いきつけのネット某所(複数)をみていますと、
ある個人の特定の行為に基づいてその個人の基本的人権を否定するという考えの人がかなり多いみたいな感じがします。
たとえば、
某大学の准教授の発言は言論の自由の問題ではないとか
殺人犯には人権がないとか
でも、こういう考えというのは人権論の自殺行為なんですよね。
自らの人権が否定される可能性を容認していることに気がつかないんでしょうか?
いきつけのネット某所(複数)をみていますと、
ある個人の特定の行為に基づいてその個人の基本的人権を否定するという考えの人がかなり多いみたいな感じがします。
たとえば、
某大学の准教授の発言は言論の自由の問題ではないとか
殺人犯には人権がないとか
でも、こういう考えというのは人権論の自殺行為なんですよね。
自らの人権が否定される可能性を容認していることに気がつかないんでしょうか?
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あぁ、わかります。私が気になるのは、「心神喪失で無罪なんて許せない!なんにせよ殺人犯は死刑!」みたいな意見ですね。
心神喪失状態には誰しもなる可能性があるわけで。飲み物とかに薬物をまぜられ、知らずに摂取し、異常な興奮状態となり人を殴り死なせてしまった、でもあなたは人を殺したんだから死刑って言われたら?
って単純なことすら考えられないんですかねえ。
Lega様
>単純なことすら考えられないんですかねえ。
もちろん第三者が面白がって吊るせ的に言うのは批判に値しますが、自分が遺族であれば、自分の女房子どもが殺されて相手が心神喪失者だから仕方がないか、とはならんだろうなあと思います。
本来は、「自分が遺族だったら」てのは反則なのでしょうが、それをいったら「自分が加害者だったら」というのも反則な訳でして(^^;
いずれにせよ、実際には、そういうことも考慮してしまうということで、その辺はお許しをm(_ _)m
自分が加害者の立場になり得ると考えれば、ということも単純なことかも知れませんが、同様に自分が被害者又は遺族の立場にもなり得ると考えるのも結構単純なことでして、そこを被害者の立場になり得ると考える方を封印しつつ、加害者の立場になり得ると考えろというのは、私のごとき煩悩多き者としては、なかなかにもって難しいことではなかろうかと思います。
また、心神喪失・耗弱に関して言えば、その境界線が見えにくいということもあるのではないかと思います。これらはあくまで状態のことですから、病気・大量飲酒などの要因=心神喪失・耗弱とは限りません。
犯行の時点でどうだったのかということを、事後的に推測するしかないわけで、さらにややこしいことに、レントゲン見たら写ってるとか、必ずしも検査データで裏付けられるてなもんでもなく、当人の行為・反応等を基にした評価に頼る分野ですから、複数の精神科医が見て全く別々の結果を出すことも十分ありうる訳です。そのため本当にそういう状態だったのか、実は詐病なのかが、外部から見れば実に分かりにくい。(無論お医者さんのせいなどではなく、そういうものなんですが)
最終的には、社会の約束事として、そうなっているからと割り切らざるを得ないものの、私は少なくとも「単純なこと」というほどに簡単な問題ではないと思っています。
>自らの人権が否定される可能性を容認していることに気がつかないんでしょうか?
気付いていても(指摘されても)自分だけは特別の存在だから関係ないという「唯我独善」の心理が見え隠れします。「人権は平等だ」という「法の下の平等」を否定する上でしか成り立たないわけです。
こういう方の連投を見ていると、露骨な差別主義(自分勝手)が衣の下から見えるときがあります。総じて、議論を通じて見識を深めようとする方よりは、自分に都合の悪い意見を叩いて自意識の満足を得ること(勝利宣言すること)がネットの目的であるようです。
人権が制約される場面がある、というのと、人権がない、というのとでは、大差ないように見えて実は雲泥なんでしょうね。
>でも、こういう考えというのは人権論の自殺行為なんですよね。
元々それが目的で書き込みをしている人も居ますよ。
そのような者は公という「錦の御旗」を掲げて国民の人権意識を低めようとします。
相対的に個々の権利より国の権利を優先しないと有事には対応しきれないというのが理由でしょう。
国からの何かしらの担保があれば「自分だけは特別な存在」に成り得る訳ですから。
かなり前の話になりますが、ひろゆき氏が特定のIPアドレスから同時刻に多数の者が政治版に書き込んでいた事実を公表してました。
>ある個人の特定の行為に基づいてその個人の基本的人権を否定するという考えの人がかなり多いみたいな感じがします。
>たとえば、
>某大学の准教授の発言は言論の自由の問題ではないとか
>殺人犯には人権がないとか
こういった場合、最初の「特定の行為」というのがそもそも「他者の基本的人権を否定する行為や考え」が多いので、極端な意見があがっているということなんでしょうけども。
まあ、「人権が制約される場面がある」、とは思いますけども。
薬物で過剰な興奮状態になった場合、拘束されて行動の自由を失ってもそれは仕方がない(実際に被害が生じているのであればなおのこと)ですし。
怖いのは声が大きいだけで実は一部の者の考えに過ぎないこういうものが、メデイアを介して増幅し国民の代表者によって立法化、制度化されてしまうこと。冗談でなく危惧します。
基本的人権て、場所(国)や時(戦争時等)によって容易に変わってしまう約束事で、決して不変的なものではないのだから、自分たちで意識して守らなければいけないのでしょうね。
当然、あるものだとして生活していると、それが自分になくなることがあり得るということは気づきにくいです。
No.7 通りすがりさま
>国民の代表者によって立法化、制度化されてしまうこと。
映画「靖国 YSUKUNI」騒動で名を馳せた女性代議士や、有害サイトのフィルタリング規制法案を画策された女性代議士を、つい連想してしまいました。
ちょっとエントリの内容と話がずれるかもしれませんが、
言葉の使い方が人によって少しずつ違うので、結構混乱するんですよね…、私としては。
映画「靖国」問題は表現の自由の問題ではない、という人もいますし。(これも正確な要約とはいえないかもしれませんが)
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=638
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=641
宮台も言葉遊びが好きだなぁ。
そうか・・・官憲による直接的制約以外は自由か・・・
いまさらこの問題を蒸し返すつもりはないけど。
ラジカルな言動が叩かれがちなのは、叩くことによって「こいつに比べれば俺は常識をわきまえている」と優越感に浸れる、という要因もあるのではないでしょうか。
また、同じ言論での批判にとどまらず何らかの現実的な制裁を与えないと気がすまないのは、「これを排除することで、よりよい世の中づくりに貢献した」という正義感が満たされるところもあると思います。
光市弁護団、羊水発言、青学、いずれもこの構図に当てはまるように思います。
委員会の大会議室を見ていると、役人・政治家・弁護士をぶっ叩いて排除すればオールOK、みたいなコメントが増えていて疲れます。
No.2じじい様
>もちろん第三者が面白がって吊るせ的に言うのは批判に値しますが、自分が遺族であれば、自分の女房子どもが殺されて相手が心神喪失者だから仕方がないか、とはならんだろうなあと思います。
もちろんおっしゃる通りでございます。私も1歳になる娘がおりますので、娘に何かあった際のことを考えると仕方ないか、となど考えられないです。
ただ幸いなことに今のところそういう立場にはなっておらず、もちろん今後もそういう立場にはなりたくないですし、そういう第三者だからこそ、さまざまな立場になって考えることができるのだと思うのです。
いただいたコメントをじっくり読ませていただいているうちに、「単純なこと」と書いてしまいましたが、確かに「単純」という一言では片付けられないな、と思いました。その部分は訂正させてくださいm(__)mそしてじじい様のご意見について非常に納得させられました。
個々の罪について語るのと、個人の人格を罵倒したり全否定するのとは全く違いますよね。最近のネット上の書き込みを見ている、「欲求不満」や「世の中に対するある種の不安」のはけ口にしか思えないような書き込みが多いですね。とはいえ、私も感情的になると、結構ひどいことを書いたりしています。自戒の念をこめて、「欲求不満」と「(不満解消のための食べ過ぎによる)欲求肥満」には気をつけなければ(^^;
> 某大学の准教授の発言は言論の自由の問題ではないとか
某大学の准教授の発言が如何に暴論でも、勿論言論の自由は考慮されるべきでしょう。ただし言論の自由は無制限では無いことも当然であり、この准教授の場合は【論点】は其処では無いのに、我田引水的に自説に固執した某教授が混乱の元凶でしょう。
> 殺人犯には人権がないとか
これはどちらの某所か知りませんが、殺人犯の人権が過剰に重視され、被害者、被害者家族の人権がそれと比べて軽視されてきた風潮に対してバランスをとるべきとの意見では。
殺人犯にも人権があることに異論は無いが、人権派弁護士と呼ばれる方々のあまりにも、被害者、被害者家族の人権を無視した言動こそ、人権論の自殺行為と呼ばれるべきものです。
> 殺人犯の人権が過剰に重視され、被害者、被害者家族の人権がそれと比べて軽視されてきた風潮
>人権派弁護士と呼ばれる方々のあまりにも、被害者、被害者家族の人権を無視した言動
これらが具体的にどういうことを指しているのか、また、それと「殺人犯には人権がない」ということとバランスがとれているのか気になります。
と言うか、被疑者や被告人の「人権」が、どのような局面において、なにから守られているのか分かってないから、被害者や被害関係者の人権を反対側に持ってきて対比しちゃうんでしょう。
「殺人犯の人権が重視され、被害者・被害者家族の人権がそれと比べて軽視され」というのは公平でないというご意見であって、「被害者や被害関係者の人権を反対側に持ってきて対比」してるわけではないのじゃありませんかね。
別に「反対側」でなくてもいいんですよ。
対比することがナンセンスだ、と言う話ですので。
「殺人犯の人権が過剰に重視され、被害者、被害者家族の人権がそれと比べて軽視されてきた」が何を指してるのか伺ってみないとナンセンスかどうか分らないと思いますけどね。
結局最近のモンスター軍団の非常識な行動
は客観視の不足もしくは欠落なんだね。
他人から見て自分がどう見えるかを
想像できないから自分の短絡的思想で
で感じたまますべてを要求する。
>No.15 阿呆さん、はじめまして。
この部分のつながりが、私にはよく分かりません。なぜなら、【言論の自由は無制限では無い】という部分が、【如何に暴論でも、勿論言論の自由は考慮されるべき】を打ち消しているように見えるからです。
阿呆さんが矛盾していることを書いているとは思えないので、「具体的にどのような場合において制限され、どのようなペナルティが課されるべきか」が明示されないと、「言論の自由を大前提(ベース)に、どのような行為が(一般化されないように)厳格な手続きの下で制限されるべきか」という二階建て構造にならず、一般論を一般論で打ち消しているようになると思うのですが、いかがでしょうか?
「殺人犯の人権が過剰に重視され、被害者、被害者家族の人権がそれと比べて軽視されてきた」
十分ナンセンスです。
なにを指しているかなど中身を確認するまでもありません。
>阿呆さん
いらっしゃいませ。
阿呆さんが、町村先生のブログで活発に投稿されている「阿呆」さんと同一人物ならば、まず「阿呆」さんが繰り返し述べている
という主張をもう少しわかりやすく説明していただくのが先決でしょうね。
>No.22 お〜い紅茶さん、はじめまして。
考慮されるべきと、許されるべきは同義ではありません。例えば、許される範囲のポルノ表現でも、未成年への販売は制限されています。海辺の水着はOKでもアキバでパンティを見せると逮捕だしね。勿論、侮辱や名誉毀損になるものや騙すのも駄目でしょ。薬やサプリメントの広告で薬効をうたうと取り締まられる。 極力何を言っても良い様に皆で考慮しようが前段の意味です。例えば私はUFOを見たとか、宇宙人と友達ですとか。後段はそれでも許されないものもあるでしょって意味です。例えば金を出さないと友達の宇宙人に攻撃させちゃうぞとかね。
犯人の人権の件は世に幾らも実例があるのに、見えない人とは議論にも成らない。まさにナンセンスですね。未成年の被害者が実名で発表され私生活まで詳細に報道される例をみるまでも無いでしょう。無知ならまだ良いが、良識ある大人が言葉遊びに興じて真実に目をつぶるのは如何なものでしょうね。過剰に反応される方が居るのは自ら問題ありと認識しながら、目をつぶって看過している事を告白しているようなものですね。
被疑者の人権も、被害者の人権もどちらも守られるべきものです。刑の確定した殺人犯の人権すら守られるべきものだから、死刑には反対します。
>大たぬきさん
>他人から見て自分がどう見えるか
常識ある大多数から支持されていることは間違いないと確信して悦に入っているように見える投稿があります。
ただし自分が考える「常識」というものについて全く疑うことをしないので
>自分の短絡的思想でで感じたまますべてを要求する。
とご指摘のように短絡的になるのかなと思ったりしています。
私は他所での阿呆さん の投稿を見たことがないので、よくお伺いしたいというだけのことなんですけどね。スレ汚し失礼しました。
>モトケンさん 、こんにちは。
> この件は表現の自由や学問の自由とは別次元の問題である
とは、まず町村さんがオン、オフを取り上げられたので、オンでもオフでも言論の自由は同様にあるし、この場合の放言は既に制限されるべき範疇であろうとされているので、既に論点ではない論じ終わったものとして、その先を議論しましょうという意味です。
次に、町村さんは大学の処理を不適切と批判されたが、ご自身が問題の元となった瀬尾放言には一切目を通していない時点での発言であった事を認めた後も、訂正も修正もされなかった。明らかに、この個別の件ので、青山学院大学を批判していたはずなのに、一般論ですと、逃げをうって大学自治にまで話を拡大してきたので、学問の自由の話じゃないでしょ逃げるなよコラってのが、この言の説明です。
もちろん、表現の自由や学問の自由、大学自治の土俵でも、町村さんの論は不適切であると判断して、批判してきたのです。一部、町村さん以外の方が、自説への批判と勘違いして噛み付いてきたりで、混乱した状態ですが、私は一貫して、町村さんそんな事いっちゃだめだろって事を言ってきたつもりですが。最初から読んでもらえば分かると思いますよ。
>No.27 通りすがりさん
などというコメントになるものと思われます。私も見たことありませんでした。
しかし、対比物として扱うものではない二者を並べていることがナンセンスであることは、中身を一々確認するまでもないことです。
被疑者や被告人の「人権」が、どのような局面において、なにから守られているのか分かってないから、比較のしようのない二者を持ち出して
ただし、被疑者や被告人の「人権」が、どのような局面において、なにから守られているのか分かってない人が少なくないであろうことは様々なネット上の反応などから承知しています。
>No.29 惰眠さん
了解いたしました。
しかし、どういう人権が、どういう場面で、どんな風に重視されすぎてるとお考えなのか、阿呆さんには伺っておきたいところです。
・・・・・・・・・・・。
以前、トラックバックにあった青学准教授・瀬尾佳美さんについて「すごすぎる」とコメントした者です。
私がモトケン様のところで意見を表明した理由は単純で、つまり、ここでたまたま事件のことを知ったからに過ぎません。
そして私という個人には、言論の自由を封殺しようなどという考えは毛頭ありませんでした。
「人権派=反社会派」なのかと思いたくなると以前私は書きました。
こういうフレーズを私が以前書いたわけは、前にどこかで彼女をいわゆる人権派弁護士といわれている某氏が擁護している(そして叩かれている)のを読んだので、そういう印象を持ったのです。
瀬尾さんの意見を辛口という表現で擁護しようとした向きもありましたが、辛口のコメント=辛辣な意見と解釈するのが一般的でしょう?
たとえば“奨学金を返してないくせに働きもせず家でぶらぶらしてたら殺されちゃった・だから女に奨学金を出すのは反対”なんていう主張が辛辣な意見と呼べますか(瀬尾さん発言の魚拓を参照)。
おまけにスピード違反を告白したりもしているし……反社会的です。
そういう人を擁護する弁護士さんが、人権派だったわけです。
もちろん某氏が擁護した理由は瀬尾さんに共感したわけではないでしょう。彼女が光市の本村さんを英雄視して一方向へ流れがちな世間を批判していたからだと推測したほうが某氏のためでもありましょう。
しかし、私はそれを読んで、「この種の人たちは自分らと同意見ならばどんなんでもいいのか?」と呆れました。
そして次に、まさかとは思うけれども彼らも瀬尾さんと同じような冷酷な考え方をする人たちだったりして、と、想像してしまいました。
そうとでも思わなければ、まさかまさか手放しに擁護できるような瀬尾さん発言集ではありませんでしたから。
そこで、人権派=反社会派?という疑いを持つに至った次第です。
私は、今は少し反省しています。
瀬尾さんの件が言論の自由にかかわる問題に発展してしまったとしたら、その原因の多くは、私のような単細胞の書き手がネットウォッチャーに多数いるという現実が負うべきであろうと思うので。
けれども、一部人権派(人権屋と呼ぶべきかもしれない極端な人たち。そう目されている弁護士さんにせよなんにせよ大半の人は善意の活動家なのだと理解しています)の御都合主義も責められるべきなのではないでしょうか?
もっと言うと、無神経な御都合主義、です。
弁護人さんが裁判という場に限って国家から被告人の人権を守る、というのは、そりゃもうあったりまえで、OKなんです。
私は無学ではやとちりですが、それっくらいならわかるんですよ。
しかし、被害者本人である故人や遺族を傷つけるような言動を、光市の弁護士さんたちが裁判所以外の場所でしてみせるのは、いかがなもんでしょう?
また彼らを援護射撃するつもりらしい瀬尾さんはじめ偉い先生がたまでも、情の無い、ひどいことを書き散らしたりするってのは……?
自分たちのそういう無神経な行為が、「かわいそうな人になんてこと言いやがるんでぃ、とんでもねぇ悪党にちがいねえ、そっちもまとめてとっちめてやる!」という世間の風潮を招いていることぐらい、わかりそうなものだと思うのです。
被告人に利するという目的のために、彼らも記者会見を開いたり、ブログに何かを書いたりしたいでしょう。その権利もあるし。
でも、その際に、見物人たるその他大勢の人間の情を無視するのは誰のためにもなりませんよね?
見物人にはすっこんでいてもらいたいってことなら、もともと、発信しなければいいのですし。自分たちの賛同者だけに見てもらいたいなんてのは、ムシがよすぎです。
私には、被害者+世間と被告人+人権派一同の対立の構図を作ってしまったのはマスコミかもしれませんが、種を蒔いたのは人権派の人々だと思えてなりません。
ちなみに瀬尾さんは処分待ちだそうですね。
子ども・女性・貧乏人の生命と人権を踏みつけにする思想の持ち主の言論の自由が、このうえない好条件の下で保障されないからといって言論の自由一般が封殺されそうなよくない世間の兆候だ、とは、どうも私には思えないのですが……。
また、これも少し疑問なのですが、もしも彼女が今回のことで青学の籍を失っても、彼女の言論の自由は今後も保障されるのではないですか?
青学准教授の肩書きをもしも失うと、すなわち言論の自由を奪われたことになる……わけがないですよね。
だったら私のような者には、もとより言論の自由など無いってことになりますから。
モトケン様、私は間違っていますでしょうか?
>No.30 通りすがりさま
>どういう人権が、どういう場面で、どんな風に重視されすぎてるとお考えなのか
「殺人犯の人権」と印刷された包装紙の箱と、、「被害者、被害者家族の人権」と印刷された包装紙の箱、2つの贈り物を見比べて、「殺人犯の人権」の箱の方が大きくて立派そうだと言いたいのでしょ。
竜宮城から帰るとき、見た目で大きな箱を選んで失敗する日本の昔話があったように、それぞれの箱に何が詰まっているのか、箱の中身を見もしないで、包み紙の立派さと箱の大きさだけで選んでいるだけ。
表面的な「見た目」だけのウスッペラな主張だから、中身をチャンと確かめてからにしようね。皆こう言っているのに分からないのでしょう。
>No.32 門前子さま
>おまけにスピード違反を告白したりもしているし……反社会的です。
>そういう人を擁護する弁護士さんが、人権派だったわけです。
2行目の「擁護する弁護士さん」とは具体的に誰を指すのでしょうか?
この肝心な部分をオブラートに包んだ表現をされると、門前子さまの論旨が誰に向いているのかが分りにくいのですが・・・。
瀬尾氏の件ですが、
「大学教員の発言を大学に負わせること自体がまずい」
(本人が名誉毀損を連発して、相手から訴えられまくるとかするのは自業自得)
という立場を貫いている者です。
これは、大学内からの発言であっても、大学が責任を負いに出てこられたらまずいんです。ましてや、瀬尾氏の場合は学外blogですから、なおさらです。
今回のように、安易に「大学にクレーム」ということが容認される社会になると、誰かの利害に反するが出した方がいい言論まで、大学経由で圧力をかけることが可能になるんです。
現在進行中の訴訟も含めて、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9350
で論じています。
(1)公取の排除命令を逆恨みした会社社長が、ウェブサイトを置いている大学だけを訴え、私と私の師匠が訴訟参加
(2)別件で勤務先大学に来た削除依頼に対して、債務不存在確認の訴えを私の方から提起
という、互いに裏返しになった2件が同時進行中です。いずれも、教員の発言の責任を大学にとらせることで大学に圧力をかけて都合の悪い言論を封じようとする会社と、それに抵抗する研究者という紛争です。
No.32 門前子さん
時間がないので一点だけ申し上げます。
あなたがプライベートのブログをお持ちだとします。
そして、もし自分の職場から「そのブログが炎上するようなことがあったらクビだからな」と言い渡されたら、あなたはブログを自由に書けますか?
それは言論の自由を保障された状態だと言えますか?
論文の二重投稿みたいで恐縮ですがm(_ _)m
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2008/03/censorship_2c31.html#comment-31400854
ホームズ判事が述べた要旨「一番嫌いな言論や社会的批判が集中する思想ほど表現の自由の保障効が及ぶべきだ。」という見解を思い出しました(司法試験の択一(長文)過去問にあった記憶)。
私は誰かに「言論の自由」の基準を決めて欲しくありません。
確かに他者に不愉快な思いをさせてまで言いたいことを言う、というのは考え物ですが、誰が不愉快に思うから、とか良識の無い発言だからという理由で発言者に対して「黙れ!」というのはどうかと思ってしまいます。
前にプリンスホテルのエントリでも書きましたけど、特定の労働組合のやっていることが気に食わないから、といって彼らの「集会を開く権利」を妨害していい、という理由にはなりません。それはそれ、これはこれで判断しないで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という風潮はイヤですね。
自分が言論の自由を求めるなら、たとえ不愉快でも相手の言論の自由を認める必要があります。でないと、某国のように「反政府デモ」は弾圧しても良い、という理屈が成り立ってしまいます。つまり、誰かに「お前は反政府主義者だ」と決め付けられたら、もうおしまい、というわけです。
確かに世の中には目障り・耳障りな意見もありますが、一時的に不愉快でも「意見の多様」を認めることが「言論の自由」の第一歩ではないでしょうか?
こんなことを言ったから(やったから、ではないです。単に言っただけです)という理由で職を奪われる、なんて恐ろしいでしょう?まさに「物言えば唇寒し秋の風」ではないですか。あの教授の発言だって、私の感覚では「アホなことを言うてるなぁ、僕はそうは思わんけどなぁ」程度のもので、職を辞さなければならないようなものとは思いません。
中国に言わねばならないことを言わず、逆切れして「普通、相手のいやがることを言いますか?」とのたまうわが首相など、「言論の自由」を理解されていないのではないか?と思ってしまいます。外交と個人の付き合いを混同されているのは困ったものだと思います。
と、こんなことを書いても逮捕されないのはこの国にまだ「言論の自由」があるからではないでしょうか。
>モトケンさん、みみみさん
瀬尾准教授の件ですが、ご意見は
--------------------
多数派にとってであれ少数派にとってであれ、受け入れがたい特異な思想を披瀝している者を教育者と認定している機関に対し、その判断は社会全体にとって脅威であると主張すること自体は認められている。
それを受けて、大学が「検討の結果、当学に相応しくない人物と認定しました」と納得して懲戒するのであれば、それもまた問題ない。
ただし、「世論に圧迫された」ことを理由に行動するのは言論の自由の放棄であり、論外である。
同様に、そのような印象を与える行動も慎むべきである。
--------------------
という理解でもよろしいのでしょうか?
>されないのはこの国にまだ「言論の自由」があるからではないでしょうか。
核武装を議論しようといっただけで言論弾圧が起こったからな。
No.40 YO!!様
>核武装を議論しようといっただけで言論弾圧が起こったからな。
仰るとおりです。
少しトピズレになるかも知れませんが、防衛問題に関して論議すること自体にヒステリックな反応を示す人の声がやたら大きかったですね。ちょうど、今のブログ炎上とよく似た感じでした。
三矢研究のときも単なる研究だったものが「作戦計画」のように騒がれ、結果として国政の場でわが国の防衛に関するまともな議論が行われなくなってしまいました。理由はどうあれ、国政の場でタブーを作ってしまったのは大きな間違いだったと思います。
そのときの感情で相手を叩くのは「気持ちが良い」事かもしれませんが、それで本質的な議論の道が閉ざされるのは、長い目で見たとき「民主主義の否定、というか衆愚政治」につながっていくと思います。
>ある個人の特定の行為に基づいてその個人の基本的人権を
>否定するという考えの人がかなり多いみたいな感じがします。
簡単にレッテル貼りしちゃうつもりはないんですが、(^^;
いろいろ掘り起こすと、決して特定の行為が一つだけでなかったのを発見したりして、それで全否定になっていっちゃうんでしょうか。
ネット上の言動からネット上の人格まで攻撃され、ついには現実世界も同一視され、現実世界の多元性まで失われてしまう。
或いは人間の尊厳というものが忘れられてしまってると云うことではないかとも思います。こっちのほうが深刻な気がします。
ところで最近の検事さんの論告で情状関係のところ、同じ轍を踏んでしまうことがありませんか? 私の知ってる事例は一つしかありませんが・・・
裁判員制度が司法のワイドショー化に繋がらなければ良いのですが。
Lega様
こちらこそ本線ではない部分で突っ込んでしまい申し訳ありませんでしたm(_ _)m
>No.32 門前子さん
私もNo.34 法務業の末席さんと同様、准教授を擁護しているという某氏が誰のことを指しているのかが分からないとお答えし難いです。
私は、准教授を擁護している弁護士の意見を読んだ覚えがないのです。
大学の対応を批判している人は知っていますが、その方は准教授を擁護しているわけではありません。
>No.39 Yachtさん
准教授の問題に関しては准教授自身の問題と大学の対応の問題があると思いますので、簡単に説明しにくいところがあります。
准教授のブログでの発言の問題については、No.4 通りすがりさんの指摘が当たっています。
大学の対応の問題については、学問の自由と大学の経営判断の問題が絡んでより複雑な問題があるように思われます。
誤解を恐れず簡単に言いますと、学問的意見表明は可能な限り自由であるべきだと思いますが、表現方法についてはやはり配慮が必要だろうと思います。
そうそう、ちゃんと読んでから答えないとね。
大学の対応を批判した某教授は読まずに書いて大失敗。まあ、その教授は、別件だけど三権分立も理解できないし、それ以前に、言論の自由も理解できないで暴論かましてるしね。
アホの尻馬に乗るのもずっこける元だね。
No.39 Yachtさん
今回の件がある意味で準教授の自業自得であるとは思います。ただ、個人的な思想の是非と、教育現場での振る舞いの是非は切り分けて考える必要があるとも考えます。少なくとも、あのブログに書かれた考えを教え子に吹き込むようなことはしていないでしょうから。
今回のケースは、自分の教え子に手を出したとか、卒業式で教え子に君が代斉唱拒否を炊きつけたとかいった事例とは一線を画しています。
大学は、ブログの記載内容と世間の掛け声だけでなく、それまでの教育者としての実績もきちんと評価して判断すべきかと思います。すくなくとも今回は、大学は明らかに世間の反応にビビッて切り捨てにかかった、と見えてしまいます。
No.40 YO!!さん
まあ、あの騒ぎで議員辞職に追い込まれた人はさすがにいませんでしたから、一応「言論の自由」の建て前だけは守られた、というところでしょうか。私も「議論すら許さない」という風潮は承服できませんでした。私個人としては、核武装論をきっちり議論の俎上において理詰めで潰すべきだと思っていましたので。
所謂「学問的発言の自由」は担保されてしかるべきでしょう。
小生の学生時代は赤軍礼賛の先生からナチスの各種施策に理由を見出そうとした先生もいらっしゃいましたから(後者はEUでは思想犯ですな…。アメリカもでしたっけ?)。
その発言によって直接的な被害を受けた本人が異議申し立てや訴訟を起こしたのならともかくも、なにかしら犯罪を推奨しているわけでもないので、第三者は生あたたかい目で瀬尾さんのブログを見てあげるのが良かったのだろうと思います(これが政治家のブログであるのなら、話は別なのでしょうけど)。
もっとも光市の被害者および遺族の方々や「専業主婦」に対する揶揄めいた記述は、瀬尾さんのブログに限らず散見されますので、それらの道義的責任はともかくも瀬尾さんのブログのみ血祭りにあげるのはいかがなものかと思われます。
しかし…リスクマネジメントの専門家にしては少々脇が甘いような気もします。
No.48 電算屋さん
最近の殺人事件で犠牲になった少女たちもネットではボロクソに言われています。他にも、犯罪被害者の脇の甘さなどをあげつらって「自業自得だ」と言ってはばからない連中が大勢います。
今回の準教授が、カウンターパートとしての批判ならともかく、現実的な制裁を受けなければならないとすれば、上記の連中と彼女との間にどのような線引きが存在するのか、世間は明確に説明する責任があります。すくなくとも「不快だから」などという基準は認められません。
みみみさん
瀬尾教授を抹殺(懲戒を求める)することには反対しますが、氏名・役職名を冠したブログで公言していたのだから、批判(中傷めいたものもあるでしょう)に反論・または了承する必要はあると思います。
瀬尾さんに限らず、公開型のブログへ無防備に記事を書き込まれる方が多いような気がします。言論の自由は「発言する側」だけにある話ではなく、オープンな場で意見表明をした以上、「批評する側」にもあると思います。
だからと言って批評を瀬尾さん本人ではなく「大学など」に持って行くのは筋違いなわけですが…。
世の中道理が分かったばかりじゃないので、リスクマネジメントしていただきたかったと思います。
犯罪被害者の方々の「人権」については、コメント致しかねます。
ただし、貴方様の文中の「世間は」は「ネット上で被害少女を糾弾している連中は」である方がしっくりくると思います。
誤記訂正します。
誤:世の中道理が分かったばかりじゃないので
正:道理が分かった人ばかりじゃないので
申し訳ございません
> 自らの人権が否定される可能性を容認していることに気がつかないんでしょうか?
ということで、ちょっと書いたものをご紹介させていただきます。私自身、人権救済や権利回復のための活動を行ってきたつもりでいますが、前途多難でした。 これまでのこのブログでの経緯もあります。参考にしていただけても幸いですし、理解の一助にしていただけても幸いです。
自分の場合、自分にできることとして、真相を解明すべく、そのための手段として法律の勉強とコンピュータの勉強を行ってきました。そのいずれにおいても、年月が掛かりすぎたとはいえ、当初の予想をはるかに超える環境に浴し、その成果を手に入れ、会得し、あるいは夢をかなえたとも言える現状ですが、予期せぬ壁につきあたり、長い間足踏み状態が続いています。
その一つが、刑事弁護そのものであり、光市母子殺害事件の弁護団を批判し、元検弁護士のブログにも活発にコメントをしてきた理由です。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080513/1210609333
すべてには目を通せていないかもしれませんが、皆様のコメントも参考にさせて頂いております。
自分のブログで勝手にやってくれと思われれば、それまでですが、こういう立場の人間、その背景があるということを少しばかりでも知っておいて頂きたいのです。
それに同日の他のエントリにも書きましたが、現在の刑事弁護のあり方には、やはり疑問があります。深刻な問題かもしれないので、よければ合わせてお読み下さい。
流れを読まずにコメントしますが、昨今の「世論」の流れを見ていると、対象の意見を「批判する自由」と「封殺する権利」とを混同し、ラジカルな発言や主張に対して、「その意見そのものを擁護する人」と「それらを表明する自由を擁護する人」との差異を区別できない人が増えているように感じられます。
また、これはNo.50 電算屋さんのコメントとも重複する部分があるのですが、意見を主張する側にも「意見を表明する自由」は存在しても、「批判を受けない権利」は存在しないことをよく理解していないのではないかと思える方もよく見られます。
あと横レスになりますが
>No.36 みみみさん
>あなたがプライベートのブログをお持ちだとします。
>そして、もし自分の職場から「そのブログが炎上するようなことがあったらクビだからな」と言い渡されたら、あなたはブログを自由に書けますか?
>それは言論の自由を保障された状態だと言えますか?
それはちょっと条件が大雑把に過ぎるのではないでしょうか?
S准教授の場合は、A学院大学という所属組織の看板と自身の立場を表明して意見を発信している以上、所属組織の信用や社会的評価を不当に傷つけ、関係者に不利益を与えるような行為は、社会人として厳に慎むべきだと思います。
まあこれは私が公務員であるからそう感じるのでしょうが、少なくとも、組織の看板を立てている以上、自分の言葉がどのように受け止められるのかは考慮すべきですし、他人に迷惑を掛けないような表現方法くらいは教育者として配慮しましょうよと言いたいですね。
>そして、もし自分の職場から「そのブログが炎上するようなことがあったらクビだからな」と言い渡されたら、あなたはブログを自由に書けますか?
公務員や社員であれば、まだ身分が保障されているような気がします。そんな気の緩みも手伝って、問題の書き込みをしてしまったのかもしれません。
美人でもあるらしいですが、確かに人格そのものを疑ってしまいました。
>No.1 Legaさん |
>飲み物とかに薬物をまぜられ、知らずに摂取し、異常な興奮状態と
>なり人を殴り死なせてしまった、でもあなたは人を殺したんだから
>死刑って言われたら?
>って単純なことすら考えられないんですかねえ。
すみません、ちょっと蒸し返すようですが、こういう薬剤って実在するんでしょうか。そして、こういう殺人(なり傷害致死)事件って実在するんでしょうか。実在するなら、そのケースでねらーの多くが「犯人は死刑」と言ったりしたんでしょうか。
個人的には上記のケースでは、さすがにねらーでも犯人に同情するんじゃないかと思うんですが。
見てきました。はあー、ため息。
No.55 ミ ´Å`彡さま
私も No.1 Legaさまと同じこと(おそらく)を感じています。
「吊せ」 系の論者の意見は、その意見の射程に無頓着なんです。
No.1 Legaさまの例が実在したとして、その犯人(被疑者・被告人)には同情するという人が、
「心神喪失や耗弱なんかで減軽を認めるのはおかしい!」
という意見を他方で言っているとしたら、明らかにダブスタなわけで。
刑法39条廃止論というのは、その1点だけをもって無効なわけです。
「彼ら」が、No.1の例に「同情」するんだとしたら、主張すべきは 「39条廃止」 ではなく、「39条の適用範囲の限定」 でなければいけない。
No.45 モトケンさん
No.47 みみみさん
お手間を取らせました。
准教授の場合、ざっくり言えば『発言のみで』大学が処分検討するのは不適切、というご意見と理解しました。
個別の諸事情に惑わされ、ご主旨を取り違えていたようです。
一つの側面の是非の問題と、例示された個別案件自体の問題は、どうも混ざってしまいがちですね…。
世の中には、一般的抽象論のコメントを見ても、それが自分への批判攻撃と即断誤解する人がネットに多くなった気がします。いわゆる脊髄反射というのでしょうか。パソコン通信のころはもっとおおらかだったんですが。_| ̄|○
No.55 ミ ´Å`彡様
No.57 fuka_fuka様がうまくまとめてくださいました。私の言いたかったことはまさに
>「吊せ」 系の論者の意見は、その意見の射程に無頓着なんです。
>No.1 Legaさまの例が実在したとして、その犯人(被疑者・被告人)には同情するという人が、
>「心神喪失や耗弱なんかで減軽を認めるのはおかしい!」
>という意見を他方で言っているとしたら、明らかにダブスタなわけで。
でして。
いろいろ書こうと思うのですが、fuka_fuka様以上にうまくまとめられない (((´・ω・`)デナオシテキマス・・・。
No.35 apjさん
> 「大学教員の発言を大学に負わせること自体がまずい」
これは、一流企業の社員ならどうでしょうか?
大学教員だけが特別でしょうか?
fjのころから、よく言われていた問題ですが、私の中でまだ結論が出ていません。
日本国憲法21条は分からないけど、大日本帝国憲法29条は体得していたりして。
言論の自由はある。但し、私が許す範囲内においてである。 なんてね・・・
>No.59 ハスカップさん
「裾野が広がる」「敷居が低くなる」というのは、要するにそういうことだと思います。
そういう話ではなく、「仮定の話を想像できないからといって『その程度も想像できない』といって溜息を吐いてみせるのはどうなのか」という話なわけでして。ついでに言えば上のねらーの反応も「仮定についての想像」なのであって、議論のための議論以上の意味を持ちません。
そもそも、そのような薬物が実在するとして、その場合は司法的には飲ませた者に責任が生じるんじゃないでしょうか。自分で飲んだ場合は当然、「原因に於いて〜」とかいうやつでしょうし、そんな薬物が過失なりで飲まれるような状況にあったとすれば、管理責任なんかも生じると思います。毒劇物指定でしょうし。
一方で精神障害者の殺人等の場合は、それに対してペナルティ(責任ではなく)を負う人が居ないというか、そういう事態への憤りが「普通に裁け」という話につながるんじゃないかと思うのですが。
要するに「喩えが喩えになってないんじゃないか」って話です。「いつ自分も統合失調症になって隣人を殺すかも知れないのに」などと書いていたなら、特に異論はありません。
尤も、そうなった際に「そういう手合は措置入院させとけ」という主張はアリでしょうし、それに自分も従うというなら否定すべきものでもないと思いますけども。