問題の記事はこれです。
入学式:入学金未納、式に出さず 新入生2人、別室待機−−千葉の県立高(毎日新聞 2008年4月13日 東京朝刊 ウェブ魚拓)
教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」と話している。
この尾木氏のコメントに対して批判が殺到したらしいのです。
入学式出席拒否 学校批判の評論家に“逆批判”殺到(ウェブ魚拓)
尾木氏の反論は以下のとおり
「多くの批判は(1)何をもって機械的・官僚的なのか(2)なぜ謝罪が必要か−です。(1)については、そもそも式当日に現金で持参させること自体が、あまりに役所的な時代遅れの対応で、そこに親が入学金を持参させなかったことと、一生に1回の入学式への生徒の出席は、切り離すべきだったということ。条例があったとしても、入学許可はあくまで校長の権限ですし、別の方法があったはずです」
実はこのニュースを読んだとき、私も尾木氏と同様に、どうして入学式のその当日に入学金を持参させるような手続を取っているのだろう、と疑問に思ったのです。
分納可という事前説明があったわけですから、保護者のミスであることは間違いないと思いますが、人間にミスや手違いはあるものですから、そのようなミスで入学式に出られなかったという一生の不名誉な思い出を残させるような学校側の対応は、私としても血も涙もない印象を受けました。
それはともかく、このエントリの趣旨は要約の正確性です。
尾木氏が、毎日の記者に対して
そもそも式当日に現金で持参させること自体が、あまりに役所的な時代遅れの対応で、そこに親が入学金を持参させなかったことと、一生に1回の入学式への生徒の出席は、切り離すべきだったということ。
というコメントを述べたのに、それを
極めて機械的、官僚的対応。
と要約してしまうのは、それまでの記事本文の文脈に照らして、尾木氏の批判の対象がまったく伝わっていないという感じがします。
「当日持参が時代遅れ。」とでも要約すべきではなかったでしょうか。
毎日新聞社長室広報担当は「適切な取材をしたと考えております」とコメントしている。
いや、取材の問題ではなくて、取材した内容の要約の仕方、つまり文章力の問題ですって。
毎日の社員は、書く力だけでなく聞く力も低いのかな?
聞き方にもよりますけど。
このizaの記事の要約の正確性も問題があるかも知れませんが(^^;
一番問題なのは、県教委みたいですね。
毎日の続報によれば、
今時、「入学金の納付は、入学式当日の現金納付に限る。」なんて条例がおかしいと思わないとは…(今現在でも思っていないみたいだし。)
一番問題なのは県条例みたいですけどね
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20080414-OYT8T00627.htmお役所だけの問題でなく、県議会の問題にもなってきますね。
また、学校側の厳しい処分にも、背景はあるようです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080416-OYT1T00931.htm
No.1 やまももさん
あ、ほとんど同じ記事になってしまいました。申し訳ありません。こちらのチェックミスです。
ところで、
とありますし、県教委は条例を見直すことに関しては、考えているのではないでしょうか。現在の条例に従った上での、学校の措置を判断していると思いました。
生徒に規則を守らせるべき校長が率先して条例を破ることもできまい。
公立高校である以上お役所であることに変わりはないし。
しかし、こんなことは昔からあったんではないだろうか?それなりにうまく処理していたが、そういったノウハウが受け継がれなかったのかな。
この校長先生は、それなりに処理していたら未納金の増加を突っ込まれたので、がんばってみたら裏目に出たのでは?
この高校は、HPの進路状況
http://www.chiba-c.ed.jp/yachiyonishi-h/sinro.htm
を見ますと、非常に苦労していることが良く分かります。
わたしは、社会人講師として主に成績が中位以下の高校で授業をしていますので、想像は付きます。
単に「大学への進学者が少ない」といった見方ではなくて、4年間の変化を見てみますと、大学+専門学校への進学率が下がっています。(60%から41%に)
その一方で「浪人その他」とあるのは、多くの場合はフリーターですから、これを24%から15%に下げたのは学校は相応の努力をしているのだろうと想像します。
しかし、最新情報である平成20年4月の3年生が79名、1年生は159名ということは、平成13年の卒業生が207名であったことを考えますと、不人気校になっているのでしょう。
これが「大学の進学率だけ見ても」というところでして、こういう変化で学校が相当焦っているのだろうということは容易に想像できます。
そこに持ってきて、県条例のバカの規定がありますから、学校が手続きレベルで「暴走した」ということでしょう。
少子化は高校をどんどん統合しているわけで、個々の学校にとっては存在できるかどうかといった問題に直面しています。
そういう追いこれまた学校では、優秀な先生が頑張って短期間で非常によい成果を生み出している学校もあります。複数の例を知っていますが、いずれも校長や教師の頑張りも個人的なリスクを冒してという面もあって、問題の学校では方向性を誤ったのかもしれないと感じます。
趣旨に触れますと、新聞の要約というのはやはり問題があると思います。今はウェブがあるわけですから、ウェブ版にインタビューを全文掲載するとか、録音を掲載するような工夫があってもいいと想います。
学者の方としても、せっかく時間と労力を割いて話したことが、5行の、しかも自分の意図とかけ離れたコメントが掲載されていたのでは徒労感に襲われることが必至だと思います。
No.6 酔うぞさん
賛否両論が寄せられているみたいですから、暴走とまでは言えないのではないでしょうか。
私の中でも、学校はやり過ぎだという気持ちと、学校は当然の処置を行ったという気持ちがない交ぜです。給食費未納問題や、学費未納問題を考えますと、社会全体の雰囲気としては、このような措置を当然だと思うようになってきつつあるのではないかと思いました。
No.7 しまさん
No.6 酔うぞさん
賛否両論が寄せられているみたいですから、
暴走とまでは言えないのではないでしょうか。
私の中でも、学校はやり過ぎだという気持ちと、
学校は当然の処置を行ったという気持ちがない交ぜです。
給食費未納問題や、学費未納問題を考えますと、
社会全体の雰囲気としては、このような措置を当然だ
と思うようになってきつつあるのではないかと思いました。
なかなか伝わらないと思いますが、しまさんが挙げられているような状況は潜在的にはどの学校にもあることでしょう。
しかし現実に問題になっている学校はかなり偏っています。
つまり「社会全体が」とやってしまいますと、いわば薄まってしまうというか個々の事件への判断としてはうまくありません。
では評価の高い学校と低い学校では、直接比例的に問題があるのでしょうか?というとこれが全く違います。
なぜかといいますと、現在の学校の評価は進学成績しかありません。
評価の高い・低いは進学成績のみであらわされています。
当然ように、高校生ともなると「成績はそこそこだが、まるでなってない」という生徒と「勉強は出来ませんけど、元気な若者」といった違いが出てきます。
そして「成績は悪いし、社会性も皆無だ」いった生徒もいます。
そういういろいろな要素があるのに「成績だけ」で学校をランキングしています。
当然ですが、学校は「成績を上げるために努力する」方向になりがちです。
学業成績を上げることに学校側が注力して成果が出るのは、二番手校です。
その結果、二番手校では結構多くの問題が出ています。
必修科目履修偽装事件が発生したのは、ほとんどが二番手校でした。
学業成績が全くダメで「高校生と言ってるが小学生ではないのか?」といった学校でも、社会人をたくさん集めていろいろな人たちに触れることで、社会性の訓練を一生懸命にやって「言われるほど悪い学校じゃないじゃないか」と高く評価される学校もあります。
このような組み合わせで、学校は努力しているわけですから、間違える場合もあり得ると思います。
わたしが「暴走」としたのは「間違えた」という意味です。
一般的な意味での「確信を持って突っ走った」ということでないのです。
どなたかが言及していますが、公立高校の社会的な使命として「治安維持」を挙げられている方が出始めています。
最初に聞いたときにはわたしも驚きましたが、社会的には高校を追い出された(高校にもいられない)若者が居られるところは、犯罪の世界に直結します。
企業でも全く対応不可能です。
こうなりますと、高校がどうやって社会性を身につけさせるかという点は、あるレベルの生徒にとっては、生涯の重大事とでもいうべきで、そこらへんまで考えた場合に問題の学校はやるべきではないことをやってしまった、とは思うのです。
この校長先生って、教育者や管理職としての能力はどうなんでしょう?
厳しい環境の学校で、それなりの結果を出せているのか、あるいは平均的な対応能力すらそもそもないのか。
人事権を持っている立場の御仁達は、ひとつひとつの例外事例の処理を通じて、その管理職の資質をこそ評価すべきだと思うのですが、手続きの表面的適否だけを見て、それが規則通りだから良しとするのでは、教委の管理能力を疑わざるをえません。
エントリの主題についてですが、紙面の字数制限は分かるのですけれども、この場合に尾木氏のコメントを「極めて機械的、官僚的対応。」としたのは「極めて機械的、官僚的要約」ですね。ステロタイプと言ってもいい。
72文字か・・・。 こうすると71文字だな(笑)。でも尾木先生のコメントの主眼を考えると
(72文字)としたほうがまだマシのような・・・。紙面に載った形の「コメント」に仕立てた人の語彙能力や、取材対象の発した言葉に対する理解能力に問題があったのではないかとの疑いもありますが、どちらかと言うと「尾木教授の名前を騙って記者個人の感想を述べ、アリバイ作りに尾木教授に一応取材もした」と見えます。そこまで悪質かつ意図的でないとしても、記者の感想と合致する部分の単語だけを抜き出してパッチワークしたような。
夕刊フジがそういう疑念を抱いて毎日新聞の広報に問い合わせたと想定すると、返答が「適切な取材をしたと考えております」となるのも、ロジックとして筋が通る気がします。
私が常々見聞きする尾木先生の言動・お考えからすれば、今回の記事は違和感を感じるほかなく、「尾木先生は一体どうされたのでしょう?適切な情報が伝わってないのだろうか?」などと思っておりました。
このような背景があった訳なのであれば、十分に納得できます。夕刊フジ様には感謝申し上げたい程です。
そして背景としては、No.10 惰眠様のお考えに即した印象を私も頂いております。当初の記事を書いた記者氏の頭の中には「学校批判」の方向に向いた感覚があったのではないでしょうか。
私は、毎日新聞の記事を読んで、世の中には、何と馬鹿な学者先生もいたものかと、思いましたから、尾木先生は毎日新聞を名誉毀損か何かで訴えても良いかもしれないですね。
善くも悪くも、ペンは剣よりも強しですね。
今回の毎日新聞記事の背景として想像されること
入学式に出られない生徒が可哀相、ショックは大きいと思う
(記者の脳内の思い込みというか、先入観的イメージ)
↓
校長の対応がオカシイに違いない、罪の無い生徒に謝るべきだ
(記者の脳内イメージから醸成された主観的結論)
↓
記者の結論に賛意を示すハズと期待して識者にコメントを依頼
(案に相違して記者が思い描く通りのコメントが引き出せない)
↓
識者のインタビューを都合良く編集作業して継ぎ合わせる
(チャンと取材して得た識者のコメントを字数合わせで要約しただけ)
-----------------------------------------------------------
「光市母子殺害事件 BPO意見書」で指摘された問題番組の共通パターン
差戻し審での被告人&弁護人の主張は、常識的には信じられない
↓
死刑を逃れる為に弁護人が授けた作戦に違いない、と勝手に思い込む
↓
弁護団の記者会見や権威に取材するも、思う通りの絵が得られない
↓
取材ビデオの絵を切り刻み、都合良いナレーションを付けて放送する
ソックリじゃないですか!
ビデオ画像は活字より強し!
>>No.14 法務業の末席さん
お見事な一覧表です。コメント欄に図表を表現できる法務業の末席さんの高いスキルに最敬礼あるのみ。
お蔭様で両者が同一構造であることが一見して分かりました(笑)。
で、卵と鶏じゃないけどどっちが先かという点を問題にしますと、これは報道分野において後発のテレビが開発した映像ニュース報道という方法を、迅速性で遅れをとったと感じた新聞が(ほんとは現代の新聞に迅速性は不要で正確さと中立性が大事なのですが)、映像ニュース報道の構造を真似するという間違った方向での報道紙面改革に、短絡的にいっせいに走ったことが約10数年余の昔に起こったためでしょう。
時期に関してはうろ覚えなので大体の見当ですが、テレビが先だというのは確かだと思っています。
>No.14 法務業の末席さん
そうだとすると大淀病院「スクープ」報道そっくりですね。
死亡した褥婦と残された夫が可哀相、ショックは大きいと思う
(記者の脳内の思い込みというか、先入観的イメージ)
↓
産科医の対応がオカシイに違いない、遺族に謝るべきだ
(記者の脳内イメージから醸成された主観的結論)
↓
記者の結論を補強するハズと期待してカルテを入手
(案に相違して記者が思い描く通りの事実経過が書かれてない)
↓
カルテの記載内容を主観に都合良く独自解釈して継ぎ合わせる
(チャンと取材して得た資料の内容をつまみ食いしただけ)
>No.16 惰眠さん
ウ〜ム、確かにソックリ、瓜二つ。
とするとこのパターンは、マスコミ人種(特に市民感覚派とか社会正義派と自認する方々)に、共通する病根なんでしょうかね。
そういう人たちが警察の見込み捜査とかを非難しているのかしらん?
マスコミに限った話ではないのではないでしょうか。
光市事件裁判で、被告人弁護団を非難した人たちの思考プロセスも、恐らく同じでしょう。
北陵クリニック事件で「被告人(今は有罪確定しましたが)が否認しているのだから検察主張が事実である筈がない」的なことを言う人も同類だと思います。
ニュースとして取り上げるときに一方を「わるもの」と規定したら、あらゆる手段を使って徹頭徹尾「こらしめる」と言うのが、昨今のメディアの病理だと思います。
例え「こらしめ方」が誤解に基づくものであっても「わるもの」には是正の機会すら認めない(発言を取り上げない)ですし、「わるもの」にも立場があってその視点から眺めるとまた違う見え方がすることがあるでしょうに。
専門家を差し置いて書くのは躊躇もありますが、後期高齢者医療の取り上げ方にしても然りだと思います。
従来なら居住市区町村によって最大5倍の保険料格差があったのが概ね2倍乃至3倍程度に縮小したとか、高齢者に医療を提供する資金の源泉たる現役世代の負担の重さとか、源泉徴収にすることによる行政経費の削減効果とか、保険証の未着については居所と住民票記載の住所の不一致が要因の一つとか、およそ行政事務は住民票を基準に執行されるのだから一定程度やむを得ないとか、異なった視点はあるはずなのです。
何より高齢者医療制度は法律による、つまり当時自民党議員の賛成で制度導入が決まった。最終的には議員を選んだのは他でもない有権者なのだから、投票権を持つことに伴う責任の一部であるというような視点があっても良いと思うのです。
例え「わるもの」の見解を取り上げても「見苦しい言い訳」的な扱いしかされていないようにも思います。
事実関係を淡々と伝える方法を採る報道は別として、意見表明を含む報道については、広く社会に通底しているある種「公式のようなもの」なんだろうと思う次第です。
>>No.20 thx-1138さんのおっしゃる
>投票権を持つことに伴う責任の一部である
が権利と義務とか公徳心とかの基本根本であると思います。
長寿医療制度問題は制度そのものよりしょうもない名称論にすりかえた政治家の判断の無節操さが問題でしょう。無駄なコスト増大を招きましたから。政治家の言葉遊びは国家資源の無駄遣いそのものでしょう。
また
>ニュースとして取り上げるときに一方を「わるもの」と規定したら、あらゆる手段を使って徹頭徹尾「こらしめる」と言うのが、昨今のメディアの病理だと思います。
例え「こらしめ方」が誤解に基づくものであっても「わるもの」には是正の機会すら認めない(発言を取り上げない)ですし、「わるもの」にも立場があってその視点から眺めるとまた違う見え方がすることがあるでしょうに。>
病理とは言い得て妙と感銘を受け申しました。江戸時代の世話物の勧善懲悪話が、現代では今の日本メディアの「報道部門」によって「ニュース」と称して一方向巨大システムで大量に発信され続けられている、という感を抱いております。そういう「報道記事w」は日本語の正しい意味においては「ニュース」といわず「物語」とか「ゴシップ」と呼ぶくらいが分相応でしょう。こちらも電波や紙の無駄遣いのように思います。
つくづくもったいないことです(笑)。