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「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画(2007年12月25日9時5分 読売新聞)

原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。

 えらい言われようですが、たしかにそうかなと

 米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 なるほど、と思うところもありますが、みなさんは納得されるでしょうか。

 アメリカでどのようにハッピーエンドに書き換えたのかは知りませんが、私としてもわざわざ金を払って映画を見て悲しい思いはしたくないと思ってますので(^^;

 基本的にハッピーエンドの映画しか見ません(^^)

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コメント(36)

 このニュース私も面白くて読んでしまいました。

 私は滅びの美学って言うより無宗教な国民性が求めてる神の姿なんではないかって気がしてる。 仏の世界にはそんな所が有るし。

 因みにフランダースの犬がハッピーエンドで終わったら、私的には興ざめだろう。 日本では売れない映画になりそうだ・・w

なんか違うような気がするなぁ(そら、白虎隊の話とかだとそうかもしれないが)。

じゃぁ、説明しろといわれても困るんだけど

私も違うと思う(笑)。
ベネディクトの『菊と刀』じゃあるまいし。
だって、ネロ少年って別に信義や友情に殉じたわけじゃないでしょ?
どっちかって言うと近松とかの情死ものを愛好する心理に共通すると見たほうがいいんじゃないかなあ。忍従とか。

理不尽な不幸に見舞われた可哀想な主人公が、これでもかってくらい救われない仕打ちを受けた挙句、悲劇的な末路を迎える「可哀想さ」に涙を流すことの甘露――同情心といえば聞こえはいいが、これも一種の残酷さでしょうね――を、このベルギー人は解さなかったのでしょう。

しかしそうすると『燐寸売りの少女』が欧米人にはどのように感じられているのかも、ちょっと興味がわきます。

第1次的に、ネロとパトラッシュが
「かわいいから」。

日本人の「かわいい」もの好きは世界にも類を見ません。
かわいい生きものが、何か理不尽なもんに必死で耐えながら目に涙を浮かべるだけで、
パブロフの犬のように
「かわいそうーーー」
と、なります。

第2次的にはパトラッシュの忠誠心。
プロデューサーの「信義や友情のために敗北や挫折を受け入れる」はこっちにかかると思います。
パトラッシュは確実に負け組のネロ少年に尽くしつづけ、死を受け入れますから。

かわいい×滅びの美学

で、これで日本人の価値観にぴったり来るのではないでしょうか。

犬種としては↓で、アニメのパトラッシュとは似ても似つかない、というのはトリビアの泉のネタでしたっけ

ブービエ・デ・フランダース

フランダースの犬は、貧しい少年がつらい目に遭っていてもベルギーの人々は気にしないし手も貸さないそれどころかつらく当たるという具合に描かれているために、本家のベルギーではまったく受け入れられなかった。となんかのテレビ番組で解説していました。

日本人に受け入れられた理由は、やはり滅びの美学に一票ですね。平家物語。山椒大夫。荒城の月。日本人の一番好きな漢詩は「国破山河在 城春草木深」だし(たぶん)。

No.6 ヤマダさん の書き込みを見てふと気づいた。

フランダースの犬は「滅びの美学」というよりは「諸行無常」の方に近いんじゃないか。

外国では日本より他人の子供にも気をつかうとも聞きます。

ということでヤマダさんの最初の話に一票です。


フランダースのイヌは名作劇場で見たことがあるが、印象にだったのは住処を追い出され行く宛てもなく雪の中を彷徨うネロ少年が拾ったお金に手をつけずそのままパトラッシュに持たせて落とし主に返させたシーン。

私は、レ・ミゼラブルを連想するんですよ。(_ _|||

 虐げられた者たちの唯一の救い・・・ささやかな愛・・・

No.9

そういったシーンから思い浮かぶのは闇米を食べずに餓死した裁判官のお話。

ヨーロッパ人からみれば
日本⇒侍⇒大儀に殉する自己犠牲、特攻とつながる自己犠牲の美、
と結論付けやすいだろうな。

お久しぶりです。

「またあいつか」とばれぬよう(笑)ハンドルネームは変えております。

実は、日本人のほうも同じ悪い癖を持っているわけでありまして、たしかあの柳田国男なんかも言っていたんじゃないかと記憶していますが、文化の外の「かたち」にだまされないようにしないといけないと自戒をしていますね。偏屈な私などは、これは西欧固有の思想、これは東洋固有の思想、と「線を引くこと」それ自体に「先入観」のいやらしさを見て取ってしまうのです。自分の信じる外形としての「宗教」を「あえて」選び取ろうとする「賭け」のような感覚は、個々人で独自にあるかもしれませんが。

本来は同じ人間ですから「宗教」が違おうが、「文化」が違おうが、「言葉」が違おうが、言っている「人間の」「内容」はあまり変わらないというのが私の感想です。

ある種の「無常観」は欧米にも、強い底流として先天的にあるものであり、(旧約聖書の「コヘレトの言葉」など)日本固有のものだといえないものです。

カトリックの修道士などで「人生」を完全に「諦念」している方もおられますので(修道会によるかもしれませんが)、実際にはキリスト教に内在しているにもかかわらず日本人が「無視」しがちな「無常観」の賜物だと考えられます。

ですからニーチェなんかは、こんな人生を「諦める」キリスト教に反抗し「諦念のラクダではダメなんだ(こんなんじゃ生きていけない)」とキリスト教を馬鹿にしたわけです。

天国へ行くモチーフの箇所で「主よみもとに近づかん」という賛美歌が流れますよね。あれが大変よく状況を表しているんですね。

主よ みもとに 近づかん
のぼるみちは 十字架に
ありともなど 悲しむべき
主よ みもとに 近づかん

「この世界で苦しいままで一生を終えざるを得ない人は、何のために生きていたのだろうか」という問いは宗教的に最も根源的な問いであって、むしろほとんどの「宗教」が普遍的に問うている、「宗教」それそのものを超えた人間に根源的な「問い」だろうと思います。「人は何のために生きているのだろうか」と問う感覚は、洋の東西を問わずあると思います。

「天使に促されながら、安らかに身をゆだねて天国に上っていく」主人公に感情移入するのは、人間として自然な感覚だろうと思います。おそらくこれが日本人一般の「印象」であり(キリスト教的なモチーフに日本人的な「反感」があろうとも)、実は数少ない「日本人のキリスト教徒一般」の感覚に近いものでもあるのです。

キリスト教のモチーフに満ちている欧米でも、実は同じ「感覚」を持っているのではないかと思うのです。最後を書き換えたのは、あまりにキリスト教的に「的確すぎる」表現だったからではないでしょうか?

じつは、同じ賛美歌をモチーフにしたのが映画「タイタニック」で、最後に四重奏団が「主よみもとに近づかん」を演奏しています。「存在するものは運命によって簡単に滅び去る」という無常観を描くという点では引けをとらないとおもいます。

偏見なく見れば判りますが、キリスト教でも仏教でもイスラム教でも、どの宗教でもある種の「無常観」を内包しているものだと思います。現世の「はかなさ」の自覚があって宗教が生じているのであり、「生」の意味を改めて把握する景気という機能を果たしているということではないでしょうか。

「たくましく育って欲しい」子供向け、というよりもむしろ、「スレてしまった」大人が改めて「見る」アニメという感じがします。もちろん核家族化が進んで肉親の死に目などを経験しない子供に死を考えてもらうチャンスにしてもいいかもしれませんが、「素直な心」で見るアニメだと思いますね。

>>6
僕は「忠臣蔵」が真っ先に出て気ますが‥。あとプロ野球の「10・19」とか。まあ日本人は結果が報われないお話のほうが好きな貴重な?民族なんでしょう。

わたしゃアンデルセンの「マッチ売りの少女」が頭に思い浮かびました。

それはさておき、日本と海外の評価の差といっても、両者は全く同じものを見て評価しているのではなく、日本人が知っているアニメ版は、オリジナルストーリーが多く、設定もネロが10才と幼いため、純真無垢なネロとパトラッシュが村人の偏見と貧困に苦しみ追い詰められ、教会での死をもって魂が救われるという物語になっていますが、原作はネロが15才とある程度自活可能な年齢設定のため、画家志望の少年が、挫折と偏見に絶望し、死を選んだようなニュアンスになっています。

感覚の違いもあるでしょうが、全くの別物ともいえる、ウィーダ作の童話を頭に描く外国人と、日本アニメーション製作のアニメ版を頭に描く日本人の感覚が一致する可能性は最初からないのではないかと思います。

>> じじいさん

そういう点もありますね。原作とアニメの「内容」そのものが違う場合もある。

あと、日本でウケたのはその「外国人的で」「耶蘇教」的な雰囲気であって、あの物語の最後が「阿弥陀堂」で「如来様が来る」という設定でアニメになる可能性はあるかと、現在思案中ですが(笑) コズレ狼の最後が悲劇的ならそうなるかもしれません(笑)

キリスト教慣れしてる西欧人から見れば、「また愁嘆場か!もう殉教や貧困が山ほど出てくる聖人伝で沢山だ!」という感覚もあったかもしれません。でもなぜか海外では「おしん」がウケているとか、どこの国の人も「外国の悲劇」に惹かれるのかもしれません。

僕の属する(国内ではわりと大きいプロテスタント系)教派では中心的な教義の一つとして「報われない信仰こそが真の信仰」と説かれていましたので、この物語りに全く疑問は感じませんでしたがヨーロッパでは違うのでしょうかね。

(誤解があるといけないので念のため…信仰を利用して信者に破壊活動をさせるようなことも、またそれに従うような信者もいませんでした)

「日本が滅んだことって現実にあるのか?」
と考えると面白いと思います。

なかなか日本と言う国は異質な文化圏で
実際に他国に支配されたことが一度もないし
太平洋戦争も面子で始めてしまった国です。

結果はとんでもない思いをしましたが。

「滅びもわが国の文化」
「蘇るのもわが国の文化」

そこで、色々な国の間で
もみくちゃにされる思いをしていない国だと考えると
フランダースの犬の意味は良くわかります。

多分同じアジア圏でも
中国や韓国ではまた別な感想を持つような気がします。

>> Yamakojiki さん

ショーペンハウエルなんかを読む限りでは、ヨーロッパの人は「キリスト教に疲れている」って言うのが正しいのかもしれませんね。

その点アニメはダイレクトに心を打ってくれるのでいいのでしょうが、しかし、たとえばヨーロッパの教会学校なんかで使うには、やっぱりちょっと「効き目がキツ過ぎる」ものかもしれません。

ルーベンスの「キリスト降架」の絵の前で死ぬなんてことがありえるのかどうかは別ですが、疑い深い私などは内容がキリスト教的なところからすると、実はキリスト教のヒトがアニメ版の脚本をかいたのではと邪推をしていますね(笑)

さすがに、グリューネヴァルトの祭壇画の前で主人公を死なさなかったってことは、せめてもの「救い」ってことかもしれません。(まあ場所は違うのでアレなんですが 笑)。

そういえば、かの有名なルター先生は、著名な「秘蹟論」の中で「洗礼後の死は早ければ早いほど、洗礼が早く完成する」とといておられますね。

ここら辺で私みたいな一般的な日本人には、 案の定、「拒絶反応」が出てきますが、強引に理解してやろうと無闇に意固地に頑張ってよく読んでみると「なるほどよく納得できる箇所だな〜」と思いますね。

NO.12-15-18。
なにをハシャいでんねん。ここはアンタのブログとちゃうんじゃ。
いつまでも見当違いのキリスト教「分析」なんぞしとかんと昼寝でもしとけ。
邪魔臭いわ。

>> 昼寝でもしとけ。

寝てたんですが、モコモコおきだしてきたんですがね。
根拠なく「違う」といわれれば意外に当たってることが多いなと思う昨今。
ま、私に誰からも命令される筋合いなど「全くない」とは思いますが、おとなしく寝ときましょうかね(笑)

>プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 これはあると思いますね。
 NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」で、若い落語家が敢えて兄弟弟子の罪を被って、破門になるシーンがあったんですが、泣けましたね。(結局、破門は取り消されるのですが)
 これは欧米人には理解されにくい感覚でしょうね。

愛犬が自分と一緒に死ぬんですよ。これがミソなんです。ラスト・シーンで主人公一人が死んだのなら私は決して泣きません。パトラッシュ・・、その連れ添う姿が泣けてくるのです。

これが犬でなくネコだったら、こうゆー結末には絶対なりません。私には関係ないにゃあ〜って、どっかに行っちゃうに決まってます。

ボルカールトさん等は、日本人の価値観の中に回答を見つけようとされたようですが、それは誤りですね。動物との付き合い方にこそ、日本人独特の感覚の違いがあるのですよ。価値観の問題ではなく、動物と人間との関係性の違いです。

> 日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす

私もこれはあると思いますね。
逆に、私も含めたキリスト教徒でない日本人にとって、理解し難いのがヨブ記だと思います。

ちなみに私は刺客列伝の豫譲が大好きです。
「士は己を知る者のために死す」
「范・中行氏、我を衆人として遇す、故に我衆人として之に報ゆ。智伯に至り、我を国士として遇す、故に我国士として之に報ゆ」
カッコいいよなあ。

>ショーペンハウエルなんかを読む限りでは、ヨーロッパの人は「キリスト教に疲れている」って言うのが正しいのかもしれませんね。

概観すれば中世までは創造主の実在を疑わない戒律宗教で、思想としてのキリスト教はほとんど解釈学。
(現代でもブログなどで延々と続けられるスコラ的議論を「神学論争」と呼ぶことはありますが)

ルーテル以後は聖書が一般市民に解放されたので、神学は哲学に継承されたように思われます。比較的最近まで西洋哲学は潜在的に全能者の実在を問い直すものでした。
宗教観を維持する側では「実在が科学的に証明されれば、信仰はもはや信仰でなくなる」という黄金律に帰結することに。
この物語も僕には「救いは人ではなく神様のみが行う」ということを暗示するものであって、ネロが人の世で報われないことが悲劇とは思っていませんでした。
「無条件に挫折を受け入れる」という解釈をすればまったく違った感想も生じることでしょう。

近年の西洋思想は全能者の不在を前提にしているので認識論や言語論に拡散しているようです。

個人的にはこのところの社会科学や自然科学では複雑系の演算処理が流行していますが、それでもなお脳科学や認知心理学でホムンクルス仮説が扱われているということからは
「神様は存在する、しかしそれはメタ認知のことである」
という方向が示唆されているのかも知れません。

全知全能の創造主でない神様はキリスト教の教義とは相容れないんですがね。

>動物との付き合い方にこそ、日本人独特の感覚の違いがあるのですよ。価値観の問題ではなく、動物と人間との関係性の違いです。

確かに有畜民族には虚勢手術など肉体をぞんざいに扱う一面はありますが、日本にも731部隊とかあったわけですから、愛玩動物に関して僕にはそれほど明確に相違点があるようには思えないんですけどぉ。

>愛玩動物に関して僕にはそれほど明確に相違点があるようには
>思えないんですけどぉ。

しかし西洋人の発想でSoftbankのCMは生まれてこないと思います。
犬が家族の一員になる。これは日本以外に例があるでしょうか?

>犬が家族の一員になる。これは日本以外に例があるでしょうか?

特にそういうことに詳しいわけではありませんが、少年と愛犬が放浪の末に凍死する物語も日本にはなかったように思います。

CM製作者は、当たり前の設定では注目されないし、かといって視聴者にまったく受け入れられない設定でもない、という二面性を狙ったのではないでしょうか?

No.25は、冗談が9割程度です。あんまり真面目にリプライされると、私としては少々辛いものがあります(^^; ご容赦ください。

本気で言った1割というのは、日本人は犬を家族の一員として扱ってしまうという点なんです。これだけは私もNo.25で心底真面目に申し上げてます。
犬と人間とで身分に差がないなんて、人間が犬と同列なのか、犬が人間と同等なのか、普段の犬との付き合い方の中で犬の「人権」を尊重してたりしてませんか?>人間のみなさま

とまあ、フランダースの犬が日本で人気を博したのは、宗教的な背景なんぞ全く関係なくて、もっと単純な理由からだろう、ということを述べたかった。

ただ今後については私にも関心がありまして、日本人のそうした受け止め方が、これからは逆に海外へ輸出されるなんてこともあるのではないかと。あったら面白いかもと(笑) 年末の第九みたいに。

>NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」で、若い落語家が敢えて兄弟弟子の罪を被って、破門になるシーンがあったんですが、泣けましたね。

「ちりとてちん」を観たことはないのですが、なんとなく芥川の「奉教人の死」を思い出してしまいました。

>日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。

西洋人は芥川の当該作品をどう読むのでしょうねー。

>本気で言った1割というのは、日本人は犬を家族の一員として扱ってしまうという点なんです。

物語の構成要素としてですが同感ですし、それ以上に日本人にはそうあってほしいとも思います。

率直に疑問に思ったのは、どうしてこれが西ヨーロッパでは救済ではなくて挫折として読まれているのか?ということです。原作を知らないのですが、この人(プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん)もそういう理解だとすれば、やはり宗教観が違うのかなぁと。

>No.23 通りすがりさん
が触れられたヨブ記ですが、僕も「報われない」という点で直感的に連想しました。でもよく考えれば裕福だったヨブがすべてを失うのとフランダースの犬では少し印象が異なります。

「魂の救済」ということで連想したのはオスカーワイルドの「幸福な王子」です。
子どもが小さかった頃に寝付かせるのに読み聞かせてやったら、子どもは途中で寝てくれたのですが、振り返ると隣の部屋で盗み聞きしていた家内がボロボロ泣いてました。

こちらも日本でしか評価されていないのでしょうか…

>それでもなお脳科学や認知心理学でホムンクルス仮説が扱われているということからは

えっ!?寡聞にして知らない のですが、認知心理学でホムンクルス仮説など扱ってましたっけ?
はるか昔に終わった話だと思ってましたが…。

咄嗟に想起したのは、もしかしたら「ク●リア」等を看板にしている方のお話でしょうか?

脳科学の方は「ゲーム脳」などが数年前(?)にあったので、なんとも言えませんが…。
いずれにせよ、同じ研究者による言説でも、「専門分野」と「個人の信条」とは分けて受け取るべしとは思ってますけれども。

>青木さん

>No.22
>愛犬が自分と一緒に死ぬんですよ。これがミソなんです。ラスト・シーンで主人公一人が死んだのなら私は決して泣きません。

個人的には同様に思うのですが、興味を引かれる話でしたが、それが日本文化独特の感性なのかどうかは私には難しくて分りません。

そういえば、日本の伝承では、よく「異類婚」がありますね。
手元に文献もなく、うろ覚えなのですが、日本以外の地域でもあったように思います。

ただ、キリスト教社会では、あまり見られない話かもしれませんね。

(連投すみませんでした^^;)

思うに、ソフトバンクのCMは世の親父族の家族に愛されたいという儚い願望だろう。何せペットのイヌの方が家族に愛されているのだから。

この物語はよく知らないんですが、物語が不自然じゃなかっただけだと思います。

悲しい話をハッピー・エンドに終わらせるには、相応の力量というのも必要でしょうし。

【YO!!さん】

闇米を食べずに餓死した裁判官のお話。

おお、居ましたねえ。ぼくは、誇りとかプライドを語る時、この話をよくします。


【またあいつか!さん】

でもなぜか海外では「おしん」がウケているとか

ぼくの知っている中では、中国、イラク、クウェート、イランの人に受けてましたねえ。中東の人は好きなようですよ。

無常観と慈悲ということだと思います。

>No.30 死刑囚さん

都合で年内PC環境から離れます。
関係論文を引っ張り出す時間がありませんので認知心理学+ホムンクルスで検索してみてください。
No.24で用いたのは「主観の座の問題」という意味でしたがホムンクルスという言葉自体に多数の定義があるので言葉足らずでした。
そちらの方向を追求することは差し控えたいので神学の将来予想はお詫びして撤回します。

悪しからずお許し下さい。では

>No.35 Yamakojikiさん

「主観の座」で検索しましたが、やはり勘は当たっていたようです。
彼は、認知心理学が専門ではないと思いますので、やはり何か誤解があるように思ったのですが。
言いたかったのはそれだけでした。
(もっとも、、彼と一緒になって研究している認知心理学者がいるという事であれば別ですが。)

>そちらの方向を追求することは差し控えたいので神学の将来予想はお詫びして撤回します。

どちらの方向か分りませんし、何をお詫びされているのかも分りませんが、とにかく「絡まれたくない」ということでしょうかね…(^^;

嫌がらせのつもりはなかったので、お気を悪くされたなら申し訳ない。
では、よいお年を〜。

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