エントリ

 今日のスーパーモーニングで、女性司会者(名前は忘れた)が、いまだに弁護団の弁護方針と死刑廃止論を結びつけているのにあきれた。

 死刑廃止論というのは、どんな極悪非道、残虐無比、人非人の被告人が数百人を犯しまくって殺しまくったとしても死刑には処すべきではないという考え。
 つまり、制度、刑罰としての死刑否定論のこと。

 しかし、光市弁護団の主張は、殺意を否認してせいぜい傷害致死だという主張なのであるから、その事実主張を前提にすれば被告人は現行法においても死刑にすることができないという主張なのであって、死刑廃止論が問題になる余地のない主張なのです。

 要するに、あの女性司会者は、死刑廃止論のなんたるかを理解せず、当然弁護団の主張と死刑廃止論との関係もわからず、そもそも「論」というものを理解していない不勉強の極みの人間と言わざるを得ない。
 こんな不勉強者が大きな顔をして司会をしているところが、今のワイドショーのレベル。

 誰か教えてやる奴はおらんのかな。

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コメント(127)

スーパーモーニングと言う名のバラエティー番組で司会者役のコメディアンが笑い話を披露したことについて、内容がおかしいと言う批判は失当です。笑い話がおかしいのは当たり前の話です。

管理人から
 携帯からの投稿でしょうか?
 携帯からの投稿の場合、文字化けするようです。
 文字化けを直す手間が必要だったか「?」のコメントですが。

 私も見ていました。
 本当にびっくり。

 隣の男性司会者(山口さん?)が、それを聞いてびっくりした顔をしていたのが印象的でした。

 他にも弁護団を人格攻撃していた女性コメンテーターがいましたね。
 (まあ、これからはこの番組は見ないようにしよう。)

まあ安田弁護士が国内の死刑廃止論者の中でも最も精力的に活動されている(ように見える)からなのでしょうが、単なる印象論なのか、やっぱり刑事裁判の仕組みを理解していないのか、マスコミのレベルの低さを物語ってますねぇ。
ただ個人的には、この裁判が将来死刑廃止論者に「司法官憲が厳罰化という政治的意図を持って強権的に死刑を執行した」事例として喧伝されてしまう可能性が高いと考えています。
実際に某弁護士先生のブログなどでは、本件について検察と裁判所が死刑判決のハードルを下げ、少年事件の厳罰化を企図しているのだとしている人がかなり散見されます。

そもそもただのボランティアで21人も
集まるわけ無いでしょうに。
その裏にどんな思惑があるかなんて
誰も分からないし、疑惑が浮上するのは
当然でしょう。
てかこれって少年が死刑になるかどうかの
ギリギリの事件で、そこを防がないと
嫌な前例が出来てしまうから
何とか阻止してるんでしょ?

ワイドショーは完全に主要視聴者に迎合する番組で、番組内容も視聴者の意向が強く反映されます。
主だった視聴者層(F2層)の理解度は番組内容と同レベルと考えられます。
司会者のコメントも番組上「言わせている」ものが多いので一概に不勉強とは言えないですが、M.T.さんのお話から(弁護団への人格否定コメント)すると不勉強なんでしょうね。人生の。

 弁護団の人数をあげつらって非難する人たちは、差し戻し審が4ヶ月で実質審理終了にこぎつけたことはぜんぜん評価しないんですよね。

 21人弁護人がいたって、他の仕事もあることや脳みそは交換できないことを考えると、よほど精力的にやらないと集中審理を乗り切るのはかなり厳しいと思うのですが。

>bg さん

 とすると、No.1 sci98 さんのコメントは正しいことになるんでしょうね。
 とすると、番組のタイトルをもっとわかりやすく変えて欲しいですね。

ザッピング中にたまたまこのシーンを見ました。
この女性司会者はおそらく自分の目で見て耳で聞いて、自分で考える事が出来ないのだろうと思いました。
弁護団が「死刑廃止」を唱えているのは、私はただの一度も聞いた事がありません(とは言っても、これはテレビで放送されたシーンやブログなどでの発言だけしか知りませんが)。

弁護団結成時に、「死刑廃止に利用している」というコメンテーターの意見がどこかであった事は憶えています。
それがいわゆる「通説」になってしまったのではないでしょうか。何の検証をする事も無くテレビの司会者として発言する事がミスリードになる事を知らなさすぎると思います。
確か弁護士の方が「刑事弁護について」少し話されようとした時に寸止めされちゃったように見受けましたが…。
コメンテーターの立場も弱いものだと感じました。

FYI
http://www.tv-asahi.co.jp/morning/

(なんか昨日からURL貼ってばっか)

裁判の争点が死刑廃止論か否かの判断になるんですか?

No.3 感熱紙(刑) さん

>実際に某弁護士先生のブログなどでは、本件について検察と裁判所が死刑判決のハードルを下げ、少年事件の厳罰化を企図しているのだとしている人がかなり散見されます。

こういう陰謀論を喧伝することも死刑廃止運動ですよね。

例えばこの人とか↓

彼らは被害者の気持ちを前面に打ち出して被告人を死刑にするという政治的目的を実現しようとしているだけです。

結局、この裁判も死刑廃止運動の一環ですよ。韓国の新聞でインタビューに答えていた時も、政治があてにならないから、死刑求刑裁判で死刑判決を出させないことを、当面の目標にしているとかなんとか言ってましたよ。弁護方針を決める弁護団のリーダーが死刑廃止運動をやってるんだから、わざわざ弁護団内で明確な合意もいらないし、全員が死刑廃止論者である必要もないでしょう。

>No.10 aho さん

>結局、この裁判も死刑廃止運動の一環ですよ。

 そういう言い方をすると、死刑廃止論の意義がとめどもなく拡散して議論の体をなさなくなります。

 そして、レッテル貼りが横行します。

 もしも弁護団が死刑判決の回避に成功し、その上で被告人に一生をかけて真摯に反省・贖罪させ、何十年後かに本村さんに「あの時、被告人が死刑にならずに済んで良かったと今は思う」と言ってもらえたりしたら、今回の弁護団の弁護は結果的に死刑廃止に役立つかも…という気もします。そうなる可能性は万に一つも無いと思いますけど。

No.11 モトケン さん

どこで線引きするかですよね。

日弁連が死刑の執行をやめろと言ってるわけですから、弁護士のみなさんは、宿命的に死刑廃止運動
をやってるとも言えますし。

ロシアには死刑がないんでしょうか。何十人も殺して終身刑みたいなニュースを見ましたが、あれは意外でした。

http://www.j-cast.com/tv/2007/09/28011738.html
の記事の中で気になったんですが、

>弁護士の石丸幸人が「民事では、今や電話会議は当り前になってます」
>本当の被害者遺族である本村洋さんが、取材に対し「懲戒請求していただいて、感謝の気持ちを持っています」と、言葉少なに語ったのが印象に残った。

この事実確認(どちらも初見です)はどうなんですかね?判断材料にしたいのでわかっている方がいらっしゃれば、ご享受下さい。

>aa さん

>「民事では、今や電話会議は当り前になってます」

 そう考えていいと思います。
 ですから、私も原告側が電話会議について橋下弁護士を批判したことには同意しません。

>「懲戒請求していただいて、感謝の気持ちを持っています」

 スーパーモーニングでそのように語る本村さんが放映されていたと記憶しています。

no.14 aaさん

民事訴訟法170条3項にも「音声の送受信により同時に通話をすることができる方法によって、弁論準備手続きを行うことができる」とありますから当然できますし、携帯電話を使えばどこでもできるので日常的にに使われているらしいです。

死刑についてちょっとだけ。

死刑を廃止するのは、今の世界の流れのようですが、一つには、宗教の問題があると思います。

キリスト教を例に取りますと、どんな理由があっても、人の命を取ってはいけないと教えているらしいので、最後は、殺人犯は神の手によって、罰せられるだろうという事かも知れません。

だから、人間社会の法の裁きで全部を済ませなくてもいいという事でしょうか。

しかし、日本は基本的に無神論者の国です。法律による刑罰でしか、応報感情のバランスを取ることが出来ないので、殺人犯の場合ですと、最終的な拳の振り下ろしどころは「死刑」という事で納得させるしかないと無意識に思っているような気がします。

二代目一般人さん

冤罪の危険性というのもあるのではないでしょうか。
死刑を適応した後に冤罪だとわかっても無意味なわけです。取り調べも裁判も人間が行う以上間違いはありますから最悪の事態を避けるためにも、取り返しのつかない死刑を適応しない方向に向かうのかもしれません。

日本は、死刑を廃止した最初の国だと、どこかで読んだことがあります。
大昔の話でしょうけれど。
昔はどこの国でも死罪があるのは当たり前だったと思いますが、
日本で廃止されていたのは、仏教思想からでしょうか?

No.19 たぬきのポン太郎 さん

確かに、平安時代、武士の台頭まで死刑執行は停止されていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91#.E5.B9.B3.E5.AE.89.E6.99.82.E4.BB.A3
無論中央政界の力が及ぶ範囲のみです。
人道上ではなく宗教上の理由が主ですね。

死刑を廃止した最初の国ではなく、ある程度まとまった期間(約350年)死刑が停止された例として考えるのがよさそうです。

モトケンさんの冒頭言のうち、ワイドショーが低次元であるとの嘆息には同意した上で、2点ほど。

1 日弁連、弁護士会は、「死刑廃止」という言葉こそ直接には使っていないものの、「死刑執行停止法」の早期制定を強く訴えている。「誤判防止のための制度改革」が不十分であることを理由に、死刑の執行は許されないと主張している。実際、死刑が執行される度に、日弁連や弁護士会の会長が抗議声明を発している。
 しかし、弁護士の方は、同時に、「誤判を完全になくすことはできない」とも仰る。つまり、今後、どのような「制度改革」がなされたとしても、「誤判の確率は完全にはなくなっていない」ということを理由に「死刑の執行は許されない」との主張が維持されることは容易に予想されるところであり、すると、日弁連の主張は、実質的には、死刑廃止論に限りなく近いものと思われる。
 そして、日弁連は弁護士全員が加入する団体であることからすると、弁護士の全員ではないにせよ、その多数派は「実質的な死刑廃止論者」と位置づけられるのではないか。

2 弁護人は、死刑求刑の事案における弁論や、死刑判決に対する上訴理由として、「死刑は残虐な刑罰であり憲法に違反する」との主張を展開することが多いようである(判決文には、その主張を排斥する下りが毎度の如く現れている)。これは、正に「制度、刑罰としての死刑否定論」そのものではないのか。
 光市事件の最高裁弁論で、「仮に傷害致死でなく殺人と認定されたとしても、死刑は憲法違反だから許されない」との主張は全くなされていないのだろうか。また、差戻審で死刑判決が出た場合、そのような上告理由は付さないのだろうか。

決して死刑廃止論自体を批判したいわけではありませんが、日弁連にしても今回の弁護団の主張にしても、「死刑廃止論とは関係ありませんよ、切り離して考えてね」とまで言えるのか、大変疑問に感じているわけであります。

> 学生その1 さんへ
> 冤罪の危険性というのもあるのではないでしょうか。

申し訳ないです。ぼくが書いたコメントの最後の段落の部分で、応報感情は死刑でしか納得させる事が出来ない、と読めたのかも知れませんね。稚拙な文で面目ないです。

別のところでも、書いたのですが、ぼくはただのペンキ屋で法律に関係する仕事も勉強もした事がありません。出来るだけ不用意な事は書かないようにしていますが、おかしいところがありましたら、注意して下さい。よろしくお願い致します。

ぼくが言いたかったのは、先進国で死刑を存続させているのは、日本とアメリカの一部の州という現実は、日本に限って言えば、宗教で解決させるという方向が見出せないので、法律による「死刑」でしか、国民の応報感情は、納得出来ないのかも知れません、という意味だったんですね。

ですから、例えば『附属池田小事件』の宅間守が死刑にならなくても、キリスト教国ならば、宗教の中で応報感情というのは、収まるんじゃないのかなあ、という事なんです。違うかも知れません。ただの印象なものですから。

少し補足しますと、死刑廃止というのは、世界の流れで、日本でもそれを主張する人が居てもいいですし、法律のプロになればなるほど、その傾向は強いと思っています。

死刑に抑止力があるとは思いませんし、間違って無罪の人を執行してしまった場合、取り返しがつかないという事も、学生その1 さんと同意見で、大いに賛成致します。

プロの弁護士の方々が、死刑廃止の活動をするのも、専門家の視点でいえば当然だと思いますし、各方面での働きかけなども沢山あると聞いています。

シンポジウムをやったり、講演をやったり、弁護士出身の国会議員に働きかけて、法制審議会にかけてもらったりしていますよね。

そういう活動の一つとして、それぞれの死刑が予想される事件で、死刑を避けるための弁護をするというのは、非常に有意義だと思っています。

>二代目一般人さん

すみません。私が言いたかったのは、先ほどの二代目一般人さんのコメントに同意した上で、世界の潮流が死刑廃止にいくのは「冤罪の危険性という要素」もあるのではないかな、ということでした。
ですので申し訳なく思わないでください。非常に多面的に考えてらっしゃることが伝わってきますし、すごく勉強になります。

ちなみに、私はイレギュラーな「学生」ですが工学部ですので法律専門職についたことはないです。ですので間違ったことを多々発信すると思いますが、そこはモトケンさんをはじめとする弁護士方につっこみを期待しておきます。

「死刑廃止運動に利用している!」という言説を私がテレビで最初に目にしたのは『ウェークアップ!』で、司会の辛坊さんがこの話題の最後の〆で「裁判を死刑廃止運動に利用するな!」とカメラに向かってほえてCMに行きました。辛坊さんは日テレ朝のニュースで解説してますし、一応「知識人」でしょう。


同じ辛坊さんが司会の『たかじん・・』は私自身テレビでは見れませんが、さんざん「死刑廃止運動に利用している」とやってるようですね。


この前、テレ朝の『ワイドスクランブル』では、司会者の大和田さんが「死刑廃止論はあっていいのだけど、訴えるならこの裁判の中じゃなくて外でやってほしいです」みたいなことを言ってました。同席していた八代弁護士もうなづいてました。


八代弁護士は他のところでも、自分からは積極的に言わないですが、「死刑廃止運動に利用している!」言説に「そう見えてしまいますよね」みたいなことを言って迎合していました(空気を読める方なのでしょう)。


テレ朝『報道ステーション』の古舘さんは、「弁護団はこの裁判を、被告を利用していると思えてなりません」みたいなことを言った翌日、「この裁判と被告を利用している弁護団」と断言していました。


私がたまたま見た番組だけで、何度も何度も(↑の例は私の見た中のほんの数例です)こういう話が無根拠に繰り返し垂れ流されてます(日テレ『スッキリ!!』やTBS『ピンポン!』(司会の福沢さんは煽り屋です)あたりでも)。みのもんたさんの事件報道は酷いですが、「死刑廃止運動に利用している!」系の言説を飛ばしているのは私自身は見たことありません。


もちろん、「」内は私の記憶ですので正確かどうかはわかりません。


あと、私個人の考えとしては、弁護士個人に目の前の依頼者の利益以外に<も>目的や使命感があったとしても、ちゃんと依頼者のために仕事をしていれば文句を言われる筋合いはないかと。他に<も>目的があるということと、他の目的のため(だけ)に「利用」することは違いますよね。「死刑廃止運動に利用している!」系のことを言う方々は「死刑廃止運動のためだけに利用していて、ちゃんと仕事をしていない」と言いたいのでしょうけど。


ちなみに、↓の方が書いているように、この事件・裁判・被告は死刑廃止運動に都合よく利用できる性質のものではないですよね。ちょっと考えれば、このくらいのこと誰にでもわかるような気がするのですけど。


弁護団は事件(被告)を利用しているのか?
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070703115307/index.html


>No.20 bg さん

ありがとうございました。
死刑廃止ではなく、停止だったんですね。
やはり宗教的な理由のようですね。

私は死刑廃止も存置も積極的な意見はないんですけれど、
ただ、迷信深いので、死刑囚がじゅうぶん納得した上で刑を受けないと、
成仏しないで地縛霊とか浮遊霊になって、取り憑いて悪さしたりとか、
そういうことが絶対に無いと言い切れるのか、と少し心配です。
たぬきゆえの取り越し苦労でしょうね。。

弁護団の中で誰々が死刑廃止論者なのかすら把握できません。
死刑廃止論の議論になることがないので。

もし仮に、死刑を廃止したいのであれば、立法論的な運動をやるのが筋だと思います。

逆に、この事件の弁護をなし、死刑適用の範囲拡大を阻止しようとしているのであれば、それは、今後も死刑の法制度が存続していくことを前提としているのであり、死刑廃止運動と関連性がないと言えるようにも思えます。

私などは、キリスト教国でなく、死んで責任をとるという美学を持っていた日本人が、国民的合意により、死刑を廃止することはできないししないであろうし、死刑制度がずっと存置されるであろうからこそ、本件の事実認定と量刑について防御活動を行っているつもりです。

ていうか、死刑の是非がテーマになった討論番組とかだと
ほぼ必ず本村さんが出席して意見を述べるんだが(当然死刑存置)、
どう考えてもそっちのほうが事件の政治利用だと思うんだけどなあ。
まあこの場合利用しているのは本村さんではなくてメディアだし、
そもそも政治利用しているからといってそれ自体を悪いとは思わないんだけどね。

ただし、被害者側のそれはすべて善意からきており、加害者側(弁護側)のそれはすべて悪意からきているとみなす「世間」様はなんなんだろうと思った。

たとえばメディアががんがん流す検察側が主張する「殺害状況」については何も言わないのに、弁護側が会見で発表した「殺害状況」には被害者を傷つけるからと言って非難するのはどうなんだ。

根拠についてはどっちもどっち。一方が主張されるのは内容が好みに合うから認めるが、もう一方は内容が気に食わないからという理由で主張することすら許さないというのはあんまりだ。

わたしはこの安田氏のコメントを見て、逆に、この裁判(死刑廃止のなんらかの形に)をこの人、利用しているんじゃないかと疑ってしまいました、けど。

これは、私の直観でしかないですけどね。この人嘘ついてるな、みたいな。
【安田好弘】#1 【光市母子殺害事件】法医鑑定書
http://jp.youtube.com/watch?v=6lRm3zdRq3c&mode=related&search=

私は死刑廃止論者ではありませんが、

無期の判決に検察官が死刑を求めて上訴できる制度はいかがかな、とは思っています。

先進国で死刑を存置するのは日本とアメリカ諸州の一部ですが、アメリカ諸州では、陪審員の評決により裁判所がなした量刑に、検察官が死刑を求めて上訴できない、と聞いたことがあります。

つまり、無期の判決に検察官が死刑を求めて上訴できるのは先進国では日本くらい、ということらしいです。

なお、広島女児殺害事件(ペルー人の被告人)のときに聞いた話ですが、日本は、死刑というような野蛮な制度を有しているということで、犯罪人引渡条約を締結してもらえないということでした。

といいますか、なぜそんなに、死刑廃止に利用してるとかなんとかが
大騒ぎになるのかいまだに不思議です。。
弁護人は、被告人の弁護ができていればよいのではないでしょうか。
それが、「被告人の利益を著しく損なっている!」という批判ならわかりますけれど。
反対に、ネコロナさんがおっしゃるように、権力側がマスコミを使って、
死刑拡大や厳罰化のキャンペーンをやっているのは明らかでしょう。
世の中に怒りや不安が充満するほうが、支配者が支配しやすいからと思いますが。

死刑廃止運動に利用したら駄目でしょ。
弁護士の見識が問われますよ。

しかも死刑廃止なんてまずありえない。
10人20人殺した加害者が生き続ける価値は無い。
そこまで人の命は重くない。

>No.31 一般人 さん

>死刑廃止運動に利用したら駄目でしょ。


なぜ駄目なんですか?

弁護団が死刑廃止運動をやってるかどうかはともかく、
本村氏、マスコミ、「一般人」を名乗る人々はこの事件を利用して
刑事罰の厳罰化運動をやっています。
たとえば上の一般人様のコメントはこの事件を利用して死刑存置論を主張しています。
彼らはこのようなダブルスタンダードにどうして気づかないのでしょうか。

たぬきのポン太郎 さん

>なぜ駄目なんですか?

当たり前じゃないですか。
裁判は死刑廃止運動を繰り広げる場ではなく、
被告を弁護する場ですよ。
もし問題無いと思うなら堂々と世間に死刑廃止運動だと
発表してみてください。
面白い反応が得られるでしょう。

pon さん
>たとえば上の一般人様のコメントはこの事件を利用して死刑存置論を主張しています。

はい?どこのコメントが「この事件」に関する部分でしたか?

>No.33 pon さん

>彼らはこのようなダブルスタンダードにどうして気づかないのでしょうか。

確信犯でしょう。
自分たちが事件を厳罰化に利用していることを隠蔽するための
陽動作戦ではないかと。

弁護団が死刑廃止のために事件を利用してるなんて、
なんでそんなトンデモが流布してるんだろうと思いましたが、
自分たちのほうが事件を厳罰化に利用しているからに他ならないでしょう。
痛い腹を見せるという、捨て身の作戦ではありますが。

※本村さんも利用されてるクチだと思います。
「印籠」がわり。国家権力は表に出て来ず。

>No.34 一般人 さん

>裁判は死刑廃止運動を繰り広げる場ではなく、
>被告を弁護する場ですよ。

弁護団は裁判で死刑廃止運動を繰り広げましたか?
被告を弁護しませんでしたか?

たぬきのポン太郎 さん
論点のすり替えですか?
貴方が自分でした質問をもう100回読み直してください。

私は弁護団が死刑廃止運動のために利用しているとは思いません。人の内心は見えないのではっきりわからないですが、少なくとも現状の弁護団の行動からはそうではないといえるはずです。

しかし、総理大臣の靖国神社参拝訴訟や国家情報漏洩訴訟なんかでは「社会運動のために裁判を利用している!!」なんて話は聞いたことないのです。
やはりマスコミ次第でしょうか?

素朴な疑問にお答え頂き、ありがとうございます。

>本当の被害者遺族である本村洋さんが、取材に対し「懲戒請求していただいて、感謝の気持ちを持っています」と、言葉少なに語ったのが印象に残った。

が報道のバイアスにかかってなくて、(前後が無く)真実だとしたら、かなりの問題発言な気がしますが、どうなんですかね?少し腑に落ちませんが、第三者は口を挟めない発言かもしれないので、そっとしておきます。

あと、
>犯罪人引渡条約を締結してもらえない
というのは興味深いです。世界と日本の処罰の比較なんかがあるとありがたいのですが、自分で探せって感じですかね(笑)

というのも、凄く勉強になるのですが、体系的な知識もある程度がないと、底まで理解することが難しいなと痛感しております。多分、この件に関して興味のある人ほとんどが、裁判について書物を一冊読み切る程の興味はないけど、なんだか語りたい、というレベルの人が多い気がしますので(自分も含めて・笑)、そういう「まとめ」なんかをエントリーしてもらえればありがたいですが、いかがですか?はっきりいいますが、ほとんどの人間は知らないです(笑)

議論の最中すみませんが、多分需要は多いと思います!

>No.37 一般人 さん

少し整理します。
No.30で私は、被告人の弁護ができていれば、事件を死刑廃止論に利用してもいいのではと言いました。
それを受けて一般人さんはNo.31で「死刑廃止運動に利用しちゃ駄目でしょ」とおっしゃいました。
それで私はNo.32で、「なぜ駄目なんですか?」とお聞きしました。
当然その含みは、被告人の弁護ができていればいいのでは?ということですよね?
それに対して一般人さんはNo.34で、「裁判は死刑廃止運動を繰り広げる場ではなく、
被告を弁護する場ですよ。」とおっしゃいました。
ならば被告人を弁護できていればいいのではないですか?とお聞きしたかったのですが、
その前提として、私はNo.36で、「(弁護団は)被告を弁護しませんでしたか?」と確認しました。
「弁護団は裁判で死刑廃止運動を繰り広げましたか?」は、ついでの質問でした。
趣旨が不明確で申し訳ありませんでした。
そういうことですので一般人さん、よろしかったらNo.36の私の質問にお答えください。


この期に及んで、教える必要はないでしょう。

懲戒請求して痛い目に逢えば分かりますから。
弁護士会と弁護団はいい迷惑で、被告人は権利を享受できませんがね。

橋下さんには責任はきちんと取ってもらいましょう。

いっしょに騒いだ人も責任転嫁すべきではありませんのできちんと「自己責任」を果たしてもらいましょう。

すみません。先ほどの自分のコメント、私なりに少し訂正します。

死刑廃止運動云々は別にしても、弁護士が、何かの社会的な表明の為に、この裁判を利用しているのではないか、という疑いがやはり残ってしまいます。自分の名誉の為なのか、何なのかはわかりませんが。

被告をかばうことが当然の義務であっても、事実をねつぞうしてまでそれを行っているのではないか、という疑問をどうしても持ってしまう。

その方法が 結果として被告を弁護出来ていないから、怒っている人も多いのではないかと思います。

昔、板坂元さんの「日本人の論理構造」か何かの本で、日本人は直観力に富んでいる為、知らず知らずに考中絶を起こして思考放棄しやすいと書いていたことを思い出します。

飛躍とは、アイデアに繋がる素晴らしいものだけど、
日本人の場合、飛躍を防ぐ訓練をしないといけない。

日本人は飛躍型だから、すぐ、「みんな」「いつも」「いっそ」「どうせ」などの言葉を通して一般化しやすいらしいです。

こういうのが、宮台さんがおっしゃる「不安のポピュラリズム」ということにも繋がるのかもしれないですね。

http://jp.youtube.com/watch?v=KJd3EiNYlIU&mode=related&search=


それを解消していく為にも、その人が、本当は何を言っていきたいのかということを踏まえた上で、議論を展開していく必要はありますよね。せっかく直観力に富んだ国民なのですから。

他の場所では、突発的に、意味のない上げ足とり、醜いミスリードなコメントが多発しているような気がします。

そういった意味で、癸苅韻糧言はあまりにも醜いですね。

No.42 ぷーさん様

思考放棄をしないということが大事というのは賛成です。

であればこそなのですが、
「弁護団の主張は捏造ではないかもしれない」とも
疑うこともできれば、
「検察側の主張は真実ではないかもしれない」とも
疑うことができますし、
「結果として弁護できていないともいえない」とも
疑うことができるのではないでしょうか。

ただし、それは発言者の立場などから邪推することではなく、
事実とそれに基づく論理によってだと思います。

No.39 aa さん

いつも、横から入ってすみません。

>本当の被害者遺族である本村洋さんが、取材に対し「懲戒請求していただいて、感謝の気持ちを持っています」と、言葉少なに語ったのが印象に残った。

それぞれの人の懲戒事由については知りませんけれども、行動してくれたことは・・・というようなことばもついてた気がします。
橋下弁護士のことも話しています。

第2日本テレビのこちら報道部、ノーカット工房で見れます。
32分ありますが、だいたい23分ごろです。

>No.42 ぷーさん さん

>その方法が 結果として被告を弁護出来ていないから、怒っている人も多いのではないかと思います。

被告人の利益にならないから弁護団に怒っている、という人は、
割合的には少ないと思うのですが・・・

素朴な疑問なんですが弁護士の方たちが死刑制度に反対しないのは矛盾してないですか?
冤罪のことは勿論ですが、どんな凶悪犯罪を犯した被告にも更生の余地があると信じて疑わないんですよね。
だったら死刑制度には反対しないとおかしいですよね。
死んでしまったら更生の余地すらなくなりますから。
それともこの被告は更生の余地もなく死刑でもやむなしと思える被告もいるのでしょうか?

それと先進国で死刑制度があるのは・・・・なんて投稿をたまにみかけますが先進国はそんなに立派なんですか?
戦争で多くの一般人を殺すのはよくて死刑制度は野蛮?

私自身は犯罪被害者にも犯罪加害者にも今のところ縁もゆかりもないので死刑制度については存続か廃止かは正直なところ決めかねています。
ただ他の先進国と比べて単純に議論するのはおかしいとおもいます。
他の先進国は軍隊を保有してるのに日本も軍隊(憲法上)をもたないのはおかしいですか?

>きつねさん

軍隊は基本的に「他国で」殺す力なのに対して、死刑制度は「自国で」殺す力なのでこれを並列するのも違うのではと思います。

更生の余地の全くない凶悪犯罪者はいると思います

>No.46 きつね さん

>素朴な疑問なんですが弁護士の方たちが死刑制度に反対しないのは矛盾してないですか?

実は私も、そうなんじゃないかとちょっと思ってました。
少なくとも刑事弁護人をする弁護士の方は、
むしろ死刑廃止論でないとおかしいんじゃないか・・・
論理はうまく言えないんですが。

>No.47 学生その1 さん

>更生の余地の全くない凶悪犯罪者はいると思います

ではなぜ死刑を廃止している国があるのでしょう?
死刑廃止国はどこでも、「イエス様が殺すなと言ってるから」という理由で
死刑を廃止しているのですか?

>No.49 たぬきのポン太郎さん

更生の可能性がなくても、終身刑があります。
もちろん死刑制度廃止しているすべての国についてどうか、と言われると知りませんが。

>No.50 学生その1 さん

>更生の可能性がなくても、終身刑があります。

あっ。そうですね。
多くの国で、「報復感情」を満たして手っとり早い死刑を存置せず、
金のかかる終身刑を設けているのはなぜなんでしょうね?
テーマがずれてるようなので、自分でゆっくり考えてみたいと思います。
ありがとうございました。

>No.46 きつね さん
「どんな凶悪犯罪を犯した被告にも更生の余地があると信じて疑わないんですよね。」とのことなのですが、ちょっと角度を変えて考えてみてください。

「この被告人には更生の余地がまったくない」と言うような弁護がありうるでしょうか?

つまり「刑事被告人を弁護する」と言う役割を担当した時点で、仮に弁護士個人が内心(こいつぁダメだわ)と思ったとしても、更生可能性を主張せざるを得ないんです。
しかも上辺だけ・口先だけでは被告人との信頼関係が築けないでしょうから、そういう立場になりきるしかない。ほとんど、自分自身を洗脳するような作業だと思います。

・・・と言うような理解でよろしいでしょうか、本職の皆様。

「光市弁護団の主張は、殺意を否認してせいぜい傷害致死だという主張なのであるから、その事実主張を前提にすれば被告人は現行法においても死刑にすることができないという主張なのであって、死刑廃止論が問題になる余地のない主張なのです。」

ヤメ検の頭の固さが見られるすばらしい表現だとおもます。
司会者は、優勢な世論を代弁するだけであって
勉強不足とかを求める相手ではありません。

主張なんてなんとでもできる。
それは検事経験者がいちばんわかっていることでしょ。
要はその主張する内容の正当性が、一般社会から乖離しすぎて
死刑阻止ありきでうごいていること。
まして、泣いて同情をこうという最悪な禁じ手。
泣いても世論が動かないと読むと生い立ちまで述べる
恥しらず。

裁判は被告、弁護団、検察、裁判官。
その中で行われていることと勘違いしていませんか?
被害者が裁くものではないことは近代国家の示すものですが
弁護団が行っていることは、一般人にとって非常識な
死刑回避の方法であり今回の世論に大きな影響を与えることを理解していない。
弁護団自身がむしろ世論を死刑推進に向かわせているという
矛盾は滑稽といか言いようがない。

殺した人間が生き返るなら、自分も死刑になって死んで蘇る。

普通のひとさん

ここの常連の方々にその理論は

 「暖簾に腕押し」 「糠に釘」

でもかの有名な安田弁護士がからんでなければこんな大事にはならなかったと思いますよ。
それとあまりにも多すぎる弁護団。

ボランティアかなんだかしらないけど他の刑事事件の時も集まるのかな?
被告が弁護費用を全額負担して依頼したのなら理解できるけど。

No.52
まあそれでもいいんですけど、それ以前に、死刑判決で「更生の余地がない」って言いますかね?
検察官が論告では言うことはありそうですけど。

死刑にしないときに「更生の余地がないとは言えない」とか「更生の余地がある」と使うんじゃないですかね。

そもそも犯行の客観的事実、動機、犯行前後事情などで死刑かどうかが決まるわけで、仮に更生の余地がないと判決で言ったとしても(検察の論告も同じ)、それはいわば味付け程度で、あまり本質的なものとは思えませんね。

つまり「更生の余地がないから死刑」とは法曹(裁判官・検察官・弁護士)は誰も考えていないし、そういう文脈では使わない。
死刑の場合、更生の道を与える必要はないほどの犯行だという判断が先にある。

だから弁護人は、当然、死刑を避けるため、情状として、更生の余地がある、それはこれこれこういう点を見てくれれば分かると述べる。

初めまして。
法律と裁判の世界にはまったくの素人の者です。

死刑廃止論に関して、私は弁護団がこの裁判を死刑廃止論に絡めているとはまったく思えません。
しかし、選択肢の問題として、死刑になるかもしれない被告の弁護活動を、死刑廃止論と絡めて展開してはいけないんでしょうか?
もちろん、被告人の意向を無視して勝手に弁護方針を決める訳にはいかないでしょうが、いくつかあるであろう選択肢の中から、「死刑廃止論に絡めて弁護を行う」という選択肢が排除されなければならない理由が私には理解できません。
だって、死刑を避けることは刑事裁判のもっとも基本的な目標でしょう?死刑廃止論も、死刑を避けることが目的です。両者の目的には整合性があるのですから、絡めて展開したっていいではないですか。もちろん、そのような作戦にどの程度効果があるのかは、また別の問題です。

これが、死刑大賛成という弁護士が裁判を「死刑推進論に利用した」っていうなら大問題に決まっていますけれどね。

もちろん死刑廃止論に対しては賛否は分かれるでしょう。私はかなり死刑廃止論寄りの考えですが、それに対して強い異論があるのは当然のことです。だけど、死刑廃止論に絡めて弁護を行うことは許されないとか、まして、懲戒処分の対象だとかって言うのはおかしいと思うのですが・・・・・・。

No.53 普通のひとさん

だとすると、もしバリバリの死刑存置論者の弁護士が担当していたら、「私は死刑制度に賛成です。だからこの被告人も死刑にすべきです」と主張すると思うのですか?
死刑になるかならないかの裁判の弁護を担当しておきながら、死刑阻止に動かない弁護士がいたら、それこそ懲戒対象でしょう。

死刑廃止って、「法的には死刑になる罪であるが、死刑にすべきではない」って言わないと成り立たないだろ。
「法的に死刑に相当する罪では無いから死刑回避」って普通の弁護活動の論理だと思うが。この主張で死刑廃止なら、「無期に相当する罪じゃないから有期で」っていうのは無期廃止運動だよね。

>No.53 普通のひと さん

死刑廃止論と死刑阻止は別の考え方だと私は思います。
死刑廃止論は、死刑制度が国家による殺人への反対意見
であったり、冤罪の場合に取り返しのつかないことへの反対意見のことを指すと私は考えます。
一方、弁護における死刑阻止は、被告の利益を追求する
刑事弁護の原則を考えたときに死刑を阻止しないという
弁護はありえないという話。

私は、別物だと考えます。
したがって、私は普通の人さんのご意見はこのエントリに
対する反論になっていないと考えます。


知識ある人が知識無い人を見下すってのは
いつの世も変わりませんね。
このBlog主の内容もコメントも、なるほどねー
って思うところはあってもそれがどうしたの?
のが感想です。
「論」がどうだろうと、こんなキチガイみたいな
ヤツに妻と子供を惨い殺され方されて、どうして
21人もの弁護士が守って生かそうとするの?
こんなキチガイ死刑でいいじゃん。
自分の妻や子供が同じ目にあっていてらどうよ。
大勢の一般人はこれぐらいの認識なんですよ。
だからそういう一般人に合わせた報道がなされるだけで・・・
それにどうこう言おうと結局は、その一般人に選ばれた
人が法律を決めるわけで・・・。
ワイドショーのレベルがどうだとか言うあなたも
所詮何も変えられないレベルの人間なんですよ。
ですからあなたも自分の得意分野をひけらかして
知らない人を見下すだけで誰か教えてやれー
というより、自分の主張を言えるように一般人から
選ばれるような人間性をみにつけた方がいいかと思います。

>No.60 低脳一般市民 さん

裁判が理解できない人が居るのは同意できますが。
そこからどうやって⇒「見下す」 になるのか?

それと
「自分の主張を言えるように一般人から選ばれるような人間性」
この言葉は、意味が通っていないと思います?
「選挙で選ばれろ」なら、解らなくもないけど。

 死刑廃止論者の目的は法律から死刑を削除することであり、弁護人がやることは死刑の適用回避ですから両者は別個のもののはずです。

 そもそも私は個別の事件での死刑回避をどう政治的な死刑廃止につなげていくのか検討もつきません。だから「弁護団がこの事件を死刑廃止のために利用している」という主張はナンセンスにしか思えません。

ワイドショーのコメンテーターとかはどう考えているんでしょうか?

>No.62 ひらの さん

>そもそも私は個別の事件での死刑回避をどう政治的な死刑廃止につなげていくのか検討もつきません。だから「弁護団がこの事件を死刑廃止のために利用している」という主張はナンセンスにしか思えません。

同感です。
仮に個別の事件を死刑廃止論につなげることができるとしても、
この事件を使うのは戦略としてどうかと思う・・・

(→だから死刑廃止論には利用していないと思う。
 死刑廃止論に利用するなら、もっと冤罪ぽいものとかでしょう。
 この事件は、むしろ死刑適用拡大論に利用しやすい事件だと思う。)

>No.60 低脳一般市民 さん

名は体をあらわしますね。
ところで僕は「無知」「馬鹿」であることを他人にどうどうとひけらかしたあげく、
「馬鹿」「無知」に(主張を)合わせるべきだと自ら主張するのは、
人として死ぬほど恥ずかしいことだと思っているのですが、
どうなんでしょう。

>No.61 MultiSync さん

No.60 低脳一般市民 さんのコメントは、


知識無い人が知識ある人を嫉妬するってのは
いつの世も変わりませんね。
貴方の内容もコメントも、なるほどねー
って思うところはあってもそれがどうしたの?
のが感想です。
「感情」がどうだろうと、こんなキチガイみたいな
ヤツラに正義の味方ヅラされて<自分の感情>を勝手に代弁されて、
21人もの弁護士が守って生かそうとしなけりゃならないのが分からないの?
こんなキチガイ達放置でいいじゃん。
自分の妻や子供が同じ犯罪を犯していてらどうよ。
大勢の知識ある人はこれぐらいの認識なんですよ。
だからそういう人にも合わせた報道がなされるべきなだけで・・・
それにどうこう言おうと結局は、その一般人に選ばれた
人が法律を決めるわけで・・・。
そして、その人は、有権者には無闇に拘束されないから、
殺人罪の量刑が死刑だけにはならないだろうし、
人民裁判制度にもならない。
知識ある人のレベルがどうだとか言うあなたも
所詮何も変えられないレベルの人間なんですよ。
ですからあなたも自分の不得意分野を皮肉って
知ってる人を見下すだけで誰か教えてやれー
というより、自分の主張を公の場で言えるようにキチガイ達から
選ばれるような人間性をみにつけた方がいいかと思います。


というのと、同じようなレベルです。

>そこからどうやって⇒「見下す」 になるのか?
「無知であることを知っていること」から
悲観的に自己を観察すると、そうなると思います。

自分が無知であることを知っていることからは、二通りに解釈できます。
ソークラテースのように「無知の知」なだけ
「(偉そうにしてる)知」よりマシだと考えるか、
「無知の知」ではやはり
「(偉そうにしてる)知」には勝てないと考えるか。

こういう議論では、そもそも相手の土俵で相撲を取るわけですから、
後者に陥りがちなのは、俺も気持ちとしてはよく分かりますが、
ここまで素直に感情を開陳せずに、自重すべきとも思います。

死刑求刑事案において、被告人が検察側が主張する(死刑求刑の理由として立証された)事実とは異なる主張を行っているならば、弁護側としては、当然に死刑回避を求める公判戦術を取るでしょう。
というか単純に、検察側が死刑を求刑するなら弁護側としては減刑を求めるのは当たり前の事です。
それと弁護士個人の思想とは別問題として考えるべきです。
そして>No.63 たぬきのポン太郎さんが言われるように、本件を死刑廃止活動に用いるのは、かなり説得力に欠けると考えます。
ちなみに、私は
> この事件は、むしろ死刑適用拡大論に利用しやすい事件だと思う
とも思いません。
一審から検察側は死刑を求刑しているとおり、被告人に特別な事情がない限り当然に死刑求刑が予想される事件ですし、二審においても、広島高裁は死刑判決についてかなり踏み込んで言及しています(結果的には更正可能性を認めて無期懲役でしたが)。
要するに、本件は更正可能性が認められなければ、普通に死刑判決が下されて当然の事件で、国の厳罰化の方針云々とも全く関係がないと考えています。

>No.66 感熱紙(刑) さん

>国の厳罰化の方針云々とも全く関係がないと考えています。

うーん。。 そうですか。
うーん。うーん。
明らかに、世の中の厳罰化傾向に、
この事件が大きな一役を買ってるように思うんですけどね・・・
(メディア使って意図的に「宣伝」しているようにも見えるんですけどね・・・)
私の思い過ごしなのかな。
論証する自信も無いので、すごすごと引き下がります。。

素朴な疑問です。

 弁護士を生業とする人が「死刑廃止論者」であることに何か問題があるのでしょうか?

 死刑というのは究極の厳罰で、被告人にとってこれ以上厳しい判決はありません。

 そもそも被告人を守る立場の弁護士という職業の人が、今回のような死刑判決が出る可能性が高い被告人を担当した場合、江戸時代だったら、「市中引き回しの上」とか「獄門」とかのオプションを回避するという選択肢もあるのかもしれませんが、現行の司法制度では無期懲役、もしくは精神障害による無罪を目指した戦略を考える以外の選択肢は無いと思います。

 結局、職業の性質上、被告人の死刑を目指すことはあり得ない弁護士の人たちが「死刑廃止論者」だろうが「死刑存置論者」だろうがどうでもいい気がします。

 逆に、検事とか判事を生業とする人が「死刑廃止論者」だったら、死刑と無期懲役の格差が激しい現行法のもとでは、検事や判事が「死刑廃止論者」ではない場合と比較して不公平な判決になる可能性が出てくると思います。

>No.56
>だって、死刑を避けることは刑事裁判のもっとも基本的な目標
>でしょう?死刑廃止論も、死刑を避けることが目的です。
>両者の目的には整合性があるのですから、絡めて展開
>したっていいではないですか。

まさか!

No.69
こういう一部引用で、3文あるのを、「まさか!」の一言でコメントするのはちょいと疑問。

その前までの文章を読めば、「弁護人(弁護士)にとって」刑事裁判で基本的に目標とするという意味になると読めるからです。
そして「その弁護士が死刑廃止論なら」という条件がプラスされていると読めるからです。

さらに、最後の方では死刑廃止論への反対も十分に承知している。

そういう前提で読むと、言おうとすることは分かるのであって、「まさか!」とはならないでしょうに。

横レス+議論と関係ない記事で失礼します。
今枝弁護士のブログから飛んできました。
今枝弁護士にアクセスする方法がここしかないので、見てくださっていることを信じつつ。
今枝弁護士のブログで、別サイトから引用されている「記事」が、明確に区別されていないので、わかりにくいです。

この記事のモトケンさんのコメントをそのまま記載されているため(過去にもこのような書き方をされていますが)、誰が考えていることなのかが、わかりにくいです。

引用符をつけるか、
<引用開始>
<引用終わり>
などの注釈をつけるかした方がよいと思います。
詳しくはこのあたりをどうぞ。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/net/inforisk/050524_quotation-summary/

弁護士さんに対して、失礼な助言と思いつつ、いちゃもんつけたい人は、どこからでもいちゃもんつけますので、参考にしてください。
お体にも気をつけてくださいね。
皆様、横レス失礼しました!

はじめてコメントを書かせていただきます。
的外れな意見になるかも知れませんが、批判は甘んじて受けます。

まず個々の弁護士の意図は判りませんが、死刑廃止論者に利用されているかと言えば、私個人は利用されていると思います。

1.「裁判を死刑廃止に利用している」と言う事をマスコミが報道する事自体を、広告若しくはPRとして利用してると思います。
2.世の中の大多数が死刑と思う事件を、過失致死出来れば、過去に遡って死刑判決に冤罪が含まれると主張出来るかも知れません。
(冤罪が含まれるなら死刑停止若しくは死刑廃止と言う意見の方は沢山居ますよね)

ぱっと思い付く範囲ではこんな所でしょうか?
まあアナウンサーのコメントが、何処まで状況を個人的に考察して言ったかについては、「?」ですが・・・

あと色々ありますが、見掛けた意見で気に成ったのは、「死刑を求めての上告」に関してです。
今の裁判官の全員が、「死刑」の判決を出せると自信を持って言えるのでしょうか?
現役法務大臣が、死刑執行の自動化を口にする様な国で、裁判官毎の主義主張が、量刑に反映可能性は見過ごせません。

アメリカの例が挙げられましたが、確か量刑も陪臣で決められますよね?少なくても多数の人が知恵を出し合って決めた量刑は尊重するべきと言うか、個人の意見が反映されにくく再度同じ労力を注いでも量刑が変わる可能性が低い為とも考えられるか経験値で知っているので、禁止されていると考察できるのですが、どうでしょうか?

No.72

アメリカの例が挙げられましたが、確か量刑も陪臣で決められますよね?

陪審は量刑を決められません。有罪か無罪を決めるだけ。その理由も述べない。

量刑は裁判官(一人)が決める。
死刑の意見具申をすることができる州が幾つかあるだけ。

psq法曹様

フォローを有難う御座います。
私の知識は、多くが法廷ドラマ等でしてその辺が曖昧に描かれている事が多くありまして勘違いしていました。

1つ知識を増やす事が出来ました。

>No.70 psq法曹さま

うかつでした。お詫びします。ビックリして、つい。

改めて、「死刑廃止を唱える弁護士にとっては、死刑を避けることは刑事弁護のもっとも基本的な目標でしょう?」という趣旨だと理解しました。

私は、このブログの「刑事弁護と社会正義」で「刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます」と教わり、私なりに「判決で正しい刑罰が決められ、それが正しく執行されることで、類似の犯罪の抑止にもつながり、社会正義が実現される」と理解しました。

上の二つの理解は、「弁護人の目標が何かによらず、裁判所が正しい判決を下すから矛盾しない」ということになるのでしょうか?。

ひどく単純化した物言いをしてしまいますが、

検察に死刑を求刑されていて、なおかつ最高裁が「よほどの事情がない限り死刑にせざるを得ない」として無期懲役判決を破棄、差し戻した状況下では、弁護士の主張は死刑存置論者だろうが死刑廃止論者だろうが「死刑回避」になるのは論理的にも当然、と捉えました。
この認識でよろしいでしょうか?>モトケン様はじめ専門家の皆様

どうも、一部の方々におかれては死刑廃止と死刑回避が混同されている気がします。

No.75
そういうことになります。
司法制度は、本来西洋からの借り物(その後独自に運営)で、その西洋では正義は裁判所で実現されるという前提があるわけです(一種の擬制と言えば擬制)。

で、裁判所の最終判断が出たらこれに従うわけで(正義ですから)、例えば大統領選のとき投票カードのパンチ云々であれだけ争っても最高裁判断が出れば素直に従うわけです。

ところが日本では、昔で言えばロッキード事件の佐藤孝行氏のように上告を取り下げながら裁判は間違っていると言ったり、日常茶飯事として「不当判決」の垂れ幕を示したりします。

借り物の西洋正義と、アジア日本の東洋正義と、感覚が違うのでしょう。
この意識の差はどうにもしようがない・・・と常日頃感じております。

ひらのさん

> だから「弁護団がこの事件を死刑廃止のために利用している」
> という主張はナンセンスにしか思えません。


たぬきのポン太郎さん

> 仮に個別の事件を死刑廃止論につなげることができるとしても、
> この事件を使うのは戦略としてどうかと思う・・・


ぼくもお二人に同感です。戦略として使うにしては、この事件の犯情が悪すぎると思います。

死刑という事を持ち出すと、感情的になる人が多いのですが、例えば、労働者の権利、、男女同権であるとか、そういう場合、個々の事件にテーマを掲げる弁護団が助っ人になる事はよくある事だと思います。

議員定数不均衡、産廃施設に関する行政訴訟、沖縄の嘉手納基地の返還訴訟なども、一般の住民だけでは手に余るので、専門家集団が助っ人になり、それで法律が変り、世の中が動いたりするものだと思います。

なんだかんだ言っても、ここにコメントしている人達にとって、事件は所詮他人事。被害者の苦しみも考えずに(考えたふりはしてるかもしれないが)好き勝手に自己満足の意見に浸っているだけ。読んでいると不愉快。大多数の一般国民は(私も含め)法の正義なんていう訳のわからないことは考えずに、「死刑が当然」と考える。

>No.77 psq法曹さま
ご教示ありがとうございました。
裁判所が、双方の手抜きや勇み足があればそれを見破り、正しい判決を下してくれることを期待して、見守ります。

No.79 一般国民様

>訳のわからないことは考えずに
それこそが「所詮他人事」を体現している、とはお思いになりませんか?

>一般国民さん

>大多数の一般国民は(私も含め)法の正義なんていう訳のわからないことは考えずに、「死刑が当然」と考える。

じゃ、自分で死刑にしたらいいんじゃないですかね。
あなたも人の恨みを買ったら死刑にされますけど。

>>79
(私も、法律は専門外という意味での一般人であり、日本国民の1人です。)

大多数の国民がどう考えているのかなんて、私には分かりません。
貴方はどうやって調べたのですか?

また、仮に貴方の仰るように、国民の大多数が法の正義とは訳のわからないものだと考えていたとしても、「法の正義とは訳のわからないものだ」と片付けない人がここで議論をすることが「好き勝手な自己満足」だとは必ずしも言えないでしょう。

No.81 特殊なひと さん
No.82 よーく考えよう さん
No.83 mash さん

No.79 一般国民 さんの言っていることは、まさに最高裁判決と同じですよ。死刑にしたくないなら、社会が納得する死刑回避の理由を示せということですから。

>>No.84 aho様

もしNo.79 一般国民様のコメントの意図がaho様の仰っている通りならば、No.79 一般国民様はこちらの議論内容を誤解されているのではないでしょうか?

そもそも、ここにコメントしている人達が皆、「光市事件の被疑者を死刑にしたくない」と言っているようには見えません。

>No.84 ahoさん
違います。
最高裁が求めているのは、「死刑判決が相当と考えられるが、その判断を下す前に死刑を回避する特段の理由がないかどうか、もう一度検察側弁護側で慎重に検討しろ」ということで、間違っても「社会が納得する死刑回避の理由を示せ」ということではありません。
そもそも一般国民さんはそんなこと言ってますか?
ちなみに私は本件については「死刑判決が相当、弁護側の主張に説得力は認められない」というスタンスです。

No.85 mash さん

誤解というか、No.79 一般国民様は一般国民として自分の意見を表明しただけですからねえ

でも、私も、ざっとしか読んでいませんが、ここの議論は少々錯綜気味だと思います。モトケンさんのテーマ設定がおかしいんじゃないでしょうか

>そもそも、ここにコメントしている人達が皆、「光市事件の被疑者を死刑にしたくない」と言っているようには見えません。

そうですね。モトケンさんも傷害致死ではなく殺人罪とおっしゃっているようですし

No.86 感熱紙(刑) さん

 でも、そもそも上告を認めたのは、上告を認めないと社会が納得しなかったからでしょう。「所論をかんがみ」がそれです。裁判所というところは上に行くほど社会的影響、今後の影響を考慮して判決に盛り込みます。具体的な文言とするしないではないと思います。

>そもそも一般国民さんはそんなこと言ってますか?
一般国民さんの「大多数の一般国民は(私も含め)法の正義なんていう訳のわからないことは考えずに、「死刑が当然」と考える。」は、「納得できる死刑回避の理由をいまだに知らない」と同義だと解釈しましたた。

読んでない人はここにはいないとは思いますが、光市母子殺害屍姦事件最高裁判決pdf

ahoさん、

あなたの言ってることは多くの人の意見とほぼ一致してると
思いますよ。
ただし、マスコミ(テレビ、雑誌など)の報道でしか情報を得てない人々。

ここではそれらの世論とは多少温度差があるコメントがおおいですよね。
よく言えば冷静、悪く言えば法律上の理論のみ。

でもこのような冷静な人たちはやはり重要ですよ。
感情のみで被告に死刑を求めると類似した事件ではすぐ死刑を求めるようになるし
被告側もこの事件とは異なる性格、生い立ちがあるわけで・・・

でも私自身も被害者の母子、夫の本村さんの無念さは考えても
被告の事件を起こした動機などには正直興味はわきません。

>モンロー さん

>悪く言えば法律上の理論のみ。

 普段はもう少し幅のある議論をしているつもりなんですが、橋下弁護士の懲戒扇動については刑事弁護の譲れない大原則に触れてますので妥協するつもりはありません。

 「死刑廃止論に利用」という一部マスコミの意見については、弁護団の弁護活動に「廃止論」のはの字も見いだせませんので、完全な印象操作という認識です。

死刑廃止論者が死刑を阻止することが今回の問題ではありません。さらに冤罪にいたっては今回の事例とはべつで、実行したことを認めてるわけですから冤罪とは一緒にしないで考えてもらいたいです。

No.57 せっせ さん
人それぞれ思想があり、自身の信条に基づいて弁護活動さることは感服するしだいです。死刑推進論弁護士が、検察に死刑を求刑されたからといって、それを被告に対して実行にうつすことは職業人のすることではありません。よって、問題外です。

何度もいう様に、その手法に問題があるのです。
マスコミが煽るのもそれに一端があります。
いち司会者、コメンテーターは世論が望む答えしか言わない。
今も昔も同じです。
この事件は、死刑どうこうより弁護団の裁判戦術が刑法を知らない一般人でも、まともな弁護手法ではないと思うこと。被害者も、うまく世論を導いていますし裁判官も世論を睨んでいます。

この少年よりさらに悪質な事例で無期懲役に処せられたかたもいるでしょう。
弁護士が、被告をより軽い刑を求める。
それが責務だとおもいます。

残念ながら、この弁護団がついたおかげでこの元少年はより死刑にちかづいたでしょう。
最高裁が求める死刑にあたらない事由。
傷害致死を証明するのではなく、死刑にあたらない事由を証明
しないのであれば、むしろこの弁護団は被告にとって不利益になるでしょう。


ところで

要するに、このヤメ検は、死刑廃止論のなんたるかを理解せず、当然弁護団の主張と死刑廃止論との関係もわからず、そもそも「論」というものを理解していない不勉強の極みの人間と言わざるを得ない。
 こんな不勉強者が大きな顔をして弁護士をしているところが、この自称元検弁護士のレベル。


 誰か教えてやる奴はおらんのかな


って言われたらblog主、どう思う?

なんで第三者が「弁護団は被告にとって不利益な弁護をしてる、こいつらはおかしい」と決め付けられるのだろう??

不利益かどうか、は、被告自身がそう感じるかどうか?ということではないの?

ところで

素人の勘違い「上から目線」を自動的に排除するコマンドはないのでしょうか?

>>No.87 aho様

>誤解というか、No.79 一般国民様は一般国民として自分の意見を表明しただけですからねえ

とりあえず、念の為に。
「もしNo.79 一般国民様のコメントの意図がaho様の仰っている通りならば、No.79 一般国民様はこちらの議論内容を誤解されているのではないでしょうか?」とは述べましたが、「一般国民としてご自分の意見を表明する事」自体について批判を述べてはいません。念の為。

>でも、私も、ざっとしか読んでいませんが、ここの議論は少々錯綜気味だと思います。モトケンさんのテーマ設定がおかしいんじゃないでしょうか

なんで上記のような話を出されるのでしょうか…? ちょっと唐突に感じました。

No.91 普通の人 さん

>冤罪とは一緒にしないで考えてもらいたいです。
傷害致死を殺人と認定するのは冤罪だと思うけど?

>刑法を知らない一般人でも、まともな弁護手法ではないと思うこと。
刑法だけじゃなく、その他の法律も裁判もろくに知らない人間は、当然ながら弁護手法なんて何も知らない。ましてやそれがまともか否かなど判断できるわけないでしょ?主張と手法は全く異なる。主張は基本的に被告のものです。

>この弁護団がついたおかげでこの元少年はより死刑にちかづいたでしょう。
少なくとも裁判官はそんな低次元の判断をしないと思うよ。

>傷害致死を証明するのではなく、死刑にあたらない事由を証明
しないのであれば、むしろこの弁護団は被告にとって不利益になるでしょう。
まず日本語がおかしい。「〜するのではなく」の次に来るのは「〜するのであれば」の筈。「死刑にあたらない事由を証明するのではなく、傷害致死を証明するのであれば」かね?
次に論理的にもおかしい。傷害致死の証明=死刑にあたらない事由だからね。

>って言われたらblog主、どう思う?
蚊に刺された程にも感じないでしょうね。上のブログ主さんのお言葉は、これまでのエントリーとコメント欄で散々議論してきた延長上にあるもので、十分に根拠のあるものです。そして、プロの法律家だからこそ許される発言です。それに対して貴方が書いたのは、ど素人が専門家に対して吐く失礼極まりない、かつ何の根拠もない単なる罵倒でしょ?

何の知識もないくせに「まともではない」などと断定する、日本語もろくに使えない、論理的思考力が乏しい、礼儀を知らない、くだらん揚げ足取りで悦にいる、こんなのが「普通の人」なら自分は普通の人をやめたくなりますなあ。

 最高裁判決により、差し戻し控訴審で事実誤認の主張が制限されないということは、八海事件最高裁判決の趣旨、つまり、原判決を否定する部分は拘束力あるが、肯定する部分に拘束力はない、との判例から明らかと思います。
 橋下弁護士も、答弁書で、八海事件最高裁判例を引いて、差し戻し審で情状しか争えないというのは世間の勘違いだ、でも僕はそういう勘違いをしていない、世間が勘違いするのは世間がバカだからしかたない、だから懲戒請求に違法はない、とアピールしています。

普通の人2の主張の構成要素である『日本語』と『論理的思考』の定義について、主観や経験を介さない論理的な説明を求めたい。論理的思考力の豊富な普通の人2によって、論理的な定義づけがなされるはずである。

>ど素人が専門家に対して吐く失礼極まりない、かつ何の根拠もない単なる罵倒
>何の知識もないくせに「まともではない」などと断定する
>日本語もろくに使えない、論理的思考力が乏しい、礼儀を知らない、くだらん揚げ足取りで悦にいる

そういう事をしてはいかん。というのは、
普通の人2が思う希望であって、
そのような主観的価値と論理性は相互に関係が無いのである。
実務や解釈学レベルでは、いたしかたないとは思うが、記号上で価値を論理的に、つまり、主観や経験を介さずに説明可能であるという論理的誤りを犯しているのは、論理性という基準でのみ比較する場合は、知識が全く無い状態よりも劣る場合がありうる。知識や経験が無く、物事を理解できないのは、論理的な誤りではないが、主観的価値を論理的に自己完結した形で語りうるという考えは、もちろん、そのような希望を持つのは、各人の自由だが、論理的には誤りだからである。

アンカー以下の引用部分中に使用されている単語の定義を論理的に説明した上で、
これらの行為の価値の無さを論理的に説明しうるならば、
上述の私の論理は誤っている事になるが、
日本語の使い方を知っていて、論理的思考力が豊富なら可能であるような気もするので、ぜひ取り組んでみていただきたい。

はじめまして

モトケン先生もM.T.先生も最高裁の経過から検証されていたのですね。

光市事件更新意見書の作成経過をたどる→「勝田清孝と来栖宥子の世界」お勧め

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/

今枝 仁先生が更新意見書には関与されてないことが明らかになりました。ありがとうございます。

しゃべるのと違って文章は顔がないから難しいです。尾ひれを付けると低脳に見えるし、簡潔に書くと冷徹に読めます。顔文字は必然的に生まれたのかも知れません(*^_^*)

ブログのコメント欄や各掲示板でコミュニケーションを行おうとすると、相手の性別や年齢すら不明な場合も多く、短くまとめようとすると、誤読され、口論(口喧嘩?)に発展ししているのはよく見かける現象ですね。

書き手の文章力にも問題があるのでしょうが、この国の人間は、新たな言語の壁に突き当たりつつあると言っても良いと思います。って、大袈裟ですね。

どのエントリーにも、色々の話題があるので、論点が分岐していくのは普通の流れで、ブログをどう使うかを考えれば、当然なんでしょう。

ブログでは、目的が、対話を楽しむのか、自説をぶちまけたいのか、知見を広めたいのかその全てかもしれないし、そのどれでも無いのかも知れません。

釣りが好きな人もいれば、パチンコが好きな人もいます。ブログや掲示板は手段として新しいだけではなく、新しい楽しみ方を生み出しつつあるんでしょう。

だから、ぼくは、自分のブログでも、幼稚な挑発などは、真に受けないようにしています。

「文章で議論する」場合は、書く方もしゃべるよりは考えるでしょうから、自分の発言に酔ってしまうことが多いです。しかし、読む方は、よほどのプロなら別ですが、ザッと読むだけだから酔ったりはしません。

同様な理屈で、第三者にとっては相手の意見より、自分の意見の方がわかりやすいと考えがちです。元々はいろんな目的があっても、自己陶酔の快感が無ければ、読んでいるだけでも目的を達成することも多いと思います。

バーチャルな空間では、現実世界では出来にくい殴り合いを演じて見たいという側面もあるでしょう。議論が理想的に進行して結論が出るなどあり得ないし、結論が出たところで現実にフィードバックされるはずもないです。

要は、苦もなく「朝まで生テレビ」のパネラーになれると言うことだと思います。どっちにころんでも自説を述べる人と頷いている聴衆という図式は成立しないでしょう(相手もパネラーですから)。

この形態では、相手も自分もまったく同じ立場で有ることを知った上で、自説を述べ始める事が必要に思えます。

どの方も、ひょっとしたら、

 ・理不尽な命題に対しては、議論を展開して対抗したい。
 ・議論可能なだけの系統立てた考えを持っている。
 ・自分の考えには穴はない。
 ・どんな反対意見にも、必ず応戦出来る。
 ・相手を納得させてみせる。
 ・自分が納得出来れば、いつでも謝罪はする用意はある。

と考えているかも知れず、その順で考えれば、切り出す位置で、どうとでも取れるわけですね。

ついでなので、ネット上の議論の印象を。ネット上で、口論(?)が過激になると、人格攻撃が出る事があります。

ジャブ=「どの程度の知識で語っているのか?」
ストレート=「読解力が低いのでは?」「空気を読めないのか?」
クロスカウンター=「小学生並」「レベル低すぎ」「良識がない」
反則=「馬鹿」「まぬけ」「キチガイ」等々。

基本的には人格攻撃を出した時点で、「議論には負けた」と肝に銘じておけば良く、強い口調云々は姿勢の問題で内容とは別物でしょうね。

ジャブが出た場合、「あなたはどの程度の知識があって語っているのか?」とジャブで返せば、下らない背景論になるか、ストレートが帰ってくるため、一旦引き、第三者に振っているのもよく見かけます。

「知識の量で議論すべきことではないのでは?」と反論、或いは、逆にクロスカウンターをいきなり出して相手を激昂させてしまう人も居ます。

そう言われたら、「くだらん質問だ。知識でフィルターを掛けなければ議論も出来ないのか?」とでも言い返して、後は、闘牛の要領で、自分がつられて激昂しないことのみに留意すればいいんでしょうね。もっとも、ぼく自身、闘牛はやった事はありませんが。

そのうち、第三者が判定を下してくれるか、「こんなレベルの低い議論は無意味だ!二度と来ない!レスは不要」と逃げてくれるかも知れません。

揚げ足を取られる事は多いですが、逆に言えば、揚げ足はいとも簡単に取れます。揚げ足はクリンチに逃げているといった感じでしょうか?

戦争が科学を進化させるように、議論の張り方も戦いの中からしか生まれません。でも、ぼくは、へたれなので、反論されたら、「そうですか、すみません」と言うんですが。ま、それも、ネットが生み出す物の影かも知れません。

たった1晩でこんなにレスが進んでしまいましたが・・・・・

> No.70 psq法曹 さん

> その前までの文章を読めば、「弁護人(弁護士)にとって」刑事裁判で基本的に目標とするという意味になると読めるからです。

おっしゃるとおりです。肝心の部分で肝心の単語が抜けておりました。もちろん、現行の刑法の元で、裁判官や検察官が死刑を避けることが刑事裁判の基本的な目的ではありません。弁護士だけがその責務を課されています。

 その女性司会者の発言内容を知らないので、適切なコメントではないかもしれませんが、

(1)死刑制度に反対する信念に基づいて被告人を守るための法廷戦術をとる。

(2)法廷で死刑制度そのものが違憲だと主張する。

 いずれも弁護人に許されている行動です。
 非難される筋合いはありません。
 あの大弁護団のメンバー各人が死刑制度反対の信念から弁護を引き受けたのか、あの被告人をなんとか救ってやりたいという個人的心情から弁護人になったのかは知りませんが、何も問題は無いはずです。
 あれらの荒唐無稽としか思えない主張が通用するとは私も思っていませんが、傍聴席にいる被害者の遺族に遠慮して法廷戦術を変更しなければならない義務は弁護士にはありません。
 傍聴席にいる被告人の家族に遠慮して法廷戦術を変更しなければならない義務が検察官にないのと一緒です。
 この事件に関するいまの世論の大勢は、プロレスの試合について
「対戦相手の家族がリングサイドで観ているのにパイプ椅子でめった打ちにするのはひどい」
と言っているようなものです。
 観るのが嫌なら、来なければいいのです。
 観戦しに来た以上は、自分の家族が目の前で半殺しにされる場面も観なければならないのです。
 そういう観るに堪えない修羅場がプロレス(裁判)というものなのです。

だから刑事裁判制度が改正されたのです。

今後、犯罪被害者は、傍聴人、証人だけでないのです。
検察官側で、堂々と意見を言えるようになるのです。
裁判員制度がはじまり、一般の人も裁判員(当事者)になるんです。

>ロー生さん
そこのところを理解してください。

それが解ってれば、プロレスの話も出てこないし「観戦しにこなければいい」なんてコメントはできないと思います。
あなたが考えている、今までの裁判の形。今後は、被害者、被害者遺族の意見が盛り込まれる。もう、観戦者ではないのです。
あなたが、司法の場に登場する頃は、今の論理は無形化しています。被告人の権利ばかり主張して、被害者、被害者遺族の主張が通らなかった現実。
公正な裁判をするには、検察官だけに任すのではなく、被害者、被害者遺族も当事者として参加するのです。

No.102 だるま大使 さん

>被告人の権利ばかり主張して、被害者、被害者遺族の主張が通らなかった現実。

>公正な裁判をするには、検察官だけに任すのではなく、被害者、被害者遺族も当事者として参加するのです


 被害者や被害者遺族がどのような主張をするかによって良し悪しがかわるように思います。
事実関係の面で被告人の主張は間違っている、あくまで事実は○○だった、という意見であればもちろん被害者遺族の主張は非常に大切だと思います。
 しかし、量刑の面で被害者や被害者遺族が主張をする場合問題もあるように思います。
例えばやみくもに厳罰化を主張する場合です。
僕も感情としては理解できますが、それに基づいて裁判の流れ、量刑が大きく変わるということだと果たして公正な裁判といえるのかどうか怪しく思います。
 言ってしまえば、これから裁判員制度で一民間人も裁判員として参加するからこそ、逆に問題な気がします。
つまり、今までの裁判官・弁護人(+被告人)・検察官という専門家で行う場合は基本的には冷静な判断が可能であり
裁判官、被告人・弁護人、検察官・被害者(被害者遺族)という状況でも問題はないし、事実認定(被害者の性格等含め)の面でも有益かもしれません。
 しかし、ここに裁判員が加わる場合、例えば被害者遺族が泣きながら、事件の残虐さを強調して訴えたとき、今回の懲戒請求騒動をみるとそれに流される裁判員がいてもおかしくないように思います。
 要は被害者遺族の主張によって有罪・無罪が変わる(裁判官がいるからそれはないでしょうが)、あるいは量刑が変わるというのでは、公平さに欠け、司法への信頼も低下する可能性もあるということです。
(裁判員制度が導入されてからマスコミは「裁判員の判断でここまで違う判決」、とかいって大きく特集とかして煽りそうな気がします)

以下ソースが古いですが、専門家と国民の量刑判断の差についての記事です。ttp://plaza.rakuten.co.jp/aiken6684/diary/200603160000/

被害者や被害者遺族が参加するしないに限らず、裁判員制度導入の際国民の量刑への判断が異なる事も問題ですが(決して国民を非難しているわけではありません。)
加えて被害者や被害者遺族の参加によって裁判員がとにもかくにも厳罰を意識して量刑を高めるという事態が懸念されるように思います。

何を持って「公正な裁判」とするかは案外難しいように思います。


>法学部生Yさん

一般市民にばらつきがあるのは、当然です。
だから、裁判官3人と裁判員6人の合議体です。
また、日本では三審制がとられています。
高裁、最高裁では裁判員は参加できません。
「人間が人間を裁くのだから」控訴、上告もできます。
刑事裁判の安全性は担保されています。

光市事件に於いては、
「少年審判」「第一審」「旧控訴審」「上告審」そして「差し戻し審」継続中!
これだけの経過をたどっています。場合によっては、「再審請求」もあるでしょう。
延々と続く、職業法曹者の裁判。「一般市民の意見」も取り入れるのが、「職業裁判官」にとって、新鮮では、ないでしょうか?

「法の下の平等」の大原則をゆるがせにする事態にならなきゃいいんですがねえ・・・。テレビの2時間サスペンスドラマじゃあるまいし「プロフェッショナル」が「ド素人」の意見に耳を傾けるのが、そんなにいいことなんでしょうか?

>惰眠 さん

「法の下の平等」は、職業裁判官が説明するでしょう。
一般市民といっても「ド素人」とは、限りませんよ。
確かに弁護士はなれません。被告人関係者もなれません。
しかし、今の「職業裁判官内の制限された空間」よりは、公衆の現実に耳を傾ける姿勢は評価できます。しかし、有罪、無罪、量刑は裁判官が「法令に則って判断」されます。

惰眠 さんは法曹界の方ですか?

公平のために「裁判員制度なんていらない」というHPで署名活動をしています。是非、皆さんに呼びかけてください。
なお、私は裁判員に参加したくないので、署名しました。

>No.106 だるま大使 さん

まず、私は法曹資格は持ってません。会社勤めの事務屋です。

「法の下の平等」と言うのは、説明を受けて字義的に知識があるだけで足りることなのかな、と私は疑問に思うわけです。
実践に結びつかなくちゃ意味がないと。

そうした上で私が強く懸念するのは、もともと法律の解釈や運用と言うのは、きわめて専門性の高い(例えば、用語の使い方ひとつとっても、その定義範囲に厳密性または明確性を必要とすることから、日常の用語表現とは異なる場合がある)分野のひとつで、適切な使い方をするにはそれなりのスキルが要求されるものであるにも拘らず、そういう「道具」に親しんでいないド素人が、これまでプロフェッショナルが行ってきたことと同等以上のフェアネスを実現できる筈がないということです。専門の職能集団が行っている作業なんですから。

有り体に言って私は、こういう事柄は高度な専門知識を有したプロフェッショナルが対応を独占すべきだと思ってます。(そうでない「その他一般」の声に耳を傾けないでもいい、と言う意味ではありません。念のため)

>No.107 惰眠 さん

惰眠 さんのように極めた高度な意識をお持ちの方が一般市民にも、みえるのではないでしょうか?

「裁判官」「検察官」「弁護士」それぞれ、独立した個人として、認知されたいます。
しかし、現実は、最高裁判所、検察庁、弁護士会の意向に左右されてきました。

 子供の頃は、悪いことをしたら「すいません」と言いなさいと教えられたのに、大人になったら「すぐに謝っちゃだめですよ」弁護士さんに言われます。
 損害賠償で不利になるからでしょう。

一般市民の方には、そんな制限無しに自由に「評議」に参加していただきたいんです。それが私の感想です。


追記、モトケン様、論点がずれてしまいすみません。


 

えーっと、私の場合は高度な知識があるんじゃなくて、「段階を踏んで考える」「疑問がでてきたら確かめる」「批判するときはまず自分の論拠を固める」ことを心がけているだけでして・・・。

私がどうなのかと言うことは別にしまして、仰るような非法曹ももちろん在野しているだろうことは同感です。ただ、例えば裁判員制度で言えば、そうした人たちを選択的に選任するわけではありません。
専門職(プロフェッショナル)に委ねておけば(その中にも偏差はありますが)概ね一定の範囲内の論理構成や、それに基づく結論が期待できますが、アマチュア(ド素人)にそれを期待するのは危険です。無理だと思います。

自由に意見を表明してもらっても、それが「参考」に留まるのであれば私もさほど懸念はしませんが、法律効果を持つ意思決定に参加させるのは大いに不安です。

>No.102だるま大使さん
>今後、犯罪被害者は、傍聴人、証人だけでないのです。検察官側で、堂々と意見を言えるようになるのです。裁判員制度がはじまり、一般の人も裁判員(当事者)になるんです。

 裁判員は刑事訴訟の「当事者」ではありません。
 またプロレスで喩えるなら、裁判員はレフェリーになるのであって、パイプ椅子が使われることもあるプロレスの試合に選手として参加するわけではないのです。
 あと、被害者の家族は裁判員を選出するくじにあたっても、不適格ということで結局は選任されません。
 そもそも、被害者の遺族が検察側の人間として法廷で意見を言うことが認められるのであれば、弁護側が遠慮しなければならない理由はなおさらありません。
 またまたプロレスで喩えるなら、パイプ椅子で殴りあうこともあるプロレスの試合にわざわざ自分から選手として参加するのですから、対戦相手にパイプ椅子で殴られたとしても文句は言えません。
 そういう苦痛を自ら味わうのが嫌なら、参加しなければいいのです。
 加害者にひどい目にあわされた被害者側が何の痛みも感じることも無く時代劇のような「仇討ち」をすることを認めているわけではないのです。
 刑事事件に関するいまの日本の世論の大勢は時代劇と同レベルで、近代的な法体系を備えた法治国家のものではありません。

No.106 だるま大使 さん


まだ署名はしていませんが、僕も裁判員制度には反対です。

国民一人一人が量刑判断の際ばらばらになるのはもちろん仕方ないです。
ただ、その際裁判官がいちいち裁判員と話し合うなりすることにどれだけ意味があるのかというのが
僕の正直な思いです。

おっしゃるとおり、一般市民の意見をとりいれるのは新鮮かもしれませんが、
結局高裁、最高裁では裁判員がいないというのであれば
過去の同種の事件における裁判官の判決(量刑)を基準に、

原審での量刑が厳しい場合、裁判員の多くが量刑を高く判断したのだろうと考えて控訴し、
逆の場合は、控訴しないということもありうるのではないですかね?

まああくまで仮定の話ですがね。

実際

>有罪、無罪、量刑は裁判官が「法令に則って判断」されます。

というのであれば、始めから裁判員など入れずに、法令に則って判断していればいいのに、と思います。

そもそもどういう経緯で裁判員制度を導入しようとなったのでしょうか?
公式HPを見ましたが、いまいち把握できないというか建前みたいなことしか書いてないと思ったものでして。

どなたかご存知の方教えていただけると助かります。

 横からすみません。

>> だるま大使 さん
>>一般市民の方には、そんな制限無しに自由に「評議」に参加していただきたいんです。それが私の感想です。

 それは一部賛同します。
 http://www.saibanin.courts.go.jp/news/pdf/qa_26.pdf
 裁判員制度のこの説明を見ても前提とされてると思いますので。

 ただ、
 http://www.saibanin.courts.go.jp/news/pdf/qa_27.pdf
 これを見ると、裁判員の多数説は、最低でも裁判官1名を説得出来ないと
採用されない。これは、
 
>> 惰眠さんのいう
>>「プロフェッショナルが行ってきたことと同等以上のフェアネスを実現」
 
 するための最低条件だと思うので、裁判員として参加する人は、最低限
納得しておかなければいけないことが有ると思うんです。

・被告がどんなスカタンな主張変遷をしても裁判員になったら怒りは横に
 置いておいて証拠を含めて検討せねばならぬこと
・例えば、遺族にどれだけ同情していたとしても、検討した結果傷害致死
 としか自分で認められない場合、死刑を主張しても法律的には認められない
 こと。
 
 一連の山口の事件の騒ぎを見てると「とにかく怒りを抑えきれず、何でそんな状況に
なったのか検討しないで誤解したまま主張」してる印象を受ける人が余りに多いので、
今の状況で裁判官を有意義に説得できる一般市民が多いのか、疑問に思ってるところです。

 例えば、山口の2審で裁判所は判決文で「被告に反省が見られる」と言ってます
が、その判断材料がどうも解るよう文に示されてない気がする場合、裁判員が、
「今の証拠から反省してると言うのはおかしいんじゃないですか?反省してると
言うなら、根拠材料を解るように判決文で示すべきでは?示せなければ読んだ人が
納得できないから死刑も含めてきっちり考えましょうよ?」

 と評議で突っ込むのは、裁判員制度により被害者の感情に配慮する上で非常に有意義
なんじゃないかと思います。が、それ以前に
 
 「二人死なされてるんだから死刑でいいじゃない。遺族の身になれよ。何で被告のトン
  デモ主張を真面目に取り上げて「検討」しなきゃならんのよ。バカじゃないの?」
 
 の声が仮に裁判員候補の多くの認識とされる場合、「一般市民が自由に「評議」に
参加」することにどれほどの意義が有るか、更に疑問です。検討と主張がいい加減だと思われたら裁判官が説得されないでしょうから反映されずに終わってしまう。
 
 テレ朝の一部キャスターさんですら、「死刑廃止論」の中身を検討しないで発言してるみたいですし、発言を見た人にもそのまま検討無しに「やはり弁護団は死刑廃止論者」と思う人も居るでしょう。
 私見ですが、だるま大師さんの言う「一般市民の参加」は、必要だと思いますが、「いざと言うとき怒りを抑えて検討する」姿勢がマスコミ、ネットで有る程度一般化して、裁判員候補者の一般認識と見えてこないと、やっても意味無い(まともな議論にならずただ裁判官の言うとおりになっておしまいになる)と思います。
 
 今は「何でそんなこと言うの?」と怒りを横に置いて検討する姿勢になりきれる人はまだ多いと言えないと思いますので現時点では裁判員制度は時期尚早で、自分も身の安全の確保上何とか参加したくないと思っております。
 
 一応少し死刑廃止論にからめてみました。

裁判員制度はほんとにこのまま始動してしまって大丈夫なのでしょうか?
法律の素人である私でも首を傾げてしまうアメリカの某アメフト選手の裁判。かなり腕のいい弁護士のお陰かどうかはわかりませんが刑事裁判では白というか灰色、民事では黒。
挙句には人種差別にまで論議をすり替え?てたような・・・

無作為に裁判員は選ばれますが、選ばれた全員が刑の厳罰化大賛成かもしれないし、反対に全員が根っからの死刑廃止論者かもしれないし。

前者と後者では裁判員の意見が大きく異なるのは必死、被告にとってはもしかしたら生死を決める大問題!

関係ないですが愛知でおきた裏サイトでしりあった三人の強盗殺人事件、厳罰化を求める遺族の署名はすでに10万通。
光市事件にしてもこの愛知の事件にしても弁護士の方が粛々?
と弁護活動をするには多難?なご時世。
被害者遺族の声なき声がだんだんと大きな声になってきています。これからはさらに大きな声となっていきそうです。
弁護士には逆風の時代到来なんですかね?
テレビによくでてくる数名の弁護士は妙に大衆迎合的だと思うのはわたしだけ?
やっぱテレビの仕事ってオイシイのですかね?

安田氏は死刑廃止論者であって死刑廃止論者ではありません。
最低限、安田氏の著作を読んでください。
彼は著作で制度を論じ、裁判で死刑判決が出ることを阻止する事で実質的に死刑という結果を無くしています。
まさか、安田氏が今回の件で初めて「裁判で死刑判決が出ることを阻止する事で実質的に死刑という結果を無くす」ことをしているという認識ではないですよね?
もしも、死刑反対を願う、論じていないと言い切るならば立派なデマゴーグです。

>No.114 トンでもとんちゃんさん

 これは誰宛のコメントでしょう?

To No.110 ロー生氏
一般市民としては
あんたみたいな奴に一番、弁護士になってほしくないんだが。。
お前の家族が殺されて、被害者遺族として証言した時に
加害者弁護人からセカンドレイプもどきをされても
ホンマに正気でいられるか?
「おべんきょう」が少々できる程度の受験バカの想像力の欠如した人間にはホンマに弁護士になってほしくないなー。


勉強して語れとか、認識不足とか、知識を極めないと理解を得られないような議論は、凡民を議論から排除して、有識者のみの世界で語ろうとしてるのと同じ。素人を玄人の土俵に引っ張り込んで、凡民をボコってるのと同じだ。
そもそも残虐行為をした者は誰なのかを棚上げして、悪魔を守る行為に走ってるおぞましさには、人間性の腐敗を感じる。理解を得ようとするならば、凡民を高度な位置に持って来ようとせずに、知識あるある主張者が、底辺にまで下りてきて理解を得よ。できなければ、それこそが法律のプロとして失格だ。誰の為の法律だ。知識者達が語りつくす為の法律か。

>大阪レッド 様

裁判に関することを話すのに、裁判について自分なりの理解すらしようとしないのは非常に愚かしいことです。法律家を責める前に自分から理解しようとする努力をしたらどうですか?それでもわからなければ「ここには問題があるのではないのか」といった質問をすることには誰も制限は設けていません。

>そもそも残虐行為をした者は誰なのかを棚上げして、悪魔を守る行為に走ってるおぞましさには、人間性の腐敗を感じる。

私の感覚ではこれは中傷です。あなたがどうかは知りませんが。
弁護を放棄しろとでもおっしゃるのですか?あなたが被告人になったとき同じ事が言えるでしょうか。私には言えませんね。

剣三四郎へ

生半可に知識を得て、その語りなら法律の勉強もやめておけ。
要は自分が人を殺ったか、殺ってないかや。理由や動機がどうであれ、本当に自分が殺ったのなら素直に受入れるしかないわな。殺っておきながら、ドラエモンとか言う様な、悪魔と一緒にするなや。俺が被告になった時!殺しやってたらどうされても仕方ないやろ。殺害した場合の自分を想定して、尚、守られようとしてるあんたみたいな人間にはなりたくないよ。

あんたの感覚での中傷言われても意味ないわ。ひどい殺された方した人の気持ちや、遺族の気持ちになる事から考えられないあなたこそ、惨めこの上ないですな。「あなたが被告になった場合」?笑えるな。まず、希望も夢も断たれた人の心を考えろ。これこそ、「あなたがそうなった場合」どう思う?やないか。

あんたみたいな人間と出会わない人生でありたいよ。

>剣三四郎さんへ

あなたの様な事を言う人間がいるから、法律が市民に身近なものにならないんですよ。知識なければ仲間はずれ。大阪レッドさんのどこから判断して理解しようとしていないと言えるのですか。
理解すれば、あなたの様になるのですか。恐ろしい世の中ですね。

私も非法曹で法律的な知識は殆どなかったけれども、橋下弁護士を擁護する人の気持ちは判りません。

テレビ番組で、「弁護人が被告人の主張を組み立てたに違いない」等という憶測を基に批判する流れの中で、「ぜひ全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい。」と言って懲戒請求を呼びかけた人ですよ?

「憶測に基づく懲戒請求」自体が、一般常識に照らしてもあり得ないと思うのに、「弁護士が、それを肯定し、積極的に呼びかける」ことには、衝撃を覚えました。

「憶測に基づく懲戒」が正当化されている企業などが、どこかにありましたっけ?(^^;
人気稼業の場合は、憶測に基づいたバッシングが実質的にタレント生命の命取りになる事はありますが、弁護士は人気稼業ではなかったはずです。
弁護士以前に、常識人として疑いを覚えます。

それにも関わらず、いつまでもいつまでも、「これが世間の感覚だ」とかなんとか繰り返していらっしゃる事は、市井の人間を愚弄していると思え、一人の市井の人間として侮辱を受けたと感じてきました。

その後、そのような懲戒請求にはリスクがあった事を知った時には、非法曹の私から見ても、リスクの説明をせず呼びかけた点で、弁護士の言動としては大いに問題があるのではないかと感じました。
しかし、橋下弁護士を擁護する人達の多くは、この問題には触れません。
弁護士としてではなく、タレントとして応援しているという事の表れでしょうか?
光市事件や懲戒制度に関しては、橋下弁護士が法律のことを私たち視聴者に判り易く説明してくれたとは言えないでしょうからね。
橋下弁護士の言動によって広まったと思われる誤解を解くために、自分なりに勉強して説明したり、「もっと勉強しましょう」と呼びかける人に対して、「無知であることを馬鹿にした」と言う批判をするのは、筋違いだと思います。

法律勉強すれば、部分で理解する人間になるんですね。法律って全て正しいんですか?改正が必要な部分も大いにあるんではないですか。法律家に対してとか、法律家としてとか、法律家がどうだとか、法律で飯食ってる以上、それに対して一般市民がどう思おうと関係ないでしょ。橋下弁護士がどうだとか、当事者以外の外野が法律家について語らなくてもいいでしょ。法律の知識がある人って被害者について語るのを後回しにするのが特徴ですよね。人間性失うなら法律知らない方がいいかも知れないです。

>No.122 ☆さん

ふむふむ。
それでは、具体的に、どのように改正される事をお望みでしょうか?
ご意見拝聴致したく。

あ、エントリのテーマとずれて来ているようですね…。

>No.122 ☆さん

ということで、続き(被害者側の感情への配慮と、既存の刑事裁判に関する改正案について)は、小会議室でお願いします。


小会議室のリンクはこちら

多くの方には釈迦に説法でしょうが独り言を・・・

かつての日本は事前規制社会でした。事前規制とは官僚主導型の社会ですね。官僚が許認可権やら行政指導やらを駆使して問題のある企業の芽を摘み取っていたわけです。その結果、いわゆる護送船団方式とよばれるような社会構造となっていったわけです。
しかしバブル崩壊後、事前規制を緩和して自由化を推し進め、日本は事後規制型の社会へと転換を図っています。事後規制とは問題が発生した後に司法等の場で問題を解決していく社会で、「アメリカ型」とか呼ばれるものです。
このような変革の当否はともかく、日本がこのような変化の真っ只中にあることは間違いありません。かつて事前規制によって守られていた一般国民にはいまや「自分の身は自分で守ること」が求められるようになっています。「自己責任」というやつです。
「自分で自分の身を守る」とは、自分でそのために必要な知識を得る努力をする、ということです。この変化に対応できず、誰かが守ってくれると錯覚している人は自由競争の中で「悪い人」に喰い物にされてしまうでしょう。
世知辛い世の中になったもんです。でも我々は現実社会で生活している以上、こうした変化に対応していかなければならないのでしょうね。

No.125
念のためですが、自分で自分の身を守ることは、他者を守ること(or配慮すること)と矛盾しないと思っています。

自由競争は対等の関係なら良いのですが(相手も自分の身は守れるから)、弱者との関係では無理があります。
何が弱者かは色々問題はあるにしても。

他者には頼らずとも配慮する・・・と、暮らしやすくなると思います。
(スレ違い、失礼しました)

>No.122 ☆さんへ

>人間性失うなら法律知らない方がいいかも知れないです。

について、もう少し詳しくお伺いしたいです。
No.124 死刑囚さんもお待ちのようですので、小会議室へおいでくださいませんか?

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