エントリ

死刑賛成派も反対派も「終身刑を」 超党派で議連発足へ(asahi.com 2008年05月03日03時04分)

 平沢議員は議連の意義について「死刑廃止論とは相いれないが、終身刑の創設の部分では一致している。平行線の存廃論議と切り離し、裁判員制度で市民が悩むことになる前に解決しなければいけない」と強調する。

 現行の無期懲役と死刑とのギャップを埋めるというだけの問題ではないとは思いますが、裁判員制度を見据えますと、裁判員にかかるプレッシャーを軽減する効果はあるだろうとは思います。

 でも、仮釈放を認めない終身刑を導入すると、死刑の寛刑化ではなくて、無期懲役の厳罰化になる場合のほうが多いかも知れません。

 終身刑は終身刑なりにいろいろ問題がありますから、拙速はまずいと思いますよ。
 

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「刑法改正で終身刑を創設せよ!」に関するブロガーの意見で、みんなの参考になりそうなブログ記事を集めています。自薦による投稿も受け付けているので、オリジナル... 続きを読む

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狭い国土という誰にもどうにも出来ない前提条件を如何にしてクリアする議論ができるか。光母子殺害事件に少年法の情状酌量を適用しても無期懲役には中らない以上死刑を選択するほかない現状に対する一つの解答になる可能性が期待できます。
とはいえ、同じように国土が狭いイギリスで5歳少年への死刑判決が出された事実からすると、終身刑の創設は難問中の難問となりそうな気もします。

>No.1 ぼつでおk(医)様
収容施設の高層化という解決方法があると思いますよ。
それに今だって無期懲役囚は刑務所内で亡くなるケースの方が多いと聞きましたが(実際は病院移送でしょうが)。よくマスコミで模範囚として10年経てば仮釈放出来るみたいなコメントを聞きますが、あれは単に申請出来る権利を得るという意味で、それがすんなり通るという意味じゃありません。
「有期懲役と無期懲役(仮出獄)」のエントリーで既にモトケン様が書かれてらっしゃいます。

>>No.2 大学生の母さん
ここでその手の技術論は無理だと思いますけど(笑)。
たとえばおっしゃる高層ビル化施設を賛成した人が誘致するとして、その地域住民の合意形成ができますかね?私にはそんな力はありませんし私が賛成だからみなも誘致に賛成するべきだとも思いませんから、その手の技術論をすることは私のn能力を越えておりますです。

高層ビルは警備上難しいと思います。
一方国土は確かに限界がありますが今後人口は減少一方となりますし、それ以上に周囲の建設反対運動のほうが問題でしょうね。
まあ、いずれにしろ、いまの過剰収容の問題は何とかしないといけませんが、うちの近くには建設しないでください(笑)

刑務所の収容問題は、建物の構造でなくて、維持管理を含めた予算であって、要はコンセンサス次第ですよね。

以前のエントリーで、無期懲役への誤解は指摘されていたのですが。
無期と死刑のギャップは存在していて、今回の主題はその部分かと。

 箱の問題やコストの問題もそうですが、刑そのものの残虐性や刑務所内の秩序維持の面でかなり深刻な問題があるとされているようです。

恩赦・特赦・再審などを除外すれば、受刑者にとって「娑婆の空気を吸える可能性」は、死刑と終身刑と無期懲役は次のような違いがあります。これはいわば「お釈迦様が地獄に下げた蜘蛛の糸」に相当する可能性を比較した表です。


死刑
 →刑の執行による死亡、または自然死・事故死・自殺等の
  死亡を事由とする以外に拘禁が終了することは無い刑罰

終身刑(仮釈放制度無し)
 →原則として自然死・事故死・自殺等の死亡を事由とする以外に
  拘禁が終了することは有り得ない無い刑罰

無期懲役刑(仮釈放制度あり)
 →概ね20年〜25年以上の年月を模範的態度で服役して
  改悛の情があると認められれば拘禁が解かれる可能性ある刑罰

いつもアホな質問ばかりして申し訳御座いません。

そもそも無期懲役とは、仮釈放があっても刑期は死ぬまで続いているので、終身刑だと思うのですが、この認識に間違いはありますでしょうか。

下記では一応、終身刑というのを、仮釈放のない無期懲役とさせていただきます。

無期懲役にマル特というのがあると聞きました。

マル特の指定は被告(受刑者?)の無期懲役刑が確定したときに、検察が刑務所に要求するのでしょうか。
それとも、裁判所が判決に出すものでしょうか。
今まで、検察が出すもとの思っていたのですが、畠山鈴香被告の一審判決にそれに相当するような文言があったので、あれ? と思いました。

このマル特の無期懲役と、終身刑とは違うのでしょうか。
事実上の終身刑だと聞きましたが、特に法律で騒がなくても、このマル特の運用で何とかなると思うのは早計でしょうか。

>刑そのものの残虐性

う〜ん。その点についてはあまり考えた事がありませんでしたが、仮釈放の可能性のない終身刑ですからね…。
ふと、「魔女」の処刑に関するある話を思い出しました。

処刑は普通公衆の面前で行われたそうですが、たとえば火あぶりの刑の場合、「魔女」が土壇場になって「自白」を翻さないようにするために、すなおに「告白」した者には「銃殺にしてから火あぶりにする」という情けある取り計らい(?)が与えられる。
しかし、なかなか自白しない者や、土壇場になって自白を翻した者には「反省の色なし」という事で弱い火でゆっくりと焼き殺されるという責め苦が与えられたそうです。
一時間以上かけてゆっくり焼き殺された者の最後の訴えが「もっと薪を増やして下さい」だったとか…。

 刑務所施設の誘致のことみたいですね。
 3年ほど前でしょうか、石川県の珠洲市が誘致をアピールしていたみたいです。新聞でたまたま見たように思いますが、同市は、原発も誘致し、これは猛反対も出て実現しなかったようですが、カジノも誘致していたみたいです。
 高齢化と過疎化の進んだ地域のお話ですが、近くの地域に生まれ育った者として、将来の日本の姿をみるような気がすることがあります。
 自分が子供のころは、漁業が盛んで勢いも潤いもあったのですが、今はおとなしく静かになった反面、犯罪とは無縁のような治安が保たれているようです。
 事件沙汰の話を聞くこともありませんし。
 カジノや刑務所を誘致して地域の活性化を図ろうとしたようですが、成功はしなかったようです。

 また、名古屋拘置所は名古屋城の近くの都市部にある、高層ビルで、見晴らしもとてもよいと聞いたことがあります。
 高裁管区なので死刑囚も収容されていれば(死刑確定囚は執行まで拘置所に拘置されます)、おそらく執行設備もあるのでしょう。執行されなければ、事実上終身刑のようなものです。

 また、金沢刑務所は金沢市の田上という、一昔前の新興住宅地のようなところにありますが、あまり気にしている人というのはいないみたいというか、問題視する声を聞いたことがありません。
 ただ、昭和57年ころ、自分が16、7歳のころ、噂に聞いた話では、暴力団関係者が多く収容されている金沢刑務所では当時、出所祝いの出迎えが盛大に行われるのが恒例で、サラリーマンのような人が出迎え中の暴力団関係者を車ではねて死亡させ、全財産を失った挙句に、妻も風俗に売り飛ばされたと聞きました。割と有名な話だったみたいです。

 また、刑務所は短期と長期にわかれていますが、短期の方は残刑期が8年以内なので、脱走しようとする人も多くはないと思われますが、8年以上から無期や終身刑となると、いちかばちかで脱走を試みる受刑者もいるのかもしれず、万が一の場合は、手負いの手負いの獣のようなもので、確かに周辺にも不安感を与えそうです。

 また、塀のない刑務所とも言われていたような気がしますが、情報処理などの職業訓練を主体にし、犯罪傾向が軽く更生意欲の高い収容者を集めた四国の松山刑務所でも以前、脱走がありました。
 お隣の徳島刑務所は長期刑務所でなにかと問題も起こっているようですが、地域ごとの違いも少なくはないようです。

 余談にもなりそうですがついでに、石川県の志賀町には原発があって、志賀町の住民に話を聞いていると、電気代がとても安くオール電化で、光熱費全体がとても安くおさまるみたいです。万一、原発の事故が起これば、被害は広範囲に及ぶはずですので、いささか釈然としない気もしました。

 参考までに

 無期懲役刑仮釈放者の平均在所年数は・・・

 1977年〜1988年  16年程度
 1989年〜1996年  18年〜20年程度
 1997年〜2000年  21年程度
 2001年〜2003年  23年程度
 2004年         25年10ヶ月
 2005年         27年2ヶ月
 2006年         25年1ヶ月

 2000年以降 仮釈放者54人のうち51人が在所20年以上
 (2003年以降では仮釈放者28人全員が在所20年以上)

 法務省大臣官房司法法制部発行の「矯正統計年報」および平成12年(2000年)10月3日の政府答弁書により、統計のある1977年から2006年までの無期懲役刑仮釈放者の平均在所年数(刑確定前の勾留日数を含まない)

国土の大きさを持ち出した本意を述べておきます。
刑法は郷に入っては郷に従えの最右翼の法であると思います。刑法にはその国なりの歴史が色濃く反映されていると思います。刑法の制度を変えようと検討するとき、そもそもなぜそういう制度が作られたのかという初心に返っての歴史背景の研究検討が不可欠であろうと考えました。すなわち、そもそも我が国刑法で死刑と無期懲役の間に終身刑が設置されなかったのはどういう事情によったのかを詳しく究明することなくして、制度の変更が合目的的に考案されることはないであろうと考え、今も昔も狭い国土事情は変わらないがそこに新たに終身刑を設置することで何がどう解決するかはたまた悪化するかの議論が現実的なものになってほしいと思いましたのでNo.1を書いたものです。
我が国でそもそも死刑の次が無期懲役と定められた事情について造詣の深い諸氏のご教示がここで数多く拝見できればROMしていて幸せなんですが(笑)。

>無期懲役とは

刑期を定めない懲役⇒反省が認められれば釈放。
が建前で、それに20〜25年程度掛かり中で死ぬ人もいる。
と思えばいいのでは。

絶対に出られないとなれば自棄に成る気持ちは理解できます。
希望が無ければ、有る意味やりたい放題。残る希望は再審請求のみ。

かたや、法務大臣が死刑執行の命令書にサインをしなければ?
⇒正規に決まった死刑を個人の独断で終身刑にすり替えている、様なもの。

終身刑の創設でこの様な問題が軽減されれば意味は有るのですが?

議論が本格化した時、様々な問題を掘り起こして精査しないと逆に問題が増えるかも。

「刑務所でめし食える」と再犯をする者がいる現状で、終身刑が残虐と言えるか疑問です。
囚人にかかる経費が年間248万円だとか。
わずかな収入の年金暮らしの老人より幸せと言えるかもしれません。

もっと残虐でないと、ただの老人ホームと化すでしょうね。

No.9 死刑囚さん

仮釈放のない終身刑というのはなかなかに残酷な刑ですよ。
自分の罪をいかに反省しようとも、いかに模範囚として過ごそうとも、刑期が短縮されることはなく、それどころか刑務所を一歩出ることすら永久にかないません。刑務所以外の、塀に囲まれていない風景を観ることは生涯できません。また、面会の家族と慰問の芸能人以外に生身の女性を眼にすることもできません。
まあもちろん、冷たい土の下にいる被害者のことを考えればそのくらい当然、とも言えるわけですが。

問題は、前々からモトケンさんも危惧しておられますが、反省しようがしまいが一生塀の中にいるのなら、刑務官の指示に唯々諾々と従って模範囚を演じる必要性がないということです。また、一か八かで暴動を起こして脱走をはかる連中が現れないとも限りません。

また、塀の中で独立した「重犯罪者たちの社会」が形成されるかもしれません。なぜなら、囚人の入れ代わりがないからです。一生を暮らす場所ならば、そこで影響力を保持しようと考える輩も現れるでしょうし、派閥も生まれるでしょう。つまり、海外ドラマの「オズ」とか「プリズン・ブレイク」に見られるような状況が日本の刑務所でも生じるかもしれないのです。

No.14 マツクラさん

格差社会の今、娑婆で食うや食わずの生活よりも刑務所の方が快適、というケースがあるのは事実です。娑婆の方がマシだと思わせなければ刑罰としての効果がないと考えるなら、映画の「ニューヨーク1997」式の終身刑がいいかもしれませんね。もちろん、実現性はまったく考慮していませんが。場所はそうですね、北海道の離島などはどうでしょうか。

経費の話ですが、私は終身刑には冤罪による死刑のリスクヘッジという側面もあると考えています。実は、冤罪で死刑が執行された場合の賠償金は法律でもう決まっているそうです。最高で3000万円だとか。これが冤罪被害者の命と釣りあう金額だと思う人はいないでしょう。
終身刑の囚人を生涯養うコストは、このような冤罪による死刑を回避するために国民が背負うコストだ、という見方はできないでしょうか。

確かに管理する側から言えば、一筋の光明でもあった方が収容されている者たちを管理し易いというのはありますね。
私は新たに終身刑を設けるより、今の「無期懲役」についての誤解を解く作業をもっと大々的に行った方が良いように感じますけど。

高層化が何故警備が難しいのか、少し疑問。
昔は重罪犯ほど塔に幽閉されるというのがお決まりじゃありませんでしたか?

死刑廃止の延長戦上に終身刑の検討があると思いますが、私が調べた限り、
 無期懲役刑(以下無期刑とする)の仮釈放後の再犯により、死刑が確定した事件はこれだけある。

ア 群馬2女性殺人事件 (88.5.20最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
イ 直方強盗女性殺人事件(90.12.14最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
ウ パチンコ景品商殺人事件(91.2.5最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
エ 幼女誘拐殺人事件(91.2.18最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
オ 飲食店経営女性殺人事件(92.6.18福島地裁)無期刑の仮釈放後再犯。
カ 熊本母娘殺人事件(92.9.24最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
キ 北九州母子殺人事件(93.10.27福岡地裁、特別抗告中)無期刑の仮釈放後再犯。
ク 地下鉄駅短大生殺人事件(01.12.6最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
ケ 知人女性殺人事件(02.9.30東京高裁・上告取下げ)無期刑の仮釈放後再犯。
コ 豊中2人殺人事件(06.6.13最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
サ 岡山女性殺人事件(07.11.30最高裁上告棄却)無期刑の仮釈放後再犯。
シ 宇都宮実弟殺人事件(07.8.16東京高裁・上告取下げ)無期刑の仮釈放後再犯。
無期懲役の仮釈放後の再犯により、死刑が確定した事件はこれだけあります。

 どれほど矯正・更生教育することが、難しいかがよく解ります。
 たとえ、終身刑を導入しても、すべては解決するとは思いません。
 理想だけでは、解決しません。

残念ながら、 
 刑務所に入りたくて、再犯をする生活困窮者。
 死刑になりたくて殺人を犯す元警察官。
 バーチャル体験の延長線上で、殺人をする若年層。など

どんどん議論することは大切です。加害者の贖罪意識の芽生えと被害者・被害者遺族の感情のバランスを考えて議論してほしい。
けして、裁判員だけのためで議論してほしくない。

もう、死刑の重さを理解できない人たちがいるのが現実です。

No.16 みみみさん 、冤罪を前提とするのは論外です。
冤罪はあってはなりません。「疑わしきは罰せず」です。
冤罪を無くす為にどうするかは別問題として考えるべきだと思います。

 公判前整理手続きじゃないですけど・・・^^;; 終身刑を議論する際には、現状の無期懲役刑や収容先の刑事施設のことを理解してることが前提でないと、議論が明後日の方に行ってしまいますので・・・ それらについて最低限のことを書いておきます。


 現行の無期懲役刑について

 例外的に少年時の刑事事件で無期懲役になった場合のみ、仮釈放後10年間に仮釈放取消処分にならなければ満期になりますが、基本的に無期懲役の無期は、満期が無いから無期で、例え仮釈放されても、あくまで仮釈放中の身で、仮釈放取消しになれば、また刑務所に戻って懲役刑の続きをすることになります。

 刑法や少年法には、無期懲役での仮釈放で、10年とか7年という数字が出ていますが、条文の最後が「できる」となっています。その時点でその後の仮釈放できる権利が発生するというだけのことです。

 参考までにNo.11に無期懲役刑仮釈放者の平均在所年数を統計がある1977年からの状況を紹介しておきましたが、現実は、年々延びていて2006年時点で平均在所期間が25年以上です。

 ですが、この数字は、刑が確定した時に適用された刑法の無期懲役刑での仮出所までの在所期間です。

 今は刑法が改正され、有期懲役の最長が30年になっていますので、刑法改正後に犯した罪で無期懲役刑になった人は、有期より重い刑が無期ですから、その30年より長くなるだろうことが容易に予測がつきます。

 ですので、現時点で実際に仮出所した方々の在所年数が25年以上でも、刑法改正後の無期懲役刑になった人達の仮出所までの在所期間は、30年以上と考えた方が妥当だと思います。

 犯行時20歳、すぐに逮捕で、(ここ最近は裁判も早くなってきていますので)仮に第一審から上告審まで5年と仮定しても、20+5+30=55 で、20歳時の犯行でも55歳時にしか仮釈放になりません。30代、40代で裁判が長期化した場合には、仮釈放時の年齢が高くなり寿命までの年数(仮出所してから寿命で死ぬまでの期間)が短くなりますから、再犯の可能性も低くなります。尚且つ死ぬまで仮釈放中の身です。


 現行の無期刑は、字が違うだけで、ヨーロッパの多くが導入してる仮釈放がある終身刑(相対的終身刑)と、殆ど大差ないと言えます。


仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)について

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、英、米、豪、中国などが導入しているのですが、導入している国自体も少ないです。

 仮釈放が無いために、一旦収監されると二度と外の世界には出れませんから、希望もなく、ただ単に毎日を過ごしていくことになります。

 罪を犯してそういう結果になったにしろ、希望も無いので、生きている自体を無意味に感じるようにもなります。罪を犯してそうなっているので、悔悟の気持ちも大きくなります。

 その結果、ストレスで精神がズタズタになり精神病になる人、人格破壊がおきてしまう人、自殺する人などが多数出ます。

 ストレス解消するように以前書いたのですが、ストレスを蓄積してしまうと、脳の中では、以下のようなことが起きます。

 ストレスの蓄積 → 自律神経系に影響 → ホルモンバランスが狂う

 人間の身体の健康は、正常なホルモンバランスによって保たれています。ストレスを溜め過ぎると、心身に影響してしまいますから、人によって発症する場所は違いますが、病気になってしまいます。

 絶対的終身刑だけでなく死刑を存置してる国だと、耐え切れなくなって受刑者から死刑にして欲しいと言い出す例も多くあるみたいですが、当然刑の変更は出来ません。死刑を廃止して絶対的終身刑にした国は、当然の事ながら死刑がありません。

 精神的に病んで医療施設に移したとしても、回復すれば、また元の場所に戻るので、また再発します。

 その繰り返しをするだけで、結局のところ受刑者に人格破壊が起きて廃人になってしまいますし、刑務官達も、そうなっていくのを見ているしかなく、どうしようもないのです。

 生きているのだけど、意思の疎通も図れない廃人に仕向けてしまうのが、絶対的終身刑です。

 死刑の場合は、刑が執行されるまでは、24時間監視付きで拘禁されていることを除けば、自由な時間を作ることが出来ます。死の恐怖(ストレス)に襲われても、例えば教誨師との時間を作って精神を安定させることも可能ですし、部屋で読書にふけることも可能です。そして、刑の執行によって精神的に楽にしてあげることが出来ます。

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、懲役にしろ禁固にしろ、刑を務めながらになりますし、希望が無いので、ストレスによって受刑者が自殺したり、生きてはいても廃人になったりします。

 よほどの精神力がある人なら、そうならずに寿命まで健康で生きていけますが、元々性欲や金に対する欲望が強くて罪を犯して無期刑になった人達です。欲望を自制できていないのですから、精神力は弱いので容易に人格破壊します。寿命がくるまで二度と正気に戻らず、その状態で残りの人生を過ごしていきます。

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、法によって死刑にしないというだけのことで、緩慢な死刑と同じで、私には死刑より残酷な刑に思えます。

 人格破壊した人間の形をした生き物にした状態で寿命がくるまで生かしておくよりも、ちゃんと人間として逝かせてあげている死刑の方がよほど人道的だと思います。


 現行の無期刑でも、ヨーロッパで導入が多い相対的終身刑と大差ないです。仮釈放のない無期刑は、人道的配慮に欠けていますし残酷すぎますので、私は絶対に反対です。

 もし死刑との間を埋める刑罰を導入するのなら、現行の無期懲役よりも仮釈放までの在所期間を延ばした重無期懲役にした方が良いと思います。


 刑事施設について(参考までに・・・)

 死刑の場合は、絞首刑という刑の執行をしないことには、刑が始まりませんし終わりません。刑の執行があるまでは、拘置(拘禁)しておきますので、拘置所に入っていますが、無期懲役は、懲役という刑を執行しますから、刑を務める所の刑務所に入所します。

 拘置所は、死刑囚だけでなく、未決の刑事被告人も拘禁しています。被告の刑を決めるのは裁判所です。裁判所から遠い場所にあると、移送の際にも大変ですから、地裁や高裁に近い場所にあります。

 地裁、高裁は、都道府県庁所在地の中心部にある場合が多いので、どうしても地価が高くなります。限られた土地に、死刑囚・被告人・容疑者などを収容できる分の部屋が必要になります。東京・大阪・名古屋のように人口が多い所は犯罪件数も多いので、建物を高層化せざるを得ないという事情があります。

 それに対して刑務所は、刑を務める所ですから、わざわざ土地代が高い所に作る必要がありません。工場作業だけでなく、農林作業をするための田畑・山林も取れるような広大な土地で、土地代が二束三文の所で充分です。

 建物を作る際には、どんな建物であっても、建築基準法に適合する必要がでます。公共施設も例外ではありません。エレベーターの設置義務、スプリンクラー・火災報知器の設置義務など低層であれば、いらないものまで設置しなければいけませんし、高層にすると骨格の柱や梁を太くする必要も出ます。建築コストがとんでもなくはねあがります。

 入所者が移動する際に、拘置所に拘置されている場合の移動は、裁判所や検察庁への移動するくらいですから、未決拘禁者1人に刑務官が付き添う形になりますし、個々に移動させればいいので、高層のエレベーターでも対応可能です。

 ですが、刑務所の場合は、作業の際に集団行動します。一度に多くが移動しますし、収容人員が多いです。高層にすると、移動手段がエレベーターになってしまいます。箱の中に受刑者と刑務官が一緒に乗ることになり、しかも人と人の隙間が狭くなりますから、容易に刑務官を袋叩きにできます。

 府中刑務所で約3,000人ですが、仮にエレベーターに20人乗ったとしても、約150回の往復になります。6基つけても、1基あたり25往復しなければいけません。低層部は階段を使うとして、残り半分がエレベーター利用にしても、箱に乗り、箱が動き、箱から下りての時間を1回あたり5分かかるとしたら、動くだけで所要時間1時間になります。作業にかかりだす時間にも差がでますので不平等になります。

 もし、火災が起きた際には、一度に避難しますので、当然さばききれず逃げ遅れが多数発生するので死者もでます。

 刑務所の場合は、中からの監視だけでは死角が出来ますので、外からの監視も必要になります。収容施設が高層だと監視塔をもっと高層にする必要が出ます。

 ちなみに受刑者数ですが、日本最大の刑務所の府中刑務所の収容人員が約3,000名以上ですが、仮釈放した人を引いた純増分として、毎年その数に匹敵するだけの受刑者が増えています。

 死刑の刑場は全国7箇所にあり、死刑囚は上訴中の未決も含めて166人。無期懲役刑の場合LB級になりますが、これも全国に7箇所収容施設があります。無期懲役刑の受刑者は2006年末時点で約1600人、無期懲役刑が確定して新規に入所する人が2006年で136人です。

 無期懲役刑で仮釈放になっているのは、ここ数年一桁の数字ですから、差を130人としても、純増3000人の中の約4%です。重無期刑になるのは、死刑若しくは無期懲役の人になりますが、懲役刑は刑務所ですから、刑事施設の数・収容人員からみても間に合っています。ただ、刑務所はどこも慢性的な定員オーバーですから、施設として必要なのは、短期受刑者用の刑務所になります。

 長期受刑者の方が受刑態度が良く刑務所が平和なのですが、短期受刑者を収容してる施設の方が受刑者同士の諍いが多いという現状があります。短期受刑者収容用の刑務所では諍いが多いのに、建物が高層では、刑務官が迅速な対応できなくなります。


 刑務所を高層建築にすると、建築コストが高くなるし、保安上悪くなるし、作業効率が悪くなるし、防災上も悪くなるなど、いいところがありません。もし新設で刑務所を作ろうとしても、これらの理由などがありますので、高層化は不適格です。


 文中に書いた日本最大の刑務所である府中刑務所と無期懲役刑受刑者を収容してる岐阜刑務所の収容分類級と収容定員をついでに紹介しておきます。

府中刑務所(8年未満の短期受刑者収容施設)
 収容分類級 B級 F級
 収容定員 2,842名  (現状:常に定員を上回る3,000名以上)

岐阜刑務所(無期懲役者収容施設)
 収容分類級 LB級 YA級 A級 B級
 収容定員 705人   (現状:常に定員オーバー状態)

A 犯罪傾向の進んでいない(初犯)者
B 犯罪傾向の進んでいる(累犯、および暴力団構成員)者
F 日本人と異なる処遇を必要とする外国人
L 執行刑期8年以上の者
Y 26歳未満の成人

 長文失礼したしました。

 公判前整理手続きじゃないですけど・・・^^;; 終身刑を議論する際には、現状の無期懲役刑や収容先の刑事施設のことを理解してることが前提でないと、議論が明後日の方に行ってしまいますので・・・ それらについて最低限のことを書いておきます。


 現行の無期懲役刑について

 例外的に少年時の刑事事件で無期懲役になった場合のみ、仮釈放後10年間に仮釈放取消処分にならなければ満期になりますが、基本的に無期懲役の無期は、満期が無いから無期で、例え仮釈放されても、あくまで仮釈放中の身で、仮釈放取消しになれば、また刑務所に戻って懲役刑の続きをすることになります。

 刑法や少年法には、無期懲役での仮釈放で、10年とか7年という数字が出ていますが、条文の最後が「できる」となっています。その時点でその後の仮釈放できる権利が発生するというだけのことです。

 参考までにNo.11に無期懲役刑仮釈放者の平均在所年数を統計がある1977年からの状況を紹介しておきましたが、現実は、年々延びていて2006年時点で平均在所期間が25年以上です。

 ですが、この数字は、刑が確定した時に適用された刑法の無期懲役刑での仮出所までの在所期間です。

 今は刑法が改正され、有期懲役の最長が30年になっていますので、刑法改正後に犯した罪で無期懲役刑になった人は、有期より重い刑が無期ですから、その30年より長くなるだろうことが容易に予測がつきます。

 ですので、現時点で実際に仮出所した方々の在所年数が25年以上でも、刑法改正後の無期懲役刑になった人達の仮出所までの在所期間は、30年以上と考えた方が妥当だと思います。

 犯行時20歳、すぐに逮捕で、(ここ最近は裁判も早くなってきていますので)仮に第一審から上告審まで5年と仮定しても、20+5+30=55 で、20歳時の犯行でも55歳時にしか仮釈放になりません。30代、40代で裁判が長期化した場合には、仮釈放時の年齢が高くなり寿命までの年数(仮出所してから寿命で死ぬまでの期間)が短くなりますから、再犯の可能性も低くなります。尚且つ死ぬまで仮釈放中の身です。


 現行の無期刑は、字が違うだけで、ヨーロッパの多くが導入してる仮釈放がある終身刑(相対的終身刑)と、殆ど大差ないと言えます。


仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)について

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、英、米、豪、中国などが導入しているのですが、導入している国自体も少ないです。

 仮釈放が無いために、一旦収監されると二度と外の世界には出れませんから、希望もなく、ただ単に毎日を過ごしていくことになります。

 罪を犯してそういう結果になったにしろ、希望も無いので、生きている自体を無意味に感じるようにもなります。罪を犯してそうなっているので、悔悟の気持ちも大きくなります。

 その結果、ストレスで精神がズタズタになり精神病になる人、人格破壊がおきてしまう人、自殺する人などが多数出ます。

 ストレス解消するように以前書いたのですが、ストレスを蓄積してしまうと、脳の中では、以下のようなことが起きます。

 ストレスの蓄積 → 自律神経系に影響 → ホルモンバランスが狂う

 人間の身体の健康は、正常なホルモンバランスによって保たれています。ストレスを溜め過ぎると、心身に影響してしまいますから、人によって発症する場所は違いますが、病気になってしまいます。

 絶対的終身刑だけでなく死刑を存置してる国だと、耐え切れなくなって受刑者から死刑にして欲しいと言い出す例も多くあるみたいですが、当然刑の変更は出来ません。死刑を廃止して絶対的終身刑にした国は、当然の事ながら死刑がありません。

 精神的に病んで医療施設に移したとしても、回復すれば、また元の場所に戻るので、また再発します。

 その繰り返しをするだけで、結局のところ受刑者に人格破壊が起きて廃人になってしまいますし、刑務官達も、そうなっていくのを見ているしかなく、どうしようもないのです。

 生きているのだけど、意思の疎通も図れない廃人に仕向けてしまうのが、絶対的終身刑です。

 死刑の場合は、刑が執行されるまでは、24時間監視付きで拘禁されていることを除けば、自由な時間を作ることが出来ます。死の恐怖(ストレス)に襲われても、例えば教誨師との時間を作って精神を安定させることも可能ですし、部屋で読書にふけることも可能です。そして、刑の執行によって精神的に楽にしてあげることが出来ます。

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、懲役にしろ禁固にしろ、刑を務めながらになりますし、希望が無いので、ストレスによって受刑者が自殺したり、生きてはいても廃人になったりします。

 よほどの精神力がある人なら、そうならずに寿命まで健康で生きていけますが、元々性欲や金に対する欲望が強くて罪を犯して無期刑になった人達です。欲望を自制できていないのですから、精神力は弱いので容易に人格破壊します。寿命がくるまで二度と正気に戻らず、その状態で残りの人生を過ごしていきます。

 仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、法によって死刑にしないというだけのことで、緩慢な死刑と同じで、私には死刑より残酷な刑に思えます。

 人格破壊した人間の形をした生き物にした状態で寿命がくるまで生かしておくよりも、ちゃんと人間として逝かせてあげている死刑の方がよほど人道的だと思います。


 現行の無期刑でも、ヨーロッパで導入が多い相対的終身刑と大差ないです。仮釈放のない無期刑は、人道的配慮に欠けていますし残酷すぎますので、私は絶対に反対です。

 もし死刑との間を埋める刑罰を導入するのなら、現行の無期懲役よりも仮釈放までの在所期間を延ばした重無期懲役にした方が良いと思います。


 刑事施設について(参考までに・・・)

 死刑の場合は、絞首刑という刑の執行をしないことには、刑が始まりませんし終わりません。刑の執行があるまでは、拘置(拘禁)しておきますので、拘置所に入っていますが、無期懲役は、懲役という刑を執行しますから、刑を務める所の刑務所に入所します。

 拘置所は、死刑囚だけでなく、未決の刑事被告人も拘禁しています。被告の刑を決めるのは裁判所です。裁判所から遠い場所にあると、移送の際にも大変ですから、地裁や高裁に近い場所にあります。

 地裁、高裁は、都道府県庁所在地の中心部にある場合が多いので、どうしても地価が高くなります。限られた土地に、死刑囚・被告人・容疑者などを収容できる分の部屋が必要になります。東京・大阪・名古屋のように人口が多い所は犯罪件数も多いので、建物を高層化せざるを得ないという事情があります。

 それに対して刑務所は、刑を務める所ですから、わざわざ土地代が高い所に作る必要がありません。工場作業だけでなく、農林作業をするための田畑・山林も取れるような広大な土地で、土地代が二束三文の所で充分です。

 建物を作る際には、どんな建物であっても、建築基準法に適合する必要がでます。公共施設も例外ではありません。エレベーターの設置義務、スプリンクラー・火災報知器の設置義務など低層であれば、いらないものまで設置しなければいけませんし、高層にすると骨格の柱や梁を太くする必要も出ます。建築コストがとんでもなくはねあがります。

 入所者が移動する際に、拘置所に拘置されている場合の移動は、裁判所や検察庁への移動するくらいですから、未決拘禁者1人に刑務官が付き添う形になりますし、個々に移動させればいいので、高層のエレベーターでも対応可能です。

 ですが、刑務所の場合は、作業の際に集団行動します。一度に多くが移動しますし、収容人員が多いです。高層にすると、移動手段がエレベーターになってしまいます。箱の中に受刑者と刑務官が一緒に乗ることになり、しかも人と人の隙間が狭くなりますから、容易に刑務官を袋叩きにできます。

 府中刑務所で約3,000人ですが、仮にエレベーターに20人乗ったとしても、約150回の往復になります。6基つけても、1基あたり25往復しなければいけません。低層部は階段を使うとして、残り半分がエレベーター利用にしても、箱に乗り、箱が動き、箱から下りての時間を1回あたり5分かかるとしたら、動くだけで所要時間1時間になります。作業にかかりだす時間にも差がでますので不平等になります。

 もし、火災が起きた際には、一度に避難しますので、当然さばききれず逃げ遅れが多数発生するので死者もでます。

 刑務所の場合は、中からの監視だけでは死角が出来ますので、外からの監視も必要になります。収容施設が高層だと監視塔をもっと高層にする必要が出ます。

 ちなみに受刑者数ですが、日本最大の刑務所の府中刑務所の収容人員が約3,000名以上ですが、仮釈放した人を引いた純増分として、毎年その数に匹敵するだけの受刑者が増えています。

 死刑の刑場は全国7箇所にあり、死刑囚は上訴中の未決も含めて166人。無期懲役刑の場合LB級になりますが、これも全国に7箇所収容施設があります。無期懲役刑の受刑者は2006年末時点で約1600人、無期懲役刑が確定して新規に入所する人が2006年で136人です。

 無期懲役刑で仮釈放になっているのは、ここ数年一桁の数字ですから、差を130人としても、純増3000人の中の約4%です。重無期刑になるのは、死刑若しくは無期懲役の人になりますが、懲役刑は刑務所ですから、刑事施設の数・収容人員からみても間に合っています。ただ、刑務所はどこも慢性的な定員オーバーですから、施設として必要なのは、短期受刑者用の刑務所になります。

 長期受刑者の方が受刑態度が良く刑務所が平和なのですが、短期受刑者を収容してる施設の方が受刑者同士の諍いが多いという現状があります。短期受刑者収容用の刑務所では諍いが多いのに、建物が高層では、刑務官が迅速な対応できなくなります。


 刑務所を高層建築にすると、建築コストが高くなるし、保安上悪くなるし、作業効率が悪くなるし、防災上も悪くなるなど、いいところがありません。もし新設で刑務所を作ろうとしても、これらの理由などがありますので、高層化は不適格です。


 文中に書いた日本最大の刑務所である府中刑務所と無期懲役刑受刑者を収容してる岐阜刑務所の収容分類級と収容定員をついでに紹介しておきます。

府中刑務所(8年未満の短期受刑者収容施設)
 収容分類級 B級 F級
 収容定員 2,842名  (現状:常に定員を上回る3,000名以上)

岐阜刑務所(無期懲役者収容施設)
 収容分類級 LB級 YA級 A級 B級
 収容定員 705人   (現状:常に定員オーバー状態)

A 犯罪傾向の進んでいない(初犯)者
B 犯罪傾向の進んでいる(累犯、および暴力団構成員)者
F 日本人と異なる処遇を必要とする外国人
L 執行刑期8年以上の者
Y 26歳未満の成人

 長文失礼いたしました。

 ミスで2つ入ってしまいました^^;;

 お手数をおかけしますが、No20とこれの削除をお願いします。

 どうも失礼いたしました。

 終身刑は釈放されることが無いため、受刑者が生き続けることはできても、社会的には抹殺されたのと同じです。無期懲役は刑期を定めないものの、改悛が認められれば釈放される可能性もある点が終身刑とは異なります。刑の執行形態では終身刑は無期懲役に似ているようですが、刑の意義という点では死刑の方に近いと言えるでしょう。

 とすれば、無期懲役と終身刑・死刑の間には改悛の見込みがあるか?という区別がありますが、死刑と終身刑を分ける基準は何になるのでしょうか。

 素人考えでは、基本を終身刑の方に置くとして、特に残虐であったり凶悪であったりする事件に対してのみ死刑を適用する、というような判断になると思います。死刑を一等減じたのが終身刑、ということではなく、終身刑の中で特別なものだけが死刑に処されるということになるのでしょう。

 という考え方が間違っていないのだとすれば、死刑しかないところに、死刑と無期懲役の間の緩衝材に終身刑を置くという見方ではなく、無期懲役の上は基本的には終身刑で、死刑はごく限られた例外という形に意識を変えていかないと本質を見誤ることになってしまいそうです。

 死刑と終身刑の違いとしては、冤罪があったときに取り返しが付かないことがあり、No.16でみみみさんがおっしゃる通りリスクヘッジの効果はあると思います。ただ、判決の基準として「冤罪の可能性があるから終身刑、無いから死刑」ということにはならないでしょう。冤罪の可能性が残っていると思うなら、差し戻して再審理するべきだからです。となれば、終身刑の本質的議論にリスクヘッジとしての効果を考えるなら、基本的には死刑を廃止して終身刑に置き換える方向に行かざるをえないのかな、と思います。

 ところで、死刑と終身刑の議論の中で終身刑だとお金がかかるからダメというのは、制度の運用上では非常に大きな問題なのですが、それを制度の本質的な議論と同列に並べて判断の材料に入れちゃっていいのかなぁ、とためらわれるのですが、みなさんはどう考えられますか?


>現行の無期懲役と死刑とのギャップを埋めるというだけの問題ではないとは思いますが、裁判員制度を見据えますと、裁判員にかかるプレッシャーを軽減する効果はあるだろうとは思います。

確かに「命を奪う」ことになる死刑についてのプレッシャーは想像しがたいものがあります。しかし、終身刑もある意味人生を奪う刑ですので、それはそれで十分プレッシャーを感じずにはおれないかと。

>でも、仮釈放を認めない終身刑を導入すると、死刑の寛刑化ではなくて、無期懲役の厳罰化になる場合のほうが多いかも知れません。

導入に際して、「死刑適用基準の引き上げ」のような形になれば「死刑の寛刑化」になるでしょうし、「死刑適用基準が現行維持」であれば、「無期懲役の厳罰化」になるでしょうし、どういう意図を持って導入するのか、というところですね。

単純に、裁判員のプレッシャーの軽減というのであれば、「死刑」適用基準が引き上げの方向に作用しそうな気もしますが。

北風さん

冤罪の可能性を考慮に入れたときのプレッシャーの差は天地雲泥と言っていいと思います。

>ところで、死刑と終身刑の議論の中で終身刑だとお金がかかるからダメというのは、制度の運用上では非常に大きな問題なのですが、それを制度の本質的な議論と同列に並べて判断の材料に入れちゃっていいのかなぁ、とためらわれるのですが、みなさんはどう考えられますか?
無期懲役でもそんなすぐに出らんないんだから、無視していいレベルだと思うんですけどね。やっぱりそこらへんは社会的コストとして考えるべきだと思います。犯罪者のために金払うのがいやなら警察にガンガン発砲していただきますか(笑)。
絶対的終身刑が導入されることで死刑が減少するかというと疑問です。裁判所の考え方として「無期懲役だと軽すぎるから死刑は重過ぎるかもしれないけどコイツ死刑!」ということがあるか、というと…。結局絶対的終身刑が導入された場合、従来無期刑だった人が絶対的終身刑になることが圧倒的に多くなると予想します。そうすると(死刑廃止を前提としない終身刑導入の場合)〔鬼刑犯が仮釈放されて社会に出てくることと、金払って刑務所に閉じ込めておくこと、の2つを比較した方がよろしいかと思うデスよ

>無印粗品さん

ところで、死刑と終身刑の議論の中で終身刑だとお金がかかるからダメというのは、制度の運用上では非常に大きな問題なのですが、それを制度の本質的な議論と同列に並べて判断の材料に入れちゃっていいのかなぁ、とためらわれるのですが、みなさんはどう考えられますか?

そもそも、「終身刑は死刑よりコストがかかる」という前提は果たして正しいのでしょうか?
アメリカだと、「死刑の方が高くつく」という事実・常識が存在しており、その点では日本と真逆です。
強制上訴制度など、日本と異なる仕組があるとは言え、それほど日米間に違いがあるとも思えないのです。
不利益上訴などの存在も考慮すれば、むしろ日本の死刑制度の方が高くつくかもしれないぞ、という推論すら働きます。

以前、死刑制度に関する予算を調べようとしたことがあります。
しかし、法務省はそういった情報を一切開示していないようです。
死刑問題で造詣の深い社民党の保坂議員の質問趣意書に、死刑制度関連予算の質問がありましたので、その答えがなんであったのか尋ねてみた事があります。
返事は、「執行に携わった刑務官には1人2万円の手当てを出している」ということだけ。

どうも、法務省は死刑関連予算について明かしたくないようなのですが…。

冤罪の可能性を考慮に入れたときのプレッシャーの差は天地雲泥と言っていいと思います。

で、あれば“死刑の寛刑化”となる可能性があると言えるのではないでしょうか。

>冤罪の可能性を考慮に入れたときのプレッシャーの差は天地雲泥と言っていいと思います。

この当りは想像が困難な実際にプレッシャーを経験しないと本当にはよく分からない部分ではないかと感じます。

 「裁判員にかかるプレッシャー」ですが、「光市事件」のように被告が実行したことはほぼ確かで量刑の問題ならともかく、冤罪=無罪の可能性がある場合は、資料などを十分検討しても実際に「有罪だと判断を下す」際にもその疑いを否定できないものなのだと思います。
(裁判ではなく、業務上で、例えば、製造プロセスのどこかに問題があって特定していくときなど、調査・検討してここが怪しそうと絞り込んでもなかなか100%原因はこれである、とは断言できないですし。)

 一方で、「無罪であるかもしれない被告に有罪と判断を下す」プレッシャーは、終身刑、無期懲役に限らず他の刑でも重いものでしょう。
逆にそのプレッシャーにも関わらず、「有罪と判断を下す」以上、それなりの確信と覚悟があってのものとも思われる(冤罪の可能性が否定できない時に、死刑では命を奪ってしまうが無期懲役なら命までは奪わないからいい、とはならず、自分なりに冤罪の可能性を否定できて無期懲役の判断が下せるのでは)

  実際のケースを想定しないとここは正直よく分かりません。

No.27 だいちゃんさん

アメリカだと、「死刑の方が高くつく」という事実・常識が存在しており、その点では日本と真逆です。

 アメリカでこのような事実・常識があるということは恥ずかしながら存じませんでした。そこで、検索してして軽く調べてみましたところ、単純に拘留費用と死刑執行にかかる費用の比較ではなく、仮釈放のない終身刑が最高刑である場合と比べて、死刑が最高刑である現状では訴訟が長期化しがちで多大な費用がかかる。という部分が大きいようです。また、計算できないコストとして心理的な問題なども取り上げられていました。

 ただし、「死刑の方が高くつく」という説の根拠となる資料は死刑廃止論者の側から出された物であり、必ずしも一般的な事実・常識であるようには読み取れませんでした。

 一方で、終身刑の方が高くつくという説の根拠となる資料は見つからないようで、こちらについても一般的な事実・常識とは言えず、明確な根拠のない想像であると言えるのかもしれません。

 ただし、訴訟費用については死刑を最高刑とした場合と終身刑を最高刑とした場合の比較であったため、死刑廃止の議論ではなく、死刑を存続した上での終身刑の導入の議論である間は、死刑を最高刑とした中での終身刑にかかるコストについても比較してみないと公平とは言えないでしょうね。

 死刑が高コストであるかどうかについては結論は出ませんが、終身刑が高コストという点についても必ずしも事実・常識ではないという視点は持っていなかったので、指摘して頂いたことに感謝します。この点についてはもう少し調べてから議論させていただこうと思います。

まささん、
>仮釈放がない無期刑(絶対的終身刑)は、法によって死刑にしないというだけのことで、緩慢な死刑と同じで、私には死刑より残酷な刑に思えます。

その場合、
「死刑すら生ぬるい」と思う被害者遺族からすれば、
なおさら、導入して欲しいということになります。

プレッシャーなんてあるんですかね。
ソースのニュースにもある通り「死刑判決の増加への懸念」、つまり死刑を求める遺族感情に市民が同調し、それに裁判員も流されて簡単に死刑判決を出す危険性のほうがあるわけです。

今の世論ってそうじゃない?

No.32 マツクラさん

私は今のままの量刑基準なら、無期懲役が増えるかもしれないと思っていますよ。従来の有期刑レベルの案件なら厳罰化が進んで無期懲役となり、死刑かどうか微妙な案件では躊躇いが生じて無期懲役になる、というものです。
茶の間でワイドショー見ながら「こんなやつ死刑死刑」と言い放つのは簡単ですが、言葉を直接交わしたこともある生身の相手に面と向かって「お前、死ね」と宣告するのはなかなかに胆力が必要かと。

 死刑は判決に基づいて執行されます。
 したがって、死刑評決に一票を投じるということは、死刑の執行ボタンを自らの指で押すのと同じです。

 そして、評決に一票を投じるの「市民」とか「世論」という抽象概念ではありません。
 「裁判員」という立場にある一人の人間です。

 死刑判決を言い渡したときに、被告人の親族から「人殺し」という声を投げかけられた裁判官がいたという話を聞いた覚えがあります。
 裁判員の皆さんはそのような場合に親族の声を受け止められるでしょうか。

>No.18 cocoro様
ご提示頂いた情報は元懲役囚個人にとって更正が難しかった事実を提示しているだけであって、全仮釈放者における更正出来た者の割合が示されていないので

どれほど矯正・更生教育することが、難しいかがよく解ります。

の表現は適正ではないのではないかと思われますが。

モトケン先生申し訳ありません。

 無期懲役刑後の仮釈放後の再犯の実例をあげて、矯正・更生の難しさを感じ、多角的な議論をすることを促したつもりが、どうも割合を示せになってしまったようです。

 皆様の、理性的な議論に水を差すことになり、私の不徳の致すところです。お詫び申し上げます。

無残に殺された被害者の写真を見せられて、泣き崩れる遺族の前で、生ぬるい判決を出せるでしょうか。
素人である裁判員は判例より感情を優先させる。
実例を挙げれば名古屋闇サイト殺人事件で死刑を求める署名にサインをした人たち。
加害者の親族は憎悪の対象でしかないでしょう・・・

と言うのが私の予想。
プロと素人のギャップを埋めるのが終身刑かもしれません。
裁判員制度が始まってみないとわからないですけどね。

>死刑判決を言い渡したときに、被告人の親族から「人殺し」という声を投げかけられた裁判官がいたという話を聞いた覚えがあります。
 裁判員の皆さんはそのような場合に親族の声を受け止められるでしょうか。


それはそれで、死刑でなければ被害者親族から人殺しの仲間といわれるかもね。どっちに転んでも損な役回り。

まあ、それはさておき、無期懲役で、被告が出所してきた場合、被告の親族は親戚づきあいせんとならないし、兄弟姉妹、甥姪は下手をしたら扶養の義務まで背負うのでないだろうか。ただでさせ、被告のせいで世間から冷たい目をされ、就職、縁談で冷遇されているというのに。正直、消えて欲しいと思うのが親族の心情ときいたこともあります。

>No.31 cancanさん

 たぶんそうなると思います。

 ネット配信の光市事件の記事へのコメントの中にも、絶対的終身刑がどういう刑なのかを知っていて、早く導入するよう煽るように書いていたコメントもよく見ました。

 まさしく、死刑では生ぬるいから と・・・

 私が知っているのでから、多くの方々が絶対的終身刑の場合にはどうなるかを知っていると思います。

 実際に導入している国や州では、死刑がなくて必然的に絶対的終身刑になる場合と、死刑があるのに、絶対的終身刑になった場合があります。

 死刑と絶対的終身刑の両方がある場合に、被告が死刑回避して喜んでいるのも、最初の内だけで、月日が経過すると、自分の立場が分かるようになります。 が、時すでに遅しです。

 で、絶対的終身刑は、遅かれ早かれ、受刑者がそういう状態に陥っていくのを、被害者遺族は(どういう刑なのかを調べて)知っています。

 憎しみが強い遺族は、加害者に生き地獄を味合わせるために・・・ 死刑より絶対的終身刑になるのを願うらしいです。

 実際に導入してる所が、そういう状況なので、人種が違っても同じ状況になるのは予測できます。

 絶対的終身刑は、死刑にしませんから、表向きは加害者の人権に配慮した形になりますが、実情がそれですからね。。。

 死刑と絶対的終身刑のどちらが人道的かを考えると、特に日本の場合は、死刑囚に対して厚遇ですから、どう考えてみても死刑の方が人道的に思えます。

 超党派の国会議員で考えるようですが、実際に現地視察に行った時に、狂人、廃人を目の当たりにしたら、どう思うのでしょうかね。。。

恩赦について、質問です。

絶対的終身刑と死刑の並存する国では、絶対的終身刑の受刑者は恩赦で死刑になる??

>No.36 cocoroさん

横から申し訳ありませんが、全然気にされることはないと思います。
No.18のコメント、私としては、「終身刑の是非を観念的、抽象的に議論するばかりでは足りない」という投げかけとして受け止めました。
No.20のまささんのコメントは、議論の前提として有益ですね。
じっくり考えてみたいと思います。

>No.15みみみさん
 念の為、No.9は「仮釈放のない終身刑というのは、考えると残酷な刑かもしれない」とだけ言っているコメントであり、それ以上も以下の意味もなく、また、他意もありません。
つまり、単なる「つぶやきコメント」だったのですが(汗)、茶々入れレスとなり、失礼致しましたm(_ _)m

* * *
 No.15始め多くのコメントは大変参考になります。まずは、
「終身刑は終身刑なりにいろいろ問題がありますから、拙速はまずいと思いますよ。(エントリ記事)」
「けして、裁判員だけのためで議論してほしくない。(No.18)」
というのは大事な指摘だと、私も思います。
既に沢山の論点が挙げられておりますね。
自分なりに整理してみました↓

(1)コスト(No.23 無印粗品さんの仰るように、制度の本質的な議論とは別に考えた方が良いかな…と私も思います。)
(2)法律によって保護される利益を侵害した犯人に非難を加え、苦痛を科すことで社会の公憤を慰撫し、被害者の報復感情を満足させる観点
(3)刑罰の威嚇作用によって一般人に対し心理的に働きかけ、犯罪抑止を図る観点
(4)犯罪を犯した者に対して、やってはいけないことだと教え、矯正して再犯を防止する観点
(5)刑務所内の秩序維持の面(上記4等とも関連)
(6)死刑の寛刑化?無期懲役の厳罰化?(No.24で「死刑」適用基準次第ではないかという趣旨のご指摘あり。)
(7)裁判員制度実施を睨んだ観点(上記6等とも関連)
(8) 刑そのものの残虐性に関する議論(上記2等とも関連?)


 複数の論点が相互に関連していると思いますが、
(1)と(5)は主に運用上の論点であり、(2)(3)(4)は主に「刑法の機能」に関連した「導入意図や目的」に関する論点
(ちなみに、(2)(3)(4)は小会議室No.246プロ喫煙者さんのコメントを参照しています。)
(6)(7)は主に、「導入意図や目的」の照らした部分の制度設計上の論点
(8)は憲法36条に関連する論点
という感じでしょうかね。

 …結局、ただの茶々入れレスになりました。(すみません…)

皆様の意見・議論を参考にさせて頂いています。ありがとうございます。

ところで終身刑、死刑の被害者(遺族含む)の感情として一般的にはどうなのでしょう。(個々に様々な感情があるので一般化無理か?)
→現状多くの世間の意見は被害者感情に移入している部分が大きいので参考にしたい

「被害者の報復感情」という意味は、「刑として最高刑」を与えることによる溜飲を下げるという面と「物理的な死」「社会的な死」を持って償ってもらうという意味があると思います。

また「死刑」は遺族にとって死刑囚の執行による「死」をどのように捉えるかによって変わってきますね。
(現在執行された人の名が即時に判明してますしね。執行を区切りとして何か感情等変わる部分があるような気がします)

〆嚢盞此畚身刑 ※死刑なし
∈嚢盞此畛犒此 、┰身刑あり
最高刑=死刑  ※終身刑なし

パターンにより、それぞれ被害者感情が変わる気がしますね。
もうどこかに議論ありましたっけ?

過去にも死刑廃止に代議士が動こうとしたけど、遺族感情を考慮すれば反対との世論(この世論とは与党支持派という意味かも知れませんが)の同意を得られずその都度お流れ・・・という話は知り合いの弁護士から漏れ聞いた事があります。

日本はやはり『忠臣蔵』の国なんだなぁと感じます。
ならばいっそ仇討ちを法制化してみれば、なんて不謹慎でしょうか?
(遺族がいない場合にのみ国が代理を務める)
これをやって後、「死刑廃止論」の必要性が本当の意味で叫ばれるのではないかと感じています。そしてその結果としての終身刑の必要性も。

No.26 ろくろくび様の感覚は何となく判ります。
私も死刑=人の命に関わることをコスト面で斟酌する事に抵抗を覚えます。
特に「死刑と終身刑の議論の中で終身刑だとお金がかかるからダメ」っていうのには付いていけません。
人の命とお金を秤に掛けるいるみたいで。

それと私が高層と表現したのは、今より少し高くすれば?の意味で見晴らしが良くなる程の高層の意味ではありません。
建築法に詳しくないので、用語が適切でなく、誤解を与えたようですみませんでした。
5階までの建物ならばエレベーター設置は義務付けられないし、消防はしご車が充分届く高さです。
(消防署が用意した脱出用シューターが設置出来ます)
実際に神戸刑務所は4階に房があり運営出来ている訳ですから、老朽化した2階建て以下の刑務所から作り直す、または移転していけば良いのではないかと。
地方はまだまだ土地が余っていて、過疎でゴーストタウン化してる所もありますし、自治体は火の車のところが多いですから助成金でなんとかクリア出来るのでは?と思います。

>なんて不謹慎でしょうか?

 不謹慎以前の問題です。
 現在の刑事司法は、遺族の仇討ち権を否定するところから始まっていると言っても過言ではありません。
 刑事司法は報復とは切り離された国家による社会秩序維持機構として成立しています。

 しかし現実問題として遺族には報復感情を生じますから、国家制度としてそれに応えないと社会秩序が維持できなくなります。
 そのような論理において被害者・遺族の気持ちを考慮する必要が生じます。

 私は以上のように考えています。

>>No.45 モトケン先生
前段までは完全におっしゃるとおりだと思います。

しかし後段
> しかし現実問題として遺族には報復感情を生じますら、国家制度としてそれに応えないと社会秩序が維持できなくなります。
 そのような論理において被害者・遺族の気持ちを考慮する必要が生じます。>
は前段の内容をおん自ら否定して>>No.44 大学生の母さんと同じ内容のご感想のように読めます。

私は現行刑法を改変しようという時は前段の原則どおり仇討ち感情や人命尊重論といった情緒論が混入する改変論をを一切排して、純然たる制度運用コスト論に基づいて行うべきだと思います。

たとえば>>No.44 大学生の母さんの
>5階までの建物ならばエレベーター設置は義務付けられないし、消防はしご車が充分届く高さです。
(消防署が用意した脱出用シューターが設置出来ます)
実際に神戸刑務所は4階に房があり運営出来ている訳ですから、老朽化した2階建て以下の刑務所から作り直す、または移転していけば良いのではないかと。
地方はまだまだ土地が余っていて、過疎でゴーストタウン化してる所もありますし、自治体は火の車のところが多いですから助成金でなんとかクリア出来るのでは?と思います。>
のように。

>No.46 ぼつでおk(医)さん

 制度運用コスト論というのがどういう論なのかよくわかりませんが、経済効率を追究すべきということでしょうか?

 医療も、患者やその家族の感情といった情緒論を一切排して、純然たる制度運用コスト論に基づいて行うべきだと思いますか?

 私は、コストの問題を制度の本質的な議論と同列に並べて判断の材料に入れちゃっていいのかなぁとためらわれるのですが、それでも無視できないことには違いないと考えています。しかし問題にするレベルが異なっているので、それぞれ別に考えるべきだと思います。

 終身刑の導入前後でコストを見積もり、コストが高くなる場合で、導入できるだけの予算を取れない場合は、本質的議論(というかコスト問題を除いた議論)で導入すべきだという結論が出たとしても導入することは不可能でしょう。無い袖は振れないのです。では予算を増やせないかどうか、という話になると死刑・終身刑だけの話ではなく、全体の予算からライフライン整備、福祉、教育、防衛その他との配分比率ということになり、非常に話が複雑になってしまいます。

 金銭的なコストで言えば、現行の制度の予算範囲内で実現できるかどうかという点は、実現の可能性を測る参考資料にはなると思いますが、やはり本質的議論とは分けて考えるべきだと思います。

 実際に、「最高刑が死刑の方が終身刑の場合よりもコストが高い」という主張は、「終身刑はコストが高いから導入反対」という意見に対するカウンターとして出されているに留まり、「コストが安いから終身刑を導入しよう」という主張にはなっていない様です。どちらが高いかという点には異論がありますが、金銭的コスト問題を一緒にしないようにする姿勢には賛成できます。

おはようございます。

No.46 ぼつでおk(医)さんへ

>私は現行刑法を改変しようという時は前段の原則どおり仇討ち感情や人命尊重論といった情緒論が混入する改変論をを一切排して、純然たる制度運用コスト論に基づいて行うべきだと思います。

 ただ、この場合、被告人の情状も(未成年や人命尊重論による死刑廃止)も否定しないとおかしいと思いますが

 刑務所の高層化について
 いっその事、埋立地や無人島をまるまる使ったほうが早くありません?
 そして労役の内容を見直して、収容者だけで刑務所が回せるような形にするのがいいような気がしますが(その分、刑期を短く又は賃金?を出すと言うことで)
 脱走に関してはそれこそ反省の気が無いということで、該当する刑罰の上限に変更すればいいと思います。
 (この点では、死刑を残しておいて、裁判所では出さないが脱走したら死刑にするという形で残すという事で)

 終身刑がコスト的に実現不可能というのであれば別ですが、私は死刑と終身刑の議論がコストを中心として議論されるのを好ましく思っていません。

 もっと根本的かつ重要な問題があるはずです。

>No.41 curiousjudgeさん

 どうも、はじめまして。

 終身刑は、前知識がないと議論がぶれると思い、No20(No21)を書きましたので、私見は以下の部分くらいになっています。

 現行の無期刑でも、ヨーロッパで導入が多い相対的終身刑と大差ないです。仮釈放のない無期刑は、人道的配慮に欠けていますし残酷すぎますので、私は絶対に反対です。

 もし死刑との間を埋める刑罰を導入するのなら、現行の無期懲役よりも仮釈放までの在所期間を延ばした重無期懲役にした方が良いと思います。

 自分の意見や代替案としては上記になるのですが、法曹に携わる方にじっくり考えていただけるのなら、簡単にですが何故こう思うのかについて書いておきます。

 どんな場合にもプラス要素、マイナス要素がありますので、絶対的終身刑の場合には、どういう要素があるかを考えてみました。

 マイナス要素には、まず大きな問題として、人格破壊を起こし、狂人、廃人になりやすいことがありますが、受刑者がそこに至るまでにいろいろな問題を起こしますから、刑務官の人数を増やす必要が出ます(人件費増加)。

 そして狂人、廃人になったら、労働ができなくなります(その個人の生産性はゼロに、刑務所としては生産性低下)。自分の身の回りのことも自分で出来なくなりますので、介護者が必要になります(人件費増加)。通常の房には居れないので、専用の隔離施設が必要になります(設備投資、維持管理費増加)。と挙げ出すといくらでも出てくるのですが・・・

 プラス要素は、国民からみて犯罪行為を犯した者が2度と外に出てこないので、再犯の恐れが無くなるという点がありますが、それくらいしか見当たりません。

 何も絶対的終身刑に相当する罪を犯した人達だけが、再犯するわけではありません。仮に1年間に無期懲役刑が確定するのが130人として、その内の半分が絶対的終身刑に相当するとしても1年あたり65人です。

 無期刑以上に相当する罪と言えば、殺人、強盗、放火、強姦などの凶悪犯罪になりますが、2006年で殺人で1241人、強盗で3335人、放火で825人、強姦で1058人で単純に合計6459人になります。(重複しているのもあると思いますし、他にも該当する罪はありますが、大勢に影響ないので、それらの数字は無視しておきます。)65人全員が再犯(ありえないのですが)したと仮定しても1%で、残りの99%は初犯もしくはそれ以外の前科での再犯になります。

 65人全員が再犯したとしても約1%ですが、実際の無期刑の再犯者は年に1人いても多いくらいですから、仮に年1人として計算すると、0.015%になります。そうすると全体の内の99.98%が初犯若しくは無期以外での再犯になります。

 絶対的終身刑相当の罪を犯した人達の再犯防止のためだけに、デメリットの方がはるかに大きい刑を導入する意味合いが見当たりません。

 仮釈放がないとするよりも、あくまで仮釈放があるとし、運用の際に(高齢になり)再犯可能性が小さいと判断できたら仮釈放にすれば済むように思います。現行の無期懲役刑では、運用別の区別がつきにくくいですから、分かりやすくするためにも刑罰名として重無期懲役刑みたいな感じにすればいいように思います。

 あくまで仮釈放できるという、一筋の光明がないと、矯正の意味合いもなく、とてもじゃないですけど、現場の刑務所の刑務官が受刑者対応に苦慮すると思いますね。

 まだ国会議員が考え始めた段階ですし、これから調べていけば、分かってくると思いますが、もし立法で導入に前向きになったとしても、行政サイドの反発もあると思います。

 それよりも他国の状況で刑罰自体で人格破壊に追い込むことが予測つきますから、残虐な刑罰を禁止している憲法に違反するような気がします。もし最高裁が違憲になると判断したら、司法が事前に待ったをかけるような気がします。

 絶対的終身刑はマイナス要素の多さのことだけでなく、はたして合憲になるのか?も引っ掛かる部分です。

 併せて考えていただけると幸いです。

>>No.47 モトケン先生
たとえば>>No.44 大学生の母さんの
>5階までの建物ならばエレベーター設置は義務付けられないし、消防はしご車が充分届く高さです。
(消防署が用意した脱出用シューターが設置出来ます)
実際に神戸刑務所は4階に房があり運営出来ている訳ですから、老朽化した2階建て以下の刑務所から作り直す、または移転していけば良いのではないかと。
地方はまだまだ土地が余っていて、過疎でゴーストタウン化してる所もありますし、自治体は火の車のところが多いですから助成金でなんとかクリア出来るのでは?と思います。>
のように議論が進行すれば、次の段階ではそのコストはどのように誰が負担するのかという実際的な検討がなされ、結局改変が現実のコスト面から可能かどうかが明らかになる。
仮に改変できないとしたらその理由も明らかになり、制度を変えるよりも現行制度の中で運用を見直してやりくりしていく方向になるでしょう。
今回の議論で情緒論から改正が拙速に行われることになるよりも、こうした具体的なコストの試算に関する意見が多くでてきたほうが、運用を見直す際の参考意見が多くなってよろしいのではないでしょうか。
まあ私は満遍なく意見が出て全体としていい議論がなされていれば司法制度が変わってもいいと思いますけど、情緒論で変わった危険運転致死傷罪の導入後の司法制度の混乱振りとか見てますから、情緒をまじえて結論することのはた迷惑さは容易に想像できます。
エントリコメントの
>終身刑は終身刑なりにいろいろ問題がありますから、拙速はまずいと思いますよ。
でモトケン先生にも教えていただいてますし。

あと医療問題に関しては、医療制度を制定運用しているのは厚労省ですから、私はいち医師として「厚労省があれじゃ崩壊もやむなし」派でございます(笑)。

例の議連発足の記事、購読紙の今朝の朝刊に載っていました(情報遅い・・・・)。
記事には「一般市民による死刑判決をできるだけ避ける狙いがある」とありますが、そんな邪な(あえて「邪な」と言わせてもらいます。)目的で、絶対的終身刑の実現を目指されてもなあ・・・・と思います。
やはり、「責任主義に基づく量刑」を大前提に、プラス行刑目的(犯罪の抑制、犯人の改善更生)をどう達成するか、という観点から考えないといけないのではないでしょうか。

>No.52 ぼつでおk(医)さん

 コスト問題以外の問題は全て情緒論というわけではありません。

>次の段階ではそのコストはどのように誰が負担するのかという実際的な検討がなされ、

 負担者は国民に決まっています。
 ぼつでおk(医)さんは、死刑存廃論(その他の法律論も)を医療問題に置き換えすぎているのではないかと想像しています。

 死刑問題をコスト面で議論しだすと、必ず「殺人者に税金を使う必要はない。」というノイズが生じます。
 死刑を存置するか、終身刑を導入するかという問題は、まずコスト以前の問題として検討されるべきだと思っています。
 コスト面の問題は、長期未執行者が既に多数いる現在においては、制度採用の適否に決定的な影響を与えるほど深刻な問題ではないと思います。

皆様の質の高い議論をROMしながら、疑問がわいたのでお聞きしたいのですが・・
素朴な質問です。、もし、皆さんの仰るような終身刑が導入された場合、現在の死刑確定者も再審請求などによって、死刑→終身刑というのはありえるのでしょうか?

>No.55 A.K.さん

 再審手続によっても減刑は可能ですが、新たな証拠が必要など要件が厳格ですから、制度変更にともなって「死刑→終身刑」を検討するなら恩赦によることになるだろうと思います。

モトケンさん,即答ありがとうございます。
制度変更にともなっての 見直しもありえるということですね。
わかりました。有難うございます。

被害者遺族の一人としてひと言。
報復感情については、峻烈な部分を時間が薄めてくれたところも少ないながらあります。ただ、かえって時間が経つにつれ、仮釈放された加害者が、いきなり私たちの目の前に現れたらと考えるとパニックになりそうです。報復感情のほかに、このような恐怖感は常にあることを申し上げたいと思います。

No.58 たぬき(その他)さん

ご事情を存じ上げませんので不用意なことは申し上げられないのですが、被害者遺族がそのような心理状態に置かれる場合があることは容易に理解できます。

何の事件だったか憶えていないのですが、無期懲役の判決の中で、「仮釈放に当たっては、検察および遺族の意向を踏まえて慎重に検討されるべき」と釘を刺していたケースがあったと思います。つまり、時期的に仮釈放が可能になっても、検察や遺族が納得しない限り仮釈放を認めない、ということですね。
こういうことを特例とせずに、法律に明記してシステム化すればお礼参りや再犯などのリスクを軽減できるのではないでしょうか。

>>No.54 モトケン先生
> ぼつでおk(医)さんは、死刑存廃論(その他の法律論も)を医療問題に置き換えすぎているのではないかと想像しています。

えーと、私は医療問題についてはほかの医師の皆さんにお任せしているつもりです。医療裁判については大野病院では検察の法解釈そのものについて疑義を述べてますし、民事の過失認定については裁判官が期待権を用いて過失認定することに疑義をせっせと(笑)述べておりますが。
そのほかの分野に関しては、日本国民歴半世紀以上という生きてさえいれば誰でも自然に身に付く(笑)雑知識だけを根拠として発言しとりますいわゆるアレな奴ですから、医療制度に置き換えて考えてる積りは余り本人は意識してないですが、そうなのかもしれません、自分じゃよくわからないですね(笑)。

 No.42 死刑囚さん  のコメントの観点へ。
私は死刑存続+終身刑導入賛成の立場ですが。
まとまった意見にならなくてすいません。

(1)コスト
 ・これは無視して考えるべきと考えます。
(2)法律によって保護される利益を侵害した犯人に非難を加え、苦痛を科すことで社会の公憤を慰撫し、被害者の報復感情を満足させる観点
 ・この観点を満たす必要があるかは分かりません。「犯人が生きていることに納得いかない」被害者関係者もおられるかもしれませんが、刑を終えて出所することのないことは被害者の報復感情を満たしえる重さを持っているかと感じます。
(3)刑罰の威嚇作用によって一般人に対し心理的に働きかけ、犯罪抑止を図る観点
 ・一生娑婆に出れないことの抑止効果は結構あるのではないでしょうか。
(4)犯罪を犯した者に対して、やってはいけないことだと教え、矯正して再犯を防止する観点
 ・一生娑婆に出れないことによる抑止効果
(5)刑務所内の秩序維持の面
 ・これはよく分かりません、困難な部分はあると思いますが。
(6)死刑の寛刑化?無期懲役の厳罰化?(No.24で「死刑」適用基準次第ではないかという趣旨のご指摘あり。)
 ・「二度と娑婆にでれない」死刑・終身刑において、「死を持って償うべき」境界はどこか。終身刑・無期懲役において「二度と娑婆にでれない」境界はどこか。
(7)裁判員制度実施を睨んだ観点(上記6等とも関連)
 ・まず、私が裁判員になったとすれば、「刑を宣告する」プレッシャーがあるだろうと想像します。他人の人生を大きく変えるボタンを押すことになる(冤罪の可能性があれば更に変化の幅が大きい)ということへの。重さについては、正直、終身刑も死刑も差はあるがその人生を大きく変えます(無期懲役もその大きさは大)。
(8) 刑そのものの残虐性に関する議論(上記2等とも関連?)
 ・「対象となる刑を科せられる者は、他人の生命を奪い、その関係者の人生を大きく狂わせた」という前提があるので、その償いの重み「償えないものを償え」自体が残酷差を伴う点が難しいところだと思います。

 コストや安全性から言えば、なんであれ(事故・健康・その他)、予防するのが一番なので、本来はそちらをどうこうするほうが効率的なのですが・・・。

歴史的に日本に西洋の刑法が導入された折に死刑の次が無期懲役と規定されたのだろうと思うのですが、どういう事情でそう決まったのでしょうか?

刑罰の対象期間の違い

 死刑も絶対的終身刑も刑が確定したら、特別なことがない限り、二度と外部に出ることが出来なくなるのは同じですが、刑の執行開始時に大きな違いがありますから、刑罰の対象期間の違いがあります。

 死刑囚や受刑者の処遇については、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 で細かく定めてありますが、処遇の原則は以下のようになっています。

第三十条  受刑者の処遇は、その者の資質及び環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする。

第三十二条  死刑確定者の処遇に当たっては、その者が心情の安定を得られるようにすることに留意するものとする。
2  死刑確定者に対しては、必要に応じ、民間の篤志家の協力を求め、その心情の安定に資すると認められる助言、講話その他の措置を執るものとする。

 死刑の場合は、法相が執行命令書に署名してから5日以内に刑の執行がありますが、それまでは、あくまで死刑確定者という立場で拘置されているのであって、裁判で確定した刑の執行はされていません。

 法相の命令が出てから、検察官が死刑執行指揮書によって、死刑執行を指揮することで刑の執行が始まります。

 それに対して絶対的終身刑の場合は、仮釈放がない無期刑ですから、裁判で確定したら、対応する検察庁の検察官が指揮して刑を執行しますから、ほぼ収監と同時に刑の執行がされています。

 死刑の場合は、死刑執行指揮書を死刑囚に読み上げてから死亡後5分間の時間(手順からすると30分前後?)が刑罰の対象期間であるのに対して、絶対的終身刑の場合には、収監され受刑者が死亡するまでの期間が刑罰の対象期間になります。

 日本の死刑執行方法である落下型の絞首刑の場合には、その人の体格・首の強さ等で若干の差はあると思いますが、おおむね落下した際に気絶し、気絶した状態のままで絶命していると思います。

 イラクのフセイン元大統領の死刑執行の動画がネットに流出しましたが、あの場合にも同様の落下型絞首刑でしたが、縄の結び目部分が異常に大きかったので、頚骨を強制骨折させ絶命させているので、同じ絞首刑でも少し違うのですが、どちらも意識が無くなるまでに要する時間は、落下が始まりロープが伸びきった時に首の一部に大きな力が加わるまでに要する時間で一瞬です。

 見方を変えると、絶命するまでに苦しむ時間を最短にしていると言えます(人道的配慮)。

 死刑は残虐な刑罰ではない(合憲)という最高裁の判断がありますが、これまでの刑法には、仮釈放がない無期刑は在りませんでした。

 絶対的終身刑の場合は、刑そのものが収監から始まりますので、刑罰として考える場合には、絶対的終身刑の刑罰の対象期間に起こるいろいろな事を考え、合憲になるか、他の法令違反にならないか、の確認が必要になると思いますし、もし絶対的終身刑が、違憲、法令違反になるようであれば、憲法をはじめとして関連法令改正も必要になります。

 仮釈放がある無期刑の受刑者の在所期間を長くするだけであるのなら、何も新たに刑罰を作り、法改正をしなくても行政(法務省矯正局など)が運用の仕方次第で対応可能です。

 現在の無期懲役の仮釈放者にしても、あくまで改悛の情ありの模範囚が対象ですから、いくら30年以上であっても、仮釈放できる要件を満たさなければ、40年経とうが、50年経とうがいつまで経っても仮出所できません。

 仮に、30歳の被告が、裁判に5年かかり、50年経過したら、85歳になります。2000年の男性の平均寿命は77.7歳、女性でも84.6歳です。平均寿命から考えると生存している可能性の方が低くなります。

 模範囚の仮釈放時期を現行の無期懲役より確実に遅らせるのためなら、差をつけるためにも、それより重い刑が必要になりますが、そこまでする必要に迫られているとも思えませんし、死刑と無期懲役の間を埋めるという考えのようですが、現行の無期懲役ですらそうなんですから、わざわざ刑罰を新設する意味合いも見当たりません。


死刑がやむを得なくない場合の無期懲役の場合

 ちなみに死刑を選択する場合には、罪責が重い上に改悛の情もなく、更生の可能性もない(どうしようもない)場合と改悛の情があって更生の可能性も罪責が重すぎる(どうしようもない)場合に死刑はやむを得ないと選択されていますが、無期懲役は、罪責は重いが改悛の情があり、人としてまだやり直せる可能性がある場合には、死刑はやむを得なくないので無期懲役になっています。

 遺族に対して誠心誠意ある謝罪が出来ているかによって、犯した罪と向き合い犯行後の反省の度合い(二度とこういうことはしないという決意)を見ることが出来ますが、死刑か無期かのボーダーの場合には、この部分が大きく影響していると思います。


犯罪被害者参加制度が始まると・・・

 犯罪被害者参加制度も約7ヶ月でリミットになりますので、施行まで待ったなしの状態です。

 施行されたら、今までの刑事裁判では、検察官 VS 弁護人、被告人 だったのが、いろいろな参加条件などを満たしていれば・・・

 検察官、被害者参加人又はその委託を受けた弁護士 VS 弁護人、被告人 に変わります。

 被告が被害者遺族に対して誠心誠意謝罪できるかどうかだけでも、裁判の内容、判決自体が大きく変わるように思いますし、後から始まる裁判員制度の適用事件では、裁判の様子を裁判員が見て判断しますから、当然判決にも影響すると思います。

 ただし、法と整合性がない民意は通りませんから、度が過ぎた被害者側の主張は通用しません。

 例を挙げれば、無期死刑の規定がない傷害致死罪に問われているのに、いくら無期や死刑を要求しても無理です。被害者遺族の処罰感情が峻烈であるのは分かるのですが、法の規定の範囲内でないと出来ません。

 被害者側に落ち度があったとしても、それ以上に重い罪を犯した場合には、責任の差の分についての謝罪は発生します。被害者側に落ち度が無ければ、当然犯した罪の分の謝罪が必要です。

 誠意ある謝罪をしておかないと裁判自体でも不利になっていき、厳しい判決になるだろうことが容易に想像できますから・・・

 これからの刑事弁護士は、もし被告側の弁護人をするのなら、被告の誠意ある謝罪の気持ちが被害者遺族に対して伝わるような謝罪をするように被告に諭すのも必要だと思います。

 罰は罪に対してですが、過去に犯した罪の罪責だけでなく、犯した人の未来の更生(矯正)の可能性も考えて決められますから、被告が悪い未来しか予想できないような姿勢では、判決が軽い方向になるとは思えないですからね。

>No.45 モトケン様

お返事ありがとうございます。
私が仇討ちを制度化出来ないか?と申しましたのは

したがって、死刑評決に一票を投じるということは、死刑の執行ボタンを自らの指で押すのと同じです。

の部分を正に遺族に行わせる事は出来ないか?という意味です。
裁判制度に報復感覚を持ち込ませるのは拙いでしょうが、刑が確定した者の死刑執行ボタンを遺族に押させる事は可能なのではないかと。
「殺したい位憎い」のであれば国の仕事の代行者として殺して貰うのもアリなのではないでしょうか。「遺族の報復感情を国も考慮すべき」の意見が大多数ならば、代行の辞退は認めない方向で制度を進めるべきかと思います。
そこまでの制度があって、初めて死刑という制度が真剣に国民一人一人の問題として捉えられ、その延長線上としての終身刑導入の是非が議論されるのではないかと思います。

「殺す」という表現が適切でないというご指摘は当然あろうかと思いますが、犯罪としての殺人も死刑も人の命を意図的に奪うという点においては一緒です。その目的・または動機が「私的なもの」か「公(社会全体)の為のもの」かの違いだけで。

>No.64 大学生の母様

 場外乱闘では、いろいろ議論を闘わされておられました。
正直、家族を失った時は、その病気「〇〇状態」になりました。
会社も3ヶ月休職しました。正式な病気です。

大学生の母様の 犯罪としての殺人も死刑も人の命を意図的に奪うという点においては一緒です。その目的・または動機が「私的なもの」か「公(社会全体)の為のもの」かの違いだけで。

 私は違うと思います。
殺人は、ある日、突然、本人の意思に反し、命を失う。
死刑とは、裁判という方法で三審制いう制度において、加害者の人権、被害者の応報感情を代行して、粛々と行われるものです。
人の生命を失うにおいて、明らかに死刑は原因が存在するのです。そして、裁判の間は、命に向き合うチャンスがあるのです。

 私たち家族は現在、加害者が刑を終え、社会復帰していることを加害者の弁護士さんから伝えられております。
しかし、所在は知りません。損害賠償もされません。謝罪も訪れません。

 私もプチ単身赴任状態で、子供のことは常に心配しています。私の母が健在ですので、お願いしております。
 命の重さは、その立場にない方には頭で考えたうえでの理論です。
 家族の事件は、高裁で結審しました。

 加害者に今も殺意があるかと言われると正直否定はできません。

 お陰と、家族は平穏に暮らすができております。
 モトケン先生のブログ、M.T.さんのブログ、今枝さんのブログ、ある裁判官のブログに触れ、刑事司法のあり方を自分なりに理解でき、応報感情を抑えることができました。

 「被害者面するな」と罵声を浴びせられたこともあります。
 M村さんの気持ちは良くわかります。加害者が適正な加刑されれば、被害者家族はそれ以上のことは言えません。

 感情を抑えているつもりですが、取り止めのない文になりました。
 私は、裁判員には初めから候補には選ばれないと思っています。

 ですから本当に向き合って、立法が検討されることを願うばかりです。


>>モトケン先生いろいろとありがとうがざいます。禁煙頑張ってください。
 私の立ち位置を明かした以上、皆様が御遠慮されるといけないので、今後退席させていただきます。

このブログでは、いろいろな立ち位置の人が立ち位置を明確にして意見を述べることを望ましく思い、期待もしています。

少なくとも、他人に遠慮する必要はないですよ。

>No.65 cocoroさま

初めて明かされた過去には驚きました。ですが属性を明らかにしたからには身を引くと言われると残念です。是非残って頂きたく希望します。


------------------------------------------------------------
※なお以下は私の独り言です。スレ違いはご容赦、かつレス無しで願います。

個々のハンドルネームの向こう側に、一人一人の紛れもない人格が存在し、人生の遍歴がコメントに込められていることを理解できない投稿者こそ、ここから立ち去ることを私は希望します。

例えバーチャルなネット空間と言えども、HNという仮面に隠された人格を想像し、その投稿者の過去に思い遣る心を持って討論に臨むべきです。HNには人格が無いとの主張は、私には理解できません。

裁判員制度で市民が悩む前にって・・・

誰の為の裁判なんでしょうかね。被害者遺族の考え方をどれだけ聞いたのでしょうかね。死刑存廃や終身刑といった刑罰に関するものは、本当の痛みを知ってる被害者遺族の考え方が大いに反映されるべきでしょうね。言われ無き誹謗中傷を避ける為にも内々にですが。

私自身、無期懲役っていうものが甘いと感じるのも事実なんで終身刑がある方が良いとは思います。

 相当期間の懲役ののち、生活に制約をつけるような形で仮釈放みたいなのはどうなんでしょう。例えば「寝泊まりは刑務所だけと、制約付で外に勤務可能」みたいな。
 ドイツの軽微な犯罪者にそんな収監形態があったかと思いますが、逆に「相当程度に反省が認められるが、本来なら死刑や終身刑に相当する罪を犯した者」に適用するような「準刑務所」的施設を作るわけにはいけないんでしょうかね。

 まあ、地域の理解が必要という話になって来ますが。最近はそういう脛に傷のある人を雇うような親分肌の企業が減ってるそうなので、外で生活するのは難しいかしら。

No.68 ゲンさん

むずかしいところですな。
被害者(遺族)の応報感情にとことん寄り添うならば、傷害致死、危険運転致死、業務上過失致死、被害者の損害が大きければ強姦や詐欺にも死刑適用範囲を拡大せよという意見もありえます。また、私的制裁の容認とか、被告人家族への連座制導入なども出てくるかもしれません。
しかし、それが本当に法治国家として健全な姿かというと、私には何とも言えません。

「刑事裁判は誰のために」という議論は簡単に答えを出せない、非常に難しい問題だと思います。

>No.65 cocoro様

正直、家族を失った時は、その病気「〇〇状態」になりました。

「〇〇状態」という病気はないですが。(この○の中に議論された言葉が入るにしても)
誤解を招くような表現は同じ病気におられる方たちにとって良いとは思わないのですが、その点如何でしょうか?
私は専門家ではないのでハッキリとは断言出来ませんが、「うつ」の状態であるから「〇〇病」とすぐ診断が出る訳でもありますまい・・・と思うのですが。
本来は場外乱闘に書くべき事かも知れませんが、やはりここはロム者に誤解があってはいけないと思い書かせて頂きました。
この点私より専門知識がある方が補填して頂ければ幸いです。

死刑とは、裁判という方法で三審制いう制度において、加害者の人権、被害者の応報感情を代行して、粛々と行われるものです。

この部分は私の反論にはなっていないでしょう。
No.45 モトケン様のコメントを良く読まれた方が良いと思います。
「公(社会全体)の為」に三審制という制度を導入し、その刑罰も「公(社会全体)の為」に行われている筈です。

人の生命を失うにおいて、明らかに死刑は原因が存在するのです。そして、裁判の間は、命に向き合うチャンスがあるのです。

「人の命を奪う行為」の原因(理由とも言っても良い)が私的なものか公的なものかの違いでしょう。
怨恨殺人の場合などは犯人なりの理由→被害者のある行為がなければ殺されずに済んだとなる筈です。
その理由付けが社会的に擁護されるか否かの違いだけだと思います。

殺人は何も突然行われるとは限りませんよ。
長く監禁し、殺す事を予告し殺す場合もあります。
テロ人質などがその良い例です。短いとはいえ人質になり殺される事を予告された者は自分の命と向き合うチャンスが与えられた事になりますが、そのチャンスが与えられたならば人の命を奪う事もOKと聞こえます。

>私の立ち位置を明かした以上、皆様が御遠慮されるといけないので、今後退席させていただきます。

横レスですが、被害者の立場として、どんどん発言されたら宜しいのではないですか?
少なくとも私は被害者ではないので被害者のお気持ちは判りません。なので「被害者のお気持ちは痛い程判る」などという、おためごかしも言いません。「さぞ大変な経験をされたのだろう」と察するのみです。

(一人言)
「HNには人格がない」なんて言った人居ましたっけ?
バーチャルであっても人格を持たせる事は可能だと思いますけども。
アニメとかは見ないのかな?

(一人言)

「HNという仮面に隠された人格を想像し」という文を見ながら揚げ足にもならない事を書き綴る人がいるとは・・・

察することもできていないのに・・・

>No.65 cocoro様

スレ違いで申し訳ありません。
No.66 モトケン先生のご希望でもありますし、No.67 法務業の末席様のお考えにも、凄く同意です。
是非、これからもコメントを拝見したいと思います。

> No.71 大学生の母さん 様

迂闊な事は言えませんし、この場で論ずることが正しいのか解らないのですが、何も書かないままスルーする事について自分が許せないので敢えて投稿させていただきます。
いま論点にされている症状について、「○○状態」であれば病気でなく「○○病」であれば病気であるとお考えなら、素人が簡単にそのように割り切ってしまうことは厳に慎むべき態度と考えます。
少なくとも最近のDSMとかICDのような症状を基準にした診断の分類や指針では、「○○病」と言う言い方をする場合には「気分障害」に分類される病態群のうちで「○○状態」を主とする複数の病態の総称的(或いは包括的)名称とお考えになるほうがより適切な解釈でありましょう。
また病態の特性上諸々の配慮もあってか、医師の側からも患者の側からも意図的にいろいろ通称や便宜的呼称を敢えて使用するケースもあるようですし、基本的に自己診断による発言でなく専門医を受診して治療の要ありと認められる状態であったり、まして現実に通院加療などされたのなら、(医師又は患者本人様が)「○○状態」と呼称しようが「○○病」と呼称しようが、間違いなく疾患です(敢えて言い切ります)。従って今回の場合に於いてはご指摘は当たらないと私はハッキリ断言します。
例え誰であっても然るべき専門家の意見を脇に置いて、憶測や自己の感触だけで論じることは厳に避けるべき態度であると私は考えております。

現代の司法が「推認」という人知によって運用されている以上、個人を死によって人知から断絶せしめる刑罰は存在してはならないのではないか。
最近はそんな思いに駆られています。

ですので個人的には、俗にいう終身刑の方が残虐であると感じつつも、それでも人知が届くという一点に拠り「死刑に代わる極刑」として支持できます。


トピックの議連ですが、量刑の軽重を「今の無期懲役<終身刑<死刑」と拙速に位置づけ、死刑の本質的意義判断を回避し、むしろ死刑そのものの刹那的回避手段を作ってしまう事になる彼らの政治活動は、社会と司法にとって害悪に思えてなりません。

>No.76 Yachtさん

 死刑より終身刑のほうが残酷だと言いながら、「『推認』という人知によって」終身刑にするのは良いというのも変な理屈ではありませんか?

 確かに冤罪で死刑は許されません。でもそれと同じぐらい冤罪の終身刑も、冤罪の現場処刑も許されなく思うのですがどうでしょう。個人的には冤罪なら過料1円払うのだって御免です。

No.75 thx-1138様

まして現実に通院加療などされたのなら、(医師又は患者本人様が)「○○状態」と呼称しようが「○○病」と呼称しようが、間違いなく疾患です(敢えて言い切ります)。

何やら論点がズレているような。
私は cocoro様が病院で診断された事を否定しているのではありません。ロム者の中に「○○状態という病名が実際に存在する」と誤解を与える事になるのではないか?と危惧の表明です。
病気になった者であれば実際にない病名があたかも存在するような書き込みをしても構わないとのご意見であればこれ以上何も言う事はありません。

No.77 ミ ´Å`彡さん

>でもそれと同じぐらい冤罪の終身刑も、冤罪の現場処刑も許されなく思うのですがどうでしょう。

まったく同感ですし、私も冤罪であれば過料を払うどころか社会から多額の賠償金を支給されて然るべきかと存じます。


私のNo.76での趣旨は、

「絶対ではない司法が、絶対に取り返しのつかない刑罰を与えるのは不適切」

この一点の解消は、極刑の残虐化の是非よりも優先すべき事案ではないか、という価値の提示にありました。


死刑に代わる、受刑者の寿命という制限つきながらも辛うじて取り返しがつく、それでいて鬼畜認定された犯罪者に相応しいと思える。
そんな刑罰であれば、何でも構いません。
それがNo.69のご提案だという総意が社会に形成しうるのであれば、それもアリです。
刑罰の制裁性を薄めてでも、社会が個人に与える被害を最小限度に抑えるべきという思想からのアプローチと拝察しました…
が、全然違ったらごめんなさい。

> No.78 大学生の母さん 様

疾患の特性上、医師が正確な病名を患者本人に伝えていない(やむを得ず伝えられない)状況である可能性や、敢えてオブラートに包んだ説明の仕方をしている(そうすることが必要な)事案も多数あると言うことを主張しております。
万が一そのような事案であった場合、患者にとって医師から説明された言葉こそが自らの病状を他者に表現する唯一の言葉であると言う点を強調したいと考えています。
勿論その結果、無用な誤解を生じる可能性があることは仰るとおりと存じますが、そうであればこそ上記のような事情が存在するケースもあるのだと言うことを頭の片隅においていただいて、一般論として「安易に誤解を招く表現を使うべきでないという様なスタンスを当事者に対して採って頂きたくない。」という主旨の事を主張致しております。
仮にそのような事例であっても、主治医は然るべき公的な局面に於いては、然るべき正式な診断名を使用している訳です。極論すれば治療遂行のうえでそのような曖昧な対処が必要とされる事案もあるのだと言うことを、そうであれば医学的に正確でない表現であっても患者にとってそれが事実なのだと、そのような事情も時としてあるのだと言うことをご理解いただけないでしょうか?という主旨の事を訴えたいと思って書いております。

そして、なによりこの局面で問題視されている語彙に関して表現の正確性を追求することに、本件エントリのテーマにおいて何か前向きな意義があるのだろうか?と自問自答しつつ先のコメント含め書いておりました。

No.80 thx-1138様
了解致しました。
確かにご指摘の如く、このエントリーにおいて論じる事に意味が大きいとは思えません。なのでここまでと致します。

本件の本来のテーマに関する事なのですが、個人的には絶対的終身刑創設には反対です。今の世情を見ても現状では相対的終身刑に留めおく方が良いのではないだろうかと思っています。端的に言えば所謂「マル特無期」の取り扱いを、明示的に法定化すれば足りるのではないかと考えています。
所謂「マル特無期」の取り扱いが、何の定めを根拠に行われているのかという点に関しては、参議院において某議員の質問に法務省が答弁したことによって、係る取り扱いの有無やその根拠の存在が一応正式に確認されたと解釈できるように思いますから、そうであれば現状のような運用に頼る方法(=ある意味行政に裁量の余地が残る可能性がある方法)ではなくて明示的に法定化した上で如何なる状況において適用するのかを論じれば宜しいのではないでしょうか?と思います。絶対的終身刑の創設については、その上で様子を見て改めて考える方が宜しいのではないかと考えています。
併せて無期刑の7年とか10年という区切りの期間が、あくまでも行政当局に対して場合によってはその裁量において無期(=無期限)という判決にかかわらず仮釈放の申請をすることが出来るというだけのものでしかない(申請そのものがなされないことも、申請しても承認されないことも当然想定しうるものなのだ)という事をもう少し周知する必要があるのではないだろうかと思います。仮釈放を条件を法定の上で厳しく運営すれば今でも相対的終身刑のような運用は可能ではないだろうかと思いますし。

何か、既出の話ばかり書いているような気がして恐縮致しますが、私の存念はこのような感じです。

トピずれですが一度だけ投稿させてください。

実際にうつ状態と診断されたことがあります。会社に提出する診断書に「うつ状態」と書かれていたため、主治医に「うつ病ではないですか?」とうかがったところ、「なかなか診断の難しいところですが、あなたの場合はそこまでではないと思います」といわれました。
数カ月間、抗うつ薬を服用しました。
ネットで調べると「厚生労働省の調査によると、1998年には約43万人が医療機関でうつ病またはうつ状態と診断されている」といった記述もすぐに見つかります。

cocoroさんの投稿に問題があるとは思えません。

No.70 みみみさん

とことん被害者の応報感情を汲んだ大原則があっても良いのではと思います。被害者遺族の苦しみは私を含め大方の人は想像しか出来ません。何でも極刑は求めませんが、被害者の命の重さ=犯人の命が原則であるべきと考えます。判例によって少年犯罪には永山基準なるものが今まであったと思います。これからは光市事件が基準になるかもしれませんが・・・

このような基準が裁判員になる人達の判断を迷わせてる一因もあるのかなと。大原則として人の命を奪う事に対しての償いは自身の命をもって償う事。きっとそれが始まりだったと思いますが、長い司法の歴史の中で殺された人数や内容で大方の予想がつく判決が出るようになったと思います。変な話、3人殺害なら極刑、1人なら無期、2人ならグレーゾーンという刑事裁判の常識?を知らず知らずのうちに刷り込まれている一般人が多いと思うのです。もちろん私もその1人だったんですけどね。

被害者の痛みを知らない、間違いとまでは言えませんが刷り込まれた情報で判決を出してしまったら、被害者や被害者遺族は置いてけぼりというか、蚊帳の外って感じがします。

殺人に至らなくとも、一生癒される事の無いキズを背負って生きていかなければならない被害者もいると思うのです。今よりもっと被害者達の苦しみや考え方に耳を傾けるべきではないでしょうか。

>私的制裁の容認とか、被告人家族への連座制導入なども出てくるかもしれません。

私的制裁の容認は無いと思います。容認が無くともやる人はやるでしょうから。被告人家族への連座制には反対ですね、そこは区別してあげないといけないし、守ってあげなければなりません。サカキバラ事件の少年は名前を変え平穏に暮らす事を許されています。凶悪事件の当事者でさえ守られるのです。例えば親が犯罪を犯したからからといってそこの子供が理不尽な扱いを受けるのは可哀想だし、上記のような当事者よりも守って然るべき存在と考えます。

>それが本当に法治国家として健全な姿かというと、私には何とも言えません。

私も自分の考えが反映されて厳罰国家となり、それが健全な法治国家の姿、国民全てが納得出来る世の中になるのかは分かりません。あくまで私個人の価値観での話しですからね。国民である以上、どのような方向に向かおうと受け入れなければなりませんが、自分の子供が殺されたりなんかしたら、無期や終身といった内容では納得する自信がありません・・・

No.59 みみみ 様
レスをありがとうございました。遅いお礼で申し訳ありません。
被害者遺族の感情(応報感情の満足?)というものをここで披瀝すると、かえって議論の妨げになるかと思い遠慮しておりました。
相対的終身刑という考え方はここで初めて知りました。私は無知で議論に参加できませんが、無期懲役という刑はよくできた考え方だと理解しています。
無期懲役という刑罰は、被害者遺族として受け入れがたいのですが、一方、社会的システムの維持という観点からはやむを得ないものと感じてもおります。

みみみ様ご指摘の
「仮釈放に当たっては、検察および遺族の意向を踏まえて慎重に検討されるべき」と釘を刺していたケースがあったと思います。つまり、時期的に仮釈放が可能になっても、検察や遺族が納得しない限り仮釈放を認めない、ということですね。
こういうことを特例とせずに、法律に明記してシステム化すればお礼参りや再犯などのリスクを軽減できるのではないでしょうか。

これで充分という気がいたします。
もとより生と死のギャップを埋めることは困難でしょうから、死刑との対比においては、無期懲役あるいは相対的終身刑の、仮釈放時期や許可用件の議論に置き換えてもいいのではないでしょうか。

 加害者(犯行実行者であることが確定)への処分に対して、対極に被害者遺族の応報感情でなく、殺人による「被害者」を持ってきた場合、

1.「人権」の最も根本的な「生きる」ことを奪われた「被害者」と、誰にも奪う権利のないものを奪ってしまった「犯人」 

2. 1.と重なる部分はありますが、「理不尽な死」を与えられた「被害者」と「理不尽ではない」処分を与えられる「犯人」

という不均衡があります。
根本にこの不均衡がある限り、本来的に納得のいくような形は困難なんでしょうね。

刑事司法は報復とは切り離された国家による社会秩序維持機構として成立しています
というモトケンさんのコメントが既に示されていますが、これをNo.86 北風さんのコメントをお借りして言い換えると『加害者(犯行実行者であることが確定)への処分に対して、対極に被害者遺族の応報感情でなく、殺人による「被害者」を持って』くることはしない、できない、認めない、というのが近現代の法治文明国家における刑事司法の基本ルールになるのではないでしょうか。

司法の本質といいますか、目的は社会全体彼見れば「秩序維持」でありましょう、がそれを達成するためには・・・

加害者を適正に罰することは当然ですが、被害者を対比させない・退けておく、といった手法ばかりでは達成できないのではないでしょうか?

再犯を防ぐ事は第一でしょうし、被害者の心を慰撫することも、犯人の心情の配慮する事も含めて評価する事が、「情状」の有るべき姿かと。

なので、中心に据えるべき観点は。

今まで裁判から遠ざけられていた事柄である被害者の姿や状況を、如何にして裁判に取り込むか?

その為の手法を探る事と思います。

 さきほど報道ステーションで、京都府舞鶴市で発生した女子高校生の殺人事件の報道をみました。まず初めに見たのは、お昼のみのもんたの番組でした。自分の場合、13時から休憩時間が多いので13時35分頃からのNEWSを観ることが多いのです。
 夜の番組では、沢山の生前の写真が公開されてました。母親の希望らしく、母一人娘一人の生活であられたようです。
 自分自身の事件の第一報を受けた被害者の母親の姿と重ね見るものがありました。その母親から、平成11年8月7日、玄関の引き戸越しに、「馬鹿にしないで下さい。」と言われました。
 自分は直接の加害者の立場でありますが、真相に踏み込まなかった警察に、複雑な思いがあります。その直後、警察官が現れ、私は、「お前らがたるいからじゃ!」と怒鳴りつけ、さらにそのあと集結した警察官の一人から、「よろしければ、署の方でお話をうかがわせていただきます。」と言われ、警察署にいきました。まるっきりわざとらしく組織的な警察の対応でしたが、被害者と警察の関係という観点からも、なぜ5年間も社会にまともに目を向けられなかったのか、まだいささか気持ちの整理がつきかねております。
 具体的な事実を公開し続けてきたのですが。

 ところで、昨夜の「マチベン」もよかったです。ドラマも滅多に見ないのですが、心が和みました。以前は、役者の芝居などと頭から見下したようなところもあったのですが、演技やフィクションと分かっていても、心に響くものがありました。
 そこで水虫薬のCMに出ている型破りの先輩弁護士が、以前担当した事件で、被害者の母親から「あなたが殺したようなものだ」と言われる場面があり、どうやらその事件の加害者が出所したという、予告編のようなものが含まれていました。こんな構成のドラマの作りをみたのも初めてでした。

 重大な結果に目を奪われがちで、真相から離れがちの立場でもあると思われる遺族、ときには「感情論」と一刀両断され、「これにて一件落着」とされることもあるのかもしれません。
 かくいう私自身、16年以上、本当の事情をストレートに書いていない部分があります。書く気になれない刑事裁判であったからです。しかし、より大きな機会を自分は与えられたという理解もあります。
 「キーワード」は、エヴァンゲリオン。「もしも二人会えたことに意味があるなら、私はそう自由を知るためのバイブル」
 「人は愛を紡ぎながら歴史を作る」
 すごい表現があるものと感心しました。

 5年間の間、日本中に種を捲き、ここのブログでも叩き台として、利用させていただきました。「任務完了」となったあかつきには、資格試験の勉強にでも専念したいと考えています。
 あるいは誤解をあたえ、不愉快にさせてしまったこともあるかもしれませんが、そのうち日の目を見ることもあるかもしれません。
 方向性も紆余曲折で修正を重ねてきたのですが、そのうちCVSを利用した資料の公開でもやろうかと考えています。技術的にはほぼ完成段階です。
 平成10年にUNIXに憧れて勉強を初め、当初は機密性を高めるための選択肢でもあったのですが、5年前から全面公開のための手段として利用してきました。

 あえてURLなどはご紹介しませんが、検索を掛ければすぐに情報は集まるでしょう。
 現在主なところで、3つのブログを公開していますし、独自ドメインの個人サーバ(Linux、以前はFreeBSD)も保有しています。
 いずれもリンクとしてつながってもいますが、そちらの方で、公開情報を更新していきます。
 これまでの経緯もあり、私の立ち位置というものをご挨拶をかね、明確にさせていただきました。

法治国家の司法制度での刑事訴訟の法廷は、裁判官と検察官と被告人(弁護人と不可分一体の関係)の三者で構成される。では被害者の意志や希望あるいは感情を、刑事訴訟の法廷に繋ぐ役割は誰が担うのか?
これはやはり検察官の役割ではなかろうか。

確かに検察官は公益(国家社会全体)の代理人であって、犯罪被害者の代理人ではないとされる。公平かつ公正な裁判の実現にはこれは非常に重要な考え方であろう。

ところが検察官は公益の代理人であるからとの理由で、犯罪被害者の「思い」を法廷に繋ぐことを忌避する傾向がありはしないか。また検察の手不足や事件の増加から、流れ作業的処理とせざるを得ず、犯罪被害者のケアまで手が回りかねてはいないか。ここは一つのポイントだと思います。

また犯罪被害者にとって、犯人がいつ捕まり、どのように捜査が進展し、起訴は可能なのか、そしてどのくらいの罪刑を科される可能性があるのか、どのような裁判の見通しが予測されるのか、これは是非知りたいし、教えて欲しい情報であろう。こうした犯罪被害者の要望に対し、捜査段階や裁判開始前の段階において、従来検察は犯罪被害者に充分な説明や意思疎通を図って来なかったように感じます。

まあ起訴後であれば、法廷は公開されているのであるから、傍聴や裁判記録の閲覧という方法で法廷を見守る方法はある。だがそれは舞台を見る観客のように受け身であって、自らの思いを法廷に伝えるチャンスは、証人尋問や被害者調書としてしか用意されていなかった。ましてや非公開の少年審判では受け身のチャンスですらほとんど無かったのは事実でしょう。

犯罪被害者の方々は、こうした刑事訴訟法廷からの疎外感を一番強く感じておられたのではなかろうか。「真実を知りたい」という被害者の声には、報復感情よりも棚上げにされてつんぼ桟敷(差別用語で不適切?)に置かれた苦悩のように、私には感じられます。

こうした疎外感情から生じる犯罪被害者の怨嗟の声を受け止める窓口は、検察しか有り得ないと私は思います。検察という組織システムの中に、被害者専属の対応係というか連絡係のようなセクション・ポストを作るべきです。例えは悪いかもしれませんが、企業のお得意様係兼苦情相談係兼専属営業マンのような存在、こうした対応窓口が用意できていなかったのは日本の司法システムの欠陥だと思います。

もちろんこうした被害者対応のシステムを構築するには、人員増なり予算の裏付は必要です。増えた司法試験合格者という法曹の供給増が実現しましたから、後は役所としての定員など制度の面と予算付けです。全国の地検50庁(支部203庁)ですから千人も増員すれば、小さい支部で2人、東京地検本庁には50人くらい増員配属できるでしょう。

1人につき年千万円の予算増として100億円、庁舎や机椅子といった備品その他の経費として100億円、合計で200億円。道路特定財源の一般会計繰入が実現すれば、この程度の予算措置が不可能とは思えません。

検察組織の中に、対犯罪被害者のコミュニケーション&ケアの機能を付加するべきと思います。

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死刑&無期懲役の合間を埋める終身刑についてのエントリなのに、大分脱線してしまいました。読み流して頂ければ幸いです。

制度設計のロジックが、違うんだと思います。
端的に言ってしまうと、犯罪者をなぜ裁き処罰するかとの「根っこ」にまで遡る事になるのですが、それは「善良なる公の秩序」から逸脱したから、これに制裁を加え矯正する、そのための刑事司法制度との図式が根本にあったはずです。
つまり、近現代の法治国家における刑事司法の場面で「被害者」は、個別具体に犯罪者によって身体生命もしくは財産名誉等に損害を被った実在の人物のことではなくて犯罪という行為によって既存された公秩序それ自体である、という位置づけです。

このように書くと、現実の被害者が等閑にされているかのように見えますが、そうではなくて、例えば被害者や(被害者が死亡している場合は)遺族の処罰感情などは「公(社会)秩序に与えたダメージの程度」を推し量るパラメーターとして機能するわけです。
「被害者側の落ち度」や「加害者側の事情」も、そうしたパラメーターのひとつです。

また法治主義の下では、法の適用は平等でなくてはなりません。恣意的運用がなされたり感情の強度によって適用のされ方が変わるようでは、社会秩序が成り立ちません。

なお、被害者の姿や状況は甲号証として裁判所に提出されているものですので、いまさら取り込むも何もありません。というか、そういうものがなくては刑事裁判は始まりません。

なお、被害者の姿や状況は甲号証として裁判所に提出されているものですので、いまさら取り込むも何もありません

今のシステム構造の説明ですか、それとも「変える必要が無い」との意見ですか?

私は「現状では不十分」との意見です。

〉法務業の末席さま
いきなり横から失礼します。

一応、現在、警察にも検察にも「被害者支援官(員)」なるスタッフが配置されています。
また、「被害者国選弁護制度」も近々実施予定のはずだったと思います。
なお、公的制度ではないですが、現在ほとんどの都道府県には「被害者支援NPO」が存在し、医師や臨床心理士などの支援スタッフが警察・検察と連携をとりながら被害者(遺族)のケアにあたっています(たしか今枝弁護士は、広島において被害者支援NPOの中心的メンバーとして活躍なさっていたように記憶しています)。
まあ、いずれも新しい制度ですし、あまり華々しく報道されるような活動でもないので、広く知られていないのも無理からぬところだと思います。
以上、トピずれ&携帯投稿なので、情報提供にとどめさせていただきます。
では、失礼します。

何が何故不十分なのでしょう?
被害者遺族など係累が法廷で、加害者も同じような目にあわせるべきだと泣き叫んで、司法関係者ももらい泣きして「よし厳罰に処するべきだ」と言うようなのが、文明国にふさわしい刑事裁判のありようだとでも仰りたいのでしょうか。

>No.93 an_accused さま

ご無沙汰でございます。
久しくお見かけしなかったので寂しく感じておりましたが、わざわざ携帯端末から私の拙い投稿意見にレスを頂き、心から嬉しく思います。

現在、警察にも検察にも「被害者支援官(員)」なるスタッフが配置されています。
そうした専門スタッフが用意されているとは知りませんでした。ご指摘の通り「広報の不足」を感じます。


この1年ほど前から、裁判員制度について自分なりに興味を持って資料を探して読んでおりますが、司法の世界では過去こうした「広報の不足」や「国民理解への説明努力の不足」を強く感じるときがあります。これは法曹人の「司法は政治・立法に関与せず」という長年の伝統意識が影響しているようにも思います。

裁判員制度施行日が差し迫った昨年以降、大慌てという感じで広報や啓発活動が活発になりました。しかし、過去の国民への司法制度理の啓蒙と説明努力の蓄積が絶対的に不足している為に、かえって司法への間違った理解が生じているようにも思います。急に突貫作業で「国民の司法参加」という大きな建物を建てようとした結果、国民の司法理解の不足という軟弱な基礎地盤が支え切れていないように感じます。

偉業は1日にして成らず、日頃の小さなことの積み重ねが大事だと言うことを、改めて思います。

(再々のトピズレ投稿で失礼しました)

>No.87 惰眠さん
>このように書くと、現実の被害者が等閑にされているかのように見えますが、そうではなくて、例えば被害者や(被害者が死亡している場合は)遺族の処罰感情などは「公(社会)秩序に与えたダメージの程度」を推し量るパラメーターとして機能するわけです。
「被害者側の落ち度」や「加害者側の事情」も、そうしたパラメーターのひとつです。

 加害者に与えるべき刑罰を決定するもととなる、「「公(社会)秩序に与えたダメージの程度」を推し量るパラメーター」に、被害者の殺害状況や遺族の処罰感情もとりいれられるのなら、刑罰を決定するパラメーターとしては切り離されていないので別にそれでよろしいかと。
 
 例えば、万引と殺人で「公(社会)秩序に与えたダメージの程度」は違う(それに対して与えられるべき刑罰が異なる)わけですが、光市事件などのように世論などに大きな影響を与えたことを「公(社会)秩序に与えたダメージ」とするわけではないでしょうから、結果的には、犯罪の被害などをもってダメージとせざるをえないでしょうし。

私もROM止めてひとこと(笑)。
救急治療現場に激情に囚われた家族を同席させるとそもそも治療など出来ません。ほとんどの場合治療失敗するでしょう。

ということから私は
>>No.91 ,No.94 惰眠さん
に全く同感同意見です。

「想像すればわかります」とか後付してるけど、本当は何もわかってなかったんじゃねーカー?

>No.96 北風さん

光市事件などのように世論などに大きな影響を与えたことを「公(社会)秩序に与えたダメージ」とするわけではないでしょうから

についてですが、公式に表明するかどうかは兎も角として、実際には量刑判断の際に考慮に入れていると思います。無論、世論の沸騰とダメージの度合いをイコール扱いはしていないでしょうけれども。
実際問題として、(光市事件はどうだった覚えていませんが)少なからぬ判決文に「社会に与えた衝撃は大きく」云々の言い回しを見つけることができます。
そのごく短い表現の背後に、どれだけの分析や考察、検討があるのか(または、ないのか)を外部から窺い知るのは難しいところですが・・・。

横入りお許し下さい。
嘘か誠かは存じませんが近代司法制度の原点や歴史は、とある有力な宗教の価値観(或いはその上に築かれた文明観・死生観等)に直結した裁きのありようからの脱却の歴史であるという説を耳にした事があります。現代に於いても近代私法の概念の根底にはそのような死生観や罪と罰或いは裁きというものについての価値観が背景として流れているのではないだろうかと。
この国において、近代司法制度の理念ですとか根本的思想と申しますか、そのようなものが時として根付いていないのではないか?と考えさせるような事象が生じる背景には、この国に脈々と受け継がれてきたその辺りの死生観や罪と罰或いは裁きというものについての価値観との間にある相違点に由来するものではないだろうかと、そのような事を考える事があります。
勿論、そのこと自体についてどうこう申し上げたい訳では無くて、このような問題を論じるについての難しさはそのような部分に由来する故のものではないかと思う次第です。そのような訳で、既存の刑罰の(例えば業務上過失致死傷の罪を元に自動車運転改質致死傷の罪を派生させるような)手直しではなくて、絶対的終身刑のような刑罰を創設するとなると、どうなるのだろうなという感想を持ちます。
近代司法制度をこの国の司法制度として取り入れている以上は、私と致しましてはNo.91及びNo.94の惰眠様のお考えと同じような事を思う立場です。現行司法制度の中では、時代劇に出てくるような名奉行のような裁判を近代司法に対して期待するのはそもそも難しいだろうと思います。

主題から逸脱した話で恐縮至極ですが、一連の流れの中でそのような事を感じましたので。

> No.100 thx-1138 への事故(自己)レスです。

入力ミスを致しました。
誤:自動車運転改質致死傷の罪
正:自動車運転過失致死傷の罪
申し訳ありません。

一連のコメントを読んで見て近代司法に対して納得は出来るのですが・・・私のような厳罰主義者の意見が司法発展には不必要なのかもしれません。

ですが、せめて被害者と犯罪者の平等、誰が見ても平等に扱われていると思わせる司法であって欲しいと思うのです。

殺人に関しては極刑もあり得ますが、傷害などで後遺症を負い、一生歩けない場合や失明など、今までの生活を一変させられた場合などには当然極刑は適用されませんよね。今からそれに極刑を適用せよとは申しませんが、今まで無かった事に矛盾を感じてしまいます。

複数殺害が有期刑で済まされる場合もあるのに、被害者が瀕死であり、後遺症が残ったとしても生きている限り極刑はありません。なぜ?と思ってしまうのです。人を殺しても生きていける場合を犯罪者には与えているが、後遺症が残る事をされても生きていれば加害者側に極刑を求める事すらバカにされるような風潮。犯罪者には最大限の人権を与え(全てがそうとは思いませんが)、被害者には妥協を求める姿勢が今までの刑事裁判では多々あったのではないでしょうか。

刑事事件により、犯罪者の命の失われた数<被害者の命の失われた数だと思いますが、これは犯罪被害者・遺族には妥協を求め、犯罪者には妥協なく人権を求めてきた結果だと思います。昔ほど冤罪の可能性が高くない今、もっと被害者側の人権に目を向ける時が来たと思います。

かなりズレましたが、終身刑が被害者にとって納得できるものならば良いんですけどね。

改めて思うのは、刑法体系が「加害者の行為」に対して刑罰を科するよう設計されているのに対して、私を含め一般的な感覚は「加害者という人間そのもの」に対して刑罰を科すことを望んでいる。そこに大きな齟齬があるのだろうと感じています。
不幸にして命が失われた事案があるとき、司法としてはその結果を招来した加害者の行為は故意か過失か或いはどちらでもないのかを問題にして、それにより過失致死・殺人などの罪に問うか或いは無罪という判断を下そうと論じているのに対して、世間一般の風潮として「結果として人の命を奪ったのだから、あれこれややこしい事を言わずに加害者も命で償うべき」的論調が生じるのは、このような認識の差があるからだろうと思っています。
そして私が思うこのような認識の相異が私の誤解ではなく実際にあるとするなら、裁判員裁判が始まるこの時期に安易に絶対的終身刑を導入することが果たして適切なのかと考えたときには、やはり消極的になってしまいます。

No.91 惰眠様
No.103 thx-1138様

今更ながら、現代刑事司法が目指しているところを説明していただき、得心しました。
しかし、私はNo.102 ゲン様が仰る気持ちにかなり近い感覚を加害者側には抱いているのもなかなか消し去る事ができません。特にやはりどうしても被害者側の人権というものを加害者側のそれと天秤にかけてしまうからだと思っています。スレ違いの話ですが、被害者側の人権を考慮した議論が今後も出来うる限り発展してもらいたいとは思っています。(直接傍聴というところは私は消極的ですが)
被告がその罪を犯した事が真実だという前提があれば裁判の流れも有る意味スムーズに進行して行くのでしょうが、「推定無罪」という原則があるため(被告の人権も優先しなければいけないので)、被害者側から眺めれば不条理な気持ちになってしまう場合も出てしまうのでしょう。
モトケン先生の本文に立ち返ってみれば、終身刑については、
>拙速はまずいと思いますよ。
と、私も思います。しかし丁度今、裁判員制度が間近に迫っていることを考えれば、終身刑の問題にしても、色々と議論などが活発に成されて行けば、素人も何処かで刑事司法を考える機会が一人でも多く接することができるのではないでしょうか。

近年、光市の裁判が注目され、本村氏のメディアへの露出が多くなるに従って、何やら「被害者遺族のイメージ」が一般人に出来上がったような感じを受けます。
メディアもそのイメージを壊さないようにしていると感じます。
被害者遺族→真面目&弱者で、被告→悪&強者みたいなイメージをです。

でも実際の裁判を傍聴する機会の多い人に聞いたりすると、被告と被害者、一体どちらが本当の被害者なのか判らない裁判も結構あるとの話です。例えば度重なるDVで、ある日終に妻が夫を頭を殴って殺してしまった・・・とか、ヤミ金に騙され、トンデモ取立てに苦しんだ末の犯行とか。遺族は、この親ならば息子がDV男になったのも無理からぬかも?と感じさせる親だったりして、仲間と一緒に傍聴席から弁護士や被告に「ブッ殺してやるからな!」と脅かし、退席を命じられるなんてケースもあるとか。

確かに被害者は傷つけられ、被害者やご遺族はお気の毒ですが、被害者・遺族にも色々な人が居るという事を念頭におけば、検察を脅しにかかる被害者・遺族は絶対に居ないなんて事は言えないのではないかと思うのです。(弁護士を脅しにかかれば、もっけの幸いと脅迫罪で告訴しますが、検察の場合は裁判に不利に働くかもを懸念し、表沙汰にはしないのではと思います)
適正な裁判の為にはある意味距離を置いた今のままで良いのではないかと考えます。

そもそも、

加害者を厳罰に処すること=被害者と遺族の人権を尊重すること

と考えていいものなんでしょうか。
この二つはバーターにできるものではないと思うんですが。

>No.106 みみみさん

イコールにはならないと思いますが、厳罰に処することで
「再被害の脅威からまもられる(平穏かつ安全に生活する権利)」
という権利保護にはなるような気がします。

よって、「被害者と遺族の人権を尊重すること」「加害者を厳罰に処すること」になる場合があるんじゃないかと思ってます。

>No.99 惰眠さん
 
 レスありがとうございます。
ここら辺、難しいところで、「遺族感情」「世論の影響」といったところは本来的に「切り離して」量刑判断される方がしっくりくるのですが。
 犯行について残酷性などを考慮していくときに、上を考慮してはいないものの間接的に考慮した形になっているというような。
 裁判員制度の絡みで、実際には何を考慮して量刑判断しているのか、といったところが関わってくるかと思いますので。

>No.103 thx-1138さん

>改めて思うのは、刑法体系が「加害者の行為」に対して刑罰を科するよう設計されているのに対して、私を含め一般的な感覚は「加害者という人間そのもの」に対して刑罰を科すことを望んでいる。そこに大きな齟齬があるのだろうと感じています。

ここは私は逆に感じます。
刑法体系からは、刑罰を科す上で考慮すべきは「加害者の行為」でしょう。「刑罰を科す」対象であるところは、加害者という人間そのものです。
ですが、一般的な感覚は、「加害者という人間そのもの」=人となりをみて刑罰を科すものでしょうか?
光市事件など、「被告の人間そのもの」を知りその上でそれに刑罰を科そうとしているのでしょうか?
逆に、2人を死にいたらしめたという行為(の結果)だけを単にみて刑罰を科そうとしているようにもみえましたが。

 東南アジアの某国(イスラム圏)に長く在住していた人から聞きました。
 万一、自動車事故で人を轢いてしまったら、社員に絶対車から出るなと言っているそうです。まずは車内で携帯で会社の人に連絡を取るか、車からもし出てしまった場合は警察に直ぐ行く事を指示していたそうです。
 すでに20年〜30年も前の話だそうですが、自動車事故で片手を失った男性(若者)の父親と、加害者が話し合いをした結果、加害者の父親は自分の息子の片腕を切り落として、当事者間で決着をつけたそうです。
 それ以来上記のような指示を日本人駐在員(社員)にしていたそうです。

 この話を聞いた時、私達日本人の間では、「そんな事をして何になるの?」「加害者の息子はとんだとばっちりでは?(汗)」「なんで加害者本人の腕じゃないんだろ?」という話になりました…。
結果として失われたのは、二人の若者の片腕(合計2本)です。
この顛末には、私はスッキリはしませんでした。

 光市事件のご遺族の「社会にとって見れば、被告人の命も含め3人の命が奪われることになる」というコメントを思い出します。その通りなのですが、3人の命が失われる事になった分だけマイナスとなるのか(死刑判決のままならば)と考えると、少しの違和感を感じました。
 やはり規範からの逸脱者もしくは法益の侵害者にはサンクションを与えなければ、同様の行為者が増えてしまい、社会全体の利益は低下するように思います。

 「加害者を処罰すること」とバーターなのは、「加害者の行為により損なわれた(もしくは損なわれる可能性のある)社会秩序の回復」かもしれません。
 
 加害者の法益侵害/規範逸脱行為は、社会全体にとってマイナスですが、社会の中で被害者とその家族などの関係者が特に大きく被害を被って皺寄せを受けている訳です。
 その分、社会全体が被害者に対して補償や保護をする必要があるのかもしれません。それが今までなおざりにされて来ていたのが、少しずつ声が上がって来たという事なのかもしれません。

>No.108 北風様

横からすみません。

No.103 thx-1138様のコメントのご指摘の部分の解釈ですが、
>改めて思うのは、刑法体系が「加害者の行為」に対して刑罰を科するよう設計されているのに対して、私を含め一般的な感覚は「加害者という人間そのもの」に対して刑罰を科すことを望んでいる。そこに大きな齟齬があるのだろうと感じています。

私は単純に考えて、「罪を憎んで、人を憎まず」という風に考えて、前半の部分を理解したつもりでした。

そして
>光市事件など、「被告の人間そのもの」を知りその上でそれに刑罰を科そうとしているのでしょうか?
逆に、2人を死にいたらしめたという行為(の結果)だけを単にみて刑罰を科そうとしているようにもみえましたが。

のところも正しく、No.103 thx-1138様のコメント中の
>刑法体系が「加害者の行為」に対して刑罰を科するよう設計されているのに対して、

と同じように私は考えましたが、私の読解力不足でしょうか?

>No.106 みみみさん

>そもそも、
>加害者を厳罰に処すること=被害者と遺族の人権を尊重すること
>と考えていいものなんでしょうか。
>この二つはバーターにできるものではないと思うんですが。

書くまでもないですが、加害者をどんなに厳罰に処しても死んだ被害者は生き返りませんし、遺族の何の人権がどうなるわけでもないですから、バーターできるものではないですね。

1.「加害者の行った犯罪行為」
2.(加害者の行った犯罪行為の結果により生じた)惰眠さまがお書きになったところの「公(社会)秩序に与えたダメージ」
3.「加害者に科せられる刑罰」

 1.に対しての3.ではなく、2.に対しての3.をみた場合、それがバランスしていないと感じられれば、2.は素人的には被害者(遺族)の被ったダメージと重なりますので、2.が軽くみられているように感じられるだけで、3.を重くしたからといって尊重うんぬんとは感じないようにも思いますが。

いわゆる「人権派」弁護士さんとかの口にする「人権」もそうなんですけど、ここで言うところの「被害者(ならびに遺族等関係者)の人権」の中身って、具体的にどういうものなのでしょうか。そこを明らかにしないと、なんだか雰囲気ばかりが先行することになるように思います。

が、いずれにせよ、加害者(「被告人」ではなく「加害者」と限定します)の人権の反対側にあって対比されるのは、被害者(被害関係者)の人権ではなくて公権力だということを見誤ってはならないでしょう。

確かに犯罪行為は、その発生時点では加害者対被害者の私人(しじん)間の出来事なので相互の私権の衝突と言いうるのですけれども、警察捜査に始まる刑事司法プロセスがひとたび動いてしまえば、コトは加害者と言う私人と警察・検察・裁判所など公権力との間の事象へとステージが変わります。
だから、被害当事者を含む関係者の「人権」を、加害者の人権と対比するような論と言うのは、そもそも最初から失当なのです。情緒には訴求するでしょうけれども。

なので、加害者に峻厳な処罰をと言うのならば「被害者が可哀想」だからではなく「世の害悪になる」から「再犯リスクが高い(更生が期待できない)」から、人間社会から不可逆的に永遠に隔離(=死刑)に処する必要がある、との論理構成をするべきと思います。

そうすると、被害者はやられっぱなしなのか、報復感情の持って行き場はないのか、それでいいのか、と言う疑問(や怒り)が出てくるでしょう。その答えは「やられっぱなし」であり「報復感情は、公権力が行う処罰を自らのものと擬制する以外に持って行き場がない」であります。
それでいいのか、については近年(ようやく)被害当事者関係者を蚊帳の外に置いたままと言うのも如何なものかとの動きが出てきて見直しが試行錯誤されています。

ただいずれにせよ、近代法治国家の刑事処罰の考え方は、個々人の「報復する権利」を絶対的に禁じ、代わりに(代わりに、かな?)犯罪行為によって公共の善良なる秩序を乱したことをもって公権力が処罰を行うとしていますので、「それでいいのか?良くないよな、じゃあどうしよう」という段でムズカシイことになっているのではないでしょうか。

なお蛇足ながら付言しますと、私、光市事件などの通り魔的犯罪加害者に対しては、果てしなく残虐な刑罰を持って処するのが(法律はそれを許しませんので現実には無理ですが)人の世の正義に最も適うのになあとの気持ちを常々抱いているところであります。

首題の終身刑については、無期懲役刑の厳刑化になるのであれば妥当性を欠くことになると思いますので俄かには賛成しがたいところですが、絶対的な人間社会からの隔離刑として「死刑判決」に相当する場合に限った置き換えをするのならば検討に値すると思います。
いわゆる人道的見地からの死刑廃止論ではなく、寿命尽きて死に果てるそのときまで延々己の罪と向き合うことを求められ続け、死ぬまでその罪を許されず、一縷の希望もないまま一生を棒に振りやがれと思うからであります。吊るされて全部終わりだなんて許さないからね、という気分での考えです。

>No.112 惰眠さん

私は「NPO法人全国被害者ネットワーク」の「犯罪被害者の権利宣言」を参照してます。
※これが基本的人権かは別にして「犯罪被害者側が権利獲得しよう」としている部分です。

機ジ正な処遇を受ける権利
供ゾ霾鵑鯆鷆,気譴觚⇒
掘ト鏗臆麌の権利
検グ娶を述べる権利
后セ抉腓鮗ける権利
此ズ独鏗欧らまもられる権利
察ナ寝困つ安全に生活する権利

後、訴訟においての加害者の反対側は公権力(検事)となりますが、加害者の人権となると反対側は社会秩序の維持・継続であり被害者の人権も含んでいるように見えますが。

> No.108 北風 様、No.110 O 様(投稿順で失礼致します。)

 申し訳ありません。誤解を招くような表現しかできない拙い文筆力しかもたない私の不徳の致すところです。

 No.103の私のコメントは、O様がお読み取り頂いた主旨で書き込んだ文章です。
 極端な言い方なのかも知れないのですが、刑法の理念が「罪を憎んで人を憎まず」なのに対して、世間の論調は「罪を憎んで人も憎んで」であり、そこに齟齬が生じているのではないかという事を言いたかった訳です。
 刑法が加害者の行為に着目して罪を確定させ加害者に科す事を規定(行為責任を対象に処罰する事を規定)しているのに対し、世間一般の論調は加害者の行為責任のみならず結果責任や人物像も含めて処罰を求めているのではないか。言い換えれば刑法では罪の対象を行為そのものとしているところ、世間の論調では罪の対象を人物そのものにしてしまっているのではないか。勿論刑の対象はいずれにしましても加害者本人です。という主旨の問題提起をしたかったのです。

 光市事件の差戻審について申しましたら、裁判の場においては検察側・弁護側ともに結果として2人の生命が失われたこと、その原因は被告人の行為にあるということ、この2点は認めていて争っていない。ただその結果の原因となった被告人の行為について、検察側は故意による(殺意があって殺してしまった)もので殺人罪の適用が相当であり、弁護側は過失による(殺意はないが結果として殺してしまった)のだから過失致死罪の適用が相当であると、この点を争っていたのだと認識しております。そして刑法の考え方からすればこの点は重要であり十分に審理される必要があったと考えています。弁護側が自身の主張の根拠(証拠)とした発言があまりにも突拍子もないものであった事は事実でしょうけれども。そして結論は故意による(殺意を伴った)犯行であったと認定されたと解釈致しております。
 他方国民感情としては、結果として2人の命が奪われているのだから被告人の行為が過失か故意か等を言い立てるのは延命の為の詭弁であって、加害者の命で償うのが当然であるというようなものだったと感じています。極端な話被告人の言い分など聞く必要もないと言うような論調だったと思います。しかしこのような解釈は刑法からすれば無茶な話であったと思っております。
 そして司法関係者とその他多数の国民の間で今回の裁判に対するこのような認識の相異が生じたのは、刑事司法のあり方と申しますか日本における刑法体系に対する司法関係者の認識と多くの一般人の認識との間に溝があった事が原因であったのだと考えています。

 今回のコメントでも上手く意図を伝えられる自信がなく、また自身の感じる事が専門職の方の目から見て正しい事なのか解らないので申し訳ないのですが、上記のような意図をもってNo.103の私のコメントを投稿を致しました。

>No.113 カツビンさん
ご紹介いただいた各項目に関しては、私はなんら異論がありません。それらを「権利」と称するのが適切なのかどうかについてはかすかに違和感を覚えますけれども。(制度上の保障、では何故いけないのかな、みたいな感じで)

ただ、巷間声高に叫ばれる「被害者の人権」は、おそらくカツビンさんがご例示くださったものとはかなり――というより殆んどまったく――別物のように感じています。

加害者の人権となると反対側は社会秩序の維持・継続であり被害者の人権も含んでいるように見えますが
あー、確かに「社会秩序の維持・継続」の中には法的に保障された限度においての「加害者の人権」も包含されますね。ただその場合は、訴追側の行為には秩序からの逸脱が一切ないことを前提に置かないと自家撞着に陥るような気がします。 まぁいずれにしましても、話の流れの中で使ったこととは言え、「人権」などと言う広範で漠とした概念的な単語は不用意に持ち出すべきじゃなかったです。

No.114 thx-1138様
わざわざ、再度ご説明いただき恐縮です。
私としましては、仰ることは惰眠様のコメントと共に理解できたつもりです。
ありがとうございました。

連投すみません。
>No.109 死刑囚さん

規範からの逸脱者もしくは法益の侵害者にはサンクションを与えなければ、同様の行為者が増えてしまい、社会全体の利益は低下するように思います。

 「加害者を処罰すること」とバーターなのは、「加害者の行為により損なわれた(もしくは損なわれる可能性のある)社会秩序の回復」かもしれません。

20年くらい前に大学の刑法概論の講義で、仰るとおりのことを教わったことを思い出しました。なんて名前の先生だったかな・・・。

 加害者の法益侵害/規範逸脱行為は、社会全体にとってマイナスですが、社会の中で被害者とその家族などの関係者が特に大きく被害を被って皺寄せを受けている訳です。  その分、社会全体が被害者に対して補償や保護をする必要があるのかもしれません。
まったく同感です。敢えて言えば「必要がある」と言うよりは、社会全体・・・具体的には公的機関(ぶっちゃけ「国」ですけども)以外に、被害関係者への補償や保護を行いうる主体は存在しないだろうと思います。

惰眠さんにレスを戴いたので、お返事を、と思いつつ読んでいたら。思った以上に多くの論点が既出で、特に113 でほとんど包含されている様です(^^)

いまさら感が漂いますが、敢えて個人の心情的な重要観点を上げれば

・犯罪被害者に対する弁済は刑事と切り離されて民事で処理ですが。賠償が踏み倒される事例の存在に、公権力のフォロー不足を感じる。

・民事も含めて、滅失利益に、損なわれた愛情や生きがいが評価不不十分に思う。

・物言わぬ死体は、十分に調べられもせずに、事件にすら成らない事が結構有るのではないか?との疑念。

こんなところです。

犯罪被害者の権利などに関する法整備(抜粋)

※犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律
 (昭和55年5月1日法律第36号)
 最終改正:平成20年4月18日法律第15号


※犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律
 (平成12年5月19日法律第75号)
 最終改正:平成20年4月23日法律第19号


※犯罪被害者等基本法
 (平成16年12月8日法律第161号)
 平成17年4月1日施行済


※犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律
 改正部分の公布:平成19年6月27日法律第95号
 (施行期限:公布の日から起算して1年6月を超えない範囲)

>No.117 惰眠さん

>20年くらい前に大学の刑法概論の講義で、仰るとおりのことを教わったことを思い出しました。なんて名前の先生だったかな・・・。

コメントありがとうございます。とても興味深いです。
109の当該部分の典拠は進化ゲーム理論からの知見(サンクションの進化)は、その刑法の先生の仰っていた事の理論的裏づけになるのかもしれません。

社会全体・・・具体的には公的機関(ぶっちゃけ「国」ですけども)以外に、被害関係者への補償や保護を行いうる主体は存在しないだろうと思います。

そうですね…。
No.58 たぬき(その他)さんの挙げられた「恐怖感」点もとくに保護されねばならないかもしれません。
(「報復感情」も、そもそも、ある日突然与えられた苦しみのうちの一つと言えるのかもしれません…。)

被害者遺族の方の抱えている問題をよく知らなかったので、こちらのエントリのコメントや紹介記事等は大変参考になります。
よく考えたいと思います。

* * *
惰眠さんと北風さんの間(No.91、96、99、108)の、「「公(社会)秩序に与えたダメージの程度」を推し量るパラメーター」の件は特に興味深かったです。

「量刑の判断」に、『被害者や遺族の処罰感情』を直接的に取り入れる事は出来ないかもしれない(※)が、上記のパラメーターとして間接的に取り入れることが出来るかもしれないという事ですね。
(但し、「被害者や遺族の処罰感情」だけでなく「被害者の殺害状況」もともにパラメーターとして取り入れるならば。)

※の件は、Barl-Karthさんのブログの【■「被害感情」は違法性論・刑罰論で基礎づけられるか?】という記事を参考にしました。(読み間違っていなければいいのですが…。)

> No.116 O様

ご丁寧にありがとうございます、2度同じ事を読んで頂くお手間を掛けてしまいました。
ところで、O様がNo.104のコメントで仰ったことは、私も総じて同じように感じております。

被害者側の方にとっても、冤罪の場合を考えると犯人ではない人物に応報感情をぶつける事は避けたいでしょうが、推定無罪の原則はかなり迂遠に(時として苦痛に)感じられることでしょう。
被害者の身体的・精神的被害への配慮も重要な問題と思います。ただ学のない素人の直感として、被害者側の被害感情(応報感情)や身体的被害・精神的苦痛をケアする役割は、刑事司法の枠組みの中では十分に担うことは難しいと思っています。
だからと言ってこれらの要素を全く無視していいとは思って居らず、刑事司法の枠組みにおいても可能な限り配慮は必要でしょうし、或いは刑事司法と別個の枠組みの中で公的に担っていく必要があるのだろうと感じます。
仰るように今は議論を通じて理解を深めつつ、可能な限り最善な解決策を模索していく時期なのだろうと思います。

おはようございます。

>社会全体・・・具体的には公的機関(ぶっちゃけ「国」ですけども)以外に、被害関係者への補償や保護を行いうる主体は存在しないだろうと思います。

 現状の、被害者への保障という意味では正しいのでしょうけど、これって結局加害者が主体となって行うべき物なのに、結局行っていないわけで、その意味では、弁護士の言っている、罪を反省している、生きて償いをと言うのは結局その場限りの戯言ではでは無いのかと思ってしまうのですが。
 民事(被害者への弁済)を無視して、刑事のみで話をするから結局、人を殺したのだから死刑にしろと言うことになりやすいのだと思います。(といっても、日弁連もこれに対しては対案を出しようも無いでしょうけど)

No.105 大学生の母さん へ

>メディアもそのイメージを壊さないようにしていると感じます。
被害者遺族→真面目&弱者で、被告→悪&強者みたいなイメージをです。

 通り魔的犯行を大きく取り上げる事が多いからだと思います。殺人事件でも報道されていないものの方が圧倒的に多いわけで、そのような印象を受けたのだと思います。実際には、色々な殺人事件のニュースを聞いていると必ずしも殺害犯を極悪非道だと論じていないニュースとかもありますよ。

No.113 カツビン さま
ご提供いただいた↓の部分のうち
※これが基本的人権かは別にして「犯罪被害者側が権利獲得しよう」としている部分です。
公正な処遇を受ける権利
情報を提供される権利
被害回復の権利
意見を述べる権利
支援を受ける権利
再被害からまもられる権利
平穏かつ安全に生活する権利

『被害回復の権利』と『再被害からまもられる権利』にはとくに注目します。これらは刑事司法ではなく、民事の部分に相当するのでしょうか。
私たちのことでいえば、賠償請求を断念したのも、再被害のところに不安を感じたのと、当然のごとく、加害者には資力も意思もないことがありました。裁判に臨んで、ながく加害者と接触を保つことを続けたくない思いも強くありましたし。
裁判にあたっては、『情報を提供される権利』のところに、強く違和感を感じ続けていたように思います。これは、惰眠さまご指摘の、パラメータとしての被害者遺族ということであれば、当然の処遇だったのでしょう。
皆さまの議論の足しになれば幸いです。
注)私はMacなので機種依存文字がうまく表示されません。コメントに手を加えたこと、ご容赦ください。

No.123 たぬき(その他)さま

民事の部分に相当するのでしょうか。
 権利宣言をみると公的支援のことでしょうね。
 権利宣言は1999年のものですからすでに一定の成果を挙げたものも多いようです(No.119 参考さまが挙げておられるもの)。
裁判にあたっては、『情報を提供される権利』のところに、強く違和感を感じ続けていたように思います。
 たぬきさまの具体的なご事情は私には分かりませんが、犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律(犯罪被害者保護法)2条で「被害者等の傍聴に対する配慮」が規定され、また、3条で公判記録の閲覧及び謄写申出権が規定されました。被害者遺族の裁判での位置づけは難しい問題ではありますが、可能な範囲で実現されてきているようです。

No.124 ろくろくび さま
>被害者遺族の裁判での位置づけは難しい問題ではありますが、可能な範囲で実現されてきているようです。

ご紹介ありがとうございます。そうなってきていることは仄聞しておりましたが、こういうブログをみる機会ができてありがたいことです。気持ちに押し込んできたことに、少しずつキリがつきそうな思いがします。被害者の声が世に出て行くことが実現するなんて、とてもうれしいことです。

>No.122 質問者さん

 現状の、被害者への保障という意味では正しいのでしょうけど、これって結局加害者が主体となって行うべき物なのに、結局行っていないわけで、その意味では、弁護士の言っている、罪を反省している、生きて償いをと言うのは結局その場限りの戯言ではでは無いのかと思ってしまうのですが。

 横からすみません。
 問題にされているのは「補償」の主体の件ですよね。
 もともと、下記のように言い出したのは私です。

加害者の法益侵害/規範逸脱行為は、社会全体にとってマイナスですが、社会の中で被害者とその家族などの関係者が特に大きく被害を被って皺寄せを受けている訳です。  その分、社会全体が被害者に対して補償や保護をする必要があるのかもしれません。(No.109)

 上述の「その分」とは、「社会の中で被害者とその家族などの関係者が特に大きく被害を被って皺寄せを受けている」分という意味でした。

 まだ私にとっては「思い付き」の段階で、法律の事も難しくてよく分っていないのですが、「加害者が被害者側に対して、満足な賠償が出来ない/全く賠償がない場合などは単純に国が加害者の肩代わりをして支払うべきだ」というのは、理論的基礎付けが出来ないように思っていました。
 しかし、それでも私が漠然とした違和感を感じたのは、被害者側による私的制裁を禁じて加害者を処罰する時は国家権力が判断しているのに、賠償の段になるとなんでいきなり加害者と被害者側の間の二者問題になってしまうのか、という事です。
 上記2つを並べて考えて良いのかどうかは分かりませんが、私個人の感覚的には、裁判が終わると「じゃ、後はよろしく」みたいな感じで、いきなり当事者だった「公権力」が席を外してしまうという印象があります。

 来年から司法(刑事裁判)に「国民の感覚」を反映させるという事ならば、その後の賠償の問題にも「国民の感覚」の反映を検討してみてもいいのではないかな、と思いました。

 光市事件の件は多くの国民の注目を集めたのですから、裁判が終わった後の件についても考えてみては良いのではないかと思いました。(光市事件の裁判はまだ終わってはいませんが。)
 個人的には、47氏が下記のような警鐘を鳴らされたような事にならないようにする為に出来る議論の中の一つとして。↓

くだらない自称「世論」は、 「遺族の気持ちが分からんのか!」 と叫ぶ。 「僕は遺族じゃないから分かる分けない!」 と答えると、 「人格破綻」だとかなんだとか言われる。

しかし、こんな「茶番劇」にされた法廷の有様を見てると、
人格破綻だとかなんだとか言われようと、
私は「第三者」の立場から、
一歩も動くつもりは「さらさら」ない。

結局、
お祭り騒ぎのあとに、
遺族だけが
孤独に残される。

「世論」とやらが一番、
遺族に冷たいのだ。

「第三者」はいったいどちらなのか?

「光市弁護団のどこが気にいらないか。」エントリNo.32より)

 (1)加害者に真の反省があれば、謝罪も、少しでも被害者側に賠償しようとする気持ちも、更正したいという意志も付随的に生じるかもしれませんが、それでも資力の面で、満足な賠償は出来ない場合もあるかと思います。(2)全く賠償がない場合、(3)逆恨みが怖くて賠償請求もしない場合もあるとの事です。

 加害者に真の反省を生じさせられなかった事(ひいては、賠償しようという意思を持たせられなかったこと)が国の責任とは思いませんが、全く国の責任ではないとも言えないのではないでしょうか?(苦しいでしょうかね…?(汗))

損失補償(憲法29条)の観点からは無理でしょうか?
【刑事裁判という「適法な公権力の行使」により国民(被害者側)に損失が与えられた場合、それが「特別な犠牲」と言えるものであれば、全体的な公平負担の見地から、補償が与えられる】という理論的基礎付けは、憲法29条では出来ませんでしょうかね?
(苦しいでしょうか…?(汗))

損失補償制度について:

http://base4.ipc.konan-u.ac.jp/~ishii/lec/sonsitu.pdf
http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00011655/Body/040000010011.pdf

国家が被害者側に損失を与えた訳ではないですしね…。
やはり、憲法29条からの理論的基礎付けは無理ですかね。
自問自答ですみません・・・orz

やはり、犯罪被害者への賠償の件については、「社会全体の公平負担」の見地から検討するのは、難しいのでしょうかね…?

追記:

連投すみません。

「補償」はダメかもしれませんが、犯罪被害者に対する「保護」の件については、「社会全体の公平負担」の見地から検討できるかもしれませんよね…?
というか、すでに、皆さんが具体的に議論していらっしゃる事かも…(汗。

No.126はスルーして下さい。
すみませんでしたm(_ _)m

>No.122 質問者さん
ご指摘有り難うございます。

>No.127 死刑囚さん

 ご存じかもしれませんが、犯罪被害者給付金制度はあります。

ttp://www.npa.go.jp/higaisya/shien/kyufu/seido.htm
(ブログの負担の関係から、直接のリンクはしません)

 むろん、これで十分との趣旨ではありません。

 

>No.128 L.A.LAWさん

 ご紹介有り難うございます。
 聞いたことはありましたが、上述のコメントを書いていた時には、正直念頭にありませんでした(お恥ずかしいながら)。

 犯罪被害者給付金制度は、下記日弁連のページによると、憲法13条と25条によるものなのでしょうかね(なるほどです)。
(国連の「犯罪と公権力濫用の被害者のための司法についての基本原則」というものも、推進力?の一つになっていたようですね。)
ttp://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2003_4.html

> むろん、これで十分との趣旨ではありません。

承知しました。
下記の対象範囲が広げられる可能性(議論の余地)もある、という事でしょうか…。

■対象となる犯罪被害■  本制度による支給の対象となる犯罪被害は、日本国内又は日本国外にある日本船舶若しくは日本航空機内において行われた人の生命又は身体を害する罪に当たる犯罪行為(過失を除く。)による死亡、重傷病又は障害であり、緊急避難による行為、心身喪失者又は刑事未成年者の行為であるために刑法上加害者が罰せられない場合も、対象に含まれます。

改めて、今までよく考えて来なかった/知らなかった事が分かりました。
こちらで勉強させて頂きたく思います。
有り難うございますm(_ _)m

No.121 thx-1138様
レスいただきましてありがとう御座います。

>No.126 死刑囚様
>スルーしてください

との事ですし、スレ違いな所なのでどうしようかと思っていましたが、
死刑囚様の投稿に私も感じる所がありましたので、全くこれは、私が刑事司法に無知成るが故の暴論となるのかもしれません。ですからこれから私がのたまわってしまうことは、皆様のお目汚しにもなるかもしれません。

>加害者が被害者側に対して、満足な賠償が出来ない/全く賠償がない場合

の所なのですが、
私もL.A.LAW様のご紹介で、国が犯罪被害者・遺族に対しての助成金制度がある事を知ることができたのですが(ありがとうございます)、
これは加害者側の意思とは関係なく履行されていることであると思います。
以前、何処かのネットにて加害者側の被害者・被害者遺族への民事補償のところがなかなか履行されていないケースが有る旨、見たことがあるのですが、もの凄く憤りを感じた覚えがあります。
特にそのような加害者は、反省などぜんぜんしていないんではないのでしょうか。
民事補償の所を100%実行すべきとまでは言うつもりはありませんが、そのような誠意の無い加害者に対しては反省の色無し、ということで再度、刑事裁判に掛けてしかるべきではないのかと、(同じ罪で2度裁くということはできないのであれば、そんな場合を踏まえ別の罪状を用意するとか)全くとんでもない話かもしれませんが・・・。

>特にそのような加害者は、反省などぜんぜんしていないんではないのでしょうか。

隣の大陸国では囚人の「臓器を販売し・・・」「死体模型を造り見世物・・・」
いや之はとんでもない事で、免罪で引っ張った上かもしれないし一石二鳥と言う具合には行きません。単なる連想です、忘れてください。

ただ賠償の資力も無い犯人自身が、刑務所での収入を全て返済に充てたり、ドナー登録する様な気持ち。
それらが有れば、被害者の性格に拠っては痛みも幾らか和らぐような気はします。

>刑務所での収入

 作業賞与金のことでしょう。服役年月の長い模範囚で最高1万2千円ぐらいでしょうか。初めは五百円ぐらいです。2、3年目でよければ5、6千円もらえるかもしれません。
 すべて月額です。
 それにこれは収入ではないので、懲罰を受ければ大抵、全額没収になるはずです。等工も級もさがるので、賞与金の額も激減します。
 数年前の相場ですが、現在もさほどかわりはないと思われます。
 進級という累進処遇制度(現在は仕組みが大幅に変わっているのかもしれません。)は、残刑期で大幅に変わるはずなので、長期であればほど、賞与金の少ない期間がながいのかもしれません。
 いずれにせよ、焼け石に水のような金額かと思われます。
 また、なかではその作業賞与金で日用品などの購入も出来たはずです。本も注文できたかもしれません。使っていればなお減ることでしょう。
 シャンプー、石鹸、タオルなどいろいろありますが、お金のない人や、使いたくない人は、いわゆる官物が支給されます。
 石鹸などは一月使わなければならず、タオルは3ヶ月でしたか、ちり紙(便所も)も一月分が決まっていますが、たぶん初めは信じられないぐらい、の量です。
 節約すれば割と持つものですが、それは他の物にも当てはまりました。
 未決の拘置所には、そのような使用期間の制限はありませんが、購入の日用品はほとんど受刑者と同じ物であったように思います。
 ちなみに、平成に入る前後ぐらいは、シャンプーの購入や使用ができず、石鹸で頭を洗っていたと仄聞したこともありました。

 ちなみに、肝炎の関係で貸与されるカミソリが、使いまわしでなくなったのも平成5年ぐらいからだと思います。
 また、同じころに拘置所の舎房内での下着の洗濯が出来なくなりました。
 初犯刑務所では肝炎の人は、いわば隔離のようなかたちでしたが、再犯刑務所では区別していなかったようです。それに医療設備自体にもかなり開きがあるように感じました。
 多いらしいです、特に薬物関係の受刑者は注射の回しうちで肝炎にかかる人が。

 拘置所で信じがたいと思っていたことは、下着以外のいわゆる厚物の洗濯が、週に一回2点しか出来なかったことです。
 必要があれば、宅下げという手続きをして、外の人にやってもらえという説明でしたが、現実的とは思えませんでした。
 そのうえ、洗濯をしてもらって、破損しても一切苦情は申し立てません、という誓約書のようなものを書かされ、これもおかしんじゃないかと感じていました。
 そういえばアメリカの裁判官が、クリーニング店に破格の賠償を請求したというニュースが、ありました。もう半年以上たったでしょうか。

 ついでに書くと、初犯刑務所では、20日に1回ぐらい理髪があり、バリカンで丸坊主にされるのですが、真冬でも舎房内の洗面で頭を洗っていました。さすがに気持ちが悪いので洗わない人というのはあまりいなかったようです。
 どんなに体が冷えても暖をとる術はありません。
 丸刈りを強制されて、損害賠償の裁判を起こしたという話は聞いていましたが...。
 再犯のほうでは、入浴前に講堂でやっていたので、すぐに風呂にはいることができました。
 施設ごとのちがいもあるでしょうが、拘置所、刑務所というのはこういう一面もあるところです。

死刑廃止論者の理由が
1 残酷だから
2 えん罪があっても取り返しがつかないから
などかと思います。
1 残酷だから
と言うけれど、終身刑では将来への希望が見えないから逆に残酷だというコメントがありました。
2 えん罪があっても取り返しがつかないから
と言うけれど、終身刑で、精神に異常を来たせば、やはり取り返しはつかないのでは無いでしょうか?

そこで、提案
終身刑と死刑を本人(被告、加害者)が選べるようにしたらどうでしょう?
さらに、いつでも、希望により終身刑から死刑に移行できるように。
しろうとのたわごとでしょうね。

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