきたい、いただくべきだと思いました。
それが全ての人間(犯罪を現に犯した者に限らず、将来起こす可能性は全ての人間にある以上は、全ての人間)に対して実現されている世の中が、社会正義の実現された世の中なのかなぁと。雑感になりすいません。
少し書き込み癖がついてしまったので失礼しますが、要は「正
義」ということでその内容として何を考えるのか、ということ
でしょう。
家主さんや法曹の方のいわれている「正義」とは「手続き的正
義」というもので、確かに論理的に精密に考えれば、法律など
ではこれが一番妥当で問題が起きないというのは確かだと思い
ます。
ただ「正義」についての哲学史などを紐解かれれば分かるとお
り、そういった「手続き的正義」しか「正義」が無いし、それ
以外の正義は誤りであるとは言えないのも確かでしょう。つま
り具体的な善や美徳と結びついた形での正義というのもありま
すし、現代の哲学や倫理学ではそういった「手続き的正義」の
みを「正義」とすることに反対する議論があるのも確かです。
で一般の人達はそういった正義を求めるのでしょうが、それが
実現できないと考えれば裁判に正義を求めるべきでないという
言い方が正しいのでしょうし、「手続き的正義」が実現される
のだというのであれば、裁判では正義が実現されるとも言え
る。
ですから「手続き的正義」以上のものを裁判に求めるのは誤り
でしょうが、同時に「手続き的正義」しか実現できないのだ、
という謙虚さを持つべきだということも確かだと思います。そ
こら辺の法の限界というのは専門家の方は当然十分自覚してお
られることとは思います。
もっとも皮肉なことですが、それこそ死刑廃止運動だとか、国
家への色々な補償、賠償を求める運動などに携わっている弁護
士の方達は、裁判にそういった「手続き的正義」以上のものを
求めるという点でパンピーと同じであるかに思えます。その
点で死刑廃止運動の方達がこの事件を取り上げるときの正義
についての考え方と、死刑を求める一般の人達が主張する正義
についての考え方は、「手続き的正義」以上のものを求めてい
るという点では共通していますね。
>典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。
凄く聞きにくい質問なのですが、こういった情報を知り得たとして弁護する時の弁護士の気持ちってどんななんだろう・・
あと、こういった犯人がもし再犯で弁護を依頼してきたらヤッパリ受けるのかな?
最も聞きにくい質問をしてあれですが、真犯人と分かっているのに弁護で無罪を勝ち取ったとして、他で警察が犯人が見つけた(実は冤罪)それはどうするんだろうか?
社会正義という言葉で思った事を・・・
私はここで公言しているとおり、某県警に勤める警察官、日々事件相手に仕事をしている野暮な一刑事です。
そんな職業にある私が、弁護士の先生が開設するブログで、しかも世間から集中的に非難を浴びている安田弁護士や今枝弁護士らの弁護に理解を示している事を奇妙に思われる方もおられると思います。
私自身、これまで仕事の中で弁護士の活動によって悔しい思いをした事や捜査を妨害された(と感じる)事も何度もありましたし、正直「弁護士がいなければ警察の仕事は楽になるのにな」と感じる事もなくはありません(モトケン先生すいません)。
しかし、それでも私が刑事弁護が日本の社会にとって必要だと主張する理由は、警察権力の持つ力の恐ろしさを自身の肌身で常に感じているからです。
様々な法による枷を嵌められているとはいえ、警察が国民の人権を制限する力は絶大です。
犯罪捜査の名の元に、我々警察官が必要であると判断し、裁判所からの令状を得る事が出来たならば、普通に暮らしている人の家屋にある朝突然上がり込み、プライバシーなどお構いなしに捜索を行い、逮捕すればたとえ本人が拒否したとしても強制的に手錠をかけ、身体の自由を奪う事が許されている、つまり日本国憲法に規定される基本的人権すら、一定の手続きを踏めば制限する事が可能な権限を警察は有しているのです。
私達はその力の使い方を誤らないように日々努力していますが、残念ながら警察も人間の作る組織である以上、絶対に過ちがないとは言い切れませんし、現実に明らかに間違った権限の行使が行われているのも事実です。
もしこの誤りを指摘し、不当に人権を制限されている人を救済する者がいなかったら、確かに警察の仕事は現在よりも遙かに容易なものになり、犯罪者にとっては住みにくい世の中になるでしょう。
しかしそれ以上に、国民にとってはいつ自身の人権が不当に侵害されるやもしれず、しかもその救済手段が存在しないという極めて危険な世界となるでしょう。
私はそんな世界になる事を望まないからこそ、我々の権限を監視し、誤った権限行使から国民を救済してくれる弁護士の存在を必要不可欠なものだと考えています。
警察、検察と弁護士と裁判所、この力のバランスがとれた状態でこそ、健全な社会正義が生まれると思います。
・・・と何だか力みすぎてよく分からない駄文になってしまいました、申し訳ありません。
ホントに自分の文章力のなさにあきれます。
うーん、「国家は絶対的正義なんて語れない」というのは
荒んだ見方なんでしょうかねえ。
どんな場合でも裁判で決まるのは「正義」などではなく
「双方の主張の妥当性」でしかないと思いますし、
司法制度やその理念にしても、それ自身が正義なのでは
なく、「公正な妥当性判断のルール」と、「そのルールの
貫徹」に過ぎないのではないかと思うのですが。
司法それ自身に“正義”はないなどと書くと怒られるかも
しれませんが、その命題と「大衆の言う『社会正義』は
多くの場合曖昧で恣意的」という命題は矛盾しないと思います。
上で周平さんの言うところの「手続き的正義」は、
それ自身が価値観を持たない以上、正否は言えても善悪は
言えない気がするのです。そして、だからこそ、「これ以上
遺族をを傷つけるのか」といった(誰にもある程度了承可能という意味での)「通俗的正義」に対しても優越を持つ
のではないかと思うのですがどうでしょう。
仮に司法が正義を為すとすれば、じゃあ法律を知らぬ者、
司法的価値観を共有し得ない者は、悪であったり不正義で
あったりするのか、という話にもなるんじゃないでしょうか。
本当に、なかなか有意義な意見がたくさんあり感動しています。
このエントリは誹謗中傷のないとてもいいコメントが多いですね。
昨夜(23日)の番組で、田原総一朗さんが「外宣車が十数台、自宅前に来たことがあるんですよ。年に2〜3回は警察署にお世話になります」と「ある意味、楽しんでます」これって、「覚悟」ですよね。
法曹界のみなさんも「覚悟が必要」なんでしょうね。
言葉の悪いH弁護士(大阪弁護士会)もTVに出るうちに、抗議、非難の殺到、いやがらの殺到、子供さんへも、しかし「覚悟を悟った」から、真正面からTVで発言している。最近は、少しトーンダウンしてますが。
「刑事裁判に社会正義」と信じて、裁判員に参加するということは、いくらプライバシーを守る。と言われても「情報はどこかで漏れる」これが事実。(判決に賛成票・反対票を投じたに区別されず)非難される。だから、これも「覚悟」が必要。
「社会正義」を貫くには覚悟が必要。これを、多くの法曹界の方が悟ったと思います。 駄文ですみません。
正義と正義がぶつかり合うこともあるのでしょう。
(少なくとも今枝弁護士のブログからは、彼が、彼の信じる社会正義の為に弁護活動を行っていると分かります。
私以外にも理解した“一般人”はいらっしゃると思います。
それだけでも、今枝弁護士がブログを開設された事は無駄ではなかったと思います。
心無い誹謗中傷のコメントが付けられた事は非常に気の毒に思います。)
(放置すると管理人の見識を問われかねないほど低レベルなので削除。
一般人ちゃん、これ以上厨房的あおりコメントを繰り返すとアク禁第1号になりますので注意しておきます。)
>No.34 一般人 さん
口を挟んですみません。
はじめは、司法試験が受かり、司法修習するときは、貴殿の言われる広範囲の社会正義を志としていたとおもいますが、現実、それでは食べていけないと感じてしまったのでしょうね。だから、「話題の事件弁護」「大企業の顧問弁護士」「刑事裁判の国選をせずに、民事裁判に転換。」負けてを、勝っても報酬がもらえる。和解でも報酬がもらえる。元検察幹部弁護士、元日弁連会長の弁護士が詐欺社長に法律家として詐欺にあう訳けないと思いますが。スペースありがとうございます。
今枝さんが情報発信したのは「公益」だと言っていたが、
笑ってしまうほど社会正義の使命を認識してるわけです。
「守秘義務」があり「説明義務はない」なら
さっさとブログは閉じるべきでしょう(笑)
法に固執するあまり、法律ヤクザの非常識集団に
転落しないように気を付けて下さいね(笑)
核心を突いた投稿が消されるのは不本意ですね。
それに根拠の無い煽りが多数確認されますが、
巡回してないんでしょうか。
むしろ根拠無く私や橋下さんを煽ってる事に
管理人や他の人が加担してる節もありますよ。
いかに公平性を示せるかは
管理人の裁量が問われる場面ですね。
No.32 傍聴人 さん
>「刑事裁判に社会正義」と信じて、裁判員に参加するということは、いくらプライバシーを守る。と言われても「情報はどこかで漏れる」これが事実。(判決に賛成票・反対票を投じたに区別されず)非難される。だから、これも「覚悟」が必要。
>「社会正義」を貫くには覚悟が必要。これを、多くの法曹界の方が悟ったと思います。
裁判員になったとき、田原さんと同様の被害にあうかもしれないわけです。
裁判員になられる国民にも、その「覚悟」が必要と悟られたわけですね。
もはや「傍聴人」ではいられません。
>No.27 日本人の一人さま
仰ることよくわかります。No.30の 感熱紙(刑)さまのコメントを見るにつけ、仰るような場面での弁護士さんの重要性は益々よく分かります。
それでもなお、類似の犯罪で新たな被害者が出るのを防ぐこと、そういう社会正義を実現することは「もっと重要」なことと考えてしまうのです。
期待しすぎなのでしょうか。
>素人 さん
具体的な再発防止策を考える前提として、本件の被告人が行った犯行はどういうものであり、被告人は何故そのような犯行を行ったのか、ということを明らかにしなければなりません。
差戻審以前においては、そのいずれも十分な審理がなされなかった可能性があります。
そして、既出ですが、再発防止のための司法の役割はそれほど大きなものではありません。
行政の責任のほうがはるかに大きいです。
モトケンさまの
を理解するために,傍聴人さまのを持ってくるなら,とても私にもわかりやすく理解できるのですが,弁護士は上記宣言をしてくれないのですよね。そこで弁護士が社会正義を実現する,真実を解き明かすと言うから,私には???となってしまうのです。
さすがモトケンさま,この例,とっても良いです。私の心のもやもやが取れる思いです。
この被告人を弁護する自体に社会正義は無いですよね。でも裁判所全体で社会正義を実現している。
それでいいのに,この被告人の弁護士が,私が真実を追求していると言うから,私は,カチンとくるのです。
今枝弁護士さまの例で見てみましょうか。先に別スレッドで紹介のあった,公判を傍聴し続けた記者の視点(彼が犯した新たな罪《光市母子殺害・番外》)の中で,
上記から言えば,それは間違いではなく,むしろそれが弁護士の仕事です。ここまでは問題ありません。え,これは,今回は,被告人の利益を最優先しなかったのでしょうか。次を見てみましょう。
それを言っちゃ駄目じゃないですか。弁護士が弁護活動に真実を追究しているとか社会正義を実現すると言うから,え,それが社会正義?となってしまうんだと思います。 被告人の利益を最優先にがんばってきましたと言うなら,信じますが。
裁判所において,
弁護士が被告人の利益を最優先にがんばること=真実を明らかにすること
なのかもしれませんが,私みたいな一般人では,モトケンさまの解説なしにそこまで読み取れないです。できれば,弁護士は,適当にカットされるマスコミに,真実を明らかにするためとか,社会正義のためにとかを言わないほうが,反感が少ないのではと思います。
>No.41 hatty(一般人) さん
>そこで弁護士が社会正義を実現する,真実を解き明かすと言うから,私には???となってしまうのです。
一つの切り口ですが、こういうずれが生じる原因の一つは、近代国家の司法における真実というものの考え方があるかと思います。
非法曹の方の多くは、真実という予め確定したものがあるという考え方にたたれていると思います。しかしながら、近代国家、特に英米法における司法の根底の考え方としては、真実は予め確定し存在するものではなく、適正手続、すなわち、当事者(刑事であれば、弁護士・検事)が主張・立証するプロセスにより初めて真実が明らかになる(しかもそれすら−再審等があるように−確定的なものではない)というものだと思います。
したがって、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きの中で、真実発見につながるという考えにたっていると思います。
弁護人が被告の利益のために最大限の努力をする。
というのは、被告人が不当に重すぎる量刑を受けないように働くと言うことでしょうか。
そして、被告人が不当に軽すぎる量刑(無罪を含む)を受けないようにするのは検察の仕事で弁護人は考慮しない。
と言うふうに感じられました。
もちろん社会正義のために法廷で完全な役割分担がされる必要があるのは理解できます。
でも感覚的にはついていけそうにないです。
そうはいっても、もし裁判員に指名されたら、踏ん切りをつけなければいけないんですね。
検察や弁護士のみなさんはどう心を納得させているのでしょうか。
No.43 cancan さん
刑事裁判に関われば、感覚的にも納得できるようになると思います。・・・多分。
目の前に必死の人(被告人ね)がいるから。
本物は説得力ありますよ。
ここで言葉だけで、人権だの正義だの言われても、
ピンと来なくて仕方がないと思います。
踏ん切りを付けるのは、裁判員になってからで十分だと思いますけどね。
ワタシは。
L.A.LAWさま
早速の返答ありがとうございます。
返答を呼んで,ますます以下のことを思いました。
弁護士が真実を明らかにするのではなく,裁判というシステムが,真実を
明らかにする。
したがって,弁護士自らが,私が真実を明らかにすると言うことには,
違和感があります(間接的には間違っていませんが)。
被告人の利益を最優先して被告人を守るまでなら,全然OKなのですが。
>No.45 hatty(一般人) さん
>したがって,弁護士自らが,私が真実を明らかにすると言うことには,
違和感があります(間接的には間違っていませんが)。
感覚の問題なのでなんですが、たとえば、検事が、真実を明らかにするといった場合も違和感があるのでしょうか(盾の両面で、同じ事になると思いますが)。
ちなみに、検察官は冒頭陳述において、「検察官が証拠により証明しようとする事実は以下のとおりです。」と前置きして犯行状況などの詳細を説明します。
もちろん、それ(冒頭陳述の内容)が【真実】だと【裁判所に向かって主張】しているわけです。
(二重投稿につき削除)
No.41 hatty(一般人) さん
お話の途中で、割り込むようで申し訳ありません。
あくまで推測ですが、今枝弁護士が「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と言っておられるのは、「事件のあった日に、現場で被告人がどういう行動をとったのか」を明らかにするために、ということをおっしゃりたいのかな、とおもっているのですが。
わたしは、被告人が主張しているような、スリーパーホールドがかかったようなかたちになった、というのが真実であったとしても殺意が否定されるとはおもいませんが、それが真実であるなら、馬乗りになって両手で首を絞めた、というのとは明らかに違っていますよね。
被告人が被害者を絞殺した、というのが真実であっても、その行動(殺害行為)が真実のものと食い違っているならば、真実は明らかにはなっていないことになるわけで、そういう意味では、弁護側が「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と主張していることになんの間違いもないとおもうのですが。
モトケン様
二重投稿になってしまって、申し訳ありません。
48の方を、削除お願い致します。
>No.38 M.T.さん
私は、近年のウイニーよる情報漏洩も一部のマスコミの過度取材も起こりうると思います。裁判所に出入りする関係者をチェックして取材源にされます。今までも、そんな記事がいっぱいあった。
アメリカの陪審員制でも一定期間、特別な場所に拘束されるのです。その方たちが、絶対、話さなかったですか。
それにくらげれば、今の最高裁判所のHPには、義務(罰則)はあるが、しかし、「保護の部分」は明確でありません。
今の制度のままならを前提にしていまが、
「覚悟」は必要だと思います。私は「覚悟」しています。
私は以下のように理解しています(誤りも多々あるかもしれませんが。No.30 感熱紙(刑)さまと同じようなことかもしれませんが)
「裁判というシステムの中で、弁護人が与えられた役割を果たすことがバランスのとれたシステムの機能に必要不可欠である。その役割は、被告人の利益を最優先して被告人を守ることである。」
ですので、上であれば、
・弁護士がその役割それ自身
・システムのバランサーであってシステムが機能を発揮する(社会正義の実現)に必要不可欠である
というように言われれば違和感がないのですが。
>したがって、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きの中で、真実発見につながるという考えにたっていると思います。
ですが、No.42 L.A.LAW さんのコメントのように書かれると?となります。
例えば、事故原因調査のようなものでは、「弁護士」に相当するようなポジションは無いのではないかと思いますが、それが無くても事故原因という真相に効率よく肉薄できていると思うのですが。
立証責任を有する検察側の証拠・論点に対して、被告側の立場からのチェッカーとして適切に過ちをチェックするならば、真相?に近づけるようになるというのであれば分からないでもないのですが。
L.A.LAW さま
> 感覚の問題なのでなんですが、
確かに,感覚,言葉の捕らえ方かもしれません。言葉とは難しい。
> たとえば、検事が、真実を明らかにするといった場合も違和感があるのでしょうか
このプログを読む前ならいざ知らず,今でははっきりと違和感があります。
モトケンさま
>それ(冒頭陳述の内容)が【真実】だと【裁判所に向かって主張】しているわけです。
言葉の捕らえ方なんでしょうけど,「(本当の)真実」と「真実だと主張する」ことは違う感覚なんです。検察が真実だと主張し,弁護士がいやいやこれが真実だと主張し,本当の真実が明らかになるのではないでしょうか。
青空さま
私の感覚では,それは今枝弁護士の(真実だと思っている)主張なんです。
今枝弁護士の主張が裁判所でもまれて,真実に到着するのだと思います。それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。
>hatty(一般人) さん
>それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。
「真実だ」と言い切ったほうが(一般大衆に対しても)説得力がある、と弁護団は思っているのでしょうけど、その認識が誤りだったということでしょうね。
ちなみにプロの裁判官は主張だということがはっきり分かっていますので、どういう言い方をしようが裁判官に対する説得力には大差ありません。
>>それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。
>「真実だ」と言い切ったほうが(一般大衆に対しても)説得力がある、と弁護団は思っているのでしょうけど、その認識が誤りだったということでしょうね。
一般の文章などで「真実だ」と言い切ってしまうと、「その証拠はあるのだろう」と受け止められますし、その後の論旨などが十分でなければ「この人(会社)はそんな程度で「真実だ」と言うのだ」と不信感すら買うことになります。
「真実だ」とか「明白だ」といった用語を比較的「軽く」使っているような印象を受け、それが「弁護団に対する不信感」を生むといった要素もあるように感じます。
法廷では当然なのかもしれませんが、世間的な用法と違い、すれ違いを生む原因の一つかもしれません。感覚とか言葉の問題の範疇かもしれませんが。
>No.40 モトケン さま
素人の素朴な疑問に答えていただき、有難うございました。
>行政の責任のほうがはるかに大きいです。
その行政が再発防止の責任を果たしているかどうかについても、行政と相対する人なり組織が監視していて、不十分なら是正させる仕組みがあれば、より一層安心して暮らせる社会に近づく気がしました。
素人の感想ですので、的外れでしたらご容赦ください。
>No.51 傍聴人 さんのコメント
それにくらげれば、今の最高裁判所のHPには、義務(罰則)はあるが、しかし、「保護の部分」は明確でありません。
今の制度のままならを前提にしていまが、
「覚悟」は必要だと思います。私は「覚悟」しています。
あなたは立派です。
私は日本の警察が裁判員一人一人をアメリカ並みに保護してくれると信用することができません。
ちなみに、私の事務所は拘置所の近くにありますが、拘置所の収監者を力づけるためらしく、もの凄い音量で街宣車が通ります。付近住民の苦痛ははかりしれませんが、警察は何もしてくれません(派出所の警察官も見て見ぬふり)。
私には「覚悟」ができそうもありませんので、私が仮に裁判員になれるとしたら、なんとしても裁判員に選任されないよう頑張りますね。
>No.52 北風 さん
> 例えば、事故原因調査のようなものでは、「弁護士」に相当するようなポジションは無いのではないかと思いますが、それが無くても事故原因という真相に効率よく肉薄できていると思うのですが。
システム的には、裁判についても、上記のような言わば、職権的な手続きにする選択肢はあります。
しかし、憲法31条は、「 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」としていますが、ここにいう「法律の定める手続」というのは、単に手続きを法律で定めただけではなく、法律で、定められた手続が適正でなければならないことも、含むとされています。そして、ここにいう適正とは、英米法に言うデュープロセスで、いろいろな内容を含みますが、すくなくとも公権力が国民に刑罰その他の不利益を課す場合には、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないという内容が含まれます。
「その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」、すなわち、刑事手続きにおいては、現在のようなシステムをとることが定められています。
>No.57 M.T. さんのコメント
街宣車については、私の職場は特殊ですから、1ヶ月に5、6回来ます。少し、慣れてしまったかもしてませんが、従業員は平然と仕事を続けています。
お陰と嫌がらせをする団体ではないようで、30分程度放置しておきますと引き上げていきます。その意味でも「傍聴人」といわれるんです。
基本的に何をやるにもリスクを伴うものであれば「覚悟」が必要だと思ってます。
すすんで「裁判員」をやりたいとは思いませんが、辞退する理由がないので「覚悟」していると言うことです。いけませんか? 法曹界の方は、回避できる可能性はあると思いますが。