エントリ

少年審判の傍聴に賛否 被害者団体、都内で会合(asahi.com 2007年11月25日22時49分)

 「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の大会では、97年の神戸連続児童殺傷事件で次男を亡くした土師守さんが、少年審判では「蚊帳の外」に置かれたと主張した。

 「被害者として事件の背景を知りたいと思うのは至極当然のこと」。加害少年の更生のためにも、傍聴だけではなく、被害者が質問する権利も認めてほしいと訴えた。

 気持ちは分かるのですが、被害者遺族としても、より多く知ることによってより深く傷つくことがあることを考えて制度を検討すべきだと思います。
 つまり、被害者遺族にもそれなりの覚悟が求められます。
 被害者遺族の傍聴がどういう意味で加害少年の更生のためになるのかも問題です。

 制度設計を考えるにあたっては、制度に関与する人間がどのように考えてどのように行動するのかを的確に予測することが重要だと考えていますが、裁判手続に関する被害者側関与の問題については、

 事件の多様性に伴い、被害者遺族の感じ方や対応が極めて多様であること

から、その中の一定の対応を想定して制度設計を行うと、当然想定されうる想定外の被害者にとっては好ましくない制度になるおそれがあります。

 被害者遺族は法廷の中ではこのように考え、行動すべきである

という基準でもあれば、その基準に基づいて制度設計をすることが可能であるかも知れませんが、「法廷内におけるあるべき被害者遺族像」というものが議論されたということを知りません。
 もちろん、ことは法廷内の問題にとどまりません。
 
 単に、一部の大きな声に応えるような形での拙速な制度変更は将来に禍根を残すことを危惧します。

 一方、「被害者と司法を考える会」の集会では制度への懸念を論じた。交通犯罪で息子を亡くした片山徒有さんは、傍聴の実現を「ある種の制裁を裁判所に期待する流れの中にある」と指摘。家裁調査官を務めてきた伊藤由紀夫さん(全司法労組)は「狭い審判廷で被害者と加害者が相対すれば互いに興奮してしまう。傍聴するよりも裁判官が裁量で遺族に丁寧に説明する方が真実もわかる」と話した。

 こういう指摘にも耳を傾けるべきでしょう。

 現実社会に理想的な制度というものはあり得ません。
 何かを改善しようとすると、別の何かが悪化するのが当たり前です。

 目的は正当でも具体的な制度改変に伴う弊害というものが常に想定されるのですから、それをしっかりと検討したうえで、トータルとしてより良い制度になるように制度設計をしていただきたいと切に願います。

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コメント(21)

 「弁護士は被告人の代理人、最優先は被告人の利益」。モトケン様は常々そう主張されてきたはず。ここで被害者や遺族の心配など何故するのか理解に苦しみます。
 まずは「加害者であるところの被告人の利益に反するから被害者・遺族の傍聴には反対だ」と主張しなければ、弁護士の「聖職幻想」に舞い戻ってしまうと思います。
 刑事裁判の正しい理解への大きな障害である「聖職幻想」を打ち破るためにも、ご主張に被害者・遺族への配慮などというノイズを混入させるべきではないと考えます。

>霜降新人 さん

まず、以下のエントリをお読みください。
http://www.yabelab.net/blog/2007/10/07-161125.php
http://www.yabelab.net/blog/2007/09/10-200257.php

私は、弁護士と弁護人という言葉を使い分けています。
したがって

> 「弁護士は被告人の代理人、最優先は被告人の利益」。

は正確ではありません。

特定の被告人を弁護する弁護人としての職責を前提とする視点と法律家の一人としての弁護士として特定の事件を離れて制度論を議論するときの視点は異なります。

制度論としての被害者・遺族への配慮は決してノイズではありません。
また、弁護人としての職責においても被害者・遺族への配慮は必要だと述べています。

まず、「都合よく使い分けるな」と申し上げておきましょう。

また、ご紹介いただいたエントリには

>弁護人としての職責においても被害者・遺族への配慮は必要だと述べています。

に該当する部分を確認することはできませんでした。
また、それが「被告人弁護」という最優先命題と天秤にかけることができないものであることは
モトケン様ご自身の、これまでの発言からも明らかです。

このエントリが「弁護士」(どうやら=法律家のようですが)としての
発言であると、最大限、好意的に解釈するとして、

被害者・遺族の傍聴請求に対して、どのように対応されるおつもりか、
「弁護人」としてのモトケンさまの原則・方針をお伺いして私のコメントを終わります。

久方ぶりのコメントになります(^^)

私が仮に被害者(もしくは遺族)となったとしたら何故このような目に会わなければならなかったのか知りたい反面、知った結果加害者のどす黒い面や、犯行の状況が残虐なものであることを改めて思い知らされることもあり得ますので、それが怖いという思いもあります。

「被害者に情報を」というのは私も賛成ですが、その声が高まってきた結果、「私は聞きたくない、怖い」という遺族の方に「意気地がない」等の批判が集まるという事だけは無いようにしなければならないと思いました。

>霜降新人 様

もうモトケン先生が簡潔に述べられていますので、余計なことですがよろしければお読みください。

「被害者に配慮する」ことと「被告人の利益を優先する」ことは両立できると思います。被告人の利益のみ追求してしまう事も弁護人としてどうだろうと個人的には思います。

弁護人が自分の行動を決める際、最優先は当然被告人の利益ですけれども二番目・三番目等に考えられる指標としてなら被害者の心情も配慮に入れられてよいと思いますがいかがですか?

>No.3 霜降新人 さん

>まず、「都合よく使い分けるな」と申し上げておきましょう。

 刑事訴訟法上、明確に区別されている概念です。
 法律家のブログで法理論で喧嘩を売るなら、少しは勉強してください。
 質問なら受け付けますけどね(他のロムさん宛て)

>に該当する部分を確認することはできませんでした。

 他のエントリにあります。
 興味があるなら自分で探してください。

>お伺いして私のコメントを終わります。

 前提問題を理解されていないようですので、あなたへのレスはしません。
 これ以上、勝手読みされると迷惑ですので。

 皮肉屋さんに対してマジレスするほど度量が大きくないのでご理解をお願いします。

刑事公判において被害者意見陳述の制度が導入されたときにも感じましたが,本当に被害者の声を「直接」裁判手続・審判手続に導入することが被害者救済になるのでしょうか。

私は被害者の会のメンバーともお話したことがありますが,「被害者の参加を制度化すると,被害者の参加が事実上強制されてしまう。それは逆に被害者を苦しめることになる。」と言われたことがあります。
それも道理だと思います。

個人的には,第三者(検察官なのか被害者支援の弁護士なのか)を通じて被害者の心情を手続に出したほうがいいかと思うのですが。

>>傍聴するよりも裁判官が裁量で遺族に丁寧に説明する方が真実もわかる
この言葉だけは瞬間的に有り得ない感じました。
1.裁判官が遺族に丁寧に説明する裁量があるのか?
2.裁判官に遺族に丁寧に説明する物理的な時間があるのか?
3.傍聴を希望している遺族を説得しえるのか?百聞は一見にしかずという言葉もあるくらいですから。

どうなんでしょうか?

>No.7 H さん

>1.裁判官が遺族に丁寧に説明する裁量があるのか?

 あると思います。
 仮にないのであれば、与えればいいです。

>2.裁判官に遺族に丁寧に説明する物理的な時間があるのか?

 あると思います。
 今ないと言うのであれば、説明義務を課せばいいです。
 義務を果たす時間は当然職務のための時間として確保しなければなりません。

>3.傍聴を希望している遺族を説得しえるのか?
 
 何をどう説得するかが問題ですが、説得し得ない場合は当然考えられます。
 現状における判決の名宛人の一人である被告人を説得することも困難ですから。

>百聞は一見にしかずという言葉もあるくらいですから。

 被害者・遺族が法廷で何を見るか、ということが問題になります。
 必ずしも被害者・遺族のためになるとは限らない、ということが指摘されているのです。

訂正

>>1.裁判官が遺族に丁寧に説明する裁量があるのか?

> あると思います。

 少年審判の場合は、被害者・遺族に対して公式に説明する機会があるかどうか疑問です。
 しかし、制度化すれば可能です。

少年事件に限らず、犯罪被害者が司法の場に直接参加するのは、皆で推進すべき良いことなんでしょうか。個人的には少々疑問に感じています。

裁判官は中立で、弁護人は被告の味方で、検察が公益の代表、これが刑事裁判での役割分担のはずです。とすれば被害者の味方というか、被害者と法廷の間をつなぐ役割が一番ふさわしいのは検察官ではないかと思います。検察官が「法廷での検察の主張はコレコレで行きます」とか、「ご遺族のお気持ちを考慮して被告人質問にコレコレを入れました」、或いは「極刑を望まれるお気持ちは分かりますが法の制度からはこれが精一杯の求刑です」などなど、事細かに被害者に説明したり気持ちを聞き取ったりすることは、実際にはあまり行われていないのでしょうか?

検察が捜査段階では被害者から事情を聞いたりしていることは皆が知っています。ですが検察は公益の代表であって被害者の代弁者ではないという司法の理屈や、人員の制約もあって検察と被害者の面談も時間や回数が限られたものとなり、被害者からすれば検察が自分達の真実追求や処罰感情を充分に汲み取ってくれない、と不満足に感じるからこそ法廷に直接参加を求めているような気がします。

このブログのおかげで、刑事裁判での弁護人の職責について我々は大変勉強させて頂きました。今度は検察の職責と被害者配慮の関連について、検事の経験のあるモトケンさんなどから教えて頂ければ、今後の議論に大いに参考になるかと思います。

No.10
1 「少年事件に限らず」と出だしにありますが、少年事件の場合(少年審判手続)は大違いです。
 この場合には家裁がほぼ全権を持っており、重大事件で検察官の審判立会を認めるかどうかも家裁の権限です。
 (ある意味、家裁が検・弁の役割も事実上担うから、付添人と呼ばれる)

 検察官の立会が認められたら(そういう事件は数としては少ない)被害者に説明もできるでしょうが、立会が認められない多数の事件では家裁で何が行われているかも分からず説明できないでしょう。

 それで別に「被害者に傍聴を」という流れになっているのだと思います(それも家裁が認めた時に限りとなるのでしょうが)。
 傍聴して傷つくのは誰なのか(少年or傍聴人自身?はたまた家裁関係者or付添人or検察官)は分かりませんが。

2 裁判官が説明した方がよい場合もあるでしょうが、どんな専門職も信用されなくなりつつある昨今では、自分の目で確かめたいという欲求・要求のほうが強いのでしょう。

3 で、傍聴者にとって不満な内容・傷つく内容であったらどうするのでしょうかね?
 当然のこととして、黙っていられずに、批難して是正したいという方向に行き、マスメディア等を通じて具体的言動を指摘するかもしれず、結果、少年審判の非公開原則が危うくなることも考えられます。

No.11 psq法曹さま

少年審判の実態を失念しておりました。ご教示ありがとうございます。
勉強のため、ジェイさんのつぶやきを聞きに行って参ります。

制度設計をどうするかと言う点に絞るならば「何のために少年審判を被害関係者に傍聴させるか」という目的論を明確にし、そこからの逸脱を厳に戒める体裁をとることで可能になるのではないかと思います。

ただ私は、刑事司法手続きと言うのはそもそも加害者と被害者の関係において行われるものではなく、公の規範を逸脱したものに対する公益側からのサンクション・プロセスであるとの原則を尊重したいので、このプロセスに被害者を組み込むことには基本的に不賛成です。

被害関係者への対応は、刑事司法プロセスとは別途切り分けて行うほうが望ましいのではなかろうかと思います。

No.13 惰眠 さん のご意見に基本的に同意します。

被害者(たいてい遺族)への対応が司法の席で行われるのは、はなはだすわりが悪いように思います。刑事司法手続きの判断に被害感情への考慮があるだけで、公平への疑念が起こる懸念もありますし。
 被害者遺族としての経験からしても、加害者との直接の接点は居心地が良くないように思います。刃物など準備したくもなりますし。
『公の規範を逸脱したものに対する公益側からのサンクション・プロセスであるとの原則』は、尊重するべきと強く思っています。

被害者に少年審判を見せようって法案を検討するなら
まず前提として少年審判がどんなものかを法制審議会に見せるべき。
生の少年審判を見せることにさしさわりがあるなら、実際の審判廷を
使って模擬審判を行うなど方法はあると思う。審判で何が行われてい
るのかも知らずに見せる見せないを検討するのは問題外だと思う。

その上で見せるって法案を決めるのなら
すべての家庭裁判所の審判廷にテレビカメラ等を使って別室で審判を
傍聴できる装置を設置した上、支部も含めたすべての家庭裁判所に
金属探知機と防弾チョッキの類を整備してほしい。法制度としては、
被害者が記録の閲覧・謄写や審判の傍聴によって知った情報を悪用し
た場合のペナルティーもきちんと定めてほしい。

今、マスコミが垂れ流している「被害者=正義」という図式は必ずし
もすべての場合にあてはまるわけではないということを想定した上で
の制度設計が必要だと思う。

 被害者は権利を求めてるわけであって、行使するかどうかは本人にゆだねられるから、私は認めて良いのではないかと思います。 少なくとも権利がない今の状態よりはいい。

 今の様に権利がなければ被害者は何も出来ない。 聞いて嫌になる事ですら聞けないよりはましだろう。 聞くに耐えないなら次から行かないという選択肢も有る。

通りすがり様

「権利を行使した」被害者の被害感情が審判に際して重視される結果,「権利を行使しない」被害者の被害感情が相対的に軽くみられないかというのが問題意識の一つです(本件はこれにとどまるものではないですが)。

被害者の権利を広く認めた結果,逆に被害者を苦しめる結果になりかねないというのが本制度の問題点です。

No.16 通りすがり さん
この件は、権利ではなく制度の問題だと思います。制度上どうしようか、であって権利を認めるか否かではないんではないかと。

確かに狭い審判廷で相対すると感情的になってしまい、場合によってはその場が事件現場になってしまう可能性も・・・

ただ、どういった経緯、心情で犯罪を犯したか、真相を知りたいと感じる場合もある(私が当事者であればやはり知りたいだろうと想像します)と思うので、意思があれば別室でモニターでの傍聴や裁判官からの説明など「選択可能」であることが望ましいと思います。

しかし、裁判参加自体は、殺人事件の場合、被害者遺族の有無で不公平がでてしまう可能性が高いので、裁判事態の被害者(遺族含む)は参加するべきではないと思っています。

一方で、更正を目的とした少年裁判の場合、被害者の痛みを実際に接しないで本当に更正されるのかについても疑問を感じます。

結局纏まりませんが、色々な方向、可能性を吟味、議論してから制度化しないと弊害でてくるのは間違いなさそうですね。

No.16、18
 被害者は「権利」として求めても、もともと非公開なので、おそらく家裁が認めた場合に可能というようになるので、ぞういう意味では権利として傍聴が認められるのではない(せいぜい傍聴申立権→必ず認められるとは限らない)、と思います。

No.17
 仮に傍聴が権利として認められても、権利を行使しないことをもって「法曹が」相対的に軽くみなければいい話じゃないか(要するに法曹の意識の問題)、という反論が来ると思います。

「被害者の質問権」と「被害者の傍聴」について
色色な意見や理由があるとラジオニュースで知りました。
被害者が「同じ室内で傍聴」と
少年側が「萎縮して本音を話せない・・・」としたら、
「マジックミラー」を仕切りにした「隣の部屋」で被害者側は
傍聴すればいいのでは、、と浮かびました。
少年側には「そのコトを一切知らせなければ」
少年と同じ場所に“いない”のと同じ環境を作ることができます。
そして、被害者側の部屋は、
コンクリートの打ちっぱなし、、ではなく、
ホテルのような「落ち着いた感じの部屋」にし、
(少しでも、気持ちを落ち着けた状態でいられるように。)
そこに、パソコンのような通信機器を設け、
「裁判官や弁護人」とつながるLANを設置し、、
被害者側で質問したい事は「パソコン」から、
裁判官や弁護人のパソコンに届くようにしすれば、

被害者が「直接、質問する事」をしなくても、
代わりに「裁判官や弁護人?」が質問しくれれば、

被害者は「傍聴する事」もでき「質問する事」も
出来るんじゃないかな、、、と

思ったところなんですが、誰に話したらいいかわからず、
こちらのコメント欄を利用させてもらってしまいました。

あと、少年の更生・・・についてですが、
人間ってのは「自分が見たり、知ったり、考えたり」した事がない事は、
≪自分の中にないもの≫なので、
「自分の中にない」状態で、どんなにアレコレ手をつくしても、
効果はないのではないか、、、と思っています。
例えば、、最近出版された、「一瞬で自分を変える法」という本の、
68ページに28歳のスラム街で生きていた人が更生していく姿を
「ドキュメンタリードラマ化」したものを、
しつこく「見るしかない」環境を作り上げれば、、
彼らの中の発想が変わっていくのでは、、、と思うんですよね。
「自分の世界観の中にないもの」は、本当に「ない」ので、、、、。
どんなに言っても「理解できる道理がない」んです。
彼らはそれだけ「狭い世界観の中」で生きている事ダケは
確かです。

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