秋葉原殺傷:加藤容疑者の両親が謝罪 母は泣き崩れ(毎日新聞 2008年6月10日 21時36分(最終更新 6月10日 22時16分))
午後7時20分、住民や報道陣ら約100人が囲むなか、両親はタクシーで帰宅。玄関前で会見に臨んだ。
両親が自ら会見したかのような書きっぷりだが、どうなんだろう?
記者団から「事件を防げなかったのか」などの質問が出たが、
この質問をした記者は、いったいどのような答えを期待していたのだろうか?
社会的責任を問われると
この記者は、誰のどのような社会的責任を問うたのか?
犯人に対する憎悪の念は抑えがたいものがあるが、この記事には腹立たしいものを感じる。
毎日の傲岸不遜さが明瞭だが、産経も写真を掲載する必要があったのか。
まったく同感です。
他に何を聞くべきかわからないんでしょうね。
そもそも何故両親にインタビューをするかも分からないんじゃないんでしょうか。
とても口に出せない理由でしょうが。
野蛮な国だなあ、と思わずにいられません。
私も同感です。
秋葉原通り魔事件の別スレでは、なんとも言いようもなく、コメントは控えていたのですが、子を持つ親の立場として、親御さんのご心中を心配していたのですが、(大きなお世話だと思いますが・・)
>誰のどのような社会的責任を問うたのか
これはホントに何なんでしょうか?
記事の書き方に憤りを感じてなりません。
悲しいかな、心配していた予想通り(?)の展開になっており、まだまだ、社会いや、マスコミの姿勢かな?がこれではな、と感じます。
これは本当に腹立つ記事ですね。
プロとしての矜持が感じられません。
異感に感じるところがあります(こんな日本語はないかと思いますが誤字ではないです)。
とだけ、今回はコメントさせておいて頂きます。
けっして、ご両親を無批判にせめるつもりはなく、以前、幼女連続殺人の宮崎被告の父親が自殺したような事態は、厳に避けるべきではあります。
さらにいえば、二度と起こってほしくないという被害者遺族のお言葉からしても、社会全体の親が向き合い考えるべきテーマかと思えます。
先ほど私もこの記事を読みました。
親として泣き崩れて土下座する以外に何が出来るのでしょうか。本当に憂鬱になる報道(ヨタ記事?)だと思います。
今回の事件では発生から2日も経つのに、珍しくこうした「ご家族のお詫び記者会見」が記事にならず、悲惨さの中に僅かな和みを覚えていた気分が一気に醒めました。
エェイッ、気分が悪い!
知る権利、報道の責務、言論の自由、そうした能書きの前に「人倫」を知るべし!
No.6の補足
厳に戒め、避けなければならない
ですね。
言うはやすしで、あることも承知しています。
各社の報道を追記しました。
しかし、
仮にこの親御さんが
「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えたとしたらどうでしょうか?
記事を非難する前に、なんという非常識な親だと、両親の方に怒りを向けるのではないのでしょうか。
逆に言えば、(少なくとも毎日新聞の想定した)読者はこの記事を読み、これこそ日本の親の正しいあり方だと確認し、安心を得ているのでしょう。
比較して見たところ、朝日の記事が一番質が悪そうです。朝日テレビの報道ステーションは概ね、違和感はない感じなんですけど。ごとき、なのかもしれませんが。
>>No.9 モトケン先生
全社の記事を読み比べて見ました。
マスコミにとって皮肉なことに毎日の報道が一番詳しいため、却って親への謝罪会見を求めた全マスコミの人倫に悖る知る権利の濫用ぶりが明らかになっていますね。
グアムの裁判所が日本のマスコミの取材ぶりを見てパパラッチにならないようにと釘を刺したのですが、なにも理解できていないのでしょう。
結局このようなマスコミしかわが国民は持たないわけですが、マスコミは選挙や国家試験で選ばれるわけではありませんから、国民にはなんらパパラッチ報道の責任はなく、すべての責任はマスコミ自身にあると思います。職業倫理の自覚の問題だと思いますね。
ぼつでおk 様
簡単に。
マスコミには選挙も国家試験もありませんが、その代わり視聴率や購読数による国民の評価があります。
国民がいかなる報道を選ぶか、完全に国民の自由です。
であれば、当然そこには責任が発生します。
とは言ってもその責任は一方的なものではなく、スパイラルの関係にあると思います。
国民が質の悪い報道を視聴率、購読数によって評価する。
↓
マスコミが評価を得るため質の悪い報道を繰り返す
↓
上に戻る。
こういった流れにあると思います。
私は元記事のような報道は質の悪いものだと断じますが、問題はこのような報道を、当たり前のものとして受けとる国民が多数派を占めている事ではないでしょうか?
マスコミになぜこのような報道をするのかと聞けば、返ってくる答えは「視聴率」「読者の感心事」でしょう。
彼らはあらゆる問題に対してこれを答えにします。
加害者の家族に対する取材も「いいかげんにしてくれ」ですが、被害者の生前の様子を「そんなに詳しく報道しなくても・・・」という気もしています。
読者や視聴者は、そのようなものを望んでいるのでしょうか?
マスコミに対する目は、予想以上に厳しいみたいですね。参考になります。
No.2 ponさん が、『そもそも何故両親にインタビューをするかも分からないんじゃないんでしょうか。』と仰るように、実は私も、何故両親にインタビューをするかわからないでいます。
『社会的責任を問う』とは、親も犯罪を犯した成人した息子と運命共同体のような印象を受けます。
また、No.10 ponさん の言葉を引用させていただくと、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えられる社会に 日本がなってほしいと私個人的見解として感じております。
おはようございます
No.17 A.K.さんへ
>また、No.10 ponさん の言葉を引用させていただくと、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」
と答えられる社会に 日本がなってほしいと私個人的見解として感じております。
ただ、社会の責任という言葉を出すのであれば、もっとも近い社会は親となるわけで、犯罪を犯した以上、悪いのはその個人で周りが悪いわけではないと言う考えをもてるのかと考えてしまいます。
続投失礼いたします。上記No.17の補足 追記です。
加害者家族の方々にもいろいろな感じ方があり、もちろん、『息子の犯した罪は私どもの責任』と感じる方のほうが多いでしょう。
でも逆に、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」と感じる家族がいても、それを非難するのはおかしい気がするのです。でも現状、言える社会ではないですよね?
犯罪者の家族は罪を犯していません。それなのに、今の日本社会には『命共同体のような印象』にもっていこうとするマスコミの流れを感じます。
犯罪被害者遺族同様、犯罪加害者家族も、現状日本社会では、二次的被害者なのだと感じられるのですが。
皆様いかがでしょう。
続投失礼いたします。上記No.17の補足 追記です。
加害者家族の方々にもいろいろな感じ方があり、もちろん、『息子の犯した罪は私どもの責任』と感じる方のほうが多いでしょう。
でも逆に、「息子はもう成人なのだから私達には関係ありません。社会責任?そんなものはありません。」と感じる家族がいても、それを非難するのはおかしい気がするのです。でも現状、言える社会ではないですよね?
犯罪者の家族は罪を犯していません。それなのに、今の日本社会には『命共同体のような印象』にもっていこうとするマスコミの流れを感じます。
犯罪被害者遺族同様、犯罪加害者家族も、現状日本社会では、二次的被害者なのだと感じられるのですが。
皆様いかがでしょう。
コメントテスト
No.18 質問者さん のご意見もごもっともだと感じております。西洋と違って日本人の心には儒教的な考え方がありますよね。
ですからNo19で補足させていただきました。(ダブってしまったようで(汗 恐れ入りますが、管理人さん削除お願いします。)
『もっとも近い社会は親となるわけで、犯罪を犯した以上、悪いのはその個人で周りが悪いわけではないと言う考え』も受け入れられる社会にしてほしいと望むのですが、いかがでしょう?
古きよき文化は破壊されていくのに、子供の罪は親の責任、なんて「因習」は残っていくのでしょうか?
親の自殺と言えば、連合赤軍事件を思い出してしまいます。当時、私は中学生でしたが、社会科の先生が「親の気持ちもわかるが、あれは世間の厳しい目に耐えられなかったのだろう。成人の犯罪で親の責任を問うのは間違っているし、社会に原因を求めるのも間違っている。犯罪は起こした人間の責任だ」と仰ったことを思い出します。
マスコミは常に「正義の味方」でありたいから、少しでも「悪人(に近い人)」を探すのかも知れません。
神戸の地震の時も、「自然災害で自治体を悪者にはできないなぁ」なんて感じの時に「サリン事件」が起きたら、みんなそっちへ殺到しましたからね、神戸の人が「報道して欲しいことがいっぱいあんのに」とボヤイてました。
No.23 通行人1さん 『古きよき文化は破壊されていくのに、子供の罪は親の責任、なんて「因習」は残っていくのでしょうか?』
過不足無く同感です。
不快になって5秒でチャンネルを変えました。
冗談抜きで「家族連座制」導入の機運が高まってきそうで怖いです。
モトケン様の意見にまったく同感です。25歳になる成人
男性の親に「社会的責任」などを負わせる必要なんて
全くありません。親は子供を好きで殺人鬼に育てたわけではないのです。
親が謝罪という見出しも頭に来ます。謝罪すべきは容疑者であり、親は「大人」の容疑者の行為まで面倒を見なければならないのでしょうか?
被害者でもそうですが、彼らの生い立ちなどを知っても
何になるのでしょうか?やみくも「犯人は絶対死刑」という
暗示でもあたえたいのでしょうかね?
結論を言えば、親に責任を負わせるのなら、一度でも
いいから記者は報道での出来事での悲劇で
責任を負ってみろといいたいです。
モトケン様の意見にまったく同感です。25歳になる成人
男性の親に「社会的責任」などを負わせる必要なんて
全くありません。親は子供を好きで殺人鬼に育てたわけではないのです。
親が謝罪という見出しも頭に来ます。謝罪すべきは容疑者であり、親は「大人」の容疑者の行為まで面倒を見なければならないのでしょうか?
被害者でもそうですが、彼らの生い立ちなどを知っても
何になるのでしょうか?やみくも「犯人は絶対死刑」という
暗示でもあたえたいのでしょうかね?
結論を言えば、親に責任を負わせるのなら、一度でも
いいから記者は報道での出来事での悲劇で
責任を負ってみろといいたいです。
ご両親は、自ら進んで、会見を望まれたのでしょうかね?
報道機関が、報道スクラムを組んで、青森に押しかけたのではないかと邪推します。
玄関前に100人
何ですか、それ・・・って感じです。
報道のあり方が、日本の社会の心を惑わし
心を惑わされた人たちが、報道をニーズを作り
そして悪循環
自らは謝罪をしない業界が、他の人たちや業界の謝罪は、次と次と報道する・・・
そんな報道業界に、私個人的には、心底嫌気がさしています。
保護責任がある、未成年者や何らかの病気や障害をもつ人間の親ならまだしも、25歳の成人の起した犯罪に対して殺到するマスコミの姿にはいつもながらウンザリします。
謝罪会見で、ウッカリまずい言葉でも発してしまったら、凄い勢いで突っ込まれるのでしょうね。
犯罪は、犯した犯人が悪いし、それにいたった様々な要因があるのだと思います。それらを分析して、犯罪の防止に役立てるということには賛成しますが、マスコミが大挙して押しかけ、親の責任を追及している姿は、「イジメ」にしか見えません。
被害者やそのご家族の心情はお察しします。しかし、加害者の家族もこれから重い十字架を背負っていかなければならないのだと思います。それを必要以上に追い込むような会見を求めることは「遣りすぎ」だと思います。
私も正直、この事件に関するマスコミ報道は、観たくありません。
今、成人の年齢を引き下げようという議論がありますが、25歳で、かつ、親元を離れて自立している人にまで、親の責任を問うのは納得いきません。
もう一つ気になるのは、殺害状況の詳細な報道です。被害者のご家族からすれば、詳細な殺害状況を公表されるのは、快く思っていないと思うのですが、どうなのでしょうか。マスコミが、騒ぎを大きくして、模倣犯が出てきたら、どうやって責任をとるつもりなのか、疑問です。
私も「凶器のナイフ」やそれをどのように使ったか、まで知りたくありません。「規制されそうだから買っておこう」とか「こう使うのか!」とか「俺もやってみよう」なんてバカが出てきそうに思うからです。
ところで、最近、「被害者の人権」が話題になることも多くなってきましたが、まだまだ不十分かな?と思います。
今回の被害者についても、事件までに加害者と何らかの接点があったらその接点を報道することは必要かも知れません。でも、なんの接点もなく、たまたま現場を通りかかっただけなのに、PCが趣味だったとか、素敵な先輩だった、とか聞かされてもつらいだけ、というか「悲惨さ」を「盛り上げるため」に報道されているように思えるのです。今回の事件はともかく、この手の初期報道が裁判員に「予断」を与えてしまうのではないか?と不安に思います。少なくとも私は、この「(エモーショナルな)ワイドショー的報道」に影響されてしまうでしょうね。
北海道では本日朝刊より、毎日新聞のテレビ欄の活字が非常に大きいポイントに変わりました。
毎日新聞の想定する読者は、細かい活字で書いてある記事本文はあまり読まないが、テレビ欄は熱心に隅々まで読むという方々なのでしょう。
それならいっそ、テレビ欄だけ毎朝配って歩けばいいのではないでしょうか。
「ナイフが元凶は心外」 秋葉原殺傷で関の刃物業界が困惑
ここでも「自称ジャーナリスト」の不勉強の被害者が出ていますね。つまり、包丁も戦闘用ナイフも一緒くたにした中途半端な報道の被害者ってことです。ここの新聞は最初からちゃんと報道していたのでしょうか?それとも「ウチは公平に報道していますよ」というエクスキューズのための記事でしょうか?
でも、「非正規雇用」の問題が指摘されても、「非正規雇用」を規制する話は出ないでしょうね。「非正規雇用」推進者は社会的強者ですからね。
親の責任のあるなしが話題になっていますが、
日本的価値観だと、謝罪する=責任があるではないですよね。
私は両親の責任は感じていませんが、謝罪された方が気持ちはすっきりする。
しかしそれを高圧的に求めるマスコミには嫌悪を覚えます。
■秋葉原殺人犯の孤独と苦痛-今日のこの事件を数十年前から予言していたドラッカー氏に学ぶ?
こんにちは。私もこの事件についてブログに掲載しました。ただし、数十年前からこうした事件が起こることを予期していた、経営学の大家ドラッカー氏の見解などを補足する形になりました。ドラッカー氏はもう数年前になくなっていますが、その遺志をひきついで、「ドラッカー財団」が様々な活動を行っています。その財団が10年ほど前に「未来社会への変革」という書籍を出しています。この書籍には、都市の文明化ということで、各方面の人々が様々な意見を書き、いわば集合知のような英知のかたまりとなっています。まさに、アメリカの良心を代表するといっても過言ではありません。このなかには、今日あらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルようになっており、今回のような事件が多発すること、それに対する対処法に関しても書かれてあり、この10年間でアメリカも相当変わっています。無論、まだまだ至らないところもありますが、具体的な成果をあげつつあります。
ひるがえって日本では、都市の文明化ということにあまりにも注意が払われていないと思います。このままでは、いつまでも根本的な問題解決にならないと思います。ここに書くと長くなってしまいます。詳細は私のブログを是非ご覧になってください。
物事の外郭にとらわれ、憤慨し、正面から検証をしようとしないのは本質から目をそらし、臭いものに蓋をし、美談を好み、ごまかし、他人事にし、外野から的外れな野次を飛ばすようなようにしか見えない。現実はそんなに奇麗なものじゃない。このエントリーには全く同感できない。
「事件を防げなかったのか」また「親として予兆は感じたのか」等、知りたい素材です。「社会的責任を問われると」問うでしょう。親に対しても。現状はひとつでも、少しでも多く検証する素材が欲しい。社会的責任を感じない親に育てられたのかも知りたい。多少荒くとも、例え加害者家族が一生後ろ指をさされようと、自殺に繋がる可能性があれども躊躇せずに、今後同様の事件が起きないように、起こった場合対処が迅速にできるように、同じような親にならないように。成人したら親だとしても無関係?そういう次元の話ではなく、社会としてこの重大な事件・凶荒をしっかり検証しなくてはいけないのではないでしょうか?同様の手口・要因で事件が起こることはないということが言い切れるのでしょうか。余りにも他人事すぎるエントリーだと思います。
今後このような事件を防げるのか?今後このような事件が増加するのか?今の子供達に良い社会をどう築きどう残せるか。馬鹿げた話の転換を繰り返す、今の更年期の世代がもっとも欠けていた部分のツケが充満しつつあるような気がしてならないです。
>No.37 普通の人さん
皆さん今後のためにも検証が必要とは認識していると思います。
が、あのようなマスコミ攻勢で現実的に検証可能な意見を言える状況ではないことが明白であり、土下座シーンを流し溜飲を下げる意味以上に「意義」が現時点で親に詰め寄ることに見出せるのかということです。
私はマスコミが当事件の被害者を新たに作り上げたとの認識です。
すみません。気弱に、反対意見を(^^;
1.過剰な取材について。
私は、このような報道を見れて、少なくとも有益だと思いました。
凶悪犯罪の容疑者がどのような家庭に育ったのか?報道から伝わってきたのは、とても殺人犯人を育てるようには思えない(少なくとも表面上は)温和で、礼儀正しく、常識があるように見える、どこにでもいそうな親御さんではないですか。
それだけに、事件が、特殊な事例で済ませられるものではなく、社会構造に深くかかわるものなのではないか、と強く意識することができました。
戦争報道や交通事故報道と同じようなものでしょうか。報道規制をすべきというのは、事実に目を背けることになるような気がします。もちろん程度問題でしょうが、少なくとも、一度二度は親のインタビューを試みるのは特段おかしなことだとは思いません。
2.親の社会的責任について。
ここまで、ダークサイドに落ちてしまう前に救う機会は明らかに幾度も
存在し、その最後の防波堤は、家族によって担われるべきものではなかったか、と思います。
たしかに、法律上親には何も責任はないですが、かといって、「何の社会的責任もない」と堂々と明言できてしまうような、寒々しい社会は、親にとっては楽なのかもしれませんが、その負担を押し付けられ、他方で、何のフォローもされずに孤独に追い詰められている子どもを増やすだけではないでしょうか。
ちなみに、本記事は、「記者団」の質問であり、毎日新聞の記者が、このような質問をしたとは限らないと思います。詳細な記事を書いたため、かかる質問の存在が明らかになってますが、特定の新聞社の問題とはいえないと思います。
>No.37 カツビンさん
>皆さん今後のためにも検証が必要とは認識していると思います。
勿論最低ラインです。優先順位が無茶苦茶ならば例え正しい主張であろうが、的外れだと思います。
もう少し建設的なエントリー・記事・主張を望みます。
>検証可能な意見
とは意味がわかりません。当夫婦は検証の対象でしょう。
>土下座シーンを流し溜飲を下げる意味以上に「意義」が現時点で親に詰め寄ることに見出せるのかということです。
見出せるのかどうかの当事者は同じ国・社会で生活を営んでいる情報を受ける側の人間です。即ち僕達のような立場の個々人です。僕は前述するように素材として価値が0ではないと考えます。個々の事象や断片で結論を見出そうという、結果を急ぐ手法では十分な成果を得られないということがわかる人間であれば、どのような事象も決して完全に無駄ではないということがわかるのではないかと思います。建設的なご意見も伺いたい。どのような事象を検証すればこのような事件を防犯できるのでしょうか?どのような事象かがわからないのであれば所構わずたくさんの事象を調べるのがひとつの方法ではないでしょうか。じっとしているよりましでしょう。また、土下座は強制されたものではないのが事実のようです。
>私はマスコミが当事件の被害者を新たに作り上げたとの認識です。
被害の規模が違いすぎます。同列で論議しようとしないでください。当事件の被害者に対しても余りに惨い発言かとも思います。
>>No.36 普通の人さん
ここのモトケン先生のエントリーコメントをもう一度お読みになってください。
ここで論じられているのが何かがおわかりになると思います。
ちなみに、私は犯人の生育環境や親の教育がどうだったかという状況証拠を「調べる」のであれば、現段階では捜査機関がその作業にあたっており、マスコミには「捜査」する権限もなければ集めた情報を適確に分析する能力もないと思っております。
マスコミはなにゆえ警察の発表を待たないのでしょうか。
あるいは民間人へではなく警察へ取材攻勢をかけないのでしょうか。
正負両面があると思いますので、一概にどちらかと断ずることはしかねますが、親元を離れ独立の家計を営む25歳の成人が引き起こした事件につき、田舎の老父母を「さらし者」にする「報道の意義」があったかどうかと言えば、その点については私は否定的です。紙ベースの「談話」で十分だったんじゃないかとも思います。
関連情報を取材も報道もするべきではないなどとは毛の先ほども思いませんが、取材手法、報道手法として「ああでなければならなかった必然性」は薄いと思いますので。
尤も、あれが現在の事件取材の一ルーチンであることは認識しています。
>No.28 ER医のはしくれ(なんちゃって救急医)さん
記事に拠ると約100人の中には、地元住民も(その割合は兎も角として)含まれていたようです。
・・・マスコミが報じたか否かに関わらず、恐らく両親はもはや現住所に暮らし続けることはできないでしょうね。それと、某弁護士が懸念して止まない「匿名の卑怯者さん」が、卑劣な嫌がらせを仕掛けてくることも確実でしょう。無論、実名で両親をなじったり非難したりする「実名の非・卑怯者さん」もいるでしょう。
なお、私はあの両親へのインタビュー自体は「メディア・スクラム」ではなく、どこかの仕切り(多分、県警記者会の幹事社仕切り)でセットされた「共同取材」の可能性があると思っています。
マイクを束ねたこととか、どうやら質問は事前に整理されて代表記者が行っていたように見受けられること、テレビカメラがフィックスの位置から撮影していることが根拠です。
或いは、そうした座組みは現場に居合わせた各社の間で咄嗟に決まったことなのかもしれませんけれども、少なくとも「スクラム」にならないよう気を使った痕跡は覗えました。
でも、そうやって「配慮」しても5つも6つものカメラを向けられて、バッテリーライトを煌々と焚かれると、自分が取材対象じゃなくても凄いプレッシャーなんですよね・・・(ある公共機関の建物内で、エレベーターを降りた瞬間にやられた経験あり)
>No.31 通行人1さん
同感です。被害者やその遺族の無念への同情や共感を元手に、犯人への憎悪を必要以上に煽り立てるのが狙いなんでしょうかね。被害者を「見世物」にしているようで実に不愉快な「演出」です。
>No.36 普通の人さん
>No.38 SONIC.さん
カツビンさんが既にコメントされていますが、犯罪の背景を研究する目的で、生育環境や教育環境、家庭環境や親から受けたしつけ教育の内容などの情報を収集し、研究分析することは有意義なことと思います。
ただし、こうした犯罪背景の情報収集(プロファイリング)を、(1)捜査機関での犯行事実の検証も未着手の事件から2日も経たないこの時期に、(2)犯罪情報分析の専門家ではないプロファイリングの素人である報道記者が、(3)100人に近い多くの人数で自宅玄関前という話しやすい環境に配慮したとはとても言えない環境で、(4)数十台のカメラによる写真撮影とビデオ録画&録音を行い、(5)録音録画した生の情報をツギハギ編集したり原稿書きという活字化しただけの、(6)研究データとして一次的な解析処理を加えていない「報道記事」を、(7)犯罪研究には縁も縁もない一般の家庭の大衆に向けて情報提供する、このような方法で犯罪背景の研究データを収集する意義があるのでしょうか?
こうした親の記者会見報道が、大衆のヤジウマ的好奇心を満たす目的が大きいのか、真摯な犯罪抑制研究の目的の要素が大きいのか、各々の評価を比較検討した上で議論すべきこと。このように私は思いますが。
>No.39 普通の人さん
意味が分かりません。
未だ事件から2日で、自分の息子が7人も殺害した事実、事情聴取の帰りに目の前に群がるマスコミを目にし突き付けられる現実、近所迷惑含めた真綿で包むような強制と、動揺が激しく、心労が重なることが明白な現時点で何を聞こうとしているのか。
「事件当事者ではない人」を多数で糾弾する状況に陥る可能性が高い行為が、明らかに前述の価値のほうがより大きいのか非常に疑問です。
※2ちゃん等では親を責める意見が多数あります。
※全国に顔を広め、土下座姿を晒してしまった状況では、日本国内これから安住の地を探すのが困難でしょう。
意味が分かりません。親は当事件の当事者(加害者)として認定されなければならないのですか?そして糾弾等社会的制裁を甘んじて受けないといけないということですか?
私には貴方の前提が「親は加害者」であるというように見えます。
No.36 普通の人様やNo.38 SONIC.様のようなご意見が出てくるであろうということも予想でき、やっぱりねという感じで拝見いたしました。
結果論として
>最後の防波堤は、家族によって担われるべきものではなかったか、と思います
というようなお話も分からないわけではありません。
しかしどうなんでしょう、飛躍しすぎた考え方になるかもしれませんが、大の大人の個人の責任(いくら重大犯罪にしても)をそのように身近な親族に結び付けてしまう感覚は、個の人権を尊重するという民主主義社会・法治国家に於いて、正しい考え方になるんでしょうか?
親御さんにしてみれば、ただひたすら心の中でも土下座し続けるすべしかなく、それ以上あの段階で何を求めるのでしょう?(今朝未明のニュースではご両親を追い詰めているように感じましたし、あのマイクを持った記者にはホントに呆れ果てました)
現段階では>No.40 ぼつでおk(医)様のご意見に賛同です。
アメリカなら、息子が勝手に起こしたんだ。死刑にでも何でもやってくれと言うでしょう。これも正しい意見です。
マスコミはただ単に事実を伝えれば良いだけで、そこから何を考えるのかは国民の自由なのですが、どうも記事は世論を自分たちと同じ方向へ誘導しているように思えます。つまり、上記のアメリカ式に答えた場合、マスコミの書き方がどうなっていたか、疑問です。
でも、日本人なら(私も含め)このような事件が起きたときは親として謝罪するのではないでしょうか?やはり感情論的に子供を育てた親として責任を感じることはあるでしょう。
あってはならないのは世論が親を批判することです。
いくら親が子を育てたと言っても「犯罪者になれよ」なんて言いながら育てたはずはありません。本来、成人した時点で親には責任はないはずです。犯罪者を生まない育て方なんてあるわけではないですし。
大切なのは、取材を受ける側が、それを望んでいるかいないか、ということなのでしょう。望んでいないのに無理やり取材攻勢をかけはじめて、はじめて、取材を規制すべきか否か、という話になるのではないでしょうか。
外出先のテレビで少し見ただけなので、あまりハッキリ言えないのですが、親御さんは少なくとも、いやいや取材を受けていたというようには思えませんでした。むしろ、何かを積極的に世間に説明したかった、でも、出来ずにへたりこんでしまった(むしろ、同情してほしい)、というのが本当のところではないでしょうか。
私自身、過剰な報道は好みませんが、昨日のこの程度の取材が良くないと騒いでいたのでは、ちょっとナイーブ過ぎるのではないか、あまりにも、取材の自由を軽視し過ぎているのでは、と思うのです(行きすぎた取材に対する、逆ベクトルの行き過ぎた規制の主張、というように感じる)。
実際に取材に携わっている方の意見もぜひ聞いてみたいところです。
なお、今後、もっと酷い取材がなされるはずです(週刊誌とか、ね)。それこそ警戒されるべきです。
あと、マスコミは情報を集めるべきではなく、警察発表を待て、とおっしゃっている方がおられましたが、これには驚きました。警察を余程信用されている方なのでしょうね。志布志の公選法違反冤罪事件の場合でも分かるように、警察発表を待っていたら分からないこともたくさんあるでしょうに。
すでに何人かの方がコメントされていますが、私もあの状況(No.42 法務業の末席さんが指摘されている状況)で、両親から有意義な話が聞けたとは思えません。
警察・検察による事情聴取(警察はすでに始めてますね)やかなりの確率で予想される精神鑑定の結果を待つべきだと思います。
No.43 カツビンさん
2chでは、「この糞マスゴミが!」との意見も多くみえます^^;
どんな状況で「会見」が行われたのかわかりませんが、積極的にご両親が開いたとは思えません。
育てた親としては、当然ながら責任を感じているでしょうし、謝罪したい気持ちがこうさせたのかな?
ちらっと見た限りでは、
(とうちゃん、その格好はどうよ・・・)
(かあちゃん・・・そらへたりこむわな・・・)
(まだ自分たちも混乱してるんだから、いきなり応じないで、文書にまとめたほうが良かったんじゃ・・・)
と、思いました。
容疑者の心の安定、原因究明のためにも、親として事件に真摯に向き合い、容疑者とよく話し合っていただきたいと思います。
間違っても、思いつめないで変な行動だけはしないで欲しい。
>No.46 SONIC.さん
>あと、マスコミは情報を集めるべきではなく、警察発表を待て、とおっしゃっている方がおられましたが、これには驚きました。
泣き崩れて土下座しているような状況での話に、資料価値があるようには思えません。
疎遠だった息子のせいで突然に「殺人者の両親」になってしまった、市井の片隅の老夫婦に、息子の犯罪の責任の一端を負わせるがごときことは現に慎むべきことですし、どん底に突き落とされたであろう両親が思い詰めた行動に走らないよう支える人が必要だと思います。
あの記者会見の情報量および内容と比較するならば、きちんと事情聴取した警察発表の方が有益だと思います。
正直、この会見で得られた情報は、「息子がたいへんなことをしでかして、両親はどうしたらいいのかわからない状態になっている」という事実しかないように思うのですが。
No.48 欄外さん
>どんな状況で「会見」が行われたのか
こちらの記事によりますと、父親からの要望だったようですね・・・。
事件直後の両親の記者会見というのは、結局の所は
謝罪して、絶句して、泣き崩れる
画像を撮って放送すること自体が目的になってしまっているのでは無いかと思います。質問事項も意識してか無意識かは分かりませんが、その方向に誘導するような型どおりの質問でしかないでしょう。型どおりの反応が返ってきて、狙い通りの画像を取れれば、とりあえず仕事を果たしたことになる。記者個人が取材方法に疑問を持っていたとしても、会社として他局や他紙に後れを取るわけにはいかない。止めるに止められない状況ですね。誰かが呼びかけて、報道協定を結ばないことにはどうにもならないでしょう。だが、果たしてマスコミ自身の中からそのような声が出てくることを期待できるのだろうか。
われわれ視聴者もなんだかんだ言っても、型どおりの報道を期待してしまっている面もあるのかもしれません。「親の顔が見たい」という修辞が本当になってしまう。
でもきっと、これはまだましな方です。ニュースや新聞の取材が一段落した後、興味本位のワイドショーや週刊誌の取材が殺到することになるのですから。
事件の背景などをしっかりと検証できるのは、騒ぎが一段落してご両親もある程度落ち着いてからでしょう。
現状では通過儀礼として諦めるより仕方ないのでしょうか…
>No.47 モトケンさん
>すでに何人かの方がコメントされていますが、私もあの状況(No.42 法務業の末席さんが指摘されている状況)で、両親から有意義な話が聞けたとは思えません。
それは結果論です。
僕が言いたいのは1個人にとって有意義でなかったとしても否定する・批判するには値しないということです。特に現段階では。誤報道でもなく。
また、感情でもって報道に左右されるという事においては「野次馬根性」も「判官贔屓」もどちらも同等であり、正しく検証を見守っているとは言い難い。この部分をわかった上でか、わからない上でか、むやみに煽ったようなエントリーに対して異を唱えているのです。
>No.43 カツビンさん
>私には貴方の前提が「親は加害者」であるというように見えます。
「親は加害者」であるとは毛頭思っていません。僕が問題視している部分は加害者両親ではありません。また、加害者の両親であるという事実にも目を背けず注視するべきだと思います。
>No.40 ぼつでおk(医)さん
>No.42 法務業の末席さん
正に警察・検察の発表を待ってから判断すべきことであるのであれば、このエントリーの存在は矛盾してはいませんか?この報道は素材のストックとしておくべきです。その上で加害者両親に対して「かわいそう」というような感情を抱いたのであればそれも間違っている感情になります。それこそ時期尚早。「判官贔屓」を募る・煽るエントリーになっていませんか?また、このような報道に感情を左右されるのは一概に報道が悪いとは言えず、情報の受け手の能力が最も重要です。リテラシーです。
報道が現状で問題ではなく、この報道手法に賛否はどちらでもよく、
このエントリーが問題であって、激しく同意できないということです。
小倉秀夫弁護士の気持ちが今少しわかります(笑)
>No.48 欄外さん
私には「親を責める人」「マスコミを責める人」の分布が同割合に感じます。つまり、どうみても親を責める人の数が少数ではないというところに問題を感じます。
そして感情に流されやすい2ちゃんねるのニュー速+でも「マスコミを責める人」が多いことから、今回のマスコミ行為が「感覚的」な部分でも不愉快さを感じさせることを証明してる気がします。
No.49 モトケンさん
ちょっとした捕らえ方の相違が含まれているかと思います
No.50 惰眠さん
そうなんですよねぇ・・・
その可能性が、マスコミと野次馬100人によって高まったりしないかと心配です。
100人いるとなると、親身になるはずの親戚とかも行きづらいんじゃないかと邪推してしまいます。
(「一族の恥」となじる親戚もいるでしょうけど・・・)
今日初めてコメントした者なのですが、
再々度コメントいたしますm(_ _)m。
いろんな問題が絡み合っているので順番に。
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NO44 O様へ。
>最終的な防波堤は家庭が役割を担うべきではなかったか、
という私のコメントに意見がつくだろうな、ということも予想してました(汗。
私は加藤容疑者と同年代なのですが、民主主義とか、個人の尊重とか、そいういう思想を大上段に構えて、社会現象をぶった切る、ということに、ひょっとしたらもう、疲れてしまっているのかもしれません。これは、私の推測ですけど、私たちの世代以下は、もう、そんな思想の価値はあまり感じておらず(だって結果としてみんな幸せになってないじゃないですか)、もっと生きていくために切実な、それこそ、「食物」のように「金」のように、確かな存在が欲しいと思っているんじゃないですかね。
社会のさまざまな部分が悪い、と言ってみたところで、そんな社会を変えるためには、5年、10年、いや、ひょっとしたら、悪くなるばかりでずっと変わらないかもしれない。
だから、大きなものを変えるよりも、身近なもの、すなわち、家族や友達を頼りたい、ということなんですね。その辺なら、僕自身の努力でもなんとかコントロールできそうですし。また、僕が頼るだけではなく、病んでいる友達がいれば、僕自身、彼の防波堤になってあげたいし、将来子供ができれば、自分のことと同じような気持ちで頼りにしてほしい、そういう家庭を持ちたいと思ってます。もちろん、それを他人に押し付けようとはさらさら思わないので、この辺は、どちらが正しい、とかじゃなくて、両立しうる複数の考え方なのかな、と思います。
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NO52
ヤメ検先生からコメントも頂いてて…、ありがとうございます。
>泣き崩れて土下座しているような状況での話に、資料価値があるようには思えません。
取材した結果、価値ある資料が得られなかっただけであり、
そのことは、本件取材自体を否定する理由付けとしては、ちょっと弱いのではないか、
と思いました。
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コメントが増えるたびに、いつの間にか、対立軸が、
「警察発表の情報の有益性VS取材により得られた情報の有益性」
となる向きがありますが、これは正しくないと思います。
なぜならば、警察情報と、取材により得られる情報のどちらが詳細・正確・有益か、と言われれば警察情報が勝利するに決まっているのであり、これははじめから結論ありきで問題設定されています。
当初問題視されたのは「少しでも有益な情報を得よう試みる取材自体の適切さ」であって、得られた情報の有用性ではなかったはずです。プロセスの問題なのです。
アメリカの話が出ましたが、韓国人留学生が銃を乱射して多くの学生を殺害後自殺した事件の時、アメリカの被害者遺族を始め他の学生やメディアが大きな悲嘆の中で示した節度の高さや思いやりの深さには実に深い感銘を受けました。
個人的には日本のメディアもあのようであって欲しいと思うのですが、ここのようなマスコミが先を争って一般人の個人情報を漁る姿を見た日には、節度など爪の先ほども私には感じることができません。
まあこれは日本のマスコミ嫌いのバイアスが思い切りかかった私(笑)の個人的感想に過ぎませんが。
No.52 Legaさん
うわ!予想外!!
うむー、、、それあっての、ある意味冷静そうの感じたコメントだったのか・・・・
(だったら、服装とかにも気を使えとも思うが、そこまでは、か?)
No.55 カツビンさん
まぁ、事件の重大性を思えばしょうがないとも・・・
事件のスレが多すぎて、見ないで書いてるのが半数以上だろうし。
まさか両親の負う責任が管理監督責任だとは言わないでしょうが、
独立した成人の行為の責任を生育者に遡って責任を問うような発想は近代国家のものとはとても思えません。
このエントリでこの親御さん達の責任を問うてる人に伺いたいのですが、貴方は自分が不始末をしでかしたら、親の教育のせいにするおつもりですか?
>No.54 普通の人さん
「誰」が注視する「べき」なんでしょう。
両親であれば親であることは重々承知(当たり前)でしょうに。
もし国民であれば、加害者の「親戚」「友人」「隣人」「上司」「元恩師」ひいては「同じ国民」である事実をどこで線引きして「誰」が注視するんですか。
恨みに思っていた親が社会に対し謝罪する
のは、ワイドショーを独占したいという夢?を
もっていた犯人の思う壺だと思います。
今まで誰からも関心をもってもらえなかった
犯人も取調べなどでも、また社会的にも
ようやく関心をもってもらえたのだなと思います。
親が謝るとすればそれは社会全体に対して
ではなく、被害者遺族に対してのみでいい
のではないでしょうか。
被害者ではなくて社会全体に親が謝る報道を
するということで通り魔をすれば、社会への恨みを晴らすことができるというメッセージを
与えてしまうと思います。
もしこれが、ワイドショーが存在しなくて、
被害者の映像も名前も、加害者のことなど詳しくは一切報道されず、国民も関心をもたず、被告人を裁くのは法廷のことだからら、一切関心ありませんという国民性の国だったら犯人の目的は達せられず、こんな犯行は起きないのではないだろうかと思います。
社会を変えるのは大変ですが、報道内容を変えることはもっと簡単にできることだと思います。
犯罪を誘発しない報道であるよう願います。