http://www.asahi.com/national/update/0922/SEB200809220002.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080922-OYT1T00188.htm
http://mainichi.jp/select/today/news/20080922k0000e040003000c.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080922/crm0809220936003-n1.htm
母親は容疑を認めているようです。
第一報当時から痛ましい事件だと思って見ていましたが、別の意味で痛ましい事件になりそうです。
親子で難病………。・゜・(ノД`)・゜・。
合掌 _| ̄|○ m(_ _)m ○| ̄|_ 黙祷
母親の病気は新聞の記事からは、よくわからないのですが、症状はなんとなく鬱病ぽい感じがしますね。子供が殺されるのは、いつも気が重くなります。見ず知らずの誰かに殺されるのもひどい話ではありますが、親が自分の子を殺さねばならないという状況もつらく悲しい感じがします。
人の命のはかなさと、そうであるが故に尊いのだということを皆がもっと知識としてではなく、実感として認識してもらいたいものです。
うつ病や抑うつ状態は、毎日がこの世の終わりみたいに感じて、悲観ばっかりに思考が発散収束して、とても辛いからな〜(シンミリ
特別支援教室の子ということですが、記事を読んだ感じだとADHDかボーダーラインみたいですね。
小学校に入学してはじめて障害の可能性を言われたのかもしれません。
親にとってはものすごく辛い子どもの障害を受容するということに失敗したのではと想像します。
子どもの支援とともに親を支援するシステムが欲しいです。
かなりの割合で親がうつ病になっちゃうわけですから。
すぐにどっかへ行っちゃうだろう子どものために首から下げさせてたGPSつきケータイのストラップが凶器と言うのが泣けます。
あと発達障害を専門とする小児科医も足りません。
こういう事件は毎年のように起きてるんだから何とかして欲しいです。。゜゜(´□`。)°゜。
人生は辛いことを受容する業務と見付けたり。
失った夢を数えるな、残った幸せを数えよ。
だから、あなた(被疑者となったお母さん)も生き抜いて!
本当にやるせない思いがする事件です。
日本は、障害を持って生きていくのには住みにくい世界なのでしょうか。何も取り立てて援助するのではないにしても、当たり前に社会と共生できる世の中であって欲しいものです。
ぼちぼち上告理由書原案つくらないとね。
しばらく中断してたし。
可逆的と不可逆的とを問わず、身体と精神とを問わず、障害を負って機能が喪失ないし制限されると、機能喪失感から人生に対する絶望感のどん底になることがあります。それが、苦痛を伴うリハビリで全部または一部の機能が回復する見込みが高くてもです。
もちろん、「失ったものを数えるな、残ったものを数えよ」というパラリンピックの標語があっても、それは言うは易し行うは難しだからです。
とくに自分の身であれば何とかなる場合でも、小さな我が子であると、親として自責の念にかられることが多く、その苦痛や苦悶はいかばかりかと思うことがあります。「自分が死んだ後はこの子の将来はどうなる?誰が面倒を見る?」という自問自答に行き着いてしまいがちだからです。
そのためのメンタルな面のケア施設やシステムが「容易に利用できるリソース」があればと思うことがあります。一部のボランティアやNPO活動では限界を感じる今日このごろ……。m(_ _)m
そのとおりだと思います。医療・福祉の世界にいて思うのは、まさに社会資源が少ないことです。特にメンタルヘルス、カウンセリングといった精神的なフォロー体制が少なすぎます。
日本人は、躾けがなっていないとか気合が足りない、我慢が足りないとか精神論に走りがちです。そうではなく、病気に対する認識、本当に専門的なサポートが必要な人たちに対する認識こそが足りないのだと思います。
ごくごく瑣末なことですが。
どこに行けばいいか専門医を探して迷われる方のために、ささやかですが指摘させてください。
発達障害の専門は児童精神科です。
児童精神科医の数があまりにも足りないので小児神経科等でも見てはくれます。
小児科のお医者さんももちろんご存知ですが、専門はこちら。
児童精神科のほかに、小児精神科の看板かけているところもあります。m(_ _)m
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP218JP218&q=%E5%B0%8F%E5%85%90%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91+%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3&revid=1111413125&sa=X&oi=revisions_inline&resnum=0&ct=top-revision&cd=1
不思議とアンジェラ・アキさんの手紙 〜拝啓 十五の君へ〜が心にしみます。15歳でなくても、人はみんな悩みを抱えて生きている・・・。
親が子供の命を奪う、そこには深い悩みや苦しみがあったとは思いますが、周囲に相談できる方はいらっしゃらなかったのでしょうか?このような悲劇がどうして繰り返されてしまうのか、と考えるとき、深い絶望感を感じざるを得ません。彼の冥福を心から祈るとともに、このような悲劇を繰り返さないために私に何が出来るか、を考えたいと思います。
医療や福祉のハザマに中間受け皿制度やシステムというセイフティネットがあればと思います。せめて希死念慮や無理心中の誘惑に襲われたら「命の電話」にコールしましょう。
http://www.find-j.jp/index.html
>周囲に相談できる方はいらっしゃらなかったのでしょうか?
深い悩みの深淵にいらっしゃると、周りが見えない状況になってしまうのでしょうか・・・。
このお母さんは、もう少しというか、なんとか頑張ってお仕事を続けていらっしゃれば、(仕事も手につかなくなったのかもしれませんが)世間との係わりの中で、孤立化しなかったのではないのかな?と感じます。
先程ネットのニュース記事を見ましたら、仕事を止め、福岡の実家に帰っていたということでしたので、ほぼ一日中、息子さんのことで、頭が一杯状態だったように思います。
あまりにも悲しすぎる結末で、改めて命の尊さを思い巡らしています。・・・合掌
(今回は削除)
母親が被疑者として取調べを受けていることを知ったときの最初の感想は、「旦那は何をしてたんだ」ということです。
どうにもこうにも、こういう事件は資本主義社会のゆがみであって発生を予防することはできないのでしょうか。自分の無力さに途方にくれます。
http://www.excite.co.jp/News/society/20080923/Kyodo_OT_CO2008092301000702.html
だと、母親自身が子供に介助してもらっていたようですね。これはきついなあ、お母さんも苦しかったでしょうね。特に、「企業の役に立たない人間はどんどん死んで行け」と言わんばかりのこのご時世では、将来の希望も夢もなかったでしょう。
さて、報道から判断するとこの子は公汎性発達障害と思われますが、「なんでそんなことしなきゃいけないの」という言葉には、多分リテラルな意味しかなく、「そんなことしたくない」という言外の意味はないはずなんです。
特別支援に通っていたということは、どこかで診断を受けていたはずなんですが、こういった高機能自閉症スペクトラムに属する方の発言はそのまま読むべきで、裏まで読まないこと、という教育をその際受けたはずなんです。まあ難しいことなんですけど…
>母親自身が子供に介助してもらっていたようですね。これはきついなあ、お母さんも苦しかったでしょうね。
満腔の禿同です(ボソッ …(つД`)グスン
>特に、「企業の役に立たない人間はどんどん死んで行け」と言わんばかりのこのご時世では、将来の希望も夢もなかったでしょう。
私のX度めのXX検査の画像を見た3人目の主治医が、「君は絶対に公務員を辞めるな。こんなXXXXX状態では民間じゃどこも雇ってくれないよ。」と真顔でアドバイスしてくれました。m(_ _)m
いつもはROMです。
こどもの精神疾患に対応する診療科をどうゆう名前にするかは確か協議中だったと思います。発達障害を診る医師は小児科医もいれば精神科医もいます。医療も教育も場所による差が大きいように思います(根拠はなくただの感想ですが)。
http://d.hatena.ne.jp/hattatsu/20080923/1222160572
が発達障害児を持つ親の気持ち代弁してくれているように思えました。
「(自身が倒れてしまったとき)区の判断で「ネグレクト」ということになり、子どもは乳児院に連れて行かれた。区でできるサポートとしてはそれしかないそうだったけど、子どもは家に帰ってきてからもしばらく、連れて行かれた時間になると自分で壁に頭をぶつけて泣き喚いた。自分が情けなくて涙が出た」
胸が痛いです。