エントリ

朝日新聞夕刊素粒子欄「死に神」の表現、鳩山法相が抗議(ヤフーニュース6月20日11時43分配信 読売新聞 落合ブログ経由)

 朝日新聞は「永世死刑執行人 鳩山法相」「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと報じた。

 鳩山法相はなにかとアレな発言が目に付きますので、個人的にはそれほど高く評価しているわけではありませんが、この朝日の文章は、鳩山法相を侮辱するものであることは間違いないと思います。
 
 そして、鳩山法相を侮辱するだけでなく、死刑とその執行を揶揄するものになっています。

 その意味では、執行された死刑囚に対する冒涜というのも、全くの的外れではないかも知れません。

 死刑の執行は、法相の一存で決まるものではありません。
 法相に執行指揮の決裁を仰ぐ前に、法務省の局付検事による徹底的な確認調査があると聞いています。
 執行の際には、関与するすべての人が命をすり減らす思いで執行しているのではないかと想像します。
 朝日の素粒子の筆者はそれらのことをどう考えていたのでしょう。

 いずれにしても、天下の朝日は最低の見識を示してくれました。

関連報道
 以下のニュースは、ヤフーニュースのエンターテインメントカテゴリの日刊ゲンダイ配信のニュースですので、取り上げるのを躊躇しましたが、死刑の執行が慎重になされていないのではないかと指摘したり、心理学の専門家らしき人がコメントしてますので一言コメントしておきます。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080621-00000009-gen-ent

  鳩山は法相就任時に、「法相が署名しなくても自動的に死刑が執行できる方法はないか」と言い放ち、“ベルトコンベヤー発言”と批判された。が、そんな外野の声は一切、意に介さない。実際、ほぼ2カ月に1回のスピード執行が続いている。本人は「慎重にも慎重な検討をした結果」と言っていたが、どう考えたって「慎重」には見えない。
 明大講師の関修氏(心理学)はこう分析する。 「チョウのコレクションが趣味の鳩山法相は、生命を尊重するという意識がやや希薄なのだと思います。整然と並んだチョウの標本を見てウットリする。整然としたものが好きなのです。そんな法相にとって、確定した死刑を執行しないのは“ルール違反”。死刑執行で職務を全うし、ルールを守った自分を美しいと思っているのではないか」

 この記事は、鳩山法相が自分の判断で片っ端から死刑の執行を指揮しているという認識が前提になっているような内容ですが、私に認識では(執行実務に携わってないので伝聞ですが)、上に述べたように、死刑の執行については、局付検事らがすべての裁判記録を細心の注意をはらって一言一句まで読み込んで、慎重の上にも慎重な調査を行った上で法務大臣に執行指揮の決裁を受けているのであり、法務大臣には事実上の拒否権(判子を押さないという意味)があるだけです。

 そして、歴代の法相の中には死刑の執行指揮書に判子を押すのを拒否した人が何人かいますし、いやいやしぶしぶ最低限の判子だけ押した法相もいるはずです。
 その結果として、調査済みの事件がかなりあることが想像されます。
 鳩山法相はそれらの事件について死刑を執行していると思われ、鳩山法相は死刑の執行について抵抗感がない人なんだろうとは思いますが、死刑の執行が慎重になされていないのではないかという指摘は失当だと思います。

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コメント(197)

 朝日新聞夕刊素粒子欄といえば、朝日新聞の紙面の中でも他とは一線を画するほどどうしようもない所だったと記憶してます。素粒子欄はたたけばほこりだらけなので、まあ、やっぱりね、と言う感想しかでてきません。

私もこの記事を見て唖然とし、朝日の見識を疑いました。
こちらのエントリに気づかず、場外乱闘の方にもリンク先を掲載してしまいました。モトケン先生、すみませんでした。
何の思惑があって、あのように現行制度を非難するような、リードをしようとしているのか、表現の自由のもとで責任をもって報道したのであれば、

>朝日新聞社広報部の話「社としてコメントすることはありません」

というように、逃げの姿勢を示してほしくありません。

>執行の際には、関与するすべての人が命をすり減らす思いで執行しているのではないかと想像します。

まさしく仰るとおりで、吉村昭氏原作の「休暇」という映画を観て、つくづくそう思います。

痛いニュース(ノ∀`)に、素粒子本文がありました。

素粒子 6/18(水)
永世名人 羽生新名人。勝利
目前、極限までの緊張と集中力
からか、駒を持つ手が震え出す
凄み。またの名、将棋の神様。
  × ×
永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、2
カ月間隔でゴーサイン出して新
記録達成。またの名、死に神。
  × ×
永世官製談合人 品川局長。
官僚の、税金による、天下りの
ためのを繰り返して出世栄達。
またの名、国民軽侮の疫病神。

こりゃ酷いや。

死刑執行を粛々と行なう、という一点以外はほとんど支持できない政治家でありますが、今回ばかりは鳩山大臣を支持したい。
大臣を指して死神と呼ぶのは、完全に死刑囚側に立った見方をしているからでしょうね。彼らから見ると、法で定められた責務たるサインを一度もしなかった前々法相は「生き神様」ということになるのでしょうか。

朝日新聞にはとことん応戦してもらいたいんですがね。彼らの言論は地雷を踏んだらチョン切ってしまえる程度のものなんでしょうか。
今夜の報ステはスルーかな?

死刑を、正義のカケラもない許されざる殺人と解する、私や、死刑が廃止された国々などに住んでいるおそらく世界の多くの人達からすらば、10数人もの殺害を直接命じた鳩山邦夫など一種の殺人鬼のようなものです。


「死に神」なんて手ぬるいぐらいで、騒ぐ方がどうかしてます(笑)

あの大臣が独りで犯人を捕まえ、取調べして、判決を下し、刑を執行したなら「死神」かも知れませんが、法に定められた手順で一番最後に書類にサインをする、というだけで「死神」呼ばわりするのは「司法制度に関わる全ての方」に対する侮辱だと思います。

またまた、ドラマの話をしてしまいますが、「ザ・ホワイトハウス」(The West Wing)の第1シーズンに、死刑を執行するか恩赦を与えるかで苦悩する大統領とそのスタッフの姿が描かれたエピソードがありました。
その中で大統領が個人的に呼んだ(大統領を子供時代から知っている老齢の)神父に「執務室の中では大統領と呼んでください。人の命がかかった重大な決断を下すとき、自分が政府の一つの機関だと思いたいから」というくだりがあります。彼はカトリックでありながら「死刑の執行」という重い決断を下さなければならない自分の立場に苦しみます。
(個人的にはあのドラマの中でも、非常に良く出来たエピソードだと思っています。 シーズン1の第14話 安息日 TAKE THIS SABBATH DAY というお話です。皆さんにも見ていただきたい、と思っております)

鳩山さんも「法」に従って粛々と仕事をされているわけで、朝日の批判の方向は間違っています。批判すべきは死刑を廃止しない国会でしょう?普段は「コンプライアンス」を求めるくせに、こういうときだけ法に従って仕事をしている人を口汚くののしるのって「ダブル・スタンダード」と言うのだと思います。
死刑囚が「容疑者」として逮捕されたとき、彼らがどんな記事を書いていたか、じっくり読んでみたいと思います。ヒステリックに事件の「悲惨さ」を書き流していたり、「犯人」を叩いていたなら、それは典型的「マッチ・ポンプ」だと思います。

No.6 tmxさん
>「死に神」なんて手ぬるいぐらいで、騒ぐ方がどうかしてます(笑)

反応するのは嫌でたまらないのですが、今回の記事でどうして笑えるのしょうか。騒いでいいのはありませんか。どちらの立場に身をおいても、笑えないと思います。

朝日新聞の見識を疑います。

書いた人は匿名?

ところで、謝罪はしないの?

メディアは、誰かが謝罪しているところを報道するのは派手に行うけど、自分達が言われたらどうなのかな?

まあ、楽しみにしています。

死刑廃止論者やいわゆる人権派がいつまでも少数派である要因の一つに、口では人権を謳いつつ、相反する意見の持ち主に対しては尊厳を傷つけるような言葉を平気で吐くことで、結果として自らの言論の信頼性を貶めているということがあると思うのですが。

No.8 たぬき(その他)さん


その昔、マヤという国では、生け贄として子どもを大量に殺していました。おそらくそれらはとても真剣でたいそう厳粛な儀式だったでしょう。勿論、当時これを「死に神」と批判すれば、その社会は大騒ぎをして批判した者を、尊厳を冒し重大な侮辱をしたとして罪に問うたかも知れません。


つまり、このスレッドを見て、私などは、この国はマヤか?と思うわけですよ。どうして笑わずにいられましょうや。

鳩山氏にも死刑にも疑問を持っている私ですが、この便所の落書きと同レベルで知性も品性もない浅薄な揶揄を、よくも「大新聞」を名乗る紙面に載せられるものだと呆れました。

幼少期は朝日を読んで育っただけに、残念です。

 また、朝日か、って感じですが。
 社内のチェックはどうなっているんだろう、とか、記事の品質や書いた人の感性に?とか、読者に感じさせてしまうのは、プロとしていろいろとマズイと思うのですが。
 


 

価値観や法律なんて時代や文化によって異なりますよ。
日本にも過去には人柱や身分制度といった「野蛮な」文化がありました。しかし、それを今の価値観で裁くのは間違っているし、個人の価値観に合わないから、という理由で相手を全否定するのは間違っています。
「死刑制度」に反対なら「市民運動」を起こし、世論を味方につけ、国会で堂々と議論して、法律を変えればいい。
「死刑」が気に食わないから、といって「死刑執行」を命じた法務大臣を批判するのは「卑怯」だと思います。少なくとも「死刑判決」を下しだ裁判官や、求刑をした検察官、死刑判決を避けることが出来なかった弁護士、逮捕した警察官、を一緒に批判するなら、まだましですけど。
でも真っ先に批判されるべきは、「死刑」になるような罪を犯した死刑囚でしょうね。
と、あえて釣られてみました。

 法相が死刑の執行指揮書に署名するときの峻厳さには及びもつきませんが

 死刑求刑事件に関与した経験のあるものとしては

 笑えません。

コメントかぶってしましますが・・・

つまり、このスレッドを見て、私などは、この国はマヤか?と思うわけですよ。どうして笑わずにいられましょうや。

全く理解できません。

文明は野蛮に破れるもの。

茶化したら駄目ですよね。
茶化したりなんかしたら、鳩山法相が執行書にサインするために盛り上げた荘厳さとか厳粛な空気とか、全部吹っ飛んじゃいますもんね。

No.7 通行人1さん



鳩山さんも「法」に従って粛々と仕事をされているわけで、朝日の批判の方向は間違っています。


アイヒマン問題という、世界的にはよく知られた問題があるのですよ。


「アイヒマンは、法と命令に従って500万ものユダヤ人の絶滅を行う書類に粛々とサインし続けただけだ。彼に罪はない。」


という言説があるのです。どう思いますか?


The West Wingは、私も非常に良くできたドラマだと思っています。が、所詮はアメリカの現実から逃れられない大衆ドラマです。


****


No.15 モトケンさん


モトケンさんが笑うのは許されないと思いますよ。


ちなみに、私は、殺人の時効はなくすべきだと思っていますし、その時効の廃止は、遡及的に適用されるべきだと考えています。


勿論、死刑が廃止され、国家による処刑が只の殺人になれば、それについてもです。


ただ、他の法相ならともかく、鳩山法相ですよ。

鳩山法相はかつて、死刑はベルトコンベアのように粛々と執行すべし、と発言した人物です。
即ち、死刑制度において彼の役割はラインの一工程です。
機械の一部品です。

そういう存在が揶揄されたとか侮辱されたとかで怒ったら駄目ですよね。

というか、揶揄とか侮辱とか、そんな概念自体存在しちゃ駄目でしょう。

>No.19 tmxさん

>モトケンさんが笑うのは許されないと思いますよ。

 私が何を笑うと誰が許さないのかよくわかりませんが、ご忠告感謝します。

 死刑を軽く見る人の死刑廃止論など聞きたくありません。

 あなたのハンドルを二度とこのブログで見たくない気分です。

感じ方は人それぞれ。

朝日の記者は、羽生新名人にひっかけてうまいこと言ったと思って書いたのだろうから、同じ感性を持っている方も居ることでしょう。

私はちっとも面白いとは思えませんでしたが。

>No.19 tmxさん
アイヒマン問題は前提が違いますね。
彼が刑の執行に署名した「死刑判決」の妥当性、またはその根拠法の妥当性にまでさかのぼって論じるべきでしょ。あと、過去の他文明の習俗を短絡的に野蛮扱いするのは、教養人の態度としてはいかがなものかと思いますよ。


それはともかく、私は鳩山氏はおかしいと思ってます。
謹厳だの厳粛だの苦悩しただの、まぁ言うことは結構ですが、過去歴代の法相もまた、そのようにして来たからこその鳩山氏以前の執行状況だったわけですので。

その私が朝日の素粒子をどう見るかといえば、品もなければセンスもない、ひねりもなければ芸もない、およそプロの文筆業者の手による原稿とは認めがたい低水準の文章、です。
こういうのは、矛先向けられた相手でさえ苦笑せざるを得ない書き方するのがプロってものでしょうに。

まあ尤も、こんなレベルの低い「罵倒」の、同じ土俵に乗っかって立腹のコメントをする法相も、その程度の人なんだと感じますけど。鼻で笑って軽蔑のポーズ見せりゃ十二分だったんじゃないですかねえ。「サイバンインコ」で喜んじゃう人には無理か。

嫌な現実から逃避するのに、その現実を茶化すというのはよくあるのでは。

>No.19 tmxさん

よくみるとすごい意見ですね。

>勿論、死刑が廃止され、国家による処刑が只の殺人になれば、それについてもです。

これは過去に死刑判決および刑執行に関わった検事、裁判官、法務大臣、執行者等を全て殺人罪で罰せよという意見ですか?
死刑を望んだ被害者遺族も?
それを止められなかった弁護士、貴方含めた国民も幇助犯になるんでしょうか?

神経疑います。

死刑の是非エントリーではないですよね?
なんともセンスのない、「素粒子」を笑うだけかと思ったんですが・・ねぇ・・・
羽生名人・品川名人は苦笑。
鳩山名人は立場上&朝日なので苦言(?)を呈した。
だけでしょ

No.19 tmxさま

あえて反論するとすれば「良識」でしょうね。
ナチスの価値観や常識では、ユダヤ人に生まれた、という本人がどうしようもない事実が「死刑」に値する罪だった。でも本人に責任が無いことで殺されるなんて、テロの被害者と同じで、とんでもない話です。
民主的な話合いで「ニュルンベルク法」が決められた、のかも知れませんが、それは、キツネとニワトリが多数決で夕食の献立を決めるようなものです。価値観の異なるものが集まっていくら多数決で法律を決めても、それは民主的なものとは言えません。人権や権利や義務についてある程度共通な価値観を持ったもの同士で、相手の意見を聞き、同意できる部分を探そうとしないと、民主的な話し合いは出来ないでしょうね。我々のやり取りがその良い例です。
ちなみにアイヒマンが自ら決定に参加し責任者となったのはナチスの「ヴァンゼー会議」で決定された「ユダヤ人問題の最終解決策」(=虐殺)であって、「法律」ではありません。念のため。
また、アイヒマンは「自分は命令に従ったまでだ」と言っていたと記憶しているのですが、「法律に従った」という出典をご教授いただけませんでしょうか?

少なくとも、わが国において、政治的な理由や人種問題で「死刑」にされることはありません。あくまで「本人がコントロールできる範囲」で故意に犯した罪(殺人)に対して行われると私は理解しています。
もちろん、「良識」は個人個人によって異なります。ナチス等による民族浄化と、刑法による死刑執行が「国家による殺人」という現象面では似ていても、民族浄化には殺される側に「責任」が無いのに対し、刑法による死刑には殺される側に「重大な責任」があるから内容は全く違う、というのは私の良識です。それを「人が殺される」という現象面だけで同列に論じることは私には出来ません。
それと、「死刑に反対」されるのなら、もう少し他人の理解を求めるような発言をされた方が得策かと思います。あなたもその他大勢の死刑廃止論者同様、「他者の価値観を全否定し、自分の価値観だけを他人に押し付ける」方なのでしょうか?死刑に反対されるのはご自由ですが、死刑に代わる新しい犯罪の抑止力を提案してみませんか?

ついでに、The West WingはSFドラマではありません。現実のアメリカの社会のトピックを巧妙に織り込んだ優れた大衆ドラマだと思っております。あの死刑の話もクリントン大統領による「ヒスパニック系への差別問題と死刑判決との関連を調査するための執行延期」を下敷きにしたエピソードです。悪しからず。

No.14 通行人1さん


価値観や法律なんて時代や文化によって異なりますよ。


そういうのを、文化相対主義といい、現代でもビルマや北朝鮮といった人権後進国が、人権侵害を正当化するのによく用いられる考え方です。勿論私は、そのような立場は取りません。


*********


No.21 モトケンさん


私が何を笑うと誰が許さないのかよくわかりませんが、ご忠告感謝します。


まぁ、正確に言えば、忠告ではなく宣告ということになるような気がします。


 死刑を軽く見る人の死刑廃止論など聞きたくありません。


「死刑廃止の暁には、死刑を求刑した検事を含め、死刑という殺人に関与した者の罪も相応に問われるべき」とまで考えている者が、死刑を軽く見る人にあたると思えるのは、冗談としてもひどすぎますね。


どうやったら、そんなにまで人間の生命を軽く見ることができるのかが、本当に理解不能です。なぜこの世の死刑肯定論者は、自分が殺人を肯定していることに気付かないのでしょうか。


 あなたのハンドルを二度とこのブログで見たくない気分です。


やれやれ。


私にしても書きたくなどないのに、人倫に反するスレッドを見かけた以上異論を言わざる得ず、仕方なく書いているだけであり、勿論ここは矢部さんのブログなのですから、書くなというのであれば勿論書きません。


でも、いささかでも死刑を美化し擁護する者の気分を単に害するだけであるなら、そんなものはまったく気にせず異論を書きます。


書くなと言うなら書きませんが、一体どちらなんですか?はっきりして頂けると幸いです。


********


No.25 カツビンさん


死刑が実際には只の殺人でしかない以上は、残念ながら関係者には、それ相応の責任が既に発生してしまっているのですよ。

僅か4週間前の朝日新聞の社説の抜粋です。このときの朝日新聞社説は、民主主義へのテロに対して死刑は肯けるという内容ではないのか?

先月は長崎地裁の死刑判決を容認しておきながら、今月は死刑執行を決断した法務大臣を罵倒するのですね。ダブルスタンダードと言うよりも、これは「ご都合主義」と言うのではないでしょうか。

「市長殺害死刑―テロへの怒りを新たに

 殺された人が1人の場合、死刑判決はめったにない。あえて死刑を選んだ理由として、長崎地裁は次のように述べた。
 男は市役所に不当な要求を繰り返して拒まれたため、市長を逆恨みした。市長を殺して当選を阻止し、自らの力を誇示しようと考えた。暴力によって、選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪い、有権者の選挙権の行使も妨害した。これは民主主義を根幹から揺るがす犯行だ。到底許しがたい――。
 暴力で言論や政治活動を封じようというのは、民主主義に対するテロである。裁判官はテロの社会的な影響の深刻さを重く見て、いまある刑罰の中で最も重い死刑を選んだということだろう。厳罰化の流れが背景にあるとはいえ、そうしたテロに対する厳しい姿勢は十分うなずけるものだ。
 …以下略…
(朝日新聞2008年05月27日(火曜日)付「社説」の一部)


>No.28 tmxさん

もしかして、死刑存置論者でしょうか?
とてもまともに受けて賛同する人はいないと思ってしまいますが・・・
それともデッカイ釣り?

何れにしても、私はこれで終わりにします。

死刑を美化しているとは思いませんよ。
死刑を含む司法制度に関わることの重さを揶揄するような記事(コラム?)を非難しているだけです。
他人の人権を制限する決断というのは「死刑」だけじゃない。
懲役だって充分「人権」を制限する罰です。
人を裁いて牢屋に入れる。
人の人生を充分に狂わせる決断です。
でもその重い決断をするプロがいるからこの社会の秩序が保たれている、と私は考えます。

モトケン先生
こんな「釣り」に引っかかってしまい、申し訳ありません。

>No.28 tmxさん

 言葉が足らなかったようですが、あなたが死刑を軽く見ているという意味は、あなたが死刑に関わる者にとっての死刑の重みを軽く見ているという意味です。

 その意味で、あなたは死刑に関わる者を侮辱しています。

 死刑の是非を制度論的に論じるのは多いにやってもらってかまいません。
 死刑廃止論は大歓迎です。

 しかし、これまで死刑に関わってきた人たちを侮辱することは認めません。
 侮辱的発言を繰り返していると私が認めれば、お引取りをお願いすることになるだろうと思います。

 なお、私はこれまで死刑を美化したことはありませんし、このブログで死刑を美化する意見を読んだ覚えもありません。

tmx様
直接殺人を行ったり、殺人(死刑の執行を含む)を直接命じることに
反対されていることは判りました。
以下は私の個人的な興味でお聞きしたい質問です。

○戦争や内戦(独立闘争なども含む)において発生する戦闘行動に
 よって蒙った肉体への器質的な損傷を直接の原因とする死は、
 殺人行為の結果でしょうか?
 殺人である場合、その行為に対する時効は廃止され、責任は遡及
 的に適用されるべきだとお考えですか?

  ※私は殺人だと思います。がその責任の追及については限定的
  にならざる終えないと思います。
  死刑を廃止している国でも、その成立過程において戦争と内戦
  のいずれも実績無しのままであった国は殆ど無かったと思ってい
  ます(ニュージーランドくらい?)。
  戦争や内戦に伴う戦闘行動によって蒙った肉体への器質的な
  損傷を直接の原因とする死は殺人に当たらないとのご主張で
  あれば、愚問ですので御容赦下さい。
  ※あとアイヒマン問題ですが、これはドイツ以外のヨーロッパの
  国の照れ隠し(ドイツ第3帝国は積極的にユダヤ人を燃やしたり
  埋めたりしてたけど、その件については我々も気にして
  なかったよ!)ではないかと思っています。
  民族浄化作業の執行は長い時間をかけても完遂できなかった
  と認識しています。
  ドイツ以外のヨーロッパの国はポーランドに対する利権がドイツに
  奪われたり、ドイツがフランスを分捕った段になって初めて国の総
  力を挙げた抵抗を始めるといった按配で、ドイツが粛々とユダヤ
  人の処理を実施しているだけの時は何の行動も取らなかった(
  むしろユダヤ人のドイツからの流出を制限する行動もあった)の
  ではないでしょうか?
  直接人間を燃やしたり生めたりしなければ何の罪もないという
  のはちょっといただけないかと。

で、肝心なところを書くのを忘れてましたが、
戦争で戦った人や戦争で傷ついた国を
死神なんて呼びたくないですし、そう呼ぶのは不適切だと思います。
死刑の執行を命じたのと同じように殺人を犯していたとしても。

>No.28 tmxさん

死刑肯定か廃止かというような重要な問題の議論は、くだらないあてこすりなどを交えずに行うべきだと思いますよ。

この記事がここまで反感を買ったのは、死刑に反対したからではなく、冗談にするべきではない人の死に関する問題を、冗談めかしたあてこすりに使うという不謹慎な態度を取ったからです。

私は死刑を否定する立場ではありませんが、死刑を肯定する人の意見も否定する人の意見も真剣に伺うつもりです。人の死に関わるような問題をちゃかす人は軽蔑に値すると思います。

死刑問題について真剣に話し合うのなら、ここではなく場所を改めて行うべきだと思いますがいかがでしょうか。

度々失礼。
戦争と同じように事件と戦って死刑を執行するに至った人たちには敬意を持って然るべきです。
□これからルータを直してきます。投稿が乱れてすみませんでした。

今日の朝日の夕刊漫画が鳩山大臣を茶化してますね。
ガキデカになぞらえて「死刑!」のポーズをとらせてます。
ノーコメントと言っておきながら喧嘩上等らしいです。

朝日なら普通。
とりたてて騒ぐほどのことではない。

No.32 モトケンさん


単純に美化というものを誤解していますね。


極めて醜悪で忌むべきものを、そうでないように、例えば厳粛なものとして表現したり、隠したり、なんとか許容できるものであるようにするといったものも、まちがいなく美化です。


また、これも極めて単純な話ですが、死刑が醜悪で忌むべき殺人でしかないというのは、間違いなく世界の法治国家・国際機関でのスタンダートとなりつつある考え方です。


これは、どんなに関係者が死刑に悩み、苦悩し、厳粛に感じていようが、動かしがたい事実です。


この世界中の法治国家での常識に基づいて、殺害の実行行為に深く関与した者を殺人者であると指摘する事が、侮辱なのでしょうか?


結局、死刑を廃止すべきという考えに従えば、関係者の行為は、当然、関係者がどんなに厳粛に考えていようが、言われて侮辱的に感じようが、結局は殺人行為への荷担でしかありません。関与の度合いに応じて責任が高まる以上、これは避けがたいことです。


少なくとも死刑に関わる関係者、関わってきた関係者は、自己の行為が、廃止国の観点にたてば、もはや、本当に極めて悪質な大量殺人に関する組織犯罪でしかないということを、よくよく自覚すべきだろうと思います。


なお、一般的な死刑存廃論の論点についてはここの方達だったら当然知り尽くしているであろう、といういささかならず現実的でない前提で述べているので、基本的に言うべき事は言いました。あとは、読んだ方ご自身で考えればいいことでしょう。


あ、以上書いたことも侮辱であり退場しろと言うのであれば、どうぞそう仰ってください。勿論、それ以後、ここに書くことはありませんから。


********


No.36 無印粗品さん


日本では、批判精神が未熟なせいか、真実だけでなく、風刺や揶揄というものの批評性・重要性が概して理解されていません。しかし、真剣で深刻な批判というのは、そういった中にも、笑いの中にもいくらでも存在するのですよ。


わかりやすいところでは、ニューズウィークの冒頭などを見れば、彼我のメディアの違いはよくわかると思います。


鳩山邦夫については、欧米のメディアであれば、間違いなく彼は鎌を持った姿で風刺画が描かれたはずで、その前に生首がずらっと並んでいても全然不思議ではありません。それにくらべれば、素粒子の表現などなんともマイルドでかわいいものです。ピンと来ない方は、図書館で、ニューズウィークのバックナンバーあたりを数年分みればよくわかると思います。


勿論侮辱だと騒ぐ当事者もいたりするわけですが、当たり前ですが、騒ぐ方が笑われ馬鹿にされるだけです。

>No.39 tmxさん

>極めて醜悪で忌むべきものを、そうでないように、例えば厳粛なものとして表現したり、隠したり、なんとか許容できるものであるようにするといったものも、まちがいなく美化です。

 あなたは自分の価値観に基づいて言葉を定義しています。

 侮辱以前の問題として

 そのような方と議論はできないというのがネットの経験則です。

 ご退場いただくのがお互いのためでしょう。
 さようなら。

>No.39 tmxさん
端的に言って侮辱ですね。
せっかくですので、同じ論調で、通行人7人を無差別に殺害した加藤被疑者や、先般死刑を執行された宮崎某、妹を殺害したあげく解体した浪人生、山口県光市で若い母子を殺害した元少年などの殺人行為も糾弾し揶揄し嘲弄してください。
是非にお願いいたします。

失礼、ブログ主が退場を命じた人物にコメントを求めるの形になるのは不適切でした。
死神の鎌を持った加藤被疑者のイラストでも描いて朝日新聞にでも投稿してください。

>No.42 惰眠さん

 No.41 の惰眠さんの質問の答は聞いて見たい気がしますが、この辺で収束するならそのほうがいいと思います。

件の夕刊漫画を見ました。
死刑をネタに馬鹿笑いとは、まさしく品性下劣ですね。

http://www2.uploda.org/uporg1493084.jpg

tmxは現実逃避してるだけ

No.40 モトケンさん


了解しました。では、これにて。


いくら真実とはいえ、苦く不快なものを与えたことは、仕方がないこととはいえそう感じた方には申し訳なく思っています。


なお、万が一として将来の読者のために書いておくと、以前、私などが自殺者についての矢部さんの不適切なエントリーについて指摘したところ、素直に撤回されました。


全部を見た訳ではないので断言はできないものの、むやみやたらに退場を言う人でない(らしい)ことは、最後に一応申し添えておきます。


No.43 モトケンさん


対話を打ち切られた方に、そこまでサービスする気はありません(笑)


では。

 ブログ主特権で最後を締めさせていただきますが、死刑が殺人行為であることは自明です。
 従って、制度論として死刑を論じるときに、「死刑は殺人である。関与者は殺人者である。」として関与者を非難することは論理的な態度ではありません。
 単なる感情的な個人攻撃です。
 これ以上は控えておきます。

モトケンさんの完敗でしたね。

モトケンさん
何もコメントする前に終わってしまったようなんですね。

私見を申し上げますと、「死刑は殺人行為ではない」と思っています。
もちろん、本人の意思に反して生命活動を停止させるのですが、
それは殺人と呼ぶのはいいすぎでしょう。
あくまでも、殺人という単語は犯罪行為のみに適用すべき言葉だと思います。

英語ではkillingと murderのように使い分けができます

例えば、十戒の第六条は「あなたは殺してはならない」です。
しかし、モーセに十戒を与えた同じ神様が、刑法も与えています。
そのなかにはどういう犯罪行為が死刑になるかについて細かく規定されています。
つまり、神様にとって死刑執行は殺人ではないという考え方です。

日本語の使い方に絶対ということはないのですが、
気になったので私見を述べさせていただきました。

>通りすがりXさん

 どこが完敗なのでしょうか?
 ひょっとして、私が死刑を殺人行為と認めた点ですか?
 このエントリの趣旨は、死刑を揶揄する朝日の下劣な品性と下劣な品性に基づく死刑関与者への侮辱に対する批判です。

 死刑制度の是非ではありません。


>cancanさん

 日本語の使い方の問題です。
 私は、ここでは「人が他人の命を故意に短縮すること」の意味で使っています。
 死刑執行が殺人罪になると言っているのではないことはもちろんですし、死刑の執行に関与する人のことを「殺人者」と呼ぶことにも反対です。

最も基本的なところで誤解させたようなので正しておきます。


単なる感情的な個人攻撃です。 (No.47)


知る限り、モトケンさんが関わられたケースでは、死刑にいたらず受刑者の殺害には至らなかったように記憶しております。


私は、実際に殺害がなされなかった場合まで、強いて関係者の責任を問うべきとまでは考えはおりません。「死刑を求刑した検事を含め」というのは、主張をここの人々に端的に理解できるように書いたのであり、モトケン個人は想定しておりません。


つまり、少なくとも私の側では、ことさらモトケンさん個人を攻撃する意図はありません。そもそも、そういう意味では最初から眼中にありません。


その点では、明らかに言葉が足りず、誤解を招く表現であったことをお詫びいたします。


もちろん、モトケンさんのいう「個人」が、モトケンさんご自身ではなく、死刑囚の殺害に関与した者一般を指しているのであれば、日本語の問題として私の理解とは違うとだけ申し添えておきます。


以上。

自分のコメントで終結させないと気が済まない人っているよね。

どうせコメントするんだったらNo.41のリクエストに答えるのが筋ってもんじゃないのかな、って思うんですけどね。
「国家権力がやるのは非難するけど、民間人がやるのは非難しない」みたいな、幼稚なダブスタ思考でないっていうんなら。
しかし、こんな「出羽の守」が、感情論のレベルにも至らない「情緒的」思考で語る「反・死刑制度」主張の説得力って(笑)

現時点でのご見解の違いが判っただけでは?

宗教的あるいは、文化的な物事の考え方の違いは無視できない大事なことだと思いますよ。No.14 通行人1さん が仰るとおりだとおもいます。(時代や文化によって異なるという原文に勝手に宗教も含めさせていただきました。)私には、日本の姿勢もそして廃止に踏み切った国の姿勢も考え方の違いとして理解できます。むしろそれぞれの国を同一視することに疑問がわきます。

私は(No.6 tmxさん指摘の)『死刑が廃止された国々などに住んでいるおそらく世界の多くの人達』のなかの一日本人です。 そして私のいる死刑廃止国でも問題を抱えていないわけではありません。それでも廃止に踏み切ったのは(私が思うに)宗教的な概念の違いが大きいのだと感じます。ですから日本が安易に『世界が死刑廃止だからわが国も』という意見については反対立場をとらせていただきます。

鳩山法相の就任当時の『死刑はベルトコンベアのように粛々と執行すべし』発言は、私は、彼がただ単に人としてサインしたくないという(一般人的な)気持ちの表れだったと理解しています。法相の発言としてどうかという問題とは別として、避けたいという人としての気持ちの表れみたいに感じました。(だって自分が同じ立場なら・・理解できますもの。)彼の発言を擁護しているのではありません。公に発する言葉ではなかったと私も思います。

就任後の鳩山法相の態度は法相として法を重視する姿勢の表れだとおもっています。人間の命を奪う刑には、それにかかわる関係者は皆さんは想像できないほど悩み苦しんでいるのだと感じます。そういった意味で私には、死刑存廃論議はできません。

鳩山大臣の死刑に対する姿勢にはわたしも賛同できませんが、朝日のこの文章はひどいですね。批判というよりジョークのネタにしていい、と執筆者がおもっているように取られてもしかたないとおもいました。

No.55 A.K.さま

補足説明ありがとうございます。世界には宗教に重きを置いている国の方が多いですよね。宗教に対する日本の考え方は、世界から見ればどちらかといえば「例外的」だと思います。臓器移植や幹細胞研究に対する考え方でもいろいろありますものね。素人の私なんぞは「(人の死を待つケースもある)臓器移植」よりも「(本人の細胞から採る)幹細胞」の方が倫理的じゃん、なんて思ってしまいますが、ブッシュ大統領はそうは考えていないようですしね。
ただ、そういう価値の多様を認め合うことで、人類はこの小さな惑星の上で共存しようとしているのではないか?と思います。
相手の「悪い部分だけ」をことさらに強調して、他者の価値観を否定するこというのは悪しき因習で、そこから戦争やテロが起こる、ということを、人類は少しずつ学んできたのだろう、と思います。未だ道半ばですが。

大臣の就任時の発言の真意について、私もA.K.さまと同じような理解してしております。「ベルトコンベア」はいただけない表現でしたけど。

以前に「宗教的な理由」で「執行命令」にサインをしない、と言った大臣もいましたが、大臣の信じる宗教で死刑が執行されたりされなかったりするというのはおかしいと思います。というか、大臣の「気分」で死刑の執行が決まる、というの「法治国家」としては間違っていると思います。

No.57 通行人1さま(敬称こだわらせていただきました。・・・呼び捨て社会にいるので汗)
むしろ私のほうこそ、更なる補足を頂き感謝しております。大臣の「気分」で死刑の執行が決まる。というの「法治国家」としては間違っていると思います。には強く同意です。公私をきっちり、別ける姿勢は大事だと思います。極端な発言がベルトコンベアーだと感じていますが、もっと慎重に対応すべき発言ですよね。

『多様を認め合う』は私も心から願うことです。ただ今の日本に響く言葉なのか?という不安も感じています。

No.58 A.K.さま

どうぞ、お気になさらず(^o^)

価値の多様のくだりはJFKの「アメリカン大学演説」の受け売りです(^^; 45年前(1963年6月10日)にはアメリカに、こういうことを言う大統領がいたのです。

 互いの相違点が存在することを認めよう。しかし、同時に互いの共通の利益にも目を向け、相違点の解決に努力しよう。
 そして、もし今相違点を克服できないとしても、少なくとも多様性を認めるような世界を作る努力は成せる。なぜなら、最終的にはわれわれの最も基礎的な共通点は、皆この小さな惑星に住み、皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思い、そして、われわれは皆死んでいく身なのだ、ということなのだから。

日本という「同質性」を求める国にいる私より、A.K.さまの方が実感を持って受け取っていただけるように思います。
これからもよろしくお願いいたします。

 このエントリーを読んでいて、モトケン先生が、なぜ医療問題に関心を持って下さったか、なぜ医療従事者がこのブログに惹かれるのか、自分なりに感じました。

ウィキペディア トリアージ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8
〜引用開始〜
>(前略)傷病者が圧倒的多数の場合は、できる限り多くの人命を救助するため、処置を実施しても救命の見込みが無い傷病者は切り捨てる、すなわち見殺しにせざるを得ないという現実的な側面がある。(後略)
>(前略)なお、一般病院の救急外来での優先順位決定も、広義のトリアージである。(後略)
〜引用終了〜(引用文中ではこの2文は順序が逆です。是非全文を呼んで頂きたいと思います。)

 私は薬剤師ですので、トリアージに直接は関わりません。
 しかし、現在、医療費削減のあおりで、病院内の医薬品の在庫を切り詰めざるを得ません。災害が起こった際、限られた医療資源の中で、どれだけのことができるかと考えた際、「切り捨てざるを得ない」範囲を選ばざるを得ない立場でもあります。実際にトリアージに関わる医師や看護師の方々の感じる重圧は、私の比では無いでしょう。

 私は、人の命は、平等と思っています。だったら、医療資源が限られている現状でも、一人でも多くの人を救命出来る医療体制を願っています。
 それでも、「切り捨てられる立場」のことを思うと、平静ではいられません。それこそ「機械」にでもなったつもりにならなければ、かえって救える命も救えないでしょう。

 現場で、法の許す範囲内で、限られた医療資源の中で必死に働いた挙げ句、大手新聞に「また医療ミス!」だの「またたらい回し!医は仁術ではなかったのか?!」だのと、無神経に面白おかしく書き立てられます。当事者でなくとも、現実の修羅場が想像出来るがため、これらの報道には、それはもう深く傷付けられます。

 医療従事者は、「人の死」という、「決して取り替えしようもない現実」を相手に仕事をしています。それを理解できない、想像しようともしない立場の人に非難されるというのも、四コマ漫画で揶揄されるのも、とてつもない苦痛です。

 「医療崩壊の両輪」といわれるものが、「国家による医療費削減」と「マスコミの偏向報道」と言われる由縁です。現場の人間として、心からそう思います。

 あ〜、何だか書いてて重いコメントになってしまいましたが、要はもっともっとマスコミも国民ひとりひとりも、他人事といいますか、無責任な第3者に身をおかないで、「死」について真剣に議論して欲しいな〜 ということが言いたい訳です。

 死刑も安楽死も臓器移植も!!

朝日新聞を購読していなくって、良かったと安堵しております^^
死神だの、疫病神だの、小学生のほうが、もっと洒落たあだ名を今はつけますよ
知的センスも、ユーモアもない記事は、プロとしてどうかと・・・
己のために、人の命を殺める人間がいなければ、死刑も必要な制度ではありませんし、鳩山大臣や、その他執行に関わった方々も、誰一人、楽しんだり、面白がったりしてるわけじゃないと思います
多くの人間は一生を終えるまでに、殺人を犯しません
長い人生の間、時には人を憎んだり、恨んだりしても、ためらいや自制心で、思いとどまるのが通常でしょう
死刑執行に関わる方々も同じじゃないでしょうか
ためらいや心の葛藤や苦しみは、私の想像の域を超えてる気がします
非難すべきは、被害者のみならず、死刑判決を受けるような、凶悪な罪を犯したものだと思います
モトケンさんのコメントや、他の方のコメントを見て、今までは判決が出てそれで終わりと思っていたのですが、その後もその事件によって、関わりを持つ多くの方々がいらっしゃることに気がつきました
一つの大きな罪は、本当に沢山の心を痛めることになるんですよね

法相、「死に神」表現に抗議 朝日新聞の記事で (共同通信)
 鳩山法相は20日の閣議後会見で、13人の死刑執行を命令したことを朝日新聞が「死に神」と表現したことに対し「軽率な文章には心から抗議したい」と怒りをあらわにした。朝日新聞18日付夕刊の「素粒子」欄は鳩山法相について「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と記載した。

No.60 地方病院薬剤師さま

人の命は、平等
大切なことを思い出させていただきました。ありがとうございます。 軽率に臓器移植の例を引用したみたいで申し訳ありません。 決して軽率に考えているわけではありませんでした。 ただ、ブッシュ大統領が再選に打って出たときに、レーガン大統領の未亡人が「幹細胞研究」に対する考え方の違いから、積極的に応援しなかった、という話を思い出して引用したしだいです。

日本人には「死」について考えることを避ける傾向があるように思います。ヨーロッパにはキリスト教とセットになった「メメント・モリ」という言葉があるせいか、逆に「死」について考える伝統というか文化があるように思います。驚いたのはエリザベス女王の母君の国葬のリハーサルを生前のご本人がバッキンガム宮殿の窓から眺めていらした、というニュースです。日本なら「縁起でもない」といって、(隠れてリハーサルをすることはあっても)ニュースで取り上げられるようなことは無いでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチの遺書の冒頭に「死が確実なことと、その時期が不確実なことに鑑み」という文句があったのにも頷けます。
アメリカ大統領選挙でも「中絶の是非」が国を二分するような大きな争点になりました。
誰の言葉だったか思い出せませんが、「われわれは死ななければならないことを忘れていた」ということですね。

>No.51 tmxさん
私はtmxさんの書かれた極論(あえて書かれた
のだと思います。)はいろいろ考えるきっかけになり、tmxさんのご意見と
それに誘発された他の方のご意見はとても
勉強になりました。どこかにtmxさんが意見を
書かれた掲示板などありましたら、もっと読みたい
と思いました。どうもありがとうございました。話に割り込みましてすいません。問題ありましたらお手数ですが削除お願いします。

通行人1さま
 決して軽率に臓器移植の例を出されたとは感じておりません。むしろ考えて頂いているだけでもありがたいと申しますか、ここ10数年、日本において国民全体の議論が行われていない現状を悲しく思っています。
 幹細胞研究は、臓器移植の壁を超える、素晴らしい研究だと思いますが、一方で「クローン人間を認めるのか」という、新たな議論を呼んでいます。確かドイツは「ヒットラーのクローンを作るやつが出るから研究自体も禁止!」だったような・・・すみません、うろ覚えです。

「日本人は死について考える事を避ける傾向が有る」というのは、本当にその通りだと思います。

 そもそも、「どこまでが生でどこからが死か?」という明確な線引きが無いのですから。
「脳死は人の死か?」
「心臓が停まっても細胞が生きていればまだ生きている事になるのか?」
「中絶は殺人か?」
 いえ、考え過ぎるとドツボに嵌ってしまうのですが。
「肉体は死んでいますが魂はまだ生きています」とかになると、もはや宗教の出番です。

 それこそ世界各国で、宗教とか伝統とか倫理とか感情とか経済とか、様々なものが絡まりあいつつも、「全員が納得している訳では無いけれど、大体の人が納得している」という「国民的な合意」を形成する努力が行われているのですが、日本では「議論すらしてくれない」というのが現状です。

 多くの立場の人に議論してもらい、「国民的な合意」が成立させて欲しい。現場の人間は「国民的な合意」のもとに行動したいと思っています。

 鳩山法相の心の内は分かりませんが、ひょっとして「死刑を実行する事で、国民に死刑廃止論を盛り上げて欲しい」と考えているのかも?とも、思ってしまいます。私の考え過ぎでしょうか?

モトケンさん

エントリの主旨からずれると思いますが、気になるので質問いたします。

モトケンさんが、死刑に関わってきた人たちを侮辱することを許さないのは、

>執行の際には、関与するすべての人が命をすり減らす思いで執行している

からで、なぜ命をすり減らす思いで執行しているかというと、たとえ犯罪者といえども人間の命の価値は非常に重いから、モトケンさんは死刑執行を揶揄する新聞記事を容認できないのだろうと、私は考えました。

しかし、別のエントリでモトケンさんは硫化水素自殺者を殺人犯になぞらえ、以前には巻き添え自殺は迷惑というエントリもあったかと思います。

特に迷惑という言葉については、自殺者の命を甚だ軽く扱った表現だと、個人的には思いますが、死刑囚であっても命の価値は重いはずなので、自殺者の命は死刑囚の命より一等下がるのだろうか、あるいは死刑囚の命は関係なくて、執行する側の気持ちが大事なのか、などと考えてみましたがよくわかりません。ブログではかまわないが、死刑執行は厳粛に受け止めなければならない。ということになれば、死刑を特別視することになり、それは死刑を美化することにもつながるような気もします。

いろいろと考えましたが、混乱するばかりなので、モトケンさんの考えをお伺いできればと思います。

 参考までに、
 資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。
 一人の軽愚者と言われる人物に翻弄され、山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁を連想することしばしばです。

>ビール犬さん

 自殺者の命を軽く扱ったのではなくて、自殺者の巻き添えをくらって亡くなる人の命を考えたのです。
 その意味では、「迷惑」という言葉ははなはだ軽い言葉になります。
 自殺者の自殺の事情を慮って、控えめな表現を使いましたが、もっと非難の要素が強い言葉を使うべきかも知れません。

 
 私は死刑を特別視しているのではなくて、人の命と死というものを揶揄する姿勢が許せないだけです。
 死刑に携わる人たちは皆死刑囚の命も他の命と同じ重さだと思いながらなすべきことをなしているのです。
 私はそう信じています。

 横レス失礼します。m(_ _)m
 小生のつたない研究によれば、求刑する者も、防げなかった弁論をする者も、判決をする者も、執行起案書を起案する者も、命令する大臣も、執行立会する者も、執行まで身の回りを世話する者も、執行ボタンを押す者も、死亡を確認する医師も、死体処理する者も・・・誰も心に傷を負いながら死刑という法の勤めを果たしているだけだと感じました。
 法(判決)の命令に従う義務(正当業務行為)と言えども、人生観が変わる職務だと思います。死刑存置派でも反対派でも。それを茶化すのは非人道的だと批判されても当然と思います。それは個人の尊厳を至高の規範とする現代民主主義社会や人権思想の当然の帰結だと思います。嫌でも全ての当事者は厳粛にならざるを得ないと思います(理屈を超えて)。
 自殺の権利は現行憲法や判例で否定されていますが、せめてやるなら他人の生命を巻き込むな!という考えは十分成り立つと思います。それは人の死や死刑を美化することにはならないと思います。死刑制度は肯定するにしても必要悪に過ぎないことはコンセンサスを得ていると思います。戦争による敵兵MID(ミッション・イン・ダイイング)と同じように・・・。
 安楽死や尊厳死でも、生命倫理が問われて30年以上も確定的結論が出ないのと同じように・・・。
 正当防衛や緊急避難で犯人を射殺した警察官や民間人が、洋の東西を問わず、PTSDで長期間苦しむように・・・。
 それほど人の命は尊いわけだし厳粛なわけで、やり直しや原状回復もほぼ不可能なわけだから。フランス革命以降、法的価値のトップに人の命がくる(生命、身体、自由(人格)、財産)のもムベなるかな。

>No.67 廣野秀樹さん

>資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。

 誰がそんなことを言いましたか?
 あなたのそのコメントは、このエントリのコメントの中で最低のものです。
 私は、公平を図らなければいけませんかね。

No.67 廣野秀樹さん

>資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。

 想像だけで勝手な妄想を事実のごとく投稿するのは、あなたの人間性と責任感と信用性がその程度(最低)だということです。
 「死刑執行起案書」(死刑執行書にあらず)を起案するのは、刑事局の局付き検事が某所にこもって数週間(場合により3か月以上)にわたり、死刑判決に誤りがないか、再審事由がないか、恩赦事由がないか…と骨身を削って体重がげっそり痩せて起案する文章です。
 私の知り合いの局付は、起案書完成直後1週間近くうなされて法務省刑事局を欠勤しました。見てきたようなウソを書くあなたは最低です。

追加:

 死刑執行起案書を起案中の局付き検事は、こもっている某所から毎週1回、死刑囚が未執行勾留されている刑務所(拘置所)に電話して、死刑執行停止事由(身心喪失)が発生していないかを確認しています。
 それだけ、法の定めといえども死刑執行は厳粛かつ厳格な手続きで進められるのです。廣野氏が無責任に放言する状況とは違って。

>No.67 廣野秀樹さん

 私のコメントの表現が分かりにくいと思いますので、はっきりと書かせていただきます。

 あなたのコメントについて、誤りを認めてあなたが指摘した検察官に対して謝罪しないのであれば、今後このブログにコメント投稿をするのは遠慮していただきたいと思います。

 tmxさんにご退場を願った以上、あなたに対してもあなたのコメントを容認することはできません。

No.67 廣野秀樹さん

 法曹の誰が見ても死刑だろうと、マスコミ関係者も死刑しかないと思える本邦始まって以来の珍しいOS教事件ですらベテラン裁判長が真っ赤な眼で入廷した東京地裁原審判決言い渡し当日の状況、某地方で原審(地裁)死刑判決を棄却する控訴審判決を朗読中に慟哭から言葉に詰まって朗読がしばし中断した定年退官間際の高裁部長の控訴棄却事件で、それぞれ判決を言い渡すだけ(執行をしない)の裁判長の人間的苦しみや悩みや人生観をかけた訴訟行為。
 そういう現実をみたこともない貴方だけが書ける捏造放言(暴言)だと思います。恥を知ってください。

終身刑の導入と死刑の存在とを犯罪抑止効果や刑罰の残虐性の面から論じても制度を変える理由付けに至るのはなかなか難しいように思います。

私は個人的には終身刑を導入するなら無期懲役刑を廃止するのがよいと思います。有期刑は最長35年程度とし、それ以上は終身刑とする。極刑は死刑。これは、我が国は現在死刑を直ちに廃止出来る状況にないと思いますので、死刑が極刑として存在するという前提で論じます。

終身刑の導入にあたっては同時に恩赦制度を設けて、政権が交代したとき新総理大臣が1度だけ恩赦を行う権限を持たせる。恩赦の対象は何人でもどの受刑者でもよいが、恩赦は罪一等を減じるのみとし、同一人の総理大臣は何度政権に返り咲いても恩赦は一生に1度しか行えないものとする。

法務大臣は死刑囚についてのみ死刑執行命令を下す権限と責務を有するが、総理大臣が持つ恩赦権の執行を妨げることは刑事罰をもって厳に禁じられる。また死刑執行命令を下した法務大臣は必ずその執行に立ち会わなければならない。これも違反に対して刑事罰を設ける。
このように定めれば法務大臣は、職責をつつがなく果たすためには死刑囚すべてに対して独自に個別の事情を熟知する必要が出て来るでしょう。死刑執行は国家権力の手で人命を奪う訳ですから、やはり最低限このくらいの人事を尽くして委細承知のうえ厳粛に行われるべきと考えます。

このような制度にすればここのエントリーで起こった様な平行で交わることのないきつい論戦が避けられるのではないかと愚考致しました。
話の種のひとつにでもなればと思い書き込んでみますが、空気が読めてなかった場合にはなにとぞ黙殺笑殺頂けませらば幸甚に存じ上げる次第です。

 お言葉で恐縮ですが、終身刑が戦時刑法を除きフランスで廃止されたのはなぜか考える必要があると思います。終身刑は、恩赦以外に社会復帰がなく、それも平時では統計上はまず恩赦が認められないので、人格の荒廃を招く死刑より残虐な刑罰だと認識されたからです(比喩でいえば「死ぬまで拘禁症状」という残酷さ)。

そうですよね・・・
キメイラさんのコメントを読ませていただいて、考させられました
もしも、私の愛する家族が、理不尽な理由で残忍な殺され方をしたら
きっと、この手で犯人を殺してやりたいと思うでしょう
それでも、さあどうぞ、貴方の手で殺して結構ですよと、言われたら
やはり、できない気がします
それほど、人の命を絶つということは、大きな大きなことだから・・・
特に69のコメントは、私にとって、勉強になりました
ありがとうございます

>モトケンさん
法的な知識もないのに、コメントを何度かしてごめんなさい^^;
ここを訪問させていただいて、エントリーの内容や、
色々な方のコメントについて、我が家では、夕食の時に、
家族間で、討論するんですよ^^
我が家にとっては、とても有意義なブログになっています
お体に気をつけて、これからも頑張って下さいね

追加です:

 死刑執行に立ち会った大学同期の検事は、午後休暇をとって、早々に帰宅した(らしい)のですが、異例の早期帰宅に愛娘(約7±1歳のはず)から「パパお仕事失敗したの?次席さんに怒られんたんじゃない?」と言われて、何も言えなくて辛かった(はずだ)そうです。
 この検事は、どんなに酔わせても、酔った勢いで訊いた風を装っても、死刑執行立会だけについては、一言もしゃべらず、自分の心と無言で闘っているのを感じました。_| ̄|○  ○| ̄|_

>>No.75自己レスです。恩赦制度について一つ書き落としがありました。『』内が追加した部分です。

>政権が交代したとき新総理大臣が『任期中の任意の時期に』1度だけ恩赦を行う権限を持たせる。

この他には訂正する意図はありません。もともと取るに足らぬコメントですが、それでも読んでみて直したくなってしまいました、すみません。

光市事件の広島高裁差戻し審で死刑判決が下された後、被害者遺族の本村氏が記者会見での発言が思い出されます。
(本村氏の発言を正確に記録していなかったので、記憶で引用します)

「本日の死刑判決で、妻と子の2人に加え、新たにもう一つの命が失われることになりました。都合3つの命がこの世から失われるという、社会の損失の大きさを噛みしめております」

被害者遺族としての峻烈な報復感情を心の奥に押し込めて、「死刑判決に満足ですか?」と言わんばかりの質問をした記者をきっちりと見据え、被告人の命の重さを最愛の妻子2人と同等に扱われた本村氏の理性。

我がことだけでなく、社会全体の損失にまで思いを巡らして発言される視野の広さ、心の大きさ。

朝日新聞素粒子の筆者とは比較にもならない、人間としての気高さを感じる。

その素晴らしい理性をもって死刑判決に論評された、本村氏の心情を慮ると、今このコメントを書いていながら涙が流れてくる。当事者としての苦悩の大きさが感じられるからこそ、私も世間の多くの方々も本村氏の「3つの命が失われる…」という言葉に感動するのです。

翻って廣野秀樹様、貴殿の軽薄な発言はいつも私は不愉快に感じます。
自重し自粛されるよう望みます。

法務業の末席さん

くだらない私怨でコメ欄を汚さないで下さい。お願いします。


(以下、ブログ主)
 ブログ主としては、コメ欄を汚されたとは思っていない。
 なお、廣野秀樹氏のこれまでの多くのコメントについては、必ずしも軽薄とは思わないが、廣野氏のコメントの多くこそ私怨に基づくコメ欄汚しと感じている。
 少なくともトピずれコメントは多い。
 ただし、廣野氏の私怨の正当性(恨みをもって当然か否か)については論評する立場になく、その点について廣野氏を批判するつもりはない。

 この記載についての、反論は無用。

(以上、ブログ主)

No.80 法務業の末席さん

 指摘された光市事件の死刑判決に対する遺族木村氏の言葉。これをA新聞コラムニストに生で聞かせてあげたいと思いました。同じ人間でも生命の尊厳に対する極端な落差を感じました。

 コメントの流れを少ししか読んでいませんが、予想外の反応があったので、先にちょっと書いておきます。

 起草した検察官の話は、実際に死刑執行をテーマにした本で読んだものです。私は刑罰権の究極の姿として考えるうえでも、かなりの数死刑制度に関する資料も読んできました。

反論ではないのですが、少し補足すると

>本村氏の心情を慮ると、今このコメントを書いていながら涙が流れてくる。

などという綺麗ごとの裏に、私怨(目くそ鼻くそ)の存在が透けて見えるのですよ。

>No.83 廣野秀樹さん

>起草した検察官の話は、実際に死刑執行をテーマにした本で読んだものです。

 では、その出典(著者、書名、出版社)を示してください。

>予想外の反応

 資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。
 一人の軽愚者と言われる人物に翻弄され、山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁を連想することしばしばです。

 このようなコメントを書いて、どのような反応を予想したのですか?

 前段部分だけならまだ理解は可能ですけど、後段をあわせて読むと、あなたは担当検事は「裁判所が死刑にしたんだからその判決が正しいに違いない。冤罪の可能性なんかないんだからともかく死刑にしてしまえ。」という気持ちで事件を調査したと言っているとしか読めませんよ。

 もう一度釈明の機会を認めます。
 自分のコメントを訂正しないなら私が理解できる根拠を示してください。

 私怨と感情論がテーマですね。10年ほどを節目に、自分の考えもものの見方もずいぶん変わったものだと感じています。
 本村氏の件ですが、検察官が涙を流して本村氏に協力を要請したと聞いています。同じような被害者を出さないために。

 モトケンさんからご指摘をいただき感謝していますが、考えもまとまらないので、今しばらくお待ち願います。

>投稿者各位

 通りすがりXさんのコメントについて

 通りすがりのコメントとして対処することを推奨。

>私怨と感情論がテーマですね。

 そんなものはこのエントリのテーマではありません。

>自分のコメントを訂正しないなら私が理解できる根拠を示してください。

 No.86の投稿が入れ違いになっていたみたいです。ご回答はいましばらくお待ち願います。

流れを読まないはじめてコメントすみません。このブログでコメントするのは勇気が要るのですが・・・。
基本的にどうしてあの「素粒子」の内容がどうして「鳩山法相を侮辱するだけでなく、死刑とその執行を揶揄するものになっています。」なのでしょうか?
もちろん「素粒子」がもともとはっきり言って”言いっぱなし”で”いいかげん”と感じる事が多いコラムである事は理解しています。
私自身この夕刊を読んだ時の感想は「言いたい事は判るけど、言いすぎでしょう・・・!」とは感じました、けれどそれ以上ではありませんでした。
あたかも”ルーチンワーク”のように”執行指揮書”にサインする鳩山氏個人に対するものであろうとは思いますが。
>死刑を揶揄する朝日の下劣な品性と下劣な品性に基づく死刑関与者への侮辱に対する批判です。(NO.50モトケン様)
どこらへんが「死刑関与者への侮辱」になるのでしょうか?
何回読んでも「死刑制度」自体を否定したり、「死刑に関わる方々」を侮辱するような内容とは感じられないのですが。
ただ揶揄する事自体を非難されているのなら理解できない事もないのですが。
また”たかが一コラム”の内容で新聞社としての見識を疑うのもおかしくないですか?
見識を疑われるべきなのはこのコラム筆者であろうと思いますが。
「新聞紙面の主張・表現内容は金太郎飴の様でないと駄目なのでしょうか?」

当方、例の弁護士の懲戒請求扇動をTVで見てしまって以来、流れ流れてこのブログに辿り着きました。
いつもは仕事の合間にかくれてROMさせて頂いてます。。
でもこのエントリの内容が理解し難かったので、思い切ってコメントさせて頂きました。

No.90 層化きらいさん
私、毎回恐る恐るコメントをしている小心者です。
貴方のコメント、『「死刑に関わる方々」を侮辱するような内容とは感じられないのですが。』を読んで感じたのですが、鳩山法相は、その「死刑に関わる方々」一人とは考えていらっしゃらないのでしょうか?

>No.85 モトケンさん

 ご回答させていただきます。
 まず、本のことですが、多分、平成9年頃、石川県能都町宇出津(現在は能登町)の「しらさぎ書店」で買ったものだと思います。講談社現代新書とかと同じようなサイズの本だったと思います。
 捨てた覚えはないので、今度実家に帰ったときに探してみます。
 確か死刑制度反対者の立場からの本であったと思いますし、起案した検察官を非難した内容でもなかったと思いますが、実際、資料(記録)における被告人の悪性部分を読み返し、自らを奮い立たせ、執行へ駆り立てているという印象は受けました。
 他にも執行を行う刑務官らの苦悩も書いてありましたが、一読して以来、手に取ることもなかったので、内容についてははっきりとは覚えていません。
 とにかく自分にとっては、この検察官の部分がもっとも印象的ではありました。

 前段と後段に区別されていますが、確かに誤解は招きそうです。ただ、自分の中でははっきりした脈絡があります。
 ご説明には具体的な事実に踏み込まざるを得ません。私怨という言葉も予想外に出ていましたが、私は必ずしも私怨から刑事司法を論難しているわけではありません。
 刑事司法というか刑事裁判と関わりを持った以上、切実な問題として向き合ってきたつもりでいます。
 以前、このブログでも自分の事件における検察官の論告要旨をご紹介したことがあると思いますが、私は平成4年4月1日に事件を起こし、金沢西警察署に出頭しました。
 ずいぶん悪者にされているというか、これでもかというぐらいに、悪くされています。その割に、求刑自体が懲役4年とずいぶん軽い印象もありますので、バランスも悪く、理解に苦しむところがあり、それが幅の広い考察にもつながりました。
 山中事件については、ネットで調べればある程度のことは分かると思いますが、自分が読んだ研究者の専門書のような本では、軽愚者のようなことが書いてありました。その書籍は自分で購入し、福井刑務所にいるときに読んでいました。2、3年前に実家の方で探したのですが、該当部分を探すことが出来ませんでした。
 山中というのは地名であって山中温泉として多少は知名度もあるはずです。石川県の福井県寄りの県境に位置しますが、主要道路である国道8号線からは外れています。
 冤罪が晴れたという報道は当時の新聞記事でも見た覚えがあるのですが、事件や裁判については理解していませんでした。ネットで調べると1990年7月27日に最終決着が出たみたいです。検察の汚点としても意義を持つ事件のようですし、金沢地方検察庁の人員構成においても余韻がくすぶっていたのではと想像されます。
 1990年というのは平成2年のはずですし、自分が金沢地方検察庁のやっかいになったもの、2年たらずの時期だったようです。
 さらにこの間には、同じ石川県の小松市で、ある会社の社長だったかが、社員を保険金目的で殺したような事件があり、逮捕されたと報道されていましたが、金沢地方検察庁は嫌疑不十分だったかと理由に不起訴処分にしたそうです。
 これもひっかかりがあったばかりでなく、金沢地方裁判所や金沢地方検察庁にあてた上申書の中でも、何度か指摘し、自分のブログでも書いたことがあるように思っています。

 いずれにせよ、事件捜査や公判維持というのは、難しいものだと理解していますが、関係者の協力も不可欠であり、時には翻弄されることもありうるはずです。
 人間の尊厳などクソ喰らえと、思い利害打算に走る関係者も少なくはないはずで、昨今、その傾向がますます強くなっているような気もしています。

 それと自分自身が事件を起こし、被害者がもう少しで死んでいたので、傷害致死にもなるところでした。さらに、警部補からは、放置していれば殺人未遂だったとも言われたぐらいです。裁判員裁判の対象事件にもなっていたはずですが、そんな経験からも、取調べの可視化や、裁判員制度には関心があり、このブログでもちょくちょく投稿させていただいております。
 ボツネタにも少しだけ投稿したことがあり、以前は落合弁護士のブログにもちょくちょくコメントしていました。法曹関係者のブログ以外にコメントすることは、ほとんどありませんが、先日ちょっとだけ入れました。承認されたか確認していませんが。
 専門家に理解されない問題を、一般の人に理解してもらうのは、どだい無理があるとずいぶん前から諦念まじりです。
 とらわれていた執着心が薄れるにつれ、冷静に客観的に物事をみることが出きるようになったような気がしていますが、私怨が消える境地に達したとは考えていません。

 さらに自分の事件はストーカー犯罪の要素もあるのですが、警察が検察がきちんと調べていてくれれば、証拠も残せたはずです。もっとも逮捕時の段階では、「被害者に不信感を募らせ、真意を問い質すことを決意し」となっていたのが、その後の取調べや裁判では問題にされなくなったので、警察や検察の狙いは初めから別にあった可能性も大きいのです。
 しかしながら、いずれにしても私自身や被害者及びその家族の負担は並外れて大きなものになっていますし、回復不能の部分が日々にも拡大しています。

 あまり長くなってもなんですし、まとまりも悪いと思いますが、とりあえず、ご説明させて頂きました。不明の点などありましたが、遠慮なくご指摘ください。しばらくの間は、対応も出来そうです。

流れを読まずに書き込みますが。

死刑の執行について反対ないし批判的なマスコミも、個別の死刑求刑や死刑判決には、ほとんど批判の矛先を向けないんですよね。

何故なのでしょうか。

執行を担当する刑務官と違って、求刑や判決には、その法律家(検察については決裁権者を含む)の裁量がはたらく余地があるわけですから、法相による執行指揮書へのサインと同等以上の非難が浴びせられて然るべきのようにも思うのですが。

あるいは、刑事訴訟手続において死刑判決が確定すること自体は仕方ないが、現実には執行されない状態が続くのが望ましい(事実上の死刑廃止を目指す)、という考え方が背景にあるのでしょうか? 

鳩山法相を名指しで「…またの名、死に神。」と書いておきながら、釈明?では「法相らを中傷する意図はまったくありません」としていることにも、違和感があります。
私には書いた内容は中傷だと思えるので、釈明?がおかしいと感じます。

自分コメントに対する補足です。
鳩山法相の役割は『死刑執行命令書に法相が署名すること』で、法務省が起案した命令書に法相が署名。死刑の執行には特に慎重を期する必要があるので、法務大臣はその最終判断をする立場なのだと私は理解しております。言葉を変えれば、法務省内部ですでに担当者が相当に慎重な検討が行われ、その結果に対して最終判断する役目なのではないでしょうか?それなのに、朝日の見識は、あたかも、すべて鳩山法相が決断したような表現で、そう読者が受け取ってしまっても仕方ない文章であるとおもわれます。そこに疑問を投げかけたエントリーだと私は思ったのですが。
私の理解が間違っておりましたら、どうかご指摘をお願いします。

No.93 (ただいま謹慎中)さんが仰る疑問『求刑や判決には、その法律家(検察については決裁権者を含む)の裁量がはたらく余地があるわけですから、法相による執行指揮書へのサインと同等以上の非難が浴びせられて然るべきのようにも思うのですが。』とまったく同じ疑問を私感じています。何故、刑事訴訟で起訴するか否かの判断ができる検察官、そして検察官の求刑によって死刑判決を受けた被告人について、検察官を責めるのではなく法相大臣なのでしょう?

そこ! 謹慎中の人はコメント禁止よ!

コメントの流れからちょっと外れますが・・・・・・

このような本が出ています。

今井 恭平 著
「クロカミ The Black Slipー国民死刑執行法」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%9F-Black-Slip%E3%83%BC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E6%B3%95-%E4%BB%8A%E4%BA%95-%E6%81%AD%E5%B9%B3/dp/4877983759

死刑執行人が国民から無作為に選ばれるという設定で描かれた異色の小説ということです。

Amazonのカスタマーレビューを見る限りでは、真面目な小説であろうと思われます。
(笑いの要素も皆無ではないようですが、素粒子氏のような浅薄かつ下品な揶揄とは異質のものではないでしょうか。)

是非読んでみたいと思います。

 細かく言えば、法務大臣に死刑執行を命じたのは裁判所の裁判官で、法務省の役人も法務大臣も裁判所の判決にしたがっただけです。
 歴代法務大臣の職務怠慢で、死刑執行未済が3桁も溜まり、その中で泥をかぶって執行命令にサイン(実際は花押)した法務大臣は、視点を変えれば、嫌な仕事でも法令順守をした政治家として推奨されてしかるべきなのかも知れません。
 それはさておき、この某コラムニストが「死神」と罵倒した問題は、党派を超えての批判になったことからも、なんとなくわかると思います。

>「弟は死に神ではない」民主鳩山氏、死刑執行巡り法相を擁護
>……同時に「法律上の責務に基づいて行動しているだけだ。死刑を執行したいと考えているわけではないと思う」と強調。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080622AT3S2100L21062008.html

No.98 キメイラさん
すみません・・汗

『この某コラムニストが「死神」と罵倒した問題は、党派を超えての批判になったことからも、なんとなくわかると思います。』が理解できていないので、ご説明いただきたいのですが。
(素で自分、理解できていません泣)
お手数ですが説明していただけたら嬉しく思います。

No.90 層化きらいさま

私は、No.7で

「司法制度に関わる全ての方」に対する侮辱だと思います。

と書いた者です。
短絡的な表現だったかも知れませんが、あそこに書いたように「死刑」という刑罰は、大臣一人で出来るものではありません。捜査があり、逮捕があり・・・・・と裁判になるまでにもいろんなプロセスがあり、それらが法に従った厳正な基準に基づいて進められ、裁判が行われ、判決が確定し、最後に刑が執行されるものだと思っております。(「通り魔事件」を起こした犯人に対してなら、「死神」という言葉が使われてもやむを得ないと思います。)
私は、弁護士や検察官や裁判官の皆様も死刑に関わりたくないと思われている、と信じております。「人を裁くな」という言葉があるけれど、誰かが「人を裁」かなければ、社会の秩序は保てません。ですから「司法制度」に携わっておられる多くの方々は「人を裁く」ということの重みを感じられながら仕事をされている、と思っております。また、一般市民も彼らが「法のプロ」であるから安心してその仕事を任せている、と思っております。(まれに司法関係者の不祥事が起きると一般市民より大きく報じられるのもそのためだ、と思っております)
私が裁判員になりたくない、と思うのもその任務の重さのせいです。少なくとも私は「死刑」の可能性がある裁判の裁判員にはなりたくありません。秋葉原の事件だって、今は部外者だから「無責任な意見」を持っていますが、もし同様の事件の裁判員になったらやはり悩むと思います。「人が(過失ではなく)人の命を奪う」というのは倫理的には「真っ黒」です。そして、私が裁判員として関わった被告の死刑が確定した、とか、刑が執行された、というニュースを聞いたら、私は「人の命を奪う決定に参加した」という十字架を背負って残りの人生を生きていくことになるでしょう。
でも、今の刑法の中では「死刑判決」を出さざるを得ないことがあるのも事実で、それを場外の安全地帯から論評するときにはそれなりの節度が求めらる、と思います。大臣は「法」(つまり、間接的にせよ我々が決定・承認−現行法をそのまま認めている、というのも消極的承認だと思います−した国のルール)に従って仕事を行った訳ですから、言い換えれば国民が彼に「重い決定」を下す仕事を任せた、とも言えると思います。
じゃ、サインするなよ、ということなのかも知れませんが、裁判所が下した判断に法務大臣が(消極的にせよ)異議を唱える(拒否権を発動する)、というもの「法治国家」のあるべき姿とは思えません。法に定められた「指揮権発動」にはワーワー言うくせに、法に明記されていない「拒否権」を認める、というのもおかしな話です。(ここには専門家の方が多いので、間違っていたらご指摘下さい。原則として法務大臣は判決確定後6か月以内に執行命令を出さなければならない、と決められていたと理解しています)
ですから、多くの人の下した「重い決断」を「死神」という一言で揶揄するのは、やはりその決定に関わった全ての人々、ひいては司法関係者に対する侮辱だと思うのです。

モトケン先生すみません。
やっぱり、保留になってしまいます。
ブロバイダ変えないとだめ見たいです。
前記コメントUPされたろ、この欄は削除してください。
ごめんなさい。

No.91 A.K.さんへのご返事になるかはわかりません、ならないかもしれませんが。
制度の運用上関係している誰かを揶揄すれば、その制度に関わる全ての方々を侮辱した事になるとは思いません。
なお、別にコラム内容を肯定する気は全くありません、鳩山氏個人に対してだけとしても言い過ぎだと思っています。
ただこのコラムはいつもこの程度ですし・・・。

No.102 層化きらいさん
お答えいただいて、ありがとうございます。
お考えの意図が私なりに理解できました。
ありがとうございます。

死刑の決定を下したのは裁判官ではありませんか。
その点に関して触れられている方が少ないように思えるのですが。

法相の役割の事務手続きの一部だと
とらえる考え方はおかしいのでしょうか?


>廣野秀樹さん

つまり、ソースとなった本を示すことは出来ないが、そういう「印象は受ける」内容があったと。だから、撤回も謝罪もしませんよ、ということですね。
あなたには以前スルーされた質問があり、この際あらためてはっきりと問うてみたいのですが、モトケンさんのご判断を待つことにします。

No.93 (ただいま謹慎中)さま (No.104 エンパワーさま宛も兼ねるでしょうか)

そこまで「先」を考えてのことではないような気がします。

人の意識には、往々にして "the last straw" だけに向くようなバイアスがかかっているというのが認知心理学の教えるところと理解しています。

死刑の執行に一番近いところで「命令」をする人が、"the last straw" である。
マスコミ自身がバイアスに無自覚にそう感じているから。
または、世間一般の意識がそうであることに乗じて、意図的に煽っているから。

だから、"the last straw" よりも前に積んである重たい荷物であるはずの、裁判官や検察官には大して意識が向かない/向けようとしない。

その程度ではないかなあ、と思っています。

No.99 A.K.さん

 お尋ねの件ですが、与野党を問わず国会議員ですら問題にしている人がいる、党派を超えて共通の侮辱と感じるものだというくらいの軽い気持でご理解いただければと思います。

>No.105 みみみさん

 どの点が、撤回とか謝罪が必要な問題なのでしょうか。もう少し具体的にお願いします。
 私は、司法制度に対する意識改革自体が必要なような気もしていますし、最高裁も検察庁もそのような方向に向け、裁判員制度を推進しているような気がしています。
 真面目に取り組んだ法務局付けの検事さんには失礼かもしれませんが、それも制度上の問題がありそうです。DVDにでも録画してあれば、これもある程度はクリア出来そうな気もします。

 それと、私が以前、質問をスルーされたとか、ですが。見落としがあったのかもしれません。このブログのコメント欄の流れにはついていけないこともありますし、仕事柄閲覧出来る時間帯も限られてきます。
 モトケンさんのご判断は、裁判官の訴訟指揮にも似ていると感じることがありますが、私もここでは、そちらを優先したいと思っています。
 よろしければ、段階的にでもご質問してください。問題が多岐に渡りトピずれしそうならば、より適切な別のエントリに書き込んで、私に分かるようにお願いします。

>上に述べたように、死刑の執行については、局付検事らがすべての裁判記録を細心の注意をはらって一言一句まで読み込んで、慎重の上にも慎重な調査を行った上で法務大臣に執行指揮の決裁を受けているのであり、

 みみみ さんのご指摘で改めてエントリやコメントの流れを読み返してみました。コメントの流れを把握しておらず、行き違い生じたのかと考えたのですが、上記のようにエントリ本文に、かぶるような部分があったみたいです。

 事前にざっと読んでいたはずですが、No.67の投稿をした際には、意識していませんでした。というか寝る前で思考力も低下した状態でした。近頃は休日でも早く寝て、早く起きるようにしているのです。
 揶揄したつもりはありませんが、説明がたらず、誤解を受けそうなタイミングがあったことは謝罪させて頂きます。

他人の死に直面したときの整理しきれない心理状態や複雑な立場の一例を取り上げて批判することはあまり意味のないことだと思います。

医師という職業柄、内科系勤務医なら年に20人くらい、10-20年間で200-300人の死亡に関与します。不謹慎かもしれませんが、若い頃は患者の死に直面する時、感情が整理しきれず笑ってしまう(感情失禁のような状態)に陥ることを経験する人も少なくないと思います。慣れてくると感情を押し殺して「粛々と」仕事ができるようになって来ました。

死刑制度の廃止や終身刑制度の導入などについては未だに考えがまとまりません。しかし、死刑制度を含めた法律は、人類が共同体として生きていくための「全ての人」が背負うべき業だと思うのです。死刑に関与する人々(検事、裁判官、法務大臣)は多くの人になり代わって実行しているに過ぎません(何か当たり前のことを言っているだけですね)。

これまで職務を放棄してサインをしなかった法務大臣を責めることはあっても、「粛々と」職務を遂行する鳩山大臣を批判することは全く的外れだと思います。

廣野秀樹さんのコメントは、ことさらに死刑執行に関わる検察官を揶揄したのではなく、いつも通りエントリに関係なく、ご自身の体験から検察官に批判的なコメントを書き込んだら、たまたまエントリの流れと(逆方向に)一致してしまったのではないかな、と推察致します。

とはいえ、ご本人に揶揄する意図が無かったとしても、朝日新聞の「死に神」に対する批判が集まっている中で、同様に死刑執行に関わる検察官を揶揄するように取られる話を引用してきたのは、揶揄する意図を以て引用してきたと取られても仕方がないのではないでしょうか。

揶揄が本意で無いのであれば、意図せずに揶揄するような行為をしてしまったことを謝罪すべきではないでしょうか。本意であるのなら謝罪の必要は無いけれど、tmx氏と同じ扱いを受けるのは避けられないと思います。

>No.111 無印粗品さん

 ネットカフェからの投稿になります。接続ドメインがいつもの投稿と異なるはずですので、お断りしておきます。

 検察官を揶揄したつもりはありませんが、そういう受け取り方もあるのですね。参考になりますが、単なる冷やかし、あおりという受け方もありそうです。
 検察官を罵倒したエントリや投稿もどこにでもありそうですが、このブログでも、これまでになんどか手厳しい意見や批評をみた覚えがあります。
 このブログで書き込んだのかどうか記憶は定かでありませんが、10年一昔ほど前は、検察官のほうで、同じ検察官(高検検事)の死刑執行の立会いを忌避して、死刑の求刑自体を避ける傾向が強かったとも本で読んだ覚えがあります。
 時代の移り変わりや、社会的背景というのも問題を考える上で参考になるのではないでしょうか。

No.112 廣野秀樹@ねっとかふぇさん

>10年一昔ほど前は、検察官のほうで、同じ検察官(高検検事)の死刑執行の立会いを忌避して、死刑の求刑自体を避ける傾向が強かったとも本で読んだ覚えがあります。

 それはどんな本に書いてありましたか?
 あったとしてもルポライターの憶測記事だったか、死刑廃止論の論者が憶測で記述したはずです。
 10年一昔ほど前は、死刑求刑と死刑判決が増加した時代ですから史実に符合しないコメントです。

廣野秀樹さんのコメントは、意図が判別し難いです。

例えば

参考になりますが、単なる冷やかし、あおりという受け方

ここ一箇所だけでも、誰がどのコメントに対するものか判別できません。

発端のコメントはおそらく、検事の辛さを感じた実例でしょうが、全てを正確に読み取るのは至難の業。

つまりは、以前よりは改善されていますが、てにおはや書き方が拙いです。

しかもエントリーを離れたところに意識が寄りすぎる様子で、情緒面からも更に解り難いことに成る。

簡潔にポイントを外さないコメントされるよう、コメの流れと趣旨を絞った推敲をお願いしたいです。

MultiSyncさん

ご自身の読解力の無さを棚上げしてませんか?

No.100 通行人1さん 今日は久しぶりに休みの日曜の為あまりチェックしてませんでした、遅くなりました。
基本的に述べられておられる内容についてほとんど異論はありません。
じつは私も裁判員制度が運用された場合、私は死刑廃止論者ではありませんが(正直今まだ悩んで、勉強しています)
「死刑制度」があるかぎり引き受けないと思います。
理由は、正直”命”の重さに耐え切る自信がまだありませんし・・・、長くなるので止めときます。
そして、鳩山氏は「ベルトコンベア」の一件についてだけでも非難されるべきとは考えております。
「ベルトコンベア」の一件が無ければ「法に従い”粛々と””執行指揮書”にサインされる事」について非難すべき事ではないと理解しています。
おっしゃられる通り多くの方々の「重い決断」を「ベルトコンベア」のように軽々しく処理したようにしか私には思えませんでした。
その点においてのみ鳩山氏は非難されるべきと考えています。これ以上はトビずれになりそうなので止めておきます。これから当分は又ROM専になると思います、失礼しました。

>No.113 キメイラさん
 すいません、私が10年ほど前に読んだ本なので、出版されたのは、さらに数年後に遡るはずです。

>No.114 MultiSyncさん
 ご指摘ありがとうございます。日ごろ方言で話していることもあり、標準語を使うことにも慣れていないのです。ご指摘を参考にさらなる改善を目指したいです。

 検察官と死刑執行に関しては次のエントリが参考になると思います。元検察官の落合弁護士のブログで、私のコメントもそのまま残っています。
 ついでに、落合弁護士の最新エントリも参考になると思います。修習生が検察はごみ処理、視野が狭いなどと発言した問題です。たしかに、社会的な視野が狭くなる側面はあるそうです。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060928#1159399858

>>67 廣野秀樹さんのコメント

資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。

>>71キメイラさんのコメント

「死刑執行起案書」(死刑執行書にあらず)を起案するのは、刑事局の局付き検事が某所にこもって数週間(場合により3か月以上)にわたり、死刑判決に誤りがないか、再審事由がないか、恩赦事由がないか…と骨身を削って体重がげっそり痩せて起案する文章です。

この二つを読み比べて、前者が特に検察官を揶揄する文章とは読めなかったんですが、誤読ですか??

両方の文章とも、検察官の苦悩をあらわしてる文章に読めます。

死刑判決に誤りがないか、再審事由がないか、恩赦事由がないかと
骨身を削ってげっそり痩せるほど調べ尽くしてもなお、

死刑囚が同情の余地もない極悪人だと自己暗示をかけなければ
書ききることができないくらい、重圧のかかる職務であり、

それぐらい、厳格な手続きによって法務大臣のもとにおくられた執行書にもとづいて、死刑は執行されている。

だから、朝日の見識を疑うという意味なのかと?

違ってたら、ごめんなさい。

どらら様

ご指摘の部分だけなら、そうも読めるんですよ。でも、85でモトケン先生も指摘されていますが、その後に、

>一人の軽愚者と言われる人物に翻弄され、山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁を連想することしばしばです。

と続いたら、そのように読めるでしょうか。

No.117 廣野秀樹@ねっとかふぇさん

>>No.113 キメイラさん
> すいません、私が10年ほど前に読んだ本なので、出版されたのは、さらに数年後に遡るはずです。

 それでも史実に反しますが?
 正確にいえば15年前ころから、被害者1名殺害の事件でも死刑が求刑されるようになり、死刑求刑の積極化が進んだような雑感でした。
 市販本の中には、死刑の密行性から取材ができず憶測記事で埋めたものも多いですよ。私が25年前から文献調査したときに痛感してます。
 例外は、勢藤修三著『法務・検察裏の裏−その魔性とほころび−』くらいでしょう。この本は死刑執行に立ち会った検事が「えらいリアルやなぁ・・・」と言っていたくらいの本でした。ご参考まで。

どららさんの読み方で良いと思います。
しかし意識によって逆嫁とか、某通りすがりX氏のように読みきれないらしき人も居る

長すぎたら私は読みもしないのでいいんですが、全体を読んでリードする管理人さんには「負担大杉」

>廣野秀樹さん

もしかして、モトケンさんのNo.73のコメントを読み飛ばしましたか?
元検事のブログで特定の検事の名誉を損ねるコメントを書くなら、それなりにソースと覚悟の用意が必要だということでしょう。

No.106 fuka_fukaさんの御意見に禿同です

法治国家において行政職は法律に基づいて事務を執行することが求められます

死刑に反対するのであれば、法律を改正するべきであり、川下の部分で批判を繰り返すのは、法治国家であることの否定にも繋がります

死刑の判決を下したのは司法であり、もし死刑判決に間違いがあり誰かの責を問うとしても、それは法務行政官が負うべき責でなく、裁判官が負うべきものです

鳩山法務大臣の批判をしたいのであれば、正々堂々と感情に依らない、正当な根拠を示しながら行うべきもの
マスコミという大衆に情報発信できる大権を持っている者が、軽率な筆で、扇動する罪こそ問いたい

前半ばかりが話題になったので、念のため。

No.67 後半の、「一人の〜」は感情の偏りによる妄想としか思えません。
廣野さんは、後半に尽いてはっきりと釈明するべきですよ。

MultiSyncさん

ちょっと厳しいこと言い過ぎましたが、まぁ、お互い頑張りましょう。

朝○新聞の購読者(愛読者)の方々の今回の風刺?に対する反応は

どうなんでしょうか?

死刑廃止論者の多くの一般人は案外共感を得ているのでは、と思え

るのですが。

つまり死刑執行の最終書類?にサインをした法務大臣が死神というか

その被告の命を奪った張本人と思わせる。

こんな風潮が広がれば政治家の多くは以前の農水大臣みたいに敬遠

されるポストになるような

いずれは死刑判決がでても永遠に執行されない不思議な法治国家に

なってくような

検事を目指す若者もいなくなりみんなが弁護士を目指す犯罪者には

天国のような国にならないことを祈ります

>No.124 MultiSyncさん

 山中事件については、ご存じないのでしょうか。調べることは出来るはずですが?
 検察にとって、致命的な問題を孕んでいるはずです。私は研究者でもないので、文献を調べる手間もありませんが、確か1972年に起こった事件が解決までに18年間かかったはずで、それも検察の惨敗でした。
 自らが殺人の従犯だという被疑者が、主犯をでっち上げ、地裁、高裁と死刑判決が維持され、最高裁で差し戻しを受けた上で、無罪判決が出たはずです。
 申告した自称従犯は8年の刑が確定しているはずかと思います。いかにも奇妙な事件です。
 そのまま最高裁で死刑判決が確定し、執行されていた可能性もあるわけで、考えさせられる事件だと思います。そのあたりの示唆を含めて、前段と後段を結びつけました。
 それと、福井県の女子中学生殺人事件と言うのがありましたが、冤罪として日弁連が全面的に支持をしていたはずかと思います。
http://www.nsknet.or.jp/~yukawa/maekawa.htm
 この裁判は、金沢地方裁判所で無罪が出て、高裁で逆転有罪になりましたが、その有罪判決を下した裁判長は、自分が控訴審判決を受けた裁判長でもありました。
 この事件も警察が被疑者の不良仲間を手なずけ、偽りの供述をさせたようなことが問題になっていたかと思います。
 死刑と冤罪の問題は切り離すことが出来ないはずですが、記録の書面だけで正しい判断が下せるものなのか疑問があります。

>No.122 みみみさん

 特定の検事というのは、誰のことでしょう。本に出ていた検事さんですか?
 それとも、私の事件の担当検事ですか?

 後者ならば、平成15年の1月頃時点で、金沢地方検察庁の担当者が、直接○○検事に話を聞いてみればいかがですか、と言っていました。
 私としては、マスコミが取材する方が筋だと考えておりますし、場合によっては、国会で尋問されるべきでしょう。
 私を批判するのはけっこうですが、次のような経過のあることも念頭に置いて頂きたいです。
<■[告訴事件]金沢地方検察庁の対応>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20060731/1154353895

 まさか、本に出ていた検察官の名誉に覚悟ということもないでしょう?

廣野秀樹さんのコメントについて少し感想を述べます。
いろいろな問題を一つ一つのエントリーについて議論しようとしても、結局すべて自分の問題を理解してほしいというところから始まっているように思います。誰だってそういうところはあるのですけれど、少し強すぎるということだと思います。わかってほしいということで、自分のブログの紹介もされています。
でも、行ってもわからないんですよ。もちろん、何時間もかけて丹念に読めばわかるんでしょうけど、そこまで義理もないし。
やっぱり、全てを自分の置かれている状況と関連づけようとして議論するのにみんな閉口しているんだと思います。

わかってほしければ、もう少し自分のブログに訪ねてきた人に何が問題かわかるように工夫する方がいいと思います。

静観するつもりでいましたが…
>No.127 廣野秀樹さん
>それと、福井県の女子中学生殺人事件と言うのがありましたが、(中略)この事件も警察が被疑者の不良仲間を手なずけ、偽りの供述をさせたようなことが問題になっていたかと思います。
廣野さんは、エントリーとは全く無関係な有罪確定した事件を持ち出して、「警察は無実の人間を陥れるために証言を捏造する」とおっしゃりたいわけですね。
何の脈絡もなく知っている事をやたらとひけらかすのは御自身の勝手ですが、人によってはそれを侮辱と感じる者もいる事をお忘れなく。

>No.127 廣野秀樹さん
>記録の書面だけで正しい判断が下せるものなのか疑問があります。

ここで検事の導いた結論の誤りは、コメント67後半で呈した疑念に通じますが。
67前半、検事の苦心に関わる表現と直接関係が無いうえに、論旨が全く違います。

皆さんが問題にしているのはその脈絡で。

彼方は結論への疑念を、そこに結びつけて。検事の苦心を思い込みや妄想に置き換えて原因に見做そうとしている。

観念が論理をゆがませている様に見えます。

No.64 米山さん


どこかにtmxさんが意見を書かれた掲示板などありましたら、もっと読みたいと思いました。


折角言って頂いたので、少し迷ったのですが、以下に場所を作ってみました。


http://tmx.7.dtiblog.com/


(しかし、この流れの中で気付いて貰えるかな・・・)


(ホントたびたび申し訳なし>ブログ主どの)

死刑という制度に対して、この国には多様な立場があります。
存置派対廃止派という立場があり、モトケン様が指摘したような死刑をどれだけ重く扱うかという質の問題もあります。

廃止派が死刑を軽く扱った例としてこの件が挙げられるならば、存置派が死刑を軽く扱った例は光市の事件で散々見られました。
常連の皆様も目にしましたよね?
曰く、人を殺したのだから死刑が当たり前だ、
曰く、遺族の気持ちを考えれば死刑以外ありえない、
曰く、どうせ死刑なのだからさっさと結審しろ。
こういった立場に立つ言動のその最たるものとして、差し戻し審の死刑判決に対する傍聴人の拍手喝采が挙げられるでしょう。

さて、存置派にしても廃止派にしても死刑を重く取り扱う人はごくごく少数です。
このブログのように実際に死刑を求刑した経験のある元検察官が管理して、現に死刑事案に関わる(またはその可能性がある)現職の弁護士が集い、そういった人々と議論を繰り広げる非法曹の人間。
こういった論者は日本の社会においてはごくごく少数の、特殊な例外でしかありません。
日本の社会の大多数は死刑制度とはまったく何の関わりもなく生きています。
あえて無根拠に断言しますが、日本の社会の大多数は死刑というものを自分とは縁もゆかりもないブラウン管の向こうで起こる出来事だと思っています。
(行政の死刑に対する秘密主義を主要因とした当然の帰結だと私は思います)
そして現実として、日本の死刑制度はこういった死刑を軽く扱う大多数によって支えられています。

このような現実においての死刑執行です。
鳩山法相が朝日新聞の記事に対してなぜ怒ったかは分かりません。
コメントを読む限り本人も完全には整理しきれていないでしょう。
しかし少なくとも、モトケン様が指摘したような「死刑を軽く取り扱っている」という理由で朝日新聞を非難することはできないはずです。
なぜならば、彼はベルトコンベアー発言によってその権利を放棄したのですから。

>No.130 感熱紙(モバイル)さん
>「警察は無実の人間を陥れるために証言を捏造する」とおっしゃりたいわけですね。

 そういうのはネットにもあふれている情報ではないですか。それにこの冤罪事件は日弁連が支持していたわけですから、そもそも問題を私に向けるのが筋違いではないでしょうか。
 ひけらかす云々、というのも補足の説明に困りますが、話せば長くなります。端的に言えば、一部にせよ、警察に対する不信感も、多大の皺寄せを将来的刑事被告人、被疑者にも負担として及ばせうる要素。

No.133 ponさん

>なぜならば、彼はベルトコンベアー発言によってその権利を放棄したのですから。

 こういう立論構造は客観的に賛成できません。「刑事免責を主張した医師に司法を語る資格なし」という暴論を許容するのと同じ論理構造だからです。

>No.129 少し疑問さん

 疑問に対するご回答らしきものが書いてありますので、ご紹介しておきます。
<■[告訴事件]検事総長に対する上申書>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20061112/1163326170

 感情論とか観念論とかいう言葉で私を揶揄する傾向があるようですが、検察が事実認定の不当性を見極める基準になるやもしれないと思っています。
 なかには、釣りや煽りもふくまれているのかもしれませんが、そのような影響も念頭に置かれては、と思います。


廣野さん
あなたのトピずれコメントには私の忍耐力も限界です。
これ以上にはっきりものを言う必要事項がありますか?

>No.137 モトケン@携帯さん

 覚悟はよろしいですか?

モトケンさんってすぐキレちゃう方なんですね。

聞く耳をもつと言うのはネット上に限らず大事なことですよ。

キメイラ様

私が曖昧な書き方をしたせいでしょうが、おそらく誤解なさっていると思います。

ベルトコンベア発言は、その時の法相の思想信条も感情も、およそ法的にも制度的にも無関係な要因は全て枠外に置くことで適正な制度運用を図ろうというものです。
である以上、鳩山法相にとっては、鳩山法相に対する揶揄というものは存在しないはずです。
彼にとっては彼が執行所にサインした事はまさしく、行政”機関”としての準機械的な行為なのですから。

それはそれとしてその医療行為に対する刑事免責の話ですが、
私はその議論は詳しく知りません。
「刑事免責を主張した医者に司法を語る資格無し」という主張が
暴論なのかどうかも、それだけでは判断できません。
というわけでそのその件については回答を差し控えます。

No.140 pon様

 私の誤解があったら私の方こそお詫びします。
 私がどうも
>彼はベルトコンベアー発言によってその権利を放棄したのですから。
の部分を誤読したようで失礼しました。
 このご発言の真意で「放棄した」「その権利」とは何を意味するのでしょうか?

No.138 廣野秀樹さん

 独自のトピズレ自説の開陳は自分のブログでやってください。ここはモトケン先生が全権を把握しているモトケン先生のブログであることをお忘れなく。出張放火の連投はおやめください。トピズレ独自の見解連投はノイズだらけで迷惑です。

キメイラ様

端的に回答するならば、死刑執行に対する価値判断を行う権利です。

「死刑というものは重い行為である。よって執行には慎重を期すべきである。」

「死刑というものは重い行為である。よって使命感をもってこの重責を果たさなければいけない」

鳩山法相はいずれの立場も放棄しています。

No.143 ponさん

 質問の連投をお許しください。
 どのような理論でそのような結論に至るのか、根拠や理由を教えていただければと思います。

廣野秀樹さんの投稿は、エントリに対してのコメントではなく、自分の書きたいことが先にあり、それを自分のコメント側から見てなんとなく関係ありそうなエントリに書いている、という印象を受けることが多いんですよ。エントリの本題から見て関係無いようなご自分の体験を書かれたりするので、結果として議論の輪には入らずスルーされている。

今回のNo.67

参考までに、
 資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官もいるそうです。
 一人の軽愚者と言われる人物に翻弄され、山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁を連想することしばしばです。

についても、正直言って前後の脈略もなく出てきたという感を受けましたし、「資料を読みふけり、同情の余地などない極悪人だと自己暗示を掛けながら、死刑執行書を起草する検察官」から「一人の軽愚者と言われる人物に翻弄され、山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁を連想する」のが何故かさっぱり分かりません。

しかし、朝日新聞のコラムで鳩山法相を「死に神」と評したのに対して、「鳩山法相を侮辱するだけでなく、死刑とその執行を揶揄するものになっている」というエントリに対してコメントが書かれており、「一人の軽愚者と言われる人物に(中略)山中事件という冤罪を引き起こした金沢地方検察庁」と「資料を読みふけり、(中略)、死刑執行書を起草する検察官」が繋がると言っているのだから、朝日新聞と同様に死刑執行書を起草する検察官を揶揄、侮辱することが目的だと読まれるのが当然ではありませんか?

もしそのような意図が無いのだとすれば、このエントリと何の関係があって書き込まれたのでしょうか?

私はNo.111に書いたように、いつものようにエントリに関係なく書きたいことを書いただけだと思っていますが、結果として重大な侮辱になってしまっているということを認識された方が良いと思いますよ。

廣野秀樹さんへ
こういう書き込みをしていると、あなたの批判ができない同じ穴の住人だとは思うのですけど、言葉の意味を文字通りにとって説明していただかなくてもいいんです。
あなたの書き込みに興味を持ってアナタのブログに言っても結局何もわからない、ということが一つの事実です。教えていただいたHPでわかってもいったいどういう事件であって何が論点なのかは、前知識がないとわかりません。非常に強い拘りと正しいかどうかはわからないけれど思い込みがあるだろうという書き方です。
それはそれとして、あなたが意識しているか無意識かわかりませんが、あなたのコメントはあなたの事情を知らなければ理解できないところから出てくるということです。ここは、モトケンさんの建てられたエントリーで議論をする、もちろんこんな掲示板ですから脱線もするのですけど、あまりにも自分の立ち位置からのコメントでは他の方の思考を刺激しない、むしろため息になるか、スルーになるという状況だと思います。
ですから、僕の言いたかったことは、わかってほしければわかってもらえるような提示を自分のブログですること、自分をわかって欲しいということを他の人のブログで行わないこと、むしろ後者に重点を置いて書いたのです。
あなたが生真面目にレスをしていただいたのは、あなたの善良なお人柄を示していると思いますが、書き込みをする時は一度自分の問題と離れてはいかがでしょう。
できなければ、他の方のブログに自分の問題を持ち込み過ぎだと思います。

キメイラ様

と、コメントをつけたところで大した回答はできません。
鳩山法相の発言を素直に解釈し、ごくごく当たり前の演繹操作を施した結果が上の主張ですから。

要するに、そのまんまでしょ?ということです。

ちなみに上のコメントでキメイラ様の御名前を誤記しましたこと、
謝罪いたします。

No.107 キメイラさん
わかりました。
遅くなりましたが、回答ありがとうございます。

No.147 ponさん

 お手数をおかけしました。ありがとうございました。

No.148 A.K.さん

 私の方こそ言葉足らずでイミフであったことをお詫びします。m(_ _)m

>No.146 少し慰問さん

 せっかくコメント頂いたのでレスをさせていただきます。なお、今日は最後の書き込みにさせて頂きます。

 正直焦りや苛立ちは自分でもあると思っています。今は、それしか書けなくなってしまいました。押しつぶされそうな重圧ですが、なんというか、虚しいです。正直理解に苦しんでいます。
 お互いさまみたいですが。
 その意味でも、モトケンさんに対しては、相応の返礼をさせていただきます。名誉も兼ねて。

No.151 廣野秀樹さん

 「今日」と言わず、これを最後のこのブログでの投稿にしていただくことを希望します。

>他の方のブログに自分の問題を持ち込み過ぎだと思います。
同意です。
言いたいことを言いに来た、それだけに見えます。

それと、151の恫喝めいたコメントには感心しません。
客観的に眺めて、根本はただの逆恨みだと思います。
モトケンさんはストレートに書かれるので、感情面でいろいろ思うところがあるのは理解しますが。

>No.152 キメイラさん

 あなたのコメントは刺々しいというだけでなく、犯罪行為に近いような気がします。

>154
ここにいる人たちの本来の性質は、あなたにもわかると思います。
その人たちが、どうしてこういう振る舞いに及ぶのか。考えたことはありますか?

刺激的な言動を良しとするものではありませんが、辟易とする人たちの心情にも察して余りあるものがあります。どちらにより共感するかと言われれば、当然に後者です。

No.154 廣野秀樹さん

 私は常連の一人として勝手に希望を述べただけです。よく人の文章は読んでいただくようにお願い申し上げます。なお、犯罪行為近いとは次のような脅迫(害悪の告知)紛いの言辞ではありませんか。

-----------------------------------------------
No.138 廣野秀樹さん | 2008年6月22日 23:56 | CID 157725  (Top)
>No.137 モトケン@携帯さん

 覚悟はよろしいですか?
-----------------------------------------------
No.151 廣野秀樹さん | 2008年6月23日 00:52 | CID 157750  (Top)
(skip)
 その意味でも、モトケンさんに対しては、相応の返礼をさせていただきます。名誉も兼ねて。
-----------------------------------------------

>No.120 キメイラさん

 キメイラさんは文献にお詳しい方であったようですね。相当の能力もおありの方とお見受けします。
 だとすれば、勘に触るような余計な部分は排除しませんか。疑問点については、単刀直入にお願いします。

>No.153 pegasusさん
 そのようなご意見ご指摘、個人的に歓迎します。

 皆様の反応がモトケンさんを動かすかも知れませんし、モトケンさんご自身がそれを期待されているのかもしれません。
 トピずれも問題も解消して頂きたいところですが、私の説明も現時点では不十分でしょう。
 土曜日の「法務業の末席」さんに向けた別エントリでの釣りが効を奏してきている気もしますが、溝を埋めていけたらと希望します。

>No.156 キメイラさん

 各方面への影響を慮ったうえでのコメントです。
 秋葉原の事件への共感者も少なくないようですし、加えて、模倣のコメントで逮捕者も少なからず出ているご時世です。

 自粛を解いて復帰します。o(_ _*)o

No.157 廣野秀樹さん
>疑問点については、単刀直入にお願いします。

 それは,キメイラさんがNo.156で次のように単刀直入で質問されてますよ。なぜ回答をスルーするのですか?
>犯罪行為近いとは次のような脅迫(害悪の告知)紛いの言辞ではありませんか。

>158
>各方面への影響を慮ったうえでのコメントです。
何をどう慮ったのか、伝わって来ません。残念です。

あなたの主張が正しいか否か・あなたの人格がどのようなものか、とは別に。
やはりあなたは、他者のブログに書き込むべきではないと思います。
何かが足りない、或いは何かが余計です。
それは何か?ROMしながらご自身で考えることでしょう。

>158
>各方面への影響を慮ったうえでのコメントです。
何をどう慮ったのか、伝わって来ません。残念です。

あなたの主張が正しいか否か・あなたの人格がどのようなものか、とは別に。
やはりあなたは、他者のブログに書き込むべきではないと思います。
何かが足りない、或いは何かが余計です。
それは何か?ROMしながらご自身で考えることでしょう。

No.158 廣野秀樹さん

 かぶってズレたようで失礼しました。
 次のコメントは端的に答えてないですよ。つまり「疑問点については、単刀直入にお願いします。(No.157 )」 読み方によっては…(自己検閲)…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>No.156 キメイラさん
 各方面への影響を慮ったうえでのコメントです。
 秋葉原の事件への共感者も少なくないようですし、加えて、模倣のコメントで逮捕者も少なからず出ているご時世です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>No.159 ハスカップさん
>No.162 ハスカップさん

 満腔の同意です。脅迫紛いの言動は控えるのが正しいです。おそらく「読み方によっては…(自己検閲)…。」とされた部分は同じことを考えていると思われました。

>脅迫紛いの言動は控えるのが正しいです

 主宰者であるモトケンさんの本心、反応を打診したようなものです。あまり真剣にとりあわないでください。

>164
やはり、あなたは私のコメントも、自分に都合よく解釈されていたのですね・・・

あなたのコメントとモトケンさんのコメントが同質ということは「ありえません」。

別トピで自分の下に、廣野さんの不思議なコメントが付いたものですから、「誰これ?」という素朴な疑問のもと、ここに来てみたわけですが・・・

放置しても書き続けるんでしょうねぇ、このお方。

>主宰者であるモトケンさんの本心、反応を打診したようなものです。あまり真剣にとりあわないでください。

 もしそれが本心ならばメールにすべきでブログで公然と摘示すべきではありません。ネチケットを御配慮ください。

>秋葉原の事件への共感者も少なくないようですし、加えて、模倣のコメントで逮捕者も少なからず出ているご時世です。

 こういう公然コメントは、貴方のこれまでの脅迫紛いの連投の結果、普通の感覚でどう評価(暗喩の理解;例「隅田川には蓋がない」)されるかを考えてみてください。極めつけの不快感を表明します。

>No.165 pegasusさん

 意味のない燃料投下に思えます。ちょっと残念。

>No.166 キメイラさん
>(暗喩の理解;例「隅田川には蓋がない」)

 意味不明です。ネットで検索しましたが、上位にはヒットしませんでした。

No.157 廣野秀樹さん
>別エントリでの釣りが効を奏してきている
No.167 廣野秀樹さん
>意味のない燃料投下

 これらは2ch同視のコメントで特に不快です。

>167
そういう自覚もありますw

一方で

ど の 口 が 言 っ た

という感想も持ちます。

あなた自身は、自分が正当な言論活動を行なっていると思っているのかもしれませんが。客観的には、あなたは荒らしの一類型に該当します。
あなたの主張は、おそらく新鮮なうちはそれなりに読む意味のある部分もあったんだと思いますが、今やただの邪魔者になってしまっています。あなたは、読者が自分のことを知っている前提であるかのような、よくわからないコメントを連発しますよね。あなたの「追っかけ」ならともかく、それ以外の人にとってはただの迷惑です。
いっそAAを貼り付けて回る人の方が、放置しやすい分だけ性質が良いとさえ言えるかもしれません。

おじゃましました。
ご迷惑をおかけしました>約一名を除く皆様方

No.168 廣野秀樹さん

 次のとおり訂正します。

>主宰者であるモトケンさんの本心、反応を打診したようなものです。あまり真剣にとりあわないでください。

 もしそれが本心ならばメールにすべきでブログで公然と摘示すべきではありません。ネチケットを御配慮ください。

>秋葉原の事件への共感者も少なくないようですし、加えて、模倣のコメントで逮捕者も少なからず出ているご時世です。

 こういう公然コメントは、貴方のこれまでの脅迫紛いの連投の結果、普通の感覚でどう評価されるかを考えてみてください。極めつけの不快感を表明します。

>貴方のこれまでの脅迫紛いの連投の結果

 やたらと強調していますし、敵愾心むき出しですね。
 そこまでやりましたか?
 仮にあるのなら、このエントリ以外に指摘しておいてください。私本人以外の偽装投稿もありうるわけですから。

昨日から続くこちらの投稿欄のオーバーヒートは、私の80投稿末尾の2行の記述がきっかけの一つと反省し、この24時間投稿を自粛して謹慎しておりました。

その80投稿での末尾2行は、更に元をたどれば「秋葉原事件の報道から思うこと」エントリでの、廣野秀樹殿の50投稿に対する私からの謝辞要求に端を発しております。あちらのエントリに改めて私の考えを投稿し致しましたので、私はこちらのエントリでは引続き発言を控えさせて頂くことにします。

皆様におかれても冷静に行動されますよう、切にお願い致します。

追伸、ブログ主モトケン様並びにキメイラ様始め常連投稿者の皆様のお気持ちに接し、心強く感じております。

前投稿訂正の自己レス

廣野秀樹殿の50投稿に対する私からの謝辞要求に端を発しております。
  ↓
廣野秀樹殿の50投稿に対する私からの謝罪要求に端を発しております。

 諸般の事情を考慮して投稿をしばらく自粛します。
 みなさまにはご迷惑をおかけしました。

素粒子は毎度噴飯ものなのでおかげで夕食時に夕刊を読む悪習が治りました

それはともかく素粒子は差別者の疑いがあります
歴史的に法執行に携わる人々を差別してきたことはよく知られていますよね。素粒子の死神発言はこの差別を固定し拡大する意図を持っています。なぜ確言できるかというと「死神」などというコナレナイ言葉を使ったから。日本語にはもっと的確でしかし扱いの難しい語彙があり新聞記者である素粒子が選択を検討しなかったはずはない。

>No.174 法務業の末席さん

あちらの件がきっかけということはないと思いますよ。
私は偶然に同時発生したものと考えています。
廣野氏のコメントに関しては、もともと潜在的な臨界状態が継続していて、それがついに破裂したものと見ています。
私も言いたいことはありますが、モトケンさんのブログ主としての見解がまだ出ていないので、それを待ちたいと思います。もちろん、モトケンさんのご判断に従います。

(保留になっていたコメントを転記します。対応が遅れてすみませんでした。モトケン)

モトケン先生もお忙しので、
No.101 (私)| 2008年6月22日 15:09 | CID 157632の前投稿を再投稿させていただきます。
ネットカフェからです。あしからず。論点が少し戻れば幸いです。

幻のNo.101
 恐る恐るコメントします。(保留になったらごめんなさい)

 私は、右系の産経新聞と左系の朝日新聞を購読しています。
 自分における平衡感覚を保つためと思っています。
 左派のヤメ蚊弁護士先生のブログにコメントさせて頂くのもその一つです。
 今は、WEBで記事を拾えたり、配信して頂いたりできますので、なぜと思われるかもしれませんが。

 それはさて置き、以下の記事を朝日新聞の見解として載せていました。

>法相、朝日新聞「素粒子批判」を批判(翌朝刊表題)

>引用開始
 鳩山法相は20日の閣議後の記者会見で、朝日新聞の18日夕刊1面の時事寸評コラム「素粒子」で死刑執行に絡んで「死に神」と表現されたことについて・・・
(以下中略)
 朝日新聞社広報部の話
『素粒子』は、世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムです。鳩山氏や関係者を中傷する意図は全くありません。
>引用終了

注: (h)を抜いてあります。
   ttp://www.asahi.com/national/update/0620/TKY200806200165.html

見る限り、他紙は「抗議」というニアンスの表現をしておりますが、やっぱり「あさひ」だから、『批判』って取るんだなあ。と思いました。

 ローカリ版なので、本社紙はわかりませんが、翌21日の「声」のテーマが、『死刑執行』でした。
 なんか、不思議な新聞と思ってます。(唖然)

 亀です。ご容赦を。

 ブログ主がPCが使えない状況のときに限ってこういうことになってしまうんだな、とため息まじりに思っておりますが、それはともかく

No.138 廣野秀樹さん

>覚悟はよろしいですか?

 この一言で私も腹を決めました。
 
 つい最近退場勧告(事実上のアクセス禁止勧告)をさせていただいたtmxさんが、その後に示した私とこのブログに対する配慮に比べてあなたの対応は他者への配慮がなさ過ぎます。

 今後、このブログに対する廣野秀樹さんの投稿を認めません。
 発見次第削除します。

 なお、コメント投稿の自粛を表明されている方が複数おられるようですが、私としてはその必要はないものと考えております。
 というか、投稿の早期再開を希望しています。

モトケンさん何をそんなにおびえているのですか?

廣野秀樹さんに釈明を求めたのはあなたですよ。

最後まで人の話を聞くぐらいの器量は持ち合わせてませんか?

(以下、ブログ主)
これまでのいきさつを知らない人にとやかく言われる筋合いはありません。
知って言ってるなら釣り認定です。
いずれにしても、今後あなたのコメントも削除します。
場外乱闘ならご自由にどうぞ。
(以上、ブログ主)

凶悪事件の裁判において死刑を求める世論は起こりますし、一部の世論調査では死刑制度存知が圧倒的多数意見になります。
とすれば、死刑の執行に関与される方々は、これら世論(及びその具現としての法律)によって「一つの個体の生命活動を強制的に停止させる責任」を職責として、背負わされた方々である訳です。
従って個々の心情・関係者の心情・第三者の心情等諸々抱えながらも、職責に殉じてくれた方々に対して、不当に貶めたり侮辱したり軽々に批判する事は許されるものではないと考えています。

死刑の執行が為される拘置所(であってますでしょうか?)は、法務省の組織の中では恐らく現場の第一線(言い換えれば末端組織)になるのだろうと思います。
そうした現場の第一線において、大臣直々の署名に基づく職務執行命令が届く事態は、これ以上は無いくらいの例外的な事象と考えられます。
そして直接法律の条文として「大臣直々の署名が必要」と要件が明示されているのは、それなりの数の法律を見渡してもやはり例外的な規定と思えます。

それは死刑の執行がそれだけ重たく、手違いを避けるべきものである事の現れでもあり、執行担当官の心情にも一定の配慮が為された結果だと個人的には考えています。
大臣直々の執行命令を受け取ることの重みでもなければ、いくら職責とはいえ執行の当事者になれるものでもなく、大臣直々の命令であっても職責であってもやはり躊躇が残るであろう現場の執行担当官の心情に対しての配慮です。
そして、大臣の職責は法律とか司法の判断に忠実であるべきものであって、その職責に忠実に行動した事を以て、名誉を傷つけるような論評を軽々に行う事は差し控える必要があると感じます。

そのような事をあれこれ考えると、死刑執行に際してもし犯人以外に責められるべき対象があるとするのなら、死刑を規定した刑法を持ち死刑制度存続を望む世論の多数意見とそれを構成する主体であって、決して執行に関与した特定の方々ではないだろうと率直に感じます。

No.180 通りすがりXさん

 次のような投稿がされたら私なら、予告や警告なく問答無用でアク禁にしてますよ。だいたい質問にまともに回答しないでこういう恫喝を書くのはネチケット違反の最たるものだからです。
 もちろん私よりモトケン先生の方が人間ができているので忍従に忍従を重ねた警告を経てから対処されたので頭が下がる思いです。
-----------------------------------------------
No.138 廣野秀樹さん | 2008年6月22日 23:56 | CID 157725
>No.137 モトケン@携帯さん

 覚悟はよろしいですか?
-----------------------------------------------
No.151 廣野秀樹さん | 2008年6月23日 00:52 | CID 157750
(skip)
 その意味でも、モトケンさんに対しては、相応の返礼をさせていただきます。名誉も兼ねて。
-----------------------------------------------
No.158 廣野秀樹さん | 2008年6月23日 01:45 | CID 157757
(skip)
 秋葉原の事件への共感者も少なくないようですし、加えて、模倣のコメントで逮捕者も少なからず出ているご時世です。
-----------------------------------------------

>いずれにしても、今後あなたのコメントも削除します。
>場外乱闘ならご自由にどうぞ。

了解しました。

最後に退場処分の理由だけ教えてください。

主に逆らうとそく退場がこのブログのルール?

(以下、ブログ主)
最大の理由はコメント欄における議論の流れを妨げたり混乱させること。
それ以外は、ケースバイケースの判断
例えば、ブログ主以外の者に対する侮辱など
その他、すべてブログ主による裁量的判断
(以上、ブログ主)

>マスコミという大衆に情報発信できる大権を持っている者が、軽率な筆で、扇動する罪こそ問いたい

全く同感です。

また、No.181 thx-1138様のご意見にも、改めて一国民としての、法の運用を見守る大切さを自覚するうえでも、勉強になりました。ありがとうございます。

1日半パソコンから離れてしまうと、コメント量がすごく、このエントリだけでも時間がかかりましたが、モトケン先生もお忙しい中で大変だったと思いますが、先生のご判断は正しかったと思っています。(ブログ主様で当然だと思いますが)
このエントリ自体、非常にデリケートな問題を扱っていると思いますので、色々な配慮が必要だと思います。
もっとも法律自体、社会秩序を維持する上で大切な物ですので、特に私のような素人は、脊髄反射的な反応を抑え、冷静に眺め判断して行くことも大事だな、とつくづく感じましたし、それに関係する法曹界のかたがたのご苦労も大変なものだと思いますし、この場をお借りして恐縮ではありますが、改めて、敬意と感謝を申し上げたいと思います。

>No.179 モトケン様

>投稿の早期再開を希望しています。

有難いお言葉を頂き、早速投稿を再開致します。
お気遣いありがとうございます。

元検さんのコメント
 「死刑の執行については、局付検事らがすべての裁判記録を細心の注意をはらって一言一句まで読み込んで、慎重の上にも慎重な調査を行った上で法務大臣に執行指揮の決裁を受けている」

を読んで率直に思いました。
 死刑判決を出したひどい冤罪事件(免田事件など)の裁判官・検事がきちんと”慎重の上にも慎重な調査”をしていればそもそも冤罪など起こらなかったのに。
 私自身は、今でも冤罪事件があるのを見ると、本当に法務省ってそんなに信用できるものなのかな?って感じています。
 

 起訴率が約4割で無罪率が0.03%というフィルタリングをかけても,人間がやることですからミスはなくならないと思います。
 起訴率も無罪率も先進国では最低レベルなのですが,こと死刑では,それでも法務省刑事局の死刑記録の精査を求められているのは,どんなに厳重にやってもミスは残るので,生命刑は慎重に慎重を重ねた末の手続きだと思います。
 免田事件では死刑再審無罪判決となったときのマスコミ論調(A新聞とY新聞?)では,当時の死刑執行審査で裁判記録に疑義が出て執行起案手続きが止まり,その結果,死刑再審無罪を導いたと報道されてました。
 慎重審査が免田さんの命を冤罪から救ったわけだそうです。

 「死刑の執行については、局付検事らがすべての裁判記録を細心の注意をはらって一言一句まで読み込んで、慎重の上にも慎重な調査を行った上で法務大臣に執行指揮の決裁を受けている」

素朴な疑問…
裁判記録から何らかの疑義が生じたときには、起案を差し控えるという判断が許されているのでしょうか?

No.188 yamakojikiさん

 キメイラさんが引用された「法務検察裏の裏」という本によれば,心神喪失や恩赦などの死刑執行停止事由とか,非常上告や再審事由があるとか,そんなときは起案や刑事〜矯正各局回覧決済が止まるそうです。
 実際,免田事件は再審請求段階から当然死刑執行はされてこなかったことがその証拠だと思います。

追加:

 法令上の根拠がありました。

刑事訴訟法第四百七十五条
 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

概括的には確定判決の執行が行政府に委ねられるというのは先人の偉大な知恵の所産であると直感的に思うのですが。

過日の「ベルトコンベアー」発言の印象によって、今回の問題に対する見方もいろいろ影響があるように思われますので、少しばかり振り返りますと、当初の報道における見出しのみでは「何とひどい人物か」と感じましたが、のちの釈明が報じられるに及んで表現の拙さには大いに問題があるものの、歴代法相に比して職務に忠実な方だなぁと思うようになりました。
(概して釈明なるものは恥の上塗りみたいなものが多い中で、釈明も聞いてみる価値があると思った珍しい例です。)

確かに大臣という要職にあるものとしては、誤解を受けるような表現は大いに反省していただきたいところですが、就任早々にしてその職責の重大さに狼狽されたことには聊か同情の余地があります。
以下は僕の推測に過ぎませんが…

→死刑執行命令の未決書類を引き継いだ。
→目を通してみると未執行が大量にある。相当長期にわたって保留されているものもある。
→そのほとんどが、判決においても起案においても疑いのないものである。
→これでは(少なくとも結果的に)不作為の謗りは免れえない。

何人もの先任者たちが保留した理由としては…
1 ごく一部の事案に関する微細な疑義
2 受刑者の素行等による時期尚早とする判断
3 専任者の(信教など)個人的信念による死刑制度に対する消極的態度
4 国内外の世論に対する配慮
5 いずれ任期の終了によって職責が免じられること
などが考えられます。

1、2は大臣の職責につきしかるべく。
3はそもそも任命を受けるべきではなく、あるいは後任が署名する可能性もあるので積極的に制度を改めない限り無責任。
4は僭越
5は怠業
と考えたならば、「ベルトコンベアー」は1、2の職務放棄という点で批判は免れませんが、一方3、4、5による不作為のもたらす結果は

1 後任者の負担の増大もしくは破綻(官僚的という批判はあるでしょうが深刻な現実問題です)
2 立法機関(及びその従事者)、司法機関(及びその従事者)及びそれらを通じて行われる国民(及び被害者もしくは遺族)からの付託に対する違背
3 死刑囚に対する虐待
4 法秩序の不安定化

つまるところは法務行政に対する信頼の失墜ということになるのではないでしょうか?
政治家としては利権にも集票にも縁遠い職でしかもプライドの高い法務官僚のトップでは居心地もよろしくない、おまけに前任者が放置していた仕事も処理しなければならない。いかにも「損な役回り」でしょう。
とは言え軽々に心情を吐露されることはやはり大臣の資質を問われますから、以後は粛々と決裁することになったと思われるのですが。

法務大臣が死神ならば肉屋は残虐非道な生業、消費者は言うに及ばずと断じてもよいでしょう。
今回の「素粒」子のご批判については子も含めていかなる個人がどのような信念を持たれようと結構かと存じますが、社会の公器を用いるには矜持とするところを失わないでいただきたいものです。

>No.190 ハスカップさん

勉強になりました。ありがとうございます。
朝日にとってはとどめになりましたね。

>No.190 ハスカップさん

ご教示ありがとうございます。
どこかで聞いたことのある条文でしが、確認できて恐悦に存じます。

 皆様からお礼レスをいただき恐縮です。(^^ゞポリポリ

 早熟な高校生時代から,冤罪と死刑と再審は文献と新聞切り抜きを集めていたもので,ただし未整理のままで(w,今は記憶だけが頼りの中高年です。

ヤメ蚊先生のblogに、こんなエントリが・・・・

−法相を「死に神」と言ってなぜ悪い−橋本勝の政治漫画再生計画第127回
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005

何と言うか、キョーレツですねえ・・・・

でも、上記エントリが言わんとすることは分からないでもないです(賛同はしませんが)。

法相として死刑執行を命じた以上、そのことについての責任(法的責任ということではなく、道義的責任、政治的責任といった意味合いです)は当然生じるものです。
(鳩山法相は、法相の職にありながら、その「責任」を回避したいかのような発言をなさいましたが)

ハイペースで死刑執行を命じてきた鳩山法相が、死刑廃止論者から、時に「死に神」といった攻撃的言辞を含めた激しい批判にさらされるのは、ある意味当然かもしれません。
(それが嫌なら、そもそも法相という立場にいるべきではないのでは・・・・・・)

素粒子氏の表現が許しがたいのは、法相を「死に神」呼ばわりしたことではなく、死刑執行を揶揄し、「死刑を軽く扱った」からだと思います。

>curiousjudgeさん

 取り上げようかどうしようか迷っていたエントリなんですけど、curiousjudgeさんに先を越されてしまいました。

 このエントリはコメント数が200に近づいていますので、別エントリを立てることにします。

 このエントリへのレスはお控えください。

 続編エントリを立てました。

 このエントリに対するものを含めてご意見のある方は以下にお願いします。

 死刑に対する朝日の見識の続編

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ブログタイムズ

このエントリのコメント