エントリ

自白調書も厳選、提出しない選択も 最高検が方針転換(asahi.com 2008年03月26日15時00分 ウェブ魚拓

 最高検の方針転換は、まったく不十分と見るべきか、方向性を誤っているのいずれかだと思います。

 自白に依存しないというならば、立証のあり方全体の再検討が必要であり、検察庁だけの問題ではありません。
 というよりも裁判所や裁判員の事実認定のあり方の問題です。
 さらには刑法の根本的な大改正も必要になります。

 自白は重要だという考えを維持するならば、取調べの適正化、具体的には可視化等によって任意性と信用性を確保する方向を目指すべきものと思います。


関連ブログ
 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080327#1206574566(落合ブログ)

 最高検はともかく、高検は、役に立たない、どこにも持って行き場のない検事が集まった廃棄物中間処理場のようなところで、

 全ての高検検事がそうではありませんが、同様の印象を抱いたことはあります。

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>自白は重要だという考えを維持するならば、取調べの適正化、具体的には可視化等によって任意性と信用性を確保する方向を目指すべきものと思います。

裁判員制度にとってというよりも刑事司法においてもっとも重要な点の一つであると存じます。

現在の問題点としては、犯罪事実を立証する間接証拠が十分あるにもかかわらず、自白調書があればなんでもかんでも証拠提出し、採用している(ほとんど自白とはいえないような調書まで)というところにあるのではないでしょうか。もちろん、それは、裁判官が自白調書を欲しがることにも起因しています。裁判所、検察庁が本当にすべきことは、自白がなくても立証が可能な犯罪と可能ではない犯罪とを選別する努力をすることです。検察庁としては、自白以外に犯罪事実を立証する証拠がないということであれば、当然のことながら、自白調書を証拠提出すべきでしょう。そして、裁判所としては、自白以外の証拠で十分立証可能であれば、任意性立証に入る前に、自白調書を証拠調べの必要がないということで却下すべきだと思います。
この場合には、自白調書が最も重要な証拠になりますので、取調べの可視化を通じて、任意性と信用性を確保する方向を目指すべきということにもつながります。

>さらには刑法の根本的な大改正も必要になります。
本当に刑法の「大改正」が必要になるのでしょうか。日本の刑法には主観的要件が多いから自白が必要だとよく言われますが、アメリカの刑法にも主観的要件は定められているのではないかと思います。要は、これまで、間接証拠のみによる立証のハードルが高すぎたということはないのでしょうか。 

最高検はともかく、高検は、役に立たない、どこにも持って行き場のない検事が集まった廃棄物中間処理場のようなところで、

そうなんだ・・・・・・・・
てっきり難事件に対応できる優秀な人が集まっているものだと思った。

「予断の排除のためには、予断を生じさせる可能性の高い情報(証拠)を隠す」以外に方法はないものでしょうか…?
それも証拠であるならば、ただ隠せばいいといった物でもないような気もするのですが…。

私も「悲惨な写真とか見ないといけないのかな…」と恐ろしく思っていたのですが、だからといって、「裁判員が証拠写真を見ずに判断する」というのも、何か間違っているような気がして来ています。

自分の中でもはっきりした答えはなく、以下が正しいかどうかは未だ分かりませんが、まず「予断は生じるものだ」という前提に立って、それから、予断をいかに最小限に抑えるかといった方法を考えた方がいいんじゃないかという気もしてきています。

だって、自白調書以上に予断を生じさせやすいのは、「有罪率の高さ」かもしれませんからね。

裁判員制度反対を闇雲に声高に唱えるつもりはありませんけど…。
ただ、本当にこのままでいいんでしょうか。

「このまま」といっても、ひょっとして、裁判員制度に向けてまだ整備中で、実際にはどのような感じになるのか、まだ決まっていないんでしょうか?
(今回ご紹介頂いた記事のように、自白調書を出さない選択肢が出てみたり、取調べの可視化の話も議論中だったりしてますし…。)
だったら、そもそも、国民の理解や納得を取り付ける対象が未だ定まっていない状態である、という事になるような気も。
2009年の実施予定に間に合うんでしょうか…。

 自白、という言葉をよく見かけますが、殺意もないのに、人を死ぬか生きるか、いつ死んでも不思議でない意識不明の重体に陥らせてしまった状況で、取調べを受ける立場を、想像されてみてはいかがかと思います。
 自分の場合、担当の警部補に、放置していれば、殺人未遂だと明言されました。
 幸いなことに被害者は警察署に出頭した時点では意識があり、その警部補の質問にも応答し、ダレに殴られたのかという問いかけに、私の方向を指差し、理由を尋ねると、「わからん」と一言いっていたそうです。
 僥倖とも思える不幸中の幸いであったと思いますが、検察官は一顧だにせず、まともな取調べを受けた気がしません。
 行為と結果は事実なので、そのまま認めましたが、これも自白として取り扱われ、簡単に処理されたのかもしれません。
 少年時代に鑑別所に入り、暴走族をしていて、トラック運転手であったという属性だけで、こんななめ腐った処理をしてくれたのでしょうか、とも考える今日この頃です。
 私は、その検察官のことを、ネット上で「マヌケ大王」とも呼んでいますが、どうやら現在は千葉県の方で弁護士をしているそうです。
 即刻、法曹を廃業してもらいたいと、繰り返し述べて来ました。
 本当に、そんなに間抜けだったのという不信感も決定的に拭えないのです。
 資料を読めば、どんな素人でも、大きな疑問を抱きそうですが、人を疑う職業病が染み付き、囚われていたのか、具体的な問題点をすべて捨象し、定石の処理で片付けた、という結果です。
 一部資料を、このブログでもご紹介したのですが、お叱りを受け、リンクを削除されました。弁護士は人権を擁護するとか謳っていたはずですが、専門家にそんな判断で扱いを受けて、救済への道が遠のいてしましました。
 「被告人の納得」というエントリもあったような、どうもそんな範疇で、受け止められたような気もしています。
 法曹、専門家として、冤罪への道を垣間見たような気もしました。それは表裏一体で、時には真犯人の無罪にも結びつきそうです。

補足ですが、No.4は、取調べの可視化等、何らかの「予断の排除」を検討せずして、これまで通り自白を「証拠の王様」として扱うべし…という主張をしている訳ではございません。念為。

「予断を生じさせる可能性が高い情報をただ隠せば良い」とも受け取れる方針に、疑義をはさんでいただけです。

仮にその方針で行くならば、そもそも「有罪率99%」ということから、単純な「枚挙による帰納」では、「これから裁く予定の『警察が起訴した事件の被疑者』の有罪率も高いだろう」という推論ができてしまうとも言えるが、「有罪率99%」ということも隠すのか?でも、隠せやしないだろう、という話でした。

それもあって、「予断を生じさせる可能性が高い情報をただ隠せば良い」とも受け取れる方針は、方向性としては「付け焼刃」に見えるということでした。

No.6の下記を訂正させて頂きます(汗。

誤:『警察が起訴した事件の被疑者』

正:『検察が起訴した事件の被疑者』

No.5 廣野秀樹さん

横レスすみません。

>一部資料を、このブログでもご紹介したのですが、お叱りを受け、リンクを削除されました。

その時のやりとりを見た記憶がありますが、私はモトケンさんの判断は当然だと思いましたよ。個人的な出来事にまつわる誹謗をここでやるなと言われませんでしたか? 自分のブログでやることと他人のブログでやることの線引きをきちんとされてはいかがでしょうか。

>弁護士は人権を擁護するとか謳っていたはずですが、専門家にそんな判断で扱いを受けて、救済への道が遠のいてしましました。

モトケンさんがあなたの足を引っ張ったかのごとき言い方は看過できませんね。あなたが言うところの「便所虫のブログ」に過剰な期待をしない方がいいのでは?
あなたの暴言は傍目にも容認しかねる時があります。

自白調書を提出しない場合、検察側は自白に関してどんな主張をするのでしょうか。
「被告人は取り調べでたしかに自白しました。でもその証拠である自白調書は出しません」とか言うのでしょうか。それとも「自白調書は提出しません。だから被告人が取り調べで自白したかどうかも一切言いません」とか?
どっちにしても、素人の裁判員なら「何のこっちゃ?」と首を傾げるのではないでしょうか。

オフェンス・ディフェンスの視点から考えると、これも「馬っ鹿じゃねーの?」だと思います。

どういうことかと言うと、刑事司法のシロウトであるところの裁判員に向けたアピールで、弁護側が「被疑者を取り調べたにも拘らず供述調書を証拠提出できないのは、違法な取調べが行われたからである」云々を言い出したときに、起訴事実に誤りがないことを前提にしつつ供述調書を証拠提出しない理由をシロウトが素直に納得できるように説明できるのか非常に疑問だからです。
控え目にいっても、裁判員に「不適切」な取調べが行われたのではないだろうかとの「予断」を与える程度には、効果があるように思います。

供述調書の信用性を争う云々以前に、裁判員が抱くであろう「イメージ」に訴えかけようとばかりする、不毛で低次元なネガティブ・キャンペーン合戦が行われる土俵を整えてしまうんじゃないかと、ちょっと心配です。

>過剰な期待

 以前にも同じ反応を頂いたことがあります。
 刑事弁護に過剰な期待をしない方がいい、というほうが現状にマッチしているように思えます。暴言と受け取られてもいたしかたありませんが、まあ、もう少し内容のある反応は期待してました。
 元検先生も、同じかもしれないと思うこともあります。過去の経緯や資料を一通り、お読みであれば。
 私が弁護士批判をしているように見えるでしょうが、実際は弁護士が、その方向に導いたと考えるのが、総合的にもっとも合理的な解釈です。
 安直な弁護士批判がそれだけ、まかり通り区別もつかなくなっているのかもしれませんが。それだけ質の悪い弁護士も実際少なくはないようですね。
 これからは控えめにしますので、お気を悪くなされないでください。
>No.8 みみみさん

>No.11 廣野秀樹さん

 あなたは自分の事件をこのブログに持ち込んできています。
 私は、特定の事件についてその事件の当事者に対してこのブログ上で意見を述べるのは控えたいのです。
 つまり、特定の事件についてその当事者がこのブログに書き込むことは控えてもらいたいのです。

>廣野秀樹さま

幼い頃父の転勤について行き、10年程、貴方の故郷の近県に住んでいた者です。
ほぼ同郷の者として、率直に思った所を申し上げたく思います。

No.5を拝見したところ、貴方はどうも何か事件に巻き込まれた事があり、その経験を基にして司法に対して色々感想を述べていらっしゃると受け取れます。
しかし、断片的に散りばめられているが、全体像は見えて来ず、貴方の仰る事の妥当性の判断ができませんでした。
だから、無視しているのではなく、コメントしづらいという感じでした。

以前、貴方のホームページを拝見させて頂いた際にも、少し探しましたが、どんな事件に巻き込まれたのかすら見つけられませんでした。

しかし、今回改めて色々探して、貴方の件の資料を拝見させて頂きました。全部は目を通し切れてはおらず、拝見したのは報告書・供述調書・あと、起訴状を途中までですが。

それでも敢えて廣野さまのNo.5に対してコメントさせて頂かなかったのは、簡単にコメントできるような内容ではないと感じたからです。
だから、拝見した後も、(無視しているのではなく)コメントしづらく思いました。
ご理解頂ければ幸いです。

なお、とくに実名でブログを立ち上げておられる弁護士さんであれば、簡単に回答する訳にはいかないと思います。
プロであれば尚更、個別事件に関するご自身の発言(回答)に対して道義的に無責任ではいられないかもしれませんから…。

>No.12 モトケンさん

 今回は、納得も理解も出来るお応えですが、それゆえに、述べさせていただきたいこともあります。
 現在私は、告訴状を全面に打ち出しており、告訴という手続きは確かに個別的、個人的なものです。ただし、これは検察の誘導で、告発が告訴に変貌したものでもあります。
 電話で県警本部に問い合わせたところ、このような不正が社会で容認されてよいものか、という問題提起のような説明を受けました。
 いずれにせよ、私の問題提起は多岐に渡り、多面性を持つと考えています。
 今回、このエントリに即して言えば、警察の捜査、取調べの問題点です。これば、決定的な事件、裁判の資料、前提になることは間違いないはずです。
 次に、刑事弁護における弁護士の対応です。警察が不当な資料を作成すれば、負担も大きくなり、対応が困難になるという問題もあるように思えます。一部に、熱心な刑事弁護のエキスパートがいるにせよ、被告人の資力の問題もあり、公正で妥当な弁護を受けることが出来るのかも疑問の余地があります。
 弁護士さんのブログにおいてもほとんど見かけたことがないのですが、事実審理における地裁判決の意義は、これも決定的なものがあるはずです。これも例外ばかりが、クローズアップされているようですが。
 私の場合も、一審の国選弁護人については、狐につままれたような疑問符が、残っています。その後のすべてを左右したのかもしれず、だとすれば、余りにも大きな痛手を蒙りました。
 特定の事件の当事者ということですが、それもすべての刑事事件に当てはまるはずです。自分なりに大きな犠牲と代償を伴ったと思っていますが、教訓がまったく生かされず、一顧だにされない、というのも社会的抹殺、死刑判決を受けたのも等しいものです。
 私こそ、「死刑囚」というハンドル名がふさわしいのかもしれません。このまま終われば、まさに生きていても、生きる屍です。
 事件当時、60代であった母親も、78歳になるのではと思います。母一人子一人で兄弟もなく、いつ天涯孤独の身になっても不思議はありません。警察署に勾留中、3ヶ月弱の間に、13回ほども面会に来ていました。片道電車で3時間ほどもかかるところから。
 今は、足腰も弱り、買い物に出かけるのもままならない状態です。
 司法的に意味があったと、思い続け、検察や警察からは、それなりの対応を受けてきましたが、プロの弁護士の側からは、
>つまり、特定の事件についてその当事者がこのブログに書き込むことは控えてもらいたいのです。
という対応を受け、言葉に尽くせぬ思いです。どうせなら、1年でも2年でも前に、そのような返事をいただきたかったです。
 目的や趣旨については、ブログの方にも繰り返し書いてきたはずですが、同じことを延々と繰り返すわけにもいきません。
 個人的から、特定の事件の当事者に、昇格させた頂いたという思いはありますが、公がまったく抜けている。それだけを強く申し述べておきます。
 なお、詳しいことは、自分のブログの方に書いていくので、リンクを張らせていただくことはあるかもしれません。内容的にも、それだけの関連性はあると思います。
 「この法律は、公共の福祉の維持と、個人の基本的人権の保証を全うしつつ、刑事事件につき、事案の真相を解明し」
などと、刑事訴訟法に謳ってあったはずです。私は、母子家庭で育ったこともあり、この公共の福祉には、格別の思いもあるのです。
 隔靴掻痒、マスコミというフィルターを通してのみ、あげつらいをなさるのもよろしいかと思いますが、そのマスコミに対しても、不信や批判が散見されるようです。警察、検察も同様それ以上ですが、このままではまったく割り切れなさのもが残ります。
 それと、メインのルーチンは自分のブログに移り、再始動を開始しております。こちらでは問題点について述べることはありますが、自分のブログのことは単なるご紹介の意味もありますし、こちらでは具体的名称をかかないなど一定の配慮はしているつもりです。
 とにかく重要な論点については、以前、自分のブログの方に書いてありますし、繰り返しはしません。
 近いうちに明確にするつもりでもあります。
 ついでにいえば、光市事件とか、殺人とか、普通はあまり縁のなさそうな問題に思えます。特異という点での社会的意義は認めますが、社会生活上よりみじかに関わりうる、問題点も多数含まれていると思っているのですが、例えば振込詐欺との方法手段の共通性とか。財産より生命身体に及びうるので、専門家にはより関心も高いはずと勝手に思っていたのですが、国民が求めるのは、やはりプライバシー関連とか上位なんでしょうか。個人的利益が。そんな観点からも、評価を受けてきた、という気がします。
 アクセス数が少なすぎて、戸惑いつづけてきましたが、その現状に無頓着で戸惑わない人が、多すぎるという推測も働き、さらに戸惑いを深めてきました。
 そういえば、ご紹介のサイトで、裁判所の「国民次第」という言葉もありました。
 最高検の検事総長もホームページで、公正公平を強調していましたが、私と似たような負担も、この先は、無批判に受け入れたものとみなし、強いていくのかもしれません。育児放棄にも似たかたちで。
 このところ無罪判決が増えているようですが、それも一例なのかもしれません。もともと検察が起訴などしなければ、負担も軽かったはずですから。
 告訴の不受理が増えれば、泣き寝入り、反感を募らせた人間が、とんでもない大事件を起こし、被害を蒙る無関係の人も増える、5年ほど前に、私がネットで予想し、告知した未来図が現実の度合いを増してきたようにも思われます。過失犯の厳罰化も然り。不思議と、刑法における、主観説と客観説の議論も見かけはしませんでしたが。
 刑事弁護の衰退化とともに、地獄の時代がやってくるのかもしれません。悪いことをすれば、地獄に落ちるという現実化です。わざとらしい、心神喪失での無罪判決も出ているようですし、世論の巻き返しを狙っているのかもしれません。
 この日本社会で、もっとも監視管理体制が徹底され、人権が制限された部分社会の一つが、刑務所だと思いますが、その刑務所で現実に何が行われたのかも、私のブログで具体的にご紹介してきたはずです。
 事の重大性は、自分なりに経験にも裏打ちしてご紹介してきたつもりでいますし、あとは各自の判断に委ねる他はありません。
 今後は、ブログにおいて、一般モードの目線、説明、記述するので、これまでよりは読みやすくなるとは思いますが、高校も満足に出ていないので、基礎学力も足らず、文章のまずい点はひらにご容赦願います。一般に向けて、考えて頂きたいのです。本当にこれでよいのかと。


>No.13 死刑囚さま

 レス、まことにありがとうございます。ご指摘の点を留意し、改善、進歩できるように心がけてまいります。

No.14 廣野秀樹さん

>特定の事件の当事者ということですが、それもすべての刑事事件に当てはまるはずです。

あなたが大変な思いでご自身の事件に取り組んでおられることはよくわかります。でも、これはちょっと違うと申し上げなければなりません。
たいへんぶしつけな例えですが、あなたの件を光市事件に置き換えればこうなります。

この掲示板に、光市事件の被告人本人が裁判中に「私は本当に殺す気はなかったんです。モトケンさんは信じてくれますよね?」というコメントを書き込んでモトケンさんに意見を求めたとしたら、モトケンさんは実名弁護士として被告人に返事ができると思いますか?

あなたの書き込みはこれと同じなのです。
あなたが、自分に全く関係ない刑事事件を引き合いに出して論評し、モトケンさんに意見を求めるなら何の問題もありません。それはあくまでも外野にいる者同士の意見交換に過ぎません。はっきり言えば野次馬の雑談です。
でも、あなたが自分の刑事事件についてモトケンさんに意見を求め、モトケンさんがそれに答えたなら、モトケンさんも当事者になってしまうのです。モトケンさんはプロの弁護士として実名を出しておられますから、法曹関係者としてあなたの事件に介入したのと同じになってしまうのです。しかも、何らかの争点を抱えた案件ならば、なおさら慎重な対応が求められることはお分かりになるでしょう。

あなたは「公がまったく抜けている」とおっしゃった。しかし、事件の当事者になること、あるいは当事者と直接関わることで「公」が薄れてしまう面もあるのです。あなたは上のコメントでお母様のことに言及しておられますが、これは明らかに「公」ではなく「私」です。当事者の「公」にはどうしても「私」が混入します。モトケンさんはそれも避けたいのだと思いますよ。

母から生まれなかった者はいないというのはすべての議論において「公」理だと私は思っています。

>No.15 廣野秀樹さま

ご指摘の点を留意し、改善、進歩できるように心がけてまいります。(No.15)
 今後は、ブログにおいて、一般モードの目線、説明、記述するので、これまでよりは読みやすくなるとは思いますが、高校も満足に出ていないので、基礎学力も足らず、文章のまずい点はひらにご容赦願います。(No.14)

念の為、貴方のブログが「一般モードの目線・説明・記述になっていない」とか「文章が分かり難い」とかの理由で、コメントしづらいと申し上げた訳ではありません。

・貴方の側から見た事件の全体像に関する記述が見つけられない。
・貴方から検察庁へ提出した告発状の内容が、見つけられない。

つまり、「貴方の主張したい核心となる筈の内容」に関する記述が見つけられない、というのがコメントしづらい理由です。

どこかに掲載されているのかもしれず私の探し方が足りないだけかもしれませんが、とりあえず見つける事が出来ませんでした。
その周辺のこと(検察庁からの返事とか、周囲の反応とか)は書かれているのは見つけられるのですが…。

だから、「一般モードの目線・説明・記述になっているか」とか「文章力」などの問題ではございませんでした。

* * *

それから、上述の通り告発内容がよく分からないのでその根拠は確認できないながらも「何か告発するだけの理由があったのかもしれない」という姿勢で拝読していたのですが、「被害者の実名を公表することの方が、被害者やその家族の名誉の回復になる」という論理が分かりませんでした。
「被害者の実名を公表した方が、全体的に見て被害者やその家族の身の安全にもつながる」というのも、その意味を掴みかねました。

貴方の側から見た事件の全体像が分からないままなので、貴方が独断で被害者の実名を公表せねばならない特段の事情がある、という事も分かりませんでした。

特段の事情がなければ、被害者(女性)及びその家族のためには、独断で実名公表をされるというのは、差し控えられた方が宜しいと思われるのですが…。
別件ですが、「はっきりと圧力を加え始めたようです。」エントリのNo.71の中で書いたように、被害者への配慮という観点からは、特段の事情のない実名公表は被害者への配慮を欠くと受け取られてしまうように思います。

* * *

ご自身の事件を、刑事事件一般(公)の話として提起されるならば、とくに上記2点をご検討された方が宜しいのではないかと感じました。

本件については、これ以上のコメントは控えさせて頂きたく思います。
失礼致しました。

No.18 死刑囚さん

実は私も廣野さんのブログを読んだことがあります。その感想は死刑囚さんとほぼ同じです。内容のボリュームは大変なものですが、ネタバレを取り除いたミステリー小説のあらすじを読んでいるような隔靴掻痒の感があり、結局言わんとするところが理解できなかったのが現実です。

No.17 ぼつでおk(医)さん

たしかにおっしゃる通りです。
ただ、廣野さんが問題にしておられるであろう事件の事実認定に関して言えば、「お母様がおられること」と「そのお母様がご苦労されたこと」は、あくまでも周辺情報であって事実認定に資するものではない、と考えます。その意味で「私」と申し上げました。
生物学的な意味においては全く異論はありません。

私もこの件に関するコメントはこれで最後とさせていただきます。

皆様、コメントいただき有難うございます。色々と参考になりました。ミステリー小説みたいといえば、自分自身においてもそう感じることがあります。
 だいたい、このような情報を公開していながら、私はまったく何事もないように生活していること自体が不思議に思えます。
 被害者の実名公開については、特に重要な問題だと認識しておりますし、経過も具体的に書いてはいるはずなのです。しかし、ブログの難点の一つとして、過去記事の検索は容易ではありません。
 ポイントを絞って説明します。
 2006年の10月の初め、情報公開を続けるに当り、被害者の意志を確認しておくため、直接お会いすることを考えました。まず当時頻繁に電話をしていた検察庁の担当者に近日中に自宅を訪問することを伝えましたが、まったく問題なさそうな対応でした。
 当時のことは、
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20061003/1159867739
に書いてあります。
 その後、予期せぬ波乱の展開もありましたが、それも同じ10月中のエントリーに書いてあるはずです。
 事件から16年。事件に至る半年余りの期間、関係者との付き合いを含めるとさらに10年以上の期間に及びます。
 そのうちのほんの一部分がこの10月ですが、被害者の関係という点については、ほぼこの期間に集約され、そこから停滞状態が続いています。それ以前のいきさつにつきましても、当時、ある程度、一通りのことを書いたような覚えがあります。
 結局、明言は得られませんでしたが、それは事件を起こしたときの状況とも同じです。明言が得られない状況で、物事を説明するというのもとても難しいことだと、痛感しています。

 ところで、ホームページの読み方ですが、私の経験でも不思議なぐらい、使い方を理解されていない人が少なくないようです。大抵は、検索エンジンとリンクのクリックしか使っていない、ように思われるからです。
 そこで少しだけ説明をさせていただきます。特に私がメインにしている「はてな」のブログには特徴があります。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/200610
とブラウザのウィンドウメニューの2段めなかほどにあるURL欄に入力(普通はコピペ)して、Enterキーを押せば、直接そちらのホームページに飛びます。
 最初のhttpの部分が通信に使うプロトコルの指定で、これがhttpになっています。httpsだと暗号化された通信、他にファイルサーバへのアクセスであるftpなどがあります。
 次にhatena.ne.jpが、いわゆるドメインであり、これは固定されたIPアドレスに公的に割り振られた名前です。この名前解決を行うのがDNSサーバであり、運用上サブドメインを割り当てることが出来、それがはてなの場合dになっているようです。
 ドメイン名の次は/で区切られていますが、それ以降が、ディレクトリ構造になっています。
hirono_hideki/200610
hirono_hidekiというディレクトリがユーザ名に割り当てられ、以下にデータが格納されているのでしょう。
 200610の部分がファイルになっているのか、プログラムでその都度、データベースサーバに問い合わせ生成される仕組みになっているのかは、不明ですが、いずれにせよ、これで2008年10月に登録されたエントリが一覧表示されます。
 200810の部分もあるいはディレクトリになっているのかもしれません。一応明示されたhtmlファイルは、htmlという拡張子がつきますが、アクセスされたのが特定のディレクトリでファイル名が指定されていない場合、決まったファイルを読み出す設定になっているはずです。
 一番多いのは、index.htmlというファイル名ですが、index.phpとなれば、ほとんどはphpというプログラムを使って動的に生成されるデータです。
 いずれにせよ、出力されるのは単なるテキストです。
 テキストは書き換えも消去も簡単にできてしまいます。そして、オリジナルは通常世界で一つしかないはずです。オリジナルのファイルがサーバにあり、ブラウザがクライアントというかたちで、内容を読み出す形態と言っても言い過ぎではないように思われます。
 クライアント(サービス要求側)のブラウザにキャッシュが残っていない限り、サーバ(サービス提供側)とのデータは、常に同期状態であるはずです。
 私はサーバの勉強を始めた当初から、これは余り信頼性のおけない情報と感じました。
 そこで活用したのが電子メールです。これもテキストという点では同じですが、いったんサーバから飛び立てば、切り離された独自の存在になるはずです。100件に同じメールを送信すれば、まともに受信されたとして、100件のオリジナルが世界に生成されたことになるはずです。
 おまけに電子メールは転送も容易です。
 私は今週に入ってから、報道機関に対して同時にメールを送信するようにしました。ブログのエントリー投稿自体もメールで行っています。

 ところで今長い時間をかけ、少しずつこのコメントを書いていますが、ボツネタから、
http://blog.goo.ne.jp/j-j-n/e/bc1b91d517c4f84a13ae02fd3eb69432
を知りました。裁判官のネットワークらしく、以前にもこのサイトはみかけていたのですが、gooのブログになっていました。
 ネットの光と影についても参考になることが書いてありました。

 ところで、私がなぜ、自分のブログでなくこちらのコメント欄をよく利用してきたのか、お話しておきます。
 ミステリ小説というご指摘もありましたが、まずは読んでいただかなければ、理解にもつながりません。複雑怪奇と思われるかもしれませんが、さほど複雑な問題ではないと考えていますし、紐解いた説明を行っていく上でもこの度のようなご意見、ご感想、ご指摘は大いに参考になります。
 ところが「はてな」のブログの場合、意味のないコメントが殺到し、本来のコメント欄の機能が致命的とも言えるぐらいに阻害されています。
 それに、はてなでは、コメント投稿者のIPがメールで通知されるので、躊躇されるむきもあるかと考えられます。回避策として、たしか、はてなのユーザとして登録し、ログインした状態でコメントすれば、通知されるのもユーザ名だけになっていたように思います。
 実際、同じはてなの落合弁護士のブログのコメント欄でも、ブログを公開されていない人が、ユーザ名でコメントされているようです。
 それと、このブログでは医療関係の方の訪問も多いと読んだからです。精神鑑定を受けることになったことからも、いろいろと問題意識を持っているので、まずは問題をご紹介し、出きれば質疑応答もしたいと考えていました。
 私に言わせれば、精神的に問題のありそうな連中が束になって、策略を巡らし、その被害にあったはずなのに、立場がまったく逆転しているのです。
 被告訴人の中には、学校法人の理事長か代表者になった者もいるぐらいで、当事者である私にしても、ミステリーな部分が大きいのです。
 また、匿名性に関して言えば、金沢地方検察庁の捜査官質の室長のような人も、みずから名前を名乗っているぐらいですから、隠し立てするような意志も必要性もないはずです。
 南京事件のことは、私も少々知っていますが、似たような歴史上の問題は沢山ありそうです。
 私の事件の当事者も、そのような権力側の不当な弾圧を、印象づけたい狙いがうかがえましたので、対抗するかたちでも、具体的なことを書いてきました。
 検察の本来のあり方に立ち返っても、メリットが認められたように感じていますし、実際、容認されているはずです。
 被害者との仲介役のようなことをした金沢中警察署の警部補も実名を名乗り、「お前のホームページはよく見ているし、印刷もしている」と言いながら、問題視するような発言や、注意をするようなことは一切ありませんでした。
 ある意味、このような自由が今のところは、認められており、与えられていると考えられるのですが、これを権力とは反対側の立場から、捨て置き見向きもしないとうことは、据え膳を放置したのに等しいもので、同じ機会は再び巡ってこないかもしれません。
 いずれにせよ、31日の月曜日に、金沢地方検察庁に電話を入れるつもりでいます。検察の意志として伝わるものがあるかもしれません。前にも同じことがありましたが、アクセス数が少なすぎたので、一種のペナルティとして、説明を書くのをやめました。記憶の方も日々薄れて行くので、より正確には思い出せないことでしょう。
 根本的に履き違えているという反応も、未だに感じることがありますが、そうでもなさそうということも今回確認出来ました。
 一度には書けませんが、できる限りの説明を行ないますし、これまでとは異なる問題意識を持っていただければ、私としてもさらなる対応を講じさせて頂きたいと考えています。
 その際は、メールを活用することになると思いますが、EmacsのWanderlustがとても便利だということを発見し、その他Emacsについても、ブログでご紹介しています。
 Emacsは私の知る限り、見つけた中で、最強の情報ツールの一つです。決して無関係な事柄ではありません。
 なお、いまの刑事司法というのは、個別な個人を対象にしたものです。それが団体責任へと変貌する可能性がうかがえますが、検察がもっとも重視しているのも、この点にあると私は、感じています。
 その前に、一地方検察庁として、人員や予算の問題を危惧されていたようですが、私が検事総長に上申書を提出したことで、その辺は解決されたような雰囲気は伝わっています。
 事後評価では、まったく取り返しのつかない可能性があることを、改めてご指摘しておきます。全般的な弁護士としての負担の度合いも、大幅に変わってくるかもしれません。
 個別、個人の事件というレベルの域と解釈されれば、それまでで、警察に依存し、追従する報道機関という見方が正しいとすれば、これまた域を出ることはないでしょう。

 最後に、はてなのブログの日記内検索では、エントリ名は検索対象に含まれていないのかもしれません。

 いずれにせよ、私はこのブログで誰に対しても、明確な回答を求めているわけではありません。自分のブログのアクセス数の少なさから、前提が整っていないことを憂慮してきた次第です。
 観客がいないのに、舞台の幕を開くことが出来ないという意味です。主権者である国民や、法律の専門家、未来の法曹を担う方々を含め。

話が全くエントリと関係のない方向に行っているので戻します。

指針はまず、裁判員の能力や負担を踏まえて刑事訴訟規則に新設された「証拠厳選」の規定に絡み、「厳選しなければ裁判員を誤った判断に導くおそれが高い」とその必要性を訴えている。
これ,本当なのかなぁ。 ちゃんとアンケート取ったりして,検討しているのですかね。

罪体に関する証拠であれば,多角的かつ慎重に証拠を検討したいというのが普通のような気がしないでもないですが。

悪性立証や余罪の証拠を厳選するのであれば,大歓迎なのですけどね。

>No.21 ぷり(駆け出し弁護士)さん

 「裁判員の能力」を踏まえて、というのはやっぱり裁判官よりは(一度に多数の証拠を判断する)能力が劣るというのが前提なんでしょうね。

 でも、常識的つまり一般市民的感覚では、証拠は多いほうが確実、と思わないですかね。 

「厳選しなければ裁判員を誤った判断に導くおそれが高い」

 これの具体的な状況が想定しにくいんですが、どんな場合なんでしょ?

> 最高検の方針転換は、まったく不十分と見るべきか、方向性を誤っているのいずれかだと思います。

に関連して、述べたつもりなんですが、少し具体的なところに踏み込むと、

>話が全くエントリと関係のない方向に行っているので戻します。

ですか、いまさら蒸し返すつもりはありませんが、やはりいろいろと疑問が大きいです。

>裁判員の能力
なんて、言葉をみると、白けてバカらしく、関わりになりたくないという気持ちも十分理解できます。

No.10 惰眠さん

亀レスすみません。
やはりそうなるでしょうね。
「あるのに出さない」という事実が何を意味するのか、それを考えられないほど裁判員が愚かなはずがありません。あるいは、愚かだと思いこんでいる人が最高検に多いのか・・・。

私としては、自白調書がどうこういう以前に、検察での取り調べ内容がマスコミにダダ漏れになっている現状をどうにかすべきだと思うのですが。本来なら、供述内容は公判まで一語一句公にならないはずではないのですか? 公判で調書を出そうが出すまいが、「自白した」という情報が先に世間に流布してしまえば、そこに予断が生じるのは必然でしょうに。

>自白調書も厳選

 どころか、以前は白紙調書という問題もあったはずです。検察としても、警察の取調べを余り当てには出来ず、全面的な責任は負いかねるということなのかもしれません。
 検察は、人員的予算的に、警察より大幅に劣るようなので、捜査に依存せざるを得ない部分もありながら、しっかりチェックもするということのかもしれません。
 確か志布志事件でも、そのような検察のチェック機能に、批判が出ていたと思います。

 都会のことはわかりませんが、地方都市では、検察と警察署の数と建物を比較しただけで、大体の規模の違いもうかがえます。

No.22
記事から推測するに、次のような発想では?
(1)自白調書はある。
(2)その内容は正しいのだが(検察としては)、任意性を争われている。
(3)その状況下で説明した後撤回すると、嘘or弁解に聞こえる可能性あり(そんなはずはないのに、という思いがある)。
(4)それが客観証拠に与えるマイナスの影響は大きい。
(5)それならいっそのこと客観立証に徹して自白調書にこだわらないのが得策。

実際に落合ブログではそんな評価(任意性に問題があったから撤回した)をしていましたし、違法or不当な捜査(認定の有無によるでしょうが)の量刑への反映と同じ論理で影響を与えるのもこれありで、おそらく、(3)(4)辺りのことですかね。

>No.26 psq法曹さん

 正直言って分かったような分からんような話ですが(^^;

 (殺人事件の)自白調書に限って言えば、最終的には検事が作るんですから、請求しないほうが得策になるような調書を作るなと言いたいところです。

 自白調書が作成されたかどうかは検察官が請求しなくったってわかることですから、自白調書があるのに請求しないということは、惰眠さんが指摘しているように思いっきり印象が悪くなるんじゃないでしょうか。

No.27
もともとが今までの発想と違うので(変なので?)、そりゃそうですが、とか言えませんね(^^;

No.10のような弁護側主張は、公判前整理手続で(出さないことで)解決済みであり、それを法廷で述べることは「証拠に基づかない弁論・意見」ということで防げるし削除できると思っているのかもしれません。
ぺロッと不規則発言すればおしまいですけどね。

>No.28

>もともとが今までの発想と違うので(変なので?)、

 たしかに(^^;

 じゃあ、今までなんで苦労して自白調書をとって、さらに苦労して任意性立証をしてたんですかね。
 自白がなければ有罪に持ち込めない事件だったからだと思うのですが、そんな事件は無理して起訴するなということでしょうか?
 人が2〜3人殺されていても。

モトケン様

私もよくわからないのですが,「争点」とは関係のない余計な事項が出ることでの混乱をおそれているのではないでしょうか。

ふむふむ。
最高検としては、証拠(少なくとも自白調書)の証拠力の認定には市民感覚を反映させるつもりはない、という事でしょうかね。

残るは、量刑の判断に市民感覚を反映させるつもりなのでしょうか?

模擬裁判に関する記事で、有罪と判断された被告人の身元引受人がいる事が、裁判員にとっては「加害者だけ出所後幸せに暮らすのは許せない」として量刑を重くする要素になったそうですね。(それをモニター越しに見ていた検察官や弁護士たちは、「これまでの我々の常識とは違う」と驚いていたとか。)

やはり厳罰化の流れなのでしょうか。
オーバーサンクションになるのは心配です。

>No.30 ぷり(駆け出し弁護士)さん

 う〜ん、どうなんでしょうね。

 いずれにしても最高検の発想は本末転倒みたいな気がしてなりません。

 難しい事件というのは、できる限りのことをやって、精一杯立証するしかないんですから。

No.32 モトケンさん


難しい事件というのは、できる限りのことをやって、精一杯立証するしかないんですから。

そうなんですよね。必要な証拠であれば,多くてもかまわないと思います。
そして,弁護士はそれに対して色々と弾劾したりして争う,と。

最高検において,証拠の厳選が
1 真実解明に役立つのか
2 被告人の利益にかなうのか
3 そもそも裁判員は証拠の「厳選」を望んでいるのか
を精査する視点が欠けている気がします。

もちろん自白調書がなければ立証できないという事件は、これまでどおり自白調書の取調べを請求すればよいはずです。要は、これまで、自白調書がなしで立証できるような事件でも、自白調書があるのであれば自動的に全部証拠調べを請求して、任意性が争われれば任意性の立証をしてきたことに問題があるのではないでしょうか。自白調書がなければ立証できないという事件が本当にどれくらいあるのか、実はそれほどないのではないかと思っています。警察、検察がなぜ自白にこだわるのか、それは事件の立証に絶対必要である場合があるほかに、被疑者の更生に資するはずだという思いからのはずで,それはそれで素晴らしいことですが,事件の立証には必要でないような調書まで、いちいち法廷で任意性の立証をするのは無駄なはずです。

>No.33 ぷり(駆け出し弁護士)さん

最高検において,証拠の厳選が
1 真実解明に役立つのか
2 被告人の利益にかなうのか
3 そもそも裁判員は証拠の「厳選」を望んでいるのか
を精査する視点が欠けている気がします。

視点がずれています。
弁護士資格をお持ちの方がご存じない筈がないと思いますが、弁護人が専ら被告人を防御するのが努めであるように、検察は被告人の有罪を立証するのが努めです。

検察が欠落させてはならない視点は
1.「真実」など解明されなくてもいいが「有罪」は立証できるのか
2.検察は被告人に「不利益」を課す合理的根拠を提示できるのか
3.厳選によって裁判員に有罪の心象を与えることができるかどうか
です。

もし仮に、反対のことを弁護人に突きつけられても、ぷり(駆け出し弁護士)さんはそれを是として受け入れますか?
つまりその弁護活動は
1.被告人無罪を勝ち取るためではなく「真実」を解明することに資するか
2.犯罪者を処罰するという公の利益に資するか
3.そもそも「犯罪者」の弁護を「世間」は望んでいるのか
・・・安田弁護士、足立弁護士を初めとする光市事件弁護団に向けられた「非難」の言葉ですよ、これは。

それらを是として認めるとおっしゃるのなら、つまり「弁護人も被告人を処罰する片棒を担ぐべきだ」との論に賛意を表明なさるのならば、職分の則を越えて検察が「被告人のためにならない」ことをするのはおかしい、というような語主張に対して「視点がずれている」と指摘したことは、撤回させていただきますけども。

No.35 惰眠さん

もう一度検察官の責務についてちゃんとした本を読んでから書き込んでください。

それから,
1.被告人無罪を勝ち取るためではなく「真実」を解明することに資するか
2.犯罪者を処罰するという公の利益に資するか
3.そもそも「犯罪者」の弁護を「世間」は望んでいるのか
これについては話になりません。
私の話をどうねじ曲げれば,こうなるのでしょうか。

このエントリにおける私とモトケンさんの問題意識(あくまでコメントのやりとりに限ります。また,問題意識がそもそも本当に一致しているかは別ですが。)を正確に把握していればそのような意味不明なコメントはしないはずですが。

文脈ぐらいよく理解してから書き込んでください。

>No.36 ぷり(駆け出し弁護士)さん

光市事件の被告人弁護団が突きつけられた「世間からの非難」を再掲しただけなんですが、理解できませんでしたか?
これから裁判員になって被告人に捌きを言い渡すことになる「世間一般」は、あの事件で刑事弁護にどういう目を向けたのか、もう忘れちゃったんですか?

刑事事件裁判と言うのは「真実」を解明するためのものなんですか?
「事実」を認定し、認定された「事実」に基づいて法的措置を講ずるものなんじゃないんですか?
光市の事件で世間一般が口にし被告人と弁護団を糾弾するのに持ち出した「真実」はどんなものだったか記憶にありませんか?

検察官は、起訴した被疑者に法的「不利益」となる刑罰を科すべく立証に努め、弁護人は被告人の「利益」を守るべく公判に臨むものなんじゃないんですか?
弁護人が「真実」究明のために被告人不利の弁論をすることが職責に背くがごとく、検察官が「真実」究明のために「被告人の利益にかなう」(適法手続きとは違う意味でですよ)ことをするのは職責に対する背信行為じゃないんですか?

まさかと思いますが、検察官が被告人に対して「法的不利益処分」を求め、その実現のために努力すること自体が「人権侵害のケシカラン行為」とか思ってないでしょうね?

昨今の風潮でとりわけ神経を尖らせなければいけないのが何か、あなた分かってないんじゃないですか?
被告人(日本の有罪率に鑑みれば多くの場合「=犯罪者」)に対し、ほとんど抹殺同然の扱いをしてでも「社会防衛」を実現したいと言う空気が強まっていることに気づきませんか?

そうした流れに対抗しなければいけないときに、いつまでも「国家権力との対決」だの「検察の横暴」だの「警察の人権侵害」だの言ってて、通用してますか?
全然してないでしょ?してないどころか、そういう主張自体が、ものすごく不人気でしょ?
同じ傾向のお仲間内とばっかり付き合ってて、いかに不人気になっているのかにも気づいていないんですか?

あなたも最前線の実務家なら、このことに危機感を感じてください。
カビの生えたスローガンにいつまでもしがみついてないで、リアリスティックなカウンター・ロジックを提示して見せてください。

毎度毎度「あなたは不勉強」だの「批判がずれてる」だのとヒステリックで幼稚な反応しか返ってこないことに、ひどく失望させられます。

>No.37 惰眠さん

 概ね正しい認識と理解だと思いますが、やはり

検察官が「真実」究明のために「被告人の利益にかなう」(適法手続きとは違う意味でですよ)ことをするのは職責に対する背信行為じゃないんですか?

 ここは少なくも理念的には間違いです。

 検察官には「客観義務」というものが課されています。
 わかりにくい言葉ですが、私は、検察官には(弁護人と違って)客観的公正さというものが求められているという意味だと理解しています。
 実際は違うぞ、という突っ込みが弁護士各位から多数飛んできそうなんですが、理念的にはそうです。

 その表れとして、レアケースですが無罪論告をすることがありますし、情状面の事実なら、弁護人が怠慢な場合などにおいて、検察官が被告人に有利な情状の立証を促したり、また立証することは珍しくありません。

 最近の若い検事については、客観義務というものを考えていないのかな、と感じることがありまして心配しているのですが。

>No.38 モトケンさん
ご指摘ありがとうございます。
無罪論告の事例等があることは知っていてわざとネグりました、済みません。
不正確承知で客観義務を無視したのは、このことに触れると「だったら弁護士にも『真実』究明のために『被告人不利』の弁論を義務付けないと『不公平』だ」と言いたがる人たちを喜ばせるだけだと思ったからです。
ま、やっといて言うこっちゃありませんが、インチキはいけませんですね。

ただ客観義務のことに関して思うのは、それも含めて検察側には「不利益処分を下すに必要十分な合理的根拠の提示」が求められている、という受け止めです。

いずれにせよ、ふたこと目にはすぐ『人権』の「切り札」を切りたがる人たちに強く認識を求めたいのは、今その戦場は、背後からも弾丸が飛んでくる二正面作戦を強いられているんだということです。

対「国家権力」戦線では、向こうにゃ憲法の縛りがあるから、まだ「人権」カードはいくらか有効に作用しえますけども、対「善良な世間の常識」戦線では社会防衛と人権を天秤にかけたとき「人権?犯罪者に?無辜の市民にリスクを及ぼしてまで?そんな人権なんてクソ食らえ」であり、かつ「善良な市民の平穏な生活を不安と恐怖に陥れる『人権派』は市民の敵である」という状況になっていることを、どのくらい自覚しているのか。

対コッカケンリョク最終兵器の「人権」を発動すればするほど背後からの攻撃が苛烈になることに、そしてこのままではいずれ孤立無援となりかねないことに、どれほど危機感を抱いているのか。

遮眼帯を付けられた競走馬のように、視野に入る「国家権力」相手のことばっかり気にしてりゃいい時代じゃないことを認識していない無邪気な正義感は、むしろ危険です。
と言うか、公権力を相手にした闘争は、現状維持でもいい。「人権を楯に社会の安全を脅かす連中を排除しろ」というがごとき世間の声に、どれだけ有効に反論できるか、そっちにもっと気を配るべきでしょう。

こっちの戦線で敗北したら、正面からも一気呵成に来ますからね。有権者国民の支持に後押しされた正当な法改正手続きに則って。

ぷり(駆け出し弁護士)さまと惰眠さまの会話が噛み合っているのかどうか私にはよく分かりませんが(よく知らない事が多いので)、

ただ、それとは別に、No.35 惰眠さまのコメントは建前論ではなくて、現状(と思われる状況)の上に立って述べておられるのかな…と思いました。
あと、No.39を拝見して、昨年、懲戒制度について調べている時に読んでいた下記の文章を思い出しました。

今から約40年程も前に、将来的に刑事弁護への無理解が起こり得る事とその懸念を、鋭く指摘しておられる方がいらっしゃいました↓

もっとも、わが国の刑事訴訟は、完全にアメリカ法化したわけではないので、かの地で感じられているような「困惑」は、わが国では現実のものとなっていない。日本の刑事訴訟は、いわば初期当事者主義の段階にあるといえる。しかし、今後、当事者主義の理念が刑事手続きの深部にまで及んでゆくにつれて、弁護人の活動はますます積極化する反面、弁護人の使命に関する矛盾が表面に現れてこないわけにはゆかないだろう。この矛盾は、刑法の任務が、国家治安の維持から市民的安全の保護へと重点を移すに従って、一層明瞭なものとなる。この傾向が徹底すれば、刑罰権の実現に対する抵抗は、もはや実体法の側面では正当化されず、手続きの領域においてだけ正当化の理由を見出すことになるだろう。そこでは、弁護士は、祝福されざる戦士として、しかも最後の審判に至るまで自己の任務を遂行しなければならない。その苦悩をやわらげるためには、弁護人の使命に関する正しい認識を、法律家はもちろん、広く一般国民にまで浸透させる必要がある。

法曹倫理 第2版 (有斐閣)で紹介されていた、松尾浩也著 「弁護人の使命」同『刑事訴訟の原理』(東京大学出版会,1974)30〜35頁 (論文初出は1966)より)

懲戒請求騒動の件は象徴的な出来事だと思うのですが、少なからぬ一般国民の刑事弁護への理解が乏しいこと(中には無理解)が判明しましたが、この状況下で、市民が裁判員として、事実認定・量刑判断を行い、重大事件の被告人を裁く事になるのですね。

ある報道番組では「厳罰化の声も国民の感覚であれば反映すべきなのかもしれない」という趣旨のことを述べていました。(永山判決を見直すべき時期に来ているのかもしれない、というようなコメントでした。)
それも一理あるのかもしれませんが、個人的にはオーバーサンクションになるのではないかと思い、懸念しています。
ただ、私にも何が良いのか、よく分からなくなって来ました…。

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