エントリ

http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY200804150225.html

 政府は15日、市民が刑事裁判に参加する裁判員制度を始める日を来年5月21日と定める政令を閣議決定した。施行日以降に起訴された殺人などの重大事件が対象になる。初めての裁判員裁判は、早ければ来年7月末に開かれる見通しだ。
| コメント(92) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.yabelab.net/mt4/mt-tb.cgi/4216

コメント(92)

>国民の参加意識が高まっていないことなどを配慮し、裁判員法で定められた期限ぎりぎりまで準備期間を確保した。

最近の問題としての「後期高齢者医療制度」の周知徹底不足と同じ轍を踏まないようにしてもらいたいものです。
スタート時期が決まった訳ですから(まだ閣議段階ですが)、NHKあたりで毎日裁判員制度の番組でもやってもらいたいです。
私はいろいろな意味でそれ程重要な事だと思います。

本当に広報し、裁判員となり得る国民の理解をとりつける気があるならば、嫌味や皮肉ではなく(念為)、psq法曹さまが仰られた「裁判員制度導入の意義が分かるという大学24回分2単位分の講義」(でしたっけ?)をネットで無料公開して欲しいです。
(たしか京都大学でもyoutobeで一部講義を無料で公開してましたよね。)

元アイドルの出る広報ドラマを作るのも良いですが、ドラマはイメージが先行してしまう事もあると思いますし、何よりもっと詳しく突っ込んだ内容を知りたいのでした。

質問の回答を待っていても憶測しても不毛なんで、裁判員制度理解のため調べてはいます。でも、刑法、刑訴法、憲法、基礎法学についてもある程度調べないといけない事があるんで、独自で調べるのはあまり効率は良くありませんし、書籍代も重んで来ています(>_ ネットも利用していますが、詳しい内容が書かれていそうだと思うと、裁判員反対者のページだったという事が多いのですよ…。

…とこちらで投稿する内容でもありませんが。

(どこに投書すれば良いのでしょうかね…法務省?政府?最高裁?あたりでしょうかね?アホですいません。)

最近の問題としての「後期高齢者医療制度」の周知徹底不足

「後期高齢者医療制度」の元である老人保健法(保険に非ず、保健です)は、平成13年に大改正されて、それまで70歳以上を対象者にしていたのを、5歳引き上げて75歳から対象にしました。(施行は平成14年10月より)

ところが、その改正がまだ充分に定着していないうちから老人保健制度の見直し機運が盛上がり、75歳引き上げ改正からちょうど5年後の平成18年6月に、老人保険法は根本から作り直されて後期高齢者医療制度が生まれ、平成19年10月から施行のハズでした。ところが19年夏の参院選挙で老人票が逃げるのを恐れた安倍政権が、半年間の先送りを急遽決めた為に、この平成20年4月からの施行となりました。

これに比べれば、平成11年以後の審議会準備から始まり、審議会などでの制度議論に5年掛け、平成16年の国会での裁判員法案可決から施行が5年後という、都合10年がかりの準備期間というのは、社会保険制度の改変からみれば、大変丁寧で時間を掛けた準備作業と思います。社労士の自分から見れば大変羨ましいリードタイムの長さと、国民への広報や説明の手厚さです。

>社労士の自分から見れば大変羨ましいリードタイムの長さと、国民への広報や説明の手厚さです。

リードタイムはともかく、「広報や説明の手厚さ」は皮肉ですか?本気ですか?

民間企業の事業であれば、これだけリードタイムもらっておいて、この進捗状態では、即刻、顧客様から切り捨てられているだろうと、常々思っておりました。

私としては皮肉を書くつもりはないのですが、裁判員制度について書こうとすると皮肉めいた(?)コメントになってしまうのは、状況に問題があるせいだと思います。

法務業の末席さま
医療制度との比較のご教授ありがとうございます。

>これに比べれば、(中略)大変羨ましいリードタイムの長さと、国民への広報や説明の手厚さです。

確かに以前から他でも、法務業の末席さまからは色々な情報をいただいており、私自身としてはかなり参考になっているのですが、未だ私の周りでは制度の存在すら知らない者もおりまして・・・、また在籍中の会社も対応については一切従業員へは知らしめておりません、また死刑囚様のように>裁判員制度理解のため調べてはいます。でも、刑法、刑訴法、憲法、基礎法学についてもある程度調べないといけない事があるんで、>というように、もっと深く勉強していきたい、という方々が、ネットは殆ど見ないという人たちの中にもたくさんいらっしゃるのではないかな?という思いでの先のコメントとなりました。

> No.2 死刑囚さま

放送大学で、鬼澤友直氏(最高裁判所事務総局刑事局総括参事官)の、裁判員制度に関する「テレビ特別講義」なるものをやってましたよ。

参考URL
http://www.u-air.ac.jp/hp/program/nenkan/bangumi_1/sp_tv_syakai.html

時間が限られているので、
「裁判員制度導入の意義が分かるという大学24回分2単位分の講義」
とまでは至らず、内容のボリュームとしては、にはこのブログをご覧になっている方なら
「全部知っているよ」という感じのものでしたが。

>死刑囚さま
>○さま

社労士の自分から見れば大変羨ましいリードタイムの長さと、国民への広報や説明の手厚さです。
これはリクツではなく、心の中のホンネです。朝令暮改、泥縄式対応、の社会保険政策のヒドさは、実態を知らない人(特にマスコミ人)には想像もできないでしょう。

なにせ4月1日から始まる制度の説明が、社保庁の本庁から全国の社会保険事務所に宛てて、3月31日の深夜11時頃に専用データ回線で通知されるのが常態ですから。マスゾエが国会の廊下で何か言ったという新聞記事が出るたびに、何も知らされていない社保事務所の窓口に、開庁時間前から年寄りが詰めかける世界です。事前に何度も模擬裁判というシミュレーションを行えるというのは、社会保険行政の現場から見れば信じられないくらいの「ゆとり」です。

ただし、国民への広報や説明の手厚さの度合いと、国民が制度を理解して我が事として真剣に受け止めてくれるかは、別の評価があるでしょう。手間暇掛けた通りに結果は比例して来ないし、時間を掛ければ良いという単純なことでも無い。それは率直に認めます。

ですが、裁判員制が基本的人権に絡む重要問題であると同時に、国民全員が老後をどのように食っていけるか(生活できるか)という現実を担う社会保険制度も大問題である、このように政治も、行政も、国民も、皆が均しく思って頂けると嬉しいのですが・・・。

この時間も、障害厚生年金の請求を相談してきた64歳の学歴のない年寄りに、小難しい役所用語を一切使わないで「アンタの障害程度では年金はムリだ」という厳しい現実を説明する報告書を書いている、食えない社労士の愚痴だと思って下さい。

>No.6 かじさま

ご紹介有り難うございます。
是非再放送を観てみます。
(次の放映はGW中なので観れなかったとしても、7月にもあるから有り難いです。)

再放送:「変わる刑事裁判〜裁判員制度〜」 
5月5日(月曜) 8時15分
7月22日(火曜) 9時

 当初の設計はともかく、様々な立場の色々な方達が、(後付けでもいいから)当該制度に対してどのような意義や可能性を見出していらっしゃるのかという事にも、少し関心が向くようになりましたので、興味深いです。

* * *

 余談ですが、当該番組に対する説明には「国民の多くが関心を持つ裁判員制度」と書かれていましたが、どうなんでしょうね。少なくとも、私の周囲の人達はさっぱり(関心なし)ですが…。

 講師の方は、「最高裁判所事務総局刑事局総括参時官」という立場の方なんですね。講師の方のお名前でネット検索した所、「国民の感覚を反映して、法律家も変わる時」という記事を見つけましたが、

法律家がどこまで国民の皆様の顔を見て変わっていけるか、ということが試される制度だと思います。

と書かれていました。その後の説明によると、「法律家の国民に対する説明責任」に関連する事のようです。
あと、「国民(裁判員)が、社会のあり方や社会における自分の位置を改めて見つめ直すよい機会」とも書かれていました。

 もし意義が主にこの2つならば、国民を裁判所に呼んで審議に参加させ事実認定と量刑判断をさせないと、出来ないことなのだろうか?という気がしてしまうのですが…。
 番組内では他にもどんな意義が挙げられているのか、また、もっと詳しく説明されているだろうと思いますので、確認してみたいと思います。

No.7 法務業の末席さま

わざわざ、ホンネを聞き出す形となり申し訳ありません。

>社労士の愚痴だと思って下さい。

なんとなく、そんなニュアンスは感じておりました。

>基本的人権に絡む重要問題であると

まさしく、私もそこら辺が一番この制度に於いて重要だと思っていました。

>No.6 かじさん
放送大学の「テレビ特別講義」を私も偶然目にしましたが、
なんかお役所広報っぽいなー、と思いました。
裁判員制度導入の意義について、
本来裁判官の判断への不信感がある国で導入された制度であり、
裁判への不信が余りない日本で取り入れる意義はないかもしんない。
でも、刑事裁判への国民の理解を得るという点では、意義はあるよね。
と、とってつけた感があることを言っていたのが、正直だなーと思いました。

ぶっちゃけ、犯罪なんて「ふつー」の人にとって一生関わらない可能性も高いものをなぜ理解させなくてはならないのか
よくわからないんですが。
心のケアが必要かもしれないほどシビアな物見せられるかもしんないのに。

>No.7 法務業の末席さま

お返事ありがとうございます。
本音でしたか…(汗。

これはリクツではなく、心の中のホンネです。朝令暮改、泥縄式対応、の社会保険政策のヒドさは、実態を知らない人(特にマスコミ人)には想像もできないでしょう。

はい…、今回はじめて制度設計の過程の詳細を追いかけたのですが、その中でふと、
「他の制度などでも、見解が纏まらなかったりしたら、纏まらなかった事を『骨太』等と称して法案を通しちゃってるんだろうなぁ…。」

と、薄々感づき、他の案件の実態も調べねばならないと思っておりました。
また、裁判員制度以上に、もっと拙速なものもあるのでしょうね。
社会保険制度についても、もっと関心を持つようにしたいと思います。

この前の「コンピュータのせいじゃないでしょすぎず」エントリにてコメント頂いた際、社会保険労務士は、国民に身近な法律家なんだな・・・と思いました。(気持ちを分かってくれているというか・・・。)
素晴らしいお仕事だと思いますので、無理しすぎずに頑張って下さい。
(最後、私信のようになり、失礼致しました。)

ちょいズレです。
 裁判員制度を控えてということですので、
現状でも不可思議な勾留がされている事実がまた浮かび上がりました。

『東京高検 が上告断念 無罪後拘置のスイス女性』 2008年4月15日 20:13 東京新聞

覚せい剤取締法違反(密輸)などの罪に問われ、1審で無罪となった後も拘置され続けたスイス国籍の女性(28)を再び無罪とした東京高裁判決について、東京高検は15日、「憲法違反などの理由がない」として上告を断念した。
無罪が確定する。
女性は昨年8月、千葉地裁で無罪判決を受けたが、不法残留状態になっていたため、検察側は控訴する一方で強制送還を防ぐ目的で再拘置を求め、認められた。 弁護側は不服を申し立てたが、最高裁でも昨年12月に退けられ、拘置が続いていた。

裁判で不法残留状態に。こんな方法で拘置され続けるんだ。

確か、

最高裁判所 裁判員制度 資料集 よると

罪名別に見た対象事件数(平成15年から18年まで)
↓(PDFファイルです)
http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/04.pdf

によると「覚せい剤取締法違反」事件も裁判員制度の対象です。

 どうなっているでしょうか、検察も裁判所も!
 なお、スイス人女性、弁護人側の主張ですが・・・。

 触れるのを躊躇しましたが、参考に!

>>No.12 cocoroさん
裁判員裁判は1審でしょうから無罪判決のほうに関与しただけでしょう。
問題は検察の刑訴法の運用にあると思います。
1.検察が提出した証拠が1審の事実認定で無罪判決の根拠であるから、検察は新たな証拠がない限り控訴できないはず。控訴自体できないのに控訴することを唯一の理由に拘留を続けたことは明白な人権侵害であり、外国籍の人物の人権侵害は国際問題になるでしょうね。それに1審で提出した証拠で控訴するということは司法軽視というか司法を無視していますね。
検察は刑訴法を憲法より上位の法だとでも思っているのでしょうか。裁判所もこういう検察の明らかな刑訴法の濫用にほんとうに気がつかないほど愚かなのか知ってて気付かない振りをしているのか?
裁判官や検察の順法意識がこの状態では、国民に判決させる裁判員制度を今のままの裁判に導入したところでまともな裁判になるはずもなく、裁判そのものの権威がますます失われるだけでしょう。

司法制度改革とはなんでしょうか?
三権分立を確立することなくして裁判制度だけ弄りまわしても何の効果もありません。
司法の独立のため最高裁裁判官から行政官出身者を排除すべきです。
金融政策の独立のため日銀総裁や日銀中枢に財務省天下りを配する人事を禁ずるべきであるのと同じように。
これがいま裁判員制度よりも日本に必要な司法制度改革でありましょう。コストも比べ物にならんほど安く済みます、最高裁の人事規定を数人ぶん変えるだけですから(笑)。

>No.12 cocoroさん
>No.13 ぼつでおk(医)さん

このスイス人女性は、1審の途中で在留資格期間(ビザ期間?)が切れて、不法残留の状態になったと記憶しています。

たとえ記事裁判の被告人として審理中の身であっても、現行の出入国管理の法令上は、不法滞在者であれば国外退去(強制送還?)の対象になるのではないでしょうか。ただし、被告人として拘置されていれば在留資格切れでも強制送還の対象にならない。違ったでしょうか?

強制送還の前歴者リストに載ると、日本の入管では何年間(10年?)か再入国を認めない規定になっていたと記憶しています。その為、1審の途中で在留資格が切れた時点で身柄を拘置しないと、強制送還されて再入国出来なくなって、被告人が不在で公判が維持できない。
そうしたことから止むを得ず職権で拘置したものと聞いてます。

検察が刑訴法を恣意的に運用したケースではないと思いますが・・・。
(仕事の途中ですので、取り急ぎ)

某電力会社OL殺害事件での、ネパール人被告人男性も地裁で無罪判決が出たのに高裁の判断で勾留が継続されましたっけね。

彼の場合は入管難民法違反で強制送還が確定的な状況下で、このときも裁判所は有罪を前提にしている、処罰の確保が目的の不当な勾留だ云々の非難を弁護側が行い、また実際、最高裁まで争って無期懲役が確定している(いまは再審請求中だったかな?)わけですが。

>>No.15 惰眠さん
ご紹介の事件のように、地裁の判決(=司法判断)が検察や実際に審理していない高裁によって完全に無視されていますね。
国家機関が率先して裁判所の判断を無視するようでは、民間のホテル業者が裁判所命令を無視しても当然でしょうね(笑)。
裁判員はこんなふうにすぐ無視される1審の判決をやらされるわけですから、まことにばかばかしくてとんとやる気も出ませんね(笑)。

>No.16 ぼつでおk(医)さん
横レス失礼します。
ぼつでおk(医)さんが現在の司法制度に強い不満をお持ちなのはよく存じておりますが、最近の氏の発言には些か理不尽なものを感じます。
根拠薄弱な陪審制の喧伝もそうですが、上記の御発言についても、当然御存じではありましょうが、我が国の裁判制度では三審制を採用しており、下級審での判決に不服があるなら、相当の証拠を提示することで上級審の判断を仰ぐことが可能となっています。
そのような事実があるにも関わらず、断定口調で
>ご紹介の事件のように、地裁の判決(=司法判断)が検察や実際に審理していない高裁によって完全に無視されていますね。
と言われるからには、それなりの根拠を示す必要があるのではないでしょうか?

>>No.17 感熱紙さん
ご指摘の二つの裁判とも本件に関しては検察が出してきた証拠を1審裁判官が審理した上で刑法に照らして無罪と判決したものでしょ。不法滞在は本件と別に起訴なり審判されるべきものであって、1審の本件判決が検察の予想と異なって無罪となったのは、刑事裁判官が起訴事実を審理した結果検察の提出した証拠が法に照らして有罪であるとするには不足であったからでしょう。
無罪とされた以上控訴して同じ罪で有罪を求めるためには1審で提出した証拠以外の新たな証拠が必要ではないですか?すなわち検察が司法判断に従うなら無罪判決が出た以上、新たな捜査無しにおなじ容疑で身柄を拘束しつづけることはできないと思いますが?
そして検察が控訴するにしても法治主義を標榜するなら身柄はいったん釈放すべきだと思います。追加捜査で新たな証拠が得られた時点で再度拘束すればよろしい。
その場合たとえ釈放中に出入国法という規定があって被告人の刑事裁判が中断するようなことになるとしても、証拠無き拘束はやってはいかんでしょう。
法治主義国家で法律を守るということはそういうことであると思います。

さらに申しますれば、No.12 cocoroさんご紹介の記事(『東京高検 が上告断念 無罪後拘置のスイス女性』 )では1審刑事裁判は中断することなく1審判決無罪の司法判断が出ていますね。
これに対して検察は、司法による無罪判断は間違いである、我々検察はおなじ証拠で有罪と判断した、よって控訴すると言っているも同然なわけですが、これはすなわち地裁判事個人の事実認定能力と審理能力を無いに等しいものと宣言することと実質同じと思います。まあこれは私の解釈ですがどこが違うのか間違いがおわかりなら是非ご教示ください、といっても検察現職のかたに訊かねばわかりませんでしょうが。

さらにこちらの事件では高裁も検察の言い分を丸まる受け入れているようですけど(笑)。同じ裁判官なのに地裁判決のほうが検察の判断より信用できなかったのでしょうか?このへんの事情も知りたいですけど、現職裁判官は現職検察官よりもさらにいっそう事情を明かさない職業ですから、たぶん誰も知ることはできないでしょう。新聞記事から推測するだけですね(笑)。

No.18 ぼつでおk(医)さま

無罪とされた以上控訴して同じ罪で有罪を求めるためには1審で提出した証拠以外の新たな証拠が必要ではないですか?

不要です。
全く同一の証拠であっても、別の裁判官が見れば、その評価が異なることはありえます。
控訴審の裁判官が独自に証拠の評価をし、その自由心証で一審と異なる事実を認定し、異なる量刑をすることは、何ら禁止されていません。

そして、検察が一切新証拠を追加しなかったとしても、一審無罪の事案について控訴審で有罪判決がなされることも、同様に何ら禁止されていないことになります。検察側の控訴が許されている以上。

>>No.19 fuka_fukaさん
そうなんですか。
では裁判員制度で1審判決量刑を仰々しく裁判員にさせる意義は那辺にあることになるのでしょうか。

>No.18 ぼつでおk(医)さん

>これに対して検察は、司法による無罪判断は間違いである、我々検察はおなじ証拠で有罪と判断した、よって控訴すると言っているも同然なわけですが、

基本的にはそのとおりです。
「同然」ではなくて、控訴趣意書には「原判決(一審の判断)には誤りがあるから破棄されるべきである。」と書きます。
ただし、検察は控訴審で何らかの補充立証ができる見込みがないと控訴にはとても消極的です。
補充立証ができることが控訴の要件ではありませんので、控訴審で常に補充立証が行われるというわけではありませんが。

>これはすなわち地裁判事個人の事実認定能力と審理能力を無いに等しいものと宣言することと実質同じと思います。

そこまで言っているわけではありません。
検察官の主張は、地裁の裁判官の判断は誤っている、というにとどまります。

ミスを犯した医師というのは、診断能力も治療技術も皆無だ、いうわけではないでしょう。

>No.20 ぼつでおk(医)さん

>では裁判員制度で1審判決量刑を仰々しく裁判員にさせる意義は那辺にあることになるのでしょうか。

実は、一審を裁判員裁判で審理された事件の控訴審でどのような審理を行うか、ということが大問題なのです。

最近その関係の記事がasahi.com にあったのですが、取り上げる前に消えてしまいました。

三浦和義氏がサイパンで逮捕されたときに二重の危険の法理が言われて、ネットでみると、検察官控訴自体が憲法39条違反という話がありました。

Wikiによれば最高裁判決で検察官控訴自体は憲法違反ではないとのことです。

アメリカでは検察官控訴は認められないとのこと。理屈的には、ぼつでおk(医)さんの意見は理解できるのですが、実務的には受け入れられないようです。

皆様たくさんコメントくださいましてありがとうございます。勉強になります。これもすべて感熱紙先輩がコメントお寄せくださったおかげとお礼申し上げます。

折角の機会ですのでもう少し追加質問させてください。
No.19 fuka_fukaさん、No.21 モトケン先生ご教示の点について。
私が考えていたのは、刑事裁判で検察が控訴できるのは量刑不当の場合だけではないかということです。無罪判決は検察の捜査そのものが負けと法の審判者である裁判官に判定されたことに他なりませんから、裁判官を変えろとばかりに控訴しても刑法はひとつしかありませんから、論理的には有罪無罪の判決はくつがえるはずがない理屈です。有罪無罪を争って控訴するなら新しい証拠が無ければ一事不再理に反するのではないでしょうか。
ちょうど野球の試合で一方のチームが試合中の審判の判定が気に入らないから審判を変えろと主張するようなものではないでしょうか。野球はルールがあるからこそ試合が成立すると言うのに、それをききいれればルール無き試合と化し勝敗を決する意味など皆無になってしまうでしょう。それと同じことのように思えます。

No.25 ぼつでおk(医)さま

論理的には有罪無罪の判決はくつがえるはずがない理屈です。

誤解です。
「事実認定」 という概念、あるいはそのプロセスについて根本的に誤解があるように思います。

無罪判決は検察の捜査そのものが負けと法の審判者である裁判官に判定されたこと

にはなりません。

医療に置き換えて考えてみていただければと。
同じCT画像や同じ心電図を見ても、医師によって見立てが異なることは往々にしてあるはずです。
経験年数や専門が違えばなおさら。
エビデンス自体はまったく同一物でありながら、見る人の脳内では違ったストーリー、違った映像が浮かび、その脳内に浮かんだ心象風景に従って、人はそれぞれ「判断」を下すことになるわけです。

裁判所は、勝ち負け(だけ)を宣告するわけではありません。
証拠を検討して事実を認定し、
認定した事実を法にあてはめて、
そのあてはめた結果を裁判(判決)として宣告するのであり、
「勝ち負け」は結果に過ぎません。

認定された事実が異なれば、その結果である有罪・無罪が異なることは当然ありえます。

医師Aが「この患者はインフルエンザだ(である可能性が高い)」と診断しても、医師Bがまったく同じ記録を見て、「いや、インフルエンザではなくウイルス性心筋炎だ(である可能性が高い)」と診断することは、十分ありうることであり、何もおかしくないと思います。

一審と控訴審の違いも同じようなものです。
「控訴審ではインフルエンザ以外の診断を勝手に下すことは許されない」といったような縛りは、法的にも理念的にも、かけられてはいません。


立法論としては、量刑不当のみ上訴を許すという折衷案はあまり意味がなく、単に検察側の上訴を不可とする、というほうが素直だと思います。
(私見としては検察上訴禁止案の積極的推進者というほどではありませんが、十分ありだとは思っています)

>最高裁判決で検察官控訴自体は憲法違反ではないとのことです

ネットでみたら昭和25年の判決のようです。昔だからといわけではないのですが、弁護側としては検察官控訴自体を憲法違反だと主張し、最高裁判例の変更を求める作戦も可ではないかと。

補足

有罪無罪を争って控訴するなら新しい証拠が無ければ一事不再理に反するのではないでしょうか。

日本での控訴審は、「事後審」 と位置づけられています。

同じ証拠関係を前提に、後から、一審の事実認定および法解釈が妥当であったのか否かを検証するという手続です。

控訴審段階での新しい証拠の提出は、建て付け上は、むしろ例外という位置づけになっています。


「一事不再理」 ないし 「二重の危険」 については、一審と控訴審でも、別の裁判所に複数回裁かれることになるんだから、抵触するという意見(学説)も現にあります。
が、実務上は、「確定するまでは一つの手続」 であるから、「再理」 「二重」 にはならない、ということで固まっています。
(違憲の主張が許されないわけでないことは当然ですが、仮に主張しても認められる可能性は現実的には限りなくゼロに近い)

ぼつでおk(医)様、法務業の末席様、惰眠様、感熱紙様、fuka_fuka様、モトケン先生、YO!!様
皆様、論議を膨らまして頂きありがとうございます。

 躊躇しながら、コメントさせていただいたのは、「死刑」「無期懲役」になるような犯罪は、被告人が頑強に控訴拒否しない限りは、弁護人が控訴も勧めると思います。
現実的に、裁判員はかえって評議がしやすいのではと考えています。
 まだ、控訴審について高裁の裁判官でも「まさに手探りだ。」ということですね。モトケン先生。

 しかし、「覚せい剤取締法」違反は、初犯の場合など、一審のみで確定する可能性が高いと思いますので、テーマにさせていただきました。

入管法のについては、 法務省 入国管理局
在留資格の変更,在留期間の更新許可のガイドライン

在留資格の変更及び在留期間の更新は,法務大臣が適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り許可することとされており,この相当の理由があるか否かの判断は,専ら法務大臣の自由な裁量に委ねられ,申請者の行おうとする活動,在留の状況,在留の必要性等を総合的に勘案して行っているところ,この判断に当たっては,以下のような事項を考慮します。  ただし,以下の事項のうち,1の在留資格該当性については,許可する際に必要な要件となります。また,2の上陸許可基準については,原則として適合していることが求められます。3以下の事項については,相当性の判断のうちの代表的な考慮要素であり,これらの事項にすべて該当する場合であっても,すべての事情を総合的に考慮した結果,変更又は更新を許可しないこともあります。 1・行おうとする活動が申請に係る入管法別表に掲げる在留資格に該当すること 2・入管法別表第1の2の表又は4の表に掲げる在留資格の下欄に掲げる活動を行おうとする者については,原則として法務省令で定める上陸許可基準に適合していること 3・素行が不良でないこと 4・独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること  他
一審(地裁)無罪で検察が控訴した場合は、 ガイドラインの「3素行が不良でないこと」により、在留資格の変更及び在留期間の更新は、法務大臣がしないため、検察及び裁判所は奥の手を使ったようですね。 しかし、控訴審(高裁)で無罪となり、検察が上告断念し、無罪が確定した時点で、弁護士の協力のもと「在留資格の変更及び在留期間の更新」の申請や、無罪による権利回復、名誉回復の訴えで不法残留は解消されなければならないと思いますが、

追記:中山隆夫裁判長は「知り合いから預かったスーツケースの中身を知らず、覚せい剤を持ち込むという認識があったとは認められない」と述べ、無罪とした一審・千葉地裁判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。
   今月9日の二審無罪判決を受け、入国管理局の施設に収容されたが、身柄拘束期間は平成18年10月の逮捕以来約1年半にわたった。スイス人女性は15日午前、自費で出国したという。
 帰っちったんだ。

控訴されることが前提であれば、死刑や無期懲役についても、評議をしやすいかもしれませんね。

一方、それは「どうせ最終判断ではないし」という感覚に繋がり易いように思います。

公判前整理手続きや、二審以降で裁判をやり直してもらえるという担保がある中で、文字通り「形だけ参加」にならないといいですね…。

>No.30 死刑囚様
 地方裁判所では、裁判官がいかに裁判員に事実認定、罪状等を理解させるかがポイントとなると思います。
 そこで、一般市民にも現実の犯罪に向き合う機会を与え、しいては、裁判官の技量も上がる。
・・・というのが、理想ですかね。

 6割程度が仕方なく参加ですから、過度の期待はしないほうが良いのでは。
 なかには、一般市民でも手ごわい方もみえますので、侮れませんよ。

>No.31 cocoroさま

 地方裁判所では、裁判官がいかに裁判員に事実認定、罪状等を理解させるかがポイントとなると思います。
この部分は、やはり教育目的なんでしょうね。
 そこで、一般市民にも現実の犯罪に向き合う機会を与え、しいては、裁判官の技量も上がる。 ・・・というのが、理想ですかね。

正面からのご回答ありがとうございます。

この制度設計過程も、制度の内容にも色々不備があると思われますが、言われるままに出頭してくるだけの市民ならば、評議においても積極的に取り組むのかどうか、疑問を感じています。

その前に、本制度については、そもそも市民に理解させるつもりがないような情報量で、馬鹿にされているようにすら感じています。

 6割程度が仕方なく参加ですから、過度の期待はしないほうが良いのでは。

私は、過度の期待などはしていませんよ。
むしろ、「国民の感覚を裁判に反映させる」というのは、お飾りで、茶番劇だと思っているのですよ。(繰り返しになりますが…。)

そのむかし、YUNYUNさんだったと思いますが、どの裁判官でも、同じ証拠を見せれば、同じ結論を出す、とおっしゃってました。
上告審での逆転は新しい証拠が出た場合である、とも。
案外、そうでもないってことですね。

>>No.26 fuka_fukaさん
コメントありがとうございます。ちょっと書き掛けでPC離れていたのでリロード無しの遅レスですみません。

刑事裁判すなわち犯罪の「事実認定」において、すべて傷害行為だが犯罪ではない医療行為における診断を「事実認定」と比較することには違和感を禁じえません。そこで裁判員予備軍のひとりとして(笑)あえて専門外ですが裁判の世界に限定したツモリで「事実認定」についての質問を試みます。

> >無罪判決は検察の捜査そのものが負けと法の審判者である裁判官に判定されたこと>
にはなりません。>
とのことですが、No.23 モトケン先生ご紹介の記事では裁判官の人が裁判員裁判での「事実認定」の問題について非常に苦慮しておられる様子が書かれています。
この問題も裁判員制でなく陪審員評議に切り替えることでクリアできるように思われましたがいかがでしょうか(しつこくて済みませんが(笑)、持論みたいなものゆえご容赦ください)。

No.33 もへじさま

「別の裁判官がまっっっったく同じ証拠だけを見る」 というのは、思考実験的なところもあります。
現実には、控訴した以上、新たな証拠も出すでしょうし、一審で看過されたと考える点について再度説明を補足したりもするでしょう。
「同一の証拠」 とはいっても、たくさんある証拠の相互関係というものもあるので、証拠単体の評価というよりは、どういう「ストーリー」の中の存在(痕跡)としてその証拠を見るか、という視点もまた大きかったりします。

何が言いたいかといいますと、
「同一条件で同一の証拠を見た場合、どんな裁判官でも、職業裁判官である以上、そうそう見方、解釈、心証はブレない」
という見解と、
「同じ事件であっても、別の裁判官・別の裁判所では異なる結論が出ることがある」
という見解とは、必ずしも矛盾しない(ことも多い)、ということです。

私は、たまたま自分で扱った事件で、ほぼ同一事件ではあるけれども当事者が形式的には別人なので別の部に係属した事件で、真逆ともいえる結論が出た事件に関与したことがあるので、「裁判官の見方(先入観、バイアス)次第でかなり証拠の評価も違うかも」 という感触をもっているという背景があったりもします。
が、それとて、係属した時期や証拠の中身、主張の順序や内容等々、まったく同一条件とはいえない点も多々あるので、裁判官が別人だったゆえに違う結論が出たと決めつけることができない、ということです。

No.34 ぼつでおk(医)さま

刑事裁判すなわち犯罪の「事実認定」において、すべて傷害行為だが犯罪ではない医療行為における診断を「事実認定」と比較することには違和感を禁じえません。

業過致死で起訴されれば、医療行為も「犯罪行為か否か」という観点で事実認定がされていることをお忘れなく。
くどいようですが、私は過失犯廃止論者であり、当然ながら医療行為についても刑事免責大賛成です。あくまで現実の話をしています。
そして、たとえ話というのは、まったく違う物を並べて、似ている点を指摘することで、わかりやすさや新たな視点を提示するものですから、たとえ話の「違う点」を指摘することはまったくもって無意味であります。

無罪判決は検察の捜査そのものが負けと法の審判者である裁判官に判定されたことにはなりません。
とのことですが、No.23 モトケン先生ご紹介の記事では裁判官の人が裁判員裁判での「事実認定」の問題について非常に苦慮しておられる様子が書かれています。

まったく論理的なつながりがなく、理解に苦しみます。

持論みたいなものゆえご容赦ください

持論を解体し、新たな知見を取り入れて世界観を再構築する勇気がないことを責めはしません。
ROMの皆様のうち一部にでも、理解していただけるところがあるのであれば、ぼつでおkさまとの対話は無駄ではないと考えております。

>>No.36 fuka_fukaさん
えーと、刑法はひとつですよね。すなわち証拠が同じなら裁判官が異なっても一つの刑法に基づいて判断する以上有罪か無罪かが変わるというのはぶれ過ぎでしょう。有罪の場合の量刑については幅があって当然だと思いますが。

対して医学的診断というものは診断する医師の得意分野によって診断法的アプローチは変わるでしょうが、殆どの場合複数の医師が同じ診断に達するものです。裁判の量刑に当たるものが治療方針ということになるでしょう。治療する医師の裁量が認められている部分ですから。

私が比較するとすればこのようにたとえます。ひとそれぞれですがこれもありでしょう(笑)。

「無罪=検察の負け」論は、一つの刑法に基づいて事実認定が行われた結果検察が揃えた証拠では有罪に当たらないという判決しか出せない、と裁判官(裁判官裁判員複合体)が宣告するわけですから、論理的に言って事実認定の問題そのものだと思いますが。あの記事では裁判員裁判が始まれば無罪判決がでた場合に「無罪=検察の捜査が刑法に対して通用しなかった=検察の負け」としか説明できない裁判官の悩みが書かれていたと思います。

>No.37 ぼつでおk(医)さん

>すなわち証拠が同じなら裁判官が異なっても一つの刑法に基づいて判断する以上有罪か無罪かが変わるというのはぶれ過ぎでしょう。

 事実認定における有罪と無罪の差は、黒か白かではありません。
 黒か黒でないかです。
 
 疑わしきは被告人の利益にという原則によって、黒以外のかなり濃い灰色も真っ白も全て白ということになりますので、ぶれが大きいように見えるかも知れませんが、黒と濃い灰色のボーダーラインがとても微妙な事件があります。

> そのむかし、YUNYUNさんだったと思いますが、どの裁判官でも、同じ証拠を見せれば、同じ結論を出す、とおっしゃってました(No.33 もへじ様)

「全員必ず同じ結論」ということではなく、9割くらいの率で一致する、と。
◆医療関係エントリに関するつぶやき
コメントNo.50
http://www.yabelab.net/blog/2007/02/15-104709.php#c39957

ただしこれは、医師の医学的見解はバラけやすい、ということと比較して相対的に、法曹の意見はわりかし一致する傾向があるという話でした。

-----
> 刑法に基づいて判断する以上有罪か無罪かが変わるというのはぶれ過ぎでしょう(No.37 ぼつでおk(医)様)

結論が違うこともありますよ。
証拠関係が同じなのに、裁判判決が分かれる要因としては、2通り考えられ、
 a) 法的解釈の違い
  例・医師法21条の届けは医療過誤事案でもしなければならないか
 b) 事実認定の違い
  例・因果関係の有無、殺意があるか など

a)については、最高裁の判例が示されれば、全国の裁判所の解釈が統一されますから、判例がまだ存在しない新規の争点が出た場合に限られます。
数的には b)が問題になる事件のほうが多いと思います。

それにしても、法曹としては、医療に関する医師の判断に比べれば、裁判の判断が分かれるケースはずっと少ないのではないかと考えております。

>実認定における有罪と無罪の差は、黒か白かではありません。
 黒か黒でないかです。

 なるほど、いうだけタダ、ということにもつながりそうですね。ものすごい悪平等が含まれている気もしますが、疎なものとして、納得もゆきます。

http://www.uekusa-tri.co.jp/column/2008/0416.html
を読むと、実際に多少なり関わりのある身として、途方もなく複雑な気持ちになります。

 小説のなかには、不当な裁判に対し、拘置所の独房の壁に頭を打ち付けて、憤死した人もいるそうですが、実際にその身になってみなければ、わからないことでしょう。
 通り越したところに、無気力もありそうですが、それも現実の環境のように思われます。唯一の救いは検察の真摯な姿勢でしょうか。安易な批判ばかりが目につきますが、先ほどコメントを入れた別のエントリの内容とも通じるところがありそうです。
 安易なわざとらしい起訴で無罪判決の内容、意味でも深く洞察した方が、まともに生きている人にはためになりそうに思えるのですが。
 私が感じるレベルの低さの一部分です。

No23でご紹介の記事(キャッシュ)より

 「仮に、経験則に反するとして一審判決を破棄すれば、国民の常識が反映された結論が誤っていると宣言することになってしまう」

国民的基盤の確保=司法の判断に対して国民から文句つけさせないために、
タテマエ:「国民の常識を反映した裁判」という建前が欲しいだけで、
ホンネ:「国民の感覚反映なんて望んじゃいない」

そのため、国民の感覚反映に関する制度設計はきちんと検討されていないため、いざ実施して国民の処罰感情が暴走しても止められるシステムになっていないのではないですか。

逆に裁判員が重い判断を下すのを忌避しても、それを正すシステムはないんじゃないですか。

建前上は

高裁での経験が豊富な裁判官の一人は「これまでよりは当然、一審の判断を尊重することになるだろう」と話す。

としなければ、辻褄が合わなくなってしまう。

別の高裁裁判官は「実際に制度が始まり、一審の裁判が一般の国民にどのように受け止められるかによって、控訴審のあり方も変わってくるのではないか」と予測。まさに手探りだ。

控訴して、二審でやり直せば良いけど、国民から「なんでやり直しなんだよ!? 一審での俺たち(国民)の常識を否定するのか?」とクレームが出たら、制度の意義が根幹から崩れて困っちゃう訳ですね。下手な二枚舌つかうだけの手抜き設計なんだから、それも道理。

「参加することに意義がある。結果は問わない」制度に見えますが、実施後、裁判員制度が上手く機能しているかどうかの評価は、「国民の参加状況」以外にあるんですか?
裁判員制度の内容の適否に関する基準とその評価機能はあるんでしょうか?

評価機能のない制度は、ブレーキのない暴走列車のようなものではないか。みすみす強制乗車させられてたまるものか。しかも運転手として共犯にさせられるのだから、おそろしい。

 「もう決まったことです。やめません。予定通り発車します。」というならば、せめてブレーキ(評価機能)を予め明らかにしてもらわないと。

死刑囚様いろいろレスありがとうございます。
 >『「もう決まったことです。やめません。予定通り発車します。」というならば、せめてブレーキ(評価機能)を予め明らかにしてもらわないと。』

 裁判員制度を普及するために、最高裁、検察庁、弁護士会が、今まさに、議論している最中です。
 今までの有罪率99.8%(最近無罪判決が多い)の事情の中で、市民が参加することにより、これまでの司法への一つ(ある意味)のブレーキ(評価機能)を付けたとみるべきでしょう。
 成文法中で、判例を重視して裁判官が判断しています。
しかし、その中で、実情に乖離した判決文もあるわけです。
 そこで、一般市民という裁判員の存在が必要なのでしょう(飾りを含め)。
 裁判員になる一般市民に不安をあおっても、正しい方向になるとは限りません。
 死刑囚様をはじめ皆さんがこのエントリーで議論することで、ブログを閲覧している方々が自分の基準を改めて考えることは良いことだと思います。

 評価機能はまさに裁判員です。
 役人が、運用上、事細かに基準を設けてもうまくいくとは限りません。現に良いことだけをPRしています。

 死刑囚様が「裁判員に選ばれない、とっておきの裏技」なる本でも出版されると、わたくし個人としてうれいしい。
 前向きに、前向きに!議論しましょう。
 よろしくお願いします。
 

追記
 私も読んでの通り、裁判員対象の一般市民です。
 仕事の都合で、ホテルを利用いている関係上、レスが遅れ申し訳なく思っております。
 また、裁判員の選考通知が来たらどないしょ。と困っております。(職場では、OKとのこと)

 裏技本の件、いかがですか。
 「うれしい」「憂いしい」としてみました(爆)
 一服のコメントいかがでした。徹夜で思考能力低下↓。
 今日は商談だ。不安。

裁判員制度での上訴について、司法制度改革審議会で議論された議事録等を2つご紹介します。少々引用が長いので、2つの投稿に分けます。

この裁判員制度での裁判員と職業裁判官との位置づけ問題、事実認定や評議の問題、上訴などの問題、これらの制度設計は主に井上正仁委員(東大教授)が議論をリードしたような印象があります。

 * * * 

司法制度改革審議会の、第45回(平成13年1月30日開催)での議事録より、井上正仁委員(東大教授)の冒頭説明の一部です。

 次に上訴についてですが、ここのところは、結局、国民参加の裁判体により判断をしてもらうわけですので、それを尊重して、それで決着がついたというふうに割り切るべきかどうかということが基本的な問題だと言えます。  そして、仮に誤判の恐れということを考えて、上訴を認めるとした場合、国民参加の裁判体による判断を、職業裁判官のみによる審査で覆すということは、本来の趣旨に反しないかということが論点になりますし、上訴というものを正当化することが仮に可能だとしても、そのためには上訴審の構成や、審理方式というものも考えないといけないかもしれません。  つまり、上訴審にも国民参加ということを認めて、それによって初めて正当化されると考えるのか。しかし、そうは言っても、第一審の判断と第二審の判断とでどちらが正しいとは言えませんので、その辺はどうするかという問題がありますし、また証拠を直接調べて国民参加の裁判体が判断したものを、記録だけ読んで覆すということが果たして正当化できるのかどうか。その点は審理方式とも絡めて検討しないといけない問題だろうと思われます。  あと、上訴審が第一審の判決には問題があると判断した場合に、自ら新たな判決を言い直すという形が適切なのか、事件を第一審裁判所に差し戻してもう一度最初から裁判をやり直させるという形がいいのかということも問題点です。

その2、前記投稿の続きですが、別資料のご紹介です。

 * * *

同じく司法制度改革審議会の、第51回(平成13年3月13日開催)での井上正仁委員(東大教授)が作成した配付資料『「訴訟手続への新たな参加制度」骨子(案)について(補足説明)』の一部です。

6.上訴  最後の「上訴」につきましても、裁判員が関与する場合にも誤判や刑の量定についての判断の誤りのおそれは残ることを考えると、裁判官のみによる判決の場合と同様、有罪・無罪の判定や量刑についても控訴の途を開いておくことが必要だというのが、皆さんのほぼ一致したご意見であったと思われます。  ただ、これも、これまで何度か指摘させていただいたことですが、国民の参加を得た裁判体による判決を、上級審とはいえ職業裁判官のみによる裁判体で、しかも基本的に一審の記録のみに基づいて審査し、場合によっては覆すことが、国民参加の趣旨からみて正当化され得るのかについては疑問とする余地もないわけではありません。現に、そのような問題意識から、ヨーロッパ諸国では、控訴を認めていないか、認める場合も、控訴審裁判所をも国民が参加した裁判体とするところが多いのです。そのことなどをも考えますと、控訴を認めることを前提にするとしても、控訴審裁判所の構成をどういったものにするかや、そこでの審理方式の在り方、控訴理由ないし原判決を破棄する場合の理由や、その場合に控訴審裁判所が自ら新たな判決を言い渡して良いのか、それとも第一審裁判所に差し戻して、新たな裁判員が加わった別の裁判体により裁判をやり直させるべきなのか等について、専門的・技術的見地をも加えて更に慎重に検討する必要があると思われますので、そのことを括弧内で注記した次第です。

>No.42&43 cocoroさま

コメントありがとうございます。

No.41はとくにcocoroさま個人に宛てたコメントではありませんでしたが、強い語調ですみません。(断定を避ける書き方をしていると、私の疑問の真意が伝わらない事が多かったもので、今回はNo.41のような書き方をしました。)

 裁判員になる一般市民に不安をあおっても、正しい方向になるとは限りません。

一連の私の投稿の目的は、不安を煽ることではありません。
単に不安を煽ることが目的ならば、もっと効果的に上手くやってますよ〜(^^)
また、それが目的ならば、裁判員制度の意図や、具体的にどんな効果を狙っているのか等と質問をしたりはしません。
何故か無視されたり、残念ながらあまり説得力の感じられないような観念的なご回答を頂くばかりなので、次第に「馬鹿にされてるのかな…」と少し疑う気持ちも生じざるを得ないこともありましたが、真意を測りかねています。

その中で、cocoro様のコメント(下記など↓)が、今までお聞きした中で一番真正面から回答して下さっていると感じ、また、説得力があったかもしれません。

 成文法中で、判例を重視して裁判官が判断しています。 しかし、その中で、実情に乖離した判決文もあるわけです。  そこで、一般市民という裁判員の存在が必要なのでしょう(飾りを含め)。

しかし…

1.裁判員が入っても改善できず単なる「飾り」となる場合は、実情に乖離した判決文に国民のお墨付きを与えた事になるのではないでしょうか。
本制度は、諸刃の剣ですよね。
「裁判員制度の導入により、裁判官は乖離した判決文が書けなくなる」ような、具体的な制度設計を見て取る事ができない(それを「やる気」も感じられないような…)ので、リスクを無視できませんよね。

2.「判例を重視して」と書かれていらっしゃるのを拝見すると、「量刑判断」の部分への効果を期待しているのですね。

ただ、個人的には(今の所説得力のある自論として提起できる訳でもないし、先人達の議論を知っている訳でもありませんが)「適切な量刑が一般市民の平均的な感覚であるとは限らないんじゃないか」と推測しています。
適切な量刑なるものがあるとしたら、進化的に安定な戦略(人間の合理性という前提を置かない概念)という事になるのかもしれないと思っています。

「事実認定」については、一般人の感覚が役に立つ事もあるかもしれないとは思っていました。(たとえば被告人がサラリーマンだった場合、サラリーマンならばフツーに分かる事が、裁判官には分からない事もあるかもしれませんから。)
もっとも、最近では、憲法の意義も殆ど知らず、過剰な処罰感情を抱いていると思われる人が少なからず存在する事を知ったので、「事実認定」を任せる際にも、何らかの工夫が必要なんじゃないかと思っています。
「誘導」と「指導」がどのように区別出来るのかが、問題ですけど…。

 評価機能はまさに裁判員です。

そのことを根拠づけるものは無いのでは?
制度設計から見て取れるのは、「形式上国民が直接参加しさえすれば、国民の健全な常識が反映される」という信じられないくらい素朴で幼稚で無責任な考えです。(それがタテマエかホンネか分かりませんが、ホンネならば、信じられない位いい加減だと思います。)

もっとも

 役人が、運用上、事細かに基準を設けてもうまくいくとは限りません。現に良いことだけをPRしています。

と仰るのは、その通りだと思います。

「裁判員制度の予定通り来年の施行」が動かせない大前提としてあるならば、内容的に多くの問題を抱えたまま見切り発車になる可能性は高いと見ています。そのため、「国民的議論を経て、国民のお墨付きももらった制度」というタテマエを取られるだけではないかという危惧もありますがね…。

 死刑囚様が「裁判員に選ばれない、とっておきの裏技」なる本でも出版されると、わたくし個人としてうれいしい。

今の所、そんな事をする気はありません。
ほんとうに本制度をつぶす気ならば、こちらのブログで議論せずに、裁判員反対派の会に出席し、作戦を練っていることでしょう。
…というか、実際にはそんな積極的なこともせず、自分だけは参加しないつもりで無関心となると思います。

 前向きに、前向きに!議論しましょう。

cocoro様がそうだとは思いませんが、色んな意味で「かませ犬」にさせられている気もしているんで、議論を止めたいと何度か思いました。

上述のように、マトモな回答は返って来ませんし(つまらん茶々を入れるだけの方もいらっしゃるように思います)、「単純に面倒臭いから裁判員に行かないと言ってる人」というレッテルを貼られそうにもなりましたし、「裁判員反対派だったけど、裁判員制度について色々学ぶことにより、裁判員に行く気が出てきた一般人のサンプル」として仕立て上げるつもりじゃないかと疑いたくなる位、話がまったく噛み合わないこともありました。
「気〜が〜狂いそ〜う〜」と歌い出したくなる位、話が通じなかったんですよ。

私はずっと、ずっと、前向きな議論を望んでるんですけどね。

私もそろそろ外出です。書きなぐりですみません。
とくにcocoro様だけに向けたコメントではありませんので、ご負担になるようでしたらお返事は不要です。
それでは…。

>>No.46 死刑囚さん
は「かませ犬」なんかじゃありませんよ。
ご心配ご無用。
自他ともに認める「かませ犬」は私だと自負しとります(笑)。
それにまだ1年あります、ぼちぼちいきましょう。

死刑囚様
 気分を害させて申し訳ありません。
 常連の死刑囚様の事はよく承知しています。
 私がNo.12で、ちょいズレのコメントを入れたのがいけませんでした。
No.29の私のコメントの後だったので、No.30死刑囚様のコメントに反応していまっただけでした。
 特に茶々を入れている訳ではありません。
 噛み合わないのは、私の能力のなさです。
 重ねてお詫び申し上しあげます。 cocoro

 これで、コメントは控えます。

>>No.39 YUNYUN(弁護士)さん
>b) 事実認定の違い
>  例・因果関係の有無、殺意があるか など
>・・・・・
>数的には b)が問題になる事件のほうが多いと思います。

コメントありがとうございます。
米国でのいわゆる第1級第2級の判別のことでしょうか。

>>No.38 モトケン先生
>黒と濃い灰色のボーダーラインがとても微妙な事件があります。
もたぶん同じ事をおっしゃったのでしょうね。