エントリ

 よい刑事弁護というものをその目的の観点で考えた場合、以下の三つがあるように思います。

 1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護

 2 できる限り事件の真相に迫る弁護

 3 裁判が終わった後で、被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護

 以上の三つは、重なる部分が多いですし、必ずしも矛盾するとは限りませんが、場合によっては深刻に矛盾することもあります。

 1が一番わかりやすいと思います。
 2はこれを究極的な目標と考える刑事弁護士は多くないと思います。
 3については、見ようによってはとても倣岸不遜な考えと見られるかも知れません。

 しかし、私は3を目指したいと思っています。
 被告人にとって判決後に残された人生が数ヶ月に過ぎないとしてもです。

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コメント(107)

今枝弁護士の行動がよいか悪いか
また、今枝弁護士のどこらへんが危ういか、
素人の私はまだよくわかっていませんが…、

仮にもし、今枝弁護士のような行動をとらないと被告人のためになる弁護にならないとすると、
それはそれでけっこうまずいんじゃないでしょうか。

弁護士ってそんなキワどいことまでやらなきゃいけないんですか。
制度としてそれでいいんですか。
なんか間違っているというかゆがんでいると思うんですけど。全体が。


本当は最初はこちら↓に書きこもうと思ったのですが…。
http://www.yabelab.net/blog/2008/04/27-125350.php

なんていうか、美談にしてはダメですよ。

弁護士の資格をかけてまで、被告人を守った。

みたいな。……

 人の命がかかった話をその命を助けられたかも知れないという立場の人が語っているという認識は必要だと思います。

 美談云々の話ではないです。

3がいいと思いますが、2と3は相関関係があると思いますし、補完、補強関係もありそうです。

裁判は、己がいかなる罪を犯してしまったかを認識する場であり、
そこから死ぬまでは贖罪の期間であるべきだと思います。
刑期を終えれば社会的には責任を果たしたと言えるかもしれま
せんが、罪は消えません。
被害者に許されて、初めて罪が消えると思います。

当然、殺人事件の被告人なら許されることはありません。
遺族からも恨まれ続けます。「よかった」なんて思えるでしょうか。

それでも弁護をしなければいけないのであれば、(2)・・・かな。
どうでしょ。

まずは2を行い、1を目指す。その結果が3。

のような気がします。

まだ裁判は終わっていませんが、今回の光市事件の弁護団は、最初
の2に疑義を持たれてしまったので1に失敗、3は被告人の希望には
そえなかった。

良い刑事弁護のポイントは、最初に行う2に対する姿勢ではないかと
思います。
裁判官(裁判員)の心証を考慮した場合も含めて。

んー・・・
相互に厳しく対立する可能性を孕んでいる1・2のバランスを3の観点から判断する。

>モトケンさん
なんとなくわかりました。少なくとも、美談云々というのは私の誤解だということはよくよくわかりました。

それにしても、
3を目指すために、弁護士バッジを失いかねないような状態になるというのは、どうも…。


私はサンデージャポンを見たわけではないので、なにを語ったのかよく知らないし、
勘違いな書き込みなのかもしれないですが…。

だから結局元少年の弁護なんか本当はしたくないし、
自称・自分の名誉回復・・なんて砂上の楼閣だし
自分の悪い部分を反省しない傾向があるからこの際
ずばっと請求いっちゃってよ。お願いしますよ
って事だよね?

「2はこれを究極的な目標と考える刑事弁護士は多くないと思います。」

ということは「事件の真相なんて知ったこっちゃない」と考えてる弁護士が多いということですか?

横レス失礼

モトケンさんが言われるのは,「事件の真相解明が,被告人にとって有利な判断や被告人の更生よりも場合によっては劣後することはやむを得ないと考える弁護士が多い」にとどまるのではないでしょうか。

事件の真相解明も刑事裁判の目的であり,弁護士がこれをないがしろにしているわけでないのです。

 1.2.は分かりやすいのですが、3.はなんというか、「3については、見ようによってはとても倣岸不遜な考えと見られるかも知れません」とお書きになられてはいますが、神の視点ですから。

 弁護に限らず、「相手の人生にとって少しでもよかったと言える○○」は究極の目標ではあるのですが、「そのための指標」が不明確すぎてそれ故に、別の指標に置き換えざるをえないところですね。
 ○○をする側から思い込むのも危険な点もはらんでおり、結果として、後から相手側から○○に対しての感謝を頂いたときに、3.を幾分か実現できたのか、と思えるくらいでしょうか。(当時の相手の感情に反していても、ということもありますし(○○に教育などをいれれば))

 故に、実際に目指すとなると「指標」がまだしも分かりやすい1.2.になってしまうのではないでしょうか。

常々思うのですが、刑事弁護人の責務を「被告人の利益」ではなく「2」にしないのは何故なのかと。

少なくとも「2」が目的ならば、土下座弁護はなくなると思うのですが。

>No.13 英王室御用達紅茶さん
それは刑事裁判の目的が、真相を解明することではなくて被告人を処罰することだからでしょう。
だから検察は罰を与えること(被告人に不利益を科すこと)を正当化するに足るだけの「事実」を提示するし、弁護側は被告人に過剰な不利益が科されたり、そもそも科されるべきでない法的ペナルティが与えられないように対抗する。

この図式を改めようとするならば、事実究明と法的制裁とのリンクを断つ必要があるでしょう。ちょうど、海外での航空事故調査がそうであるように。あるいは、医療「事故」の原因調査において刑事免責が必要ではないかとの議論があるのと同じように。

 通説的見解として、,最優先であることは今後も当分は動かしようがないでしょう。

 △蓮△修發修睚杆鄂佑公訴権並びに強制捜査権を持つ検察の主張にいちゃもんをつけて被告人を守る存在として位置づけられている以上、相当なないものねだりを含みそうです。それも真相解明なんだ、と割り切れればいいですが。
 が,判鼎覆襪里理想である一方で、人の人生にとって最良のことを被告人の頭越しに弁護人が決することが出来るんだ、と考えるなら傲岸不遜ととられても仕方がないですし、刑罰権の存否を決するという役割に奉仕するにおいて、被告人の人生にプラスになればよいというだけでは済みません。

 死刑事件で控訴趣意書に控訴理由なんかない、と書いた弁護士が死刑囚に不法行為&債務不履行で訴えられて敗訴した訴訟がありましたが、もしかしたら、あの弁護士も本当は被告人の残った人生で、被告人のやったことはこれくらい救いのないこと(彼の事件は殺害人数4人、光市事件に勝るとも劣らぬ凄惨なものでした)なんだ、ということを知らしめたくてやったのかもしれませんし、裁判所に出すべき控訴理由なんかないというのが真相だと思ったのかもしれません。
 でも、それでは正当化のしようがないということです。

>No.3 モトケンさん

 今枝弁護士は、もう弁護団から離れていますが、元は弁護団に入っていた人です。モトケンさんの言われるように、その命を助けられたかも知れないという立場の人なんですよね。

 しかも、被告の心の状況を一番分かっていたと思われる人ですから、最高裁の際の判断を読み誤らないで、被害者遺族(特にM氏)の感情を読み誤らなければ、差し戻し控訴審裁判のやり方次第によっては、死刑回避が出来たかもしれなかったと思います。

 残されたのは法律審の上告審だけですし、例えその命を助けられる可能性が1%以下かもしれませんが、まだ刑は確定していません。

 その命を助けられたかも知れないという立場の人 が、読み誤った場所に気づいたら、どうするべきなのでしょう。

 その人の人間性の違いにもよると思いますが・・・ その部分に蓋をして、ひたすら沈黙を守り動かない人もいれば、中には自分で出来る限りのことをしようと動く人もいると思います。

 死刑は、言うまでもなく、その人の命が無くなる刑罰です。

 動かなければ、時間が経過し、上告棄却によって、刑が確定してしまいますし、いずれ刑の執行も行われてしまいますから、そうならないためには、動くしかないと思います。

 仮に弁護士生命をかけたとして、最悪でも弁護士バッヂが無くなるだけのことで、本当の命が無くなるわけではありません。人の命を助けるためにとる行動と比べれば、どちらを優先すべきかは言うまでもありません。

 今枝弁護士がブログで書いていることを読んでいると、そういう動きをしているのだなと感じます。

 この事件には、いろいろな方々が関わってみえるのですが、どちらかと言うと自己主張の方が強く、人の話を聞かないとか、聞く耳を持たない方が多かったために、最高裁判事の心・被害者遺族の心・一般大衆の心など人の心を読むことが下手な方が多くみえるように感じました。

 例えば、通常の刑事裁判で被告の利益のために用いられる被害者の落ち度を突く行為(被害者攻撃)が、光市事件裁判の場合は、法廷内だけでなく法廷外でも多くあったように思います。

 刑事事件の場合には、事件が起きた背景で、被害者にも原因がある場合もありますから、被害者の落ち度を突くことで刑の軽減をはかることは多いですが、光市事件の場合は、被害者・加害者の関係から、被害者(被害者遺族)には、何の落ち度もありません。

 刑事裁判は、こういうものだという認識を持っている人達からすれば、普通のことであっても、刑事裁判を知らない多くの人が、そういう行為をする者に対して、良い印象を持ちません。特にこの事件では、被害者・被害者遺族には、何の落ち度も無いので、絶対に触れてはいけない部分です。

 それでもそれをするのですから、した人達は、そのことに気づいていないとしか思えないです。

 落ち度が無いのに、二次被害・三次被害に遭うので、被害者遺族の処罰感情が峻烈になって当然です。

 メディアの多くもこの事件を取り上げましたし、ネットでも多くの情報がありますから、自分が被害者遺族の立場になったらと考え、少しでも被害者遺族の力になればと行動された方も多くみえると思います。

 確かに遺族のM氏の処罰感情も当初は峻烈になっていたと思いますが、長い年月の間に犯罪被害者参加制度導入などいろいろと司法制度改革となることにも尽力されてきました。

 M氏の(差し戻し控訴審判決後だけでなくそれ以前のも含めての)コメントでは、死刑云々よりも、被告に犯した(犯してしまった)罪の重さに向きあって欲しいという思いの方が強く私には感じました。
 被告が犯した罪と向き合い、猛省すれば、当然のことながら行動にも表れてきます。その姿(更生の可能性)を見たかったのじゃないかな?と感じました。

 たぶん罪に対する罰って何のためなのかを考えられたからだと思いますが、普通なら峻烈のままなのを、被告の言動次第では、法廷での自分の言葉をも変えようとしていたことが伺えます。

 M氏もいろいろと葛藤があったと思いますが、そこまでになられたというのは、相当の精神力だと思います。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、同様なことが自分の身に降りかかってきたとしたら、私はそこまでになれる自信はありません。

 光市事件は、犯行時少年でしたが、逆送され、起訴されている以上、成年の事件と同様に考えるべき事件です。成年同様に考えると、罪責からすれば、無期懲役、死刑のどちらが選択されても不思議でないボーダーの事件になると思います。

 ボーダーにあるような事件の場合の死刑が止むを得ない場合と死刑が止むを得なくない場合の違いを考えると、当事者である被害者遺族の処罰感情が緩くなることと、加害者が犯した罪の重さに向き合い、2度とこういうことはしないという姿勢(被告がそれをアピールできるのは法廷だけしかありません)が、見られない場合と見られる場合の違いのような気がします。

 最高裁の判断に当てはめて考えても・・・

 被告が罪の深刻さと向き合い、猛省し、それを言動に表せれるようになれば、その気持ちが遺族に届くだろうし、届けば遺族の意見陳述の時も、それなりの言葉になると思いますから、罪責は誠に重大でも、特に考慮すべき事情が発生するので、死刑が止むを得なくないになると思います。

 もうすぐ犯罪被害者参加制度、附帯私訴制度、裁判員制度が始まりますが、適用事件の際に被害者の落ち度を指摘しなければならない事件もあれば、中には被害者の落ち度が無い事件で指摘をしてはいけない場合もあると思います。

 被告を守る立場の弁護人からすれば、同じ行為であっても、被害者の落ち度がある場合は、指摘することが被告人の利益につながりますが、落ち度がない場合には被告人の不利益に繋がってしまうことだってあります。

 被告の心の状況を分かっていた今枝弁護士は、その命を助けられたかも知れないという立場の人ですから、被害者遺族の思いを知り、最高裁での判断や差し戻し控訴審での判決内容を読み 相当悩んだと思います。

 なにしろ、被告人を守る立場の弁護団にいたのですから、今は弁護団から離れていても、この事件に関わっていない他の弁護士達とは全然立場が違います。

 上告事由が判例違反では、上告棄却を免れるのは限りなく不可能に近いと思いますので、刑が確定するまでには、時間があるようでありません。

 今、今枝弁護士がしていることは、モトケンさんが言われるにあたり、はたして死刑回避が出来るかどうかは分からないにしても、可能性が少しでもあるならと、自分が出来る精一杯のことを必死になって動いている状態だと、私には見えますし思えます。

モトケンさん、みなさん、はじめまして“大学生の母”と申します。
先に場外の方に書き込んでしまいました。
私は法律には疎く、極々普通のおばさんですので、お手柔らかにお願いしますm(_ _)m

>2 できる限り事件の真相に迫る弁護

これは結局不可能だと思います。
人に出来る事は結局「これが真相なのではないか?」と推量をする事だけなのです。「これが真相だ!」と断じる者がこの世に存在しない以上、それは何処までいっても推量でしかないのではないでしょうか。
1つの真実も人というフィルターを通した途端、それは既に「真実」ではないと思うのです。
人は無意識の内に、または意識的に情報を峻別しています。
掲示板でのやりとりを経験された方なら判ると思うのですが、全く同じ文字の羅列を見ても、ある人は怒っていると受け取り、ある人は拗ねていると受け取り、ある人はブラック・ジョークを言っていると受け取る。
これは今まで個々に蓄積された情報とハードが違う事に拠るものだと思います。人というフィルターを通したものをいくつ集めても、もはやそれは「真実」ではなく、だからこそ裁判所は「事実」という言葉を用いているのだと思います。

こいつの弁護士目線は一生直らないみたいね。
自分の身分保障のみを優先しているが、懲戒請求で一番被害をこうむっているのは請求人である一般市民のはず。
純粋な嫌がらせ懲戒に歯止めをかける為に、正当な懲戒請求人にまで負担を強いる的発想は日弁連的本末転倒発想。

懲戒請求は一般市民のものであり権利です。
一般市民を橋下弁護士の金魚のフンか副産物くらいにしか見ていない人間の発言は社会に害悪を及ぼす。

懲戒請求を語るなら、請求をうける弁護士側の視点ではなく、一般市民の視点に立って発言するべき。一般市民(懲戒請求者)の視点に立てない話にならない奴が、懲戒処分のハードルについて語るのは不適切でしょう。

No.16 まさ様
>今、今枝弁護士がしていることは、モトケンさんが言われる3にあたり、はたして死刑回避が出来るかどうかは分からないにしても、可能性が少しでもあるならと、自分が出来る精一杯のことを必死になって動いている状態だと、私には見えますし思えます。

全体を通して、仰りたい事は私も解る気はするのですが・・・。
上記に挙げた所は、特に理解できません。
まさ様も仰るように今枝弁護士はもう被告の弁護の任を解かれてしまったんですよね、何方かも仰っておられましたが、元当事者としてベラベラと被告のことや裁判のことなどを喋っていることが許されることなのでしょうか?
敢えて非難覚悟で申し上げれば、今枝弁護士の現在の行動を美談化することには少々納得できません。(美談は言いすぎかもしれませんが・・)

>No.14 惰眠さん

制度の問題であるのは、 その通りですね。

ただ弁護士だけの責任では無いのでしょうが、法曹外から見た場合、「被告人の利益最優先」から導き出される「1」を達成するため、手段を選ばない様を見ていると、どうにも釈然としません。

光市事件でいえば、土下座弁護からの急転換などの迷走は、理解しがたいものがあります。

【2 できる限り事件の真相に迫る弁護】について。

弁護人は、実際にはそれを最優先の目的として活動しているわけではないし、そのこと自体は別段間違っていないというか、法曹倫理として普通の考え方ではあります。

しかし、例えば重大事件の記者会見等、世間一般の人が目に触れる場所では、「弁護団は事件の真相、真実を追求しています」「弁護人の主張こそ客観的な真実なのです」と宣伝される(そうせざるを得ない)というのが、まことに難しいところです。

光市事件における弁護団バッシングのうち、一定の部分は、弁護団が【2 できる限り事件の真相に迫る弁護】を実践していると宣伝しつつ、その主張の内容がアレであったということが原因であると思われます。

世間には「被告人、弁護人の主張こそ真実だ」と宣伝しておきながら、一方で、弁護人は「真実」より「被告人の利益」を優先して行動するのですというのは、やはり、一般の方には理解に苦しむところでしょう。

なので、否認事件における弁護人の記者会見(法廷外での宣伝活動)というのは、多くの場合、有害無益ではないかと思うわけです。

No.19 O様
はじめまして。
O様は元弁護士が事件について公にする事に反対なのですか?
このような事は別に今枝弁護士だけでなく、有名な事件に携わった弁護士さんならば珍しい事ではないと思いますが。
元日弁連会長・中坊公平氏をはじめ多くの弁護士が著作において担当事件について語っておられます。
それが余りに直近だという事に違和感はありますが、
BPOの調査結果の「集団的過剰同調」 「巨大なる凡庸」という事実があれば致し方もないのでは?という気は致します。

No.22 大学生の母様
レスありがとうございます。

スレ違いになりがちですので、あまり多くを語りたくありませんが、

>元日弁連会長・中坊公平氏をはじめ多くの弁護士が著作

のようなお話も知らないほど、法曹界のことはあまりよく知らない者ですが、

>元弁護士が事件について公にする事に反対なのですか?

については、「はい」です。

ただし、色々な考え方があることは否定するつもりはあまりありませんが、個人的な感覚としては、というか「法曹界の中では裁判の当事者になった方は守秘義務というのはあまり必要ではないんですね」と言いたくなります。
あのお偉いさんの方々が喋っているんだから、その位の事、素人よりは、分別が有るんだから、許しましょうね、という事なんですか?
(ちょっと専門家の方々には非礼な言い方になってしまいました。すみません)
特に今回の今枝弁護士の言動は、刑事弁護に係わる問題も孕んでいるわけです。しかも裁判はまだ係争中です。
日曜日の「たかじん〜」という番組でしたっけあれをみても、ご本人はあたりさわりないように言うつもりだったんでしょうが、弁護団批判に近いような事も仰っておられましたが・・・。
多くを語りたくないと言いつつ、少々感情的に喋りすぎました。
私は法律無知ですが、どなたか教えていただけたら幸いですが、「裁判内容の守秘義務」は、法律では定められていないんでしょうか?

じんはお尻が大きいね

 私は前にも書きましたが情報発信については比較的寛容なほうであろう、と思います。No.21 (ただいま謹慎中)さまのおっしゃることはとってもよく分かるのですが、ある程度客観証拠と合致するような被告人の証言等を公表してもよい、と思っていますし、やはり今枝さんのネット等での情報発信はこれまで有益なものも多かったと思っています。
 しかし情報発信はあくまで弁護方針とリンクしたものでなければならない、と思ってます。現在の被告人の弁護人は現弁護団です。

 よりよい刑事弁護に向け、今枝弁護士が奮闘されているようですが、反応は思いのほか乏しいようです。
 腫れ物を放置して、沈静化を待つ、といったところなのでしょうか、同業者の方々は。

 暴走モードに突入かと思わせるほどの意気込みですが、途方もない爆弾を抱えていそうな気配も感じられます。
 現行の刑事弁護はぶっ飛んでしまうのでしょうか。

算すると487円〜刑事弁護の実態【中日新聞】…赤字事件も多数
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/805ef1d4dfd7a66df959fe7a81c650c7
まあ、こちらをみれば、救いがたく信じがたい現状というか、末期段階を通りすぎているように思われました。
 まあ、公務員で生活の保証されているはずの官庁でも過去の膿が噴出したぐらいですから、社会正義の実現など謳っている弁護士であれば、看板に偽りがないのか、役に立つのか、より苛烈に国民の指弾を受けて然るべきでしょう。
 弁護団の問題など騙し絵に見えることもあります。

>No.20 英王室御用達紅茶さん

うーん・・・それって、根底に「事実が明らかになれば被告人はより重く厳しく罰せられる筈だ、そうなるべきだ」って意識がありませんか?
でもって、それはこの前BPOが意見書でテレビ局に突きつけた「どうせ事実は決まってる」的傲慢さに繋がる考え方なんじゃないかという気がします。

「なりふり構わず」のことを言い出すと、公益代表の検察だって、起訴した被告人に有罪判決を出させるために、ある意味手段を選ばない弁論をやってるわけですから(Cf.前回の植草痴漢事件裁判におけるAV趣味の暴露etc.)、今の刑事裁判制度における法廷での戦いってのは、そういうものなんだと前提化しておく他よりないと思うんですが・・・。

ちなみに、今回の光市事件裁判での弁護方針は、私は「迷走」はしていないと思います。ちょっと・・・いやかなり強引な荒技を使おうとしたもんだなーとは感じましたが。最初、傷害致死主張をニュースで見たときにはひっくり返りそうになりましたよ(苦笑)。まあ、他に戦いようはなかったのかもしれないし、仮にそれが通れば大したものでしたが、案の定無理だったなと。

「2 できる限り事件の真相に迫る弁護」法廷での弁護ということになるとちょっと分からないですが、弁護士の方も被告を真相に向き合わせ、真相を明らかにしようとする姿勢は大切な基本ではないのでしょうか。

逆を考えてみてください。被告を真相に向き合わせることなどどうでもいいと考え、「1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護」を展開することを想像すると、そんなとんでもないことがまかり通ってはならないと思います。

弁護団が批判された理由はまさに、彼らが被告を真実に向き合わせようとせず、ただ刑を軽くしようとしている様に見えたからでしょう。そして裁判所の判決も、その点を厳しく突いていたように感じました。

基本的にROM専なんですが。

>弁護団が批判された理由はまさに、彼らが被告を真実に向き合わせようとせず、ただ刑を軽くしようとしている様に見えたからでしょう.。

 見えた、ことが問題なんですか。議論が何ヶ月も前の状態に戻ってしまってるように感じます。世間にそう見えてしまう弁護手法は採れないということですか。それが真相を明らかにしようとする姿勢から生まれたものであっても。

>No.17 大学生の母さま

 はじめまして。

人というフィルターを通したものをいくつ集めても、もはやそれは「真実」ではなく、だからこそ裁判所は「事実」という言葉を用いているのだと思います。

 No.17のコメントの本旨にあまり関係しないと思われますので申し訳ありませんが、もしかしたら、裁判員に「心のケア」のNo.5、No.7、No.9のやり取りをご覧になっておられたのでしょうか。
 そうであれば、上掲エントリNo.9の投稿をした際には、論点がぶれるのを恐れて適当に流してしまっていた箇所でしたので(申し訳ありません)、下記補足をさせて頂きます。

 まず、「事実の追求は現実論で真実の追究は観念論(上掲エントリNo.7)」という区別がなされているのかどうかは、私には分かりませんでした。
 ただ、区別がなされているのは「実体的な事実や真実」と「訴訟手続上(形式上)の事実や真実」ではないかと私は思っております。だからこそ、事実認定についても原告側と被告人側とで争ったりする事があり、裁判所が認定した「事実」を「事実とみなす」のだろうと思います。

 また、裁判所でも、(少なくとも宣誓では)「真実」という言葉が使われる事もあるようです↓

裁判所 刑事訴訟規則(原文は縦書き)より

(宣誓の方式・法第百五十四条)
第百十八条 宣誓は、宣誓書によりこれをしなければならない。

2 宣誓書には、良心に従つて、真実を述べ何事も隠さず、又何事も附け加えないことを誓う旨を記載しなければならない。

 本件に関連して、法曹倫理(有斐閣)と刑事訴訟法(白取祐司著,日本評論社)の2冊を読む限りでは、「訴訟的真実」という概念もあるようでうす↓

法曹倫理(有斐閣)P246〜247 「(六)実体的真実と訴訟的真実」

刑訴法で問われているのは実体的な真実ということではなくて、適正な手続きというものを経由して、そのフィルターを通して現れてきた事実の集積にすぎないのではないか。攻撃・防御という異なった立場からの複数の視点がある。生の社会的事実を眺めるときに、一方では検察官の側から眺めた視点で事実が見えてくる。もう一方では弁護人の視点で物事を見たときの事実が浮かび上がってくる。そういう攻撃・防御という相互批判を尽くして、そこから浮かび上がってきた事実をもって満足するのが刑事訴訟であり、それが人知の及ぶ制度の限界ではないのか。こうした事実認識の結果、把握された事実を「訴訟的真実」と呼びます。

刑事訴訟法(白取祐司著,日本評論社)P301 (1)証拠法の重要性と「真実」

証拠法の指導理念は実体的真実発見にある、といわれることがある。しかし、当事者主義を基調とする現行法のもとでの「真実」追及は、「訴訟的真実」にすぎないことに注意する必要がある。旧法下では、捜査官・訴追官の嫌疑を裁判所が引き継ぎ公判において広範な職権証拠調べを行うという、裁判官による実体的真実のシステムがとられていた。それが現行法では、一方で被疑者の身柄の確保、証拠の発見・収集過程を適正手続きによって厳しく制約し、他方で原告・被告に事実を争わせ裁判官は原告の主張の真否を審査するだけの役割をもつ当事者主義ないし適正手続の支配するシステムに大きく変わった。その結果、訴訟における「真実」追及も、はじめから手続的制約をもったものとならざるをえず、裁判の結果得られるのは客観的真実ではなく「訴訟的真実」にすぎないものとなったのである。このことは旧法の職権主義の訴訟構造においても本質的には同様であったが、アメリカ法の強い影響したでの刑事司法改革の結果、適正手続を標榜し、証拠能力の制限を設けた現行刑訴法において、問題はより鮮明となった。現行システムのもとでは、証拠によって証明され裁判所が認定した「事実」が真実とみなされるのである。

 上掲の2冊の説明が通説かどうかは分かりませんが(汗)、ご参考まで。なお、上記投稿は「法廷では真実とは全く別の事実を追求する」「法廷では真実はどうでも良い」等という趣旨ではございません。(念の為)
 また、コメント欄の流れを読まず申し訳ありません。
それでは、失礼致しました。

>それが人知の及ぶ制度の限界

 考えさせられるところですが、多くて文庫本一冊程度の情報量ではないでしょうか。23日程度で警察、検察が作成できる書面の情報量など。
 すごく大雑把なとらえかたですが。

 以前、書くのが早い小説家でも本一冊仕上げるのに20日程度と本で読んだ覚えがあります。小説の場合は、極端な話、思いつきの自由な発想で書き進めることが出来そうですが、聞き取り、メモ、整理などとなると、余計に時間もかかりそうです。
 まあ、読めば10分か15分程度の供述調書を一日がかり、残業込みで仕上げられれば、スムースな仕事ぶりなのかもしれません。長時間の取調べなどと批判も受けながらという、おまけ付きのようなもので。

 大雑把ですが、大きく外れているようなことはないと思います。

No.29 とうしろうさん

被告を事実と向き合わせた結果なら問題なかったでしょう。

しかし判決でも弁護側の主張は「荒唐無稽」と厳しく退けられた今回のケースは、弁護団に問題があったと思われても仕方ないと思います。

被告を事実と向き合わせることが出来たのであれば、主張は物的証拠と矛盾しないはずですし、「荒唐無稽」なんてことにはならなかったと思いますよ。

世間をなめちゃいけません。

>No.23 O様
お返事ありがとうございます。
私も本当に法律には疎くて、でもこの事件の被告は息子と言っても良い歳だったので、とても人事とは思えず、この事件の動向を私なりに見つめてきました。(ネットの中に批判者が多いのもネット人口の年齢分布図が被害者と同じ幼い子を持つ若い親&祖父母が多い事にも関係がある様な気がします。あくまで推論ですが。。。) 1人位は被告の母親に近い立場で論じる者が居ても良いのでは?と云う考えで議論に参加してみました。

ただし、色々な考え方があることは否定するつもりはあまりありませんが、個人的な感覚としては、というか「法曹界の中では裁判の当事者になった方は守秘義務というのはあまり必要ではないんですね」と言いたくなります。

何処から何処までが「守秘すべき」になるのかが問題ですね。
公判で出てきた証言内容などは、既に判決が出ている以上、希望すれば誰でも個人情報以外は資料を読む事は出来ますし(最高裁での説明に拠ると)公表する事に被告が同意すれば「守秘すべき」にはならないのかな?とも思います。
少なくともこれからの法律審での情報は今村弁護士には入ってこないであろう事は予測されますね。(とても彼に現弁護団が情報を流すとは思えません)
今村氏を少し弁護するとすれば、彼は医療でいう処のセカンドオピニオンを目指しているのかも知れないですね。

>No.30 死刑囚さん
なるほど、観念的なものではなく、「訴訟的真実」という事ですね。
納得致しました。
相互批判を繰り返すのが「訴訟的真実」に近付くのであれば、「形振り構わぬ弁護姿勢」もあっても良いのかな、と思います。

>世間をなめちゃいけません。

世間をなめてるつもりはありませんが・・・。

>思われても仕方ないと思います。

しつこいですが、思われるのが問題なのですか?

被告を事実と向き合わせなかったことが問題なんでしょう。
私は抽象論で申しました。以後スルーでお願いいたします。


> No.28 ど素人さん
レスさせていただきます。
>被告を真相に向き合わせることなどどうでもいいと考え、「1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護」を展開することを想像すると、そんなとんでもないことがまかり通ってはならないと思います。
とんでもないことではありません。
被告人がそれを望み、主張を行うのであれば、「世間」がどう思おうと、弁護人はその方針に沿った弁護を行う必要があります。
「世間」がどんなに荒唐無稽だと非難しようとも、被告人の目的が自己の減刑であろうと、被告人が主張する以上それが事実であるという前提で、その主張を裁判官に認めさせるべく立証を行うのが弁護人の責務です。
対立する主張を行う検察側や事実認定を行う裁判官がその主張について糾弾することは可能ですが、一般市民が判決が出る前から弁護側の主張について「事実無根で荒唐無稽」と非難することは何の意味もないことです。
また、本件において弁護団の主張が裁判官に一蹴された理由は、「事実じゃないから退けられた」のではなく「立証できなかったから虚偽として退けられた」のです。
公判における「事実」とは裁判官が検察側弁護側双方の主張と提示された証拠に基づいて判断するもので、判決が出るまではあくまでも証拠に基づく主張に止まります。
本件では、被告人が「新供述が事実である」としている以上、検察側の主張や一審二審で認定された「事実」については誤りであり、そのような「事実」に被告人を向き合わせ受け入れるように迫ることは、被告人にとっては「虚偽を受け入れろ」とされることを意味していますから、そんなことは弁護人には出来ないということです。

>No.32 ど素人さん
横から失礼します。

「被告を事実と向き合わせる」は、検察の役割ではないでしょうか。
「被告に事実を突きつける」と言葉を少しいじればしっくりきます。

要するに、被告は裁判そのものを通じて事実と向き合うものではないのかと私は考えます。

>現弁護団

 お払い箱になる公算が高いのではないでしょうか。このままでは限りなく100%に近く、判決は変わらないでしょうから。
 最高裁は法律審ですが、事実に踏み込んで判決を変えた例もあるようです。確か、女性の殺人事件で大幅に刑が減刑されました。
 佐木隆三の「殺人百科」か「事件百景」に取り上げられていた裁判の一つだったと思います。全然、名前を聞かなくなって、もしかして亡くなられたのかと考えたこともあったのですが、差戻控訴審判決の当日の報道番組で、コメントを出していました。
 個人的なことでもありますが、自分が金沢から福井に移るとき、母にこの作家の本の差し入れを頼んだのですが、「新選組事件帳」というのが入っていて、福井に移ってからようやく読むことが出来ました。
 山口県の下関あたりが舞台の一つであったと記憶しています。今枝弁護士もたしかこの辺の出身ですね。
 長州と言うのはもともと激情家、活動家の産地とも聞いたことがありますし、維新回天の先駆け大きな原動力にもなりました。京都とも縁が深かったはずです。
 京都と言うのも保守的な反面、進取の気鋭に富んでいるとテレビで聞いたことがあります。たしか、「京セラ」なども紹介されていて、たまたま観た番組でした。

 ちなみに、美空ひばりの「男なら」という曲があり、自分が子供の頃は、ちょくちょく耳に入ってきた曲でした。
 後日知ったことですが、この曲の詩は、幕末に下関で英国などの艦船に砲撃し、手痛い報復を受けたとき、地元の女らが男を励ますために歌ったそうです。
 歌詞は今自分の記憶にある範囲で紹介します。
 「男なら、未練残すなこの世のことに、どうせ一度は死ぬ身でないか、男ならやってみな」
(今日までずっとこのような歌詞だと思い込んでいたのですが、実際はちょっと違っているのかもしれません。それにもともと美空ひばりの持ち歌でもないようです。ネットで調べて分かりました。
 やはり、山口県が発祥で「オーシャリ節」というのが元歌らしいということはわかったのですが、内容は分からず、ただ、やはり元々は軍歌の一つだったようです。
 今の今枝弁護士には雰囲気的に、「宮さん宮さん」の方がマッチしそうです。
http://www.d-score.com/ar/A03042901.html
 (知らない人がほとんどだと思いますが、昭和の時代はよく耳に入ってきたのです。自分の場合、母親がほとんどNHKばかりつけていた影響もあると思いますが、漫画のアニメは民放でよくみてましたけど。)

新しい時代の黎明期、維新回天という意味で)

 美空ひばりといえば、昭和という時代の象徴的存在の一つであり、ファンでならずとも、昔はよく曲が耳に入ってきたものです。
 ただ、金沢の施設で聞いた「人生一路」という曲が一番印象的でした。同じく亀田兄弟を知ったもの同じ頃で、同じようなテレビの録画番組でした。
 「生きる試練に身をさらすとも、」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND41217/index.html
 良きにつけ悪しきにつけ、昭和という時代を色々と思い出すことがあります。
 また、これが現場最前線の現実に即した実効的な矯正教育の一環と思えました。
 少なくとも不当に卑下して世間に媚びるようなことを勧めているとは思えませんでした。弁護団はそんな国家権力の体質、風潮を匂わせているようにも感じられますが。
 ちなみに、刑務所では刑務官のことを「おやっさん」と呼んでいます。拘置所も似たようなところがあるように思えますし、実際的な影響力も少なくないように思えます。
 情報収集、分析、演出、演技にも通じるところがあると思います。

 とりあえず、今枝弁護士にはよりよい刑事弁護のために、「世海に臨みて、虚名を釣らず」という言葉をエールとして贈りたいと思います。
 八甲田山雪中踏破の福島大尉の言葉です。
 失敗したようですが、もともと福島大尉は法律家を目指していたようです。実現できただけでもとても恵まれていると思いますし、利己心やくだらない自尊心のために能力を注がないで欲しいと、法曹全般に向け希望しています。
 のみならず、出来損ないの欠陥品には、検察、裁判所の膺懲の鉄槌も求めています。天罰のごとき、すさまじい制裁を含めて。
 今枝弁護士に負けない情報収集もしていることでしょう。これはたぶんに期待ですが。

 書いているうちに、コメントが追加されていました。
>No.35 感熱紙(刑)さん
 なかなか説得力が感じられますね。否定し難い一面であるとも言えそうです。
 「嫌悪感」の一言で大幅修正をした私ですが、蒸し返すつもりもなく、ざっと呼んで率直にそう感じました。個別な具体的事件の特徴、問題性にまで踏み込んでいるとは思い難いですが、裁判所の出した判断と、死刑という重大性に鑑みて。
 その意味でも弁護団は軽率であり、大きな非難と破格の制裁を加えられるべきだと思っています。

 私の場合経験上、虚偽を受け入れる云々より、真実を語る資格がない、と刑事弁護に見切りをつけたように思っています。長い年月をかけた上で、自分なりに納得の出来た答えです。

予断排除の原則で裁判所はテレビとかには煩わされずに判断するべきだって教科書には書いてあったけど・・・

ど素人さんに向けて書き込もうと思ったら、No.35 感熱紙(刑)さんのコメントが私の言いたいことを一言一句あまさず先に述べてくださいました。

他のエントリーでも書きましたが、裁判官は「主張が荒唐無稽かどうか」では判断しません。「主張の立証が充分かどうか」で判断します。
もし立証が充分でなければ、志布志冤罪事件の「踏み字」だって荒唐無稽と見なされて却下されていたでしょう。検察官が家族の名前を紙に書いて容疑者に踏ませるなんて荒唐無稽だと思いませんか?

それから、世間が弁護側主張を荒唐無稽だとバッシングしていたことを、判決が主張を却下したことをもって正当化し、懲戒処分すら求める動きは危険です。これこそ医療崩壊と同じ「萎縮弁護」を招く決定打となりかねません。

 いつも興味深く拝見しております。
 幸いなことに刑事事件とは無縁にすごしてきましたが、自分が被告人の立場になったときにはどのような弁護士がいいのか考えました。被告の席に立つと想像するに弁護士は助言者・代弁者であり何を主張するかは自分で決断することだという当たり前なことを失念していました。
 自分で決断するということであれば弁護士の先生に求めるのは決断する上での専門的な情報と冷静で射るための心のケアでは無いでしょうか。情報・手段の提供は弁護士の職務として当然のこととは思いますが、刑事被告人という非日常の立場で出来るだけ冷静にいるには専門知識のある弁護士の励ましは大きいでしょう。でも、心のケアまで求めるのはどうだろうとも思います。下世話な話、高い弁護報酬を払うなら求めるものが大きくなります。弁護報酬の見方は弁護士の先生方と私を含め法曹界に疎い世間とでは埋めがたい溝があるとは思いますが。
 私は癌になって大きな手術を数度行いましたが、治療に対して医師に求めることと刑事事件の弁護士に求めることは似ているように思えますいた。

>No.35 感熱紙(刑)さん

弁護団の主張が裁判官に一蹴された理由は、「事実じゃないから退けられた」のではなく「立証できなかったから虚偽として退けられた」のです。
(中略)
本件では、被告人が「新供述が事実である」としている以上、検察側の主張や一審二審で認定された「事実」については誤りであり、そのような「事実」に被告人を向き合わせ受け入れるように迫ることは、被告人にとっては「虚偽を受け入れろ」とされることを意味していますから、そんなことは弁護人には出来ないということです。

「簡にして要を得た」とはこのような文を言うのでしょう。
ワイドショーのコメンテーター各位などには、是非とも流用していただきたいところであります。

前段については「立証できなかったから『荒唐無稽な話』で終わったけれども、もし立証できていれば『事実は小説より奇なり』になった」とも言い換えうるかもしれないなーなんて思いました。

元々が虚偽だから立証できなかったんでしょ。
被告人が常に事実を述べているという前提で話をされてもねえ

>No.42 裁判所も荒唐無稽様
>被告人が常に事実を述べているという前提で話をされてもねえ

事実は1つであるとは限りません。
法廷は被告人の言う事実と検察の言う事実を突きつけて、どちらが判事ににすれば尤もらしいか?を問うところでもあるのです。
判事へのアピール度に拠り判事の判断が異なってくる可能性は充分にあると言えます。
ここで注意をしなければならないのは、No.30 死刑囚様がご提示下さった 「訴訟的真実」が「必ずしも本当の真実とは限らない」という事です。「実際の真実」は神でしか知り得ません。(神が存在するとしたらの話ですが。。。。)
もし裁判に拠る「訴訟的真実」が絶対的なものなら、何も控訴審で問い直す必要はないでしょう。

結果からものを言っても始まりません。
「論証する」とはどういうことなのか、そのプロセスについて最低限の知識を持ってからコメントをしてください。

立証できなかったことを理由として、虚偽であった(事実ではない)と結論付けるんです。それを結論が出てから後知恵で言えば「元々虚偽だから立証できなかった」になりますけどね。

 それと、被告人が述べていることが事実だという前提に立っているのではなく、事実かどうか検証するから「事実だ」と合理的に説明し立証して見せよ、です。
 その説明をあれこれ突きまわして、それでも破綻なく合理的に成り立つのならば「事実」として受け入れ、成り立たないなら退ける。それだけのことですよ。

念為ですが、No.44の記述はNo.42に向けたものです。
No.43 大学生の母さんのご気分を害してしまったら申し訳ありません。

No.43 大学生の母さん

「訴訟的真実」とは、ずいぶん虚飾に満ちた表現だこと。
素直に真実ではない、弁護側か検察側の「物語」だと述べたほうが刑事訴訟を知らない人にはわかりやすいですよ。

No.44 惰眠さん

エントリーは刑事弁護の結果として何を目指すべきかというお題でしょう。
プロセス論とか、話をそらされてもねえ。

>No.42 裁判所も荒唐無稽さん

元々が嘘でも立証できてしまう(裁判官が信じてしまう)場合がありますよ。
刑事では、冤罪と呼ばれてますが。

ところで弁護団としては、被告人の話が真実であるという立証をする必要はなかったんです。
被告人の主張が真実とは断定できないかも知れないが検察官の主張も真実とは言い切れない、という疑いを裁判官に抱かせればよかったんですが、弁護団はそれすらできなかったわけです。

しかしこれをもって被告人が事実を語っていないと断定することもできないです。
裁判官に信用されなかったというだけです。
私も信用できません。
ひょっとしたら被告人自身も。

>No.46 裁判所も荒唐無稽さん

 訴訟的真実は単なる物語ではありません。
 証拠に基づいて認定された物語です。
 言い換えれば、裁判官が(近い将来、裁判員も)証拠に基づいて信用した話です。

 そして、裁判の基礎となし得る事実はそのような事実以外にあり得ません。

 つまり、証拠が変われば事実が変わるんです。
 もちろん証拠の信用性が問題になります。
 信用できない証拠を持ち出しても事実は変わりません。

安田弁護士自身の裁判のように、裁判官が変わっただけで真実も変わることがあるようですが。

>No.49 うらぶれ内科さん

法律家はこの場合には「真実」という言葉を使いません。

No.33 大学生の母様
私のような感情的なコメントにわざわざレスいただきありがとうございます。
正直な話、私は今枝弁護士や橋下弁護士のようなタイプの方は人間性で見れば好きなタイプの方です。(今枝弁護士がTVに出演の時でも余分な事を言わんでねーとついつい見てしまいます。)
しかし、弁護士としてのプロフェッショナルな仕事を求めたとき、「ちょっと見てらんないな〜」という危ういさを感じてしまうのです。
確かに、お二方の目線は非法曹の世間に近づけようとしているのは解ります、しかし本業については、その目線から得たものを検察・裁判官と対等以上に戦っていただきたい、涙を流さず、軽はずみな煽動をせずにです。
私は旨く表現できなく申し訳ないですが、No.35 感熱紙(刑)様のコメントの事とかを理解できないでいる、或いは理解できないまま今後も弁護団批判をあいも変わらず言い続ける人達がいらっしゃるという流れのまま、No.39 みみみ様の後半部分、
>それから、世間が弁護側主張を荒唐無稽だとバッシングしていたことを、判決が主張を却下したことをもって正当化し、懲戒処分すら求める動きは危険です。これこそ医療崩壊と同じ「萎縮弁護」を招く決定打となりかねません

と同じ危惧を私も感じており、現在の今枝弁護士の言動にはイライラしていたところでした。

>No.48 モトケンさん
主題から離れますが、為念で一つお願いがあります。
現状から見て、このツリーは議論が交錯する事になると予想されますが、そうした中でダブハンが跋扈するときちんとした議論が出来なくなる恐れがあります。
ですので、このツリーでは通常よりやや厳格な方針で臨んでいただきたいなぁと思っております。ハンドルだけ変えて十年一日のごとく一つ覚え芸を繰り返すような人に構っても、実りがありませんから。

>No.51 O様
ご丁寧にどうもです。

しかし、弁護士としてのプロフェッショナルな仕事を求めたとき、「ちょっと見てらんないな〜」という危ういさを感じてしまうのです。

これは私も感じます。
「今朝のサンデージャポン」のエントリーにてレスを付けて下さった方に返してはありますが、批判する事が悪いのではなく、何の為に批判をするのか?が読んでいる者に伝わってこないと、結局「自分が抱く理想の弁護士に近づけたい」としか受け取れないのです。
( O様のことではありません)

私も被告人の為を思えば今枝弁護士の接見について公表した事を批判したい気持ちはあります。
しかし、彼自身が心の整理がついていないであろう様子を見るにつけ、もう少し長い目でみて上げたら?という気持ちもあるのです。

No.47 モトケンさん

冤罪とまったく逆のパターンで裁判官が信じてしまう場合もありますよ。
虚偽だから立証できる場合もあるし、虚偽で立証できない場合もある、そんなことは当たり前のことではないですか。どっちが難しいかという話でしょ。
極端なことをいえば、誰にも虚偽であるこ厳格な証明はできませんね。
神様ではありませんので。
だから、高度の蓋然性があれば、虚偽といって差し支えないんじゃないですか。

No.48 モトケンさん

「証拠に基づいて認定された物語」
非常にわかりやすい表現です。
しかし、その後がいけません。
事実という虚飾を使わず、最後まで物語で通していただきたかったです。

お題に戻れば、2は無理だということで

 「立證できなかったから退けられたに過ぎない」というなら、「あの状況でどう主張しれいれば『魔界転生』を立證できたの?」って疑問がでてくるわけでして。
 「端からとても立證しえない主張だった」というなら、それは職責抛棄と同義に近いものを感じるのですが。

 少なくとも、被告人の主張に事実誤認に基づく箇所があることは、辯護団も充分以上に認識していたはずなわけです。少なくとも一二審辯護人の接見記録とか辯護内容についてはそうでしょう。

 その様な状況で被告人が「立證しえない嘘」で乗り切ろうとしてるなら、万難を排してでも止めるべきだったんじゃ? と思ったりするわけですが。それとも辯護団は、「嘘の混じった新證言」で検察のストーリーを崩せると本気で思っていたのでしょうか。まさかねえ。

>No.54 裁判所も荒唐無稽さん

>そんなことは当たり前のことではないですか。

 No.42のあなたの発言と整合しますか?


>事実という虚飾を使わず、最後まで物語で通していただきたかったです。

 素人向けに物語と言いましたが、より正確には当事者の主張の意味です。
 訴訟では証拠によって認定された事実関係に関する主張を事実と言います。

 このような意味での事実を「虚飾」と考えている限り、裁判というものが理解できないかも知れませんよ。

No.54 裁判所も荒唐無稽さん

斜に構えるのも結構ですが・・・。
要するに「大人はみんな嘘つきだ!」とおっしゃりたいわけですか?

「事実」にも色々あって、整理が大変ですね。

A : ただ一つ、客観的に存在する真実
B : 検察官が主張するストーリー
C : 被告人が主張するストーリー
D : BとCを付き合わせた上で、裁判所が認定した事実

と置いた場合、

・弁護人が依拠するのはAでなくCであること(ただし結果としてAがCに合致することはある)
・できるだけDをAに近づけることが望ましいが、それ自体は弁護人の責務ではないこと

の2点は、恐らく、異論の少ないところでしょう。

ただ、弁護人が実際の事件について法廷の内外で意見を表明するときは、それが「A」であると熱弁をふるうわけですね。

また、「不当判決」というお約束のフレーズでは、「A=C」ということが当然の前提になっています。

もちろん立場上仕方ない面はあるのだけれども、そこには、弁護人の拠って立つところは最終的には「C」であるというニュアンスは微塵もなく、むしろ、訴訟では被告人の利益より「A」を指向して行動しているかのような口吻であったりする。

素人的な感覚による「黒を白と言いくるめるのが弁護士の仕事なのか?」という反発に対しては、「客観的に白だから白だと主張しているのだ」と単純化して説明するのもたしかに仕方ないのかも知れないけれども、刑事訴訟の仕組みを理解させるという観点からは逆効果でしょうね。

ただ、上の問いかけに対して、具体的事件の弁護人が「白か黒かを判断するのは弁護士の仕事ではありません。黒であることに疑いを抱かせるのが被告人の利益に適うから、そのように主張しています」などと正確に(馬鹿正直に)答えれば、それこそ袋叩きに遭うのは目に見えています。

結局、実際の事件を担当している弁護人がAとCを区別した情報発信をするのは難しい(ほとんど常にC=Aと言わざるを得ない)わけですから、本来、弁護士会などの第三者が、具体的な事件を離れてその辺りの教育をしないといかんと思うわけです・・・・・・が、説明すべき内容がデリケート過ぎて、それも難しいでしょうなー。弁護士会自身も、「冤罪」の「救済」活動を支援したりして、当事者的な立場に片足を突っ込んでしまっている面もありますし。

ついでに言うと、検察庁が上訴を断念するときに捨て台詞的に発する「裁判所の事実認定は間違っているが云々」というフレーズも、この辺りのややこしい問題についての誤解を招く、余計な情報発信だと考えます。

みなさん厳しいですね。

事実は揺るぎなく認められると最高裁が断定した後の
差戻審で頑張っていたのですから、少しは優しい目で
見てあげないと。

No.56 モトケンさん

高度の蓋然性で虚偽は立証されないでしょ
理解?裁判は法律に基づいたケンカですよね?
それ以上でも以下でもないでしょ。

No.57 みみみさん

ようするに刑事弁護は
1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護
しかありえないということです。

>訴訟では証拠によって認定された事実関係に関する主張を事実と言います。

 さすがプロですね。勉強になりました。
 ところで、光市事件に即して言えば、被告人が団地の一室に配管検査を装って侵入、その結果、母子二人が死亡、という事実には争いがないわけですね。
 要はその密室でなにがあったのかという事実が争点になっているのでしょう。検察や裁判所は強姦目的で殺害、弁護側は成り行き上の傷害致死。
 知っている人は多くないかもしれませんが、刑法の強姦罪には、強姦致死傷という修正された構成要件があります。
 強盗罪にも同じものがありますが、歴史的経験の積み重ねから、強盗や強姦には致死傷という重大な結果を伴うことが多く、設けられた規定だそうです。
 また、この致死傷は判例上、被害者が逃げ出そうとして勝手に怪我をした場合も含まれるものです。
 また、強姦罪の構成要件には手段として、暴行や脅迫が含まれています。

 気になるのは弁護団の傷害致死の主張ですが、強姦の事実自体も明確に否定しているのでしょうか。屍姦という特殊性もあると思いますが、報道からも明確に伝わるものがありません。
 検察としては強姦目的からエスカレートして殺意を抱いたという筋なのだと思いますが、力の入らない逆手で誤って死亡させてしまったという弁護団の主張、そして復活の儀式としての死者に対する性行為という理由付け、、、、。
 弁護団の主張に沿って、被害者の生死を境に切り分ければ、死体に対しては、暴行も脅迫も成立しがたいと思われるので、不問に付すべき行為、儀式としての行為ということになるのでしょうか。
 そう言えば、儀式包丁が銃刀法違反になるのか否かという判例がありました。儀式として正当化ないしは許容されるべきと弁護団は主張しているのでしょうか。
 時間の無駄にも思われ、最近では弁護団の言い分などほとんど目を通していないのですが、主張が事実となれば、改めて考えさせられるところです。
 鑑定結果の不備など指摘していたようですが。私時が実際に見た医師の鑑定書には血液型もはっきりとは分からないようなことが書いてあり驚きました。
 平成4年に作成されたものですが、まわりくどく○ま型と推定されるというような表現の記載でした。

>No.55 ミ ´Å`彡さん

これは私の理解ですが、弁護側が立証しようとしている(いた)のは「殺意の不存在」「強姦目的の不存在」「計画性の不存在」等々であって、『魔界転生』や『ドラえもん』はその解説・・・説明書き・・・にあたるものではないでしょうか。

『自分は赤頭巾の祖母である』ことを立証しようとしている狼が、赤頭巾から投げかけられた「『自分は赤頭巾の祖母である』と主張するが、だったらなぜそんなに耳が大きい?」「毛むくじゃらなのは何故だ?」「口が耳まで裂けている理由は?」等の問いに苦し紛れの説明・・・理由付けをしているのが「母胎回帰ストーリー」「魔界転生」「ドラえもん」にあたるのではないかと。で、それらの理由付けが「苦し紛れ」ではない、とする理由が「精神面の未発達」になるという図式なのではないかと。

>No.60 裁判所も荒唐無稽さん

>理解?裁判は法律に基づいたケンカですよね?
>それ以上でも以下でもないでしょ。

 プロの説明を理解しようとする意思がないと判断しますので、これ以上の説明は無用でしょう。

>No.62 惰眠さん

 その図式の理解は正しいと思います。
 というか、そのように説明しないと合理的な説明になりませんよね。

 ところで弁護団はそのような図式の説明をマスコミ相手にきちんとしてましたっけ?
 
 裁判所に説明していたのかどうかのほうがはるかに重要ですけど、産経の判決要旨を読んだ限りでは、そのあたりの主張が明瞭には読み取れませんでした。

色んな方から反対意見を受けましたが、私が言いたかったのは弁護士の方も「被告を事実に向き合わせる」という信念を心の奥に持っておかなければいけないのではということです。裁判所での弁護とはまた別の話です。

光市の場合は弁護団のそういう努力が足りなかったから、証拠とかけ離れた弁護になったのではないかと推測しています(つまり、被告がデタラメをいってて、それをそのまま弁護の材料として使った結果でわないかと思っております)。まぁ今回の場合は幸い全て見破られたので良かったのですが。

しかし証拠が乏しい事件などで、被告が刑を軽くするためにデタラメを言って、弁護士も盲目的に減刑に努めた場合に、そのデタラメが裁判で認められる可能性は充分にあるのではないでしょうか。

専門家としてこうあるべきだという技術論に偏りすぎては、裁判は単なる検察と弁護士の知恵比べになってしまう気がするのですが、それで良いのでしょうか?

No.63 モトケンさん

素人にわかりにくく、煙に巻くのが弁護士の言う「プロ」なのね。
やはりプロの方が使う言葉の定義は難しい。
失礼しました。

No.65 ど素人さんさん

「証拠が乏しければ、被告人の弁解が如何にデタラメでも無罪になる」というのが、刑事裁判の原則です。

ただし、それは、「デタラメな弁解を、裁判所が事実と認めた」わけではなくて、多くの場合、「証拠が乏しいが故に、検察官の主張する事実が認められなかった」という意味に過ぎません。

また、弁護人が減刑に努めること自体は、職務なので当然ではあります。

その手段としてどこまでのことをしてよいか、というのは、論者によって差のあるところです。当然ながら、弁護士や弁護士会はその範囲を広げたがるし、捜査機関は狭めたがります。

>No.65 ど素人さんさん

>私が言いたかったのは弁護士の方も「被告を事実に向き合わせる」という信念を心の奥に持っておかなければいけないのではということです。裁判所での弁護とはまた別の話です。

 まったく同感です。
 心の奥に持っておくだけじゃなくて、言葉にして向き合わせないといけないと思ってます。
 そうしないとどういう問題が生じるかと言いますと、再犯の危険性が高まるからです。
 再犯は将来の新たな被害者にとっても被疑者・被告人自身にとっても悲劇です。


>しかし証拠が乏しい事件などで、被告が刑を軽くするためにデタラメを言って、弁護士も盲目的に減刑に努めた場合に、そのデタラメが裁判で認められる可能性は充分にあるのではないでしょうか。

 二つ問題があります。
 「盲目的に」とおっしゃってますが、まずは被告人の話を信用してみるという姿勢がないと刑事弁護は勤まりません。
 疑いが生じたとしても、弁護人は被告人の主張に反する主張はできません。

 もう一つの問題ですが、最初と関連しますが、被告人のデタラメな主張が認められると言うことは、検察官の力不足ということであり、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事司法の大原則の結果です。
 現実に、いろいろな事件のたくさんの犯人が証拠不十分の故に起訴もされずにのうのうと暮らしている現実があります。

 それもやむを得ないことです。
 真犯人を全て犯した犯罪に相応する刑罰に処すことができるようにするためには、現在の技術ではたくさんの冤罪被害者を生んでしまう恐れがあります。
 たくさんの冤罪被害者を生んだとしても、全ての真犯人を処罰できる保証はありません。

 刑事裁判はそういう限界の中で運営されています。

>>No.62 惰眠さん
明解にお書き示しいただいたとおりであろうと私も思います。
そして安田弁護のキモは
>それらの理由付けが「苦し紛れ」ではない、とする理由が「精神面の未発達」になるという図式なのではないかと。>
ここに「少年法」の情状酌量を見て欲しいというものなのでしょう。すなわち「精神面の未発達」を立証できれば刑法上自然に情状が酌量され、「心証」からして無期判決しかないはずであるという弁護方針であると考えられます。
だからこそ今回の判決のように新供述の事実認定を最初から行う必要なし、理由は公判中の被告人の反省心に欠ける言動が証拠だとする裁判長の「心証」形成は、絶対的に受け入れ難い、裁判制度の根幹に関わる疑義の声を振り絞らずにはいられないのでしょう。
私も広島高裁裁判長は不適当な心証形成を行ったと思います。

しかし新供述を注意深く審理すれば、今回第一の犯行とされた強姦殺人に関してはNo.61 廣野秀樹さんのおっしゃる傷害致死犯行に少年の未熟性から情状酌量付き認定がなされてもおかしくないでしょうが、その場合これまで第二の犯行とされていた赤ちゃん殺しのほうに、新供述に基づく審理を淡々と行えば、これまでとは逆に犯人の未熟性を言い訳に出来ない確定的殺意が証明されることになると思います。
そして、こちらの犯行のほうが母親への暴行致死よりも犯意犯情において比較にならんrほど悪質と認定されることでしょう。そして同時に母親も死に至らしめている全体の犯行に対して、情状酌量の余地なし、と。
安田弁護の弱点はここにあると思います。それを安田弁護士が気付いていないはずがないと思いますが・・・。

それはともかく、今回の判決の心証形成は正しい審理手続きを経たものではないという安田弁護士の裁判所への抗議発言については、現時点で私は同意です。裁判そのものが正しく行われないのであれば裁判員などまるで無意味だからです。

>No.55ミ ´Å`彡様
トビずれますが、出来れば旧漢字の使用は控えて頂けませんか?
ハッキリ申し上げて読み難いです。

昭和17年、折角当時の日本政府が「簡単な漢字を国民に、これは大東亜共栄圏 に必要なことである」 と取り決めたものなのに。。。。
昭和17年7月17日(一部18日かも)のどの新聞にも記事が、公文書館には国語審議委員会の議事録も残ってますからお調べ下さい。

公文書館蔵「昭和17年3月3日 国語審議会第5回総会会議報告」
請求番号 本館-2A -040-00・資00137100

公文書館蔵「昭和17年3月19日〜5月25日 第97〜109回漢字主査委員会会議報告」
請求番号 本館-2A -040-00・資00137100

>No.62 惰眠さん
 例えば、最高裁から供述を変遷した理由ってのが、それまでの辯護人の職務懈怠が原因だったと主張してるわけでしょう? でも、本当にそうなのか、ロクに接見もなかったのか、被告人の主張を無視して出資者の言うとおりに辯護したのか、ってあたりは、辯護団は事実関係を把握していたはずなわけで。(把握してなかったってなら何やってたんだって話です。今枝さんはそう言って怒るポーズを取ってましたが。)

 仮にそれが本当に被告人の記憶違いによるものだとしても、更新意見書に書く前に事実確認ぐらいするでしょう。ましてや「ここ最近で記憶を精査した。いまの法廷での証言が正しい」とまで主張する以上、そんな核心的な部分で今更「記憶違いでした」では済まされないと思うわけですよ。

 そうした矛盾をも「精神面の未発達」を理由に正当化しようってのは、あまりに無理がないでしょうかね。その一方で「いま主張してることこそ事実」なんて言ってるわけで。むしろ心證に悪影響を及ぼす危険性のほうが高くないでしょうか。

 「結果負けたけど、死刑回避にはああ主張するよりなかった」ってならわかるんですけども、「被告の主張が正しい、我々は事実に沿って誠実に辯護した」みたいな主張をされると、「立場上そう言わざるを得ないんだろうけど、それはないんじゃないの? 少なくともどっちかは違うでしょ?」と思うわけです。

>No.70 大学生の母さん

ゎさ〃ゎさ〃公文書まτ〃引き合ぃに出Uτ戴ぃτ恐縮τ〃すか〃、大Uたことは記Uτませωστ〃、無理に読ωτ〃戴かな<τも結構τ〃すょ。

>No.69 ぼつでおk(医)さん
傷害致死罪が成立すれば(自動的に)死刑の量刑はなくなるし、よしんば訴因変更まで持っていけなかったとしても、仰るとおり「精神の発育の遅滞」が認定されれば、反省の情とは別論での酌量要件になるに違いないと現弁護団は考えた・・・ってことですよね。私も、多分そういう絵図を描いていたんだろうと想像しています。
そうすると、判決直後の今枝氏の深刻なショック、と言うのも了解可能になるように思います。望みの綱の精神の発育の遅滞まで含めて一顧だにされていない、完膚なきまでの完全敗北ですもんね。

>No.71 ミ ´Å`彡さん
仰るとおりだと思います。
弁護側主張それ自体の、ストーリー内部での整合性に限定すればそれなりに「赤頭巾への回答になっている(説得力は別として)」と思うんですが、外的事象(例えば客観証拠や、接見状況などの事実関係)と見比べてストーリーの成り立ちに無理がないかと言えば、まさにそこが無理筋の無理筋たる所以と感じています。
四半世紀ほど前の少年漫画の台詞を借りれば「お前みたいなババァがいるか」と一蹴されて終わりで当然、みたいな。上告審が開かれたときには牛にでも化けるんでしょうかね。

ただ、「いま主張してることこそ事実」と言うのは聞いててムカつきますけど、個人的には弁護側主張の中には一片の真実すらもないとまでは思っていませんし、かつてのNHK番組「クイズ・ホントにホント」の決め台詞みたいな、まあ一種の定型フレーズなので、気にしても仕方ないかなと思っています。

話がいろんな方向に行っちゃってますね・・

No.68 モトケンさん の発言、それこそ結論だとおもいます。

>3 被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護
の「よかった」が何かと。更正することですよ。
>再犯は将来の新たな被害者にとっても被疑者・被告人自身にとっても悲劇です。
これですよね。(そういや俺も別スレに似たような事書いたし(笑))
その為には「被告を事実に向き合わせる」。
そうですねぇ。

すべての刑事弁護がこうあって欲しいなと、心から思います。

議論中大変恐縮ですが、
 どこらあたりから、光市事件になってしまったのでしょうか。

 たしかこのエントリーは「よい刑事弁護とは」
 

よい刑事弁護というものをその目的の観点で考えた場合、以下の三つがあるように思います。
 1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護
 2 できる限り事件の真相に迫る弁護
 3 裁判が終わった後で、被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護
 以上の三つは、重なる部分が多いですし、必ずしも矛盾するとは限りませんが、場合によっては深刻に矛盾することもあります。

「よい刑事弁護とは」のはずでしたが、刑事弁護という点では共通すると思いますけれど!

 光市母子殺害事件差戻審判決 を引き上げますね。

NO.94へ

>No.75 cocoroさん
失礼いたしました、確かにいつの間にか明後日の方向に飛び立ってしまっていました。

No.27 惰眠さん

土下座弁護が無くなるわけですから、厳しくなる場合もあるでしょうし、逆に隠れていた事実が明らかになって無罪となることもあるでしょう。

単なる思いつきなので、色々問題点はあるでしょうが、例えば

弁護人は被告人の自認否認にかかわらず被告人を推定無罪として事実認定を争う

を責務とした上で量刑も争い、裁判官は、被告人の情状と弁護人の無罪主張を分けて量刑を決するような制度になると良いような気がしています。

No.67 (ただいま謹慎中)さん

現実のシステムはその通りですね。モトケン先生もおっしゃられてるように、刑事裁判にも限界があるのでしょう。そして私が思うのは、そのシステムの中で、検察の事実に対する姿勢次第で冤罪が増えるのと同様に、弁護士の事実に対する姿勢次第で不当に刑を免れる輩も出てくるのではないかということです。

No.68 モトケンさん

刑事裁判にもそういう限界があるということは、検察官、弁護士、裁判官全ての方が社会正義の感覚を持ち合わせることが必要なのではないでしょうか。なにをもって社会正義感の有る無しを測るかは難しいですが、その正義感は一般世間の正義感とかけ離れてないことが必要だと思います。しかし一時的な世論や感情に流されない芯の強さも重要だと思います。

>No.77 英王室御用達紅茶さん

土下座弁護、なくなりますかねえ・・・私は懐疑的です。
だって「真実」が明らかになることで、いまんとこ検察からは訴追対象にされていない不都合事実が表沙汰になる可能性があるとしたら、とりあえず被告人はゴメンナサイしちゃいません?弁護人にも話さずに。

しかも、弁護人が「それじゃダメだ、全部洗いざらい吐いて事実と罪に向き合いなさい」なんて、告解を受ける神父みたいなことを言い出したら、被告人としては「何のための弁護人ですか、あンたも検察の一味だったンですか、もう誰も信じない」って話になっちゃうと思うんですけど。

やはり、被告人にとって不都合・不利益なことをこれでもかと暴きたて、とことん糾弾する検察の役割と、被告人にとって有利な事情を片っ端から並べ立てて防御する弁護人の役割は明確に切り分けて、両論の衝突の結果から裁判所が「事実」を掬い上げる現状の方法論が一番合理的なんじゃないでしょうか。
と言うか、そういう方法論でなければ、結局のところ「真実」に近づくことが却って困難になるような気がします。
やはり誰しも、わが身は可愛いでしょうから。まあ、中には最近騒ぎになった、死刑判決を受けた暴力団組員が「あれはオレが実行犯になった保険金殺人だった」なんて自ら進んで供述する事例もないわけではないですけども。

モトケン様

>No.56
>素人向けに物語と言いましたが、より正確には当事者の主張の意味です。
>訴訟では証拠によって認定された事実関係に関する主張を事実と言います。

A : ただ一つ、客観的に存在する真実
B : 検察官の主張(仮説)
C : 被告人の主張(仮説)
D : BとC(さらに証拠や断片的な事実)を付き合わせた上で、裁判所が認定した主張=裁判所の事実認定

自然科学なんかの、なんらかの根拠に基づいた仮説を検証していって、その結果ある仮説が事実により近いものとして用いられ、新事実により前提が変更されればより事実に近い仮設が採用される、といった流れと似てますね。

ただ、Dはともかく、B,Cに仮説でなく「事実」とかいう言葉をあてられるとそれは一般の方は混乱しますね。

>No.68 モトケン様
モトケン様はそのHNの如く元検事さんでらっしゃいますよね?
検事さんも調書作成の為、被告に事実に向き合わせるように仕向けるのではないのですか?

これは「被告の真実」を吐露させるという意味ではなく、事件を振り返らせるという意味です。

検事に語った「被告の事実」を元に裁判が進む事になるのですが弁護士が「被告の事実」を否定するような行動に出てしまうのは疑問です。 これは司法や制度的にどうか・・・という意味ではなく、被告が「貝になってしまわないか?」という意味です。
これは20歳以上の子どもを持つ親御さんなら、過去1度や2度経験があると思うのですが、精神的に未発達だと自分の発した言葉を否定されると親であっても口を閉ざしてしまう事があります。被告が20歳そこそこの若い被告であるとそうなる可能性もあり、そうなると結局は「2 できる限り事件の真相に迫る弁護」から遠くなってしまうのではないかと危惧します。
裁判が終わった後、検事でも弁護士でもない、法律とは距離を置いた者、出来れば精神科のスキルを持った人が被告を事件に向き合わせるという事が出来ないだろうか?と思っています。

>No.81 大学生の母さん

>これは「被告の真実」を吐露させるという意味ではなく、事件を振り返らせるという意味です。

 私はそういう姿勢で取調べをしてきたつもりですが、振り返る被疑者もいれば振り向かない被疑者もいます。
 そんな余裕もない事件もあります。
 また、検事の前で真実を語るとは限りません。
 警察の影響が強く出るときもあります。
 型にはめようとする検事もいます。

 多くの事件では、検事に語った「被告の事実」を元に裁判はスタートしますが、検事に語った「被告の事実」が真実であるとは限りません。
 弁護士が「被告の事実」を否定するような行動に出るのが当然の事件もあります。
 その場合は弁護人に語った「被告の事実」に基づいて裁判を進める必要が生じます。

 結局、本当の意味での真実、つまり歴史的事実としての真実は神のみぞ知るです。
 被告人だって分からなくなっている事件もありますから。

 だから、人間の営みとしては、過去より未来のほうが大事なんじゃないか、と思うわけです。

No.79 惰眠さん

私の書き込みに対するレスとは思えない内容ですが…

別に被告人に洗いざらい吐かせる必要はないでしょう。
私が言っているのは

弁護人は被告人が自認していても、その意志に背いても「無罪」を前提に事実認定を争う

ということですから。
被告人がゴメンナサイするかどうかは、大元の弁護方針には関係しません。

>No.83 英王室御用達紅茶さん

>弁護人は被告人が自認していても、その意志に背いても「無罪」を前提に事実認定を争う

こういうことをしながら、被告人の利益を最大限に守るというのは相当難しいですよ。

被告人の利益というものもけっこう多様ですから。

No.84 モトケンさん

これはNo.77の後半から続く、弁護人の責務と司法制度が

被告人の利益<無罪主張による事実認定の争い
(ただし量刑の判断は弁護人の無罪主張とは関係なし。)

になればいいなと言う妄想です。

現状でこうしよう!と言うところまでの話ではないのですorz

>No.82 モトケン様
お答え頂きありがとうございます。

>被告人だって分からなくなっている事件もありますから。

確かにそうですね。
人を傷つけたりしたら普通の感覚ならそうなりますね。
また日本は高齢化まっしぐらですが、近年は加齢に拠る病気が招いた犯罪が増えているとのニュースを思い出しました。

>だから、人間の営みとしては、過去より未来のほうが大事なんじゃないか、と思うわけです。

強く同意します。

別エントリで、廣野秀樹さんが例示に使用されていた新宿西口バス放火事件は、良い刑事弁護とはなにかを考えさせられる事案のようにお思えました。

wikiによると

死刑を望んでいた被告は断るも、被告の兄に選任され弁護人となり、無期懲役を勝ち取った。 判決後、服役中だった犯人は、この事件で無期懲役になったことに対し良心の呵責に苛まれることとなり、1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

とのことですが、被告人にとって無期懲役を勝ち取ったことは「被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護」だったのでしょうか?
安田弁護士の信念は、どこにあったのか気になる事案です。

安田弁護士はブレのない信念の人なので、恐らく「事実」にトコトンこだわったのでしょう。「事実なくして反省なし」みたいなことも言っておいでのようですし。
そういう意味では、受刑者が自死してしまったことは(刑務所の管理上)残念なことでありますが、そこまで良心の呵責にさいなまれるまでに受刑者を自身の行為と向き合わせ「反省」をさせたのだと考えれば、この上もなく安田氏の信念にかなった適切な弁護を行ったと言い得るのではないでしょうか。
個人的には、犯罪者が自分自身に対して、最早生きていることそれ自体が苦痛であると感じるまでに峻厳な処罰感情を抱くよう教導し、その状態に至ってなお決して自死などさせず苦しみのうちに生かし続けることを望みますので、千住刑務所の落ち度は「万死に値する」と思います。

>>No.88 惰眠さん
私は>千住刑務所の落ち度は
ほぼ無いように思います。
ある人の内心に決意のある行動はなかなか本人以外の周りから止める事は困難です。事が自殺であればなおさらでしょう。

まあ、そういう人たちは万難を排して想像を超えた手段を開発してまで死を選択しますから、完全に阻止できるかと言えば現実的には無理だと分かってます(苦笑)。
ですが、制度趣旨としちゃあ生かして罪に向き合わせて死にたくなるほどの後悔を負わせなくちゃいけないわけなので、死なせちゃったことは(過失だとか責任だとかとは別に)やはり「落ち度」と言いたいのであります。
ほら、映画とかであるじゃないですか、拷問係がやりすぎて相手が口を割る前に死なせちゃって上役から叱り飛ばされるのが。あんな感じです。

>>No.90 惰眠さん
へへ、その辺りだろうと思ってました(笑)。短いコメントですべては書ききれませんですもんね。私も落ち度が「ほぼ」無いと書いたのも同じことを表現を変えただけのつもりなんです。文才が無いので表現が拙くて申し訳なしですけど。

No.88 惰眠さん

より良い刑事弁護という視点で考えた場合、安田弁護士にとって、「被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護」よりも「良心の呵責にさいなまれるまでに受刑者を自身の行為と向き合わせ「反省」をさせる弁護」が、より良い刑事弁護であると考えているのでしょうか。

また、「良心の呵責にさいなまれるまでに受刑者を自身の行為と向き合わせ「反省」をさせる」ことは弁護人の職責から外れているということはないですか?
弁護人は被告人の代理人なのですから・・・

>No.92 ブギーマンさん
それは、私は安田弁護士じゃないので分かりません。
が、少なくとも安田氏が(時として過剰なまでに)事実にこだわり、かつ「事実なくして反省はない」との言を発していることに鑑みれば、そして刑事司法の制度としての目的が「犯罪者の矯正(反省なくして矯正はありえない)」にあることを考えれば、原理主義的なまでに『刑事司法制度の正義』に忠実な活動をしている人物であると見ることは可能だと思います。

また、そうして受刑者が「己の罪と向き合い、真に反省する」ことができたならば、総合的にはそれが最も当人の益になるとも言えるのではないでしょうか。些か宗教めいてはきますけれども。
なお「被告の代理人」とは法廷における役割のことに過ぎませんから、徹底的に「事実(場合によっては「被告人」にとっての事実)」に拘泥しそれを明らかにすることまでが弁護士の職責であり、その「事実」を前に反省するのかしないのか、できるのかできないのかは専ら被告人本人の問題です。
新宿西口バス放火事件の裁判に関して言えば、安田弁護士はよくその職責を全うした結果、検察側がの死刑求刑は度が過ぎると裁判所に判断させることに成功したわけです。なんら職責に外れたことはありません。

その結果として受刑者が自死を選択したのだとすると安田氏にとっては苦い結末であったかも知れませんが、私は「ひどい事件を起こした犯罪加害者は、己の罪深さを骨の髄まで思い知って、死ぬまで己の所業を悔い苦しみ続けるべきだ」と思っていますので、本当に死を選択するところまで受刑者を苦しませることができた安田氏を心から賞賛したいと思います。

まぁ…刑事裁判が公権力×被告人の戦いという側面でしかないのであれば

刑事罰

なんて全廃したほうがいいのでは?
民事で勝手にやってくださいと言うことで。

新宿西口バス放火事件に関してですが犯人は鑑定により心神耗弱と判断された結果無期懲役になっています。6人も死亡してますから心神耗弱でなければ死刑は固い事件です。

この事件弁護側は故意不存在による無罪を主張して精神鑑定を請求しておらず(心理鑑定はした)、検察側鑑定人と裁判所の選任した鑑定人が出した鑑定結果によるものです。なので弁護側がその職責を全うした結果死刑を回避したとはいえるかはいさかか疑問があります。

余談ですがこの事件に関連してご本人の著書に精神鑑定に安易に頼ると真相の追及がおろそかになるから最後の手段にすべきだと書いてあります。一般論としてはそうかもしれませんが、この事件に関して請求しなかったのは原理原則にこだわりすぎだと思います。誰も鑑定を請求しなければ死刑の可能性大だったわけですから。そういう意味でこの事件の弁護は失敗だったのではないかと思います(無罪主張もあっさりはねのけられてます)。

安田弁護士が事実に徹底してこだわった結果死刑を回避した事件としては山梨幼児誘拐殺人事件が挙げられると思います。

No.93 惰眠さん

議論が惰眠さんの安田弁護士に対する評価になってきてますので、深入りする前に整理をさせてください。

“より良い刑事弁護”というエントリですので、被告人が死刑を望んでいる場合の“より良い刑事弁護”はどのようなものだろうという意味で問題提起をさせていただきました。
そして、それに付随して安田弁護士にとっての“より良い刑事弁護”はどういうものだろうかということに思いを馳せました。

惰眠さんは、安田弁護士の“より良い刑事弁護”は「被告人に事実と向き合わせ、真の反省を促す弁護」であると考えているだろうとのご意見であるという理解でよろしいですか?

ただ、この被告人は元々死刑を望んでいたので、すでに「己の罪と向き合い、真に反省する」ことができていたみることができるでしょう。
その場合、安田弁護士の被告人にどのような事実を向き合わせ、どのような反省を促そうとしていたのでしょうか?
単に「無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護」を行なっていたのではないですか。

また、法廷において「被告の代理人」であるということは、法廷において被告の求める主張を行なわなくてはならないと言うことではないのでしょうか?

なお、最後に惰眠さんが述べている「ひどい事件を起こした犯罪加害者は、己の罪深さを骨の髄まで思い知って、死ぬまで己の所業を悔い苦しみ続けるべきだ」であれば、無期懲役こそが死刑よりも重い刑罰であるかのような印象を受けますが、あくまでもそれは惰眠さんの評価軸であり、死刑が極刑であることを前提に議論を進めるべきと思います。

No.95 ひらのさん

話がますますずれていってしまいますが、弁護側が故意不存在による無罪を主張しているということから推測すると、安田弁護士は故意がなかったという事実に向き合い反省しなさいというように被告に伝えたかったのでしょうかね?

>No.95 ひらのさん
済みません、wiki情報を鵜呑みにして事実関係の確認を怠っておりました。ご教授かたありがとうございます。

>No.96 ブギーマンさん
済みません、安田弁護士については、そのトコトン原理主義者であるところに尊敬の念は抱くものの、やはり「このクソジジイめ」との感情が抜きがたくありますもので、ついつい安田氏に対するイヤミめいたことを書いてしまいました。

それは兎も角として、氏が「事実」を追求する姿勢自体は(それが「誰にとっての事実か」はありますが)鬼気迫るものがあり(ありすぎてかなり鬱陶しいのですが)、もしかしたら彼は「良い弁護」ではなく「正しい弁護」・・・否、「正しい刑事司法プロセスの体現」こそを目指しているのではないかと私は推測しています。それが結果的に被告人にとって損な結果になるとしても、というストイシズムを貫いているように見えることさえあります。
少なくとも「単に軽い量刑もしくは無罪」を求める程度の考えで、あそこまで徹底した執拗な弁護活動はできないでしょう。

一点異論があります。

この被告人は元々死刑を望んでいたので、すでに「己の罪と向き合い、真に反省する」ことができていたみることができるでしょう。
の部分です。池田小事件の宅間守・元(すでに刑死したので)死刑囚や、最近複数の親族を相次いで殺害した何とか言う青年(本人の希望通り死刑判決が下っています)の例があるとおり、そのことを以って「己の罪と向き合い、真に反省する」ことができていたみることは出来ないと思います。特に後者の例では「少しも反省していない」とまで自分で言ってるようですし。

なお

無期懲役こそが死刑よりも重い刑罰であるかのような印象を受けますが

は、当方の意図とは違います。
敢えて言えば刑の種別に関係なく、死ぬまで――死刑であれば、その執行の瞬間まで――苦しみ続けやがれ、です。宅間などのように喜んで13階段を登るようなクソッタレは、本人がどれほど嫌がろうともある程度真人間に戻るまで生かして罪の意識が芽生えるまで矯正し、しかる後に処刑するべきだと言う考えです。

No.98 惰眠さん

そうですね。
死刑を望んでいたからと言って、それを持って反省していたとはいえないですね。
安田弁護士が被告人にとって損な結果になるとしても、「正しい刑事司法プロセスの体現」を目指しているのであれば、実は被告人にとってかなり迷惑な人かもしれませんね(笑)

さて、宅間元死刑囚にしろ、件の被告人にしろ、死刑を望む被告人にとって“よい良い刑事弁護”とはどのような状態なのでしょうか?
元から弁護を望んでいないので、“より良い刑事弁護”そのものが存在しないのかもしれませんね。
(自己完結っぽいですが)

>No.97 ブギーマンさん
さてどうでしょう。安田弁護士の本によると被告人は精神遅滞があることもあり、まともにコミュニケーションをとることすらなかなか難しかったようです。

ただ資料を読んで思うのはこの事件被告人が「己の罪と向き合い、真に反省」していたか疑問ということです。悪いことをしたというのはわかっているみたいですが、事件の重大さに果たして気づいているのか。

これは被告人が根っからの悪党で反省していないと言う意味ではなく、知能や精神的があるがゆえにそうだったのではないかと思っています。

遺書などがないので自殺の理由はわかりませんが・・・。

No.100 ひらのさん

なるほど、なんとなく見えてきました。
精神遅滞があったが故に被告が断った弁護人を被告の兄が選任したのですか。
ちょっと引っかかっていた部分が氷解したような気がします。

×知能や精神的があるがゆえに
○知能や精神的な問題があるがゆえに

>ブギーマンさん

被告人が死刑を望んでいる場合の“より良い刑事弁護”

この点について直接の回答を私は持っていませんが、刑事弁護における「死刑判決に対して刑の確定を望み、不服申し立てをしようとしない被告人に弁護人としてはどう対応すべきか」という議論が参考になると思います。

被告人が真にそれを望むならそれを尊重すべきと言う立場と、取り返しのつかない死刑については不服申し立てに問題はないという立場があるようです。

これをあてはめれば死刑を望むならできるだけ死刑の妨げになるような主張をしないという立場と、可能な限り死刑は避けるべきだと言うことになるんじゃないでしょうか。

なお著書を読む限り安田弁護士は後者だと思われます(山梨幼児誘拐殺人事件)。

これは"自殺の自由"を認めるべきかという議論にも類似しており答えは一様に出ない問題だと思いますね。

いよいよ議論が病膏肓に入ってきたようですね。刑事弁護の本質は刑法39条をどう運用するかという問題に帰すると思っているんですが、その場合古代ローマ皇帝マルクスアウレリウスの手紙は深遠至極であり、現代日本での議論においても指針となりうる殆ど唯一のものだと思っています。

>No.87 ブギーマンさん | 2008年5月 2日

 取り上げて頂いていたのですね。今気がつきました。
 ちなみに私は、この事件を書籍等で知ったのではなく、控訴審の私選弁護人が判決確定後に、自分の母親を通じて差し入れてきた事件の一件記録の判例コピーに含まれていたのです。
 探せば多分あるので、今度デジカメで撮影し自分のブログにアップしたいと思います。その資料も10年ほど見ていないと思うのですが、たしか自分の子供に対する感情やそれを裏付ける行動が、死刑を回避した理由になっていたような覚えがあります。確認していないので、歌詞同様思違いがあるのかもしれませんが。
 それと、安田弁護士の意外な一面をみたような気もしました。見方を転換したわけではありませんが、考えさせられるところあり、という感じです。

>No.99 ブギーマンさん

死刑を望む被告人にとって“よい良い刑事弁護”とはどのような状態なのでしょうか?
元から弁護を望んでいないので、“より良い刑事弁護”そのものが存在しないのかもしれませんね。

観念論としてならば、己の罪に真剣に向き合いその罪の重さを深く思い知り深く深く悔いること自体が「本人の益」と言うことも出来るとは思いますが、現世ご利益的には違うでしょうからねえ・・・。
被告人本人にとっては必ずしもご利益がなくとも、制度趣旨的に「良い」弁護、と言うくらいがまぁ関の山なのかなあと言う気もします。

 敢えて強弁すれば、そうした「正しい刑事司法プロセスの体現」は、当該の被告人にとっては迷惑千万であったとしても、他の現在進行形の、或いは将来の刑事被告人一般にとっては「良い弁護」なのだと言って言えないこともないような・・・。

 よくない刑事弁護の見本のようです。驚きました。信じがたい現実です。

 同会は竹内弁護士のこうした行為について「弁護方針の検討や、被告の意見を確認しないまま初公判に臨んだと言わざるを得ない」と手抜き弁護を指摘。さらに検察側の請求証拠にすべて同意した点を「被告の防御権が損なわれた可能性は否定できず、誠実な弁護活動を行わなかった」と判断、5月12日付で「戒告」の懲戒処分にしていた。

 竹内弁護士は「40年以上、積極的に国選弁護を引き受けてきた自負はあるが、処分は甘んじて受ける」と話している。竹内弁護士は、女性依頼者に対し着手金の割引きと引き換えに性的関係を求める趣旨で食事に誘ったとして、05年にも業務停止3カ月の懲戒処分を受けている。【川辺康広】

 大阪弁護士会の宮崎裕二副会長(綱紀・懲戒担当)の話 非公表事案で、コメントできない。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080520-00000019-mai-soci

 ボツネタで知りました。裁判官のブログは、バランスのとれた公正な情報という気が、改めてしました。

 よくある刑事弁護なのかもしれないという気もしてきました。マスコミも大した扱いにはしないでしょうし、弁護士会自体が、まさに馴れ合い所帯。
 そのうち、大きなつけがまとめて回ってきそうです。すでに、そうなっているのかも知れませんが。

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