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 「ため息まじりのつぶやき」の続編です。

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コメント(262)

学問の自由の問題に深く入りすぎてしまい、トピずれになっているような気がしており、少々反省しています。

自分自身の足下を切り崩していることに気がつかない短絡思考がなぜ広まっているのか、というのが、このエントリーの趣旨だと思いますので、本題に戻します。

短絡思考は昔から蔓延していたけど、それが顕在化して、社会での一定の影響力を持つようになってきたというのが実際のところではないでしょうか。

やはり2ちゃんねるなどのきちんと管理されておらず、何でも書きたい放題の匿名性の高い掲示板の存在というのが拍車を掛けていると感じています。

前にネット右翼のことを少し書いて、トピずれかと思ってやめたのですが、よく考えると関連が深いと思ったので、もう少し触れることにします。ネット右翼の定義が何か、という問題はありますが、全体的な傾向という視点で、書いてみます。

ネット右翼が、なぜ、本家本元の右翼から軽蔑されているか。それは本来の右翼は、場合によっては、逮捕されることも覚悟の上で、政治活動を行っているからでしょう(もちろん、ここで言う「本来の右翼」は「エセ右翼」を除外しています。「エセ右翼」も逮捕される覚悟がある場合もあるでしょうが、活動の対象が実際には政治活動ではなく、経済的利益ですので)。
それだけの覚悟があるから、思想も相当に深化させています。基本的人権についても、自分たちが逮捕され、それによって守られることがあることを理解した上で、批判すべきは批判しているのだと思います。

しかしネット右翼は、常に自分が傷つかない匿名性の高い場所にいるため、思想の深化はあまりありません(なお、匿名で書き込んでいるお前はどうなんだ、という点はパスしてくださいね)。本来の右翼の思想を借りる形で、いっぱしの政治思想家になったつもりで、叩く対象を探し出して叩くことにより、自らの攻撃本能を満足させることが主眼だと思います。

この攻撃が、2ちゃんねるなどの掲示板だけに留まっているのであれば、問題は少ないのですが、そのような社会的影響力の少ない方法ではだんだん満足が得られなくなってきます。そこで、集団心理によって、対外的に実力を行使するようになると弊害が大きくなります。でも、この対外的な実力行使も、やはり自らが傷つかない立場で行っているのが現状だと思います。

電凸がその代表的手法です。これをやられると、相手方は、業務麻痺に陥ってしまい、被害は甚大です。

右翼と左翼の伝統的な理解では、右翼は感覚的で、左翼は理論的な傾向があると言われています。左翼的思想、例えばマルクス経済をきちんと理解するには相当のインテリジェンスが必要で、ハードルが高いです(だからといって、マルクスがいいと言っているわけではありません。念のため。私もきちんと理解しているわけではありません)。本来の右翼も上記のように、思想的に深化はあるのですが、出発点は、理屈抜きの伝統尊重傾向、復古傾向です。これがネット右翼層には親和性があるのでしょう。
ネット右翼にとっては、実は右翼的思想でも、左翼的思想でも、本当はどっちでもいい。思想の中身は、実は彼らにとって、大して重要な問題ではないような気がします。

2ちゃんねるなどの掲示板の問題を規制することは難しいですし、やると弊害も大きいので、私は規制はやるべきではないと思いますが、電凸などに対しては、きちんとシステムや法律による規制を掛けていかないと、混乱はますます酷くなると思います。具体的にどうやるのかは思いつかないですけど。

なお、ここで述べたことについて、右翼、左翼、どちらがいいのかという価値判断は別です。私は自分のことを、右翼的なところも(例えば国防についての考え)、左翼的なところも、混在した人間だと思っています。

 短絡的思考というよりも、ただの「奴隷根性」なんですよ。実に見苦しい。
 瀬尾氏の処分を要求して電凸することを正当化する言論からは、『民間だったら許されないが、大学なら「学問の自由」のもとに許されるなどという、大学が特権階級であるのはけしからん』という妬み・嫉み・ルサンチマンしか見出せません。
 つまり、「自分達には自由がない(と思う)から、他人の自由も気に入らない、足をひっぱって潰してやろう」、ただこれだけ。

 本当は、民間だろうが自営業だろうが、大学の学外でも個人の発言はもっと自由でいいんですよ。
 普通にプライベートな付き合いの場でも、名乗った後何処に勤めているかといったことを言うことだって当たり前に行われている。さらに、その場で勤務先を明らかにしたからといって、発言や行動が全部勤務先の意思によるものだとされることなんか有り得ないわけです。

 仮に、電凸したりそれを正当化するような人達が、それぞれの職場で発言の自由が無いとしても、それは瀬尾氏のせいでもないし、青山学院大学のせいでもないし山口弁護士のせいでもないし、町村先生のせいでもない。その人達の職場の上司か社長のせいです。瀬尾氏を処分すべきだなどと大声を上げて自己満足に浸ったって、後でよりいっそう自分の首を絞めるだけです。戦うべき相手は、それぞれの職場の直属の上司なり管理職なんです。
 発言で処分されることが状態化してみんなが口をつぐむ社会を本当に望んでいるのなら止めませんが、そこまでの覚悟無しに、薄っぺらい倫理観を振り回すのなら止めてもらいたいです。自分は奴隷なので、奴隷でないヤツが存在するのは気にくわないから、奴隷と同じ環境になるように圧力をかけよう、などという人には与したくありませんしね。

 相手を間違えてケンカを売ったって何も改善しません。電凸してる人達の本当の相手は、あなたたちの職場の直属の上司なり人事部なり社長なりです。

>>すちゅわーです様

極当たり前に人の心には右翼的思考、左翼的思考が混在していると

私もおもいます。

マスコミ報道などによって多くの人々(特にその分野に疎い方々)が

一気に右翼的思考に傾向していくこともよくあると思いますし

ただ素人考えですと准教授の発言は

「学問の自由」

では擁護?するのは厳しいかと

あまりにも准教授の専門分野とかけ離れていますし普段研究している

とは思えません

でも

「表現の自由」

としてなら認めざるおえないと・・・

ちなみに匿名で大学に抗議や処分を求める方々も卑怯だと思います

お二人の意見が出ましたが、どちらにも共通する疑問が有ります。

非難対象の実態が全く解りません?

ちなみに
「ネット右翼」はもともと、左翼の詭弁や傲慢に対する反対意見を、敵と見做した朝日が「不平不満を抱えるニート」としたレッテル貼りですし。
「ルサンチマン」が流行り言葉になっていますが、コメントからは実在する人物像の様子は全く見えません。

「対象の不明確な批判の表明」では、議論がすれ違うだけでしょう。

>>No.3 ゴクウさん

>ただ素人考えですと准教授の発言は
「学問の自由」
では擁護?するのは厳しいかと

んんん、何度言っても理解していただけなくて悲しくなるのですが、私は別に瀬尾氏を擁護しようとしているわけじゃないですよ。

学問の自由の問題をまずは考えなければならないと言っているだけで、その結果として、保護されるべきと主張しているわけじゃないですから。

学問の自由というのは、思想良心の自由及び表現の自由の特別法の関係にあるので、大学人の場合には、まず、この学問の自由を検討して、それで保護されなければ、次に一般の表現の自由の問題の検討に移るわけです。

それに内部的な懲戒を加えるよう、外部から圧力を加えることは、大学の自治の問題にもろに抵触してくることになります。

でも、このエントリーで延々と学問の自由の解釈の問題を議論しても仕方がないですよね。

大学も私企業も組織として全く同じという暴論につい過剰反応して、書きすぎてしまいました。

>ちなみに匿名で大学に抗議や処分を求める方々も卑怯だと思います

瀬尾氏個人に対する多少の抗議であるのなら、理解できるのですが、大学への電凸などをやる人は、どうにかならないもんでしょうかね。全く浅はかな考えで、相手に対する嫌がらせのようなことをやって、社会的害悪と言えると思います。それで自分の中では正義漢ぶっているわけですから、救いようがありません。

>>No.4 MultiSyncさん

ネット右翼の実態を知るには、別冊宝島の「ネット右翼ってどんなやつ」という本が読みやすくて面白い本としてお勧めです。軽〜く読めますけど、結構理解が深まります。

http://tkj.jp/book/book_12142301.html

>非難対象の実態が全く解りません?

え〜と、具体的にその対象が解らないから始末が悪いのかと。
(電凸してる人達・何でも書きたい放題の匿名性の高い掲示板へ書き込む人達の中の大雑把な枠組みの人達?)

>No.3 ゴクウさん

 すちゅわーですさんが悲しんでいるところが私のコメントで書いたため息の出る所以なんですけど。。。

批判といいますか私個人の意見は

准教授発言は所謂チャネラー発言となんら変わりない程度だと思います。

チャネラーの無責任発言が処罰の対象となりえないように

つまり「表現の自由」としてならやむを得ない

しかし「学問の自由」となると納得できません

准教授の処分とか大学の責任とかにはあまり興味がわきません

>>No.9 ゴクウさん

>つまり「表現の自由」としてならやむを得ない
しかし「学問の自由」となると納得できません

こう言ったらご理解いただけるでしょうか。

「学問の自由で保護されることが納得できない」、と言われるのなら、私も納得です。

でも、「学問の自由で保護される対象になるか、検討することすら納得できない」、と言われるのなら、私には異論があります。

ため息の処に追討ちみたいで、気が引けますが。

学問の自由の問題をまずは考えなければならない

と、当たり前に(注*鯨肉とは関係有りません)考えるのは、おそらく法曹界と大学の関係者だけ、なのでは。

というのは、前のエントリーで、モトケンさん、すちゅわーですさんからも出ましたが、「学問の自由」「人権」は手垢が付きすぎどころか覆われてしまい「全く有り難味に欠ける」
と言うのが、私の体験に限りますけど、当事者以外の感覚(だろう)と思う訳です。

すると当然ながら、その人はややこしい理屈を捏ねるより目前のけしからんやつを懲らしめる、と言う行動に出ます。

ところが本人が言を左右し・・・不満の行き先は関係組織へ。

それが所謂「チクリ」程度ならそれを非難はできないでしょうし。
それ以上だと、弁護士への不満を弁護士会に出すのと似て居ますが、被告への不満を弁護士にぶつけるよりはましかと。

あ!すちゅわーですさん 本の紹介有難うございました。
面白そうです。

Multisyncさん

まずは学問の自由の問題だと考えるのは法曹と大学関係者だけ、このお言葉、全くその通りなんです。
そこが私の嘆きであり、モトケン先生も同じだと思うのです。

何の為に学問の自由が基本的人権として国民に対して保障されたのか、宝物として大事にしていかないといけないのに。

法教育の必要性を私が訴える所以です。

流れ読まず書きますが・・・今回大学へ批判出した人が多いことの原因の一側面として一考。

私の会社の就業規則には、「会社又は他人に対し中傷誹謗を行い信用を失墜させ又は名誉を毀損した者」を懲戒に処すると書かれています。他の会社でも同様の記述があると思えます。

そして、今回の件が会社員で会社の属性を明らかにしている場合、当該会社は懲戒に「該当するかもしれない」と考えています。
→そもそも今回の事例では懲戒にあたらないかもしれない。但し雇用者としてこの圧迫感は常に持っている。最低でも人事考課に影響を与えるでしょう。

このような圧迫感あるなか、自由に書き綴る人への不満、妬み等が根底にあり過剰反応しているような気がします。
※会社員も会社に関係なく、安全に名前、属性を明かせることができたら良いでのすが・・・現状ではとても危険ですね。

No.6で「すちゅわーです」さんご推奨の本私も呼んでます。
今手元に無いですが、私の印象としては
傍からネット右翼と揶揄される人の大多数は、自覚症状がないのが特徴」 でしたね。

右翼と左翼の伝統的な理解では、右翼は感覚的で、左翼は理論的な傾向があると言われています。

感情的な反応が右翼的に多く見える理由はこれが根本でしょうね。
大多数が世間にある様々な事項を理論的に考えられるはずないですし、どうしても感情が先立ちますからね。

なので世論(国民意見の多数派)というと本来この傾向になるのが当り前と思います。
じゃあ何で最近になって言われ始めたというと、ネットによって個々の意見を表明可能な道具が整ったからでしょうね。
今まで見えなかったのはその道具が無かったためで、実は昔からネット右翼と揶揄されるような意見が潜在的に多かったんじゃないかと個人的には思ってます。
(健在化したのが最近というだけ。またはマスコミの情報操作で洗脳されていた?)

校則は一流校ほど厳しくなく、三流高になるほど厳しくなっていくそうですね。生徒が問題を起こせば起こすほど、それに対して規則を厳しくして対処する。

学問の自由、表現の自由といって、周囲で起こった事象に対して脊髄反射的に反応しブログを書いていれば、いつかそれが跳ね返ってきて、肝腎の学問の自由とかの基本的人権が抑圧されていく。


ブログを書いた人は大学教官なのだから、その程度のことは弁えるべきというのは無理な注文であろうか。残念なことだ。

さて「学問の自由」ですが、今回の件でいうと「社会人としての常識欠いても人類の発展のため学問・研究は別の次元で保護されるべき話」であり、「処分を大学に求める行為」や「大学が深い議論した形跡なく処分実行の宣言」等がそれに抵触しえる可能性を考慮すべきという話しと考えていましたが、違いますか?

⇒過去にその当時、非常識人、変人、奇人扱いされてきた偉大なる科学者は多い。
⇒ただ正直、瀬尾氏がそれに当たるか私は疑問です。が、将来的に認められる可能性はありえる。

私個人の考えは、「処分」は行き過ぎでしょう。大学は、迷惑かけないよう「配慮をお願いする」または「注意する」するくらいが妥当だったと考えます。
世間に向けては「大学の見解として教職者として不適切な表現あることは認められる」「しかし個人のブログでの発言であり表現の自由から処分は行わない」「但し教職者として相応しい発言を心がけるよう本人には厳重注意する」なんて事を発表したらよかったのにと考えています。

※ちなみに私には批判うけているブログ内の文章を読んでも学問的価値は感じられませんでした。

短絡思考とか奴隷根性とか、『電凸している』という事実のみでなぜそこまで他人を分析というか、貶める発言ができるのか不思議です。

右翼と左翼の伝統的な理解では、右翼は感覚的で、左翼は理論的な傾向があると言われています。
ずいぶん短絡思考ですな。

>>No.2 apjさん
>>No.14 カツビンさん

の自分の職場の不自由さのはけ口が大学への電凸につながっているというご指摘、鋭いと思います。いい視点を与えていただきありがとうございました。会社員の人と自営業の人では、この問題の受け止め方が異なるかもしれませんね。

品性下劣の文章を書いて人の心を傷つけているのに、なぜ、大学人だけ、学問の自由という保護が手厚く与えられるのか、その不満を抱く心情は確かにあるでしょうね。

だから、学問の自由の保護を受けるか否か、その検討をすることすら、拒否的な心情になってしまうんでしょう。結果として守られるか、ということより先に、守られる可能性があることすら、受け入れがたいんですね。自分たちはそんな保護なんて受けないのに不公平だと。

私もモトケン先生と同じように、「人権」という言葉を使うことに抵抗があるのですが、人権というのは、それによって当該人が守られることが一見不合理ではあっても、長い目で見れば、結局は国民全体の利益に繋がるものであり、それは長い歴史を経た上で人類が得てきた英知の結晶なわけです。

だけども、この歴史的経緯を踏まえなければ、やはり不合理に見えてしまう。だから、国民一人一人が人権のことを意識的にしっかり勉強していかないと、基本的人権の規定は守ることが出来ないのだと思います。出来れば幼い頃からのきちんとした教育が充実することを望みます。

>>No.17 カツビンさん

>さて「学問の自由」ですが、今回の件でいうと「社会人としての常識欠いても人類の発展のため学問・研究は別の次元で保護されるべき話」であり、「処分を大学に求める行為」や「大学が深い議論した形跡なく処分実行の宣言」等がそれに抵触しえる可能性を考慮すべきという話しと考えていましたが、違いますか?

その通りだと思います。

>※ちなみに私には批判うけているブログ内の文章を読んでも学問的価値は感じられませんでした

これは私も印象としては同じですよ。ただ、学問の自由の保護があるか否かという厳格な判断の場においては、専門外の私としては今のところ「わからない」というしかないんですけどね。弁護士の名を名乗っていますから、迂闊なことも言えませんし。
でも、そこのところがご理解いただけず、私が准教授を擁護しているように見えてしまうんでしょうね。

「場外乱闘」でぐら虫さんが、精神科医のなだいなだ先生の言説を紹介されています。

なだ先生の造語である「ケシカラニズム」という感情的・感覚的な正義と、理性的な正義、ファシズムとの関係について、大変参考になるものだと思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1207834968/429

コレを確認しないと、話が進まないので。

すちゅわーですさんは電凸を否定はしていないよね?

「その前に考えろ」は確実に読み取れますが(だから否定された気にはなる)ニュアンスが今一はっきりしない。

(1)発言そのものが学問の自由以前の放言だから、批判されても仕方ない。批判の仕方は問題ではない。

(2)批判の仕方が問題である。発言も悪いかも知れないが、それよりももっと重要な問題である。

という2つの考え方があるとして、発言の度合、批判の度合の如何によってどちらにもそれなりの理があるように思われます。

大学に電凸が殺到したせいで准教授が処分を受ける、とまでいくと、ちょっと度が過ぎるんじゃないかと(2)に傾きます。しかしブログの内容を見ると、こんなアホどうなろうと俺はどうでもいい、という気になり、(2)を積極的に支持する気も失せます。この件に限らず一般化すれば、また話も変わってくるんですけど。

これが匿名Blogであれば、考えなしのおばはんがバカなこと書いとる、と思われて、せいぜいコメント欄が炎上するだけの話だったと思います。疑問に思うのは、なぜこのような内容を書く手段として大学名まで明らかにした実名Blogを選んだのか、ということです。なんというか、便所の落書きにわざわざ署名を残していくような行為ではないか、と感じます。以前に他のエントリで実名Blogについての話題が出たことがありますが、ビジネス目的であるなら実名Blogは有効であるという意見に対し、実名を出すリスクについてのご意見を頂きました。今回の件は、リスク管理を行っていない実名Blogの典型的な例と言えるかも知れません。

実は、このような書き込みを見たときにネット右翼がどのような行動を取るのかを調べる壮大な社会実験だったりするのなら、実名Blogを使用する意義があるのかも?

>>No.21 MultiSyncさん

>すちゅわーですさんは電凸を否定はしていないよね?

絶対にやってはいけないと思っているわけではありません。

でも、集団心理で組織的・集中的にやることは電話を受けた側の著しい迷惑というか業務妨害になります。だから、そのような電凸はやってはいけないと思います(他人と意思の連絡なく、電話を架けたら、結果として、電話が集中した場合にはやむを得ないと思いますが)。

電話でクレームなりをやってもいいと思っているのは、それによって相手に与える迷惑と、自分が電話をかけることによる社会的利益をよく考慮して、電話を掛けることがその社会的利益を実現するためにはやむを得ない場合に限定して欲しいです。もちろん、そのクレームが、「客観的」正当性を持っていることを、きちんと検証した上でやるべきだと思っています。

>No.18 ブギーマンさん

このコメント私宛か分かりませんが、一応返信しておきます。

ちなみに私は周りから右系と言われてますし、感情的にモノを考えるほうが多いです。(後から振り返れば)
なので自分だけみれば「右翼は感覚的」というのも個人的には納得できるものです。
(他のちゃんとした人から見ると失礼かもしれませんが)
⇒どっかでそのような記述もみたことありますしね。

分析についても「自分の感情がそうだから」自らに対して行ってます。
※今回の件で他で批判、抗議、電凸は行ってません(念のため)

但し、感情的な意見も実は真理である事がありえると思ってます。

--------------
瀬尾氏の該当ブログ内容は、とても不快感あります。瀬尾氏に批判の存在、抗議行為も解ります。
⇒ただ研究室のメンバーをあばいたり、やってることが単純に面白がっていない?というのが多いですね〜。

そして該当ブログには学問的価値は皆無と思ってます。
・個人のブログである
・学問的な発信であれば「個人の感情表現」は抑えて書くべきであり、学問的文章として体を成してない(学問としての文章に最初から読むに値しない)

今回は「学問の自由(保護)」VS「社会人としての常識」で内容的に結果「社会人としての常識」が勝っていると思うので、最終的には「大学から注意をうける」のは当然と考えています。

ただ法を犯している明確な事実もないので、「学問の自由(保護)」から公的懲戒はするべきではないと感じてます。
また理性として「学問の自由」そして「人の職を奪う可能性」を考慮してから大学に抗議するか判断するべきだと感じてます。
そこまで考慮しているんならば、私は支持しませんが批判もしないことになります。

>No.19 すちゅわーですさん

私自身は「すちゅわーですさん」が瀬尾氏を擁護しているようには見えませんでした。
⇒立場も分かりますし・・・

ただ他の人は各々最終結論持っているので、断定しない書き方は擁護しているようにみえてしまう人もいるかなとも感じます。

>No.23 すちゅわーですさん

そうですね、謀議の上結託して電話集中なら悪質な業務妨害で立件も可能かも、かたや瀬尾女史への嫌悪感は止めようもないです。
コレで過剰な擁護との非難は和らぐかと(^^)

あのブログでの発言が学者としてのものか、私人としての居酒屋論議に過ぎないのかは、法解釈の問題ではなく、事実認定のレベルの話なのではないですか。あれを学者としての意見だ、などといわれたら、困るのはむしろ瀬尾女史本人のようにも思いますが。

仮に学問の自由の問題になるとしても、”ネット右翼”にだって表現の自由があるって話になります。国との関係であればともかく、私人同士の関係において、学者の学問の自由が学者でない人間の表現の自由に比べて価値が高い、なんて話がありえるんでしょうか。

電凸という形をとっての表現行為は、ネットを通じて社会問題となっている事件の場合には、相手に与える影響が過度に大きいから、短絡的にするな、やむを得ない場合にだけしろ、という話であれば理解できます。

>>No.26 もんがーさん

>あのブログでの発言が学者としてのものか、私人としての居酒屋論議に過ぎないのかは、法解釈の問題ではなく、事実認定のレベルの話なのではないですか。

事実認定というか、評価の問題です。法解釈の問題ではありません。


>仮に学問の自由の問題になるとしても、”ネット右翼”にだって表現の自由があるって話になります。

ネット右翼にも表現の自由はありますよ。

>国との関係であればともかく、私人同士の関係において、学者の学問の自由が学者でない人間の表現の自由に比べて価値が高い、なんて話がありえるんでしょうか。

学者でない人でも学問の自由の保障はあります。真理探究のための表現活動であれば、単なる表現の自由による保護ではなく、それよりも保護の度合いの高い学問の自由による保護を受けます。
しかし、学者とそうでない人の違いは、表現活動が、真理探究のためのものと事実上もしくは法律上の推定を受けるか否かです。

>電凸という形をとっての表現行為は、ネットを通じて社会問題となっている事件の場合には、相手に与える影響が過度に大きいから、短絡的にするな、やむを得ない場合にだけしろ、という話であれば理解できます。

電凸の問題点は、「ネットを通じて社会問題となっている事件」かどうかで左右されるものではありません。電凸そのものが迷惑行為です。たった一本の電凸であっても。そもそも、電話そのものが侵襲性の高い道具です。メールや封書とは同一視できません。
電凸は、純粋な表現行為とは言えません。相手の時間を拘束し、会話を強制するものです。電凸するような連中は、電話の受け手が話をしないで電話を切っても、しつこく電話をするでしょう。受けた方はたまったものではありません。

>No.19 すちゅわーですさま

品性下劣の文章を書いて人の心を傷つけているのに、なぜ、大学人だけ、学問の自由という保護が手厚く与えられるのか、その不満を抱く心情は確かにあるでしょうね。

(太字強調は引用者による)

太字強調部分に異議あり!

学問の自由というのは大学人にだけ与えられる権利ではなく、大学人も含め市井の学者や学究の世界に身を置く全ての者に与えられる権利ではないのか。

学問の自由=大学人だけの権利という狭隘な概念は、'60年代の大学紛争の時代に、当時の法律学や憲法学の大学教授が言い出したこと。終戦直後の教育解放の時期には、「こらからは全ての研究者が自由に研究できる時代だ、学問の自由が達成された」こうした論調であった、と私は過去に何らかの本で読んだ覚えがある。

'60年代大学紛争の時代に、学問研究の内容について国家権力からの介入ではなく、左翼的ゲバ学生の「ブルジョア的ナンセンスな研究」という自己批判という名の糾弾により、自由にモノが言えなくなった大学教授が、「プロレタリアート系学者だけでなく、ブルジョワ的研究分野の大学人にも学問の自由がある」という意味で使っていた言葉が、いつの間にか「大学人にだけ学問の自由がある」と変化してしまったと、個人的には考察しております。

以上は'70年闘争でのゲバヘル集会と全学ストライキを経験した者の印象論で、憲法学という学問を系統だてて学ばれた方から見ると間違っているのかもしれませんが・・・。

注1:ゲバヘル集会=ヘルメット&タオル覆面で身を固めた学生の集会。こうした集会では日頃学生に人気のない教授などが壇上に引きずり出され、「ブルジョア的ナンセンスな研究を総括して自己批判せよ!」と長時間の吊し上げを受けることが茶飯事でした。大分上の方のレスで誰かが、4人組時代の中国で吹き荒れた「文化大革命」での「紅衛兵」による吊し上げを、ゲバ学生が真似た蛮行が大学教授に対して行なわれておりました。

注2:全学ストライキ=全学共闘会議の指揮の下で、左翼系学生が大学の校舎をバリケードで封鎖して占拠し、大学の教育活動や研究活動をストップさせる妨害行為。自分達の要求を大学に認めさせる為の示威行為として行なわれる。

    ◇

非常にトピズレ・脱線の意見のようで気が引けるのですが、「大学人にだけ」か「大学人にも」かには大きな違いがあるはずです。権力からの介入から学問が遮断されるのが学問の自由の本質だ、大学教員に限られた権利ではなく、全ての人間が持つ大切な権利なんだ。こ私はのように若い頃に自らの体験を通して会得理解したことなので、すちゅわーです様の{大学人にだけ}という文章表現には非常な違和感を感じます。

なお権力とは国家権力だけを指すのではなく、研究内容に対し不当な介入や圧力をかける全ての者を指すのは言うまでもありません。'60年代大学紛争の頃には、左翼ゲバ学生が大学での「権力」を持っておりましたし、今回の事例では「アノ准教授の・・・」と盛り上がった世間の声も、学問に対して不当な介入や圧力をかける権力とみなせる余地があると考えます。

そ視点にたって、電凸という行為が学問に対して不当な介入や圧力をかける権力に該当するか否かを検討しなければならない、とする論旨には賛成しますが、大学人だからという論調には私は同意できません。

すちゅわーです様は「大学人だから」と言う表現をされておられませんが、読み手からするとそうした誤解をしかねない表現と感じられます。「大学人だから」と「大学人にも」の違いに気配りして頂ければと思う次第です。

法務業の末席さま

私は、不満を抱く人の心情を書いています。それから「手厚く」という言葉を使っています。さらに以前のレスで学問の自由は大学人だけでなく、国民全員に保障されたものであることを明確にし、以後のレスで再度触れ、かつ大学人と一般の人の違いは真理探究目的があると推定されるかどうかであると書いてます。

法務業の末席さんは、説明がとっても上手です。

すちゅわーですさんの

品性下劣の文章を書いて人の心を傷つけているのに、なぜ、大学人だけ、学問の自由という保護が手厚く与えられるのか、その不満を抱く心情は確かにあるでしょうね。

この文書からは、「大学人だけ〜」が誤解であると明確に読み取れない拙さがあり。
コレも表現の問題なんです。

それに対する反論を受けたときに、肝心の誤った部分の誤解を、素早く解消すれば大きな問題には発展しない。

なので、挙がった反応に対しては、論旨を明確に肯定又は否定するのが良くて。
「そんな風には言っていない」「どこそこでこう言った」等の反応は解り難くて褒められません。
相手が極めて理知的に辛抱強く読み取ってくれるとは限らないからです。

最悪の反応を示したのが瀬尾女史です。
自分で燃料を投下してから逃げたので、私は「本人の責任だ」と申し上げる訳です。

>No.29 すちゅわーですさま

私が28の冒頭にて、いきなり「異議あり!」と表記したことは配慮が足りませんでした。お詫びします。

すちゅわーです様が「学問の自由=大学人だけ」と誤解されていると申上げたかったのではなく、「学問の自由=大学人だけ」と誤解されている方々が世間には多いので、表現にご配慮頂きたいとの主旨でした。

移転する前の前エントリ266などで、佐藤幸治先生の「憲法」が出てきたときに、私がツッコミを入れました。そのツッコミの本意も、大学紛争直後に書かれた法学者の解説書を上っ面だけ読むと、「学問の自由=大学人だけ」と誤解しかねない表記表現が多く、憲法論をキチンと学んでいない人に「学問の自由」を正しく理解して貰うには、多少の補足説明を付けるべきだと思っているからです。決して佐藤先生の労作をけなすつもりはなく、またすちゅわーです様の丁寧な解説投稿を否定する気持ちからではありません。

すちゅわーです様など憲法論や法律論を基礎から系統だてて学ばれ、その結果として法曹資格を持つ方々におかれては、いちいち断らなくても「学問の自由=大学人だけでなく全ての者が持つ権利」というのは当然の理解かと思います。しかしそのような前提理解が無いまま安易に「大学人には学問の自由がある」という表記表現をされる方が散見されます。そうした結果「大学人にのみ学問の自由がある」との誤った理解をされている方が多いように感じ、そうした誤解された人々を一人でも減らすには、普段から表記表現に気配りしなければならないと考えております。

こうした思いから28を投稿させて頂きましたが、私のこの投稿こそ気配りを欠いた文章であり、すちゅわーです様に上手く伝わらなかったことは、不徳の致すところと反省するとともに、改めてお詫び申上げます。

なおこの件についてはトピズレですので、レスは不要です。読み流して頂いて構いません。

連投失礼。

>No.30 MultiSyncさま
フォローありがとうございます。

前記31に追加です。

このモトケンブログは大変に投稿者のレベルが高いことで知られてますが、それでも学問的な解釈理解の深さは相当なバラツキがあると思います。そうしたことに配慮して、理解の深い専門家は理解の浅い人のレベルに合わせて懇切丁寧な文章を心がけるべきだと考えており、自ら実践するべく努力しております。

以上にて、この学問の自由とはというテーマ・論点からの私の投稿はお終いにいたします。

No.24 カツビンさん

もちろん、カツビンさん宛のコメントではありません。
その原文を書いた方が短絡思考、短絡思考と繰り返しているので、ご自身も短絡思考なのでは?と揶揄したのです。
今回の件を論じるのに左翼も右翼も関係ないでしょう。

実在の世界でしか起こっていなかった大衆心理・行動(いわゆる暴動など)が、ネットの発達によってネットの世界でも起こるようになった。
その大衆心理を引き起こすきっかけが、保守革新の対立なのか、倫理問題なのか、文化・宗教の対立なのかによって、大衆心理の攻撃側と防御側が変わってくるのであって、きっかけが保守革新の時にいわゆるネット右翼(私はこの言葉こそレッテルだと思っていますが)と呼ばれる思考プロセスを持った人たちが攻撃側になるのではないでしょうか?

今回の准教授の問題って、保守革新の対立構造の問題だと思われますか?

>ブギーマンさん
勿論関係ないと思ってます。

法務業の末席さん
MultiSyncさん

どうもご指摘ありがとうございます。
私の前のレスは、少し反発したのと、ケータイからのものであることもあり、素っ気ないものになってしまいましたが、申し訳ありません。

私もここや大会議室で書き込んでいるのは、法曹と一般の方のズレをどう埋めるか、それが一つの課題であると思ってやっています。弁護士のクライアントも一般人ですから、そういう意味で、自己鍛錬の場であると思っています(クライアントは最初から反発心を持っている訳ではありませんから、このような場所での議論の方が遙かに厳しいものですが)。ですから、そのズレの部分をご指摘いただけるのはありがたいことだと思っています。

しかし、所詮は能力に限界がある者。一つのレスで、あらゆる人にご理解いただける文章を書ければいいのですが、それは私には一生不可能でしょう。レスとレスをサンドイッチ式に積み重ねて対話を行っていくことにより、ズレを発見し、そこを埋める作業を行っていくものなのだと思います。そもそも、法律家同士、裁判で準備書面をサンドイッチ式に出していくのも本質的には同じことです。天才的な法律家なら、一通の準備書面だけで主張を全部終えることができるのかもしれませんが、私はそのような人には巡り会ったことはありません。

私は大会議室で袋だたきに遭い、それ以降、書くレスにはそれなりに注意を払っておりますが、まだまだ不十分な部分が多々あると思います。それはその都度、ご指摘いただければありがたいと思います。

ただ、やはり能力に限界がある者。多少の悪文については、前後の記載から趣旨をご理解いただけるものについては、ある程度スルーしてください。議論の流れや私の立場から厳しくチェックされるのはやむを得ないと思いますが、あまりに細かくチェックされると、本筋の議論が出来なくなってしまいます。

余談ですが、大会議室で袋だたきに遭っていた時、学生につるし上げに遭う教授の気持ちが少しわかる気がしました。私のレスは真理探究のための研究として行っているもので、学問の自由の適用があるんだ!と叫びたくなりましたが、にじみ出る品性からおわかりのように、そんなに高尚なものではないところが悲しいところです(^^;)

大学教員は、学術研究を業とされているので、われわれ素人に比べて学術研究結果を発表される機会が断然多い。しかも、瀬尾氏は理系の人だが、「リスク理論」というなかなかに微妙な分野を研究されています。そういう人が公開ブログで記事として載せたので、「とりあえず学術研究の一環なのか」と疑ってみることも必要なのかと思います。

で、実際に疑って読みこんでみると、そんな学術研究というほど大そうな中身はないうえ、論の構成に誹謗中傷の部分は全く必要なく、ただの露悪趣味か、性格が捻じ曲がってるかという内容でした。

氏はブログをいくつか使い分け、当該ブログは氏によると、親しい仲間向けのものであり、他人は読んでいると表明すること自体憚るべきという代物だそう。

公開ブログであちこちリンクを張りながら、そういうよく分からん理屈を並べるようなお人だから、安居酒屋で、下らない世相談義をするついでに、お下劣なクダを巻いてるのと同様の内容を、公開ブログに書いちゃうんでしょうね。

他人のリスク管理を研究する前に、まず自分のリスク管理を先にしろといいたいくらいですが、皆様のご意見などをみているうちにふと、氏はネットを使って、自分や大学を題材にして、ある種壮大なリスク管理の社会実験をやってんのかも、という可能性も考え浮かびました。そうであれば、かなり恐ろしい人だと思います。(考えすぎかな?)

>すちゅわーですさん

>学問の自由の保護を受けるか否か、その検討をすることすら、
>拒否的な心情になってしまうんでしょう。

 何度も繰り返しますが、瀬尾センセのblogが「学問の自由の保護を受ける」性質の論文であるかは、ここに居る殆どの人に於いてすら「No」なわけなんですけども、あの文章を見て抗議した人や私や惰眠さんが「検討をすることすら、拒否」したとか「冷静ではない」と断じる根拠は何なんですか? 私、かなり最初のほうに「この教授が研究なりの一環としてああいうことを書いたというなら、学問の自由だの大学自治だのって話になるとは思いますが」って書いてますよねえ?

 それから、組織の倫理基準とて一様ではなく、商社と町工場では基準が違うでしょうし、朝日新聞と夕刊紙やゴシップ誌でも違ってくるんじゃないかと思うんですが、それらを無視して「自分の職場の不自由さのはけ口」と断じるのは、一体どういう「短絡」ではない思考の末の結論なのでしょうか。
 例えば鬼女板の名が挙がっていることから、電突した人の中には専業主婦が少なからずいたと思うんですが(それに、それこそ「ネット右翼」だというなら学生や無職だって多いんじゃ?)、専業主婦やら学生やらニートがどう「職場でので発言の自由」に対してルサンチマンを抱けるんでしょうか。
 そもそも勤め人には、青学の窓口受付時間中(=就業中)にわざわざ抗議電話をしようって人は少ない気がするんですが。

 何度も繰り返しますが、ねらーの電突やら抗議(特に青学掲示板にあるようなのは論外)が過剰反応ではないのかとか、「義は血に渇く」じゃないのかとか、そういう批判は妥当だし、マスヒステリーへ対処としての処分が「言論の自由」を脅かす可能性とか、こうした「打ち壊し運動」が潜在的に学問の自由(に限らず報道の自由でも何でも)に対する悪影響を及ぼす可能性までは否定しません。
 が、瀬尾センセの問題を「あれが学術的かどうかは判断しかねる」と強辯してまで「学問の自由」の問題だとするのは、「ためにする論議」ではないかと批判しているのです。
 そうした濫用が、本当の「学問の自由」の問題が生じた際に、「人権(笑)」と同様「学問の自由(笑)」として軽視される事態をまねきかねないこともまた、「潜在的に学問の自由に対する悪影響を及ぼすもの」ではないかと愚考する次第。

>>No.37 ミ ´Å`彡さん

>何度も繰り返しますが

学問の自由の問題をまず何故最初に検討すべきかについては、もうその根拠は私は述べています。
同じことを繰り返しても仕方がありません。あなたが納得されないのなら、別にそれで構いません。
見解の相違ということでいいでしょう。

大学と私企業を全く同一視する人と話し合っても共通理解は得られないでしょうから、続けるだけ無駄でしょう。

>そうした濫用が、本当の「学問の自由」の問題が生じた際に、「人権(笑)」と同様「学問の自由(笑)」として軽視される事態をまねきかねないこともまた、「潜在的に学問の自由に対する悪影響を及ぼすもの」ではないかと愚考する次第。

「まず考えてみる」ことが濫用だとは思いませんが?
例えば、准教授が訴えられて、裁判になった場合に、彼女の代理人弁護士が彼女と学問の自由による保護の可能性について打ち合わせた結果、ブログの記載が研究テーマと全く関係がないことが判明し、およそ保護される可能性がないことがはっきりしたのに、それを法廷で主張することは濫用になるでしょう。しかし、このようにして打ち合わせた結果、その主張を行わないという選択をしたのなら、それは濫用にはなりません。

いずれにせよ、このようなフィルターに通す作業を、弁護士は必ず行います。この作業がどうして「濫用」になるのか、私にはとんと分かりません。やはり、私とあなたでは思考方法が全然違うのでしょう。

>「自分の職場の不自由さのはけ口」と断じるのは、一体どういう「短絡」ではない思考の末の結論なのでしょうか。

そういう視点も確かにあるということです。当たっている部分も確かにあると納得したということ。だけども、電凸したような人が全員が全員、そうというわけでもないでしょう。そんなことは当然の前提。ある集団的社会現象を心理面から考える場合には、一定の不確実さがあることは当然の前提。

ある社会事象については、様々な角度から光をあてて考えてみることが重要です。それでようやく全体像を捉えたかと思ったら、するりと両手から逃げ出してしまう。そういうものでしょう。だけども、その実態は何なのか、考え続けることが必要だと思っています。

ゼロサム思考ではないのです。黒白で割り切れるようなものでもない。

ネット右翼の考察についても、電凸するような行動原理が、今回と共通しているので、これを考えることにより、何か手がかりが得られるのではないか、ということからのもの。今回、電凸した人が全員、いわゆるネット右翼だとは思っていないし、そもそもネット右翼というのは何か、という点からしても曖昧な部分があることは最初に断っています。だけども、社会事象としてネット右翼の台頭という事象は確かに傾向としては存在している。それを考えてみる、ということが大切だからやったまでのこと。

まあ、私のネット右翼の考察に対して、右翼、左翼の対立構造の問題などと誤解して批判する人にはあきれ果てますけどね。実は思想は関係がない、ということをきちんと書いているのに、どうやったらそう読めるのか、全然、その思考方法が判りません。

相互理解の努力はできるだけすべきだけれども、いくら話し合っても、すれ違うばかりで全然歩み寄ることができない人がいることも事実。それは私はこれまでの経験で痛感しました。それがどのようなタイプの人であるかも判ってきました。私は、そうと判ったら、それ以上の努力は無駄なことだと思い、諦めることにしています。

>No.35 すちゅわーですさん

大会議室は、とても忍耐強く頑張っておられるなあ、と感心していました。
この件で 私の突っ込みは、法務業の末席さんがのべられた趣旨=その誤解が重大、そして議論全体に齟齬を生じさせていると思った為です。
些細な事は「おたがいさま」で済むと思います。

尚、コメが迂遠な、回りくどい表現だと、誤解の生じる余地が増えるし、文のボリュームは極力小さい方が取り扱いやすいと意識をしています。

蛇足です、今は呼称もFAなどと変わりましたが未だに消えないイメージでは、スチュワーデス⇒ぜひお近づきになりたい美人、となっています。(^^)
では、引き続きコメをお願い致します。

相互理解の努力はできるだけすべきだけれども、いくら話し合っても、すれ違うばかりで全然歩み寄ることができない人がいることも事実。それは私はこれまでの経験で痛感しました。それがどのようなタイプの人であるかも判ってきました。私は、そうと判ったら、それ以上の努力は無駄なことだと思い、諦めることにしています。

 ふむ。
 先のスレッドにて、筋違いと思われるコメントを頂きましたので、長い文章を避けるため、部分引用をして「話がズレている」とコメントした者ですが、「 人の記述を引用して批判するのなら、正確に引用していただけませんか?」とお返事いただき、全文引用してお返事をさせて頂きました。

 それに対して、一切なんのコメントもなかったのは、上述の人間と判定されたという事でしょうかね。

 残念です。

 断っておきますが、No.40はすちゅわーですさんへの「質問」でもなければ、返事を要求しているものでもありません。

 以降は、本エントリには投稿する気もなければ、読むつもりもありませんので、これにて。

 エントリ汚し失礼致しましたm(_ _)m

No.38 すちゅわーですさん

研究者の発言は、私的な場でなされたものであっても、研究と全く無関係とは言い切れない、というのは、一般論としてはそのとおりだと思います。
ただ、この件で問題になっているは、研究発表を目的に設置されたように見えないブログでの発言であり、しかも、ブログのテーマと大学での研究分野とを関係づけることがきわめて難しいということも、指摘されているとおりだと思います。
問題の焦点を「研究の全貌を捉えずして、その人の言論が研究と関連するかどうか正しく評価できるか」というところではなく(ここは、たぶん皆さん、「弁護士と打ち合わせた後」の段階を前提に、正しく評価できている自信を持っておられ、それには理由があるように思います)、「私的な場での言論に不穏当な表現形式があったとして、そのことだけで、その人の研究の価値が左右されるか」というところにあてた方が、話が噛み合いやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

No.37 ミ ´Å`彡さん

特定の言論に対抗する目的で、実力をもって大学の人事権に干渉しようとする発想があるとすれば、それは、言論の自由・大学の自治に対する挑戦ともいうべき危険な発想です。そして、大学が、教員の言論に対する批判に接した際に、さしたる考えもなく謝罪対応するような体質を持っているようでは、大学の手によって言論の自由・大学の自治が守られることは期待できないので、大学には慎重な対応が期待されます。私は、その意味で「言論の自由」のみならず「大学の自治」も関係していると思います。
もちろん、大学が、教育機関としての社会的責任を自覚することも必要なことだと思います。そして、私企業が被用者にうるさく、大学が寛容だという実体があるのだと仮定しても、「それは学問の自由が保障されているのだから当然だ」というわけにはいかないとも思います。学問の自由を手厚く保障する必要があるということは、傷つけられたときのダメージが大きいから公権力から攻撃されないよう大切にしなければならないということではあっても、私法上特別の地位を与えるべきということではないと思うからです。
今回の件は、憲法問題そのものではなく、大学が、その自主的判断として、憲法的な価値を含むいくつかの要素のバランスをどのように取って結論を出すのか、というところが注目されていたのだと思います。そして、すちゅわーですさんのご意見は「大学は、表現形式が不穏当であった旨の注意処分を行うのが相当である。」というものです。理屈の問題は、それに対する賛否を議論する中で、取り上げた方がいいかもしれません。

ちなみに、私は、大学が、表現形式が不穏当であったとの認識を示した上、「社会的非難が生じたことは当然のことで、誠に遺憾である。准教授の言論に研究内容との関連がないことから、厳重注意に踏み切った。ただ、あくまで私的な場での言論であるから、非難に対する具体的な対応は准教授の良識に委ねざるを得ない。」と表明するくらいが相当ではないかと思います。なお、仮に私企業であっても、言論の実質自体に明白な反社会性があるわけではないことからすると、「申し訳ありませんでした。厳重注意しました。」と表明する程度が相当ではないかと思います。

>>No.42 まげさん

>ただ、この件で問題になっているは、研究発表を目的に設置されたように見えないブログでの発言であり、しかも、ブログのテーマと大学での研究分野とを関係づけることがきわめて難しいということも、指摘されているとおりだと思います。

私もカツビンさんに対するレスで書いた通り、ど素人の印象としては、研究との関係についてはないような印象は受けています。
しかし、当該研究分野については全くの素人であるばかりか、殆ど情報がないので、厳密な判断が問われる保護の有無の判断を問われたなら、「わからない」と答えるほかありません。

しかし、それではみなさんご不満なのでしょう。こんな品性下劣な文章が高尚な学問の自由の保護など受けるはずがない、という答えを弁護士を名乗っている私から聞きたいのだと思います。しかし、弁護士を名乗っているからこそ、軽率なことを言えないのです。

認定のプロセスだけをご理解いただいたなら、あとは彼女の研究分野に多少でも詳しい方による議論にお任せするというのが私のスタンスです。しかし、このような議論も全くなされていませんけど。誰かやっていただけないですかね。


>問題の焦点を「研究の全貌を捉えずして、その人の言論が研究と関連するかどうか正しく評価できるか」というところではなく(ここは、たぶん皆さん、「弁護士と打ち合わせた後」の段階を前提に、正しく評価できている自信を持っておられ、それには理由があるように思います)、「私的な場での言論に不穏当な表現形式があったとして、そのことだけで、その人の研究の価値が左右されるか」というところにあてた方が、話が噛み合いやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

これは確かにそうなのですが・・・。
今からそれをやっても時すでに遅しという感が(^^;)。
文章の表現形式と、骨子は別だという話はだいぶん最初の方にしたんですがね。
スルーされてしまいました(>_

それに、そのような話をしても、表現形式の問題だけでなく、そもそも研究とは言えない、などという話になってしまうような気もします。そうすると結局、同じ問題に戻ってしまいます。研究の中身については私は全くわかりませんから、そういう話になると、私は参加する資格がないと思っています。多少でもわかっていれば議論になるんですけどね。

>No.38 すちゅわーですさん

>学問の自由の問題をまず何故最初に検討すべきかについては、
>もうその根拠は私は述べています。
 論点がずれてる気がするんですが。「私は最初に学究目的なのか検討してるでしょう? なのになぜ『短絡的な判断』と決めつけたんですか?」と申し上げてるのですが……。学究目的でない不規則発言にまで「学問の自由の保護がある」と主張されるわけではないのですよね?
 ついでに言えば、「様々な諸要素を考慮に入れた上で、結果論として、『大学の価値』とは無関係、もしくは殆ど関係ないと判断」したら「拒否的姿勢」で論じてもいい旨、すちゅわーですさん御自身が逆説的に示してるかと思うのですが。
 「ブログのテーマと大学での研究分野とを関係づけることがきわめて難しい」旨には、ここに居る方の多くも認めるところですが、「専門的な場」を想定し辯護士であってさえ判断しかねるとまで謙抑的になる(一方で「学究目的ではない」と断じた者を批難する)理由がわかりません。


>大学と私企業を全く同一視する人と話し合っても共通理解は
>得られないでしょうから、続けるだけ無駄でしょう。
 学業と関係ない個人的な不規則発言や反社会的行為に対して社会の抗議について、大学と私企業で同等に処分したからといって、それが即ち「学問の自由」を害するものとは思えませんが。
 そもそもレスの経緯からして、大学と私企業同一視したのは、この問題が学業と関係ない「居酒屋談義」だとした上での話なわけで。


>「まず考えてみる」ことが濫用だとは思いませんが?
 考えてみることは濫用じゃないでしょうね。
 でも「学業と関係ない不規則発言や反社会的行為に於ける社会の抗議に対して」、「憲法23条で保障された基本的人権」まで持ち出して「慎重な配慮が必要な問題」なんだから私企業と同等の処遇を主張したら「短絡」だ、みたいな使われ方をしたら、そりゃちょっと大げさじゃないの? 濫用じゃね? と思うわけで。


>そういう視点も確かにあるということです。当たっている部分も
>確かにあると納得したということ。
 「妬み・嫉み・ルサンチマンしか見出せません」「電凸してる人達の本当の相手は、あなたたちの職場の直属の上司なり人事部なり社長なりです」といった表現も含む意見に無批判で同調し論を展開されたようなので疑義を呈した次第です。
 そもそも勤め人とそれ以外で電突した割合や、その時の態度がどうで、勤め人のうち何人が上司が五月蠅い会社で、といったことを検討して初めて「分析」と言えるのであって、「こうに違いない」「鋭い。いい視点だ」ってのは、あまりにも自己完結的な話ではないでしょうか。何というか、上の様な論理展開では、相手を腐すための理屈にしか見えません。


 ところで、ネット「右翼」という呼称は議論を曖昧にするファクターとなりかねないように思うのですがどうでしょう。私には「ネットによって集積された大衆的反応」にしか見えないのですが。
 もちろんそこに左翼的言説や特亜に対する否定的感情があるという指摘はその通りだと思いますが。

No.38 すちゅわーですさん

元々

右翼と左翼の伝統的な理解では、右翼は感覚的で、左翼は理論的な傾向があると言われています。

などと右翼左翼で白黒つけた物言いをしていたのは誰ですかね。

全体的になにか意図でもあって、問題の核心に至らないように話題を拡散させているようにしか思えませんね。

大学と私企業を全く同一視する人と話し合っても共通理解は得られないでしょうから、続けるだけ無駄でしょう。
全く同一視をしている人なんかいないでしょう。まさに曲解です。 大学と私企業にも共通項があるのだから、そこから何か手がかりが得られるのではないかと思考してみることが大切じゃないですか?

参照

ネット右翼の考察についても、電凸するような行動原理が、今回と共通しているので、これを考えることにより、何か手がかりが得られるのではないか、ということからのもの。

このような自分に都合のいい物言いをしている人に『相互理解の努力をしている』と言われるとは・・・
もしかして、私の辞書の『相互理解』の意味が間違っているのかな(笑)

相互理解の努力はできるだけすべきだけれども、いくら話し合っても、すれ違うばかりで全然歩み寄ることができない人がいることも事実。それは私はこれまでの経験で痛感しました。それがどのようなタイプの人であるかも判ってきました。私は、そうと判ったら、それ以上の努力は無駄なことだと思い、諦めることにしています。
失礼、よく読み返してみたら、すちゅわーですさん自身が相互理解の努力をしているとはおっしゃっていませんね。 ベキ論を述べているだけでした。

>No.44 ミ ´Å`彡さん

 学業と関係ない個人的な不規則発言や反社会的行為に対して社会の抗議について、大学と私企業で同等に処分したからといって、それが即ち「学問の自由」を害するものとは思えませんが。  そもそもレスの経緯からして、大学と私企業同一視したのは、この問題が学業と関係ない「居酒屋談義」だとした上での話なわけで。

 このあたりに論理の逆転を感じます。
  ミ ´Å`彡さん は、女史の発言を学業と関係ない「居酒屋談義」だということを前提にしてそのような発言と学問の自由との関係を考えていませんか?
 学問の自由や大学の自治という問題は、女史の発言が「居酒屋談義」かどうかを判断する段階から問題になってきます。

 学問とは関係のない「居酒屋談義」だと前提にしてしまうと、その時点で学問の自由の問題ではなくなってしまいます。
 「学問とは関係のない」話だと前提にするから当然のことです。
 
 つまり、大学人の発言に対する大学による処分を考える場合には、学問とは関係のない「居酒屋談義」だという前提で議論を始めてはいけないのです。
 一見して学問と関係がないと明々白々だと思われる発言だったとしてもです。

 「居酒屋談義」かどうかを判断する場において学問の自由と大学の自治が問題になると考えます。
 そして、「居酒屋談義」であると言うためには常にそうかどうかという判断が先行するわけですから、常にまず学問の自由と大学の自治の問題として考えるべきことになります。

 もちろん、その結果として教員に処分が行われることは当然あり得るわけです。

  ミ ´Å`彡さんの発言の趣旨を誤解しているかも知れませんが、確認の意味を込めてコメントします。

>No.46 モトケンさん

 うーん、「居酒屋談義」なのか「学問」なのかの判別基準に「学問の自由と大学の自治の問題」が介入してくるということでしょうか。

 学問の自由の問題であるか否かの検討が、居酒屋談義か否かの検討を内包する(先行する)という意味なのでしたら、「研究なりの一環」であるか否かを検討した上で「居酒屋談義」だろうと判断し、故に「学問の自由」とか「大学の自治」の問題ではないのでは? としたのが前トピのNo.217なのですが、これでは不足ということでしょうか。

瀬尾放言は学問にしろ、表現にしろ制限されるべきものである。生命医学の分野でも法的に許されても大学では許されない治療、研究が種々存在する。大学の倫理委員会が承認しないものでも、町医者が個人の判断で行う分には、法の許す限りの自由がある。大学に所属し准教授を名乗りその学校の看板と役職の権威をもって暴言を書き連ねたのだから、看板に泥をぬり、大学の自治を危機に陥れている。日本国の法で許される自由より、大学という組織内で許される自由は、その組織の規範に従って制限されている。その規範を受け入れられないなら、組織を離れる自由は完全に保障されている。

当然、青学が大学自治の機能として自浄すれば良いだけの話だし、その処分が適法か違法かの判断で法の適用を考えれば良い。電凸批判も不当。組織化された業務妨害で無く、個別に問い合わせ、批判を行う分には問題ないだろう。当然青学側も批判を順当と認め重く処分するか、不当として軽く処分するかの判断も自治の内だ。 これを、圧力であるとか、学問の自由への危機だと杞憂しても無意味だろう。

>>すちゅわーです様

擁護という表現は不適切でした、すみません。

ボキャブラリーの無さを露呈してしまいました

>>モトケンさま

恥を承知で質問します

数々の瀬尾発言、失言?を学問の研究の一環ではないと証明する

ことは法律家の方なら可能なのでしょうか?

瀬尾氏があくまで研究の一環と主張すればそれを覆すのは難しい

ような気がしますが

つまり瀬尾氏と徹底的に争っても結果はわかってるのではないかと・・

まあ私は瀬尾氏の進退には興味はないのですが

学問か言論かは、ある表現行為が持つ権利としての価値をはかる基準というより、大学が「大学の自治」としての自主的な判断を下す際の判断基準の一つにすぎないように思います。

学問であれ言論であれ、その実質にどれほどの価値があるのか(正しいのか間違っているのか、傾聴に値するのか取るに足らないのか)は、自由な批判にさらされることを通じて各人が判断すべき性質のものだ、という点が重要ではないかと思います。

この件では、同じことを言うにしても余りに言い方が酷いという問題があることについては異論をみず、攻撃されているのもその点なので、言論の価値以前の問題だと思います。ただ、そのことを前提としても、大学が何らかの具体的な対応を迫られた場合には、「学問上の見解を述べたブログが批判され炎上した場合にも、大学がその見解に対する賛否を表明したり、外部からの働きかけに応じて教員を処分したりすることになるのではないか」との懸念が生じうることに配慮する必要はあり、その意味で、大学としては、学問か言論かという点について意見を持った上で対処する必要はある、ということではないかと思っています。

話が良くわかっていないのですが…。

しかし、当該研究分野については全くの素人であるばかりか、殆ど情報がないので、厳密な判断が問われる保護の有無の判断を問われたなら、「わからない」と答えるほかありません。

<略>

認定のプロセスだけをご理解いただいたなら、あとは彼女の研究分野に多少でも詳しい方による議論にお任せするというのが私のスタンスです。しかし、このような議論も全くなされていませんけど。誰かやっていただけないですかね。


彼女の指導者である教授を含めた教授会等が判断すれば(判断すべき)良いのですよね。
逆に,他の所での判断は難しいと思います。
そしてその判断を元に,大学の自治の下で,処分(厳重注意等)が行われることは,問題ない。であっていますか?

今,まさにその状態になっています。

で,今,何が問題でしたっけ?

久々にコメントします。

法律家は,ある問題があったときに例えば憲法上の人権と抵触するかどうかということをまず考えるという癖が染みついています。

ですので,法律家が瀬尾氏の件をみて,発想するのは
「大学の教官が開設しているブログで社会的に不適切と評価されうる表現があった。これを見た一般人は,大学に抗議をするとともに,大学において当該教官に懲戒処分をするように求めた。これらの点に含まれる憲法上の問題点を論ぜよ。」
というような問題です。

例えば抗議の態様や,懲戒処分を求める方法などによっては大学自治との関係で問題をはらむ可能性はあるように思います。

結局,人権の大切さ(人権がひとたび侵害されたら救済するとしても限界がある。)を分かっていれば,人権問題として検討する余地があれば検討を欠かすわけにはいかないのです。

結論として学問の自由の問題ではないと考えるのは,論者の自由ですが,問題となっている表現の内容,態様,抗議の態様,求める処分の内容などなどを総合的に考慮してほしいと思うのです。

今,疑問に思っているのは,法律家のこのような思想・理念が,分かってもらえないのはどうしてなのかという点にあります。

>No.47 ミ ´Å`彡さん

学問の自由の問題であるか否かの検討が、居酒屋談義か否かの検討を内包する(先行する)という意味なのでしたら、「研究なりの一環」であるか否かを検討した上で「居酒屋談義」だろうと判断し、故に「学問の自由」とか「大学の自治」の問題ではないのでは? としたのが前トピのNo.217なのですが、これでは不足ということでしょうか。

 ミ ´Å`彡さんのコメントの流れをきちんと押さえている自信がないのですが(つまり読み落としがありそう)、「(処分の前提問題として)『研究なりの一環』であるか否かを検討」するのは大学であって、その大学の判断は世間の数の勢いや感情論情緒論ではなく、論理的・理性的・学問的な観点からの主体的判断でなければならないというのが学問の自由・大学の自治の要請であろうと思います。

 要するに、多くの市民が女史に対する処分を大学に要請することが問題なのではなく(全くの無問題とは思いませんが)、大学がそのような多数の声に流されてしまうとすれば学問の自由・大学の自治の危機だと思うわけです。

 どういう場面において、誰が誰に対して何を理由としてどうしようとしている場面の問題なのか、を明確に立て分ける必要があります。
 この問題の意見の中には、批判と処分を立て分けてない意見も多くみられるように思います。

No.50 まげさん

>学問か言論かは、ある表現行為が持つ権利としての価値をはかる基準というより、大学が「大学の自治」としての自主的な判断を下す際の判断基準の一つに過ぎないように思います。


本件に関する限り、私も結論としては同じなのですが、法的にちょっと分析して考えてみます。これまでの議論の総まとめの意味合いも持たせました。

(1)憲法23条の解釈
前にも触れましたけど、学問の自由は思想良心の自由、表現の自由の特別法としての位置づけになります。この関係から、学問、すなわち真理探究のための表現活動なのであれば、表現の自由による保障よりさらに強化され、絶対的に保護されるという見解が有力です。この見解は、表現の自由と同じ程度の保障しかないのであれば、学問の自由を特別法としてわざわざ設ける必要性が大学自治以外の部分ではなくなってしまうことを理由にしています。

絶対的に保護されるとなると、真理探究のための表現活動であれば、例えば他人のプライバシーをいくら侵害しても違法な表現活動にはならないことになるわけです。ちょっと酷いようにも感じますけど、現行憲法が、真理探究活動をそれだけ重視したという見解であるわけです(なお、この点についての判例がありませんから、裁判所がこの見解を採用するかは不明ですが、上記見解は法解釈学としては全く正当なものです)。

ですから、准教授に対する処分をどう決めるか、という大学自治の問題だけに留まらず、准教授個人が対外的にどのような責任を負うか、という問題に関連してくるわけです。

(2)准教授の対外的責任
もっとも、一つの対外的発表のうち、その一部に真理探究目的があったとしても、その全部が保護されるわけではありません。やはり、その中身を分析的に見ていく必要があります。全く不要というか、蛇足の部分で、他人のプライバシー等の権利を侵害しているのならば、その部分は違法ということになります。また、当該部分が真理探究目的の表現であっても、研究成果を発表するのに必要がないのに、あえて他人の権利侵害の表現を使った場合には、違法性を帯びることになると思います。

その点では、本件では私も不必要な不適切表現があったという見方ですから、学問なのか単なる言論かは、対外的な法的責任という点では、結論としては変わりません。

また、もっと前の段階の問題なのですが、名誉毀損やプライバシー侵害云々という法的責任より、倫理的な部分が問題になっているようですから、この点でも、結論は変わらないと思います。

(3)大学の処分
大学の処分のことについて言うと、何度か述べましたが、ブログの記載が全くの居酒屋談義のレベルなのであれば、大学の研究活動とは全く離れた純粋私的事項に過ぎませんから、肩書きを使うことによって、大学が巻き込まれた点だけが処分の正当性の根拠となります。これとは別に、准教授の教育者としての適格性も、処分の正当性の判断根拠になると思います。

そうではなく、全部、真理探究目的であり、必要不可欠な表現と判断された場合には、准教授は対外的にも、対内的にも法的責任(および倫理的責任)を負わず、大学も処分の正当性は全くなくなります。

真理探究目的が一部だけである場合、准教授が対外的な法的責任を負う場合は、大学にも法的責任が発生する可能性があります。

いずれにせよ、准教授に対してどのような処分をするかは、大学自治で決めることであり、外からの声の大きさによってそれが左右されることは、危機管理という現実問題としてはともかく、理念としてはあってはならないと思います。

今回の件の温度差は、非法曹からみるとプロセス経てもそれほど結論・結果に変わりないのではないか?(あまりに学問と関係がないように見える文章が批判対象)という部分が大きくあり、どうしても「〜の自由」という表現に多くの人が胡散臭さを感じてしまうことなのではと感じます。
※基本的人権や〜の自由等表現は、具体的事象を吹っ飛ばした詭弁にみえてしまう。(大学の外部圧力による処分決定除く)

ただ法曹の方の説明で、これから自分の意思決定、判断に際して思考プロセスに組み入れようとする人も出てくるわけで、決して無駄ではないと思います。そしてこれからもこの手の話しは繰り返し出てくるでしょうね。
※法曹の方には諦めないで、ご対応いただきたいと勝手ながら希望してます。

後、感情的な思考の中にも、潜在的に基本的人権及び「〜の自由」について本質を感じ取った上で判断している事もあるわけで、自分の思考過程をうまく説明できないとしても、今回の件は全て一括りにはできないと感じます。
⇒つまり即時的に判断している場合あり。潜在的に感じ取っている。
⇒そういう人には余計なお世話と反発もあるでしょう。

※今回問題を難しくしているのが、該当ブログの学問的な部分があまり感じられない事でしょうね。
※多くの人が「学問の自由」について考慮してから判断しているとは思えないのは確かです。

私は学生時代「基本的人権」や「〜の自由」「〜の義務」「〜の権利」は言葉として覚えましたが、実感・本質的な意味を汲み取る教育を受けた記憶がありません。やはり憲法の内容について、もっと本質的に理解可能な教育そして思考プロセス(特に他者に対する批判、抗議する場合)に組み入れる練習の場が義務として必要なのかもしれません。

すちゅわーです様、横レス失礼します。

>絶対的に保護されるとなると、真理探究のための表現活動であれば、例えば他人のプライバシーをいくら侵害しても違法な表現活動にはならないことになるわけです。

この書き方は誤解を招くのではないかと思います。

確かに、学問の自由は憲法上大きな保護を受けていますが、プライバシーの保護も憲法の基本的人権(人格権)に由来する憲法上保護された権利です。

もちろん、学問の自由がプライバシーの保護に優越する場面はあると思いますが、それはあくまで必要最小限の範囲で、適正な手続きによりなされるに留まるべきもので、可能な限り双方の両立を図るのが憲法の要請であるはずです。法律家にとってこういったことは言わずもがなの常識であっても、非法律家にはそういった前提の知識がない人もいます。

当然「学問のためならプライバシーは一切保護する必要はない」などといった発言意図はないと思っておりますが、法律の専門家の方が「人権」を語られる時には、「いくら侵害しても違法な表現活動にはならない」といった安易な表現を用いられるのは、極力控えられた方がよろしいかと思います。

もしお時間があれば、「がん登録制度」と「個人情報保護」でググられれば、双方の両立を図られた日本はもとより世界各国の先達の苦労に関する研究が見つかるのではないかと思います。

また、救急医学会など医学研究の場においても、研究発表にかかる個人情報の保護指針を策定して、両立に向けて努力されています。

当然、こういったことは百も承知だとは思いますし、私のごとき素人が法律に関して専門家に苦言を呈するなど、無礼千万であることは重々承知しております。まさに釈迦に説法でありますが、素人の視点から気になったことを申し述べさせていただきました。

失礼の段、ひらにご容赦をm(_ _)m

学問の自由であれ何であれ、然るべきプロセス、手順を踏んで考えるべきという意見は至極もっともと思う一方、

法律家以外の人からすれば、そうしたプロセスが「まやかし」的に見えるというのも分かる気がします。


規範の定立と、それに対する具体的事象のあてはめという議論のパターンは、判決をはじめ法律的な文章の基本なのでありましょう。

しかし、では、その論者が本当に「規範 → あてはめ → 結論」という順序で物事を考えて、演繹的に結論を導いているかというと、どうなんでしょうか。かなり疑問です。

多くの場合、自分の提示したい結論(あるいは辿り着きたくない結論)は決まっていて、それをあたかもロジカルに導いたかのように装うべく、判断の枠組みを後付で作っていることが多いように感じられます。

法律家以外の方が感じる違和感、反感というのは、この本質を何となく感じ取っているが故ではないかと思えます。

# このスレやブログにおける特定の発言を念頭に置いたものではなく、「法律的な議論」一般に感じる印象です。

要するに、「法的な思考プロセス」というのは、「直感的に得られた、自分が採りたい結論について、他者に対する説得力を付与するための手順」という面が強いのではないか、と。そうであれば、「法的な思考プロセス」を獲得することによって、その人の意見が変化することは少ないのではないか、という感じが致します。

もちろん、だからといって「法的な思考プロセス」を学ぶことが無意味だということでは決してありません。内心的に見れば結論ありきの見解であっても、論理の展開が示されることによって、議論が建設的なものになりましょうし、論者自身の考えも整理されましょう。

その過程で、当初考えていた結論に辿り着くのが無理だと思えば(規範の立て方やあてはめに無理があり過ぎて、理由が立たないと思えば)、見解を自ら修正することもあるかも知れません。

 エントリーでは下記のようになっていました。

 でも、こういう考えというのは人権論の自殺行為なんですよね。  自らの人権が否定される可能性を容認していることに気がつかないんでしょうか?

 問題提議について、自殺行為だと気づかない人は、どうして気づかないのか?についてだと思いましたので、想像力の欠如になると思います。と自分で思ったことを書きました。

 たとえば、として准教授の件が出ていましたが、前回No.285で投稿した時は、問題提議について書きましたので、准教授のブログでの配慮が欠けた文章については、あまり問題にせず、

 学長の「注意しました」に対して、准教授の「注意されていません」。  この言葉に対して、「どっちが正しいの?」と電凸されました。

 と上記の2点だけを問題にしました。何故ブログでの配慮に欠けた表現を問題にしなかったのかを書いておきます。

 准教授は、元職がIBMであったということがあります。IBMに勤務していたのですから、当然コンピュータ、ネットに素人であると判断しづらいという点と、大学で教えていることがリスクマネージメントである点があります。

 学問の世界にいれば、持論を展開したいでしょうし、本の出版だってしたいという気持ちはあると思います(推測ですが)。

 ネット人口が増え、ブロガーも増えましたが、ブログのリスクマネージメントが出来ていない人も多く存在しますし、これからも新規で始める人は(止める人もいれば新たに始める人もいますから)増加します。

 あくまで可能性としてですが、そういう人達をターゲットにして出版物を出したら、ネットの怖さを理解してもらえるし、出版物を出しても赤字にならなくペイできるかもしれない。と准教授が考えたかもしれないと思いました(可能性を否定できませんので考慮しました)。

 そうした場合には、配慮に欠けている文章をブログで書くと、ネットの世界では、どのようなリスクがあるかのサンプルを取るために、わざと自分自身が実験台となってブログ管理をした可能性が考えられます。

 コメント欄を承認制にしていましたので、閲覧者は見えませんが、管理者には全てのコメントが見えます(読めます)。どういう記事を入れるとどういう反応が来るかをサンプルで残しておくことは可能です。

 自分が実験台になった方がネットにおけるブログの管理(マネージメント)について、してはいけないこと(リスク)について論文(出版物)を書きやすいですからね。

 今回の准教授に当てはめた場合での話しですが、分野がリスクマネージメントですから、ここまでなら、学問の自由の範囲と考えられる可能性があると思いました。

 ですので、前回のNo.285で投稿した時に准教授のブログでの配慮に欠けた表現については、(准教授もねらーも同様に)言論の自由ですから、処分の検討材料としてはあまり問題にせず、

 処分を検討するにあたって准教授がブログで書いた内容で配慮に欠けた部分が多く見られたので、おまけで一緒に検討せざるを得なくなったのが実情でしょう。

 としました。


 ただし、ブログの書き込みの中で、学長会見の「注意した」に対しての准教授の「注意されていない」という言葉は、その後の電話の問い合わせに繋げた原因の言葉ですから問題にしました。

 学長が「注意した」とメディアに言って、その記事がネット配信されているにも関わらず、准教授は真逆になる「注意されていない」を同様にブログに書いてネット配信しました。

 准教授が何を書こうが准教授の自由ですが、結果的に真っ向から学長(大学)に歯向かった行為(言葉)になってしまいました。

 准教授が自分の正当性を主張するのも自由(勝手)ですが、真逆になってしまったために、この件に興味を持っていた人達に対して、大学に問い合わせを出来る口実を与えてしまいました。

 それまではネット上で、准教授と同様に言論の自由で多くの人が配慮に欠けた文章について掲示板で書いていましたが、大学に問い合わせる口実(隙)を作ってくれましたので、待ってましたとばかりに、電話での問い合わせが始まりました。

 個々人からの電話の問い合わせ(電凸)でしたが、たまたま重なったために大学の通常業務ができなくなる程になりました。

 例えば、「どうして2人が言っていることが真逆なの?」「どっちが言っていることが正しいの?」「どっちが嘘を言っているの?」とかでしたら、ただの問い合わせですし、何の問題もないと思います。

 学長の見解=大学の見解になりますから、電話に応対した事務はそのように答えるだけでしょうし、さすがに分かりませんとは言えないし、言わないと思います。

 ただし、同じ電話でも「懲戒処分しろ」は大学への不当な介入になります。同一人物がしつこくそういうことをしたら、大学の出方次第によっては、罪に問われてしまう場合もあります。こういう人は、自分に返ってくる場合を考えていませんから、想像力が乏しい方になりますが・・・

 准教授の処分については、学長と見解が真逆になったこととそれによって業務が滞るくらいの電話を受けることになったことについて、あくまで大学が独自の判断(大学自治)ですることです。

 もし、学問の自由でリスクマネージメントについてだったのなら、准教授にそれについてのレポートや論文を提出してもらうと、大学も「准教授はこれを書くために、自身を実験台にしました」などとと対外的に格好がつくようになると思いますがね。

 なにしろ私学ですから、処分をどうするのかによっては、イメージダウンになったり、いろいろと影響を与えてしまったり、万が一受験生に対しての人気度が落ちて入学者のレベルダウンにまで繋がると大変ですから・・・ この処分を決めるのは結構難しいと思いますね。


 このエントリーの問題提議を考えるに当たって、思い浮かんだのですが・・・

 分かっていて意図的にやっている人にしろ、気づかないでやっている人にしろ、ネット声が大きいことで以下のようなことが起きることも可能性としてはあると思います。

 ネットに安易な気持ちで書き込み、その数が多いことである民意が出来てしまったとします。民意が大きいということで、それに議員が同調し、法改正されてしまいました。

 もし法改正が厳罰化の方向になっていたら・・・

 改正された後に罪に問われる立場になった場合に、厳罰化された法によって裁かれることになります。過去(罪が軽かった頃)に自身がした行為によって、将来(罪が重罰化された後)に自身が犯した罪に対して重罰化された罰が適用されることになり、結果的に裏にはまることになってしまいます。

 ここ数年の厳罰化の流れにしても、ネットの影響がないとは言えないのですから、ネット上の書き込みと言えども、くれぐれも考えて行動しないといけないと思います。

 その立場になってから、気づいても遅いですからね。。。

 エントリーについては、このように思いました。


 最後にモトケンさんに伺いたいのですが・・・

 こういう場合の電話は、内容が問い合わせや批判(クレーム)なら、問題ないように思いますが、実際にはどうなんでしょうか?

>>No.56 じじいさん

>>絶対的に保護されるとなると、真理探究のための表現活動であれば、例えば他人のプライバシーをいくら侵害しても違法な表現活動にはならないことになるわけです。

>この書き方は誤解を招くのではないかと思います。

「真理探究のための表現活動に必要不可避なのであれば」に訂正させていただきます。

(2)の「准教授の対外責任」のところで、必要不可避性について論じているのですが、確かにこの言葉だけが一人歩きする危険性もありますね。ご指摘ありがとうございます。


>>No.57 (ただいま謹慎中)さん

>規範の定立と、それに対する具体的事象のあてはめという議論のパターンは、判決をはじめ法律的な文章の基本なのでありましょう。
しかし、では、その論者が本当に「規範 → あてはめ → 結論」という順序で物事を考えて、演繹的に結論を導いているかというと、どうなんでしょうか。かなり疑問です。
多くの場合、自分の提示したい結論(あるいは辿り着きたくない結論)は決まっていて、それをあたかもロジカルに導いたかのように装うべく、判断の枠組みを後付で作っていることが多いように感じられます。


負け筋の事件で、弁護士が何とか最低限の体裁を整えるために理屈をひねくりだすようなケースの主張内容と、裁判所が出すべき判決の内容について、混同されていないでしょうか。、

確かに、裁判所の判決にも、時折、そのようなものがないわけではありません。いわゆる救済判例など。
救済判例は、利益考量という一つの法の理念を実現するためのものですから、総合的な法の理念の現れとして構わないと思うのですが、そのようなものではなく、固定観念にとらわれて、規範 → あてはめ → 結論という流れを不自然に歪めて判決を出す裁判官もおり、そのような判決は不当判決ということになると思います。

弁護士は、常に、裁判所が判決を出すとしたら、どのような内容になるだろうか、と予想しながら、仕事を進めています。しかし、訴訟で依頼者の利益を守るために、負け筋の事件では、かなり無理な理屈を出す場合もあります。結論で負け筋だからといって、負ける内容の主張を行うわけにはいかないですから。

># このスレやブログにおける特定の発言を念頭に置いたものではなく、「法律的な議論」一般に感じる印象です。

光市事件のことを念頭に置かれているのでしたら、刑事事件での弁護側は、基本的に負け筋事件であるということは押さえておいていただきたいです。

流れを読まずに書きますが。。。

瀬尾氏のブログを「居酒屋談義」規定することは、必ずしも瀬尾氏に不利な材料ではなく、瀬尾氏に電凸した人間を批判する材料ではないかと思うのですが?
例えるならこういうことでは、

ある人が居酒屋で飲んでいました。
隣の席で二人の客が俗悪的な言葉遣いで世間話をしていました。
会話から一人が准教授、一人がある会社のサラリーマンだと分かりました。
隣で話を聞いた人は翌日、二人の勤め先に「懲戒しろ!」と電話をかけました。

惰眠さんの

ところがなにを勘違いしたか、大学当局に「あいつを処分しろ」みたいにねじ込んだアホがおって、

という話につながるのでは?

>No.57 (ただいま謹慎中)さん

 時間がないので簡単にコメントしますが

「直感的に得られた、自分が採りたい結論について、他者に対する説得力を付与するための手順」

言い換えると「直感的な判断を客観的かつ論理的な結論であると見せようとすること」は、「法的思考プロセス」の特徴ではなく「人間の思考プロセス」の傾向だと思います。

 法的思考プロセスというのは、そのような人間の恣意的判断の傾向に対して、論理性と客観性を持たせるためにあるものです。

 もちろん、法律家も人間ですから法的思考プロセスを装って主観的判断を述べる法律家もいると私も感じていますが、法的思考プロセスはそのような「法的思考プロセスを装った主観的判断」を批判するための基準にもなるものです。

そうであれば、「法的な思考プロセス」を獲得することによって、その人の意見が変化することは少ないのではないか、という感じが致します。

 「その人の意見が変化することは少ない」というのは「『法的な思考プロセス』を獲得」とは関係なく、「その人」の性格の問題でしょう。

>No.58 参考さん

>こういう場合の電話は、内容が問い合わせや批判(クレーム)なら、問題ないように思いますが、実際にはどうなんでしょうか?

 どういう意味で問題になるかどうかが問題ですが、たぶん一人一人は善意なんでしょうね。
 一人が一回電話をかけたからといってその人に法的責任が生じるとは思いませんが、人の尻馬に乗って電話をかけるような人は「相手の事情を考えない人」という批判を大学側から受けるかも知れませんね。

メディアスクラムを仕掛ける報道陣も、一人ひとりに悪意はなく、取材せよとの社命を遂行し、マスコミとしての使命を果たそうとしているだけだと解釈することもできますね。

トピズレで恐縮です。

役所などには記者クラブ(ある種の「談合」ですね)を置いて「自制」するくせに、弱い個人を取材するときにはみんなで押しかけるマスコミも「困ったチャン」ですね。弱そうなところへ一気に押しかける「炎上」もここから来ているのかも知れませんね。
イジメや無抵抗なものへの暴力も根っこは同じなのかも・・・。

エントリ文に対するコメントです。

原則の承認を掲げたとしても、恣意的な判断や空虚な規定を例外として設定されるならば、原則は直ちに例外によってかじり尽されてしまう。

契約書の最後に「但し、以下の場合は適用外とする」と一文があり、そこが白紙で相手の判断に委ねられるならば、契約条項は空文化する。

「学問の自由」も同様に、適用外が誰かによって恣意的に設定されるならば、「学問の自由はある。但し、私の許す範囲内である。」となり、その私が外在に設定されるならば、それはもはや自由とは呼べない。

基本的人権は原則的に制限されない。基本的人権が制限されるのは他者の基本的人権が具体的に侵害される場合において、謙抑的に制約されるのみだと考える。

私もエントリの文章に立ち戻って見ますと

某大学の准教授の発言は言論の自由の問題ではないとか

についてはまったくおっしゃる通り。

質はともかくとして瀬尾女史の「言論」に対して「世間の声」が同じ土俵で(つまり「言論の自由」の土俵の中で)怒鳴りあいなり掴みあいなりなされば結構でしょう。

しかし「学問の自由」を引き合いに出すのは、この局面では場違いだと思います。それが出て来るのは「瀬尾を処分しろと言う世間の声」対大学当局、および「処分を検討する大学当局」対瀬尾女史(の「言論」)という対戦の時じゃないですかね。
「世間の声」対「瀬尾の言論」を、学問の自由の問題として論じなくちゃいけなくなるのは(実際にはそうはならなかったけども)瀬尾女史が問題ブログでの「言論」を「学問」だと主張したケースに限られませんかね。

どうもすちゅわーですさんの書き込みを見ていると、発言者が研究者であることに原因して「学問の自由」を根拠に、瀬尾批判の全てに対して「全部ダメ、一切合財ダメ」と言いたくて仕方ないって雰囲気を感じるんですよね。と言うか、そういう風に読めるわけです。
でもって、そりゃ木に竹を接ぐような話じゃないですかねえ、処分云々に絡んでくれば「学問の自由」を論じなくちゃいけないけど、そもそも瀬尾発言について「世間の良識」が大学当局に処分を要求すること自体が怒りの持って行き先を間違えた筋違い行為なのに・・・と言うようなことを何度か書いてるんですが、どうしても「学問の自由」に結び付けて論じなければならないとお考えになってるのかなあ。

>>No.66 惰眠さん

>どうもすちゅわーですさんの書き込みを見ていると、発言者が研究者であることに原因して「学問の自由」を根拠に、瀬尾批判の全てに対して「全部ダメ、一切合財ダメ」と言いたくて仕方ないって雰囲気を感じるんですよね。と言うか、そういう風に読めるわけです。

ですから、そんなことないですってば。
何故、そういうふうに思われるんでしょう。

私は、瀬尾氏を擁護しようとしているわけではないことを再三にわたって、きちんと説明してきたつもりです。

思いこみで「雰囲気を感じる」などと言われてもね。きちんと根拠を示していただけませんか?

逆に、私が「惰眠さんが、論理をすっ飛ばしてとにかく批判したくて仕方がないという雰囲気を感じるんですよね。」と言ったらどうしますか?

意味がない不毛な議論になってしまうでしょう。

私が学問の自由の話を持ち出したのは、大学と私企業を同視する発言があったからです。
本エントリーの趣旨は、感情に流されず、順を追って論理的思考をしていかないといけない、という点にあったと思いましたから、瀬尾発言についての認定のプロセスについて、どうなるのかを説明したわけです。

これは弁護士であれば、特に准教授が大学から処分を受けることを考えた場合には、必ず学問の自由との関係について考察します。フィルターに通すわけです。

私たちがやっている思考方法について、説明をしたに過ぎません。

その結果、学問の自由の論点を出すか否かは別問題です。

確かに、学問の自由という問題を、准教授や大学が行うのなら、逆にデメリットが大きいようにも思います。そういう点で、彼女や大学がこの問題について、公に学問の自由の論点を持ち出すのは「場違い」となるのかもしれません。

しかし、「持ち出すかどうか」ということと「考えるかどうか」は根本的に違うでしょう。

大学側が瀬尾氏を処分する際に、大学が顧問弁護士に処分の相当性を相談した場合にも、処分を受ける瀬尾氏が自分の弁護士に相談したした場合にも、また瀬尾氏発言によって傷ついた人たちが提訴したいと弁護士に相談した場合にも、すべての弁護士が学問の自由の問題を一度は検討はするんです。擁護しようとするか否かは関係なく、論理的思考のプロセスとして、考察しなければならないということなんです。

追記

学問の自由は、既に私が何度も説明しているとおり、表現の自由の特別法なんです。

一般法と特別法の優先関係は、言うまでもなく特別法からの検討が先であり、特別法の適用がない場合に、一般法の適用となるわけです。

ですから、「言論の自由」の問題を検討するより先に、「学問の自由」の問題を検討することになります。これが論理的プロセスです。

植草一秀氏の名古屋商科大学による免職処分を例に出すと、免職処分の結論を出すまでに「学問の自由」について勘案され、更に「学問の自由」の保護のための「大学の自治」により処分されたということだと考えます。

これが会社員でも「懲戒解雇」になる類似事象だと思いますが、その際の考慮点という話では厳密には相違する部分があるという理解ですが・・・

さらに追記

ちなみに、准教授のブログ発言が、彼女の研究テーマと関連性があるかどうは、私に聞かれても、「わかりません」としか答えようがありませんが、だからといって、ここでこれ以上、議論を止めるべきなどとは全く思っておりません。

どうやら、関連性がなさそうである、ということで、次の論点に移っていただけばいいと思っています。

「瀬尾批判の全てに対して『全部ダメ、一切合財ダメ』と言いたくて仕方ない」わけでは全然ありませんから。批判は批判でどんどんやればいいと思うんです。

ただ、どの枠組みの中で、今、批判を行っているのか、それを認識していただければいいということです。


(1)でお邪魔した門前子です。お昼ごはんをいただきながら皆さんのコメントを読ませていただきました。

私は電凸はしなかったし2ちゃんねるや青学の掲示板に書きこんだりはしませんでしたが、ここに最初に「(瀬尾発言は)すごすぎる」と書いた者です。そして電凸する人たちを強く非難する気にはなれないでいます。私も、ひょっとすると、あとちょっとでしたかもわからん。そう思うからです。

えーと、なんというか……私はネット右翼とかいうごたいそうなものになった自覚はありません(汗)。
そして、「○○は許せん!」的な怒りの表明をどこかで(たとえばモトケンさんのところで)するとき、横で連帯するというかネトウヨ仲間と連絡をとりあって、せーので攻撃するとかいうのも、およそ考えられないことです(大汗)。
ルサンチマン?そういう覚えもありません。とくに私は父親が学者ですから学者が特別に表現・言論の自由を謳歌しているとは思ってませんです(変人ぶりは会社員よりは許容されてると思いますが、大学に迷惑をかけたらやっぱりアウトでしょう)…ただ、学者は擁護だ!と熱くなる人の気持ちは、よくわかりません。彼らの理屈は理解できるのですが、実情に合致していないような、机上の空論を見せられているような虚しさをおぼえます。では、ふつうの会社員が≪瀬尾さん≫だったならば、「諦めて降格なり馘首なりおなりなさい」ってなわけじゃないんだろうなぁ?という素朴な疑問もわいてきます…そういう感覚がルサンチマン的なのかもしれませんが、しかし私は上司の締め付けのキビシイ会社員じゃないし(笑)。
日頃のストレスですか?そりゃあ、ありますよ。みなさん、あるんじゃないですか?
ストレス発散→電凸ってのも、単純すぎる推理みたいな気がしますよ?
ストレスは、関係あるかもしれませんが、それだけではないでしょう。
ただし、善意は意識されるけれども、ストレスは無意識ということはあるかもしれません。
また、モトケンさまは善意と書いてくださったけれど、善意だけならそれほど攻撃的になるわけもないのですし…。
私は自分の実感と照らし合わせて、人情が否定されまくる現実に対して感傷的になった弱くてフツウの浪花節派の人々が、現状を正す方法として効果的な手段を選んだとき、電凸も起こりうる。
のだと思うのですが…。
正義漢ぶるなって?そうですね、しかし誰の心にも正義はあるのでは?黙って「不愉快だ!」と思っていれば正義漢ぶってはいないことになり、声をあげたら正義漢ぶっているという断定の仕方は、とても危険なような気がします。正当な抗議をも封じ込めるような…。
瀬尾問題に限ってのことですが、炎上の書き込みをした人たちや、電凸をした人たちのすべてが正義漢ぶっているとも思いません。ただ、未だに青学の掲示板に汚い言葉を書きつらねている「吊るせ」系は、正義漢ぶってサディズムを満足させているのかもしれませんね。

ケシカラニズムの話は、深く納得いたしました。
たぶん私のような人間が社会にとってもっとも怖い存在なのだろうなぁと。そこまでわかっていても、なお、裁判員になったら、「死刑死刑!」と、やってしまいそうです。それと、駅のホームで煙草を吸ってる人がいても本人に注意して逆にやっつけれてはかなわないので、駅員にチクることは、今後もやめません(弱い者なりに最も効果的に「やめさせられる」方法を取る、という意味です。以前、私に瀬尾さんのことで「あなたは警察に通報しましたか?」と書いた人がありましたが、そんなことはしません。なぜなら瀬尾発言の場合は警察に通報することは有効な手段ではないからです。もっとも瀬尾さんのケースは電凸する必要ナシと私は判断したわけですが…。電凸した人の「理屈」はともかく「気分」は理解できる、と言うだけのことです)。
いろいろと頭では理解できるつもりでも、自分の感性を正すことは、どうも出来そうにないなぁと思っています。理性によるリクツは筋が通っていればわかりますが、リクツは呑めても、感覚的に、なんというか気分が、受け容れがたいことがあります。
あと、上から目線は、やっぱり気になります(笑)。

瀬尾発言に関して学問の自由の問題になるのは、大学の外の学問に由来しない批判を理由として瀬尾准教授がなんらかの処分を受けた場合に限られる。ただし処分は懲戒免職だけに限らず、学長が「注意した」に留まってもそれが外圧の影響であるなら学問の自由の侵害であることには違いない。

外部からの批判については、本人のBlogにコメントを投稿するのは問題ないだろう。本人に対するメールや電話、直接口頭で伝える等も相手の迷惑に配慮した範囲であれば対等な意見の交換と言える。(相手が迷惑を受けたせいで萎縮して意見を言えなくなってしまえば、言論の自由の侵害になってしまいます。)

大学に対して「辞めさせろ」「処罰しろ」と要求することは筋違いであり、そのような要求が認められてはならない。「この件で瀬尾氏は何か処分を受けましたか?」「彼女の文章に非常に不快な思いをした。」のような処分を暗に示唆する内容を大学に対してする行為はグレーゾーンかもしれないが、学問の自由の侵害にあたる可能性はある。

また、もし騒ぎが持ち上がる前から大学内で問題になっていたのなら、扱いが難しくなりますね。本件の前から、「次に何かやらかしたら今度こそ処分を与えなければならない」と思っていたとしても、外圧が来てしまったが故に処分できなくなってしまうということもあり得る。

No.69 カツビンさんが例に挙げられた植草元教授の事例なども考えてみると、大学は学問の府として、国家や宗教に対して学問の自由を勝ち取るために戦ってきた背景をがあるため、問題点が学問に関係あるかどうかにかかわらず、

大学に外から圧力を加える
 → 大学自治の侵害 = 学問の自由の侵害

というところまで考慮すべきなのかもしれません。

文句があるなら本人に直接言え。処遇は外野がごちゃごちゃ言うことではなく大学が決めることだ。と言ったところでしょうか。

>No.68 すちゅわーですさん

瀬尾氏を擁護してるんてカケラも思ってませんよ。どこをどう読めば、そういう理解になるのか大変困惑してるんですが・・・。
まさか、「瀬尾擁護論陣を張ってると誤読してつっかかって来てるんだ」とか思ってるんですか?
だとしたら前提事実の理解が間違いです。

准教授が大学から処分を受けることを考えた場合には、必ず学問の自由との関係について考察します。」は当然のことでしょう。これは言うまでもなく学問の自由の問題ですから。
ただ世間一般のやった電凸への感想や瀬尾女史の言動に対する風当たりなども含めて、そのフィルタリングを適用して「脊髄反射しないで慎重に扱え、学問の自由は憲法で保障されてるので守らなくちゃいけないんだ」と瀬尾女史への批判そのものを禁則扱いして書いているように読めるので、そこんところを「そういう理屈にはならない」と言ってるんです。このステージでは私人間の言論の衝突が起きているにすぎません。これは「学問の自由」を云々する問題ではない。

筆者の真意がどこにあるにせよ、大学が処分するしないと言うステージになってから適用する要素を、私人間の批評・批難の次元にまで持ち込んで「学問の自由は特別法だ」としているように読めるような文章(単独のコメントに限らず一連の流れを見て)を、法律家を名乗る方が書いていたのでは困るんですよ。
この前のツリーでも現にありましたように「それじゃ学者ってのは特権階級なのか、他人の人権を侵害しても学問の自由を口実に免責免罪なのか、ふざけんな」という『理解』をする人が必ず出るんですから。

>No.66 惰眠さん

 今回はやけにこだわっているなというのが正直な感想なんですが(^^;

それが出て来るのは「瀬尾を処分しろと言う世間の声」対大学当局、および「処分を検討する大学当局」対瀬尾女史(の「言論」)という対戦の時じゃないですかね。

 私もそう思ってますし、すちゅわーですさんもそうだと思ってるんですけど。
 そして、青学の学長が早々に「今後このようなことが繰り返されることのないよう努めてまいります。」という見解を発表した時点で、その「対戦」が始まった(かも知れない)と感じるわけです。
 多分多くの法律家は。少なくとも、私や町村先生やすちゅわーですさんはそう感じたわけです。

 今回の問題はそのうち落ち着くところに落ち着くと思いますが、大学としてきちんとした手順を踏んでいるかどうかが心配なので指摘するとともに、エントリ本文で述べた心配と関連してコメントしています。

処分云々に絡んでくれば「学問の自由」を論じなくちゃいけないけど、そもそも瀬尾発言について「世間の良識」が大学当局に処分を要求すること自体が怒りの持って行き先を間違えた筋違い行為なのに・・・と言うようなことを何度か書いてるんですが、

 その筋違い行為が、現実に大学の判断に影響を与えるとすればやはり大学の自治にとって脅威になるという意味で学問の自由と大学の自治の問題だと認識しています。

どうしても「学問の自由」に結び付けて論じなければならないとお考えになってるのかなあ。

 教員の発言による学内処分が問題になった以上、「学問の自由」に結び付けて論じるのは、当然のお定まりの思考プロセスですね。

 刑事司法では、どんなに罪状が明白な事件でも、犯罪成立要件として、常に構成要件該当性、違法性、有責性を確認しています。
 お定まりの思考プロセスという意味ではそれと同じだと思いますよ。

>No.53 モトケンさん

>大学がそのような多数の声に流されてしまうとすれば学問の自由・大学の自治の危機
 というなら、一般論としてその通りだと思います。しかしこれが成立するのは

1.大学が当該不適切表現を「学究的文章」であると見做すところ
2.であるにも関わらず抗議によって処断した場合

 でしょう。

 で、2に関しては、既に処分が検討されているわけですから(謹慎中という未確認情報もあり。謹慎は重い気もするのですが)、この問題は1に於ける大学の当初の判断(抗議のない状態で教授会なりが抗議箇所を「研究」と見做すか否か)に依存することになりますよね?

 モトケンさんの仰るとおり、「その大学の判断は世間の数の勢いや感情論情緒論ではなく、論理的・理性的・学問的な観点からの主体的判断でなければならない」ものでしょう。
 然るに、少なくとも私(とここにいらっしゃる少なからぬ方)の判断する限りに於いて、問題となった箇所について、「論理的・理性的・学問的な観点」から判断するにあたり、「『学術的文章であり、学問の自由の保護に値する』というレベルに達していないという見解の一致を見るわけです。内容云々以前に、まず「論文」としてのクオリティの問題としてから。

 教授会がもしそれとは異なる見解を取り得るというなら、そこでどのような「論理的・理性的・学問的な観点」や判断基準が想定しうるのか、そもそもそんな基準がありうるのかという話なわけです。
 ここに居る方々ですら具体的に想定できない「論理的・理性的・学問的な観点」を持ち出してまで「学問の自由の危機」のような話をするのは大げさだ、と。そんなのは詭弁のガイドラインの「ありえない仮定」に属する話ではありませんかね。


 或いは「大学の判断は完全に主体的であれば良く、学究機関の判断に対して一般的に想定する論理性や理性などを期待してはならない」という見解が憲法論なりにあるのでしょうか、素人考えですが、そんなのは権利の濫用であると私は思います。
 この場合に於いてのみ、「組織の名を名乗っての不規則発言を処罰しないことは組織としての良心が疑われる」旨の記述は誤りであることを認めますが、その代わり「学術組織としての良心や能力が疑われる」ことになるのではないかと。


>No.67 すちゅわーですさん |
>私が学問の自由の話を持ち出したのは、大学と私企業を同視する発言があったからです。
 まーたこんなこと言う。

於 No.174
>真理を探究することが使命の大学のあり方としてどうなのか、ということになります。

 これが学問の自由の話じゃないんですか? 私の発言は、これに対する違和感として「学業と関係ない不適切発言ならなら、私企業も大学も一緒なんじゃね? そんな大げさな話じゃなくね」ってところでスタートしてるでしょ?

今回はやけにこだわっているなというのが正直な感想なんですが(^^;

あはは、ちょっとそうですね。
ただ言わせていただくと、ご自身で「法曹と一般の方のズレをどう埋めるか、それが一つの課題であると思ってやっています。」とまでお書きになっているのですから、No.72 無印粗品さんがお書きになっているような問題点の立て分けをご自身のコメントにおいて明確にしていただきたいので、かなり執拗に食い下がる形になっています。
そういう意味では

「筆者の真意がどこにあるにせよ、大学が処分するしないと言うステージになってから適用する要素を、私人間の批評・批難の次元にまで持ち込んで「学問の自由は特別法だ」としているように読めるような文章(単独のコメントに限らず一連の流れを見て)を、法律家を名乗る方が書いていたのでは困る」
ということに尽きると言ってもいいでしょう。

>No.75 ミ ´Å`彡さん

 世の中には多数であることが正当化の根拠にならない、または根拠にしてはいけない領域があります。
 100万人の素人より10人の玄人の意見が尊重されるべき場合もあります。
 学問領域は、常にそのような可能性があるとして玄人の判断のフィルターを通すことが重要だとされているのです。

 なお、私企業の場合は、顧客の多数派の意向が極めて重要だと思いますが、少数派の考えが尊重されるべき学問の世界である大学と私企業を同列に論じることはできません。

教授会がもしそれとは異なる見解を取り得るというなら、そこでどのような「論理的・理性的・学問的な観点」や判断基準が想定しうるのか、そもそもそんな基準がありうるのかという話なわけです。

 あなたは環境経済学、環境リスク学、公共経済学の研究者ですか?
 たぶん違うでしょうね。
 違うという前提で続けますが、
 なぜあなたがそこまで言えるのか不思議です。
 私も意見はありますが、それが正しいかどうかは環境経済学を専攻している方の意見を聞いてから自己判断したいと思います。
 私には「ありえない仮定」とまで言う自信はありません。

そんな大げさな話じゃなくね」ってところでスタートしてるでしょ?

 だからスタート地点を間違えてます。
 そして私もすちゅわーですさんもそんな大げさ話をしているつもりはありません。
 しかるべき手順を踏みましょうと言っているだけです。
 学問の自由を持ち出しているのは手順を踏む必要性を説明するためです。

 

>No.73 惰眠さま

惰眠さまの主張される内容や論点を整理してみました。
以下のチャート図解のように理解しましたが、これで宜しいでしょうか?


------【瀬尾氏のブログ記事の文章】------------------------

言葉遣いや表現の汚さにより、文章の内容や論旨を検討する前に
読み手が嫌悪感を感じたり、文章で批判された者が侮辱感を感じる
    ↓
  NO−YES → YESなら、文章の内容が真理の追究を目的とした
  ↓        学術的な研究目的か検討する以前に非難の対象
  ↓                    ↓
  ↓         「学問の自由=大学の自治」の考慮以前の話
NOなら、
瀬尾氏のブログ文章が、学問の自由として保護を受ける余地がある
真理の追究を目的とした学術研究目的か否かを検討する
             ↓
 学術研究目的の文章と認められるなら、大学当局の処分の検討は
 「学問の自由=大学の自治」を考慮して検証されなければならない

-----------------------------------------------------


この前のツリーでも現にありましたように「それじゃ学者ってのは特権階級なのか、他人の人権を侵害しても学問の自由を口実に免責免罪なのか、ふざけんな」という『理解』をする人が必ず出るんですから。

禿同です。

大学人だから学問の自由という特別な権利がある。このように誤解するヤツが出て来るから、論ずるときには気を付けて説明すべきだ。
このように私も主張してきたつもりなのですが・・・。

学問の自由という権利は、表現の自由の特別法である。この理屈には無条件で同意です。

ですが瀬尾氏が青学大の准教授という属性をブログ上でも表記していたから、「学問の自由=大学の自治」視点からの考察を先に行なうのが当然だと理解する人間が出てきます。すなわち「准教授=大学人」だから「学問の自由=大学の自治」の検討が優先される、という誤解が蔓延する可能性を憂いています。

(もうこの論争からは降りますと宣言しましたが、惰眠様に触発されてつい書いちゃいました)

>No.73 惰眠さん

瀬尾女史への批判そのものを禁則扱いするつもりは全然ありません。惰眠さんがそう読まれたのなら、私の文章表現がまずいのでしょう。確かに学問の自由の問題の入り口のところで、議論が停滞していましたから。私が、批判そのものをさせないよう頑張っていたように見えても仕方がないのかもしれません。そこにもっと早く思いを馳せ、もっと早く誤解を解いていただくような、法律家が一般の方に向けて書く文章として適切な表現がなかったのか、それは反省材料とし、お詫びさせていただきます。そこの工夫をしないで、「脊髄反射」という刺激的な言葉を惰眠さんに投げつけて、申し訳なかったと思います。いつも冷静で的確な議論をされている惰眠さんによもや理解していただけないはずがない、と思っての過剰反応でした。どうも大会議室でぶった切る癖がついてしまって(^^;)

しかし、私がいいたいことはそんなことではありませんでした。

私が一番拘っているのは、
(1)ブログ表現が、研究テーマと関係がなさそうであるから、学問の自由の問題は一切、思考から除外する、という思考方法

ではなく、

(2)学問の自由の問題があるので、その関連性は検討する必要があるが、見る限りなさそうであるので、ないと仮定して、次の論点に進もう、という思考方法

が大切なのではないか、ということです。

わずかな違いですが、その違いはとても重要だと思ったのです。
これをご理解いただければ、私には何の不満もありません。

それから、私人間の言論の衝突が起きる場面でも、当然、学問の自由の問題が生じます。そもそも、ある言論が、他人のプライバシー・名誉を侵害しているかどうかという、表現の自由の問題とプライバシー・名誉の対立の問題は私人間における憲法規定の適用の問題です。この表現の自由が、学問の自由という特別法によって、さらに強化されたものであり、真理探究目的の表現行為であれば、絶対的保護を受けることになり、それが必要不可避の表現なのであれば、プライバシー・名誉を侵害しても違法にはならないということになるわけです。

瀬尾女史のブログ表現が、世論から批判を受けて然るべきかどうか、という問題も、論理的には真理探究目的があったか否かによって左右されることになります。

これも、真理探究目的がないように見えるから、ないと仮定して話を進めよう、というのであれば、私には何の不満もありません。

>>No.78 法務業の末席さん

>瀬尾氏が青学大の准教授という属性をブログ上でも表記していたから、「学問の自由=大学の自治」視点からの考察を先に行なうのが当然だと理解する人間が出てきます。すなわち「准教授=大学人」だから「学問の自由=大学の自治」の検討が優先される、という誤解が蔓延する可能性を憂いています。

それは誤解とは言い切れないと思います。大学人の言論は、真理探究目的があると「推定」されますから。
ですから、弁護士の思考方法としては、このようなケースではまず、学問の自由による保障を受けうるかを検討することになるわけです。

 ひょっとして、今でも、

 Aさんの発言には、言論の自由の問題がある

 と言うと、それは

 Aさんの発言は言論の自由として保護されるし、処分されないし、処分されるべきでない。

 という意味だと思っている人がいるかも知れないという不安を覚えているんですが、皆さん大丈夫ですよね(^^;

世間一般では、大学は遊興施設と思われているので、趣味探求目的を想定できても、なかなか真理探究目的まで想定するのは困難と思われます。以前、ここの場外乱闘でも法学部は阿呆学部と言われているとか。

>No.78 法務業の末席さん

ですが瀬尾氏が青学大の准教授という属性をブログ上でも表記していたから、「学問の自由=大学の自治」視点からの考察を先に行なうのが当然だと理解する人間が出てきます。すなわち「准教授=大学人」だから「学問の自由=大学の自治」の検討が優先される、という誤解が蔓延する可能性を憂いています。

私が認識しているのは「この誤解」とある程度一致してます。
そして「学問の自由=大学の自治」の検討を優先しても、結果的には大学への抗議も批判に当たらないという判断もあり得るとしてます。

また大学人以外(全ての国民)にも「学問の自由」が保障されていて、ある事項・事件において考慮・適用される場合がある事は認識してます。

どこに誤解があるんでしょうか?

検討の過程に学問の自由について含めるべきとして、
氏のブログ発言が、氏の研究テーマと関連性があるかどうか判らなくても、「次の論点に移っていただけばいい」(No.70 すちゅわーですさん)。
しかも、氏の発言が学問の自由の問題となるか判断できる人は少ない。(少なくともここにはいない?)
だとすると、学問の自由の問題になるか判断しない(できない?)で行なう氏の発言への批判は学問の自由への侵害になるのでしょうか?
判らないものは判らないものとして扱い、「学問の自由の問題かも知れないけど、表現の自由の範囲は逸脱している」等と言うべきなのでしょうか?

まず、瀬尾氏に対する電凸は一本残らず瀬尾氏に対する圧力を意図したものであり、瀬尾氏に対する懲戒処分を期待するものです。

電凸とはそもそもこうした行為ですから。

違うと言うのであれば、電凸をした人間と当該大学もしくは当該教授とは一体どのような関係があるのか、大学当局に電話をかける何の理由があるのか、合理的で納得のいく説明をして頂きましょう。

さて、散々言われているように、「あなたの意見には反対だがあなたが発言する自由は命をかけて守る」なので、上のような表現行為は排除されて然るべきものです。

基本中の基本ですが、表現の自由を守るためには上のような他者の発言を妨害するような表現行為は絶対的に禁止、排除、弾圧をしなければいけません。

以上、簡単でシンプルな話でしたね。

>>No.84 gaiyaさん

>だとすると、学問の自由の問題になるか判断しない(できない?)で行なう氏の発言への批判は学問の自由への侵害になるのでしょうか?

ならないと思います。言論による批判については。
それに対して、准教授に反論があるのなら、同じく言論によってやればいいことだと思います。

>No.83 自己レス

「視点からの考察を先に行なうのが」の記述が見えたので、思考の時間的順番として「優先」を表現しているならば誤解も解ります。

「優先」は思考過程の時間的順番というより、思考し判断する際に念頭に置いておくべき優先順位と認識してます。

なんというか、えらくややこしい議論になっていますが、私はNo.85 ponさんのコメントがほぼ総括と言っていいかと思いますよ。

どれほど丁寧で理を尽くした物腰であろうが、准教授ではなく大学に電凸した、という時点でもはや「言論対言論」とは言えないでしょう。結局のところ、こういう炎上において勤務先や所属先に電凸する行為は「お前んところのアイツを何とかしろよ」というメッセージに他ならないのですから。

>No.88 みみみさん

私には総括にみえないんですよ。
このエントリは思考・判断過程において「学問の自由」が関係するか否かという部分に焦点あてていると思っているので・・・・

そして電凸しても批判にあたらない場面もあり得ると考えてます。
(脅迫や反社会的行動の扇動など)

No.61 モトケンさん

有り体に言えば、ある憲法上・法律上の争点について、

・論者が、「その処分が違憲ないし違法である」という結論を導きたい場合は、厳格な違憲審査基準・法解釈を採用する。

・論者が、「その処分は違憲ないし違法でない」という結論を導きたい場合は、緩やかな審査基準・法解釈を採用する。

ということはないのでしょうか。

ある争点に関する法律解釈、適用すべき審査基準については、常に一定の幅、選択肢が存在します。その中からいずれを選択するかというのは、結局のところ、結論から逆算されているのではないか、ということが申し上げたかったのですが。

関数に例えていえば、代入すべき値は既に決まっている(事実関係として存在する)ので、欲しい解を導けるような関数を自分で選び出す、という感じです。

「法的思考プロセス」において、いかなる規範を採用するのかという点は、「論理性と客観性」によって決まってくるものなのでしょうか。

「まず判断の枠組みが論理的・客観的に決まる。その後、そこから結論が導かれる」というのは、法律家としての実感に即したものですか?

>No.77 モトケンさん
>なぜあなたがそこまで言えるのか不思議です。
 私は「環境経済学、環境リスク学、公共経済学」に於ける判断にはとえいあえず立ち入ってませんよね? 
 一般に研究論文に於いては、科を問わずメタなレベルで、在り方として押さえねばならない、最低限の形式や要件があり、瀬尾センセの不適切箇所については、それすらを満たしていないんじゃないかって話なのですが……。「そうした諸学や青山学院に於いては、形式の整っていない、事実考證すらなされない論文でも認められる」という可能性があるなら話は別であり、私の不見識です。

※ここまで書いて整理したところ、本件が「学問の自由」の問題を帯びる可能性を棄却する充分条件として、「教授会があれを学問とは見做さない」という最終命題があり、その證明として「当該文章は一般的な『研究』としての形式を満たしていない」「『研究』としての体をなさない文章を教授会は学問とは見做さない」という展開なのですが、「『研究』としての体をなさない文章を教授会が学問と見做す」ことがあり得ないことを示さねば不完全證明ですね;


> なお、私企業の場合は、顧客の多数派の意向が極めて
>重要だと思いますが、少数派の考えが尊重されるべき
>学問の世界である大学と私企業を同列に論じることはできません。

 これは、顧客の多数派の意向を問う必要のない私企業でも、役所でも、任意団体でも、組織名を名乗って不適切発言をし、それを放置というなら「良心が問われるんじゃないの?」という記述です。不用意に「良心」という言葉を使いましたが、世間的な良心程度の意味です。
 「うちは学問と関係ない不適切発言があっても放任しています」と言ったなら、「ふーんあそこの大学ってそういう大学なんだ」と評価されるでしょう。そう評価されても、それが学問の自由だと言うなら、「学者の良心」を胸を張って主張すればいいというだけの話です。(もちろん、世間的良心が問われることで次に呼びかねない事態は肯定しません。)

 今回の件に関しては、青山学院にあってもそういった評価のされ方が本意ではないから謝罪したのではないでしょうか。(もちろん圧力云々がウザいからというのもありましょう)して、その反応が私企業のそれと如何ほどの差があるのか。
※尤も、上記は「研究ではない」行為を想定して述べたものですから、その想定がまずイカンというなら上記の文は意味を為しません。

>No.89 カツビンさん

初代スレッドは「言論の自由」を軸にしていたので食指が動いたんですが、現スレッドの流れはちょっとノレないんですよね。またぞろ「議論のための議論」に堕ち込みかけているような気がして。

たしかに今の流れからいうと「総括」という言葉は当たっていないかもしれませんね。ひとスレッドずれていたようです。
カツビンさんのおっしゃるように、犯罪防止という緊急性があれば容認しうるケースもあるでしょうけど、だとすれば電凸相手は警察なんじゃないかな、とも思います。少なくとも准教授のケースでの電凸行為は、言動はどうあれ実体としては「大学への筋違いなプレッシャー」と見なすしかないでしょう。

>No.79 すちゅわーですさん

「批判」と言う言葉の指す内容にもよりますが、どのような言説であっても批判は当然受けるものでしょう。
それが学問の成果たる『学説』や『論文』も類するものであるならばなおのことです。批判に耐え切れず全否定されてしまう『学説』だってあるわけです。再現が出来ないとか、仮説と実験結果が整合しないとか、実験の精度が足りないとか論理に飛躍があるとか、データ解釈が恣意的に過ぎるとか。
「ゲーム脳」みたいに。もしくは氷の結晶がナントカいう話みたいに。

また論旨とは別に筆者の言語能力にかかる部分で「批判」「批難」が起こることも、それ自体は「学問の自由」と相容れないものではないのではないでしょう。
「奴を辞めさせろ」「発言させるな」等の抗議も、大学がどこ吹く風で聞き流しているうちはまだ、学問の自由の問題として論じるところにはちょっと届いてないと思います。危険水域だとは思いますけども。(抗議者が「言論の自由」や「学問の自由」を解していないことについてはまた別論です。そうした論者にも「言論の自由」はありますし)

誰のいかなる言論であれ、批判や批難は常にありうべしと言うのが基本的な考え方なので、No.78 法務業の末席さん のチャート図は、ちょっと私の考えているところとは違います。
私の考え方は寧ろ階層構造で、「論旨」以前の次元での抗議に対しては相応のレベルの対処をすればよく、いわば窓口受付で対処できる問題に、店長や社長を引っ張り出してくるのはおかしいでしょう、と言うような感じです。それでも店長だ社長だ責任者呼べと言うような相手には、その要求に乗っからない別の対処手段があると思います。

なお、瀬尾女史の件の発言を「学」のカテゴリに入れべきか否かに関しては、私は明確に「否」と結論します。
研究者・学者による「学」説であれば、その矜持にかけてでも死守すべきところ、女史はブログを入り口から認証制にすると言うような対応で「論」の防御そのものを放棄し逃亡しましたから。
本人からしてそのような対応を取る言論を、学論のひとつとして取扱う必要はない、と言う判断です。

カツビン様、みみみ様
この事件には瀬尾氏、電凸者、青山大学の三者の登場人物がいます。
上の私のコメントは、瀬尾氏対電凸者の関係に視点をおいたものであり、学問の自由の問題は大学自治という観点において、電凸者対大学当局の関係で発生するものです(と、解釈してます)

前者の関係において電凸者の行為が不当かつ不適切であるという前提なら、後者において大学当局の対応は問題にはなりません。
せいぜいクレーマーにどう対応するか、という程度の話です。

>>No.93 惰眠さん


>「批判」と言う言葉の指す内容にもよりますが、どのような言説であっても批判は当然受けるものでしょう。


それはそうだと思います。
完全に同意します。

しかし、ある言説が批判を受けたとして、それがどのような批判に「値しうるのか」、という点において、それが真理探究目的があるのか否かが問題になるわけです。

真理探究目的があり、その表現が必要不可欠なものであったのなら、一見、品性を欠く表現であったとしても正当化されることになります。


>なお、瀬尾女史の件の発言を「学」のカテゴリに入れべきか否かに関しては、私は明確に「否」と結論します。
研究者・学者による「学」説であれば、その矜持にかけてでも死守すべきところ、女史はブログを入り口から認証制にすると言うような対応で「論」の防御そのものを放棄し逃亡しましたから。
本人からしてそのような対応を取る言論を、学論のひとつとして取扱う必要はない、と言う判断です。

「学」ではないという一つの根拠にはなると思います。しかし、彼女の研究テーマを知らない私は、これによって真理探究目的がないと断言する自信はありません。

 言説が学であるとかないとかは誰がどう判断しようと自由だと思いますが、大学が所属する研究者に対する処分の前提として考えるときは学問の自由が問題になりますよ、というだけの話だと思うんですけどね。

 惰眠さんがどう考えようと、その考えをこのブログで述べている範囲では、それは女史の学問の自由の問題ではないと思います。

 要するに、大学の自治という制度的保障下の問題だと思います。
 いわばコップの中の嵐です。
 でもそのコップは最高裁によって憲法によって保障されていると解されています。
 かなり大事なコップです。

 ところで、大学の自治という言葉を大学経営と考えているらしい人もいるようですが違いますよ。

>No.90 (ただいま謹慎中)さん

 前のレスとかなり内容が違ってきてるような気がしますよ。
 今は長文を書く余裕がありませんが、結論の部分についてコメントしますと

>「まず判断の枠組みが論理的・客観的に決まる。その後、そこから結論が導かれる」というのは、法律家としての実感に即したものですか?

 私も直感的に結論が見えることがあります。
 これはたぶん、囲碁や将棋のプロが次の一手を決めるときのプロセスに似ているような気がします。
 プロは、ほぼ直感的に最善手が見えるらしいです。
 読みというのは、直感的に見えた手が本当に最善手かどうか確認するために読んでいることが多いとのこと(怪しい伝聞です^^;)

 我々(法曹)も直感的に妥当は結論はこうじゃないかなと考えていることは事実です。
 でも、その直感の前提には適用可能な条文とその解釈や同種事案に関する膨大な知識と経験があります。
 そして、自分の直感的な結論が証拠と解釈論の両面において妥当性または説得力を有するかを考えています。

 決して恣意的な判断をしているわけではありませんし、恣意的なつまり自分側にとって有利なご都合主義的な判断や解釈は説得力を持ちません。
 

>No.93 惰眠さま

誰のいかなる言論であれ、批判や批難は常にありうべしと言うのが基本的な考え方なので、No.78 法務業の末席さん のチャート図は、ちょっと私の考えているところとは違います。

了解しました。
私のチャート図は惰眠様も言及された、筆者の言語能力にかかる部分での「批判」「非難」の部分に注目しすぎですね。

また論旨とは別に筆者の言語能力にかかる部分で「批判」「批難」が起こることも、それ自体は「学問の自由」と相容れないも のではないのではないでしょう。

     ◇

また瀬尾氏が青学の准教授でしたが、もし仮に一家の主婦でありながら趣味で学問的な研究に人生を捧げている「市井の学者」であったら、学問の自由による保護はどのように配慮されるのか。という疑問の答が見つからない私自身のもどかしさがあります。論証において「もし仮に論」というのは余り意味をなさないのは承知していますが・・・。

さらに付け加えるなら、私自身はどうも「学問の自由&大学の自治」という言葉に、私は大学教授という地位・肩書がもたらす優越の感覚をつい連想してしまいます。これは私が大学紛争のまっただ中で接した母校の教官の多くが、自己の学問的探求の機会がゲバ学生に奪われたことを憂うよりも、大学教授という尊敬を受けることが減ったことを残念がっていた、という個人的な印象体験に未だに引きずっている為なのかもしれません。

日頃、興味深く拝見しております。
ここにコメントしている皆様は、前提条件として認識されていると思うのですが、私は「権利は義務とセットである」と考えています。

「表現の自由」などの「自由」は権利だと思うのですが、それに伴う義務が発生することを忘れ、「何でも好き勝手にすることが自由である」という見方には、反対です。たとえば、個人のブログで自分の意見を述べる自由はあると思いますが、読み手に配慮する義務(表現方法など)があると思います。

>No.91 ミ ´Å`彡さん

 念のためですが、学問の自由は論文発表のときだけに問題になるのではありません。

>「『研究』としての体をなさない文章を教授会は学問とは見做さない」という展開なのですが、「『研究』としての体をなさない文章を教授会が学問と見做す」ことがあり得ないことを示さねば不完全證明ですね;

 大学、具体的には教授会の判断が尊重されるべきであるということです。
 あり得ないかどうかは重要ではありません。
 「あり得ない」ことを示さなければならないとなったら、裁判制度も成り立ちません。

>これは、顧客の多数派の意向を問う必要のない私企業でも、役所でも、任意団体でも、組織名を名乗って不適切発言をし、それを放置というなら「良心が問われるんじゃないの?」という記述です。

 とういことであれば「私企業」を組織の代表としてあげるのは不適切だと思います。
 組織の行動原理が違いすぎます。
 不適切の判断基準も違ってきます。
 あなたの意見が妥当するのは(私立)大学の私企業的側面(経営面)においてのみです。

>今回の件に関しては、青山学院にあってもそういった評価のされ方が本意ではないから謝罪したのではないでしょうか。

 たぶんそうだと思います。

>(もちろん圧力云々がウザいからというのもありましょう)して、その反応が私企業のそれと如何ほどの差があるのか。

 謝罪したところが青学の私企業的側面と見うるのであり、そこが学問の自由や大学の自治の観点から批判を浴びる根拠になり得るところです。

>No.96 モトケンさん
仰るとおりです。その点は「業界内」で(処分について)どのように判断するかだけの話です。そして研究者と研究機関の二者問題になった場合は不可避的に「学問の自由」が出て来ざるを得ないことも了解しています。

したがって先のコメントは単に、あの瀬尾氏の言説を「学問の自由」の切り口で論じようとは私は考えない、との意思表明に過ぎません。

ただし、あの言説を瀬尾氏が「これは自分の学術研究の一環である」旨を主張し、かつその主張に一定の強度があったならば、逆に今度は「学問の自由」の観点から大学が行う処分を批判したかも知れません。
現状でも、まるで大学が世間(の一部)のビビッドな反応に過剰反応しているように見えるので、世に阿るが如き対応の仕方は「いかがなものか」と思っていますけども。

>>No.99 Feriさん

>私は「権利は義務とセットである」と考えています。

仰るとおりです。でもこの認識がなく、権利主張ばかりする人が世間には多すぎますね。

>たとえば、個人のブログで自分の意見を述べる自由はあると思いますが、読み手に配慮する義務(表現方法など)があると思います。

当然のことですね。ある意見が他人の名誉やプライバシーを侵害した場合には、法的責任が発生しますし、そのような権利侵害がない場合でも、不愉快な文章を書いた場合には、倫理的責任が発生し、言論による非難を浴びます。

しかし、このような法的・倫理非難を受けても、言い返せるだけの正当化根拠があるかどうかが、問題になっているわけです。それが「学問の自由」であり、真理探究目的なわけです。

>すちゅわーですさん、モトケンさん

すちゅわーですさんやモトケンさんのご懸念には、すなわち大学当局ではなく、一連の彼女の発言自体に立腹・失笑する段階において「大学人の発言には学問の自由の問題があるのだが、法の素人はそこの思考プロセスをきちんと経ていないのではないか?」という点が含まれているのでしょうか。

だとすれば(単なる個人的見解になりますが)今回の瀬尾さんの各種発言を前にした最初の時点で、それが「学」ではないと判断するのに合理的な疑問がないかを論考し、少しでも疑問の余地があれば「学」かも知れないと「推定学説」認定するような法の素人は、相当レアキャラに思われます。
ですので、なるほどプロと素人の価値判断手順の乖離というものは、相当に広いのだなあと驚嘆した次第です。

そしてそのご懸念は、おそらく杞憂には終わらず、純然たる事実として存在しているのだと思います。

ただ、その点のみに関して言えば、そんなにおかしな状況とも思えないのですが(^^;

>No.101 惰眠さん

>世に阿るが如き対応の仕方は「いかがなものか」と思っていますけども。

 要するに、この一点に尽きるのではないかと思います。

>>No.103 Yachtさん

この学問の自由の問題は、かなり高度に専門的な問題になると思います。

この話が延々展開されることに対して、私は、エントリーの趣旨に反しないか、内心忸怩たるものがあるのですが、話の行きがかり上で、このような展開になってしまっているわけです。

本当はもっと一般の方にもわかりやすい、表現の自由の問題なりで論考していった方が良かったのかもしれません。

ただ、法律家の考えがどのようなものか、それを一般の方に理解していただくという点では、意義があったのではないかと思います。

No.86 すちゅわーです 様
>ならないと思います。言論による批判については。
それに対して、准教授に反論があるのなら、同じく言論によってやればいいことだと思います。

お返事ありがとうございます
ある人の発言が学問の自由の射程内であるかどうかは大抵の人は判定できない、そして、その判定をせず、発言内容そのものを批判することは構わない。
実態的な差異は無いかもしれないが、思考のプロセスに学問の自由の問題を入れておくことは、学問の自由の重要さから大事なことである、ということでしょうか?

そして、発言者に対する言論による批判でなく、雇用主に対するクレーム行為は認められない、と。

>>No.106 gaiyaさん

>No.105でもコメントしたのですが、かなり高度で専門的な問題ですから、あまり詳細なことを一般の方が知らなくてもいいとは思います。
でも、学問の自由という問題があり、それによって大学自治が保障されているという程度のことは知っておかれてもいいと思います。

雇用主というか、大学に対しても、言論によるクレーム(メール、封書等)は構わないとは思うのですが。でも電凸は本件に限らず、誰に対しても、止めて欲しいですね。これは本当に迷惑行為ですから。やるんだったら、相当に考えてからにして欲しいです。

>権利と義務はセット論

イデオロギーの一つとしてはあり得ても、現実とは異なります。

権利は権利、義務は義務として独立に存在するものです。
少なくとも憲法規定において、権利を享受するために要件としての義務は存在しません。
逆に権利を放棄したとしても義務を果たさなくてもよい、ということにはなりません。

それが許されるなら税金や年金を払わないことが正当化されてしまいますw

>No.108 ponさん

権利を行使する際には、他人の権利を侵害する危険性が常にあり、それを考えながら行使していかないといけないということですよね(内在的制約)。
No.99 Feriさんは、そのことを理解した上で、それを「義務」と表現されていると思います。

大学自治のお話で確認を。


大学が瀬尾氏に処分する場合、当然処分の根拠が問われることになり、その根拠が学外の人間の、およそ正当性のないクレームによるものであった場合、大学は"自治"を果たしていると言えるか?
大学が自治を果たさないのであれば、それは学問の自由の放棄ではないか?


私は上のように解釈してますが、いかがなもんでしょう?

書いてて思いましたが、これは弁護士会対懲戒請求者の構図そっくりですね。

>>No.110 ponさん

理念的には、あってはならないことだとは思いますね。学問の府としての大学の自治ならぬ自死になると思います。

対外的な批判をかわすために、注意処分程度にするのなら了解できるのですが、それ以上の処分を下すことについては・・・。

大学の処分が不当なものであった場合に、それが司法審査の対象になるかについては、部分社会の法理という難しい問題があるんですが、まあ、深入りはやめておきましょう。

一般の人向けに纏めてみました。

1 Aさんは、「表現の自由」を根拠に、自由な意思や倫理観による発言・クレームの表明が出来ます。
2 しかし憲法により「学問の自由」が「表現の自由」より強く保護されて居ます。
3 だから「学問の自由」を根拠に「表現の自由」が全否定される場合が有ります。
4.その場合には、Aさんは違法行為を行った事になります。
5.尚「学問の自由」を判断するのは専門家である学問の研究機関です。

電凸の前に思い出してくださいね(^^) 

これでいい?

これはちと違いますね。

表現の自由と学問の自由は対立・衝突するものではありません。

それから、電凸と、電話を使わないメールや封書、その他言論による批判は同一視できません。

そのケースでいくと、まず、単なる言論による批判については

1 Aさんは、「表現の自由」を根拠に、自由な意思や倫理観による発言・クレームの表明が出来ます。
2 しかし憲法により「学問の自由」によって、准教授の言論は正当化されることがありますので、Aさんの発言・クレームは的外れになり、Aさんは恥ずかしい思いをするかもしれません。


電凸については、

1 電凸は、相手にとって迷惑行為になるものなので、Aさんが安易に電凸をすると、場合によっては業務妨害罪が成立したり、民事上の損害賠償責任を負うことがあります。たった一回の電凸であっても、理論上は、これらの責任が発生しうるのですが、軽微であるので、可罰的違法性がなかったり、民事上の提訴にまでいたらないだけかもしれません。

2 電凸をしても、Aさんが責任を負わなくてもよい場合は、電凸をする正当な理由がある場合です。「学問の自由」によって、准教授の言論は正当化される場合には、Aさんには原則、正当な理由はないことになります。

3 准教授の言論が正当化されない場合でも、単なる腹いせの電凸は正当な理由があるとはいえません。


という感じでしょうか・・・。本件で、電凸が正当化される場合についてはにわかには思いつきません・・・

No.112 MultiSync様

何かすごーく、違和感というか、どっか極端すぎてるというか・・・
一般向けという、ご配慮にはありがたいような気はしますが、そんな纏め方でいいの?と思いますし、今まで活発な議論で注目してましたし、すちゅわーです様やモトケン先生には、あらためて法曹・非法曹との論理上の乖離感をなんとか埋めようとするご指導には敬意を感じ、また他の様々な論客の方々にも感謝しておりましたが・・・その纏め方には、どこか嫌味な所を感じるのですが。

嫌味のつもりはないと思いますよ。これまでのMultiSyncさんのコメントを見てきたかぎり。

No.112 MultiSync 様
勝手に付け加えさせていただければ
6.安易な電凸は、「表現の自由」の萎縮を招き引いてはAさん自身の表現の自由が制約される恐れがあります。

と、言うところでしょうか?
今回の件は、「雉も鳴かずば……」で、組織に所属して実名で意見表明すれば、所属組織から何らかの処分を受けるリスクは常にある、ということの例とも思えます。

小生もMultiSyncさんの発言は厭味とは思えませんでした。

初めに宣言しますが、すちゅわーです様やほかの方がおっしゃる通り、本件に関して大学当局に苦情を言うのは筋違いだと思いますし、ましてや「処分」を求めるなどの行為は「あなた何様?」であると思います。

その上でモトケン様とミ ´Å`彡様のやり取りを拝見してますと
「准教授のブログのコメントが非難に値するか否かの判断は「玄人(その手の学会か教授会でしょうか)」が行うべきで、素人が行うことはまかりならん(例え私的なブログであったとしても肩書きを付けて公表している限りは)」とのように思えました。

前スレで小生は「准教授に意見がある場合、准教授に対する「言論」での「批評」を行う自由もあるのでは?」とコメント致しましたが、その考え方は失当であり、批評の自由は「玄人」にしか許されないことであるように思えます。

確かに「ブログにおける准教授の一連のコメントが市の専門であるところの「リスクマネジメント」と学術的に一切関係のないことを証明せよ」と言われましたらお手上げです。
※個人的には「随分反面教師として勉強になりました」という感想なのですが「チラシの裏」ということで。

No.97 モトケンさん

あ、別に「法的思考プロセスなんて恣意的なものに過ぎない」などと言いたい訳ではありませんので。

「法的思考プロセス」というのは、「正しい結論に到達するための道具」というよりは、「直感的に得られた結論の正当性を対外的に論証するための手順」という意味合いが強いのではないかと思っておりまして。

だとすれば、素人的感覚で物を言っている人が「法的思考プロセス」を経て発言したとしても、そこで達成されるのは議論の精緻化であって、結論の変容ではないのではないかと思い、茶々を入れさせて頂いた次第です。


あと、話をややこしくしているのが、具体的な委任関係を離れて論評する場合と、事件を受任してクライアントのために主張する場合とで、「法的思考プロセス」の内容が変わることでしょうか。No.59 で すちゅわーですさん が指摘されていることと同じですが。

例えば、グリーンピースによる「荷物持ち出し」について、「違法性なし」という弁護士の見解も、まさに「法的思考プロセス」を経た結論なのでありましょう。しかし、その弁護士も、自分と無関係な団体が同じ行動を採った場合、「違法性なし」とは断定しないのではないかと想像します。まさに「法的思考プロセス」に従って、違法性阻却事由のないことを論証することでありましょう。

刑事事件、民事事件における、いわゆる「無理スジの主張」についても同様でしょう。内心では不合理と思いつつも、クライアントにとって少しでも有利な主張を展開するのが弁護士の職責となる場合がありましょう。

この場合、「法的思考プロセス」というのは、「公平な立場から見れば不合理な立論ではあるが、クライアントにとって有利な結論を導くための便法」として姿を現すことになりましょう。

あるいは、これは既に「法的思考プロセス」とは呼ばないのでしょうか?

>これまでのコメントを見る限り、嫌味のつもりはない

すると、上のコメントに限れば、嫌味・・・・
と、思われるのは文章が拙いだけです(^^;

いえ本音は「何かしら要領を得ないんで気持ち悪い」です。

例えば
>すちゅわーですさん
>これはちと違いますね。
>表現の自由と学問の自由は対立・衝突するものではありません。

私は「発言」と「学問」がもろに衝突!した場合の順位を書き出しているので、
「違う」なら「論理的に違う」ところを指摘してほしいんですが。

「主張が違う」という意味なら。「憲法上の順位付けとは無関係?」と新たな疑問が発生します。

「単なる言論による批判」について、「恥ずかしい思い」で済むようなニュアンスですが。
例えば、Aさんが実はA新聞の社説とか雑誌を発行していたなど、攻撃された学者が社会的に大きなダメージ、な場合も「言論」の想定範囲。

視点を変えると、電凸だけを特別扱いするのは根拠が弱いのでは?
ともなります。

「学問の自由の評価云々」は、それとは縁の薄い大勢の人々には「ん?自分は関係無いだろ」程度なので、焦点がはっきりしないと訴求力が・・

瀬尾氏の発言が学術的であるか否か、特に問題になることとは思えません。

大学自治には当然人事権が含まれます。
いかなる教員を採用するか、もしくは解雇するかを大学が独自に、専制的に決定することも大学自治に含まれます。

である以上、学外の人間による人事権に対する干渉が生じた時点で、これは明白な大学自治に対する攻撃であり、学問の自由の問題になります。

この際、瀬尾氏の発言が学術的であるかどうか、大学当局が研究活動と認めるかどうかは問題になりません。

と、思うんですがいかがでしょうか。

>No.117 電算屋さん

「准教授のブログのコメントが非難に値するか否かの判断は「玄人(その手の学会か教授会でしょうか)」が行うべきで、素人が行うことはまかりならん(例え私的なブログであったとしても肩書きを付けて公表している限りは)」とのように思えました。

 ため息をついてますが(^^;

 上記の「非難」が言論にとどまっている限り、たとえ誹謗・中傷であったとしても素人の言論の自由の問題でしょう。
 つまり、「素人が行うことはまかりならん」ということではありません。

 しかし、「非難」が処分のレベルに達しますと、それは言論を超えます。
 処分のレベルの判断については、処分権者である大学の判断を尊重すべきであるということです。

 言論による非難と身分にかかわる処分は別物です。

 これを混同している議論が多いのでため息が出てくるのです。

>>No.119 MultiSyncさん

>私は「発言」と「学問」がもろに衝突!した場合の順位を書き出しているので、
「違う」なら「論理的に違う」ところを指摘してほしいんですが。

基礎的な事なんですけど、「言論には言論を!」なんです。研究成果公表も一つの言論ですから、それに対しては、言論によって批判をすればいい。批判を受けたら再批判をすればいい。それだけのことなんです。

言論が言論を侵害することはありません。表現の自由が表現の自由を侵害することはないのです。
表現の自由が侵害する危険性があるのは、他人のプライバシー権や名誉権です。


>例えば、Aさんが実はA新聞の社説とか雑誌を発行していたなど、攻撃された学者が社会的に大きなダメージ、な場合も「言論」の想定範囲。

これは、A新聞の社説によって、学者のプライバシー権や名誉権が侵害されるかどうかという問題で、学者の言論の自由が侵害されているわけではないんです。学者は言いたいことがあれば言えばいいのですから、何も言論の自由は制限されていない。
A新聞が学者の論文などの内容について酷評するのであれば、これは正当な言論によるものですから、学者はこれを受け入れるか、もしくは反論すればいい。
しかし、A新聞が学者が弟子と不倫関係にあるなどと暴くなどすれば、プライバシーの侵害や名誉権の侵害が問題になるわけです。

>視点を変えると、電凸だけを特別扱いするのは根拠が弱いのでは?
ともなります。

電凸は前にも言いましたけど、純粋な言論ではありません。言論にプラスアルファの部分があります。それは、電話を受けた人に会話を強制し、時間を拘束することです。侵襲性が大きいわけです。電凸が、メールや封書、ブログなどでの批判とは、この点で全く異なります。例えば、言論による批判が集中しても、それだけでは業務妨害にはなりませんが、電凸が集中すると、業務妨害になりうるわけです。電話というのは一種の実力行使なわけです。

>No.118 (ただいま謹慎中)さん

 同じ事実関係を前提にしたとしても、異なる結論を導き出す異なる法的論理はあります。
 学説の対立などはその典型です。
 実務法曹は、自分が正しいと思う結論を導く論理を選択して採用して主張する場合があります。
 しかし、これは法律適用の応用問題です。

 種々の異なる法的論理の前提として、およそ法律家であるならば全ての法律家が従うはずの基本的かつ共通の論理や思考プロセスというものがあります。
 このエントリで説明していたのはそのような基本的な法的思考プロセス(の一つ)なのです。

 ただでさえ基本問題の説明に苦労しているところに応用問題を持ち込まれますと、正直言いまして議論が混乱する恐れが生じます(^^;

>>No.120 ponさん

>瀬尾氏の発言が学術的であるか否か、特に問題になることとは思えません。


No.54でまとめておいたので、見ていただければ・・・。

>電話というのは一種の実力行使なわけです。

メールも多ければサーバーがダウンし、Faxでは用紙ストックが消失し、直接合って話し合えばもっと多くの労力を消費しますが。

その差は、消費する労力とレスポンスの大きさで、対応する側だけでなくアプリーチする側も労力を掛けます。

コミュニケーションの手段として、電話は直接対話と文書交換の間に位置し、別物とまでは言えません。

表現の手段の意味で本質的に同類ですから、電話の権利も同様に守られなければならない。
実害が起きて民事での紛争様になった場合に、意図との兼ね合いが問題に成る程度なのでは?

瀬尾発言が、誰から見てもそして本人からしても学問ではないから、思考の省力化上、「学問の自由」という論点はすっとばしちゃえって思うけど、この考え方が、誰から見ても極悪人で本人も認めているから適正手続きをすっとばして「とっとと吊るしちまえ」につながるということだろうか・・・

今回は、実際に大学に籍を置く者が、発言よって現実的に研究生活上被る不利益(学究者としての権利侵害)の適否が問題となっている以上、「学問の自由」という規範に照らして、ひとたび考慮されなければいけないということか。

話を蒸し返すようで申し訳ないのですが,

基礎的な事なんですけど、「言論には言論を!」なんです。研究成果公表も一つの言論ですから、それに対しては、言論によって批判をすればいい。批判を受けたら再批判をすればいい。それだけのことなんです。
それだけであるなら,プログ主が,大学教官でも一般会社員でも関係ないのではないでしょうか。 一般会社なら,電凸が許される訳でも無いでしょうし。

プログ上に所属名・実名入りで,居酒屋談義ぽい内容で,炎上が起こった場合,一般市民である受け手側は,プログ主が大学教官か一般会社員かで,対応は異なる必要がありますか。ないですよね。

簡単に総括されちゃったりしてるみたいだけど、ちゃんと整理して説明してよ。登場するのは、
A.瀬尾准教授
B.青山学院大学(同僚、大学自治として)
C.青山学院(経営、雇用者として。大学だけではなく学院全体)
D.一般市民(暴言の非対象者)
E.被害当事者(暴言の対象者)
F.関係者(在学生、OB、志望者、教職員など)
G.電凸者
------
他にも分類があるかな?で問題点は
ア)瀬尾vs一般市民(暴言の非対象者)
イ)瀬尾vs被害当事者(暴言の対象者)
ウ)瀬尾vs青山学院大学(同僚、大学自治として)
エ)瀬尾vs青山学院(経営、雇用者として)
------
オ)青山学院大学vs一般市民
カ)青山学院大学vs被害当事者(暴言の対象者)
キ)青山学院大学vs関係者(在学生、OB、志望者、教職員)
ク)青山学院大学vs電凸者
------

ア)言論対言論で文句言うのはOKで、電凸などはNG?
イ)訴えれば事件で、訴えないならアと同じ?
ウ)自浄は?大学人の倫理、組織の規範は?
エ)学院は被害者?企業としての対応は?
オ)意見を言える、言えない?圧力?助言?
カ)意見を言える、言えない?圧力?助言?被害実態の声?
キ)意見を言える、言えない?圧力?助言?組織防衛?
ク)意見を言える、言えない?圧力?助言?違法性?

それぞれの、問題を勝手に混同したり、軽重をつけて誘導したりせずに冷静に考えればそれぞれ単純な事だと思うけどね。

>No.123 モトケンさん
>No.118 (ただいま謹慎中)さん

>あと、話をややこしくしているのが、具体的な委任関係を離れて論評する場合と、事件を受任してクライアントのために主張する場合とで、「法的思考プロセス」の内容が変わることでしょうか。No.59 で すちゅわーですさん が指摘されていることと同じですが。

No.118(ただいま謹慎中)さん のコメントは私も感じるところです。

1.「法的思考プロセス」の前に、「立ち位置」の判断(事件を委任してクライアントのために主張するなど)が入る
2.その立ち位置によって後のプロセスに大きく影響を与える

という点があり、それを無視できないのではないか、と。
 「技術者」など他の職業でも、1.や2.の影響がある場合はあります。
 「自社商品に不具合がみつかった場合」、あえておかしい技術的な見解を述べる(有害な物質がある一定量発生するとして、それが一般には十分多い量とみなせるが、あえて「ほとんど影響のない少量」などと発言する)
 
 これは、後のプロセスは変わらずプロセスの結果が自分に不利であれば、不利なことをわざわざ言う必要がないというという対応、とは違います。

>同じ事実関係を前提にしたとしても、異なる結論を導き出す異なる法的論理はあります。(省略)種々の異なる法的論理の前提として、およそ法律家であるならば全ての法律家が従うはずの基本的かつ共通の論理や思考プロセスというものがあります。

 例えば、GPの「窃盗にはあたらない」などの発言は、「およそ法律家であるならば全ての法律家が従うはずの基本的かつ共通の論理や思考プロセス」を経たものと考えていいのでしょうか?
 
 そうでないとするならば、上位に「立場の問題」があって、それが特に大きく影響を与えているのではないでしょうか。

>No.104 モトケンさん
それに尽きると思います。
大学が変に責任感を感じて余計な口を差し挟んだりしたのがイカンかったと言う他ないでしょう。学校法人としての経営を考えれば、第三者のスタンスを貫くのは厳しかったのかもしれないですけども。

ちょっと別角度の話なのですが、「コミュニケーションは、受け手の数だけ、受け取り方に違いがある」ものです。
つまり、発信者が意図したとおりに、受けとめてくれるケースの方が少ないものです。しかし、私たちは、ともすると「自分が意図した通りに相手に伝わる」と思い込んでいるため、トラブルに発展することが多いのです。

これが、対面の場合でしたら、相手の表情や態度などから、受け手の受けとめ方を推察することができますが、感情が伝わらない(厳密には伝わりにくい)メールやブログの場合、この傾向が顕著になります。

本来のコミュニケーションとは、「様々な受けとめ方がある」ことを前提に、そのズレをお互いに修正していくものだといわれています。

最近、ネット上の議論を見えていると、このコミュニケーションの原則を忘れて、「自分の考えが伝わらないのは、相手が悪いからだ」といった方向に流れる傾向がみられるのが残念です。

先日、日経新聞のコラムにもありましたが、やはり議論は、対面で行った方が良いのでしょうね。

>>No.131 Feriさん
昔に習ったことですが、手紙を書くときに注意すべきこととして深夜に書いてはならない。深夜一人で書いていると自分の夢想や妄想が文章に混じって、相手への礼を失することになりがちだからというのがありましたが、同じことを先達の知恵として教えているのだと思います。
て、私は時間の関係で深夜の書き込みのほうが多いですけど(笑)。

No.125 MultiSyncさん

>メールも多ければサーバーがダウンし、Faxでは用紙ストックが消失し、直接合って話し合えばもっと多くの労力を消費しますが。

サーバーがダウンしてしまうくらいの数と同じ電凸を受けたら、間違いなく大混乱ですね。FAXはお勧めできません。直接会うか会わないかは、相手の自由です。これを強要したら犯罪です。

電凸による負担を相手にかけるには、それなりの正当理由が必要です。

利害関係がない第三者が、ケシカラニズムで批判したいのなら、それは公の言論の場で行うべきです。昔は、一般人にはこのような場がありませんでしたが、現在は、個人ブログや掲示板というツールがあります。原則的には、このような場で批判をすべきです(このような場があることで、逆に健全な民主制の害になるのではないかと私は懸念しているのですが)。

メールや封書は、一対一の抗議になりますので、本来はお勧めできません。利害関係がない第三者は、このような抗議をする関係を、もともと有していないからです。しかし、メールや封書による抗議は、相手に与える負担は比較的少ないので、上記個人ブログや掲示板に準ずるものとして、許容できるかな、という程度の話です。

電凸をする理由は、ケシカラニズムにより、相手に私的制裁を加えたいということはないでしょうか。しかし、法治国家では、このような私的制裁、特に利害関係がない第三者による私的制裁は認められるべきものではありません。制裁は然るべき手続をもって加えられるべきです。

>その差は、消費する労力とレスポンスの大きさで、対応する側だけでなくアプリーチする側も労力を掛けます。

抗議をやるのがめんどくさいと思ったのなら、やらなければいいだけの話です。

>表現の手段の意味で本質的に同類ですから、電話の権利も同様に守られなければならない。

電話とその他の手段は同質とは言えません。嫌がる相手に電話する権利などありません。

>>No.127 hattyさん

言われることはその通りです。
異論は何一つありません。

准教授に対しては、言論による批判を加えればよく、それは大学人ではない一般人が行った言説に対して批判する場合と何ら異なるわけではありませんし、批判に手心を加える必要は全然ありません。

ただ、論理的には、批判を加える中で、准教授から自分のブログ表記について、表現の自由による正当化論という弁解に留まらず、それより強化された学問の自由による正当化論が出てくる可能性がある、というに過ぎません(今のところ出ていませんし、今後も出てくる可能性は少ないと思いますが)。

私が言いたいことは、少なくともここで議論の俎上にあがった以上、この議論に参加している人には、そのような論理関係を理解して欲しいということだけです。感情の力によって、このような論理関係や可能性までないものとしてしまう思考方法には承伏しかねるというに過ぎません(可能性については、正確な情報に基づき、冷静に検討した結果、客観的根拠をもってゼロであると判断されるのであれば異議はありません。准教授の研究テーマを知らない私は、今のところゼロと最終判断する材料を持ち合わせていないというだけです)。

 青山学院大学は私立大学等経常費補助金を年額230万程度受け取っているわけで、国民に利害関係が無いかと言うと無いと迄は言いきれないと思いますね。

 この一般補助には教員への給与等が含まれますから、不的確と思われる教員であれば青山学院へ対して是正を求める事も可能ではないですかね。

 直接的には国から日本私立学校振興・共済事業団へ税金が支出されてそこから青山学院大学へ分配されてるわけですから、日本私立学校振興・共済事業団へ言うのが筋かも知れませんがね。

古いですが18年度の支出などの資料
ttp://passnavi.evidus.com/teachers/topics/0704/0403.pdf

国の予算を決めるのは国会で、国会議員などに請願する権利は憲法で認められているところです。そうすると、青山大学への助成金の中止を請願することは法的には問題ないかと愚考します。

一方、青山大学としても言い分はあろうかと思いますので、一方的に助成金の打ち切りを請願するもの考え物です。

したがいまして、請願する前に今回の騒動についての青山大学の言い分等を聞くのは適切な請願権の行使といえます。そのために青山大学を質すのはむしろ推奨されるべきでしょう。その際、自分の正体を明かすのは当然でしょう。

>>No.135 迷い猫さん

この一般補助には教員への給与等が含まれますから、不的確と思われる教員であれば青山学院へ対して是正を求める事も可能ではないですかね。

大学自治に反すると思います。

国公立大学の教職員でさえ、教育公務員特例法第9条で、
http://www.houko.com/00/01/S24/001.HTM

学長、教員及び部局長は、学長及び教員にあつては評議会、部局長にあつては学長の審査の結果によるのでなければ、懲戒処分を受けることはない。

と定められているのです。
なお、ここで言う「評議会」とは、大学に置かれる会議であつて当該大学を設置する地方公共団体の定めるところにより学長、学部長その他の者で構成するものをいいます。

国会への請願にしても、電凸にしても、ファックスにしてもいずれも瀬尾氏に対する圧力を目的とし、瀬尾氏に対する処分を期待する、言論に対する言論によらない攻撃を意味します。

私は法曹ではないので、上の行為が違法か合法に関わらず、社会的に不当かつ不適切な行為として非難します。

No.137 すちゅわーです様
>大学自治に反すると思います。

ふと、何かに似てるなと思ったのですが、「弁護士自治」と似ていませんか?
しかし、弁護士の方へは懲戒請求が素人からも請求可能ということを考えると、大学にも似たようなものは有るのかどうなのか、よく知りませんが・・・。無いとすれば、また弁護士会とは異質なものなのかな?
無知すぎる質問ですいません。

>No.138 ponさん

本来、何ら利害関係がない一般大衆が、とにかく口を出して影響力を行使しようとする傾向というのは、一体何なのだろうと思いますね。

>No.139 Oさん

光市事件弁護人の懲戒請求問題ととても似ています。問題の所在は同じところにあると思います。
大学には、懲戒請求という制度はないように思いますが・・・。

大学自治というのは憲法の規定に基づく制度的保障ですが、弁護士自治というのは憲法からの要請ではなく、法律で定められたものですので、その点は大きく違いますね。

この一般補助には教員への給与等が含まれますから、不的確と思われる教員であれば青山学院へ対して是正を求める事も可能ではないですかね。
可能ではないですね。 そのリクツは、日本国は国民の血税で米国債を購入しているから日本国民は米国の内政に口出しする権利を有するといっているのと大差ありません。 あるいは、低公害車の購入には公金の補助があったのだから、国民は誰しもその車を購入した家庭の暮らしぶりの是正を求めることが可能だと言うくらい、飛躍した論法です。 大学自治に反するとか、そういう次元以前だと思いますよ。

ただし国費による私学助成に関しては、憲法89条に抵触するとする意見も(根強く?)あります。判例上は合憲と結論されていますけれども。

No.140 すちゅわーです様
即答いただきまして、ありがとうございます。

>光市事件弁護人の懲戒請求問題ととても似ています

のところは、私も非常に感じておりました。

流れに対して脱線してしまいそうなので、これ以上突っ込まないようにとは思いますが、大学自治の方が弁護士自治よりも、かなり根源的に補償される意味合いが強く、弁護士自治の方は大学のそれよりも、若干、うつろなところがある(表現が適正ではないかもしれません)という捉え方でよろしいんでしょうか。(憲法よりは法律の方が時勢により改法されやすい?ような気がしますので)

>No.142 Oさん

大学自治が憲法で保障されているということは、それだけ、重要だということだと思います。単純な比較はできないと思いますが、大学自治の方が保障の度合いは高いと思います。

No.143 すちゅわーです様
お立場を考えればある意味、答えづらい質問をしてしまったかもしれませんが、重ねてありがとうございました。

>No.142 O、自己レスにて訂正

補償される意味合いが→保障される意味合いが

皆様、お目汚し失礼致しました。

>No.141 惰眠さん

 貴方の方こそ無茶苦茶な論理の飛躍ですよ。 米国債の購入は投資行為としての国策であって補助金ではないです。 私が言ってるのは補助金です。
 補助金は決められた一定の審査をクリアした機関が受ける物であって、前提条件が崩れる様な機関であればそれに対する説明責任が発生するわけです。

 例に挙げられたハイブリットの件だってそうだけど、買った車がエセハイブリットでそれに対して補助金が投入されたのならばその投入元に説明責任を求めるのは当然となります。

>No.145 迷い猫さん
カネを出しているのだから口を出す権利があるという論法は成り立たない、と言う程度の比喩ですよ。補助だろうが助成だろうが投資だろうが、ゼニ出してることを根拠に口を差し挟めるのは、そういう制度上の取り決めがある場合に限られるでしょう?

直接ゼニを出している日本国政府そのものでさえ、大学の自治には介入できないですよ。それを、たかだか税金を払っているに過ぎない一国民が口を出せる可能性があるだなんて、飛躍にも程があります。

>No.129 北風さん

 「法的思考プロセス」という言葉があいまいなまま議論が進んでいます。

 GPのの問題で言えば、故意とは別に「不法領得の意思」の問題がまず頭に浮かびます。
 これは基本的な法律知識に基づく直感的問題把握です。
 刑法を十分学んだ人なら誰でも気がつきます。
 それからの思考を簡単に示します。

1 窃盗罪の成立要件として「不法領得の意思」の要否が問題になる。
   ↓
2 「不法領得の意思」が不要ならば窃盗罪が成立するが(他の要件が満たされている場合)、必要ならば必要とされる「不法領得の意思」の内容が問題となる。
   ↓
3 「不法領得の意思」の内容として「物の経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」を要するとするとその有無が問題になる。
   ↓
4 本件の事実認定として「不法領得の意思」の存否が判断される必要がある。
   ↓
5 認定できなければ窃盗不成立だが、認定できれば窃盗成立(他の要件が満たされている場合)。

 こんな感じになります。
 上記の1の要否と3の内容については学説相互及び学説と判例との間に争い、つまり見解の相違があります。
 この見解の相違は結論を左右します。
 
 しかし、1と3についてどのような見解を取る学者も実務法曹も、この問題については1〜5のような思考と判断プロセスによって考えるべきであるという点については一致しています。
 不要説論者なら1の段階で結論は出せるのですが、不要説論者も、必要説論者ならばさらに2〜5の検討を行うはずだという認識は共通して持っています。
 それが法律的な考え方であるという点は認めるのです。

 基本的な「法的思考プロセス」というのは、本来1〜5のような考え方の順番を言うべきだと思います。

 学問の自由の問題における「法的思考プロセス」において、「学内処分が問題になる場合にはまず学問領域の問題かどうかを検討すべき」というのも同じ意味です。

 その基本的プロセスの中で、法的見解の相違や事実認定の違いによって結論が違ってきます。

 フローチャートみたいなイメージです。

本来、何ら利害関係がない一般大衆が、とにかく口を出して影響力を行使しようとする傾向というのは、一体何なのだろうと思いますね。
ネットを手に入れた市民が,みんなマスコミになった気になっているんではないでしょうか。

例えば,道路特定財源でマッサージチェアを購入した部所にとって,電凸もマスコミ取材も迷惑千万ですよね。でもワイドショーで,国民の血税をどう思っているのかと担当者(下っ端)を詰問しているニュースを何度も見せられているから,マスコミ並みの情報伝達手段を手に入れた者は,マスコミと同じ行動を取って良いとの錯覚?(でも,マスコミが良くて,一般市民がダメという結論を私は持っていません。)してしまう。

カネを出しているのだから口を出す権利があるという論法は成り立たない
一般市民並みにしかカネを出していないマスコミに,口を出す権利はあるんだろうか。 でも,ないとすると,ニュース,スクープ,が成り立たない。

No.147 モトケンさん

モトケンさんが仰る「法的思考プロセス」というのが、「No.147  1〜5のような順番に従って議論すること」という限度の意味であるならば、納得です。議論をややこしくしてしまい恐縮です。


私が先に述べたのは、主に、その「法的思考プロセス」の中の「見解の相違」として位置づけられている部分でした。

「法的見解の相違が結論を左右する」というのはタテマエであって、「有利な結論を導ける法的見解を採用する」のが実際である、ということが論旨です(※それが悪いと言っているわけではありません。念のため。)。


繰り返させて頂くと、

顧問弁護士や弁護人は、常に「クライアントの利害とは無関係に法律家としての学識・経験から特定の法的見解を採用し、それに沿った主張をする」わけでは決してなく。

いかなる法的見解を採用すればいかなる結論になるかを比較検討し、そのうち最も良い結果が見込める(クライアントの利益が大きく、裁判所が採用する可能性が高い)ものを選択しているはずです。

この意味で、いかなる「法的見解」を採用するかは、論理的・学術的に決まるわけではなく、論者の利害関係等によって左右される(依頼者にとって不利益な結論となる「見解」は採用できない)部分が大きい、ということです。

具体的な委任関係下にある弁護人だけでなく、弁護士や学者として第三者的立場から論評する場合も、けっこう結論から遡っているような気もしますが・・・・捜査の適法性に関する限界事例であれば、土本センセイなら多分適法と言うだろう、白取センセイなら当然のように違法と言うだろう、とか(笑)。


それはさておき、結局のところ、上記の意味における「法的思考プロセス」を通したところで、結論は論者がほとんど自由に選択できるということではないかと。今回のグリーンピース事件ですら、法的見解の選択によっては「違法性なし」という結論を導けるわけですから。

繰り返しですが、だからといって「法的思考プロセス」が無意味だと言っているわけではありません。「責任無能力で無罪なんて認めねえ」みたいな暴論は排除することができるし、議論の内容を互いに噛み合わせる効果は大きいと思いますので。「法的思考プロセス」の意義は、正にここ(争点を明確にし、どちらの立論が優れているか = いずれの結論を採用すべきか、の判断をしやすくする)にあると思っています。

>No.148 hattyさん
それは「口を出す」の意味が違いますね。
言論活動に留まるものと、指図を意図したものとでは全然別でしょう?

>No.148 hattyさん

ネットを手に入れた市民が,みんなマスコミになった気になっているんではないでしょうか。

その傾向は確かにあると思います。マスコミによる影響は極めて大きいでしょう。

和歌山カレー事件でも、秋田県児童連続殺傷事件にしても、香川県坂出市の事件にしても、マスコミは容疑者と決め込んだから、朝から晩までテレビカメラを向け、大勢で取り囲んで、容赦なく、「容疑者」の姿を了解もなく取り、それを全国に流す。失礼な質問をどんどんかぶせる。和歌山や秋田の事件は、「容疑者」が犯人だったからまだしも、坂出市の事件などは、報道被害もいいところです。このようなメディアスクラムは、電凸と本質的に一緒です。
こういうテレビの影響を受けて、自分たちもマスコミの一員になったつもりで、電凸をするという側面も確かにあるんでしょうね。

>No.147 モトケンさま

>「法的思考プロセス」という言葉があいまいなまま議論が進んでいます。

 確かに曖昧なままでしたので、「No.147  1〜5のような順番に従って議論すること」ということであれば、納得です。ありがとうございました。
 私としては、おおまかな、いわば、「問題解決のプロセス」的な、「対象事象」→「課題(目的)設定」→「課題解決手順」というようなものをイメージしていました。
(ここで、設定される課題あるいは目的には、個々の立場が影響する。法律では適当な例をだせませんので、例えば、対象事象を「他社製品の分析」とするなら、SEの立場なら、「客先への自社製品のアピールにつながるような自社製品と他社製品の差別性は何か?」とかが分析の目標(課題)であり、そうした観点から分析がなされる。技術者・製品開発者の立場であれば、「他社製品の技術レベル・新規技術・製法などの特徴は何か?」とかが分析の目標(課題)であり、そうした観点からの分析がなされる。(個々の分析手順は両者同じですが))

 思考プロセス(課題解決行程表)は業界によって違いが大きいので、ここで他業界のことを知るのはとてもためになると思います。
 一般的なPDCAとか、要求定義・設計・製造・試験とか、構成要件該当性・違法性・有責性とか、意義・趣旨・要件・効果とか、分解洗浄・試射・照準調整とか、etc。

PS:

 大事なことが抜けてました。(^^ゞポリポリ
 政策論や立法論なら定番の
   意義・問題の所在・原因論・対策論・将来の課題
で行えば、共通の土俵ができると思います。m(_ _)m

話が動いて居ますが少し話題を戻して、電話に絞ってみます。

No.133 すちゅわーですさん の発言では。

電話とその他の手段は同質とは言えません。嫌がる相手に電話する権利などありません。

受けるほうが嫌であれば「切る」だけの事で、不要な勧誘と同じ扱いです。アポイントは断ればいい、迷惑メールは消すだけ。

コンタクトの強度が違うだけで「特別扱い」の根拠は弱いです。

やはりすっきりしないのは・・・
「業務として正面から取り組む場合の手法」で終わる話なら納得できます。

が、意図はそれだけではない?とすると・・・・・・・
相反する事はなくても、噛合わない問題を混ぜているような?

学問の自由と関連する問題なら⇒大学へ問い合わせるべき事柄。
学問と関係ない⇒本人に言うべきで大学は無関係。

どちらか解らない場合は、「まず考慮しろ」を優先すると⇒大学へ聞く。

となるし、逆に書けば、
考慮しない⇒大学は無関係⇒学問の自由とは遠ざかる。

そこへ、
当事者本人が「学問の自由」を持ち出す⇒再び大学が問題に⇒大学にコンタクトする人が現れ、結局巻き込まれる。

それを改めようと言うなら、最も考えるべきは「瀬尾女史」。
それに言及せずに野次馬に物申すなら、No.112 で上げた辺りを超えられないことになりそう。

Multisyncさん

一日に百人から電凸があった場合と、メールが送られてきた場合について、対応に要する時間はどの程度か、それぞれについて試算していただければありがたいです。電凸する人はすぐに切っても繰り返し電話してくるでしょうから、話を聞かずに電話を切った場合、平均5回電話してくるとして。また、話をきちんとした場合、平均10分掛かるとして。

それから電凸する正当化根拠について教えて下さい。なぜ利害関係がない人が抗議できるのか。事情を教えろと求めることができるのか。

ちなみに電話をすぐ切る場合でも相手が誰か、用件は何か、最低の確認は必要ですから、鳴り出してから切るまで20秒かかるとして

>電凸する人はすぐに切っても繰り返し電話してくるでしょうから

それだとコミュニケーションの手段ではなく「業務妨害」と言う犯罪なのでは?
「威力業務妨害」という電話より強力な手段もありますねえ。

で「電凸」は全て「妨害」を指すのですか?
私は真剣に話をする一回の電話でも「電凸」に含むと思って居ますけど。

>電凸する正当化根拠

GPのような第三者(の国際犯罪組織)でも刑事告発が許されるように。文句は言っても良いルールの中で、特に電話を不正とする根拠が見当たらないだけです。

訂正です
× GPのような第三者(の国際犯罪組織)
○ GPのような第三者(の国際犯罪?組織

>>No.158 MultiSyncさん

>電凸する人はすぐに切っても繰り返し電話してくるでしょうから

それだとコミュニケーションの手段ではなく「業務妨害」と言う犯罪なのでは?
「威力業務妨害」という電話より強力な手段もありますねえ。


電凸は、威力業務妨害の構成要件に該当する可能性が高いと思いますよ。1回で切る電凸はOKで2回だったらアウト、なんて線引きはできないと思います。可罰的違法性があるかどうかというだけの問題に過ぎません。違法性を阻却する正当化事由が必要です。

それは何でしょうか。


で「電凸」は全て「妨害」を指すのですか?
私は真剣に話をする一回の電話でも「電凸」に含むと思って居ますけど。

1回で終わるものもあれば20回架けて来る人もいるでしょう。平均5回で試算してください。


>電凸する正当化根拠

GPのような第三者(の国際犯罪組織)でも刑事告発が許されるように。文句は言っても良いルールの中で、特に電話を不正とする根拠が見当たらないだけです。

刑事告発は、犯罪の嫌疑がある場合に、法律でできると規定されているから、出来るんですよね。きちんと法的根拠があります。

文句は言っても良いルールって何ですか?
利害関係のない人の場合、どんな形でも文句を言っても良いというルールがあるんでしょうか。それとも、ある特定のやり方だと文句を言っても良いけど、別のやり方だとアウトだというルールでしょうか。その中身はどういうものでしょう。
そのルールは誰が決めましたか?

追記

どんな場合に文句を言ってもよくて、どんな場合に、文句を言ったら駄目なのでしょう。つまり、相手方がどんなことをした時に文句を言えるのでしょう。それも教えてください。

電突といえば昔「幸福の科学」なる団体がどこかの出版社に集団でFaxかけつづけた行為が威力業務妨害かなんかに認定されたことがありましたが、まあ「噂のチャンネル」あたりの突撃レポーターなどのアポなし突撃取材番組の存在に触発されて斯様な「犯行」に及んだものであろうと当時はみられていましたね。
テレビによる「一億総白痴化」現象のひとつだろうと私みたいなムカシ人間ゴンは思っちゃいますが(笑)。

 電話で意見して、業務妨害罪ですか。刑罰は、もっとも峻烈な刑事制裁と聞いていますが…。
 論語の、
 「志士仁人、命を惜しんで仁を違わず、また、身を殺して仁を成し遂げることがある。」
という言葉を思いだしました。
 コメントの流れをつぶさに見ておらず、ざっと見た印象です。

最初にまず確認。

私は「迷惑を掛けてはいけない」というルールなら覚えて居ますから「その範囲で文句を言える」の意味ですが。

すちゅわーですさんの御発言だと「文句を言ってはいけないと言うルールは有るので、文句は不当だ」ですね。

でもって「電話」には「可罰的違法性」が有り「表現の自由」は適用されないんですか?言葉が混乱してきたので説明して欲しいです。

それから「どんな形でも」等と修飾を増やすと混乱するだけですよ。


>平均5回で試算してください。

対象となる、電凸の定義もあやふやなので、試算などやる気が起きません。
妨害の例を上げるなら「数千回に及ぶ無言電話」の事件もあったしねえ。

>>No.163 廣野秀樹さん
志士なら掛け捨ての電突などしないでしょうね。志士たらんとすれば集団的効果に頼るだけの電凸に参加するのは無意味です。その人本人だけの個人的志の問題でしょうが、その意味では荊軻は志士であると思います。

>>No.164 MultiSyncさん


最初にまず確認。

私は「迷惑を掛けてはいけない」というルールなら覚えて居ますから「その範囲で文句を言える」の意味ですが。

電話をされる相手方の貴重な時間を奪う行為は迷惑を掛けない行為なんですか?
例え10秒でも、20秒でも。
それに電話があると、仕事が中断され、失われる時間は実質的にはもっと多いですよ。


すちゅわーですさんの御発言だと「文句を言ってはいけないと言うルールは有るので、文句は不当だ」ですね。

ではなく、MultiSyncさんが「文句を言っても良いルール」があるというので、初耳ですから、その内容を教えて欲しいということです。そういうルールがMultiSyncさんのお考えでは実在するわけでしょう。


でもって「電話」には「可罰的違法性」が有り「表現の自由」は適用されないんですか?言葉が混乱してきたので説明して欲しいです。

逆です。原則、「可罰的違法性」が有りません。電凸など、利害関係がない全くの他人が架ける電話で、最初から相手が嫌がることが分かっていて架ける電話については、可罰的違法性がない、つまり微々たる違法ですが、違法は違法ということになります。刑事処分までには至らないけど、でも、刑事処分を受けないからといってそれでOKというものでもないでしょう。違法性を阻却するのは何か、ということは考えておかないといけません。

電話には表現の自由の適用はないという見解が多いと思いますよ。表現の自由、具体的には言論の自由は、自己の見解を公に表明する自由で、一対一の対話に適用があるものではないですから。
電話が保護されるのは、「通信の秘密」(日本国憲法21条2項)です。


それから「どんな形でも」等と修飾を増やすと混乱するだけですよ。

じゃあ、その修飾はカットします。
こう聞きましょう。
「利害関係のない人の場合、相手方にどのような行為があった場合に文句が言えるのでしょうか。
また、どのようなやり方であれば文句が言え、どのようなやり方が駄目なのでしょうか。」

教えてください。

>No.156 すちゅわーですさん

>一日に百人から電凸があった場合

 今回の場合に、こんな少ない数を想像しているのですか??

 2chは常時100万人以上がアクセスしている掲示板ですよ。

 あの時はになっていましたから、ROMも含めると該当ページを1時間に少なくとも200万人くらいは閲覧したと思います。

 その1%が電話をかけたとしても、20,000人になりますので、最低でも数字の桁が2桁違うと思いますね。

 回線集中するのに、人気があるアーティストの(ドームクラスの)コンサートチケットで3万枚あっても1時間くらいで完売するような状況がありますが、今回の電話もそれと似たような感じで大学の電話回線に集中したと思います。

 大学の大代表が何回線もっているか知りませんが、電話をかけた人数が多いと繋がるのすら容易でありませんし、集中することで電話自体が繋がりにくくなる場合だってあります。

 今回の場合には、そういうことも考慮した方がいいと思いますよ。 参考までに

参考さん

オーバーだ、と言われるのが嫌なので、ずいぶん少なく見積もったつもりなのです。

法的な観点にこだわらないのであれば電凸の実際の効果など計算する必要はありません。

上で言った事を繰り返しますが、電凸の目的が他者の言論に対する言論によらない攻撃である以上、充分に非難に値し、この社会から排除されるべきものです。
例え手段が合法であっても、例え実際には対した迷惑にならなくとも、です。

>No.168 すちゅわーですさん

>オーバーだ、と言われるのが嫌なので、ずいぶん少なく見積もったつもりなのです。

 決してオーバーな数字ではなく、2chのパワーを考えると、私が書いた数字でも、少ないかもしれないと思っています(だから最低でもという表現にしました)。

 ちなみに100人なら、繋がりますし普通に会話できますが、20000人では、繋がりにくい上に、切っても切っても次の電話が鳴るという状況になります。

 前者なら、通常業務の範囲内で対応可能ですが、後者なら、確かに通常業務ができなくなります。

 こういう場合には、准教授がした行為、大学が受けた事、電話をかけた人達のことを冷静に客観的に判断することが必要だと思います。

 ですので、電話をかけた人達の人数を、ある程度妥当な数字に基づいて考えないと、大学側の通常業務ができなくなってしまったという状況がどういう状況なのかを想像しずらくなってしまうと思います。

 百人では、いくらなんでもちょっと少なすぎると思いましたので、参考までに書きました。

 こういう場合には、准教授がした事された事、大学がした事された事、電話をかけた人達がした事を、それぞれに対して、いろいろと可能性を考えながら、客観的に冷静に判断することが必要だと思いますからね。

言論活動に留まるものと、指図を意図したものとでは全然別でしょう?

あれ,マスコミに指図の意図を感じたことはないですか。

業務妨害の意図はなく,ただ単に大学に問い合わせ,その結果を2ちゃんねるや自身のブログに書くことと,

この件がワイドショーディレクターの目に留まり,ワイドショー記者が,大学に取材に行って,その結果をワイドショーで放送するのと,

差異が私にはあまり感じられません。そうそう,最近では,『ブログ記者』なる言葉もあるんですね。

>No.170 参考さんに参考です。

参考さんがNo.170で出された准教授、大学、電凸者の他に、
2chのような巨大掲示板にブログをリンクしスレを立てたり、ブログ内容から問題となる箇所を根掘り葉掘り探し出してきて、あちこちにコピペしたような祭りを煽った人たちの存在もあるのでは・・・

(以下は、参考さん宛ではありません)
2ch経由の電凸者に、「個人的憤りを行動に移したら、結果として集団的圧力を加える形になっただけ」という申し開きが許されるかどうか。祭りに便乗し、その流れに加担すれば、どういう結果が生じるかは、大人なら分かるはず。

>No.165 ぼつでおk(医)さん

 レスありがとうございます。
 この青山大学の件に関して、やはり単なる付和雷同ということになるのでしょうか。そのような印象が強くなっています。

 ちなみに荊軻は、中国では歴史的人物評価がすこぶる低いと聞いたことがあります。単なる殺し屋のようなもので、歴史の流れを力づくで変えようとしたような評価でした。

参考さん

2万人だと試算してもしかたないですからね。
100人でも仕事が出来なくなるので、Multisyncさんに考えて欲しくて例題の意味を込めて質問しました。まあ、こんな例題を考えなくても、電凸がどれだけ迷惑な事か、普通は想像できると思うのですが。

青山を受験しようと考えている学生やその親兄弟が「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」と考えて、問い合わせしただけでも業務妨害になるのだろうか?

青山から学生を採用しようと考えている企業が「あのような准教授の行為がまかり通るような大学からは学生の採用は見合わせたい」と考えて、問い合わせしただけでも業務妨害になるのだろうか?

青山に就職したいと考えている…青山と取引しようと考えている…以下同文

一見第三者のように見えても、別の第三者が「お前は問い合わせする立場にない」と断じれる根拠はどこにあるのだろうか?

>>No.176 ブギーマンさん

一定の利害関係が生じて、その利害関係に関する事項について問い合わせをする場合には、業務妨害にはならないでしょうね。むしろ本来的業務に合致することになります。

しかし、このような問い合わせは電凸とは言わないと思うのですが・・・

あらゆる集団的行動に、良心的動機と下卑た動機を仮定することは可能。
ヒステリックな懲罰意識による行動の影に隠れて、良心的な単なる「問い合わせ」や「意見」も含まれていたのかもしれない。しかし、そのような個別事例を仮定し、それへの評価をもってして、全体の評価を覆すことはできないと考える。

重要なのは、行動においてどのような色調が支配的であったのかという分析と、それに基づく総体としての現象の評価ではあるまいか。

2ch掲示板での論調や他者ブログでのコメント欄のやり取りを見る限り、中には冷静な傾聴に値する意見もあるが、第三者の「被害者感情」を盾にとって、自分が以前から気に食わないと思っていた階層や主張の人間を罰したいだけではないかと思われる物言いを繰り返している人間が目に付き、支配的に思えた。(これは、あくまで個人的感想で、統計学的見解ではありません)

「電話」と「電凸」を区別しないと話に成らない。
または
「通信手段」と「行為」。

一ROM者としまして…

ここで語られている電凸とは、

「直接的利害関係がない第三者による」
「電話を使った」
「批評・非難・抗議の意思伝達」

〜いわゆる電話クレームの類と捉えて、みなさんの議論を拝見していました。

ブギーマン様

その問い合わせは何の意味があるのですか?
「こんな学校に子供を通わせたくない」と考えたのであれば、話はそこで終わりです。
意味があるとすれば、瀬尾氏に対する処分を促す意図があった場合だけです。

さて、ここからは常識を採用します。
常識的に考えて、数千人いる教員のうちたった一人の教員の発言を問題にして、大事な子供の経歴を傷つけるような決断を下す父兄が居るなど、ありえない話です。

そしてそのように考えた父兄が数百人に及び、電凸の大半がそういった父兄によるものだった、など為にする擁護としか思えません。
ブギーマン様はそのような仮定に蓋然性を見い出せる何か証拠でもあるのですか?
もしやあなたがその父兄の一人ですか?

No.178 お〜い紅茶様

>ヒステリックな懲罰意識

「○○の科学 出版社FAX集中攻撃 事件」を思い出しました。
(100000歩譲って)発言者のブログ炎上は仕方ないのかもしれませんが、職場に「嫌がらせ」するというのは陰湿ですね。右翼と日教組の間に入った某ホテル事件と似た話ですね、

>No.179 MultiSyncさん

コメント有り難うございます。勝手に反応します(笑)

鳥瞰すれば、2万人(参考さんの仮定)の行為によって、A学院大学の通常業務の機能停止として表れた事象を、全体から切り離し一つ一つの電話として取り上げ、電話と電凸という定義論(そんなものは個別事例によって判断される)や、通信手段の認容基準(現に電話で行われているにもかかわらず)に、問題が切り縮められていることに違和感を感じて、コメントしたのです。

No.164 MultiSyncさんのコメントにある「数千回に及ぶ無言電話」の例と、今回の事例は同様の意味を持つのではないかということです。少なくとも2万回(参考さんの仮定)に及ぶ事務局への電話「攻勢」の一端を担いだ人間として、電話をした人の責任は自覚されるべきであり、全体の事象への倫理上の責任は問われると思います。一人一人の行為として分解する意味は何でしょうか。だから、すちゅわーですさんから「試算しろ」と影響全体の把握を促されたのではないでしょうか。

話に成らないと安易に切り捨てるのではなく、そういう論法に持っていくことの意味や意図について、本人以上に敏感に感じ取る人間が、議論をROMしている人間にもいるということを御理解いただきたいです。

全体として見ればマイナス評価が明らかなことも、最も良心的な特殊事例を仮定したり、部分に分解し、その定義論争に持ち込んで、判断不能に陥らせることは可能です。

なお、No.112の注意書き思案については、「流布される情報には、常に作為が介在する」「それに同調して行動すれば、作為に加担したことになる」「結果を予測または期待した上で行動すれば、全体の引き起こした結果責任についても問われる」という「祭り」に関する状況が抜けているように思います。

さらに言うなら、今事例も含めた電凸祭りの最も重大な責任の所在は、「祭り」扇動者にあると考えます。瀬尾氏は公開設定した脇の甘さもあり、「香ばしい」ことも言っていましたが、基本的には内輪でくだらないことをボソッと喋っていたにすぎないように感じます。

P.S.
遅ればせながら、レミファルトの件では大変勉強になりました。今後とも、御教授下さい。宜しくお願い致します。

>No.182 通行人1さん、こんにちは。

職場に嫌がらせをするというのは、その人の当該発言の変容を求めるのみならず、生活手段たる「食い扶持」に影響を与えますから、生存もしくは存在そのものに影響を与える意志があるのではないかと勘繰られます。抗議する側もその影響を考え、一つ飛躍した圧力手段として認識される必要があると思います。

某ホテルの件も、集会自体が開催できなくなる時期にキャンセルを申し出た点で、集会の存立や日教組自体の存在に含む所があったのではないかと勘繰られます。

>>No.174 廣野秀樹さん
一介の匿名HN者如きにレスありがとうございます。

>ちなみに荊軻は、・・・。単なる殺し屋のようなもので、歴史の流れを力づくで変えようとしたような評価でした。

その評価も正しいと思います。もし彼が始皇帝暗殺という志を遂げて生き残ったとしたら、その後ずっと志士であり続けられた保証はありませんから。

なだいなだ命名の「ケシカラニズム」よりは「キニクワニズム」とでも呼ぶべき概念を導入したほうがピッタリ来るような気が(笑)

No.176 ブギーマンさん

>青山を受験しようと考えている学生やその親兄弟が「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」と考えて、問い合わせしただけでも業務妨害になるのだろうか?

それはいわゆるモンスターペアレントではないでしょうか。とても正当な要求とは思えませんね。
「うちの子を青山大学に行かせたいけど、この准教授が気に入らないから、うちの子を入学させるために辞めさせてくれ」
…いったい何様のつもりなのでしょう。

同じ論調を拡大していくと、「同じ国にいるのも気に入らないから日本から追放しろ」「生きているだけで不愉快だから…(以下略)」

会社の方の例も真っ当な話とは考え難いので、例としては不適切かと思われます。

別の見方をしてみましょうか。世間の規範を少し外れた意見を述べた者を排斥してしまうような大学と、多少外れた意見も受け入れるだけの懐の深さのある大学。さて、あなたは自分の子供をどちらの大学に行かせたいでしょうか?

私なら、後者を選びたいですね。とはいえ、瀬尾さんのゼミに入るのは遠慮してもらいたいですけど。

※No.187の補足

No.176の例はブギーマンさん自身がそう思っている、という話ではなく例え話なので、後半部はブギーマンさんへの問いかけとしてではなく、一般論として読んでいただければ幸いです。不適切な表現を使って申し訳ありません。

No.184 お〜い紅茶さま
レスありがとうございます。

(発言者の)「食い扶持」に影響を与えますから、生存もしくは存在そのものに影響を与える意志があるのではないかと勘繰られます。

いやな世の中ですね。これが「●●学院大学の准教授の座」を狙っているものの仕業ならまだ理解はできるのですが(選挙でもまれ?(頻繁?)に「中傷合戦」があるように、相手の足を引っ張る、という下の下の作戦はありますから)、この教員が仮に失職しても電凸者には金銭・物質的な利益は無く、いってみればただの「鬱憤晴らし」でしょう?まさかこの教員がこれほどの人間から恨みを買っているとも思えませんし。やっぱりみんな「欲求不満」のはけ口を探しているだけのように思えます。そいつらに「口実」を与えてしまったという点では失敗でしたね。

No.181 ponさん

「こんな学校に子供を通わせたくない」と考えたのであれば、話はそこで終わりです。
勝手に前提条件を外さないでいただけますか?

「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」です。
まかり通らなければ良いのです。

さて、ここからは常識を採用します。
俺様常識ですか?

ま、それは百歩譲ったとしても

常識的に考えて、数千人いる教員のうちたった一人の教員の発言を問題にして、大事な子供の経歴を傷つけるような決断を下す父兄が居るなど、ありえない話です。

上の前提から教員の発言を問題にしているように読み取れますか?
“まかり通る”こと、つまり大学の姿勢を問題にしているのです。
准教授に対して大学が何の処分(口頭注意も含む)も行なわないのであれば、他学部他学科の教授・准教授が同様のことをしても何の処分も行われないということになり、大学全体の問題になります。

No.187 無印粗品さん

「うちの子を青山大学に行かせたいけど、この准教授が気に入らないから、うちの子を入学させるために辞めさせてくれ」
そんなことは言ってませんが・・・よく読んでいただけますか?

「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」です。
准教授が行為を止めたり、まかり通らないように大学が注意したり、そういったことがなされれば良いのです。
辞めさせろという問い合わせにはなってないはずですが・・・

私は甚だ不適切な表現がまかり通るような大学には行きたくないし、子供も行かせたくないですね。
上にも書きましたが、1人の教員の問題ではなく大学全体として認めていると言うことですからね。教授から甚だ不適切な表現を毎日のように聞かされたらノイローゼになってしまうかもしれません。

No.187 無印粗品さん | 2008年5月21日 18:19 | CID 151483  (Top)

こうやって尾ひれが付いて変質していくのは、伝言と同じです。

No.176 ブギーマンさんのコメント
青山を受験しようと考えている学生やその親兄弟が「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」と考えて、問い合わせしただけでも業務妨害になるのだろうか?
に対し。
No.187 無印粗品さんさんのコメント
それはいわゆるモンスターペアレントではないでしょうか。〜。
「うちの子を青山大学に行かせたいけど、この准教授が気に入らないから、うちの子を入学させるために辞めさせてくれ

例に使って申し訳ないですが、コメが新しいので上げただけで、他の人のコメントにも有ります。

銘々が自分の想定した「電凸」に文句を付ける、のは勝手なんですが、
誰にも通じる話ではないですよね。

私に言わせれば「電話だろうが、メールだろうが、デモだろうが大学に文句を垂れる事自体が迷惑行為だ」
電話が目だったのは結果に過ぎない。

すちゅわーですさんに補足しておくなら。

それで心配になった関係者が問い合わる事も有りうるがそれを「電凸」と見做す人はほとんど居ない。
と言う具合で電話が悪いわけじゃなく、使い方が問題

そして、電話には相手を拘束する働き有る、これは「電凸」だけで無く電話一般に関わるマナーと捉える方がふさわしく。
これも、マナー無視の電凸が有ればそれは非難され、酷ければ犯罪性を帯びることも当然ですね。

私は、No.177のコメントで以下のように言いました。

一定の利害関係が生じて、その利害関係に関する事項について問い合わせをする場合には、業務妨害にはならないでしょうね。むしろ本来的業務に合致することになります。
自分の子供を大学に入学させようかどうしようかと迷っている親が、その大学をきちんと評価しなければならないと考え、外部からわからない事情について、大学を非難する目的ではなく、情報を収集しようとして電話を架けたなら、私は、それは正当な目的の電話であって、それに答えることは大学の本来的業務に関係したことになると思います。

私の基準では、このような電話はOKです。

しかし、願書を出す時期とは離れたこの時期に、上記のような目的で電話をした人はどのくらいいるんでしょうか。
また、准教授の処分が決まっておらず、検討中のこの時期に、そのような目的で電話をすることも相当とは思いません。

処分が決まった段階で、どのような経緯で処分が決まったのか、、対外的に発表していることではわからないことを聞くことはOKだとは思うのですが。

>>No.192 MultiSyncさん

電話が悪いわけじゃなく、使い方が問題

これはそのとおりだと思いますね。この「使い方」という中に、どのような目的で電話を架けたか、が検討されるべきです。

全く利害関係がない第三者が、大学を非難する目的で電話を架けたのであれば、そのような電話の使い方は間違っていると思います。

しかし、上記No.193のコメントで触れたような目的があり、そのために電話を架けたのなら、OKになると思います。

要は、電話を架ける人の相手方との利害関係の有無、そして、その利害関係から生じる事項について、確認する必要性があって、電話を架けたのか否か。

これが判断基準になるのではないかと思います。

ブギーマン様
貴方の想定した電凸が大学の姿勢を云々するものであれば、それは"問い合わせ"等ではありません。
立派な圧力であり、私が繰り返し言った、言論に対する言論によらない攻撃にほかなりません。

「こんな大学に子供を通わせたくない」
通わせなければ良いだけの話ですよね。

そんな言い分が、大学の人事権に干渉する理由になると、本気で思ってるんですか?

まさか、
「こっちは客の立場なんだから客の言うことは聞くべきだ」
とか、
「子供を持ち出した以上、相手に反論する権利はないはずだ」
とか思って無いですよね?

私はブギーマン様こそを電凸の当事者ではないのかと勝手に邪推してるんですが。

いずれにしても、私のコメントの反論にも回答にもなっていません。
ブギーマン様の想定は非常に不自然で、そんな不自然な想定を採用する理由は未だに在りません。

上のコメント、ちょっと長くなったのでまとめます。

・ブギーマン様の想定は異常なまでに不自然で、到底採用できるものではない。

・仮にブギーマン様の想定を採用したとしても、電凸者の行為は正当化されない。

以上です。

追記です。

>No.192 MultiSyncさん

私に言わせれば「電話だろうが、メールだろうが、デモだろうが大学に文句を垂れる事自体が迷惑行為だ」 電話が目だったのは結果に過ぎない。
掲示板で大学に文句を言うのは、OKでしょう。 確かに、大学にとっては耳の痛い話であり、特にその文句が謂われのないものなのであれば、迷惑に感じるでしょうが、公の場で意見表明することは言論の自由で保障されたことですから。相手にとって、「迷惑」に思うことであっても、正当化根拠があればいいわけです。

メールについては、既に述べたように一対一の関係にあるもので、言論の自由で保障されるとは言えないものです。しかし、それを受ける相手の負担との兼ね合いで見た場合、望ましいこととは言えないけど、まあ、駄目とまでは言い切れないかな、という感じです。
デモについては、言論の自由として保障されたものです。結社の自由として保障されるという見解もあるでしょう。したがって、それ自体はOKなのですが、デモのあり方によって、実力行使的な要素がある場合には、微妙になってきます。

上記のようなメールやデモ、掲示板での「文句を垂れる」行為については、「利害関係」の有無という基準とはまた異なった原理で正当化されるか否かということになると思います。

>No.195 ponさん | 2008年5月21日 22:37

>私はブギーマン様こそを電凸の当事者ではないのかと勝手に邪推してるんですが。

ブギーマン様を不快にさせる意図ですか?
無駄に場を荒れさせる元ですし、そもそも邪推と自覚しておられるのなら書くべきではないのでは。

一つだけ苦言様

まぁ、不快になればいいな、と思って書いたわけですが。

私のコメントには相応の理由があります。

2ちゃんねるで、まさしく電凸の当事者達(と推認できる人々)がブギーマン様の仰った理由を持って、自分達の行為を正当化していたます。

ブギーマン様が実際に電凸したか否かはともかく、ブギーマン様は当事者のサイドに立って論を張れる方です。
こういう貴重な人材が興味をなくしてしまうのは、この討論にとって大きな損失です。

と、理由で私は上コメントでブギーマン様を挑発しました。してます。

>No.199 ponさん | 2008年5月21日 23:26

不快にさせる目的で確信犯的に書き込まれたということですか。
どうやら貴方に対しては言うだけ無駄のようです。


ところで、こういうやり方がこの場は罷り通るのですか?>モトケン様
ならば、「邪推ですが」と前置きすれば、例えば

「『学問の自由』の問題として、大学への抗議を不当であると考えるものは、結局のところ同族意識でもって瀬尾准教授を擁護したいのだろう」

とか、

「『大学は真理追究のための神聖不可侵な場所、何人たりとも干渉される謂れは無い』と思っているのだろう」

などという決め付けも垂れ流せることになりはしないでしょうか。

それでも良いというのなら何も言いませんが。

No.194 すちゅわーですさん

全く利害関係がない第三者が、大学を非難する目的で電話を架けたのであれば、そのような電話の使い方は間違っていると思います。
現実問題として、非難を受けた側が全く利害関係がない第三者を証明するのは意外と難しい気がします。No.176で並列でいろんなパターンを書いたのはそのような意図です。

No.193で願書を出す時期でもないのにとおっしゃられましたが、ニュースになっている今だからこそ聞く時期のような気もしますが・・・
まあ、それは置いておいたとしても、例えば次のような問い合わせだった場合はどうでしょう?
「青山学院 EVERGREEN 21募金に個人寄付を考えていますが、貴学院では貴学院の大学に所属する瀬尾准教授のブログ表現を問題ないと考えてらっしゃるのでしょうか?」
もし、これもOKだとするとおよそ全ての人に対して、電凸行為を正当化する理由が存在することになりませんか?

最終的に何が言いたいかというと、「大学の判断に任せましょうよ」ということです。

No.199 ponさん

種明かししては駄目じゃないですか。
No.195は相当不快でしたが、このコメントで全く不快ではなくなりました(笑)

No.201
ブギーマン様

我々は現実の事件に関して討論しているのであって、貴方の想像の中の事件を吟味しているのではありません。
貴方のやっている事を一言で、わかりやすく表現しますと
「机上の空論」です。

No.196 ponさん

・ブギーマン様の想定は異常なまでに不自然で、到底採用できるものではない。

・仮にブギーマン様の想定を採用したとしても、電凸者の行為は正当化されない。


採用されなくても結構ですし、正当化されなくても結構です。
業務妨害というか、電話による問い合わせが犯罪であると認定されないのであれば、問題ありません。
ponさんは、どのような判断基準をもとに電凸行為者を非難しているんですか?俺様基準ですか?

簡単に申し添えるなら、201のような理由で寄付をするか否かを決める人は現実にはいません。
そのような電話もありません。
まさかブギーマン様は「現実に存在する」などと主張しないでしょ?

現実に存在しない人物の現実に存在しない行為を吟味すること、即ち机上の空論です。

ブギーマン様はこんな空論を吹っ掛ける一体何の理由があるんですか?
合理的な回答がなければこちらで勝手に邪推するより他ありません。

No.203 ponさん

すちゅわーですさんがNo.113からの一連のやり取りで電凸は業務妨害になりうるよとおっしゃっていたから、現実問題として無理じゃねといってるだけなんですが・・・
「机上の空論」とおっしゃるからには、現実的に業務妨害として認定されるということですよね?
ぜひ、ご高説を承りたいものです。

>>モトケン様
随分カメレスになってしまいましたが、「ため息」を増やしてしまったようで、申し訳ございません。
御説よく理解できました。

法的な思考プロセスを要求される範囲が、「批評のみ」を前提とする「言論(この場合はブログにコメントを書くなど)」にも要求されているように見受けられましたもので。
まぁ通常批評する場合にも自然と背景を考えたり真意を推測したりするものですが…。

とすると前スレッドでコメントさせていただいた内容で概ね考え方は間違っていなかったのだろうな…と理解しております。

ponさんは電凸の全記録を持っているので?

>No.200 一つだけ苦言さん

>ところで、こういうやり方がこの場は罷り通るのです?>モトケン様

 正直言いまして、大量のコメントの一つ一つについて論評することは困難です。
 この程度のやり取りは今まで何回もありましたからそのうち落ち着くところに落ち着くと思います。
 不適切なバトルであれば、浮くか沈むかするでしょう。

 今の雰囲気的には場外乱闘向きかなという感じですけど。

No.204
ブギーマン様

私は法曹ではないので電凸者の行為が適法不適法かを判断する立場にありません。
興味もありません。

私が電凸者を非難する理由はこのエントリーの私の最初のコメントに書いてあります。

一言で述べるのならば、電凸者はこの社会の自由に対する敵です。私は社会のサイドに立つが故に電凸者を非難します。


では私の番ですね。
ブギーマン様が電凸者を正当化する材料には何がありますか?
「適法である」の一点ですか?
適法ではあっても社会の敵であるのならば、暴力団もしくは街宣右翼と変わらない存在になりますが、
大丈夫ですか?

>No.185 ぼつでおk(医)さん

 こちらこそ恐縮です。
 お医者さんのようですが、自分の場合、さいわい長い間、お医者さんのお世話にならずにすんでいます。一昨年、仕事中に指の怪我をしまして、機械に挟まって指の先端がつぶれてしまったのです。幸い骨に異常がなく3週間程度だったかで仕事にも戻れました。
 子供の頃は、体も弱く、また、外でよく遊んでいたのでちょっとした怪我をして病院にはよく行ったものでした。
 ところで、医は仁術と以前は聞いたものです。医療崩壊が、深刻な状態となり、司法というか裁判とも大きな関係があると、ほのかに伝え聞いています。

 ところで、始皇帝の時代といえば、法治主義の時代であり、圧制が甚だしく、怨嗟が充満し、混乱のあと、漢というかたちで統一されました。
 劉邦が統一したことになっていますが、この間には様々なドラマも織りなされているようです。
 例えば、中国で歴史的評価の高いらしい、陳勝が、蜂起の先駆けを起こしたとされ、現在で言う日雇いの建設作業員のような仕事をしていた彼が、「燕雀、しらんや」と言ったと聞きます。
 そして劉邦が項羽を大逆転で打ち破る運命をも左右した韓信は、百万の兵を自在に操る大将軍と言われながら、劉邦の妻によって謀殺されました。「女子供にしてやれたと」舌打ちしたそうです。
 この妻が、呂后であり、馬車から放り投げれ、項羽の捕虜にもなっていました。
 ちなみに、項羽は劉邦の父親も捕虜にしていて、対岸の崖から項羽が父を煮殺すぞ、と交渉の材料として脅したとき、劉邦は笑いながら、「わしにも、一杯振る舞え」と言ったそうです。
 劉邦は漢のトップとして君臨したものの、異民族との匈奴との戦いにも破れ、これが匈奴との不平等条約、そして万里の長城の建設にもつながったそうです。
 さらに漢の実権は、呂后とその親族に握られ、支配が長い間続き、劉氏が呂氏を打ち破った時の軍に発せられた言葉が、「左袒」だといいます。

 無関係なことを書いたようですが、本命は「法三章」です。詳しいことはこちらに書いてありました。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub2-82.htm

 こういう絡み合う、歴史的な長く大きな視点で物事を考えるのもいかがかと思いご紹介しました。
 2、30年後に、日本という国が、日本国憲法が存在するという保証もないことですし。
 秦から漢へと移り変わる時代は、中国史でも特におもしろく参考になることが多いと思います。例えば、「矛盾」という日常的な言葉も、韓非子の言葉とされていますし、法治主義の元祖のような人物のはずです。しかし、思想のベースは、「無為自然」ともいう老荘の思想哲学にあるようです。

 荘子には「胡蝶の夢」という言葉がありますが、司馬遼太郎に同名のタイトルの本があります。内容は幕末の医師の活躍でした。
 施設の官本でたまたま読んだのですが、中身を見ることが出来ずに借りたので、初めは大ハズレでした。
 私は、胡という字に、中国辺境の異民族である女真族を期待したからです。ちなみに女真族は自らを満州族とも読んでいたそうです。
 この女真族は歴史的に、比較的少数でありながら、何度か数億の漢民族を支配しています。日本の江戸時、明治時代に重なる清という国もそうでした。
 金という国もそうだったかもしれません。この異民族の支配に抵抗運動をしたところから、攘夷思想が生まれ、のちに日本にも伝播しました。
 日本史を見ると、征夷大将軍となった徳川家康は、初めから、この思想や論理を自らの支配体制に取り込んでいたようです。これを知って、自分自身の徳川家康に対する評価も一変しました。
 あるいは一知半解で、取り込んだだけだったのかもしれませんが。
 なお、「胡蝶の夢」は、4巻あるようですが、1巻はなく、4巻もなかったかもしれません。面白かったし、参考になることがけっこうあったと思います。

 詳しい人はずっと詳しいと思いますが、司法や権利義務を取り巻く、変革の過渡期でもあるようなので、よい方向に参考にしていただければと、かいつまんでご紹介しました。

>>No.201 ブギーマンさん

現実問題として、非難を受けた側が全く利害関係がない第三者を証明するのは意外と難しい気がします。No.176で並列でいろんなパターンを書いたのはそのような意図です。
難しい場合も多いでしょうね。しかし、理念、すなわちあるべき論と、現実論は区別される必要があります。
まあ、それは置いておいたとしても、例えば次のような問い合わせだった場合はどうでしょう? 「青山学院 EVERGREEN 21募金に個人寄付を考えていますが、貴学院では貴学院の大学に所属する瀬尾准教授のブログ表現を問題ないと考えてらっしゃるのでしょうか?」 もし、これもOKだとするとおよそ全ての人に対して、電凸行為を正当化する理由が存在することになりませんか?
本当に寄付をするつもりの人が、そのような問い合わせを電話でしたのなら、それは正当化理由があるでしょうね。何にも問題ありません。しかし、本当に寄付するつもりがないのに、そのように仮装して電凸した人については、業務妨害になり得ます。 確かに、この両者の区別は難しいでしょう。しかし、難しいからといって、そのような仮装行為が正当化されることには絶対になりません。
もし、これもOKだとするとおよそ全ての人に対して、電凸行為を正当化する理由が存在することに なりませんか?
と言われますが、発想が逆転しています。

そもそも、裁判実務では、仮装行為というのがよく出てきます。その仮装行為を見破り、実質は何かを見極める必要があります。これは大変に難しいことですが、難しいからといって、その努力をやめてもいいことにはなりません。そして、現実に困難を極める場合には、法律を制定することによって、その仮装行為までも含めて、禁止することもあります。

つまり、お示しの例題では、寄付をすると述べて電話で事情を聞く行為を一切禁止する、などという法律が制定されることもあり得るということです(これは極論かもしれませんが、理解の一助として)。

最終的に何が言いたいかというと、「大学の判断に任せましょうよ」ということです。
大学の判断に任せるとして、電話を一切止めよう、という宣言であれば賛成です。 しかし、違法な電凸かどうか、その判断は大学に任せることにして、電凸はどんどんやりましょう、という宣言なのであれば、反対です。

かつて暴力団やヤクザや総会屋が思い通りに事を進めるためにやってた「いやがらせ」ってやつを、一般ピープルが単なる鬱憤のはけ口か気にくわないからという理由かでやっちゃってるってことでしょう。

一億総ヤクザ化現象

しかもさらにタチの悪いことに、ホントは彼らにとってどうでもいい事にムキになったふりをして、わざわざ他人に迷惑を掛けたがってるだけでしょ。イタズラウォッチングのような感覚で楽しんでるだけ。

電話は全て番号通知を義務化、ネットの匿名性は完全撤廃、国民背番号制を導入、完全監視にすればイイと思う。聞こえは悪いけど、完全監視といっても何も事件なければ情報なんてタダの紙くず。後ろめたいコトしなければ関係ない話。ほとんどの人にとって気のせい程度のデメリットに対し、優れた犯罪抑止効果発揮すると思う。

ブギーマン様

読み違いをしたようで申し訳ありませんでした。
「辞めさせろ」は私がそのような意図だと勝手に読み取っただけであり、過大表現でしたので、お詫びして訂正します。

同じ論調を拡大していくと〜(以下略) の部分は「辞めさせろ」の前提が無いと繋がらない話なので撤回します。

さて、
>「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」と考えて、問い合わせした

について改めて考えてみますが、問い合わせる内容は「准教授に対して何らかの処分が下るのか(下ったのか)」ということでしょうか?

現時点では部外者である者からの問い合わせに対しては、やはり大学側に答える義務はないと考えます。答えるとしてもせいぜい
「教授会で判断し、必要であれば対処します」
と言ったところでしょう。言い換えれば
「部外者は関係ないから引っ込んでてね」
ということです。さらに
「教授会で出した結論を教えてください」
と問うたとしても
「部外者に教えることは出来ません」
という対応が当たり前だと思います。

この答えで満足して退ような理性的な問い合わせならそれほど迷惑にはならないかもしれませんが、それでは結局問い合わせた意味は全くありませんよね。でも、無理を押してこれ以上の対応を求めようとするなら、それはもう度を過ぎた迷惑行為になってしまうと思います。

理性的に、相手に迷惑をかけないように十分配慮した問い合わせであれば迷惑行為にはならないかもしれません。相手の迷惑を考えず、自分の都合だけで問い合わせるのは迷惑行為になると思います。

「あのような准教授の行為がまかり通るような大学には行かせたくない」は自分の都合であり、「自分にはそれを理由に問い合わせをする権利がある」という考えは、かなり身勝手で迷惑な考え方ではないでしょうか。

もし、電凸が認められるかどうかを法的にアウトかセーフかという論点で提起されたのであれば、門外漢の私が口を出す事では無かったですね。余計な口出しをしてしまい、申し訳ありませんでした。

今事例における電凸行為総体への批評(倫理上の評価)と、個々の電話行為に対する法律上の評価の問題が、同じエントリで語られているとややこしい。

No.201ブギーマンさんのコメントも「今事例における電凸者の法律上の評価は、大学の判断に任せましょうよ」と「今事例における電凸行為総体への批評は、大学の判断に任せましょうよ」では、まったく意味合いが変わってくる。

前者についてなら納得できるが、後者についてなら全体の特徴から目を逸らし、実際には無いかもしれない良心的個別事例を仮定することによって、「机上の空論」と受け取られかねないし、そのことによって全体への批評を判断停止に陥らせることも可能であるから、「木に集中させることにより森を見せない」意図があるのではないかと推察されてしまう。

No.210 ponさん

電凸行為は褒められたものではないかもしれませんが適法である以上、それを制限することはできないと思いますが・・・非難することはできてもね。

で、非難する根拠としてはNo.84を確認しましたが、

電凸者はこの社会の自由に対する敵です

の意図は表現の自由を妨げるものだからですか?
あれが学問であるかどうかは青学の判断に任せるとして、表現の自由として認められるものであるならば、大学人の表現の自由には人を侮辱する自由も含まれるのかと思います。
本当ですか?>法曹家の皆様

No.212 すちゅわーですさん

大学の判断に任せましょうよというのは、大学は電凸行為などに惑わされないでしょうということです。

・准教授の表現が学問の範疇なのかどうか。
・電凸一つひとつが迷惑行為なのかありがたいご意見なのか(大量に来ている現在の状態はさすがに困っているでしょうが)

前者は専門家でないのでわからないというご意見でしょうし、後者は迷惑かどうかは受けた人が判断することで第三者が「電凸されたら迷惑でしょう」と勝手に決めるのはそれこそ余計なお世話では?

No.214 無印粗品さん

元々、電凸行為は業務妨害ですという意見があって、いやそれを立証するのは素人目から見ても無理なんじゃと思いました。

で、無印粗品さんがおっしゃるように大学の対応としては「教授会で判断し、必要であれば対処します」これで充分だと思いますよ。その後、対処の結果を公開するかどうかは諸々の事情を鑑みて大学側が判断することでしょう。

ブログに乱暴な内容を書く行為は褒められたものではないかもしれませんが適法である以上、それを制限することはできないと思いますが・・・非難することはできてもね。

適法なら電凸しても問題ないのかもしれませんが、それをやっちゃったら非難対象と五十歩百歩になってしまうのではないかと思うんですよね。違法か適法かだけの問題にしてしまうのは、何か本末転倒な感を覚えます。

>No.219 ブギーマンさん

たしかにおっしゃるとおりです。業務妨害であるかどうかを心情的ならともかく、法的に判断することは素人には困難であることを痛感いたしました。

で、心情的にはブログの内容は許せないが、電凸行為も感心できないなぁという所なので、No220の様な感想を持ち、議論のための議論になってしまっているような違和感を感じておりました。

無印粗品さま

議論のための議論になってしまっているような違和感

そう思ってこのエントリを眺めているROMも少なくないと思います。
少なくとも私はそのひとりです。

まず。電凸行為とは、電話で苦情を申し立てること、と定義しましょう。
この行為自体は厳密に言えば違法、というすちゅわーですさんのご意見は明らかに正当でしょう。

なぜなら、苦情を申し立てることにより、相手に不快な思いをさせるからです。大学のセンセーが何を言ったからと言って、電話を受けた人には全く関係ありません。
校門を出た学生さんが、見知らぬ人に道端でいちゃもんをつけられるのと同様に違法性があります。

そんなの、だれだっていやでしょ?

電凸行為による迷惑度などとは全く関係なく、違法なものは違法です。

しかし、電話によるクレームが問題にされることはほとんどありません。それは何故か、違法性が正当化されるケースを検討しましょう。

たとえば「買った本が乱丁本だった」ために、出版社にクレームを入れる場合。この場合は、出版社と購入者に売買契約が成立しますので、利害関係が発生しています。出版社の代表者である電話担当者への苦情行為の違法性が正当化されます。ですから、これは合法とみなすことができます。

で、今回のケース。
書き込みで直接中傷を受けた方が雇用者である大学に対してクレームを入れる、のであれば上記と同様違法性が正当化されます。

しかしながら、2chに集まる程度の安っぽい「正義感」とやらで電凸の違法性を正当化できるとは到底考えられません。

ということで、電凸行為が適法という根拠はまるで無いと言わざるを得ません。

まず、「電凸」=電話を使って苦情を言う 行為の適法性の証明がなければ、議論はどこまで行っても平行線ですよ。電凸を正当化される方は、他人に不快な思いをさせることに対する違法性について、検討不足と思います。


言論の自由の兼ね合いから行くと、行き過ぎが無い範囲で学校の前でデモをして抗議する、なら文句の出る筋合いはないと思いますがね。
#個人攻撃は論外ですよ?もちろん。

電話は高度にプライベートなツールなので、ちょっと言論や表現の自由をにはそぐわないですが、デモなら公衆に対する表現行為なので、学問の自由と同等レベルで保障されるべきと、個人的には思います。

と、ここまで書いてきましたが、この書き込み自体が他人を不快にさせるのではないか?という疑問が出てきます。
ここで、学問の自由が登場し、正当化してくれるのです。

ブログに乱暴なことを書くことも、個人を特定して侮蔑するようなことがあれば明らかに名誉毀損等に問われます。ただし、Webのようなパブリックスペースであれば、公衆に対する表現行為となるので、表現の自由による正当化を試みることができます。

逆に1対1ツールである電話やメールについては、表現の自由を主張しての正当化はちょっと厳しいかな、と思います。

#ということで、メールについてはすちゅわーですさんとはちょっと意見を異にします。どんなもんでしょうね・・・

まず。電凸行為とは、電話で苦情を申し立てること、と定義しましょう。
この行為自体は厳密に言えば違法、というすちゅわーですさんのご意見は明らかに正当でしょう。

なぜなら、苦情を申し立てることにより、相手に不快な思いをさせるからです。大学のセンセーが何を言ったからと言って、電話を受けた人には全く関係ありません。
校門を出た学生さんが、見知らぬ人に道端でいちゃもんをつけられるのと同様に違法性があります。

そんなの、だれだっていやでしょ?

電凸行為による迷惑度などとは全く関係なく、違法なものは違法です。

しかし、電話によるクレームが問題にされることはほとんどありません。それは何故か、違法性が正当化されるケースを検討しましょう。

たとえば「買った本が乱丁本だった」ために、出版社にクレームを入れる場合。この場合は、出版社と購入者に売買契約が成立しますので、利害関係が発生しています。出版社の代表者である電話担当者への苦情行為の違法性が正当化されます。ですから、これは合法とみなすことができます。

で、今回のケース。
書き込みで直接中傷を受けた方が雇用者である大学に対してクレームを入れる、のであれば上記と同様違法性が正当化されます。

しかしながら、2chに集まる程度の安っぽい「正義感」とやらで電凸の違法性を正当化できるとは到底考えられません。

ということで、電凸行為が適法という根拠はまるで無いと言わざるを得ません。

まず、「電凸」=電話を使って苦情を言う 行為の適法性の証明がなければ、議論はどこまで行っても平行線ですよ。電凸を正当化される方は、他人に不快な思いをさせることに対する違法性について、検討不足と思います。


言論の自由の兼ね合いから行くと、行き過ぎが無い範囲で学校の前でデモをして抗議する、なら文句の出る筋合いはないと思いますがね。
#個人攻撃は論外ですよ?もちろん。

電話は高度にプライベートなツールなので、ちょっと言論や表現の自由をにはそぐわないですが、デモなら公衆に対する表現行為なので、学問の自由と同等レベルで保障されるべきと、個人的には思います。

と、ここまで書いてきましたが、この書き込み自体が他人を不快にさせるのではないか?という疑問が出てきます。
ここで、学問の自由が登場し、正当化してくれるのです。

ブログに乱暴なことを書くことも、個人を特定して侮蔑するようなことがあれば明らかに名誉毀損等に問われます。ただし、Webのようなパブリックスペースであれば、公衆に対する表現行為となるので、表現の自由による正当化を試みることができます。

逆に1対1ツールである電話やメールを使った批判については、表現の自由を主張しての正当化はちょっと厳しいかな、と思います。

No.218 ブギーマン様

No.219のあなたのコメントが回答になっております。
瀬尾氏の文章が侮辱にあたるかどうかは本村氏が判断すればよいことであって、第三者の貴方が勝手に侮辱だと判断して、勝手に抗議するのは余計なお世話でしょう。

>>No.218 ブギーマンさん


大学の判断に任せましょうよというのは、大学は電凸行為などに惑わされないでしょうということです。

なぜ、そのように勝手に決めることが出来るのでしょうか?
また、惑わされるかどうかということより、まず、迷惑行為だということです。


迷惑かどうかは受けた人が判断することで第三者が「電凸されたら迷惑でしょう」と勝手に決めるのはそれこそ余計なお世話では?

それで、「勝手に決めるのは余計なお世話」だから、電凸してもいい、という理屈ですか?

メールや封書が、言論の自由による保障がないものであるにも関わらず、なぜ、許容できると私が考えているか、について、補足しておきます。

それは、一つには、すでに述べたように、メールや封書が受け手の負担が少ないことがあげられますが、もう一つは、おなじクレームを掲示板で行った場合との比較の結果です。掲示板だと、言論の自由の保障があり、正当化されるのですが、しかし、誰もが見ることができる場ですので、クレームを受けた相手の名誉や信用は、明らかに失墜します(名誉権の侵害として、違法にはならないレベルであっても)。
しかし、メールや封書だとそのような失墜はありません。

つまり、同じことを言われるのであれば、メールや封書で直接言ってもらった方がいいと考えるのが、クレームを言われる相手方としては、通常だと思うからです。

ブギーマンさんは、電凸でのクレームが、「ありがたいご意見」の場合もあり得る、ということを言われていますが、確かに、そのようなこともあるでしょう。しかし、そうであっても、同じことを電凸でやるのではなく、受け手の負担の少ない、メールや封書でやればよいことですから、やはり、電凸を正当化することはできないと考えます。

電凸に関しての、法的諸問題はほぼはっきりしたと思うのですが、今回の瀬尾ブログの件に特定して言えば、青学側が広報を窓口に「ご意見承ります」という姿勢のようなのですが、この場合もまだ違法性があるのでしょうか?

>饅頭さま

そのように言っている事は知りませんでした。
その趣旨が問題になりますね。電凸を許容する趣旨かどうか。許容する趣旨ではなかったのだけど誤解を招く表現をしたのなら、大学にも責任があります。

まとめサイトに電凸のコーナーがあります。
http://www.wikihouse.com/seo/index.php?%C5%C5%C6%CC
実際のやりとりの模様が報告されているのですが、宗教センターに電話した方は、その件の窓口は広報で一括すると応答されているようです。

また、報告で挙がっている限りでは、電凸者、青学広報の双方とも冷静で、声を収集して上層部の判断の材料にするような印象を受けました。すちゅわーですさんもこれらをご一読頂いた感想などお聞かせください。

>No.228 饅頭さん
>青学側が広報を窓口に「ご意見承ります」という姿勢のようなのですが、

別に反発して聞くわけではないのですが、青学のホームページを確認しても、それらしい記述を見つけられなかったのですが、どこかで発表したのでしょうか?

>饅頭さん

タイミングが重なりました。質問へのレスは不要です。

>>No.230 饅頭さん

その電凸のコーナーを開設した人は、「危険」な状態です。電凸を推奨しているように見え、いわゆる「扇動」になっているとしたら、多数の電凸者の行為全部の責任を負うことになります。
いくら丁寧に、冷静にしていても、行為自体が正当化されるわけではありません。違法性がゼロになるわけではありません。
一つ一つの電凸の違法性が可罰的違法性がなく、微々たる違法性であっても、「ちりも積もれば山となる」です。そうなると可罰的違法性が生じてきます。

宗教センターに電話した人に対して、広報で一括すると応答したとしても、きちんと上層部の判断の材料にする、という話をしたとしても、大学側としては、紳士的に対応するしかないことを留意しなければなりません。

大学側が最初に、何ら利害関係のない第三者から、電話による抗議も受け入れる、という趣旨のアナウンスをしていない限り、電凸は正当化されないと思います。

まとめサイト見ました。
あくまで、法律的素養のない人間の感想としてですが・・・

これって、やばくない!? このページは何を目的として公開されているの?
このページは慇懃無礼に、そして巧みに准教授を処分させるように電凸を促しているように見えます。「電凸に組織性がある」ことの一つの論証材料になる。
懲戒扇動事案におけるテンプレートサイトと同様の役割を持つものに見えました。

もどかしいことですが、ここでどのような「電凸」に違法性があるのか、ないのかを書くこと自体も「電凸者」にとって参考になり、電凸のコーナー作者が見てれば、「電凸のコーナー」の信頼性を高めることになるのかなと思います。

ところで早稲田大学でもこんな事件があったようですね。

<早稲田大>入学式で大学批判演説の学生逮捕  警視庁

裁判所の判例を調べていたら、国立鳥取大の教授が原告の損害賠償請求訴訟を見つけました。
この教授セクハラ刑事訴訟の被告であったけれど、一審後和解してます。
学内生徒220名が大学側に「免職」を要求する要望書を提出しており、それが「教授がこのまま復帰した場合、学内に大きな混乱が予想させる」との停職処分満了後に大学が発した業務命令(事実上の禁足処分)の正当性を裏付けています。
しかし、一方大学が発した業務命令の一部に違法性を認め、損害賠償を命じています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/5751CCAD166FD2DB49256F4A0035FA8F.pdf

ただ、外野がいくら電凸しても、免職とする大学側の正当な理由に成り得るとは思えませんねぇ。
青学内の学生たちの反応を知りたい処ですが、どうなんでしょう?
20年前ならば「私らを子ども扱いするな!」と電凸者らに反発してデモの1つも起こったと思うのですが、今時の学生は変に物分りが良い(苦笑)のでしょうか。
「勝手に騒いでれば」の反応も、それはそれで賢いとも思いますが。

ところで、処分すべきかどうかは大学が決める、ということになると思いますが、この件に関して処罰することはできるものなのでしょうか。

個人ブログに書いた内容が世間を騒がしたわけですが、そのこと自体は法律に違反している訳ではないですよね。それに対し懲罰ないし注意を与えて圧力をかけて自説を曲げさせることは、パワーハラスメント(アカデミックハラスメント)になる可能性があるのではないでしょうか。

本人が自ら反省して考えを改めた、という形になれば円満解決ですが、そうならない場合にブログの件を理由に処罰することが可能なのかどうか。大学の内部規定は分からないのでなんとも言えませんが、これも非常に難しい問題で、学長、教授会も苦慮しているのではないでしょうか。

ここは日本的の伝統的な解決方法に則って、詰め腹を切らせるべきか。「あなたが世間を騒がせたことにより、大学が迷惑している。どうすればいいか身の処し方を自分で考えてみて下さい。」って感じで。電凸なんか止めて、みんなで白扇を送りつけるってのはどうでしょう?(考えようによっては電凸よりも酷い嫌がらせかもしれませんが)

鳥取大学の場合は、国立大だしエッチな助教授に停職って半端な懲戒をしたことが仇になったようですね。部屋に押し込めたのはまずかった。青学は私学だし、相当な理由を見つけたらきっぱり免職する判断をした方が得策でしょう。相当な理由を大学当局が見つけられるかどうかは不明ですが、学内の職務規定しだいではないでしょうか。
しかし、鳥取大学の教職員、学生の方々は大変な苦労をなさったみたいですね。お気の毒です。その後、原告は勤め続けて教授に昇進したのでしょうか?教育現場に復帰しているとしたら、指導される学生さんが可哀そうです。

大学生の母さん、青学の学生はネットで署名集めたり、瀬尾准教授の処分を求める声を上げているようですよ。いろいろなコメントが寄せられています。(全部学生とは限りませんが・・)
http://aogaku.campuscity.jp/bbs/common/

 このエントリの話題と関係のありそうな記事を見つけました。
<早稲田大>入学式で大学批判演説の学生逮捕  警視庁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080523-00000008-maiall-soci

 司法警察員ではない一般人のようなので、緊急逮捕ということになるのでしょうか。
 オウムの事件ではたしか、マンション駐車場への立ち入りを侵入罪として有罪判決が出たはずですが、文学部キャンパス内の会場前が要件に当てはまるのか、はなはだ疑問ですし、この大学の法解釈にも疑問が浮かんできました。
 民法にも、「権利の濫用はこれを許さず」と明記されているはずですが、いずれにせよ、私人の行為として行き過ぎが感じられます。
 それとも、それほど手に負えない、質が悪い学生さんだったのでしょうか。

 有形力も行使しているようなので、かなり問題があるのではないでしょうか。具体的な事実は不明ですが、場合によっては、逮捕監禁罪で告訴されたり。


No.223 Airさん

すちゅわーですさんも利害関係があれば、違法ではないとおっしゃってますが?
また、適法性を証明するのではなく、違法性を証明するものでしょう。

No.225 ponさん

勝手に第三者と決め付けないでいただけますか?
瀬尾氏の侮辱は対本村氏に限らないことを留意してください。

No.233 すちゅわーですさん

大学側が最初に、何ら利害関係のない第三者から、電話による抗議も受け入れる、という趣旨のアナウンスをしていない限り、電凸は正当化されないと思います。
だいぶ、屁理屈になってきてませんか? 第三者であるかどうかはすちゅわーですさんには判断できないし、しかも、大学側が抗議を受け入れているのに、あなたが勝手に抗議を受け入れるなと主張することこそ、大学経営に対する干渉ではないですか?

>>No.241 ブギーマンさん

だいぶ、屁理屈になってきてませんか?第三者であるかどうかはすちゅわーですさんには判断できないし、しかも、大学側が抗議を受け入れているのに、あなたが勝手に抗議を受け入れるなと主張することこそ、大学経営に対する干渉ではないですか?

正直、何を考えられているのか、さっぱりわかりません。

大学が電凸者を提訴したような場合に、第三者性は裁判所によって認定されることです。
第三者であるかどうかは私には判断ができませんが、それがどうかしたのですか?私に判断ができないから、電凸はやっていいということですか?

大学が抗議を受け入れているように見えるから、電凸はやってよいということですか?
私は大学が抗議を受け入れるな、などとは言っていませんよ。

ブギーマンさんは、なぜ、そこまでして電凸を正当化しようとするのでしょう。不思議ですね。

No.242 すちゅわーですさん

ブギーマンさんは、なぜ、そこまでして電凸を正当化しようとするのでしょう。不思議ですね。
いくつか理由ありますけど、単純に言えばなぜ電話による問い合わせという行為がなぜそこまで否定されるのか、さっぱり理由がわからないからですよ。 そして、話がここまで進んできても
電話による問い合わせ
電凸の境目も明らかでない(第三者性は裁判所が認定する!?)のであれば、自分自身の問題としても、製品・サービスetcになにか疑問や不満があった時に、対象組織に電話による問い合わせができないじゃないですか。

ここにいる電凸行為を否定されている皆さんは、ご自身は電話による問い合わせをされたことが一度もないのでしょうか?
そして、その電話による問い合わせが裁判所によって電凸行為とみなされる危険性を認識して電話による問い合わせを行なっていたんでしょうか?

ちなみにすちゅわーですさんはメールや封書による問い合わせを推奨されていますが、メールや封書による問い合わせは文字によるコミュニケーションですから、言葉によるコミュニケーションよりもより誤解の起こりやすいコミュニケーション手段だと思います。
それはこういったWeb経由の議論でも明らかなことだと思いますが・・・

「電凸」という表現で、大学へ電話をかけることを十把一絡げに批判しているように見えるから反発を招くのですよ。
電話の主や内容によっては正当なものもあるはずなのに、依然として「電凸は社会の敵」というスタンスを頑なに取りつづけているのだから。

まるで「匿名の卑怯者」という表現で匿名全てを否定するかのようですな。

>>No.243 ブギーマンさん

いくつか理由ありますけど、単純に言えばなぜ電話による問い合わせという行為がなぜそこまで否定されるのか、さっぱり理由がわからないからですよ。
自分自身の問題としても、製品・サービスetcになにか疑問や不満があった時に、対象組織に電話による問い合わせができないじゃないですか。
だから、私は、許される電話による問い合わせと、許されない電凸との区別を、明確化しようと努めてきたわけですよ。それが利害関係の有無という基準なわけです。


>>No.244 一つだけ苦言さん

「電凸」という表現で、大学へ電話をかけることを十把一絡げに批判しているように見えるから反発を招くのですよ。
だいたいからして、「電凸」というのは電話による攻撃じゃないですか。そんなもの、基本的に許されるわけがないでしょう。それに上記のように、私は、許される電話による問い合わせと、許されない電凸との区別をどうするか、そのことを延々論じてきたのであり、「十把一絡げ」にしているわけじゃないですよ。

おはようございます。

No.242 すちゅわーですさんへ

>第三者であるかどうかは私には判断ができませんが、それがどうかしたのですか?私に判断ができないから、電凸はやっていいということですか?

 その発言は、瀬尾氏の発言を学問の自由かもしれないとして慎重に判断すべきだと言う一連の発言と整合性とれてます?
 瀬尾氏の発言は理屈をこねて擁護しようとしているのに、電凸はばっさり感情論で切っているように感じますが。

No.238 無印粗品さんへ
 本来なら、最初の学園長の謝罪ですんだはずなのに、 瀬尾氏がそれを蹴ってしまった為にややこしくなってしまった訳で。
 ただ今回の一連の発言で懲罰もやりすぎの筈なので、プログなどに謝罪を書いて、侮辱したと思われる相手に対し謝罪することで終了すると思いますが。(というか 、瀬尾氏は本当にリスク管理の専門家なのか疑ってしまう対応なのですが)

>No.246 質問者さん

その発言は、瀬尾氏の発言を学問の自由かもしれないとして慎重に判断すべきだと言う一連の発言と整合性とれてます?  瀬尾氏の発言は理屈をこねて擁護しようとしているのに、電凸はばっさり感情論で切っているように感じますが。
くどいですね。私は瀬尾氏を擁護しようとしたわけじゃないですよ。何度言わせれば気が済むんでしょうね。理論的に、順番を追って考えましょう、ということを訴え続けてきただけですよ。

私が「電凸をばっさり感情論で切る」なんてしてますか?
電凸が許されない理由をきちんと法的観点から書いてきたでしょう?

私が書いた中身について、異論があればきちん言ってもらったらいいことですよ。
理論的におかしいところがあるんだったら、それをご指摘ください。

No.243 ブギーマンさん

ここにいる電凸行為を否定されている皆さんは、ご自身は電話による問い合わせをされたことが一度もないのでしょうか?
皆さんと言うことなので答えます。何かしらの利害関係がある場合など(商品を買った時の不具合や宅配の遅延した時に)電話による問い合わせはしたことがありますが、ブログの表現に問題があるからといって、書いた本人の関係する組織に電話したことは、ありません。橋下氏にメールをしたことはありますが、さすがに電凸まではしてません。


ブギーマンさんは、瀬尾氏から何かしらの不利益を被ったのでしょうか?不利益を被って大学に電話した?

電凸が許されるのかどうか、法的な判断は私には出来ません。

ただ今回の例で青学に「電話で問い合わせ」をした人は、全員がどうしてもこの騒ぎの真っ最中に電話しなければならない必要性があったのでしょうか?

報道なり、ネット情報なりで、瀬尾氏の発言に絡んで青学に電話が殺到していることを知った上で「電話で問い合わせ」をした人は、その問い合わせが1分1秒を争うとまでは言いませんが、数日間先送りすることもできないほど「緊急かつ重大な必要性」があるから電話したのでしょうか?

例えば来年青学を受験しようと考えているが、瀬尾氏が大学に残るようなら志望校を再検討しなければならない、このように今回の騒動が自分の人生に関わる重大事だと考える受験生がいるとは思います。この受験生が青学の対応に関心をもって問い合わせる、ここまでは理解できますし、私は宜しいと思います。

ですがこの受験生が騒動の真っ最中の4月末の数日間に、どうしても青学に電話して問い合わせなければならない緊急性があるのでしょうか? 青学を受験先にするかどうか、この5月の段階でどうしても決めなければならないとは思えません。秋以降の受験準備が本格化するまで、まだまだ日時の余裕は充分にあると思います。

青学が殺到する電話の対応に追われている状況が、報道やネット情報により知ったならば、少し騒ぎが落ち着くまで1週間やそこら電話での問い合わせを先送りする、或いは大学側の電話対応の手数を軽減するために後日の回答を求める手紙にする。こうした配慮をするのが「大人の態度」であり、「良識」というのでははありませんか?

電話することが何々法何条の規定に抵触するだ、法律上罰則がドッタラコッタラの議論に明け暮れる前に、良識とかマナーの問題じゃないかと思いますがねぇ。

先の電凸の正当性は良識で判断すべしの投稿に補足です。

上の方(No.230)で紹介されていたまとめサイトですが、このサイトを見た結果「青学も電話殺到で大変だなぁ」と考える人と、「青学も電話殺到で面白そうだ」とヤジウマ的発想をする人が居ると思います。

前者のように「電話殺到」という情報から、「青学も対応に大変だろうしその最中に自分も電話したらもっと大変だろうなぁ」、と考えるのが常識的な気配りというものだと思います。

同じ「電話殺到」という情報から、「そいつぁ面白ぇ、いっちょオレも電話してみよう」、と考えて電話するのが電凸に分類されるのではないでしょうか?

私なりに違う言葉で表現すれば、電話を受ける相手のことを思い遣ることができるかどうかが、「正当な問い合わせ」と「電凸」のボーダーラインだと思います。

こうした相手に対する配慮とか思いやり・気配りというのは法律的正当性で論争すべきテーマにはなじまないと思います。その点で、No.221 無印粗品さま、No.222 fuka_fukaさまの「議論のための議論」というご意見に同意です。

No.245 すちゅわーですさん

私はその利害関係の有無という基準が非常に曖昧ではないかと言っているんですが・・・

No.176で示したようにいろんなパターンの言い訳は可能だし、また、瀬尾氏が侮辱発言をしている対象は多岐にわたるので、侮辱された!と思ったら、電話で問い合わせするのは正当化されるのかと思えば、第三者性は裁判所が判断するとおっしゃるし・・・
利害関係の有無や第三者性が最終的に裁判所が判断するような高度な法的位置づけであるならば、素人である私にはさっぱりわからないということになりませんか?

法務業の末席さんに禿げ同します。

>>No.251 ブギーマンさん

少なくともメディアを通じて瀬尾発言を知り、それに義憤を感じて電話するようなケースでは利害関係はないでしょう。

「言い訳」が可能かどうか、というのは要は仮装行為によって逃れうるかどうか、ということであって、仮に逃れ得たとしても、それは正当な行為だったとは言えません。どうもブギーマンさんは、悪いことをしても、警察に捕まらなければよい、ということと同じことを言われているように思えます。逃れ得たら、それは正当行為になる、という論理です。

具体的に侮辱された人が抗議することは正当でしょうね。例えば、0.5人発言については、本村さんが抗議することは正当でしょう。小学校騒音の件で、副校長などが抗議というか、電話で問い合わせをすることも正当でしょう。

第三者性は最終的には裁判所が判断するということです。私が示したような判別基準でもって、まずは電話を架けようとする人が、自分の行為が違法行為ではないか、迷惑行為ではないか、それを自分自身で判断すべきです。それが紛争になった場合に、最終的には裁判所で判断されることですから、そのことを充分にわきまえて、各自が行動すればよいことです。

それは例えば、このような掲示板で、他人の名誉を一定レベル以上で侵害するような書き込みをしたら違法行為になりますが、まずは各自で各自の良心に従って判断するのと同じことです。紛争になれば、裁判所によって、限度を超える名誉侵害なのか否かが判断されるのと同じです。その判断は素人にとっては難しいですが、しかし、その全責任は書き込んだ人が背負わなければなりません。

No.248 ぐら虫さん

ぐら虫さんは「その問い合わせ行為は業務妨害になる可能性がある」と言われたらどう思いますか?心配になりませんか?
利害関係があると思っていても利害関係はないと認定されるかも知れないのですよ。利害関係があるかないかの線はどこにあるのか知りたいと思いませんか?

>>No.254 ブギーマンさん

ぐら虫さんは「その問い合わせ行為は業務妨害になる可能性がある」と言われたらどう思いますか?心配になりませんか?

ネット掲示板で、他人のことを批判することは常に違法な名誉侵害になり得る危険性があります。心配ですね。でも、それぞれが、違法行為を行わないよう、名誉侵害のことについてよく勉強し、気をつけるしかありません。

No.253 すちゅわーですさん

「言い訳」が可能かどうか、というのは要は仮装行為によって逃れうるかどうか、ということであって、仮に逃れ得たとしても、それは正当な行為だったとは言えません。どうもブギーマンさんは、悪いことをしても、警察に捕まらなければよい、ということと同じことを言われているように思えます。逃れ得たら、それは正当行為になる、という論理です。
そんなことは言っていません。よく読んでください。
少なくともメディアを通じて瀬尾発言を知り、それに義憤を感じて電話するようなケースでは利害関係はないでしょう。
メディアを通じて瀬尾発言を知り、過去の発言を調べて見たら自分も侮辱されていることを知った場合はどうですか? 例えば、瀬尾氏は新潟県中越沖地震と阪神大震災の被害を比較して「大鵬」と「カエル相撲の横綱ケロ吉」と表現されています。もし仮に私が中越沖地震の被災者家族ではあるが、東京に出てきていて直接被害にはあっていない場合、私は電話による問い合わせを正当だと思いますが、裁判所にはどう判断されるかわからないということですよね。 『利害関係のない者』と文字では簡単に書けますが、具体的にそれはどこまでの人のことなの?ということです。

電話をかけるという行為は現代社会において非常に日常的なもので、好むと好まざるとに関わらず、使用せざるを得ない性質のものです。他人の名誉を一定レベル以上で侵害するような書き込みという行為はやらなくても日常生活に何の支障もきたしません。
具体的に電話で問い合わせをするという行為のうち、違法行為となるラインがどのレベルにあるのか裁判所に聞かないとわからないというのでは困りませんか?知りたいというのはおかしいことでしょうか?

問い合わせをしても明らかに問題ない場合や、明らかに問題となる場合はあります。しかしその中間は、事件にどの程度関係があるのか、問い合わせはどの程度相手に負担をかけたか、の度合いによって判断が変って来ます。

また、直接の被害者であれば問い合わせる正当な理由がある、と言っても電話を数十回して相手を数時間拘束するようなことになれば、本村さんと同じ立場にあたるような人であっても訴えられる可能性は十分にあります。

問い合わせ行為に問題があるとしても問い合わせを受けた側が訴え出るかどうかは分かりません。例のまとめサイトに載っているような青学への電凸では、ネットで事件を知っただけの第三者が多数問い合わせているわけですから、明らかに業務妨害に当たるのではないでしょうか。しかしここで青学が訴えたりすれば「反省していない」と取られて、ますます叩かれることになるだろうから、青学側としてはひたすら頭を下げて嵐が過ぎるのを待つしか無いでしょう。そこから考えると、法的にはかなりアウトだけど、電凸のリスクはかなり小さいと言える。一方で光市事件の弁護団への懲戒請求騒動の際には懲戒請求を出した側が逆に訴えられるというリスクが生じました。この状況で弁護団に電凸をかけるリスクは非常に高いと言えるでしょう。

結局、よほど極端な状況でもない限り、これなら絶対セーフだ、と言い切ることはできません。利害関係があれば比較的セーフではないか、と言っているだけで絶対にセーフだとは言い切れません。問い合わせが必要なのであれば、リスクを考慮し、リスクをできるだけ避けるような方法でするしかないのではないでしょうか。

私としては、たとえ関係者でなかったとしても、礼儀正しく、相手の迷惑を考慮して、必要なことだけを問い合わせてきた人を訴えるようなことはまずあり得ないと思います。
また関係者であっても、無礼で、迷惑を顧みず、必要な問い合わせ以外に罵声をあびせたりする行為があれば訴えられる可能性は非常に高いと思います。

No.254 ブギーマンさん
まず、私は「皆さんへ」に答えて質問しています。私の質問に返答してから質問してください。

ブギーマンさんは、瀬尾氏から何かしらの不利益を被ったのでしょうか?不利益を被って大学に電話した?

「その問い合わせ行為は業務妨害になる可能性がある」と言われたらどう思いますか?心配になりませんか?

日常でも会社などに問い合わせていますが、心配などしていません。問い合わせる理由があるから問い合わせているのです。私が表現の対象となっていない「ブログの表現」で当該人物の組織に問い合わせしょうとは思いません。
利害関係があるかないかの線はどこにあるのか知りたいと思いませんか?
上の質問にも関係します。ブギーマンさんは、瀬戸発言から害を受けたと感じて(利害関係の)「線はどこにあるのか知りたい」と思っているのでしょうか?
大した利害関係もないのに電凸する場合なら「線はどこにあるのか知りたいと思い」ますが、害を受けたどうかは自分で分かります。(又は、調べて判断します)「線引き」なんて個別の状況で変わると考えます。

議論のための議論のつもりはなく、非常に素朴な疑問からはじめたんですが、だいぶ長くなってきたし、いつまでたっても平行線なのでそろそろ終わりにしたいと思います。

なので、ちょっと正直な感想。

No.255 すちゅわーですさん

ネット掲示板で、他人のことを批判することは常に違法な名誉侵害になり得る危険性があります。
.

すちゅわーですさんのご意見って、このエントリに限らず自分の気に食わない意見を『法律(憲法)に触れる可能性がある』と言って、封殺しようとしている意図があるように感じるんですよね。もちろん否定されるでしょうが(笑)

『可能性がある』という表現は100万分の1の確率でもその確率があれば日本語的には正しい表現なんですが、日常的にそんなこと考えてるの?ってな強烈な違和感を感じます。
電話で問い合わせをするという行為が違法性を帯びる可能性があること自体は否定しませんが、その可能性とやらが議論を行う上で現実的なレベルの可能性なのか、そこのところを素人に明かさずに『可能性がある』という言葉を使い反論を封じ、そのレベルを聞けば『裁判所が判断する』では、専門家の立場を利用した非常に不誠実な議論の姿勢に思えます。

ではでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
また、疑問ができたら現れるかもしれませんが(笑)

>No.259 ブギーマンさん

>日常的にそんなこと考えてるの?ってな強烈な違和感を感じます。

 だから、No.249 法務業の末席さんのコメントが重要な意味を持つんです。

>皆様へ

 これ以上、このエントリで議論が続くようであればコメント数の増加により新しい続編エントリを立てる必要があります。
 
 その3を立てますので、コメント投稿はしばらくお控えください。

No.259 ブギーマンさん
私も、すこしだけ感想を。
極端な話で半分冗談ですが、「利害関係」や「線引き」を気にするのなら「瀬尾ブログ」を名誉毀損などで訴えるかすれば、自分と「瀬尾ブログ」の関係がハッキリするのでは、と思います。

「非常に不誠実な議論の姿勢」なんて書くと自分に返ってくることもありますよ。では。

P.S 何かあれば『場外乱闘』にでも。

 タイミングを失したかも知れませんが、

 ため息まじりのつぶやき(その3)

 を立てました。

 今後のコメントは「(その3)」へお願いします。

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