エントリ

 某掲示板などでは、軽視しているとか無視しているという意見があります。

 と問題提起していきなり話を変えますが、別エントリで企業の目的とコンプライアンス(法令遵守)についての議論がありました。
 現在、コンプライアンスの重要性が強く強調されています。
 企業の目的はといえば、やはり収益を上げること、つまり儲けることだと思います。
 しかし、現在では、コンプライアンスを軽視または無視する企業は顧客の支持を得られない、その結果企業として成り立たなくなっているのでしょう。
 要するに、企業が収益を上げるためにはコンプライアンスを徹底しなければならなくなっているということだと思います。
 つまり、企業が存続し、収益を上げるための手段としてコンプライアンスが重要になるのであり、コンプライアンス自体が目的になっているのではないと考えられます。
 専門外ですので言葉の使い方に自信がありませんが。

 刑事弁護と被害者・遺族への配慮というのも同じ関係にあります。
 ただし、企業のコンプライアンスのように不即不離な関係ではありません。

 犯人性を否認する事件では、被告人はそもそも加害者ではないと主張しているのですから、そのような被告人やその代弁者たる弁護人に被害者や遺族に対する慰謝の措置を求めること自体筋違いということになります。

 強姦事件で和姦を主張するような場合は、被告人と被害者の利害は決定的に対立します。
 被害者の供述を弾劾しなければ弁護として成り立たなくなってしまいます。
 そのような事件では、慰謝の措置はもちろん被害者の気持ちに配慮することすらできなくなります。

 しかし、特に被害者との示談の成立が実刑と執行猶予を分けるような事案では、被害者に対して最大限の慰謝の措置を講じて示談の成立を追求することが、弁護活動の全てといってよいものです。
 とにもかくにも被告人の行為によって被害が生じたという事実を争わない事案においては、被害者・遺族への慰謝の措置や被害感情に対する配慮は、最も重要な弁護活動のひとつです。
 その意味で、加害の事実を認める事件において被害者や遺族のことを考えない弁護人というのは弁護士失格と言っても過言ではありません。 

 その観点で光市事件は殺意は否認するとしても傷害致死は認めているのですから、被害者・遺族への配慮が必要な事案といえるのですが、弁護団の遺族対応を見てみますと、配慮に欠けるところが散見される点が否定できないと思えます。
 弁護団としては、死刑回避を至上命題とし、殺意の否認さえ成功すれば目的は達せられると考えていたのではないかと思えてしまうのです。
 主にマスコミ対応(記者会見)についてそういう印象があります。

 この問題は、今後、裁判員制度の実施を踏まえて弁護人としてもマスコミ対応の必要があると考えた場合は、全ての刑事弁護人にとって他人事ではありません。

 しばらく前に「光市弁護団のどこが気にいらないか。」というアンケート調査のようなエントリを立てたところ、多くの率直な意見が寄せられました。
 弁護士としては、もう一度、同エントリのコメント欄を読み返すことは無駄ではないと思います。

 同エントリのコメント欄におきましては、私の趣旨を的確に汲んでいただき、議論に流れることなく忌憚のない意見を寄せていただいた皆様に感謝申し上げます。

追記
 少し筆が滑っているところがあるようですので追記します。
 私は、光市事件の弁護団について、弁護士失格とまで言うつもりはありません。
 大変な努力をされていると思います。
 しかし、私は以前に、光市弁護団、特に安田弁護士に対する批判について「技術的批判にとどまる」ということを書きました。
 それは、被害者対応またはマスコミ対応についても妥当すると考えています。
 さらに筆を滑らせれば、あまり上手でない、もっと滑らせれば下手くそという印象を受ける部分があります。
 弁護活動自体について言えば、あまりにも情緒的な表現を使う部分があること、マスコミ対応について言えば、何のためにやっているのかいまいちよく分からない記者会見などです。
 遺族が、または記者連中が、見たり聞いたりしたらどういう印象を持つかという点についてまでの配慮という点において、私の感覚とかなり違う感じがしています。
 私の感覚が正しいかどうかという問題は残りますが。

 上記の「弁護団としては、死刑回避を至上命題とし、殺意の否認さえ成功すれば目的は達せられると考えていたのではないかと思えてしまうのです。」という部分は、弁護団に余裕のなさを感じるところから書いてしまったものです。
 それだけ、厳しい弁護だということなのですが。

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コメント(66)

>光市事件は殺意は否認するとしても傷害致死は認めているのですから、被害者・遺族への配慮が必要な事案といえるのですが、弁護団の遺族対応を見てみますと、配慮に欠けるところが散見される点が否定できないと思えます。
>弁護団としては、死刑回避を至上命題とし、殺意の否認さえ成功すれば目的は達せられると考えていたのではないかと思えてしまうのです

素朴な質問で申し訳ありませんが、弁護人にとって、被害者・遺族への配慮が義務付けられているのでしょうか? 私にはそうは思えません。被告防御に徹することこそが弁護人に求められる唯一の努力義務だと思っていました。遺族対応は、防御に付随する対応のように思えるのですが、違いますか?

また「死刑回避を至上命題」というご意見にもにわかに賛同できないレトリックを感じます。弁護人の職責から考えるならば、極刑を求刑されている場合は、極刑回避を最優先するのは必然ではないでしょうか。それを「至上命題」と言い換えられたお言葉に違和感を禁じ得ません。

突然のコメントで、また過去のログを読まずに申し上げることをお許しくださいませ。ですが、上に引用いたしましたご発言が看過すべきではないと感じ、コメントを差し上げる次第です。近日中に関連ログを拝見するつもりですので、よろしくお願いいたします。

Devlinさん

いろんな観点からいろんなことを書いてますので、読むのは大変だと思いますが、読んでからご意見をいただけるとうれしいです。

 しかし、実際のところ、ではそれ以上の何ができたのだろうかというと難しいだろうなとは思います。あの記者会見はまずかったとの批判はあるにしても、ではどのような記者会見ならよかったのかというと、どうやっても、おなじような批判を浴びたのではないかという気がします。
 

選択肢の一つとして

しない

というのがあったと思います。

これについては、ずっと小倉さんと同様に考えていました。


記者会見無しというのは、ここまで注目を浴びた事件では、現実性が乏しいように思います。取材攻勢や憶測記事の洪水等から、早晩記者会見はせざるを得なくなるだろうと思います。少なくとも記者会見をしないリスクも非常に高いものになることは間違いなく、した場合のリスクと比較してどちらが高いかは簡単には言えないように思います。

マスコミとの接触を一切拒否して「法廷での発言がすべてだ」と言えればよいのでしょうけど、そうすると、「世間に対する説明責任を果たしていないので懲戒だ」などと言う輩が出てきたりして難しいところですね。

本来は被告人=弁護人ではないのですから、弁護人の発言で被害者が傷ついたとしても被告人に対する処罰とは関係ないのですけどね。被害者(遺族)の処罰感情を量刑の要素にするから問題がややこしくなるのです。

今村弁護士なんかは、遺族の処罰感情を重視して死刑か無期懲役かを決めるなんてこと言っていますが、そうすると、遺族の前で何度も土下座するのが弁護人としての最高の弁護活動ということになりかねない。

あほくさいことです。

今村→今枝の間違いでした。

>No.3 小倉秀夫 さん

ではどのような記者会見ならよかったのかというと
「主張を述べ立てる」のではなく「記者に質問させ、それに答えるに留める」というやり方があったと思います。

具体的にはこうです。

役所の作成する木で鼻をくくったレジメ文章のようにして、

・差戻し高裁審では、一部否認とし起訴事実の一部争うとの方針説明。
・争うのは、犯行の計画性に関する部分と、殺意を認めたとされる点で、責任能力等ではないことを言明。
・一審、旧二審と主張を変更する部分については、実は取り調べ段階から否認を窺わせる供述があったにも拘らず、その点が重視されず公判が進んできたことを説明。
                     以上、終わり。

付加的に、被告人の精神発達が著しく遅滞していたことを窺わせる鑑定が存在し、弁護側としてはそれを是としているところまでは、弁護団が進んで発表しても良かったかもしれません。

それ以上は、明らかに喋りすぎだと思いますよ。

モトケンさんの真摯で重要な問題提起に関して、空気読まずに論点ずれまくりのちゃぶ台返しコメントになってしまいすみませんが、「被害者や被害者遺族の感情」をことあるごとに出してくる方々がどこまで本気というか、失礼ながら、どこまで真摯な思いから言っているか疑問でもあるんですよね。


もちろん、本気の方々もたくさんいるでしょうけど、中には、気に入らない対象(この事例では弁護団)を叩くという目的のため、「議論で優位に立つためのポジション取り」としてや、「正義の立場を容易に調達するため」に、「被害者や被害者遺族」を持ち出している人がけっこういるのではと。


無敵のポジション取り。無意識にこれをやっている人が多いかもしれませんが。


極めて政治的にアジェンダ・セッティングがなされているように思えます。悪いとは言いませんが。ある意味、言論における共感調達闘争ですから。全否定するつもりもありません。私はサヨクですし(笑)。


そして、モトケンさんのような真摯な問題意識や説明がこのアジェンダそのものを無効化することに資するとも思いますが(逆に土俵に乗ってしまうことになるかもしれませんが、これは記者会見するしないの議論と同じで簡単には答えは出ないかもしれません)。


私が、弁護団バッシング派のみなさんによる「被害者や被害者遺族への思いの発露」に微妙な気持ちになるのは、イラク人質事件被害者・被害者家族バッシングを思い出すからです。バッシングの担い手はかなりの部分で重なっているでしょう。


「(一部の人の世界観において「落ち度」がたとえあったとしても)何にも「悪いこと」をしていないのに犯罪に遭い、生きたまま焼き殺されるかもしれない境遇の犯罪被害者」と「愛する家族が、何にも「悪いこと」をしていないのに犯罪に遭い、生きたまま焼き殺されるかもしれない、という境遇にいた犯罪被害者家族」をあれだけ罵倒していたような方々。


正直、被害者や被害者家族がどうこうというより、ただただ「自分が気に入るかどうか」が判断基準なのではと。だから、光市事件でも、本村さんが「気に入られ」なかったらとんでもない方向に一部の人たちの感情の矛先が向いた可能性もあるかと。


というか、もしあれが強姦事件であったら(テレビがたいして取り上げないでしょうけど)、「被害者女性の落ち度(あやしい男を家に入れたのはこの人だけだ、とか)」へ一部の人たちの矛先が向かい典型的な犠牲者非難やセカンドレイプもありえた可能性も。


ちなみに、(自分を主語にせず)「国民が」「一般人が」「世間が」みたいのも、「気に入らない対象を叩くという目的のため、「議論で優位に立つためのポジション取り」としてや、「正義の立場を容易に調達するため」」の方便かと。イラク人質事件被害者・被害者家族バッシングでも同じ方便がさんざん使用されました。

少し前にネットの動画で、大谷昭宏さんと橋下弁護士が話しているテレビ番組を見ました。大谷さんによると、安田弁護士は昨年最高裁の後、被害者遺族宅を訪問し、留守だったために名刺に「お会いしたい」と書いたメモを置いてきたということです。遺族からの連絡はなかったようですが、とても気になるのは、そういうことは一切表に出ることなく、いかに弁護団の配慮がないかということのみが語られることです。被害者遺族と親しいというライターが今年になって出した本にも、弁護人がいかに非礼であるかということが延々と書かれていて、たとえば上記のような話はありませんし、あらゆる面で社会は弁護団に対してフェアではないように思います。
記者会見にしても、私が見たところでは被害者や遺族を特に傷つける発言、冒涜するような発言は一つもなかったように思います。後は印象の問題で、実は私も最初は見ていてあんまりいい感じを受けなかったのですが、後にもう一度見てみたら、そうでもないな、どうしてあんなふうに感じたのだろう、と思いました。印象がつねに正確だとは限らないと思います。

>No.10 Mitsuko さん

あなたの発言もミスリードが含まれてますね。
番組内での大谷さんの発言は安田弁護士に対して本村さんに
謝罪なり何らかの連絡をするように促した結果、初めて連絡を
とろうとしたとういう趣旨だったはずです。

あなたの発言だけだと安田弁護士が進んでとった行動と読めて
しまいます。

癸隠阿離灰瓮鵐箸聾斥嫗らずでした。刑事裁判において弁護人にことさら「被害者への配慮」を求めること自体、もともと無理があるのではないかということが私の言いたかったことです。被害者側の人生観、その時の心情によって同じ弁護人の態度、人柄を信頼に値すると受けとる場合もあれば、逆の場合もあるのではないでょうか。

普通の人さん

思いがけない抗議(?)を受けて、ビックリしてしまいました。

>番組内での大谷さんの発言は安田弁護士に対して本村さんに謝罪なり何らかの連絡をするように促した結果、初めて連絡をとろうとしたとういう趣旨だったはずです。

>あなたの発言だけだと安田弁護士が進んでとった行動と読めてしまいます。

もちろん私は安田弁護士が進んでとった行動と書いたのですよ。そう読んでいただかないと困ります。大谷さんが安田さんに謝罪を促したなどということは誰も一言も言っていませんでした。一体そんな架空のお話がどうしてあなたの頭に浮かんだのか不思議でなりません。
動画でこの自宅訪問のお話を聞いて、私も意外に感じました。そのため、二、三度見ましたから、いまも会話の詳細をよく記憶しています。大谷さんもこのお話を安田さんから聞いたのは、1年以上もたったつい最近のことのようでしたね。
大谷発言「訪問した時本村さんが留守だったので、今度この事件を引き受けることになりました。ついてはお話をしたい、という伝言を名刺に書いて置いて来た。安田さんはそう言ってました。本村さんはとてもそんな気にならないということで、連絡をしなかったそうですが…。」
橋本発言「ええ、さっき控室でそう聞きましたが、でもそれは最高裁の後でしょう。最高裁前に行ってないといけない」
以上でした。動画が探せば残っているのではないでしょうか。ご覧になった方もたくさんいらっしゃるのでは。言葉づかいの多少の違いはあるかも分かりませんが、以上私の記憶のままに書きました。
EzoWolfという人のブログにも、この会話が書きとめられています。

光市事件についてのテレビ報道
4. 朝日放送 - ムーブ
大谷昭宏、宮崎哲弥、橋下徹の議論という形で行われた。
大谷昭宏の発言
説明責任について
「安田弁護士は本村さんの所に出向いて説明しようとしている。(本村さんは会わなかった)」
それに対する橋下弁護士の反論は
「安田弁護士はもっと前に、最高裁の弁論を欠席する前に行くべきだ」というもの。

(EzoWolfさん、勝手な引用申し訳ございません。)


エントリ名と企業のコンプライアンスを結びつけるのに
大変時間を要しましたが、未だ理解できません(笑

本題についてですが、遺族に配慮するなら、弁護団が
法廷外での発言や発表を一切しないことだと思います。
ブログなども含めて。

そもそも、記者会見などで「被害者への配慮は?」と
質問するマスコミこそ被害者への配慮を欠いていると
思います。

橋下先生のいう世間への説明義務も被害者からしたら
おせっかいというか、被害者感情に配慮していない最たる
ものだと思います。

被害者遺族は、悲しみや怒りの共有を世間には求めていない
と思います。

言葉足らずかもしれませんが....

普通の人さん

いまふと思い浮かんだのですが、大谷さんが「促した」とあなたがおっしゃるのは、大谷さんの次の発言ではないでしょうか。
大谷「そういう経過があったということを表に出してきちんといわなければならないと、ぼくは安田さんにも、また本村さんにも言いました。」
という発言ではありませんか。そんなことをたしかに大谷さんはおっしゃってましたね。

>No.14 Mitsuko さん

http://www.nicovideo.jp/watch/sm996454

もし動画が閲覧可能なようでしたら7分〜9分あたりを
ご覧になって下さい。
No.14 の発言後にまだ続きがありますね。
まあどちらとも受取れますけども・・・

追記

大谷:本村さんは無駄足したでしょ。(弁論出席の為の上京)
   安田そのやりかたはないぞと。こっちはサラリーマン
   じゃないかと。言った時に「行きます。説明に行きま
   すと。名刺も置いときますと。」

これを促されたと見るか、もともと行く気だったと見るか?
どちらに受取るかですね。

   

>No.9 青烏賊 さんへ

あまり書くとエントリーずれするので、手短に書きます。

たしかに、「被害者や被害者遺族の感情」を自分のことのように思う人も様々で、一概には、「こうだ!」とは、いえませんが、真面目に考えている人ほど”むずかしい一面”もある思います。私もここで何人かとNo.734 No.224やりとりしましたが、まだ、これからというところでやりとりが終わってしまうのを残念に思います。

「議論で優位に立つためのポジション取り」などの人もいますが、
メディアによって作られた「共感」を自分のことのように思う人がほとんどだ、と思います。当事者でない限り、第三者はメディアからのニュース報道で知るしかないからです。

読解力不足で企業のコンプライアンスとの関連についてスッキリしないので、質問させてください。

【企業の目的】 →「収益」
【収益をあげるための手段・プロセスの一つ】 →「コンプライアンスの準拠」=「信頼度・顧客満足度アップなど」
【企業の目的】 ≠ 「コンプライアンスの準拠」

これを今回の裁判例(被害事実を争わない例)だと

【弁護人の目的】 →「被告人の利益を守ること」=「減刑」
【減刑を勝ち取る手段の一つ】 →「被害者遺族への配慮」
【弁護人の目的】 ≠ 「被害者遺族への配慮」
だが、今回「被害者遺族への配慮」に関して失敗し、結果「弁護人の目的」達成の阻害となっている。
特にTVでの会見が問題である。

以上の解釈でよろしいでしょうか?

あっ、僕と同じハンドルネームだ。

特に珍しいハンドルネームじゃないのでしかたないです...。

前のエントリでコメントしようかどうか悩んだのですが・・・

企業の目的=儲けること

ではないというのが、昨今の風潮かと思います。
ドラッガー氏は企業の目的=「顧客創造」と定義していますし、企業の社会的責任を含めたステークホルダー経営が最近のトレンドです。
こういった視点から見ると

企業の目的=永続すること

が最近の経営者の認識かと思います。
この定義に基づけば、コンプライアンスを遵守しない企業は永続できませんから、コンプライアンスの重要性が理解いただけると思います。

企業の目的=儲けること

ですとコンプライアンス違反でも儲けるだけ儲けて見つかったらそれまでという経営も成り立ってしまうことになります。儲けることは永続するための手段であって目的ではないのです。

さて、主題に戻りまして、弁護人の目的は「依頼人の利益を最大化すること」であると思います。しかしながら、弁護人が刑事弁護の一部であるとすると、弁護人の目的は刑事弁護の目的を達成するための手段であり、刑事弁護の目的の範囲を超える「弁護人の利益の最大化」は看過できないと考えるのが一企業人としての見解です。

そのお話は、「刑事裁判の目的は犯罪被害者の保護にあるから、弁護人は、退会命令等の懲戒を受けたくないという「弁護人の利益」に汲々とすることなく、被害者が被告人の一日も早い死刑執行を望んでおり、その実現の支障となりうる全ての行為は被害者を傷つけることになるのだから、「弁護人も、被告人を一日も早く死刑に処すべきと考える。以上」として、実質的な弁護活動を放棄すべきだという方向に繋がるのでしょうか。

No.21 小倉秀夫さん

まず、私への質問でしょうか?
だとしても、貴方は質問逃げをされる方なので、あまり回答したくありません。

>No.21, No.22
いや〜茶化してすみませんが、思わず飲んでるコーヒーを噴出しそうになってしまいました。
薬屋の企画屋 さんの御心中がわかるような気がします。

被害者遺族は一瞬にして暴力的に妻子を奪われたのですから、そのお気持ちは幾分かなりとも想像できるつもりでいます。私自身、人の親です。遺族は自分自身の生きる根拠を根こそぎ奪われたと感じられたに違いないと想像したりしています。それでも、この1年半の弁護人バッシングはかつてない異様な事態だと思わずにいられません。今にして思えば、一・二審当時の状況にすでに今日の事態がちらちら見え、孕まれていたような気がします。被害者遺族が被告人を「絶対に死刑に!」という意志を表明し、マスコミ世論がそれにはげしく同調した場合に、弁護人は萎縮しないでしょうか。どんな性格、立場の弁護人でも。一・二審の裁判報道を眺めていて、私は弁護人がとても萎縮しているように感じたのですが。一審時、「弁護人が判決の時にガッツポーズをした」というバッシングも相当に苛烈でしたが、実はそれは事実とは違うようですね。今回も「弁護人は裁判を死刑廃止のプロパガンダに利用している」に始まって「弁護人がストーリーを作って被告人に言わせている」「弁護人は被告人や被告人の自殺した母親さえも利用している」というようなコメントを被害者遺族が口にするのはもしかすると仕方ないのかも知れません。しかし、マスコミ世論がそれに無比判に同調し、それを事実と決めつけたかのような報道、あるいはそれに尾鰭をつけたようなストーリーがテレビ・週刊誌・ネットで洪水のように溢れるなかで、なお弁護人に対し「我々に分かるような形で被害者遺族に配慮を示せ」と要求することは、無慈悲な態度ではないでしょうか。彼らはこの異常な状態の中で、なお弁護人としての仕事を進めていかなければならないのですから、その心労は極限にあるのではないかと推測します。私自身、真剣にこの問題を考えているつもりですが、それでもやはり第三者。心のどこかでこの話題を愉しみ、消費しているのではないかという自分に対する疑いを持つこともあり、よけいにこの問題の深刻さを感じています。
若い人のブログで「死刑、死刑、というメディアの言葉を聞いて、自分が言われているようで死にたくなった」という内容の記事、またそれに幾らか同調するようなコメントも見ましたが、やはり、と思わずにいられませんでした。小学生や中学生などの中にはこの気分がもっともっと濃く存在しているのではないかという疑いをも持ってしまいます。実をいうと、私はこのエントリーのなかにある「弁護人失格」という言葉にもヒヤリとした恐怖のようなものを感じてしまいました。

>No.24 Mitsuko さん

 言い訳めいた内容ですが、本文に追記しました。

>No.18 カツビン さん

 エントリ本文の論理は、概ねカツビンさんがまとめられたとおりですが

>だが、今回「被害者遺族への配慮」に関して失敗し、結果「弁護人の目的」達成の阻害となっている。

 この点は微妙です。
 傷害致死認定を勝ち取った上で、さらに軽い判決を目指すというのであれば、最大限の遺族に対する慰謝の措置を考えることは必要だと思われますが、本件でそこまで弁護団に要求するのは酷な面があります。

No.24 Mitsukoさん


>若い人のブログで「死刑、死刑、というメディアの言葉を聞いて、自分が言われているようで死にたくなった」という内容の記事、またそれに幾らか同調するようなコメントも見ましたが、やはり、と思わずにいられませんでした。小学生や中学生などの中にはこの気分がもっともっと濃く存在しているのではないかという疑いをも持ってしまいます。


私も、おそらくその同じブログを見て、こちらまで胸が締め付けられるような思いをしました。今の状況は、ほんとうになかなか厳しいものがあると思います。アメリカなどには、死刑には犯罪抑止効果どころか犯罪促進効果があるという研究もあるようなのですが、今の社会にはそういうことへの疑いはつゆほども見られなくなってきています。未成年によるホームレス襲撃は日常茶飯事らしいのに、殺人事件以外ではニュースにもなりません。社会の敵・邪魔者には何をしてもいいという空気や不寛容さが昔よりもとても濃くなっているような気がして仕方がありません。大量の自死にしても、そういった空気と完全に無縁とは思えないのです。

 光市母子殺人事件について言えば、殺意認定が落ちてくれれば、処断刑の上限の刑が言い渡されても御の字なので、純然たる弁護活動としては、被害者遺族の許しを得ることに関心を持つ合理性はないとは思います。まして、被害者の感情に配慮するあまり、殺意認定を落とす可能性を低くする言動は避けるべきなのでしょう。

 ここでは手抜きをして被害者遺族、ひいては被害者遺族に感情移入をしている「世間」様におもねった方が長い目で見れば刑事裁判システムを守ることに繋がるのだと自称一企業人に言われたって、目の前の事件で手を抜くことなどできないというのが、多分に職人的な精神を残している弁護士の感覚に近いのでしょう。といいますか、そういう精神が残っていないと、今の日本で実質的な刑事弁護などやってはいられないでしょう(まじめに、質の高い仕事をすればするほど、制裁を加えられる仕事というのは、そんなにはありませんし)。

モトケンさんのエントリ本文や、皆さんの投稿を読ませて頂いて、改めて光市事件の弁護団についての疑問というか、当初からもっとこの面で気配りしておくべきだったと思うことが出てきました。別に弁護団の弁護内容を直接左右する事柄ではないのですが、私としては気になることです。

その1
20人を超える有能な弁護士が集まりながら、各人の役割分担がハッキリしていなかったのではないか。裁判についての担当割はもちろん行なっているのであろうが、民間企業の広報部長や渉外担当重役などの、業務担当制を取り入れる余地は無かったのだろうか。法廷対策に加えて広報マスコミ対策担当は○○、被害者遺族へのケア担当は△△、支援者担当は××、というように決めておいて法廷外の対外折衝はそうした担当者に一本化しておけば、もう少し法廷外への気配りも上手に出来たのではないだろうか。

その2
弁護団に22人の弁護士が集まったとはいえ、全員の弁護方針の統一や、同士的な意志の結合が充分に出来ていなかったとの印象がある。ちょうど今回ゴタゴタした民主党のように、この弁護団は一種の「寄合い所帯」であった為に、今枝弁護士の辞任騒動につながってしまった。当初から弁護団メンバーを厳選して勧誘するなり、結果として集まったのではなく、意志を持って集めることで、強固な同士的結合の集団形成を図る余地はなかったのだろうか。

いずれも「タラ、レバ」の話で恐縮ですが、エントリ本文にあるモトケンさんの「今後、裁判員制度の実施を踏まえて…」という記述にあるように、今後は弁護士の世界も変わっていかざるを得ない部分も多々あると思いますので、こうした検証も必要なのではと思う次第です。

モトケン様の追記があまりにも率直過ぎて苦笑いしてしまいました。
私もほぼ同意見です。
弁護がもうちょっとなんとかならないか、というのはあるけれど非常に難しい弁護であれこれやって裏目に出てるというように見うけられます。
記者会見についてはここのBlogで刑事弁護について語っていたようにそれを重点に説明すべきだったように思います。
あの短い時間でどれだけ伝わるか、と言う問題はありますがここでの説明を聞いてある程度の方が理解しましたから。
(納得まではいかないにしても)


> アメリカなどには、死刑には犯罪抑止効果どころか
> 犯罪促進効果があるという研究もあるようなのですが

そうなんですか、私は逆にイギリスで死刑に抑止効果があるという研究発表のニュースを聞いたことがあります。
普通に考えると促進効果が出る理由がよく判らないんですがそこの研究所はどう言う考察をされたんでしょうね。

#どちらもどうやって調べたんだ?という疑問が一番強いですw

No.26 モトケン さん、No.18 カツビン さん

> エントリ本文の論理は、概ねカツビンさんがまとめられたとおりですが

【企業の目的】 →「収益」

ですが、コンプライアンスは、収益があがらない=儲けが
減る、場合が大半です。その目先の収益のかわりに、企業を永続す
るための「信用」を得ることになります。


つまり、企業コンプライアンスを「被害者家族への配慮」
とおきかえると、「目前の被告人の利益が損なわれる」
かわりに、「弁護士さんや刑事弁護の信頼度があがる」
ということになってしまい辻褄があいません。

 弁護士さんの被害者家族への配慮が、被害者家族の被害
感情を和らげるものとして、被告人の判決に有利に働く
可能性があるとすれば、上記でいう「収益」のアップに
つながりますから、これも企業コンプライアンスとは、
意味合いが180度違う本来の「目的」になります。

 私は、「被害者家族への配慮」は絶対必要であると思い
ますが、最大の配慮の方法は、「何もしない」ことだと
思います。
 
 今回のような凄惨な事件では、弁護士さんがその被害
感情を和らげることは無理だと思います。
 逆に逆撫ですることは(意図しなくても)簡単です。
これは、被告人の利益になりませんから、「何もしない」
ことだと思います。


ふと思いましたが、「自分は質の高い仕事をしている」と
いうことを自ら理論的に説明しなければならない仕事もそうは
ありませんね。

 「軽視して何が悪いの?」と言ってはダメなんですか?
 だって、例えばイチローの専属マッサージ師とかコーチが、イチローに打たれたピッチャーに気を遣う必要なんてないわけですよねえ。縦え相手のピッチャーが、イチローに打たれたことで引退することになったのだとしても。

 「時として被害者を泣き寝入りをさせるのも辯護士の仕事だ」って言って誤解を解けばいいのではないでしょうかね。辯護士のすべての活動が常に社会正義と整合関係にあるわけじゃないでしょうし。(「社会制度」に対しては常に整合関係にあってもらわないと困りますが。)

No.31 昼寝 さま

コンプライアンスは、収益があがらない=儲けが減る、場合が大半です。

私の理解は少し違います。

適切なコンプライアンスによって、(「目先の利益」 よりは減少するが) 法令違反・倫理違反が発覚した場合のダメージが除外されることにより、実質的な利益はむしろ底上げされている、という関係とみるべきと思います。

「目先の利益」 というのは、法令違反・倫理違反が発覚した場合には事後的にひっくり返される可能性がある 「見かけの利益」 にすぎません。

これを現在価値として把握するには、
 法令・倫理違反が発覚する可能性 × 発覚した場合のダメージ
を 「見かけの利益」 から控除する必要があります。

その 「実質的に底上げされた利益」 を昼寝さまは 「信用」 と表現されているのだと思いますが、企業価値においてその 「信用」 は (理念的には) 現時点での価値として把握することが可能と理解しています。

つまり、刑事弁護におけるコンプライアンス項目のひとつとして 「被害者家族への配慮」 を掲げる場合 (「場合」 というか、掲げられるべきものだという主張には賛成ですが、とりあえず) 、それはまさに目の前の被告人の利益を実質的に 「底上げ」 していることになる、と考えますが、いかがでしょうか。

No.33 ミ ´Å`彡 さま

「時として被害者を泣き寝入りをさせるのも辯護士の仕事だ」って言って誤解を解けばいいのではないでしょうかね。

ケースバイケースの比較考量の結果、そういう方針を選択することもアリだと思います。
(そのように説明しても誤解は解けず、燃料になるばかり、という可能性もまた考慮すべきでしょうし)

大事なのは、「比較検討すべき要素として念頭に置いておくこと」 であろうと思います。

No.34 fuka_fuka さん>適切なコンプライアンスによって、(「目先の利益」 よりは減少するが) 法令違反・倫理違反が発覚した場合のダメージが除外されることにより、実質的な利益はむしろ底上げされている、という関係とみるべきと思います。

その通りなのですが、私があえて「利益」ではなく「収益」
と置いたかをご理解頂ければと思います。
つまり、「収益」も「信用」も「利益」なんです。
「被害者家族への配慮」に置き換えた場合に得られる「利益」の種類というか質の違いを説明したかったのです。
(この置き換えに無理があるということも言いたかったの
 ですが)


 企業コンプライアンスの重要性や意義については、貴殿の
ご認識とほぼ同じです。


あえて極論的な書き方をしますが、弁護士さんに「被害者
家族への配慮」を求めるなら、被疑者逮捕から死刑執行(光市事件を指しているのではありません)までにかかわる多くの人が、やはりそれぞれのスタンスで「配慮」を求められる
と思います。

 死刑の方法だって、「公開処刑にしろとは、言わないが
ぜひ、苦しんで死ぬところを見たい」という被害者遺族も
いるかもしれません。
 その一方で、死刑囚が絞首刑ではなく楽に死ねる方法を
研究している人が、「被害者家族に配慮していない」など
とパッシングを受ける可能性だってある。

 関係者の中で、弁護士さんは「被告人の利益を守る」立
場ですから、あくまでも被告人の立場に立っての「配慮」が必要
ということになる。
 つまり、被告人自身の謝罪の意思を伝えたり、節度のある
ご挨拶を申し上げる程度で良いのではないでしょうか。
 
 あくまでも、報道なんかの対象外です。
先にも書きましたが、世間への説明なんて、完全な
逆効果です。

 

 

 

>No.35 fuka_fuka さま

 もちろん、光市屍姦事件に際して辯護団がそのようなコメントをするのは「燃料」以外の何者でもないでしょう。だから、辯護団やそれに近しい人(もしかしたらその範囲は「全辯護士」に近いのかもしれない)がいま言うべきではない。なので「極力黙ってるのが正解」とは思います。

 しかし、私は一般論として辯護士の職責とはそういうものだと思いますし(上記の認識に誤りや反論があるならご指摘ください)、誰かが何らかのタイミングでそれは周知させるべきものであると思います。その結果、「軽視して何が悪いの?」と言っても叩かれないような空気にもっていくべきではないかと。(世間が辯護士に対して抱く“聖性”のような幻想は失われるでしょうが。)

 橋本センセの騒動なんかは、その好機であるように思います。

No.38 ミ ´Å`彡 さま

「周知」 がどの程度されれば十分かという問題はあるかと思いますが、 「軽視する」 という表現ではなく、

 「弁護人にとっては被告人の利益が第一である」

したがって

 「弁護人の被害者への配慮というのは、被告人の利益に適う、少なくとも反しない限りでの副次的なものにとどまらざるを得ない」

ということの説明は、今回の騒動の受けて、数多の弁護士が幾度となく世間に向けて行ってきたように思います。

>No.26 モトケン さん
遅くなりましたが、回答ありがとうございます。お手数おかけしました。
近頃、自分の解読力に疑問を持ちまして自分の解釈に自信が持てませんでした。

No.39 fuka_fukaさん

>「弁護人の被害者への配慮というのは、被告人の利益に適う、少なくとも反しない限りでの副次的なものにとどまらざるを得ない」
今回の事案では、被告人の利益に反しない様々な方法があったと思いますね

No.41 ふう さま

今回の事案では、被告人の利益に反しない様々な方法があったと思いますね

弁護団のやり方が、「被告人の利益に反する」 ものなのかどうかは評価が分かれるところでしょうけど。

(もっと) 被告人の利益のためになる方法があったはず、という点は同感です。

自分だったら何ができたのか、は棚上げしての無責任な感想であることは重々承知ですが。。。

小倉秀夫氏へ

もう、こちらをROMさせていただくようになってから10ヶ月、コメント入れさせていただいてから半年になり、いろいろ勉強させていただいておりますので、

刑事裁判の目的は犯罪被害者の保護
こんなことは非法曹家の私からは申し上げられません。

企業の目的は当初「収益の最大化」とされていましたが、昨今の環境変化、社会の企業に対する認識・期待の変化から、コンプライアンスや社会的責任を果たすことが求められるようになってきました。それにより、「収益の最大化」と求められていることにギャップが生じ、内部プロセスに矛盾が生じやすくなったため、企業の目的を「永続すること」と再定義することが必要になったのです。

情報化・複雑化が進んだ現代社会において、日本の各所で起こっていることに日本中の人々が反応するようになった、そのため刑事弁護に期待されることに変化が生じてきているのではないでしょうか。刑事弁護に期待されること、その新たな期待と弁護人に期待される「依頼人の利益の最大化」が矛盾しない刑事弁護の目的、もしくは新たな期待と「依頼人の利益の最大化」を取り込んだ弁護人の目的を見つけ出す必要があるでしょうということです。

一方、現状弁護人の目的が「依頼人の利益の最大化」であっても、法を逸脱する「依頼人の利益の最大化」は許容されていないはずで、元々純然たる「依頼人の利益の最大化」ではなく、制限はもともと存在しているのです。そして、その制限を変化させる“立法化”という手段が存在します。個々の利益の最大化を目指す行為が行き過ぎたため、“立法”という手段でそれが制限されることは法曹界に限らず、どんな業界でも起こっています。

エントリの主旨に戻りますと、このエントリでモトケンさんがおっしゃりたいことは「弁護人の目的である『依頼人の利益の最大化』は否定することはできないが、今後の環境変化を踏まえて光市の騒動には学ぶべきことが多くある」と理解しました。
そこで、企業の例が出されていたことを踏まえ、企業は「収益の最大化」という自己目的を昨今の環境変化を受け、「永続すること」に変化させました。これは決して「収益の最大化」と矛盾するものではなく抱合しています。
そして、刑事弁護もしくは弁護人の目的についても、同様に環境変化を捉え「依頼人の利益の最大化」に矛盾することなく、目的の再定義を考えることはできないでしょうかという意見とご理解ください。

最後にネット上において自称であることは当たり前です。
“自称”企業人とわざわざ冠をつけた理由を明確にされたし。 

 光市母子殺人事件において「世間」が弁護人に望んだこととしては、被告人の刑が軽くなるように努力するのではなく、一日も早く極刑に処せられることを被告人が受け入れるように被告人を説得することだったわけで、実際、恭順路線をとって死刑だけは回避しようとした1,2審の弁護人も、対決路線をとって殺意自体を否定しようとした上告審、差戻控訴審の弁護人も、酷いバッシングを受けたわけです。

 この「世間」の期待というのは、近代的な刑事弁護制度とは真っ向から相反するものですから、これに応えると言うことは、近代的な刑事弁護制度を、少なくともこの事件については放棄するということを意味します。実際、抽象論で偉そうなことを言う人は何人かおられますが、では具体的にどうすれば「世間」の期待に応えつつ、近代的な刑事弁護制度を放棄せずに済むのかという点に触れているものはありません。そんなことは不可能ですから、いえるはずもないのです。

 世間の期待する「新しい刑事弁護」というのが、「被害者(遺族)ないし『世間』が望む刑罰を受けることを受け入れるように被告人を諭し説得すること」であって、「被害者(遺族)ないし『世間』が意図するところより被告人の刑罰が軽くなるように、あるいは被告人が実際に行っていない行為について刑罰が科せられることがないように検察官の主張の矛盾を指摘すること」は「古くさい刑事弁護」としてもうお終いにすべきだというのであれば、「古くさい刑事弁護」像を前提とする現行法に反して「新しい刑事弁護」像に合わせるように弁護人に圧力をかけるべきではなく、「新しい刑事弁護」像に則った新しい法体系を、法改正により行うべきです。そして、その程度の法律しか受け入れられない狭量ぶりを馬鹿にされることを全国民が受け入れるべきです。
 

TVで説明に対する被告人利益への影響はわかりませんが、多くの刑事弁護に対して知識がなかった人に対して不信感を増やし、要らぬ敵を作ってしまった部分では明らかに失敗だったと思います。
⇒更に橋下弁護士のミスリードで、懲戒請求という実害まで起こってしまった。

実際「世論」は判決に影響するのか知りませんが、裁判官も人ですから微妙に影響する可能性はあるかなとは思います。

被害者遺族への配慮であれば、対象弁護でのTV説明は要らないと思います。
行うとしたら「刑事弁護」への理解を目的とした説明のほうが、良いと思いますが、当事者弁護団では「言い訳がましい」と思われるので、やはりすることではないかなと今では思います。
行うとしたら第3者である弁護士か日弁連でしょうか。
⇒まだ、TVのみで情報を得ている人が置き去りになっているので、早急な対応が必要と思います。

よかった点は、私含め多くの人が刑事弁護を理解しようとする「きっかけ」になったことでしょうか。
⇒被害者遺族には直接関係ありませんが・・・

「刑事弁護とはこういうものだ」という知識が急に広まると、今度は弁護士のイメージであった「弱者の味方」「尊敬」といったものが、逆に大きく振れて「悪者の味方」「賤しい」になってしまうことを危惧します。
そういう面で、ミ ´Å`彡 さまの意見はうなづけるものの慎重にお願いしたいところです。

>No.44 小倉弁護士
興味深いお話です。

小倉秀夫氏へ

「世間」は貴方の考えるような狭量さは持ち合わせていないし、馬鹿でもありません。
「世間」はいわゆる刑事弁護に対して貴方の考えるようなことは期待していないと私は考えます。全くの冤罪であれば別ですが、結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題だと考えていて、その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え、それを可能にする刑事弁護が問題だと思っているのでしょう。

それでもなお、刑事弁護は法律の許される範囲内で『依頼人の利益の最大化』を求めることのみが目的であるとし、それを抱合するような新たな目的を見出せないのであれば、「法律の許される範囲」をコントロールするしかないかもしれません。
以前、どなたかが紹介されていましたが、例えば殺人についてはイギリスの分類のほうが良いと私は思いました。
イギリスの殺人分類は狭量だとおっしゃられるのであれば、なにも言うことはありません。
感覚の違いです。

最後に繰り返し聞きます。
ネット上において自称であることは当たり前です。
“自称”企業人とわざわざ冠をつけた理由を明確にされたし。 

No.47 薬屋の企画屋 さん

結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え、それを可能にする刑事弁護が問題だと思っているのでしょう。

医療における「結果が悪ければ逮捕」「結果が悪ければ高額な賠償金」と構図が同じなのですね。

本来であれば、殺人者が殺害へと至ったプロセスを重視するべきだと思うのですが、結果だけで罪の軽重を問う社会を世間が望んでいるとしたら、住みにくい世の中になるのは必至ですね。

No.48 しまさん

本来であれば、殺人者が殺害へと至ったプロセスを重視するべきだと思うのですが、結果だけで罪の軽重を問う社会を世間が望んでいるとしたら、住みにくい世の中になるのは必至ですね。
「結果だけ」と書いたつもりはありませんが、結果を重く問われる世の中になっていて住みにくくなっているのは現実と思います。 しかしながら、それは太古の昔から「世間」の風潮というものは移り変わっているので、ある意味仕方のないことと思います。20年後にも「住みにくい世の中になった」と言っていると思いますよ。

その中で大切にしたいものと求められているものを如何に両立させていくかが“知恵”なのだと思います。

No.31 昼寝 さん

 要するに、私のたとえ話が下手くそだというご指摘でしょうか?

No.47 薬屋の企画屋 さん

「世間」はいわゆる刑事弁護に対して貴方の考えるようなことは期待していないと私は考えます。全くの冤罪であれば別ですが、結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題だと考えていて、その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え、それを可能にする刑事弁護が問題だと思っているのでしょう。

 本当ですか?
 「その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え」ている人が多いのであれば、きちんと説明する必要がありますが。

 少なくとも、犯行の状態、すなわち犯行に至る経緯、犯行動機、犯行態様、犯行後の事情等が刑の軽重に大きな影響を及ぼすというのは、日本の刑事司法に携わる者全て(弁護士、検事、裁判官)の常識です。

No.51 モトケンさん

「その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え」ている人が多いのであれば、きちんと説明する必要がありますが。
市場調査とかを行ったわけではないので正確なことはわかりませんが、光市の事件で「罪のない母娘が命を失ったことは事実だ」ということをよく聞くと思うのですが、モトケンさんはそういう印象はありませんか?
日本の刑事司法に携わる者全て(弁護士、検事、裁判官)の常識です。
日本においてはそうなのでしょうが、以前イギリスの例が上げられていたように、同じ近代社会であっても社会によって求められる法体系(罪の軽重に影響を及ぼす考え方)は違っていいはずです。 日本社会が変わったのであれば、法体系も変わっていいと思うのは変でしょうか?

 自己の属性を自己の見解の正当性を補強するために強調する以上、それは検証可能な状態に置くのが本来であり、それをしない以上は「自称」と付記されるのは仕方がないことです。

「結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題だと考えていて、その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え、それを可能にする刑事弁護が問題だと思っているのでしょう」とすれば、それは刑事弁護が問題なのではなく、行為態様によって刑の軽重が異なる刑事実体法自体が問題なのです。

例えば、過失致死罪、重過失致死罪、業務上過失致死罪、傷害致死罪、殺人罪をすべて統合して

(致死罪)
第○○条 人を死に至らしめた者は、死刑に処する。

という条文に一本化すれば、薬屋の企画屋さんの希望は満たされるわけです。

その場合、薬害によって患者を死に至らせた場合の製薬会社の面々も、死刑になっていただく必要がありますが。

自称 小倉秀夫さんへ

モトケンさんが

専門外ですので言葉の使い方に自信がありませんが。

とおっしゃられたことを受けての「企業人」という付記でしたので、
自己の属性を自己の見解の正当性を補強するために強調する

と取られるのは少々心外です。

貴方に対しては貴方の流儀に従って、付記するようにいたします。
ダブスタとならないようお気をつけください。

逮捕されただけで勤め先をクビにされ、裁判前から極悪人のように書き立てられ、更には法的な罪を問われた後、その結果如何に関わらず再出発が容易ではない「推定有罪」の世の中で、被告人の「最後の味方」にまで「世間が求めていることにも配慮しろ」と求める「世間」は充分狭量だと思いました。

>No.52 薬屋の企画屋 さん

>日本社会が変わったのであれば、法体系も変わっていいと思うのは変でしょうか?

 変とは思いませんが、仮に日本の司法制度を紹介にあったイギリスの制度のように変えるとすれば、薬屋の企画屋さん(または日本の司法制度(というか光市の裁判なんでしょうけど)を批判している一般人)が考える以上に、途方もなく大変なことです。

 裁判員制度を導入しようとしただけで、大騒ぎになるわけですから。

 で、現在の司法制度が確立してから、日本社会はどの程度変わったのでしょう?

 目の前の一つの事件の、そのまた一部に過ぎない弁護活動がおかしい(と感じる)からと言って、制度の根幹を変えるべきだと主張するのは、あまりにも乱暴な議論です。

No.20 薬屋の企画屋 さん

刑事弁護の目的の範囲を超える「弁護人の利益の最大化」は看過できないと考えるのが一企業人としての見解です。

 「弁護人の利益の最大化」というのは、具体的にどのような事実を指しているのでしょう?


No.43 薬屋の企画屋 さん

法を逸脱する「依頼人の利益の最大化」は許容されていないはずで、

 「法を逸脱する『依頼人の利益の最大化』」、というのは具体的にどのような場合を想定されているのでしょう?

No.57 モトケンさん

飛躍しすぎです。

目の前の一つの事件の、そのまた一部に過ぎない弁護活動がおかしい(と感じる)からと言って、制度の根幹を変えるべきだと主張するのは、あまりにも乱暴な議論です。

ここまで主張するつもりは毛頭ありません。
なにか誘導されたような気がします。
とはいっても、社会の変化に合わせて緩やかに変えるべきとは思います。

私が申し上げたいことは、エントリの主旨を「弁護人の目的である『依頼人の利益の最大化』は否定することはできないが、今後の環境変化を踏まえて光市の騒動には学ぶべきことが多くある」と理解した上で、

大切にしたいものと求められているものを如何に両立させていくかが“知恵”なのだと思います。
ということです。
私は立法処置は劇薬と思っています。
かなうならば環境変化に合わせて運用で両立させられる“知恵”がベストと思います。

>No.59 薬屋の企画屋 さん
法体系の変更とは、まさに制度の根幹の変更を意味しているのだと、私も解釈しましたが。

No.58 モトケンさん

>No.20 薬屋の企画屋 さん

刑事弁護の目的の範囲を超える「弁護人の利益の最大化」は看過できないと考えるのが一企業人としての見解です。
 「弁護人の利益の最大化」というのは、具体的にどのような事実を指しているのでしょう?

すみません、「依頼人の利益の最大化」のタイプミスです。
「法を逸脱する『依頼人の利益の最大化』」、というのは具体的にどのような場合を想定されているのでしょう?
証拠の捏造などを想定しました。

No.60 しまさん

「罪の軽重に対する考え方」が制度の根幹の変更になるならば、その通りかもしれません。
それは大変だといい、一方で「結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題」が仮に事実だったとしたら、このギャップはどのように解決すれば良いのでしょうか?
法体系がこうなっているから仕方ないと突き放していいものなのでしょうか?

No.61 薬屋の企画屋 さん

>「罪の軽重に対する考え方」が制度の根幹の変更になるならば、その通りかもしれません。
それは大変だといい、一方で「結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題」が仮に事実だったとしたら、このギャップはどのように解決すれば良いのでしょうか?

法定刑を重くするのでは?もしくは危険運転致死傷罪のように新たに設ける。実際、最近の法改正はそのようになってますし。しかも改正スピードが早いですよね。

>薬屋の企画屋さん

「世間」はいわゆる刑事弁護に対して貴方の考えるようなことは期待していないと私は考えます。全くの冤罪であれば別ですが、結果の重大性に比してあまりにも刑が軽い場合が問題だと考えていて、その結果の重大性よりも犯行の状態に左右され罪の軽重が決まる刑事裁判が問題だと考え、それを可能にする刑事弁護が問題だと思っているのでしょう。

 結局のところ薬屋の企画屋さんは、世間は量刑に納得しておらず(軽すぎる)、裁判所が量刑を重くするか場合により法改正による厳罰化が必要と言いたいのでしょうか?

 それはそれとしてわかります。現に平成17年に法定刑の上限および凶悪犯罪の刑の下限が引き上げられています。しかし薬屋の企画屋さんの考える「あるべき刑事弁護」との関係がイマイチわかりません。

 将来的な変更はともかく今のところ裁判例では犯行の計画性や生育歴を刑罰を決定する際に考慮する規範とされていますから、弁護人が被告人に有利な情状としてこれらを主張するのは被告人に対する誠実義務を果すためには当然すべきことです。

 ですからもし世間が納得するようにしたいなら変わるべきは刑事弁護ではなく裁判所の量刑か実体法のはずです。

 もし『「依頼人の利益の最大化」以外の目的』のために弁護人がこれらの主張を差し控えるべきだというのが薬屋の企画屋さんの意見なら、もはやそれは刑の軽重などをはるかに超えた刑事弁護の大きなパラダイム変革になると思います。上で挙げられたイギリスの刑罰を導入することなど些細なことに思えるほどです。

薬屋の企画屋さんの真意を知りたいです。

証拠の捏造などを想定しました。

これは現在でも許されることではありません。当然刑事罰、懲戒の対象です。

横から失礼致します。
基本的にこの問題ではROMでありたいのですが、ちょっと自分のおさらいの意味で書かせていただきます。

モトケン先生、刑事弁護に関して議論百出することはその実務の難しさを世間に知らしむるためにはよろしいでしょうが、そろそろこの問題を最初に取り上げなさったころにお書きの、モトケン先生ご自身が安田弁護士の弁護手法については批判派の急先鋒を自認しておられるという前提条件が、みなさんの議論百出の中で埋没してしまったような気が致します。

私は先生の安田弁護士批判のご論拠は以下のエントリーコメント
http://www.yabelab.net/blog/2007/09/19-144107.php
のなかに書かれたことであろうと考え、刑事弁護人は年若い被告人に未熟ゆえの心得違いがあればそれを諭してやってから裁判に臨むべきというお考えから、情状を勝ち取るためには嘘でさえなければ何を出しても違法でないから未熟なら未熟でよかろうという、ある意味開き直った形に見える安田弁護士の弁護方針を、弁護士として批判しておられるのだろうと推測しておりましたが、この理解でよろしいでしょうか。

No.63 ひらのさん

「あるべき刑事弁護の姿」は私にもわかりません。
わかることは、『環境が変われば刑事弁護も変わらざるを得ませんね』ということだけです。それは目的の再定義による自己改革なのか、法改正なのかはわかりません。
企業は社会の変化に合わせ、「収益の最大化」という目的から「永続すること」に目的を変化させました。
刑事弁護はシステムの構造上、自己目的の再定義は不可能で法改正以外に方法がないのであれば「そうなのですね」で終わる話です。
ですから、初めから最後まで『「依頼人の利益の最大化」以外の目的』のために弁護人がこれらの主張を差し控えるべきなどと言うつもりは毛頭ありません。

>No.65 薬屋の企画屋 さん

私も最近まで「刑事弁護」に問題があり、このような多くの人が注目した事件(環境変化)をきっかけに何か変わる必要があるのでは、と思っていましたのでご意見について分かる気がします。

ただ、私の中では今回は「刑事弁護」に対する無理解が問題であり、「刑事弁護」制度そのものが問題ではないといように変化してます。
もっとも、被害者遺族の心情についてやりきれない気持ちは継続しているので、私は「被害者(遺族含む)」を適切にフォローするには?
という点に関心が移ってきてます。

⇒「刑事弁護」部分も「弁護士心得」か「マナー」か「ルール」か「法」「制度」かを変える必要性の可能性は否定できません。
⇒私自身はどうかえるべきかは、まだ意見をもっていません。

なんとなく、「法」「制度」の改定部分より「弁護士心得」「マナー」の中にありそうな気がします。

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