岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(2008年6月24日21時05分 読売新聞)
上記の読売の記事では、短大生は
「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
とのことですが、多くの新聞社の記事では(例えば産経)
学校の調査に、学生は「初めての海外だったので記念に書いた」などと釈明。
となっています。
この○○短大生(○○は適宜補充されたし)と思うと同時に、記事の「釈明」に違和感を感じました。
ヤフー辞書によりますと
釈明
自分の立場や考えを説明して、誤解や非難を解き、理解を求めること。
「初めての海外だったので記念に書いた」を釈明と言うべきではないでしょう。
追記
だいぶお灸をすえられたようですので、タイトルをトーンダウンしました。
続報追記
「落書き跡に銘板で校名残したい」伊の大聖堂が申し出(asahi.com 2008年7月10日20時5分 ウェブ魚拓)
災い転じて○○という状況になってきたと思います。
特に、落書きをした短大生らにとって。
それを発見した、日本人観光客の方も、開いた口が塞がらなかった、ではないでしょうか。
>大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
短大生のお気楽・短絡思考に比べ、あちらの懐の深さに、同じ日本人として恥ずかしく思いました。
困ったものです。
落書きはイケナイことよっ!
短大生の皆さん!KYですよ!KY!
美しい歴史遺産に落書きはご法度です。
あっ…もちろん(美しいサンゴでなくても)「KY」と落書きしてもいけませんからね!
○○短大生の主観としては「釈明」かもしれませんよ。周囲がそう受け取るかどうかはともかく。報道が勝手に「言い訳」とか「言いぬけ」と断定するのもそれはそれで問題かもしれませんし。「などと話している」という言い方ももちろんあるわけですが。
朝日やTBSの「釈明」と一緒なので・・・
多くの報道機関の感覚では「釈明」なのでは?
彼らの「釈明」は自分に都合よく主張する事と同義に見えるので(辞書さえ読まなければ)違和感無しですw
法律論争に全く馴染まない報道機関、の傍証かと。
先日、高校1年生の女子ばかり10人を引率してデザイン事務所に職場訪問しました。
女子でデザインに興味アリなのだから、ムチャクチャなのは居ないのです。
それでも集合場所で「服装チェック」と声を掛けたら意味が分からないらしい。
ネクタイがわざと緩めてあったりで、子供っぽいとは言えますけど、事務所では場違い確実でした。
いわばKYなんですけどね。
それでも10人も居ると、ネクタイを締め直す子が出てきて、他もそれなりにチェックして、ちょっとはマシになったところで会社に入ります。
それで、2時間ぐらい丁寧に説明をいただいて、終わる頃には、会社の中に居て不自然じゃない雰囲気に変わっていました。
高校生特有のチャラチャラした感じが皆無で、なんか作業をしていればアルバイトで通用するほど事務所という空間に合った態度に変わっていました。
服装チェックをさせたことが「知らない世界があるのだ」と感じて、それに合わせて態度が自然に変わったのだとすれば、非常に簡単な事なのですね。
今、若い人への指導は悪い意味で放置的なところがあって(その逆に理不尽に厳格な雰囲気にするのもあるが)、土壇場になって一気に「それじゃダメだ」となってしまうのですね。
KYというのは基本的には経験不足なのでしょうから、ちょっとずつ修正するとあとは自然に変化するものなのですね。
人はだれにも過ちはあるさ。
彼女らの真価は、これからの彼女らの生き方に掛かっているだろう。
今後、文化財の保護活動に精力的に取り組むとかがあれば、それはそれでよいと思います。
去年9月でも
AAAメンバー伊藤千晃、アメリカで岩にスプレーで落書き事件、
名大生、鳥取砂丘に「HUCK」と落書き。
最近も、聖火リレーのスタート地点に予定されてた長野・善光寺への落書き、と話題になってるんですけどニュースとか見ないんですかね。
古くは朝日新聞記者による珊瑚礁落書き事件や、モアイ像への落書きなど、文化財等現状復帰が困難なものへの破損、汚損は謝って許されるような物ではないんですけどね。
あ、記念に落書きするのは日本の慣習だから私もやっちゃった・・・っていうのが「釈明」の意味かい?
歴史にその名が刻まれた。 いろんな意味で(笑)
短大生自身が釈明の機会を与えると言われて「初めての海外だったので記念に書いた」と言ったのかもしれませんが、たしかにそれを「などと釈明。」と表現する新聞記者の言語感覚に違和感を覚えます。
では何と表現すべきかと言われれば「言い訳」とか「逃げ口上」あたりでしょうか。もしくは一般の新聞紙面にはそれらでは表現がやや下世話な感もあるから、「と言った」ぐらいか。
もしかすると、No.4 中山さん、No.5 MultiSyncさんのおっしゃるように、いまや「釈明」の意味自体が「言い訳」まで含むように変ってきているのかもしれません。ということは、新聞記者(や短大生)の方が現代の言語感覚に敏感で、おかしいと感じた者の方が時代遅れなのかもしれませんね。
彼の地の実情について紹介されています。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51070940.html
そうであるならば、釈明としては言葉足らずだったかも。
しかし、言葉を足したからといって釈明になったかどうかわかりませんし、恥の上塗りになったかも知れません。
女子短大生6人、フィレンツェで大聖堂の壁に落書き まとめwiki
こちらに落書きの写真が大きめに載っていますが、右側に消された痕跡らしい〜木亮介(?)という字も読めます。日本人の落書きもこれに始まったことでは無いのかもしれませんが、「峰女短」などと書いてしまったから身元が割れてしまったのでしょうか。
もう少し,遠景で撮ってほしいですね。
こんなだったりして,
http://www.zoomandgo.com/destinations/image_viewer.asp?dak=121619109
もしわざと近景で撮ったのなら,彼女を擁護する気はありませんが,マスコミの悪意は感じます。
文化的価値はさておき、落書きはその時代の人の息吹が感じられるから、歴史的価値は高まるのでは。
ROMに徹していましたが、久しぶりにコメントさせて頂きます。
これって、「ある種の冤罪」ではないですか?
あるいは、短大生らに対する「報道被害」のようにも思えます。
No.11 モトケン先生がご紹介されているブログ、および No.13 hattyさんがご紹介されているリンク先の写真を見る限り、現地において、短大生らがした行為は「慣習」として認められていることだとしか思えません。
たとえるなら、日本人がおみくじを引いた後、神聖なる神社仏閣の敷地内にある木々に、おみくじを結びつける行為のように。
あれを「神聖なる神社仏閣で、ゴミを散らかしてケシカラン!」と批判する日本人はほぼいないと思いますが、短大生らがした行為もイタリア人にはそれと同じことのように認識されているのでは、と思えます。
この記事を読み直すと、
・短大生らの行為を短大に連絡した日本人旅行者はどういう方で、どういう意図で短大側に連絡したのか?
・短大側は短大生らからどういう事情の聞き方をしたのか?
・この記事を書いた記者はどういう取材をしたのか?
など、気になるところが多いですね。
あと、
ですが、大聖堂側は本当にこんなことを言ったのでしょうか?
短大生らの当該行為があった後、この記事が出るまでには、色々な「勘違い」や「すれ違い」が繰り返されていたのでは、と思えます。
そのまま消さずに保存して
1000年もたったら落書きに文化財としての価値がつくんだよね
いたずら書きに関してですが、確かに沢山書かれているところもあります。しかし、決して「慣習として容認されている」ものではありません。
ましてや学校主催の行事で行っている訳ですから、私は、「外国人もみんな書いているから、私も一筆」というのは、教育の一環としてふさわしくないと思います。
他人の物を故意に壊したり汚したりしたらいけないこと。小学生でも知っている。それを「違法性阻却事由(構成要件取り込み型?)となる落書きを許容する事実たる慣習がある」だから「ある種の冤罪(&報道被害)」と解釈できるとするなら,特段の事由が必要です。
多数落書きがあれば「落書きを許容する事実たる慣習がある」とするのは,不自然不合理な独自の見解で国際協調主義やナショナルデファクトスタンダードにも反し,採用の限りではないと思います。
なぜなら,歴史的建造物には,国際条約を含め,世界的規模で共通の特別の保護(例:世界遺産登録制度など)がなされている明文又は不文の国際慣習法が確立されているからです。
なお,おみくじは「持ち帰らずに神社仏閣の木々に縛る」という慣行は,神社仏閣が明示又は黙示で許容しているので,日本人ならたいてい知っており,比ゆ参考例にはなりません。
No.15 けんさま
フィレンツェのドゥォーモは1980年代に一度いったきりなのでドーモ良く覚えていないのですが、独逸の古い居酒屋さんには昔の学生やお坊さんの落書きを残しているところもありますね。オックスフォードの食堂なんかにも後に大成した方の名前が残っていたり、倫敦塔にも囚人の書いた落書きが残ったりしていますね。
聖堂側が「もういいよ」っていったわけを知りたいな、と思います。
ちなみに小生、今年のお正月に閉門直前の薬師寺に言ったら、巫女さんたちがおみくじの片付けをしていました。おみくじ結び用の紐をの片方を外して、結んであるおみくじを一気に段ボール箱に入れていました。枝に結んである奴を外すのは大変だろうな、と思いました(^^;
>No.17 Feriさん
>No.18 ハスカップさん
世界の情勢にお詳しいですね。
は、私は知りませんでしたが、本件の短大生らも知らなかった蓋然性が高いように思います。とくに、
私見を述べれば、多数の落書きがあった上、周りで他の旅行者が“当たり前のように”当該建造物に書き込みをしている場面を目撃していた上で短大生らが当該行為に及んでいたなら、
少なくとも短大生らは当該行為を「慣習」と認識した上で行った可能性を指摘しうるように思います。
「故意」の存在は否定されるうるのでは、ということです
日本人ならたいてい知っていますが、他方、たいていのイタリア人はそんなこと知らないように思います。
>No.19 通行人1さん
私は実際に自分の目で見たことはないですが、そういう外国の話は聞きますね。
日本で公共の建造物に「夜露死苦!」「参上!××××」などと大きく書かれているのも、外国人旅行者にはジャパニーズ・アートに見えたりもするのでは、と私なんかは思ってしまいます。
No.11 モトケン先生がご紹介されているブログ、および No.13 hattyさんがご紹介されているリンク先の写真を見ると、そりゃ、聖堂側もいまさら修繕などしようと思わないだろう、と思います。
そもそも、聖堂側は、被害にあったという意識すらないのでは、と私なんかは思ってしまいます。
日本の巫女さんも大変ですね。
まあ、私1人が自重したところで巫女さんたちの負担はたいして変わらないでしょうし、来年以降も、おみくじは木々に結ばせてもらうと思いますがw
私は、歴史的建造物等に落書をしてはいけない、というのがグローバルスタンダードとしての大原則であると認識しています。
その大原則に反して落書が許容されるというのは特別の事情がある場合だと思います。
落書をすると幸せになれるという言い伝えがある場合などが考えられますが、
私はそのような例を知りません。
けんさんはご存知ですか?
例外の場合は、かなり特異な例外だと思いますので、観光ガイドなどに大きく紹介されているのではないでしょうか。
歴史的建造物に多くの落書がなされているのを見た場合に、
非常識な人間が多い
と考えるか
ここにはそういう慣習があるのか。じゃ、私もやろう。
と考えるかの問題のように思いますが、後者はその考え自体が非常識だと思います。
赤信号はみんなで渡ったからと言って青信号になるわけではありません。
>No.14 YO!!さん
それは、「14世紀の人が大聖堂建設当時に書いた落書きだったら」という条件付きではないでしょうか。現在まで大切に保存されてきた14世紀の建造物に上書きされた21世紀人のたわ言に「歴史的価値」という言葉を適用したくないですね。
「21世紀の人間は先達の遺産に敬意を払わなかった」という歴史的事実の資料にはなるのかもしれませんが。
けんさん
外国人観光客がおみくじを丸めてポイ捨てしたら「何やってんだ!」と怒られると思いますよ。この落書きはそういうレベルの行為ではないかと。いかに外国人観光客でも、木に結ばれたおみくじを「ゴミを散らかしている」とは認識しないでしょう。むしろ、おみくじ「だけ」が木に結ばれているのを見て、そこに何らかの意図を感じるのが普通ではないでしょうか。
聖堂の他の落書きに、「ここに落書きすることで神への敬意を表する」などと宗教的意図を感じさせるものがあったのなら、女学生の行為も正当化できないでもありませんが。いや、「テンパった挙句の記念カキコ」だと認めているからそれも無理かw
>No.22 モトケン先生
それはまったくその通りだと思います。 私はむしろ、1人で赤信号を渡っている人間より、みんなで赤信号を渡っている人間に対し、嫌悪感を抱くことのほうが多いタイプです。(例:路上で酔っぱらって騒いでいるサラリーマンや学生の集団とか)ただ、モトケン先生が、短大生らの当該行為を赤信号を渡るような行為であることを大前提としているのに対し、私は、本件を考える場合にそこを大前提と決めつけていいのかどうかをまず問題提起しています。
なので、議論がいまひとつかみ合っていないように思います。
モトケン先生は、イタリアには、非常識な人間や「赤信号もみんなで渡れば怖くない」という感覚の人間が多いとお考えなのでしょうか?
───────────────────
>No.24 みみみさん
う〜む、それはそうかも…と思わされますね。
ただ、短大生らが当該行為に及ぶ前、多数の落書きや、他の旅行者らが“当たり前”のように建造物に何かを書きこんでいく様子を見ていたとしたら、
「ここを訪ねたら、記念に名前を書く慣行があるのだ」くらいは思ってしまったかもしれないように思います(話がループしてますが)。
いずれにせよ、現場はどういう感じだったのか、イタリア人の感覚はどういうものなのか、短大生らの行為が現地でどのように受け止められているかなどをもっと知りたい気がします。
※それにしても、たまにコメントさせて頂いたら、いっぱいレスを頂き、恐縮ですm(_ _)m
「歴史的建造物に落書きをするのは事実たる慣習で許容されている(少なくとも当事者は文化財保護の国際慣行を知らないから故意がない)」
もしそれが正しいなら、どうしてラスコーの壁画を汚損した人は処罰されたんだろう。ラスコーの壁画は紀元前の原始人の落書きだからオーバーライドして汚染してかまわないということになるはずなんですが?
そして世界遺産登録や歴史的建造物を保護する価値はおかしいから,さっさと国際条約を破棄しないとおかしくないですか?
すでに混雑気味ですがひとこと。
元記事が印象操作的であったということは確実にいえますね。
その限りでは、No.15 けんさまの指摘に賛同できる部分はあります。
が、故意まで阻却 (ラクガキが悪いことだと認識できない状況) というのは無理筋でしょう。
みんなやってるからと、悪いことと知りつつノリで荷担した。
その際に特定可能な情報をわざわざ残したために一罰百戒的に晒し者にされた。
集団暴動・器物損壊事件があり、暴徒は警察が来たらことごとく逃走して追跡不可能になってしまったが、お調子者数人が取材のカメラに向かって実名・所属をでかでかと書いた幟を持ってピースサインしていた。ゆえに後日逮捕状にて通常逮捕。
みたいなものでしょう。
No.15ケンさん
> これって、「ある種の冤罪」ではないですか?
> あるいは、短大生らに対する「報道被害」のようにも思えます。
なるほど! 他にもいっぱい落書きがされてる当地の現況を伏せて、あたかも短大生らの落書きが最初・唯一のものという報道には、私も疑問を感じます。
たしかに歴史的建造物に落書きするのは非難されるべきです。しかし、ほかにも多くの落書きがあるとすれば、どうして旅人はつい落書きしてしまうのかという「サガ」や、その建造物の管理者はいつもどう対応しているのかという報道を読みたいですね。
原因を追及することなく、落書きした本人を責めて一件落着というのは、ヘンです。
>No.25 自己レス
>No.24 みみみさん
No.25では、思いっ切りかみ合わないレスをしてしまっていたことに気づきましたので、再びレスさせて頂きます。
そうですね。
ですから、短大生らも、多数の落書きや、他の旅行者が“当たり前”のように建造物に何かを書いている様子を見て、「建造物を不当に汚している」とは認識していなかった可能性を私は指摘しています。
むしろ彼女たちは、多数の落書きや、他の旅行者が“当たり前”のように建造物に何かを書いている様子を見て、そこに何かしらの意図を感じ取ってしまったのでは…と思うわけです。
>No.25 自己レス
>No.24 みみみさん
No.25では、思いっ切りかみ合わないレスをしてしまっていたことに気づきましたので、再びレスさせて頂きます。
そうですね。
ですから、短大生らも、多数の落書きや、他の旅行者が“当たり前”のように建造物に何かを書いている様子を見て、「建造物を不当に汚している」とは認識していなかった可能性を私は指摘しています。
むしろ彼女たちは、多数の落書きや、他の旅行者が“当たり前”のように建造物に何かを書いている様子を見て、そこに何かしらの意図を感じ取ってしまったのでは…と思うわけです。
>モトケン先生は、イタリアには、非常識な人間や「赤信号もみんなで渡れば怖くない」という感覚の人間が多いとお考えなのでしょうか?
けんさん,
「所変われば品変わる」ではありませんが,国が違えばものの考え方など180度変っても不思議ではありません.イタリア人がどう考えているに関しては,彼らに聞かなければ解らないことですし,日本人の感覚で考えることはできないのです.
#28の自分のカキコミを読み直して気付きましたが、
> (原因を追及することなく、)落書きした本人を責めて
> 一件落着というのは、ヘンです。
は、「一罰百戒」という刑法の基本的な考え方なのでしょうかねぇ。法的には自然な考え方なのかな。
罰を与えられた短大生は、過去と未来のラクガキ犯100人分の罰も併せてもらってしまったと言うことか。。。
多数の落書きがあったことは,短大生の犯行を誘発した誘惑的状況と見ればいいのではないかと思います。海外旅行の開放感という心情ノリも加わって。その限りで「ついイタズラしてしまった」という点に同情の余地がないではないかも。
マスコミの印象操作(報道被害)的な面としては,この点を強調すれば,意図的なトリミング写真を掲載して,あたかも無垢できれいな歴史的建造物に落書きしかたのような印象を与え……となるのではないかと思います。
ただ,どっちにしろ,故意は阻却されないでしょう。年長少年(18〜20歳)という学生の常識からしてもです。
>No.29 けんさん
仮にも大学に進学する程度の思考・判断力を持つ人間が、
「中世から伝わる歴史的建造物に、油性マジックペンで珍奇な落書きを書き込む行為を不道徳(違法ではなく)と認識していない」
のだとすれば、その道徳的リテラシーの不足を日本人として非とする社会的合意は、ある程度形成されています。
彼女達が非難されているのは「ある法律」に反した故ではなく、「ある道徳」に反したからであり、それは社会的合意を獲ているものであるからこそニュースに取り上げられ、注目と反発を集め、多数から非難されているのでしょう。
>けんさん
あなたがおっしゃる青信号であるケースは「聖堂の管理者が観光客の落書きを容認している」以外にはないと思います。
たとえ数百人が群がって落書きしていても、それが許されていない場所ならば、その尻馬に乗って書く行為はどうあがいても正当化できません。そして、「禁止だとは知らなかった」が言い訳にならないことは周知の通りです。
私は、仮にあなたの推測が当たっていたとしても、歴史ある聖堂の荘厳さを肌で感じ、その美に上塗りされた下らない落書きの数々(まさか独立した落書きコーナーが設置されていたわけではないでしょう)を目の当たりにしながら、そこに自分の落書きを付け加えることに何の抵抗も感じなかった女子大生の美意識の貧困さを憂わずにはいられません。
これは立小便とか賭けゴルフと同じようなものだと思うんですよ。世の中でやっている人は多いけど、法律ではきちんと禁止されており、現行犯もしくは犯行を割り出されたら正当化する術はなく、お縄を頂戴するしかない。咎められなかったとすれば、それは単なる「逃げ得」に過ぎない。「他の奴はお咎めなしなのに」とか「たまたま捕まって可哀想」というものではないと思います。
願わくば、この女子大生たちが、「今回は運が悪かった」で終わりにせず「歴史ある建造物に落書きする行為は悪である」と学習してほしいです。
ところで、あなたの先のコメントにあったこの部分ですが、
ジャパニーズ・アートというよりも、チンピラの多いスラム街だと思われるだけのような気がします。キース・へリング並みに芯の通った「作品」ならともかく、巷で見かける薄汚いタギングの類では芸術とは見なしてもらえないでしょう。
イタリア(やギリシャや欧州)では、女子大生マル文字署名が、アートに扱われることはないでしょう。宇宙人のミステリーサークル署名と勘違いされるかどうかは別として(笑。
落書きといえばニューヨークの地下鉄の落書きを連想しますた。
ニューヨークの街で割れ窓理論の正しさが実証されましたが、結局公徳心を高めるためには警察が検挙しても何の業績にもならないような落書き程度の見逃されやすい軽微な犯罪を、丁寧にパトロールして汗を流して現行犯でおさえることを積み重ねるしかなかったということでありましょう。そしてそれ(割れ窓理論)は、微罪で検挙して大々的に報道し一罰百戒することを是とするような態度とは全く異なった理論であると考えています。
私は、「人のものに落書きをしない」というのは法律以前の「マナーとか良識」の話だと思います。
変な例えかも知れませんが、駅のトイレなどに「差別的な落書きをやめましょう」などと書いてあったりすると独りで「差別的でない落書きはいいのか?」と突っ込んでいます。私としては内容に関わらず「落書きはいけないこと」という認識を持っています。
過去の落書きに文化財的な価値を見出すのは管理者や時代(大衆)の判断を待たねばならないことのように思います。例が極端かもしれませんが、バッハの「マタイ受難曲」は彼の死後80年近くも忘れられていましたし、モーツァルトは生前ヴィーンでは評価されませんでした(これは、当該の落書きに「芸術性がある」という意味ではありませんし、落書きを弁護しているわけでもありません。当初余り評価されなかったものが後世に高い評価を受ける可能性がある、という例です。先に書いた独逸や英国の落書きは、消すことが出来なかったものが結果的に文化的な価値を持ったという感じでしょうか。もっともオックスフォードの場合は現在にも引き継がれている伝統になっているようですが)。
もちろん、管理者が「許さん!」といえば罪になるのは当然のことです。
大聖堂がNo.13 hattyさんコメントの写真に有る様に落書きだらけであったため、思いもかけず議論が白熱していますが。。。
私が大学関係者だったら、当該学生の申し出という形を取って、当人達に消しに行ってもらう。もちろん、大聖堂管理者側と調整した上で。
大聖堂が地元民や各国観光客の落書きだらけなら、「災い転じて福と為す」ではないが、日本人のモラルの高さをアピールすることもできるし、地元で報道されれば歴史的遺物への落書き防止の機運を作ることにもなる。ここまで事態が大きくなると、当人達の今後のためにも、その方が良いでしょ。いやらしい話ですが・・・
もう一つ思い出しました。
「ベルリンの壁」。
西側の面は「落書きだらけ」で、崩壊前には「自由をテーマ」にしたアートの展覧会的様相を呈してましたネ。今では保存しよう、なんて話も出ていたように思います。
17世紀前半、アンコールワットに落書きを残した日本人もいましたね。
「遺跡を見ると落書きしたくなる」という習癖は、古来より日本人のDNAに深く組み込まれているんですかね(^^;)
さらに脱線しますと、鹿児島県大口市の郡山八幡神社の棟札には、16世紀に大工が残した
「(神社の)座主が大変なケチで、(改修工事の間)焼酎を一度も振舞ってくれなかった」
という落書きがあり、これが「焼酎」の用語が確認される現存最古の資料ということです。
(だからといって、彼女らの落書きを容認するつもりは全くありません。)
私が昔公衆便所で見た落書きでいちばんひとりツッコミしてたのは「落書きするな!」という落書き(笑)でしたね。
て、脱線に乗り遅れては脱線ジャーの沽券にかかわる(笑)私が落書きみたいなコメントで大変失礼致しました(陳謝)
>皆様
多くの賛否両論、多角度からのレスをありがとうございます。
私ごときのコメントがここまでの反響を呼ぶとは当初想像しておらず、大変恐縮しています。
それにしても、反論系のレスを読ませて頂くと、
「あなたは、何て非常識な人間なんだ!」と怒られているような気がしてしまうレスがありますね。
私は、短大生らの行為を擁護する方向でコメントしただけで、私が落書きしたわけじゃないのですが…
まあ、気のせいだと思うようにします。
頂いたレスにすべてレスするのは、ちょっとしんどいので、申し訳ありませんが、一部の方にのみレスさせて頂きます。
No.31 Level3さん
元々、私はそういう視点から意見を述べているのですが…
短大生らの行為について、モトケン先生が「万国共通の赤信号」という前提で意見を述べられているのに対し、私は「イタリアでも赤信号なのだろうか?」と問題提起したわけです。
一番上のほうから、読んで頂けるとわかると思います。
もしも、そのように読めなかったら、私の表現力の問題だと思うことにします。
>No.27 fuka_fukaさん
>No.28 某救急医さん
一部ご賛同ありがとうございます。
やはり、「無理筋」ですかねえ…
それにしても、 fuka_fukaさんは議論が白熱・混雑した時の交通整理がいつも上手いなあ…と感心します。
そういう意図からのコメントではないのかもしれませんが…
私にはそう感じられた、ということですが、勘違いでしたらすみません。
それで、頂いた色々なレスを1つ1つ見させて頂きますと、No.33 ハスカップさんの
というご見解あたりが一番真実に近いのかも、あるいは、落としどころとして適当なのかな、という気にさせられますね。
あくまでも私見ですが。
とまれ、皆様、レスありがとうございます。
またしばらくROMに戻らせて頂きます。
燃料を投下しておいて勝手に撤収して申し訳ありませんが、ご容赦頂ければ幸いです。
新聞記事の感覚としては、多分「旅の恥はかき捨て」みたいなのは怪しからんというような事もあるんでしょうね。
私は、ロングに引いたNo.13 hattyさんご紹介の写真を見て「ひでぇことしやがるな」としか思えませんでした。なので、割れ窓理論はどうあれ、この状態の尻馬に乗るような行動には、眉をひそめます。
文化財だとか美術品だとかでなくったって、私物であればもちろんのこと、公共物に落書きをするということ自体が『道徳的に』NGでしょう。
よくよく特例的に落書き歓迎となっているところでない限りは。
まぁ尤も、チョーシこいて尻馬に乗った「だけ」のことを、ことさら新聞が記事に取り上げてさらし者にするようなことかいな、というのが正直な感想ですが。
>>No.43 けんさん
ちょっとホンネを書きたくなりました(笑)。
若気の過ちは誰しも身に覚えがあります。私のような年寄になると折角イタリアの聖堂が事を荒立てず初心な若者の謝罪を受け入れようと言ってくれたものを、いっせいに横並び非難報道する日本マスゴミの、売らんかなに目が眩んで将来ある若い人たちのプライバシーの尊厳を平気で踏みにじる下劣な野次馬ぼろ儲け根性がもっとも忌まわしく思われました。この程度のことを一罰百戒を錦旗に日本人の品格低下につなげて書き立てるマスゴミに対して、お前が言うなというのが第一印象のホンネです。
しかしすでに同じような感想を抱いたと思われるけんさんはじめ幾人かの皆さんのコメントが読めましたので、これはそちらにおまかせすることにして、私としては第二印象のほうの警察と報道の不必要な相互便宜供与の問題を「割れ窓理論」の誤読誤用を招いた原因として>>No.37に書くことに致しました。
とぴずれの脱線コメントにみえるのは承知の上でしたが、そのうちうっかり本心から脱線しちゃいましたけど>>No.42(笑)。やっぱり暴走するならするで集中力が大事なんだなと反省しますた。誰とは言わぬが常連のあの人wweとかあの人sleepyとかさらにあの方々(笑)の集中力、つくづく尊敬しちゃいますホント(爆)。
No.45 ぼつでおk(医)さん
呼びました?(笑)
けんさんの問題提起に非常に共感を持っていますよ。
多分、マスコミの印象操作に引っかかったんでしょうね。
ということでNo.27 fuka_fukaさんのご意見に賛成です。
もう一言いいたい気もしますが、ぼつでおk(医)さんの期待に沿うのもあれなので終わりにしておきます(笑)
No.43 けんさま
別にけんさまを非難したつもりはなかったのですが、拙文の至らぬところお許し下さい((○| ̄|_
彼女たちがミケランジェロの壁画にでも落書きをしたのなら、非難轟々でしょうが、それに比べると「ちょっとましかも・・・」と思います。この辺の書き方は難しいですね、もちろん、「だから彼女たちは許される」ともいえないところがつらい・・。仮に彼女たちの落書きだけ落としても、そこだけ経年の汚れも一緒に落ちちゃって・・・(くどくなるのでやめましょう(^^;)
赤信号は誰にとっても赤信号か?という話は、やっぱり国によって違うような気もします。私が見たかぎりでは、一人でも行列するとバカにされているイギリス人や、隣の家の窓ガラスの磨き方までチェックするなんていわれているドイツ人は、車が走っていなくても横断歩道の歩行者用信号が青になるのを待つ人が多いようですが、フランス人やイタリア人は、自分が「渡れる!」と判断したら、歩行者信号が赤でもお構いなしに渡る人が多いようです。先日読んだ本には、赤でも平気で車が突っ込んでくるので(歩行者信号が青なのに)横断歩道を渡ることができない日本人に対して「ゆっくり歩けば車の方がよけてくれる、だから横断歩道を走ったらダメ!!車がよけきれないから」なんてアドバイスする国の話まで出てきました。
で、モトケン先生が指摘された記事の「釈明」という言葉ですが、やや「恣意的」な使い方ではないでしょうか?つまり学生や学校側が「言い訳」をしているような印象を与えるために使ったようにも思えるのです。ここはやはり、普通に「謝罪」でよいと思います。
訴訟法上(刑事訴訟手続きや民事訴訟手続き)では,「釈明」とはモトケン先生が引用された定義で使われており,現役の法曹の皆様は,マスコミ用語的な「釈明」という言葉の利用(誤用?)に釈明をしたいのだと思います。
マスコミ用語的な「釈明」用法ならば,「弁明」という言い方の方が語感が近いかと思います。
とびズレ。
日本人観光客→短大にメールで連絡→短大側調査
短大側謝罪、そして公表
今までで、一番「潔い」でしょう。教育関係者として適正。
No.13 hatty様ご紹介の写真を見て、「結構日本人多いじゃん!」と思ったのは私だけ?
しかし学校名書いちゃだめでしょ、いくらなんでもばれるから(^^;
そういう意味では、本人たちは悪いことと認識してなかったのかも知れんなあとは思いますが、「大聖堂」なんですから、信者さんの気持ちも考えて、もちっとお行儀良くしとくべきだったとは思います。
ただ、新聞に載せるようなことか?と正直思います。
今日の一句
「大聖堂 壁に きちきちばった飛ぶ」
私は事案の詳細も確認せず
こういったエントリーを立てるのはどういうことだろうと
言わざるを得ない心境になっています。
これじゃ、まるで「死に神」の朝日と
変わらないじゃないかと愚考します。
>No.52 どうだろうさん
話の流れが落書きの是非の方に流れていますが、そもそもエントリ本文は記事中での「釈明」の使われ方への違和感ということで、言語感覚シリーズの続編という位置づけではなかったでしょうか。
もうそこには誰も興味がないようですが(^^;
面白い議論になりましたね。
道徳というか教養や教育の問題として、短大生が落書きすることについての議論。
結果としての落書きがどういう意味を持っているのか、良いこと・許されること・批判されるべきこと・厳罰にするべき事、といった結果重視の議論。
報道からこの二つをどう読み取るのかという議論。
こんな事になるとは予想しませんでした。
わたしは今日は小学6年生の工作教室で、モーターで走り回るオモチャを作らせて、体育館で遊びました。
ちょっと困ったことに、体育館にコンサート用の木琴(マリンバあるいはシロフォン)が置いてあって、その上を走らせたがりました。
床を走らせて遊ぶオモチャが木琴の上を走ったらどうなるか?は大人だって興味があることですが、楽器は楽器として扱うべきだから、わたしは走らせようとする子供には「ダメ」と言って止めていました。
落書きというのは、大半はダメなところに描いてしまうわけで、ごくまれに意味のある落書きがあるわけですが、落書きをする人は落書きを描いてはダメなところなのか、描いても良いところなのか、を認識していないから「大半はダメなところに描く」のは事実です。
「描いたことを問題にするのか?」「ダメなことに気づかないことを問題にするのか?」で問題を評価する視点も全く変わるわけですね。
わたしは「落書きがダメ」と歯止めの掛からなかった短大生の教養のレベルには疑念がありますから、これは問題にするべきでしょう。
しかし、落書きして叱られたらほとんどの子供は繰り返さないでしょう。
先ほどの木琴の上で走らせることに固執する小学生は居なかったのと同じです。
こう考えると、基本的に「落書きをしたことの教養の不十分さは強く注意するのがよい」とわたしは思います。
しかし、結果だけを問題にして「清掃に幾ら掛かった」といったことだけを評価するのは大間違えだと思う。
洗えば落ちる落書きと、ナイフで彫ってしまったものでは、修復という観点では大違いですが落書き一般を抑止するのは、教養の水準の問題であって「簡単に修復できるから良いのだ」という話はないですよ。
「酔うぞ」がカキコミヲする時は常に酔っているの?
>No.53 無印粗品さん
>この○○短大生(○○は適宜補充されたし)
>と思うと同時に、記事の「釈明」に違和感を感じました。
私が疑問視しているのはこの太字の方です。
これについてはかなり疑念を持たざるを得ない立場です。
と言うより、元検事がそんな調子で
社会正義を論じていいのか?
とは個人的に思っております。
>No.54 酔うぞさん
後、もう一つ「実は、その文化遺産は落書きの嵐だった」と言うことです。
個人的見解を言えば、私は短大名を出した時点で
連中はバカだったと思いますが
そんなことはこういった失敗で
これからそうしないようにやっていけばいいことなんです。
どうせ、20そこそこの若者でしょう。
その上で、
「いい年こいたそれなりの立場のある人間が
躍起になって言うことではない」
とはそれ以上に思います。
こういった形で議論をすれば、許されないというのは自明だと思います。
道徳的にも法律的にもいけないんだと思うんですが、また僕自身は決してしないと思うんですが、一方でこんな夢想をします。
もし、誰かが、映画や小説などで、共感のできるシチェエーションを作り上げてラストの場面で大聖堂の壁に落書きをするというものを創作をしたら意外に共感されたりするのではないか。
このあたりは、状況の提示のされ方で、自分の判断をふらふらとさせてしまう人が多いのではなどと思います。
いけないことだと思ってはおります。
どうだろう様
全くの不勉強で申し訳ないのですが、いつからイタリアでは、宗教施設において落書きをすることが、観光客の法律上の職務と定められたのかご教示賜れれば幸いです。
私は、件の大臣は法律上の職務を果たして、朝日から「死に神」と中傷された(朝日は「風刺」と強弁してますが)んだと理解しておりますが、それと変わらないとすれば、短大生らは果たしてどのような法律上の職務を果たして、モトケン先生から非難されたのか、気になるところです。
ロム専の久々の一言です。
トレビの泉にコイン投げ入れるのは、お金がもったいない、許されぬ行為です、よね?
でもま、みんな喜んでやってるから、たまのイタリア旅行、許されるかも、とも思います。甘いかな??
自分は行ったことの無い所ですし、周りの空気がどうだったのかは分かりませんが、よそ様の壁に落書きをするなんて、正面きって言えばどう見ても許されない行為なのだとと思います。これが自分の娘だった、バカやろうって言うと思います。
でもですね、そんなことえらそに、読売新聞の新聞記者さんに、まるで敵の首でも取ったみたい上から目線で言われる。それは頭に来るな。確かにうちの娘が馬鹿な事した、かもしれんが、あんたらに言われるのは心外。
>No.58 じじいさん
私が言ってもいないことを前提にした話に
対応できるほどの知性を持ち合わせてはいません。
もっと、緻密な知性を持ち合わせるように
努力したい今日この頃ですm(_ _)m
それは、ちょっと違うと思います。
法務大臣が法律上の責務を果たしたと言うことでは
反論はありませんが
「責務」だけで前提や表層的な事実関係しか理解していないと
言うことにおいては二人とも同レベルです。
この報道の元ネタというか、短大に連絡された方のブログは↓ですかね?
http://ameblo.jp/gay-makeinu/entry-10107654985.html