死刑、初の氏名公表 法務省、3人執行と発表(asahi.com 2007年12月07日12時09分)
執行された死刑囚3人の確定判決の認定事実要旨(産経ニュース)
死刑の是非を考える上で、このような情報がきちんと開示されることはよいことだと思っていますが、
「斎戒沐浴してサイン」 死刑執行で鳩山法相(asahi.com 2007年12月07日16時29分)
鳩山法相は7日昼、衆院法務委員会で、委員からの質問に答える形で死刑を執行したことを明らかにした。そのうえで「国家権力によって人の命を絶つわけで、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して(執行命令書に)サインをさせていただいた。大きな心の痛みを感じるが、法に基づいて粛々と実行しなければいけないということで、逃げることのできない責務と思って執行させていただいた」と話した。
この法務大臣は余計なことを話しているように感じます。
何が余計と感じるか自問自答してみたのですが、
最も峻厳かつ冷徹であるべき場面において、無用の情緒を持ち込んでいるように思えるのです。
要するに、言い訳がましい印象を受けます。
質問者は民主党議員の細川律夫氏(弁護士)ですが、「数日前に我々が視察したあの刑場で死刑執行が行われたと、ここで聞き大変なショックを受けました。ショックが強すぎて予定していた残りの質問ができません。これで終わりにさせてください」(要旨)と言って座ったそうです(どの新聞か忘れました)。
これも情緒的ですし、或いは情緒的な受けを狙ったパフォーマンスか、議員としてのプロ意識が足りない(質問権があるのに放棄)と言えそうです。
それとも、そのように考える私は冷徹な人非人?
そんな目くじら立てることでもないと思う。
法相も細川議員も「政治家」だからでしょう。
かなり気をつけて話しても、某大臣みたいに「女性を機械扱い」とマスコミの餌食にされるんですから。
直接命に関わる話題では、ビビル、のがむしろ正しい姿勢(笑)
死刑制度を支えているのが、一般国民の死刑存置の意思であるならば、
その一般国民の意思に働きかけるのは理にかなっていますし、
一般の方への働きかけは、情緒に訴える方が効果が大きいと考えることも理にかなっていると思います。
認定事実を情報開示されて、
「この事実で死刑は重すぎる」等、論ずることは
死刑執行への批判ではなく、死刑判決の量刑への批判で、それは一般の人には荷が重すぎます。
また、死刑存置の最大のウィークポイントである冤罪の可能性については、
これだけの情報開示で分かるわけはありません。
これらの情報開示によって、
何を論じて欲しいのかよく分からないのですが。
ちょっと面白いと思ったのは、読売にあった、国連人権高等弁務官の
「高齢者に対する刑の執行に正当な理由は見あたらない」とのコメントで、
これは、再犯の恐れという意味で言っているのか、
残虐刑という意味で言っているのかちょっと分かりませんが、
後者であれば、要するに「かわいそーじゃん」
ということで、情緒レベルでの論議でオケということではないでしょうか。
なお、mixiでは上記コメントに対しては
「年はかんけーねえだろ」
「人の国のことに口を出すな」
という感想が主の様です。
国連といえば、少し前に死刑廃止決議ってのが採択されましたね。
これに反対したのが、日本・アメリカ・中国(その他もろもろ)の夢のトリオでした。
どうせなら、死刑をネットその他で中継すれば犯罪を抑制する効果があっていいと思うのですが、なぜ行われてないのでしたっけ? 「もっと見たい」という国民が多くなるから、ではなかったような…
今回の死刑執行公表が、死刑廃止への一歩となることは間違いありません。密室での殺人を、日本政府が公表することに追い込まれた結果に、世界は素早く反応しました。
実行も定かでない密室での殺人では責任ある論評は困難ですが、政府による殺害の発表となれば、これは論評をきちんとできます。国際法という背景のある国連人権高等弁務官の声明が軽い筈もないのです。
今後も執行の度に、世界中からの非難が浴びせられることになります。今後毎年続く野蛮国との位置づけに日本国民はいつまで耐えられるでしょうか。
・Top UN human rights official dismayed by execution of three Japanese prisoners
・国連人権高等弁務官、日本の死刑執行に「遺憾」(読売新聞)
特に、声明中の「国際法」の文言は、今後じわじわ効いてくるだろうと思います。
tmxさんへ
引用された記事を読みました。
読売新聞は要約というかずいぶん省略していますね。
英語の記事ですが、確かに「国際法」という言葉は出てきます。
問題は日本が何の条約に署名したかです。
記事によると死刑執行には前もって本人に通達する義務がある。
明らかに日本では事前通達は実施されていないですね。
実際、日本がどういう国際法を遵守する約束したのか、
気になるところです。
>No.1 psq法曹 さんのコメント
に同感した私ですが、
>それとも、そのように考える私は冷徹な人非人?
同感した私も人非人?
なんちゃって、そんなこといってちゃあ議論などできませんよね(笑)。
情に流されない、必要なご意見(議論)だと思います。
No.7 tmx さん
紹介あった「国連ニュース」を読みました。
一つは、75歳(新聞では74歳ですが)の高齢者を死刑にする必然性が何か、分からなくなりました。犯罪を起こしたのが、1985年ですから、20年以上前。刑の確定時期が不明ですが、20年以上一般社会に出ていないなら、このまま刑務所で死を迎えてもよいような気もします。刑が確定してから、現在まで、どのような心境で暮らしていたかも気になります。
もう一つは、「国連ニュース」の中の次の文章です。
It is widely accepted that executions cannot be carried out in secret and without warning, as this could be seen as inhuman punishment and treatment under the ICCPR.
ICCPRは、ここにありますが、その第6条に死刑について取り決めがなされていました。
ICCPRで、私は、そこまで明確には読み取れませんでしたが、やはり情報の公開は必要だと感じました。さもないと、マスコミに勝手に操られて、重罪化することが正義の執行だと思わせれるように感じます。
たしかにこの国連人権高等弁務官の「international law」という言葉がどういう意味で使われているのかよく分かりませんね。
日本が死刑廃止の条約を批准していない以上、国際法には反していないはずですから。
単に、国際社会における事実上の秩序、というような意味のような気もします。
No.7 tmx さん
>今後毎年続く野蛮国との位置づけに日本国民はいつまで耐えられるでしょうか。
アメリカが一緒なら大丈夫でしょう。
No.10 ある経営コンサルタント さん
>一つは、75歳(新聞では74歳ですが)の高齢者を死刑にする必然性が何か、分からなくなりました。
mixiでは、「年がいくつであろうと、何年前にやったことであろうと、償いはするべきだ」という考えが主流でした。
このことからすれば、少なくとも死刑に一般予防効果は認められると考えられます。
国連ニュースによれば、75歳の高齢者を死刑にすることの不当性は、「人道主義」に基づくようですから、
要は「かわいそう」ってことですね。
なお、ICCPRとは、人権B規約のことです。
>No.11 白片吟K氏さん
高齢化が進んで60代、70代で殺人を犯す者が増えた昨今、「年寄りなんだから厳罰は可哀想だろ」という理屈がはびこるのは困りものですね。
日本で死刑廃止が実現するとしたら、イギリスのように執行後の冤罪発覚で世論の風向きが変わるか、フランスのように死刑廃止を掲げた政治家が政権をとるか、でしょうね。体感治安がこれだけ悪くなっている現在、いくら情報公開がなされても、「犯罪者の罪を軽くする」という制度変更が国民に受け入れられるのは難しいでしょう。折りしも、光市事件が「死刑必要論」を顕在化してしまいました。私の身の回りにも、「中国は嫌いだが、死刑実施国だという一点だけは評価する」とまで言う人が何人もいます。中でも、友人の一人の発言が振るっていました。
「死刑制度がグローバルスタンダードじゃないってんなら、憲法第九条だって同じじゃないか。片方は意地でも守って、片方はやめろってのか」
No.12
グローバルスタンダードと言えば、度量衡については、アメリカもイギリスも全然「世界標準」ではなく、独自のローカル基準ですかね。
No.12 みみみ さん
私も、執行後の冤罪発覚という可能性は注目したいところだと思っています。
このブログなどを通じて思ったことですが、
いわゆる「一般の方」と法律関係の方との感覚の違いの1つとして、
冤罪に対する危険意識があると思います。
一般には、冤罪は無視しても良い程度に発生率は低く、またその危険性も現実的なものとはとらえられていないようですが、
法律関係者は必ずしもそう思ってはいない。
「冤罪の発生率」は、決して計測できないものなので、そのパーセンテージについて確信を持って何かいうことはできないのですが、
「一般の方」がイメージする数字と、法律関係者がイメージする数字にはかなりの開きがあるのではないかと私はにらんでいます。
白片吟K氏さん
> 死刑制度を支えているのが、一般国民の死刑存置の意思であるならば、
議論の出発点として、「一般国民の死刑存置の意思」というのは、暗に死刑廃止論者は「一般国民」のカテゴリーから除外すべきという主義主張を示唆する一種のレトリックであるように思います。
> いわゆる「一般の方」と法律関係の方との感覚の違いの1つとして、
> 冤罪に対する危険意識があると思います。
> 一般には、冤罪は無視しても良い程度に発生率は低く、またその危険性も現実的なもの> とはとらえられていないようですが、
> 法律関係者は必ずしもそう思ってはいない。
議論すべき点が複数含まれていると思います。
第一は、「冤罪は無視しても良い」という書き方に既に示唆されていますが、「社会予防のためには多少のえん罪はやむを得ない」という考え方に立つかどうかという問題です。このレベルでいうと、法律関係者は、死刑存続論者であるか廃止論者であるかにかかわらず、この考え方に立つ人はごく少数であると思います。一方、意図されておられると思われるところの「一般の方」には、このような考え方に立つ(というよりは深く考えていないという方が実態に近い)人も無視できないほどいるのではないかと推察します。
その上で、第二に冤罪の発生率をどう捉えるか、ですが、客観的な冤罪の発生率が分かるはずもありません。ただ言えることは、刑事弁護に携わる弁護士に関していえば、無理筋の否認事件も数多くある一方で、本当にオレはやってないんだと訴え、証拠からも確かにこれは真犯人ではないのではないかと思えるような被告人がいて、にもかかわらず連日長時間の取り調べにより取られてしまった自白調書や、ちょっと怪しい関係者や共犯者の供述調書があっさり採用されて有罪になっていくことに接することが少なからずあり、刑事裁判とはいえ所詮は人間が作り上げた一つのフィクションに過ぎないということを肌で実感している、ということは言えるかもしれません。
No.15 ジュピターさん
>議論の出発点として、「一般国民の死刑存置の意思」というのは、暗に死刑廃止論者は「一般国民」のカテゴリーから除外すべきという主義主張を示唆する一種のレトリックであるように思います。
レトリックではありません。
死刑制度を支えているのが、一般国民の死刑存置の意思であると仮定すれば、という、
IFの話をしたのです。
実際に死刑制度を支えているのが、一般国民の死刑存置の意思であるかどうかは
ビミョーでめんどくさい議論になるので避けます。
>「社会予防のためには多少のえん罪はやむを得ない」という考え方に立つかどうか
多少のえん罪はやむを得ないかどうかは、一般の方にとっても、そして、多分、法律関係者にとっても冤罪の発生率に関する認識に左右されると思います。
仮に、冤罪発生率が50%である、とすれば、
一般の方でも、冤罪をやむを得ないとは考えないでしょうし、
この件について深く考えていなかった方は考えをあらためることでしょう。
逆に、冤罪発生率が、0.1%とすれば、
法律関係者でも、手続の効率を優先する運用になってくると思います。
ただし、あくまでも法律の枠の範囲内での運用ですから、
法律が無罪推定原則の上にある以上、極端なことにはなりませんが。
だから、「えん罪はやむを得ないどうか」と「冤罪の発生率をどう捉えるか」は別個の論点ではないと思います。
>刑事裁判とはいえ所詮は人間が作り上げた一つのフィクションに過ぎないということを肌で実感している、ということは言えるかもしれません。
法律関係者が感じるその感覚を、より具体化して言えば、
「冤罪の発生率は、思ってる以上に高い」
と言うことになると思います。
裏付けデータもないので、プロの法曹は、なんかその辺のことを断言せず、
ファジーにしとこうという雰囲気があるようです。
しかし、私はプロじゃないので、
その辺は無責任に言いはなってしまったりします。