http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080717k0000e040084000c.html
(ウェブ魚拓)
上記は毎日.jp のバスジャック事件の記事です。
少年の両親に関する供述が遠慮なく報道されています。
もちろん、警察がニュースソースで毎日はそれを報道しているだけかも知れません。
事件の原因を知らせるという意味では報道の意味があるのかも知れません。
世の親たちが子どもに接する際の参考になる記事なのかも知れません。
しかし、この報道を少年の両親も見るであろうこと、そしてこの報道を見た近隣の人が両親に向ける目を想像したとき、この少年が帰るべき家はどうなってしまうのだろう、はたして少年の居場所があるのだろうか、ということが心配になってきます。
私が子供だった頃の報道には節度と責任感がありましたが、今日のマスコミには節度も教養も感じられません。
弁護人がメディアに対してペラッペラしゃべった内容に問題があれば、それはひとえに弁護人の問題であるとされ、警察がメディアに対してペラッペラしゃべった内容に問題がある場合、それは警察の頭の悪さの問題とはあまり捉えられることなく、専ら報道機関の姿勢の問題であると捉えられやすいというのは面白いですね。
単位会の刑弁委員会あたりが警察に対して「まだ任意性の有無も信用性の有無も定かでない、そもそも公判廷で公開されるかどうかすらわからない被疑少年の供述内容をペラペラしゃべるとはどういう了見だ、ちったあ黙るってことを覚えたらどうだ。捜査協力費問題とか、お前ら喋らないと決めたら意地でも喋らないんだから、やればできるはずだろうが。」と、叱り飛ばしてやればいいんじゃないかと思うんですが、どうして弁護士会は抗議を申し入れないんでしょうか。
>>No.2 an_accused さん
もちろんおっしゃるとおりです。
しかしいまもむかしも世界中で「ペンは剣よりも強し」です。そして現代マスコミは日本でも第四権力に成長しました。しかしその力を日本のマスコミは自ら全く制御できていません。基本である三権分立からして戦勝国から外圧で与えられたため、権力を確立させる経験ができませんでした。特に司法の独立は日本ではあやしい(笑)。
いっぽう、三権分立を自らの闘争で確立してきた米国においてはマスコミも戦ってジャーナリズムを自らうちたてて三権の独立相互監視の輪の中に第四権力として割って入ることに成功したと思います。
日本のマスコミに不足していて最近特に欠乏が目に付くのが「ジャーナリズム」と「予断を排した不偏の事実の報道」だと思います。主にこの二つが第四権力のパワーを制御すると思います。そしてこの制御力は他者から与えられることでは身に付けることは不可能で、マスコミが自ら求めぬ限り自己制御力として獲得することはできないでしょう。
私は現時点では最も大きな破壊力を有するマスコミを直裁に指弾することが、最も被害を少なく食い止めながらジャーナリズムを育んでいける方法であろうと考えて、その立場から書くことを選んでいます。
第四権力が最初に正しく機能するようになれば他の三権も正しく確立されるであろうと予測していますから。「ペンは剣よりも強し」が真理であれば、ですが(笑)。
an_accused さんの鋭いアプローチにもおおいに勝手に期待申し上げながら(笑)のぼつでおkなボソッでシ。
報道の是非はさておき、近隣の人の目について。
結局のところ、それまでの両親の生き方や近隣住民との信頼関係で、どう見られるかは決まるものかと思います。
少年も、誰のせいにすることなく、自ら信頼を取り戻す努力をしなければいけない。
ただ、今回は被害者もいませんし少年である事も考えれば、少年には更生して欲しいと思いますし、周囲もそれに協力して欲しいと思うところです。
No.1 ぼつでおk(医) さんの「報道の節度」というご意見に肯けますし、No.2 an_accused さんが仰る通り「節度なき報道には警告」が与えれるべきと思います。
新聞は「報道する価値ある情報」だけを自ら選んで記事にするが、「お茶の間が求めるクズ情報」を率先して記事にするのは、大衆雑誌(週刊誌)やスポーツ新聞のやること。
イニシエの過去の時代には、このようなマスコミの役割分担というか、新聞と雑誌など媒体ごとの棲み分けが出来ていた。というか朝日新聞に代表される一流紙を自認する新聞媒体には、「下賎な話題は扱わない」という誇り高い矜持の意識、見方によっては鼻持ちならないエリート意識があったように思う。
取材で得た情報の中から何を記事にして何をボツにするのか、各報道機関なり報道人なりが、送り手としての責任と判断基準で選択していたのではなかったか。そもそも昭和30年代や40年代は、新聞もページ数が少なくて掲載スペースが限られていたし、電波媒体もNHKが2波に全国ネットの民法は3波しかなく、おまけに深夜0時過ぎから早朝5時頃までは放送を休んだので、媒体に載っけられる情報量自体が格段に少なくて、選別せざるを得なかった面もあったと思うが‥‥。
ところが伝達できる媒体の情報量拡大が進み、いつの間にか取材で得た情報は全て記事にして配信できるようになり、場合によっては増えすぎた媒体スペースを埋める為に、用でもない「埋め草記事」まで掲載するようになった。この結果掲載すべきか否かの検討を経ることなく、配信すべきでない情報まで報道記事として流されるようになった。これが諸悪の根元では無かろうか。
「国民の知る権利に応える為」に紙面を拡大する、電波チャンネルを拡大する、ネット経由での配信チャンネルを拡大する‥‥‥。
情報チャンネルの拡大は、有意義な情報伝達増加というプラス面だけでなく、ヨタ情報の伝達増大というマイナス面も社会にもたらす。そしてその膨大な伝達情報の中から、受け手の能力と評価と選別を迫られる。それが高度情報化社会に要求される情報リテラシーというヤツなんでしょう。
でも生まれたばかり赤ん坊から百歳の爺さん婆さんまで、1億3千万人の日本人全員の情報リテラシーが、10年や20年という期間で能力がアップするとはとても思えません。報道機関の側で今一度「情報の選別」と「記事掲載の基準」を見つめ直して貰いたい。
法務業の末席さま
>新聞は「報道する価値ある情報」だけを自ら選んで記事にするが、「お茶の間が求めるクズ情報」を率先して記事にするのは、大衆雑誌(週刊誌)やスポーツ新聞のやること。
私も、同じような考え方を持っているのですが、先日、戦前の新聞を見る機会があったのですが、びっくりしました。
もちろん、今のように写真などは少ないのですが、記事の内容は、今のスポーツ新聞の社会面よりも「露骨な表現」が散見されました。もしかしたら、本質は昔から変わっていないような気がします。
>近隣の人の目について。
>結局のところ、それまでの両親の生き方や近隣住民
>との信頼関係で、どう見られるかは決まるものかと
>思います。
田舎ならこれはいえるかもしれないけど
都会ならいえませんね。都会なら
近所付き合いがなくても普通だから。
報道をみて冷たい視線のみが浴びせられる
ことになるのでしょう。
No.7 FX さん
都会の空気は冷たいですね。
それはさておき、この報道については違う視点で否定的です。
「世の中を騒がせたかった」と言ったタイプの犯罪者はあまり報道しないほうが良い。
芸能人を並べてバラエティーよりになってる情報番組等で、一つの事件をしつこく取り上げて大騒ぎしてしまうと、「騒がれるのを目的」とした犯罪を誘発しそうな気がします。
自分もこうすればこうなるとイメージ出来てしまうんでしょうね。
この犯人、恐らく自分が今後どのような辛い目に遭うかは想像して無いと思います。そこまで報道されないから。
バスジャック事件の報道ではなく、川口の父刺殺事件の報道であるためトピずれではありますが、マスコミの事件報道つながりでこちらにコメントを付けさせていただきます。
川口の父刺殺、犯行時照明つけず…オカルト漫画を押収(2008年7月22日03時05分 読売新聞)
「お父さんが家族を殺す夢を見た」という供述から、殺害理由に被害妄想があり、その原因の1つにオカルト漫画があるのではないか、ということは考えられると思います。しかしこの記事を読んだ限りでは、関連性は明らかにされておらず、記事中でも「県警は、長女の部屋から携帯電話などのほか、オカルト漫画も押収。」としか触れていないにもかかわらず、記事の見出しに「オカルト漫画を押収」と付けるのは、事件の原因としてオカルト漫画が重要視されているという方向への誘導が感じられます。
まだ「県警で慎重に動機を調べている」段階なのだからで、記事の見出しの付け方も慎重に行い、このような予断を与えるような見出しは控えるべきではないでしょうか。
無印粗品さんが、問題提起された「川口の父刺殺事件」ですが、なぜ、あそこまで細かく、報道しなければならないのでしょうか。
また、学校名は一応伏せられていますが、実は、テレビ局の中継車が学校の前に停車しているのが、見えてしまうので、どこの学校がすぐにわかってしまいます。
少年犯罪についての報道は、もう少し周囲に配慮できないものでしょうか。正直、テレビや新聞を見るのが嫌になるときがあります。
川口の事件報道は私も苦々しい思いで見ています。
この事件はほんとに動機がよく分からないというか、かなり微妙な部分もありそうな感じがしています。
まだ取調官もはっきりしたことは分からないのではないかと想像しています。
そのような段階で思わせぶりな見出しをつけることにどんな意味があるのでしょうか。
ここでも、見識が問われていると思います。