エントリ

 最近のコメント欄の感想のコメント欄において、私がTAKU さんのコメントに応答したのは、言葉が独り歩きしている感のある「世間」、「常識」、「一般社会」というような抽象的なキーワードについて考えてみる機会を作るのもいいのではないか、と考えたからです。
 その意味では、なかなか有意義ではなかったかと考えています。

追記
 意見を述べるときに「証拠」が必要かどうかという議論がありましたが、私としましては、議論の内容によりますが、意見を述べるときに必ずしも「証拠」というものは必要ないと考えています。
 私は、ここでいうところの「証拠」とは、刑事訴訟における証拠に近いイメージで言ってます。

 但し、議論として成立するためには、意見の「根拠」または「前提」がある程度は明確である必要があると思います。
 議論によっては「根拠」または「前提」の明確性がアバウトでもいい場合も厳密性を要求される場合もあると思いますが、厳密性を要求する場合はその根拠を示した上で厳密性に関する議論が行われればいいと思います。

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コメント(19)

私の感想としては、前半戦は正直、「もうここら辺でいいでしょ?」と思っておりました。

TAKU さん云々よりは、答えようとする私自身が勉強になりましたよ。

意外と勉強させてくれる人なんではないんでしょうか、あのTAKUさんって言う人は。

(もしかして頭いいのかも。この議論も演出かも・・・とも実際には思っています。)

しかし疲れるときも、生活もあるので、私はしばらく見てるだけにしたいですけどね。また元気になったら話したい人です。

私が前のエントリーで「法の命は一般性」だと書きましたが,
これは例えば殺人事件であれば,誰が,誰を,いつ,どこで,どのような手段で,どのような理由から殺そうが,刑法199条の適用になる…というほどの意味であってハンドル名「一般人」さんとは何の関わり合いもありません。
誤解なきよう,ご理解たまわれれば幸いです。

「世間」の定義が曖昧なのはわかりますが、「証明しろ」で切って捨ててしまうのはどうかと思いました。
少なくとも4,000件の懲戒請求を起こした人がいるということは事実であるし、ハインリッヒの法則を当てはめれば、12万人の行動までは起こさなかった人、120万人の不満に思っている人くらいはありえるなと思いました。

「世間」は怒っていたとしても、刑事弁護では一顧だにしないということで論ずることもできたはずですし、現にそれもなされていましたよね。

No.4 薬屋の企画屋さんへ

もともとは「証明しろ」じゃなくて「定義しろ」って話じゃなかったでしたっけ? その答えとして、別に「オレ定義」で構わないからさっさと示せばよいのに、「自分でもよくわかんない。証明なんかできるか」などと返したあたりから話がスタックしてしまったように思います。

No.5 せっせさん

あ、すみません。そうでしたね。
主旨は変わりませんが。

ざっとしかコメントを追ってないので誤解があるかもしれませんが、TAKUさんのロジックは、

マスコミが被告人・弁護人が荒唐無稽な主張をしていると伝えていますよ
 ↓
それに接した国民はその報道をそのまま信じちゃうかもしれませんよ
 ↓
国民の刑事司法システム(特に弁護制度)に対する信頼が揺らぐかもしれませんよ(←国民の知識が十分でないという暗黙の前提あり)
 ↓
弁護士会(弁護人と言っていたところもあったかも?ですが、209では弁護士会といっている)はそれに対して何か言い返した方がいいんじゃないんですか

というものではないかと理解しています。なんか、ごもっともと思うんですけどね。
もっとも、何を言い返すかというと、個別具体的な事件の内容ではなく、弁護制度の必要性という抽象的なレベルの説明しかできないとは思いますが。
私としては、マスコミ報道程度で国民の刑事司法システムへの信頼が揺らぐ可能性が危惧されるという現在の事態自体が間が抜けているとしか言いようがなく、教育を通じた状況の改善を強く期待したいところです(そのために裁判員制度もあるようですが、一番効果が早いのは無理でしょうけどマスメディアの規制でしょうね。)。

少しコメントを落ち着いたかと思います。
「刑事裁判と社会正義」をやっぱり、法曹界の慣習と一般社会のズレがあることが、今回の原因でしよう。
 いくら論議しても堂々巡り、同じ質問に何度も回答。最後はコメントバック!!先にはとても進まない。

根本的に
1 法曹界はやっぱり一般社会とかけ離れている。
2 社会の意見をどうしても取り入れられない。
3 「社会正義」の名の基に、弁護活動を正当化しようとしている。
4 公正な裁判の期待から「三権分立の基礎」成りたっているはずが、残念ながら、現実に法曹者が国民から「公正を付託されている」自覚を失なってしまった。

 ます、初心に帰って、司法修習の時、進路を選択した時、「社会正義を貫く」と言う気持ちは一致していたはずが、どこかで歯車がくるった。
 訴訟費用の印紙代は、安価であるが、弁護士費用、成功報酬等で、ほとんど民事裁判では持って行かれる。

 だから、国選弁護人になりたくない→「情状を訴える」→「精神鑑定」「心理鑑定」そして、医療刑務所へ。

今は、進んで刑務所に入りがたがる高齢者も多く、これも社会問題。自己の「安全の確保」、「生活の確保」に使われ、刑務所は満員状態。軽度の犯罪の再犯率は年々増加。いくら、警察、検察、弁護士がいても「抑止力のならない」。それが現実。

光市事件、今の弁護団は、個人の意思で参加していると言う。しかし、最高裁の安田弁護士、足立弁護士の補充要旨補充書、その2、その3に既に「母体一体」「母体回避」のストーリーは創られたいた。最高裁は一蹴りしたが、懲りずに差も戻し審の「更新意見書」にまとめた。しかし、比べてみると、更新意見書の更生を行ったのが、比較的若い弁護士のようで、序章の部分と内容の部分に矛盾をはらんでいたことが、しっかり読んだ人は素人でも解る。
 安田、足立弁護士以外は、実働部隊となっているが、最高裁の弁論要旨補充書、その2、その3と現在の更新意見書を読み比べたのか疑問に思う。
 本当に、21人(現在22人)の弁護人が必要であったのか。懲戒請求された弁護士は気の毒に思うが、本当に精査した人が何人いたか。同情だけでは、真実は伝わってこない。

 初回公判。では報道を利用しようとした一部の者がいると言われている。残念だが、意図していたことから反対の感情に向かってしまった。これは、大きな誤算でした。検察批判、最高裁批判を取り上げてもらう意図がくずれた。2人を除く他の弁護士には思わぬ負担となってしまった。  残念に思う。
From USA

煎じ詰めるところ、やっぱり国会での落ち着いた議論ではないだろうか、と思うのですが。

国会で「裁判官や弁護士や検察や刑罰やらについて全般的な再検討を行う委員会」の設置をお願いし継続審議をしたほうが、今より「まし」ってことのような気がするんですがねえ。

自称「世論」の過激さも無いだろうし、専門家の意見も入る(平等に入るかどうかが問題でしょうが・・・)。

今日はこれでおやすみなさいです。

>意見を述べるときに「証拠」が必要かどうかという議論がありましたが、私としましては、議論の内容によりますが、意見を述べるときに必ずしも「証拠」というものは必要ないと考えています。
>但し、議論として成立するためには、意見の「根拠」または「前提」がある程度は明確である必要があると思います。

この「根拠」または「前提」に、「世間」、「常識」、「一般社会」を提示する場合、その「定義」が必要になるのでは?と思って彼の果てしない議論(もどき?)に付き合わせていただいておりました。その「定義」された言葉を使った命題の証明に「証拠」が必要なのかと。そうでない(定義が明確でない)と

>「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」

と仰ってるのと同じかと。

モトケン先生 
コメント500オーバーおめでとうございます(?)

今までのエントリで一番コメント数多いんじゃないですか?
ほっといたらどこまで行くんでしょうね。

そこまで引っ張ったTAKUさんはすごいですね。

>No.11 99 さん

>今までのエントリで一番コメント数多いんじゃないですか?

このモトケンブログでは、「医療崩壊について考え、語るエントリ」という、2006年09月02日の(その1)から始まり、2007年06月19日に(その12)のコメント297まで、足掛け10ヵ月間、述べコメント総数2,913コメントという不滅の大記録があります。

このブログの常連さん達にとっては、500コメント程度なら、まだまだ序の口、スタミナ充分の余力タップリ、という状態ではないでしょうか。

いやあ、本当に「世間」って、「一般社会」って、何なんでしょう。
どのように定義したところでその怪物性は変わらないような気がします。
あらゆる専門家が「世間」に翻弄される時代に突入してますね。

No.13 DM医先生

>いやあ、本当に「世間」って、「一般社会」って、何なんでしょう。
どのように定義したところでその怪物性は変わらないような気がします。

 私も同じような思いを最近持っています。「怪物」という言葉がふさわしいのではないかと。正体ははっきりとせず、気づいたときには、大きな力をもって個人を圧倒する。でも、この「怪物」は、「怪物個人」の意思を持っていないんですよね。また、私自身が怪物の一部であることもあるんですよね。

 ただの感想でした。

この問題は、「大衆化(マス化)」と言う言葉である程度説明することができるかも知れません。

http://www.cmpk.or.jp/user/aiueoscl/EJUAIS/koumin/q9.html

No.12 法務業の末席 さん

そうでした(^^; ありましたね〜。
そのエントリも私見てたんですけど、コメント250くらいで
分割されてたんで、つい頭から抜けてました。
感覚で言ってしまって申し訳ございませんm(__)m

そういうわけですので、法務業の末席さんのコメントも
前々から拝見しておりました。色々勉強になります。

光市事件問題についてだけでなく、物事を判断するときは
色々な角度から調べて自分なりの答えを出したいと思って
いるので、こちらのブログはとても参考になります。
(もちろん橋下弁護士のブログや委員会の掲示板も見てます)

No.14 nukiさん
「世間」は「世間」として見るしかないようです。
人間の細胞一つひとつを観察しても、人間は理解できません。
「盲人と象」の話が有名ですね。

また、観察しようとしたことで「世間」は変わってしまいますから、「世間」を正確に理解するのは無理だと思います。
それでも、「世間」は私たちに大きな影響を与えるので「世間」を仮説し、行動を起こし、その結果を検証し続けることで「世間」とうまくやっていかなければならないのが、「世間」に属する私たちの定めでしょうか。

以上、感想でした。

モトケン様、常連の皆様、はじめまして。
私は法曹関係とは縁のない一般人です。
何かと的外れな意見を言うかもしれませんがよろしくお願いします。

・意見の応酬について
私がコメント欄を見て思ったのは、何故知識が豊富なのに相手の立場になって返答してあげられないのかな?という事でした。「世間」の定義が定かでないのなら「おそらくこういう意味合いでの主張だと思いますので、その前提でお答えすると…」のように一応の答えを提示してから「もし世間の定義がずれているようなら世間の定義を提示して下さい。その後で改めて考えてみたいと思います」とでも返答していれば穏便に済んだのではないでしょうか?

・弁護人について
被告人の利益を守るという事ですけど、被告人の利益ってなんでしょうか?犯した罪相当の刑罰よりも重い刑罰を科されれば不利益になるのはわかりますが、犯した罪相当の刑罰より軽い刑罰にする必要もないと思うんですよね。(罪が確定した上で情状酌量などで減刑される分には問題ないと思います)
ただ、この前提で考えると被告人に対して不利な証拠であっても犯した罪相当の刑罰になるだけであるなら隠す必要性がないような気がするんですよね。(検察側にも同様の事が言えますが)
そうすると被告人が真実を語らなくなる恐れがありますが、嘘をついてバレてしまえば量刑が重くなるわけで、それなら真実を話すメリットも充分にあると言えそうですし。
でも、検察側と弁護側が互いに協力しあって真実を追究するのも無理がありそうなんですよね…。個人的にはまず真実を追究して罪を確定した上で量刑を軽い方に動かすか重い方に動かすかといった点で弁護人と検察が争うという形が良いと思うんですけど。

なんだか自分でもよくわからなくなってきたのでこの辺で失礼します…^^;

横から失礼します。

>No.18 琴織 さん
>・意見の応酬について
は、9/29のコメントをもう一度最初から(無茶ですが)読み直して
見る事をオヌヌメします。
荒れ気味のところもありますが、かなり根気づよく返答されていますよ?

>・弁護人について
法曹人でない自分がこちらを拝読した限りでは、被告人の利益ってつまり
「不当な判決や量刑を避ける」ことじゃないんですか?

冤罪で無実を主張するのはもちろん、今回の様に「明らかに人の命は
失われた。だが、故意ではなかった」という視点で争う事は被告人の
利益ですよね。

弁護団の主張は、「罪相当の刑罰より軽くしよう」というのでなく、
「『罪自体が』もっと軽いものであるはずだ(だから量刑は軽くなる)」
というものだと理解しています。

特に今回の場合(自分もこちらで色々勉強させて頂くまで知りません
でしたが)、弁護団の主張のほとんどが(都合良く抜粋されたもので
あるにせよ)事実に基づいている訳ですから、彼らの主張自体は彼らが
職務に忠実であるだけ、ということじゃないでしょうか。

ただ、それが被害者遺族はもちろん、テレビを見ている多くの人に
とって「納得がいかない」し、その主張が「荒唐無稽に見える」ことを
否定する訳ではありません。

ですが、「それでも被告人の利益を守るのが弁護士の職責」ということが
今までに何度も言われていますね。

いかに辛い仕事なのだろうかということは想像すらしかねます。

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