エントリ

 光市事件裁判を考える講演会が8日、山口市大手町の県教育会館であり、主任弁護人の安田好弘弁護士は「司法の怠慢がマスコミや世論の誤解を招いた。この裁判は司法が生き返るかが問われている」と訴えた。
 安田弁護士は「最高裁までの判決は検察が造り上げた事実。それを裁判所も弁護人も解明する力がなかった」と強調。そのうえで「最高裁は正しいという前提があるから弁護人が非難されるのは当然。司法の職責を果たすためにも少年に生きる道を示してほしい」と話した。

 言わんとするところはかなり違うかも知れませんが、私も、この事件では1審2審の弁護人、検察官と裁判官は怠慢だった可能性があると思っています。

 詳細は以前に書いたとおりです。

 刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)

 もっとも安田弁護士の本件の事実に関する主張が説得力を持っているかどうかは別問題です。

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 改めて確認すると日曜日(9日)の記事だったんですね。
 これは重ねて奇遇です。
 というのも、拙ブログで、久々にこの問題を取り上げていたからです。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080311/1205164334

 ご紹介をかね一部引用します。

 まだ判決も出ていないのに、竜頭蛇尾というのか、世間の関心も薄いようで、これは刑事裁判全体に及んだ影響のようにも思えます。大見得を切っていた弁護団が、検察の主張に対し、なんら具体的に反論しなかったのですから。

 いずれにせよ、検察の最終弁論に対し、満足な反論も示さず、真実などという言葉をたやすく使ってもらいたくないです。

 今枝弁護士からのコメントもいただいています。

 今確認すると11日の投稿エントリでした。
 そして、3時間ほど前、ここで取り上げられた記事を読み、二件のエントリを投稿したところだったのです。
<『この裁判は司法が生き返るかが問われている』(安田好弘弁護士)>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080312/1205323853
<[刑事裁判]『最高裁までの判決は検察が造り上げた事実』(安田好弘弁護士)>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080312/1205325365
 これも一部引用でご紹介します。

確か、自身が刑事被告人の立場でもあり、弁護士資格を失う公算もあるので、個人的に対立する立場である検察を貶めようと血迷っているようにも思えますが、いかがなものでしょう。

 また、公益的活動より、個人的な利害得失を優先し、詭弁を弄する傾向がうかがわれるというのも、現代の弁護士に共通した問題性のように思えていますが、いかがなものでしょう。

 ますます刑事弁護が、一般的まともな国民から、理解不能で怪しげなものとして、そっぽを向かれるという気もしました。

 なお、このコメント投稿も拙ブログで取り上げる予定です。

発達障害に対する理解や支援があれば、母親の自殺・父親の暴力が無ければ、この少年は全く違う人生を歩んでいたのだろうか・・・こんな事件は起きなかったのだろうか・・・

とわかったようなことを。

横道にそれますが、

比べるのが無茶ということは重々承知で言わせてもらうと、

>私も、この事件では1審2審の弁護人、検察官と裁判官は怠慢だった可能性があると思っています。

医療関係者が同レベルの怠慢をこいたら、高額賠償に値する過失となる可能性があるでしょうね。

>モトケンさん
ご参照のエントリを読んだ上で質問なのですが、報道によれば今回の差し戻し控訴審で裁判所は被告人の逮捕時からの全供述調書を証拠採用しているそうです。

控訴審では既に取り調べられた事実や証拠などについては証拠調べ請求を却下することも少なくないそうですが、わざわざ裁判所が証拠採用したということは殺意の点などにおいて差し戻し前の一審、二審の審理が不十分だった可能性も含め、念には念を入れたと言うことなのでしょうか?

仮にそうだとしたら一、二審の法曹三者に怠慢があったとして安田弁護士が差し戻し控訴審で争ったこと自体は意味がありそうです。

むろん念には念を入れた結果やっぱり一、二審の事実認定が正しかったということになる可能性がもっとも高いわけですが。

ひらのさんの推測は当たっていると思いますし、安田弁護士が争ったことは意味があったと思います。
(携帯からなので簡潔に)

No.4 ひらのさん

検察側は全調書の提出をいったん拒否し、裁判長の職権で強制的に提出させられたそうですね。この事実も何かを物語っているような気がします。
どれほど悲惨な凶悪事件でも、たとえ現行犯逮捕で冤罪の可能性がゼロであっても、事件に関する事実認定をないがしろにすることは許されません。

何と言うか、いつもの「安田節」ですね。麻原裁判判決後の記者会見でもたしか「検察が描いた図式を裁判所が無批判に受け入れた」というようなことを言っていたような・・・。

ところで彼の言う「怠慢なる司法」には、自分自身も含まれているのでしょうか。
あるいは含んだ上で、我が主張こそは「司法の職責」を体現するものなり、と仰りたいのでしょうか。

確かに、主張内容は別として、上告審以来、差戻し2審に至る同弁護士らの弁護活動自体の意義・意味は大きく認めるに吝かではありませんし、むしろ刑事司法制度の「正当性」を土俵際で守ったとさえ言いうるのですが・・・。
当事者張本人がそれを口にするのは慎みがないというか(笑)説得力に欠けるというか。まあ、それも「安田節」なんですが、私はなんか「アンタがそれを言うな」って気分です。

警察調書、検察調書の作成方法に問題があるという安田弁護士の主張だと思いますが、そこまではじゅうぶん納得できます。安田弁護士はそこでとどまらずさらに裁判官の心証主義の是非についてまで言及しているので、それを実際の裁判のなかで行なおうして、その目的のもとあのような一見急進的で過激に思えるが許される範囲ぎりぎりの弁護手法を選択しているのではないでしょうか。
私は現在安田弁護士を必ずしも批判的に見てはおりません。
ただあの裁判で心証主義を同時に糺した場合、判決後において安田氏が弁護人としての本分を尽くしたと自ら言えなくなる倫理上のジレンマが安田弁護士本人に生じる可能性があると思います。
モトケン先生が同じ弁護士として安田氏批判を行なわれるのは、本件の安田弁護に内包される弁護士倫理の矛盾の部分を指しておられるのではないでしょうか。

>むしろ刑事司法制度の「正当性」を土俵際で守ったとさえ言いうるのですが・・・。
同意です。

国家が人を裁かなければいけない、ということの難しさをこちらのブログで多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
しかし、凶悪事件のケースにもよりますが、わたしの内にはまだ感情をおさえることができないところがあります。ですから、法曹関係に携わる方々には、より尊敬の念を増している今日この頃です。
爪の垢でも煎じて飲めば、もうちょっと部下の管理を冷静にできるかな〜。(愚痴りが出てしまいすいません)

どうでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080315/1205508109
に書きましたが、本質的な問題点が浮き出ているように思われ、これは小中学生のレベルでも理解出来そうです。

 参考までに、私は昭和56年の8月28日、金沢少年鑑別所に入れられた経験があり、当時16歳でした。
 収容者は30名弱だったと思いますが、それでほぼ満杯状態だと聞いていました。ちょうど夏休みの終わり頃でもあり、少年非行がもっとも活発な時期とも聞いていました。
 そこで、同年代の少年から、この時期は鑑別所が満杯なので、捕まりにくい、狙い目の時期とも聞いていました。16、7歳の少年でも、その程度の読みは出来るようです。
 ネット社会では情報量も多いので、より知識に長けているかもしれませんが、当時のような肌で感じる密接で中身の濃い人間関係というのは、あまりなくなっているような気もします。
 テレビゲームもなかったですし、勉強と同じく一人でやることが、乏しかった。
 活字は読まなくても、群れて、行動しながら、五感を通じて、吸収する情報量は多かったと思います。
 弁護士さんも空気は共有しているかもしれませんが、納得と実効性が伴わなければ、需要も減りそうです。
 お金を出して、検察に睨まれ、ワンランク上の処罰を受けてもかないませんし。落合弁護士がそんなことも書いていました。最近。

本日(3/15)東京四谷であった「光事件弁護団に聞く 弁護団は何を主張・立証したのか」に行ってきました。
安田弁護士はじめ総勢17名の弁護人が1名づつ4つのテーマを発表してました。

殆ど既知の内容でしたが、全体を通して言いたいことは、
「検察が供述を強制・湾曲した。最高裁までに採用された事実認定は、その間違っているものをベースに立脚している」
「判決は(弁護側がいう)事実に基いて裁かれるべきだ」
「また最高裁は、裁判員制度を理由に分かりやすい単純な量刑判断(2名死亡は死刑等)を導入する思惑がある。そんな単純な判断は断固阻止する」
ということかなと思いました。

<感想>
■正直疲れました。
・司会含めて全体的に「話なれ」してない印象が強く、どんどん発表者が変わるので聞いていて疲れる。
・壇上が低いため、手振り等で説明している部分もよく見えない。
・スライド、映像は見にくい上、話と関係なくパラパラ動くので目が疲れる。
※どうしても普段見慣れている提案コンペ、研究発表会等と比較してしまいます。

■全体像が摑みにくい
・17人がそれぞれ断片的に発表するので全体像が摑みにくい。(数人で発表したほうが良かった)
・例として最初の方の弁護士は
「現在の被告人証言は、既に捜査段階、家庭裁判所段階、一審段階で既に言っているのであらためて出てきた話ではない」
としていたのに、後の方の弁護士は
「被告人の精神未熟なことをついて、検察が供述を強制・湾曲した」
事を主張していて、繋がりが理解しにくいなど。
 
■感情的に批判派する人には全く効き目がないのでは?
・私は弁護内容を事前に目を通していたのでついていけましたが、マスコミ情報のみで判断している多くの感情的に批判する人には、断片的すぎて理解できなかったのではないかと思います。
→あの会場に居たかどうか分かりませんが・・・
・正直、弁護団賛同する人が集まって、内輪報告(儀式に近い)しているように見えました。
・この内容をTVでもしそのまま流したら、また非難をあびるでしょうね。
→TV局が2社入っていたようだが・・・
・感情的に批判する人に理解してもらいたいならば、プロの演出家を通して自己の主張が分かりやすい形で編集した映像等を流すほうが良いように思えます。

■良かった点、
・今まで見たことが無かった「地図・部屋上の犯人動線」「元少年の事件当日の足取り、友人の証言」が見れたこと
・光事件の弁護資料を冊子でもらえたこと

結局、私は弁護内容の納得性について、以前比較してもあまり向上しませんでした。
※特に「法医学鑑定」「母体回帰」の部分

 弁護団の問題、関心が薄いようですね。
 私は元刑事被告人の立場であり、16年経った現在も検察を相手に実質的事実認定を争っていますが、再審などという言葉を聞いただけで虫酸が走ります。

 次のような視点もお持ちになってはいかがでしょう。

 また、刑事裁判に置き換えれば、真相解明の可能性を削いでいる、ということにもなりそうです。本職の弁護士がそんなことをやっていたら、事実を証明しなればならない立場におかれたとき、本当に困ると思います。また、それが私のスタンスでもあります。

 すべてとは言いませんが、弁護士の側からすれば、依頼者を扱いやすくしておいた方がいいのかもしれません。
 全文はこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080316/1205653976

 誤魔化しや尻拭いを求め、それを期待された需要がほとんどなのかもしれませんが、真っ当に生きている人であれば、本当に不当な扱いを受けたときの、対処法を考えておくのもいかがかと思います。
 まあ、私の問題の場合、許容範囲なのかもしれませんが、他人事として専門家にも無視される程度の。

>No.12 廣野秀樹さん

 ここは弁護士が実名を明らかにして運営しているブログです。
 そして公開されています。
 そのような場所で、報道に関する論評などの域を超えて、特定の読者(例えばあなた)の特定の事件について意見を申し上げることは適当ではないと考えますので、今後もあなた個人の問題に意見を述べることはありません。
 無視とかそういう問題ではありません。
 法律相談に類する行いになりかねませんので、本来的に不適当です。

>No.13 モトケンさん

 生意気かも知れませんが、私は個人で直接検察庁を相手に手続きを進めています。
 報道に関する論評、の前提についても、現在沈思熟考してきたところです。
 また、弁護士の法律相談についても、私は16年の経過の中で、味わったのは絶望感のみで、あって、いかなる帰趨になろうともまったく期待していません。
 私の耳には、弁護士というのは便所虫と聞こえる程度の存在です。そこに至る経過や事実を公開して、是非を問う機会を設けているだけです。
 公開されているのは、当然の前提ですし、私個人にメールを送っても、相手にしないか、内容の公開を前提に受け答えします。

>No.14 廣野秀樹さん

 そういうことであれば、ここで

>まあ、私の問題の場合、許容範囲なのかもしれませんが、他人事として専門家にも無視される程度の。

 このようなことを書くのは筋違いでしょう。

>私の耳には、弁護士というのは便所虫と聞こえる程度の存在です。

 このようなコメントも含めていささか不愉快であることは正直にお伝えしておきます。
 便所虫程度の人間のブログにコメントされるのはどのような動機からでしょうか。
 答える必要はありませんが、以後、そのような気持ちからのコメントとして読ませていただきます。

>No.11 カツビンさん
何となく予想はしてましたけど雰囲気はやっぱり「支援者・賛同者向けの報告会」的な感じでしたか。
うーん、裁判の論点整理と講演でのそれは全く別物ですからねえ・・・。
演出家とまでは言わないまでも、弁護側主張の全体像をそれなりに把握している司会者を立てて「目次」の整理というか章立て・項目立てを分かりやすくする工夫はあってしかるべきでしょうね、折角このような場を設けたのであれば。

>No.16 惰眠さん

誰を対象にしていたか不明でした。

A:感情的批判者 (マスコミ情報のみ+刑事弁護知識無し)
B:弁護内容批判者(弁護内容を認識している+刑事弁護知識有り)
C:弁護団支援者・賛同者

会の副題(報道された虚偽の事実と、報道されなかった真実)、主催団体(光市事件報道を検証する会)からAを対象にした会かと当初考えていましたが、実際はC(Bは消極的)を対象にしたものだったようです。

擬似批判者を立ててのパネルディスカッションや質疑があれば面白かったのですが・・・
シンポジウムとは名ばかりの、弁護団からの一方的発表のみでした。であるならば仰るとおり、理解しやすいように工夫が欲しかったとことです。

弁護団自身は、それほどAの存在を意に介してないのかもしれません。
※またはAの「刑事弁護に対する知識量」を見誤っているか。

今週の週間新潮に「光事件弁護団に聞く 弁護団は何を主張・立証したのか」の記事が載ってましたが、「弁護団や仲間の弁護士達は、笑うべき事件や部分ではないのに大笑いしていた」として糾弾しています。

記事の内容ですが、雰囲気としてそういう事実はありました。

・正直、弁護団賛同する人が集まって、内輪報告(儀式に近い)しているように見えました。

・この内容をTVでもしそのまま流したら、また非難をあびるでしょうね。


私が以前書いた内容ですが、「首の絞めた方」の実験写真や手振りなどで笑っていたのを見て思った事です。

但し、本来の目的である弁護団の弁護内容については記事内で一切記述がなく、片手落ちの記事であることは明らかです。
「ある事柄の一面性」のみをクローズアップさせ、読者に対し弁護団への批判的な予断を抱かせるもので、マスコミ情報(特に週間新潮)のいい加減さを如実に表している記事だと思います。

>No.18 カツビンさま
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080330/bks0803300850000-n1.htm
これですか…
ハァー・・・(ためいき)
弁護団の情報発信の拙さにはがっかりさせられます

>No.18 カツビンさん
>No.19 ろくろくびさん
私はそもそも情報発信する必要性が感じられないです。もともと身内向けの集会だったのかもしれませんが、やるなら完全にマスコミをシャットアウトして内輪だけでひっそりとやればいいのにと。

あるいはマスコミを通じて伝えたいことがあるなら一対一のインタビュー形式で質問に答えるとかのほうがよかったんじゃないかと思います。

オウム裁判のときマスコミに露出して情報発信すべきだと渡辺脩弁護団長が主張したのに対し、主任弁護人だった安田弁護士はなにもメリットがないと反対したらしいのですが、ことこの事件に関する限り弁護団のマスコミ露出はマイナスにしかなっていないと感じます。

先日の大江氏、岩波に対する名誉毀損訴訟(?)判決の後で、不当判決だと非難する、弁護士の態度を見て、なぜか安田弁護士を思い出しました。
ネットで調べただけですが、徳永信一氏というこの弁護士さんも自分が担当されている事件についてマスコミに発信されるのがお好きのようで、しかも、それが、実際の裁判の上では時に逆効果をもたらしている節がありますね。
先日の判決のあとの記者会見でも原告は同席されませんでしたが、私が原告だったら、負けた責任の半分は徳永弁護士のせいだと思って同席したくないですが。

安田弁護士が非法曹家へ説明するのが上手でないのは分かりました。

今枝弁護士はどうでしょうかね…?本を出版されるそうです。

http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/view/20080331

 題名は、「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」です。  副題は、「光市母子殺害事件弁護団を解任された泣き虫弁護士の闘争手記」です。
 ちなみに帯は、宮崎哲弥氏に書いてもらい、 「本当は、人が人を弁護することなんかできない。それをわかっている弁護士こそが、真の『人権派』だ。この男、わかっている。」というコメントをいただいています。「なぜ宮崎哲弥が?」というのも意表を突く点です。

読む前から失礼ですが、チョット心配…。
どうか、刑事弁護が市民に「媚びたもん勝ち」のアジテーション合戦にはなりませんように…。(著作がそうだろう等とはいいませんが。)

これは個人的な見解なのですが

安田弁護士自身
「情宣以前に、法廷の闘争で結果を取っていくのが俺の生き方」
と百も承知だったような気がします。

ただ理由として思う二点が

,燭澄件の逮捕事案で相当に多くの弁護士が味方になってくれて
 人の情にほだされた

◆嶌枝弁護士」が
 かなり反旗を翻したようなことをやって
 週刊ポストに告白文まで寄せている。
 で、弁護団内部でも「もっと、世間にむかってアピールするべきだ」
 と言われてリーダーだけに自分を押し通せなくなってしまった

と言う気がします。

勿論これは、私の勝手な予想ですが
でも、若いときから裸一貫でやってきた弁護士というのも事実です。

結構、自分がとことん不得手な分野とわかっている
情宣活動に足を突っ込まざるをえなくなった
安田弁護士に私は同情してますし

情宣活動の難しさを知っているであろう
安田弁護士を少なからず尊敬しています。

>No.20 ひらのさん

この内容ならばやらない方が良かったとは思います。

ですが、ここまで注目を集め、糾弾されてきた弁護人(団)として、ある意味逆転の評価を勝ち取る機会でもあったし、「刑事弁護に対する理解度をアップ」させる好機でもあったと思うのです。
※私はうまくできれば、情報公開も「あり」と考えています。

なので、弁護団はもっとアピールできる方法や表現方法、守秘情報の扱いを考慮するべきですね。

>No.24 カツビンさん

ところであの場に「参謀」っていそうでしたか?
安田弁護士がそういう場において「無能」と
自分で悟っていそうなだけに
「外側」の人があればもっとよかったかなと思うのですが。

>No.25 どうだろうさん

今手元にそのシンポジウム内容メモが無いので、ハッキリ思い出せませんが、松井弁護士あたりがそれに相当するような気がしました。

但し、安田親分(顧問:足立弁護士)と他の弁護人は子分に近い印象を持ったので、安田弁護士に慮り、十分な意見を出せたかどうか・・・
※弁護団に入った理由等みてもその印象が強い

ただ、「やるからにはベストを尽くす」べきであり、自分で不得手と分かっているならば尚更です。
演出家等に頼むことや客観性を取り入れることもできたはずです。
※特に記者会見と違いシンポジウムには準備時間が十分にあったのですから・・・

>No.26 カツビンさん

ただ、「やるからにはベストを尽くす」べきであり、自分で不得手と分かっているならば尚更です。 演出家等に頼むことや客観性を取り入れることもできたはずです。 ※特に記者会見と違いシンポジウムには準備時間が十分にあったのですから・・・

そうなんですけどね。
本当にそうなんですけど、安田の親父は神様なんでしょうね。
多分、みんな彼を動かしただけで
仕事をした気になってしまっているような気がします。

安田の親父も「こんないやな仕事に付き合ってやった」と
いわんばかりの態度だったんでしょうね。

安田の親父を後ろからうまく糸ひいて
動かせる人がいればいいのですが。
生来の無頼派だから極めて厳しいなのは明らかだけに
つらいところなんでしょうね。

カツビン様
思いっきり遅レスですが、新潮で書かれていた件は気になってたのでカツビン様の情報は大変参考になりました。ありがとうございます。
なぜこの手の集会は「C:弁護団支援者・賛同者」で固まろうとするんでしょう? まあ、その方がラクだから、というのは分かるのですが、あまり意味ないですよね。本当ならA・Bの人達を改宗(?)させるにはどうしたらいいかを具体的に真剣に検討すべきだと思うのですが・・

個人的な思い込みかもしれませんが、頭のいい人ほど人の心は理屈だけで動くものではなく、感情の部分をいかに動かすかが大事だというのを忘れがちなような気がします(リーダーシップ論とかビジネス論の本に書いてありそうな話ですが)。自分の「正論」に固執するというか。
スポーツでは「勝負に勝って試合に負ける」なんてよく言われますけど、この件でも仮に目先の勝負に勝って(死刑回避)も、下手をするとかえって死刑賛成論に火がついてしまって、長い目で見て試合に負ける(死刑廃止が遠のく)ことになりかねないと思ってます。もちろん、弁護人として目先の裁判においてあらゆる手を使ってベストを尽くすのは当然のことですが、「試合」の仕方が下手だという印象をぬぐえません。

安田氏のものの言いようには、毎度毎度溜め息が出てしまうんですが、なんで4月10日付東京新聞の特集記事のインタビューに答えたように話せないんでしょうねぇ。
春霞さんのブログに引用されていた記事内容を見るにつけ、刑事司法のありようを安田氏が憂うのであれば、本っ当に、本気で、被告人弁護側からの情報発信(広報)は、戦略的に行うべきですよ。場当たり的に余技としてやるんじゃなくて。

>No.28 おーしゃんずさん

厳刑派?にとってみればむしろ本件は傷害致死で有罪が好ましいかもしれません。世論を誘導して弁護人抜きの裁判制度を導入できるかもしれません。

テレビのニュースによれば安田弁護士は傷害致死を主張する方針だとのことです。

私は刑事裁判のあり方そのものについては安田弁護士の見識におおいに賛同する者ですが、この被告人の犯行を傷害致死であると考えることはできません。

18歳とはいえ社会に出て働いていた歴とした社会人である被告人について、「未熟性」や「結果予見能力の欠如」に基づく遵法精神の欠如を情状酌量的に認めてしまうならば、社会秩序を守るのが本来の目的である刑法が、男女同権の「社会人」で構成されているこの人権社会を守ることができなくなってしまうからです。

社会にでて働く者はその瞬間から社会人としての権利と義務のもとに組み入れられます。年齢やそれまでの生育環境が本人に及ぼす影響というものは、社会人になれば評価されませんし、一個の社会人として働き振りを給料で評価され、法を犯せば処罰されます。

被告人の年齢と学歴で、3,4歳の幼児そのままによその家庭の主婦に抱きついて甘えることが、性的欲望とまったく無縁の純真無垢な気持ちしかなかったはずだと信じる社会人はいないと思います。

すなわち抱きついたこと自体すでに、体力に勝る生殖可能男性として体力に劣る女性に性行為を強要する犯罪行為であり、抱きつかれた被害者主婦はまさにガス会社社員の扮装をした強姦者に襲われた性犯罪被害者にほかなりません。

しかも抱きついて拒否された時点で被告人は、自分が幼児ではなく強姦者として振舞っていることを明瞭に自覚したはずです。犯行の発覚を防ぐために女性の口を力づくでふさいで声を出せないようにしておりますから。

すなわちここが強姦犯行のpoint of no returnであり、以後の被告人の行為はすべて強姦という犯罪に等しい浅ましい卑劣な行為を遂行しているという自覚のもとに行われたことは明白です。
最初に抱きついた瞬間には強姦という認識がなかったというのが真実であるとしても。

逮捕以後において、被告人が自らの行いを自分を偽らず見つめて、あの時自分は浅ましい強姦殺人を犯したのだと自ら認めない限り、更生の可能性や情状を酌量すべき余地は刑法にはないと思われます。

その意味で現在安田弁護士が傷害致死として争うという方針を公言していることについては、それではかえって被告人の精神に更生の意志を生じせしめる機会を奪うことになり、更生の可能性が実質ほとんどないのを理由にするのでは刑の軽減を要求できなくなるように思われます。
この点安田弁護士の本意を測りかねますが、そのうちにわかることだろうとも思っています。

この事件に関しては私は、本村氏ご本人が語る以上のことを改めて語る言葉を普段はほとんど持たないのですが、本村氏の発言があった時にはついつい耳を傾けてしまうことが多いように自分では思います。

突然の横は入りですみません。

No.31 ぼつでおk(医)さんのコメントを読んでいて、ちょっと気になってしまったので・・・。
「思います」の次の文書が「はずです」になり「明白です」になっています(ええええ!?と思いながら読んでしまいました)。最後は「思います」でまとめていますが、読む方によっては主張ではなく断定と受け取りそうと感じます。

>>No.32 ひとり選考委員会さん
一億二千万分の一の年寄りの繰言ということでお見逃しくださいまし。

>No.31 ぼつでおk(医)さん


テレビのニュースによれば安田弁護士は傷害致死を主張する方針だとのことです。

 明日は差戻し控訴審判決の日なわけですが、、、、、

>>No.34 nobuさん
おっしゃるとおりニュースの「情報」(笑)が本当かどうかについてもあすになってみなければわかりませんですね。
明日以降の報道を待ちたいと思います。

私がなぜ今日発言したか?発言したくないと言っているのに?
この事件については以前場外乱闘場で書きましたが、悲惨さに耐え切れない思いを「泣いて馬謖を斬る」と申しました。私は心情的には死刑否定派であることも場外乱闘場で表明している通りです。
現行刑法で死刑を求めなければならないこのようなケースではアンビバレンツに陥ります。
それが年寄りの繰言や世迷言になってしまう、というのを言い訳がましいですが言い訳にさせてくださりたく思っております。

死刑判決でした。
ニュースによると「情状酌量の余地はまったくない」そうですが、ここまで差し戻しに至った経緯を考えると裁判所としていかがなものでしょうか。
情状酌量の余地はあるが減刑できるほどではない、という事由も考えられたのですが、詳しくは判決全文を読まないとわからないので、今はこれ以上何もいえません。
弁護側は控訴するでしょうが最高裁も今度こそ自判する覚悟が必要になるような気がします。

連投失礼。
いま先のニュースよりもう少し詳しく判決事由を伝えたNHKニュースを視聴しました。差し戻し審での安田弁護士の弁護方針が反って被告人の反省能力が欠如している(池田小学校無差別殺傷事件の犯人のごとく)という心証につながってしまったように思いました。本判決が死刑判決であるのはやむを得ないと思いますが、最初の1,2審における事実審理の問題点がマスクされてしまう結果になったことについては残念です。
裁判員の司法参加をスムーズに開始するためには、この事件で最高裁には是非自判というかたちで裁判の事実審理がどうあるべきかの模範を全力で見せていただきたいものです。

差し戻し審での安田弁護士の弁護方針が反って被告人の反省能力が欠如している(池田小学校無差別殺傷事件の犯人のごとく)という心証につながってしまったように思いました。
このことは、更新意見書が出された時から、そうなる可能性(被告人側にとっては「危険性」)があるとモトケンさんはじめ指摘していたことですが、やはりその通りになったかと言う感じです。 説得力に乏しい(私は、一貫してそう考えています)シナリオに基づいて殺意や犯行の計画性等について否認に転じた時点で、こうなることは目に見えていたというのが私の印象です。

ただ、説得力に乏しい(=裁判所が採用するとは考えづらい)と感じる一方で、犯行当時の「とっても幼稚だった」被告人の頭の中を、敢えて言語化して起承転結を与えた場合には、弁護側が主張するような事情もなかったわけではないだろう(つまり「まったくの虚偽の弁解」ではない)とは思っています。

しかし「まったくの虚偽の弁解」とまでは言えないにせよ、「幼稚な思考しかできないオコサマ」の、幼稚で自分に一方的に都合のいい世界認識が、現実の世の中で通用するかと言えばそんなわけがある筈もなく、それを虚偽の弁解と見做すか内心の真実の吐露であると見做すかを問わず、自己中心的で身勝手極まりないと認定され、またそうしたストーリーを縷々主張したことを以って反省の色なしと扱われるのは当然だというのが私の考え方です。

No.37 ぼつでおk(医)さま

「自判」 は、原判決を破棄する場合にだけ行われます。

本件に即していえば、最高裁が出すことになる結論は以下の3つのいずれかです。(レアなのは除く)
1.死刑を維持 = 上告棄却
2.高裁判決に違法や不備あり、やり直し = 破棄差し戻し
3.死刑以外の刑が適切、やり直し不要 = 破棄自判


この事件で最高裁には是非自判というかたちで裁判の事実審理がどうあるべきかの模範を

ここでは、ぼつでおkさまは 「自判」 を 「自分たちできちんと審理しろ」 という趣旨で言われているのだと理解します。
(法律上の 「自判」 の意味だとすると、「死刑はダメだ、無期懲役にしろ」 と主張していることになってしまうので)

以前のコメントでも、「上告棄却」 の判決に対して 「最高裁は(まったく/ちゃんと)審理していない」 といった趣旨の批判をされていたように記憶していますが、
上告棄却で判決文は短いものであったとしても、「十分慎重かつ適切な審理がなされた」 といえる場合はあります。
上告審の結論(主文)だけを見て、「審理が十分だったかどうか」 の判定は外部からは困難です。

また、「事実審理」 についても指摘されていますが、最高裁は原則として(もちろん例外もありますが)事実認定を行いません。
高裁までの審理で認定された事実を前提に、法律の解釈適用について、憲法、法律、判例に違反しないかどうかのチェックを行います。
つまり、最高裁は、検察・弁護人双方から書証を提出したり証人尋問をしたりして事実関係を争う場でないというだけでなく、高裁の判決文に書かれた 「事実関係」 の再吟味がなされる場ですらありません (原則として)。

「きちんと審理しろ」 の点についても少し。
最新(平成18年)の司法統計によれば、最高裁では、1年間で民事事件7,000件以上、刑事事件4,000件以上の事件がそれぞれ新規に受理されています。
司法統計検索システム
一方、最高裁の人員はというと、最高裁長官+判事が15名、最高裁調査官が30名強。
この人数で年間12,000件もの事件をさばくには、かなりメリハリを効かせたトリアージが必要であることは明らかだと思います。

>No.28 おーしゃんずさん

亀レスですが・・・
「具体的に真剣に検討すべき」の部分は同意します。
安田親分があまり乗り気ではないのが全体的に中途半端になる原因だと考えています。
※過去の経緯みるとそれも仕方ない気もしますが・・・

頭のいい人ほど人の心は理屈だけで動くものではなく、感情の部分をいかに動かすかが大事だというのを忘れがちなような気がします

頭良い悪いというより、頑固、自尊心等が「壁」になっている気がします。

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毎日の記事

また、元少年の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。

これだけ見ると弁護団に対して間接的に批判しているような気がします。被告人に対してならば分かるのですが、弁護人(団)に対して批判するのは結構あることなのでしょうか?
※このあたり、安田弁護士の態度、物言いがかなり影響しているような・・・・

さらみよ。お兄ちゃんやっぱりヒマだったんだ。

No.40 カツビンさん

裁判所が判決文の中で弁護活動を批判することは、全くないわけではありませんが、極めて稀です。

もっとも、今回の高裁判決が弁護活動を批判しているかは、やや疑問です。

被告人が「一見すると信じ難い弁解」をしたとき、どのように対応するかは、弁護士のスタンスによってかなり差があるように思われます。

そんな弁解は通るわけがないと強めに説得する(勿論、最後まで被告人が主張を維持すればそれに従うのでしょうが)弁護人もいれば、弁解の内容がどうであれ徹頭徹尾支持してやり、それを裁判所に認めさせるための立証活動に全力を傾注する弁護人もいます。

で、本件の現弁護団は明らかに後者ですが、判決は、その弁護団のスタンス自体を批判したものではないと思われます。

どのようなスタンスの弁護人であれ、事実関係を認めるか、虚偽の弁解をするかは最終的には被告人本人の責任で選択すべきという前提に立った上で、「本件の被告人は、弁護人が自分の(ウソの)供述を強力にバックアップしてくれるのをいいことに、反省の気持ちを忘れてウソをつき通した」と判断したのでしょう。

判決の抜粋部分が言わんとしているのは、そういうことだと思います。

 強烈な示唆、シグナルを発しているのは裁判所だけではないと思います。テレビかラジオで聞いた本村さんは、より明確に弁護団の問題性を指摘していると感じました。被告人本人に対する不信や憤りより、あるいは弁護団、刑事弁護に向けたものが大きくなっているのかもしれません。
 私も体感的に共鳴する部分があります。
 現行の刑事弁護スタイルも、いよいよ解体、壊滅するんでしょうか。

早く返信頂戴

「本件の被告人は、弁護人が自分の(ウソの)供述を強力にバックアップしてくれるのをいいことに、反省の気持ちを忘れてウソをつき通した」と判断したのでしょう。

「熱心な弁護」というポジティブに見える言葉と「反省の気持ちが薄らいだ」というネガティブな言葉がどうにもちぐはぐな気がしていたのですが、なるほど(ただいま謹慎中)さんの説明を読んで両者が繋がりました。

もっとも本当に反省の気持ちが芽生えていたのならどんな弁護人がつこうが、あんな弁解をしないでしょうが・・・。

(※あくまでも産経系にUPされている判決要旨を一度流し読みした感想です)

判決文要旨を読んだ感想というか、結構、細かい内容に言及してたんですね。ただし、「普通に考えれば・・・」というのが多かったように感じます。
まぁ、後から言い出した突拍子もない供述より、最初に言っていた事を基本的に採用するというのはわかります。

ただ、目の前で突然、「頭がよくなるから」と一部がかじりとられるほど辞書をかじり始め、後では全くその記憶がなかったり、急にパニックになり、周りの人が全員自分をにらみつけているという幻覚(被害妄想)が見えてしまったりする人が近くにいて、普段から見ているボクからすれば、そんなに不自然でもない事も多いのになぁとも感じてしまいます。

もちろん、病などの認定もなく、いちいちそれを全部肯定してたら、なんでもOKになってしまうので、そういう目で見ろ!とは言いませんが。
非常に優等生な判決&最初の高裁での判決と量刑以外あまり変わらない判決・・・という印象です。

もうちょっと読み込んで見たいと思います。

>>No.39 fuka_fukaさん
現実はおっしゃるとおりだと思います。
あえてああ書いたのは、私は今回の差し戻し審議のような審議がそもそも第1審から行われたべきであったということを申したかったのです。
そうすれば三審制ですから第一審死刑(無期)、弁護側(検察側)控訴して第二審無期懲役(死刑)、そして最高裁へと進めば1,2審は今のようにどちらからも非難されることはなかったでしょうし、三審制の司法が少なくとも今より国民によって信頼されたことでしょう。

そう思うと今回の差し戻し裁判が実質第2審にあたるように思いました。すなわち事件全体への理解が1審より審理が進んで深まった状態であるように思います。

しかし司法の判断力については以前の1,2審と比べて事実は変わらないのに判決は情状面で180度違います。
それでもまだ現時点では「情状を認める」判断が2件に対して「情状を認めない」判断は1件に過ぎません。評議が多数決で決せられることを思えば3度の裁判のうち2度情状を認めたということは、普通に評決すれば情状を認めるという判断が優勢で評決されることになります。
ここで実質三審めにあたる最高裁で最終的な事実審理を行い権威ある判決というものをくだすことは、司法自身にとっても重要なことのような気がします。最高裁判決が無期でも死刑でもどちらでもいいと思います。実質三審制が被告人のために確保されるのであれば。

すべて裁判員予備軍のひとりとしての全くの個人的な希望的感想ですから、現実に手続き上も最高裁が自判するとは思っていませんが。

> No.46 ひとり選考委員会さん
私もMSN産経ニュースにアップされている判決要旨を通読しましたが

まぁ、後から言い出した突拍子もない供述より、最初に言っていた事を基本的に採用するというのはわかります。

と言うよりは、裁判官は「客観的証拠に基づき、旧供述と新供述を比較検討した結果、旧供述に妥当性信用性があると認められる」と判断したように読めました。
公判においては、一見荒唐無稽な主張に見えたとしても、それが証拠と整合し、証拠により正しく補強されるものであれば、証拠と整合しない理路整然とした主張を排除することは珍しくもありません。
しかし、今回の差し戻し審において、弁護側は被告人の新主張を一切補強することができなかった、そういうことだと思います。
非常に優等生な判決&最初の高裁での判決と量刑以外あまり変わらない判決・・・という印象です。

そういう印象を持たれるのは、それだけ本件において検察側がしっかりとした立証を行った証左だろうと思います。

> No.47 ぼつでおk(医)さん
判決要旨を読む限り、本件差し戻し審で情状面において厳しい判断が下されているのは、本件裁判官が一審二審では認められた情状について「情状を認めない」判断をしたからではなく、一審二審及び上告審、そして差し戻し審での被告の言動等を踏まえた上で、更生可能性が低く死刑を回避するだけの情状がないと判断したと読めます。
判決要旨から引用するのであれば

第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。

という部分に集約されるかと思います。

しかし、判決でここまで主張を完全に否定されているにも関わらず、「今回の判決で私たちの弁護が基本的に間違っていたと思っていない」と言い切り、自分たちの弁護が死刑廃止運動目的だとする意見に強く抗議しながら、本件公判について「彼の事件は厳罰化のために使われたといってもいい。」と論難する安田弁護士の姿勢はある意味立派ではありますが、国民の刑事弁護に対する反発を強めてしまうのではないかと懸念します。

 今回の事件によって、来年からの裁判員制度に向けて、一般の人たちが検察と弁護側の攻防を分析する良い契機になったと思います。
そして被害者側がマスコミに登場する機会が多かったため、国民感情が被害者側に傾いた状況の中での判決だったと思います。
 弁護側の主張はほぼ受け入れられず、『荒唐無稽』と一蹴されました。即日上告した事で弁護団の憤りを感じます。
法廷で話したことが真実であって、それが認められていない。と言う被告弁護側の上告理由ですが、これからの裁判員制度導入という観点から見ると、上告した段階で弁護側の主張が退けられると予測がつきます。
 ごく普通の市民でも、刑事ドラマなどによって、首を絞められたらどのように跡が残るなど事件の状況を分析・判断する能力が養われています。1審2審で現場の状況の事実確認がなされ、遺体の状況から片手で首を圧迫したのか両手なのか、子供に打撲痕があるかないか等はすでに決着がついていることです。
 被告の主張を弁護団が認めて法廷戦術として争うのは、弁護士としての仕事として仕方のないことかもしれませんが、判決を下す裁判官は人です。
 事件の状況から、被告の主張が自身に都合よくなされていると思える中での上告に意味があるのでしょうか?
裁判員になる可能性のある一人として、上告の無意味さと弁護団の強引さを感じます。仕事としてではなく、人として判断してくれることを望みます。裁くのも人です。

No.48 感熱紙(刑)さん

ご指摘ありがとうございます。モトケン先生の最新エントリーを読み、感熱紙(刑)さんのコメントを読み、自分も冷静さを失っていたことに気付かされました。
ブログやBBSなどで吹き荒れる無責任な「死刑判決は妥当」ということばに反発するあまり、自分も無責任な思考に陥っていたようです。
もう一度、冷静になって、自分なりに考えてみたいと思います。

No.49 ソシアル魚ッチャーさま
「死刑判決が出た場合弁護人としては上訴しなければならない」という考え方があります(今枝弁護士もこの点に言及しています)。現に宅間守元死刑囚の裁判では、被告人の意向に反して弁護人が上訴し、その後被告人自身がこれを取り下げて死刑判決が確定した、という経緯をたどりました。
死刑という刑罰の重みを考えて慎重な手続を経る必要がある、という考え方にも一定の合理性があると思います。もっとも、上訴してもまず勝ち目はないでしょうが、単純には批判できないのではないでしょうか。

ごく普通の市民でも、刑事ドラマなどによって、首を絞められたらどのように跡が残るなど事件の状況を分析・判断する能力が養われています。1審2審で現場の状況の事実確認がなされ、遺体の状況から片手で首を圧迫したのか両手なのか、子供に打撲痕があるかないか等はすでに決着がついていることです。

これはちょっと同意できませんね。私は以前法医学の本をいくつか見たことがありますが本物はかなりグロくて生々しいですよ。こんなものは放送してほしくないですし見たこともありません。フィクションはあくまでフィクションに過ぎません。ドラマなんて専門家からしたら「こんなこと現実にはありえない」といわれるようなものの方が多いです。
それと決着が付いているとおっしゃいますが本当にそうなら裁判所は弁護人の主張や証拠を斬って捨ててしまえばよかったわけですがそうしていません。法医学の専門家の鑑定は弁護団の主張の中では一番説得力があったと思います(福富記者のブログに鑑定書が紹介されています)。

>No.15 モトケンさん

 すっかり見落としていました。このようなレスがあったとは。追って、お応えさせていただきます。

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