「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出(asahi.com 2008年10月4日19時12分)
きちんと大学の講義に出た人のノートを1、2万円で買い取り、その写しを1部数百円で売る。こんな学生相手の「講義ノート屋」に逆風が吹いている。学生の「まじめ化」やノートの質の低下が原因だ。大学の視線も厳しくなり、一部の繁盛店をのぞき、次々と倒れている。
私の大学は山奥にありましたので(遠目に見るとラブホに見えたという話もある^^;)、講義ノート屋なんてものはありませんでした。
しかし、「まじめ化」と「ノートの質の低下」が両方進行しているというのはなぜなんだろう?
出席さえすればいい成績が取れる講義が多いということかしらん?
文理問わず、論述の問題が多く、考査の回答には独創的な見方が求められるとなると、他人にノートなどはあげたくはありません。非正規人口の上昇に伴って、大学生の非正規率も上がっていると思うので、お金にも困ってなさそう。掲示板やウィキペディア等で、簡単に質問や情報収集できますし、アクセス制限の無い他の大学の講義プリントなんかもPHP形式で収集可能な時代なので、ノートにあまり価値は無いと思います。
私の時代も、ノートではなくて模範解答を手に入れる1発学年末試験の時代でした。そこで、債権各論(契約法〜不法行為)、会社法、手形法、刑法各論、刑事訴訟法、労働法、XX法……等の模範解答各科目5〜20問分を書きまくって販売し、小遣い稼ぎをしてました。(^^ゞポリポリ
顧客は全員単位を取れたので瑕疵担保責任を追及されないでよかったです(。_・☆\ ベキバキ
「まじめ化」はひしひしと感じます。彼ら彼女らにとっては当たり前のことのようで、悪いことじゃないと思います。休講したら学生から文句が来たなんて話もあるようで、びっくりしたことがあります。もっとも、体を教室に持ってきたからと言って、真面目に聴講するかどうかは別問題ですが、これは教える側の技量の問題もありますので(^^;)
あとは大学に限らず、教授形式の変化もあります。
(1)大学も含めて学校教育全般の現場で「白紙の帳面に一からノートを作る」という場面が減ってます。レジュメ(プリント)や書き込み式ワークブックといった補助教材の利用比率が高まっています。こういった周辺機器の発達の影響は大きいでしょう。で、講義でプリントが配られるとそれを後からコピーすればいいわけで、ノートを買うという発想は薄れます。仮にプリントだけ集めても無駄な授業であっても。
(2)その一方、キーワードや図表ばっかりのパワーポイントを使ってプレゼン形式で授業を進める人も増えています。学生が受講生でなく聴衆になってしまうので、教師がよっぽどノート作りを意識しないとろくなノートが出来ません。設備の関係で部屋を暗くする必要もあり、物理的にノートを取りにくくなる教室も多いはずです。
(3)頻繁な小テストや感想を書かせて提出させるみたいな形式の導入は理系など積み上げ型カリキュラムの分野を筆頭に、かなりすすんでいますが、出席点だけで単位がもらえるという授業は、逆に減っていると思います。