2人強殺事件で異例の反対意見 最高裁「更生可能性見いだせない」(産経ニュース)
1、2審判決によると、岡田被告らは平成15年、福島県いわき市内の事務所で、同じ暴力団組員2人を射殺し、現金約30万円の入ったバッグを奪った上、遺体を山中に埋めた。
もう少し詳しい事情の説明(計画性の有無・程度など)が欲しいところですが、けん銃を使った被害者二人の強盗殺人共犯事件というだけで、当然死刑が視野に入る事件だと思います。
第1小法廷の多数意見は、暴力団員同士の犯行だったことや、岡田被告らが若いことなどを有利な事情と判断し、2審判決を是認した。
これに対して、検察官出身の甲斐中辰夫裁判官だけでなく弁護士出身の才口千晴裁判官も反対意見を述べているところが興味深いです。
甲斐中辰夫裁判官(検察官出身)は、「被害者が暴力団員であるということは酌量すべき事情と評価できない」などと指摘。その上で、「多数意見が岡田被告の酌量すべき事情と述べているところは、量刑考慮の重要要素でなく、同調できない」とした。才口千晴裁判官(弁護士出身)も「同情すべき事情を見いだすことはできない」と判断。
「被害者が暴力団員であるということは酌量すべき事情と評価できない」という甲斐中裁判官の意見に強く同意します。
暴力団が加害者側に立った場合の「暴力団だから悪質」というステレオタイプの裏返しとしての短絡的情状判断(被害者側に立った場合の「殺されてもたいしたことはない」)としか思えません。
別の見方としては、多数意見は暴力団の世界は治外法権だと考えているのではないか、という見方もありえますが、裁判官が仮にそんなことを考えたとしたら、日本の治安はオワタです。
>>モトケン先生
>裁判官が仮にそんなことを考えたとしたら、日本の治安はオワタです。
同感です。
最高裁第一小法廷は裁判官のみで構成されているのでしょうか。以前場外乱闘場で裁判官以外の人間が混ざっているという話を見ましたが。
第一小法廷がもし純粋に裁判官のみで構成されていたとしたら私も日本司法パーペキニオワタです。
事実関係がわからないので差し戻すべきだったかはコメントできませんが、モトケンさんの言うとおり暴力団員であることを考慮すべきでないとする甲斐中判事の言っていることがごく当たり前であると思います。
暴力団員であることを理由に刑を軽くすると言うのではヤクザ間の抗争を助長するも同然です。
>裁判官が仮にそんなことを考えたとしたら、
検察官がそんなことを考えているとしか思えない事件もあります。
主犯格の男に無期懲役求刑 米子スナックで暴力団員3人殺害事件
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802210059001-n1.htm
現在の判事
最高裁判所長官
島田 仁郎 第二小法廷 (裁判官出身)
最高裁判所判事
横尾 和子 第一小法廷 (官僚)
甲斐中 辰夫 第一小法廷 (検察官)
泉 徳治 第一小法廷 (裁判官)
才口 千晴 第一小法廷 (弁護士)
涌井 紀夫 第一小法廷 (裁判官)
津野 修 第二小法廷 (官僚)
今井 功 第二小法廷 (裁判官)
中川 了滋 第二小法廷 (弁護士)
古田 佑紀 第二小法廷 (検察官)
藤田 宙靖 第三小法廷 (大学教授)
堀籠 幸男 第三小法廷 (裁判官)
那須 弘平 第三小法廷 (弁護士)
田原 睦夫 第三小法廷 (弁護士)
近藤 崇晴 第三小法廷 (裁判官)
高倉健さんの仁侠映画では、何人刺しても1-2年の懲役ですんでいたと思うのですが。。。まさか裁判官はこの種の映画に毒されているわけではないでしょうね。
>>ぼつでおk(医)さん
パーペキとはフッルーィ。こんなの分かるのはチンキーズだけよ。
No.2 ひらのさん 、
>暴力団員であることを理由に刑を軽くすると言うのではヤクザ間の抗争を助長するも同然です。
浅田次郎氏の初期のエッセイ、「初等ヤクザの犯罪学教室」に、傷害恐喝等で前科5犯のヤクザ者の友人が、カタギに殺されたエピソードがあります。判決は懲役4年。氏は、「憲法違反だぁ!」と裁判所で叫んで看守に放り出されたそうです。なんでも被害者はまったくとるに足らない傷害で「懲役4年」を務め上げて出所したばかりだったとか。
氏は、「殺す相手によって法の裁量はまったく違う。ヤクザ者の命は軽い。こうした法の裁量をすることによって、官憲は、自らの手を汚さずにヤクザや前科者を葬ってるようにもとれる」「鉄砲玉はなぜいとも簡単に人を殺すか。それは極道の命を取っても絶対に死刑にはならないから」と喝破されています。
>裁判官が仮にそんなことを考えたとしたら、
上記は1970年代の話と思われますが、残念ながら2008年現在にも通じる話のようですね。
モトケン先生はじめまして。
いきなりで恐縮なのですが、量刑に被害者の属性が影響するのは、むしろ当然なんじゃないでしょうか。
かの有名な尊属殺違憲判決も、被害者が被告人である娘をレイプするようなとんでもない父親だったこと(被告人がかわいかったから、というのも噂に聞いたことがありますが)は、判決を決める決定打であったと思われます。
ただ、今回はなぜ死刑回避なのかは被害者が暴力団員だったことを考慮に入れても納得いきませんけれども…
素人としては、誰が誰を殺そうが「殺人」は「殺人」だと思うのですが。
尊属殺って、むしろ被害者が目上だからって特別に刑を重くするのはおかしいって話だから、逆じゃありませんでしょうかしら。
実際、以前は暴力団抗争での殺人は一般に比較して極端に刑が軽かったそうです。4、5年で刑務所から出てこれたと聞いた覚えがありますが、昭和40年代ぐらいでしょうか。
そういえば、その頃は「仁義なき戦い」という映画が社会現象にもなっており、必ずしも悪とは断定されていなかった感じです。それも一つの時代の価値観であり、国民のかなりの層に肯定的に受け入れられて支持されていた気がします。
もっとも自分は当時小学生だったので、詳しいことは知りませんが、時代の空気のようなものが伝わり、またそれなりに影響も受けて育ったという気がします。
オカルトブームにも共通した側面があったような、また、アメリカとソ連の対立関係が続き、いつ世界大戦に巻き込まれても不思議はないという緊迫感も背景にあったような気がします。
従いまして、先日のイージス艦と漁船の衝突事故の報道などに接していますと、まさに隔世の感があります。
さらに個人的には、法務検察のはからいなのか、再犯刑務所において1年間ほど生活し、実際に抗争で人を殺し、長期服役をしてきた、つまりお務めを終えて、組長になったという何人の人とも触れ合う機会があり、教科書には出てこない体験もしてきました。
その他の刑事裁判においても、いろんな事件のいろんな人の生の声を聞く機会が多く、学者さんや有識者のお話にも、違和感を覚えることが少なくはありません。
自分の場合、問題自体が終わっていれば、このように実名投稿で、こんなことを書く、必要も余裕もないのですが、現実の社会情勢や専門家の認識とは、利害の相反する部分もあるので、正しい理解の前提となる事実関係を明確にしておくため、ブログで情報発信など行っています。
ブログでの情報発信は、2006年の11月からになり、刑事手続における地方検察庁との具体的なやりとりも、公開してきました。
何度も中断や挫折を繰りかえしてきましたが、アクセス数は伸びず、専門家にはまともに相手にされず、そんな問題を抱え込んでいることと、現実の生活の厳しさに翻弄され、押し流されてきました。
検察庁との関係は、インターネットでの情報公開時から、変わりはないのですが、実際的現実的検察の職務や役割に対しても、進んで理解しようという姿勢が感じられず、なかなか取り組むことが出来ずに来ました。
刑事弁護と検察の役割は、刑事司法における両輪のように思われるのですが、これがまったく噛み合わない状況に、暗澹たる気持ちを抱いてきたわけです。
その辺の溝を少しでも埋めておきたいという目的で、一昨日つまり2月21日から、新たに「刑事司法へのテーゼ」というブログをスタートさせました。
従前のブログについては、そちらにRSSのリンクなどを張ってあります。
http://hirono-hideki.blogspot.com/
説明文などまだ完備させていませんが、反応などうかがいながら、方向性を定めていく予定でいます。
Bloggerは、アクセスカウンターやログもサービスされていないようですが、使いかってがよく、ご説明を充実させるため、これから更新頻度をあげていくつもりでいます。
なお、甲斐中辰夫という検察出身の最高裁判事は、自分の事件のことをよく知っている可能性があると思っています。なぜなら、金沢地方検察庁の検事正をしていたはずで、自分の金沢地方裁判所に対する再審請求の時期に在任期間が重なっていた可能性があるからです。現在メインのテーマとなっている告訴状の作成と、再審請求事件はまったく同一の事実関係を対象にしており、検察もそのような認識であるばかりでなく、事件捜査真相解明の手段として、再審請求制度を利用した可能性が高いと考えています。
そんな捜査手法が妥当なのかどうかというのも、刑事司法における一個の課題であり、問題のように思えます。当事者の負担は、重く、多大の犠牲を強いられて来ました。これを黙って放置しておくことは、将来的に別の国民にも同じ、あるいは似たような犠牲と負担を強いることになるかもしれません。取り合わないのであれば、暗黙の処理が行われうるシステムです。
どう受けとるかは、ご自由ですが、いずれ検察が結果を出すことで、人材供給源である教育機関、そして刑事司法システムにおける一翼の専門家のあり方が、問われることになるかもしれません。
社会保険庁や、防衛省に起こった問題に共通しているようにも思えるのですが、事後的評価では、信頼、信用性も大幅に減殺される気がします。
とりあえず、今回は、そのような趣旨の新ブログのご紹介と、ご案内をしました。
>>No.4 ろくろくびさん
ご提示ありがとうございます。
この表を拝見して、最高裁の内部は果たして本当に三権分立しているのか、司法の独立をどうやって担保できるのかさっぱり想像できなくなりました(笑)。
1 事案が分からないのですが、暴力団間or内部の抗争なら、相互に経緯があるため、一般人を巻き込んでいないという理屈は、まだ分からないでもない(曖昧です・・・汗)。
しかし金目当ての強盗殺人、どうせなら悪いヤツをターゲットにという場合だったとすると事情が全然違うような気がします。
逆に報復目的が主で、ついでに金を取ったのかもしれない場合も考えられるが、その辺りの事情が分からない。
2 尊属殺でNo.7が言いたかったことは、被害者が余りにも酷い行状だったということで違憲にして執行猶予を付けたわけで、被害者の酷い行状をとらえて、ある意味共通しているということで趣旨は分かります。
しかし、それは対被告人との関係で酷い行状であったので考慮されたわけで(正当防衛と言ったって良い場合もある)、この強盗殺人の場合は、「暴力団組員」という属性だけが問題になっているのかもしれない。
つまり、被告人との関係で何かあったのかという点が重要で、仮に関係がなかったとすると、それでも考慮するのですか?という意味で局面はかなり違うかと思います。
> しかし金目当ての強盗殺人、どうせなら悪いヤツをターゲットにという場合だったとすると事情が全然違うような気がします。
そういえば、そういう事件がありましたね。富山県で元暴力団組長夫妻が殺されたという事件。おまけに、共犯者に無罪判決が出たような覚えがありますが(お隣石川県の新聞でも大きく出ていました)、ふと思い出しました。2年ほど前の裁判でしょうか。もう記憶がはっきりしなくなっていますが、有罪とされた共犯者は死刑判決も出ていたような気がします。
始めまして。1年ほど前、誘導尋問に関する記事を発見してから頻繁に記事やコメントを読ませていただいております。
本日はどうしても補足しておきたいところに・・・
>>No.9 jackさん
例の尊属殺人事件の判決はあくまでも普通の殺人罪と尊属殺人罪の差が著しく大きなことに由来します。違憲の判断のきっかけが事件までに受けていた被害であることは否定しませんが、jackさんの言う「被害者が目上だからって・・・」というのは6人の判事が支持した少数の補足意見です。
学校では違憲との情報だけ教えられるので良く間違われますが、現実に、尊属傷害罪など他の尊属に関する罪は合憲と判断され、刑法改正まで使われ続けていました。
調べないですいませんが、確か、尊属殺人の規定は、死刑と無期しかなかったような気がします。
減刑には必要的なものと任意的なものがあり、任意的なものが裁判官の自由な判断に委ねられているはずです。ちなみに法律上の必要的なものとしては、未遂犯における中止犯(他は障害未遂)などがあったと思いますが、これも事実の評価というところで、裁判官の判断で決まりそうです。
件の尊属殺人の事件については、以前、佐木隆三の「殺人百科」か「事件百景」という文庫本で読んだ覚えがありますが、尊属殺のままでは、2度の減刑をしても執行猶予がつけられないので、最高裁判事が気を回した、ような話にもなっていました。今考えると堂なのかな、と思いますし、すでに時代にそぐわなくなった価値観とされていたのかもしれません。
検察の方は、理を説いて反対していたようです。
よくわからないのですが、刑の下限の無期だと、当時の有期懲役の上限、15年として計算され、1回目の減刑で、半分の7年6月、2回目の減刑でもその半分で、下限が3年を上回り、執行猶予がつけられないという計算になったのでしょうか。
個別の事件の解決のために、最高裁が法を曲げたとは考えにくいところですが、そう考え、そう信じている人も、あるいは少なくないのかもしれません。
No.15 廣野秀樹さま
少し違います。無期を15年にみなすという処理は許されません。
減軽の方法は法律にきっちり規定されていまして(刑法68条)、
死刑 → 無期懲役/禁錮 or 10年以上の懲役/禁錮
無期懲役/禁錮 → 7年以上の懲役/禁錮
有期懲役/禁錮 → 長期・短期をそれぞれ半分に (「○年以下」という場合が長期で、「○年以上」という場合が短期)
つまり、尊属殺だと、
無期懲役を選択→法律上の減軽(7年以上)→酌量減軽(3年6月(げつ)以上)
となるので、「3年以下の懲役/禁錮 or 50万円以下の罰金」(刑法25条1項) であることが要件となっている執行猶予がどうしてもつけられない、というわけです。
※ 「死刑または無期懲役」 のような定め方がされている場合に、軽い方を 「選択」 することは 「減軽」 にはあたりません。為念
Wikipedia の記載がよくまとまっていて分かりやすいです
尊属殺法定刑違憲事件
憲法81条は、まさに、個別の事件の解決において、法 (法律及びそれ以下の法規範) をそのまま適用すると憲法の趣旨に合致しないと判断する場合には、法を曲げてもよいという権限を最高裁に与えた規定です。
最高裁が死刑判決について極めて慎重であることは評価すべきだろう。必ずしも最近の流れが厳罰化の方向にあるとはいえないように思える。
さらに、少数意見も「死刑自判」を求めず、量刑不当で差戻しを求めている点にも注目したい。無期が量刑不当の場合、直ちに死刑自判せず、より慎重に判断すべく差戻しとするのがもはや前例上固定したと考えたい。
>No.16 fuka_fukaさま
丁重なご説明、ご指摘有難うございました。
ご紹介していただいたリンク先の情報も参考なりました。特に、心神耗弱(法定減軽)がなされていたとは、知らなかったというか気づかないでいました。
>psq法曹さん
筆足らずでした。補足をありがとうございます。
被害者と被告人との関係がないと、被害者の属性は考慮すべきではないということですよね。
ただ、それでは、逆に「善人」が被害者の場合にも、関係がなかったら考慮すべきではないということにならないでしょうか?
モトケン先生 時々ブログを参照させて頂いておりますが、初めてコメントいたします。今回の事件の地元に住んでいる者です。(参考になるかどうかはわかりませんが、地元の新聞記事等にでた情報をUPいたします。但し、個人情報の住所とか氏名は割愛します。名字はお知らせします。)
今回の事件は、地元でも当初は大きな事件となっておりませんでした。
最初は、2003年(平成15年)11月24日頃、建設業で住吉会系暴力団組員だった26歳の息子が自宅に帰ってこなく、行方不明になった といういわき市在住の母親の訴えからでした。
この届け出をうけ、福島県警が調査したところ、同じいわき市在住の飲食店店員(24)も行方不明であり、知人のいわき市在住で住吉会系暴力団組員で無職の面川(23、当時、以下同様)が、北隣の町である双葉郡広野町浅見川地内の山林に二人を埋めたことを自供し、その供述をもとに現地で二人の遺体を発見しました。
この時には、共犯者がいるのかどうかは不明でした。
翌月の12月11日に、いわき市在住の暴力団交友者で鳶職の降矢(25歳)が中通り(福島県を縦に三等分して、会津、中通り、浜通りの3つに区分です。いわきは浜通り)白河署に自首し、死体遺棄の疑いで逮捕されました。そして、もう一人の暴力団組員は、逃走しているとのことが判明したのです。逃走した人間は2日間、降矢と一緒に行動した模様のようです。
12月15日には、逃走していた人間は、全国に指名手配がされていた、いわき市生まれで住所不定、住吉会系暴力団組員で無職の岡田容疑者(25)で、死体遺棄の疑いで逮捕されたのです。これで事件にかかわったとみられる3人すべてを逮捕したことになります。いわき中央警察の本部では、すでに逮捕されている2人の供述などから、岡田容疑者が殺害の実行犯の可能性が高いとみていました。但し、この時点では、凶器の拳銃が発見されておりません。
今回の最高裁の判決には、疑問が残ります。暴力団の被害者だとしても、人の命には、重さはないものと思っております。本業といっていいのかどうかわかりませんが、事業を行っていながら組織に加入している人が多いのです。ところで、光市の事件と命の重さは同じではないでしょうか、また悩みが増えました。
>No.6 10年前にドロッポしました。さん
少々話がずれますが、山一抗争の時警察が暴力団同士が潰しあってくれたほうが都合がよいと、見て見ぬふりをしていたというのも思い起こされますね。
>No.19 ワナビーさん
たまたま襲った相手が善人だったかどうかという偶然の事情で刑が上下するというのも変だと思います。
No.19
1 比較するときは、同じ(似た)条件下で考えます。
また、死刑と無期懲役、無期懲役と有期懲役の間には、量的な違いではなく質的な違いがあると、たぶん法曹は(少なくとも私は)考えます。
もちろん、死刑と無期懲役の質的差のほうが大きい。
2 善人か悪人かの立証は難しいものの、一般情状として立証することはよくありますが、それは被害者の落ち度の存否、遺族や周囲の人の被害感情・処罰感情の強弱という形で現れます。
最も極端な例としては、遺族が減軽嘆願書を出すと量刑には影響しますが、その場合「悪人だったから」という理由ではないでしょうね、普通は。
3 仮に善人(・普通人)・悪人という差があったとして、それが有期懲役の長さに影響することは許容範囲と言える場合はあっても、死刑か無期かという判断の際には許容できない(orすべきでない)という感覚はあり得ます。
つまり、大きな質的差を合理的に理由付けられるほど決定的・重要な事項なのか、ということですが。
そういう意味では、事案や詳細事情を抜きにして、単純に決められるものではないので、「はい、こうです」とは言えない。