きっこのブログで紹介されていたスクールバスと白バイの衝突事故によって、白バイ隊員が死亡したというもので、スクールバスの運転手が一審及び控訴審で実刑判決を受けたというものですが
ともかく上記エントリにリンクのあるYOU TUBEを見ていただきたいところです。
いろいろ問題がありますが、最重要な客観証拠であるタイヤ痕がどうにも納得できません。
控訴審の対応についても、鳥越俊太郎氏に憤りとともに同感です。
一審での立証状況が気になるところでありますが。
きっこのブログで紹介されていたスクールバスと白バイの衝突事故によって、白バイ隊員が死亡したというもので、スクールバスの運転手が一審及び控訴審で実刑判決を受けたというものですが
ともかく上記エントリにリンクのあるYOU TUBEを見ていただきたいところです。
いろいろ問題がありますが、最重要な客観証拠であるタイヤ痕がどうにも納得できません。
控訴審の対応についても、鳥越俊太郎氏に憤りとともに同感です。
一審での立証状況が気になるところでありますが。
冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと(中日新聞社説 ウェブ魚拓 ボツネタ経由)
裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。
私が、橋下弁護士による懲戒扇動問題を強く批判している大きな理由はここにあります。
豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士は一朝一夕には養成できません。
刑事弁護に熱意をもって取り組む若手弁護士の絶対数が必要です。
弁護活動に対する被疑者、被告人の不満はしばしば聞く。日弁連は重く受け止め、弁護活動を客観的にチェックしなければならない。
個々の事件の弁護活動の当否を判断するのはとても難しいのですが、富山県の強姦冤罪事件などを見ますと、問題のある弁護活動の検証作業は必要であろうと思われます。
しかし、弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的な批判であってはならないと考えます。
その意味で、マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻発するような事態が生じるとすれば、弁護活動に対する正当な批判・評価を妨げることになるばかりでなく、刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に取り組んでみようとする若手弁護士の意欲を大きく減殺する結果になることを強く危惧するのです。
冤罪を1件でも減らすためには、世間の批判を一身に浴びるかのような被告人にこそ、刑事弁護が最も有効に機能すべきであると思います。
但し、私は弁護人のマスコミ対応が不十分であることをもって懲戒理由と考えることには強く反対しますが、裁判員制度を視野に入れた弁護技術としてマスコミ対策の重要性が増加していることは事実であると感じています。
その点については別に述べてみたいと思います。
松本死刑囚弁護人に「懲戒相当」=趣意書不提出は職責違反−仙台弁護士会綱紀委(時事通信)
せっせさんからの速報情報提供です。
関係者によると、同委員会は議決書で、控訴趣意書の不提出を「弁護人の職責に反する行為」と指摘。不提出が許される特段の事情もなかったとして、弁護士法で定めた「非行」に該当するとした。その上で、同弁護士会の懲戒委員会での審査が相当とした。
さらに続報があると思いますので、追記予定です。
個人的には妥当な判断だと思っています。
関連エントリ
松本弁護団の控訴趣意書不提出は正当か?
京都からの帰りの横浜線
いつもながら最初は腰痛をかばいながらつり革にぶさがってまして
ようやく座れてほっとしつつ前を見ると
斜め向かいの座席に70過ぎと思われる上品なおばあちゃんが
左手にニンテンドーDSライト、右手にタッチペンをもって
なにやら真剣にタッチタッチしてます
どんなソフトかはわかりませんでしたが、きっとぼけには縁遠いことでしょう
そのうちうつらうつら、タッチペンを落とさないといいけど
これでよくなくすんですよね、経験者は語る(^^;
まもなく、小学3〜4年生くらいの女の子が乗ってきました
学校帰りみたいです
座りたそうですけど空いてる席はありません
替わってあげたい気になりましたけど、腰痛が心配なので心を鬼にして見ているだけ
次の駅でちょうど私の向かいに座っていた人が降りたのでめでたく座れました(よかった)
するとすぐに布製の手提げカバンから本を出して読み始めました
マンガじゃないです
ちゃんとした活字の本です
たぶん学校の図書館で借りてきた本でしょう
真剣な眼差しで読んでます
日本の未来は明るいぞ、と思いました(^^)
懲戒請求テンプレートサイトが目につきました。
http://www.k3.dion.ne.jp/~sugiura/index5.html
テンプレートの「請求の理由」は以下のとおりです。
被調査人は、1999年4月14日山口県光市における母子殺害事件の差し戻し審第1回公判において、
見ず知らずの女性を殺害後強姦したことを「死者を復活させる儀式」、
赤ん坊を床にたたきつけたのは「ままごと遊び」、赤ん坊の首をひもでしめあげたのは「謝罪のつもりのちょうちょ結び」等
科学的にも常識的にも到底理解できないし理解したくもない
主張を並べ立ててまで被害者を侮辱し死者の尊厳を傷つけています。
また、この差し戻し審において地裁高裁等では被告自身が認めていた殺意を上記のような非科学的、
非人道的な主張を行ってまで否定しようとしておりますが、これらの行為は、意図的に裁判の遅延を試みているとしか思えません。
これらの行動によって、被調査人は、日本における裁判制度と弁護人制度への信頼を傷つけ続けています。
あのように不誠実で醜悪な主張及び行動を繰り返す人間が弁護士としてふさわしいとは思えません。
以上の理由により私は、被調査人が上記控訴審においてとっている行動が弁護士法56条に定める所属弁護士会の秩序または信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行であると考えます。
よって弁護士法第57条、58条に基づき、請求の趣旨の通り求めます。
このテンプレートによって懲戒請求した人がかなりいるのではないかと思われますが、
さて、最高裁判例に照らしていかがなものでしょうか。
まず最初に確認しておきたいのは、このブログはかなり掲示板化していますが掲示板ではないということです。
私の個人ブログです。
佐賀「けんか祭り」で大けが、男性が主催者役員を提訴(2007年10月27日12時35分 読売新聞 ウェブ魚拓)
去年も死者が出た相当荒っぽい祭りのようですが
訴状などによると、男性は昨年10月22日、担いでいた団車の下敷きになった。男性側は「主催者側は死傷者が出ることを予測できたのに、十分な事前研修などの安全対策を取らなかった」などと主張している。
渋田会長は「事故は参加者の自己責任と考えている」と争う姿勢を示している。
う〜ん、どうなんでしょ。
大正時代から続いている祭りとのことですので、参加者もどういう祭りか、つまりどういう危険性があるのか知っていてしかるべきとも思われますので、自己責任の部分はあると思われます。
十分な事前研修などを行っていれば事故は防げたのかどうかも争点みたいです。
どんな祭りなのか具体的なイメージが分かりませんので、訴訟の結果を予測することは困難ですが、たぶん、安全第一と考えれば今の祭りの形態を維持できないのではないかと憶測します。
そんな祭りがあってもいいじゃないか、と考えるか、今時そんな危ない祭りを続けるべきじゃない、と考えるかという問題が根本にありそうな気がします。
薬物初犯に民間の乱用防止プログラム…警視庁(2007年10月25日13時56分 読売新聞)
今回のモデル事業は、東京の渋谷、新宿、池袋など6署で逮捕された使用者のうち、起訴から14日以内に判決を言い渡す「即決裁判」で執行猶予になる可能性が高い初犯者に、民間団体「日本ダルク」(東京)のプログラムを紹介。参加者は、週1回、薬物依存症から回復した人と経験を語り合うグループカウンセリングや、一定期間ごとの薬物検査などを受ける。
ダルクの活動が評価されてきたみたいです。
ダルクは覚せい剤などの薬物依存症からの脱却を支援する民間組織です。
各地にありますので、「ダルク」のキーワードでググると情報が得られると思います。
ただし、受入れ可能人員はそれほど多くないようなんですが。
全国学力テスト結果公表、基本知識あるも応用力に課題(2007年10月24日23時25分 読売新聞)
全員参加を前提としたテストとしては43年ぶりで、計算などの基本的知識は身についていたものの、応用力に課題があることが浮き彫りになった。
これはロースクールの教員としても感じるときがあります。
結局は、基本的知識が表面的な知識にとどまっているところが問題なのではないかと思います。
知識を使う、ということがおざなりにされているのではないでしょうか。
これは勉強というよりトレーニングだと思うのですが。
一般人さん(このブログで「一般人」というハンドルネームで投稿していた人)に対して、無期限の他エントリ投稿禁止措置をとります。
IPアドレスによる投稿制限はプロバイダ単位になり他の投稿者の投稿も制限するおそれがありますのでとりませんが、今後、このエントリ以外のコメント欄に対してなされた「一般人」さんの投稿は私が発見しだい全て削除します。
このエントリのコメント欄については、私に対する批判であれ中傷であれ罵倒であれ他エントリに対する意見であれ投稿してかまいません。
私の通常の基準で不適切と認められる投稿以外は削除しません。
他の方がレスをつけるのも自由です。
この措置は、「一般人」さんの多数の投稿によるこれまでの「一般人」さんの投稿姿勢と警告無視の態度によるものであり、ごく例外的な措置ですので、他の投稿者の方は気にする必要がありません。
若干名の気になる方はありますが、いきなり同様の措置をとることはありません。
要は、堂々巡りにならずに「大人の会話」をしていただければよいと考えています。
調書流出事件に関する意見の一つとして、江川紹子さんの
を読みました。
さすがに少年審判を含む刑事司法全般について、そこいらのテレビのニュースキャスターやワイドショーのコメンテイターとは一線を画す深い理解が感じられます。
しかし
しかし、プライヴァシーと知る権利をどう調和させるか、という問題に、公権力が立ち入るべきではない。
という意見にはやはり異論を提示せざるを得ない。
これでは、守秘義務といものは、少なくともジャーナリストに対しては認めるべきではない、ということになってしまう。
江川さんの見識は信頼できるとしても、全てのジャーナリストと自称する人間が信頼できるとは限らない。
それに、供述調書をそのまま公開することが必ずしも「知る権利」に寄与するものではないことは江川さん自身が指摘しているとおりである。
私は、守秘義務の対象として秘密とされるべき事柄の範囲については議論されるべきであると考えますが、現時点で「公権力が立ち入るべきではない。」と言い切ることはできません。
本件は、裁判所から依頼された鑑定人による守秘義務違反という司法作用そのものに対する信頼を揺るがしかねないおそれも看過できない事案であり、単純にプライヴァシー対知る権利と見ることができない側面も有しています。
刑事司法作用の中でも特異な位置にある少年審判と少年の更生の問題を含めて、もっと広い視野のもとに議論されるべき問題だと考えます。
江川さんだけでなく報道関係者は、公権力との力関係において報道の自由の尊重を主張しますが、プライバシーとの関係においては報道機関は圧倒的な優位にあることにもっと配慮すべきだと思います。
結論――。取材の手法、執筆に仕方に対する批判や議論はむしろすべきだ。少年事件についての情報をどこまで公表してよいかについては、これまで以上に活発な議論を行うことが望ましい。しかし、プライヴァシーと知る権利をどう調和させるか、という問題に、公権力が立ち入るべきではない。
この結論の前者の認識は私と共通です。
しかし、それが後者の結論にストレートに結びつかない原因のかなりの部分はマスコミ自身にあるのではないでしょうか。
版元として取材源を明らかにすることはできませんが、本書に関連するとして身柄を拘束され、多大な苦痛を受けておられる鑑定医の方には心よりお詫び申し上げます。
鑑定医にお詫びをしているのですが、何故講談社が鑑定医にお詫びをしなければならないのか、文面からは明らかでありません。
あくまでも文面からはですが。
今回の事件にあたっても、真相を明らかにすることを目的として、著者を中心に取材活動を展開しました。一連の取材のなかで供述調書を含む捜査資料を入手したわけですが、この取材活動は正当な行為であったと考えています。
正当な行為であるならば鑑定医に謝罪する必要はないと思うのですが。
私たちは今回の捜査の目的はメディアの取材活動を萎縮させることにあり、到底容認できるものではないと考えております。
全てを捜査側の責任と言うのでしょうか?
弊社では、本書出版の経緯、形態、意義について第三者を含む調査委員会を設けて詳細に検証を行い、その結果を改めて公表いたします。
この問題は著者が調書をどのようにして入手したかがほとんど全てだと思うのですが、取材源を秘匿しつつどのような調査結果を発表できるのかはなはだ疑問です。
ともかく公表を待つことにしましょう。
橋下弁護士の懲戒請求扇動問題に関するカテゴリを設定し、そこに関連するエントリをまとめました。
この問題に関心のある方はお読みください。
特に、懲戒請求をした皆さんは必読です。
「長男は殺人者」の誤解解きたかった 鑑定医が動機(asahi.com 2007年10月18日20時51分 ウェブ魚拓)
草薙氏の依頼に応じた理由を「長男に明確な殺意があったわけではないことを社会に訴え、広汎性発達障害への世間の誤解もなくしたかった」と話しているという。
これが動機とのことですが、殺意の存否の認定について明らかな越権行為だと思いますし、自分の鑑定書を見せるならともかく、供述調書を見せる理由にはならないのではないでしょうか。
最近のコメントの中に、削除を気にする付記がなされるコメントが多いように思われますので、あらためて削除ポリシーについて述べておきます。
このブログは、「元検弁護士のつぶやき」というタイトルのとおり、当初は私の個人的な感想や考えを書き綴るつもりで始めました。
当然、私の考え等に対しては批判・反論も予想されるわけですが、私に対する反論・批判・中傷・罵倒等に関する限り、意地でも削除しない(^^; というスタンスでやってきました。
ところが、医療崩壊問題をテーマにしたころから、多くの読者による議論ブログの様相を呈してきまして、今回の橋下懲戒請求扇動問題においても、議論が盛り上がってきました。
刑事弁護に携わる弁護士として、私は、この問題の議論は大げさに言えば国民的議論が必要な問題であると考えています。
そうなりますと、ブログ管理者の私としては、議論がより多くの読者による建設的なものになることがとても重要なことになります。
ところが、一部の議論参加者の中に、(あくまでも私の認識ですが)、議論のための議論、反論のための反論を繰り返す人が出てきました。
このような発言が繰り返されますと(繰り返されるという点が重要)、建設的な議論が阻害されるだけでなく、不毛な議論の応酬により多くの潜在的議論参加希望者の発言が抑制されているのではないかという懸念が生じました。
語弊がある言い方ですが、一部の参加者とそれに対する応答によって、コメント欄が占拠されるような事態が生じたわけです。
私の「コメント削除とアクセス禁止について」と「一般人さんへ」はその苦渋の対応であったわけです。
何も、「キモイ」というような発言を一つ取り上げたわけではありません。それだけならスルーするかたしなめる程度で足ります。
私が、一般人さんに対して「投稿態度」を指摘したのは、個々の発言を問題にしたのではなく、一連の議論のあり方を問題にしたものでした。
an_accused さんとしても、私と同様の認識と苛立ちの下に、優柔不断な私に対して「なんとかせんかい」と仰ったものと拝察しています。
要するに、私が(たぶん多くの人も)最も問題にしているのは、議論において対立する意見について聞く耳を持っているかどうかです。
対立する意見、批判を述べる分には何の問題もありませんし、私の期待するところでもあります。
批判がなければ議論は深まりませんから。
もっと平ったく言えば、大人の会話が成立していればいいわけです。
必ずしも論理的である必要はありません。
素朴な心情や感情の吐露が述べられることも必要かつ重要であると考えています。
そこに少々の不穏当な発言が混じっても許容範囲です。
今までも、最初はとても激しい表現でコメントされた方ありましたが、レスを重ねることによって相互理解が深まるということが何度もありました。
私にとってとてもうれしいことでした。
私の真意が伝わったかどうかはなはだこころもとないエントリでありますが、このブログによって問題意識をもってくださった多くの皆様が、気楽に自由に議論に参加していただくことを願っていることだけでもご理解いただければ幸いです。
めったなことでは削除しませんし、アク禁の実効性について問題があるのはinti-sol さんが指摘しているとおりです。
はっきり言って、私も面倒くさいことはしたくありません(^^)
「犯行当時は心神耗弱」滋賀2園児殺害、鄭被告に無期懲役(2007年10月16日13時51分 読売新聞)
最大の争点だった被告の刑事責任能力について、長井裁判長は「被告は当時、統合失調症に罹患(りかん)し、被害妄想が強まっていた。自己の行為の善悪を判断する能力や、行動を制御する能力を完全に失っていなかったが、考えと行動が飛躍しており、攻撃性や衝動性が著しく増したことが引き起こした犯行」と述べた。
詳細な判決要旨はこちら
http://sankei.jp.msn.com/topics/affairs/4081/afr4081-t.htm
奈良の調書流出事件、鑑定医を秘密漏示容疑で逮捕(2007年10月14日13時24分 読売新聞 ウェブ魚拓)
ついに逮捕までいってしまいました。
裁判員制度を睨んで、訴訟関係人に対して守秘義務についての自覚を求める一罰百戒なのかな、と感じています。
別エントリで、草薙厚子氏を逮捕しないことについての不公平性が指摘されているようですが、たしかに通常の事件捜査感覚であれば、草薙氏には少なくとも教唆犯が成立する疑いが濃厚であり同時逮捕が基本ではないかと思われるのですが、やはりジャーナリストということを考慮したんでしょうか。
今後の展開次第では逮捕もあるかも知れませんが、とりあえずの感想です。
「国選弁護人、何もせず」富山冤罪の日弁連調査で柳原さん(やふーニュース 読売新聞配信)
柳原さんは、2002年4月の逮捕直後に行われた1回目の接見について、「弁護士なら助けてくれると思い容疑を否認した。『調査する』と言ってくれたが、その後、何の連絡もなく、次の接見では被害者2人に被害弁償金を支払うよう勧められた」と明かした。「接見は2回でいずれも10分程度だった」とし、消極的な弁護のあり方を非難した。
その後の公判の推移がこの陳述を裏付けているように思われます。
弁護士会からは、刑事弁護の活性化ということが叫ばれていますが、その根っこの部分にこのような問題があるようです。
但し、このような問題(消極的弁護またはもっと直裁に言えば手抜き弁護)の背景には、国選弁護士の報酬が安すぎるという問題もあることを指摘しておきます。
最高裁審理どうあるべきか 5判事大激論 強盗強姦事件(asahi.com 2007年10月13日15時58分 ウェブ魚拓)
大変興味深いです。
前注
このエントリにおける「一般人さん」というのは、「一般人」というハンドルネームの特定の個人のことです。
このブログには、私にとって重要なコメンテイターが何人かおられます。
an_accused さんはその中のお一人です。
そのan_accused さんから以下のようなコメントが寄せられました。
いきなり人を「キモい」と罵倒する輩が自己の主張を「常識的な主張」と言い張るのを、モトケンさんは黙って見過ごすのでしょうか。
その直接的な対象となっているのはあなたの「弁護士の品位」における9/23ののコメントであると認められますが、an_accused さんの指摘はそのコメントだけを根拠にするものではないと推察されます。
あなたのこれまでのコメント全体を読んだ上での指摘であることは、私自身の印象に照らしても明らかです。
楳図氏の新居、差し止め申し立て却下 東京地裁(asahi.com 2007年10月12日17時14分)
住民側によると、計画では外壁を60センチ幅の赤白の横しま模様に塗り分ける予定。
個人的には趣味のいいカラーリングとは思いませんので、心情的には付近住民に同情的なのですが、裁判所の判断としてはこうなるんだろうなと思います。
景観条例みたいなものがあれば別なんでしょうけど。
住民側は「不快と感じる色彩をいや応なしに継続的に見せられることは苦痛だ。価値観の押しつけは環境型ハラスメントとして違法だ」と主張。これに対し、楳図さん側は「赤白の塗り分けは自己表現であり表現の自由がある」として住民側との交渉には応じない意向を示していた。
私だったら、隣人と良好な関係を築いたほうが住み心地がいいと思うのですが、個人の価値観の重点の置き所が違うのでしょう。
どこにでも変人というのはいますので、本件もそのような場合の一つと思われます。
ここで、変人とは、価値観または感性における少数派という意味です。
個性的な人、と言ったほうが品位を保てるんだと思いますが(^^;
もっとも最近、この問題を報じたテレビでは、あまり気にならないと言う付近住民もいました。
家の位置関係や距離によっても感じ方が違うと思いますけど。
言うまでもなく、ボクシングの内藤大助対亀田大毅の世界フライ級タイトルマッチ
反則技連発!大毅が世界戦汚した
WBC審判委員「わたしなら失格」
「全然弱かった」内藤意地の圧勝
切腹?ネチネチ言ったらかわいそう
猪木、谷川氏は評価「頑張った」
ファンも激怒「恥を知れ」「腹切れ」
(以上、スポニチ)
アントニオ猪木のコメント
「若いのによく頑張ったんじゃないか」
プロレスと見ればそうかも知れない(^^)
親父が一番問題じゃないのかな。
「この悔しさをバネに頑張るしかない。大毅は一からの出直しや」
一から出直さないかんのはあんたとちゃうん。
追記
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1042162.html
追記の補足
亀田側が反論「反則は故意でない」 長兄興毅も疑惑否定(asahi.com 2007年10月12日22時59分)
ニュースの見出しはともかく
協会はすでにテレビ映像で、史郎氏が反則行為を促すような発言があったことを確認。
確認されちゃってます。
亀田大の処分、JBC検討「ライセンス停止・剥奪も」(asahi.com 2007年10月12日18時57分)
安河内事務局長は「セコンドが故意の反則を指示したとすれば、極めて悪質。事実なら、ライセンスの停止や剥奪(はく・だつ)もあり得る」と厳格な姿勢を見せている。
私は、橋下弁護士の光市弁護団に対する懲戒扇動については強い批判を加えてきました。
このブログで個人に加えた批判の中では最大級の批判だと思っています。
しかし、光市弁護団の弁護方針や記者会見のあり方について支持しているわけではありません。
富山の冤罪男性、再審で無罪 女性暴行で逮捕・服役(asahi.com 2007年10月10日15時58分)
結論は既に決まっていた判決なんですが、無罪となった柳原浩さんには不満が強く残る裁判だったようです。
さきほど見たテレビのニュースでは、裁判官の最後の言葉に「むかついた。」と正直な感想を述べておられました。
弁護側は、県警の高圧的な取り調べが柳原さんを自白に追い込んだと主張。捜査の経緯を解明するため、取り調べを担当した警察官の証人尋問などを求めたが、却下された。
問題はここなんですが、
たしかに訴訟的には裁判所は結論(無罪)を出すのに必要のない証拠調べをする必要はないのですが、裁判長自身が「失われた時間は取り戻せない」と言っているように、回復不能な理不尽な冤罪被害を受けた柳さんの納得というものも考えるべきではないのかな、と思います。
彷徨ってたらこんなのを見つけました(^^)
さきほど橋下弁護士の発言要旨をまとめたブログの紹介をしましたが、そのブログの他のエントリには読むに耐えないものもありました。
紹介エントリに関する限り、容認の範囲内と思い紹介しましたが、わざわざ不適切なエントリをコメント欄に引用する人がいましたので、紹介の意図を外れる結果が生じかねないと判断し、削除いたしました。
「手に負えぬ」と学校上申書、たばこ万引き中学生3人逮捕(2007年10月9日12時48分 読売新聞 ウェブ魚拓)
中学生が万引きした場合、逮捕せずに補導で済ませるケースが多いが、同課は、3人が通う中学校から「度重なる補導や授業の妨害で学校の指導力では手に負えない」との上申書の提出を受けたことなどから、家庭裁判所による審判が必要と判断し、先月下旬、逮捕に踏み切った。
教師の指導力の低下が問題だ、という問題ではないだろうと思います。
家庭のしつけがだめ。
↓
学校の先生もお手上げ
↓
警察の逮捕経由
↓
家庭裁判所に下駄を預ける
と単純に図式化してはいけないのかも知れませんが、逮捕というショック療法もやむを得ない生徒はいるのだろうと思います。
↓は、最後の仕上げを任された家庭裁判所の苦労の一端が垣間見えるブログです。
フェリーが灯台に衝突、なぎ倒す 大分・別府(asahi.com 2007年10月07日19時03分)
怪我人がなくてなによりでした。
で、なんでこのニュースをとりあげたかといいますと、
フェラーリが灯台に衝突、なぎ倒す
と読めたんですね、最初は(^^)
なんて派手な事故なんだ、と思ったんですが、フェリーでした(^^;
psq法曹 さんが少々辟易されていますが、私も同様です。
もっともこれらの区別については私のほうでもっと早く説明しておくべきだったように思います。
弁護士というのは、弁護士法に基づいて弁護士としての仕事をすることが認められた人のことで、平ったく言えば、職業の一つです。
弁護人というのは、特定の刑事事件において特定の被告人を弁護する立場の者で、原則として弁護士でなければ弁護人になれません。
一人の被告人について弁護人が複数つく場合があり、そのような場合に弁護人全体を弁護団と言うことがあります。
なお、民事訴訟においては当事者を弁護する弁護士を代理人弁護士というのが普通で、民事訴訟で複数の代理人弁護士がいる場合も弁護団と言います。
弁護士会というのは、弁護士で組織する団体のことです。
弁護士会がいろいろな問題で弁護士会として意見等を表明する場合がありますが、その弁護士会に所属する弁護士が同じ意見を持っているとは限りません。
個人個人の弁護士を見れば、左右両極端からその間の無限のバリエーションの考え方の持ち主がいます。
以上の区別を意識して意見を述べていただきますと、無用の混乱を避けることができると思います。
ブログとはいえ文章を書いておりますと、やっぱりどういう読まれ方をしているのかなというのは気になるもので、はてなブックマークのコメントやリンクしてくださっているブログなどを見ています。
もちろん好意的な意見もあれば批判的な意見もありますが、反応があるというのはうれしいものです。
で、テクノラティによる最新リンクブログに「ぴっぴはもはも(湯&愚痴)記」というのがありました。
素人には、やっぱカチンコチンくる言葉も 出てきてたんで、「ど〜せ素人だけどさ、ぷんぷん」 と感じたのも事実ですが。
やっぱり(^^;
ごもっともです m(_ _)m
全部は理解できない頭はよくない私なんだけど、眺めてると そこには、何か知らなかった世界が広がってるんだと。
すごくうれしいです。
私は、裁判員制度についてはあまりの導入の拙速さにかなり批判的というか不安がいっぱいなのですが、紹介したブログの管理人さんのように司法を理解しようという人が増えてくれば、ひょっとすると何とかなるかも知れないとわずかな希望の灯を感じないわけではありません。
制度に不備があったとしても、その制度の下で裁かれるのは被告人であり、被告人に制度の不備の責任があるわけではありません。
裁判員制度が実施されても、被告人ができる限り公正・公平な裁判を受けられる必要がありますから、刑事裁判に対する理解が少しでも広がればいいと思います。
なんやかやと言っても、私のブログは結果的に裁判員制度を応援していることになっているのかな、それならそれでいいことかも知れないと思っております。
弁護士 Barl-Karthによる 1st of Ramadan 日記
音楽談義の合間に、微妙な問題についてわりと明確に考え方を述べておられます。
一審の死刑判決支持、被告の控訴棄却 熊本・男女殺害(asahi.com 2007年10月03日13時34分)
被告側は一審と同様、「強盗殺人の目的はなく、殺人と盗みの罪にあたる」などと主張し、一審判決は事実誤認だと訴えていた。一審判決によると、松田被告は03年10月16日午前11時20分ごろ、木下啓子さん(当時54)方に押し入り、木下さんと内縁の夫の貸金業三浦隆雄さん(同54)を、持参した包丁で刺殺し、現金約8万円や腕時計などを奪ったとされる。
このニュースだけを見て言えば、貸金業者の家に押し入って現金を奪っているのだから、強盗殺人の目的はなかったという弁解は荒唐無稽と言えなくもない。
警察庁、法曹3者会合に参加 「取り調べ可視化」協議へ(asahi.com 2007年10月04日19時11分)
ただ、吉村博人長官は4日の定例会見で、「基本的な考え方は変えていないが、全く変えないということで協議に参加しているわけではない」との考えを示した。
踏み字事件の影響があるのではないでしょうか。
あれだけの違法捜査をやったんでは、どんな反対理由も吹っ飛ぶでしょう。
ここで世間常識というのは司法のことをご存じない素人さんの常識という意味です。
このブログのコメントでもそうですが、司法と世間常識のずれというものを指摘する人がかなりいます。
そして、その意味するところは、光市弁護団の弁護方針を念頭におきつつ
司法と世間常識がずれていて司法は常識はずれなのだから司法は世間の常識に合わせるべきである。
と読める場合が多いです。
しかしこれに対しては、「ちょっと待ってくださいよ。」と言わざるを得ません。
これまで、このブログでも同様の問題がさんざん議論されてきたのでありますが、なにぶんコメント数が膨大なブログですのでコメントの山に埋もれてしまうことから、同じ議論が何度も繰り返されています。
結局、何度も同じことを言わなければならないのですが、それもやむを得ないと考え、何度でも書くことにします。
いわゆる世間の常識というのは、一般市民の間での日常の社会生活上の共通認識的規範だと思いますが、
そもそも刑事裁判は日常的な場面ではありません。
被告人が国家権力から罪に問われて、国家権力と戦っている場面です。
死刑求刑事件なら、文字通り命がけで戦っているのです。
こんな非日常的な状況の被告人に世間の常識に従うことを要求すること自体、非常識であるとすら思えます。
そこで法律(刑事訴訟法など)は、この特別な状況である刑事裁判の仕組みを定め、検察官の起訴、つまり被告人は有罪だ、死刑だ、という主張に対して、被告人に検察官の主張に対抗するためにあらゆる主張を行うことを許容しています。
ここで、刑事裁判における真実発見と正義の実現の仕組みを確認しますが、裁判官が検察官の主張が正しいと認めれば被告人は有罪となるのであり、裁判官が検察官の主張が正しいとは言えないと判断すれば有罪にはなりません。
被告人の主張が正しいと判断する必要はないのです。
検察官の主張と立証が成功してそれが裁判官によって正当と判断されるかどうかが問題なのです。
そして、検察官の主張と立証の正当性を確認するために、被告人に検察官に対するあらゆる反論の機会を保障しています。
被告人としては、自らの主張の正当性を立証する必要はなく、検察官の主張の正当性に疑念を生じさせれば足りるのです。
これが疑わしきは被告人の利益にという意味です。
そして、被告人の主張を代弁する職責を担う者として弁護人の制度を定めています。
法律がこのようになっているのは、検察官は国家権力を背景として強力な権限を持つのに対し、被告人や弁護人には何の権力もないことから、少なくとも検察官に対する批判だけでも保障しようと考えているからだと思われます。
言いたいことは全て言わせるというスタンスです。
一見、荒唐無稽であろうとアンビリーバボーであろうと、論理的に矛盾していようと、その時点における証拠といかに矛盾していようと、主張の機会自体は保障しているのです。
どんな主張も、主張をまってそれを検証してみないと真偽のほどはわからないからです。
そして、真偽のほどを判断する資格を有しているのは裁判官(まもなく裁判員も含まれますが)のみで
す。
そして、全ての事件について、被告人に反論と反証に機会を与えるという手順を文字通り例外なく踏む必要があります。
この例外なく手順を踏まなければいけないということは法律で決まっているのです。
そして法律は国民の代表である国会で制定されています。
つまり、例外なく手順を踏まなければならないというのは国民の意思として法律で定められているのです。
ところが、(その割合はともかく)国民の一部の人たちは(ごく一部の弁護士も)、自分たちの代表が定めた法律を忘れて、常識をふりかざし、そもそも常識が通用する基礎がない刑事裁判に対して、常識に従えと要求しています。
現実問題としては、素人さんは法律を知らないのですから(だから素人)、的外れな批判をすることは無理もないと思いますが、このエントリを読んだ素人さんは、司法の世界は常識がそのまま通用しないところがあることを理解してほしいと思います。
なお、念のため確認しておきますが、被告人及び被告人を代弁する弁護人が、一見荒唐無稽なアンビリーバボーな主張や、論理的に矛盾している主張や、その時点における証拠と矛盾する主張をした場合、弁護人が検察官の主張・立証を揺るがす程度まで、被告人の供述の合理性や論理的整合性や被告人の主張に合致する新証拠の提出ができなかったら、裁判所は最終的に被告人の主張は、荒唐無稽で信じがたく、非論理的で証拠に矛盾すると判断し、一蹴されてしまうだけです。
法律は、被告人にあらゆる主張の機会を保障していますが、裁判所には証拠に基づく合理的な判断を要求しており、多くの裁判官は証拠に基づいて合理的な判断(どちらかというと検察官よりの判断)をしていると思っています。
説明責任に関連して、説明の義務と説明の必要性というものが議論されているようですが、どうも説明の対象について混乱が見られます。
最近のコメント欄の感想のコメント欄において、私がTAKU さんのコメントに応答したのは、言葉が独り歩きしている感のある「世間」、「常識」、「一般社会」というような抽象的なキーワードについて考えてみる機会を作るのもいいのではないか、と考えたからです。
その意味では、なかなか有意義ではなかったかと考えています。