まず、医師が刑事責任を問われるプロセスを簡単に説明します。
ある手術において、ある行為が原因になって不幸な結果(例えば患者の死亡)が生じたとします。
業務上過失致死罪を念頭において考える順番を示してみますが、
まず、その行為が過失行為と言えるかどうかが問題になります。
過失と言えなければそれで終わりです。その医師には何の刑事責任も生じません(故意はないというのが前提です。)
その行為が過失行為と言える場合には、次にその過失行為と死亡との因果関係が問題になり、因果関係がなければ業務上過失致死罪は成立しませんから、この場合も医師に刑事責任は生じません。
因果関係があれば、犯罪の成否の問題としては業務上過失致死罪が成立するということになります。
ところで、このような過失の有無とか因果関係の有無といのは、常に誰が見ても一見して明らかというものではなく、誰かが「過失がある。」とか「因果関係が認められる。」と言うように、事実認定(過失犯の場合は認定というより評価というべき場合が多いのですが)というプロセスを経てその存否が判断されます。
ここで誰が判断するのかという問題が生じるわけですが、通常はまず警察官が捜査をして判断します。
そして捜査が尽くされたと判断した場合(多くの場合まだまだ不十分ですが)に事件を検察官に送致します。
逮捕した上送致することを身柄送検、逮捕しないで送致することを書類送検と言ったりします。
但し、次に述べるように、送致後には検察官の判断が控えていますので、警察の送検と起訴というのは必然性がないということです。
送検されても起訴されない事件はゴマンとあります。
事件を受理した検察官は、あらためて過失の有無や因果関係の有無などを判断して、怪しい場合は嫌疑不十分として不起訴にします。
検察官が、過失はある、因果関係もある、というふうに犯罪が成立すると判断したとしても、その過失が極めて軽微であるような場合には、検察官において、起訴猶予という不起訴処分をする場合があります。
この場合は、検察官は、医師について犯罪は成立するが刑事責任は問わないという判断をしたことになります(但し、検察審査会の問題が残ります。)。
検察官が、医師の刑事責任を問うべきであるという判断をした場合は、その医師を業務上過失致死罪で起訴することになります。
起訴されますと、裁判官が犯罪の成否の判断を行うことになります。
裁判官が、過失も因果関係もあると判断すれば有罪です。
どちらか、または両方ないと判断すれば無罪です。
ただし、いずれにしもて判決が出るまで(確定するまで)は被告人です。
これまで(つまり大野病院事件以前は)、多くの医師が医療行為に関係する事件で起訴されて有罪になっていたと思いますが、事件当事者やそれを支持する人たちから不満の声はあったとしても社会問題化することはありませんでした。
検察官や裁判官の判断が、概ね納得されていた(有罪でも仕方がないなと思われていた)のだろうと思います。
ところが、大野病院事件では不満どころではなく、医療側から検察官に対する大非難が起こりました。
そのあたりを私なりに分析してみます。
医療側は、手術をした医師に過失はないと考えています。
しかし、検察官は過失があると判断して起訴しました。
医療側から見れば、過失がないなら起訴されないはずなのに、あると判断されて起訴されてしまいました。
その結果、それまでそれなりに信頼されていた(と思われる)検察官の過失の有無に対する判断能力に対して重大な疑念が生じたわけです。
言い方を変えますと、医療側から見ると、医療の不確実性に対する検察官の無知・無理解が露呈したということになろうかと思います。
私は、医療側から「刑事免責」という主張が出てきた最大の理由はここにあると理解しています。
つまり、医療の不確実性が顕著に表れる領域では、検察官の過失判断能力は信頼できない。
過失がない事案についても、過失があると判断されてしまう可能性が高い。
そうであるならば、検察官が過失があると判断した場合にも、医師が刑事責任を問われない制度的ないし手続的な保障がほしい。
今現在は、裁判官の判断は出ていないけれど、逮捕・勾留されて長期間身柄を拘束され、保釈されたとしてもさらに長期間被告人の立場に置かれてしまう。
そして、起訴事件の有罪率が99%以上であることを考えると、まだ判決が出ていないと言っても気休めにならない。
今後も、こんな事態が生じるならば医者なんかやってられない。
という現状認識と切実な思いがあることは容易に理解できます。
医師の思いに共感するかどうかにかかわらず、医師がそういう思いになるということは普通の人なら理解できるはずです。
そして、その思いの結果としての「刑事免責」の主張であると理解することもまた、通常の理解力の持ち主なら可能だろうと思います。
そしてこのような文脈において主張される「刑事免責」なるものは、別のコメントで指摘したように、法律家が最初に頭に思い浮かべる「刑事免責」とは意味が違うということは、法律家ならわかると思います。
私の理解では、医療側は、大野病院事件の医師には過失がない、と言いたいのですが、検察がそれを認めなかったので、検察よりもさらに上位の機関、つまり国会に対して、検察が過失があると認める場合でも医師が刑事処分を受けない仕組みを作ってくれ、と言っているように思います。
つまり、医師としては、本来処罰されるべきでない行為は処罰しないでくれ、と言っていると理解されるのです。
事実認定論の領域における検察不信に根ざす意見と言えます。
これに対して、医療側の要求を「業務上過失致死傷罪の廃止」と理解してしまうと、それは医療の不確実性の文脈からかなりずれてしまうように思います。
つまり、「業務上過失致死傷罪の廃止」と言うと、現在、業務上過失致死傷罪として処罰される場合も処罰しないでくれ、と言っていることになります。
これは、事実認定論の問題ではなく、過失犯処罰の当否というもろに刑事政策的選択判断の問題になります。
統計的に見て発生が不可避で、過失の態様としては比較的単純なヒューマンエラーが問題にされており、大野病院事件の事案とは質的に異なる場面の問題といえます。
「業務上過失致死傷罪の廃止」の議論もそれはそれで議論として成立するのですが、議論の文脈が違うことは理解されるべきだと思います。
このエントリを書いている最中に、 rijin さんの紹介で、「救急医療事故:医師らの免責検討…自民が刑法改正」というニュースを知りました。
大野病院事件の事案と救急医療の現場状況とは共通する部分が多いと思います。
というか、大野病院の事案は救急医療そのものと言えるのだろうと思います(違ってたらご指摘ください。)
このエントリが、今後の議論の参考になれば幸いです。
私の理解に異議のある方は、遠慮なく反論を述べていただいてけっこうですが、私のこのエントリは議論の文脈を重視していますので、文言解釈や形式論理による反論についてはそもそも土俵が違うとして返答しかねる場合があることを予め申し上げておきます。