エントリ

「抵抗する白鳥殺すの楽しかった」 水戸の中3書類送検(asahi.com 2008年05月14日22時15分)

 水戸市の中心部にある千波湖で4月、白鳥などが殴殺された事件で、茨城県警は14日、市内の中学3年の男子生徒(15)を鳥獣保護法違反容疑で書類送検した。調べに対し、生徒は「羽を広げて抵抗する白鳥を殺すのが楽しかった」と供述しているという。
 同市教育委員会は、市立の全小中学校に対し、全校集会を開いて命の大切さを説くよう要請した。

 そういう話ではないのではないかと思うのですが。。。

 この少年たちにはかなり危ないところを感じるんですが、考えすぎでしょうか?

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 中3でエントリのような感覚・行為には私も危ないものを感じますが、体験というか通過儀礼というか、「命とのかかわり」というとちょっとズレるのですがそういう経験を欠落している影響もあるのではとも思います。
 小動物(昆虫)を傷つける・殺す、というのは、昆虫採集をする・ペットや昆虫などを飼育する、などで代替できるのかは分かりませんが、そういう体験がなかった場合はどうなるのか?という点で。
 個人的には、小動物(昆虫)を傷つける・殺すという点では、昆虫・ザリガニ(や蛙など)に意識せずにやった時期(小学生以下)があったような。
 
 

モトケン様
私も「危ない」と思います。
時々、少年による殺傷事件で「最初は猫や犬やウサギだった」なんて報道がありますよね。無抵抗(自分より弱いもの)に危害を加えることが「楽しい」という感覚・・・そのうち幼児・老人へ向かいそうに思います。

こうゆう中学生は
親に殴られて痛かったとか
大事なペットに死なれたとか
とかの経験がないのだろうと想像します。

自分が狩られたらという
想像力はないんでしょうね

No.2 通行人1さん

正直なところ、子供の頃は昆虫やカエル、小魚などには無茶なことをした記憶があります。ただ、そこから、犬猫などの大きな動物にステップアップすることはできませんでした。どうしても超えられない心理的(道徳的)障壁があったように思います。

しかし、彼らはそのバリアを突破した。

白鳥のような大型鳥から体の小さな人間の幼児まで「あとほんの数歩」という感じがします。

>>No.4 みみみさん
のおっしゃる「バリア」とは躾でしょう。
倫理にしろモラルにしろ、幼少時に躾けられる以外に身に付ける方法はなく、また躾を行なう者は躾は学問や知識ではないのでいわゆる学問として授けることは不可能ゆえ、自分自身の躾の効いた行動を日常的に幼若者に見せることでのみ躾ることができるものだと思います。

千波湖畔にいたのが白鳥ではなくホームレスだったとしたら、彼らはホームレス襲撃事件を起こしていたと思います。

人間の歴史をみると残虐な行為を楽しむということは
昔はあったんですよね。
死刑をみなで見に行った時代なんかもあるようですし
戦争になればごく普通の人が残虐なことを平気でやっちゃうわですし。
それとは多少違うかもしれませんが
危ないけどこの少年達だけの異常な行為とは
認識しないほうがいいのかなと思ったりしますが。
昆虫までで終わる人とそれ以上にいっちゃう人と
どこで分かれるんでしょうね。
どこで気が付いてとめればいいのでしょうね。

こんばんわ

”倫理的にはおかしくてもルールが無い以上処分はおかしい”そうですから、今回のルール違反”鳥獣保護法違反”以上の処置はおかしいのでは?(ため息まじりのつぶやき より)

注)私自身は、何らかの対処が必要だと思っていますが

No.5 ぼつでおk(医)さん

子供の前でも平気で信号無視するような親を見て育てば、信号なんか守る道理がありませんね。

>質問者さん

”倫理的にはおかしくてもルールが無い以上処分はおかしい”

ん?私の読んだ範囲のコメには無いような。
「法的な処分を行う為には、法的根拠が必要」は有ったけど。

ただし「倫理的問題として、言論による批判」がOKだからと言って大勢で取り囲んで攻め立てるのは如何なんだ?てことで。

「批判なり罰を与えるにも、倫理や法を遵守」は当然の話でしょ、倫理が不文律なんで扱い難いけれど。

話を戻して、少年らは「器物損壊」有罪で、問題はその後の更正をどうするか?等。

>No.5 ぼつでおk せんせ
「躾」は没に出来ませんねえ、あと「愛」は照れくさいんで「将来」「希望」辺りも。

 少年らによるこの種の事件が起る度に「命の大切さを教える」という常套句が多用されます。どういう形で行うんでしょう。「死の教育」を取り入れる、というところまで踏み込んでいるのでしょうか。

>No.8 質問者さん
>”倫理的にはおかしくてもルールが無い以上処分はおかしい”そうですから、今回のルール違反”鳥獣保護法違反”以上の処置はおかしいのでは?
そうですね。
本件は鳥獣保護法(鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律)違反容疑で送致されていますから、同法と少年法の規定によって適切に処置されるでしょうが、何か問題でも?
ちなみに今後少年達が受けるであろう矯正プログラムについては、ペナルティや制裁の類ではなく、彼らを「今後二度と自分の快楽のために白鳥を殺すような真似をしない=法律を犯さない人間」にするために法律の要請に基づいて行われる教育、つまり社会の義務です。
ダブスタを批判されたかったのかもしれませんが、このネタはちょっと不適切ですね。

躾という字に多くのみなさんの関心がお集まりのようで、なんか書いた甲斐があったようで嬉しいです(笑)。いい字ですもんね。身へんに美のつくり。

ふと思ったんですが、今の子供も虫を嬲り殺したりカエルをパンクさせたりするものなんでしょうか。
しつけとして、「かわいそうだからそんなことしてはいけない」って教えられてるんじゃないかという気がして、だとするとそもそも踏み越えるじゃなくてどこから入るかの問題かな、と。
小さいころに始めたら虫から入るけど、大きくなってから始めたもんでいきなり鳥にいっちゃった、とか、妄想してしまったんですが。
無いかな……

 自分は、3ー5歳の自分の子供に、教えられたり、たしなめられることがありましたね。
 「この星のどこかで、生まれてくる愛はいつまでも続く」ってな、感じ。

おはようございます。

No.12 感熱紙(刑)さんへ
 ダブスタを批判されたかったのかもしれませんが、このネタはちょっと不適切ですね。(ため息まじりのつぶやき より)
 たしかに不適切なのかもしれませんが、実際には”鳥獣保護法”は勝手に狩猟を行ってはならないという法律のはずで、おもしろがって動物を殺してはいけないと言う法律ではないはずです。
 殺す目的が快楽的な目的でも手順さへ踏めば合法的に殺せるわけで、おもしろがって殺すのは駄目というのは倫理の部分ではないでしょうか?
鳥獣保護法の内容を参考にしたページ
http://www.za.ztv.ne.jp/up36uvks/houritu01.html

No.11 きとら様
>「命の大切さを教える」
養老孟司先生は、タイ(だったと思います)の人は飲み物に飛び込んできた虫でも、殺したら元に戻せないから、といってそれらの虫を殺さないと書かれてましたよね、確か。私たちは精巧なロボットは作ることができても、生命を作ることはできない。命の大切さを教えるのということはそういうことなんだ、とも書かれていたと思います。著作が多すぎて(笑)どの御本に書かれていたかは思い出せないのですが(^^;

おはようございます。

どちらかというと、こちらでの処罰の方が納得いきそうですが。
(ただし、野生動物は除外なので、鳥獣保護法しか摘要出来なかったのでしょうけど)
動物の愛護及び管理に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html

 通行人1さん

>私たちは精巧なロボットは作ることができても、生命を作ることはできない。

 そういう話が子供たちの心に伝わればいいのですがねぇ。
 普通の子供たちには伝わるでしょう。普通の子供たちとは自然に動物を可愛がる子供たちを指しています。大部分はそうでしょう。犬猫ペット動物を欲しがって可愛がりますから。
 しかし中には動物を虐待して楽しむ子供がいる。教育が必要なのは彼らですね。しかしこういう病的な心理の持ち主に優しい話が通じるかどうか・・・。
 生きているものはみんな死ぬんだ、お前たちも死ぬんだ、というショック療法的な教育も必要なのではないかと思いますねぇ。今の社会は死というものを排除してますが・・・。

子供って大人を良く観察していると思います。
周りの大人が生き物に対して心の底から優しければ、子供はそうするべきだと学んでいくようです。
大人が、「死ね」とか「あんな奴死んでしまえばいい」「死刑にしてしまえ」と口にしていれば、ちゃんと聞いている。
子供をおもちゃの人形のように取り扱い、挙句の果てに重症を負わせたり、殺してしまう大人は、人や動物・鳥を殺す子供より多いと思います。

大人の社会のゆがみを子供のおかす事件が映し出しているように思えるのです。

躾をちゃんと受けなかった人々が今大人になっているということですよね。モンスターペーシェント、モンスターペアレントを親に持つお子さん方なわけです。

どうやって子供を救えばいいのでしょうね。
親も学校もできないとすると、テレビ、漫画、本になるのかな。

親は子供に命の大切さをおそらく皆説いていると思います
その反面、光市の事件のように、死刑を強く望む大合唱したり
自分の意に添わぬことには、大人も恐ろしく残忍になれたりもしますよね
これが、白鳥じゃなく、蛇だったら、どうだったのでしょう?
法的なことは無知なので教えてもらえたら嬉しいです
ニュースで見た、チューリップを傘でなぎ倒したりしていたスーツ姿の男性の姿と、この少年たちの姿が、私にはダブって見えます
うちも、素晴らしく立派な躾はしていないかもしれませんが、
大好きな人にいつ見られても知られてもいい自分でいようって
暗黙の約束のようになっています
いつくしむ心が欠けているのは、子供だけじゃなく、大人も確実に増えてますよね・・・

そういえば、遠い記憶のかなたに白鳥を殺して食べたやつがいた
という事件があったような・・・・・

トピずれでスミマセン。
カール・オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」に焼き鳥にされた白鳥の嘆きのうた「むかしは湖に住んでいた」ってのがありますね。ちなみに歌詞は中世ドイツの修道僧や学生の書いたものです。

No.21 3児の母様
鋭いご指摘ですね。
確かに蛇だったらこんな形で報道されなかったでしょう。
別スレで、牛や豚の命より鯨の命の方が尊い、というのは少しおかしいように思います、と書きましたが、ハエ・蚊・ゴキブリは迷わず叩いてしまう私も命に優劣をつけています。我ながら恐ろしくなってきました。

えーと、人の命を地球上では一番尊いものとする。これが躾けの公理なのではないでしょうか。

>これが、白鳥じゃなく、蛇だったら、どうだったのでしょう?

祟りが怖いが。

No.24 ぼつでおk(医)さま

>えーと、人の命を地球上では一番尊いものとする。これが躾けの公理なのではないでしょうか。

人の命は尊い。だから白鳥や鯨は殺してもいいというのはやっぱり違うような気もします。
いのちの食べ方という映画を見ましたが、命の尊さは同じだと思うけれど、私も生きて行きたいからあなたたちを殺して食べさせていただきます。ごめんなさい。という気持ちは持っていたほうがいいように思います。

蚊やゴキブリを殺すのも、殺そうという気持ちで立ち向かいますが、殺した後はやっぱり嫌なものです。今度は違うものに生まれ変わってこいよ と思います。

むしり取られる雑草もかわいそうだなあと思います。チューリップなら全国放送されるのに。

子供は大人のやっている矛盾をそのまま純粋な目で見ています。私がやっていることは矛盾だらけです。
良いところだけ見てくれ、まねしてくれ とはなかなかいかず、悪いところは特にまねしてくれます。

No.21 3児の母さん

>白鳥じゃなく、蛇だったら

いわゆる鳥獣保護法の対象が「鳥類又は哺乳類に属する野生動物」、動物の愛護及び管理に関する法律は基本原則としてはすべての動物を対象としているものの、罰則規定は「愛護動物」対象で、爬虫類は人が占有していなければ非対象、ということで希少動物以外の野生のヘビについては特に刑罰による規制はなされていないんではないでしょうか。

昭和天皇のエピソードを思い出しました。
侍従が「雑草は抜きましょうか?」
昭和天皇「雑草という草は無いんだよ。」

>「かわいそうだからそんなことしてはいけない」って教えられてるんじゃないかという気がして、

躾とかを考えたとき、今は昔に比べ「言葉」としては学校や親などから結構言われているんじゃないのかなと、私も思っていました。
私が幼少期(40云年前)からのことを考えると親などから丁寧に躾の言葉を頂戴した記憶があまりなく、特に父親からは言葉より先に手が飛んできたような記憶があります。(かといって、暴力教育を単純に肯定するわけではありませんので)
躾けられた感覚がしっかり実社会に反映できるのかというのが難しいところだと思います。
その為にはショック療法のようなものも必要なのかな?
私が生まれて初めて見た映画が、小林旭さんのたぶん「渡り鳥シリーズ」でした(4歳ころかな?)、いま思えば親はなんでこんなものを保育園児の私に見せたのかと思いますが、これを見て以来、トラウマのように暴力に対して嫌悪感を抱き、子供心にも暴力はいけないことだ、と強く私の心の奥に刻み込まれました。
人には個人差がありますので、わたしのような場合は稀かもしれません(逆に上記の場合、暴力を肯定してしまうこともあるかもしれない、小林旭さんのカッコ良さは印象に残ってますし)

大人である親や先生もそうですが、子供たちも今は「ストレス」が溜まり易い時代になっていることが一番の原因のような気がします。
交通雑多でなく、また色んな面で安心感のあった大昔は、子供は外でストレスを感じる暇も無く、はしゃぎまわり、遊びまくっていたように記憶しています。(私だけかな?)

No.29 Oさま
>その為にはショック療法のようなものも必要なのかな?

昔はよく野良犬に追っかけられて死ぬ思いをしてました。人間以外の動物が、今よりもっと身近だったかもです。大きくて強いものが、小さくて弱いものをいじめちゃだめだって、恐怖の中で覚えていくのですかね。

連投失礼します。

No.29 Oさま
別スレのご返答を見て気づきました。
おっしゃる通り、小さいころに見た映画とかアニメは心にべっとり染み付いたままになっているのかもしれないです。
私の幼いころのアニメは、トリトン、フランダースの犬、母を訪ねて三千里、あらいぐまラスカルと、動物は強い絆で結ばれたお友達といったものが多かったもので、今もそういう感覚をどこかに持っています。
今の子供たちが見るアニメと雰囲気が違うかもしれないですね。

初めてコメントさせていただきます。
いつも大いに勉強させていただいております。

私は子供が生き物を殺す事自体はさほど違和感を感じません。
私もよく蛙に爆竹食わせてみたり、蛇を放り投げてみたりしたものです。
私は26歳ですが、私の年代でも蛙や、昆虫、蛇などの小動物で遊んだことが無い友人などは多いです。
これは親に汚いから触るなだとか言われたりそもそも生き物が少なかったり、家で遊ぶことのほうが多かったりと生き物に触れる機会が少ないためと思います。
もしかしたら、彼らにしてみたら私が蛙に爆竹を食わせていたのと同じ感覚ではないのかな?と思うしだいです。

白鳥はその気になれば人間を殺傷できる危険な鳥です。
海外では、繁殖期に巣に近づいた子供を水中に押さえつけて溺死させたり、雛を捕まえようとした成人男性に襲い掛かり、翼の関節部分で殴りつけて殺害した例があります。
日本にいる白鳥は繁殖期ではないし、餌付けされていて人間に対する警戒心が薄いのですがやはり野生動物。そのうち白鳥に手出しして返り討ちにあう、という事件が起きるかもしれません。

>No.33 かまどねこさん

 そうすると

 少年が白鳥を殺す
   ↓
 白鳥が人間を敵とみなす。
   ↓
 白鳥が人間を殺す。

 という連鎖が起こりうるわけですね。

 そうなると、白鳥に殺された人間は少年によって殺されたと見ることもできることになりますね。
 もちろん、法律論ではありませんが。

モトケン先生、

駅の売店で新聞買ってる白鳥というのも余り見かけませんし、日本人少年による殺鳥事件のニュースが白鳥界を駆け巡る訳ではないと思いますが(^^;
口コミは否定できませんが、彼らの情報ネットワークが、それほど多くの白鳥に知れわたるほど大きいというものでもないでしょう。

死んだ白鳥の子ども辺りは敵討ちを狙ってるかも知れませんが。

どっちかというと

 少年が白鳥を殺す
   ↓
 新聞が大々的に報道
   ↓
 つられて白鳥を殺そうとするバカが増える鴨。
   ↓
 たまたま殺人能力を持った凶白鳥に出くわす不運な奴が出る鴨。
   ↓
 白鳥は抵抗するけど殺せるだろうと信じ、ドジを踏むケースがある鴨。
   ↓
 白鳥が人間を殺す事件が起きる鴨。

てなとこかと思います。

>羽を広げて抵抗する白鳥を殺すのが楽しかった」と供述しているという。
 
 鳥獣保護法がどうこういうのではなく、エントリに、「この少年たちにはかなり危ないところを感じるんですが、考えすぎでしょうか?」とありますように、「白鳥をいたぶって殺す」行為に対しての嫌悪感みたいなものを感じるので、それが報道もされた理由でしょう。

 でも、その嫌悪感がどこから来るのか、というのを考えてみるとなかなか難しいですね、もっとも少年達の行動を肯定する気はないですが。

1.命の大切さ

 昆虫や蛇・蛙だったら、少なくとも「人間にも危害を〜」というような印象はうけにくいですし。
 犬などにしても、別エントリであったように高速道路などで「犬がとびだしてきた」場合と、「人がとびだしてきた」場合では対応が変わりますし、「命の大切さ」といった形でどうこういうのは上の嫌悪感の一部でしかない気がします。
 ただ、ここは感覚としかいいようがないのですが、犬・猫・野鳥などと昆虫などとは差があるように感じますし、前者を「殺す」のは普通はしない、というところに何かの一線がある気はしています。

2.無抵抗(自分より弱いもの)に危害を加えることが「楽しい」という感覚

 「危害」というか攻撃を加えるということであれば、そういう感覚を生き物を殺すという以外の形で感じることはあると思います。
 昇華させた形であれ、スポーツなどで自分より力量が劣るものに対峙して攻撃(字面では「攻撃」ときついですが、野球で相手ピッチャーを打ち込んで何点もあげるとかいうようなものも含みます)するとき、「楽しい」という感覚を味合わないか?とすれば正直そういう要素はあります。

 結局のところ、「中3という年齢」(小学生でもなくそれなりの判断力はある)で、「白鳥という比較的大型の生き物」を「いたぶって殺す」ことに楽しさを見出していた、ということを、「」をトータルで判断した場合に、嫌悪感や違和感を感じているので、どれか個別を抜き出してはいいけないのかもしれません。

子供の頃、散々生き物を虐殺した反動で、現在では子供がアリを踏んでも怒ってしまいます。情操教育上は踏ませといた方がいいんでしょうけどねえ。反面、子供の目の前でウナギやスッポンを捌いたり…「なんでパパはあんなヒドイ事をするの!?」と後日娘が妻に言ったらしい。つまりは「喰う為」ならオーケーなんだよなあ。これが切羽詰った浮浪者が白鳥を殺して喰った、とかなら私的にはそれほど嫌悪感を感じなかったと思います。
ところで白鳥って美味いらしいですねw。まあ大きな鴨だからなあww。

うなぎもすっぽんも鯨も大好きです〜。
そういえば、17Kgのアンコウを釣り上げたときは食いきれんかったなぁ。肝はほとんど女房が食っちまいました。

結局かような少年は、小動物を踏み潰したときのおぞましさ、解剖したときの生体の精緻さ等を感ずる感性が育たなかったのではないでしょうか。なぜ育たなかったのかはよくわかりませんけれど。

>No.37 10年前にドロッポしました。さん
私が通っていた大学では、実家からの仕送りを止められて切羽詰った学生が、大学の池の鯉を獲って食ったという伝説がまことしやかに語り継がれていました(笑)。

結局、愉快犯と言うところが一番許せないのかなぁ、なんて思ったりします。

この少年達が「一度白鳥を食べて見たかった」とでも言い訳しておけば、こんなに非難されなかったでしょうに。
いかな愛らしい動物でも食べる為なら免罪されるのだから。

>No.40 ponさん
こういう形での批難は受けなかったかもしれませんが、愛玩系の生き物を(アンデスの聖餐みたいに切羽詰った状況でもなく)食用に供したとなると、違った形でやっぱり批難されたんじゃないですかねえ。

それに事実関係からすれば食べていないことは明らかですから、無抵抗(自分より弱いもの)に危害を加えることを楽しんだ挙句「猟奇的な」弁解をすることになるので、却ってひどい批難になるような気も。

とか言いつつNo.37 10年前にドロッポしました。さんのコメントを拝見して、ちょっと一度くらい食べてみたいかな、なんて思っちゃいました(苦笑)。鴨より美味いなら、ですが。

楕眠様

上コメントはもちろん事実関係を度外視した嫌味です。
ちなみに楕眠様の「愛玩動物を、切羽つまった状況でなく食用に供するのは非難に値する」という主張では食用捕鯨を正当化できなくなるかもしれませんが大丈夫ですか?

「愛玩動物はいかなる場合においても殺してはならない」
「愛玩動物であっても食用に供する為なら殺してもよい」
この二つの主張はそれぞれ互いに相対化されうるイデオロギーです。
「鯨は愛玩動物ではない」「白鳥は愛玩動物である」も同様です。

どの立場に立つにしても、自らの価値観と齟齬をきたさないように、自分がどこに立つのか、どのイデオロギーを採用するのかを自覚的に、確信的に決定しなければいけないわけですが、皆さん大丈夫ですか?

自分の立ち位置わかってます?

>No.42 ponさん

私は食用捕鯨はどっちでもいいんですが。
別エントリーでGPの手口を批難したんで、商業捕鯨賛成論者、反・反捕鯨主張だと誤認なさっているのでしょうか。
商業捕鯨は、その必要があるならいかなる批難をも跳ね除けてやるべきだし、そうでないなら固執する必要はない、と言う程度にしか思っていません。

私はC.セーガンの影響を受けているので、心情的には後者(商業捕鯨に固執する必要性を見出さない)ですが、直接の利害関係者の言い分を全否定してまで捕鯨に頑強に反対するつもりもありません。またその論理的背景を持ち合わせていません。

ただ、クジラを「愛玩系」と安直に結論することは、私はしません。またそうした立論に説得力を感じることもありません。別の論理立てが必要だと思っています。
食に関わる文化的背景が異なれば、ある文化圏では食用動物であるものが他の文化圏では愛玩動物になる、そういうことは往々にしてありますし。

それと「愛玩動物はいかなる場合においても殺してはならない」などとは、私も含めどなたも仰っていない筈です。
私が、白鳥の例に関してわざわざ愛玩「系」とユルい表現にし、一方で「食べてみたい」と表現したのは「TPOによっては、そういうことはありうる」ということです。
不適切な誇張は正常な議論の妨げにしかなりませんので、ご留意いただきたいと思います。

ついでに

>いかな愛らしい動物でも食べる為なら免罪されるのだから。

こんなこと誰も言ってませんぜ。

高校の修学旅行で北海道に行った際のコースが、昼に羊ヶ丘でかわいい羊と戯れたあとに、晩飯はビール園でジンギスカンでした。そのため、クラスの女子の半分くらいは箸が進まないようでした。

ジンギスカンになる羊は当然食用として飼われているわけですが、観光客相手の羊は同じ種であっても、愛玩用系でもあることになります。かくのごとく、同じ人間が同じ動物を見た場合でも、その時と状況によって見方が変わってくるものです。食用と愛玩用との明確な区別はつけられるとは限らないものだと思います。(概ね区別できるものもありますが)

また、自分が愛玩用だと思っているからといって、他人が食用として扱うことが不当であるとは言えないでしょう。不快に思うという意見を表明するのは自由ですが、法律に違反していたりしない限りは食べるのも自由でしょう。

よって、「食べる必要はないだろう」という意見だけでは「それでも俺は食べたいんだ」という人を止めることはできないと思います。止めさせるためには、絶滅の危険性があるため保護が必要だ、というデータを示して法律や条約で規制する必要があるでしょうね。

あ、でも非難するのは自由だと思いますよ。全く相手にされないかもしれないですけどね。

私の立ち位置としては、愛玩、食用という区別は人間が勝手に付けている物であり、絶対的な区別ではない。自分と価値観が違う人も認める度量はあるべきだ。よって、自分が愛玩動物だと思っているからといって、他人が食用にすることを全面否定することはできない。クジラを食べないのも自由、捕鯨反対を訴えるのも自由。それと同じレベルの自由としてクジラを捕って食べる自由もあってしかるべきだろう(絶滅危惧種以外を適切な範囲内で捕っている範囲内では)。

楕眠様

上コメントは楕眠様個人を揶揄する意図はございません。
もしそう感じられたのでしたら私の文章の至らなさによるものでありこの点謝罪致します。
失礼致しました。


さて、ここから大いなるトピずれに繋がる事を覚悟で一言二言。


「愛玩系動物を、切羽つまった状況でなく食用に供するのは非難に値する」というのは捕鯨問題においてオーストラリアがとっている立場ですね。

即ち、楕眠様の立ち位置に関係なく、楕眠様のコメントはオーストラリアの主張を補強するものであるという指摘でした。
楕眠様の商業捕鯨に対する態度は存じません。

ちなみに、上の主張は東アジアの犬や猫を食す習慣に対する攻撃にも繋がりますが、楕眠様はそうした意図は無いと思います。

私としては、自分の立ち位置、自分の価値観に無自覚にコメントをつけると上のような齟齬が発生するかもですよ、という全員に向けた提言のつもりでした。
繰り返しますが楕眠様個人を揶揄する意図はございません。

因みに私ですが、例えばこの少年達に対しては以下のように非難します。

この社会では白鳥は大多数の人間によって愛玩系動物と認識されています。
白鳥が愛玩系動物だと認識されているこの社会において、このような殺し方をする事は、白鳥を愛玩系動物と認識している人間に対する攻撃行為であり、反社会的な行為です。

かのディルレヴァンガーにも同じ理屈が成立します。

うらぶれ内科様

そうですね。
このエントリ内にで明文でそれを表明した人は居ませんね。

No.40 ponさん、
人間の考えでは生き物を殺す事は悪い事だよなあ?でも喰うの悪い事じゃない。だから、オレは、殺さずに…、殺さずに…、喰ったのさ…ケッケッケ。
…以前北海道で轢死した小鹿を拾って喰った時に言ったんですが誰も判ってくれませんでしたW。
しかし実際に中学生が白鳥喰ったりしたら、単に面白半分で殺した場合より周囲から引かれそう…。つーか精神鑑定モノな気が…。
No.38 うらぶれ内科さん、
17kgってスゴイですねえ。つーかアンコウって…、私釣り歴長いんですけどアンコウを釣った話って初耳です。
No.39 惰眠さん
私の母校(高校)では寮でヤマカガシを飼育し、寮中をパニックに陥れた奴の伝説が語り継がれています。
…いや、オレがやったんですがW。大学時代に母校出身の後輩から聞いて、「それ、オレや」と言った時の気まずさと言ったら…。ちなみに当時は、まだ毒蛇だと認識されてませんでしたから先生に怒られただけですみましたが現在だったらそれこそタイホモノだな…。
>結局、愉快犯と言うところが一番許せないのかなぁ、なんて思ったりします。
ですねえ。ただ、突き詰めて考えると…、私の友人は渋谷のチーマー(古っ)に嬲り殺しにされるくらいならライオンに食い殺される方がマシだ、と言ってましたが私はどっちもイヤですW。私は釣った魚は内臓まで食べ、骨までしゃぶりますが結局は欺瞞、とゆーか自己満足に過ぎない気もします。

捕鯨問題は、日本の文化・伝統・慣習である食用捕鯨が、「賢いから」「可愛いから」食用は残酷な行為だという一方的な西洋発祥の主張により廃止の危機に瀕している。
つまり、他者の文化・伝統を蔑ろ(西洋文化の押し付け)にみえるから反発大きい。

ちなみに白鳥を常食する習慣は日本では聞いたことない。(鶴は聞いたことありますが・・・)

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そいうえばニュージーランドで「轢き殺した猫を焼いて食う」韓国の某自動車会社のCMがありましたね。

No.48 10年前にドロッポしました。さん

あれ?10Kg は余分でした。つりのはなしは話し半分以下でほんとうは7Kg。でも食いでがありました。いやななに、五目釣りをしていたら小あじでも食いつたのに気がつかず、そのまま落とし込んでアンコウが食いついたんでしょうね。したがってそのときのハリスも2号ですよ2号。大して抵抗もせずにずるずるとあがってきました。最後までアンコウとはわかりませんでした。船宿の人につるしぎりしてもらい、後はおうちに持って帰っておいしくいただきました。そして食べた後は、他の生命を食料とせざるを得ない生物の宿命をしっかりと胸に刻み込み、アンコウに合掌。

おおっとコメント打ち込んでいる間に何やら高尚な議論が…、
ところでこの白鳥って所有者誰なんですかね?県?市?多分(とゆーか間違いなく)ヨーロッパ原産のコブハクチョウでしょうけど、これはヨーロッパでは古くから公園等で飼われており、手持ちの鳥類図鑑では「家禽」のカテゴリーに入っています。で、あれば私の考えでは「所有者」であれば、あるいは無主物であれば(そんな筈はないでしょうが)別に殺しても喰っても構わないと思います。なんせ「家畜」、人間の庇護によって生き延びる道を選んだ生き物ですから生殺与奪の権は人間にあり理由のいかんを問わず好きな時に好きなように殺して構わない。私はそう考えてます。だから私はディレルバンガーも「飽きたから」と犬猫を保健所に連れて行く人も非難しません。本来なら欧米のように飼い主自らが安楽死させるべきでしょうけど…。ちなみに欧米では犬猫の安楽死の理由ナンバー1は、「躾が上手くいかない」だそうです。ただし捨てる奴は許しません。他人の迷惑ですし場所によっては貴重な野生動物を圧迫しますから。長女が新生児の時、ベビーベッドに野良猫が侵入していた事があります。もし長女に覆いかぶさっていたら…。駆除のため毒餌(と言っても釣ったクサフグの内臓ですが)をアジの骨と混ぜて仕掛けましたが見事にアジの骨だけ喰われてましたWが、仮に上手く行ったとしても私は罪悪感は感じませんし逮捕されたら最高裁まで徹底的に自分の正当性を主張したと思います。生き物を飼う人は自分の手で持って処分する覚悟を持つべきです。
ちなみに私は、前述のような場合を除いては犬猫を殺すなんてまっぴらですから多分一生哺乳類は飼いません。
ところで白鳥の味ですが、母校の教授のエッセイによると「最高級の地鶏と鴨を併せたような味」だそうです。なんでそんなモノを喰ったかと言うと、釣り針を飲み込んだ白鳥の救命を頼まれたが果たせず、(一応人間の医師なんですが…)ご遺体を貰い受けたのだそうです。その時の苦い経験Wを活かして、次の時は救命出来たそうですWW。救命の仕方も図解されてましたWWW。要は魚が針呑んだ時の針はずし器なんですが…。

…そういやウチの近所には某テーマパークから逃げ出した「野良白鳥」がうろついてます。まあそいつは某テーマパークが所有者なんでしょうけど先日子供連れてたんだよね。このまま繁殖続けた場合子孫はいったい誰のモノなんだろ?つーか生態系に悪影響与えんかなああんなデカイ水鳥が繁殖したら…。

鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律
無所有物(無主物)に関する法
鳥類
ゴイサギ、マガモ、カルガモ、コガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、クロガモ、エゾライチョウ、ウズラ、コジュケイ、ヤマドリ(コシジロヤマドリを除く。)、キジ、コウライキジ、バン、ヤマシギ(アマミヤマシギを除く。)、タシギ、キジバト、ヒヨドリ、ニュウナイスズメ、スズメ、ムクドリ、ミヤマガラス、ハシボソガラス、ハシブトガラス

哺乳類
ノウサギ、タイワンリス、シマリス、クマ、ヒグマ、アライグマ、タヌキ、キツネ、テン(ツシマテンを除く。)、オスイタチ、ミンク、アナグマ、ハクビシン、イノシシ(イノブタを含む。)、シカ、ヌートリア、ノイヌ、ノネコ

以外の動物は狩猟禁止と成ります。 上記には 狩猟免許取得が必要です、猟区に限ります。 原則的は捕獲及び飼う事も禁止に成ります(例外は有ります 怪我した物を保護して、飼う場合は、都道府県に申請が必要です。)。

 狸が、床下を荒らすから、勝手にとっかまえて、タヌキ汁にしては、ダメですよ。 カラスも勝手に駆除するのは、だめですよ(うまいんだろうか?。)。

 ノイヌは、狂犬病予防法が有りますが。

動物の愛護及び管理に関する法律
所有物に関する法
「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと 及 びあひる
二  前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの

法的には、ハクチョウは、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律 の適用の狩猟対象で、ございませんので、捕獲及び飼う事も禁止、殺害はもってのほか。

有害鳥獣駆除申請 なんて、子供に説明しにくいのも御座いますが。 カワウ、シカ、サルなど。

人間は、昔から凶暴なもので、こんなルールが必要と言うことで。

  法曹の方様、間違っておりました、修正お願いいたします。

  実験動物も安楽死させよとなっておりまする。
 流石に、チンパンジーは、いやです。 勝手な言い分ですが。

  残酷な行為は、時間を要して死亡させる事。EU規格?。

 海老を湯がくにも、水からではなく、熱湯からですし。  生け作りはクレームでそうですが(美味しく感じるから、罪悪感が)。

 白鳥はうまいのか。う〜ん。  アルゼンチン某南極基地の方が、ペンギンもうまそうに見える時がある。との事。 脂肪多そう。、でもうまいかも知れない。 ペンギンは取っていけませんでした。 南極条約。


 西園寺公一公曰く「死の恐怖のみが可能たらしめる動物の本能的行動を愉しむる」と、私にとって耳の痛い言葉が御座います、魚釣り好きなもので。

omizo様

>カラスも勝手に駆除するのは、だめですよ(うまいんだろうか?。)。

以前石原都知事がカラスパイ作って東京名物にするって言ったときは引きました(笑)
ちなみに東京の烏は何食ってるかわからないため有害物質を多く含む可能性があるそうです。
普通にやばそうです(笑)

流れ全く関係ありませんが
以前父が私に軍鶏の解体をやらせたことがあります。
食いつなぐということがどういうことか、親父殿なりに私に教えたかったのだと認識しています。
そのころは捕らえるとこからかなり必死でしたが(笑)
子供は無邪気な残酷性を持っていますよね。
悪意の無いというと変ですが遊戯としての残酷性…
大人の狩猟にも当てはまるのでしょうか??

Foxhound 様

カラスの人間由来の蓄積物質は、存じ上げませんが。ウミウの人間由来の蓄積物質のデーターは、見たことがございます。 確か肝臓への蓄積が多かったようですが、ある程度は、排泄されて行くようです。 詳細は自粛いたします。 

 狩猟は一応、狩猟具の範囲の使用が決められておりますので。 勝手な言い分と言えばそうですが。 ルールは設けては下ります。

  過去には、エゾジカに使うライフルの鉛弾が、エゾジカに残って(エゾジカを回収出来なかった事に問題も有ったのでしょ)、それを猛禽類がライフル弾ごと食べて、鉛中毒で死亡の報告や鉛散弾の玉が、鳥類の砂袋・砂嚢に蓄積し鉛中毒で死亡というのが有りましたが、現在は、鉄製、ビスマス(こちらは、新たな毒性の指摘もございますが)の弾丸に変更されてますので。 猟友会も猟の対象に、必要以上の危害を及ぼしたく無いとの意見が有りますし。 鉛中毒の鳥食べるのも嫌ですし。 

 人間から見た残忍性、絶滅まで行う事?。
命を奪うまでの時間を要して行う事?。
個々の方によって違いますよね。 難しいですね。

 命を奪われる方から見れば、命を奪う、傷つける行為自体が残忍性と言われそうですが。

 人間間の行為は、含まない範囲で、発言しております。 

う〜ん。

食べるために殺さなければいけない業を感じる人には
「殺してしまったんなら食べてあげなければいけない」
という発想をする人がいるのは理解できます。

少年には殺した白鳥を責任もって食べて欲しかったな。

有害物質
マグロの水銀なり
烏賊肝のカドミュウムなり
食品でもそればかり食っていると危ないレベルの
ものになってますしね

たぬきはきっと美味くないです

話を脱線させて恐縮なのですが、白鳥をお召し上がりになった先生のエピソードを拝見して、以前に読んだ、戦時中に象の肉が振舞われた話を思い出しました。ネタ元が筒井康隆なので真贋の判定は俄かにつけがたいところですが(笑)、「私説博物誌」で暴露していました。

親父さんが園長を勤める動物園で象が病死し、それを解体して関係者だかご近所だかに、何せとにかく分量はありますから、お裾分けしまくった由。その後、象肉に寄生虫がいることが新聞か何かで報じられて、それを見たご近所さんが「この前いただいたアレ、鼻の長い肉とちゃいますやろか?」と恐る恐る聞きに来たとか。

筒井によれば、このエピソードを題材にしたのが1947年の「象を食った連中」と言うコメディー映画だということです。まあ、話半分にしろ、そういう感じの事実はあったんだろうなぁ。

惰眠 様

象は美味しいのでしょうかね?(笑)

話はぜんぜん違いますが、私仕事で中国へ行った際に、知人の経営するレストランで食事を出されたことがありまして、赤身の焼肉みたいなのを出されたんですよ。
特に何の肉か全く気にせず食べたのですが知人が『美味しいでしょ?ワンちゃん』といわれ箸が進まなくなりました(笑)
私も犬を飼っているのですが、かなりショックでしたよ…

白鳥を食するときは鳥インフルエンザに注意。くれぐれも白鳥が死んでいたからといって食ってしまわないように。その前に触らぬように。

私は田舎育ちで、幼少の時、川へ友達と遊びに行って、ザリガニを捕まえては、小石で竈もどきを作り、焼いて食べていました^^;
親戚の結婚式で食べた極上のロブスターの味がして、子供心にこんな美味しいものかと感激した記憶があります
ただ、今回の事件は、食す食さないではなく、動物の保護法とかでもなく、抵抗するのが楽しくて撲殺を数匹もしたということに、やはり問題があるのではないでしょうか
私自身も、そして今現在私の子供達も、ずっと3世代同居の家族構成の元に生活しています
じいちゃんが病気でどんどん弱ってきて、数年前に他界しましたが、
年を取るということ、死ということを目の当たりにして、子供達は、ずいぶん学ぶことが多かったようです
お年寄りをいたわる、思いやる、敬うというのは、やはり頭の中ではわかっていても、実生活で日々重ねてきたもののほうが、確実に身についてくるような気がします
強いものに立ち向かっていく勇気がないから、弱いものをいたぶる卑怯さは、昔から多少はあったとは思いますが、今より少なかった気が…
振り込め詐欺みたいな弱者を標的にする大人がいる限り、これからもこういった心が痛む事件は増える一方のような気がしました

No.48 10年前にドロッポしました。さまの、轢いた鹿を食べた話し、
No.38 うらぶれ内科さまの、「解剖したときの生体の精緻さ等を感ずる感性」というお言葉でおもいだしたのが、2,3年ぐらい前の、「うさぎ狩り」です。
宮崎大学の医学部生が轢いたのうさぎを解剖して、それをネットに載せて大顰蹙をかった事件です。
ネット上では実名も出てきて、退学にさせろやらなんやらと大騒ぎでした。

このウサギ狩りの場合は面白半分に殺したわけではないですが(轢いたのは偶然だったと思います)、面白半分にネットに流したのが良くなかった。

何を殺したか、何を解剖したか、ではなくて、その行為の動機が顰蹙を呼ぶのでしょうね。

面白半分というのがよくない。
白鳥も面白半分で殺したからよくない。

しかし、狩猟とか釣りとか娯楽でやっている人はたくさんいる。

殺すのが楽しいという気持ちは否定しないが、その場合は、ルールを守れ ということでしょうか。

白鳥を殺した子供はルールに反したことを行なったので批判された。

ニュースを聞いた時の第一印象は、「倫理に反する」でしたが、色々考えると、ルールに反するだけ という結論になりました。
魚を捕っちゃいけないところで魚を捕るのと同じですが、ニュースとして視聴率をかせげるのは、魚ではなく、白鳥 てことですね。


No.56正誤訂正です。

象肉の話が出ていた筒井康隆の本は『私説博物誌』ではなく、エッセイ集の『狂気の沙汰も金次第』でした。しかも当時筒井父は宝塚動物園の園長ではなく技官・・・技術者・・・技師?とにかく「技」の時で始まる役職で、筒井父自身もおすそ分けに預かった口だとのこと。それを親類縁者などに再分配したようです。

ビフテキならぬ「エレテキ」事件と呼ばれたそうですが、肉から見つかったのは寄生虫ではなく病原菌だった由。
昨晩、久しぶりに文庫本をパラパラめくっていて記憶違いが判明しました。でも、肝心の風味についての記述はなかったなぁ。筒井嘉隆氏がたいそう悪食(石亀や松毛虫なんかも食べたらしい)だということは書かれていましたが。

 この事件の「何が」問題なのか、ということを考えていくとよく分からなくなります。

>何を殺したか、何を解剖したか、ではなくて、その行為の動機が顰蹙を呼ぶのでしょうね。
>面白半分というのがよくない。
>白鳥も面白半分で殺したからよくない。

 それも一つでしょう。
 でも、昆虫や蛙や蛇を面白半分で殺したとしたらそこまで顰蹙を呼ぶのでしょうか?「何を」も一つの要因でしょう。

>しかし、狩猟とか釣りとか娯楽でやっている人はたくさんいる。
>殺すのが楽しいという気持ちは否定しないが、その場合は、ルールを守れ ということでしょうか。
>白鳥を殺した子供はルールに反したことを行なったので批判された。

 飼っている鶏を撲殺した場合、どうなんでしょう?

 なかなか一筋縄とはいかないですし、どれか一つだけということでもないように思います。

No.62 北風さん
 >でも、昆虫や蛙や蛇を面白半分で殺したとしたらそこまで顰蹙を呼ぶのでしょうか?「何を」も一つの要因でしょう。

 たしかにそれもありますね。子供が虫や蛙、蛇あたりを面白半分に傷つけたり殺したりしているのを見た場合は、たしなめるか軽く叱るぐらいか、他人の子だったら眉をひそめるだけで済ましてしまうかもしれません。しかし、鳥や動物(ほ乳類)が対象だった場合は、かなり激しく叱り、ひっぱたいてでも止めさせるかもしれません。それが他人の子であっても。これは無意識のうちに命の重さに差をつけているのでしょう。

 私の感覚では、狩猟や釣りに関しては、食料を取るのが目的で狩猟の対象は食料であるという意識であれば、途中の楽しみについても免罪してしまえるような気がします。ブラックバス等を純粋なスポーツとして釣る事に対しては、後でリリースしたとしても私が何か違和感を感じてしまうのはその辺に理由があるのかもしれません。捕鯨問題についても、クジラ食料として見ることができる人とできない人では意識の差はかなり大きいかもしれません。私自身も、筒井康隆のゾウを食べた話を聞いて、やはり違和感を感じていますし。

>飼っている鶏を撲殺した場合、どうなんでしょう?

 自分の家で飼っている鶏の場合は、おもしろ半分だとやはり怒ると思います。でも、食べるために絞めるのは問題無いと感じるかも。食べるために絞める過程を楽しんでいたとしたら…う〜んどうだろう。楽しんでいることについてはたしなめるべきか。

虐める対象にし難いというのは、白鳥の位置づけが違うからなのでは

私自身が白鳥を、食料、家畜やペットでなく「犯すべからざる自然や生命の象徴」といった類の先入観や思い込みを払拭できないのです。

先入観が悪いのでは無く、必要な感覚の一部と思うのですが、それはさておき。
一部の事件関係者や朝日の記者も、そのようなイメージを抱いていたのだろうと思います。

 「鳥獣保護法違反」ではあるのでしょうが、この事件について感じるところの核心は「法に違反したこと」じゃないと思います。

 彼らのしたことに「危うさ」を感じますが、私について言えば、それは
・法に反したからではない
・ルールに反したからではない(ルールは明確でなければならないが、明確なルールを規定できない)
・善悪でもない
・弱いものをいたぶったことだけでもない
・白鳥であるからだけでもない

 じゃあ、なんだ、ということなんですが、もう「気持ち悪い」「通常ではない」としかいいようがない。
 仮に、子供に「なんでこういうことをしてはいけないの?」と問われたら、「普通はしない気持ち悪いことなので、こういうことはしてはいけない」と答えるかと。

 普通はしない、に補足すると、感覚的な言い方ですが、このケース、「これはダメ」で規定できるエリア内でなく、「これはOK」のエリア外にある部分に属すると考えた方がいいのかな、と。

 

人が無残に次々に殺されていく様や痛めつけられていく様がメインのスプラッター・グロ系の映画は一定の需要がありますね。
(私はどうしても見る気が起こりませんが)

食べる事に関してはある意味痛めつけられてる(食材側からすれば)伊勢海老の活き作りの映像などは平気で見ることが出来ます。
加えて、実際ピョンピョン跳ねる車海老の頭をもぎ取ったりもしてます。
(親類が偶に山口から送ってくれる)

ユーチューブで子犬を投げた米兵の映像が問題になりましたが、あれがサソリだったらあれ程の騒ぎにはならなかっただろうと思います。
(元々投稿さえされないでしょう)
ペットと食材は私の中では別もので、ミニ豚をペットに飼っている人でも豚肉を食べる人は結構居ますので私と同様なのだと思います。

人は個々の頭の中で、その動物の種類だけでなく、シチュエーションで自分なりの線引きを自然としているのでしょう。

当エントリーに関してコメントすれば、少年は「白鳥が抵抗する様を見るのが楽しかった」のでしょうから、確かに危ないものを感じます。
カエルに爆竹(私と同年代の男性なら子どもの頃一度は経験があるでしょう)とは微妙に違うかと。
カエル→探究心を満たす
白鳥→快楽を満たす
(カエル、白鳥は当エントリーのコメントにおいての事例)

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