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ニアミス事故、管制官に逆転有罪判決(asahi.com 2008年04月11日20時48分 ウェブ魚拓
「もう管制できない」ニアミス逆転有罪、現場に衝撃(asahi.com 2008年04月11日23時24分 ウェブ魚拓

 以前からの読者の皆さんにはタイトルだけで十分かと思いますが、

 今回の事故は、同省航空・鉄道事故調査委員会の報告書でも、システムの不備や運用の不徹底など複数の要因が指摘された。こうした状況を踏まえ、一審・東京地裁は、個人への刑事責任追及は「相当でない」としていた。

 高裁判事には過失犯処罰の目的と判決の影響についてどのように考えているか聞いてみたいところです。


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コメント(46)

こういうのを司法ファッショというのでしょうか。

システムの不備のカバーを人間に求めるのは間違っています。
この場合、装置や管制用語だけでなく、一人の人間の処理能力を超えた数の航空機を飛ばす、とか、少数の人間に多くの航空機の管制を任せる、という運用の部分も「システム」に含みます。
人間はもともとミスをしやすいものです。ですから個人の目標として「ミスをゼロにしよう」と思うのは当然です。しかし、多くの人命にかかわるようなシステムでは「人間はミスをするもの」という前提に立ち、そのミスをカバーできるようにしておかなければなりません。システムに、人間のミスをカバーできないような「不具合」があればそれを修正するために、「何が起こったか」をはっきりさせることが必要です。記事にもあるように、そのためには個人の免責も必要でしょう。個人のミスをあげつらうだけでは、処罰を恐れた個人が自分のミスを隠したために「ケーススタディ」のためのデータが残らず、後で同じようなミスが原因の大事故が起きた、なんて事はざらにあります。

現在では、管制官の指示とTCASが異なる指示を出した場合、TCASに従うことが国際的にも明確なルールとなっている。管制官に異常接近を知らせるシステムの不備も解消されている。

これだって、ミスをカバーするために立てられた立派な対策で、「空の安全」が確実に進んだ例、だと思います。「管制官がお粗末」だからではなく、「状況によっては管制官もミスをする可能性がある」からこのように決められたのでしょう?
システムが複雑になって、ちょっとしたミスが大事故につながるようになった現代では、「犯人捜し」(含:スケープゴート探し)よりも「再発防止」の方が優先する、と思います。

角を矯めて牛を殺す
を地でいったようなものでしょう。

私は、この手の事件では、パイロットも含めて、起訴するよりも原因の究明と再発防止を図った方が良いと思っております。

ただし、今回のケースでは、幸い、死傷者が出なかったので、良かったですが、仮に死傷者が出た場合、世論は免責で納得するか…という疑問が残ります。

このほか、どのような事案で、どこまで免責するのかという、合意を得るのが大変なような気がします。皆さまのお考えはいかがでしょうか(特に自動車事故の場合が、難しそうですが)。

No.4 Feriさん、
>仮に死傷者が出た場合、世論は免責で納得するか…という疑問が残ります。

そんなもんほっといていいんじゃないすか?

高裁判決も、個人のミスとシステムの不備が相俟って接近事故に至ったことは当然の前提にしており、システムの不備は量刑において斟酌されているわけですから、今回の判決について「責任の全てを被告人だけに押しつけた」などと見るのは些かヒステリックな曲解であり、間違いでしょう。

また、ミスの程度や原因によっては個人責任の追及もやむなしということなのであれば、システム型の事故であっても、個人に対する捜査や裁判が行われること自体はやむを得ないでしょうし、結果として有罪の判断をされることがあっても、そのこと自体を不当とはいえないでしょう。

「システム上の不備も相俟っていることを考えると、個人に課せられる刑事責任が厳重に過ぎ、バランスを欠くのではないか」という批判ならよく分かるのですが、「そもそも個人責任の追及自体が誤り」というのは、結局、「ふざけた態度で重大なミスを犯し、多数の死者を出しても絶対に免責する」ということになるわけで、極論に過ぎるように思われます。

ところで、「便名を言い間違えて、本来とは正反対の指示を出す」というのは、ミスとしてどの程度のものなのでしょうか。

No.6 (ただいま謹慎中)様
仰ること、よくわかります。
ヒステリックになっていたつもりはないのですが、そう読まれても仕方がないかもしれません。
事故原因が本当に「個人のミス」なら責任は追及されるべきでしょうが、(定められた手順を守っていなかったとか、ふざけた態度で勤務していたら、それは「ミス」ではなく「故意」のレベルでしょう)例えば、紛らわしいところに相反する2つのスイッチがあってそれを押し間違えた時に「ミス」した人間だけを責めるわけにはいかないのではないでしょうか、ということです。むしろ、その人間がなぜ「ミス」をしたのかを追求し、「ミス」を起こしやすい設計にも問題があった、とするほうが現実的ではないでしょうか、ということです。10人中9人は正しいスイッチを押しても1人が押し間違えたせいで重大事故が起きたら、それはシステムの欠陥だと思います。
私が言いたかったのは「誰がミスをしたのだ?」ということより、「なぜそんなことになったのか?」を真剣に追求する方が「再発防止」の目的に合致しているのではないでしょうか?ということです。そのために個人のミスを免責にした方がよいなら、そうしても良いのでは?と思うのです。
ですから、例えばわざと事故を起こすために違うボタンを押したとか、これを押したらどうなるのかな?という好奇心でボタンを押して事故になった、という場合は当然免責の対象にはならないと思います。

立法措置で免責規定を設けるのはいかがでしょうか。

No.7 通行人1さん
>10人中9人は正しいスイッチを押しても1人が押し間違えたせいで重大事故が起きたら、それはシステムの欠陥だと思います。

医療事故はもっときびしいですよ。10人中8人正しいスイッチが押せれば、間違えたやつは有責です。

>>No.9 うらぶれ内科さん
>10人中8人正しいスイッチが押せれば、

日本の検察や裁判官の「期待権」(笑)容認の考えでは10人中5人くらいじゃないですか。

No.10 ぼつでおk(医)さん

でも福島事件が有罪になったとしたら、まさに万が一、すなわち1/全産科医数の確立のミスでも有罪になります。
(スレ違いなので以後引っ込みます。)

No.9 うらぶれ内科様
No.10 ぼつでおk(医)様

ありがとうございます。
なるほど、お医者様の世界も大変な世界ですね(≧▼≦;)
でも、ミスを完全に防ぐことは無理でも、ミスが大事に至らないようにする、フェイルセィフやフールプルーフの考え方って必要ですよね。飛行機の世界も医療の世界も(もしかしたら他のところでも)現場に負担がかかりすぎているように思います。

>>No.11 うらぶれ内科さん
>スレ違いなので以後引っ込みます。

んじゃNo.11に同意の私も(笑)。

No.7 通行人1さん

 No.6の私のコメント中、「ヒステリック」云々というのは、通行人1さんのコメントを対象としたものではありません。申し訳ありませんでした。

 不可避的に発生するヒューマンエラーを前提に、それが生じても事故に繋がらないようなシステム設計を指向すべきことについては同感です。

 ただ、「個人の責任を問うこと」は、決して「システム上の問題を無視して、個人に責任の全てを押しつけること」ではないのですが、ここをやたらと意図的に結びつけたがる人がいるのが不思議です。

 個人を被告人とした裁判をしようが、その判決がどうであろうが、システムを再検討して再発防止を図ることは可能だし、現に行われていますので。

 もちろん、原因究明による再発防止を極端に重視すれば、予め個人の免責を約束して調査をするのがよいわけですが、その場合、調査の結果として「故意や悪意に近いような極めて重大なミス」が判明しても、その個人の責任は問えないことになります。個人への責任追及を強く批判する立場の方は、この問題に対する答えを用意すべきだと考えます。もちろん、「二日酔いとか携帯のメールが原因で最も基本的な手順に反した場合であっても免責で仕方ない」と割り切るのも一つですが。

 なお、現行の法制度でも、個人というよりはシステムに問題があったとの判断によって、個人の責任追及はしないという選択肢はあります。端的には起訴猶予処分がそうですし、システム上の問題を量刑の減軽事由にすることも、広い意味ではそれにあたるでしょう。

No.14 (ただいま謹慎中)様

了解いたしました。
ただ、言葉足らずでしたね。(^^;
すみません。
「マッハの恐怖」を読んで以来、やたら現場に責任を押し付けるような話に敏感になりすぎているのかも知れません。このような巨大システムのなかでは「大事(原因究明と改善)の前の小事(責任者?・担当者?-つまり故意ではなくミスをした人-の免責)」という考え方もありかな?と思っております。

No.14 (ただいま謹慎中)さん
>もちろん、原因究明による再発防止を極端に重視すれば、予め個人の免責を約束して調査をするのがよいわけですが、その場合、調査の結果として「故意や悪意に近いような極めて重大なミス」が判明しても、その個人の責任は問えないことになります。

結局トレードオフになっているわけで、どっちがメリットが大きいかということでしょう。前者については外国の事例を参考にしながら、実際にやってみなければわからないんではないでしょうか。

No.16 うらぶれ内科さん

仰るとおりです。

個人に免責を保障して原因を追究すべし、という内容の法案が成立すれば、当然、それに従って事故の処理と検討がなされるべきでしょう。

しかしながら、そのような法律が存在しない現状では、公訴が提起された以上、裁判所としては個人の過失責任を判断せざるを得ないわけで、その結果としての有罪判決に対し「個人の責任を追及するなんてナンセンス」と批判しても仕方ないだろうと思います(なお、無罪とした一審判決は精査していませんが、個人責任の追及自体が不当としたわけではなく、個人の責任があり得ることを前提に、本件の証拠関係では過失を否定したに過ぎないものと思われます。)。

要するに、「個人責任の追及と、その免責による事故原因追究のどちらにメリットが大きいか。どちらを優先すべきか」というのは、法廷ではなく、国会でなされるべき議論である、ということかと。

同感です。

>>No.17 (ただいま謹慎中)さん
>無罪とした一審判決は精査していませんが、個人責任の追及自体が不当としたわけではなく、個人の責任があり得ることを前提に、本件の証拠関係では過失を否定した

おっしゃるとおりだと致しますと、2審ではなにか新たな証拠提出があって1審の証拠関係が逆転したのでしょうか?
というのは、1審と2審で証拠が同じなら違う法律があるわけじゃないですから判決も同じはずですからね。

最近は医者や管制官のミスには同情が集まるようになったようですが
であれば他の職業でのミスにも寛容になって欲しいですね。
同じことですからね。

>>No.20 FXさん
ミスに寛容になるという表現は漠然としすぎてここの議論向きじゃないような気がしますね。て、私だけかも(笑)

私はなぜ逆転有罪になったのかだけに興味があります。
というのは刑事裁判ですから裁判員裁判と同じであり、裁判員は判決量刑を裁判官の指導を受けて執行する立場であるから、2人の異なる刑事裁判官の判決が逆であるなら刑法上納得できる理由を知らなければ、裁判員裁判で安心して裁判官の審理指導を受けて判決量刑することができないことになるからです。

>No.20 FXさん
結構重要なご指摘だと思うです。
医師が・・・とか管制官が・・・とかではなく過失犯そのものが現在曲がり角にきているような気がします。漠然とですが。
ま、とはいえ一朝一夕に大規模な改正の方向へいくとは思えませんが

目指す方向は、「業務上過失致死罪の廃止」ということでどうでしょうか。

全ての、専門職(医師、管制官だけでなく、設計士や教員)が、過度のコンプライアンス遵守を強いられており、それによる、社会的コストの上昇や、士気の低下は、最早無視できないレベルに達していると思っています。

明らかな故意が認められるようなケースならまだしも、人間と複雑な機械(システム)のかかわりの中で起きた事故で「故意」と「過失」の境界を決めるのは難しいでしょうね。車なら免許を持ち、普段運転しているのである程度判断できるつもりですが、飛行機や原発などの巨大なシステムをちゃんと理解するのは本当に難しそう・・・。それにマニュアル(設計側)が想定していなかったような事故が起きた時の判断も難儀ですネ。責任を問われるべきな誰なのか・・・。
善悪の判断に苦しむような裁判の裁判員にならずにすむように祈るしかないように思います(><)

No.23 田舎の消化器外科医さん

>目指す方向は、「業務上過失致死罪の廃止」ということでどうでしょうか。

理屈の上ではとにかく世界的に見ても「全廃」はさすがに無理だと思いますが、話にならないのが日航123便事故の経験が全く活かされていないように見えることです。

日航123便事故(御巣鷹の峰・ジャンボ機墜落事故)の原因は間違えなく、以前の尻もち事故を修理したボーイング社・社員の修理ミスにあると思っていますが、本当のところはどうして分解墜落に至ったのか判っていません。

アメリカが証言すると有罪では証言させられないとしたからで、法律(過失傷害罪)の構造が「証言すると不利になる」であり「不利な自白はしなくてよい」なのですから、事故の証言を当事者がしない方向に向けているわけです。

これでは社会的コストという観点からいえば、事故防止には逆行しているわけで、交通事故などだと「とりあえず運転手に責任が無いことはない」、ということから現実は「全責任を運転手に負わせる」となっているのが現実です。
(東名足柄SA付近の死亡事故など)

そこで、妥当なのは「事故原因の究明に資する証言があれば、刑事責任を完全免責に至るまで段階的に軽減する」と法律を改正するべきでしょう。

No.25 酔うぞさん

>理屈の上ではとにかく世界的に見ても「全廃」はさすがに無理だと思います

素人考えですが、

業務上過失致死罪が廃止されても、重大な過失がある場合は、重過失致死傷罪の対象になりますし、故意の事故は殺人罪や傷害罪が適用されると思います。

刑事免責と引き換えに、個人や、法人の行政責任及び民事責任は、しっかり引き受けて頂くことになります。

交通事故に関しては、自動車運転過失致死傷罪と危険運転致死傷罪を整理して、軽過失は刑事免責とします。

業務上過失致死傷罪の書類送検が無くなれば、検事の仕事が減りますから、その人員を、「運輸安全委員会」や、「医療事故調査委員会」に参加していただいて、重過失致死傷罪等、刑事訴追に相当するか、意見を出せるようにすれば良いのではないかと思います。

裁判所の負担も減り、交通刑務所が不要になり、検察審査会も実質不要になります。

医療崩壊の次は航空崩壊

航空業界は、医療界に先行して、責任追求型の対応でなく、原因分析・再発防止・エラーレジスタント・エラートレラントの取り組みを行ってきたが、この判決で、これまでの取り組みも水泡に帰す可能性が出てきた。

空の安全が確保できなくなれば、航空路・空路輸送という、最も基本的な公共インフラが崩壊する。それは医療とは別の切り口で、国の有り様を変えてゆくであろう。

司法が、実は、ヒトによって成り立っている公共インフラの崩壊を進めていることが今回の判決で明らかになったことは極めて重要であるとともに、遺憾の極みである。

この国の今後を憂うものである。

 今回の事故は特殊だと思います。ヒューマンエラーを防ぐ(回避する)フェイルセーフシステムの最後の砦であるTCAS(ACAS)を破壊する誤指示を管制官が出したのですから、この限度で重過失だと思います。
 バックアップやフェイルセーフ(フールポリシー)を歪めて自壊に導く「誤指示」は、コールサインの読み間違いや回避指示の遅れという「よくあるうっかりミス」とはわけが違うと思います。
 定期航空操縦士は「航空管制官の指示は絶対(神の声)」として高速ジェットを運航して多数の乗客の命を預かって操縦しているからです。

>>No.28 ハスカップさん
のコメントを拝見して先の開かずの踏み切りで遮断機をうっかりあげてしまった誘導員の「ミス」を連想しました。
最後の砦をキャンセルしていたという点が同じですね。
あの事故の後最後の砦の接近検知警報のスイッチをオンにしたら同種の事故は防げたでしょうがそうすれば文字通りの「開かずの踏み切り」となって今度は道路が道路としての機能を失ったことでしょう。
ゆえにあの踏み切りは事故を防ぎかつインフラとしての価値を保つために立体交差に造り替えることになったのではないでしょうか。現場技術者の運用の過失というよりシステムそのものに欠陥があり、踏み切りシステムそのものの改善が必要だったということになるでしょう。
この管制ミス事故にも同様のことがいえないでしょうか。
すなわち普段の管制において最後の砦TCAS(ACAS)を切らなければ離発着が裁ききれないほどの過密さが常態として業務にあったかどうかを語ることなしに重過失であると断定するのはいささか躊躇われます。

私はこれは日本の文化だと思います。事故が起きたら個人の責任を追求しなければすまないという文化です。事故の原因究明・再発防止によって得られる利益と、個人の責任を追求して得られる利益を比較するという発想はありません。また、個人の責任を追求することによる利益と不利益を比較するという発想もないようです。航空機事故と医療においては、刑事罰を適応することによる利益よりも不利益の方が遥かに大きいと日本以外の国では考えられていますが、日本ではそのように考えられていません。どうして管制官と医師は特別なんだとい議論になってしまいます。司法取り引きも日本の文化には馴染まない気がします。

>No.29 ぼつでおk(医)さん
 裁判記録を見てないので正確なことは言えませんが、当時のマスコミ報道を見る限り、通常の混雑で、回避するのは普通の管制官なら普通にできたと思いました。陪席(上席)管制官が2度ほどミス(コールサインの読み間違い、回避指示の遅れ)を指摘して注意を促していたくらいですから。
 遮断機UP事件を言えば「安全はすべて(道路効率等)に優先する」という安全標語を墨守した方がよかった事案で、こっちの方が問題だと思いました。

No.30 通りすがりの者さん

私はこれは日本の文化だと思います。事故が起きたら個人の責任を追求しなければすまないという文化です。

極端な例を言えば、スイスのスカイガイド社の件では管制ミスをした管制官が、遺族の手で殺されました。また、アメリカでは医療過誤をした医師の場合、懲罰的損害賠償を課されるケースもあると伺います。

個人責任を追及するのは、日本以外の国でも同様だと思います。日本の場合は刑事罰を持って責任を追及する傾向があるのに対し、アメリカの場合は民事によって責任を追及するという事なのではないでしょうか。

>>No.31 ハスカップさん
私も裁判記録を見ていませんが、過失責任がより大きいと認定されたのは2人のうち陪席(上席)の方のほうなのでしょうか?

遮断機UP事件は最近立体交差化される予定というニュースを見ましたので、墨守だけでは事故が防げないと関係者が判断したのだろうと考えました。フェイルセーフとして設置されていた機構が現実の要求に対して機能不足であったということではないかと解釈しました。であれば過失責任をすべて踏み切り誘導員の人一人に負わせるのではなく、そういう欠陥のある踏み切りシステムしか用意していなかった関係組織体も過失責任を分担してしかるべきではないかと考えた次第です。

>>No.32 しまさん
>アメリカの場合は民事によって責任を追及するという事なのではないでしょうか。

大野病院裁判の関連でクローズアップされた無過失補償制度は医師側の民事責任においては懲罰的損害賠償をも受容しようという意思表明であると思います。
それは医療行為がすべて他者に対する傷害行為であるからです。

>No.33 ぼつでおk(医)さん
 私もシステムのオペレータだけに刑事責任を負わせるのは正面切って賛成できませんが(人間工学や安全工学を学んだ者として)、他方で、刑法の個人責任主義の大原則を揺るがすことは出来難いという面も理解しています。不備なシステム管理者やシステムそのものに刑事罰なりなんらかの法的サンクション(法的ペナルティ)が与えられたらと思うくらいです。
 その意味で三菱重工脱輪事故やパロマガス事故は現場の修理オペレータよりも管理監督者の刑事責任が主として問われた点は評価して見守りたいと思います。
 私も「マッハの恐怖」から安全工学や人間工学の道に入った者ですから感慨はひとしおです。

>No.33 ぼつでおk(医)さん

無過失補償制度とは、たとえば脳性麻痺症例に関する裁判などでの、「可哀想だから、病院側は泣いてやれ」的なイカ〇た判決の乱発とそれによる現場の混乱に対する、現実的な解決策であると理解されていますので、

> 無過失補償制度は医師側の民事責任においては懲罰的損害賠償をも受容しようという意思表明であると思います。

 とは、残念ながら誠に的外れと存じます。

無過失補償制度の話はそもそもトピずれですからいまはヤメテおきます(笑)。

ここに関連する疑問としてNo.21に書いた如く、どういう事実審理の結果2審で逆転有罪になったのかについて、将来の裁判員(笑)に対して解説していただける御仁はおられませんでしょうか?

> No.4 Feriさん
亀レスで申し訳ありません。
仮に、罰したとして安全は確保できるでしょうか?答えはNoです。
科学的には免責と言うより、再発防止が大事だと言うことです。処罰はケースバイケースですが、再発防止よりも優先順位が低い。
しかし、今の法的システムでは犯罪として処罰してしまうことになるわけです。それを改める必要があるわけです。
世間が黙っていないという理由で罰則を優先されたら、管制官なんてやってられない!ということになります。
こういった論法は欧米では常識です。日本はまだまだ感情論が優先されているようです。だからメンタルな意味でいつまでたっても後進国から脱せないのです。

>>No.38 yamaさん
>今の法的システムでは犯罪として処罰してしまうことになる

それを可能にしているのが、業務上過失裁判において検察による控訴が認められている現行司法制度でしょう。
新たな証拠もなしに1審で行われた事実認定に不満があるというだけで検察に控訴を許していれば、検察は処罰することだけが目的で起訴しておりますから裁判所が最終的に過失有責判決の自動販売機と化してしまうのは理の当然です。

このように、検察の刑訴法の運用解釈にこそもっとも大きな本末転倒の誤りがあると思います。
なおかつ業務上過失と窃盗や殺人の刑事犯罪との間の本質的違いをも検察は現在自ら区別できていないのでしょう。

>このように、検察の刑訴法の運用解釈にこそもっとも大きな本末転倒の誤りがあると思います。
なおかつ業務上過失と窃盗や殺人の刑事犯罪との間の本質的違いをも検察は現在自ら区別できていないのでしょう。

素人の私ごときが、出しゃばることを言うようで恐縮なのですが、この事案はある種、医師の方にも当てはまるような気がしてきました。

>再発防止が大事だと言うことです。

ということから考えれば、過失は問わないから、真実をすべて語らせた方がいい時が、医療現場でもあるんだろうと・・・。
そうしないと、

>世間が黙っていないという理由で罰則を優先されたら、管制官なんてやってられない!ということになります。

の、管制官の部分が(医師)と当てはまる。
医師の方々にはある意味大変失礼な事を申し上げてしまっているかも、申し訳ありません、それにエントリとずれたコメントで失礼致しました。

本件が、医療の件と重なるという趣旨のご指摘は、私ももっともだと感じました。
医療訴訟の件で過失概念について調べていた際に、「因果関係と過失処罰の克服」(吉岡一 男著)(下記に一部抜粋)を読みましたが、司法側からも、同様の懸念を持ち、理論的な面から問題提起されている方がいらっしゃるようです。

 問題事象の予防・統制の観点からは事実プロセスについての法則的理解が不可欠であり、複雑な人身事故等では関係者の協力を得た発生メカニズムと関連要因の解明が再発防止のためにも望まれる。過失処罰など行為者の責任を問う体制の存在はこの事態解明にとって阻害要因となりうる。警察などによる犯罪捜査としての活動は、責任を負うべき者でもある当事者の警戒を惹起し、十分な情報収集を困難にする側面をもつ。故意の犯罪の多くと異なり、過失犯罪は行為者本人にとっても何らのメリットもないものである。本来であるなら、過失事態は、行為者など関係者にとってもその発生を防止することこそが利益となり、事故原因究明作業への参加・協力が期待できるものである。犯人処罰・責任追及のために、真に必要な原因の解明と対策が放置されていないかは常に注意を要する。原因解明と責任追及の背反という隘路を克服するには、過失事故と思われる事態の解明にあたっても、責任者の処罰につながる犯罪捜査機関ではなく、専門的知識を有する中立的機関を考えることができる。当事者の供述内容が後の刑事責任追及等に使われないことを保障するには、手続き的な免責の制度も考えられる。当事者による協力の確保には民事責任も隘路になるが、この点は保険などによるカヴァーが考慮に値しよう。事故に責任を負う者による原因調査への真摯な協力・参加こそ、生じてしまった(犯罪評価も不可能ではない)事態の事後処理・回復にとって大きな意味を持つ。これによって責任の大半が果たされるという評価もできると思われる。以上から過失犯の成立範囲を限定する理論構成の実質的妥当性が帰結しよう。

ところでこの2審は時期的に見て1審と違って裁判に被害者が出席して意見陳述できる制度が始まってから以後に公判が行なわれたのでしょう。
2審公判で被害者の意見陳述は行なわれたのでしょうか?
それを2審で行なうということを理由に検察が控訴したのかな?

唯一過失があっても処罰されない職業。それは裁判官。

そういうミスリードはちょっと…
と、一応ツッコミ

他のブログでもよく見かけるのですが、管制官の言い間違いがあまりにもお粗末なミスだった。プロとして如何なものか?というものです。以前、日本人の文化と申し上げましたが、ここにも日本人特有の精神論が見られます。ようするにたるんでいると。ところが、ミスとはそういうものなのです。何でこんな勘違いをしたのだろう。ミスを犯した本人も不思議でしょうがない。結果の重大さのみを重視して、これは犯罪だとしてしまえば、確かに裁判になれば有罪でしょう。でも刑事事件にすべき問題でしょうか?遺族(家族)の処罰感情は満たされるという利益はありますが、これから飛行機を利用するであろう多くの国民に利益はあるのでしょうか?不利益はないのでしょうか?重大な結果をもたらすが故に、どういうミスが起きやすいかを解析して再発防止に役立てる方が理にかなっているのではないでしょうか?医療事故?医療紛争でも同じことが言えると思います。民事責任までも免責にしろとは誰も言っていません。刑事責任を問うのが適当かと言っているのです。刑事裁判では無力な個人が国家権力と立ち向かわなければなりません。
たとえ無罪となっても社会的に抹殺されます。そして誰もいなくなるのです。

世間は専門的なことを全く論じず、正しいことを論じず、感情論で訴える傾向がありますからね。
何が正しいことなのか、それは(初めのうちは)専門家しか解りません。素人で解ろうとすると大変時間がかかります。このブログの住民の方々はそれを身をもって知っていると思います。
専門家を軽視する傾向が日本にはあると思います。あるいは専門家と偽って実は素人であったり、ただの批評家であったりします(マスコミが率先して専門家と偽らせていることもあります)。良くないことです。

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