全取調室に透視鏡 警察庁、冤罪防止へ「適正化指針」(asahi.com 2008年01月24日11時17分 ウェブ魚拓)
今朝のテレビでも取り上げられていました。
このニュースを読んだ人のほとんどは、「だったら取調べを全部録画録音すればいいじゃん。」と思ったはずです。
私もそう思います。
取調べを可視化すればいいのです。
しかし、私自身が検事として取調べを行ってきた経験に照らして懸念材料が三つあります。
一つは、被疑者(参考人を含む)の供述内容の秘密の保護です。
ここで「供述内容」というのは、供述調書に記載された内容だけでなく、被疑者が口にした言葉全てを含みます。
組織犯罪の捜査などでは被疑者が組織の重大な秘密を漏らしたことが明らかになればその被疑者の命が狙われるということが現実に起こります。
しゃべっちまったら終わりじゃないかという意見があるかも知れませんが、組織防衛の観点から将来的な秘密保持のために、しゃべった裏切り者を殺すことによって見せしめにするということが考えられます。
これはドラマの中だけの話じゃありません。
組織の黒幕を起訴するときには被疑者に腹をくくってもらって供述を得て、その組織を壊滅させることによって被疑者自身の命も守るという場面がありますが、少なくとも情報収集段階にとどまる供述が外部に漏れるということは防がないといけないと考えます。
組織犯罪でなくても、関係者に知られないほうが被疑者の更生や紛争解決のためにはいい話(したがって供述調書には記載を控える話)はいくらでもあります。
二つ目の懸念は、録画された取調べ状況が適切に評価されないおそれがあるということです。
取調べの可視化の最大の目的は供述の任意性の評価とそれによる確保だと思いますが、どのような取調べが任意性にどのような影響を及ぼすのかという具体的な問題場面においては、検察官と弁護人との間でも相当の感覚的乖離がある場合がありますし、まして素人の裁判員の評価に基づいた場合、軒並み任意性を否定されそうな気がします。
取調べというのは、言いたくないことを言わせる作業であることは間違いないのです。
場合によっては、しゃべれば死刑になるかも知れない(または間違いなく死刑になる)事実の説明を求めることもあるのです。
誤解を恐れずに言えば、そこには、何らかの圧力、かけひき等があるのは当たり前です。
そのような特殊な状況における供述の任意性を判断するというのは、それなりに専門的な知識と経験が必要だと思われ、録画したから任意性の有無が一目瞭然というわけにはいかないだろうと考えています。
最後のそして最大の心配は、一番目とも関連しますが、録画された情報が本来の目的とは別の目的に使用されることです。
録画データがマスコミに流れた場合のことを想定すればご理解いただけるかと思います。
録画されたデータを編集すれば、取調べを受けた被疑者はもちろん、取り調べた捜査官に対する人格攻撃も可能です。
マスコミがちょっとバイアスをかければ、被疑者の将来の人生を破壊したり、取り調べに問題がない検事の検事生命を奪うことも簡単なことになります。
以上のような問題がありますので警察庁も検察庁もそうそう簡単には取り調べの全面録画に応じないのだと考えています。
となると、弁護士会側において、録画データの取り扱いに関するガイドラインを提案するのが取調べの可視化を推進するための現実的方策だと思うのですがいかがでしょう。
追記
このエントリについて、私が取調べの可視化に反対する意見を述べている、と読む人がいるようですがそうではありません。
私も取調べの可視化は必要であると考えています。
ただし、私がいつも指摘しているようにあらゆる制度や手続には効用・利益と同時に弊害またはその危険性が存在します。
私は、このエントリで可視化の弊害を指摘したのです。
つまり、可視化を実施するに当たっては、弊害を最小限度に抑える方策が必要だということです。
私が指摘した弊害はいずれも人の命や人生にかかわりかねない重大なものです。
トラックバックをいただいた「さぬきうどん1号のページ」には
しかし,現状の密室における取調べは若干のマイナス面に目をつむってでも全面的に可視化しなければならないほど腐敗しているといわざるを得ません。
とお書きですが、このエントリで指摘した弊害は「若干のマイナス面」というには深刻すぎる問題だと考えています。
「ガイドライン」について補足しますが、端的かつ具体的に言いますと、録画データを見ることができる者を弁護士、検察官、裁判官に限定することが考えられます。
そして、厳しい守秘義務を課します。
「厳しい守秘義務」という意味は、この守秘義務に違反すれば一発で懲戒免職(裁判官及び検察官)または除名及び再登録不可(弁護士)となる程度のペナルティを科すということです。
弁護士会からこのような提案をすれば、警察・検察としても抵抗しにくいのではないかと思うわけです。
裁判員についてどうするかが悩ましいところです。
重い罰則を科すことが考えられますが、立証の困難性を考えますと、実効性に疑問が残るからです。