エントリ

 弁護人からの情報のようですが、今回は弁護人のマスコミ対応についてというような観点は横に置いて書きます。

 県警も、薫容疑者が弁護人に話した内容をほぼ調べで把握している。が、薫容疑者の供述にはあいまいな点もあるという。公園に行って間もないうちに殺害したとみられることから、計画性の有無について慎重に調べている。

 県警の言う「計画性の有無」というのは、要するに殺意の発生時期のことです。
 殺意が公園に行く前に発生していたら計画性があったと言って妨げないと思いますが、しかし本件のような経緯の事件について、数時間または数日間というスパンで事前の殺意の発生を論じても意味がないように思います。

 同じような事件が起きないようにするためには、本当はもっと本質的な背景事情を明らかにする必要があると思うのですが、事件当時の状況を中心に取調べによって供述を得てその裏付けを取るという警察捜査の基本的なやり方としては限界があるだろうと思います(この種の事案の検察捜査としても変わりませんけど)。

 しかし、マスコミとしては警察情報におんぶにだっこでその限界の中で報道しなければならないということはないはずです。
 もっとも、この記事は弁護人情報に基づいて事件の性格をかなり出そうとしているようですが、
 毎度おなじみの「計画性の有無について慎重に調べている。」というような紋切り型報道じゃなくて、もう少し記者独自の視点があってもいいんじゃないかと思います。

 しかし

 薫容疑者は弁護人に、家族3人で昨年、沖縄に旅行した思い出などを語った。「弘輝の声が聞こえる。弘輝のところにいかないと」

 これには涙が出ました。

 ですが、最後にここで弁護人視点を持ち出しますと、裁判員制度における弁護人のマスコミ対応というものを考えさせられる弁護人からの情報提供事例ではあります。
 この記事によって、真相に近いか遠いか分からない予断を抱いている自分が自覚されます。

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コメント(26)

>薫容疑者は弁護人に、家族3人で昨年、沖縄に旅行した思い出などを語った。「弘輝の声が聞こえる。弘輝のところにいかないと」

 法学部卒にあるまじき予断と偏見と言われるのを覚悟で言いますが、母子の切っても切れない絆、お腹を痛めた我が子を思う母の心情を感じる言葉です。…(つД`)グスン
 もちろん、「ならば殺すな殺しておいて」という理屈はわかってますが……合掌。m(_ _)m

「計画性の有無」が大切なのはわかるのですが、それは判決の局面ではどうなのでしょう。
「犯行は衝動的で身勝手」と「犯行は計画的で残忍」というのを聞くと、別に計画的でも衝動的でも同じじゃないのと思うのですが。

子どもの障害でうつ病になってるのかと思いましたが、その他の持病も酷かったのですね。(´_`。)
記事の情報からすると線維筋痛症かなあ?

これはどうしたものかなあ。
なんて救いの無い事件。

裁判で罪が重くても軽くてももはや関係無い気がします。

> しかし、マスコミとしては警察情報におんぶにだっこでその限界の中で報道しなければならないということはないはずです。

そうなると、周辺の方々へのメディアスクラムが気がかりですが、

> もっとも、この記事は弁護人情報に基づいて事件の性格をかなり出そうとしているようですが

のように、弁護人の方々が代わって取材を受けることで肩代わりされるのでしょうか。
これはこれで、弁護士さんの負担が増えて、ますます刑事弁護から離れるひとが出そうで、やっぱり気がかりです。

弁護人がマスコミに情報提供することには違和感を覚えます。守秘義務くらいあってもよさそうなものなのに。

…それはそれとして、エントリでモトケンさんが
>同じような事件が起きないようにするためには
との問いかけをされていますが、このことは事件そのものの捜査〜裁判と、別に考えるべきでしょう。もちろん事件捜査で明らかにされる事情や背景も貴重な資料となるわけですが、同様な事件の再発を防ぐことが目下の捜査の目的ではない…はずでは。また裁判の目的でもない(違うかな?)。じゃあ誰がそれをするのか、てことを社会として考えていく必要があると思います。

>同様な事件の再発を防ぐことが目下の捜査の目的ではない…はずでは。また裁判の目的でもない(違うかな?)。

>同じような事件が起きないようにするためには

 私のエントリは、捜査や裁判ではなく、報道の目的ないし意義を問題にしたものです。
 社会政策や地域のコミュニティや家族というものを一人一人が考えるきっかけになるような報道であるべきではないか、という気持ちです。


 私が弁護士だからかも知れませんが、私の発言を全て法的なものとして考える人が多いような気がしますが、私の物差しは法律だけじゃないです。
 この部分は別エントリの話題込みです(^^;
 

この事件をテレビで見ていて思ったことは、「なぜ施設に入れることを検討しなかったんだろう?」「地域にショートステイをしてくれる施設はなかったのかな?」でした。

障碍児のための児童施設はそれほど多くはありませんが、県に一施設はあるものなので入所は順番待ちですが、出来ない事はありませんし、「いずれ入所が出来る」という次善の策ではあっても希望を持つことは出来ると思うのですけどね。少なくとも子供の安全と生活は確保できますから。

それから、これは別に児童施設ではなくとも、障碍者施設であればたいていのところはショート利用を受け入れているので、それを利用することを考えてくれればよかったのに、と思います。

ショートステイを利用することは、決して怠けていることにはなりません。障碍児を育てるという長期戦を覚悟しなければならないのだから、緩急をつけて休めるときには休み、動かなければならないときには動くという、無理をなるべく避ける事は必要不可欠だからです。

うちの施設でも、最近1ヶ月間のショート利用をされたお子さんがいます。こだわりのとっても強い自閉症のお子さんで、父親の入院で子供の世話をする余裕がないという理由でした。うちの施設では週3〜5日はショート利用のお子さんが数名入れ替わり立ち代りやってきて過ごしています。

こういう社会資源を活用出来るってことを、このお母さんはご存じなかったのか、活用する勇気がなかったのでしょうかねぇ、残念です。

こういう事件のたびに思うのは、「さっさと白旗揚げて、使えるものは全部使ってもいいんだよ。」「顔も見たくないのなら、手にかける前に施設に入れてしまったらどう?」です。
子供の安全と生活のことを考えたら、その方がまだましだと思うからです。

>ばあばさん

おっしゃるとおりだな,と思います。
いや,感銘を受けます。

主観的な,社会資源を知らないこと,やろうと思っても勇気が出ないこと,というのが,どこかわだかまりのある事件の特徴だと思います。客観的な,社会資源の限界,というのも,どこかわだかまりのある事件の特徴です。かわいそうにな,とどこかで思うところです。
死が最終手段というのは過ちですが,その過ちを救いうるようにしたいですね。

ほかの方が,弁護士の守秘義務の問題を指摘されますが,私は,だいぶ好意的に受け取っています。依頼人たる被疑者の許可を得ていないとはとても思えませんし(許可なくやっている弁護士っているんでしょうか? そんなにいないと思います),そして,このような事案では,弁護士がいろいろと訴えることにかなり意味があると思います。被疑者の量刑にしても,社会的にしても。

ばあばさん、軽度の場合は特にですが福祉の狭間に落ちてしまうことが多いと思います。
こういう知的障害のあまり無い発達障害は手帳も交付されない場合がほとんどでは?
知的障害の手帳を申請すれば交付の際、福祉サービスが説明されると思いますがそうでないとどういうサービスが受けられるかも教えてもらえないことがほとんどでは無いかと思います。
また重度の場合は親亡き後を考えて、非常の際では無くてもショートステイを利用して親子分離の訓練をするケースも多いと思いますが、軽度の場合はそこまで考えない人も多いかと。
それで自分も病気したりとかいきなり非常事態になると、パニックに落ち入る。
さらに私の住んでいるところでは、お役所は予算が無いのか出来るだけどういう福祉サービスがあるのか積極的には知らせないような気がしています。
また他の区ですが、障害の区分も軽いほうになりそうな子を選んでそろそろ手帳の書き換えをしませんかと個別に連絡が来たりするそうです。
いろいろとどうにかして下さい〜!!って思うことが山盛り。

>こういう知的障害のあまり無い発達障害は手帳も交付されない場合がほとんどでは?
>お役所は予算が無いのか出来るだけどういう福祉サービスがあるのか積極的には知らせないような気がしています。

沼地さんの仰る通り、手帳が交付されないこともよくある話ですし、福祉サービスを積極的にアピールしない、あるいは、福祉サービスが乏しい地域も多いことは確かです。

私の地域でも大してありません。県もなかなかお金を出しません。私自身、この仕事に就くまで福祉サービスがあることを全く知りませんでした。


だからこそ、住民が行政に対して絶えずせっつく必要があると思うのです。絶えず訴えないことには、そういうニーズがあるということ自体を 行政は知らないのです。行政自ら探し出すということは、まず期待できないので。

民主主義の世界では、声を挙げないと現状で納得している ことになるのです。

特別支援学校(養護学校)に在籍している子どもの場合は、学校側から意外と色々な情報や支援も得ることが出来るケースも多いのです。今回の事件のお子さんの場合でも、特別支援学校に入ることは可能だったはずで、その勇気さえあれば事態は少し違ったモノになった可能性は高かったと思うのです。

また、児童相談所に何度となく相談を持ちかけていれば…… お母さんの心身の状況も児相が掴んでいれば、また事態が少しでも違ったモノになると思うのです。

ウチの施設に、児相と婦人保護センター共同での要件で緊急一時保護の手帳も所持していない軽度の(境界線)知的障碍のお子さんも入所してきました。半年間でしたけど。

厳しいですね、最近は福祉施設に仕事で行くことも多く、いけば世話の焼ける感じの人が大勢居ます。

今まで無頓着で申し訳ないですが、ちょっとお聞きします。
子の障害や親の病気などで、病院の窓口から福祉施設への案内はどんな感じでされているのでしょうか?

>子の障害や親の病気などで、病院の窓口から福祉施設への案内はどんな感じでされているのでしょうか?

病院ですと、医療相談室にいるソーシャルワーカーが相談に乗ってくれます。ソーシャルワーカーがいないところだと、医師や看護師さんからアドバイスがあったという人もいました。

また、看護師から担当患者さんのことをソーシャルワーカーに相談し、ソーシャルワーカーから患者にアプローチして ということもありましたね。

子どもの場合、小児科医から児相に話が行き、児相が家族の元を訪れて紆余曲折の末、施設に入ることもあります。

>福祉施設に仕事で行くことも多く、いけば世話の焼ける感じの人が大勢居ます。

まぁ、正直言って家庭で世話をするのは大変! という方もいらっしゃいますです。地域の福祉事務所が「出来れば地元では……」と匂わせられた利用者さんも、過去にいなかったとは言いませんです。

利用者さんにとっての最善が、家族の最善ではないことも多いですし、家族の最善が利用者さんにとっての最善でないことも多いのが現状です。ですから、利用者さんと家族にとって次善であるような関係を構築できるように、施設側は手を替え品を替えて、じっくり時間をかけて働きかけているわけです。成功率が高いとは言い難いですけどね。

でも、長く付き合っているとどの利用者さんも、かわゆく見えるんですよねぇ。退屈はしないですし。くたびれるけど。

有難うございました。

見た感じ、むしろ入所者の方が自然に生きて居る感じで、職員さんは本当に大変だと思います。

なにしろ所構わず・・(以下自粛)

すみません、モトケンさんが、というつもりではなく、往々にして捜査や裁判で(自分が知りたいところの)すべての真相が明らかにされることを期待する向きがあるので、そこをきちんと見分けた方がいい、と言いたかったのです。ただ、よく判決で「社会的影響も大きく」と言ったり、死刑の犯罪抑止効果が語られたりするので、ひょっとしたら裁判には再犯防止が目的として含まれているものなのに私が分かってないだけ? という不安もあるのでできたらご教示いただきたいと。

>報道の目的ないし意義を
報道に関しては、報道する側よりも受け手の側が変わっていくことが大事なんじゃないでしょうか。とりあえずこういう事件については、報道は控えた方がいいと、個人的には思いますね。

>報道に関しては、報道する側よりも受け手の側が変わっていくことが大事なんじゃないでしょうか。とりあえずこういう事件については、報道は控えた方がいいと、個人的には思いますね。

う〜〜ん、難しい問題ですよね。
私は個人的にはあんまり記者の感情の入りすぎた記事は好きでは無いのですが、この事件は犯人は母親でしたと言う事実だけの報道では充分では無いと思います。

ある程度、こういう事件が起こってると言うこと報道しないと受け手の意識も変わって行かないと思いますし。

私の尊敬してる方でうちのそばの保育園と特別擁護老人ホームの施設長をなさってる方がいます。
自分で子どもを預けて働いた経験から、自分の子を預けたくなるような保育園を造りたいと私立の保育園をはじめて、その後お母様の介護、お看取りをなさり、今度は自分の親を預けたくなるような特擁が必要だと保育園に併設なさったすごい方です。(デイサービスを利用なさってるかたが子ども達に昔の遊びを教えていらっしゃったりなごみますよ〜。
そのかたがおっしゃったことが印象的です。
少子化を問題にして子どもを産みなさいと言われても、産まれてくる子どもは健常児ばかりではありません、少子化、少子化と騒ぎ、産まれて来た子が障害を持ってたら親なんだから自分たちでどうにかしろですからね、お母さん達に安心して子どもを産みなさい、どんな子が産まれても大丈夫ですからねと言える社会にならないとって。

道のりは遥か。
明日はどっちだ?

養護で扱ってきた例に加え、広汎性発達障害もひっくるめて特別支援にしちゃったのですが、当時から、こういう軽度の障害を持つ児童への対応が不十分になるのではないか、と指摘されていました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/016/04082502/004.htm
結局は、当初の心配事が的中してしまったわけですが、この子の特別支援を担当されていた先生もさぞ残念でしょう。ともかく、専門家が足りません。

本当は、発達障害児(あくまで「児」)の教育支援については、こういう立派な法律もあります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/001.htm

例の秋葉原事件の加藤もそうですが、このお母さんも、誰かそばで愚痴を聞いてくれる相手、泣いて手助けを頼める相手が一人でもいたら、人を殺めることにはならなかったろうにと思います。同じように思う人が一人でも出てくれば、報道の意味はあったことになるのではないかと。

私が特別支援学校に勤めていたのは30ん年前でした。その頃やっと「自閉症」という言葉が表面化してきました。当時はまだ、自閉症児に対する有効な療育は知られてはおらず、それぞれの担当教諭が個別に悪戦苦闘していましたね。

「自閉症」に対するティーチプログラムなどの療育の方法が日本に知られるようになってまだ16〜7年ほどで、その普及率もなかなか遅々として進みません。特別支援学校の中にどの程度浸透してきたか、はなはだ心もとないほどです。

自閉症についてすらそんな状況ですから、広汎性発達障害に対しても特別支援学校の先生たちは悪戦苦闘していることは間違いないです。特別支援学校に専門の教員は、多分あまりいないのではないか…と思いますし。

小・中・高の教員が転勤で特別支援学校にやってくることも珍しくないですからね。これらの先生たちは、障碍についてほとんど白紙に近い人たちです。

息の長い教育を続けていかなければならないのに、担任が変わることもよくあり、学年ごとに教室も変わってしまうこともあるので、人的環境・物理的環境がぶつ切りになってしまうことも どうかな?と思ってしまいます。うちの施設の学齢児の利用者さんたちを見ていると。

私の知人にアスペのお子さんのいる方がいますが、お子さんを普通の公立に入れているそうです。で、勉強のほうは、お子さん向きに、家で教え直しているのだそうです。

普通の学校教育の方法だけでは理解しがたい部分があり、お子さんの特性・傾向については親が熟知しているからだとか。まっ、知人宅は、父親中学教師、母親塾講師だからなせる業ではあるのですけれども。感情面のトラブルについても、お子さん用に微に入り細に渡って説明し、理解させているのだとか。

ただ、特別支援学校の先生たちも少しずつ変わってきてはいますけどね。この夏、うちの施設で開いた発達障害の研修会に特別支援学校の先生たちも参加されてましたから。施設の研修会に学校の先生が参加するってことは、結構珍しかったりします、少なくともうちの県では。


そういえば、どの家庭でもそうだけれど、世間の常識から少し外れているものですよね。お風呂から出たままのスッポンポンで部屋の中を横切っても、笑って許されてしまう程度には。

ただ、煮詰まってしまった家庭ですと、かな〜りアブノーマルになった状況であっても、煮詰まった家庭の構成要員である家族は、かな〜りアブノーマルになっている事をまったく気づかなくなってしまうのです。昼間は会社勤めや学校、近所に買い物に行って立ち話などをして世間の中を歩いているのにもかかわらず。

こういう場合、外から家庭内に風が吹かないと、澱んだものはいつまでたっても淀んだままになって、行き着くところまで行ってしまいがちになることが間々あるようです。

上記のことを同僚に話したら、「そうそう、うちもそうやったのよ。ここでバイトをする話が来て、働き出したらわかったもの」と我が意を得たりといった表情でうなずいていました。

外からの風というと、近所の世話好きおばさんか、町内会の集まりか、民生委員か、学校関係か、かかりつけのお医者さんところあたりでしょうか。適度に煮詰まった家庭に吹き込まれるといいんですけどね。

なんせ中の家族には、自分から風を家庭に入れる ということが出来ないでいることが多いですから。

http://www.excite.co.jp/News/society/20080930/20080930M40.118.html

連鎖心中に見えてしょうがありません。

ティーチプログラムは難しいんですよね。
ノースキャロライナで勉強して来た先生が、あれはノースキャロライナのような何にも無い土地だから実現できるやり方で、東京のような混沌としたところでは無理でしょうとおっしゃってました。
日本でもどっかの田舎をティーチのメッカにするとかなら実現できるでしょうけどって。(無理だ〜。笑
ただし環境の構造化は学校の中だけとかなら可能なので、特別支援校では有用だなって思います。
個人的には応用行動分析に基づいた療育がもっと広まって欲しいです。
ティーチも個々のスキルは応用行動分析の手法で教えているわけですが、なぜか応用行動分析って言葉を聞くと拒否反応を起こす人もいますよね。

あとこういう事件で思うのはやはり親を支援して欲しいということ。
せっかく一歳半検診、3歳検診、修学検診って発達をチェックするシステムがあるのに、そこで引っかかった子をフォローするシステムが無い。
発達の遅れがって告げて、親をパニックに陥れてそのまま。
大抵、発達障害の専門家までたどり着けずに経過を観察しましょうとか言われて放ったらかし。
公的な療育機関もあき待ち。入れてもきちんとした療育が行われていないことも多いし、親教育も手薄。
私は被虐待児などにもかなりの割合で発達障害児がいるのではと思っています。
他の兄弟児を普通に育ててるのに一人だけネグレクトなどのケースで、この子だけ育てにくかった、言うことを聞かないのでカッとしたなどと書かれていると、未診断の発達障害があったのでは無いかと思って胸が痛みます。
もしこういうケースで親を支援する人がいれば、言うことを聞かないんじゃなくて聞けない子なんじゃないかって判ってあげられれば防げた事件もあったんじゃないかって思います。

今回の事件自体は子どものことより母親の病気のほうが深刻だったのかもしてませんが、類似の事件は毎年のように起きている気がします。
どうにかして欲しいなあと思っています。

横須賀の事件が連鎖かどうかはわかりませんが、一報に接したときには「また…」と、心が暗くなりました。私が読んだ共同通信の記事では(http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2008092901000712/1.htm)母親自身が自殺を考えていて
「わたしが死ねば、残された息子がかわいそうだと思い、一緒に死ぬつもりだった」とのこと…(これって警察発表なのでしょうか)

子殺しのニュースにはまず憤ってしまうのでコメントを書けるようになるまで頭を冷やしていました。思うに、子どもに障害や問題があるか否かにかかわらず、子殺しを減らすためには、親だけに子育ての責任を負わせないことが、必要なのでしょう。制度としても、意識としても。子育てに行き詰まっても、助けを求めるのは恥ずかしいことじゃないし、いよいよとなったら放り出しちゃっても大丈夫だから、殺さないで! と、言ってあげられる社会であり、親もそれを受け入れることができれば。No. 15で沼地さんがお知り合いの言葉として仰っていることも基本的には同じだと思います。とにかく自分(たち)だけで背負い込まないで、何があっても殺さないで、というメッセージを発していくことではないでしょうか。

この社会に子殺しを容認しないという総意があるのならば。

 だいぶ前、日本の著名な政治家(大臣クラス)が、「家族間介護は日本型福祉の含み資産である」という趣旨の発言をしていました。このような発想から抜け出さないと。_| ̄|○
 その意味では介護保険は一歩前進でしたが、介護サービス会社の低賃金による人材流出、法定要員確保偽装そして破綻とくれば…(T_T)
 私も高齢になれば、いやでも要介護となる宿命を背負っていますので(現代医学で治癒不可能な機能障害の悪化という意味)、ひとごとではないです。正直なところ、子供に介護で重度の負担をかける前にポックリ逝けたらと思うときが多いです。
 私の子供は幸い問題ないですが、これが親子共々障害を負っている本件を思うと、涙なくして本件事案は読めません。

PS:
 誤解があるといけなので……。
 私が使った「ポックリ」とは、自然死、突然の事故死、急性の病死(自宅でw)という意味です。長寿だった祖父のように、元気で飯を喰いながらいつの間にか眠るような大往生を遂げたいという趣旨です。
 医療過誤が問題とならないように、急性の病死なら医師が駆け付ける暇もなく自宅で死にたいですし、事故死なら事故現場で即死したいです。(゚Д゚)マヂデス

この事件、容疑者の母親に妙に共感を感じてしまい、色々な記事や書き込みを読んでいます。私自身何度もこの子を殺して自分もと思った母親の一人ですが、何とか理性で食い止めてきました。
そして不思議に思うのは薫容疑者の夫の姿がぜんぜん見えないことです。なぜ?福祉の相談窓口や近所の人、容疑者の両親に助けをもっと求めていれば、、、ということは書いてありますが、夫は?一番身近な人は何をしていたのでしょう?誰かそのことについて不思議に思う人はいないのでしょうか?夫不在の日本の家庭、夫の無責任は許される日本?と思うのは私だけ?

今日のお父さんの話しが出てましたね。
http://www.asahi.com/national/update/1019/SEB200810180018.html
お母さんは線維筋痛症でした。
わりと最近アナウンサーのかたがこの病気で自殺なさいましたよね。
辛いことです。

お父さんの息子さんの障害が診断される前に、聞き分けの無い子だと思って手をあげたというのもよくあるパターンだと思います。
言うことを聞かないんじゃなくて聞けないんだって判るまで、こういう風になりがちですよね。

3、4歳頃には医療機関で診断されているようですが、その後のケアはあったんでしょうか?
幼児期の療育というのは治療と教育の狭間に落ちて、特に軽度の場合は放置されがちだと思います。
この子は他害があったようですが、適切な指導があればちゃんと自制出来る子になれたと思います。
1歳半検診、3歳検診というシステムがあるのですから、そこで発達に問題がある可能性を感じたら、その後のケア(子どもの療育とできれば親の精神面も)をする公的システムが欲しいです。

沼地さん情報ありがとうございます、でもこのだんなさん、本当に自分も加害者だと思っているんでしょうか?「何年かは1人で事件のことを考えてほしい。自分も反省しながら待っているから。」という言葉の端々に他人ごと、自分は責任は無いというニュアンスが見え隠れしてるのですけど、考えすぎ?なんかすごく気になるこの事件、続報が知りたいところです。

う〜〜ん、個人的には待っているからと言う言葉だけでもいいかななどと。
ひとり息子を亡くして、次に奥さんが犯人って判ってこのかたも相当お辛いですよね。
それは本当はこうなる前に支えて欲しかったです。
でも待ってるって、出所してから支えて行くのですよね。
もう充分重いというか、もし支えきれなくても何も言えない気が。

いったんは子どもの障害とそれに対する無理解から別居して、でもやりなおすために奥さんの実家に同居なさってたわけです。
子どもの障害が判った時点で逃げてしまう父親の話しをよく聞くので、もうこれだけでそんな悪くも無いって思うのは甘いですかしら。
酷い例を知り過ぎなのかもしれませんが。

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