エントリ

秋葉原殺傷:加藤容疑者の両親が謝罪 母は泣き崩れ(毎日新聞 2008年6月10日 21時36分(最終更新 6月10日 22時16分))

 午後7時20分、住民や報道陣ら約100人が囲むなか、両親はタクシーで帰宅。玄関前で会見に臨んだ。

 両親が自ら会見したかのような書きっぷりだが、どうなんだろう?

 記者団から「事件を防げなかったのか」などの質問が出たが、

 この質問をした記者は、いったいどのような答えを期待していたのだろうか?

 社会的責任を問われると

 この記者は、誰のどのような社会的責任を問うたのか?

 犯人に対する憎悪の念は抑えがたいものがあるが、この記事には腹立たしいものを感じる。

追記
 朝日の記事
 読売の記事
 産経の記事

 毎日の傲岸不遜さが明瞭だが、産経も写真を掲載する必要があったのか。

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コメント(185)

まったく同感です。

他に何を聞くべきかわからないんでしょうね。

そもそも何故両親にインタビューをするかも分からないんじゃないんでしょうか。
とても口に出せない理由でしょうが。

野蛮な国だなあ、と思わずにいられません。

私も同感です。

秋葉原通り魔事件の別スレでは、なんとも言いようもなく、コメントは控えていたのですが、子を持つ親の立場として、親御さんのご心中を心配していたのですが、(大きなお世話だと思いますが・・)

>誰のどのような社会的責任を問うたのか

これはホントに何なんでしょうか?
記事の書き方に憤りを感じてなりません。
悲しいかな、心配していた予想通り(?)の展開になっており、まだまだ、社会いや、マスコミの姿勢かな?がこれではな、と感じます。

これは本当に腹立つ記事ですね。
プロとしての矜持が感じられません。

 異感に感じるところがあります(こんな日本語はないかと思いますが誤字ではないです)。
 とだけ、今回はコメントさせておいて頂きます。
 けっして、ご両親を無批判にせめるつもりはなく、以前、幼女連続殺人の宮崎被告の父親が自殺したような事態は、厳に避けるべきではあります。
 さらにいえば、二度と起こってほしくないという被害者遺族のお言葉からしても、社会全体の親が向き合い考えるべきテーマかと思えます。

先ほど私もこの記事を読みました。

親として泣き崩れて土下座する以外に何が出来るのでしょうか。本当に憂鬱になる報道(ヨタ記事?)だと思います。

今回の事件では発生から2日も経つのに、珍しくこうした「ご家族のお詫び記者会見」が記事にならず、悲惨さの中に僅かな和みを覚えていた気分が一気に醒めました。

エェイッ、気分が悪い!
知る権利、報道の責務、言論の自由、そうした能書きの前に「人倫」を知るべし!

No.6の補足
 厳に戒め、避けなければならない
ですね。
 言うはやすしで、あることも承知しています。

 各社の報道を追記しました。

しかし、

仮にこの親御さんが
「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えたとしたらどうでしょうか?
記事を非難する前に、なんという非常識な親だと、両親の方に怒りを向けるのではないのでしょうか。

逆に言えば、(少なくとも毎日新聞の想定した)読者はこの記事を読み、これこそ日本の親の正しいあり方だと確認し、安心を得ているのでしょう。

 比較して見たところ、朝日の記事が一番質が悪そうです。朝日テレビの報道ステーションは概ね、違和感はない感じなんですけど。ごとき、なのかもしれませんが。

>>No.9 モトケン先生
全社の記事を読み比べて見ました。
マスコミにとって皮肉なことに毎日の報道が一番詳しいため、却って親への謝罪会見を求めた全マスコミの人倫に悖る知る権利の濫用ぶりが明らかになっていますね。
グアムの裁判所が日本のマスコミの取材ぶりを見てパパラッチにならないようにと釘を刺したのですが、なにも理解できていないのでしょう。
結局このようなマスコミしかわが国民は持たないわけですが、マスコミは選挙や国家試験で選ばれるわけではありませんから、国民にはなんらパパラッチ報道の責任はなく、すべての責任はマスコミ自身にあると思います。職業倫理の自覚の問題だと思いますね。

ぼつでおk 様

簡単に。
マスコミには選挙も国家試験もありませんが、その代わり視聴率や購読数による国民の評価があります。
国民がいかなる報道を選ぶか、完全に国民の自由です。

であれば、当然そこには責任が発生します。

とは言ってもその責任は一方的なものではなく、スパイラルの関係にあると思います。

国民が質の悪い報道を視聴率、購読数によって評価する。

マスコミが評価を得るため質の悪い報道を繰り返す

上に戻る。

こういった流れにあると思います。
私は元記事のような報道は質の悪いものだと断じますが、問題はこのような報道を、当たり前のものとして受けとる国民が多数派を占めている事ではないでしょうか?

マスコミになぜこのような報道をするのかと聞けば、返ってくる答えは「視聴率」「読者の感心事」でしょう。
彼らはあらゆる問題に対してこれを答えにします。

加害者の家族に対する取材も「いいかげんにしてくれ」ですが、被害者の生前の様子を「そんなに詳しく報道しなくても・・・」という気もしています。
読者や視聴者は、そのようなものを望んでいるのでしょうか?

 マスコミに対する目は、予想以上に厳しいみたいですね。参考になります。

No.2 ponさん が、『そもそも何故両親にインタビューをするかも分からないんじゃないんでしょうか。』と仰るように、実は私も、何故両親にインタビューをするかわからないでいます。
『社会的責任を問う』とは、親も犯罪を犯した成人した息子と運命共同体のような印象を受けます。

また、No.10 ponさん の言葉を引用させていただくと、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えられる社会に 日本がなってほしいと私個人的見解として感じております。

おはようございます

No.17 A.K.さんへ
>また、No.10 ponさん の言葉を引用させていただくと、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えられる社会に 日本がなってほしいと私個人的見解として感じております。

 ただ、社会の責任という言葉を出すのであれば、もっとも近い社会は親となるわけで、犯罪を犯した以上、悪いのはその個人で周りが悪いわけではないと言う考えをもてるのかと考えてしまいます。

続投失礼いたします。上記No.17の補足 追記です。
加害者家族の方々にもいろいろな感じ方があり、もちろん、『息子の犯した罪は私どもの責任』と感じる方のほうが多いでしょう。

でも逆に、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」と感じる家族がいても、それを非難するのはおかしい気がするのです。でも現状、言える社会ではないですよね?
犯罪者の家族は罪を犯していません。それなのに、今の日本社会には『命共同体のような印象』にもっていこうとするマスコミの流れを感じます。

犯罪被害者遺族同様、犯罪加害者家族も、現状日本社会では、二次的被害者なのだと感じられるのですが。
皆様いかがでしょう。

続投失礼いたします。上記No.17の補足 追記です。
加害者家族の方々にもいろいろな感じ方があり、もちろん、『息子の犯した罪は私どもの責任』と感じる方のほうが多いでしょう。

でも逆に、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」と感じる家族がいても、それを非難するのはおかしい気がするのです。でも現状、言える社会ではないですよね?
犯罪者の家族は罪を犯していません。それなのに、今の日本社会には『命共同体のような印象』にもっていこうとするマスコミの流れを感じます。

犯罪被害者遺族同様、犯罪加害者家族も、現状日本社会では、二次的被害者なのだと感じられるのですが。
皆様いかがでしょう。

コメントテスト

No.18 質問者さん のご意見もごもっともだと感じております。西洋と違って日本人の心には儒教的な考え方がありますよね。
ですからNo19で補足させていただきました。(ダブってしまったようで(汗 恐れ入りますが、管理人さん削除お願いします。)

『もっとも近い社会は親となるわけで、犯罪を犯した以上、悪いのはその個人で周りが悪いわけではないと言う考え』も受け入れられる社会にしてほしいと望むのですが、いかがでしょう?

古きよき文化は破壊されていくのに、子供の罪は親の責任、なんて「因習」は残っていくのでしょうか?
親の自殺と言えば、連合赤軍事件を思い出してしまいます。当時、私は中学生でしたが、社会科の先生が「親の気持ちもわかるが、あれは世間の厳しい目に耐えられなかったのだろう。成人の犯罪で親の責任を問うのは間違っているし、社会に原因を求めるのも間違っている。犯罪は起こした人間の責任だ」と仰ったことを思い出します。
マスコミは常に「正義の味方」でありたいから、少しでも「悪人(に近い人)」を探すのかも知れません。
神戸の地震の時も、「自然災害で自治体を悪者にはできないなぁ」なんて感じの時に「サリン事件」が起きたら、みんなそっちへ殺到しましたからね、神戸の人が「報道して欲しいことがいっぱいあんのに」とボヤイてました。

No.23 通行人1さん 『古きよき文化は破壊されていくのに、子供の罪は親の責任、なんて「因習」は残っていくのでしょうか?』
過不足無く同感です。

不快になって5秒でチャンネルを変えました。
冗談抜きで「家族連座制」導入の機運が高まってきそうで怖いです。

モトケン様の意見にまったく同感です。25歳になる成人
男性の親に「社会的責任」などを負わせる必要なんて
全くありません。親は子供を好きで殺人鬼に育てたわけではないのです。

親が謝罪という見出しも頭に来ます。謝罪すべきは容疑者であり、親は「大人」の容疑者の行為まで面倒を見なければならないのでしょうか?

被害者でもそうですが、彼らの生い立ちなどを知っても
何になるのでしょうか?やみくも「犯人は絶対死刑」という
暗示でもあたえたいのでしょうかね?

結論を言えば、親に責任を負わせるのなら、一度でも
いいから記者は報道での出来事での悲劇で
責任を負ってみろといいたいです。


モトケン様の意見にまったく同感です。25歳になる成人
男性の親に「社会的責任」などを負わせる必要なんて
全くありません。親は子供を好きで殺人鬼に育てたわけではないのです。

親が謝罪という見出しも頭に来ます。謝罪すべきは容疑者であり、親は「大人」の容疑者の行為まで面倒を見なければならないのでしょうか?

被害者でもそうですが、彼らの生い立ちなどを知っても
何になるのでしょうか?やみくも「犯人は絶対死刑」という
暗示でもあたえたいのでしょうかね?

結論を言えば、親に責任を負わせるのなら、一度でも
いいから記者は報道での出来事での悲劇で
責任を負ってみろといいたいです。


ご両親は、自ら進んで、会見を望まれたのでしょうかね?

報道機関が、報道スクラムを組んで、青森に押しかけたのではないかと邪推します。

玄関前に100人

何ですか、それ・・・って感じです。

報道のあり方が、日本の社会の心を惑わし
心を惑わされた人たちが、報道をニーズを作り

そして悪循環

自らは謝罪をしない業界が、他の人たちや業界の謝罪は、次と次と報道する・・・

そんな報道業界に、私個人的には、心底嫌気がさしています。

保護責任がある、未成年者や何らかの病気や障害をもつ人間の親ならまだしも、25歳の成人の起した犯罪に対して殺到するマスコミの姿にはいつもながらウンザリします。
謝罪会見で、ウッカリまずい言葉でも発してしまったら、凄い勢いで突っ込まれるのでしょうね。
犯罪は、犯した犯人が悪いし、それにいたった様々な要因があるのだと思います。それらを分析して、犯罪の防止に役立てるということには賛成しますが、マスコミが大挙して押しかけ、親の責任を追及している姿は、「イジメ」にしか見えません。
被害者やそのご家族の心情はお察しします。しかし、加害者の家族もこれから重い十字架を背負っていかなければならないのだと思います。それを必要以上に追い込むような会見を求めることは「遣りすぎ」だと思います。

私も正直、この事件に関するマスコミ報道は、観たくありません。

今、成人の年齢を引き下げようという議論がありますが、25歳で、かつ、親元を離れて自立している人にまで、親の責任を問うのは納得いきません。

もう一つ気になるのは、殺害状況の詳細な報道です。被害者のご家族からすれば、詳細な殺害状況を公表されるのは、快く思っていないと思うのですが、どうなのでしょうか。マスコミが、騒ぎを大きくして、模倣犯が出てきたら、どうやって責任をとるつもりなのか、疑問です。

私も「凶器のナイフ」やそれをどのように使ったか、まで知りたくありません。「規制されそうだから買っておこう」とか「こう使うのか!」とか「俺もやってみよう」なんてバカが出てきそうに思うからです。
ところで、最近、「被害者の人権」が話題になることも多くなってきましたが、まだまだ不十分かな?と思います。
今回の被害者についても、事件までに加害者と何らかの接点があったらその接点を報道することは必要かも知れません。でも、なんの接点もなく、たまたま現場を通りかかっただけなのに、PCが趣味だったとか、素敵な先輩だった、とか聞かされてもつらいだけ、というか「悲惨さ」を「盛り上げるため」に報道されているように思えるのです。今回の事件はともかく、この手の初期報道が裁判員に「予断」を与えてしまうのではないか?と不安に思います。少なくとも私は、この「(エモーショナルな)ワイドショー的報道」に影響されてしまうでしょうね。

 北海道では本日朝刊より、毎日新聞のテレビ欄の活字が非常に大きいポイントに変わりました。

 毎日新聞の想定する読者は、細かい活字で書いてある記事本文はあまり読まないが、テレビ欄は熱心に隅々まで読むという方々なのでしょう。

 それならいっそ、テレビ欄だけ毎朝配って歩けばいいのではないでしょうか。

「ナイフが元凶は心外」 秋葉原殺傷で関の刃物業界が困惑
ここでも「自称ジャーナリスト」の不勉強の被害者が出ていますね。つまり、包丁も戦闘用ナイフも一緒くたにした中途半端な報道の被害者ってことです。ここの新聞は最初からちゃんと報道していたのでしょうか?それとも「ウチは公平に報道していますよ」というエクスキューズのための記事でしょうか?
でも、「非正規雇用」の問題が指摘されても、「非正規雇用」を規制する話は出ないでしょうね。「非正規雇用」推進者は社会的強者ですからね。

親の責任のあるなしが話題になっていますが、
日本的価値観だと、謝罪する=責任があるではないですよね。

私は両親の責任は感じていませんが、謝罪された方が気持ちはすっきりする。
しかしそれを高圧的に求めるマスコミには嫌悪を覚えます。

■秋葉原殺人犯の孤独と苦痛-今日のこの事件を数十年前から予言していたドラッカー氏に学ぶ?

こんにちは。私もこの事件についてブログに掲載しました。ただし、数十年前からこうした事件が起こることを予期していた、経営学の大家ドラッカー氏の見解などを補足する形になりました。ドラッカー氏はもう数年前になくなっていますが、その遺志をひきついで、「ドラッカー財団」が様々な活動を行っています。その財団が10年ほど前に「未来社会への変革」という書籍を出しています。この書籍には、都市の文明化ということで、各方面の人々が様々な意見を書き、いわば集合知のような英知のかたまりとなっています。まさに、アメリカの良心を代表するといっても過言ではありません。このなかには、今日あらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルようになっており、今回のような事件が多発すること、それに対する対処法に関しても書かれてあり、この10年間でアメリカも相当変わっています。無論、まだまだ至らないところもありますが、具体的な成果をあげつつあります。

ひるがえって日本では、都市の文明化ということにあまりにも注意が払われていないと思います。このままでは、いつまでも根本的な問題解決にならないと思います。ここに書くと長くなってしまいます。詳細は私のブログを是非ご覧になってください。

物事の外郭にとらわれ、憤慨し、正面から検証をしようとしないのは本質から目をそらし、臭いものに蓋をし、美談を好み、ごまかし、他人事にし、外野から的外れな野次を飛ばすようなようにしか見えない。現実はそんなに奇麗なものじゃない。このエントリーには全く同感できない。

「事件を防げなかったのか」また「親として予兆は感じたのか」等、知りたい素材です。「社会的責任を問われると」問うでしょう。親に対しても。現状はひとつでも、少しでも多く検証する素材が欲しい。社会的責任を感じない親に育てられたのかも知りたい。多少荒くとも、例え加害者家族が一生後ろ指をさされようと、自殺に繋がる可能性があれども躊躇せずに、今後同様の事件が起きないように、起こった場合対処が迅速にできるように、同じような親にならないように。成人したら親だとしても無関係?そういう次元の話ではなく、社会としてこの重大な事件・凶荒をしっかり検証しなくてはいけないのではないでしょうか?同様の手口・要因で事件が起こることはないということが言い切れるのでしょうか。余りにも他人事すぎるエントリーだと思います。

今後このような事件を防げるのか?今後このような事件が増加するのか?今の子供達に良い社会をどう築きどう残せるか。馬鹿げた話の転換を繰り返す、今の更年期の世代がもっとも欠けていた部分のツケが充満しつつあるような気がしてならないです。

>No.37 普通の人さん

皆さん今後のためにも検証が必要とは認識していると思います。
が、あのようなマスコミ攻勢で現実的に検証可能な意見を言える状況ではないことが明白であり、土下座シーンを流し溜飲を下げる意味以上に「意義」が現時点で親に詰め寄ることに見出せるのかということです。

私はマスコミが当事件の被害者を新たに作り上げたとの認識です。

すみません。気弱に、反対意見を(^^;

1.過剰な取材について。
私は、このような報道を見れて、少なくとも有益だと思いました。
凶悪犯罪の容疑者がどのような家庭に育ったのか?報道から伝わってきたのは、とても殺人犯人を育てるようには思えない(少なくとも表面上は)温和で、礼儀正しく、常識があるように見える、どこにでもいそうな親御さんではないですか。

それだけに、事件が、特殊な事例で済ませられるものではなく、社会構造に深くかかわるものなのではないか、と強く意識することができました。

戦争報道や交通事故報道と同じようなものでしょうか。報道規制をすべきというのは、事実に目を背けることになるような気がします。もちろん程度問題でしょうが、少なくとも、一度二度は親のインタビューを試みるのは特段おかしなことだとは思いません。


2.親の社会的責任について。
ここまで、ダークサイドに落ちてしまう前に救う機会は明らかに幾度も
存在し、その最後の防波堤は、家族によって担われるべきものではなかったか、と思います。

たしかに、法律上親には何も責任はないですが、かといって、「何の社会的責任もない」と堂々と明言できてしまうような、寒々しい社会は、親にとっては楽なのかもしれませんが、その負担を押し付けられ、他方で、何のフォローもされずに孤独に追い詰められている子どもを増やすだけではないでしょうか。


ちなみに、本記事は、「記者団」の質問であり、毎日新聞の記者が、このような質問をしたとは限らないと思います。詳細な記事を書いたため、かかる質問の存在が明らかになってますが、特定の新聞社の問題とはいえないと思います。

>No.37 カツビンさん
>皆さん今後のためにも検証が必要とは認識していると思います。
勿論最低ラインです。優先順位が無茶苦茶ならば例え正しい主張であろうが、的外れだと思います。
もう少し建設的なエントリー・記事・主張を望みます。

>検証可能な意見
とは意味がわかりません。当夫婦は検証の対象でしょう。

>土下座シーンを流し溜飲を下げる意味以上に「意義」が現時点で親に詰め寄ることに見出せるのかということです。
見出せるのかどうかの当事者は同じ国・社会で生活を営んでいる情報を受ける側の人間です。即ち僕達のような立場の個々人です。僕は前述するように素材として価値が0ではないと考えます。個々の事象や断片で結論を見出そうという、結果を急ぐ手法では十分な成果を得られないということがわかる人間であれば、どのような事象も決して完全に無駄ではないということがわかるのではないかと思います。建設的なご意見も伺いたい。どのような事象を検証すればこのような事件を防犯できるのでしょうか?どのような事象かがわからないのであれば所構わずたくさんの事象を調べるのがひとつの方法ではないでしょうか。じっとしているよりましでしょう。また、土下座は強制されたものではないのが事実のようです。

>私はマスコミが当事件の被害者を新たに作り上げたとの認識です。
被害の規模が違いすぎます。同列で論議しようとしないでください。当事件の被害者に対しても余りに惨い発言かとも思います。

>>No.36 普通の人さん
ここのモトケン先生のエントリーコメントをもう一度お読みになってください。
ここで論じられているのが何かがおわかりになると思います。

ちなみに、私は犯人の生育環境や親の教育がどうだったかという状況証拠を「調べる」のであれば、現段階では捜査機関がその作業にあたっており、マスコミには「捜査」する権限もなければ集めた情報を適確に分析する能力もないと思っております。
マスコミはなにゆえ警察の発表を待たないのでしょうか。
あるいは民間人へではなく警察へ取材攻勢をかけないのでしょうか。

正負両面があると思いますので、一概にどちらかと断ずることはしかねますが、親元を離れ独立の家計を営む25歳の成人が引き起こした事件につき、田舎の老父母を「さらし者」にする「報道の意義」があったかどうかと言えば、その点については私は否定的です。紙ベースの「談話」で十分だったんじゃないかとも思います。

関連情報を取材も報道もするべきではないなどとは毛の先ほども思いませんが、取材手法、報道手法として「ああでなければならなかった必然性」は薄いと思いますので。
尤も、あれが現在の事件取材の一ルーチンであることは認識しています。

>No.28 ER医のはしくれ(なんちゃって救急医)さん
記事に拠ると約100人の中には、地元住民も(その割合は兎も角として)含まれていたようです。
・・・マスコミが報じたか否かに関わらず、恐らく両親はもはや現住所に暮らし続けることはできないでしょうね。それと、某弁護士が懸念して止まない「匿名の卑怯者さん」が、卑劣な嫌がらせを仕掛けてくることも確実でしょう。無論、実名で両親をなじったり非難したりする「実名の非・卑怯者さん」もいるでしょう。

なお、私はあの両親へのインタビュー自体は「メディア・スクラム」ではなく、どこかの仕切り(多分、県警記者会の幹事社仕切り)でセットされた「共同取材」の可能性があると思っています。
マイクを束ねたこととか、どうやら質問は事前に整理されて代表記者が行っていたように見受けられること、テレビカメラがフィックスの位置から撮影していることが根拠です。
或いは、そうした座組みは現場に居合わせた各社の間で咄嗟に決まったことなのかもしれませんけれども、少なくとも「スクラム」にならないよう気を使った痕跡は覗えました。

でも、そうやって「配慮」しても5つも6つものカメラを向けられて、バッテリーライトを煌々と焚かれると、自分が取材対象じゃなくても凄いプレッシャーなんですよね・・・(ある公共機関の建物内で、エレベーターを降りた瞬間にやられた経験あり)

>No.31 通行人1さん
同感です。被害者やその遺族の無念への同情や共感を元手に、犯人への憎悪を必要以上に煽り立てるのが狙いなんでしょうかね。被害者を「見世物」にしているようで実に不愉快な「演出」です。

>No.36 普通の人さん
>No.38 SONIC.さん

カツビンさんが既にコメントされていますが、犯罪の背景を研究する目的で、生育環境や教育環境、家庭環境や親から受けたしつけ教育の内容などの情報を収集し、研究分析することは有意義なことと思います。

ただし、こうした犯罪背景の情報収集(プロファイリング)を、(1)捜査機関での犯行事実の検証も未着手の事件から2日も経たないこの時期に、(2)犯罪情報分析の専門家ではないプロファイリングの素人である報道記者が、(3)100人に近い多くの人数で自宅玄関前という話しやすい環境に配慮したとはとても言えない環境で、(4)数十台のカメラによる写真撮影とビデオ録画&録音を行い、(5)録音録画した生の情報をツギハギ編集したり原稿書きという活字化しただけの、(6)研究データとして一次的な解析処理を加えていない「報道記事」を、(7)犯罪研究には縁も縁もない一般の家庭の大衆に向けて情報提供する、このような方法で犯罪背景の研究データを収集する意義があるのでしょうか?

こうした親の記者会見報道が、大衆のヤジウマ的好奇心を満たす目的が大きいのか、真摯な犯罪抑制研究の目的の要素が大きいのか、各々の評価を比較検討した上で議論すべきこと。このように私は思いますが。

>No.39 普通の人さん

優先順位が無茶苦茶ならば例え正しい主張であろうが、的外れだと思います。

意味が分かりません。

見出せるのかどうかの当事者は同じ国・社会で生活を営んでいる情報を受ける側の人間です。即ち僕達のような立場の個々人です。僕は前述するように素材として価値が0ではないと考えます。

未だ事件から2日で、自分の息子が7人も殺害した事実、事情聴取の帰りに目の前に群がるマスコミを目にし突き付けられる現実、近所迷惑含めた真綿で包むような強制と、動揺が激しく、心労が重なることが明白な現時点で何を聞こうとしているのか。
「事件当事者ではない人」を多数で糾弾する状況に陥る可能性が高い行為が、明らかに前述の価値のほうがより大きいのか非常に疑問です。
※2ちゃん等では親を責める意見が多数あります。
※全国に顔を広め、土下座姿を晒してしまった状況では、日本国内これから安住の地を探すのが困難でしょう。

被害の規模が違いすぎます。同列で論議しようとしないでください。当事件の被害者に対しても余りに惨い発言かとも思います。

意味が分かりません。親は当事件の当事者(加害者)として認定されなければならないのですか?そして糾弾等社会的制裁を甘んじて受けないといけないということですか?

私には貴方の前提が「親は加害者」であるというように見えます。

No.36 普通の人様やNo.38 SONIC.様のようなご意見が出てくるであろうということも予想でき、やっぱりねという感じで拝見いたしました。

結果論として
>最後の防波堤は、家族によって担われるべきものではなかったか、と思います
というようなお話も分からないわけではありません。

しかしどうなんでしょう、飛躍しすぎた考え方になるかもしれませんが、大の大人の個人の責任(いくら重大犯罪にしても)をそのように身近な親族に結び付けてしまう感覚は、個の人権を尊重するという民主主義社会・法治国家に於いて、正しい考え方になるんでしょうか?

親御さんにしてみれば、ただひたすら心の中でも土下座し続けるすべしかなく、それ以上あの段階で何を求めるのでしょう?(今朝未明のニュースではご両親を追い詰めているように感じましたし、あのマイクを持った記者にはホントに呆れ果てました)

現段階では>No.40 ぼつでおk(医)様のご意見に賛同です。

アメリカなら、息子が勝手に起こしたんだ。死刑にでも何でもやってくれと言うでしょう。これも正しい意見です。

マスコミはただ単に事実を伝えれば良いだけで、そこから何を考えるのかは国民の自由なのですが、どうも記事は世論を自分たちと同じ方向へ誘導しているように思えます。つまり、上記のアメリカ式に答えた場合、マスコミの書き方がどうなっていたか、疑問です。
でも、日本人なら(私も含め)このような事件が起きたときは親として謝罪するのではないでしょうか?やはり感情論的に子供を育てた親として責任を感じることはあるでしょう。

あってはならないのは世論が親を批判することです。
いくら親が子を育てたと言っても「犯罪者になれよ」なんて言いながら育てたはずはありません。本来、成人した時点で親には責任はないはずです。犯罪者を生まない育て方なんてあるわけではないですし。

大切なのは、取材を受ける側が、それを望んでいるかいないか、ということなのでしょう。望んでいないのに無理やり取材攻勢をかけはじめて、はじめて、取材を規制すべきか否か、という話になるのではないでしょうか。


外出先のテレビで少し見ただけなので、あまりハッキリ言えないのですが、親御さんは少なくとも、いやいや取材を受けていたというようには思えませんでした。むしろ、何かを積極的に世間に説明したかった、でも、出来ずにへたりこんでしまった(むしろ、同情してほしい)、というのが本当のところではないでしょうか。


私自身、過剰な報道は好みませんが、昨日のこの程度の取材が良くないと騒いでいたのでは、ちょっとナイーブ過ぎるのではないか、あまりにも、取材の自由を軽視し過ぎているのでは、と思うのです(行きすぎた取材に対する、逆ベクトルの行き過ぎた規制の主張、というように感じる)。

実際に取材に携わっている方の意見もぜひ聞いてみたいところです。
なお、今後、もっと酷い取材がなされるはずです(週刊誌とか、ね)。それこそ警戒されるべきです。


あと、マスコミは情報を集めるべきではなく、警察発表を待て、とおっしゃっている方がおられましたが、これには驚きました。警察を余程信用されている方なのでしょうね。志布志の公選法違反冤罪事件の場合でも分かるように、警察発表を待っていたら分からないこともたくさんあるでしょうに。

 すでに何人かの方がコメントされていますが、私もあの状況(No.42 法務業の末席さんが指摘されている状況)で、両親から有意義な話が聞けたとは思えません。

 警察・検察による事情聴取(警察はすでに始めてますね)やかなりの確率で予想される精神鑑定の結果を待つべきだと思います。

No.43 カツビンさん
2chでは、「この糞マスゴミが!」との意見も多くみえます^^;


どんな状況で「会見」が行われたのかわかりませんが、積極的にご両親が開いたとは思えません。
育てた親としては、当然ながら責任を感じているでしょうし、謝罪したい気持ちがこうさせたのかな?

ちらっと見た限りでは、
(とうちゃん、その格好はどうよ・・・)
(かあちゃん・・・そらへたりこむわな・・・)
(まだ自分たちも混乱してるんだから、いきなり応じないで、文書にまとめたほうが良かったんじゃ・・・)
と、思いました。


容疑者の心の安定、原因究明のためにも、親として事件に真摯に向き合い、容疑者とよく話し合っていただきたいと思います。

間違っても、思いつめないで変な行動だけはしないで欲しい。

>No.46 SONIC.さん

>あと、マスコミは情報を集めるべきではなく、警察発表を待て、とおっしゃっている方がおられましたが、これには驚きました。

 泣き崩れて土下座しているような状況での話に、資料価値があるようには思えません。

間違っても、思いつめないで変な行動だけはしないで欲しい。
私は、それを恐れています。そして、その可能性は決して低くないとも思ってます。
疎遠だった息子のせいで突然に「殺人者の両親」になってしまった、市井の片隅の老夫婦に、息子の犯罪の責任の一端を負わせるがごときことは現に慎むべきことですし、どん底に突き落とされたであろう両親が思い詰めた行動に走らないよう支える人が必要だと思います。

あの記者会見の情報量および内容と比較するならば、きちんと事情聴取した警察発表の方が有益だと思います。

正直、この会見で得られた情報は、「息子がたいへんなことをしでかして、両親はどうしたらいいのかわからない状態になっている」という事実しかないように思うのですが。

No.48 欄外さん

>どんな状況で「会見」が行われたのか
こちらの記事によりますと、父親からの要望だったようですね・・・。

事件直後の両親の記者会見というのは、結局の所は
 謝罪して、絶句して、泣き崩れる
画像を撮って放送すること自体が目的になってしまっているのでは無いかと思います。質問事項も意識してか無意識かは分かりませんが、その方向に誘導するような型どおりの質問でしかないでしょう。型どおりの反応が返ってきて、狙い通りの画像を取れれば、とりあえず仕事を果たしたことになる。記者個人が取材方法に疑問を持っていたとしても、会社として他局や他紙に後れを取るわけにはいかない。止めるに止められない状況ですね。誰かが呼びかけて、報道協定を結ばないことにはどうにもならないでしょう。だが、果たしてマスコミ自身の中からそのような声が出てくることを期待できるのだろうか。

われわれ視聴者もなんだかんだ言っても、型どおりの報道を期待してしまっている面もあるのかもしれません。「親の顔が見たい」という修辞が本当になってしまう。

でもきっと、これはまだましな方です。ニュースや新聞の取材が一段落した後、興味本位のワイドショーや週刊誌の取材が殺到することになるのですから。

事件の背景などをしっかりと検証できるのは、騒ぎが一段落してご両親もある程度落ち着いてからでしょう。

現状では通過儀礼として諦めるより仕方ないのでしょうか…

>No.47 モトケンさん
>すでに何人かの方がコメントされていますが、私もあの状況(No.42 法務業の末席さんが指摘されている状況)で、両親から有意義な話が聞けたとは思えません。
それは結果論です。
僕が言いたいのは1個人にとって有意義でなかったとしても否定する・批判するには値しないということです。特に現段階では。誤報道でもなく。

また、感情でもって報道に左右されるという事においては「野次馬根性」も「判官贔屓」もどちらも同等であり、正しく検証を見守っているとは言い難い。この部分をわかった上でか、わからない上でか、むやみに煽ったようなエントリーに対して異を唱えているのです。

>No.43 カツビンさん
>私には貴方の前提が「親は加害者」であるというように見えます。
「親は加害者」であるとは毛頭思っていません。僕が問題視している部分は加害者両親ではありません。また、加害者の両親であるという事実にも目を背けず注視するべきだと思います。

>No.40 ぼつでおk(医)さん
>No.42 法務業の末席さん
正に警察・検察の発表を待ってから判断すべきことであるのであれば、このエントリーの存在は矛盾してはいませんか?この報道は素材のストックとしておくべきです。その上で加害者両親に対して「かわいそう」というような感情を抱いたのであればそれも間違っている感情になります。それこそ時期尚早。「判官贔屓」を募る・煽るエントリーになっていませんか?また、このような報道に感情を左右されるのは一概に報道が悪いとは言えず、情報の受け手の能力が最も重要です。リテラシーです。

報道が現状で問題ではなく、この報道手法に賛否はどちらでもよく、
このエントリーが問題であって、激しく同意できないということです。

小倉秀夫弁護士の気持ちが今少しわかります(笑)

>No.48 欄外さん

私には「親を責める人」「マスコミを責める人」の分布が同割合に感じます。つまり、どうみても親を責める人の数が少数ではないというところに問題を感じます。
そして感情に流されやすい2ちゃんねるのニュー速+でも「マスコミを責める人」が多いことから、今回のマスコミ行為が「感覚的」な部分でも不愉快さを感じさせることを証明してる気がします。

No.49 モトケンさん

ちょっとした捕らえ方の相違が含まれているかと思います


No.50 惰眠さん

そうなんですよねぇ・・・
その可能性が、マスコミと野次馬100人によって高まったりしないかと心配です。
100人いるとなると、親身になるはずの親戚とかも行きづらいんじゃないかと邪推してしまいます。
(「一族の恥」となじる親戚もいるでしょうけど・・・)

今日初めてコメントした者なのですが、
再々度コメントいたしますm(_ _)m。
いろんな問題が絡み合っているので順番に。

ーーーーーーーーーーーー
NO44 O様へ。

>最終的な防波堤は家庭が役割を担うべきではなかったか、

という私のコメントに意見がつくだろうな、ということも予想してました(汗。

私は加藤容疑者と同年代なのですが、民主主義とか、個人の尊重とか、そいういう思想を大上段に構えて、社会現象をぶった切る、ということに、ひょっとしたらもう、疲れてしまっているのかもしれません。これは、私の推測ですけど、私たちの世代以下は、もう、そんな思想の価値はあまり感じておらず(だって結果としてみんな幸せになってないじゃないですか)、もっと生きていくために切実な、それこそ、「食物」のように「金」のように、確かな存在が欲しいと思っているんじゃないですかね。


社会のさまざまな部分が悪い、と言ってみたところで、そんな社会を変えるためには、5年、10年、いや、ひょっとしたら、悪くなるばかりでずっと変わらないかもしれない。


だから、大きなものを変えるよりも、身近なもの、すなわち、家族や友達を頼りたい、ということなんですね。その辺なら、僕自身の努力でもなんとかコントロールできそうですし。また、僕が頼るだけではなく、病んでいる友達がいれば、僕自身、彼の防波堤になってあげたいし、将来子供ができれば、自分のことと同じような気持ちで頼りにしてほしい、そういう家庭を持ちたいと思ってます。もちろん、それを他人に押し付けようとはさらさら思わないので、この辺は、どちらが正しい、とかじゃなくて、両立しうる複数の考え方なのかな、と思います。

ーーーーーーーーーーーー

NO52
ヤメ検先生からコメントも頂いてて…、ありがとうございます。

>泣き崩れて土下座しているような状況での話に、資料価値があるようには思えません。

取材した結果、価値ある資料が得られなかっただけであり、
そのことは、本件取材自体を否定する理由付けとしては、ちょっと弱いのではないか、
と思いました。

ーーーーーーーーーーーー

コメントが増えるたびに、いつの間にか、対立軸が、
「警察発表の情報の有益性VS取材により得られた情報の有益性」
となる向きがありますが、これは正しくないと思います。

なぜならば、警察情報と、取材により得られる情報のどちらが詳細・正確・有益か、と言われれば警察情報が勝利するに決まっているのであり、これははじめから結論ありきで問題設定されています。

当初問題視されたのは「少しでも有益な情報を得よう試みる取材自体の適切さ」であって、得られた情報の有用性ではなかったはずです。プロセスの問題なのです。

アメリカの話が出ましたが、韓国人留学生が銃を乱射して多くの学生を殺害後自殺した事件の時、アメリカの被害者遺族を始め他の学生やメディアが大きな悲嘆の中で示した節度の高さや思いやりの深さには実に深い感銘を受けました。
個人的には日本のメディアもあのようであって欲しいと思うのですが、ここのようなマスコミが先を争って一般人の個人情報を漁る姿を見た日には、節度など爪の先ほども私には感じることができません。
まあこれは日本のマスコミ嫌いのバイアスが思い切りかかった私(笑)の個人的感想に過ぎませんが。

No.52 Legaさん

うわ!予想外!!
うむー、、、それあっての、ある意味冷静そうの感じたコメントだったのか・・・・
(だったら、服装とかにも気を使えとも思うが、そこまでは、か?)


No.55 カツビンさん

まぁ、事件の重大性を思えばしょうがないとも・・・
事件のスレが多すぎて、見ないで書いてるのが半数以上だろうし。

まさか両親の負う責任が管理監督責任だとは言わないでしょうが、
独立した成人の行為の責任を生育者に遡って責任を問うような発想は近代国家のものとはとても思えません。

このエントリでこの親御さん達の責任を問うてる人に伺いたいのですが、貴方は自分が不始末をしでかしたら、親の教育のせいにするおつもりですか?

>No.54 普通の人さん

加害者の両親であるという事実にも目を背けず注視するべき

「誰」が注視する「べき」なんでしょう。
両親であれば親であることは重々承知(当たり前)でしょうに。
もし国民であれば、加害者の「親戚」「友人」「隣人」「上司」「元恩師」ひいては「同じ国民」である事実をどこで線引きして「誰」が注視するんですか。

恨みに思っていた親が社会に対し謝罪する
のは、ワイドショーを独占したいという夢?を
もっていた犯人の思う壺だと思います。

今まで誰からも関心をもってもらえなかった
犯人も取調べなどでも、また社会的にも
ようやく関心をもってもらえたのだなと思います。

親が謝るとすればそれは社会全体に対して
ではなく、被害者遺族に対してのみでいい
のではないでしょうか。

被害者ではなくて社会全体に親が謝る報道を
するということで通り魔をすれば、社会への恨みを晴らすことができるというメッセージを
与えてしまうと思います。

もしこれが、ワイドショーが存在しなくて、
被害者の映像も名前も、加害者のことなど詳しくは一切報道されず、国民も関心をもたず、被告人を裁くのは法廷のことだからら、一切関心ありませんという国民性の国だったら犯人の目的は達せられず、こんな犯行は起きないのではないだろうかと思います。

社会を変えるのは大変ですが、報道内容を変えることはもっと簡単にできることだと思います。
犯罪を誘発しない報道であるよう願います。

No.54 普通の人様

>むやみに煽ったようなエントリーに対して異を唱えているのです。

私には煽っているようなエントリーには感じません。

>このエントリーの存在は矛盾してはいませんか?

矛盾を感じません。

普通の人様が仰ることも否定するつもりはございませんし、仰るように稀に見る凶悪極まりない、言葉では言い表すことのできないような重大事件ですので、二度とこのようなことが今後起きてはならないように、検証し、再発防止の為に、今後何を社会全体が考えていくべきか
を論じていくことも大事だとは思いますが、

>誤報道でもなく。

とは私には思えません、代表者の質問の仕方は、ある意味、誤報道だと思っています。 ↓

>社会的責任を問われると

 現在No.43まで読んだところです。
 人それぞれの受け止め方やご意見があるのもと大変参考になります。
 ところで、こういうのはいかがでしょう。

胸痛めば、胸やむ人のいとほしく 貧しけれぱ、貧しき人のいとほしく おびえ立つ鳥は、ともに飛び立ち 同じ瀬に集まり 同じ瀬にともに流さる 胡馬は北風にいななき 越鳥は南に向ひて巣くふ 人は皆われに似たるを愛し 同じことを思ふをいとほしむ (同病相憐れみ、同憂相救ふ、驚翔する鳥は相随 ひて、瀬下の水に集まり、因つてまた倶に流され、 胡馬は北風を望みて立ち、越燕は日に向ひて熈ぶ、 誰かその近き所を愛せざらんや、その思ふ所を悲し まざらんや)
「中国英傑伝」 海音寺潮五郎 著 文春文庫 からの引用です。平成12年頃に読んだ本ですが、5年ぐらい前に、図書館で借りたのか、この部分だけをパソコンに入力していました。

エントリーの『社会的責任』とは、『加害者両親の社会的責任』と、私は勝手に解釈したのですが、そうすると『すでに成人している加害者の両親の社会的責任』とはいったい何なのでしょうか?
私にはわかりません・・・

年寄りの(^^; 昔話を・・・

今から35年くらい前のこと、YS-11という旅客機が函館で墜落しました。確か土曜日に行方不明になり、墜落現場がわかったのは日曜日の夕方でした。
旅客機が行方不明になった日の夜、テレビで記者会見が生中継されていました。その会見で、航空会社の幹部に詰め寄る記者の一人が「遺族に対して・・・、あっ、遺族と言っちゃぁ、まだいけねえ」と言ったのを聞いて、子供心に「行方不明の家族の安否を気遣っている家族も見ているはずなのになんと無神経な」と怒りを感じたのを覚えています。
大学生になって一時期マスコミに憧れ、深代惇郎さんの本を読んだりしていたのですが、(確か)「青春日記」に”今日は事件がない、と聞いて「よかったですね」と言えるのがいい記者なのだろう”というようなことが書いてあって、共感したことを思い出します。
悲嘆にくれている家族にマイクを突きつける無神経さがないとマスコミではやっていけないのかも知れませんが、そして、もしかしたら「他人の不幸は蜜の味」と思っている視聴者が多くて、そうしないと数字が稼げないのかも知れませんが、あの報道姿勢が、私たちの社会に、他人の痛みを理解しようとしない人間を増やしてきたように思う、というのは言いすぎでしょうか?

このエントリの論点って、私の勝手な理解では

「加害者の親族に対する記者会見における質問や雰囲気等のありよう」
「そのような記者会見の結果を報道する際の表現のありよう」

であり、

「加害者遺族に対する記者会見や取材の是非」

ではないと思っていたので、どうも議論の流れがトピズレ的に感じてしまいます。


*****
余談ながら、No.57 SONIC.さま

検察官出身の弁護士に対する 「ヤメ検」 という呼び名は、業界内では元々蔑称としての色彩が強く、「モトケン」 というハンドルネームは 「ヤメ検」 とは区別するためにモトケン先生が造語したものです。

まったく悪気はないとお見受けしますが、いちおうROM向けも兼ねた情報提供として。

>No.61 カツビンさん
>「誰」が注視する「べき」なんでしょう。

質問の意図が良くわからないのですが、情報の受け手です。
線引きをする必要は良くわからないです。

まさに「同じ国民」である事実から僕自身に何ができるのか非常に焦りを覚えます。

SONIC.様
レスいただき、ありがとうございます。

>私の推測ですけど、私たちの世代以下は、もう、そんな思想の価値はあまり感じておらず(だって結果としてみんな幸せになってないじゃないですか)、もっと生きていくために切実な、それこそ、「食物」のように「金」のように、確かな存在が欲しいと思っているんじゃないですかね。

私がそのお気持ちに対して感じたことを述べると、スレ違いになってしまい、且つ、立派な文章を書く能力もないので、簡単に述べさせていただきます。

私がSONIC.様の年代の頃には結構夢や希望を抱くことが持続でき、良き友にも恵まれたのか、ガムシャラに仕事・遊びに熱中できていたのですが、今の若者達が上記のような心境の人たちが多いということであれば、何かもの凄く寒いものを感じます。
(ただ、当然ひどく落ち込んでしまった時もありますが、少なくとも自分の気持ちの中では周囲の環境等へ責任転嫁を考えたことはありませんでした。SONIC.様がそうだと、申しておる訳ではありませんので念のため)
確かな存在を勝ち取っていく為にでも、その欲求を自己への前向きなエネルギーに変えていければいいのではないでしょうか。

>No.54 普通の人さん

正に警察・検察の発表を待ってから判断すべきことであるのであれば、このエントリーの存在は矛盾してはいませんか?
私は”警察・検察の発表を待ってから”とコメントしたことはありません。他人様のコメントを勝手に結びつけることは迷惑です。

このエントリーは、「報道」についてのブログ主の評価がテーマであって、「取材」については付随的なものではありませんか?

この報道は素材のストックとしておくべきです。
生の取材資料(未編集の現場でのビデオテープや録音の生テープ)は、将来的に学術的な資料として利用価値がある可能性は否定しませんが、昨日テレビで放送された「報道番組」や、新聞に印刷された「報道記事」に学術的資料価値があるとは到底思えません。
その上で加害者両親に対して「かわいそう」というような感情を抱いたのであればそれも間違っている感情になります。それこそ時期尚早。
私は「かわいそう」というコメントはしておりません。私の投稿に貴方が勝手に付け加えてコメントなさるのは迷惑です。おやめ下さい。
「判官贔屓」を募る・煽るエントリーになっていませんか?また、このような報道に感情を左右されるのは一概に報道が悪いとは言えず、情報の受け手の能力が最も重要です。リテラシーです。
”情報の受け手の能力”の問題ではなく、取材したソースを吟味評価して編集して報道として情報発信する、報道機関・ジャーナリストとしての能力を私は問題にしております。取材したビデオ画像をそのまま電波に載せて一般家庭に流し込むテレビ番組と、取材メモや録音テープからワープロ打ちしただけの記事を印刷して家庭に宅配する新聞記事は、私は「報道」とは評価しません。それは単なる情報の垂れ流しです。
報道が現状で問題ではなく、この報道手法に賛否はどちらでもよく、 このエントリーが問題であって、激しく同意できないということです。

小倉秀夫弁護士の気持ちが今少しわかります(笑)

私宛にこのようなことを言われてもコメントしようがありません。ブログ主としてエントリを立てたモトケンさんに直接申上げて下さい。

経験論ですが、論争の途中でメタ視点に向かうような主張は大抵筋悪です。

もし、親の話を「今後の教訓」にいかしたいのなら、世間がヒートアップしている状況で「つるし上げ」的にインタビューしても、実のある話は聞けないように思います。
本当にこの事件を検証するために「親の話」も聞きたい、という心あるジャーナリストがいるなら、まず両親と信頼関係を築き、じっくりと話を聞こうとするでしょう。同僚だけでなく、派遣会社や勤務先にも取材に行くでしょう。私もあまりテレビを見る時間がない人間なので、全てのニュースを見ているわけでもないのですが、派遣会社や勤務先の会見、というようなものはあったのでしょうか?「待遇面に対する不満」を持たせたことに対する「社会的責任」を追求するような会見は行われたのでしょうか?
もし、話を聞き易いところからだけ聞こうとしているのだったら、マスコミに「税金を取り易いところから取ろうとする政府」の批判をする資格はないように思います。
あの両親の会見は本当に実のあるものだったか?と聞かれたら、私は「そうは思わない」としかいいようがありません。また、同居もしてなかった両親に犯行を止めるすべがあったとも思えません。
ただし、私はこういう事件を起こした犯人の家族に同情しているわけでもありません。
成人した人間が犯罪を犯したときに、「親の顔が見たい」という社会の要求やそれにこたえる報道のあり方が間違っているのではないか、と思っているのです。

No.72 通行人1さま

派遣会社や勤務先の会見、というようなものはあったのでしょうか?「待遇面に対する不満」を持たせたことに対する「社会的責任」を追求するような会見は行われたのでしょうか?

これがなぜ取材ないし報道されないかの問題はこのあたりを。。。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080611

NO36 普通の人さん。
例え、当事者(加害者)の近い人に大きな犠牲が出たとしても再発を防ぐことができるならそのための方策をとるべきだという意見には賛成します。医学とはそういうものだからです。
ただ、その前提が現代で成り立つための条件が少なくとも医学にはあります。その行為が、確かに効果があることを様々な実験で証明されていること、その効果より副作用の方が少ないことが予想されること。そして、治験ということになります。
翻って、今回の報道はいかがでしょう。ちっとも普通でない普通の人さんは、有意義な行為であったとお考えの家族に鞭打つような報道は、再発予防に役立つと言う根拠はいかほども示されず、自殺を招くという副作用だけが明らかになっているように思います。
真に再発予防に役立つという根拠を示さない限り、有害事象を重視するのは自明なことです。さらに言えば、罪と罰にあるようにこういった犯罪は必ずどんな時代にも起こると言うのが歴史の教訓です。
だから、こういった事件を抑制できないとはいいません。しかし、家族関係がうまくいっていれば起きないというのも根拠の無い話です。

「事件を防げなかったのか」また「親として予兆は感じたのか」等、知りたい素材です。「社会的責任を問われると」問うでしょう。親に対しても。現状はひとつでも、少しでも多く検証する素材が欲しい。社会的責任を感じない親に育てられたのかも知りたい。多少荒くとも、例え加害者家族が一生後ろ指をさされようと、自殺に繋がる可能性があれども躊躇せずに、今後同様の事件が起きないように、起こった場合対処が迅速にできるように、同じような親にならないように。

>No.63 Oさん
>誤報道でもなく。
とは私には思えません、代表者の質問の仕方は、ある意味、誤報道だと思っています。 ↓
>社会的責任を問われると

「社会的責任を問われると」この部分は僕は誤報道だとは思いませんが、バカすぎて無視という感じでした...。

>No.70 法務業の末席さん
申し訳ありませんでした。
僕が悪かったです。
法務業の末席様の文章を引用改変したものではなく、レスとして自分の意見を書き伺ったつもりでした。お気を悪くされたのであれば僕の意図とは違います。申し訳ありませんでした。
報道に関しては僕は興味がありません。


>No.57 SONIC.さん
>No.69 Oさん
推測を中心にした議論ですが非常に興味があります。僕も加害者と同世代で近く、それ故危機感がすごくあるのかもしれません。ある種加害者のことがわかる部分があり、自身も同じようにならないとは限らないところも危機感があるのです。

No.73 fuka_fukaさま

ありがとうございます。
少し「皮肉」を込めて書きましたが、だいたい想像していたとおりです。
No.33でも書きましたが・・・
>でも、「非正規雇用」の問題が指摘されても、「非正規雇用」を規制する話は出ないでしょうね。「非正規雇用」推進者は社会的強者ですからね。

私は、親の記者会見よりも、スポーツ報知が加害者の年老いた祖母にまでインタビューし記事を書いているのを見て憤りを感じた。

ろくに事情も分からないだろうし、親よりも遥かに接点が少ないであろう年老いた祖母に取材し、何を明らかにしたかったのか。

可愛い孫が凶悪事件を起こし、ショックと後悔に苛まれているだろう老婆に「本当にバカなことをしたもんだ。自分で死ねばよかったのに…と思った」とまで言わせて・・・。


普通の人さん、SONIC.さん。

報道に好意的な見解を、少なくとも否定的でない見解を示されたお二人が、若い方であるとは驚きです。

>民主主義とか、個人の尊重とか、そいういう思想を大上段に構えて、社会>現をぶった切る、ということに、ひょっとしたらもう、疲れてしまってい>これは、私の推測ですけど、私たちの世代以下は、もうんな思想の価値は>あまり感じておらず

20年以上も前のフォークを知っていますか。
有名どころでは井上陽水でもいいですよ。あなたと同じことを言っています。団塊世代以降の、どんな世代にも、そういう考えはあります。
むしろ、だからこそ、あなたたちに反発をします。
なぜ、親を責めることをよしとするのか。

自分がそうなる可能性、僕もそう思っています。
彼の携帯への書き込みを読めば、共感できる自分、ちっとも客観的ではなくてもいろいろな局面で、主観的に孤独感を強めていくというのは、いくら年取ったって、あなたたちと20も30も離れてたってある。

そこからの結論が違いすぎてわからない。
あなたたちが、何かすればそれは親の責任だと思うということ、ではないんだとは思うけど。

>No.74 少し疑問さん
レス有り難うございます。とても参考になります。

>No.78 少し疑問さん
「親の責任」という部分で僕は議論にはしていません。

また、世代でまとめられるのはあまり良いとは思いませんが、事実でもあるとして、やはり20・30離れていると同じと結ぶことはできない部分があります。しかし、丸ごと世代で批判されるのであれば多勢に不勢で何も言えなくなってしまいます。

責任を問うには自由に選択できる事が大前提です。

親御さんの責任を問うてる方、即ちこの事件が親御さんの選択によるものだと主張する方は、親御さんにいかなる選択肢があったのか、何を選択したのか、何を選択するべきだったのかを明示していただきたい。

名指ししなくとも自分が答えるべきか否か、分かりますよね。

No.75 普通の人様
反応していただき、ありがとうございます。

>誤報道だとは思いませんが、バカすぎて無視という感じでした

あのインタビューで代表質問をした人が社会的責任・今後の被害者への責任と口走ったことに対して、なぜそう思われたのか、興味はあるところですが、話は脱線していきそうですので、見解の相違ということで・・・。
あっそうだ、このスレでは記事に対してのことでした、私は早朝のTVニュースで生の声を聞いてしまったので、二重に怒りを感じたのでした。

議論が拡散してきたので、大元のモトケンさんの発言にもどりませんか?

>午後7時20分、住民や報道陣ら約100人が囲むなか、両親はタクシーで帰宅。玄関前で会見に臨んだ。

帰宅した後に心の準備をして会見に臨んだのか、
それともタクシーから降りたところを捕まって会見させられたのか
後者はマスコミ的に絵的に美味しいとは思いますが、資料的価値は低くなってしまうと思いませんか?

>>記者団から「事件を防げなかったのか」などの質問が出たが、
> この質問をした記者は、いったいどのような答えを期待していたのだろうか?

「○○できなかったのか?」との詰問はたいていの場合に
「なぜ○○しなかったんだコノヤロウ」であり、回答者は平謝りになるしかない質問ではないでしょうか?

>>社会的責任を問われると
>この記者は、誰のどのような社会的責任を問うたのか?
この場合当事者は普通の神経では「私に責任はない」なんて言えませんから、
やはり「私にも責任があるすみません」しか言えない質問ではないでしょうか?

これらの状況を踏まえた上で
質問のレベルが低くて、回答が今後の役に立つとは思えません。
そもそも100人の監視の中で有益な回答が返せるはずがない。
改めて冷静に話せる状況で会見を求めるべきです

すみません、ややこしくなりました。
結局は質問の名を借りた罵声が多くて、私刑から昇華できていないのではないかという感想です。

>No.81 Oさん
僕の場合は、インタビューでの質問には前述したように興味はなく。質問の意図は無茶苦茶で定まらず、言葉も間違いまくってるから聞き流すという感じでした。それよりも両親の姿が観れた事に価値を感じました。行動からですが、推測でしかありませんが加害者への愛情を少なからず感じました。加害者両親よりも先に大勢の被害者遺族のインタビューを目にしており、そちらの方も衝撃的でした。

SONIC.様のおっしゃるように現実として感じるのは私たちの世代は確かに切実で貧窮していると感じます。とても寒い部分があります。お金だけではなく。勿論ですが、多くの若い成人層は意欲も持っています。忍耐力がない訳ではないと思うのです。あまり愚痴的になるのは嫌なのですが、税金も年金も物価も上昇しているが収入の伸びは厳しく、正規雇用を避け責任は毛頭とらない企業に勤めなくてはならない者も多く、勿論有料企業に勤めていようがそうでなかろうが終身雇用なんてあると思っている世代でもなく、共働き以外は選択肢としてほぼないような気がするし、文句を言えるような環境にもなく、ガムシャラに働くのは良いのですが遊びはあまりない...。自分を守るのに必至というのは伺えます。もう少しだけでも考える余地を持ってもらえればなぁと思うところがあります。しかし、この内容がこの事件にあてはまるとは現時点ではなんとも、いい加減な内容ですし、全く言えません。思っただけのことを書いてすみません。

社会的責任って、本当に一体なんでしょうね。

私が思うに、仮に犯人の親だということを完全に秘密にできて、警察もマスコミも被害者の周囲の人も誰一人としてそのことに気づかなかったとしても、子どもが殺人者になったら、その事実だけで猛烈に打ちのめされるだろうと思うのです。
子どもが成人しようが世帯を持とうが、親にとっては子どもは永遠に自分の子どもなのですから。

だから、子どもが犯罪者になってしまった親は、「子どもは成人したんだから犯罪を犯したって自分には関係ない」とは思わないてしょう。そういう意味で子どもの犯罪に親は「無関係」ではない。
問題は、それを「社会的責任」と称して非難の対象として、事実上謝罪を強要することです。だって、マスコミの前で「子どもの犯罪は親には関係ありません」と言った場合、どういうバッシングが降りかかってくるかを考えれば、また前述のように感情レベルでは決して無関係のはずがないことを踏まえれば、そんな発言ができるわけがない。
「申し訳ありません」以外の発言は事実上できないような場で記者会見させているんだから、謝罪を強要しているようなものです。
時事通信のサイトによると、父親自身が記者会見を望んだように書いてあるけれど、実際はどうでしょうね。取材攻勢が激しくて、「お詫び会見」をしなければ社会生活に支障をきたすような状況で追い込まれただけではないか、という気もするのですが。(お詫び会見をしても、社会生活に支障をきたす状況に変わりはないような、悪い予感もしますけれど)

この両親の子育ては結果としては間違っていたのかも知れないけれど、それは結果として言えることであって、どういう子育てをすれば「正しい」大人になるか、なんてことは誰にも分かりません。それが分かれば子育てなんて苦労しない。

inti-sol 様

全く持って同感です。
私がこの会見に感じる不快感は、
立場を利用して謝罪を強要するマスコミと、それを当然のものとしている視聴者と、それを「再発防止に必要」などという明らかな詭弁を弄する両者の卑劣な態度に向けられたものだと分かりました。

 このエントリに関連して、一部転載にてご紹介させていただきます。

 私のブログのことを意識された発言なのか確認の術もありませんが、格好の切り口であり、材料でもあります。

 本当は、先に重大な事件の加害者となった前後の自身の心境の変化や、周囲の反応、対応などの体験を述べ、参考にもしていただきたかったのですが、これも明日以降になりそうです。

 本当は、社会の耳目を集める重大事件に便乗するようなかたちにしたくないと意識していたのですが、このエントリの多数のコメントを読んでいると気分も変わってきました。

 まず、警察発表をマスコミの調査報道より重んじるべき、というようなコメントが散見され、ブログ主のモトケンさんからもそれを追認するような上記の投稿があり、加えて精神鑑定の結果を尊重すべきというようなおまけがつけられていたことです。

 その精神鑑定の結果につきましては、先日、大きな意味を持つ判決が出たはずですが、モトケンさんがエントリとして取り上げた形跡もなく、少々ひっかかりもあったのです。

 私の方も、エントリとして取り上げることはなく、ストックとしてブックマークには登録しました。

【「どう猛な別人格状態」 異例の判断で心神喪失認定】

http://www.47news.jp/CN/200805/CN2008052701000510.html

 今、ブックマークの方を確認するとこれが最新でもあったようです。そう言えば、数日の間、ブックマークを使っていませんでした。


 この別人格状態につきましては、日常の生活においても考えるところがあり、関連したエントリを事前にアップしてあるのです。「愛娘」というテーマとも関連しており、長い説明にもなりそうなので、時間があるときに取り上げる予定で保留中です。

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080601/1212297242

 ここにYouTubeの動画が含まれているので、ぜひご覧頂きたいところです。どのような印象をもたれるでしょうか。

 アニメになっていますが、文字通り変身するんです。

 振り返れば、自分自身も変わってきたと思いますし、変身に伴う強烈な衝撃苦しみを最初に受けたのも平成4年4月1日でした。

 私だけでなく、被害者の父親も大きな変化を受けたようです。数年間の間、私にとって、まさに鬼にも映る存在でした。ひとつ認めて頂くにも5年以上の歳月がかかりました。

 さらに具体的にも、平成4年1月21日の夜、私は衝撃の事実を聞かされました。その走りの言葉が、「鬼のような女やな、お前、あの女の顔見て、わからんか? きっかん顔しとるやぁろぉぃ」でした。

 その瞬間彼女は、別の人格を持つようになったのです。少なくとも加害者となったわたしにとっては。そして、裁判においても。

 まさに、「我が娘が鬼となる。」別バージョン!!!

(続きます)

 ホカベン、終わったところです。物語も意外な展開でスケールが途方もなく大きな問題になったようです。

「弁護士というのは人間が不完全であることの象徴だ。」という言葉もとても印象的でした。


[2008]元検弁護士のブログの方々へ(2)
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080611/1213194436

事件を知って「自分の身を守ろう」と反応する人々が陥り易い気分に。
「犯人とその周辺、関係者を一括りにして川の向こう側に追い出したい」というものが有りそうです。

今回の報道は(も)この気分に応えるもの、とすればピッタリ符合です。

気持ちというより生理的反応に近いので致し方ないかもしれません、ただし民主主義や社会共同体の運営には障害になるでしょうねえ。

冷静に考えようとするには邪魔な報道だった、気がします。

>No.88 MultiSyncさん

「犯人とその周辺、関係者を一括りにして川の向こう側に追い出したい」

これはもっともだと思います。更に言うと、その関係者の中には被害者と遺族も含まれているんじゃないでしょうか。
たとえば、遺族感情を盾にとって残虐な死刑を提唱する人々は、宅間が死刑になった後も遺族の人生が続いていることに思いを馳せたりするのでしょうか。「望みどおり犯人が死刑になってよかったじゃないか。じゃあね」と既決の棚に放り込んでしまう人がほとんどなのではないでしょうか。

決して表だって認めることはないでしょうが、加害者(と家族)に付き合うのが嫌なのと同じ様に、被害者(と家族)に接するのも気が重いと感じている人も少なくないような気がします。

>>No.85 inti-solさん
>それが分かれば子育てなんて苦労しない。
>>No.86 ponさん
>全く持って同感です。

私もまったく同感です。

Oさん、普通の人さん、SONIC.さんの飾らない真っ直ぐなやりとりを拝見して感銘を受けました。そのほかの皆様にもたいへん勉強させていただきました。

>No.87廣野秀樹さん

アンケート調査のエントリのNo.97もそうですが、引用、転載の場合は全文を載せるのではなく冒頭部なり主要部なりを簡潔に抜粋して載せた方が良いのではないでしょうか。興味を持った方は抜粋でもリンク先を見に行くだろうし、興味の無い人にとっては全文転載は邪魔になります。

このような凶悪事件が起こるたびに、今後ますます、加害者の両親が『謝罪記者会見』を開くのが当然、あるいはインタビューを受けることが当たり前といった風潮になりそうで、危惧します。

>No.91 無印粗品さん

 了解しました。

またまた、昔話を・・・
大阪で銀行へ猟銃を持って押し入り強盗殺人をした男の親の話を思い出しました。警察の要請で現場に説得しに来られたようでしたが、結局、犯人は説得に応じず、警察に射殺されました。
確か、読売新聞大阪社会部が事件をまとめた本が出ていましたが、そのラスト近く、説得を果たせず自宅(大阪ではなく遠いところから来られていたようですが)に帰る母親に記者が「がんばりまいよ」と彼女の住む地方の言葉で声をかけたとき、彼女はその記者にお辞儀をして、かえっていった、といった記述があった、と記憶しています。「犯人の親」としてつらい思いを抱えて生きていくんだろうな、と思わせるような部分でした。
この事件もかなり凶悪なものでしたけど、この事件の報道で「親の顔が見たい」的な報道はなかったように思います。どんな本を読んでたか、なんかは話題になってましたけど。たしか、警察が犯人を射殺したことの是非も最初のケースに比べると、あまり話題にならなかったように記憶しています。

伝聞なので私には真偽は確認しようがありませんが、昨日ワイドショーを観ていた妻の話では
「マスコミが押しかけて近所迷惑になるから両親が会見したみたい(会見すれば帰ってくれるだろう)」
とのこと。

 ごぶさたしています。参考情報です。

http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=1079

1つ違いの息子を持つ母として、西鉄バスジャック事件の時と同じ無量感を味わっています。
(偶然にも今事件とバス事件の加害者は同じ年生まれ)

マスコミは「親は何故、犯罪抑止力にならなかったのか?」の解を導き出したいんでしょうが、例えプロファイルの専門家が当たったところで、決定的な理由など見つからないのは目に見えています。
余程変わった生育環境でない限り、知れば知るほど、逆に視聴者の中の親は子育てに不安を抱くという事に繋がるでしょう。
神戸の児童殺傷事件の親御さんが書かれた本を読み、その思いを強くしましたし、西鉄バス事件について調べても同様でした。
(特に男のお子さんをお持ちの親御さんは)

親に社会的責任が生じる未成年の場合でも、この有り様なのですから、親元から離れて生活していた今事件の場合は尚更です。
有用なのは個々のケースの詳細ではなく、総体から導きだされる傾向だと思いますから、いい加減このような取材は止めて欲しいというのが私の意見です。

No.82 サルガッソーさんの意見に近いのですが
まずこの両親は、刑事、民事共責任をと問われる事はありません。
ではこの容疑者が未成年の場合ではどうでしょう。間違いなく民事の
責任はあります。ではマスコミは酒鬼薔薇事件の犯人の両親の記者会見を要求したのか?
出来ないですね。少年法の関係があるから。
矛盾感じますね。

マスコミやこの会見を支持している人は両親が、どんな言葉、どんな
態度を示せば満足するんでしょうか?

人間本当に困った時は死んでしまいたいと思う事ありますよね。
連合赤軍が浅間山荘に立てこもってる時、マスコミは坂東國男の父親が経営している旅館に押しかけ、父親の土下座写真をとり発表した。
その2日後父親は自殺した。
勿論道義的には責任があるでしょう。
でも今追求する事なのか?
マスコミにその責任を問う権利があるのか?
責任を取って自殺したら満足なのか?

>No.75 普通の人さま

大変レスが遅くなり、申し訳ありません。まずもってお詫び致します。
75での文章はご自分の意見表明であるとのご趣旨、了解致しました。当方の70での問責文は少々表現が厳し過ぎたかと自分でも思っておりましたので、不愉快に思われたことであろうと推察し、重ねてお詫び申上げます。

なおこれは年長者からの忠告としてお受け取り頂ければ有難いのですが、貴方の文章には「私は」とか「自分は」という主語が見あたりません。自己の意見を表明されるなら「私は〜と思う」とか「〜のように自分は考えるが如何でしょうか?」など、発言者の主体を明示される方が宜しいかと存じます。この辺のことは50代半になる社会の先輩からの助言としてお聞き留め頂ければ幸いです。

>No.99 法務業の末席さん
有り難うございます。
僕は既にご指摘いただいたことに対して不愉快と感じたところはありません。お気になさらないで下さい。

主語、述語が抜けている部分が多いのもご指摘の通りと思います。コメントを書き込む際、普段は文末は自身の主張であることをわかりやすく伝えるように、「〜と考えます」等としていたのですが、当エントリーのコメントに際して、感情に乗って主張しすぎた結果、誤解を招いたと思います。ただ、ある種当事件に関しては非常に複雑でかつ凄惨な事件で考えがまとめきれず、書き込むタイミングも難しく、今考えていることを間違いだらけだろうと思っていたのですが、わっと主張しました。ご指摘いただき有り難うございました。

ひとつ、報道を批判される方と僕自身と何が違うのかを色々考えたのですが、どうも報道に対する前提が全く違うような気がします。簡単に思う点は僕は報道に対してはなから信用していない。信頼はしていないし期待もしていない。また、報道が偉そうに社会で価値を主張していても何とも思わない。という部分ではないだろうかと思いました。報道はこうあるべきだこうするべきだと思っていないし、例え取材手法・放送の仕方が悪くても期待している人の期待を裏切るだけであって、それは受け手側の信頼と需要を損なうという自身の媒体・企業の価値を下げるという結果で返れば良いと思っています。良い報道をしてくれと願ってはいないし。メディアが少なかった時代はメディアを選択するという事自体難しかったのでしょうが今はもう少し選べる状況で、例えば本当に新聞に価値がなければ読まないしとるはずない。新聞報道に信頼性があったのはもう過去の話で幻想、というかたぶん元々ないと思うし。テレビ報道や他メディアも同じと思います。勿論WEBも同じで、情報の受けてが取捨選択することだと思っています。テレビ報道なんかの謝罪会見なんて元より意図がわからないし、馬鹿げた情報を流す報道が今に始まったことではないと思っています。特に近年は速報性はWEBに劣るテレビの報道ではいわゆる『絵的』なものしか価値はないと思いますし、勿論心得てるテレビマンはバラエティー番組だけでなく報道番組にも『絵的』を求め、本末転倒を苦し紛れに断行するしか新しい自身の媒体への価値を高める方向性を見いだせていない状況だと思います。その現状も含め1報道に対して自身の感情が左右されて主体から遠ざかってしまっては馬鹿らしいと思っています。

また、僕は報道という言葉に価値は既にないとも思います。インターネットというネットワークが確立されてから、中間地点を設けなくては成り立たない過去のネットワークのしがらみは負荷にしかならず、ただマージンをごまかしてとってるだけの実体のない『利権』に思ってます。今後間違いなく価値が縮小するメディアにもあんまり興味もないと思ってます。

今日テレビ報道で当事件について、現場で写真・動画を撮った一般人を批判する主張を目にしましたが、「お前が言うなよ」という以前に「需要が未だにわかってない人がまだ結構いるんだなぁ」と思いました。

こんばんは

いつも流し読みばかりですが
今回のモトケンさんのコメントには
非常に違和感を感じましたので
コメントさせてください。

結論から言いますと
今回の事件で
容疑者の両親にまったく非はないのでしょうか。
社会的責任は全くないのでしょうか。

成人したら子供のそれまでの人格形成において
親に問われる部分は全くなくなるのでしょうか。

何をもって、マスコミが容疑者の
親にコメントを求めることに
不条理をお感じなのでしょうか。


モトケンさんのコメントのスタンスには
非常に違和感を感じます。

>子は親の鏡さん

>社会的責任は全くないのでしょうか。

 私からお尋ねしますが

 何を根拠にするどんな責任があるとお考えですか?

私ぼつでおk雀が思うに、刑事事件の捜査は捜査機関がおこない、犯人の処罰は裁判所が行なう。同種犯罪の発生予防はそれがすべて済んで捜査上得られた証拠が裁判で公開されてから初めて、社会全体で議論していくべきものであり、警察が現に捜査中の事件についてマスコミが取材と称して勝手にゴシップ情報だけから事件を再構成する探偵ごっこを放送することは、報道の名に値しないばかりか捜査を撹乱する刑法違反行為にあたるのではないか、ということです。

すなわち報道する権利に伴う義務として、捜査中の事件関係者への恣意的取材を行い直ちに視聴率や購買数を上げる目的で恣意的に放送や紙面に載せることは、やっちゃいかん捜査妨害やプライバシー侵害の刑法犯に問われる可能性が高い義務違反行為ではないのか。「知る」権利と義務、における「義務」ですが。

マスコミの報道業務にそこまでの裁量権が認められているはずがない、というのが個人としての私の雀の法律論です。

捜査中の事件に関して捜査がどこまでどのように進んでいるのかの国民の関心を報道が満たそうとするなら、捜査機関にその点について記者会見を開くことを要求していろんな質問をすればよろしい。警察への質問であればいかなる内容の質問であっても、警察が関係者の人権や捜査上の秘密を守りながらゴシップにならないような答え方をするでしょう。また警察のほうにも要求があれば会見を開いて報道機関の質問に(国民の知る権利を代行しています)答える責務があるはずです。そして警察の開く会見なら質問者は遠慮は全く無用であり、その場では報道機関の取材の自由=質問の自由が無限大に認められるでしょう。ただし質問に対する答え方や答えの内容には警察の裁量が100%認められますが。

このように刑事事件という個人の基本的人権の間の争いを報道するにあたっては、国家機関の活動を妨害や撹乱する取材報道は「やっちゃいかん」ことであり、それなのにそういうパパラッチ報道を行なえば、これはもう過失犯ではなく「確信犯」ではないでしょうか。年寄り雀のぼつでおkはこのように雀の法律論で考えて、ここのエントリーに書き込みました(匿名HNで・・・笑)。

連投失礼。最後に余計な事(カッコ)書いたおかげで以下の本文を付け加え忘れました(笑)。

>>No.103の雀の法律論について皆様の忌憚のないご批判やご校正ご指導をよろしくお願い申し上げます。

>No.102 モトケンさん
え・・・と、まぜっかえし気味に横入りレスですが
「製造物責任法のロジックを根拠とし、『欠陥品』を社会に出した責任」
というのは如何でしょうか。

時代劇の世界なら兎も角として、平成の日本で、成人した子の不行跡の咎を親にまで被せなんとする「論理」を構成するならば、基本骨格はPL法のそれに近似のものになるだろうと愚考します。

No.103 ぼつでおk(医)様

素人の返事が真っ先で恐縮ですが、

もの凄く得心できる論で、賛同できます。
今後、実施されていくであろう裁判員制度を踏まえて考えてみても、報道姿勢として大事なことだと思います。
(捜査機関側も誘導尋問に引っかからないように、線引きを考えた応答をしなければならず、ご苦労されると思いますが)

No.105 惰眠様

別に食って掛かろうとする訳ではありませんが、(ほとんど冗談でしょうし)
別スレでも、「人」を良品・不良品とかいう論が展開されておりますし、なんか違和感が大きいというか、以前、かの大臣様が「女性は子供を生む製造機」ごとくの発言をしたのも思い出したりして、今回の犯罪を語っていくのには、ちょっと違うんじゃないかな〜と、一人悶々としております。(悶々としているのは私の勝手でしょうが・・)

>No.102 モトケンさん

幼年期に子に対して平和や人権意識の啓蒙を怠り、
他者への思いやりあふれる人間を育成する教育をほどこさなかった。

これにつきます。
そのことにより危険因子(もうすでに因子ではないですが)
のまま成人を迎えさせ、社会に送り出しました。

この両親がいなければこの事件はありませんでした。

危険因子を社会に送り出した責任は私はあると思いますし、
それに対してコメントを求めることは当然ではないでしょうか。

両親がコメントを求めるタイミング(が早すぎた)により、
情報としての意味を持たない・・等の意見がありますが

社会的にこのような「親」を罰する法がなく
マスコミ以外に情報を収集するしかありません。

有益な情報、コメントがないにしてもマスコミが
情報を得ようとするスタンスは間違っていないと思います。


それとも
親を罰する法がないから社会的責任が無いのでしょうか。


>No.107 子は親の鏡さん

心情的には理解できますよ。だから、私も子どもには命の大切さや他人への思いやりを教えたいと思い、そうしているつもりです。

しかし、そういった教育を施さなかったと断言できるのでしょうか?社会に出てからの境遇や環境が与えた影響はないのでしょうか?
例えば、何らかの病気が事件を起させたとしたら、病気になるように生んだ親の責任なのでしょうか?

マスコミがああいう叩き方をしなくても、家族は十分責任を感じていると思うし、今後の人生感じざるを得ないと思います。
被害者の方々のことを思うと、加害者の犯した罪はあまりに大きく、悲惨な事件ですが、両親の道義的責任と感情的責任、法的責任は別物であり、感情論でマスコミが公然と吊るし上げるようなことには、やはり違和感があります。

>107
因果関係を、相応の蓋然性や合理性を伴って立証できますか?
人間は、工業製品じゃありませんよ。

山本周五郎の短編「霜柱」に、とてもいい台詞があります。

「親が甘く育てたからこんな人間になったと云った、きびしく育てればきびし過ぎたと恨むだろう、臆病者、卑怯者(ひきょうもの)はみんなそれだ、自分で悪いことをしておきながら、その責任を人に背負わせようとする、なにより恥知らずな、きたならしい卑劣な根性だ」

「育てかたで人間の性分がきまるなら、世の中に悪人なんか出やあしないのに」

No.107 子は親の鏡様

子は親の鏡様のお考えの社会があるとすれば、私はそのような社会で生活したくありません。
また、そのような社会では、極端に申し上げてしまいますと、動物の自然本能的な子孫の繁栄の為の子供を生んでいくという行為も躊躇せざる負えなく、非情なまでに管理運営をなされた上で子育てを考えなければならず、私からみたら、それはもうとても窮屈極まりない社会だと思われます。

>No.107 子は親の鏡さん

心情的には理解できますよ。だから、私も子どもには命の大切さや他人への思いやりを教えたいと思い、そうしているつもりです。

しかし、そういった教育を施さなかったと断言できるのでしょうか?社会に出てからの境遇や環境が与えた影響はないのでしょうか?
例えば、何らかの病気が事件を起させたとしたら、病気になるように生んだ親の責任なのでしょうか?(これは、神の領域では。)

マスコミがああいう叩き方をしなくても、家族は十分責任を感じていると思うし、今後の人生感じざるを得ないと思います。
被害者の方々のことを思うと、加害者の犯した罪はあまりに大きく、凄惨な事件ですが、両親の道義的責任と感情的責任、法的責任は別物であり、感情論でマスコミが公然と吊るし上げるようなことには、やはり違和感があります。

惰眠様
先程は失礼致しました。

>人間は、工業製品じゃありませんよ。

ホッとしました。
良い引用文をありがとうございます。

 子は親の鏡 さん、こんにちは。

> 親を罰する法がないから社会的責任が無いのでしょうか。

 大家といえば親も同然と言います。…借家の家主には社会的責任がありますか。

 社員や取引先は家族と言う会社もあります。…社長は同罪ですか。

 朱に交われば赤くなると言います。…容疑者の知人友人には社会的責任がありますか。

 ダガーナイフがなければ、死人が出ることはなかったかも知れません。…ナイフを売った販売店の店員は同罪ですか。

 トラックをレンタルすることができなければ、轢死する人は出なかったでしょう。…レンタカー会社には社会的責任がありますか。

 ケータイの掲示板サービスがなければ、…中古ゲームを売って金が入手できなければ、…大学入試の受験指導が適切であれば、…容疑者があの日まで生きながらえることがなければ、…きりがありません。

 あの種の故意犯は犯罪者自身の責任であって、それ以外の何ものでもないと考えます。

 それとも、昔に戻って九族悉く誅するとでもしますか。親戚に犯罪者が出たら、あなたと家族の資産は全て国庫に没収としましょうか。居住地を追放されて見知らぬ土地を彷徨うということでも良いですか。

 あなたの親戚の皆さんは、今この瞬間にどこにいて、何をしていますか。全て分かっていて、充分にあなたの価値観通りに行動してくれていますか。

横レス失礼。
親が「人権や平和教育」をすれば、子供は「まとも」に育つものなのでしょうか?なら、犯罪の抑止は「簡単」にできそうに思います。
でも、私の乏しい経験から申し上げると、同じような教え方をしても子供によって受け取り方や反応は違います。ちゃんとした子に育って欲しい、と思って教育したつもりでも成長すると全然違う性格の人間が出来上がります。普通の工業製品なら「原料から出荷まで」の工程をマニュアルにしたがって作り、検査すれば不良品はほとんど生まれませんし、不良品が出ても出荷前にはねることができます。でも人間はそうはいかないでしょう?
「親は刃(やいば)をにぎらせて  人を殺せと をしへ(教え)しや
人を殺して死ねよとて  二十四までを そだてしや」
(私も、あの両親がまさかそんなことをしたとは思えません。)
それでも親に「罪」があるのでしょうか。そんなことになったら、いよいよ子供を作るのが恐ろしい、という親が増え、少子化が一気に進むでしょうね。

>No.107 子は親の鏡さん

幼年期に子に対して平和や人権意識の啓蒙を怠り、 他者への思いやりあふれる人間を育成する教育をほどこさなかった。
なぜ貴方はこのように断定できるのでしょうか?
この両親がいなければこの事件はありませんでした。
25歳の容疑者はこの世に生まれてくるべきではなく、そうした人間を出生した親に「製造者としての責任」があると言われるのですか?

貴方は人間を単なる「製品」としてか見ておられないように感じます。加えて親を単なる「人間の生産システム」とか「教育プログラムマシン」としか捉えておられないと私には感じられます。…これは悲しいことです。

法律的にしろ、社会道義的にしろ、貴方は責任論を論じる以前に、人間とは何か? 生命の尊厳とは何か? こうした根源からお考え頂きたく思います。

もし私のこのコメント自体が、貴方にとって理解出来ない異世界の理屈と感じられたとしたら、…そうした想像はしたくないことですが…、貴方がこれまで受けてこられた日本の教育なり、家庭や地域社会を通して家族や友人や同僚または先輩から受けた訓育なりが、如何に不十分で欠陥だらけなものであったのか如実に示す事例として、私は貴方に憐憫の感情を覚えるとともに、この四半世紀の日本社会に対する失望と悲しみと憤りを感じます。

子は親の鏡 さん

私は今回の事件はかなりの部分、「親の育て方」の問題で発生したと考えています。

従って親に責任があるという意見は同意しますが、親が責任を取る対象は子供に対してであり、社会に対して責任を取るのは親ではなく犯行を犯した子供でしょう。

世の中には、人前では平和や人権をしたり顔で語りながら
凄惨なDVで告発されるような人物もいます。
また、世にあるテロ事件の一部は、ある意味真面目すぎる人々が
平和・人権思想を原理主義的に捉えた結果発生しているものでもあります。
平和・人権思想をたたきこめば犯罪を抑制できるというような単純な考え方は
現状を鑑みましても全く当てにならないと考えざるを得ません。

子は親の鏡さん
『幼年期に子に対して平和や人権意識の啓蒙を怠り、
他者への思いやりあふれる人間を育成する教育をほどこさなかった。』
これどうして断言できるのでしょうか?
また親は子供がいくつになるまで責任を取るべきなんでしょうか?
これでは日本の封建時代や北朝鮮と一緒です。

又貴方はあの会見を見て満足しましたか?
社会的責任を感じて99に書いたように自殺でもしたら
満足ですか?

>No.115 法務業の末席さん

>25歳の容疑者はこの世に生まれてくるべきではなく、そうした人間を出生した親に「製造者としての責任」があると言われるのですか?

私のコメントに対してそこまで意訳できますか。
前後また行間の(見えない)ニュアンスを
もっと汲み取っていただきたいものです。

 では、そのニュアンスを明文化してください。お願いします。

>子は親の鏡さん
人権意識を教えるべきといっておきながら、一方で親の責任を問うべきというのが両立するのが理解できません。人権の基本は、個人の独立のはずですが。

今回の事件を考えるにあたって、
>No.107や >No.116
のような考え方をされる方がいらっしゃることに、私は何かもの凄く違和感・憤りを感じますし、日本社会の根深い問題を感じてなりません。

惰眠様が引用していただいた文が簡潔に的確に表現されているな〜
と思っているのですが。

子は親の鏡様や次郎様のように考えて(お二人の考え方には違うところもありますが)おられる人はこの国にはかなり多数いらっしゃるのでしょうか?

秋葉原無差別殺傷事件のような犯罪者を今後なるべく発生させないように社会全体が発生要因と思われる事を改善して行く努力は成していくべきとは思いますが、起こってしまった事件の犯罪者の個人責任をどこかに転嫁させるというのは、できないんじゃないでしょうか。

世間に甚大に影響力を持つマスコミも最近は視聴率主義が蔓延るせいかどうかわかりませんが、現状のようなレベルですし、私のようなものが大袈裟なことを申し上げてしまうようですが、各々の人権を尊重し合う民主主義国家など日本人にはとても馴染めるものではないのではないでしょうか?
駄文にての愚痴こぼしをしてしまい、失礼致しました。

>No.107 子は親の鏡さん

極端な例なのですが、

社会的にこのような「親」を罰する法がもし仮にあったとして、
「危険因子のまま成人を迎えさせ、社会に送り出した『親の責任を問う』
何故なら、『幼年期に子に対して平和や人権意識の啓蒙を怠り、
他者への思いやりあふれる人間を育成する教育をほどこさなかった。』という理由で。」
というのでしたら、50歳や60歳の年齢の息子が強盗殺人などの罪を犯した場合も同じく、70歳、80歳の(たぶん身体の不自由になった)親でも罰せよということなのでしょうか?

>No.123 A.K.さん

刑法に家族連座制を導入するのであれば、判断基準は年齢ではなく血縁関係でしょうから、たとえ100歳であっても責任を取らねばならないでしょうね。

>No.124 みみみさん

そういうことになりますよね。
ですから、No.107 子は親の鏡さん の仰っていることが私には理解できないのですが・・・

Oさん

>犯罪者の個人責任をどこかに転嫁させるというのは、できないんじゃないでしょうか

私は個人的責任を転嫁する意図はありません。犯人は犯した罪に対して責任を取るべきだと考えます。

ただ、子供がそういうことをするように育ったのは親の育て方が大きな原因になっているだろうと思いますし、そうであるなら親は子供に対して責任をとるべきでしょう。

親がそう育ててしまった事に関して子供に責任を取る事は、責任転嫁なんでしょうか?

No.126 次郎さん
成人した子供に対して親はそのような責任を取ればよいのでしょうか?
それは、一般的に親が子供に接するのと(心配や愛情も含め) 何が違うのでしょうか?

難しい話です。子供をひとかどの殺人鬼に育て上げてやろう! と意図して育てる親なんているわけないんですけどねえ。真っ当な人間に育てようと徹底的にしつけたら、その厳しさが裏目に出て、抑圧された子供が凶行に走ったケースだってありますし。
意図したわけじゃないのに結果責任を問われ、道義的・社会的責任を追及されるというのは医療事故にも通じるものがありますね。

>親がそう育ててしまった事
どうしてそういう決め付けができるのか不思議です。
なんか具体的に加藤一家の育て方を確認できる証拠資料でもあるんですか?
また仮に、その育て方のデータが具体的に提示されたとして、プログラムのデバッグ宜しく、どこそこが問題だったと明示できるものだとでもお考えなのですか?
ありえませんね。
子供は親の操り人形でもなければ分身でもない『独立の人格』です。
素直ぉーに親の言いつけに唯々諾々と従うロボットのような子供も、そりゃいないわけじゃないでしょうが、普通はそんな具合にゃ育たんでしょう。

(元外科医さんの2008年6月11日 のコメントが保留になっていましたので転載します。管理人)

報道機関のレベルの低さに対するコメントだらけで安心しましたw
小生は「あの子は大人ですから彼に全責任があります。私たちは育てた責任は別として法的、社会的責任を負う立場ではありません。」という言葉が聞けたら被害者には申し訳ないけどすーっとしたでしょう。

(マグナカルタさんの2008年6月12日びコメントが保留になっていましたので転載します。管理人)

http://blog.dandoweb.com/?eid=32055

トラックバックはされていないようですが、朝日新聞の団藤保晴記者が本エントリについてこのように書いておられます。

>No.107 子は親の鏡さん

 ずっと外出しておりましたので、携帯でロムってました。
 ほとんど袋だたき状態かと思いますが、このブログでこのような発言をすればこうなるだろうと思います。
 これまでの常連さんのコメントに付け加えることはほとんどないようです。

もしかしたら釣られたのかな?と思いつつ・・・
「この両親がいなければこの事件はありませんでした。」
その通りです。もしかしたら、別の両親から生まれた別の人間が「世の中に不満を抱いて、似たような事件を起こした」可能性はありますけどね。でもこれは「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら・・・」という話と同じですね。バック・トゥー・ザ・フューチャーみたいなSFの話になっています。
タイムマシンに乗って、両親が結婚しないようにしますか?
できませんよね。
起きてしまった事件をそういう形で論じるのは少しずるいように思います。

学生時代にもう少し進路のことを考えてやっていたら。
レンタカーを貸さなかったら。
ダガーナイフを売らなかったら。
携帯でもう少し相手をしてやっていたら。
携帯の書き込みをもっと注意して監視していたら。
と、「彼」に何らかの形でかかわった人たちはみんないろんな思いを抱き、苦しんでいると私は信じています。
そして、「彼」にかかわった人の中で一番強い苦しみを感じているのは両親だと思います。本当に、あの子を産まなかったら、とまで思っているかも知れません。
でも、彼らに法的な責任はありません。
もし、両親が彼にナイフの使い方を教えたり、血を見てもひるまないように洗脳でもしていたなんて、彼を殺人マシンに人間を育てる教育・訓練をしていた、というのなら、両親の責任は問われるでしょう。でも、私には彼らがそんな教育をしていたとは現時点では思えない。
「親」に責任を求める、というのは非常にわかりやすいんだけど、私には非常に古い考え方に思えます。捕まっちゃった「犯人」に怒りをぶつけられないフラストレーションが真っ先に向くのは「親」なのかも知れません。でもそういう「私憤」は「親」の次に「コミュニティ」、その次は「民族・人種」ってエスカレートしていきそうにも思えます。

 マグナカルタさんが紹介してくださったブログは私も気がついていました。

共同通信発の本紙ニュースとして(中略)「父親(49)が同日、青森県政記者会に電話をかけ、『おわびがしたい』と申し出た」と明記されています。

 そして、そのような事情を報じない全国紙は落第と評価しています。

 しかし、この点についてはNo.95 元ライダーさん

昨日ワイドショーを観ていた妻の話では 「マスコミが押しかけて近所迷惑になるから両親が会見したみたい(会見すれば帰ってくれるだろう)」 とのこと。

 というコメントを寄せています。
 もとより匿名の伝聞コメントですが、会見を申し出た両親がどのような気持ちでそのような行動をとったのかについて思いをいたさない記者の感覚というのは及第点なのでしょうか?

>No.132 モトケンさん

そうですね。
袋叩きに会いました。

私が親の愛情をふんだんに受け、そのことが人格形成に
影響が大きかったからなおさらかもしれません。

他人にもそれを求めていたのですかね。
私の両親に育てられた子供なら・・と

失礼しました。

No.126 次郎様
ご返答、ありがとうございます。

>私は個人的責任を転嫁する意図はありません。犯人は犯した罪に対して責任を取るべきだと考えます。

このようなご趣旨であろうことは、理解しておりました、

しかし、

>ただ、子供がそういうことをするように育ったのは親の育て方が大きな原因になっているだろうと思いますし、そうであるなら親は子供に対して責任をとるべきでしょう。

のお考え方は、他人である我々が、思い、求めるものではないと思います。
親御さんが心の中でそのような思いを廻らせてしまうことにも、我々としてはご心中を理解できようもないことですので、止める事もできませんが・・・。
ただ、加害者のご家族にもし声を掛けるべく言葉があるとすれば、
私には「頑張ってください」くらいの言葉しか浮かびません。
(現時点では言葉を掛けるのにもしのびないです)


こんばんわ

 話題とは外れますが、直接ではないのですが今の日本が親と子の関係をどう思っているのか考えてしまう話題があったので、
http://diamond.jp/series/depress/10031/
ここでは、上司、中堅社員、部下ですが、これを社会、親、子供と読みかえると今回の話題になります。

No.131 マグナカルタさんのコメント(管理人)さま

朝日新聞の団藤保晴記者さんのブログ拝見しました。
でも、この方 問題のすり替えをしていらっしゃるように思います。
私たちは、どのような経緯で会見になったか、より
記者が「親の社会的責任」を問うたこと、を問題にしているのではなかったでしょうか?
(個人的には「派遣会社や勤務先」の「社会的責任」も追求して欲しいと思います。ナイフの規制やホコ天の中止というような話ばかりではなく・・・)

 特にお母さんについては

 自分が秋葉原で連続殺傷事件を起こしてしまったような気持ちになっているかも知れません。

 もしそうであったとしたら、

 記者たちの投げつけた質問はお母さんの心に深々と突き刺さったのではないか

 というような思いも浮かびます。

子は親の鏡さんのお仲間を発見しました。
日刊ゲンダイの記者さんです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080613-00000006-gen-ent

ゲンダイに関しては、タイトルを読むだけで
妥当性のない記事を毎日量産している屑紙であることが明白なので
いまさら相手にするだけ無駄かと。

議論に嘴を挟む機を逸してしまいました。
以下は匿名の自称ポリスメンの繰言ですので読み流して下さい。
私の拙い経験からすると、「親の教育」は「子の犯罪」の原因としては、必ずしも大きなウェイトを占めるものではないと言えます。
親の放任や虐待が子を犯罪に駆り立てる要因となることもありますが、反対に全く関係のない場合も多いのです。
自身も両親に感謝しているにも関わらず窃盗や覚せい剤で繰り返し逮捕される被疑者て普通にいますし、反対に我々ですら顔をしかめるくらいのろくでなしが親であっても、立派に育ち、親がこれ以上罪を重ねる事のないようその監督を申し出る子だっています。
また同じ親から生まれ、同じように育てられてきた兄弟姉妹であるにも関わらず、片方のみが犯罪に走ることも珍しくありません。
要は犯罪の要因とは、被疑者がこれまで生きてきた「周囲の環境」と「本人の意思」の問題であって、親の教育はその環境の一つに過ぎないのです。
本件において、被疑者が犯行に至った要因に両親の教育が関連していたか否かについては、これから捜査や公判、その後に続く研究によって慎重に検証されるべきことであり、現時点においてマスコミが両親の社会的責任を問うかのごとき報道を行うのは身の程知らずにも程があります。
両親が報道機関を通じて謝罪を望むのであれば、それを報道することも必要でしょう。
しかし、マスコミはそれを淡々と報道すれば良いのであり、社会正義を気取ってまだ明らかになっていない「親の社会的責任」を詰問する資格など彼らには存在しないのです。

親は子どもの全人格や成長過程をコントロールして、親の意のままに育てることができるわけではありません。そんなことができてしまったら、それはそれで問題です。

殺人を犯すような「危険因子」があるとしても、神ならぬ人間にそれを見抜けるかと言えば、そんなことは不可能というしかありません。親といえども子どもが内面になにを抱えているかを察知することは難しいです。

まして、今回の件は親元を離れて働きはじめて以降の経験が犯行に作用していることは明らかで、それは親の教育の問題ではありません。

子どもが殺人者になったという結果から遡って子育てのあそこが悪かった、ここが悪かったと言えば、いくらでも子育ての問題点は指摘できるでしょう。しかし、まったく同じような「問題ある」子育てをやっても、ごくまっとうに成長する子どもなどいくらでもいます。
私は、まだ4歳の子の親に過ぎませんから、あまりえらそ〜なことを書くのは気が引けるのですが、それでも「ミスのない子育てなんてない」ということは断定して良いだろうと思うのです。子育てなんて右往左往、試行錯誤の繰り返しです。

もっとも、絶対確実にミスのない、「危険因子を持つ子ども」を世に送り出す可能性がない方法が一つだけあります。それは子どもを作らないことですね。

No.140 ponpontaさんが紹介された日刊ゲンダイの記事読みました。

このゲンダイの記者は、労働者派遣法35条の規定と同法に基づく平成11年労働省告示第137号により、派遣元会社(この場合は日研総業)が派遣先会社(関東自動車)に、派遣労働者の「学歴」について通知することが原則禁止であることを知らないのか?

労働者派遣の法令では、原則としてに派遣先で従事する労働・業務に関して、派遣先会社の正社員には一定以上の学歴が必要とされないのであれば、派遣先は派遣される労働者の学歴を要件としてはならず、派遣元は学歴など業務遂行能力に直接影響しない個人情報について、派遣先に情報提供してはなりません。すなわち今回の関東自動車で、派遣労働者が行なう同じ業務に従事している正社員に、業務遂行能力の要件として短大卒を条件としていないのであれば、高卒か短大卒かを派遣元の日研総業に条件付けることは出来ません。又派遣元から派遣先に派遣労働者の履歴書をそのまま転送することも、先に示した法令と告示で原則禁止です。

日刊ゲンダイの記事にあったように、派遣元の日研総業が履歴書を労働者本人に返却したこと、ならびに短大卒との本人の申告を敢えて疑わずに追求調査しなかったこと、そして学歴に関する情報を派遣先の関東自動車に通知しなかったことは、労働者派遣業者として法令に適った事務処理で、日研総業が非難される謂われは見あたりません。

派遣元会社を一方的に非難する記事を書く前に、この記者は労働者派遣法について勉強すべきです。

Oさん
>他人である我々が、思い、求めるものではないと思います。

思うのは自由だと思うのですが、求める、うーん、求めているといばそうかもしれませんが、そういう原因があるんじゃないですかというのを当のご両親というより、世間の人に理解して欲しいといった気持ちですね、どっちかというと。

なんていうのか、犯人は親の育て方の被害者以外の何者にも見えないように感じるんですよ、報道された内容から見ると。

わたしは別にカウンセラーでも精神科医でもないので、根拠を求めらるとたしかにつまるところがあるのですが、被虐待児童の一人として、同様な経験をした人の体験談と非常によく似ているんですよ、犯人の成育歴情報が。

むしろここには精神科医の方もいるはずですので、その見地からどう考えるかのコメントが欲しいですね、匿名でも結構ですので(って小倉先生に怒られそう)。人格の形成においては親の影響が最も強いというのが普通の見解だと思うのですが、違うのでしょうか?

確かに50や60歳ならば、親の影響が少ないという主張もわからなくもないのですが(個人的には死ぬまで親の影響から抜け出すのは難しいとは思うのですが)、25歳ですからねぇ。

なお、両親が会見した様子を流すのは食屍鬼の如き行為だと考えておりますので、今回のTVでの両親の会見の報道は反吐が出そうな思いに駆られました。

こんばんわ

 ふと思ったのですが、親が悪い、派遣会社が悪いと言っている人たちは、裁判で、弁護士が親が悪い、派遣会社が悪いから殺人を起こしたんだからその分減刑してくれといったらそれを賛成してくれるのでしょうか?
 そして、裁判長がそれを認めた場合なんて答えるつもりなんだろうと思ってしまいます。

学校の課題に追われしばらくみないうちに、ずいぶん盛り上がってますね。

私も実は、そもそもこのエントリーが腑に落ちなく思っていた者です。実社会なら空気を読んで、きっと皆さんに同調するのですが、せっかく、過去に何度かコメントさせていただいているので、空気を読まずに(笑、再度コメントさせていただきます。この違和感が何なのか、私なりに、もう少し考えてみました。

ーーーーーーーーーー

まず、ある用語を使っても、その意味するところが複数存在する場合に、ある論者はAの意味、他の人はBの意味、に捉えてしまうと、そこでもうボタンの掛け違いが起こりますよね。

そこで、「社会的責任」の意味を、もう少し分析的に考えてみるべきではないかと思います。

ーーーーーーーー

たとえば、他殺ではなく、自殺の場合を考えてみます。
子供が自殺したときに、
「私には何の社会的責任もない。息子が勝手に死んだだけだ」
といえるでしょうか。

自殺の場合、他者に加害していないですよね。
だから、対他者との関係で「社会的責任」は無い、とひとまず言えそうです。

もっとも、親、ないしは友達など身近にいた者として(物理的な意味ではなく)、自殺を防げたのではないか? コミュニケーションをもっととって、悩みを事前に聞いてあげていれば、自殺は防げたかもしれない。

一般に、結果回避の可能性があるならば、それを避ける責任を課すことも不合理な主張とはいえないと思います。
ひょっとしたら、その責任を指して「社会的責任」と呼ぶことも、できるかもしれません。
ちょっと詳しく言うと、
「人を孤独に追いやらず、システムの中にうまく組み込み、なんとかフォローアップする」
という意味(仮にAとする)での、社会的仕組み、とでもいいましょうか。


もし、このような社会的責任を是認するとすれば、
かかる意味での責任は、どこからどこまでだれが負う、と区別できるものではなく、グラデーション的に、モザイク的に、親、兄弟、友達、ご近所さん、学校の先生、いろんな人が様々なレベルで負っているといえるでしょう。(つづきます)

 多少不謹慎かもしれないのですが、繰り返し放送されている犯人の逮捕時の映像をみていると、ドラえもんの「のび太」に似ているように思えるのです。
 そんな漫画の主人公のような人が、こんな大事件を起こすなんて、未だに信じがたいものがあります。
 報道以上に、彼の中で、深刻な苦悩があったようにも思えます。
 そして自分の経験にも照らして言えることですが、警察は、社会機能に混乱を来すような不確実な具体的事実は、公表しないように思えます。
 そのあたりの事実関係や事情は、選任されるであろう弁護人に期待するほかないのかもしれません。

 そういえば、今日のコメントにも出ていた川俣軍司ですか、パンツ姿に猿ぐつわのようなものをはめられていたような異様な姿、小さい子供の頃、たぶん30年以上前のことですが、強烈な印象が未だに残っています。
 あれは、本当に異常犯罪の象徴のような姿で、それと比較しても、逮捕時の弱々しい脱力状態の姿には、時代を象徴したような隔たりを感じます。
 世代の違いもあることでしょうが、今では川俣軍司の名前を知らない人も多いことでしょう。
 そういえば、2年ほど前でしょうか、ネットで調べ、詳しい資料のようなものを読みました。
 川俣軍司の場合は、寿司職人で、これも就職の問題がからんでいたようにも思います。

(147から続く)
ひるがえって、本事件。
本事件は、他殺を伴う自殺、とも言えると思います。
だって、死刑になることは、容疑者にとっても、明々白々ですから。

だとすると、自殺の話と、パラレルに考えることのできる部分が発生すると思います(一致ではない)。


身近な人々が、容疑者の発していた様々な、そして、継続的なSOSをキャッチすることができたのではないか?回避可能性があったのではないか?救済することができたのではないか?という意味での責任、を指して、「社会的責任」と呼ぶことはできるのではないでしょうか。


他方、ここのコメント欄で、袋叩きにしている方々の言う「社会的責任」とは、「親が、加害者および、社会に動揺を与えたことに対する道義的責任」(仮にBとする)という意味で使っているのではないでしょうか。

とすれば、ここに、AB両者の使用する「社会的責任」の意味づけは変わってきますよね。

論理学の図で出てくる「二重の輪っか」のように。


私は、の私のコメント(NO38以下)において、無意識的に、(A)の意味で、社会的責任という用語を使っていたのだと思います。(B)の意味での社会的責任が親にある、などとは、当初から思ってません。


ですから、私にとって、
「成人した容疑者の親には社会的責任なんてありません」といえる社会が来ると良い、とおっしゃられている方の主張は、
成人した息子、娘が自殺しても、
「私には何も責任はありません。彼(彼女)が勝手に死んだだけです」と言える社会が来ると良い、
と言っているのと同じような、「冷たさ」を感じたのです。
それを評して「寒々しい社会」だと言ったのです。


最後に、感情的になられている方々は、人の意見を、「自分に都合よく、相手に都合悪く」意訳してしまうところがありますので、念のために、あらかじめ弁解しておきます。

私は、コメント欄(NO38,NO46…)において、一度たりとも、「親の社会的責任を問え」などとは申しておりません。これは、意図的にそのように言っていないのであって、冷静に文書を見ていただければ、そんな主張はしてないことは読み取っていただけるはずです。


さらに念のため言っておくと、責任があることと、責任を問うことは別問題です。たとえば、人類は環境を保護する社会的義務を負っている、というテーゼを是認したからといって、電気を無駄遣いした私やあなたが、具体的に社会的制裁を科されなければならない、わけではないでしょう。

すみません。NO149に誤植です。


他方、ここのコメント欄で、袋叩きにしている方々の言う「社会的責任」とは、「親が、被害者および、社会に動揺を与えたことに対する道義的責任」(仮にBとする)という意味で使っているのではないでしょうか。

です。失礼しましたー。m(_ _)m

>No.149 SONIC.さん

「責任がある」とは「立場上当然負わなければならない任務や義務」であり、「その任務・義務を怠った場合に罰を受ける,責められる」話と切り離して考えることは一般的には困難です。

誤解を招きたくなければ「社会的責任」ではなくて「社会問題」等の言葉に置き換えればしっくりくるのでは?

>103 ぼつでおK 様

一会社員です。おそるおそる書き込みます。
報道のあり方において大いに同意いたします。
10年以上になりますが当時「報道被害」やら「冤罪」「「実名報道」などについて何冊か本を読んでいたことを思い出しました。

ぼつでおk様の仰っていただいた中で、私が思うに、警察の発表や記者会見の中で「?」と思うことがあったならば、それこそいえ、その時にこそマスコミの出番だと思うのです。公の権力に対してメスを入れられるのがマスコミであると認識しています。
決して、容疑者の家族などにこぞって意見を求め、垂れ流しにすることが報道ではないと常々思っておりました。
たとえば、「今回の事件に関しては国会議員の○○氏が関与しているので記者会見ではなるべくその件に触れないように」とのお達しが出た際に、それを敏感に嗅ぎ「実はあの事件は○○議員の関与があったのだ!」というのがスクープだと思います。
「あの事件の容疑者は実は幼い頃虐待を受けていた!(あくまで例示です)」というのはスクープではないと思っています。

何を言いたいのか自分でもわからなくなりそうです。
マスコミとは。について一言意見させていただきたくなった次第でした。
特にぼつでおk様を名指しすることもなかったかもしれません。
失礼いたしました。

ググってみたらこんな記事が
http://aoiki.sunnyday.jp/cgi/LEAF/2006/08/post_89.html

昔から子供の性格には育て方が一番影響すると言われてきましたが、最近の研究では、人の性格の形成に影響するのは、遺伝子の影響が5割、親の影響が1割、周囲の環境が4割なんだとか。

 私は親の影響と周囲の環境がそれぞれ25%と言う話も聞いたことがあります。まあ、そもそも数値化するのこと自体無理がありますし、通説的見解もないようですが。
 ただ、「遺伝的要因」と「環境的要因」のいずれがより大きな影響を与えるかについては、どちらが主でどちらが従というような関係ではなく、遺伝的要因と環境的要因が互いに作用し合い、形成されていく(すなわちあえて数値化するなら50:50)とするのが通説的見解のようです。

>>No.152 ドーケイさん
私も匿名HNでないとものも言えない小心な年寄りです。

スクープとはまさにご教示くださったとおりであると私も思いました。ありがとうございます。

 ROM宣言していた手前、わざわざ出てくる必要もないかと思ったのですが、疑問点が残っているようなので、たぶんこういうことだろうという推測を書きます。

 http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=1079

 にあるとおり、この「会見」なるものは、両親の側から県政記者室(青森県庁記者クラブ)に申し出があったのだということです。これを報じなければ、「話したいというのを意図的に無視した」ことにもなりかねないため、放映するなり記事を載せるなりするのは当然でしょう。

 地方県庁の記者クラブは、新聞(地元紙・ブロック紙・全国紙・通信社)とテレビ(NHK、地元局の報道局)が加盟して構成されているのが普通です。当日はこれに、キー局(東京)の報道局やワイドショー制作会社、雑誌などもいたかもしれません(いない可能性もあり)。

 テレビ映像を見る限り、1人の記者が代表インタビューをしています。通常は県庁クラブの幹事社(多くの場合、加盟各社の月替わりの持ち回り)の県庁回り記者が当たるのですが、今回はマイクをまとめたものを持っていることから、加盟テレビ局の中から代表者を選んだのかもしれません(新聞記者はテレビフォーマットのインタビューに慣れていないので、新聞側、テレビ側双方がいやがる)。

 質問の内容ですが、通常であれば、まず親の側の自由な意見表明を聞いた後、可能であれば最近の子ども(容疑者)の様子をどこまで知っているか、何か気づいたことはないか、両親の元にいるころはどんな子どもだったのか、などのことを尋ねるというのが普通の手順です。(後半の質問は、あくまで可能であればであり、答えたがらなければ無理強いする必要なし)

  このエントリーで話題になっている質問の内容、とりわけ「両親の社会的責任」ですが、皆さんご指摘の通り意味不明でありまして、単純に質問した記者が未熟だったのだろうと思います。実際、朝日・読売・共同の記事は、そこをきれいに無視しています(意味がないから当然です)。これが普通でありまして、彼らとしては、代表者の質問を横で聞いていて頭を抱えたのではないでしょうか。質問者はかなり若手のようでしたから、緊張して自分が何を聞いているかわからなくなってしまったのかもしれません。そんな問答をそのまま掲載してしまった毎日の記事は、私には意図がよくわかりません。

 それでも新聞は記事上で調整可能だからいいですが、テレビの場合はこの困った映像をそのまま使うしかないわけで、同業者としてはテレビの担当者には内心やや同情しています。

 ですので、「何の資格があって社会的責任などを問うのか」という質問に対しては、「質問者が未熟で舞い上がっていたから」が答えだろうと推測します。本当にお粗末なことではありますが、個人的にはこれが一番ありえそうだと考えています。

 以上が経験から考えられる推測で、そんなに外れていないと思います。これ以上細かい点は、現場にいた人間に聞いてみないとわかりません。

>NO151 カツビンさん。
なんだか、あんまり突っ込んでゆくと、言葉遊びみたいになっちゃうんで好きではないのですが、

一応、辞書(新明解)で「責任」を調べてみたところ、たしかに、カツビンさんのおっしゃるのと似たような感じで

 崋分の分担として、それだけはしなければならない・任務・負担」と
◆嵒垠覯漫失敗に基づく損失や制裁」
が書かれてありますが、しかし、

これは、並列的に書かれてありますから、分離不可能という意味を含まないと思います。
一応、辞書的にはそういうことらしいです。


だとしても、「お前は一般的ではない」といわれると、「すみません」と言って、口をつぐむしか仕方ないわけですが…。


もともと、あまのじゃくだからこそ、ちょっと違う視点でコメントさせてもらったわけですしね(笑。


ーーーーーーーー
それから、
>No.67 fuka_fuka様
以前のコメントで、先生のハンドルネームを間違って書いてしまったみたいで…、すみません。モトケン先生、ですねm(_ _)m。ご指摘ありがとうございました。

>No.155 Plein soleilさん

 すごく納得しました。

もうしわけない、通りすがりっぽい書きすてみたいなコメントになるかもしれませんが一言だけ書かせてもらいます。

>151 SONICさま
私のように実体験として身内が自殺したしかも前日に話をしていながら気づかずに止められなかった人間にしてみれば、SONICさまのご意見は、「(お前含めて社会には)止められなかった責任があるんだ、社会として止められるようにするために検証に協力しろ」と他人に言われ続けられても仕方が無いということになります。こんな責任は自問自答で一生ついて回ります、赤の他人に言われなくてもずっと忘れやしません。でも赤の他人やマスコミにそう言われ続けたら、心壊れますよ、いやまじめに。
このブログの大勢の方がいっているのは、「止められなかったかを検証するにあたりマスコミの報道は全く持って役に立たないし、他人が責任を問いただしても誰も救われないし、今回は犯人の両親を傷つけるだけで何の役にもたたない」ということだと思います。
 

>>No.155 Plein soleilさん
一点だけ(笑)。

>テレビの場合はこの困った映像をそのまま使うしかない

これはテレビ局自身の報道倫理問題だと思います。映像を使うも使わないも完全に自己責任ですからね(笑)。

>No.155 Plein soleil 様

この厳しいムードのエントリに、勇気をふるってよくぞお越し下さいました。

記者会見の背景事情を丁寧に解説下さいましたように、代表インタビューのテレビ記者が未熟、というのは報道された毎日の記事や、テレビ放映されたビデオ画像からそれなりに感じており、さもありなんと思う次第です。

ただ、ここから先は少々厳しいことを言わせて頂きますが、取材先から集められた生原稿や生ビデオを、どのように加工編集して紙面なり電波に載せるのかは、その報道会社の裁量、すなわち「編集権」ではありませんか? そして先日のNHK番組の最高裁判決でも、こうした「編集権」というものをかなり広範囲に認めていると思います。

現場から送稿されてきた生のビデオを、テレビ局がどのように編集するか、どのシーンをカットして何十秒の映像にまとめるのか、それが報道機関の存在意義でしょう。電波に載せるべき部分と載せるべきではない部分を編集によって選別することを放棄して、現場から茶の間に「垂れ流す」だけの番組を「報道」とは呼びたくありません。

確かにライブ中継のテレビ局にとって、編集という作業は至難かもしれません。ですが不可能ではないはずです。現場から送られてくる映像をモニターしているキー局のディレクターなり、キャスターなりが「これは不適切」と判断すると同時に映像や音声をアウトして、スタジオからキャスターなどが臨機応変に割って入れば良い。プロジャーナリストであるならば不可能ではないはずです。

ディレイタイムの取れる新聞だから編集可能だが、テレビには酷な要求だという論旨には、電波媒体はライブ中継こそ存在価値があり、深く掘り下げて伝えるには元々不向きな媒体だから仕方ない、とする安易さが感じられます。

私からすれば、事情は理解するがもう一努力が足りない。その一努力を惜しまない姿勢こそジャーナリズムではなかろうか、そのように思います。

Plein soleil 様からすれば大変に厳しい意見に感じられると思いますが、私個人は「報道」であるのか、それとも「垂れ流し」であるのか、このように「編集作業」の良し悪しをもって評価しております。

 参考までに、匿名の体験談です。
 精神病棟にある青年がいました。気分のいいときはとても愉快そうで、「ここは、わしんち(自分の家)じゃ。」とも言っていました。
 会話の中で、凍死しかけたことがあると言うので、場所を尋ねると。友人の家の玄関先と答えました。
 医師に、精神分裂病だと言われた、と言っていたかもしれません。少なくとも自分が精神的に問題があり病院にいるという自覚はあるらしく、さらに原因について、「いじめ」だと客観的に話していましたが、愁訴して積極的に内容を話すようなことはありませんでした。
 ある夜、発作を起こしたような状態になり、両手で突き立てた指を前方に突き出し、必死の形相で悪魔払いの儀式を繰り返していました。
 当直の医師が飛び込んできましたが、身動きも出来ないような精神的ダメージを受け、直ちに注射をうち看護したのは、儀式の標的にされた呪文を向けられた別の青年患者でした。
 彼も自衛隊員でいじめにあい、おかしくなったと自分のことを客観的に話していましたが、目が虚ろで動作もゆるやか、日常の活動機能自体が大幅に低下しているようでした。
 しかし、体操をするときなどは、自衛隊の訓練を思わせるような機敏な動きをすることもありました。
 ちょっとした会話の中でも、被害的な怯えをうかがわせたり、それにつけて不信感にも過敏になっていたようです。
 呪文をかけた青年の面会に来た両親、特に母親は、病気ではない問題がないと、周囲に説明していました。そう信じ込んでいる様子に、さらなる問題の根深さを感じさせられました。

 彼らが他害事件を起こすとは思えず、周囲もある程度接すれば普通でないことを察知できると思いましたが、面白半分にでも、空気を入れて操れば、暴走し文字通り凶器にもなりなかねない可能性はあるような気もしました。

 なお、3人で雑談をしていたときに、問題が起こったのですが、きっかけも分からないぐらい、突然でした。呪文をかけた方に目が奪われ、攻撃を受けた(そう感じた)側がいたのも、医師の措置に気づくまで気がつきませんでした。

>No.149 SONIC.さん

社会的責任Aは自分の心に秘めるものであって、他者から指摘されるものではないと思います。

>No.155 Plein soleilさん

事情は飲み込めましたが、「両親の社会的責任」は無意味な質問だと放映したテレビ局(見ていませんけど放映したなら)が表明しなければ、「こんな時は両親の社会的責任を追及してもいいんだな」というメッセージも視聴者に送られることでしょう。こういう積み重ねがモンスターなんたらの発生母地になっているような気がします。

No.161の補足
 呪文をかけた青年は、夜中に急患で運び込まれたものであったと思います。昏倒したみたいです。
 夜中に騒々しいことがあって、翌日には、明るい見知らぬ青年の姿があったのです。
 そして、呪文騒動で、あの夜中の騒々しさの原因が理解できました。
 昏倒しなければ、親は体面を重んじ、精神科に連れてくることはなかったと思いますが、あくまで現実の受け入れを拒絶しているように見えました。
 改めて思い出すと、おぼろげな周辺が蘇ってきました。
 どうも自分の記憶の片隅に、このようなことがあり、事件の報道を見ていて、オーバーラップするところがあったのかもしれません。

 白状しますと私はテキスト系(新聞・通信社・出版)の人間でありまして、テレビの細かい内情まではよく知りません。

 なので、テレビを弁護する意志は全然ないし、弁護しようにも所々でツボを外してしまうでしょう。そのうえで、あえて想像してみますと、新聞をはじめとするテキストメディアに対して、テレビが持つ特徴は間違いなく「動く映像」です。動画こそが彼らの生命線なのですね。ですので、映像があるにもかかわらず放映しないという発想は、テレビの現場ではたぶん持ち得ないのだろうと思います。

 いや、それをしたら英断だと私も思うのですよ。ただ、そんなことはまずあり得ないだろうというのが、テレビの人たちをそれなりの期間、横目で見てきた実感です。

>No.164 Plein soleil 様

私の先のコメントは、日頃胸にある報道に対する自分の「哲学」を表明しただけです。Plein soleil 様など、日頃から報道機関の一線で駆けずり回っておられる方々を、非難する意図はありません。報道と垂れ流しと峻別できない社会風潮に対する苛立ちの感情吐露なのかもしれません。
是非とも貴重な内側からのお話しを、引続き投稿して頂きたく存じます。

追伸、「動く映像」を敢えて捨てる勇気のあるテレビ局が出現したら、それが有料放送であっても私は料金を払って見るでしょう。

>>No.164 Plein soleilさん
の御文章にはさすがプロの鍛錬と洗練を見せられる思いです。
今回の謝罪会見記事を写真無しで書いていただきたかったです(笑)、いやホントです。

最近の記者の文章は飾りばかりで中身が無く、まるでTV報道映像だけを見ての感想文みたいです。5W1Hを満たさない、いわゆる自ら取材しない印象記事かと。
これは新聞がTVと変に張り合うことで新聞報道の本質を自ら見失っているように思えるのですが、雀の勘違い(笑)でしょうか?

>追伸、「動く映像」を敢えて捨てる勇気のあるテレビ局が出現したら、それが有料放送であっても私は料金を払って見るでしょう。

 動く映像に限らず、敢えて捨てる、というところに引っかかりがありますね。
 法務業の末席さんは、常連さんなので、私のこともある程度ご存知だと思います。そして、社会保険労務士ということも数ヶ月前に知りました。
 ひっかかり、というのはメディアの問題なので直接関わりはありませんが、自分は、ご紹介してきた事件で、被害者の労災認定を真剣に考え、実際、労働基準局(こんな名称でしたか)に行って、直談判したこともあります。
 偉そうな人が相手でしたが、当時の私の勢いから、未知との遭遇で、仰天していたみたいです。
 さらに、法務局の人権擁護のところに行って、相談したこともあるのですが、確かいずれも、裁判所の司法判断が出ている以上、関わりは持てないようなことを言われました。
 個人的に意見を言ったり、回答を求めるつもりはないのですが、そのような観点からも、自分が情報発信している問題を考えて頂ければと、思います。

 別に、

「動く映像」を敢えて捨てる

NHKはやりましたよ、優勝した荒川静香が日本国旗を持って滑るところをカットして体育館の天井を・・・ネトウヨが大騒ぎ、だそうで。
スレ汚しみたいですけど、方向違いでもそう言うことは時々起きている。

担当者のばらつき?とは思うのですけどねえ。

No.167の補足訂正
 労働基準監督署という名称だったかもしれません。現在は変わっているのかもしれません。
 具体的には金沢市新神田にあるお役所です。
 法務局はもっと新しい建物で、金沢市西念にあります。
 ついでになりますが、舛添大臣が、日雇い派遣を禁止する法改正を行うような発表をしたようです。先ほどZEROでやってました。
 これも事件の功罪のようなものかと思われますが、対応がずいぶん早かったようです。

ものすごいコメント数でついて行くのが難しくなってますね...。

>No.103 ぼつでおk(医)さん
心情は良く理解できます。
Plein soleil様のわかりやすいご説明をいただいているので取材に関してはある程度理解しやすいと思いますが、僕は映像・写真を一目見て、パパラッチ的取材であったようには思いませんでした。正体である程度引きがあり全身が撮れ照明も準備済みという状態の撮影でしたので、事前に取材対象者の協力をそれなりに得て奇麗に囲んで撮影しているものだと判断しました。立ち位置も決めてあるように見えました。モザイク処理に関しても打ち合わせたものではないかと考えました。このあたりは確かに見る人間で少し差が出ているような感じがします。しかし、取材に応じなくてはならないようにしむけられた可能性はありますが映像等では不明です。パパラッチ的報道とは複数社が集まる状態の取材では特ダネには結びつかないため一致しないと思います。
また、プライバシー侵害を含むパパラッチ的な行為はテレビや新聞よりwebの方が問題として大きいという現実からして、そちらを放置し語るには少し無理があると思います。

>No.160 法務業の末席さん
編集作業に関しては僕は垂れ流しこそ求める部分があります。編集作業つまりツマムという行為は歪曲に繋がる場合が大半です。加工編集する必要性は尺や紙面面積の問題から、つまり器から生まれたものであり制約の低いwebメディアがある現状にいたっては無意味で負荷にしかなっておらず需要に反しています。ですので求めることに意味があまりないのではないかと思っています。ただし、需要を意識するべきではない公営放送のNHKは批判するべきです。

ここからは僕自身の主張ですが、
現実の情報に対する需要はそんなに美しいものではなく人間の知りたい欲からくるものであり、その需要に応えることで成り立っている民間企業に対しては致し方なく、消費者の鏡であることと同時にどう現テレビや新聞の報道が改善されようと他所でなくなることではないことであることも無視しない方が良いと思います。既に少年犯罪等の場合本人写真の公開等web上の方が明らかに酷い状況です。しかしそれを求める消費者の方こそ酷い。
このどうしようもないことに対して議論するよりも
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080613/crm0806132000037-n1.htm
のようなことが起きることの方が気がかりです。

>No.170 普通の人さん

編集作業に関しては僕は垂れ流しこそ求める部分があります。編集作業つまりツマムという行為は歪曲に繋がる場合が大半です。

私とは「報道」についての評価基準が全く異なるようです。「報道とは何か」という定義づけが、普通の人様と私とでは違っています。

私の言う「報道」とは、報道機関が取材した「生の情報」を、社会にどの情報をどのように表現して伝えたいのかという、報道機関の「独自意志による加工」をした上で、社会に情報を再送信する行為です。再送信する情報を選別して表現を加工する行為が「編集」であり、編集の行なわれない情報発信を私は「報道」とは定義しません。

例えて言えば、生のままでは食べにくい食材を調理して味付けや盛りつけを工夫し、食べやすい料理として提供するのが飲食店、これと同じです。料理人の腕の振るい方がジャーナリストがする編集の腕の振るい方、私はこのように考えております。

ですので普通の人様が言われる「編集加工は需要に反する」という考え方は、報道や報道機関の不要論、或いはジャーナリズムの否定論であって、私とは相容れません。これは議論以前の出発点の違いですので、お互いの主張が交わることは無いと思います。

私の最初の疑問、「何故両親にインタビューをするかわからない」は、理解できました。
父親のほうから謝罪会見を申し出たのですね。

私が察するに、このお父さんの考えた『親の社会的責任』が、自らの『謝罪会見』であったのだろうと思います。
『息子の起こした大事件』に親自ら向き合い、父親の考え抜いた『親の社会的責任』が、この『謝罪会見』だったのでしょう。親としてのけじめをつけるべく姿勢をこの謝罪会見を通して断腸の思いで、社会に見せた姿勢なのだと思います。
きっかけは、「マスコミが押しかけて近所迷惑になるから両親が会見した(会見すれば帰ってくれるだろう)」なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。
いずれにせよ、決断されたのは加害者のお父さんなのです。

ただ、記者の「(あなた達には)事件を防げなかったのか」や「(あなた達の)社会的責任」などの質問をしたとで、受身的な視聴者や読者が、(その両親が責められている様子を見て)「やはやり親も悪い。親にも責任がある。」と(謝罪会見を見た為に)脊髄反射してしまった人も多数いるのではないでしょうか。

No.142 感熱紙(モバイル)さんが、はっきり仰っているように 「両親が報道機関を通じて謝罪を望むのであれば、それを報道することも必要でしょう。しかし、マスコミはそれを淡々と報道すれば良いのであり、社会正義を気取ってまだ明らかになっていない「親の社会的責任」を詰問する資格など彼らには存在しない」なのだと思います。

私の感じる問題点は、記者の質問の仕方や姿勢であり、そして更に、今回の会見をきっかけに 今後、加害者の両親が『謝罪記者会見』を開くのが当然といった風潮になることを危惧しています。

このニュースは「何月何日被疑者の両親が被害者に対して謝罪する会見を青森県の自宅前に集まった報道陣に対し行った」とだけ書けば、それ以上の情報はまったく必要ないと思うし、映像の必要性は全く感じないばかりか肖像権の侵害問題さえ含む行為と思います。テレビもアナウンサーが同文をしゃべるだけで報道として必要十分でしょう。映像には前述の問題があるでしょう。

No.173 ぼつでおk(医)さん
はじめまして。(と改めて挨拶させていただくのは、ROMしていた頃からのファンでしたので。w )

それはさておき、『このニュースは「何月何日被疑者の両親が被害者に対して謝罪する会見を青森県の自宅前に集まった報道陣に対し行った」とだけ書けば、それ以上の情報はまったく必要ないと思う』 は私も強く同感です。

 毎日に以下のようなニュースがありました。

 「中学までは幸せ」…加藤容疑者

 子供が大きくなってから中学まで幸せと思えるような子育てというのは、子育てとしてはかなりましな部類に入るような気がするのですが。
 少なくとも劣悪とは言いがたい。

最近のマスコミの特徴は、「事実」と「意見」を混同して報道するところだと思っています。
>「何月何日被疑者の両親が被害者に対して謝罪する会見を青森県の自宅前に集まった報道陣に対し行った」
上記は、「事実」だと思います。しかし、実際には、これに報道する側の「意見」が入ってしまうために、様々な反応がでるのだと思っています。

私の個人的な見解なのですが、新聞の場合、「意見」は「社説」で十分。記事は「事実」を中心に組み立ててもらいたいと思っています。また、今日もテレビのワイドショーでやっていましたが、すぐ「類型化する」(○○世代」のも、疑問を感じています。

>No.176 Feriさん

類型化といえば、今回の犯人が酒鬼薔薇や西鉄バスジャックと同い年だからといって一からげにした世代論には開いた口がふさがりませんでした。

十年一日の型にはまった報道のシャワーが本当に苦痛です。「沈痛な表情」「変わり果てた姿」「心の闇」といった決まり文句は使用禁止にしてもらえないでしょうか。

Plein soleil様
報道関係者側からの貴重なご意見をありがとうございます。

確かに、代表質問をしていた方は、若そうな人でしたので、そういうこともあるんだ、と納得できます。
しかし、No.162 元ライダー様も仰っておられるように、代表者の質問の不適切な表現に対して、その映像を流したTV局には、何らかの修正コメント等を、放映後でもいいですから付け加える事ぐらいはすべきであったのではないでしょうか。
(すみません、かなり遅れた反応となってしまいました。)

先ほどフジテレビのプレミアAという番組内で、事件で亡くなった大学二年生の男性の父親のインタビューが放送されました。
その中で「容疑者が現れたらどうされますか?」というような質問が記者からされて、ご遺族である父親が「絞め殺すが、殴り殺したい」というような旨のコメントをされていました。

被害者遺族が自身の思いとして「この手で・・・」と語るのはわかります。が、記者が、番組が「容疑者が現れたら・・・」なんて質問をするのはどうなんでしょう。

 プレミアA、私も観ました。とてもおとなしそうなお父さんで、前の報道では控えめな受け答えをインタビューでしていただけに、意外でした。
 事前のリハーサルのようなものがあり、ご本人のご意向を汲んだとも考えられます。

メディアは自分たちの期待した答えをしてくれる人からコメントを取る、また特に「街角インタヴュー」の場合、自分たちの期待(台本といってもいいでしょう)に沿った答えだけを抜き出して報道する傾向があるように思います。

>No.181 通行人1さん
それを責めるのは酷だと思います。
程度問題ではありますが、例えばこの事件について街録インタビューを行って「いや、オレ関係ねえし」みたいなコメントが多数を占めたとして、それを真っ正直にニュースで流す意味があるかと言えば、そうではないでしょう。
年金特別便の不手際を報じるニュースで、その事象を敢えてニュース化する意図とずれていたり、真っ向「そんなのニュースにする値打ちないじゃん?」的コメントが寄せられたとしても、それは使わないでしょう。ニュース化する意図がぼやけちゃいますから。

しかし、No.179 ひとり選考委員会さん ご紹介のような「報道」は・・・
一種のルーチン取材なんでしょうけど・・・

No.182 惰眠さま

レスありがとうございます。
私は逆に「オレ関係ないし」が大勢を占めたら、放送する価値があると思います。
以下のたとえは不適切かも知れません。すみません。
星一徹のトレードマークである「卓袱台返し」は実は一回しか行われていなかったのですが、アニメの最後でスタッフ紹介の字幕のバックで使われていたために、視聴者には毎回行われていたような印象を与えてしまいました。
企業などの謝罪会見でも、頭を下げた瞬間にものすごいストロボのシャワーが当たりますが、頭を下げたのが一回だけでも、写真を見たら「頭を下げっぱなし」だったような印象を受けます。
心理学のテストで「明らかに間違っている答え」でも、前の10人のサクラが「正しい」と言い続けると11人目の被験者は「間違っている」と言えなくなる、という話を聞いたこともあります。(しかし、前の10人のうち1人でも「間違い」と言えば被験者も安心して「間違っている」と返事できた、と言います)
町の声が、「別に・・」というものが多ければ、その通り報道するのが筋だと私は思います。報道する側はある種「絵になる」答えを期待しているのかも知れませんが、彼らがそこで自分たちの期待する答えを選んで報道することは、編集側の世論誘導であり、あとで「世論誘導」を批判されたときの「(俺が言ったんじゃないよ、町の人の声だよという)逃げ道」であるように思えるのです。
また、私はコメントする「識者」の人選などに往々にして「編集側の意図」を感じますし、メディア側に「私たちは不偏不党中立です(でもこう考えている人がいます、こう思っている人は多いです)」みたいな顔をされると、「何か変だな」と思ってしまうのです。

>No.183 通行人1さん

逆に「オレ関係ないし」が大勢を占めたら放送する価値がある

私も同感です。同感ですが、その場合にはニュースの立て方が別のものになると思います。

つまり、事件の被害者を悼む原稿を書くのであれば、街頭で集めた声のうち採用するのはその記事に沿ったもの(追悼の声)になりますし、仰るような「オレ関係ないし」に基づいてニュースを書くのであれば、その視点は「無関心」を・・・いわば槍玉に挙げるような形になるでしょう。
目の前で生死に関わる傷を負って苦しんでいる人がいるのに・・・のような。
実際、この通り魔事件に関連して、そういう記事も(街録で音声が取れるか否かは別にして)成り立つと思います。

そもそも論に立ち返ってしまうと、ニュースにしろ新聞記事にしろ、それが原稿化されるということは、その時点で既に「これは報道するに値する出来事だ」との価値判断(ニュースバリューの判断)が下されているわけですから、純然たるニュートラルは存在しないと言い切っていいと思います。

これも、程度の問題ではないでしょうか。流石に、存在しない「事実」をフレームアップされたり、極々一部にしか存在しないようなマイナー中のマイナーな「意見」を、それが全体的傾向であるかのように流されたのではたまったものではありませんが、ニュースはアンケート調査とは別物なので、私は取捨選択が行われるのはむしろ自然だと思います。

なお余談ながら、極々一部にしか存在しないようなマイナー中のマイナーな「意見」(実際、そんな「意見」があったのかさえ疑わしい)に基づいたニュース報道の実例を私は知っています(笑)。
それはプロ野球でバファローズの存廃を巡って選手会が「ストライキも辞さず」としていたときのこと。在京6社のテレビ局の中で唯一日本テレビだけが昼ニュースで『ファンを無視しているとの声もでている』として選手会を批判するニュースを流していました。
尤も、そのニュースのオソマツなところは街頭インタビューに応じた誰一人として「ファンを無視」として選手会批判をしてなどいなかったことでしょうか。

No.184 惰眠さま

ニュースにしろ新聞記事にしろ、それが原稿化されるということは、その時点で既に「これは報道するに値する出来事だ」との価値判断(ニュースバリューの判断)が下されているわけですから、純然たるニュートラルは存在しないと言い切っていいと思います。

仰るとおりです。カーの「歴史とは何か」にもそのようなお話がありました。
私も、全てのニュースに送り手側の「恣意的な」フレームアップが行われている、とは思いません。ただ、良く言われるように、A新聞(これはあくまでAであってどこかの新聞の頭文字ではありません、念のため)は、この問題について全く触れないのに、B新聞は一面でガンガン書いている、なんてことが起きると、頭の中が?だらけになることがあります。
このごろ日曜日の朝の「報道」番組でも、情緒的に訴えて世論誘導をしようとするようなコーナーがあって、先日不覚にもch.をあわせてしまった私はちょっとイライラしてしまいました。勝手に「風」を作るな!って。ハイ、ご明察の通り「あの」番組です(^^;

ちなみに私は以前、恥ずかしながら「やらせ」に協力したことがあります。
サッカーのワールドカップが日韓で開催されたとき、某テレビ局のお願いでタイガースのハッピを着て日本チームを応援するところを撮らせてあげました。ニュースを見たサッカーファンからネットで非難されましたが、お祭り、ということで大目に見ていただきました。
余談ですが、バファローズは本当に気の毒でした。友人にバファローズファンがいるので、ファンを無視した「連盟や親会社」には今でも怒りを感じます。ホークスは後継球団があるのに、バファローズは吸収合併ですものね。個人的には岡本太郎画伯デザインのエンブレムがなくなったのも残念に思っています。
日テレは「報道機関」としてより「球団の関係会社」としての立場を優先させたのでしょうね(^o^)

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