手談という言葉があります。
囲碁のことです。
モトケンは囲碁をかじったことがあります。
一番強かったときで初段の一歩手前くらいでした。
それも20年くらい前の話でそれから弱くなる一方ですから今の実力は推して知るべしですが(^^;
囲碁が強くなるための方法の一つに詰碁を解くというのがあります。
詰碁の基本は三手の詰碁です。
つまり、自分がまずどこの打つか、そうしたら相手はどこに打つか、それに対して自分がどこに打てば詰むか、ということを考えるわけです。
ここで大事なのは2手目です。
相手がどこに打つかを正確に考える必要があります。
つまり、相手の立場に立って最善手を考える必要があるわけです。
相手の立場に立つということは、自分が打つ手を客観視するということです。
最善手を考えるということは、自分の打つ一手目の意味を正確に理解することが前提になります。
どちらかが欠けると勝手読みになって正解にたどり着けません。
詰碁はあらかじめ正解が決まっていますが、実戦では善悪がはっきりしない場合が多いですし、何十手も後で善悪が分かる場合もありますので、私レベルではなんとなく感覚で打ってしまうことが多いです。
しかし、基本的な考え方は一緒で、碁の一手一手は常に何らかの根拠をもって明確な選択(言い換えれば意思)の結果として打たれるべきものです。
相手も、その一手の意味を読み取り(または読み取ろうと努力し)その意図に対応した手を打ってきます。
ですから、打つ前に相手の対応を予測して、予測される相手の対応にいかに適切に対応するかを考えてから打つべきことになります。
つまり、大局者はお互いに、相手の打つ手によって相手の意図を読み取り、逆に言うと自分の一手によってその意図が相手に読まれることを前提にして、次の、または三手先の、五手先の(最強時の私でこの程度^^)さらには数十手先の手を考えつつ一手を積み重ねていくのだと思います。
手談と言われる所以はこういうものだと理解しています。
言葉による議論も同じだと思います。
となると、いわゆるブーメランはとても恥ずかしいことになります。
三手先はおろか二手先の相手の反応も読めない下手くそということになるからです。
こんなエントリを書くまでもなく恥ずかしいことですが(^^;
自戒を込めて(^^;;;
囲碁の有段者から見ると拙さ過ぎるエントリだと思いますが、趣旨をお汲み取りいただきなにとぞご容赦を m(_ _)m
一応高段者で通っています。詰め碁は嫌いですがwww
3手の読みは詰め碁に限らず、囲碁全体の基本です。おそらく、将棋やチェスでも同じでしょう。
もちろん強い人であれば3手が5手7手となっていきますし、読みではなく感覚が多分に支配する領域もありますが。
そして、その次のステップとして大切なのは「結果」を見極める目です。3手(以上)の読みがいくつもある中で、どの図が自分にとって最善なのか。それを見定めることも必要です。
詰め碁なら、死か生かコウかくらいですが、実戦では1目でも得しなければなりませんからね。