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筋弛緩剤事件の守大助被告、無期懲役確定へ

 以前に関連記事を書いていますので、結果報告の意味で記事を紹介しておきます。

 関連エントリ

 地裁判決要旨

追記
 一審の審理に関する朝日の報道

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コメント(112)

控訴審で「退廷戦術」を敢行した弁護団に対して、弁護士会が何らかの対応、処置、評価等をするのか(しないのか)、注目しております。

ま、被告人本人の意向に反していないなら、別に構わないとは思いますけど。麻原事件の控訴審と違って、弁護人の行動が結論にダイレクトに影響したとは思えませんし。

 いろいろ新聞社のサイトを読み比べてみましたが、被告人に配慮した記事が多いですね。

 争いある事実関係についてほとんど知らないのですが、起訴事実が真実だとしてなぜ検察は死刑を求めなかったのでしょうか?

 亡くなったのが一人だけであるというのがその理由かもしれませんが、死者一名で死刑となった過去の殺人事件(強殺含む)と照らし合わせても、今回は意識不明の重体一人を含む4件の殺人未遂も併せて犯したとされているのですから死刑求刑も十分視野に入ると思うのですが。

>No.3 ひらのさん

今回は意識不明の重体一人を含む4件の殺人未遂も併せて犯したとされているのですから死刑求刑も十分視野に入ると思うのですが。

私もそこはすごく疑問です。

>No.3 ひらのさん
>No.4 けんさん

…判ってるくせにww。と、週刊誌を鵜呑みにしてみるてすつ。ちなみに週刊誌を鵜呑みにしている私は、「コレは有罪にしたらマズイんじゃないか?」と思ってます。

>No.5 10年前にドロッポしました。さん

いえ素朴な疑問として死刑の求刑/量刑基準がよくわからないので上のような書き込みになりました。

 この事件に冤罪疑惑があるというのは聞いたことがありますが、検察・裁判所ともに起訴事実の存在を前提に求刑/量刑しているのですからその点は関係ないはずですし。

機会があれば論告要旨や判決を読んでみたいです。

>「コレは有罪にしたらマズイんじゃないか?」

私は週刊誌の内容は知りません.どのくらい信用できる情報で,それに基づいてどのようにこの事件を考えておられるのでしょうか?
私の知っている範囲から考える限り最も犯人である確率が高いのは被告だと思っています.
少なくとも弁護側の主張する,「筋弛緩薬以外の理由」で5人の患者さんが死亡もしくは急変したとするところには医学的に考えて非常に無理があります.45才男性の弁による症状の推移は筋弛緩薬の効果によるものと考えて間違いないでしょうし,それ以外の小児の症例に関しても呼吸停止を来すような内的状況は考えにくいでしょう.成人の2例では点滴で投与されているようですが,時間経過を考えれば筋弛緩薬の効果発現で説明できるでしょう.筋弛緩薬を毎日使用している麻酔科医としてのコメントです.
検察の鑑定で出て来たベクロニウムの濃度測定に関しては,詳細な情報が手元にないために,測定精度も含めそれが妥当な値かどうか,判断はできません.

少なくとも事件の全体像からみて,筋弛緩薬が意図を持って
投与されたというを認定している判決文は正しいでしょう.
すべてが「でっちあげ」というのは考えられません.そして筋弛緩薬を入手でき,使用できる人間は極限られています.「えん罪」だと主張されている方々は,もし仮に被告でないと仮定した場合,真犯人は誰なんでしょうか?

筋弛緩剤を過失で投与したのであれば複数の人間が被害を受けるはずはありません。従って、この事件は故意の殺人と言うことは明らかです。
問題はそれを検察が実証できるかという点にあります。自白というのはえん罪を生む危険性があるのですから、物的証拠が必須となると思います。
でも、実際の捜査はどうなのでしょうね?やはり自白だけというのでも検察はそれを証拠として取り上げるのでしょうか?それではいつまでたっても冤罪はなくなりませんね。

>>No.8 yamaさん
のおっしゃるとおりだと思います。
捜査手順が正しく尽くされているかどうかが判決を左右するべきでしょう。

この件での死亡はNo.7 Level3さんのおっしゃる筋弛緩剤の特性を生かした何者かの殺人行為によって起こったことが強く疑われます。

しかしこのような事件での捜査では、まず逮捕してから調べるというやり方は推定無罪の原則にも反しますし、取調べ自体もうまくいかないように思います。

逮捕を行なう前に、これは検察の仕事と思いますが、まずはすべての医療記録(カルテ,看護記録,検査記録,処方記録を集めてそれぞれのケースにおいて関係者の証言を得ていく。ひとつひとつ医療記録の裏を取って複数の事件に共通に関わっているのは誰かを詳細に検討して推定有罪の容疑者を絞り込んでいき、誤認逮捕の可能性を最小限にしてから警察に指示して逮捕を行なう。

それでも警察が逮捕した時点では被疑者は裁判前で推定無罪ですから、逮捕後の警察の取調べには被疑者が自分の犯行であると認めるか否かについて短時日(1日以内程度)の拘留権のみを認め、容疑を認めた者には引き続き警察において動機の取調べをおこなう延長を認め、容疑を否認したものについては(弁護士による捜査状況監視があることが望ましい)人権上逮捕状逮捕の期限がくれば即釈放するとするべきでしょう。

こうしなければ一般的に警察による冤罪はなかなか防げないと思います。

この事件そのものについては、私は当事者でも関係者でもなくいかなる捜査が行なわれたのかも現在まったく知りませんので、犯人が誰かについてはいま現在なんのコメントも出来ません。判決文には捜査状況が詳しく書かれているのでしょうか、それも私の個人的期待に過ぎませんけど。

量刑については犯人が誰であろうと動機がなんであろうと、連続殺害事件であると明らかになればオウム真理教事件と犯意犯情においては同等と考えていますが。

No.6 ひらのさん、
>いえ素朴な疑問として死刑の求刑/量刑基準がよくわからないので上のような書き込みになりました。

下種の勘ぐり、大変失礼致しました。ちなみに私は、「検察も冤罪かも、と一抹の不安を抱いているから」と勝手に推測していました。

No.7 Level3さん、
>どのくらい信用できる情報で,それに基づいてどのようにこの事件を考えておられるのでしょうか?

どのくらい信用出来るか、と問われたら「さっぱり判りません」と答えるしかない(だから週刊誌を鵜呑みにしている、と前置きしてます)上、読んだのは数年前で記憶が定かでないのですが、その週刊誌によると、筋弛緩剤の血中濃度が「事後に混ぜたとしか思えない」あり得ん高値だった上、検査に全部使ってしまったとかで物的証拠が現存してないとかなんとか。それが事実であれば、そんな状況で自白のみで有罪にしちまうのは「疑わしきは被告人の利益に」の原則に反しているのでは?と愚考したわけです。まあそんなもん、単なる綺麗ごと、なんでしょうけど。つーこって、No.8 yamaさん に同意であります。

…自分が無実の罪で捕まったらw絶対否認し続けるつもりでイメージトレーニングをしてますが、はっきり言って自信ありませんw。

>筋弛緩剤の血中濃度が「事後に混ぜたとしか思えない」あ
>り得ん高値だった上、検査に全部使ってしまったとかで物
>的証拠が現存してないとかなんとか。

これに関しては,私も何とも言えないところがあると考えています.「採血されたのは何時なのか?」「尿の採取は何時なのか?」「測定系における測定限界および精度はどの程度であったのか?」という情報があればある程度医学的に考えられるのですが.
少なくとも,被害者の経過を医学的に考察する限りにおいて「筋弛緩薬が意図的に投与されたこと」は動かせない事実でしょう.裁判でいうところの「物的証拠」という点ではクエスチョンが残りますが,「最初から事件など無かったなどという主張」は通るはずもないものと思います.

No.11 Level3さん

その「被害者の経過」自体、検察と裁判所のストーリーである可能性に留意しなければなりませんが、彼らが前提としている「患者の急変」の過程を仔細に見ると、むしろ筋弛緩剤の効果とは到底考えられない点が随所に見られるのです。

http://homepage2.nifty.com/daisuke_support/

本件は、科学的に荒唐無稽な「事実認定」が、訴訟法的に正義に反する手続によって「確定」された冤罪事件として、司法に汚点をまたひとつ加わえたものと評価せざるを得ません。本件は、既に明確なえん罪であることが確認されています。

http://www.kyuuenkai.gr.jp/

> No.12 倶利伽羅さん
無罪の可能性を考慮して事件の考察を進めることは非常に重要であると考えますが、「被告人は無罪!事件は捜査機関による冤罪に間違いない!」という前提条件を置いてしまうと、被告人に不利な証拠などは見えなくなってしまいます。
捜査機関も先入観による捜査により、重要な証拠を見落としたり、適切な反証を軽視したりした結果、幾つもの冤罪事件や、立証不足による無罪事件を発生させてしまいました。
その結果、我々は国民から厳しく指弾され、変革を迫られているところでありますが、倶利伽藍さんのご意見を目にすると、確証バイアスを取り除く必要があるのは捜査機関だけではないように思えます。
そもそも最高裁の判決が出た事件について、被告人の無実を証明する有効な反証を何一つ呈示出来なかった側が
>本件は、科学的に荒唐無稽な「事実認定」が、訴訟法的に正義に反する手続によって「確定」された冤罪事件として、司法に汚点をまたひとつ加わえたものと評価せざるを得ません。
等と評価することこそ荒唐無稽であり、裁判官の判断を否定する、つまり「司法の否定」であると考えます。
公判で認定されなかった=検察側の立証に太刀打ちすることができなかった主張を垂れ流して
>本件は、既に明確なえん罪であることが確認されています。
と断言する方が、弁護士を名乗り、正義を標榜しておられることに軽く恐怖を覚えてしまいます。

公判で認定されなかった=検察側の立証に太刀打ちすることができなかった主張を垂れ流して >本件は、既に明確なえん罪であることが確認されています。 と断言する方が、弁護士を名乗り、正義を標榜しておられることに軽く恐怖を覚えてしまいます。

全く同感です。
「カルト」と言う言葉を思わず思い浮かべてしまったほどです。

> No.12 倶利伽羅さん
冤罪かどうかの判断はこれからの実証にかかっていると思います。与えられた情報がまだ少ないのは確かかもしれませんが、冤罪と断定してしまうのはおかしなことだと思います。
薬剤の在庫を確認すれば必要以上に筋弛緩剤が亡くなっているかどうかがわかります。たくさん破損すると言うことはほとんどあり得ませんから(1本や2本ならともかく)、さらに筋弛緩剤なんて特別な用途にしか用いません(手術時など)から物的証拠の一つになり得るはずです。
ただ、もちろんこれを持って100%断定することはできず、本来は点滴内容を調べる必要があるでしょう。今となってはそれは不可能に近いですが・・・。

私の言いたかった事がもっと的確に表現されているのでコピペ。某掲示板より。

守被告の無実を疑えば、それなりに怪しい点はいくらでもある。
しかし、そもそも刑事裁判というのは被告人が無実かどうかを調べる場ではない。無実か否かなど、ほとんどの場合知りようがないのだ
合理的に思考できるのは、証拠上、有罪といえるかどうかという点だけ 。被告人を(無実ではなく)無罪と仮定し、証拠上、その仮定をどうしても維持できない場合だけ有罪とするのが本来の刑事裁判のあり方だろう 。
ところが実際の裁判では、被告人を有罪と仮定する検察側主張が大前提になってしまっている。
事実上、無実の証拠がなければ無罪は得られない 。
守被告に無実の証拠はないが、犯人だという確実な証拠もなく、検察側主張への有意な反論もあった 。
それでも守被告が有罪となるのでは、無罪推定の原則など絵に描いた餅に過ぎなくなってしまう 。
守被告の人生などより、犯人逮捕・処罰という事実を得ることによる治安の安定を最高裁は優先した。今回の判決は、結局そういうことでしかない 。
裁判官は本来、被告人に有罪を言い渡すほうが無罪を言い渡すより何倍も慎重でなければならない 。
しかし実際には、まるっきり逆になっているのではないか。

そのとおり!守自体は多分やったんだと思う。
ただ、このデタラメ証拠で有罪にできると警察検察のためにならない。
いい加減な捜査をするようになり、 とんでもない冤罪事件を引き起こすだろう。
となると社会全体の不幸になり、それは守を逃がしたことによる不正義ことよりも桁違いの不正義を引き起こす。
有力な物的証拠がほとんどなく、唯一の物的証拠についての弁護側の疑問に検察側からの有意義な反論がない。
それどころか検体を全て消費したというようなお粗末振り。
アンプルも写真だけで実物はなし。
これで有罪にできるのなら鹿児島や富山で冤罪が立て続けに発覚したのも頷けるよ。

 一審の審理に関する朝日の報道を本文に追記しました。

 知りたいところが書かれていないと思うところもありますが、かなり客観的に審理の内容を報じているように思われます。

>No.13 感熱紙(刑)さん
>No.14 惰眠さん
>No.15 yamaさん

もしかしたらNo.12 倶利伽羅さんは、何らかの背景があって報道以外の情報を多く知った上でコメントされている可能性もあるのでは…と、ちょっと思いました。
私の考えすぎでしょうか?

>No.18 けんさん
その可能性は否定しません。
が、だからと言って氏のコメントには全く頷けません。
私も、被告人を支援する方々の主張内容はそれなり程度には読んでいますし、それこそ最高裁判決が出るまでは「これで有罪はマズいだろ」とまで思ってました。
ですから最高裁判決には正直驚きましたし、従って判決文(要旨?)もそれなりに(笑)真面目に読んだわけです。
で、被告人にも被害者にもなんら利害関係のない立場から「なるほど検察主張は、立証が弱いかもしれない。だが、弁護側主張はその『弱い』立証を崩すことさえできないほど、もっと弱い」との感想を持ったわけです。

高知のスクールバスと白バイの衝突死亡事故の裁判弁護のときにも思ったんですが「証拠捏造」だのなんだのの陰謀論(?)では刑事弁護は務まらないってことじゃないんですかね。
検察立証に対して『合理的な疑い』を差し挟むってのは、陰謀論をまくし立てることじゃないと思います。陰謀論者同士の内輪でならばともかく、そんなもん説得力ないじゃないですか。

http://www17.ocn.ne.jp/~kyuuenka/080227saikousai.pdf

要するに鑑定に疑問があってもたいした問題ではないということか。
精密司法とやらはどこへ言ったんですかね。

>No.20 うらぶれ内科さん

リンク先ざっと拝見させていただきました。

世論によって判決を覆そうとする趣旨でしょうか?

確定判決に対しては再審を請求する以外に法的手立てはないかと思います。証拠を集めるために世間に訴えるというならともかく、判決に不満があるからといって抗議するというのでは、今後、裁判官も世論を気にして判決するようになるかと思います。

正当な抗議として、次回の国民審査で判決を下した裁判官に「×」をつける運動を展開するのがより適切かと思われます。

>No.20 うらぶれ内科さん

 弁護人の鑑定に関する主張に対しては検察官も最重点項目として反論しているはずですが、その具体的内容がネットではよくわかりません(私の見落としかも)。
 検察官の主張と立証を具体的に検討してみないと判決の評価は難しいと思います。

 はっきり言って、被告人を支援するサイトには(植草事件でもそうでしたが)、被告人に不利な情報は批判的に、有利な情報は強調して掲載される傾向があると感じています。
 当然ですが。

いやそのだから最高裁判所の決定理由が掲載されているものがほかになかったから引用しただけでして。
冤罪かどうかはともかく、決定理由書の中で鑑定に対する疑問に何一つ答えてません。わざわざ理由書の中で「鑑定に対する疑問」という言葉が出てきている以上重要な争点であったはずなんですが。

筋弛緩剤の鑑定結果については守り被告の著書の付録に載っていたのですが、本がどこかにいってしまい引用できません。(^^;
ちょっと調べたところ、11歳女児については急変3h後の血清ベクロニウム濃度25.9ng/ml、その1週間後!! の尿中濃度が20.8ng/mlとなってます。

level3先生
ご覧になっておりましたら合理的説明ができるかどうかコメントをぜひお願いします。

>急変3h後の血清ベクロニウム濃度25.9ng/ml、その1週間後!! の尿中濃度が20.8ng/ml

なんも考えずに検査値を読めば、急変直前と1週間後の2回投与されたように見えますね。

> No.24 うらぶれ内科先生
ちょっとお伺いしたいのですが、血中のベクロニウム濃度の鑑定結果について先生は
   ・ 科学的に見て100%あり得ない
   ・ 現在まで同様の症例は存在しない
   ・ あり得ないわけではないが、ごく希な症例
の何れであるとお考えなのでしょうか?
また、この鑑定結果が誤りであるとするならば、このような結果が出た理由は何であるとお考えなのでしょうか。
不躾な質問ではありますが、よろしければお聞かせ下さい。

 本件についての私の想像ですが
 裁判所は、被告人の逮捕当初の自白をとても重く評価している可能性があります。

 そうなると、鑑定が「医学的に見てありえない」というなら別ですが、「ありえる」ということであれば自白を補強するものとして有罪の根拠になりうると考えられます。

 論告では、ベクロニウムの血中濃度と尿中濃度の代謝の経路の違いというのが指摘されていたようですが、その点についてはどうなんでしょう?
 論告の詳細を知りたいところです。

本来は専門家のlevel3先生に答えていただければいいのですが。

>No.26 感熱紙(刑)さん

 ・ 科学的に見て100%あり得ない
   科学である以上、100%でものをいうことはできません。測定結果そのものにも測定誤差とい言うものがあります。これは科学鑑定そのものを認めない思考です。

 ・ 現在まで同様の症例は存在しない
   あったとしたら直ちにマスキュラックスは販売中止になっているはずです。

 ・ あり得ないわけではないが、ごく希な症例
   ちゃんと検索したわけではありませんが、この女児が唯一の例ではないでしょうか。だからこそ検察側証人になった某教授は高々自験例のねずみ実験を述べるにとどまったわけでしょう。

No.27 モトケンさん
  ありえるというのはどういうことを言うのでしょうか。理論的な可能性を述べるにとどまるならばなんでもありです。少なくとも裁判においては相当の可能性が必要のはずなんでは?ありうるというこならば追加実験をしてでも確認すべきことなんではないでしょうか。

>ベクロニウムの血中濃度と尿中濃度の代謝の経路の違いというのが指摘されていたようですが

これがどういう経路を考えているのか分からないので言いようがないんですが、少なくとも尿中に出てくる以上は血中になければならないわけで、1週間もたって筋弛緩剤が血中に存在したとなるならば薬剤メーカーは大慌てするはずなんですがね。手術後1週間もたって突然筋弛緩作用を起こして死んでしまったことなんてありましたかね。

ということで私はこの鑑定結果はありえないと考えております。

No.26 感熱紙(刑)さん

>また、この鑑定結果が誤りであるとするならば、このような結果が出た理由は何であるとお考えなのでしょうか。

私はこれを推測できる立場にはありません。数字のみを問題にしております。

>No.28 うらぶれ内科さん

>少なくとも尿中に出てくる以上は血中になければならないわけで、

 この点について疑問があるようなんですけど。
 肝臓に蓄積されたものが尿に出てくるというようなことを示唆する記事を読んだ記憶があります。
 専門的にはどうなんでしょう?

 覚せい剤事犯では、効き目が切れた後、数日間は尿中から覚せい剤が検出されるようです。

覚醒剤と筋弛緩剤の分解・代謝を同等に比較していいとは思いませんが、覚醒剤に関しては尿検査で反応が陰性になるまで、最終の注射から一週間を要した事例があります。(神奈川県警外事課のシャブ中警官もみ消し事件)

>No.19 惰眠さん

『合理的な疑い』が確かにあるから
「証拠捏造」を主張したわけで、それを
「陰謀」という言い回しが一部の人によって為されても宜しいんじゃないでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737/34508937.html

No.30 モトケンさん

肝臓と腎臓は直接つながっておらず、血液を介してのみ物質交換できます。血液に出てこないで尿にのみ出てくるというのは医者ならば誰も信用しないと思いますが。そういうことがあるならば、その経路はどうなっているのかを言及しなければならないはず。そんなことが証明できたらそれこそノーベル賞は間違いないでしょう。

1週間後の尿中に未変化体のべクロニウムがでてくることがあるかどうかを調べるのは簡単なはなしです。それこそ毎日何百人という患者さんにべクロニウムが打たれているわけですから、ちょいと協力してもらって1週間後の尿をとってくればいいだけです。鑑定資料はあろうことか全量消費され、再鑑定できないのですから裁判所は職権でこれをやるべきだったのではないかと思います。

なお、女児のべクロニウム投与後3時間の血清べクロニウム濃度はどうなるかというと、半減期11分で単純計算すると
     相対濃度=2^(180/11)=0.00001=1/10万
となり、3h後25.9ng/mlというのは初期投与量にしてどれだけの量になるもんですかね。

失礼。上で2^(180/11)は(1/2)^(180/11)です。

>No.32 kameさん
被告人弁護側が「合理的な疑いがある」と強固に確信してても、裁判所に同じ考えを持たせられないんじゃ意味がないんですよ。
裁判所にもそれを認めさせるには「説得」が必要な訳ですが、陰謀だ捏造だとまくし立てて、説得力ありますか?
少なくとも私に関する限り、ウンザリです。

宣活動やってるんじゃないんですから、もっと実のある対論を戦略的に組み立てる努力をするのが「弁護」だと思います。
例えば本件でも「捏造だ」みたいなことを言い出しそれを裁判所が受け入れちゃうと、大局的には同じ機関で行われた科学鑑定全体――過去に行われ既に事実認定されたケースも含む――の信用性に疑いがあるというところまで、話が膨らみかねないわけですよ。あるいは、同じ地検が立件した事件全体に。過去に遡って全部ひっくり返しますか?

「警察権力との戦い」が至上命題な人たちにとっちゃ、それこそ願ったり叶ったりかもしれませんが、フツーの常識的判断からすりゃ、そんな荒唐無稽で野放図な言い分は到底通すわけに行かないでしょう。
もう、それだけで「陰謀論」ははねつけざるを得ないんじゃないですか。個別具体の事象に限定して「鑑定作業にミスがあった」「不適正な検出手法を用いた」程度に留めておけば(そう言うなりの裏づけは必要ですが)まだ通りはいいと思うんですがね。

ああ、そういう意味では「陰謀」「捏造」と騒ぐ分には、「不都合な事実が存在する」ことだけで裏づけは十分でしょうから、「弁護」としては楽でしょう。スローガンをシュプレヒコールするのと大差ないですもん。

>No.33 うらぶれ内科さん

 「尿中濃度 血中濃度」でググッてみたところ以下のページがヒットしました。

http://hokencenterkomaba.c.u-tokyo.ac.jp/k29yakubutu.htm

 東京大学保健管理センター駒場の「薬物中毒」というページです。
 べクロニウムは載っていませんが、

【ヒ素中毒】
急性中毒の場合、血中にヒ素が検出されるのは数日間であるが、尿中には 1 から 3 週間、毛髪あるいは爪には数ヵ月間検出される。
【覚醒剤中毒】
代表的薬剤は mescaline, psilocybin, LSD。LSD は通常、経口あるいは吸入により摂取される。摂取後 1 〜 2 時間で血中濃度はピークに達し、その後肝にて代謝される。血中半減期は約 3 時間。
身体所見:散瞳、結膜充血、とり肌、高血圧、頻脈。血中 LSD の検出は困難。尿中 LSD は摂取後、5 日間可能。

などの記述があります。

 これを見ると、検察側の主張はあながち不合理とは思えないのですがいかがでしょう。

追加です。

 さらにググッてみると、「夜間尿濃縮力 -健康用語辞典」というサイトがありました。

腎臓の機能が正常であれば、夜間は腎臓が尿を濃縮し、昼間にくらべて尿量は少なくなる。

という記述があります。

 尿が濃縮されるということは、尿中に薬物が存在する場合、その尿中濃度が上昇するということではないのでしょうか?

 もしそうであれば、これも検察側の主張の支えになりうるものと言えます。

>>No.33 うらぶれ内科さん
私も少しべクロニウムでぐぐってみました。素人なみですが(笑)。
まだ体内分布や代謝状態の詳細は見つけてませんが、使用中の注意として蓄積効果が認められる記載と、筋弛緩作用の拮抗薬として抗コリンエステラーゼ剤が使われるということだけわかりました。

やっぱりこのへんはLevel3さんあたりじゃないとなかなか口出しできそうにないですね(笑)
およびでないコメントばかりで失礼致しました(謝)。

他薬と比較するのはやはり無理があるようにおもいます。

砒素は腎臓そのものに分布し、蓄えられるのでだらだらと尿中に検出されるでしょう。ベクロニウムはそういうことがありますか?

LSDの血中からの検出困難というのはよくわかりませんね。測定系の問題ですか?ただ、半減期が3時間と11分の薬剤を比べること自体あまり意味がないと思いますが。注目してほしいのは半減期が3hあっても尿中で検出できるのは数日間にとどまるということです。

とにかく1週間後の尿からベクロニウムが検出されたといいうならば、誰もが納得できるメカニズムを説明するか、きちんと実験的裏づけを取るべきであったと思います。

No.36 モトケンさん

他薬と比較するのはやはり無理があると思います。

砒素は腎臓に直接蓄積されるため、その後だらだらと尿中に排泄されることはありうるでしょう。ベクロニウムにそんなことがありましたでしょうか。

LSDのことは正直言って分かりません。血中から検出するのは困難というのは測定系の問題でしょうか。ただ注目してほしいのは半減期が3時間もある薬剤なのに、尿中に検出されるのは高々数日です。11分のベクロニウムならばどれだけでしょうか。

尿は濃縮されるといっても高々100倍程度です。計算上では1週間後10のマイナス何十乗になるはずの濃度の桁が2つくらい上がったところでとても検出できるよな代物ではないと思います。(私の計算機では値が小さすぎて濃度0になります)

とにかく尿中に1週間後でも出てくるというならばそれなりのデータを示すことが必要だったのではないでしょうか。

あれ?No39 はrejectされたとおもったんですが・・

>No.39 うらぶれ内科さん

>ベクロニウムはそういうことがありますか?

 私は知りません。
 これは専門家の領域です。

>誰もが納得できるメカニズムを説明するか、

 地裁判決の該当部分を引用します。
 誰もが納得できるかどうかは別にして、私は有罪の根拠の一つとして、つまり他の証拠とあいまって有罪とするに足りる程度の説得力を感じました。

(4)P4の尿の鑑定濃度について
 弁護人は,平成12年11月7日に採取されたP4の尿の鑑定結果として,1ミリリットル当たり20.8ナノグラムの濃度でベクロニウムが検出されたことについて,投与7日後の尿からそのような高濃度のベクロニウムが検出されることはあり得ない旨主張するので,以下検討する。
ア 日本医科大学大学院の教授で同大学の医学部長の職にあり,麻酔科専門医でもある医師のP58は,概要次のとおり,上記弁護人の主張に沿う証言をしている。
 血管を通って腎臓にもたらされた血液中の物質のうち,ベクロニウムを含む,分子量が3万以下のものは,すべて糸球体を通過して尿細管側へ押し出されて原尿となるので,そのような物質の血中と原尿中の濃度はほとんど同じである。
 原尿のうち,尿細管で再吸収を受けたものは,尿とはならず,再び血管のほうに戻っていくが,ベクロニウムについては,文献には記載がないものの,分子量が小さく,水溶性に極性が変化しているから,水分と同様,原尿に含まれているうち99パーセントは再吸収され,残りの1パーセントが尿として排せつされると考えるのが素直である。
 したがって,物質の性格による違いは考えられるものの,ある時点でのベクロニウムの尿中の濃度は,原尿中の濃度とほぼ等しく,血中の濃度におおむね近いと推定できる。  そうすると,平成12年11月7日に採取されたP4の尿の鑑定の結果1ミリリットル当たり20.8ナノグラムの濃度でベクロニウムが検出されたことを前提とすると,それと同じころのP4の血中のベクロニウムの濃度もそれに近い値だったことになる。
 ところで,ある血中濃度が測定された時点からさかのぼって,ベクロニウムが投与された直後の血中濃度や投与量をおおむね推定することは,ベクロニウムの排泄半減期(血中準度が半分に減るまでの時間)を基にした計算で可能であるところ,P4事件について考察するに,排泄半減期を最大に見積もって120分とし,検察官がP4に対してマスキュラックスが投与されたと主張する時刻からP4の尿の採取まで約150時間が経過しているとして計算すると,ベクロニウムの血中濃度は2時間経過するごとに2分の1ずつ減少してゆくのであるから,投与時のベクロニウムの血中濃度は,20.8ナノグラムの2の75乗倍という天文学的な,到底考えられない数字になってしまう。
イ しかし,上記P58の証言については,その内容自体,〔1〕糸球体でろ過して原尿になるか否かを,物質の分子量が3万あるか否かだけで判断していること,〔2〕尿細管での再吸収率については,ブドウ糖が100パーセントで,尿素が0パーセントであるなど,物質によって様々であり,単なる水溶性の程度で決せられるものではなく,ベクロニウムについてのデータもないのに上記のとおり仮定し,それがあくまで類推にすぎないことを自認していること,〔3〕尿細管再分泌の有無や水分の摂取量によっても尿中の濃度は変わり得るのにそのことも考慮に入れていないこと,〔4〕上記P58自身,排泄半減期に基づく計算についても,薬物動態で用いられる生物学的半減期は,物理学上の半減期のような不変のものではなく,前記の計算は,あくまで2コンパートメントモデルに従い設定された半減期どおりの半減が未来永ごう続いてゆき,縦軸を濃度のログ,横軸を時間とする片対数グラフを取ると右下がりの直線になることを仮定したにすぎず,実際にベクロニウムが尿中からどのように排せつされるかの人体に関するデータに接したことはなく,むしろラットを用いて実験したデータ(弁7)によれば,投与の12日後でも肝臓や筋肉等の体内に,それが未変化体かどうかはともかくとしてベクロニウムが残留していた結果のあることを自認していること,〔5〕同人の証言は,他の事項に関しても,例えばベクロニウムが尿中に排せつされる場合の未変化体と代謝物の割合に関し,マスキュラックスの製品概要書と異なる内容を述べ,当初は持参した文献にそれを裏付ける記載がある旨述べながら,その確認を求められると結局指摘し得ないなど,その証言の正確性,真し性を疑わせる事情があることなどの諸点を指摘できるのであって,以上のとおり,上記証言は,十分にその裏付けや正確性を吟味しないまま,仮定に仮定を重ねた結果としての推論を述べたものにすぎず,それだけをみても不自然な点が多々認められるのであり,その結論を含め信用性に乏しいといわざるを得ない。
ウ 一方,薬学博士で,P21大学大学院薬学研究科医療薬学講座薬物動態学分野教授の職にあり,薬物動態学を専門分野とするP59(以下「P59教授」という。)は,上記P58の証言の誤りを指摘するとともに,P4の尿から前記濃度のベクロニウムが検出されたことは不自然ではないとして,次のとおり証言している。
 物質が糸球体でろ過される率については,分子量の3万を境に異なるのではなく,分子量が1000以上となるとどんどん下がるものであり,また,ベクロニウムは血中で6割台はたんぱくに結合し分子量が大きい状態で存在しているのであり,すべてが原尿中に出て行くわけではない。
 尿細管からの再吸収の率については,これにより原尿の99パーセントが回収されることはそのとおりであるが,再吸収は,脂溶性の高いものが多く,水溶性の高いものはむしろ尿中にとどまるのであり,また,ベクロニウムは水溶性に極性が変化したものではなく,水溶性と脂溶性の両方の性質を持った化合物である。ベクロニウムの再吸収率に触れた文献はなく,各物質の再吸収率は0パーセントのものから100パーセントのものまで様々であり,データもなく推測することはできず,腎クリアランスの数値をそのまま根拠にするのも正しくない。
 薬物動態学で用いる,生物学的半減期(バイオロジカルハーフライフ)とは,物理的な元素の崩壊と異なり,本来摂取された薬物の濃度は片対数グラフを取っても直線とはならず,時間の経過とともに半減期はだんだん長くなるためゆるやかな曲線になるものを,薬効の強さや持続時間を求めるために必要な,高濃度の時間内において,二つ又は三つのコンパートメントモデルを使って便宜的な近似式を用いているにすぎないのに,上記P58はこれを不変のものとして当てはめ,現実からかけ離れた計算をしており,半減期の取扱いを誤っている。
 ベクロニウムは,血中投与後,筋組織などに比較的効率よく分布し薬効を発揮するが,血中からの消失が即体外への排せつを意味せず,その後一部は肝臓や筋肉等の組織内に長く留まり,血中濃度が下がって薬効が失われても体外への排せつは長引き,組織内での移動も血中濃度が低くなると,ベクロニウムのような4級アミン系の物質の場合,濃度勾配に従った受動輸送よりも,ピートータンパクなどのトランスポーターが作用した能動輸送による尿細管分泌等の寄与が大きくなるので,投与後の時間経過により尿中濃度が血中濃度を上回ることになるので,ある時点での尿中濃度から血中濃度を求めることはできない。
 結局,P4の尿の鑑定結果が薬物動態からみて不自然といえるかどうかは,血中濃度ではなく,排せつされた量から検討するほかはないところ,P4の尿が採取された当日のP4の1日の尿量は,1645ミリリットルであるから,鑑定濃度で計算すると,その尿中に排せつされたベクロニウムの総量は34マイクログラムとなり,これは,投与されたマスキュラックスの量を1アンプル(4ミリグラム)又はその半分程度と仮定すると,その一,二パーセント程度の量に相当するが,その程度の量が7日後に尿から排せつされても不自然とはいえない。
 また,マスキュラックスの人体からの排せつは,一般的には腎臓からが約4割,肝臓からが約6割であるが,肝臓には一度集まった薬物を血中に戻す機構も存在しており,当時のP4のように,食物等を摂取できず便が全く排せつされない状態にあった場合,それ以上の比率で尿中から排せつされた可能性もある。
エ 以上のP59教授の証言は,前記のとおりの専門的な立場から誠実になされたもので,その内容も具体的かつ論理的で不自然な点はなく,投与されたベクロニウムが7日後にも体組織内に残存し,排せつが続くとの点については,ラットを用いた投与後288時間経過までの実験データ(甲250に加え,弁7にもその記載がある。)とも矛盾がなく,その信用性を肯定することができる。
オ 以上のとおりであり,P59教授の証言は信用できるところ,これと対比し,明らかに異なる内容を述べる上記P58の証言は,前記イで指摘した諸点に照らしても,これを信用することができないから,結局,前記弁護人の主張は採用することができず,P4の尿につき前記の濃度のベクロニウムが検出されたことは決して不自然なことではなく,そこに,同資料を含む本件各鑑定の経過及び結果の信用性を疑わせる事情はないというべきである。

添付文書です

薬物動態

1. 血中濃度1)
手術患者4例に臭化ベクロニウム0.08mg/kg、3例にパンクロニウム臭化物0.08mg/kgを各々静脈内に一回投与し両剤を比較したところ、分布半減期(t1/2α)は各々1.2分、2.4分と差はみられなかったが、排泄半減期(t1/2β) は各々11分、76分と臭化ベクロニウムが有意に短く、パンクロニウム臭化物に比して短時間で代謝又は排泄されて血中から消失することが示された。
2. 代謝、排泄
手術患者5例に臭化ベクロニウム0.15mg/kgを静脈内投与した場合、投与後24時間までの尿中排泄率は投与量の約30%であり、その約10%は3α-脱アセチル体であった。
また、手術患者6例に同量を静脈内投与した場合、投与後24時間までに肝胆系を介して主に未変化体(排泄量の約5%が3α-脱アセチル体)として排泄され、投与量の約40〜50%が胆汁中へ排泄された。(参考:外国人-オルガノン社研究所)
(参考:動物)
ラットの全身オートラジオグラフィーの実験から、静脈内投与後、主として肝臓、腎臓、気管等に分布し、中枢神経系、脂肪組織にはほとんど移行しないことが認められている2)。

これを踏まえてモトケン先生が引用した判決文を読めば、さらに判決文に説得力を感じます。十中八九間違いないでしょうね。

しかし、

・弁護側が検察が示した尿中濃度に疑念があると仮説を示した。
・対して検察側は弁護側の仮説よりも更にもっともらしい仮説を示した。

としか見えません。もっともらしい仮設を示すことが立証と言えるのか?

一般論になりますが、裁判所が検察に求める有罪立証のハードルはその程度でよいのでしょうか?

>No.43 元ライダー(開医)さん

>一般論になりますが、裁判所が検察に求める有罪立証のハードルはその程度でよいのでしょうか?

 一般論では論じられないのですが、本件全体の立証構造の観点から見れば、ベクロニウムの排出プロセスの説明と立証に関する限り、この程度で十分であると思われます。

 機会があればもっとくわしく説明したいところですが、排出プロセスに関する検察側証人「P59教授」の証言は、「弁護人の反証に対する反証」と「鑑定結果に対する補強」という意味合いの証拠だと考えられるからです。
 鑑定結果の立証は本件において不可欠ですが、「P59教授」の証言は、被告人が争わなければ必要がなかった証拠です。
 つまり被告人の反証を反駁できれば足りるということができます。

 ちょっとわかりにくい話かも知れませんね。

腎の濃縮はせいぜい100倍程度なので、10の75乗という世界ではもともと血中濃度がどうであったか問題ではないでしょうね。判決では2,3のコンパートメントモデルでは不完全だといっているようですが、ではいかなるモデルが成り立つのかは何も言っていない。つまり推定はできないことになります。直接関係ありませんが、ちなみに判決の中で尿素の再吸収率は0%とのべていますが、これは明らかな間違いですね。

結局のところ7日後の尿にベクロニウムが検出されるのか、実際に測定してみるのが一番手っ取り早い。今からでもやろうと思えば簡単にできます。誰か費用を出してくれれば私がやってみたい気がします。

>No.44 モトケンさん

「弁護人の反証に対する反証」と「鑑定結果に対する補強」という意味合いの証拠

ごく大雑把に、以下のような理解でよろしいでしょうか。
1.検察側がAという立証を行う(冒陳)
2.これに対し弁護側はNOT_A、NOT_A´などA立証に否定的な材料を提示する(P58証言)
3.検察側は上記2に対しCounter_NOT_AやCounter_NOT_A´の打ち消し材料およびA+という補強材料を出して原主張Aを防御する(P59証言)

まず検察は「Aだ!」と言い、弁護側は「NOT_Aの理由からAではない」とするものの検察はさらに「Counter_NOT_Aの理由から『NOT_Aの理由からAではない』ではない」と述べ、否定材料が成り立たないことを立証できれば最初のAが成り立つ、みたいな感じ・・・でしょうか。

弁護側としてはNOT_Aさえ成り立てば、実はBだろうがCだろうが甲乙丙丁であってもそれは問題ではない、検察としてはこのNOT_Aが否定できれば他にBやCや甲乙丙丁の可能性は敢えて検討するまでもない、裁判所としても『仮説A』に対する『反証NOT_A』が成り立たつなら『仮説A』を棄て、成り立たないなら『仮説A』を採用する・・・で十分ということ、ですよね?

この場合べクロニウムを投与できる機会があったのは誰と誰で、他のケースでべクロニウム投与機会があった者の行動の記録と照らし合わせて、複数のケースで行動機会が重なり合う者は誰かという論証を検察は第一に行なうべきでしょう。

この一例のべクロニウムの検出結果の解釈については、血中薬物動態の理論の検証よりも、検察が被疑者に投与機会があったことを行動記録と照らし合わせて、医学的にも結果に合理的な疑いを生じないように論証できていればよいのではないでしょうか。

検察としては医学的にも争点含みの鑑定意見を並べるよりも、被疑者の行動の詳しい分析結果を提示するほうが検察の目的に対して論証的だと思います。

>No.45 うらぶれ内科さん

>実際に測定してみるのが一番手っ取り早い。

 十分な再現性のある測定を行うとすれば、測定の前提として、殺人の実行行為と見るに足りる程度の筋弛緩剤を人間に投与する必要があると思いますが、これは殺人ないし殺人未遂行為を再現するということになりますので、裁判の立証としては許されないと思います。


>No.46 惰眠さん

 そんな感じです。


>No.47 ぼつでおk(医)さん

 体液鑑定では、誰が投与したのかを立証できません。
 行為者の特定は別の問題です。

>>No.48 モトケン先生
>行為者の特定は別の問題です。

これが刑事裁判である以上検察の仕事(立証)のすべてとしては、まず犯行が存在することの証明と、ついでそれが被告人の犯行である証明とを同時に論証することだけで十分ではないのでしょうか。

行為者の特定は起訴以前に警察と検察の捜査によって明らかにされていなければ、起訴しても公判が維持できないはずですから、裁判で行為者の特定において弁護側から疑義が申し立てられること自体、捜査そのものの適正さを検察が自ら保証し切れていないことの現れという見方もできてしまいます。

検察が捜査の適正さをみずから保証するには、他のケースにおいても犯行が存在し犯行者が行動記録から特定できる必要があるでしょう。
あるいは、このケースだけに限っていえば、筋弛緩剤が2度投与された場合でも被疑者に2度とも犯行機会があったと証明できれば、明らかなアリバイがない限り検察の捜査の適正さが認められてしかるべきだとは思いますが。

No.48 モトケンさん

いやそうじゃなく、前に述べたようにこの薬は毎日病院の手術室で全身麻酔下の元に何人もの患者に使われている薬剤です。それこそ一日何百(何千?)ともいった数です。だから、その人たちの1週間後の尿を調べてみればいい。百人も集めれば十分信頼できるデータになるはずですが。1人でも検出されることがあるならば納得できるでしょう。

そもそも弁護側から疑念が出たら再鑑定するのが筋なんですが、この問題はいかがですか。
鑑定医は他の薬剤の可能性がないか調べてみたそうですが、これだけ聞いても鑑定医の資質を疑うに十分では。他の薬剤の可能性なんて調べたって調べつくせるもんではないでしょうね。

>No.49 ぼつでおk(医)さん

>裁判で行為者の特定において弁護側から疑義が申し立てられること自体、捜査そのものの適正さを検察が自ら保証し切れていないことの現れという見方もできてしまいます。

 これは、被告・弁護側から争う余地がまったくないほどに、より正確には被告・弁護側が争う気がまったく失せるほどに完璧な捜査ができなければ、その捜査は適正ではないという意味でしょうか?

>検察が捜査の適正さをみずから保証するには、他のケースにおいても犯行が存在し犯行者が行動記録から特定できる必要があるでしょう。

 ここで言っている「行動記録」というのはどういうものですか?


>No.50 うらぶれ内科さん

 本件では、検察官は被害者の体液からべクロニウムが検出されたという事実の立証に成功していると認められます。
 体液鑑定に関する限り、検察官としてそれ以上の立証は不必要です。

 次には弁護側が反対立証をする必要があります。
 ですから、「百人も集めれば十分信頼できるデータになるはず」であるのであれば、それは弁護側が行うべきです(No.46 惰眠さんのコメント参照)。
 ところで、通常の使用量と被告人が投与した筋弛緩剤の量はどうなんでしょう。
 判決文によると、1名が呼吸困難ないし呼吸停止によって死亡、4名は救命措置によって一命をとりとめていますが、病院では毎回救命措置を行っているのですか?
 量が違えば再現性は著しく損なわれと思います。
 十分な再現性のない鑑定は無意味です。

>そもそも弁護側から疑念が出たら再鑑定するのが筋なんですが、この問題はいかがですか。

 弁護人はその点を強調していますが、再鑑定の機会は保証したほうがいいと言うにとどまり、保証しなければいけないものではありません。
 保証できない場合も多いです。
 鑑定資料の全量消費の一事をもって鑑定の信用性を争うのは説得力がありません。
 ちなみに、覚せい剤の尿鑑定では全量消費が原則だったはずです。
 なお、証拠の捏造(事後的混入)を主張するのであれば、再鑑定は無意味だと思います。

>鑑定医は他の薬剤の可能性がないか調べてみたそうですが、これだけ聞いても鑑定医の資質を疑うに十分では。

 いえ、まったくそうは思いません。
 可能な限り、他の薬剤混入の可能性を排除するのは必要な捜査です。

>>No.51 モトケン先生
ご質問順とは逆順にお答えいたしますがお許しください。

1:>ここで言っている「行動記録」というのはどういうものですか?

No.9で書きました、
>まずはすべての医療記録(カルテ,看護記録,検査記録,処方記録を集めてそれぞれのケースにおいて関係者の証言を得ていく。ひとつひとつ医療記録の裏を取って複数の事件に共通に関わっているのは誰かを詳細に検討して推定有罪の容疑者を絞り込んでいき、誤認逮捕の可能性を最小限にしてから警察に指示して逮捕を行なう。>
あと薬剤管理記録も追加します。

2:>完璧な捜査ができなければ、その捜査は適正ではないという意味でしょうか?

これらの捜査で押収した(筈の)諸書類を、FBIが時系列に従った分析図を描くやりかたなどで各患者ごとに丁寧に並べ替えて犯行時間の範囲を求め関係者のアリバイつぶしをして犯行可能者を絞っていく。すべての患者について分析図をつくって、次に全体をあわせて検討し犯行可能者をさらに絞りそのアリバイを検討する。
推定有罪の被疑者をこうすれば浮かび上がらせることができると思いますし、アリバイが崩せない件があっても1つ2つであれば捜査の論理の正当性は否定されないと思いますし、公判が十分維持できると思います。

このように、No.49で書きました
>検察が捜査の適正さをみずから保証するには、他のケースにおいても犯行が存在し犯行者が行動記録から特定できる必要があるでしょう。>
>あるいは、このケースだけに限っていえば、筋弛緩剤が2度投与された場合でも被疑者に2度とも犯行機会があったと証明できれば、明らかなアリバイがない限り検察の捜査の適正さが認められてしかるべきだとは思いますが。>
で申した検察の捜査の適正さの証明は、ここで現在問題になっている鑑定結果の解釈いかんでもって検察側が弁護側の主張する厳密な医学的証明(実験ですら証明不能でしょう)の土俵で「弁論で」勝つことでは証明されないが、もっと厳密な理論を必要としない時間空間的な犯罪遂行実現可能性の立証を丁寧に積み上げていくことで、より合理的かつ合目的的に達成されるだろうと考えるものです。

この考えは、検察が論理的に犯人を明らかにできるやり方で、やるべきことをきちんとやっていればおのずと捜査の適正さも同時に証明されるという性質のものであって、あえて捜査に意図的に高いハードルを要求し課す論理とはまったく関係ないものと考えております。

No.51 モトケンさん

>ですから、「百人も集めれば十分信頼できるデータになるはず」であるのであれば、それは弁護側が行うべきです 

実はその点はまったく同意します。なぜやらないんでしょうかね。裁判所が職権でやってもよかったと思うんですが。データがないのに1週間後に尿中排泄がどうなるか議論しても始まらんのじゃあないでしょうかね。

>ところで、通常の使用量と被告人が投与した筋弛緩剤の量はどうなんでしょう。
 判決文によると、1名が呼吸困難ないし呼吸停止によって死亡、4名は救命措置によって一命をとりとめていますが、病院では毎回救命措置を行っているのですか?

被告人はそんなに異常な量を投与したんでしょうか?どの程度の量を投与したかは分かりませんが、状況からして1-2アンプル程度ではないでしょうか。
毎回救命措置といえばそうかもしれませんが、全身麻酔での手術というのは、気管内送管の元で筋弛緩剤で呼吸を止めて人工呼吸器を装着して行っているわけですよ。

↑で送管→挿管です(^^;

>No.52 ぼつでおk(医)さん

 本件では被告人の犯行機会の存在についてはあまり問題にならないと思います。
 そのあたりの判決を読んでないのですが、ともかく裁判所は検察官の主張を概ね認めているようですから、捜査と公判維持としては成功しているのでしょう。

 犯人性については、逮捕当初の自供が決定的かも知れませんよ。以前にも指摘しましたが。
 たしか、弁護士にも裁判官にも認めているはずです。
 これを後からひっくり返すのは大変です。
 仮に被告人が冤罪であるならば、最初に接見した弁護士の責任が最も大きいと、今は弁護士である私としてはそう思います。
 ただし、今のところは冤罪の可能性は薄いと感じてますが。

>No.53 うらぶれ内科さん

>気管内送管の元で筋弛緩剤で呼吸を止めて人工呼吸器を装着して行っているわけですよ。

 なるほど。了解です。

>なぜやらないんでしょうかね

 私が弁護人なら、一世一代の大ギャンブルをする気分です。
 正直、怖くてできないかも知れません。
 検出されたらそれで最大の反論根拠が失われます。
 検出されなかったとしても、本件の鑑定で検出されたという事実を否定し去ることは困難です。

 しかし、弁護人としてはやるしかなかったんじゃないでしょうか。

>>No.55 モトケン先生
お考えをお示しくださってありがとうございます。
私はこの件は事情に疎く判決文も見ていないので一般的な話しかできないと思いますが、医学鑑定の部分が論点になっているようなので参加してみました。本当は判決文の中で裁判長がどのように鑑定を判断したかが最も興味があるのですが、それを読まないままで犯人が誰であるかの領域に思わず踏み出したことは反省いたしております。

このエントリーでは最高裁判断について論じるという趣向であったのも踏み出した原因かもしれません。ご存知のごとく私は最高裁の判断の司法性に疑問を抱いておりますから(笑)。

あと、横入りの意見で申し訳ありませんが、No.50うらぶれ内科さんの
>>鑑定医は他の薬剤の可能性がないか調べてみたそうですが、これだけ聞いても鑑定医の資質を疑うに十分では。>
には医師として完全に同意です(笑)。
ベクロニウム事件での科学捜査を依頼されればエビデンスを最重要視する論理学者である鑑定医としては実験の再現性を最優先に担保するほうがよいと普通に考えると思います。検査の結果が裁判で一人の人間の生命を左右する可能性が高かったからには、どうやっても残せない特別の事情がない限り、倫理的にみても試料を他の薬物検査に費消せずベクロニウム再検査用に残しておくだろうと思います。
まあ、この事件で具体的に特別の事情があるのかないのかも知らないので、一般的な話としてしか言えませんが。

3時間後のベクロニウムの血中濃度は計算上十分にあり得る値です.
尿中の方は,予測するには手元のデータでは不十分です.麻酔科の専門医や教授クラスでも正しく答えられる人間はほとんどいないと思います.正しく回答できるのは,これを専門に研究している人だけでしょう.その意味ではNo.42でモトケンさんが引用されている中に書かれている薬物動態を専門にしている薬学博士の教授のコメントを信用するべきでしょう.血中濃度に対するコメントも含め,この方のコメントが科学的に最も妥当であると考えます.
尿中には思いのほか薬物が残存することは十分にあり得る話なのです.ましてやng/mlというのは非常に微量濃度ですから...
理論的計算はあくまで臨床に必要な部分だけをおおまかに予測するためのものに過ぎず,それ以外の部分にまで当てはめられるものではないことを肝に銘じておくべきでしょう.
種々の薬物の排泄半減期を計測する際には,サンプリングの期間を長くすれば長くするほど算出される半減期が長くなってしまうのですが,この理由はこの教授がコメントされているようなところに原因があります.

>No.12 倶利伽羅さん

私がこれまで目にしたものでは,いずれも筋弛緩薬の投与の結果(2次的に生じる事案も含め)と矛盾するものではありませんでした.すみませんが,5人の経過が詳細に記されたWeb等があればお教え下さい.それも参考にさせて頂きたいと思います.

>鑑定医は他の薬剤の可能性がないか調べてみたそうですが
地下鉄サリン事件の裁判での、地下鉄内で散布された「化学物質」の同定を巡る弁護側反対尋問のことを考え合わせますと、捜査当局から鑑定依頼を受けた医学者(≒医師)が、さまざまな可能性を検討して潰していくのは、私は特に不自然に感じません。

・・・・あの裁判での麻原側弁護士(あえて誰とは言いませんが)の反対尋問は、わざと理解できないフリをしてるのか本当にまったく理解できないくせに鑑定医にカランでいるだけなのか、おおよそ学者の忍耐力の限界をことさらに試すかのような、本当に酷いものでしたから。

凄い勢いでコメントが進んでいますね。
専門用語も飛び交っているので、追いかけるだけでやっとといったところです。
> No.28 No.29 うらぶれ内科先生
お答えありがとうございます。
先生はやはり鑑定結果があり得ない以上、その鑑定結果に拠って立つ本件判決には疑問が残ると考えられているのですね。
横入りの更に横槍になりますが
>No.50 うらぶれ内科先生
>No.57 ぼつでおk(医)先生
>鑑定医は他の薬剤の可能性がないか調べてみたそうですが、これだけ聞いても鑑定医の資質を疑うに十分では。
試料をを全量消費したのは、大阪府警本部科学捜査研究所ではないのでしょうか?
科捜研での鑑定であるならば、本件事件の原因が判明していない以上、原因特定のため各種鑑定を実施することは別段不自然でも何でもありません。
試料から検出する目的物質が最初から判明していれば、使用する試料の量を最小限に抑えることも可能でしょうが、物質が特定されていない状態であるならば、複数回にわたって異なる手法で鑑定を行い、検出される物質を特定することがそんなに倫理に反することなのでしょうか?

覚せい剤の尿中残留日数が話題になっていますので、ちょっと追加をしたいと思うのですが、手元に資料がないので記憶の範囲内で。
血液中の覚せい剤濃度の半減期については静脈注射や経口摂取の場合、摂取後3〜7時間ですが、尿中から検出される覚せい剤(メタンフェタミン及びその代謝物質のアンフェタミン)の濃度のピークは摂取後48時間〜72時間の間とされています。
その後尿中の覚せい剤濃度は暫減していきますが、摂取後7日目でも7割前後の使用者から立件可能濃度(1ng/mlだったかな?)以上のメタンフェタミンが検出されており、最長で11日目まで尿中からメタンフェタミンが検出される者が存在することが実験の結果明らかとなっています。
上記の理由から、警察では一般的に覚せい剤使用の日にちについては採尿の7日前以内と考えていますが、私が以前取り調べた被疑者の中には、各種裏付け捜査の結果覚せい剤使用は明らかに採尿の10日前であるにも関わらず、尿中から覚せい剤が検出された者がいました。
それと余談になりますが
> No.51 モトケン先生
>ちなみに、覚せい剤の尿鑑定では全量消費が原則だったはずです。
以前は全量消費が原則でしたが、本件裁判の影響もあるのか近年公判において弁護側から「全量消費するのは鑑定結果の捏造を隠蔽するためである」旨の主張が全国的に多発したことから、再鑑定に備え警察庁の通達により昨年から鑑定後の尿の残量を保管する運用を開始しています。
ところが、残量保管が始まった直後から弁護側が再鑑定の主張を行うことが激減し、実際に再鑑定が行われた例は皆無に近いそうです。
なぜなんでしょうね?

>>No.61 感熱紙(刑)さん
>科捜研での鑑定であるならば、本件事件の原因が判明していない以上、原因特定のため各種鑑定を実施することは別段不自然でも何でもありません。

そういう事情であったならば前言は撤回します。筋弛緩剤という医師にとって心得の重要な微妙な薬物ですから、事情を心得た近くの公的医学研究機関の医師が検査に当たったのかと思っていました。
当時の科捜研なら無理もないと思います。ただ、証拠性を重んじるなら全量消費は避けて欲しかったとは思いますが、その点については現在改善されているようですのでこれ以上の注文はありません。

>>No.60 惰眠さん
>・・・・あの裁判での・・・弁護士(あえて誰とは言いませんが)の反対尋問は、わざと理解できないフリをしてるのか本当にまったく理解できないくせに鑑定医にカランでいるだけなのか、おおよそ学者の忍耐力の限界をことさらに試すかのような、本当に酷いものでしたから。

トピずれですみませんが、現在某東北地方で裁判中の事案で我々医師が某地方検察に対して惰眠さんの上記コメントとまったく同じ感想を抱いていることを、思わず(笑)書きたくなりました。(笑)

>No.63 ぼつでおk(医)さん
「O病院ケース」ですね?
ちなみに件の地下鉄サリンの公判では、鑑定に当たった検察側証人のみならず、たまたま傍聴してたに過ぎない私もキレそうになりました(笑)。
このときの弁護側の反論は「散布された化学物質はサリンではない(かもしれない)」というスタンスからのもので、限られた文献しかないサリン中毒に関する臨床症状と、事件での被害者の症状に差異があるからサリンじゃないとか、ガスクロ分析器の精度が信じられないから仕様書を出せとか、仕様書どおりの性能が発揮されてた保証があるのかとか、精密司法といえばそうなんだけども、およそ常識とはかけ離れた(と、傍聴人である私には感じられる)ものでした。

私が、足立・安田両弁護士を大嫌いなのは、このときの経験が大きいように思います(苦笑)。
いや、熱心に被告人弁護をなさってることには頭は下がりますけどね。

>No.61 感熱紙(刑)さん

>昨年から鑑定後の尿の残量を保管

 それは知りませんでした(^^;

>なぜなんでしょうね?

 そんな主張しても役に立たないことが知れ渡ったからじゃないですか。
 以前に、キムチを大量に食べると尿から覚せい剤成分が検出されるという噂が広まって、自己使用の被疑者がみんなキムチ大好き人間になったことがありましたが、そんな弁解が通用しないとわかって一気にキムチ好きが減ったということがありましたね(^^)

 ところで、すでに指摘してはいるのですが

「全量消費するのは鑑定結果の捏造を隠蔽するためである」旨の主張

 の「捏造」というのは具体的にどのような不正行為を考えているのでしょうね?
 尿鑑定の捏造というのは相当難しいと思います。
 いっちゃあなんですが、私は、(取調べ)警察官と検察官と科捜研の技官を比較した場合、技官が一番信用できると思ってます。
 前二者が信用できないという意味ではありませんが(^^;

>No.45 うらぶれ内科医先生,

>結局のところ7日後の尿にベクロニウムが検出されるのか、
>実際に測定してみるのが一番手っ取り早い。今からでもや
>ろうと思えば簡単にできます。誰か費用を出してくれれば
>私がやってみたい気がします。
私もできればやってみたいと思いますね.ただし,条件を整えるためには術後も絶飲食させなければならないような患者で行なう必要があるでしょう.そうなると検証にできるような患者さんは結構かぎられてきてしまいます.
もちろん普通の術後患者さんで1週間後の尿からベクロニウムが検出されるようならそこで検証は終了できるでしょうけど.
No.58にも書きましたように長時間になりますとコンパートメントモデルは当てはまりません.この点はP59教授のコメントが正しいのです.自前で薬剤の半減期を調べたことのある人間であれば,その点については納得できるものでしょう.多くの薬剤で同様の現象が生じます.見かけ上の消失率がどんどん小さくなっていくのです.

10日付で上告棄却決定に対する異議申し立ても棄却され、無期懲役が確定したようです。(asahi.comの記事

そこでNo.3 ひらのさんの「今回は意識不明の重体一人を含む4件の殺人未遂も併せて犯したとされているのですから死刑求刑も十分視野に入ると思うのですが。」で改めて思ったんですが、この事件の構造って、必ずしも殺人+殺人未遂じゃなくて傷害致死+傷害って見方でも成立するんじゃないかな?そこを慮っての求刑だったのかな?という気がしてきました。

level3 先生
>No.58にも書きましたように長時間になりますとコンパートメントモデルは当てはまりません.この点はP59教授のコメントが正しいのです.

その点は理解できます。しかしそうであると7日後の尿中ベクロニウム量が妥当かどうかというのは単なるスペキュレーションに過ぎないわけで、定量的議論は不可能です。だから少なくとも弁護側はデータを出すべきであったというわけです。
絶食というのはベクロニウムの再吸収量や、腎の尿縮が変わるから影響を与えるということらしいですが、少なくともオーダーが変わるほどの事はないと考えます。しかしこの辺のところは実際やってみなければまったく物が言えませんですね。

level3先生も機会あったらぜひ測定を試みていただければと思いま
す。これだけの事件の後ですから、positveな結果でもnegativeでも日本語論文くらいにはなりそうですね。

>No.67 惰眠さん

この事件の構造って、必ずしも殺人+殺人未遂じゃなくて傷害致死+傷害って見方でも成立するんじゃないかな?そこを慮っての求刑だったのかな?という気がしてきました。


それは、無いように思います。
伝聞になりますが、検察は一審の弁論で犯罪事実について、「まさに戦慄を覚える」「人間性のカケラもない」といった感じで、そりゃあ凄い言い方だったそうです。犯罪事実が真実であるなら、被害は甚大な上、被告人は否認していて、情状面でプラスになりそうなものはない。求刑が無期懲役だったとき、他ならぬ弁護人が驚いたそうです。

 この事件の詳細はあまり存じ上げないのですが、急変後に、筋弛緩剤を投与された事例はなかったのでしょうか。

 気管内挿管による気道確保を行うなら、完全な心肺停止状態でない限り、挿管に充分な開口を得るために、筋弛緩が必要です。

…自分は野戦病院出身なので、意識下の挿管とかもやりますが、様々なリスクが高く、一般的な方法ではありません。

 急変後に筋弛緩剤の投与が為されているのであれば、尿中から検出されるのはむしろ当然で、急変の原因と断定するのは問題があると思います。

 報道を見る限り、急変後の入院先で受けた治療の内容についての記載が全くないので…。

>No.69 けんさん
無差別殺人を起訴事実として弁論をやれば、そういう苛烈な言葉が並ぶのも無理からぬことだろうと思います。でも、そこまで糾弾の言葉を並べ立てておいて無期懲役を求めるってのも変ですけどね。

なお、私が想定したのは、事件の絵図面を描くにあたって、例えば――そうですね、時々おこる消防団員による放火事件みたいに「大ピンチの場面で活躍して危機を乗り越え要救護者に感謝される俺ってカッコイイ」をやりたくて犯行に及んだのだと見立てることも可能だったんじゃないか、患者の死亡や後遺障害は被告人にとっても予定外だったんじゃないか、ということです。
もし殺意の立証が困難で訴因変更を余儀なくされていたとしたら、上記のようなロジックに組み替えて公判を継続させたんじゃないかな〜と想像してNo.67のコメントになりました。

ところで全くの余談になるのですが、被告人弁護側は最高裁の判断に対して「科学を無視」云々と言っているようなんですけど、それって裁判所が弁護側が主張するところの科学(P58教授の見解)をしりぞける根拠にしたP59教授のことを「非科学的だ」って言ってるのと同じですよね。間接的に。
・・・それって名誉毀損になりません?(笑)

>No.69 けんさん

>そりゃあ凄い言い方だったそうです。

 これはあまり決定的じゃないです。
 懲役1年を求刑するときでも「人間性のカケラもない」という論告をする検事がいますから。

 たぶん、殺意の強固さに問題があったと見たのではないかなと思います。
 5件も起訴して既遂は1件だけですし。
 動機も院長(だったかな?)に対する嫌がらせと考えると必ずしも確定的殺意まで必要としなさそうですし。
 未必の故意またはそれに近い程度の故意と認定した可能性が感じられます。

>…自分は野戦病院出身なので、意識下の挿管とかもやりま
>すが、様々なリスクが高く、一般的な方法ではありません。

rijin先生,
既に「筋弛緩薬が投与されてた疑いが強い」もしくはそうでないにしても「蘇生が必要な程度の状態」だったわけですから,その時の気管挿管に筋弛緩薬が投与された可能性は極めて低いとは考えられませんでしょうか?(実際のところは知りませんが,自分ならどうしたかと問われれば「そのままの状態で気管挿管した」でしょう.)

その後の治療中,人工呼吸管理上筋弛緩薬が投与された可能性については否定できませんが...

No.68うらぶれ内科医先生
>実際にベクロニウムが尿中からどのように排せつされ
>るかの人体に関するデータに接したことはなく,むし
>ろラットを用いて実験したデータ(弁7)によれば,投
>与の12日後でも肝臓や筋肉等の体内に,それが未変化
>体かどうかはともかくとしてベクロニウムが残留してい
>た結果のあることを自認していること,
確かにP59教授先生の根拠もラットのデータだったりするわけで確実ではありませんが,それでも動物実験では残存しうることが解っている点は大きいのではないかと思います.
患者さんでの計測に関しては,機会がありましたら一度試してみてもよいかと思っています.1週間以上入院するような患者さんが対象になりますが...

>No.71 惰眠さん

患者の死亡や後遺障害は被告人にとっても予定外だったんじゃないか、ということです。 もし殺意の立証が困難で訴因変更を余儀なくされていたとしたら、上記のようなロジックに組み替えて公判を継続させたんじゃないかな〜と想像してNo.67のコメントになりました。

そういう見方もできなくはない気はしますが、朝日の記事をみると、5件の犯罪事実の時系列は以下の通りです。
───────────────────
00年 
2月 2日 風邪で入院の女児(1)が急変、快復
10月31日 腹痛で入院した女児(11)が急変、意識不明に
11月13日 男児(4)が急変、快復
    24日 女性(89)が急変、死亡
    同日 団体職員の男性(45)が急変、快復
───────────────────

最初の2件はともかく、2件目で女の子が意識不明になった後で被告人が犯したとされている3件については、被告人が有罪ということになれば、動機が何であれ、少なくとも未必の殺意はゆうに認められるのではないでしょうか?

ところで全くの余談になるのですが、被告人弁護側は最高裁の判断に対して「科学を無視」云々と言っているようなんですけど、それって裁判所が弁護側が主張するところの科学(P58教授の見解)をしりぞける根拠にしたP59教授のことを「非科学的だ」って言ってるのと同じですよね。間接的に。 ・・・それって名誉毀損になりません?(笑)

検察側の鑑定人に対して名誉棄損というのは、皮肉でおっしゃられているのではないかと思いますが、たしか本件の弁護人(の1人?)は「真相は医療過誤だ」みたいなことをマスコミ上で主張したことによって、実際に病院側から訴えられていますね。

>No.72 モトケン先生

懲役1年を求刑するときでも「人間性のカケラもない」という論告をする検事がいますから。
あっ、そうなんですか…

懲役1年が相当で、「人間性のカケラもない」とまで言われてしまう犯罪が、どういう犯罪なのか私にはわかりませんが、勉強になります。

 たぶん、殺意の強固さに問題があったと見たのではないかなと思います。  5件も起訴して既遂は1件だけですし。  動機も院長(だったかな?)に対する嫌がらせと考えると必ずしも確定的殺意まで必要としなさそうですし。  未必の故意またはそれに近い程度の故意と認定した可能性が感じられます。
No.74でも書いたのですが、最初の2件はともかく、後半の3件はどうなんでしょうか?

犯罪事実が真実なら、後半の3件は、被害者が意識不明状態になるくらいのことはあると認識した上で犯行に及んだことになるので、動機は何であれ、未必の殺意はゆうに認められるように思いますし、確定的殺意がなかったとしても、かなり悪質な部類に入る殺人・殺人未遂ということになるように思います。死刑求刑が相当なような気がするのですが…

> No.65 モトケン先生
>「捏造」というのは具体的にどのような不正行為を考えているのでしょうね?
これは本件の弁護側の主張にも言えることなんでしょうが、結局は「被告人に有利な結果が出たのに、それを隠蔽するため嘘の鑑定結果を作成した」ということなんでしょう。
>いっちゃあなんですが、私は、(取調べ)警察官と検察官と科捜研の技官を比較した場合、技官が一番信用できると思ってます。
実は私も同意見です。
科捜研の技術職の鑑定がどれだけ警察にとって厳しいものか知らないからこそ、無邪気に鑑定の捏造などという主張が出来るのでしょうね。
本件鑑定結果にいくつかの疑問点が指摘されていたのは確かですが、その結果が捏造であると主張するならば、本来捏造である証拠を示す必要があるところを、疑問点を指摘するだけで、「鑑定結果には疑問点がある→捏造に間違いない」とする弁護側の理論展開には正直論理性の欠片もないと感じます。
(これは論理的に疑問点を示されているうらぶれ内科医先生のコメントに対しての感想ではなく、本件弁護側の主張に対する感想です)

本件で私が最も不快に思うのは、本件の弁護人や支援者達は、どれだけ証拠を突き付けられようと被告人が冤罪被害者であるとの主張を声高に叫ぶ一方で、確たる証拠もなしに鑑定結果の捏造説を持ち出したり、北陵クリニック側の医療過誤を主張したり、被害者の病変を理由にしたり、とにかく自身の無罪を主張するために他人に原因を押しつけることを繰り返している点です。
判決確定後も被告人が、被害者の方や半田夫妻らに謝罪したというような事実はなく、支援者が未だ独善的な主張を繰り返していることを鑑みると、彼らのいう「正義」や「公正な裁判」とは、裁判官の判断や客観的な証拠などは全くの無価値で「自分たちの主張が通ることが正義」、「被告人が無罪になる事が公正な裁判」であることがより鮮明になっていることが分かります。

余談ですが、No.71の惰眠さんの御意見とも被るのですが、この事件を知った時、私の頭の中に「法螺吹き男爵」という言葉が浮かんだのは秘密です。

裁判員制度の是非という観点から見ると、捜査や審理上の問題点は別にして、この事件の量刑を裁判員評議で行なう意義がどこにあるのだろうという気がしました。

 Level3 先生、こんにちは。

 全例が心肺停止に至ったというわけではないようですね。

 その場合は、急変後一定の時間を置いてから、呼吸管理のために挿管に至った可能性は高いだろうと思います。

 呼吸停止になるまでもなく、でも浅く間隔の長い呼吸(下顎呼吸?)になったというような場合、他の管理の方法はあまり考えられません。

 LMなら筋弛緩は要りませんが、感染のリスクがあります。

 どうもACLS(…だったのか?)がどこで誰によって為されたのかすら把握して居らず、非常に居心地が悪いのですが…。

> その後の治療中,人工呼吸管理上筋弛緩薬が投与された可能性については否定できませんが...

 たとえば筋弛緩剤を持続で流しながらCMVというのは、既に自分が現場にいた昔から一般的ではありませんでしたが、それでもそういう管理の必要な患者さんも居ますし、それしかできないお医者さんも居ますね。

確かにrijin先生の書かれていますように,全例で心停止まで来たしたわけでありません.
ただ,呼吸補助が必要となっていたような状況ではやはり普通なら(麻酔科医的発想ですが)筋弛緩薬は投与せずに挿管してしまうと思います.挿管した後の気道の評価(どこに問題があったのか)がすぐにできることがひとつの利点だからですし,すぐに状況が改善するようなら抜管も視野に入れられます.

感熱紙(刑)さん,
>本件で私が最も不快に思うのは、本件の弁護人や支援
>者達は、どれだけ証拠を突き付けられようと被告人が
>冤罪被害者であるとの主張を声高に叫ぶ一方で、確た
>る証拠もなしに鑑定結果の捏造説を持ち出したり、北
>陵クリニック側の医療過誤を主張したり、被害者の病
>変を理由にしたり、とにかく自身の無罪を主張するた
>めに他人に原因を押しつけることを繰り返している点
>です。
私も同じように感じています.「事件そのものが無かった」などというのはどう考えても「詭弁」にしか映りません.
「筋弛緩薬でない」と主張される方々は,どこのどの状態が筋弛緩薬の効果(および呼吸抑制もしくは呼吸停止に伴う病態)と異なるのか,医学的根拠をもって解説して頂きたいと思っています.
89才の女性は心筋梗塞と主張していますが,元々冠動脈疾患を持っていてもなんらおかしくない年齢で,呼吸抑制に伴う低酸素症,呼吸努力によるが酸素受容の増大が生じれば「2次的に」心筋梗塞を来す可能性などいくらでもあります.覚醒している患者さんに筋弛緩薬だけ投与するとどれだけ「患者さんが苦しい思いをし」「恐ろしく感じるのか」ご存知ないのでしょう.また高齢者ならベクロニウム1mgでも容易に呼吸困難を来しますし,1-2mgになると1回投与でなく点滴でいくらかの時間に投与される状況でも呼吸停止を来すことが十分に考えられるものです.
「点滴で投与されたら効くはずもない」というのは机上の空論に過ぎません.年齢や体重,筋弛緩薬に対する感受性と,投与量や投与速度を考慮しなければならないのです.

>No.77 ぼつでおk(医)さん

裁判員制度の是非という観点から見ると、捜査や審理上の問題点は別にして、この事件の量刑を裁判員評議で行なう意義がどこにあるのだろうという気がしました。
 私のNo.75のコメントのことを言われているのかな、と感じましたので、一応レスさせて頂きますが、別に私は「この被告人は死刑にすべきだ」と言っているわけではありませんよ。

 「なんで、検察は死刑を求刑しなかったのかな?」という話をしているものです。

 裁判員制度と話をからめるならば、仮に本件が裁判員制度で裁かれていたなら、検察の求刑が無期懲役だったことは、裁判員の有罪・無罪の心証にも影響が皆無ではなかったような気がします。

>>No.80 けんさん
いや、けんさんのNo.75のご意見とははなれて、単純にこの事件を裁判員制度で裁いた場合、量刑は裁判官が言うがままの形式的裁判員多数決へと導かれるのかなあと(笑)。いろいろ医学的にも難しそうですし、未必の故意とかからんでて私のような素人には判断できるだけの法的基礎知識もなさそう。(笑)

陪審制なら有罪か無罪かだけ全員一致評決するだけでよいし、情状酌量も評決事項だから法に無知でも正義感があって論理的思考さえできれば陪審員同士で評議して評決できるだろうなと思っただけです。(笑)。

>No.75 けんさん

>死刑求刑が相当なような気がするのですが…

 量刑感覚に正解はないと思います。
 
 犯行回数の多さから見ると死刑求刑は当然検討されたと思いますが、全部の犯行が未必の故意的なものであれば、死刑回避という選択も十分理解できるというのが私の感覚です。
 
 私ならどうすると問われれば、報道から推測される証拠関係に基づくと、どっちかというと無期懲役寄りです。

 

No.74 けんさん
そうですね、薬剤の性質を考えれば消極的殺意(未必の故意)を認定するのが妥当だと思います。
ただ、私の「傷害致死+傷害の立論も可能だったのでは?」のベースには、加害行為に引き続いて(と言うか、殆んどワンセットで)救命行動を伴っている点が「もしかしたら殺意認定を否定する材料になるかもしれない」と考えたことがあります。

No.76 感熱紙(刑)さん

本件で私が最も不快に思うのは、本件の弁護人や支援者達は、どれだけ証拠を突き付けられようと被告人が冤罪被害者であるとの主張を声高に叫ぶ一方で、確たる証拠もなしに鑑定結果の捏造説を持ち出したり、北陵クリニック側の医療過誤を主張したり、被害者の病変を理由にしたり、とにかく自身の無罪を主張するために他人に原因を押しつけることを繰り返している点です。

私も感想としては全く同様です。
ただ、全面否認の裁判での被告人側主張であることを考えれば、傍で聞いていて大変不愉快であるにしても、やはりこのような主張にならざるを得ないのだろうなとも思っています。
検察側主張に全く歯が立たなかった反証にいつまでもしがみついて、未練たらしく裁判所の判断(判断根拠)を「非科学的」などと誹謗するのは極めてみっともない――というか、自分たちの非科学性をわざわざ喧伝しているも同然の恥さらし――限りですけども。

 Level3 先生、こんにちは。

> ただ,呼吸補助が必要となっていたような状況ではやはり普通なら(麻酔科医的発想ですが)筋弛緩薬は投与せずに挿管してしまうと思います.

 自分でもやはりそうしたろうと思います。…ただ、これらの事例全てで、事後的に筋弛緩剤を投与されずに終わっているかどうか、十分な検討が為されたのかどうか、疑問の余地があると考えます。

私は個人的には検察としては
>No.75 けんさん
>死刑求刑が相当なような気がするのですが…
そうするべきだったような気がします。

検察は刑法に従い厳しく求刑し証拠を示して処罰すべき根拠を立証する、これにたいして弁護側は無罪や減刑を刑法に従い証拠に基づいて立証する、裁判長が両者の言い分の刑法に照らして立証できた部分を審理し判決量刑するというのが裁判の基本形だと思いますから。

検察が起訴の段階で有罪を期待するのは当然としても情状酌量まで期待するのは間違っていると思います。検察自身が情状酌量の余地があると考えたのなら、はじめからそういう余地のある罪名で起訴すれば済む話なのではないでしょうか。

あ、No.85は>>No.82 モトケン先生へご質問申し上げたものです。お詫びして訂正追加いたします。

>No.81 ぼつでおk(医)さん

勘違い、失礼しました。
どうなのかな?と思いつつ、一応レスさせて頂いたのですが、もしもお気を使わせてしまったとしたら、すみませんm(_ _)m

いろいろ医学的にも難しそうですし、未必の故意とかからんでて私のような素人には判断できるだけの法的基礎知識もなさそう。(笑)
私は医学的なことも法的なこともサッパリわかりません。 私が求刑に疑問を感じているのは、あくまでも素人なりの素朴な疑問です(;^_^A)

>No.82 モトケン先生

 量刑感覚に正解はないと思います。
私も素人ですが、そう思います。 上でも述べてますが、私の求刑への疑問は、素人なりの素朴な疑問に過ぎず、自分でも的外れなことを言っているのかな?という思いもあります(;^_^A)

モトケン先生の感覚が、

 犯行回数の多さから見ると死刑求刑は当然検討されたと思いますが、全部の犯行が未必の故意的なものであれば、死刑回避という選択も十分理解できるというのが私の感覚です。    私ならどうすると問われれば、報道から推測される証拠関係に基づくと、どっちかというと無期懲役寄りです。

であるならば、本件の検察官もそういうふうに考えたのかもしれませんね。


>No.83 惰眠さん

ただ、私の「傷害致死+傷害の立論も可能だったのでは?」のベースには、加害行為に引き続いて(と言うか、殆んどワンセットで)救命行動を伴っている点が「もしかしたら殺意認定を否定する材料になるかもしれない」と考えたことがあります。
そういう事実があったことは知りませんでした。 救命行動がいつもいつもあったなら、たしかにそのことは殺意の認定に影響がありそうな気にさせられますね。 勉強になります。 そのことをもって、「百歩譲って仮に有実でも、傷害致死+傷害だ」みたいな主張を弁護側がしていても、おかしくない気がしますね。

連投失礼致します。
モトケン先生ご紹介の報道記事を読む限り、No.87 けんさんNo.83 惰眠さんのおっしゃる罪名がよかったように思います。
警察が殺人と殺人未遂容疑で逮捕し,検察が証拠にしたがって起訴を決定するわけですから、第一例は回復しているから傷害、第二例は傷害致死、第三例以降は未必の殺意を認め殺人未遂として起訴し、無期懲役を求刑すれば、裁判において争点が明確に示せたのではないだろうか。
ここまで報道が紛糾する事態には至らなかったのではないかと、いかにも後知恵ですが(笑)思ってしまいました。

前のコメント同様このコメントにもモトケン先生のご指導をいただければ幸せです。

>ぼつでおk(医)さん

>検察が起訴の段階で有罪を期待するのは当然としても情状酌量まで期待するのは間違っていると思います。検察自身が情状酌量の余地があると考えたのなら、はじめからそういう余地のある罪名で起訴すれば済む話なのではないでしょうか。

 検察官は論告で求刑意見を述べることになってます。
 その意見を決定するにあたって、検察官の立場で悪い情状と良い情状を総合的に検討します。

 また、原則として罪名を決定した上で、求刑意見を検討します。

 そして、罪名を決定するにあたっては、結果も重要ですが、行為の危険性が最も重要なファクターです。

No.76 感熱紙(刑)さんのコメントに付加して述べますが。

弁護人が「被告人の無罪を主張するために他人に原因を押しつけること」は、それがどの場面でなされているのかによって、評価が変わってこようかと思います。


どれだけ身勝手で他人を誹謗する(ように見える)主張であっても、法廷で、本来的な弁護活動としてなされるものであれば、不快ではあるものの、主張すること自体を非難するのは誤りでしょう。

例えば、弁論において検察側証人の証言を弾劾するため、かなり激しい表現を使うことがあったとしても、それは基本的には仕方のないことであり、恐らくこの場面であれば、客観的には合理性のない主張(被告人のために無理にこじつけた主張)であっても、それについて名誉毀損等の責任を問われることもないと思われます。


他方、法廷外で「被告人の無罪を主張するために他人を攻撃すること」がどこまで許されるのか、それはそもそも「弁護活動」なのか、論者によって理解の分かれるところだろうと思います。


例えば、記者会見で「検察側証人は信用ならない人物である」と述べたり、はたまた、被告人に不利な証言をした者を提訴したりするのはどうなのか。これも弁護活動の一環であるとして、(客観的に見れば偏った不合理な主張であっても)被告人の利益にかなうなら許されると解すべきなのか、そうでないのか。

いわゆる「人権派」と目される弁護士の多くは、法廷外の活動についても、法廷内のそれと同レベルで考えているように感じられます。

最近も、被告人に不利な鑑定をした医師に対して、その被告人の弁護人が原告となって損害賠償請求訴訟を提起した事例がありました。その当否はさておくとしても、「被告人に不利な見解を示した鑑定人は積極的に提訴する」という姿勢を示せば、その訴訟の結果に関わらず、被告人に不利な鑑定意見を出すことには大きなプレッシャーが生じることになり、ひいては被告人に不利な鑑定意見が減るかも知れません。

そこまで考えて鑑定人を提訴したのだとすれば、まことにプロ意識にあふれた弁護人であるといわなければなりません。

段々脱線してきたのでここで。

>No.90 (ただいま謹慎中)さん

>法廷外で「被告人の無罪を主張するために他人を攻撃すること」がどこまで許されるのか、それはそもそも「弁護活動」なのか、論者によって理解の分かれるところだろうと思います。


弁護活動には当たらないと思います。なぜなら弁護にはならないからです。裁判所は裁判で提出された証拠、裁判でなされた主張のみを考慮するはずです。法廷外での主張が裁判で一切斟酌されなければ、弁護にはならないかと思います。被告を無罪にできる証拠も裁判所に提出して初めて効果があるわけで、法廷外でいくら立証、主張しても無駄と思います。

>>No.89 モトケン先生
ご教示ありがとうございます。

私がいかにも後知恵といいながらなぜNo.88で問題提起したかと申しますと、この裁判が上告棄却されて確定したからです。
検察の立証をくつがえすだけの立証が弁護側によってなされなかったのも事実でありましょう。しかし、検察が起訴したのは無差別連続殺人(未遂を含む)罪であります。弁護側は当然死刑が求刑されていると考え弁護方針を立てたでしょうが、審理終了後の検察の求刑は何故か無期懲役で判決も求刑通りとなりました。弁護側の弁護方針はすかされたわけですから、審理中に弁護がわ弁論が判決(裁判官心証)に対して有効に機能しなかったとしても不思議ではありません。これはフェアな裁判ではなかったかもしれないと疑われる余地を残したのではないでしょうか。
弁護側としては検察の求刑が無期懲役であったことを知って、控訴して弁論のやり直しをする機会を望んだのではないでしょうか。被告人の人権に認められる裁判を受ける権利でもって最高裁まで争う積りで。
そこへ上告棄却決定ですから、私としては最高裁の判断には憲法の人権規定上肯けないものを感じてしまうのです。
そして、検察の行った起訴罪名にそぐわない求刑にも。

これは私が法律素人であるがゆえの寝言なのでしょうか?そこが私の一番知りたいところであります。

>No.92 ぼつでおk(医)さん

>弁護側の弁護方針はすかされたわけですから、審理中に弁護がわ弁論が判決(裁判官心証)に対して有効に機能しなかったとしても不思議ではありません。これはフェアな裁判ではなかったかもしれないと疑われる余地を残したのではないでしょうか。

 ここの意味がよくわかりません。

>そして、検察の行った起訴罪名にそぐわない求刑にも。

 特にそぐわないとは思いません。
 無期懲役の求刑は決して軽くありません。
 死刑と並んで別格の求刑です。

>>No.93 モトケン先生
コメントありがとうございます。
例の如く毎度ややこしいことごちゃごちゃと書くいちゃもん野郎で申し訳ございません(謝)。

ただ、最高裁の上告棄却決定で控訴審さえ開かれなくなった、1審ですべてが解決したというので日本の刑事司法はほんとにいいんだろうか、という気が致しましたもので(笑)。

横レスすみません。
 最高裁判所の上告棄却ですので、三審はされました。
 判決が無期懲役です。難関ですが、
 次は、判決内容と証拠事実、新事実等を精査して、
『再審請求』という方法も!
被告人の意思にもよりますが・・・。
短文です。

>>No.95 cocoroさん
お、そうなんですか。それは、勘違いレス連発で皆様には大変失礼致しました(陳謝)。cocoroさんありがとうございました。

ただ、光母子殺害事件にしてもこの事件にしても、かなりの稀に見る数少ない重大事件と思いますので、最高裁は差し戻しや上告棄却という判断でなく、最高裁判所できっちり審理して判決をしてもらいたかったという希ガスは消えませんが(笑)。

 量刑について、色々検索してみたら、仙台では最近、こんなのものあったのですね。


仙台・青葉区のトラック暴走:2審は無期懲役 確定的殺意認定−−仙台高裁判決

 7人死傷(死亡は3人)で求刑は無期懲役です(一審判決は懲役28年)。

 これと比べると(単純比較はできないと思いますが)、筋弛緩剤事件の求刑が無期懲役だったのも、別におかしくはないのかな?と思わされました。
 犯行の状況を記事から想像する限り、確定的殺意があったと言えるのかな?と、そこは少々疑問に思いましたが。

test

すみません。上のコメントはVISTA+FireFoxで試したものです。削除して頂いて結構です。
今まで自宅ではIE7環境しかなかったので投稿エラーのためなかなか投稿できませんでした。しかし、なぜか同じVISTA+IE7でもエラーが出ない環境があり、その違いはOfficeのバージョンのようです。

ところで、そもそも普通の患者さんで筋弛緩剤が検出されること自体おかしなことであると思います。いくら消極的殺意でも、筋弛緩剤を点滴に入れること自体犯罪だと思います。消極的殺意か積極的殺意かはこの際あまり議論は無意味だと思うのですが・・・。

>No.99 yamaさん

いくら消極的殺意でも、筋弛緩剤を点滴に入れること自体犯罪だと思います。消極的殺意か積極的殺意かはこの際あまり議論は無意味だと思うのですが・・・。

例えば「人を殴って大怪我をさせた」ケースを考えてみてください。
これは既に犯罪ですが、
1.殺すつもりで殴って、相手は死ななかったが大怪我をした
2.怪我をさせるつもりで殴って、思ったとおりに相手が大怪我をした
3.怪我をさせるつもりはなかったが、殴ったところ相手が大怪我をした
では、それぞれ行為の悪質さがだいぶ違います。

1.は殺人未遂、2.は傷害(状況によっては殺人未遂もありうる)、3.は暴行+傷害・・・くらいの罪にたぶん問われるはずです。

この筋弛緩剤事件では、上記の例で言えば2.のバリエーションで、言うまでもなく投薬すること自体が患者に危害を加える行為になるのは仰るとおりです。
ただ、「敢えて殺害しようとまでは思わないが、患者が死亡しても一向に構わない(=「明確な」未必の故意)」つもりで犯行を行った殺人+同未遂なのか、「もしかしたら患者が死亡することになるかもしれないが、流石にそこまでのことにはならないだろう(=「弱い」未必の故意)」と言う程度で加害行為をした殺人+同未遂なのか、もしかしたら「死なせるつもりはこれっぽっちもなく、危険な状態を『演出』したいだけのため(=殺意そのものはなし)」で患者に手をかけた傷害致死+傷害なのかで、刑事的な非難の程度が幾ばくかでも変わりえますので、この点について議論することは、決して無意味ではないと思います。

> No.100 惰眠さん
ただ、筋弛緩剤を使用すると言うこと自体、医療者であれば死に直結することくらい容易に想像が付くことです。
となれば、当然「敢えて殺害しようとまでは思わないが、患者が死亡しても一向に構わない」となるはずです。
そう考えないのであれば、医療者としての思考が欠如しているとしか言いようがありません。
つまり、ナンセンスと言ったのはこういうことです。上記の理由からこれは当然「未必の故意」とならなければおかしい。そして当然「未必の故意」になることからそれを議論すること自体ナンセンスと言ったまでです。
医療者としては結果が傷害であっても致死であっても同等の罪で無ければおかしいと考えます。しかし、実際は(つまり、法曹は)どう考えているのかは知りません。

>No.101 yamaさん

>医療者としては結果が傷害であっても致死であっても同等の罪で無ければおかしいと考えます。しかし、実際は(つまり、法曹は)どう考えているのかは知りません。

 法曹としては、そして現在の日本の刑法を前提にする限り、同じ結果でも主観面の相違により罪名と量刑が大きく変わってくるのは当然です。

>>No.101 yamaさん
横から失礼します。
「医師」として全ての行為を医療遵則に従って遂行すべしとの「医の倫理」を yamaさんはおっしゃっておられ、私もまったく同感であります。そしてそれこそがあの福島大野病院裁判で、医療遵則に厳正に従った加藤医師が検察によって罪を問われる謂れなど全くない、と我々医師が声をあげる理由でもあります。

ただ、この事件で筋弛緩薬を悪用したとされる者は医療関係者である看護士ではあっても、「医師」ではありません。すなわち全ての医療行為遂行に中って、我々医師と同等の医療遵則を修得していたとは見做せない人物であり、そこに犯人が医師である場合に認められる明確な殺意を彼においては同程度に明確と認めるべきではないと考える余地があると、すなわち惰眠さんの解釈のほうが妥当であるという立論ができると思います。

> No.103 ぼつでおk(医)先生
「医師であるならば、筋弛緩剤の意図的な不正投与により患者が死に至ることは当然に認識できるところであるから、その使用に未必的故意(不明確な殺意)が存在したと認定できるが、看護士の場合そこまでの因果関係の認識があったとは認めがたいので、未必的故意が存在したとは言い切れず、被害者の死亡については傷害致死とするのが適当」ということで宜しいのでしょうか?
個人的には、被告人が筋弛緩剤の不正投与では人が死に至ることはないと認識していた積極的な証拠が認められないかぎり、傷害(致死)罪での立件は妥当ではないと考えますが・・・

>>No.104 感熱紙(刑)さん
すこし表現が拙かったです。今度もうまく書けるか自信ないですが。
われわれ医師は筋弛緩剤をひとりで使うようになるまでに厳しい先輩の下で研修を行います。いかに副作用を少なくするかという大命題があるからです。そうした経験は医師をしておよそ筋弛緩剤をもちいる医療行為を行う場合に、ちょっとでも不用意に人の身体に用いてはならないし使うときは呼吸循環をモニタリングしながらつきっきりで看ていなければならない薬であることを叩き込まれます。

そうした研修の経験がない者が筋弛緩薬を手にいれて使ってみる。その場合筋弛緩薬の恐ろしさを十分知っているとはいえないでしょう。
例えて言えば銃というものを弾が出ると知っているだけの子供に、不用意に実弾が入って安全装置の外れた銃のありかを知られてしまったようなものではないでしょうか。

うまく書けませんが、そういう感じのことを申したかったのです。

ぼつでおk(医)せんせ、お久しぶりでございます。

>■判決の認定事実
 (1) 2月 2日 女児(1)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)
 (2)10月31日 女児(11)が呼吸停止、低酸素性脳症の後遺症(殺人未遂)
 (3)11月13日 男児(4)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)
 (4)11月24日 女性(89)が呼吸不全で窒息死(殺人)
 (5)11月24日 男性(45)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)

という前提において、
>そうした研修の経験がない者が筋弛緩薬を手にいれて使ってみる。その場合筋弛緩薬の恐ろしさを十分知っているとはいえないでしょう。

筋弛緩薬の投与により、2月2日に呼吸困難に至った女児を見て、なおかつ10月31日に呼吸が停止し、低酸素脳症にまで至った女児を見ながら、それでも「筋弛緩薬の恐ろしさ」を理解できない人なら、仮に医師業を何十年やっても分らないのではないかと思います。


 じじい 先生、こんにちは。

 わかんない奴は何年やっててもわかんないですよね。ただの年数じゃなくて、痛い目を見てはじめてわかる。

 目の前の患者の為じゃなく自分のために医者やってる奴も、何となく分かるじゃないですか。そういう奴は患者さんからの感謝の気持ちの有難味なんぞわからんですよね。患者さんから感謝される自分という風景には感動するかも知れませんけど。

 そういう奴と一緒に仕事するのは苦痛です。

 まして自分のために患者に害を与えてもいいんだと思い切ってしまったような奴なら、一緒に働いていればそういう行動が目についてくるだろうと思います。

スレ違いで申し訳ないのですが、
>目の前の患者の為じゃなく自分のために医者やってる奴

それの何が悪いのか、さっぱり判りません。
つーか、そんな考えでは、このご時勢では早晩地雷踏みますよ。老婆心ながら。地雷踏んじゃったら、もう患者を助ける事は出来ないんですよ…。

>>No.106 じじいさん(師匠、おひさでございます笑)
私もここへはよく調べずに書いちゃってますが、No.103,105は亡くなったかたがあったのは2例目であったかと思って傷害致死と書いたと思います。が、

>(1) 2月 2日 女児(1)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)
>(2)10月31日 女児(11)が呼吸停止、低酸素性脳症の後遺症(殺人未遂)
>(3)11月13日 男児(4)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)
>(4)11月24日 女性(89)が呼吸不全で窒息死(殺人)
>(5)11月24日 男性(45)が呼吸困難に陥った(殺人未遂)

おっしゃるとおりの経過につきまして、もう一度私の考えを述べさせていただきますと、すべて一人の人物による犯行であることが前提での話ですが(被告人が自分の犯行であること=犯人性を裁判において認めていないようですので前提をおかせていただきたく)、

(1)だけは経過からみて殺人未遂ではなく傷害までしか問えないでしょうが(惰眠さんの解釈に私も同感の点です)、

(2)以降は未必の故意と言うより計画性が明瞭で、(1)で得た薬効への知識を元にして殺人技術を磨くことにたいする幼稚かつ極度に危険な愉快犯的殺人嗜好性さえ現れてきていると指摘できると思います。
よって(2)以降は厳しく罪を問えば、第1級の無差別連続殺人計画が実行に移された結果であることが強く疑われるともいえるでしょう。

であれば、まず検察が論告求刑でなんの情状を酌量して無期懲役を求刑したのか理由がわからなくなります。

またそれはおくとしても、本来この裁判は上に書いたごとく一人の犯行であって第1級連続殺人計画の実行であるのか、第2級連続傷害計画の実行であるのかの点を明らかにするための審理がなされるべきと思いますので、そうであれば警察や検察は第1級である証拠を出して論告しなければならず、一方弁護側は同じ証拠をもとに第2級であることを証明できる弁論を行なわなければ、そもそも審理におけるディベートの勝敗さえ決められない話だと私個人は思います。

また弁護側が犯人性そのものを否定するのであれば客観的にはアリバイ証明、主観的には裏づけある告白や精神鑑定等を論拠とするべきで、情状が認められるとしたらそれ以外には私には考え付きません。

審理の結果犯人性について弁護側の主張が正式に否定されたのなら、今度は判決が無期懲役であるのは何故なのかが私にはわからなくなります。判決文には書いてあるのでしょうか?

いずれにしてももしわたしが裁判員として参加していれば判決が無期懲役である理由を聞かれてもまったく答えられないと思いますが、まあ上級審で間違いがあれば直してくれるはずだから今回はこの判決で勘弁して頂戴(笑)と言うくらいでしょう。

逆にもし私が被告人ならそんな判決こそ勘弁して欲しいと思うでしょうが。まあ3審制なら最高裁まで争うつもりになるとは思います。

そんなわけで私としては、検察論告求刑・弁護側弁論の関係を裁判開始時から明確にした審理(ディベート)を、最高裁判所が上告棄却せずにみずから最終審としての責任を持って執り行って判決量刑してもらいたかったなあという感想です。

>No.101 yamaさん
私も、医療の門外漢ではありますが、かつての「愛犬家殺人」事件の知識程度はありますので、筋弛緩剤が致死的結末を招く薬物であるということは承知しています。
その上で敢えて、なのです。

例えば、拳銃によって人を傷害した場合でもそうなのですが、体幹部に向けて発砲した場合には殺意が明確に認定され被害者が幸いにして死亡に至らなくとも殺人未遂となる一方で、これが手足であった場合等は(動脈を破損させれば致死的な結果を招くのは当然にも拘らず)殺意の認定が微妙になる現状もあるやに仄聞いたします。

同じように、仮に被害者の生命に直接危険をもたらすような「道具立て」を用いたとしても、その他周辺事情によっては「明らかに殺意があったとは限らない」との見做しが成り立つ余地があるのではないかと、私は考えます。

そういう意味では、「快楽殺人」の変形バリエーションを想定しているのですが、「生命の危機に瀕した患者を救命すること自体に快感を覚える余り、その快感を得んとして敢えて患者に毒物を投与して生命の危機を作出した犯行」なのではないかという想像から、「死なせちゃあ元も子もないわけで、であるならば最初から『殺すつもり』はカケラもなく、犯情の悪質さ・反人間性とは裏腹に、殺人未遂ではない可能性があるのかも」として、傷害致死+傷害のバリエーションもありうるかなぁとした次第です。

そう考えると「検察の言ってることはウソだ!」と自分を奮い立たせて一片の曇りもなく頑張れる気持ちになるのも、逆説的ですが頷けるんですよ。
だって、彼は「被害者を殺そう」とはしていないですもん。それどころか「命の危険に瀕した患者を、何とか救命しようと頑張って」いるんです。そのことには少しも偽りがない。裁判で認定された事実とは逆に。
患者が命の危険に瀕することになった原因を視野の外に棚上げできちゃう心性の持ち主ならば、案外これだけで「闘争」を続けるエネルギー源になるような気がします。

rijin先生、ごぶさたしております。
私の場合、「先生」と呼ばれる境遇ではありませんので、ご容赦くださいませ。

>目の前の患者の為じゃなく自分のために医者やってる奴も、何となく分かるじゃないですか。
>そういう奴と一緒に仕事するのは苦痛です。

医師の皆さんにひたすらお世話になっている私としては、自分のために医師をされている方を否定できるような立場にはありません。

どうみても割に合わない職業なのに、目の前の患者のために頑張っていただいている先生方に、ただ、ただ感謝するばかりです。

>まして自分のために患者に害を与えてもいいんだと思い切ってしまったような奴なら、一緒に働いていればそういう行動が目についてくるだろうと思います。

私も、考え方のベクトルが他の人と全く違う人が身近にいれば、いくら隠しても無意識の行動の端々に違和感を感じることがありそうな気がします。


ぼつでおkせんせ

致死量と比してどれだけ多くの筋弛緩剤が投与されたのかにもよるかもしれませんが、私はこの事件の犯人は、2月の1回目は何か別の理由でやったのが、2回目以降は連続放火犯のように騒ぎになるのが面白かったなどの、1回目の時に感じた心理的な要素が原因となったのではないかと思ってみたりしています。

だから、致死量の何倍もの量を投与して確実に殺す方法よりも、助かるかどうかのギリギリの線でやった方が、騒ぎも大きくなる。亡くなる可能性もあるけど、騒ぎが楽しいだけだから、被害者が亡くなる必要はないし、1回目の様に運良く助かればいいかな的な安易な発想でやったのではないかと思います。

1回目の犯行で筋弛緩剤の危険性も認識しているはずなのに、その上でのついには死者も出した連続犯行であり、人の命をおもちゃ扱いしている点など、道義的には最低のド外道だと思いますが、未必の故意の殺意でも傷害の害意との境界線に近い方の殺意であり、犯行件数等も考慮して、死刑に近い無期懲役の求刑を考えたのではないかと素人なりに思ってみたりします。

すいません。
先日、61において

再鑑定に備え警察庁の通達により昨年から鑑定後の尿の残量を保管する運用を開始しています。

と発言しましたが、後ほど確認したところ、警察庁が出したのは通達ではなく、全国的な傾向の分析結果に関する文書であり、あくまでも
 「警察庁からの情報を基に、複数の都道府県警本部の科学捜査研究所が鑑定結果の整合性を担保するために、組織犯罪対策部門と連携してそれぞれ独自に試行している運用」
とのことでした。
私の所属する県では昨年から試行が始まり、今年から本運用となっていますが、これは全国一律のものではなく、警視庁は現時点でも原則として尿の鑑定試料は原則全量消費のままでした。
勘違いにより誤った情報を伝えてしまったことをお詫び申し上げます。

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