エントリ

裁判員制度の延期を決議 新潟県弁護士会(asahi.com 2008年03月03日23時53分)

 裁判員制度の導入については私も批判的なのですが、この新潟弁護士会の決議の根拠・理由については少々突っ込みたいところがあります。

 裁判員法が成立した経緯について「国民一般の声を十分にくみ取っていない」

 これはそのとおりでしょうね。
 しかし

 民主的な討議を経た上で国民の納得を得るべきだ」と主張している。

 この点については、いったいどういう方法で討議をし、国民の納得の有無をどのようにして確認するのでしょう。
 裁判員制度は国会の定めた法律に基づいて導入されているのですが、それ以上に民主的な方法というと国民投票でもするのでしょうか?

 提案者代表の高島章弁護士は「民主的でない方法で裁判員制度を導入しても、『司法の民主化』は図れない」と話している。

 法律による導入を「民主的でない」とまで言い切っちゃってます。

 もっと端的に反対したほうが説得力があるような気がするのですが・・・

 ところで、私の認識では弁護士会(の少なくとも一部)は、ずっと以前から陪審制の導入を主張してきたはずなんですが、それと

また、裁判員裁判の審理期間が3日程度とされていることについて「いたずらに迅速性を求めるのは『粗雑司法』というほかなく、適正手続きに反している」と指摘。

 していることと、現実的整合性があるのか疑問です。


追記
 高島先生は、今の裁判員制度を手直しすれば実用に耐えると思っているのか、それとも一旦白紙に戻したほうがいいと思っているのかどっちなんでしょう。

 直感的には後者かなと思うのですが、それなら延期と言わずに廃止と言った方が論理的ではあります。
 しかし、そう言っちゃうと一部の極論として無視される可能性がある(高速度で走っている車で急ハンドルを切っても曲がらない)ので、まずはブレーキということなんでしょうか。

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コメント(58)

2004年10月4日の「刑事弁護の一つのスタンス」エントリで登場された、音楽好き弁護士のBarl-Karth様のブログを読まれると、今回の新潟会決での経緯などが詳しく解説されています。
氏がブログに書かれた2月下旬の記事を読むと面白いです。

今の裁判(これまでの裁判)、「1回」は半日が多い。
それを1か月に1回で審理するから、「3日分」は6回、約6か月に相当する。
起訴後2か月以内に第1回公判があり、年末年始、夏休み等を挟むことになるから、8か月〜10か月くらいになる。

実質審理は3日分だが、この期間をかけている。
裁判員制度は公判前整理手続で検討期間がある程度(最低2〜3か月か?)あるので、じっくり検討できないということもなさそう。
世の中のスピード感からしてどうなのでしょう。

アメリカ陪審も大半は数日・1週間以内で終わります。

私も裁判員制度反対派(笑)ですが、この件に関してはモトケン先生と全く同意見です。新潟弁護士会の延期理由は論理的に整合性がないと思います。

 少し追記しました。

 Barl-Karthさんがご自身のブログで

検察官出身や裁判官出身の弁護士さんが10名以上私の提案に賛同してくださいました。

と述べられていますが、これはつまりBarl-Karthさんが検察官出身や裁判官出身の弁護士さんに働きかけたと理解していいのだろうと思います。
 とても有効適切な戦略だったと思います(^^)
 多くのたたき上げ弁護士よりは、刑事裁判の裏表をよく知っている(と書くと語弊がありますが要するに刑事裁判実務の実情をよく理解している)ので、裁判員制度の現実的問題点がより具体的に予測できるはずだからです。

 であるならば、民主的云々より、もっと裁判の実情に即した根拠と理由を呈示されたほうが、多くの国民に対しては説得的ではないかな、と思う次第です。

映画「ディアボロス」で観たアメリカの陪審制では、陪審員の選定は検察側と弁護側がそれぞれ拒否権を持って選別にあたり、両者の拒否しない陪審員が選ばれる制度だったと思います。これは陪審員評決を無闇に拒否できなくする有効なやり方だと思います。
裁判員制度を陪審員制度に変更する手間にかかるコストは、裁判員を判決までにレクチャーする手間のコストよりはるかに小さいと思います。裁判官による判決誘導の危険も排除できますし。
裁判員制度に今さら反対するより、陪審員制度に変更するよう促すほうがはるかにここまでの準備が無駄にならず裁判制度改革が容易に実現できると思いますが(笑)。
ちなみに私は裁判員制度反対でありかつ陪審員制度賛成であります。

まー今の日本の裁判官の人数を考えたら現実に運用できるのは,陪審員制度しか可能性はないのでは(笑)。
最高裁が何を考えているのか知りまへんがw

制度を設けたのは国会では?

最高裁が制度設計運用実施の責任者でしょ。

 元検先生、書き込まれた皆さま。いろいろとお騒がせしています。ご指摘の「民主制」の部分は「しゅうぶん(修文?)」ということで、執行部関係者と合議して添削しました。
 本日5時から執行部が本件について記者会見し「しゅうぶん」後の「決議」を配布されたので、遠からず新潟県弁護士会のウェブサイトに掲示されると思います。
 まぁ、いろいろとドタバタがありました。
 「決議を通す」と言うのは、「政治」でして、いろんな配慮が必要だったのです。
 時間を見つけて、私のブログで経緯を書きます。検察官出身の同業者には、本当に助けられました。

つまり、裁判員制度を陪審員制度で運用しろと。
できるのですか?

>民主的でない
 私は決定経緯に関しては「民主的でない」という高島先生の主旨に賛同します。国会は全会一致でメディアも一切批判しない、国民がこの制度について考えることさえできない、あるいは、考えたとしても具体的に「NO」を言う方法がほとんどない経緯については、理念的な意味ではどう見ても民主的でないとしかいえません。
 "法律的"には民主的に導入されたとおっしゃるのならばある程度は納得できます。しかし、そのような考え方をされる方には、このような反論をします。「"理念的な意味で"非民主的経緯で決定された裁判員制度を"法律的には"民主的に決まった"というのならば、反対派は法律の範囲内で徹底的に抵抗します。例えば、裁判員制度起動直前に違憲訴訟が続発したらどうしますか?」と。

 また、以下の新潟日報記事↓
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=108578
 では、「可視化を実現することが(裁判員)制度導入の条件」ということで裁判員制度延期決議に賛成した会員も多く、結果的に107人のうち55人の賛成で可決されたことを考えれば、いきなり「廃止決議」を出したら否決された、あるいは、動議さえできなかったと思います。

>「民主的な討議を経た上で国民の納得を得るべきだ」と主張している。

このような出張では、国会の諸先生方に代議制民主主義の意義を理解していないとお叱りを受けそうですね。

> No.11 高野 善通さん | 2008年3月 4日 20:06 | CID 121818  (Top)


>>民主的でない
> 私は決定経緯に関しては「民主的でない」という高島先生の主旨に賛同します。国会は全会一致でメディアも一切批判しない、国民がこの制度について考えることさえできない、あるいは、考えたとしても具体的に「NO」を言う方法がほとんどない経緯については、理念的な意味ではどう見ても民主的でないとしかいえません

国会には毎年いろいろな法案や予算案が出されています。その一つ一つについて国民が考えなければ民主的でないというのであれば、事実上民主政治はできませんが。
正直、いちいち検討して考える時間は取れません。

>No.9 Barl-Karthさん

 いえいえ、私が勝手にちゃちゃを入れただけで、Barl-Karthさんたちのご苦労に配慮を欠いたかと申し訳なく思っています。

>「決議を通す」と言うのは、「政治」でして、いろんな配慮が必要だったのです。

 弁護士会は特にいろいろ入り乱れていますので、まずは弁護士会内の流れを作るのは大変であったろうとお察しいたします。
 私のこのエントリは、それをさらに広げていくための揚げ足取りということでよろしくお願いします。

>>No.10 YO!!さん
裁判員が判決量刑するという部分を、原則陪審員全員一致で有罪か無罪かだけを評決する、に変えれば済むことだと思います。量刑は裁判官の専決事項とすればよいことです。

これによって裁判官はレクチャーの義務から解放され、陪審員は量刑の重荷から解放されます。

>No.15 ぼつでおk(医)さん

>裁判員が判決量刑するという部分を、原則陪審員全員一致で有罪か無罪かだけを評決する、に変えれば済むことだと思います。量刑は裁判官の専決事項とすればよいことです。

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律の6条1項を見る限り、事実認定(一号)、法令の適用(二号)、刑の量定(三号)は裁判官と裁判員の合議によるとありますので、法改正が必要となるかと思います。そうしますと、裁判所としてはどうしようもないかと思いますが。

官僚は過ちを認めることは無いと聞きます。早速の法改正は法案を作成した官僚の責任となります。国会議員も票には結びつかないので、積極的に動くようには思えません。当分は現行法のまま時は流れるかと。

>>No.16 YO!!さん
>官僚は過ちを認めることは無いと聞きます。早速の法改正は法案を作成した官僚の責任となります。

なるほど。
ただし、誤った判断をした場合に個人の責任を問われないのは裁判官だけということで、官僚は責任を問われるということですね(笑)。
ならば弁護士会は裁判員制度の導入に反対ならば延期決議などしないで官僚個人をさっさと訴えればよいのでは。違憲立法の疑いかなんかで。
票が欲しいだけの政治家というか政治屋さん連中に働きかけるよりよっぽど安上がり(笑)に制度開始を遅らせる効果が(仮処分とかあるでしょw)高いと思いますが(笑)。

憲法違反にあたるとか、突っ込んで難しいことはよく解りませんが、国会で決まったことなんですから、私は単純に民主的に決められたとばかり思っておりましたので、YO!!さまのコメントには深く同意できます。
裁判員制度については、ぼつでおk(医)さまの仰ることに賛成です、しかし、このままスムーズに進んで行けば、それはそれとして、一国民としてしっかり享受して取り組んでいかなければいけないとは思っています。あ〜しかし、もし選ばれたらちょっと荷が重いです。
新潟の様な動きがもっとあっちこっち盛んになれば少しは改正なり、陪審員制度の方向へなり動くものなのかな〜。

ひとそれぞれに考えがあるでしょう(笑)。

私は論理的思考を放棄して期待権のような手抜きツールを法体系に持ち込むようなゆがんだ法思考の裁判官に、権力的に判決誘導されることは金輪際願い下げですな。

また自分が法律の勉強もしていないのに付け焼刃のレクチャー受けただけで法を使って量刑を行うことで、裁判官の盲目的免責(笑)の共犯者となることもお断りです。

No.17 ぼつでおk(医)さん

>誤った判断をした場合に個人の責任を問われないのは裁判官だけということで、官僚は責任を問われるということですね(笑)。

責任といっても法的責任ではなく出世できないとかそういった話だったと思います。そもそも官僚は判断を避けるのでは。そうすれば責任は問われない。法案にしても結局作ったのは国会ですしね。


>弁護士会は裁判員制度の導入に反対ならば延期決議などしないで官僚個人をさっさと訴えればよいのでは。違憲立法の疑いかなんかで。

官僚個人を訴える法的根拠はどこにあるのですか?
薬害肝炎では結局国民の税金から支払われますし。
薬害エイズでは確か厚生官僚も個人的に刑事告発されたようですが。

違憲立法については具体的な事件でないと確か訴えられないはず。大陸法の諸国で見られる憲法裁判所はわが国にはありませんし。


>票が欲しいだけの政治家というか政治屋さん連中に働きかけるよりよっぽど安上がり(笑)に制度開始を遅らせる効果が(仮処分とかあるでしょw)高いと思いますが(笑)。

どういった論理構成で訴えるのか興味ありますね。

>>No.20 YO!!さん
>どういった論理構成で訴えるのか興味ありますね。

裁判員法という法律があれば作った者が存在しますね。
小泉氏の聖域なき改革のお陰で(笑)裁判官を除く誰でも過失で訴えられる可能性があります。幸い(笑)期待権まであるご時世ですから論理構成が必要とも思えません(爆)。
私は自分ではそんないかさまツール使いませんけどね期待権(笑)。でも世の中には自分には期待権があると思ってる人も裁判所にさえいるようですから、何が起こるかわかりません(笑)。

「老いたな、父上」
「タイミングずれの和平工作がなんになるか」
by ギレン・ザビ

No.21 ぼつでおk(医)さん

>裁判員法という法律があれば作った者が存在しますね。

一応、国会が作ったということでしょう。


>小泉氏の聖域なき改革のお陰で(笑)裁判官を除く誰でも過失で訴えられる可能性があります。幸い(笑)期待権まであるご時世ですから論理構成が必要とも思えません(爆)。

別に過失賠償責任は小泉改革のお陰ではなく従前から法律で認められていたと思いますが。
それと論理構成は要らないと思うなら別にそれでいいと思います。単に私が興味あっただけで。訴状は訴える人が作成するものですからw


>でも世の中には自分には期待権があると思ってる人も裁判所にさえいるようですから、何が起こるかわかりません(笑)。

一事不再理?既判力?無視というか確定判決出たにも係らず同じ証拠、主張で幾度も争っている人もいるようですから、何が起こるかわかりません。

高島章弁護士は、民主的でない方法で裁判員制度導入が決定されたと主張されるが、憲法・法令などに基づいた国会で可決成立した法律であり、その国会審議について「民主的な討議を経ていない」と言われると違和感を感じます。なぜ国会で決まる前に異を唱えずに、制度の開始が迫ったこの時期になって弁護士会で反対論を議決するのだろうか。

また、そもそもこの裁判員裁判の制定に至る経緯を省みると、裁判所(最高裁)や法務省が関係方面の意見を求めることなく裁判員制度の骨格を決めたのだったろうか。私の記憶では違う。弁護士会も裁判員制度導入については、当初から代表者を討議の場に送り込んで深く関与していたと記憶している。

今各地で模擬裁判を行い、裁判員を実際に選考する手順や、法廷での裁判員の審議や量刑判断などに、当初予想していなかった問題点がいくつも出てきたという。これも不思議なことだ。裁判員制度の骨格設計を討議していた時期に、設定条件を変えて模擬裁判などを何度も行って、充分なシミュレーション検討を行って問題点を修正しておくべきことと思う。

家を建てるとき、普通の人に線で描かれた設計図面だけ見せても、一体どんな建物になるのかイメージが掴みきれない。だから建築のプロである設計士は、立体的な完成予想図を描いたり、模型を作ったり、或いは実物そっくりなモデルルームを作って、建築の素人である施主さんに充分に納得して貰ってから着工する。

紙に活字を印刷した議事録や法案だけ見せてもらっても、裁判について素人である国民多数にとって、裁判員制度とはどんなものか具体的なイメージは掴みにくい。2年前に法案を国会に提案しようとするときにこそ、模擬裁判や広報ビデオなどで裁判員制度について多くの国民に疑似体験してもらい、そこで顕れた問題点を修正しつつ法案を審議して欲しかった。

期待権は従来からある過失賠償責任とは異なる、因果関係なき過失認定の下に賠償額を上乗せする、「被害者救済」ツールと言われています。医療事故=医療過誤と見做すことによって医療裁判の中で広く使われるようになっています。
しかし本来「被害者救済」は司法の権限ではなく行政の権限であり、その意味からも期待権は法に照らす司法判断にはなじまないでしょう。

ところが最近NHKが放送において取材した人物から期待権侵害で訴えられるという事件がありました。どうやら期待権が市民権を得たようです(笑)。これは放送過誤を正せという訴えに通常の損害賠償に上乗せして賠償金を払えという被害者の権利の行使といえるでしょう。

いまやこういう訴訟はいつでも起こせるということです。因果関係なき過失を法理論が認める限り。法律で過失といえば個人あるいは法人の行為ですからね自然現象じゃなく(笑)。一応、国会が作ったということであっても採決で多数派だった政党の法人格の賠償責任を問うことは考えられます(笑)。

期待権論になっちまったから(笑)、同じことばかり書くのも面倒だし、ここへはもうここらで括ります。

>多くのたたき上げ弁護士

 とりあえず、救いがたいほど、思い上がりも甚だしい。片腹痛し、とでも言っておきます。

私は「民主的云々・・」には違和感ありますが、裁判員制度を実用に耐えられるために見直し期間確保として延期が良いのではないかと考えます。

法案検討時に可能な限り検討し、国民がイメージしやすい形での説明が欲しかったですが、法曹としても初めての試みなので難しく、「時間、体制、費用」制約面的にも法案通すことで手一杯だったかもしれませんね。

また、精度の高い設計は、あくまで経験があるからができるのであって、「初めての試み」では経験が無い分、テスト(模擬裁判等)で、『机上での「期待・効果」が表れない』『意識していなかった問題』等が出てくるのは当然だと考えます。

システム開発では、テスト時に障害・問題が発覚し、未解決であるならば稼動は本来するべき話ではありません。
但し、根本解決しない場合も、障害・問題が起こった場合の対応策(軽減策、回避策、転嫁策、受容策)を定める事で稼動する場合もあります。

これらに当てはめた場合、どちらにしても、問題部分の解決策、対応策の検討不足の面があると考えています。

 或る議員さんが,国会で裁判員裁判見直し・延長の線で国会(委員会?)で質問をしていただけそうです。
 政治の世界は色々あるので,どの議員さんかは,詮索しないでくださいませ

>Barl-Karthさん

個人的には、このまま裁判員制度実施に突入することには、疑問や不安が沢山ございましたので、本件の動きは私にとっては大変有り難いものでした。
ありがとうございます。応援します。

以下、纏まりのない文章で申し訳ない限りですが、私が感じる事です。
日本でも戦前の一時期に、陪審法(大正12年4月18日法律第50号)の規定により陪審制度が実施されていたと記憶しています。そして陪審法は戦時中に、陪審法ノ停止ニ関スル法律(昭和18年4月1日法律第88号)の規定により「施行を停止」されただけで、廃止された訳でもないと記憶しています。
その上で、陪審法施行停止の解除は、陪審法ノ停止ニ関スル法律附則の規定により、陪審法施行再開のための法律を施行すれば足りると考えています。

裁判員制度を設計する段階で、陪審法施行再開の議論が深まらなかった事も現状に影響しているのではないでしょうか。現状の裁判制度から、陪審制を飛ばして裁判員制度に飛躍する事について懸念を示し、陪審法を現状に見合う修正を行った上で施行再開する事を推す意見も当時あったと記憶しています。
当時の報道を中心とした一般的論調は、現状の裁判制度維持や陪審制度再会よりも裁判員制度実施を強く推める方向に向いていたと記憶しています。それだけに、昨今の論調については個人的には首をかしげてしまいます。今の状況は過去の姿勢(無関心も含む)の当然の帰結だろうと思えてしまいます。

No.30
>陪審法施行再開のための法律を施行すれば足りると考えています。
>陪審法を現状に見合う修正を行った上で施行再開する事を推す意見も当時あったと

1 その「見合う修正」をどうするのでしょうか?
 陪審法を復活させれば、有罪無罪につき拘束力のない答申が復活し、しかも1件につき12人。
 被告人の選択に任せると戦前の二の舞になる(使われなくなる)と言って拒否する意見も多かった。
 拘束力を持たせると、有罪無罪に裁判官が一人も関与しないのは、裁判員制度に対して違憲論を主張する立場からは、やはり違憲。
 すると、1件6人の裁判員でも負担だと現在批判しているのに、「12人も呼ぶのか! しかも答申に拘束力がないって? 馬鹿にするな! 国民はそれほど暇じゃない!」という批判が出るでしょう。

2 戦前は、明治憲法下で、裁判官による裁判を受ける権利が明記されていた。当時はすべてドイツ法制を真似ていたのに、ここだけ参審制ではなく、アメリカ型の陪審制を採用したのは、何とか色々と工夫して国民参加を実現しようと努力して違憲にならないようにした結果です。
 韓国では、裁判官による裁判が憲法で保障されているので、拘束力なしの陪審制度を今年から採り入れました。同じ論理です。

3 現憲法下では規定上は裁判所による裁判が保障されていて、裁判所とは何かは法律で定められる事項。だから参審制も裁判員制度も可能と解釈できるとしたのでしょう。
 しかし、反対論に配慮して、裁判官が全然関与しない評決はなくそうということで、被告人に不利な判決には少なくとも裁判官1名の賛成が必要と規定した。
 これは工夫の一つではないでしょうか。
 
 陪審制論者にもとりあえず裁判員制度への賛成に回ったものがおり(時期尚早との判断?)、一方、陪審制復活論は、上記の議論の過程で必要な修正を提示できずに賛成を得られないまま克服されていったように記憶しています。

4 あれも嫌、これも嫌と言って、現行のままになるのでしょうが、変革を嫌うのは世の常。
 要は、国民が司法判断に直接関与する方向で考えるのか(工夫してでもやるのか)、否定的に考えるのか(今のままでいいジャン、民主化なんて無理無理)、ということなのでしょう。

 裁判員制度が決まる少し前、大々的に推進しているサイトで登録をしたところ、実家の方にパンフレットが度々届いていました。
 そこか、サイトのホームページか忘れましたが、コンビニのセブンイレブンを知らない裁判官がいると、職業裁判官に任せておけない、理由に挙げていました。
 ちなみに、平成2年ぐらいになるのかな、新潟県の上越市にセブンイレブンのコンビニが出来ていました。今もあるのかどうかはわかりません。その他、北陸三県には一件の店舗もなく、今考えると、記憶が曖昧で不確かですが、国道8号線沿いにはその一軒しかなかったかもしれません(あるいは新潟市内や他のところにもあったかもしれません。また、石川県内では自分の知る限り現在もありません。牛丼の吉野家もだいぶん遅れて進出しました。)。
 国道8号線は青森市から日本海沿いで滋賀県の大津市の手前あたりで、東海道の国道1号線と合流していました。
 いくら優秀な頭脳の持ち主でも、知らないことはいっぱいあると思いますし、経験も雑多な裁判員が混じった方が、審理も充実しそうに思えます。
 ボツネタの岡口裁判官のような例外もいらっしゃるようですが、パソコンでストレスをため、少女買春をしてしまったと申し開きをされていた、東京高裁刑事部の裁判官もいましたね。ちなみに前任地は金沢金沢地方裁判所だったようです。
 

ここ3年いや4ねんかな の うちにできた法律はすべて廃棄して再度検討の俎上に載せるのが民主主義の哲理ではないかと信じています。
もちろん圧倒的多数を任せたのは国民ですが、マスコミを利用した歪んだ選挙を行ったのは明白だと信じていますし、そうであれば、 どこぞの独断政権と同じ性質にすぎず、それを批判するマスメディアは同じ論調で思惟すべき問題だと思います。裁判員制度も 郵政民営化も すべて同じです。
もっとも外圧をけっとばすだけの骨太い政治家がいるか、、、いませんね。。。

> No.31 psq法曹様

コメントを頂いて恐縮しております。
私は施行予定の裁判員制度を基本に、量刑は裁判官のみの判断で行う事と、裁判員制度対象事件について裁判員裁判の適用を強制されない、というような制度が理想的だろうと考えてきました。それを実現する方策として、陪審法を改正の上施行再開すればよいのではないだろうかと考えてきました。
そのような訳で裁判員制度が論じられていた当時にも、陪審法を単純に施行再開すればよいのではないかというような論調には、全面的に賛成していた訳ではなかったのも事実です、なにやら後出しみたいで恐縮ですけれども。そのような方向での議論が盛り上がって欲しかったという個人的感想により前半部のようなコメントをしました。

最後の部分については、今回の事案や特定の立場の方を念頭に置いたものではないのです。
この件に限らず、昨今世間の論調というか世論と言われるものについて、法律施行直前に盛り上がる事案が少なくなく、その向かう先は政府(行政)である事が多いと感じています。
申し上げるまでもなく、政府(行政)には法律案を作る事はできでも、「法律そのもの」は作れないわけです。それができるのは国会だけであり、同様に(たとえば政府=行政提出の)法律案を修正したり法律にしない権能を有しているのも国会だけな訳です。
そうして国会審議を経て法律になった以上、政府(行政)としては忠実に執行する義務を本質的に負っています。また国内居住者はそのような法律に対して無関心でいられても無関係ではいられません。その代わりに権利ある居住者は国会の構成員(議員)を選ぶ事ができるのが、今の統治体制な訳です。

それ故に、一般論として法律施行を待つだけの段階で行政や立法の外から問題点を論じるなら、法案作成過程や国会での法案審議過程の段階で論じるほうが宜しいのではないだろうかと思っています。
もっとも情報のないところでは論じようもないのですから、(特に世論というものの形成過程において、大きい役割を担っていると私が感じているところの)報道機関を中心として、そのような段階で世論を喚起したり検証するような方向に向かって頂けないだろうかという願望を持っています。
特に公布と施行の間隔が大きい法律についてはなおさらそう思っています。そのような認識に基づいて、法律になってしまって施行を待つだけの段階では、やや議論の時期を逸しているのではないだろうかという認識のもとに書いてみました。

No.34
それはもっともなアイディアです。

 ただ、被告人に選択権を与えるなと主張したのは、主に陪審制賛成論者であって、それは陪審制が良いと言いつつ、選択制では被告人が選ばないのではないかという自信のなさが現れていたわけで、まさに自己矛盾であったわけです。

 それを今、裁判員制度が選択制でないと言って批難するのは、いわば禁反言の原則に反すると思っています。
もちろん、陪審制からとりあえず裁判員制に方向転換した人は、被告人の選択権に反対のまま(対象事件全部に適用)だと思います。

そういうカラクリに騙されないでもらいたいだけです。

まあ明らかに強度偽装の鉄橋の設計図をもとに、とにかく一刻も早く列車の営業運転を開始したい営利鉄道会社が、突貫工事で急がせて鉄橋が完成したが、運転開始目前にして子供が見てもあの新築のボロ鉄橋(=裁判員制度w)あのまま列車が通ったら壊れて落ちるんじゃないのと指差されてるようなものじゃないかな(笑)。

No.36
 鉄橋は工事関係者の力が必要でしょうが、裁判員制度は一人一人がその気になって力を合わせればできることなんですね、これが。
 医療を良くするのも、根本は医療関係者と患者(つまり国民)一人一人が力を合わせることではないのですか?
 それが分からず、或いは分かろうとしないのなら、これにて打ち止めですな。

>>No.37 psq法曹さん
>これにて打ち止め

なんのことかな(笑)。
ここはディベートをする場ですが、裁判も同じくディベートの場です。ディベートの作法(マナー)をご存じですか?(笑)

 裁判員制度が破綻すれば、それこそ、未来の子どもたちの笑いものであり、自己中心的な人が増えるように思えます。
 確かに、一人の力より、全体の力がはるかに大きく強いと思います。視野を広げ、馴れ合いや依存性を克服すれば。

 世迷い言
 自分の職業適性を考えてみたのだが,もしかすると私には「政治家適性能力」があるのかもしれない。(不遜な言い方だが)かのマルチン・ルター並のプロバガンタ・アジテーション能力は結構あるような気がするし,けっこう人気者(実を言うと弁護士会内で不祥事を起こしているにもかかわらず←具体的な指摘はしないでね>同業者)日本の法制度を(法曹的視点ではなく)政治家的視点で鳥瞰する能力もあるような気がする。
 と言うことを妻に話してみたら,「周囲におだてられて選挙に立候補したりしたら,即座に離婚調停を起こします」と言われた。

手続き上の「国民の合意」を得た制度であっても、実際に制度の詳細を知った後に異論の声が上がっても不思議はないのではないでしょうか?

理念としての民主主義では、「主権は譲りわたされない。これと同じ理由によって、主権は代表されえない。主権は本質上一般意志のなかに存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない。一般意志はそれ自体であるか、それとも、別のものであるからであって、決してそこには中間はない。人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たりえない。彼らは、人民の使用人でしかない。彼らは、何ひとつとして決定的な取きめをなしえない。人民がみずから承諾したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない。

上記は、民主主義に反対する著作からの引用ではなく、民主主義の父と称されるルソーの「社会契約論」(岩波書店)からの引用です。

上記はあくまで理想だと思っていますので、これを強弁する事で「裁判員法が違法だ」等と主張するつもりは全くございません。
ただ、「実体的真実」と「訴訟的真実(手続上の真実)」を分けて考える法曹家の方達ならば、「手続上の合意」を得た事案あっても、必ずしも、それを個々の国民が納得しているとは限らないことは諒解頂けるのではないでしょうか。

どうぞ、「国会で全会一致で決まったことだ」と終わらせず、裁判員制度の詳細な内容に対する国民的議論をさせて下さい。

裁判員が国民の義務とされ、正当な理由なき義務違反には刑事罰が与えられるような裁判員制度に対し、国民的議論は不要だと思われるのでしょうか?(そういう意見もあり得るとは思いますが、私は反対です。)

それとも、「もう検討の時期は終わった。検討期間中に国民からの声は十分に聞いた」と仰るならば、果たして本当にそうでしょうか?


平成14年の時点で、「裁判員制度・刑事検討会(第4回) 議事録」(PDFファイル)の中でも、「制度設計の段階から、国民に対して十分な情報を提供して、国民的議論をする必要性がある」という意見が出されていました。
しかし、座長にまるで相手にされていない印象です。詳細は下記の通りです。

※議事録内の□:座長、○:委員、●:事務局です。

○ 先ほどの御意見に関連してちょっと思ったことなんですけれども、この裁判員制度をどうしていくかというのが、少なくとも当検討会では、中核部分になるわけです。そのときに、意見書102ページにありますけれども、この制度が所期の機能を発揮するためには、国民の積極的な支持と協力が不可欠になること、制度設計の段階から、今の段階から、国民に対して十分な情報を提供して、国民的な議論をしていかなければならないこと、こういうことが提起されているわけで、このことは我々は念頭に置いておかなければいけないと思うのです。そのことだけ付加して申し上げます。  そうしませんと、制度はできました、しかし、動きませんでしたというのは、最大の悲劇で、多分、治安とか法秩序に対する影響がものすごく甚大になると思いますので、このことだけを発言させていただきます。

□ そのことは審議会でも、委員のすべてが意識していたところでして、せっかく良い制度を提案しても、国民のみなさんがそれを自分たちのものとしてやってみようというふうに思っていただかないと、そもそも法律も通らないかもしれませんし、仮に通ったとしても、実際に動かないと思うのです。それはおっしゃるとおりでして、我々も十分それを意識していかなければならないと思いますね。

○ ここでの議論も、ここだけの議論で終わるのではなくて、各委員はそれぞれ国民とのチャンネルを持っておられるわけですから、国民がこの裁判員制度に対してどういう形で受け止めているかということを十分考えていって、国民の方々が、国民の義務にはなるんでしょうけれども、自分たちがやるべきことだということで、司法に参加してきてくれる制度設計を我々は考えていくべきだろうと思います。

□ このくらいでよろしいですか。
それでは、これで本日の議事は終了したいと思います。次回は7月10日、午後1時30分からでございますので、よろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました。

(上掲議事録P34〜35)


当該検討会では、「裁判員の参加する刑事裁判は、法定刑の重い重大犯罪にされる」という「裁判員制度の対象事件の範囲」の件についても、異論が出されていました。
しかし、この件についても検討される事はなく、下記のように流された形になっていました。

○ 私は、もともと軽い事件に導入するべきだというような意見なもんですから、これは明白に意見に反することになると思っているんですが。

□ 意見書も、まず重い事件から始めようということなので、将来そういう可能性を封じているということではないと思います。

○ まだこの論点はしばらく続けていいですか。

□ そろそろ次に進まないと・・・。
(上掲の議事録P30〜31)

上記文中の「意見書」とは、司法制度改革審議会意見書のことだと思われます。(審議経過はこちら。)

以上等のように、検討会においては「制度設計の段階から、国民に対して十分な情報を提供して、国民的な議論するべきだ」という意見は流されていたように見えます。

No.41
 国民的議論を「させない」なんてつもりはありませんし、私の認識する経緯ともども説明しているつもりです。

 私の記憶では、当時結構報道されていて、国民の司法参加はもてはやされ、最高裁が「拘束力のない意見を述べる制度なら・・・」と言ったら、滅茶苦茶に叩かれて、導入方向に流れたと記憶しています。
 人数を裁判官1:裁判員11だの、裁判官3:裁判員2だの、裁判官3:裁判員9だの議論百出でして、これらは報道で知る状態でした。

No.39
ディベートをなさっているとは知りませんでした。

↑ No.38の間違いでした。m(_ _)m

>No.34 thx-1138 さま

>一般論として法律施行を待つだけの段階で行政や立法の外から問題点を論じるなら、法案作成過程や国会での法案審議過程の段階で論じるほうが宜しい

>法律になってしまって施行を待つだけの段階では、やや議論の時期を逸しているのではないだろうかという認識

以上2点について、同意!


>No.41 死刑囚 さま

>「国会で全会一致で決まったことだ」と終わらせず、裁判員制度の詳細な内容に対する国民的議論をさせて下さい

スジ論としては同意。
国会議決後もより良い制度にするべく「施行後に運用しながら」であっても「国民的議論を継続する」こと、これは民主主義の基本であり、一切異論はありません。完璧な法制度は有り得ないのだから、施行後に把握できた不具合については、その都度議論を加えて完璧な制度にするべく改正を躊躇しない。これが私の考え方です。

ただし、以下の論には不同意です。
国会議決後に不完全な制度であることが予想されるので、「施行実施を延期」して「議論をやり直す」こと。

この後者の論は、完璧な法律制度でなければ実施してはならず、議論を尽くして完璧な法律制度と誰もが納得してから実施すべきだ、こうした考え方に立脚しているように思います。この論は、全ての法律制度は施行前に完璧であることを要求することであり、完璧が担保されるまで永遠に議論を続けることを要求しています。施行前に制度に完璧を求めるなら、新しい法律や制度を制定することは実際上不可能になってしまいます。

全ての法律や制度に完璧性は担保し得ない以上、実際に施行して運用しながら早期に問題点を把握してその都度改善策を議論し、必要有れば全面的改正や制度の廃止も厭わないのが民主主義の根幹ではないでしょうか。「悪法もまた法なり」と言った古人もいます。立法権を国会議員に付託しておきながら、国会で決議された法律制度をその施行前に改廃する議論を行うのは、国会議員への立法権付託という民主主義の基本ルールの否定につながってしまいかねません。


>Barl-Karth さま

裁判官(最高裁)、検察官(法務省)、弁護士(日弁連)という法曹三者の方々は、裁判員制度の制度設計段階において発言や関与できる機会が一般国民に比して多かったと思います。制度施行直前の今から延期もしくは改廃を唱えるならば、なぜ制度設計を議論していたときにもっと意見を出さなかったのか、という疑問につながります。

法曹が深く関与して作った裁判員制度実施に向けて、企業は社員が裁判員に招集された場合の有給休暇制度や代替員確保の段取りなど、既に世の中はそれなりに負担を実行したり対策を検討しています。社会保険労務士として中小企業のこうした負担対策に協力してきた立場からすると、新潟という一県会だけかもしれませんが、弁護士会が公式に延期を決議するというのは少々納得がいきません。

新潟弁護士会におかれては、施行まで1年ほどに迫ったこの時期に至って実施の延期や制度設計議論をやり直した場合に、対応に振り回される側の混乱についても充分に検討されますよう希望致します。

> 制度施行直前の今から延期もしくは改廃を唱えるならば、なぜ制度設計を議論していたときにもっと意見を出さなかったのか(No.45 法務業の末席さま)

当時は反対意見は見向きもされませんでした。

> > 当時結構報道されていて、国民の司法参加はもてはやされ、最高裁が「拘束力のない意見を述べる制度なら・・・」と言ったら、滅茶苦茶に叩かれて、導入方向に流れた(No.42 psq法曹さま)

ということで、国民の司法参加を拒むのは、「法曹の秘密主義、特権意識、エゴ」であると、叩かれたものです。
そこまで言われたら、もう、
裁判員に裁かれたいゆう人が、そんなに多いんやったら、いっぺんやらしたったら、ええやん。たとえ間違いで死刑にされても、自分が作った制度に殺されるなら本望でしょ。
という心境で。

>No.46 YUNYUN(弁護士)さん

>当時は反対意見は見向きもされませんでした。

今でも特に見向きもされていないかと思います。


>裁判員に裁かれたいゆう人が、そんなに多いんやったら、いっぺんやらしたったら、ええやん。たとえ間違いで死刑にされても、自分が作った制度に殺されるなら本望でしょ。

間違いで無罪になるかもしれませんので、損得に変りはないかと思います。


>No.46 YUNYUN(弁護士)さま

>当時は反対意見は見向きもされませんでした。

>国民の司法参加を拒むのは、「法曹の秘密主義、特権意識、エゴ」であると、叩かれたものです。

この辺の経緯については、当時の新聞特集記事などを読んだ記憶もあり、ある程度は承知しているつもりです。

私の意見は、施行直前の今になって実施を延期して制度の議論をやり直せという論には賛成できない、というスタンスです。

裁判員に裁かれたいゆう人が、そんなに多いんやったら、いっぺんやらしたったら、ええやん。たとえ間違いで死刑にされても、自分が作った制度に殺されるなら本望でしょ。という心境で。

私はこの意見(心境?)には賛成です。
仮に私自身がシロート裁判員に裁かれる身となっても、甘んじてその裁きを受けるつもりです。制度導入議論のときに私自身無関心で、何ら異論を唱えなかったのですから・・・。

ただ、やりもしないうちに理想の制度ではないと思われる、いやアーダコーダと机上の推測や理想論を持ち出されると違和感があります。私が人生の半分以上を過ごしてきた商売の世界では、トライ・アンド・エラーが宜しいとされた世界であった為でしょうか。

「なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで」
これはサントリーの創業者鳥井信治郎の口癖だそうですが、やらないうちからダメだ、作り直しだ、延期だ、という論法には馴染めません。

ぜんぜん関係ない話で恐縮ですが、

>>No.46 YUNYUN(弁護士)さん
>たとえ間違いで死刑にされても、自分が作った制度に殺されるなら本望でしょ。>

が気に入ってしまって(笑)。
何故って、
この論理で言葉だけを入れ替えると

たとえ間違い治療で医療事故死起こされても、自分が保険料払って作られた国民皆保険医療制度に殺されるなら本望でしょ。

になるからです。(笑)

私は医師として患者さんに対する時はこの論法はほぼ禁忌(笑)だから使いませんけど、一匹のオッサン国民としてはこういう言い方好きです(爆)

>>No.48 法務業の末席さん
>仮に私自身がシロート裁判員に裁かれる身となっても、甘んじてその裁きを受けるつもりです。制度導入議論のときに私自身無関心で、何ら異論を唱えなかったのですから・・・。>

私は裁判員制度が施行されれば否応なく彼らに裁かれるのは受け入れるしかないとしても、逆に自分自身が裁判員に選ばれた時に被告人の冤罪を裁判員一人の意見で防げる可能性に乏しい制度に参加するのは嫌ですから、私が今の運用の裁判員を受任することは絶対致しません(陪審員の全員一致の評決制なら喜んで受任しますけど)。

理由は要するにこの制度設計では、
すべての国民は正当な裁判を受ける権利がある、という憲法規定のうちの、「正当な裁判制度」であるとは到底思えないからであります。

話は変わりますが、今朝ニュースで最高裁が住基ネットの参加拒否は違憲とかの判決を下したようですが、住基ネット強制参加が合憲のひとつの理由として、個人情報の漏洩は法で守られているから安全であるゆえ、情報漏れの危険を理由にした参加拒否には憲法上の根拠がない、そうです。

これには大笑いしました。
最高裁の憲法判断で行くと、法で守られているから情報漏洩はないそうです(爆)。

ところで最高裁裁判官には行政官出身者の比率のほうが高いのでしょうかね(笑)。

モトケン先生のエントリコメント追記の
>しかし、そう言っちゃうと一部の極論として無視される可能性がある(高速度で走っている車で急ハンドルを切っても曲がらない)ので、まずはブレーキということなんでしょうか。>

について少し私知的なこと(笑)を申したいと思います。
高速度で車を曲がらせる目的を持ったなら、単に急ハンドルを切ればスピンクラッシュ。しかし単に急ブレーキもまたスリップクラッシュの危険が高い操作でしょう。目的を達成するにはブレーキ操作だけではなくアクセル操作もハンドル操作も併用して高速ドリフト走行を行うと言うのが一番無難に目的達成できる答えではないでしょうか。
ま、プロドライバーに聞かなきゃほんとのところはわかりませんでつが(笑)。

>No.45 法務業の末席さま

この後者の論は、完璧な法律制度でなければ実施してはならず、議論を尽くして完璧な法律制度と誰もが納得してから実施すべきだ、こうした考え方に立脚しているように思います。

いいえ、違います。

上記はあくまで理想だと思っていますので、これを強弁する事で「裁判員法が違法だ」等と主張するつもりは全くございません。
(No.41)

と書いた通りであります。

(※文中の「上記」=「これ」とは、その直ぐ上の方で引用していたルソーの民主主義の理念のこと、すなわち、「代表者(国会議員)への立法権付託を否定し、国民全員の合意を必要とすること」です。)

つまり「国民全員の合意がなければならないと強弁するつもりはない」と書いているのですから、「議論を尽くして完璧な法律制度と誰もが納得してから実施すべきだ」等と主張していないのは自明でしょう。

以下は繰り返しになりますが、私が求めているのは、

裁判員が国民の義務とされ、正当な理由なき義務違反には刑事罰が与えられるような裁判員制度に対し、国民的議論(No.41)

です。

以前から少しずつ裁判員制度・刑事検討会の議事録に目を通しておりましたが、検討会でも度々指摘されているように、制度設計の段階で国民的議論がなされていたとは言えないと思っております。

裁判員候補者の「出頭の確保」のため、出頭を義務化し、出頭義務違反に刑罰を科すような制度設計においては、国民的議論が必要ではないかという意見です。
(なお、全ての事案に対し、国民的議論が必要だ等とは申し上げておりません。言わずもがなだと思いますが、念の為に。)

>No.42 psq法曹さま
>No.46 YUNYUN(弁護士)さま

No.45 法務業の末席さまがBarl-Karth さまへお書きになられた下記箇所と、それに対するほかの方達のコメントを拝見して、よりクリアーになったように思いますが、「制度設計の段階から報道されていたにも関わらず、今更反対意見を出しても遅い。制度設計の議論時に意見を出さなかったのだから、自業自得である。」という事でしょうかね。

制度施行直前の今から延期もしくは改廃を唱えるならば、なぜ制度設計を議論していたときにもっと意見を出さなかったのか、という疑問につながります。(No.45 法務業の末席さまのコメント)

制度設計の頃は、長引く不況で倒産、リストラが相次いでいた頃ですね。
私は現在主婦ですが、当時(制度設計の頃)でしたら、裁判員制度について関心があっても、現在のように内容を(素人なりに)よく確認できなかったかもしれません。

「貴方のポリティカル・アパシーが問題だったのだ。当然の帰結だろう」というご叱責があるとしたら、No.41の論点以外に、もっと有効な反論は思いつきません。
しかし、仮に私が遅れた議論を提起することが自身のポリティカル・アパシーだけに拠るものだったとしても、その反省に立つからこそ今、新潟弁護士会の方達が動いていらっしゃるこの機会に乗じ、敢えて声を挙げさせて頂きたいと考えました。

裁判員制度を理解するため、こちらのブログ始めネットや書籍により基礎法学や刑法を学び始め、裁判員法の条文を素人なりに目を通し、裁判員制度・刑事検討会の議事録を読んでその議論を確認した現在、様々な問題を感じています。

長くなりましたので、その点は追々、整理して書かせて頂ければ誠に幸いです。

語弊があったらマズイので、念のため補足です。
私は現在主婦であり、なおかつ、育児などにも追われていないので、裁判員制度に関して積極的に調べ確認するだけの、時間的余裕がございます。

>No.52 死刑囚さま

まず私のNo.45投稿へのご指摘について、レスが遅くなりましてお詫び致します。

ご指摘頂いたNo.45投稿での私の一文については、死刑囚さまの論旨の理解が不足した内容でした。自分自身の読解力の不足に赤面の呈でございますゆえ、ご容赦のほどを。


さて、

少しずつ裁判員制度・刑事検討会の議事録に目を通しておりました
とのことですが、裁判員制度の導入を最初に答申したのは「裁判員制度・刑事検討会」の前に小渕総理が設置した「司法制度改革審議会」であることはご承知のことと思います。

国民の司法参加については「司法制度改革審議会」での審議の流れは次の通りです。(国民の司法参加とは違う議題について審議していた回は省略しました)

第30回:H12年09月12日
  「国民の司法参加」について法曹三者からのヒアリング

第31回:H12年09月18日
  「国民の司法参加」について石井、高木、吉岡の三委員よりレポート

第32回:H12年09月26日
  「国民の司法参加」について意見交換及び「訴訟手続への参加」について取り纏め

※この30回〜32回の段階では「陪審制」を想定した審議の流れになってます。

第36回:H12年10月31日
  「国民の司法参加」について審議の取りまとめ

第38回:H12年11月20日
  「中間報告」の決定

※この「中間報告」で、「欧米諸国の陪審・参審制も参考にし…(略)…特定の国の制度にとらわれることなく…(略)…我が国にふさわしいあるべき参加形態をけんとうする。」という陪審制や参審制でない第三の制度(裁判員制度)を示唆する文言が初めて出てきます。

第43回:H13年01月09日
  「国民の司法参加」について有識者からのヒアリング及び意見交換

第45回:H13年01月30日
  「国民の司法参加」について意見交換

※第45回において配布された審議用レジュメ(東大教授の井上委員が中心になって作成?)において、今実行されようとしている「裁判員制度」のたたき台とも言える提案がなされ、このレジュメで提案された「裁判員制度のたたき台」を基に、以後の審議が収束していきます。

第51回:H13年03月13日
  「国民の司法参加」について審議結果の取りまとめ

※第51回において、井上委員が作成した「骨子(案)」が配布され、現在施行準備中の「裁判員制度」の姿が固まりました。

第63回:H13年06月12日
  「最終意見」を決定し、小泉総理(!)へ提出されました。

※このH13年06月12日の「最終意見」では、今施行されようとしている裁判員制度そのものが提示されています。

「司法制度改革審議会」の「最終意見」を受けて、具体的な法案を審議する場として小泉総理が設けたのが「裁判員制度・刑事検討会」です。裁判員制度導入はこうした流れで審議されましたので、議事録等を検討なさるのでしたら是非「司法制度改革審議会」の方もお読みになられるようお奨め致します。

議事録のHPは、首相官邸ホームページ→ヘッダメニューの「政策会議等の活動」をクリック→政策会議を選択する画面冒頭の「(参考)活動を終了した会議」をクリック→「平成16年度」の一覧→「司法制度改革推進本部」→「司法制度改革審議会」、とたどって行けます。

モトケンさまへ

「裁判員制度特集ページ 」エントリが新設されましたが、「裁判員制度の制度設計審議の検証」に係る以後の議論は、特集ページに移った方が良いのでしょうか? それともこのエントリで続けた方が良いのでしょうか?

管理人としましては、エントリを移動していただいたほうがうれしいです。

>No.55 法務業の末席さま

当方の書き方が紛らわしかった所もあったのだろうと思います。
趣旨を明確に伝えようとするあまり、「いいえ、違います」と断定的な物言いをさせて頂きましたが、その点はこちらの方こそご容赦下さいm(_ _)m

司法制度改革審議会の議事録のご紹介を、ありがとうございます。
是非こちらの方も目を通してみます。

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エントリ移動の件、諒解いたしました。

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