エントリ

 プライベートのリンク集で久し振りに江川紹子ジャーナルを覗いてみましたら、運良く今日付の新作記事がアップされてました。

 ある犯罪被害者批判について

 詳細は、江川さんのサイトで読んでいただくことにして、ここで引用したいのは、以下の一文です。

この森という人は、被害者の置かれている状況について、あまりに想像力が欠けている。というより、実は被害者には(死刑に反対してくれる人以外)興味がないのだろう。

 実は、昨日、あるネット情報によってマスコミ業界の人間のどはずれた無神経さに反吐が出そうになっていたのですが、ここでも似たような感じを受けます。

 森達也氏の原文を読んでいませんし、江川さんが引用した文に対する論評には若干筆が滑っているのではないかと思えるところもありますが、「この感性が、やはり私には、どうしても理解できない。」という江川さんの感性のほうに共感します。

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コメント(55)

やはり、この国は滅んでしまえ!  そう思えます。
こういう感性が大手を振ってまかり通る。信じられないです。これまでの多くの議論に通底している、社会の崩壊が現れているようにしか見えません。

マスコミ業界の人間のどはずれた無神経さ

のぶれす・おぶりーじゅ?

のぶれす・おぶりーじゅ?
(エブリデイ・デマ・ペーパーによる用法?)

 復讐の念だけで人生をおくるのは無益だとは思います。
しかしながら、肉親を殺された人の応報感情を無視していたら、勝手に復讐する人間が現れたりして、この社会が法も秩序も道徳もない獣の世界になってしまうおそれがあります。
 個人的には死刑廃止終身刑の方が良い仕組みであろうとは思っておりますが日本人の感性からすればここしばらくは無理な気がします。目には目を、命には命をもって償うというのは単純なだけに説得力があります。

そんなに被害者の気持ちを考えるなら、仇討でも復活すれば。それで被害者が救われるとは思えないけど。
江川さんはオウムに関しては当事者なのでジャーナリストとしての視点がなくなるのが残念です。本来は死刑を決する権力に対してどう考えるかがこの話のキモのような気がしています。基本的に彼女は森氏とは映画「A」以来、わかりあえないのでしょう。(「死刑」という本をよめば少なくとも森氏は考えてものを言っていることはわかります。たとえ、意見が違っていても)

しかし、この件はともかく、食品偽装や殺人あげくは山本モナや倖田來未まで、被害者でもないのに被害者の気持ちを勝手に想像して怒る人が多すぎます。想像力の欠如も問題ですが想像力過剰も問題です。

このエントリーと紹介された江川氏の記事での指摘を拝見して、少しホッとする気分です。
引用文中の「…実は被害者には(…)興味がないのだろう。」については、死刑廃止論者の意見に接した時に感じた事をズバリと言ってくれています。凶悪犯罪で今後も発生するであろう被害者についても、興味がないのかも知れません。

死刑廃止論者の論考における犯罪被害者の存在の希薄さは前々から感じていました。

最近、森達也氏の「死刑」という本を読みました。
死刑問題の整理、それまで知らなかった死刑に関する情報に触れられた、という点で非常に読み応えのある本でした。
ただ、死刑制度に懐疑的もしくは反対の人々へのアプローチの丹念さに比べて、死刑存置論者との対決にはあまり力が入っていないように感じました。
特に、当時の犯罪被害者側の大本営といってもいい本村氏にコンタクトをとりながら直接取材せずじまいだったのは、どうしても片手落ちの印象を拭えません。取材できなかった経緯について色々書いていましたが、結局のところ「逃げた」のだろうな、と思っています。

そんなに被害者の気持ちを考えるなら、仇討でも復活すれば。それで被害者が救われるとは思えないけど。

 いやいや、個人による私刑を禁じて、統治機関が法に則って刑罰を下すのが法治国家なんですよ。
 仇を取りたいと思うのは当然のことで、昔は個人が勝手に仇討ちしてたんでしょうが、それだと世の中が不穏になって仕方ないので、個人に代わって国が裁きを下すことで、世の中を平穏に治めてるわけです。
 そして、そのためのルールが法律なんですよ。

ここでは人気がないw「たかじんの言って委員会」に出演されていた時に
自分の家族が殺されたら、相手を殺してやりたいと思うけど、死刑には反対って言い方をされていたので
結局自分のこととしては考えていないだけじゃないの?って反発感じちゃったのですが、今回のお話でそのこと言っていたか確認するために検索したのです。

そうしたら
[ただ、ずっと考えていたんですけど…たとえば僕の友人や家族が犯罪被害者遺族になったとして、その人が「犯人を絶対死刑にしてくれ」と言って、毎日それを願いながら生きていくとしますよね。そうしたら、その人が自分に近い人間であればあるほど、僕は「そんな人生でいいの?」って思ってしまうと思うんです。](マガジン9条インタビューより)

[僕ももし家族を殺されたら、その犯人を殺したいほど憎むでしょう。でもそれを理由に、社会がこの憎悪を引き受けることが整合化されることなど、絶対にあってはならない。全員が当事者になれないし、なる必要もないのです。]
(死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ)

違う時系列のインタビューを並べるのは間違っているかもしれないけど、こういくつか見ていると、やっぱり他人事だから反対できるのかなと思ってしまいます。


新實某なんかの手記を無批判に引用し、新實某の被害者を批判する「森」なる人はおかしい。それだけだと思います。

森さんのその「死刑」っていう本は読みました。
これは,個人的感想を書いた本でした。
要するに,彼は,
その新實という人と接したことがあるので,彼が死ぬのはとても忍びない,
とだけ言っているだけでした。
びっくりするくらい説得力がありませんでした。
特権的に新實と会えたことを誇っているだけじゃないかなとすら思います。

少なくとも「自分はたまたま新實と会うことができただけで,このしょうもない本を書いているのではなかろうか」という,本来あるべき自戒とか自省とかはありませんでした。ごく個人的な日記でも,もう少し他人の目を気にすると思います。それを売るなんて。びっくりします。

死刑廃止論者も,この著書からくだらない応援をもらったことをひどく迷惑すべきだと思います。

>死刑廃止論者の論考における犯罪被害者の存在の希薄さは前々から感じていました。

河野義行氏や原田正治氏は実際の犯罪被害者遺族であり、かつ死刑廃止論者なんですが?

(管理人から)
想像力の欠如(笑)さんのコメントが保留になってました。
このコメント関連だと思われますので、ここに転記します。
(以上)

盛り上がってますね。

森氏の話から死刑廃止論者の話まで話が広がっている
ので、一言。
実際の犯罪被害者遺族による、こういった意見があること
はご存じでしょうか?

「死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました」(河野義行さん)
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kouno.html

「加害者は許せない だけど死刑には反対です」(原田正治さん)
http://www.jinken.ne.jp/other/harada/index.html

犯罪被害者遺族の原田正治氏が代表をつとめる「Ocean」設立1周年記念・河野義行氏講演レポ
http://s19171107.seesaa.net/article/104303063.html

皆さんの「豊かな」想像力から、このような意見を
予想できましたか?

私は、他人の気持ちを自分勝手な「想像力」なるもので
決めつけ、勝手に「共感」しちゃったりする人が、
気持ち悪くてしょうがありません。

>仇を取りたいと思うのは当然のことで、
>昔は個人が勝手に仇討ちしてたんでしょうが、

こんなことを何の疑いもなく書く人とかがね。

個人的には、江川紹子さんの書かれた、

事実を見つめることも、自らを省みることもせず、言いたい時に好き勝手を言うだけの加害者を、せめて命で償わせたいと被害者が願うことは、「ぜったい」に許されない、ということらしい。
と言う箇所に、違和感が有ります。
話は、逆じゃねぇのか、と。

死刑の是非は置いといて、今の日本の死刑制度・運用からすれば、「事実を見つめることも、自らを省みることもしない」死刑囚ってのは、必然的に出てくるように思えます。
死刑囚に、「事実を見つめることも、自らを省みること」を求めるなら、死刑囚に対する指導・教誨etcを、ちゃんと制度化した上で行うべきなんじゃないかと。

投稿が即反映される場合と、そうでない場合があるのですが、どうなっているんでしょう?

死刑になるかもしれないという刑事被告人の立場に置かれることこそが、死にたくない人にとって「事実を見つめ、自らを省みる機会」だと思うのよね。

では、死にたい刑事被告人はどうなのかな?

でも、死にたい被告人も、死にたくない被告人も、結局のところ、刑事被告人の立場になろうが、指導しようが、聖書を読んでもらおうが「事実を見つめ、自らを省みる機会」なんか一生、ないんだろうと思うのよね。

人殺しってそういうもんじゃない?

「事実を見つめ、自らを省みる」っていっても演技がせいぜいでしょ?

>話は、逆じゃねぇのか、と。
>死刑の是非は置いといて、今の日本の死刑制度・運用からすれば、「事実を見つめることも、自らを省みることもしない」死刑囚ってのは、必然的に出てくるように思えます。
>死刑囚に、「事実を見つめることも、自らを省みること」を求めるなら、死刑囚に対する指導・教誨etcを、ちゃんと制度化した上で行うべきなんじゃないかと。

 私は、上が話が逆じゃないのか、と感じます。
「犯罪を犯した者」が、「事実を見つめ、自らを省みること」は制度の問題なのか?と。

 「それができない者をどう処するべきか?」という課題は制度の範疇でもあるでしょうが、上を【求めること】は、制度の範疇ではないでしょう。

全部あなたの憶測というか妄想だよね。
チラシの裏にでも書いてれば?

No.17 想像力の欠如(笑)殿

No.15 サラミジャーノ・レッジャーノ さんのご意見も、至極真っ当に思うのですがね・・・。

どの辺りが「至極真っ当」なのでしょうか?


>死刑になるかもしれないという刑事被告人の立場に
>置かれることこそが、死にたくない人にとって
>「事実を見つめ、自らを省みる機会」だと思うのよね。

具体的な根拠は?

>でも、死にたい被告人も、死にたくない被告人も、
>(中略)一生、ないんだろうと思うのよね。

具体的な根拠は?

>「事実を見つめ、自らを省みる」っていっても演技
>がせいぜいでしょ?

具体的な根拠は?

死刑囚の心理その他に関する学術的な研究の成果に
ついてご存じでしたら、その資料をご呈示ください。

>河野義行氏や原田正治氏は実際の犯罪被害者遺族であり、かつ死刑廃止論者なんですが?

それが何か?
総論としての話を個別の事例に落とし込むつもりであれば、こちらはカウンターパートとして本村洋氏や岡村勲弁護士の名前を挙げるだけですが?

横から失礼、

>>死刑囚の心理その他に関する学術的な研究の成果に
ついてご存じでしたら、その資料をご呈示ください。

近代の日本では、つい最近まで死刑囚の日常はおろか刑の執行
さえも秘匿されておりましたが、ひそかに「学術的な研究」が
行われているのですか?

 江川氏のような冷静な方すら、当事者となると意見が暴走しがちになっているのをみると、「他人事」としての意見は、たとえ不謹慎と思われるものであっても、大事じゃないかと思うんですけどね。

 森氏は変わった視点から考える材料を提供してくれる貴重な存在だと思っています。彼の個々の意見への賛否は別としても、そのスタンス自体を非難されるような江川さんの記事と、それに共感されるというモトケンさんの感想は残念でした。

もう入手するのは困難ですが……あぁ,ほとんどアマゾンで古書が買えますね,

小木貞孝「死刑囚と無期囚の心理」金剛出版
加賀乙彦「ある死刑囚との対話」弘文堂
加賀乙彦「死刑囚の記録」中公新書

作家加賀乙彦氏の本名が精神科医小木貞孝です。
一般書としては上記がなんとか入手できるかと思います。
その他では日本犯罪学会の「犯罪学雑誌」などに時々論文があります。
というわけで「学術的研究」はあります。

というか,いっちゃぁなんだけど,せめて「死刑囚の記録」「ある死刑囚との対話」「宣告」くらいは読んでないと,死刑,無期懲役,終身刑について語れません。

 私も当事者のはしくれですから、そういうつもりで読んでください。

 なお、このブログで2回以上コメントするつもりなら、「匿名希望」というハンドルは使わないでください。

ありがとうございました。
色々な死刑囚についての本は読んでいたのですが、どれも
教戒師や元看守、または支援団体(養子縁組など面会可能な
親族含む)からの伝え聞きや回想が多くて、「学術的研究」と
ところに「どうやって?」という気がしましたもので。


>>というか,いっちゃぁなんだけど,せめて「死刑囚の記録」「ある死刑囚との対話」「宣告」くらいは読んでないと,死刑,無期懲役,終身刑について語れません。

死刑制度を語るのは、人それぞれの生死にかかわる倫理
感からも語れると思います。

私も江川さんは一目置いているジャーナリストなので、このような発言を読んで残念に思いました。他人を「想像力が欠けている」と断じられる、ご本人の想像力に限界はないのでしょうか。応援しているだけに残念です。

現在の日本の死刑は、その本質において、個人の仇討ちを国家が肩代わりしているものだ、と、私は森達也氏の『死刑』を読んで、確信を深めるに至りました。
そして、仇討ちの肩代わりは、決して国家の機能ではないと、思っています。

それから、こちらやあちこちの議論で、「犯罪被害者本人」と「犯罪被害者の遺族」が混同されがちです。これはきちんと区別した方がいいでしょう。

>現在の日本の死刑は、その本質において、個人の仇討ちを国家が肩代わりしているものだ、と、私は森達也氏の『死刑』を読んで、確信を深めるに至りました。

 それはちょっと早計だと思いますよ。

いつも拝見させていただいています。初めてコメントをさせていただきます。素直に申し上げて、今回の江川氏の主張には掴みきれないところがあります。江川氏の森氏への批判が、被害者本人またはその遺族に対して配慮を欠いているという点にとどまるのか、森氏の主張自体に向けられているのかよく分からないからです。
森氏の主張は、おそらく、「被害者側が加害者への死刑を望む気持ちは理解するが、それは社会が全面的に汲み取るべきものではない」というものだと思います(そのうえで、被害者側が憎しみを持たない生き方を良しとする立場に矛盾はありません)。たしかに、森氏が新実智光の手記を引用することについて、その「感性」を問題にすることは理解できます。しかし、被害者の会が朝日新聞に宛てた抗議について、理屈として「筋違い」と考えること自体は、許されるものでしょう。
江川氏は、森氏が「でもそれと加害者への報復や憎悪を全面肯定することは、ぜったいに別の位相のはずだ」と主張しているのに対して、「せめて命で償わせたいと被害者が願うことは、「ぜったい」に許されない、ということらしい」と批判していますが、これは、モトケン様が「若干筆が滑っている」と書かれている以上にひどい誤読であると思います。
本エントリでのモトケン様の意図は、森氏(および「マスコミ業界の人間」)の「無神経さ」に対する警鐘であると思いますが、その材料として引用されている江川氏の見解は、少なくともリンク先の文章を読む限り、公平な論調とは言えないように思います。モトケン様は、これを無批判に紹介されていますが、これは、森氏の本来の意図まで見えなくしてしまう不意打ちに近い主張ではないでしょうか。その点で、No.22の方が言われているところに賛同いたします。

江川さんの文章

>それにしても!
> ここで「筋違い」を批判された被害者の中で唯一名指しされた高橋 シズヱ さんは、夫の一正さんを、新實が運んできたサリンと実行犯によって殺されている。現実と向き合うでもなく、自らの罪を悔いるでもない殺人者の言い分を肯定しつつ、その被害者を非難する。
> この感性が、やはり私には、どうしても理解できない。

という江川さんの感性に私も共感します。

私は「森」氏に品がないように感じます。

通りすがりという「匿名希望」に近いHNですので、以後ROMのみ致します。失礼しました。

ワタシは正直、江川さんの感性にも、森さんの感性にも共感しかねます。

江川さんは、要は、「反省もしない犯罪者が上から目線で説教するんじゃないわよ!」と、言っているわけで、
立派な人格者じゃないと社会的な発言はしてはいけないのかな、発言の内容と発言をした人の人となりは一応分離して判断すべきなんじゃないかな、と、ワタシなんかは思います。

森さんは森さんでうつむき目線で独り言に近いことをぶつぶつ言っているわけで、
社会に向けた発言と個人的感想をごちゃ混ぜにすることによって、理論の不備をごまかしているようなところがあって、なんだかなーって感じ。

つまりは、両方、論理ではなく感性の次元の話をしているので、
・・・まあ、人それぞれなんじゃねーの。
ってことで終了するしかないのでは。

こんばんわ

>立派な人格者じゃないと社会的な発言はしてはいけないのかな、発言の内容と発言をした人の人となりは一応分離して判断すべきなんじゃないかな、と、ワタシなんかは思います。

 人殺しが、死刑を人殺しだと非難しているわけでじゃあお前はどうなのだと言って悪いのかと言うだけだと思いますが?
 それとも白片吟K氏さんは言っている事とやっている事がぜんぜん違い人を信用するに値する人だと思われるのでしょうか?

 森さんの件については、理論の不備をごまかしているというより、死刑反対に対する感情論が先にたって、理論がぐだぐだになっている感じだと思います。

死刑という制度に対峙するに当たり、誰もが常に被害者遺族の立場に立たなければいけない理由は無い筈です。
この国における死刑制度は、少なくとも建前上は、被害者遺族の感情を満足させるためではなく、
社会の秩序維持を目的にしてるんですから。
そして被害者遺族に依った主張が許されるのならば、同様に死刑囚に依った主張も許されて然るべきです。
裁判官の内心を慮っても良いし、弁護人の苦悩を想像するのも良いでしょう。

そして被害者遺族の主張が重要だと言うのなら、他の関係者各々の主張も等しく重要です。
裁判も死刑も被害者遺族だけで行う訳じゃないのですから。

そして一番重要なのは、被害者遺族に依ったものではない、そして死刑囚に依ったものでもない、その人本来の立場に立つ主張です。
森氏の著作「死刑」から引用すると
「被害者遺族の気持ちを考えろ!」という決まり文句に対する森氏の言葉は
「では、被害者遺族ではない貴方はどう思いますか?」
です。

少なくとも森氏は被害者遺族ではなく、死刑囚でも無い自分の実存を明らかにした上で死刑に対峙してます。

江川氏はどうでしょうか?

被害者遺族に依っただけの文章なら、被害者遺族団体の広報が出せば十分でしょう。
ジャーナリストという肩書きをつけ、社会に物申す権利を持った人間なら、もっと価値のある文章を発信してもらいたいものです。

いや、
「お前に言われたくねーよ」
の応酬じゃ、話は進まないし、
ネットで、こういうように誰だかわからない人と議論も出来ないじゃないですか。

人殺しが、死刑を人殺しだと非難しても良いと思いますよ。
個人の殺しと国家の殺しはレベルが違うし、
死刑囚は死刑制度の当事者です。
意見を言っても良いと思いますが。
ま、説得力はないでしょうが。それとこれは別ですし。

>白片吟K氏さんは言っている事とやっている事がぜんぜん違い人を信用するに値する人だと思われるのでしょうか?

ケースバイケースですね。
現実はいろいろ事情があるので、言うこととやることが常に一致しているというわけにはいきませんから。
ただ、言っていることとやっていることが違うことについて本人がどう考えているのかについては聞きたいですね。
信用するかどうかはその返答次第ってとこでしょうか。


森さんは、「理」で人を説得するか、「情」で押すかのどっちかにすべきなのに、
両方中途半端だからグダグダなんだと思う・・・。

>少なくとも森氏は被害者遺族ではなく、死刑囚でも無い自分の実存を明らかにした上で死刑に対峙してます。

 どうなんでしょ、今回の新實智光の手紙を無批判に紹介した件を考えると、単に国家権力で人を殺しているという事を嫌悪しているだけのような気がしますが(それに見合った犯罪を犯しているという事を考えないようにして)

 それと、
>この国における死刑制度は、少なくとも建前上は、被害者遺族の感情を満足させるためではなく、
社会の秩序維持を目的にしてるんですから。
そして被害者遺族に依った主張が許されるのならば、同様に死刑囚に依った主張も許されて然るべきです。
 これについては、そもそも殺人=死刑なのかという話になってしまうわけで、ponさんの言い分だとまるで殺人をすればすべて死刑になっているという言い分に見えるのですが?
 すくなくとも、殺人を犯しても加害者の言い分に筋があればある程度減刑されるわけで、死刑になる事例だけををあげて加害者の言い分が通っていないと言うのはどうかと思いますが?

質問者様

無批判に紹介した、という言い回しが気になるのですが。
新賽氏の主張は、例外なく批判的に発信し、例外なく批判的に受けとめなければいけない、という考えが読み取れるのですが、違いますか?

あと、
>殺人=死刑
の下りはよくわかりません。

江川氏批判に対する批判も自由ですから、どちらがより多くの人を納得させる説得力が上かでしょうね。

ちなみに私は、一方的に危害を加え、反省の言葉もなく加えて被害者・遺族に対して「弱いもの」?と蔑む更なる痛手を加えるような人物の言い分を聞くほど人間できてません。

そしてその傲慢な死刑囚の言い分をそのまま載せ増長させ、反省を促すどころか逆にそのような立場になりたくなかった被害者遺族に対して自らキズが付かない位置から精神的ダメージを加え、更にそれをメシ種とする人物に非常に嫌悪感抱きます。

私は、感情論と批判されようとこのような人物の言論に耳を貸すことはないでしょう。
ということで、この死刑囚と森達也氏の言説には全く私の心に響きません。私にとって説得力0です。

森さんは中途半端、に同意です。

彼の死刑反対根拠が、知り合いの死刑囚への親近感だけ、と見えました。

被害者の遺族には死刑制度に直際な利益は無い、気持ちの整理がいくらか付けやすいかな?といった程度ですが。

「直接利益を受ける可能性のある当事者」に他の物と同等の発言権や影響力を与えることは、死刑に関しても不合理です。

サラミジャーノ・レッジャーノ さん が批判されていますが。

「事実を見つめ、自らを省みる」っていっても演技がせいぜいでしょ?
の言葉が想像に過ぎない、という批判は可能ですが。

逆に死刑囚・懲役囚が「事実を見つめ、自らを省みる」との主張こそ、根拠を示さねば成らない。
教育的観点による量刑の根拠は?と言う疑問への答も(理想的には)必要ですから・・

なるほど。
ところでカツビン様は光市の事件で弁護団は懲戒相当だと思いますか?

 トピずれです。

懲戒相当とは思いません。「現行」の制度上でいくと。

ちなみに現行の法・制度に適合するかという話と法・制度を変えていこうとする話しは種類が違うと考えてます。
法・制度を大きく変更するとなると、ある一定度の国民理解を得られる必要があると考えてます。相手が特定できるディベートや折衝作業なら兎も角、不特定多数であり・必ずしも論理的に考えられるとは限らない、そして知識・経験も様々の国民に対して意見を通すのであれば感情的反発が少なく理解しやすい言説するほうがよいと考えてます。

今回の件では、「一方的に被害を加えた死刑囚であり、被害者遺族の感情考えると躊躇する部分もあるが、死刑囚といえどもその言論には自由があり、そしてその中に真実も隠されている。その部分を抽出し、現在抱える司法および死刑制度の問題と課題を考えていきたい。」なんて枕言葉が付くだけで全く印象が変わると思うんですがね。
そのそも全く考えていない事は書けないか・・^^;

No.15 サラミジャーノ・レッジャーノさんのコメ はつまりは、

人を殺すという重大な規範違反をした時点で
殺人者は事実と自分から決定的に目をそむけたのであり、
1度そうした以上、自分を見つめ直すことは自己否定につながるから
2度と事実と自分を見つめ直すことはないであろう

ってことだと思うのよね。

最近、反省しない子供っていうのがちょいちょい話題になったりするけれど、
反省しない、もしくは反省というのは演技を要求されるものだと思っている発想と同じものを感じたので、ちょっと面白かったです。

ただワタシ的には、
人間、もっと可能性は大きいものだと思いますが。

私はそうは思いません。

この件における森氏対江川氏の非難の構図は
光市の事件における弁護団対世論の非難と相似です。
本質的に共通しているのは、例え被害者遺族が受け入れられない
としても、加害者の言葉を捨て置いてはいけないという点です。

そしてカツビン様は枕詞をつければ良いなどと仰いますが、
そんなものは解決にならない筈です。
少なくともここの常連ならば、被害者遺族が抱いている憤り、悲しみ、苦悩は、そんなふうに文言を少々いじった程度で誤魔化せるような軽いものとはみなしていない筈です。

犯罪被害者遺族の中には加害者が息をしているだけで許せない、という方がいます。
そういう被害者遺族像を想定するのならば、森氏に対しては
文章を取り下げた上で謝罪しろと主張するべきでしょう。
それを言えないのならば、森氏に対する非難は欺瞞です。

そして光市の事件で弁護団のサイドについた人が
この件で森氏を非難するのは、ダブルスタンダードだと思います。

最後に付け加えるのならば、加害者の主張は死刑制度を考える
上でも、裁判においても必要不可欠です。

いや、森氏対江川氏と光市弁護団対世論の非難は
言うほど似ていないと思いますよ。
少なくとも
>光市の事件で弁護団のサイドについた人が
この件で森氏を非難するのは、ダブルスタンダード

って言うほど同じじゃ無いです。

加害者の言葉と弁護人の言葉はまた違うし、
弁護団に対する非難は妥当かという問題、懲戒は妥当かという問題、全部論点は違います。
加害者の言葉vs被害者遺族感情というくくりは大きすぎると思います。

少なくともカツビンさんは森さんの論の説得力の有無の話をしているのであって、
ある弁護活動が懲戒相当かという、規範への当てはめ問題とは別次元ですよ。

そして光市の事件で弁護団のサイドについた人が この件で森氏を非難するのは、ダブルスタンダードだと思います。

いや、それはまったくの間違いです。
光市事件の弁護団の主張に関しては「好悪の感情がどうであるにせよ、刑事事件(否認事件)における被告人弁護において必要に基づいて発生する正当な業務」であるから、これを人倫に悖るだの被害者が傷つくだのの観点から非難するのは的外れである、と言う事です。
同じことを被告人弁護となんらかかわりのない人物が主張したのであれば、それは今回の森氏同様に非難され得たでしょう。

被害者遺族が抱いている憤り、悲しみ、苦悩は、そんなふうに文言を少々いじった程度

文言を弄るのがメインでなく、その部分の想像と配慮を欠いていることを読者に感じさせるのが問題であると言っています。
で実際に現在の日本でこの想像と配慮を欠いた意見が多くの人に受け入れられるとでも思っているんでしょうか。

森氏に対しては文章を取り下げた上で謝罪しろと主張するべきでしょう。

なぜそうなるのでしょう。なぜ「べき」なの?飛躍しすぎでは?ある意見に共感や反感を持つ話と実際に行動を起こす話しは別ですよね。共感・反感持つ意見には全て行動しなくてはならない?

貴方自身想定(想像?)しているならば、貴方が行うべきでしょうね。で想定していないのであれば、べき論はやめてください。自分で想定できないものを断定しないでください。

加害者の主張は死刑制度を考える上でも、裁判においても必要不可欠です。

「加害者の意見」が不必要とは言っていないようにみえますが・・・ちなみに私はその意図では言ってません。

法廷上の陳述等意見と自由意志・選択可能な自らの公表では違うと思うし、はっきり言って光市事件の被告人弁護内容には今でも嫌悪感ありますが、懲戒請求は別モノと捉えています。そのような人多いのではないでしょうか。

※もしこれ以上行うのであれば、場外乱闘にほうが適してるようですが・・・

しかし森氏は、新実被告が本当に日本の死刑制度に反対していると信じているのでしょうか?
新実被告の犯した行為は、単なる殺人ではありません。
彼は、教祖たる麻原の意志や教団の方針に従い、多くの人を殺傷していますが、これはまさに教団という「権力による殺人」そのものです。
そして彼は、これまで自身の行為について自己批判や内省すら行った形跡は認められません。
つまり、新実被告が非難しているのは、「自分たちを迫害した日本という国家の司法制度によって運用される死刑」であって、これが「オウムの望む国家制度になった日本において運用される死刑」であれば彼は非難するどころか諸手をあげて賛成するでしょうし、例え自身が死刑となろうとも、それがグルの命令であれば喜んで従ったと想像できます。
これは新実被告に限らず、「政治的に日本国の死刑制度に反対する」一部の自称人権派の方々にも言えることなんですがね。
問題はそのような欺瞞に満ちた繰り言(しかもどこかで聞いたことがあるようなものばかり)を、無批判に受け入れ、自身の主張に組み込む森氏のジャーナリストとしての姿勢でしょう。
例示するならば、「自民党政権が長期に続いていることをもって『日本は独裁国家である』と非難する某半島の将軍様の発言を取り上げ、嬉々として自民党を攻撃する某新聞」のようなものと言えます。

>人殺しが、死刑を人殺しだと非難しても良いと思いますよ。
個人の殺しと国家の殺しはレベルが違うし、
死刑囚は死刑制度の当事者です。
意見を言っても良いと思いますが。
ま、説得力はないでしょうが。それとこれは別ですし。

 そうですね言い方がわるかったですね。
 ただ、加害者の発言である以上、反省もせず、じゃあどのように償えばいいのかという代案も出さず、単に被害者に許さないのはおかしいと言う時点で一刀両断されても仕方が無い発言だと思いますが(自分が人を殺すのはいいが、他人が自分を殺すのは許せないと言わんばかりの主張ですし)

 あと、後で思ったのですがなぜ森さんは今回の手紙を公開したのでしょう?
 どう考えても、死刑反対に対しての資料ではなく、むしろ死刑存続に対しての資料にしかならないと思うのですが?反省の態度を見せず、被害者を攻め立てる手紙で、生きて償いをという死刑廃止派の意見を吹っ飛ばす主張だと思うのですが。

 森氏の文章の主目的はどこにあるのだろうか。 朝日新聞「素粒子」に抗議をした被害者たちを非難するのが主目的であるなら、新実被告の言葉を引用するのは全く不適切であると思う。少なくともこのような新実被告の言葉は、被害者や被害者遺族たちにとって何の説得力も無いからである。もともと死刑制度反対の立場を取っている人であれば、新実被告の言葉を偏見なしに受け入れることも出来るかもしれないが、被害者たちがその言葉を受け入れるのはハードルが高すぎる。
 その点に気付かなかったのであれば無神経、想像力の欠如の誹りは免れないところであろう。気付いていながら意図的にやったのだとしたら、敢えて難しい道を選ぶチャレンジャーであるか、理解を得られなくても非難さえできればOKという言いっぱなしの無責任なのではないだろうか。

 新実被告の言葉を紹介することには意味がある。朝日新聞「素粒子」に抗議をした被害者たちにも過剰反応という批判は当然あると思う。賛否両論あるだろうが、全面的に肯定されるものでもないと思う。しかし被害者たちを非難する論拠として新実被告の言葉を引用するのは不適切であったと思う。

 ただ、それはそれとして

<もちろん被害者遺族の辛さを、僕らはできる限りは想像しなければならない。その苦しみや怒りを少しでも和らげるために、この社会はさまざまな方策を考えねばならない。でもそれと加害者への報復や憎悪を全面肯定することは、ぜったいに別の位相のはずだ>

 「ぜったい」なのだそうだ。事実を見つめることも、自らを省みることもせず、言いたい時に好き勝手を言うだけの加害者を、せめて命で償わせたいと被害者が願うことは、「ぜったい」に許されない、ということらしい。

この部分については、森氏は「全面肯定することは、ぜったいに別の位相のはずだ」と言っている。全面肯定を否定しているのであり、部分否定であって全面否定ではない。これを「「ぜったい」に許されない」という全面否定に読み取るのは江川氏の誤読もしくは曲解であると思う。そこは「「ぜったい」に許されない」ではなく「「ぜったいに許される」というものではない」と読むべきだと思う。

自己レスです

>「「ぜったいに許される」というものではない」と読むべきだと思う。

「ぜったい」のかかり方をちょっと間違いました。全面肯定に対する否定を強める意味の「ぜったい」なので、言い換えないで「全面肯定することは、ぜったいに別の位相のはずだ」とそのまま読むのが正解ですね。

>無批判に紹介した、という言い回しが気になるのですが。
新賽氏の主張は、例外なく批判的に発信し、例外なく批判的に受けとめなければいけない、という考えが読み取れるのですが、違いますか?

 確かにそうですね、すみません、手紙の公開に対しての意見はNo48で書きましたので省きます。

>>殺人=死刑
の下りはよくわかりません。

 死刑が適用されるのは、加害者が100%悪くて被害者の過失0%かつ加害者がどうしようもない人物という場合のみのはずです。
 意見をいうのは自由ですが、加害者のすじが通らないから死刑判決となっただけの話です。
 死刑廃止論議としての論議は結局、犯罪行為に対してどの程度の刑罰が妥当かと言う問題なのですこし違ってきますが

>つまり、新実被告が非難しているのは・・・

新実被告は死刑になるのがイヤで、ただ能書きを垂れているだけにしか思えないのですが?
そのような単純な意図ではないのでしょうか?


>例え自身が死刑となろうとも、それがグルの命令であれば
 喜んで従ったと想像できます。

「喜んで」は無いと思います。
こちらでも、言い訳その1,その2と出てくると想像できます。

裁判対策上、宗教(グルの教えなど)を前面に出しているだけで
本心は「死にたくない」この一言に尽きると思います。

だったら、さらみに援助すればいいじゃんねー。10万円以上の。
懲戒請求損倍に備えて、敗訴金貯金してて懐が苦しいとしてもね。

もしかして、こいつ、懲戒扇動損倍訴訟とフライデー訴訟は氷山の一角で、借金まみれ?とか思っちゃうよ。

本屋で森さんの元の文章を立ち読みしてきました。
江川さんの紹介の仕方では文意がずれているところがあると思います。
森さんは何か文が紆余曲折していますが、大体な感じでは
すごく簡単に「被害者の気持ちになれ」と、被害者もしくはその親族でもない人が軽々しく言って、また、被害者の気持ちになれば死刑を望むはずだ、と短絡的に決めつけている状況にマスコミがあることに反対しているっぽいです。


>加害者の発言である以上、反省もせず、じゃあどのように償えばいいのかという代案も出さず、単に被害者に許さないのはおかしいと言う時点で一刀両断されても仕方が無い発言だと思いますが

新実被告は宮崎勤の死刑執行についての感想を書いたもので、
死刑制度とか、自分の死刑とかについては別に異は唱えていないようです。
ただ、
宮崎はもう頭がいっちゃってるみたいだから、いまさら死刑にしても仕方がないんじゃないかなー
といった感じの新実被告の感想は、
江川さんとか被害者の会の人達とかを怒らせるに十分でしょう。
森さんも、その辺を意識して、文のつかみとするにはあまりにも長々と手紙を引用したっぽいので、
要は、あの手紙を引用したのは、嫌がらせ的なふいんきがあります。

江川さんはそれを察知したので、
「この感性が、やはり私には、どうしても理解できない。」(=なにこいつ信じらんなーいっ!!)
と、怒っているのでしょう。

なにこいつ信じらんなーいって言うか、
そんなに執拗な粘着犯罪気質だとは思わなかったのよね。

逆切れDV系っていうの?

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