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 祖母と母親は葛藤に子どもを巻き込むべきではなく、わだかまりを捨てるべきだ−。中学生の長女と小学生の次女の引き渡しをめぐり、福島県の祖母と母親らが争った訴訟の控訴審判決で、仙台高裁が4日、1審同様に母親側の請求を認めた上で、子どもの立場に配慮して双方をいさめる異例の付言をした。

 家事事件だからどうしても一言いいたいという気になったのだろうな、と思います。
 裁判を紛争解決手段と見た場合、家事事件は金銭問題のように一刀両断で一丁上がりというわけにはいかないところがありますので(←「一丁上がり」は極論ですよ)、このような付言の意味は大きいと思います。
 というか、きっと付言が本論だったんでしょう。
 ただし、独りよがりのピント外れにならないように気をつけなければいけないと思いますが。

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コメント(1)

付言について。
私は大野病院事件の判決前に危惧していたことがあります。
それは無罪判決をしておいた上で、裁判官が付言で加藤医師の判断のいくつかを軽率であったとか、過失を強く疑うが立証し切れなかったなどと言うのではないかと言う不安でした。
幸いそれはありませんでしたが、勝訴判決で控訴する立場にない被告に付言で苦言を呈するのが良いこととは思えません。そうした考えから、私は付言自体は無くすか最小限にすべきだと考えています。


エントリーで示された裁判については、法律にのっとれば母親の権利を認めなければならないが、本当はそうしたくなかったのが本音なので、異例の長い付言になったのではないでしょうか。
司法の判断は法律に拘束されるので、裁判官も辛かったのだと思います。本当は、「法律が間違っている、立法府はなんとかしろ」と言いたかったのではないでしょうか。というか、事情を十分に知らずに無責任に叫んでしまいますが、「この子達を母親に渡さなければいけないなんて、法律が間違っている!」と私は思います。
と言ってしまうと、付言が無ければこの裁判官に人の心があるのか?と思ってしまうのかもしれません。


別の事件ですが、被害者の辛さを思うあまりに、判決を読み上げる声が涙声になった裁判官の話など、裁判官の感情が市民とずれていないことを知る機会が増えたような気がします。

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