中3ら6人、酔客狙い窃盗容疑で逮捕「寝ているの悪い」(asahi.com 2008年01月30日12時06分)
リーダー格の女子生徒(15)は「酔って寝ている方が悪い」と話しているという。
「という」と書いてますね、そしてその内容を記事の見出しに使ってます。
ニュースソースは警察関係者からのリーク以外に考えられませんね。
女子生徒がそのような言葉を口にしたのは事実だろうと思います。
しかし、仮にそれが事実だとしても、女子生徒がどういう場面においてどういうつもりでそれを口に、今はどう思っているのか全くわかりりません。
しかし、記事に、そして見出しになれば、その言葉が女子生徒の人格を象徴する言葉になってしまいます。
読者に強力な先入観念を与えるおそれがあります。
朝日は(朝日に限ったことではないと思いますが)、これまで指摘されている裁判員制度と報道との関係についての問題意識を持っているのでしょうか?
実は、私自身、このニュースを読んだときに第一印象的に浮かんだブログの書き出しは「こんな子供を育てた親の顔が見たい」だったのですが、よく考えると、こんな記事一つでこの女子生徒がどんな子供かよくわからないし、問題はありますがどうしてそうなったのかもわからないわけです。
どうもニュースサイトにおける記事は、新聞紙面の記事より速報性が強い分、軽薄に書いているのではないかと心配になります。
そして同じ記者が新聞紙面のニュースも書くのであれば、新聞紙面の記事も軽くなっていくのではないかとさらに心配になります。
いきなり本論と離れたコメントで恐縮なのですが、一点気になる表現があります。
の部分なのですが「リーク」なんでしょうか。
事件取材に対する一般的な『広報』なんじゃないかと思うのですが・・・。
警職法その他の法令に照らしたときに、部分的であれ捜査中の事件に関連してその状況や供述内容を外部(勿論マスコミも含む)に明かすのは、厳密にはイケナイこととなるのかもしれませんが、例えば所轄の副署長や捜一の部課長級が公務上、報道対応(会見や懇談、ブリーフィング)で話したとしても「リーク」になるのか疑問です。
なるほど
警察の発表の中にあった話かも知れませんね。
そうなるとたしかに「リーク」とは言えないと思います。
エントリの趣旨にはほとんど影響しませんが。
ここのブログにお邪魔するようになって、自分がもし「裁判員」になったら・・・と思うと恐ろしくなってきました。
お分かりの通り、私は法律の素人です。テレビで「被告叩き」が放送されたらそれに流されそうになります。最近は「弁護士」という肩書きの「タレント」さんが「素人」を「煽る」ような事もされています。
インターネットの世界では、匿名性の気楽さからか、自分の不満をぶつけるためなのか、「あんた、本当に被告が憎いの?」と言いたくなるような「激しい言葉」が渦巻いています。その中に「恣意的(?)に選別された」情報が流されるのは「世論誘導」ではないでしょうか?
イラクに攻め込んでいったアメリカのように「やっちまえ!」という風潮が助長されるのでは、と思うと本当に恐ろしいです。「罪を憎んで人を憎まず」って難しいですね。
広報でもリークでもなく、ガセネタだったとしたら?
そういうケースもある*らしい*とだけしか云えませんが、このコメントだけは、私のハンドルのところに自分のblogへのリンクをはることをお許しください。
問題があるようでしたら、コメントを削除いただいて結構です。>モトケン先生
>読者に強力な先入観念を与えるおそれがあります。
>朝日は(朝日に限ったことではないと思いますが)、これまで
>指摘されている裁判員制度と報道との関係についての問題
>意識を持っているのでしょうか?
1月19日だったか、新聞各社の協会のようなところから「心構え」のような発表がありましたです。最低限度、発表した程度のことだけでも遵守してくれることを願いますが。(−−;
>どうもニュースサイトにおける記事は、新聞紙面の記事より
>速報性が強い分、軽薄に書いているのではないかと心配に
>なります。
紙媒体で伝えられる記事の内容も大差ないのではないでしょうか?
私は速報性が求められているからではなく、そもそも逮捕時に警察側からしか情報提供がない現実のほうが拙いのだと思うようになってきています。
取調べ中の弁護人立会いを義務化できないのであれば、逮捕手続きの途中で弁護士との相談できる時間を最低2時間くらい設けるべきです。
そうしておけば、必要に応じて弁護側が報道各社に対し、反論を伝えることができるようになります。情報を握ることができるのが警察側だけという状況を変えるのが良いと思います。
また本来でしたらネット配信が可能になっているのですから、紙媒体に比べて更に内容の充実した記事を書けるようになる筈なんですが・・(^^; 紙面スペースの制約から解放されると思うんですけど。。
軽率に書いてるでしょうね。
この程度の事件の記事は配信元の記事を
コピペしてるだけだったりますね。
見出しだけは各社でかってにつけるんですが
全く同じ記事なのに各社で見出しがちがってて
まるで違う意味にとれる見出しがつくこともありますね。
情報に接する側もたった数行の記事では
出来事の内容を判断できないということを意識するべきですよね。
裁判員制度とマスコミ報道と言う点で、ちょっとツリーの趣旨とは違いますが感じていることを。
いま、産経のオンライン版が幾つかの注目事件で公判のライブ――というか、傍聴取材メモそのまんまなんでしょうけど――を掲載していますが、東京の「セレブ妻夫殺害バラバラ事件」を追いかけていると、自分の感情が右に左に激しくブレるのが分かって、中々興味深いです。
刑事事件に携わる本職の方々なら、こういう場合でもコントロールが利くのかもしれませんが、ナマの証言の破壊力と言うのは、なかなか想像以上のものがあるようで(笑)。
当初のマスコミ報道(というか、今でもテレビ媒体は基本線で変わりがないと思うのですが)のベクトルは『虚栄心が強く自己中心的な妻が、夫が思い通りにならぬことに逆上してこれを殺害、あまつさえ遺体を切り刻んで遺棄した挙句、犯行を隠蔽して夫の給与を殺害後も手に入れようと試みた卑劣極まりない犯行』とでも言うべきものでしょう。
テレビ報道によって形成されたこの印象が、産経の「ライブ」記事でどうブレたか自験例を述べますと、検察側証人の尋問記事を読むと、被告人に対する非難の感情が一層強化されます。品の無い言葉遣いですが「なんだ、このアマ」ってなもんです。
ところが弁護側証人の尋問、さらには被告人への本人尋問に至ると・・・うわあ困ったぞ。「殺されたダンナも大概じゃないか。こりゃ、こういう目に遭っても自業自得だなあ」という感情が首をもたげてきたわけです。(被害者遺族は、たまったもんじゃないでしょうね。殺された挙句無残に切り刻まれ道端に棄てられた自分の肉親が、いかにひどい人間だったかと公然述べ立てられるわけですから)
さて自分が裁判員だったら、どうしたモンでしょ。
殺害の事実は争いが無い。
死体損壊の事実にも、また死体遺棄の事実にも争いは無い。
だから、適用法条については簡単です。
じゃあ、量刑は?被告人の内心に関する(つまり客観的に立証しようのない部分の)証言の信憑性は?被告人の事情をどこまで酌んでいいのか?殺害された「被害者」の落ち度をどこまで認めるのか?そうして下した結論を、生涯渡って抱え続けていく「覚悟」はもてるのか等々。
下された判決の妥当性を後知恵的に検討するのとは、こりゃもう全然違います。
私と言う、ただ一人の人格の中でも「何が妥当なのか」について葛藤が生じるわけです。
それなのに、たとえば選任された裁判員に、被告人同様DV夫に苦しめられている女性がいたり、あるいは専制的家父長権を信奉する男性がいた場合、またはいなかった場合、そのバックグラウンドや構成比で、もの凄く量刑判断が左右されるような気がするのですが・・・。
それって公平で公正な裁判の名に値するのかなあと、やっぱり疑問があります。
>No.6 惰眠さん
>それって公平で公正な裁判の名に値するのかなあと、やっぱり疑問があります。
当然の疑問だと思います。
裁判員に量刑判断をさせることについては当初から批判がありました。
起訴事実を全面的に認めている事件でも、量刑面では争いがある事件がほとんどです。
その意味で、ほとんどすべての事件は否認事件と言っていいと考えています。
量刑というのは、基礎となる事実が確定していたとしてもよくわからないところがあります。プロにとってもです。
それが、量刑の基礎となる情状事実に争いがある事件において初体験の裁判員に量刑判断をさせようってんですから、裁判員が悩みまくるのは当然であると思います。
裁判官は楽ですよ。
自分の量刑判断はさっさと決めて、あとは重いほうから順番にカウントしていけばいいんですから。
私も惰眠さんと同じ疑念を抱いています。
量刑というのは非常に専門家性(プロフェッショナリズム)を要する作業だと思います。病気の治療においてその時点でその分野の最高の治療法のひとつを提供できる数少ない専門医のような専門家性が。
すなわち量刑は、最低限でも法の種類と構造を熟知し、なおかつ処罰の実効性(どのような施設でどのような懲役生活を課せられればどれだけの更生が人間に生じるのか)を熟知して、職業的ロジックを駆使できるだけの専門的修練を経た者でなければ行い得ない行為であると思います。
素人である裁判員に量刑を行わせることは、刑罰の持つ社会的意義を根本から破壊することにつながると考えます。
>No.6 惰眠さま
>No.8 ぼつでおk¥10万さま
全ーく、仰る通りです。
今朝の早朝のニュースでも、惰眠さまの仰る事件をどの局も報じていましたが、自分も気持ちが大揺れします。「死人に口なし」で残された者はなんとでも言えるし、被告人が言っている事が真実であれば、同情の余地はあるし、でも逆だったらどうだろうと、例えば夫の方が、妻に暴行を日常的に受け、思い余って(或いは物のはずみで)妻を殺してしまったら、たぶん世は、夫の言い分にはあまり耳を貸さないだろうし、
う〜ん・・少なくとも私には量刑判断はむずかしいです。
No.8 ぼつでおk¥10万さん
残念ながら職業裁判官はそんなに深く考えていません。
過去の事例を適当に引っ張り出して,惰性でやっているのが実情です。
No.7
>裁判官は楽ですよ。
>自分の量刑判断はさっさと決めて、あとは重いほうから順番にカウントしていけばいいんですから。
No.10
>過去の事例を適当に引っ張り出して,惰性でやっているのが実情です。
両方とも、それは言いすぎじゃないですかね?
逆の立場になれば、裁判官や検察官から「刑事弁護なんて○○してればいいから楽なもんです・・・」とは言われたくないと思いますので。
No.9
まあ、そこまで考えていないと思いますが、「それぐらいのことはやってるんだろうな!」という一流の皮肉が入っている(しかも陪審はいいが裁判員は反対という観点からの)ものと理解します。
深読みしすぎ?
>両方とも、それは言いすぎじゃないですかね?
あ、やっぱり(^^;
やっちゃあいけない一般化をしてしまいましたか。
量刑判断がわりとわかりやすい事件もあればベテラン裁判官といえども悩ましい事件はたしかにありますね。
でも裁判員の皆さんは、自分なりの量刑感覚なんて持ちようがないですよ。
>裁判官や検察官から「刑事弁護なんて○○してればいいから楽なもんです・・・」
と言われてもやむをえないような刑事弁護が存在することも否定できません。
もしそう言われたら、「何言ってやがる、てめーら税金で食ってるくせに」、と言いたくなる事件もありますが(^^;
No.11
自己(事故)レスです。
最後の「No.9」×→「No.8」○です。
失礼しました。
No.12
国選弁護費用も税金かも・・・(汗)
すると、「こちらは赤字だいっ。あんたらは動かなくて良いから楽だな」といついつまでも続くことになります(笑)
以前、朝日新聞に載っていた「裁判員制度模擬裁判」の事例なんですが…
女性被告人(罪名:殺人)の母親が弁護側証人として「この子が刑期を終え出所したら、二人で静かに暮らしたい」と言ったのを、ある裁判員が「人を殺めておいて、静かに暮らしたいとは虫が良すぎる」と、重い量刑を求めた。
これに職業裁判官は驚きを隠せなかったそうです。
出所後の身元引受人がいることは被告人に有利なはずなのに、逆の印象を裁判員に与えてしまった、と。
「静かに暮らす」じゃなくて「一生償っていきます」とでも言えばこの裁判員の(被告人への)感情を悪くしなかったのかな、と思いますが、この程度のことで量刑が左右されかねないというのはどうにも危うさを感じます。
私も素人ですけど、ちょっとした感情、メディア報道から受けた先入観を排する自信はありません。
>> No.13 psq法曹さん
>No.11
>自己(事故)レスです。
>最後の「No.9」×→「No.8」○です。
>失礼しました。
私はわかってましたよ(笑)。たぶんNo.9さんも(笑)。
ついでに、No.11は御明察ご名答でつた。(笑)
あ、私も>>No.15自己(事故)レスです(笑)。
>No.11は御明察ご名答でつた。(笑):×
↓(訂正)
No.11は「一流の皮肉×→恒例の皮肉○」を除いて、御明察ご名答でつた。(笑):○
>psq法曹さま
> ぼつでおk¥10万さま
ただの感想文を書いたつもりだったので、始めはちょっと意味不明で、う〜んと唸っていましたが・・・・(汗)