curiousjudgeのつぶやき経由で知りました。
一読した印象として、
これが有名なジャーナリストの裁判制度についての理解なのか!?
という驚きを感じるとともに、
これほど見事なブーメランも最近珍しい。
と思っています。
ちなみに、このエントリのカテゴリは、マスコミ問題にしました。
すぐに追記
だからと言って、プロが何十年と培ってきた知識や技術を2年半で理解するというのは土台無理な話なのだ。
要するに、大谷氏は、医療事故に対しては、警察や被害者側弁護士を含めて司法は口を出すな、と言っているように読めます。
そもそも患者の脈や血圧を計った経験のある判事は一体、何人いるのか。
噴き出すのぐっとこらえて、人を殺したことのない裁判官は殺人事件の審理をしてはいけないのだろうか?という疑問を呈するのは揚げ足取りだろうか?
早速取り上げていただき、ありがとうございますm(_ _)m
大谷氏の文章は、どこをどう批判したらまともな批判になるのかわからないような支離滅裂な文章だと思います。
とりあえず、追記しました。
大谷氏は、最高裁の懇談会の委員を務めている(いた?)そうですね。果たして、この点をどう見るか。
・だからこそ裁判官の無能さ、傲慢さを実感できたのであり、司法官僚の実体を知るジャーナリストによる直言にはまことに価値がある。
・最高裁は、大谷氏のような人物に敢えて委員就任を委嘱することで、組織としての健全さを示したのである。
・最高裁は、単に人を見る目がないだけである。
私見では、もちろん2番・・・・と言いたいところですが3番です。
先ほど偶然に「curiousjudgeのつぶやき」を訪問してこの大谷昭宏氏なる者の見識に憤慨したら、モトケンブログでもエントリが立っていたのでビックリしました。
この大谷昭宏氏、早稲田大学の政経学部で裁判とか憲法について、一切何も学ばなかったのだろうか。人が暮らす社会にはルール違反や揉め事トラブルは、必ず起きるし法律や道徳などでは根絶することは出来ない。でも行司役として人間を超える絶対的な神様を引っ張り出すことも不可能だ。結局は人間である裁判官が、同じ人間の行為を裁かねばならない。
その人間である裁判官は神をも超える絶対的な権威としてルール化した制度が、近代法制度における裁判や裁判官の法規定ではないのか。本来は憲法や法律という単なる文章によって形作られたに過ぎない、紙の如く脆い法廷や裁判官の絶対的権威を作り上げ、何代も育み、権威を蹂躙しそうとす暴力から守るのに、人間は過去の歴史においてどれ程の努力と犠牲を積み重ねてきたのか。この人はこうした人間社会の歴史について何も分かっていない。
そしてこんな自分の不見識をさらけ出すようなみっともない文章を書く愚物を、硬派のジャーナリストとして崇め奉る新聞マスコミの世界も情けない。馬脚を現わすとはこのようなときに使う言葉であろう。
追伸、curiousjudge様
はてなブログのユーザー登録をしていないので、こちらのコメントを贈ります。
あの文章の支離滅裂さが分かる人ばかりなら良いのですが、少なからぬ読者が
「医療裁判は、素人の裁判官が、自分勝手な思いこみで判断を下している。そういうもんだ」
などという印象を抱いてしまうことを危惧します。
あと、無理矢理裁判員裁判に繋げているのも「何だかなあ〜」って感じです。
大谷氏が委員を務めていた「明日の裁判所を考える懇談会」(略称「明日懇」)へのリンクを貼っておきます。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/index.html
ここでの大谷氏の発言内容は、妥当と思われるものが多く、今回のコラムとのギャップが際だっています。
>プロが何十年と培ってきた知識や技術を2年半で理解するというのは土台無理な話なのだ。
だから医者ごときが司法に口を出すな、と論ずることもできるという直撃系ブーメラン(苦笑)。まあ、このブログの読者にはでじゃびゅ以外のなにものでもないでしょう。
大谷氏は2ちゃんねらーだったようですねww
法務業の末席さん、どうもですm(_ _)m
あのブログでのコメント制限をどうするかは、ちょっと思案中です。
実は、明日懇の第1回(http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi1.html)で、大谷氏は、次のように述べていますね。
なるほど・・・・・・
露骨なブーメラン瞬殺すれば、「司法試験に合格してない(司法修習を終了していない、裁判官に採用されていない)輩は裁判に口出すな」というロジックでは?モロに大谷氏を直撃しますね。
「先生、先生と威張るな先生、先生、生徒のなれのはて」、「誰でも初学者は素人だ」、「素人にも分かりやすい冒頭陳述or準備書面と立証で」etc.
「明日の裁判所を考える懇談会」ですが、大谷氏は第1回のときから平成17年の第15回までは委員として議事録に載っていますが、中断あけの平成19年に入ってから開催された第16回から委員から外れていますね。現在は裁判所の明日懇のページ冒頭の委員名簿にも大谷氏の名前はありません。
この間に何があったのでしょうか?
大谷氏が明日懇の委員から外れた(?)理由は判然としませんが、ひょっとしたら、実弟の大谷剛彦氏が、平成18年6月に最高裁事務総長に就任したことと関連があるのかもしれません。
もう一つ、再開後の明日懇では、裁判員制度について議論することが予定されていましたが(実際に、再開後の第16回、第17回で、裁判員制度が取り上げられています。)、大谷氏にとって、裁判員制度に対する最高裁の姿勢は、到底受け入れがたいものであったのかもしれません。
(単なる憶測ですが)
う〜ん・・・。
一応加藤先生を擁護しているつもりなんだろうなぁ、その点はありがたいよなぁ・・・と思いつつ・・・。
私にも何を言いたいか分かりません(苦笑)。
とはいうものの、裁判員制度についての危惧にはかなり同意。
>私にも何を言いたいか分かりません(苦笑)。
皆さんそうだと思います。
件の大谷昭宏氏のエントリーは、これ以外有りません。
↓
「集めてみた」>裁判官への悪口
ニコニコのタグなら「歌ってみた」とか有りますけどね(笑)
いや〜こういうのって擁護というより迷惑じゃないかなあ。
とりあえず「何を言いたいのか判らないからスルー」でしょうかねぇ?
どうも最近は、知識人と言われ方々が「大声で言っていることが意味不明」というのに出くわす機会が増えたように感じます。
何が分からないのか?と考えてみると、大谷氏が考えている「より良い社会」のイメージがさっぱり理解できない、に尽きるでしょうね。
「裁判官は専門家じゃない」なんてのは改めて大声で言うことではないし、そういう人に社会的判断を任せる、という約束こそが近代社会なのであって、大谷氏の描く社会は下手すると宗教裁判の時代に直結しかねないですね。
「薔薇の名前」を思い出してしまった。
ネットでは編集者の検閲がないので、ときとして、勝手応援団が応援先の背中を背後から打ちぬいたりします。悪質な褒め殺しより迷惑至極な場合もあります。
しかし、それを現実社会で(ry
私は「何を言いたいか分からない。」ではなく、「支離滅裂で論理がない。」であり、実は読者に対して「傲慢裁判官よ、畏れを抱け」の印象を植え付ける。その結果は、「間違った判決。医師は信頼ができない。」という考えを読者に抱かせる結果になる。
多くの人達が、懸命になって守ろうとし、それぞれがベストを尽くしたことをあざ笑っているように感じます。
curiousjudgeさんがブログで「大谷氏の発言だけに、このまま黙っているわけにもいきません。」と書かれていますが、その通りと思います。(私も自分自身として、何ができるか、あまりに微力すぎて、ここにコメントを書いているだけでしょうか?)
んー?
>要するに、大谷氏は、医療事故に対しては、警察や被害者側弁護士を含めて司法は口を出すな、と言っているように読めます。
>強く感じることは逮捕した警察、起訴した検察、そして判決を下した裁判所がここまで傲慢でいいのか、ということである。
そういう意味じゃ、専門家(医師)の意見を参考に無罪判決にした裁判所が主題に来るのはどう考えてもおかしいですな。
専門知識不足を問題視されていた筆頭は検察でしょう。
副題「― 裁判員制度を前に募る不安 ―」となっているし、裁判員制度への警鐘につなげたかったんだろうと思いますが、裁判官の知識不足の問題をとりあえず探してきました的な題材の選択がイマイチ感。
私は、同じ文章を見て、医療従事者でない方々が、医者がみんな彼と同じような理屈で法曹を非難していると思われたらたまったものじゃないと思います。
彼は、捜査段階や、裁判における証拠や証人の証言と言うものの価値をまるでわかっていないのではないでしょうか。
裁判官は、医療行為に対する高い見識があるから医療を裁いているのではなく、証拠証言を正しく評価する力があるから医療を裁いていると理解しています。
今回の裁判に関しては、適切な証拠と証言を提出した弁護士とそれらを正しく評価した裁判官がいたことを、医療側としては感謝しています。
(警察や、検察、警察署を表彰した県警に、逮捕を承諾した裁判所。かれらには言いたいことはありますが、トピずれデジャヴな不適切発言になりそうなのでここでは封印。)
被医療者ですが、激しく同感です。
大谷氏は時々支離滅裂な文章を書かれるように感じています。
但し、
医療者が同様の論理でっていうのは、本ブログでも過去には拝見したご意見でもあります。
今は殆ど見なくなり安心しているのですが・・・
素人が申すのも何ですが、「人の振り見て我が振り直せ」で宜しいのではないでしょうか?
それにしても、マスコミの方は書き飛ばすだけでなく、「筆禍」というものについてもう少し自省・自覚してほしいです。
大谷氏は、裁判員制度自体は批判してないのだろうか?
裁判員は、少なくとも法律の素人です。
法律的見解について裁判官に意見を言う裁判員は傲慢なのだろうか?
大谷氏の論理ではそうなるはずだが。
こんなことを言っている暇に、「裁判員制度などもってのほかだ。」と言うべきなのではないか。
>こんなことを言っている暇に、「裁判員制度などもってのほかだ。」と言うべきなのではないか。
禿同です。m(_ _)m
このO氏のロジックは論理矛盾が大杉ですね。
刑事法学を全く専門的に学習したことも実務経験も完全にゼロだから、「O氏の刑事裁判批判はもってのほか」という結論になりそうです。
ダブスタやブーメラン瞬殺となる文章を堂々とマスコミに載せるのはいかがなものかと思わずにはいられません。O氏……。
裁判員制度には大賛成らしい。
http://homepage2.nifty.com/otani-office/column/ot_040.html
訓練を受けた裁判官は、証拠証言の評価を概ね正しく評価する力を備えているとは思います。
ただ、医学等の専門知識の取り扱い方については、また別の問題があります。
専門知識の取り扱い方を誤っているために、ピントのずれた判決となっているとの感想を抱かれるような事態が、残念ながら皆無ではありません。
そのような事態を防ぐためには、裁判官の個人的な努力だけでは限界があり、
1 当事者双方による適切な主張立証
2 鑑定
3 専門委員の関与(民事訴訟のみ)
を適切に運用していくことが重要だと感じます。
現在の制度も、完全なものではないのでしょうが、裁判官としては、与えられた制度の中で最善を尽くすしかありませんよね。
http://homepage2.nifty.com/otani-office/flashup/n080825.html
>強く感じることは逮捕した警察、起訴した検察、そして判決を
>下した裁判所がここまで傲慢でいいのか
前2者は別にして、裁判官は傲慢とは言えないでしょう。
裁判官としての職責を果たすべく判決を出す必要は当然あるでしょう。ただ、もっと早く無罪の判決を出せたのではないかと思いますが。
>ただ、もっと早く無罪の判決を出せたのではないかと思いますが。
もし、よろしければ、そう思う理由を教えていただければ幸いです。m(_ _)m
訓練を受けていない裁判員に、証拠証言を正しく評価することを期待すること自体、無理筋だと思います。
業務上過失は今のところ裁判員制度の守備範囲外らしいですが、もし仮に大野病院事件に裁判員が参加していたら、有罪と思う人が多いのではないでしょうか。
>業務上過失は今のところ裁判員制度の守備範囲外らしいですが、もし仮に大野病院事件に裁判員が参加していたら、有罪と思う人が多いのではないでしょうか。
実際のところネットワッチングすれば,非医療者のブログでは結構,「人が死んでどうして無罪だ」というような論調のものが多いです.
結果論でものを考える限りこの呪縛からは逃れられないのでしょうね...
いつも思うのですが、裁判の進行がなぜこんなにも悠長に進められるのか疑問ですね。
逮捕拘留が平成18年2月18日のようですが、平成18年3月10日に起訴され、第一回公判がなんと翌年の平成19年1月30日、その後およそ1ヶ月毎に公判が開かれ、合計14回もの公判を経て、判決の第十五回公判、平成20年8月20日までに、2年半もの年月がかかっています。
第一回公判で、検察が起訴の内容の元となる根拠、エビデンス、EBMなどの医学文献を提出しない以上、判決にもありますように、立証不充分な根拠無き起訴として、裁判所はもっと早く判決が出せたように思ってしまいます。
ここのところは、第一回公判で、裁判官が上記の根拠、エビデンス、EBMなどの医学文献を検察側、弁護側にも提出を命令したのなら、もっと早く判決に向かったのではないかとさえ思えます。
普通の業過で(公判前整理付手続きを経ても)紛争する事案では、月1回の頻度なら、標準的なスケジュールですよ。もちろん、司法審査に時間がかかり過ぎとは思いますが、拙速に審理打ち切り無罪としたら「審理不尽の違法」という控訴理由が発生してしまいます。
厳格な証明を要する手続きは手間暇と時間がかかります。これだけの事件なら、弁護人の求釈明、検察官の冒頭陳述、証拠請求、弁護人の証拠意見、同意書証の要旨の告知、弁護人の冒頭陳述…までいったら、午後1〜4時までかかると思います。
訴状・答弁書と準備書面の投げ合いで戦闘開始10分から次回期日指定となる民事訴訟と大きく異なる点です。
>第一回公判で、裁判官が上記の根拠、エビデンス、EBMなどの医学文献を検察側、弁護側にも提出を命令したのなら、もっと早く判決に向かったのではないかとさえ思えます。
そんなことできると思いますか? 第一回公判前には裁判官は一切の証拠に触れられないので、事実上不可能です(余談排除の原則・起訴状一本主義)。なにか民事訴訟手続きと同一視されているようで、ご再考されてください。
>第一回公判前には裁判官は一切の証拠に触れられないので、
>事実上不可能です(余談排除の原則・起訴状一本主義)。
第一回公判前ではなくて、第一回公判時においての命令という意味です。検察側の根拠、弁護側の根拠、双方の根拠が揃って初めて裁判官も審理できるのではないでしょうか?
根拠がないのに、医学に素人の裁判官がどのように判断できると言えましょうか?
判決でも裁判所は検察側の根拠が立証されていないということで無罪と判決されています。
ご存知だとは思いますが、第一回公判で、検察官が弁護人の提出した医学文献に同意しない以上、弁護人も今回検察官が提出の証拠に同意できないとのことでした。
医学的証拠が提出されないのに、医学に素人の裁判官がどのように判断すればいいのでしょうか?
だから迅速に判決できないから慎重審理で時間がかかったのでしょ?
>医学的証拠が提出されないのに、医学に素人の裁判官がどのように判断すればいいのでしょうか?
ご存じだと思いますが、書証不同意だから弁護側証人医師の証人尋問でしょ。医学的証拠が提出されないとの記述は事実に反します。第一回公判で証拠(書証)が全部出されたと仮定しても、檀上で裁判官が速読して全部頭に入れて医学的に適切な吟味を経たうえで、ただちに決定なり命令なりを第一回公判で裁判官が出せると思いますか?
それこそ、証拠検討不十分なまま誤った訴訟指揮となるので賛成できませんが?
だから専門分野の知見が問題となる事件は、月1回開廷のペースでも時間がかかるのだと思います。
なお、公判前整理手続きで争点が紛糾すると、公判前整理手続きに半年から1年近くかかる例もまれではないようです。
「森広 さん」と「ハスカップ さん」のやりとりを興味深く読ませていただきました。
すなわち、裁判員制度との関連です。「紛糾する裁判は、裁判員制度の対象外とする。」としたら、本末転倒のサンプルだったりして。
えーと、この件に関してはモトケンさんや皆さんとは意見が異なります。
おそらく、皆さんのご意見は2通りであって
一つ目が、そもそもその意見自体が紛争解決としての手段の歴史や思想を知らない愚論であるというもの。
二つ目は
「『警察・検察・裁判所が現場も知らないのに高度に専門的な事柄に関して介入する資格はない』という意見をどうして裁判の実務も知らないジャーナリストが述べる資格があるのか」
というもの。(ブーメラン)。
さて一つ目に関しては十分な知識を持たないので論評を避けます。直感的には大谷氏の言うことには疑問がありますが。
問題は二つ目に関してです。司法や行政の介入そのものは国家権力の働きであって基本的にはひとつです。(よね?)
Aという機関とBという機関が同時に反対の裁きをくらわすことはない。
一方、論評とか批評とかいうのは同時に多様な、ときに反対方向の意見が出ます。出るほうが自然です。
なので専門でもないのに非難・批評することが"許されて"います。
「専門知識もないのに裁判する資格はない」という意見と「専門知識もないのに論評する資格はない」という意見とは一見同一平面状にあるように見えますが、実は次元の違うところにあります。
つまりブーメランだという非難は当たっていないと考えます。
>第一回公判で証拠(書証)が全部出されたと仮定しても、檀上で裁判官が
>速読して全部頭に入れて医学的に適切な吟味を経たうえで、ただちに
>決定なり命令なりを第一回公判で裁判官が出せると思いますか?
第一回公判時において、その場で証拠(書証)を全部出せとは言っておりません。
第一回公判時において、起訴状の内容を説明できる、立証できる医学的根拠を
次回の公判までに揃えておきなさい、ということです。
弁護側は起訴状の内容に対して反対弁護できる医学的根拠を次回の公判までに
揃えておきなさい、ということです。
医学的にはこれは当然のことで、いろいろなデータ、根拠を検討し合うことで、
医学的準則や治療のガイドラインなどが決定され、医師や歯科医はそれを元に
実際の医療を進めていきます。
ですから、司法としての裁判の内容も、医学的な内容についての裁判ですので、
当然のことながら、医学的な内容についての審理であるべきです。
ですから、
>書証不同意だから弁護側証人医師の証人尋問でしょ。
一人や二人程度の証人の証言は、医学的にはエビデンスレベルとしては
非常に信頼性の低い証言になります。
(エビデンスレベルは根拠の強さと考えてもらっていいです。)
ですから、医学的に立証するには不同意はあり得ないのであって、
証拠(書証)なき、根拠なき医療などありえないからです。
裁判官が証拠(書証)なき起訴内容を証人のみの証言で判決するとは、
もしかすれば、大谷昭宏氏の傲慢裁判官発言の根拠とするところかも
わかりません。
>第一回公判時において、起訴状の内容を説明できる、立証できる医学的根拠を次回の公判までに揃えておきなさい、ということです。
それならば了解です。ただ、検察側は、既に第1回公判で、冒頭陳述で立証予定事実を詳細に説明し、その立証に必要な証拠は証拠請求カードで明らかにしており、いずれも第1回公判で既にやっています。誤解があるようですのでご確認いただけたらと思います。第1回公判で同意書証は取調べられたようですが、本件の医学的争点部分の証拠は、ことごとく不同意とされたので、裁判所もご指摘の訴訟指揮は不可能だと思います。次パラグラフを参照ください。
>ですから、医学的に立証するには不同意はあり得ないのであって、
申し訳ありません。刑事証拠法に誤解があるようです。弁護士は被告人に不利な証拠は医学的鑑定書でも「不同意」にするのが通常です。そして証人尋問が本則です。ここにいう不同意は一般用語でいう不同意ではありません。「反対尋問を経ないで書証を証拠とすることは同意しない」という意味です。これは「伝聞法則」という刑事証拠法の基本中の基本的な制度です。
なお、医学的証人は1人では足りないとの意見は、医師でない私にも傾聴に値する大事な見解と思います。ただ医師を何人も証人に呼べば、医学論争を法廷で闘わせることになり、その分判決まで時間がかかることをご留意ください。教科書検定で教育法や憲法の専門家が証言して同様の事態になったと報道で見たことがあります。
もちろん、医学的な意見書を多数そろえて、弁護側検察側双方が書証同意して信用性を争うだけという争点整理ができていれば、書面審査で終わっただろうとは思います。
ご参考まで。m(_ _)m
刑事裁判って大変なんですよ(-_-)
民事裁判なら当たり前のように提出されるような書証も「読んじゃダメ!」ですから・・・・・・
韓国やドイツでは、原則として、無条件で捜査記録全部が裁判所に送付され、第1回公判前に裁判官が記録を熟読しています。初公判の開廷前に、裁判官が、証拠構造や証拠価値についても、参審員2名に懇切丁寧な説明をするゆとりがあります。
しかし、日本では、起訴状1本主義という余談排除の原則のもと、第1回公判前は、裁判官は起訴状しか見れませんし、公判開始後も、伝聞法則の適用により書証は弁護士が証拠同意したものしか読むどころか見ることもできません。
公判前整理手続きでも、第1回公判前に裁判官が目にすることが許されるようになったのは、「証明予定事実記載書」という「冒頭陳述要旨」の変形バージョンと「証拠等関係カード(どんな証拠を請求するかが書いてある)」という訴訟書類が加わっただけで、証拠を見ることは一切ありません。
公判検事の腕は、弁護人が不同意にしてとり死調べを阻止しようとする「有罪を立証する証拠」を、伝聞法則の例外規定(法321条〜328条)や判例(写しやFAXの証拠能力とか)を駆使しして、いかに裁判官に採用させるかだ、と聞いたことがあります。
ハスカップさん、詳細な解説どうもありがとうございました。
刑事裁判というのは、どうも医学からは遠く離れた次元のようですね。お医者さんごっこならぬ裁判ごっこのようにも思えてきました。これでは、ご遺族の知りたい事は到底知り得ないでしょうね。
>これでは、ご遺族の知りたい事は到底知り得ないでしょうね。
そう思います。裁判になれば真実が明らかになる、という期待が強いようですが、刑事裁判は被告人の罪となるべき事実と適切な量刑判断の資料を明らかにする手続きで、それと関係ない遺族が知りたいことが、法廷に顕出される手続きではありません。
ただ、被害者や遺族は、民事訴訟に必要であれば、刑事裁判記録を見ることができます。それでも記録にない事実は真偽不明のままだと思います。現在の被害者遺族の保護は、法制度でここが限界です。
> 医学的に立証するには不同意はあり得ない(No.40 森 広 さん)
この問題は当時にいろいろ議論されたので、参考となるエントリを引いておきます。
◆書証の不同意
ttp://www.yabelab.net/blog/2007/01/29-142035.php
◆書面の不同意(その3 医学文献について)
ttp://www.yabelab.net/blog/2007/02/01-140033.php
◆第一回公判内容 (2007/1/30更新)
ttp://www.yabelab.net/blog/2007/01/31-215618.php
◆公判前整理手続と起訴状一本主義
ttp://www.yabelab.net/blog/2005/11/02-173641.php
目からうろこです。こんなことも知らずに、検察による弁護側の証拠不同意を、無罪の証拠を裁判官の目から遠ざける卑怯な行為と考えていました。
エビデンスレベルの高い論文が証拠不同意とされたときに、その論文の筆頭著者の法廷での証言(論文内容の解説)は、エビデンスレベルの高い論文と同等(反対尋問を終えた時点では同等またはそれより上)のエビデンスレベルを有するように思いますがいかがでしょうか。
2つの治療A法、B法の優劣を比較するために、2000人の患者さんを集めて、1000人ずつに実施。これによりA法が優れていることを証明した論文が証拠不同意となったとき、この論文の著者が法廷でする証言が、この論文の範疇を超えない限りにおいて(すなわちA法がB法よりすぐれているという結論とその根拠となるデータ)は、個人の見解でなくエビデンスレベルの高い論文と同等であろうと言うことですが。
大野病院事件では、まさにこのようなことがなされていたのだと考えるか、少数例の経験の基づいた権威者の発言に過ぎないと考えるかは微妙ですが。後者と考えればこそ反対尋問は必要不可欠であったのだろうと思います。
>エビデンスレベルの高い論文が証拠不同意とされたときに、その論文の筆頭著者の法廷での証言(論文内容の解説)は、エビデンスレベルの高い論文と同等(反対尋問を終えた時点では同等またはそれより上)のエビデンスレベルを有するように思いますがいかがでしょうか。
私もそう思います。
ですから、定評のある学術的な文献の場合は、検察官(弁護人)としても、不同意にするよりは、同意した上で著者等に(著者の尋問が不可能な場合は著者と同等の権威が認められる人に)補足説明を求めるというのがスマートだと思うのですが、裁判官によっては、同意すれば補足説明はいらないと言って証人尋問請求を却下する場合もありますので、そのような場合は不同意とせざるを得ません。
>無罪の証拠を裁判官の目から遠ざける卑怯な行為と考えていました。
実務上の原則的機能としては、書証の不同意というのは、(冤罪かも知れない)有罪の証拠を裁判官の目から遠ざける(弁護人の)行為なのです。
ですから、加藤医師の弁護人は検察官が請求した多くの証拠を不同意にしているはずです。
弁護人に不同意を認める以上、公平の観点から当然検察官にも認められます。
大学同期の弁護士さんに聞いたことがありますが、不同意も考えもので、「証言になって内容が詳細過激になってかえって被告人に不利益ということもある」のだそうです。
同様に裁判官からは、「書証だと疑問点は疑問のまま残るが、証言だと専門家にその場で疑問点を質せるので助かるんだよ。」というアイの手が入りました。
これだから大学同期の法曹との飲み会は楽しい。(^-^)/
刑事裁判は被告が起訴状に書かれた行為をしたかどうか、それが犯罪にあたるかどうかを調べる場のようで、このことに関しては妥協がない世界だと思います。(ごっこではないと思います。)
起訴状に書かれていないことは、調べることがあってもあくまで寄り道か補足であって、本筋ではないのでしょう。何が起きたかを隅々まで調べることが裁判の目的でないので、起訴された事実があったかどうか、それが犯罪かどうかのどちらかに関係ない様な事柄は、刑事裁判にとっては重要でないのではないかと思います。
遺族にとっては、真実が解明されていない、と言うことになるし、
医者にとっては、何の予防策の提示もなく役に立たないということになるのですが、
そもそもそういうことを刑事裁判が守備範囲にしていないので当然だと思います。
以下蛇足の独り言です。
すべてを明らかにしたり、予防策を提案したりするには、刑事裁判とは異なるシステムが必要であるので、医療事故調査機関の必要性が主張されているのだと思います。
わたしは、このようなシステムが期待通りに機能するには何年もかかると思います。
すべてを明らかにするためには、証言者が進んで過失を明らかにする動機があるべきですし、そうでないとすれば証言の強要が必要です。
進んで証言させるには、免責かあるいは後に偽証がわかったときに証言した場合と比べものにならないほどの厳罰が必要だとおもいます。
強要された証言は裁判で証拠とするにふさわしくありません。(強盗殺人犯人にすら認められている基本的人権である黙秘権を奪った後の証拠だからです。厳罰論もこの考えから棄却されるべきでしょう)たとえ証言者の行為が犯罪的であっても(あるからこそ、真実の証言を得るために)証言者の免責を必要とすると考えます。
この過失行為を犯した医師の免責に被医療者が賛成するにもしぶしぶ納得するにも時間がかかると思います。
重過失に相当する事案のみを、警察や司法に通知すると言うしくみが考えられていますが、裁判であれば黙秘したであろう証言内容を根拠に重過失容疑と認定するとすれば、事故調での黙秘や偽証を回避することが出来ず、事実の解明、予防策の提案と言う事故調構想の根本を危うくする可能性が高いと思います。
拙速は屋上屋を架すことになるか、仏作って魂入れずになるか、だと危惧しております。
蛇足の蛇足ですが、
医療が刑事裁判の標的となることがまれだったころは、
医療事故や副作用、診断に困難を極めた症例、治療が困難だった症例が、うまくいった例も、うまくいかなかった例も、学会や学術雑誌にたくさん発表されていました。今、そういう演題はほとんどありません。学術雑誌のCPCも、剖検で誤診が明らかとなった症例などは載っていません。
他人の失敗や成功を学ぶことで医学が進歩し、医師個人も精進したのですが、それが困難になったことが医学の進歩、医師のレベルアップを妨げていることは悲しい事実です。
>他人の失敗や成功を学ぶことで医学が進歩し、医師個人も精進したのですが、それが困難になったことが医学の進歩、医師のレベルアップを妨げていることは悲しい事実です。
安全工学は今風にいうと「失敗学」です。よろしかったら、失敗事例も仮名化して発表できて議論が復活できればと思います。「X県Y市のZ病院のXXX手技例(失敗)」とか。